灯(ともしび)

(評)まことに春風のようなユーモアですが、すこし安易なところもあります。

●昭和39年2月号(創刊一周年)
前年秋に初投稿した短詩が掲載されました。
佳作入選の私の作品が、コレ。

総本舗に

ただひとときの…「煌き」…かな?

(評)これも短詩のひとつのタイプとはいえましょう。
しかしもうひとくふうあってよいという感じも残ります。

●昭和40年6月号
高校の卒業を契機に、しばらく振りに投稿。
短詩が佳作に、
抒情詩が三位に入選しました。

●昭和39年12月号

●昭和39年11月号

●昭和39年10月号

●昭和39年8月号
短詩が佳作に

●昭和39年7月号
投稿に早くも飽きてきた?
この号には掲載がありません。
妙な自慢になりますが、私、落選の経験がないのです。
投稿作は全て掲載されている。
(ただ、短詩は同時に三句までで、その内の一句が選ばれるシステム)
抒情詩は、結果的に選外佳作もなしでした。

●昭和39年6月号短詩が佳作に

●昭和39年5月号
短詩が選外佳作
抒情詩が佳作です。

●創刊2号(昭和38年3月号)
同じくバックナンバーの入手。
この号で短歌の募集もされました。
選者は佐々木邦隆氏
最初の短詩選が発表されています。
のちに常連となる方の名前がチラホラ…

●創刊号(昭和38年2月号)
これはバックナンバーとして入手。

文庫(ふみくら)に

総本舗に

 短詩がこれで ↑

← 抒情詩がこれ

●昭和39年4月号
短詩が一位
抒情詩が佳作です。

●17歳の、高校2年から3年にかけての一年間、抒情文芸誌「灯」に出会い、
短詩(一行詩)と抒情詩の投稿に熱を上げます。
別の高校に通う友人(♂)の同級生(♀)の投稿作が載ったというのがきっかけで、
「自分にも書けそう!」と思った。という不純な動機からです。
初投稿が佳作に入ったことから、すっかりはまりました。
そして、入選(一位から三位)すると賞金がもらえるのです。これも大きい!

では、その青春の「残滓」をば……ここに。

この短詩は気に入っていて、先般「書」作品にしてみました。
「片一方」を「片っぽ」にして。(「書の庵」参照)

★で、ここに「ともしび通信」という小冊子があります。
これは、当時の「灯」の読者たちがつくったもので、投稿・愛読者たちのサークル「ともしび会」の機関誌でもあります。
昭和40年の7月に第一号が出ています(以降、毎月の発行)。
「詩」「歌謡詩」「短詩」「短歌」「絵画」「作曲」「小説」などのグループに分かれて、それぞれ活動していました。
私も「短詩」サークルに参加(リーダーだった!)しています。
すでに本誌への投稿はしなくなっていましたが、いくつか作品を載せています。
が、途中からは自然と情熱も失せて…


恥ずかしながら、こんなものが…残っています。 ↓

結局、投稿はこれが最後でした。

●昭和40年7月号
短詩が佳作に。

半年以上も投稿していなかったのに、選者のお二人ともが覚えていてくださった…
けれど、このまま私は……書くことをやめてしまうのです。

…ということで、いったん投稿をやめてしまいます。

もう、ふざけすぎ!

●昭和39年9月号
短詩が選外佳作に

怒られてます。
これでギブアップ?

こっちが抒情詩 ↓

●昭和39年3月号
抒情詩と短詩が共に三位入選。賞金1000円をゲット。
当時の高校生にとっては嬉しい「お小遣い」です。

短詩がこれで

読者からの投稿を求めています。
選者は
詩が竹内てるよ
短詩が山村祐
歌謡詩が川内康範の各氏