−水車物語5−





僕が最後に「マチダさん」を見たのは、小学4年生になって少し経った梅雨の頃だった。

僕が学校から帰ってくると、母屋の玄関の庇の下で、突っ立ったまま降りしきる雨を見ている「マチダさん」がいた。

母屋は周囲より一段高くなっている為、玄関前は水車小屋入り口前の庭から続くゆるい坂になっていた。僕は坂下から玄関前にいる「マチダさん」を見上げて一瞬どきんとした。庇から首吊り死体がぶら下がっているように見えたからだ。「マチダさん」はすぐに僕に気付いて、いつものように「やあ」と言って笑った。「マチダさん」は少しきつめの黒い背広と黒いズボンの上下に編上げ革靴という格好でそこに立っていた。笑ってはいたが、髭が伸び、顔全体が蒼ざめて痩せて見えた。

その日、父は帰ってこなかった。

父はその前の年から、水車仕事の方を母と住込みの雇い人に任せて村の農協に勤め出していたのだ。週に一回宿直の日があり、生憎とその日が当番だった。母が作業場から出てきてその事を知らせると「マチダさん」は悲しそうな顔をした。

「そうか、お父さんも勤め人になったんだ」

「そうだよ、今度、オートバイを買うんだ」

「すごいね」

「今日は泊まっていけば」

「そうもいかないんだ」

そう言うと「マチダさん」は母に「じゃあ」と傘を差したままお辞儀をした。そして水車小屋の前庭を抜け新荒川の土手へと歩いて行った。「マチダさん」が帰って行く所を見たのは初めてだった。僕は雨の中を水車小屋角の馬小屋まで駆けていって、藁屋根から突き出している庇の下から「マチダさん」を見送った。「マチダさん」は土手を上り切った所で振り返ってこちらを見た。「マチダさん」は何か言いたそうだった。僕も何か言わなければいけないのかなと思った。「マチダさん」は笑って軽く傘を上げた。僕は見ているだけだった。

 

 

あれ以来「マチダさん」には会っていない。父からも母からもその後の消息を聞いた記憶がない。父の葬儀の時も来なかった。もう亡くなっていたのかも知れない。

「マチダさん」とは誰だったのか?

人は毎日会っていたとか、深く付き合ったとかだけで誰かの思い出の住人になるわけではない。たとえば旅先でたまたま通りかかった村や町で見かけた、何気ないひとの一瞬のしぐさがずっと残ることがある。

 僕は「マチダさん」の事を忘れてしまった訳ではない。父の戦友で少し都会の香りのする人は「マチダさん」一人だったので、もともと印象は強かったのだが、なにかの拍子に懐かしい人を思い出そうとして「あれは誰だったかなあ」とか「誰が言った言葉だったかなあ」とか考えると、それはたいてい「マチダさん」だった。その記憶の現れ方がいつの間にか家の縁側に座っていた「マチダさん」そのものだった。彼は僕の「風の又三郎」だった。ただ、懐かしさの反面、なんとなく不安な暗がりがあって、いつもあの庇の下の影を思い出した。彼は「戦争をしてきた風の又三郎だったのだ。

 

 

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