2012/5/12更新 
| 夢のあと |
| 「この先、幸せが来なくてもいいからオリンピックに出たい」 体操女子の田中選手が言ったこの言葉が最近では印象に残っている。死んでも勝ちたいとか、命を懸けて戦う、といったよく聞くセリフは耳を素通りしてしまうが、この独特の言い回しはまっすぐに心に突き刺さった。一心不乱に夢にかけている若者の切ないほどの思いが感じられる。スポーツのハイレベルな競争に身を置いている選手は犠牲にするものも多い。同年代の若者が享受する一般的な楽しみの多くを捨て、苦行のような毎日を繰り返すのである。だがこれは自分で選んだ道であり、そこから得られる喜びは、普通の生活では決して味わえないものなのだ。 目標には、受験のようにその後のためのものと、達成することが最終到達点となるものの2種類ある。もちろん人生はその後も続くから新たな目標は出来てくるものだけど、一度でも後のことなど全く考えられないくらいに命を燃やせるというのは本当に幸せなことだと思う。 以前、空手で血のにじむような修業を積んでいる選手が、「全日本チャンピオンになれるなら腕の一本くらい無くなってもいい」と仲間に吐露していたという話を聞いたことがある。実力のある選手だったが結局その夢は果たせなかった。 現在、その選手は優秀な指導者になり、多くの立派な空手家を生み出している。 夢の実現は素晴らしい。でも破れた夢の続きだって、捨てたもんじゃない。 2012年5月12日 |
| ブラジルの柔術 |
| グレイシー柔術の始祖エリオ・グレイシーは、ブラジルにやってきた柔道の王者、木村政彦に挑戦し、敗れた。1951年の事である。試合はほぼ完全なデスマッチルールで行われ、結局腕を決められてもタップしなかったグレイシーは、木村政彦にその腕をへし折られている。凄惨な試合だったようだ。だが、エリオ・グレイシーはそこから立ち上がり、研鑚を積み重ね、その後寝技に関する限り世界でも無敵の牙城を築き上げたのである。 誰だって看板背負って負けたくはない。でも負けることが大きな飛躍につながることだってある。むしろ失敗こそ、自分をしっかり見つめるチャンスになるのだと思う。要は、転んでもただでは起きない根性と、責任転嫁しない素直さが大事なのだ。 10年ほど前、サンパウロで行われた空手の国際試合にコーチとして随行した時、街中の洋品店にはやたらと柔術のシャツが飾られていた。ブラジルではグレイシー柔術をはじめ、組技系格闘技が本当に浸透しているのだなあと思った。アデミール・コスタ師範(極真会の第3回世界大会4位の世界的空手家)のサンパウロの道場でも時間貸しで柔術のクラスがあり、みな一生懸命寝技を掛け合ってトレーニングしていた。外人特有の体臭と汗とコロンの混ざったような匂いがきついような気がしたのだが、もちろん生徒たちは気にする風もなく、汗みずくの胸毛の胸板で男同士顔面を押さえ込んだりして鍛えあっていた。あれだと本当に必死で逃げようとするだろうな、と見ていて思った。 ただ、格闘技としての完成度からグレイシー柔術は尊敬に値すると思うが、若い頃からもう一度やり直すとしても、私は離れて戦う打撃系格闘技(ストライカー)を選んだだろう。組技系の格闘者(グラップラー)にはならなかったと思う。 もちろん男同士で密着したくないとか、汗の胸毛の顔面押さえ込みがいやだとか、そんな単純な理由で言っているのではない。あくまで性格的に、なのである。念のため。 2012年5月2日 |
| 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか |
| 副代表の小宮君から送られた「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本を読んだ。2段組み700ページの膨大な文字量だったが一気に読み切ってしまった。木村政彦の自伝「わが柔道」は買って読んでいたし、以前(20代の頃)新聞に連載されていた氏の回顧録も切り抜いて保存し、心のバイブルにしていた時期もあったから、木村政彦のけた外れの強さ、異常なほどの稽古量、人間味あふれる武勇伝についてはよく知っていた。だが、この本は客観的に十年以上取材検証して書き記された格闘技のひとつの歴史書にもなっている。現在の講道館主体の柔道世界が、実は決してすべて正当なものではないという事実まで史実に則って書かれていた。そして、木村政彦の栄光と苦しみが痛いほど刻み込まれており、それに関しては悲しくすら感じるほど複雑な読後であった。 山下泰裕選手の全盛期はリアルタイムで見ていたが、一昔前の人は口を揃えて「木村の方が強い」と言っていたのを思い出す。双葉山と大鵬とか、モハメド・アリとマイク・タイソンとか、時代の違う強豪を比較するのは格闘技好きのロマンでもあるが、こと木村政彦に関する限り、じかに見た人のかたくななまでの支持は印象的であった。格闘技を志す者にとっては神のような存在だったのだ。 どの本で読んだのかは忘れたが、「宮本武蔵の時代に生まれ、剣術を志していたら、私は必ず武蔵に勝った」という木村政彦の言葉は心に残っている。宮本武蔵は巌流島で、天才剣士佐々木小次郎を策略を含めて倒しているが、皮肉にも「昭和の巌流島」と騒がれたプロレスという舞台の決戦で、木村政彦が佐々木小次郎役になってしまったというのは、それもやはり何らかの策略の上で倒されてしまったというのは…。私ごときが今さら言うまでもないが、つくづく人生は皮肉であり、残酷なものである。 2012年4月22日 |
| 本と寅さん |
| 本が好きなので時間が空くと何かしら読んでいる。でも読む速度はあまり速くない。一時期速読術を覚え、短い時間によりたくさん読もうと思ったのだがすぐにやめた。別にあわてる必要もないと気づいたからだ。本の楽しみ方は人それぞれだけど、私にとって心に残る本の多くは、たいしてためになるとも思わず読み進めたものばかりである。飛び抜けて面白いというわけではなくても、何度も読み返す魅力に満ちていた。 「伊豆の踊子」を初めてきちんと読んだのは、高校生になってからだったと思う。読んだ後、涙が止まらなかった。何故だかわからなかった。特に印象的な場面の無い小説である。不思議なのでもう一度読んだ。やっぱり泣けた。最後のシーンで主人公の青年が旅芸人一行と別れて船に乗り込むのだが、そこで出会った身寄りのない老婆の世話をしようというところで決まって涙が出てくるのである。ことさら悲しい別れの舞台を作らなくても、なにか人の心に無意識に共鳴させるものをさりげなく挿入させる川端康成は、やっぱり大作家なのだと思った。 「坊っちゃん」は小学生の時に読んだ。おもしろかったけど特になんとも思わなかった。ところがやはり高校生の頃に再読し、以来何度か読み直すようになってしまった。何がそれほど良かったのかというと、坊ちゃんの性格と文章のリズムにつきる。スパッ、スパッ、と切れ味のある文体は読んでいて気持ちが良い。まさに坊ちゃんの気質にピタリとはまっている。これほど余計な飾りのない骨太の小説には、いまだ出会えないでいる。 フーテンの寅さんは、本ではないが一番何作も見た映画だ。顔で笑って心で泣いて、やせ我慢をしながら生きていくのが男。ときには相手の理解を求めることなしに、心を砕き、大切な何かを捨てる。男の見栄とか意地とかは大概空回りだったり、自己満足であったりするけど、それが無くなったら残るのは味気ないリアリストだけである。 今日もまた失恋し、ラーメン屋に入った寅さんが言った。「おばちゃん、ナルト入れないで。目が回っちゃうから…」 笑わせながら泣かせるってのは、やっぱり寅さんだけにしかできないな、と思う。 2012年4月4日 |
| さらば花粉 |
| 花粉症になってから25年、今年は比較的楽に乗り越えられそうである。なりたての頃、ひどい時は風呂の中に潜って口の中に手を突っ込み、耳や鼻に通じる穴をかきむしるように洗ったり、目を血が滲むまでこすり続けたりして悪化させたものだ。これは一旦「掻いてはいけない」という我慢の糸が切れると、もうどうにも止まらない若い花粉症患者特有の悲しさなのである。 最初に行った神田の病院がアレルギーについてやたら慎重で、細かい検査を何度もやるのに嫌気がさしてずっと医者には掛からずに来た。市販の点鼻点眼薬を大量にさしまくって毎年の春を過ごしてきたのである。人からは「空手であんなに鍛えているのに、花粉に負けるなんて面白いですね」と言われたりしたが、体の強弱と花粉症は関係ないのだ。 そういえば花粉症の薬のテレビコマーシャルで、踊りながらやってくる花粉に対し、筋肉隆々の薬の成分がタックルをかましてやっつけるというのがあった。しかし、そもそも何の害もない花粉に対し、体側が過敏に反応してしまうのが花粉症なのである。いわば街中を歩く善良な市民を、殺人犯人逮捕にあせった警察が片っ端から捕まえてるようなもので、その騒動の影響が症状なのだ。通過してしまって本当は一向に構わないのである。それをさらに「ええい面倒だ」てんで風船だろうが雀だろうが撃ち落としまくるパトリオットミサイルを配備しようというのだから笑えるではないか。 そうなのだ、花粉症なんて話題になっていること自体、平和な証拠なのである。 とにかく今年の花粉よ、さらば。もう顔も見たくない。 2012年3月23日 |
| 壁の絵 |
| 学生時代に道場で出会った後輩に、O君という男がいた。美術の専門学校に通う無口な男だった。画家志望の彼は、私のような空手バカとは少し雰囲気は違ったものの、かなり熱心に稽古にも参加していた。ところが緑帯に進級したころ、パタリと姿を見せなくなったのである。挫けたかと思っていたら、しばらくしてO君が病気にかかり、視力がほぼ失われたという噂を聞いた。ショックだった。画家を志した人が視力を失うのは絶望を意味する。私は道場仲間と二人で彼のアパートを探し、見舞いに行った。夜だったが電灯がついていなかったことにあらためて視力を奪われるという現実を思い知った。その狭い部屋で見たものは、壁一面にまき散らされた絵の具のめちゃくちゃな模様だった。正直、息をのんだ。O君は表情を無くしていた。悲しみを通り越し、あきらめの境地に入っていたのだろう。嘆くこともなく、ぽつりぽつりと故郷に帰る予定を聞かせてくれた。でも壁の絵の具から、やりきれない思いが痛いほど伝わってき、私にはかける言葉が見つからなかったのである。 帰路、同行した仲間とも交わす言葉はなかった。試練とはなんだろう、と思った。神様は残酷だなあ、と思った。病気にしても天災にしても、必死に絶望と向き合っている人に「頑張れ」などと気安く言えるものではない。 先日、アメリカに指先で絵の具の色を感知する盲目の画家がいる、という話を聞いた。幼い頃から画家を目指していた彼は、病のため徐々に視力を奪われ、若くして全盲になった。それでもカンバスに向かい続け、やがて鋭敏に研ぎ澄まされた指先でモデルの顔かたちを触ることで認識し、精密に描けるようになったのだそうだ。そして今では絵の具の色まで触感で識別できるのだという。 思い出したのはO君だった。でもO君が同じように画家の夢を捨てていないでほしいとは思わなかった。乗り越え方もそれぞれだと思う。若い頃は真正面からぶつかることだけを考えていたが、今はいろんな方法があっていいと思うようになった。 時が経ち、絶望の時期を振り返れるようになれたらいいと思う。 O君にはあの夜以来会っていない。もう30年も前の話だ。 2012年3月14日 |
| 黒帯親子 |
| 昇段審査の都度、その生徒が入門してから今までの稽古風景などが次々と浮かんでは消える。自己紹介も出来ずに泣いていた子、母親の陰からなかなか出てこられなかった子、そんな弱々しかった子が今、何回も倒されながら自分の力で立ち上がる。必死の形相で先生たちに向かってゆく。幼虫がサナギから蝶になるように、本当に見事に殻を打ち破ってくれるのだ。どうしても涙があふれてくるのは、その過程に注ぎ込んだ思いや記憶が一度に甦ってくるからだろう。 今回はさらに、昇段審査で講士館最高齢の初段記録が樹立された。内田達氏は私と同じ52歳である。ご子息の諒君は小学生の頃から私の道場に通っており、その頃毎回のように諒君に付き添って稽古を見学していたお父さんが、今回昇段した内田さんである。空手を始めたのは、諒君が初段を獲得した直後だった。 体は固い。技を覚えるのに時間もかかる。でもリズム感が良い。さらにマラソンで鍛えたスタミナと根性があった。苦節7年。たどり着いた今回の昇段審査。十人組手の9人目には、二十歳になった息子の諒君が登場した。 世の中に武道の黒帯親子は大勢いるだろう。でも息子が先に黒帯を締め、父親の昇段の相手に立つ、という構図を経て黒帯親子が誕生するのは滅多にない事だと思う。親子の断絶が絶えず話題に上る現代において、おやじと息子が道場で仲間として拳を交えるなんて、なんとシンプルで深い交流だろうか。言葉などいらなかっただろう。組手を終え、握手する二人にだけ通じる思いもあったに違いない。 昇段は確かに難関である。でも、それぞれの夢と同じように、自分の中でしっかり描いた未来は必ずやってくる。平坦な道ではわからない。山に登ればこそ、時々つまずくからこそ、一歩一歩の大切さが身に沁みるのだ。 2012年2月28日 |
| 確率 |
| 今後4年間に首都直下型地震の起こる確率が70パーセント、という数字が世間を騒がせている。正式発表は若干ゆるくなって30年となった。大した差はないが。 ある本によれば、地球に巨大隕石が激突して人類が滅亡する確率は毎年0.0001パーセントだそうである。そしてそれは人類が類人猿だったころから計算すると今までに7回起きていて不思議ではない確率だそうだ。勿論一回も起きていない。 おそらくどれも学者が膨大な資料や統計から計算を繰り返して出した数字なのだろう。専門家ではないのでよくわからないが、予想を超えることが起きたり、起こるだろうことが起きなかったり、確率とはどう見たらよいのだろう? 平たく言えば「かもしれないけど、はっきりわかるわけじゃないです」てことか。 先日、本部道場で稽古が終わったとき、窓にガツンと何かがぶつかって落ちた。誰かが投げたボールかと思いきや、それは一羽のメジロだった。狭山では夏になるとよくカブトとかクワガタといった虫が家にぶつかってくるのだが、鳥は珍しい。狭い木々の隙間をすごいスピードで縫うように飛ぶ鳥である。窓なんぞにぶつかる確率はそんなに高くないはずだ。メジロは気絶したまま絶命し、窓にはかすかに激突の跡が残った。 少しづつ日が伸びてきている。稽古中に窓を開ける日も近い。再び鳥が襲撃する事態にも備えなくてはなるまい。 今年起こる確率は…。 2012年2月13日 |
| アンチ・ヒーロー |
| 映画の主人公がバッタバッタと敵を倒す。観客は主人公になった気分でスカッとする。でも、バッタバッタと倒された者にだってかけがえのない人生があったのではないか。中心人物の視点だけを重視することにものすごい不条理を感じた。と言ったのは、あの大作家梶原一騎である。「巨人の星」「あしたのジョー」など、主人公がライバルに負ける場面が印象に残る作品は強烈なインパクトがあった。単なるヒーローものではなく人間としての苦悩や成長過程が、生きることの厳しさ、素晴らしさを教えてくれた。 歴史の中で影に回った人物は、メインストーリーの中では淡々とした記述しかされないことが多い。しかしその中には思わず目を止めてしまう存在もある。 ヴェルチン・ジェトリックスはローマ帝国と戦ったガリア(現フランス)の武将だ。ローマ帝国と戦ったことではカルタゴのハンニバルが有名だが、このジェトリックスは最も偉大なユリウス・カエサル(シーザー)の率いるローマと戦ったのである。しかもカエサルよりずっと年下のジェトリックスは烏合の衆だったガリアをまとめ上げ、あわやというところまでカエサルのローマを追い詰めた。だが当時のローマは最強だ。善戦むなしく敗色が濃厚になるや、ジェトリックスは民衆を救うためにただひとり馬を駆ってカエサルの前に投降する。カエサルという人物は、敵であっても降伏したら許して講和条約を結ぶという、古代では飛び抜けて寛容な人物だった。だがそのカエサルをして、ジェトリックスにだけは極刑を命じたのである。ローマ帝国はその後さらに大きくなってゆき、黄金時代を迎える。カエサルは人類史上もっとも偉大な指導者として今も名を残しているが、そのカエサルが信念を曲げてでも殺さざるを得なかったところに、ジェトリックスの凄さを感じる。主人公の武功を称えるローマ人の物語では、静かに消えて行った脇役の一人でしかないが。 歴史の中心人物になれず、消された才能は数知れない。時折そのアンチ・ヒーローに魅かれるのは、もしかしたら梶原一騎氏の影響かもしれない。 拙著「カラテ狂時代」のカバー写真の隅に、私の試合を見ている晩年の梶原一騎氏の姿が映っている。あとから気づいたのだけど、嬉しい事だった。 先日逝去された真樹先生は梶原一騎氏の実弟である。もうこの世にいない御兄弟である。特に深い交流があったわけではないが、私の心の中で消えることない存在である。 2012年2月1日 |
| リハビリ |
| 講士館の特別顧問であり、私の大先輩である中西哲高知県会議員が股関節の手術をされて現在リハビリ中である。人工関節を入れる大手術だ。「わしの骨は固かったから削るのに人の1.5倍かかった」となぜか楽しげなメールをいただいた。阿部君には「身長が2センチ伸びた」と、これまたポジティブな話をされてたらしい。さすが還暦過ぎても先輩は天真爛漫である。でもたぶん、四苦八苦しながらリハビリに取り組んでいるのだろう。 このリハビリというやつ、なかなか大変なのである。やりすぎてもいけない、というところが難しい。どうしても早く元に戻りたいから、少しづつやるところをガンガンやってしまい医師に怒られる運動家は多い。治りかかっているときは気も急くから余計にもどかしく感じるものだ。また、医者というのは通常、運動する人間の専門的な内容までは理解していない。だから特に骨折などの場合、「動かしても大丈夫ですよ」と言われたからといってすぐにサンドバッグを蹴ったりしては駄目である。逆戻りして泣くのは自分なのだ。 私の場合、事故後最初の手術から約一年、紆余曲折のリハビリもようやく一段落ついたころ、右ひざの皿を縛ったワイヤーが切れてしまった。中から尖った針金が皮膚を突き上げる。痛みがひどく、すぐにでも抜き取ってほしかったので病院に行った。あいにく担当医が不在だったため若い女医が診てくれたのだが、「安静にして様子を見ましょう、そのワイヤーを今抜くことはできません」と言う。ではこのワイヤーが皮膚を突き破って出てきたら抜いてくれるのか? と私は一応聞いてみた。すると女医は、その時は抜きましょうと答えた。その夜、ワイヤーは私の皮膚を突き破った。私は出血を押さえ病院に駆け込んだ。断っておくがこれは私が故意にしたことではない。あくまでも偶然なのである。しかし私を見た女医の眼は完全な疑惑の光で満ちていた。大きなため息の裏には「やりやがったね」というつぶやきが聞こえてくるようだった。結局入院し、ひざのワイヤーはより太いもので巻き直されたのである。 大きなけがは完全に元に戻るとは限らないが、最善の状態まではとにかく慎重に、自分の体と精神をしっかりコントロールできなければ回復は望めない。 ともあれ、中西先輩、またリハビリ中のみなさん、くれぐれも焦らずに。 2012年1月23日 |
| 真樹先生、安らかに |
| 真樹先生が急逝された。古稀のお祝いではあんなに元気だったのに…。先生はテレビなどでも少々型破りな、ガラの悪いキャラを作っておられたが、本当は思いやりのある優しい方だった。私が極真会の本部で茶帯を締めていたころに師範代として赴任してこられ、つらい稽古の後でたびたび励ましの声をかけて下さった。講士館を立ち上げた時も、「俺とお前は本部で一緒に汗を流した仲だから、何でも力になってやる」と、熱い言葉をいただいた。さらに私が事故からようやく復帰し、大阪の大会会場でお逢いした時は私の顔を見るなり、厳しい顔になったな、と目を丸くした後、「男は地獄を見ると厳しい顔になるんだ」そして自分の顔を指さし、「でも見すぎるとこういう顔になっちまうけどな」と豪快に笑っておられた。派手な外見とは裏腹に、細やかな気配りの出来る方だったのだ。真樹道場の生徒さんたちを見てもわかる。後藤さんや安里さんなど、試合でも顔を合わせたメンバーをはじめ、非常に礼儀の正しい方たちばかりである。 一度、真樹先生と関西の大会で飛行機に同乗させて頂いたことがある。徳島空港からの帰り、先生は金属探知機に何度も引っかかった。確かに真樹先生はいろんな場所にたくさん金属を付けてはいるのだが、いくら外しても服を脱いでも、空港係員のかざすラケットのような探知機はピーピー鳴りっぱなしであった。困り果てた真樹先生は苦笑しながら「やっぱり俺は鉄の男だからな」と言い、緊張気味だった係員や私たちは大笑いしたのだった。その後なんとか飛行機には間に合って帰ってこれた。 ポツリポツリとそんなことを思い出してしまう。先生は自分の年齢のことなど全く気にしてはいなかったんだろうな、とも思う。空手やってるとそうなのだ。空手着着ると年齢など忘れてしまうのだ。 真樹先生、さようなら。 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。押忍。 2012年1月11日 |
| 備えあればこそ |
| あけましておめでとうございます。日常、午前中にやっている仕事がクリスマス少し前から繁忙期に入るや終日勤務となり、休日返上の年末年始に突入しました。これが落ち着くころには初稽古を迎え、すぐに本格的な稽古が始まります。あっちが痛えこっちが痛えとか言ってる暇はない。それにしても大晦日、正月としっかり区切りをつけてた頃が懐かしいなあ。まあどっちにしても年末年始はあわただしいものだけど。 それでも毎朝犬の散歩の途中で日の出が見れる。寒い冬は日が昇る時が一番気持ちいい。今年も始まった、という気分になる。また今思うのは、昨年のあの大災害も正月のこの時点ではだれも予想することは出来なかった、ということだ。気を引き締めていても想像を超える災害や事故はやってくる。「人は後ろ向きに明日の扉を開ける」とは真実だ。 野生の動物は地震や嵐を予知するという。いつも地面にじかに接触し、自然に溶け込んでいる生物は、地殻や風のちょっとした変調を感じ取るのだろう。ぼんくらな私の犬でだって、エサ以外にも実は何か感知しているのかもしれない。 その野生動物の祖先である恐竜でも、宇宙から降ってくる隕石などは予想もつかなかっただろうし、もちろん対処できるはずもなく絶滅した。災害を予想して防ごうなどとは人間の思い上がりなのかもしれない。 しかし、大難を小難で逃れることはできる。情報収集はもちろんだが、身を守るということは一人一人の問題である。心身を鍛えること、体調を万全にしておくこと。頭の中だけでいろいろ考えても、パニックになるとそんなものは吹っ飛んでしまう。過信は禁物だが、瞬時の身のこなしや判断力は後天的に十分養えるものだ。 備えとは、物質だけではない。自分の中にこそ蓄えるものだと思う。 2012年1月5日 |
| 受験生Sの苦悩 |
| 講士館杯第5回錬成大会を12月4日に開催した。講士館の年間締めくくり行事として祭りのような大会なのだが、今年もこの大会をめぐって非常に面白い出来事があったので紹介したい。 S君は高校3年。台東道場に所属している。空手が大好きで初段もすでに取得し、今年も錬成大会に出場するつもりで稽古に励み、申し込みも済んでいた。だが、いかんせん受験生である。大事な時期に怪我でもされたら困ると、ご両親は大会出場を許さない。話し合いの末物別れに終わり、S君は決心した。「隠れて行こう」と。ところがそんな息子の思惑などお見通しのご両親は、道着を隠してしまった。しかしS君はすぐにそのありかを察知する。自宅1階の店舗の中だ。昔、S君の祖父が煙草屋を開業していた場所である。今は閉まったままになっている、ここにあるのは間違いない、と読んだ。で、S君は行動に出た…。以下はS君本人が芝山支部長宛に翌日送ったメールをそのまま掲載する。 押忍!昨日は本当に申し訳ありませんでした。道着が1階の店の中かも知れないことが分かったのですが、店へはいったん外に出なければ入れず、降りようとしても親がうるさいので家の裏側の2階の窓から飛び出そうとしました。窓から降りようとしたら携帯が落下し、携帯を取ろうとしてバランスを崩し自分も落ちました。携帯は水たまりに落ちて電源が切れ、自分も足と腰を痛めました。昨日はずっと勉強していました。先ほど携帯は修理に出しました。腰はだいぶ良くなったのですが足はまだ痛みます。 本人の必死な様子は目に浮かぶのだが、なんともおっちょこちょいな行動が笑いを誘う。文章が簡潔で分かりやすいのも良い。なんだか昔の自分を見ているような気分で妙に楽しくなってくる。 S君よ、受験がんばれよ。そりゃお父さんお母さんの心配当り前さ。大学入ったら思いっきり打ち込めばいい。君は絶対強くなる。 2011年12月13日 |