−水車物語5− 5.水車屋人物往来記 水車屋には様々な人々が出入りしていた。米搗き、麦搗き、製粉に来る人達はもとより、水車大工、農具屋、米、麦、魚の仲買人、それに釣り人や色々な行商の人達。コウホネの根など薬草取りの女の人達。周辺の農作業の手休めに来て、そのまま暗くなるまで話し込んでしまう村人、ただの暇つぶしに来る人、駐在所の巡査、果ては市会議員まで来ていた。 中でも僕らが心待ちにしていたのは、正月の獅子舞と、夏のアイスキャンディとところてん売り、秋の竹細工屋さんだ。 獅子舞が来ると、一気ににぎやかで華やかになり、正月気分になった。いつもの家族の他に叔父叔母いとこが揃い、家長である父が水車堀とヨコテ脇水路の分岐点に祀ってある石の水神様と、隣に並んで建っていた馬頭観音の石碑に注連飾りをして、お神酒と餅を供えると、お囃子が始まり獅子が舞った。僕らはその周りで踊ったり、逃げ回ったりしてはしゃいだ。そしてどういう訳か、獅子舞が去ると乞食がやってきて、母が何か言いながら、おにぎりと小銭をあげていた。 アイスキャンディとところてんは隣村の納豆屋さんが、夏の間だけ自転車の荷台に乗せた箱に入れて売りに来たのだが、そのタイミングが絶妙だった。 夏、僕ら村の子供達は思川で思いっきり泳いだ後、それぞれ家に帰り体力が回復するまで死んだように昼寝をする。そして目が覚めて再集合となる訳だが、納豆屋さんは、僕らの目が覚める頃合を知っていて計った様に売りに来た。それでそのまま村を一回りして、アイスキャンディもところてんも、ちゅるんと押し出し売り切ってしまうのだ。水車小屋の前の道を帰ってゆく納豆屋さんの自転車は憎らしいほど軽やかだった。きっちりした商売だ。 竹細工屋さんは正式には何と呼ぶ商売なのか知らない。荒川の流れは、しつこいようだが、家の裏で水車堀とヨコテ脇水路に分かれ、水車動力の水量調整をするのだが、ヨコテはバイパス水路だから、ぐるりと本流を回避し、小屋の下流、新荒川の堤土手へ上る家の前の坂道を潜ってすぐの所で、いずれ本流と合流する。この二手に分かれた水路に囲まれた一画をシマといい、前に書いた桃畑や馬頭観音、石の水神様がある。水神様の後ろには竹林があり、竹細工屋さんは二年に一回、どこからかやって来て、そこに入って商売をする。 朝、背負い籠2つ、味噌漉し1つ、筌2つとか、母に注文を聞いて、後は竹林の中に筵を敷き、材料になる竹を竹林のなかから一本一本丹念に切り出して並べ、胡坐を掻くと作業開始となる。僕は傍でその手際を一日中飽くことなく見ていた。指の先に良く切れる小刀を取り付け竹をさばいてゆくのだが、どう見ても指先から竹がしゅるしゅると生まれて籠や笊になってゆくとしか思えなかった。ただの竹が青々とした新鮮な籠や笊になり、出来立てのいい匂いがした。それに僕の楽しみは、作業の合間に竹細工屋さんが作ってくれる竹とんぼや竹鉄砲だ。竹とんぼなど小刀で羽の両端部分をサッと一削りしただけで、水車小屋の屋根を軽く越えて飛んだ。簡単なおもちゃだが、僕や兄は勿論、他のだれが作ってもこうはいかないのだ。両手で擦って離すだけなのにそのふうわり感は、本当に羽のある生き物のようだった。ただ、面白がって何度も飛ばしている内に、たいていは屋根に乗せてしまい取れなくなった。僕がその事を言い出せないでいると、竹細工屋さんはなにも言わずにニヤッと笑い、もう一本作ってくれるのだった。
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