−水車物語2− そして町からの帰り道、あんなのはキスシーンじゃねえや。と言って怒っている級友達と別れ、村外れの二又道に差し掛かった。まだほの明るい夕暮れ、右へ300m行くとマスコの上車、左へ300m行けば我が家の下車である。二又から右へ50m行った所に新川の小さい橋が掛かっている。新川は村の農業用水路として、上車と下車の中間辺りを横切って与良川へと流れ込む川だ。その合流地点は「大堀」といって、すぐ傍にある洪水の時に出来た三日月沼の「七曲」とともに大物が釣れる僕らの釣りの最大のポイントだった。 僕は橋まで行き自転車を止めると、コンクリートの橋げたから立小便をした。夕まぐれの川は魚が一斉に跳ねて川面がざわついていた。大平山の頂上辺りに少し残照があり、その分山の影が濃かった。目をもう少し西に向けると、暮れる前の地平線にくっきりと富士山の姿が見えた。そうやっていい気になってじょぼじょぼと立小便をしていると、後ろを誰かの自転車が通った。あわてて振り向くと後姿のセーラー服だった。僕はとっさに「劇を見たぞ」と大声を出した。先ほども言ったように僕とマスコの接点などなかったし、顔もよく知らないのだ。しかし、マスコしかここを通る女学生なんていやしないし、年上だけど兄と同学年だという気安さがあった。マスコは僕の声を無視して過ぎた。そして10mほど行った所で彼女は軽く左手を挙げた。自転車を漕いだまま、振り向かずに。 僕はマスコが上車手前の夕闇に紛れるまで、馬鹿面をしてそこに突っ立っていた。僕は何かを反芻していたのだが、それは昼間、町の高校で見た劇中の彼女に感じたものと同じものの様だった。嫌な感じではなかった。むしろ逆だ。あの時は何故か泣いてしまったが、涙を取っ払ってしまえばこれか、なんだかいい感じだと思った。僕は二又まで引き返し家に向かって思い切り自転車を漕いだ。家に帰り兄に劇の事を話したら、あんなものを見に行ったのかと馬鹿にされた。 マスコの話はそれだけだ。
その時、僕が何を反芻していたのかは、「感じ」はともかく本当はとても複雑で、まだ自分の言葉を持たない中学生には理解の外だった。それは「自分の中のもう一つの川」の流れのようなもので、昔の人が言っていたように流れに文字を書く事は出来ないのだ。しかし、中学2年生の時の話はこの「水車物語」の最終章になるはずで、どうやら僕はあまりに先を急ぎすぎてしまったようだ。
与良川・荒川水系の水車は、マッツァン水車の上車と、我が下車、そしてもう一軒、荒川の下流、僕の家の本家がある藤塚村にも水車屋があった。こちらは一度だけ父と行った事があった。その時の僕の記憶だけを書いておく事にする。後から考えるとあり得ない事のよう な気がしているからだ。なぜなら水車建屋の中に流れが引き込んであり、家の中で水車が回っていたのである。その横に段々になった井戸の様なコンクリート囲みの堰があり、その最上段の井戸の堰に何枚かのヒノキを差し込む事で水量の調節をしていた。段々は五段ほどあり、上から順番に低くなり、最後はかなりの落差で建屋外に流れていった。堰の上にはランプが天井からぶら下がっていた。井戸の傍に父とその水車屋の当主が筵を敷き、なにやら大きな声で話をし、時折笑い合っていた。僕はその井戸の中でくるくると回っていたスイカを食べた。マクワウリを食べた。食べながら井戸の中を覗き込むとぷかぷかと浮いている果物の下、一匹の大きな鯉が黒くじっと沈んでいるのが見えた。 −12−
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