−水車物語5−





僕の家に来る人の中に、水車にも釣りにも行商にも村の行事にも関係ない、更に言えば暇つぶしとも違う様な人がいた。人物往来なんて大層な言い方で、あの人もこの人の事も書いておこうと考えて、結局一番よく判らないその人の事が一番書きたかったのだと気づいた。    

その人は1年に2回来て、まるで屋根に忘れられた竹とんぼが、風に乗って舞い降りてきたように、いつも母屋の南向きの縁側に腰掛けて遠くの方を見ていた。そして僕を見つけると「やあ」と言った。「やあ」なんて言う人はこの村に居ない。だいたい「おう」か「大将」か「このヤロ」だった。僕はいつも、なんだかモヤッとして返事に困った。

その人の名前は「マチダさん」といった。

「マチダさん」は冬に来る時は分厚いオーバーコート、夏に来る時は白いワイシャツの腕まくり姿だった。靴は夏冬関係なく、黒くて重そうな編上げの革靴を履いていた。

「マチダさん」は父の軍隊時代の戦友なのだと母に教えてもらった。 

父は母に「あれには好きなように過ごしてもらえ」と「マチダさん」が来る度に言った。

「マチダさん」は兄に2本、僕に2本、そして妹に2本、兄弟別にそれぞれ違う色のえんぴつを、決まってお土産に持ってきてくれた。こんな風に子供一人一人に気を使う人はこの村には居ない。だいたいが兄弟一緒くたで、性格や好みなどはお構いなしだった。だからそんな風にされるとくすぐったかった。と同時になぜだか少し不安になった。妹など、妹の色のえんぴつを無断で使ったりすると物凄く怒った。

「マチダさん」は、朝、いつの間にか来て、昼ごはんを家の者と一緒に食べ、夕方、いつの間にか帰った。その間これといって何かをする訳でも無く、ただぶらぶらと家の周りを回り、時々、縁側で妹の書く字や絵を見ては色々と教えていた。

「マチダさん」は物静かで、まだ学校に入る前の小さな妹にたくさんの字を教えた。「マチダさん」の帰った後に、妹にどれだけ字を覚えたかテストをしてやる、と言って問題を出すと、ひらがなだったが、たいていの字は書けるようになっていた。兄の僕としては大いに焦った。

父とはごく短い会話を交わすだけで、仲が良いのか悪いのかも、よく分からなかった。

「一緒に戦争をやったん?」と「マチダさん」に聞くと「そうだよ」と答えた。

「鉄砲で敵を撃ったん?」

「そうだよ」 

「刀で敵を切ったん?」

「そうだよ」

「・・・・・」

僕の聞きたい戦争はそこまでだった。僕は派手にドンパチやる戦記物語をもっと詳しく聞きたかっただけなのだが、勝手が違った。ただ、物静かな「マチダさん」は嘘や冗談を言わない。そして僕が聞きたい事には何でも答えてくれる。僕には、それがよく分かっていたので、そこから先の戦争の話もあるのかな、とは思ったのだけれど、鉄砲や刀で敵をやっつけた後の話となると深い霧の中のようで見当もつかなかった。戦記物語にはそんな事は書いてなかったからだ。

「僕に絵が描けたらなあ」と、ある時「マチダさん」がいつものように縁側に腰掛け、遠くを見ながら言った。

「絵なんかいくらでも描けらあ」と僕が言うと、「マチダさん」はフフと笑い、

「大人になると描けなくなっちゃうんだよ」と言う。

「なんで?」

「大人になると目の前の物が濁って見えるんだよ」

「目が悪くなるん?」

「うん」

「何が描きたいん?」

ここから見えるもの全部だよ」

「うへー、びっくらこいた」

僕はおどけて縁側に頭をごつんとぶつけて見せた。好きなギャグマンガのまねだった。「マチダさん」は最初唖然としていたが、その後大笑いした。

 

 

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