−水車物語3− 僕は怖くなって、とっさに、川を渡り見晴らしの利く向こう岸の田んぼに出ようと思い、足を川の中に突っ込んだ。とたん、つるんと足がすべり、身体半分が水につかった。けれど川底に足がつかない。慌てた僕は川の淵へ持って行かれまいと、必死で近くの竹を掴み、岸に這い上がった。 川は僕の知っている川ではなかった。ゆっくりとしてなめらかに盛り上がりながら、まるで他人のように僕を拒否して流れていた。 川が怖いと思ったのはこの時が初めてだった。僕は泣きべそを掻きながら、もと来た自分の跡を辿り引き返した。 「ホーイ」 そして僕は完全に迷った。自分の跡を辿っているうちに、なんだか山全体が自分の跡だらけになってしまった様なのだ。 夕方、山芋探しに夢中になっていた大人たちは、水車小屋に帰ってきて始めて「下車の大将」がいない事に気付き、青ざめたらしい。 とにかく、その後僕が覚えているのは、竹藪を這いずり回った事とそこから土手の上を見上げると僕を発見した叔母が夕やけを背に「あれまあ!」といっているシルエットだ。 僕の額にはその時の竹の切り株で切った傷が、今も三日月になって残っている。あの日から僕は「下車の大将」から、その時一緒だった山芋堀りの大人達からは「旗本退屈男」ならぬ「下車の退屈男」と呼ばれた。そう言う時、大人達はなんともいえない表情をした。 それで僕がその後、山や川を怖がって嫌いになったかと言うとその反対だ。迷子になった当初はさすがに山には入らなかったと思うが、小学校に入り、僕は自分の度胸を試したくなって一人で山に入った。これは忍者ものや、ジャングルで子供が活躍する少年漫画の影響だったと思う。そしておっかなびっくり、少しずつ山に分け入っていく内、自分の恐怖心を自分なりに克服した。ここに自分が強くなるための山がある、と子供ながらに明確に認識していった記憶がある。それは山や川に対する恐怖心が無くなったという事とは違う。迷子になった時の恐怖は額の傷とともに今も鮮明に残っている。ただ、恐怖から目をそむけるな、恐怖は自分の中にありそれを乗り越えれば見えるものがある、と言う事をその時、自然に学習したような気がする。そして子供なりに嫌な事や世の中の分からない事があると、この山に入り、その屈託を踏み潰すようにぐさぐさと歩き回ったりした。少し大きくなって小学校も上級になると、だいたい山の全容も分かってきて、四季の移り変わりや、年毎の変化、生き物、植物の分布にも詳しくなっていった。 ただ一つ、この里山について今でも疑問に思っている事がある。他でもない、あの迷子になった時、溺れそうになったあの淵のことだ。この里山を自分の家の庭のように歩き回れるようになって、何度かあの淵を探してみたのだが、もう何処にもなかった。小さかったから恐怖で深みと思ったのか、その後の何度かの大水で川底や川岸が変わってしまったのか? 当然そう考えられるが、家の水車の水量調節があって川の水量はある程度一定に保たれていて、下流の川幅はゆったりと広く流れるようになっていた。洪水の時以外は、もともとそれほど深い川ではなかったのである。春にはコウホネの黄色い花が一斉に川面にゆらぎ、何処からかやって来た女の人達が白い脛を出し川に入り、婦人病に効くとかいうコウホネの根を採って行った。夏は夏で、夜になると無数の蛍が川の流れの形になって光り、夜空に懸かる天の川との饗宴が見られた。いずれも浅い川だからこそだ。まして山芋堀りの秋の川がそんなに深いはずはなかった。なぜなら秋には小学生の僕らは川の中を歩いてクルミの木まで行ったのだ。そして川や岸辺に落ちたクルミを競争で拾いカゴに入れた。僕はいつもここまで来ると、あの淵の事を考えた。そして大きなクルミの木を見上げていつも不思議な気持ちになった。 その後、何度もこの小さな里山を周る300mほどの川の端から端までを歩いたけれど、とうとうあの淵に出会う事はなかった。勿論、子供の記憶の中の感覚などあてに出来ないのは知っている。川の表情などあっという間に変わり得る。しかし、あの時の、あの川の、あの深さ、水量、そしてなにより川で育った僕を拒否する川があるという驚きと恐怖は、僕の身体と脳裏を離れないのだ。 僕はあの時、知らず知らずにクルミの木や秘密基地を通り過ぎ、大人たちの声も届かない何処か遠い所にいっていたのではなかったか? あの淵は底なしの一番深い淵だ。もうこの世に存在しない、それ故、「僕の中のもう一つの川」にある最も深い淵だ。 「ホーイ」 −18−
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