−水車物語1−






荒川の下流の事なら少し知っていた。家より2キロほど下流の村に我が家の本家、4キロ程下流の村には母の実家があり、何度か訪ねた事があったからである。母の実家の前を、地域を流れるもうひとつの主流河川である思川が流れていて、荒川はここより2キロ上流(といっても本家からは少し離れている)の千駄塚付近で合流し、そのまま今では釧路に次いで日本で二番目に広い湿原となっている、足尾銅山鉱毒事件で有名になった旧谷中村跡地の渡良瀬遊水地を通り、そこを流れる渡良瀬川に巴波川、支流与良川ともども合流する。その水もやがて他県の大小さまざまな河川と一緒に大河利根川に吸収され、太平洋に向かう事となる。

川の流れというのは古今東西を問わず色々な意味でややこしい。少し端折ってしまったので、前後するけれども、もう少し詳しく辿ってみる。なにせ水車屋の話なのだ。

巴波川の支流、与良川は八ヶ村用水として八つの村(ついでにその与良川八ヶ村の八つの村の名前もここで挙げておこう。生駒、下河原田、小袋、井岡、鏡、中里、寒川、迫間田の八つの村が利用する流れという事になる)の田畑を潤しつつ、僕の家の200mほど西側にある三つの水門で三つの川に分かれる。一つは本来の流れである与良川、もう一つは新荒川、最後の一つは主に田植えの時期だけ開く用水路の名無し川わが荒川はこの水門だまりから50mほど上流の堤脇に小さい水門があり、そこから荒川となる水路が取り入れられていた。川は丁度陸上競技の400mトラックの半分ほどのカーブを描き、僕の家の水車に到達し、水輪をぐるりと一回りして隣の新荒川と並走しながら下流に流れていく。 


 

              


 

             与良川の水門溜まり               ←左写真の水門より与良川下流を見る


 

              


 

          手前与良川水門と藤塚口用水路水門                新荒川水門



                      与良川水門溜まり

 


 

−3−