−水車物語4−





梁を伝うヘビを見かけるのも、いつもここからだ。梁はヘビにとって水場と藁屋根を往来する恰好の大通りだった。大人達が忙しく行き来する下の作業場にはヒトの、そしてこの屋根裏二階を含めたその上にはヘビの、それぞれの世界があった。

いつだったか、夏の終わりの午後に、一度だけ梁を渡るヘビが下に落ちるのを見たことがある。その時、下では母が唐箕を回し、籾殻を建屋の外に飛ばしていた。ヘビは水輪の方から梁を伝い僕の居る二階物置に向かって来た。と、なんとしたか、ヘビはくるりと梁を回り回転しているシャフトに絡んだのだ。当然ぐるぐる回るので、ヘビは慌ててベルトに飛び移ったが、ベルトは大きく撓み、ヘビは勢い振り落とされ、下の小麦粉の入った受け皿に落ちた。母の後ろで起こった出来事である。母は知らない。ヘビは粉を被った真っ白い姿で受け皿を逃げ出し、スルスルと壁際に消えた。

昼下がり、僕もヘビも唐箕を回す母も、全ては水車工場の規則正しい大きな音の中で起こった、無音の出来事だった。  

家の水車小屋には白いヘビの「主」が居て、そのヘビは神様の使いだと祖母から聞いた事がある。もし、あれが僕の見た神様の使いだとしたら、あれはヘビの罰を受けた姿だったのではないだろうか? 僕がそれを見た事をずっと忘れなかったように、何食わぬそぶりでヘビの世界に戻ったあのヘビも、己が白い姿を忘れる事はなかったのではないだろうか? もう、水辺でいくら身体を洗っても、洗っても、罪は落ちないのだ。僕らは。

                                               


 

この二階物置の奥には、明り取りと空調を兼ねた東向きの窓があり、僕はその前に一人分の空間を見つけ、おもちゃやビー玉や貝殻が入った宝箱、それに好きな本を持ち込んでは、昼寝をしたり、心行くまで物語や空想の世界に遊んだりした。そして本を読む事に疲れた時や、昼寝から覚めたばかりのぼんやりとした頭で、そこから外を眺めるのが好きだった。

 

春の夕暮れ、水を張った水田に薄い月影が写るのや、稲穂を渡る夏の風を見るのが好きだった。秋になれば、収穫された後の野に積み藁が点々とし、所々から一日の終わりの、のんびりとした煙が立っていた。冬には男体颪の中、麦を踏む村の人達を眺め、僕が一字一字指でたどる本読みの速度と一畝一畝進む村人の麦踏みとを比べたりした。僕がつっかえながら声に出して文字を読み、一つの文章を反すうしてはやっと理解し、顔を上げると、麦踏みは遠くまで行っていた。

                                 

 

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