日本の近代における「朝鮮、シナ、ロシア、アメリカ」と日本との関わり

元 埼玉県立春日部女子高等学校教諭  滝田 譲

久保有政氏が主宰する「キリスト教 読み物サイト」(https://remnant-p.com/yomu.htm)の「日本近代史」には、日本と朝鮮・シナ(China)との関わりや、日中戦争(日華事変、支那事変)、太平洋戦争(大東亜戦争)についての素晴らしい論述が載っています。 但し、そこで表示されている文章には行間が無いので、読みにくいものになっています。 此(こ)の私の論述「日本の近代における「朝鮮、シナ、ロシア、アメリカ」と日本との関わり」は久保有政氏の論述に私が行間を設けて読み易くし、更に、久保有政氏の論述に私が独自に加筆・訂正したものです 。 但し、キリスト教の信仰に関する部分は省かせてもらいました。(「キリスト教 読み物サイト」の「日本近代史」の文章には概ね行間が設けられたようです。)「キリスト教 読み物サイト」の「日本近代史」に載っている論述には多くの写真が付随していますので、そちらも見て頂きたいと思います。 此の私の論述では、「中国」という言葉を中華人民共和国(1949年に成立)の略称として使いますが、中華人民共和国が成立する前の時代に関しては「シナ(China)」という言葉を使い、此の言葉をかつて漢族や女真族が勢力を広げて支配した地域という意味で使います。 また、「朝鮮」という言葉を今の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の領土と今の南朝鮮(大韓民国)の領土とを併(あわ)せた地域という意味で使います。 また、「韓国」という言葉を1948年8月に成立した大韓民国(だいかんみんこく)の略称という意味でのみ使います。 また、「韓国人」という言葉を1948年8月に成立した大韓民国の国籍を持つ者という意味で使います。 また、「在日北朝鮮人」と「在日韓国人」とを纏(まと)めて「在日朝鮮人」と言わせてもらいます。 此の論述中の年月日は西暦です。

目次
第1章  日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の述懐。
第2章  朝鮮の政治風土。 韓国の反日。
第3章  日中戦争はどのようにして起きたのか。
第4章  満洲国の発展。 中華民国の実態。 シナ軍の実態。 シナ人の気質。
第5章  日米戦争はどのようにして起きたのか。
第6章  大東亜戦争はどのような意義を有しているのか。
第7章  日中戦争下の南京で日本陸軍による市民30万人の虐殺は無かった。
第8章  日本人とユダヤ人との密接な関係。

第1章  日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の述懐。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/rekishi02.htm
● 在日朝鮮人や反日左派日本人が主張してきた「日本は朝鮮で悪い事を沢山した。 日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人々を徹底的に弾圧し、朝鮮の全てを奪った」という言説は本当か。

敗戦後の日本では、多くの在日朝鮮人や多くの反日左派日本人が「日本は朝鮮で悪い事を沢山した。 日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人々を徹底的に弾圧し、朝鮮の全てを奪った」と主張して来ました。 日本のキリスト教会でも其(そ)のように語られて来ました。 其のような言説を聞かされた私たち日本人の大多数は何となく其のように信じて来ました。 そして、日本人の大多数が其のような言説を学校で真実として習って来ました。 日本人の大多数が「日本は朝鮮で悪い事を沢山した。 日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人々を徹底的に弾圧し、朝鮮の全てを奪った」と教え込まれてきたのです。 しかし、日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は本当にそんなに悪いものだったのでしょうか。 其のような言説が真実であるかどうかを確かめる為に、日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の述懐を読んでみましょう。

呉善花(オ・ソンファ)さんという女性がいます。 此の方は1956年に韓国の済州島に生まれ、1988年に日本国籍を取得し、日韓関係について多くの本をお書きになり、現在、拓殖大学の教授をしています。 呉善花さんは幼児期に両親から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。 ところが、小学校に入学して以降、学校の先生から「日本人は朝鮮人に酷(ひど)いことをした」と教わるなど、凄(すさ)まじい反日教育を受けて来ました。 それで、呉善花さんは学校で教わるままに、「日本人は朝鮮人に酷いことをした」という主張をいつの間にか受け入れてしまいました。 呉善花さんは1983年に日本に渡り、日本で生活するようになりました。 すると、かつて両親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉がよみがえってきたのです。 それで、呉善花さんは日本と朝鮮との歴史について学習し直しました。 其の過程で呉善花さんは、韓国で受けた学校教育が嘘(うそ)だらけのものである事を知りました。 そして、呉善花さんは反日主義から抜け出したのです。 呉善花さんはのちに『生活者の日本統治時代』(三交社)という本を出版しました。 此の本は、日本統治下の朝鮮(1910年8月〜1945年8月)でお暮らしになった日本人や朝鮮人に呉善花さんが面会取材して聴き取ったものを纏めて収録したものです。 此の本には、日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々15人の述懐が載せられています。 此れらの方々は今では大分お年を召された人たちです。 此れらの方々は貴重な述懐を残してくれました。 此れらの方々の述懐を読む事で「日本統治下の朝鮮は実際にはどんなものだったのか」という事が明確に見えてきます。

● 日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の述懐。
阿部元俊さんは1920年(大正9年)、3歳のときに朝鮮に渡り、そこで学生時代を送りました。 此の方は次のように述懐しています。
私は朝鮮に居た時、日本人による朝鮮人虐(いじ)めの話は、噂(うわさ)としてもまず聞いた事がありません。 特に、ソウル郊外の水原に居た頃は、日本人は少ないからと珍しがられて、地域の人たちはみな親切にしてくれました。 少なくとも水原では、私の知る限りでは、日本人と朝鮮人とが衝突したとか、喧嘩したとか、何かのトラブルがあったという話は聞いた事がありません。 ソウルでもそうでした。 学校では「ここは朝鮮だ。 我々は他人の国によそからやって来て住んでいる。 朝鮮人と喧嘩したり、朝鮮人を虐めたりしてはいけない」と盛んに言われていましたし、親からも厳しくそう言われていました。 私の父は医者で、貧困な農民たちの治療に励んでいましたが、それで病原菌をもらってしまいまして、腸チフスと赤痢にかかってしまいました。 父が病院を辞めるときには、多くの朝鮮人が家にやって来て、「どうか辞めないで、ここに居てください」と泣いて別れを惜しんでいました。 戦後、日本に帰ってから、「朝鮮に住んでいた日本人は朝鮮人を盛んに苦しめた」という言説を、当然のようにぶつけられましたが、自分の体験からすると、それは一体どういう事なのか、どう考えても分かりません。 喧嘩という事だけでなく、問題になるような虐めとか差別とかは、庶民レベルではほとんど無かったという事を、私は自分自身の体験から自信を持って言うことが出来ます。

林健一さんは朝鮮の新義州(満洲と朝鮮との国境を成す鴨緑江(おうりょくこう)の河口近くの都市)で生まれ育ちました。 此の方は次のように述懐しています。
日本人による朝鮮人差別という事は全くありませんでした。 学校で生徒同士は完全に対等で、上級生の朝鮮人が下級生の日本人を呼び寄せて、「お前は服装がなってない」とか説教する事が度々ありましたね。 朝鮮を出て、日本に行きたいとも思いませんでした。 朝鮮の人々はよかったですし、私も居心地がよかったですから。 骨をどこに埋めるかと聞かれれば、朝鮮と答えたものです。

吉田多江さんは日本統治下のソウルで青春時代を送りました。 此の方は次のように述懐しています。
近所の子供たちとよく遊びました。 私は朝鮮の女の子たちの長く束ねた髪の毛がうらやましくて、私が触りたいと言うと、よく触らせてくれました。 何の差別もなく付き合っていました。 仲の良かった思い出がいっぱいで、朝鮮人と日本人との間で虐めたり、虐められたりというような事は本当に見た事も聞いた事も有りません。 朝鮮は治安がとても良くて、日本人を襲う泥棒や強盗の話など聞いた事もありません。 横暴な振る舞いなど一切ありませんでした。 戦後になって日本に送還されるときにも、家財道具を奪われるなんて事もなく、こちらから知り合いの人たちに上げましたし、彼らはみんな喜んで感謝の礼を表わしてくれました。 こんな素晴らしい事って、あるでしょうか。 世界に誇れる事だと思います。 日本は創氏改名を強制したと言われますが、私の周りの朝鮮人はみな終戦までずっと朝鮮名のままでした。 戦後の韓国で言われてきた歴史には、あまりに嘘が多いと思います。 私はソウルで生まれ、成年になるまでソウルで生活して来ましたが、日本人と朝鮮人とが互いに基本的に仲良く生きていた事は双方の民族にとって誇るべき事だ、と思っています。

● 日本統治下の朝鮮で日本人と朝鮮人とは互いに仲良く生きていた。
朝鮮人の朴承復さんは日本統治下の朝鮮で生まれ育ちました。 此の方は次のように述懐しています。
学校では日本人生徒たちからも先生からも、差別された事はありませんでした。 今でも日本人の同期生たちと会うと、彼らは朝鮮語で話したがります。 其れほど親しく付き合ってる日本人の同期生が今なお何人もいます。 商業学校の恩師二人はとても尊敬できる方でした。 一人は松尾先生で、国語の先生でした。 此の先生は朝鮮人生徒からも日本人生徒からも尊敬されていました。 もう一人は横尾先生です。 此の先生は日本人生徒たちからは嫌われていました。 めちゃめちゃに厳しくて、過ちを犯せば決して許さない方でした。 しかし、私はなぜか特別に可愛がってもらいました。 色々な相談にも乗って頂いた大恩師です。 私は卒業後、朝鮮殖産銀行に務めましたが、差別的な扱いを受けた事は全くありません。 行員家族全員で地方の温泉地へ一泊旅行もしました。 日本人も朝鮮人も区別なく、みんな仲良く楽しく遊んで過ごしました。 日帝時代にそんな事は有り得ないと言われるかも知れませんが、過激な人や極端な人たちの一部での喧嘩や衝突はあっても、一般の日本人と朝鮮人とのぶつかり合いなんて、見た事はありません。 日本人は朝鮮人から家をちゃんと借りて住んでいました。 日本人が朝鮮人の家を勝手に奪い取るなんて、そんな事は無かったです。 当時の日本人は本当に質素でした。 私自身は当時の日本人に対して悪い印象は全く持っていませんでした。

朝鮮人の閔圭植さんは京城帝国大学(ソウル大学の前身)で学びました。 此の方は次のように述懐しています。
私は個人的には日本人と仲が良くて、悪い感情は有りませんでした。 日本人が朝鮮人に恐怖を与えたとか、朝鮮人が日本人に殴られたとか、日本人から嫌がらせを受けたとかいう事は個人的には見た事も聞いた事も有りません。 日本人が朝鮮人の家を奪って勝手に使うとか、朝鮮人の土地や財産を奪うとかいう事も全くありませんでした。 神社参拝については、何かの日には学生全部が連れて行かれました。 行かなくても別に厳しい文句は言われませんでした。

朝鮮人の映画監督:金洙容さんは日韓共同映画『愛の黙示録』の中で、三千人の朝鮮人孤児を育てた日本人:田内千鶴子さんの生涯を描きました。 此の方は次のように述懐しています。
農場の日本人たちはとても勤勉でした。 日本人は早くから科学的で先進的な農法を使っていました。 日本人の経営する農場には、朝鮮人たちも沢山働いていました。 日本人は日当をきちんと計算して渡してくれました。 彼らはとても礼儀正しく、日当を支払わないような事は、まずしません。

朝鮮人の李萬甲さんは新義州の中学校・高等学校に通っていました。 此の方は次のように述懐しています。
朝鮮人は私一人でしたが、日本人の同級生みんなに親切にしてもらいました。 日本人の先生には立派な方がいらっしゃいました。 創氏改名は昭和15年からの事でした。 ほとんど全ての人が変えていましたね。 しかし、官庁に務める人でも、変えないからといって首になるような事はありませんでした。 日本人が朝鮮人の生活を侵害するとか、略奪するとか、そんな類(たぐい)の事は、日本人は全くしませんでした。 日本人は法に反する事をしないように相当に気をつけていました。

● 朝鮮人に助けられた思い出。
佐久間房子さんは新義州の朝鮮人学校で教員をなさっていました。 此の方は次のように述懐しています。
朝鮮人の家庭を訪問することはかなり多かったです。 招待を受けて他の先生たちと一緒に行きますと、家族全員が出てきて丁寧にお辞儀をしてくれます。 その丁重な歓待ぶりには、こちらはいつも恐縮するばかりでした。

佐久間房子さんは、日本の敗戦後、日本へ送還されたときの事を次のように述懐しています。
収容所の三畳ほどの部屋に八人で暮らしていましたが、何かの折りに朝鮮人の元従業員たちが来てくれて、其の度に「こんな狭いところで生活してるなんて、かわいそうだ」と涙を流してくれるんです。 やがて送還船に乗ることが出来ました。 送還のときには、下に住んでいた朝鮮人たちが泣きながら見送ってくれました。 あの人たちの命をかけた好意は一生忘れることが出来ません。

此のように朝鮮人に助けられた、親切にされたという日本人が少なからず居るのです。

坪井幸生さんは朝鮮総督府の警察官僚をなさっていた方で、「かつて朝鮮で共に働いていた多くの朝鮮人と深い友情を持ち続けている」と述べています。 此の方は次のように述懐しています。
彼らとは今も、本当によい気分で話が出来るのです。 こういう私たちの関係を、「日本は悪い事をした」式の見方をする人たちは、どう見るのでしょうか。 日帝時代に、日本が朝鮮に対して悪い事をしたのであれば、警察部長をやっていた私などは、その悪の最大のものと言われるでしょう。 そうであれば、彼らが私とつき合ったりする訳がありません。

クリスチャンが気になる神社参拝については、どうでしょうか。 工藤真澄さんは昭和18年から朝鮮総督府の官僚をなさっていました。 此の方は次のように述懐しています。
朝鮮では神社が圧倒的に少なくて、神社のない地域が沢山あるわけです。 学務課では、参拝させるかどうか議論されていましたが、強制の方向へ動くというような事はありませんでした。 いずれも終戦直前の1年間ほどの事です。 その1年間、ソウルでは朝鮮神宮に中学生以上が月に一度、参拝していたかも知れません。 平壌では、神社参拝を義務にしたり強制したりした事はありませんでした。

工藤真澄さんは更に次のように述懐しています。
朝鮮人と一緒に同じ役人として机を並べて仕事をしていましたし、朝鮮人課長の下に日本人課長補佐がいる事もありました。 そういう中で、特に日本人と朝鮮人とがぶつかり合うような事は見た事も聞いた事も有りません。 日本人が特権的に振る舞える条件など全くありませんでした。

吉田道弘さんは京城帝国大学で学びました。 此の方は次のように述懐しています。
私は第15回の卒業生で、予科のときのクラスには日本人が25人、朝鮮人が10人いました。 同級生の1人に金永善がいました。 彼とは特に仲が良かったです。 金永善は戦後、国会議員になりましたが、李承晩政権の反日政策に反発して、野党にあり続けました。 彼は李承晩政権から弾圧を受けて、監獄にまで入れられたんですが、田中総理がお願いして出ることが出来ました。 彼はのちに駐日大使になって、日本に派遣されました。

● 日本人は人道に反する事をしないように気遣っていた。
一番初めに紹介した阿部元俊さんは韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」に関する質問に次のようにお答えになりました。
日本兵が朝鮮の田舎に行って、若い娘たちを奪ってきたと言われていますね。 しかし、そんな事は有り得ません。 もし、そんな事をしたら誘拐犯ですし、懲役刑を受ける事になります。 いや、法律の問題以前に、村の朝鮮人たちにめちゃめちゃにやられてしまいますよ。 また、そんな事があれば、必ず私の耳にも入ってきたはずです。 でも、そんな話や噂は一度も聞いた事がありません。 此れは、当時、朝鮮に住んでいた日本人の名誉に関わる事です。 警察署長は朝鮮人でしたし、裁判所の判事、検事などにも朝鮮人がいました。 朝鮮総督府では、局長、部長、課長にも朝鮮人がいました。 もちろん警察官(注:警視総監から巡査まで)は、朝鮮人だろうと日本人だろうと、同じ権限を持っていました。 そういう状況の中で女狩りが堂々と行なわれ、それを問題にする者が1人として居なかったなんて、有り得ない事です。 全人口の1%に過ぎない日本人が、そんなに悪い事をして安全に生きられる訳(わけ)がないんです。

また、阿部元俊さんは戦時中の徴兵について次のように述懐しています。
昭和18年に学徒動員が始まり、日本人学生たちは強制的に呼び出されて戦地へ向かいました。 そんなときでも、朝鮮人の大多数は戦地に行く必要がありませんでした。 正直な話、朝鮮人がうらやましかったですよ。「此れは差別じゃないか」と言ったりしたもんです。 朝鮮人が徴兵されるようになったのは、昭和19年4月からの事でした。 自ら志願して戦地に行った朝鮮人たちも少なからず居ました。

● 日本統治下の朝鮮で日本人と朝鮮人とは互いに手を取り合って生きていた。
以上、日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の述懐を皆さんに読んで頂きました。 此れらの述懐からは「かつて日本人と朝鮮人とが互いに手を取り合って生きていた時代があった」という事が見えてきます。 日本人と朝鮮人は庶民レベルでは普通に仲良く付き合っていました。 また、朝鮮総督府内でさえ、日本人と朝鮮人とが机を並べて一緒に働いていたのです。 日本が朝鮮を支配した35年間において、朝鮮人が起こした抗日運動と言えるようなものは、1919年3月1日に起きた三・一独立運動だけでした。 此の独立運動が暴動化して、其の暴動の中で五百数十人の朝鮮人が死にました。 全体的に見れば、日本統治下の朝鮮において、日本人と朝鮮人との間には概(おおむ)ね良好な関係が築かれていたのです。

日本の敗戦後、韓国の学校の授業では「日帝(注:「帝国主義の日本」の意)は朝鮮の全土で朝鮮民族に対して徹底的な弾圧と徹底的な収奪を行ない、支配体制の確立に力を注いだ」「日帝の弾圧に苦しめられた朝鮮民族は、光復(日本の敗戦に伴う解放)を得るまでの間、不法な植民地支配に抵抗して抗日独立運動を展開した」と教えられて来ました。 また、敗戦後の日本では、多くの在日朝鮮人や多くの反日左派日本人が「日本は朝鮮で悪い事を沢山した。 日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人々を徹底的に弾圧し、朝鮮の全てを奪った」と主張して来ました。 其のような言説を聞かされた人は「日本人は朝鮮で悪い事ばかりしてきた」というような印象を持つでしょう。 しかし、日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の話を聴くと、日本統治下の朝鮮の本当の様子は在日朝鮮人や反日左派日本人が主張してきた言説と大きく異なる事が分かります。

大東亜戦争末期の朝鮮は確かに苦しかったでしょう。 しかし、其れは日本も同じでした。 実際は、日本よりも朝鮮の方が遥かに恵まれていたのです。 なぜなら、日本は、200余りの都市がアメリカ軍の爆撃を受けて破壊されましたが、朝鮮はアメリカ軍の爆撃を一度も受けなかったからです。 言うまでもない事ですが、大東亜戦争で朝鮮半島は戦場になりませんでした。 また、大東亜戦争末期の朝鮮における物資欠乏でさえ、朝鮮の悲惨さに比べれば、遥かに恵まれたものでした。(朝鮮の悲惨さについては後述します。)

● なぜ日本は朝鮮を併合して此れを直轄統治したのか。
純正日本人は自分の父母や祖父母の世代の歴史をきちんと知っておかなければなりません。 なぜ日本は朝鮮を併合して此れを直轄統治したのでしょうか。 其れは、其の当時の日本の政治家や軍人や実業家が「日本をロシアの脅威から守るには朝鮮を併合した方が良い」と考えたからです。 其の当時の朝鮮は、王族内で権力抗争が渦巻き、其の為、政治が混乱し、朝鮮王朝は国家運営能力をほとんど(全くと言って良いほど)有していませんでした。 其の当時の日本の政治家や軍人や実業家は「もし朝鮮を其のままにしておけば、朝鮮がロシアに侵略されてロシアの一部になってしまい、日本までもが危機的な状況に置かれるだろう」と考えたのです。 其の当時の日本政府は、日本が其のような危機的な状況に置かれないように、朝鮮を併合して此れを直轄統治し、朝鮮の近代化を図り、朝鮮の経済を発展させ、朝鮮の国力を高めようとしたのです。 日本による朝鮮併合は国際的な合意の下で行なわれました。 言い換えると、日本による朝鮮併合は其の当時の欧米列強政府が承認したものでした。 そして、日本は朝鮮が自立できる程度にまで朝鮮を建て直したのです。

● 日本統治下の朝鮮の本当の様子を知る事の重要性。
日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が完全だったという事ではありません。 失策や失政もありました。 また、日本人の中には悪い人も居たでしょう。「日本から来た」と言って威張っていた日本人も居たでしょう。 朝鮮人の中にも悪い人が居たでしょう。 しかし、全体的に見れば、其の当時、日本人と朝鮮人とは互いに手を取り合って生きていたのです。 日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)を虫メガネで見れば、小さな汚れがたくさん見えるでしょう。 しかし、全体的な姿として現れた良い事柄を無視してはいけません。 なぜ日本統治下の朝鮮でお暮らしになった方々の述懐を皆さんに読んで頂いたのでしょうか。 其れは、日本統治下の朝鮮の本当の様子を知る事が私たちの信仰生活にとって重要だからです。 敗戦後の日本では、多くの在日朝鮮人や多くの反日左派日本人が「日本は朝鮮で悪い事を沢山した。 日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人々を徹底的に弾圧し、朝鮮の全てを奪った」と主張して来ました。 日本のキリスト教会でも其のように語られて来ました。 其のような言説を聞かされた私たち日本人の大多数は何となく其のように信じて来ました。 しかし、上に述べたように、日本統治下の朝鮮の本当の様子は私たち日本人の大多数が何となく信じ込まされてきた言説と大きく異なるのです。

第2章  朝鮮の政治風土。 韓国の反日。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/rekishi03.htm
敗戦後の日本では、「日本は朝鮮で悪い事を沢山した。 日本はかつて朝鮮を侵略し、朝鮮の人々を徹底的に弾圧し、朝鮮の全てを奪った」という言説が幾度も主張されて来ました。 此れらの言説はもともと在日朝鮮人が言い出したものです。 此れらの言説に同調した反日左派日本人も其のように主張して来ました。 日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は、在日朝鮮人や反日左派日本人が主張しているような悪いものだったのでしょうか。 いいえ、そんな事はありません。 もし35年間に渡る「日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)」が無かったならば、今の韓国の繁栄は無かったでしょう。

● 19世紀後半における日本と朝鮮とは対照的である。
16世紀から20世紀前半にかけて、欧米列強は世界中で植民地争奪戦を繰り広げていました。 欧米列強は東南アジアの国々やアフリカの国々や、国と言えないような地域を植民地にし、其れらの国々や地域の人々を奴隷として又は奴隷同然に扱って栄えて来ました。 大東亜戦争が始まる前、日本とタイ王国とを除くアジアの国々は欧米列強の植民地になっていました。 そうした状況の中で、日本は欧米列強の植民地にならずに自主独立を保っていました。 19世紀後半の日本は必死の思いで明治維新を成し遂げ、欧米列強と肩を並べられるようになろうと思って努力し、近代的な国家を築きつつありました。 其の当時の日本は欧米列強が持つ力と同じような力を身に着ける事で欧米列強の支配を免れ、欧米列強と対等な立場に立って生き抜こうとしていたのです。

一方、朝鮮は国造りの面で甚(はなは)だしく遅れていました。 19世紀後半の朝鮮の王族内では権力抗争が渦巻いていました。 其の為、其の当時の朝鮮の政治は混乱し、其の当時の朝鮮支配階級は国家運営能力をほとんど有していませんでした。 其の当時の朝鮮の民衆は朝鮮支配階級の横暴な振る舞いに苦しみ、希望を持つことが出来ない世界で生きていました。 其の当時の朝鮮は欧米の知識人や日本の知識人には「朝鮮は国家的規模で死に瀕(ひん)している」と見えました。 其の当時の朝鮮支配階級は欧米列強と対等な立場に立って生き抜こうという気概を持っていませんでした。

因みに、朝鮮は1392年から1897年まで国名として「朝鮮」を使っていましたが、此の期間中の朝鮮は日本では「李氏朝鮮」と呼ばれています。 此の呼び名は「李王朝が治めていた朝鮮」という意味を持ちます。 李氏朝鮮は1392年に興(おこ)りました。 また、李氏朝鮮王朝は1897年に国名を「大韓帝国」と改めましたが、此の論述では、1897年から大韓帝国が日本によって併合されて滅んだ1910年8月29日までの大韓帝国をも「李氏朝鮮」と呼びます。 従って、此の論述では、「李氏朝鮮は1910年8月29日に滅んだ」と見なします。 また、此の論述では、「李氏朝鮮」という熟語の略式表現として「朝鮮」という熟語を時々使います。

● 清王朝の絶対服従国になった李氏朝鮮は自ら進んで極貧国になった。
シナの明王朝(1368年〜1644年)は李氏朝鮮が興ったとき(1392年)から李氏朝鮮王を家来にして、李氏朝鮮を明王朝の従属国にして来ました。 李氏朝鮮を興した李成桂を初めとして、李氏朝鮮王は1637年(李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になった年)まで明王朝の従順な家来である事に徹したので、李氏朝鮮王朝と明王朝との間に不和・軋轢(あつれき)はありませんでした。 1616年、のちに「満洲」と言われる地域に女真族が「後金」を興しました。 後金王朝は勢力を拡大して李氏朝鮮王に対して自らの子分になることを要求しましたが、李氏朝鮮王は明王朝の従順な家来である事に徹したので、後金は1627年に3万人の兵力で李氏朝鮮に侵入しました。 後金の軍隊は破竹の勢いで李氏朝鮮を侵略し、侵略開始から凡そ2ヶ月後、李氏朝鮮王朝は「後金王朝を兄とし、李氏朝鮮王朝を弟とする。 李氏朝鮮王朝は後金王朝の命令に従う」という条件で後金王朝との間で和議を結びました。 そして、其の後、後金王朝は「明」を攻める為の兵、「明」を攻める為の軍船、「明」を攻める為の兵糧など多大な貢ぎ物を毎年、李氏朝鮮王朝に要求し、李氏朝鮮王朝は其の要求に応じました。 後金王朝は1636年に国名を「清」と改めました。 清王朝は李氏朝鮮王朝に対して清王朝への朝貢と一層の服従とを要求し、「明」を攻める為の兵3万人を李氏朝鮮王朝に要求しました。 李氏朝鮮王朝は「清王朝を兄とし、李氏朝鮮王朝を弟とする。 李氏朝鮮王朝は清王朝の命令に従う」という条件で清王朝との間で和議を結んだにもかかわらず、李氏朝鮮王朝はのらりくらりと適当な言い訳をして此れらの要求を拒否しました。 そこで、清王朝は「李氏朝鮮王朝が我々の命令に従わなければ、李氏朝鮮を攻撃する」と脅(おど)しましたが、李氏朝鮮王朝は此の脅しを黙殺しました。 そこで、「清」の第2代皇帝ホンタイジ(太宗)は李氏朝鮮王朝の態度に激怒し、1636年12月29日に自ら10万人の兵を率いて首都:盛京(現在の瀋陽)を出発し、1637年1月5日に鴨緑江を渡って李氏朝鮮に侵入し、李氏朝鮮の首都:漢城(現在のソウルの城壁の内部)へ向かって進撃しました。 そして、李氏朝鮮王朝は「清」の軍隊の侵入時から1ヶ月半後に清王朝に降伏しました。 李氏朝鮮王は漢城の郊外に置かれていた清軍陣営への出頭を命じられ、李氏朝鮮王は籠城していた南漢山城を去って清軍陣営に赴きました。 1637年2月24日、清軍陣営に着いた李氏朝鮮王は清軍陣営の最下段に座らされ、此の陣営の最上段に座るホンタイジ(太宗)に向かって三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼をさせられ、許しを乞(こ)わされました。 三跪九叩頭の礼とは、「跪(ひざまず)け」の号令で両膝(ひざ)を地面に着けて跪き、「一叩」の号令で上半身を前に倒して両手の平を地面に着けて頭(額)を地面に強く打ち着けて上半身を起こし、「二叩」の号令で上半身を前に倒して両手の平を地面に着けて頭(額)を地面に強く打ち着けて上半身を起こし、「三叩」の号令で上半身を前に倒して両手の平を地面に着けて頭(額)を地面に強く打ち着けて上半身を起こし、「起」の号令で起立する、という動作を3回繰り返すという行為です。 また、李氏朝鮮王朝と清王朝との間で11項目からなる講和条約が結ばれました。 其の内の重要なものを挙げると、
李氏朝鮮王朝は清王朝に臣下(家来)としての礼を尽くすこと。
李氏朝鮮王朝は「明」と断交し、「明」の年号を使わないこと。
李氏朝鮮王の長男と次男、大臣の子を人質として清王朝に差し出すこと。
李氏朝鮮王朝は、「清」が「明」を征服する時には清王朝が求める期日までに遅れることなく援軍を派遣すること。
李氏朝鮮王朝は、「清」が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に備えて軍船50隻と十分な水兵・槍・砲を準備しておくこと。
「清」の皇帝の誕生日や「清」の正月などには李氏朝鮮の大臣が清王朝に献礼すること。
李氏朝鮮王朝は李氏朝鮮の城郭を清王朝の許可なく修理・増築しないこと。
李氏朝鮮王朝は黄金100両、白銀1000両、其の他20種類余りの物品を毎年、清王朝に献上すること。

こうして、1637年、清王朝は李氏朝鮮王を家来にし、李氏朝鮮を清王朝の絶対服従国にしました。 李氏朝鮮王朝は此の講和条約に従って初年度に黄金100両、白銀1000両、牛3000頭、馬3000頭などの物品を清王朝に献上しました。 また、此の講和条約の内容とは別に、李氏朝鮮の人民50万人〜60万人が捕虜として「清」の領内に連行されました。 「清」の領内に連行された朝鮮女性の大多数は性奴隷にされました。 清王朝の家来になった李氏朝鮮王は清王朝の使者を迎える為の「迎恩門」を漢城の西側近郊(城壁から600mほど離れた所)に建てました。 清王朝による李氏朝鮮王朝への使者派遣は李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になった1637年から李氏朝鮮時代末期の1881年までの244年間で161回に及びました。 清王朝による李氏朝鮮王朝への使者派遣がある度に李氏朝鮮王は「迎恩門」に出向き、其の屋根の下で清王朝の使者を迎え、自分の親族や上級両班などが見詰める中で、清王朝の使者に対して三跪九叩頭の礼をしなければなりませんでした。 こうして、李氏朝鮮は清王朝の絶対服従国になりました。

  ホンタイジ(太宗)に向かって三跪九叩頭の礼をする李氏朝鮮王(銅板レリーフ)
  

なお、清王朝は1644年に明王朝を滅ぼし、現在の北京を首都にしてシナの支配を開始し、モンゴル高原とチベットとウイグルとを支配下に置きました。 清王朝は1912年まで続きました。

朝鮮では「李氏朝鮮」という国が興る直前には「高麗」という国がありました。「高麗」という国は918年に興り、936年に朝鮮を統一しました。 高麗を興した第1代高麗王:太祖が仏教を国家宗教(国家が保護し、広く国民に信奉させる宗教)としたので、高麗では仏教が王族の支援を受けて栄えました。 仏教以外では工芸や絵画が発展し、高麗青磁という優れた工芸品が作られました。 シナの北方に居た契丹(きったん)族(モンゴル諸部族の1つ)が916年に「遼」(916年〜1125年)を興しました。「遼」は「高麗」を数回に渡って大規模に侵略し、其の結果として、「高麗」は1019年に遼王朝の従属国になりました。「遼」が滅んだあと、チンギス・カン(幼名:テムジン)がモンゴル諸部族を統一し、モンゴル帝国(1206年〜1271年。首都はカラコルム)を興しました。 チンギス・カン率いるモンゴル軍は1219年から1225年にかけて中央アジア、イラン、コーカサス、ハザール王国への遠征を行ない、モンゴル軍に帰順しない人々の食糧や財宝を略奪し、モンゴル軍に帰順しない人々の全てを殺すなどして、此れらの地域を武力で制圧して支配下に置きました。 更に、1236年から1242年にかけて、チンギス・カンの長男:ジョチの次男:バトゥ率いるモンゴル軍は東ヨーロッパ遠征を行ないました。 此の遠征でバトゥ率いるモンゴル軍はヴォルガ川中流域からロシア(注:ここで言う「ロシア」はかつてキエフ大公国の領土であった地域)に侵入し、ロシアの白人防衛軍を圧倒的に打ち負かし、モスクワを初めとしてロシアの大部分を支配下に置き、更に、ポーランド王国やハンガリー王国にも侵入し、ポーランド王国やハンガリー王国の白人防衛軍を圧倒的に打ち負かしました。 そして、バトゥ率いるモンゴル軍は此れらの地域(ロシア、ポーランド王国、ハンガリー王国)でモンゴル軍に帰順しない人々の食糧や財宝を略奪し、モンゴル軍に帰順しない人々の全てを殺すなどして、特にポーランド王国とハンガリー王国とを完膚なきまでに荒らし回りました。(注:モンゴル帝国の発祥から消滅に至る過程でモンゴル軍が殺した人の数は4000万人と言われていますが、モンゴル人の名誉の為に述べれば、其の当時の世界において或る民族が他の民族を殺しまくった事は何ら非難されるべき事ではありませんでした。) 一方、高麗は1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、高麗軍は必死に抗戦しましたが、モンゴル軍に勝てませんでした。 そして、高麗は1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になりました。 モンゴル帝国王朝は1271年に現在の北京に移って国名として「元」を名乗り、モンゴル帝国の第5代皇帝フビライ・ハン(チンギス・カンの孫)が「元」の初代皇帝になりました。「元」による対日本侵攻(元寇)の1回目(文永の役、1274年)のときにも、2回目(弘安の役、1281年)のときにも、高麗はモンゴル帝国皇帝フビライ・ハンによって対日本侵攻の為の兵站基地(注:戦闘部隊の後方にあって、食料・弾薬・人員などの補給に当たる基地)にされ、軍船900隻前後を作らされるなど、莫大な出費を強いられました。 高麗は1287年から1356年まで其の全域が元王朝によって併合されて元王朝の直轄領になり、高麗は元王朝によって徹底的に支配されました。 高麗は元王朝によって徹底的に支配されながらも、モンゴル人の国際交易思想のお陰で宋やアラビアとの商取り引きが盛んになり、貨幣経済が発達しました。 とは言え、高麗の支配階級の人々は元王朝にとって奴隷のようなものでした。 そして、高麗は1392年に滅び、其れと同時に、「李氏朝鮮」という国が興り、其れと同時に、「李氏朝鮮」は明王朝の従属国になりました。

先に述べたように、1637年、清王朝は李氏朝鮮王を家来にし、李氏朝鮮を清王朝の絶対服従国にしました。 李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になるまで、李氏朝鮮には「木を曲げて車輪を作る技術」や「木で樽(たる)を作る技術」が有りましたが、李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になってからは、「木を曲げて車輪を作る技術」や「木で樽(たる)を作る技術」が李氏朝鮮から何時(いつ)の間にか消えて無くなり、荷車も樽も消えて無くなり、李氏朝鮮では貨幣経済が急速に衰退してほとんど(全くと言って良いほど)消滅しました。 清王朝の絶対服従国になった李氏朝鮮には荷車も樽も無かったのです。 ですから、李氏朝鮮で各種の液体を運搬するには、其の液体を陶製の大きな甕(かめ)に入れ、其の甕を牛や馬に載せて運ぶか、人が背負うかして運びました。 液体以外の重い荷物を運搬するにも、其の荷物を牛や馬に載せて運ぶか、人が背負うかして運びました。 其の所為(せい)で、李氏朝鮮の経済効率は極度に低下し、其の結果として、李氏朝鮮は極度に貧しくなりました。 こうして、李氏朝鮮は自ら進んで極貧国になったのです。 此のような李氏朝鮮が1640年頃から1910年までの270年間ほどに渡って続いたのです。 李氏朝鮮の支配階級は清王朝にとって奴隷のようなものでした。

李氏朝鮮が自ら進んで極貧国になった理由については、「朝鮮が極貧国になれば、清王朝に奪われる物が無くなり、清王朝から「ああしろ、こうしろ」と要求される事も無くなるだろう。 極貧国になることは最善の生き残り手段である」と李氏朝鮮の支配階級が考え、李氏朝鮮の支配階級が自らの意思で李氏朝鮮を極貧国にしたのだろう、と言われています。 李氏朝鮮の支配階級は「奴隷の平和」「奴隷の安寧」を選択したのです。

因みに、13世紀から15世紀にかけて朝鮮人やシナ人から「倭寇」と呼ばれた海賊集団(多数の日本人と少数の朝鮮人とから成る海賊集団)が朝鮮半島の沿岸部一帯を大規模に襲撃し、食糧(米、麦、大豆、など)を略奪したり、其の地の人々を捕虜にして連れ去ったりしました。 此の襲撃は14世紀に最も盛んでした。 1590年代には豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役、慶長の役)が行なわれ、其の結果として、李氏朝鮮は極度に疲弊しました。 そして、豊臣秀吉による朝鮮出兵以来、朝鮮人の大多数は強い反日感情「日本に対する憎しみ」を持つようになり、「日本人は野蛮で悪い奴らだ」と思うようになりました。

● 李氏朝鮮(1392年〜1910年)を支配していた「両班」。
朝鮮では高麗時代から国の公的な会合において、文官と武官は互いに離れて、文官は東側に「文班」として序列に従って並び、武官は西側に「武班」として序列に従って並びました。 其の為、文官と武官は両方まとめて「両班(ヤンバン)」と呼ばれるようになりました。 ですから、朝鮮では高麗時代から「両班」階級があったのです。 両班は古い時代からの部族の長や古い時代からの有力地主でした。 李氏朝鮮時代になると、勢力の伸張に長(た)けている両班は上級官僚(勝ち組官僚)になって上級官僚職を独占・世襲して上級両班(勝ち組両班)になり、地租以外の諸税や兵役が免除されるなど、様々な特権を行使して大地主になりました。 勢力の伸張に長(た)けていない両班は争いに負けて落ちぶれていき、下級官僚(負け組官僚)になりました。 こうして、上級官僚職を独占・世襲する両班が生まれて特権階級を形成しました。 此のような「両班」階級を「上級両班」階級と言わせてもらいましょう。 李氏朝鮮の王族と上級両班とを纏めて「李氏朝鮮の支配者」と言わせてもらいましょう。 李氏朝鮮の「王族」階級と「上級両班」階級とを纏めて「李氏朝鮮支配階級」と言わせてもらいましょう。 落ちぶれて下級官僚になった両班は上級両班の子分になりました。 下級官僚になった両班を「下級両班」と言わせてもらいましょう。 上級両班(勝ち組両班)の特徴として甚だしく高い気位と甚だしい怠惰とを挙げることが出来ます。 上級両班は汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑(さげす)んでいたので、汗を流して働くこと(肉体労働)を決してしませんでした。 また、下級両班も広い意味での李氏朝鮮の支配者を構成していました。 ですから、李氏朝鮮の王族と上級両班と下級両班とが「広い意味での李氏朝鮮の支配者」でした。 後で述べますが、李氏朝鮮の両班(上級両班、下級両班)は朝鮮人の5割を占める庶民(注:農業・漁業・商業・手工業に従事する人々。朝鮮では「常民」と呼ばれていた)に対して金品の収奪を繰り返していました。 李氏朝鮮の両班(上級両班、下級両班)は朝鮮の常民を「活かさず殺さず」の状態に置き、代価も払わずに常民の労働力を利用していたのです。 朝鮮人の残り4割強を占める人々のほとんど全ては李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の所有物でした。 そして、此れらの奴隷は「奴婢」と呼ばれていました。

第4代李氏朝鮮王:世宗(セジョン、在位 1418年〜1450年)の時代に両班支配体制が確立された、と言われています。 500年間ほどに渡って続いた李氏朝鮮において、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は利権を同じくする者同士で党派を作り、激烈な党争(党派争い)を繰り広げ、争いに勝った側は負けた側に逃げ道を与えずに負けた側の一族を皆殺しにするという事を繰り返して来ました。 其の過程において、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は自国(李氏朝鮮)の国力をどんどん下げてきたのです。 そして、其の党争の過程で、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は「戦いで負かした相手を見下して徹底的に懲らしめる」という気質・性癖を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と思われます。 また、李氏朝鮮の両班(上級両班、下級両班)の中で武官は文官に対して下位に置かれていました。 なぜなら、汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑む「朝鮮儒教」というものが李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)に広く深く浸透していたからです。 李氏朝鮮では上級の武官職は全て上級文官によって兼任されていました。

日清戦争が始まった1894年から日清戦争後の1897年にかけて朝鮮を旅行・探検して朝鮮の実情を実地検分したイギリス人女性:イザベラ・バード(注:イギリス情報機関の職員だと思われる)は著書『朝鮮紀行』の第22章で次のように述べました。
ソウル(注:朝鮮語の「ソウル」は本来「首都」の意の普通名詞であるが、朝鮮では「朝鮮の首都」の意で使われる。 また、イザベラ・バードの言う「ソウル」は現在のソウルの城壁の内部である)は政治腐敗の本拠地である。 朝鮮のどの地方でもスケールは小さいものの、ソウルと同質の不正が蔓延しており、勤勉実直な階層を虐げて私腹を肥やす悪徳官僚が跋扈(ばっこ)していた。 日本政府は此のように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に着手したのであるが、此の試みは困難を極めている。 朝鮮では名誉と高潔の伝統は、其れがかつて在ったとしても、もう何世紀も前に忘れられていた。 朝鮮のどこにも公正な官僚の規範は無い。 日本政府が朝鮮の内政改革に着手した時、朝鮮には階級が2つしか無かった。 其れは盗む側と盗まれる側である。 盗む側には朝鮮の官界を成す膨大な数の官僚が含まれる。 収奪と着服は上級官僚から下級官僚までの官僚全体を通じての習わしであり、どの官職も売買の対象になっていた。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第32章で次のようにも述べました。
朝鮮全体が官僚主義に色濃く染まっている。 朝鮮全土に官僚主義の悪弊が蔓延している。 其ればかりか、朝鮮王朝の全体が悪習の塊(かたまり)であり、際限の無い腐敗の塊であり、略奪機関である。 そして、朝鮮王朝はあらゆる勤勉の芽を潰してしまう。 朝鮮では官職や賞罰は商品同然に売買され、朝鮮王朝が腐敗・衰退した現在でも、被支配者を食いものにする権利だけは存続している。
日本人が「改革」と呼ぶ新しい事業は日本陸軍が1894年7月23日に景福宮(注:李氏朝鮮の王宮)を武力で占拠した時に始まった。 相次いで発布された朝鮮内政改革法令は日本公使が主導したものであり、間もなくソウルに派遣された日本人顧問官が此れを子細に調整した。 日本政府は朝鮮式政治機構の複雑多岐に渡る悪弊と取り組み、此れを是正しようとした。 現在(注:1897年11月の時点)行なわれている朝鮮内政改革の基本路線は日本政府が朝鮮に与えたものである。 日本政府が朝鮮の政治形態を日本の政治形態に同化する事を念頭に置いているのは当然であり、咎(とが)められるべき事ではない。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第37章で次のようにも述べました。
朝鮮の重大な持病は、何千人もの五体満足な男が自分たちよりも暮らし向きの良い親戚や友人にのうのうと集(たか)っている事、言い換えると、何千人もの五体満足な男の「人の親切に付け込む気質」である。 彼らは其れを何ら恥とは思わず、また、其れを非難する世論も無い。 或る程度の収入の有る両班は、数多く居る自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。 其れもあって、両班はもっと有利な官職に我勝ちに就こうとし、其の為、官職は商品同然に売買される。 また、両班の親族の男で未だ官職に就いていない者は官職に就いて両班になれば、公金で居候を養うことになる。 そこで、多くの官職が新たに設けられる。 此の流れの中で利権絡(がら)みの党争(党派争い)が頻繁に起きる。 朝鮮には信念を支えにして改革に命を掛けようとする改革家はいない。
今、此の瞬間にもソウルでは、強壮で並の知力を有する何百人もの男がタバコ銭に至るまでの生活費の全てを身内の上級官僚や知り合いの上級官僚に頼りながら、毎日、三度の食事をし、雑談に耽り、良からぬ事を企んでいる。 彼らには自立の誇らしい気分は無縁である。 此のような居候を除去した方が良いとか、此のような居候を養ってはならないとかの議論になると、多くの官職が新たに設けられ、其れが彼ら居候にあてがわれる。 従って、朝鮮の官僚組織は此のような盗っ人階級の独擅場である。 何年も前から朝鮮の品位を落としてきた党争(党派争い)による政変は決して政治理念の闘争ではなく、官職と金銭とを自由に出来る地位の争奪戦である。 <中略>  朝鮮語辞典の編者によれば、朝鮮語の「仕事」という言葉は「損失」「悪魔」「不運」と同じ意味を持ち、怠惰な生活を送れる事は貴族である事の証(あかし)である。 朝鮮の官僚は多くの居候を抱えていては生活が立ち行かなくなるので、居候を官職に就かせようとする。 しかし、大抵の場合、居候は官職に就いても何もせず、出来る限り多くの所から金品を奪い取るだけである。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第8章で次のようにも述べました。
朝鮮の災いの元の1つとして「両班」階級の存在がある。「両班」階級は朝鮮の特権階級である。「両班は自らの生活の為の労働をしてはならない」とされているが、身内に生活を支えてもらうのは恥ではなく、両班の妻がこっそり他所(よそ)の家の縫い物や洗濯をして生活を支えている場合は少なくない。
両班は自分の手で何も持たない。 両班は自分の手で自分のキセルすら持たない。 両班の子息は自宅から学校へ行くのに自分の手で自分の本すら持たない。両班は旅行する際に大勢のお供を掻(か)き集められるだけ掻き集めて引き連れていく。 本人は下男に引かせた馬に乗る。 伝統的に両班に求められるものは甚だしい怠惰である。 両班家の下男たちは近くに住む庶民を脅し、其の庶民が飼っている鶏や其の卵を奪い取り、代価を払わない。 年貢という重い負担を掛けられている庶民に対して、両班は代価も払わずに庶民の労働力を利用しているのである。 其ればかりか、両班は庶民に対して借金という口実で無慈悲な金銭取り立てを行なっている。「穴あき銭を蓄えた」という評判が流れた者には両班が「金を貸せ」と要求しに来る。 此れは実質的に収奪である。 もし其の庶民が両班の「金を貸せ」要求を断ろうものなら、「其の庶民が其の両班に金を借りた」という虚偽の債務がでっち上げられ、其の庶民は債務不履行の罪で投獄され、其の庶民本人や身内の者が両班の要求するお金を支払うまで毎日、鞭(むち)で打たれるか、そうでなければ、其の庶民は両班に捕えられ、其の庶民本人や身内の者が両班の要求するお金を支払うまで両班の家に食うや食わずで監禁される。 庶民が両班の「金を貸せ」要求を受け入れた場合、庶民が両班に貸したお金は貸し主の庶民に決して戻らない。「金を貸せ」という口実で取り立てを装うとは! 両班は実に狡猾な貴族である。 両班は家や田畑を手に入れる場合、其の代価を払わずに済ますのが一般的であり、「代価を払え」と両班に命じる朝鮮王朝高官は1人もいない。

李氏朝鮮では両班(上級両班、下級両班)は常民に何をしても許されたのです。

        鞭打ちの刑                 鞭打ちの刑
    

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第6章で次のようにも述べました。
借金という重荷を背負っていない朝鮮庶民は滅多に無い。 彼らは「生きるのに必要な食糧」以外の金銭や物資をほとんど(全くと言って良いほど)所有できずに苦しんでいる。 彼らは怠惰に見える。 私も其のように思っていた。 しかし、彼らは熱心に働いても熱心に働いた分の報酬が得られる保証の無い制度の下で暮らしているのであり、「稼いでいる」という噂が立った者や、真鍮の食器を使うことが出来る程度のゆとりであっても「ゆとりを得た」という評判が流れた者は強欲な両班と其の手下に目を付けられたり、近くの両班から「金を貸せ」と言われるが落ちである。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第26章で次のようにも述べました。
朝鮮の官僚は朝鮮庶民の生き血をすする吸血鬼である。 <中略>  朝鮮の官僚の大半は、どんな地位にいようとも、任地での仕事を部下に任せ、ソウルで社交と遊興の生活を送っている。 しかも、朝鮮の官僚の在任期間は短いので、朝鮮の官僚は任地の住民の生活向上については何も考えず、任地の住民を収奪の対象と見なす。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第37章で次のようにも述べました。
此れまで私は「最終的に食いものにされるのは農民層だ」と、嫌になるほど繰り返してきた。 朝鮮の農民は他のどの階層よりも真面目に働いている。 彼らは幾ぶん原始的ではあるが、土壌や気候に良く合った手法を使っており、土地の生産性を楽に倍増できるはずである。 ところが、農民たちは働いた分の収入を確実に得られる見込みが全く無い為、農民たちは家族に食べさせられるだけの作物を作って満足し、良(い)い家を建てたり、身なりを良くしたりする事には恐れを持っている。 おびただしい数の農民が両班から税を強制的に取り立てられたり、借金を要求されたりして、徐々に耕作面積が減り、今では彼らは日に三度の食事を賄(まかな)える分しか栽培しない。 搾り取られる運命にある階層が無関心、無気力、無感動の底に沈み込んでしまうのは止むを得ない事である。
日本政府による朝鮮内政改革があったにもかかわらず、今なお朝鮮には階級が2つしか無い。 其れは盗む側と盗まれる側である。 両班は公認の吸血鬼である。 朝鮮の人口の5分の4を優に占める下人(げにん)は両班にとっては文字通り「下(げ)の人」であり、吸血鬼(両班)に血を提供する事を其の存在理由としている。

以上のように、李氏朝鮮では常民の正当な努力は全く通用しませんでした。

● 李氏朝鮮の階級構成。 李氏朝鮮の身分制度。
李氏朝鮮(1392年〜1910年)の社会は、朝鮮人全体の7%を占める「王族を含めた「両班」階級」と、朝鮮人全体の50%を占める「常民」階級と、朝鮮人全体の43%を占める「奴婢」階級とで構成されていました。 王族を含めた「両班」階級は李氏朝鮮の広い意味での支配階級です。「両班」階級には上級両班や下級両班が含まれるのは当然ですが、上級両班の妻子や下級両班の妻子も「両班」階級に含まれます。 上級両班の親類縁者、下級両班の親類縁者、上級両班の妾、並びに、上級両班に仕える執事や多数の下男・下女も「両班」階級に含まれます。 李氏朝鮮の「常民」は所謂(いわゆる)「庶民」であり、農業・漁業・商業・手工業に従事する人々であり、「常民」の大多数は農民でした。 李氏朝鮮の農民の中で小作農民の占める割合、自作農民の占める割合は不明ですが、全くの憶断で述べさせてもらうと、小作農民の占める割合が7割、自作農民の占める割合が3割、と言ったところでしょうか。 先に述べたように、両班(上級両班、下級両班)は常民に対して金品の収奪を繰り返していました。 両班(上級両班、下級両班)は「常民」の所有物を好き勝手に代価も払わずに自分のものにした上に、「常民」に対して借金という口実で無慈悲な金銭取り立てを行なっていたのです。 一方、李氏朝鮮の「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、李氏朝鮮の王族や上級両班の所有物であり、売買・贈与・相続の対象であり、家畜同然の存在でした。「奴婢」の所有者である李氏朝鮮の王族や上級両班が「奴婢」を殺しても、罪になりませんでした。 李氏朝鮮の「奴婢」階級には仏教の僧侶も含まれます。 此の論述では、「奴婢」という言葉を文字通りに「奴隷としての奴婢」という意味で使います。 そして、「奴婢」は「奴婢」階級の95%ほどを占めていたと仮定します。 因みに、「奴婢」の「奴」は男の奴隷を意味し、「奴婢」の「婢」は女の奴隷を意味します。

        李氏朝鮮の奴婢
  

朝鮮において「奴婢」はかなり古くから存在していた、と言われています。 但し、朝鮮において「奴婢」が何時(いつ)頃から存在していたかは不明です。 ですが、高麗時代には既に最下位層として「奴婢」階級が存在し(注:高麗時代の何時頃から「奴婢」階級が存在していたかは不明)、「奴婢」の売買・贈与・相続などが公認されていました。 ですから、高麗時代において既に「奴婢」は奴隷であり、高麗には既に奴隷制度があった事になります。 そして、先に述べたように、李氏朝鮮の「奴婢」は李氏朝鮮の王族や上級両班の所有物であり、売買・贈与・相続の対象であり、家畜同然の存在でした。 ですから、李氏朝鮮には李氏朝鮮(1392年〜1910年)の全期間を通じて奴隷制度があったのです。

「奴婢」は初めの内は「李氏朝鮮の王族や上級両班に対する強い怨念」や「我々は李氏朝鮮の王族や上級両班による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)や顕在意識領域の下層部に持っていたでしょうが、時間の経過と共に其れらの思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)にも顕在意識領域の下層部にも持たなくなった、と思われます。 其れほどにまで「奴婢」は李氏朝鮮の王族や上級両班によって家畜同然に飼い慣らされていた、と思われます。

李氏朝鮮の身分制度は東アジアの他の地域では見られないような頑強なものであり、李氏朝鮮の奴隷制度はインドのカースト制度に匹敵するものでした。 李氏朝鮮では上の階級から下の階級に落ちる事はあっても、下の階級から上の階級に上がる事は出来ませんでした。 李氏朝鮮では横暴に振る舞う格上の者に対して格下の者はどうする事も出来ませんでした。 李氏朝鮮では「格上である(格が上である)」=「力が強い」、並びに、「格下である(格が下である)」=「力が弱い」 が成り立っていたのです。 もっと簡潔に言うと、李氏朝鮮では「格」=「力」 が成り立っていたのです。 先に述べたように、「奴婢」の所有者である李氏朝鮮の王族や上級両班が「奴婢」を殺しても、罪になりませんでした。 李氏朝鮮では両班(上級両班、下級両班)は常民に何をしても許され、且つ、常民の正当な努力は全く通用しませんでした。 ですから、李氏朝鮮には民族的な一体感と言えるようなものは有りませんでした。

「両班」階級、「常民」階級、「奴婢」階級、のほかに、上級両班が其の妾や常民の女に産ませた子で構成される「中人」階級があった、と言われています。「中人」は技術官僚や医術官僚などの下級官僚になりました。「中人」階級の朝鮮人口に占める割合は不明です。「中人」階級は「両班」階級の一部分である、と見て良いでしょう。「中人」は武官になることが出来たという説も有ります。 また、上級両班が奴婢の女に産ませた子は「中人」にはなれず、「常民」にもなれず、「奴婢」とされました。 また、上級両班の子息だけが科挙(上級官僚になる為の試験)を受けることが出来る、とされていました。 しかし、多くの場合、物覚えの良い「中人」が替え玉として科挙を受けました。 そして、上級両班の子息が科挙に合格する為には多額の賄賂が必要でした。 替え玉になる物覚えの良い「中人」が居ない場合、上級両班の子息が科挙に合格する為には更に多額の賄賂が必要でした。

● 19世紀後半の李氏朝鮮の様子。
19世紀後半の李氏朝鮮はシナの文豪:魯迅から「世界中で最も貧しい国」とまで言われました。 19世紀後半の李氏朝鮮で活動していたキリスト教宣教師は「水が余りにも汚いので、風呂に入ると、風呂に入る前よりも汚れてしまうほどだった」と言いました。 19世紀後半の李氏朝鮮を訪れた外国人はソウルを「此の世で一番不潔な町」「ソウルの悪臭は此の世で最も酷い臭いだ」「ソウルは首都であるにしては、其のお粗末さは実に形容し難い」「路上に散らばってる糞尿を踏まずに歩くのは不可能だった」と評しました。 当時のソウルの道路には馬糞や牛糞や人糞がたくさん散らばっていたのです。 また、李氏朝鮮の「奴婢」の住居には個室便所が無く、奴婢は自らが排泄した大小便を自分たちの住居の傍の下水溝に捨てた、と言われています。

室町時代から江戸時代にかけて「朝鮮通信使」と呼ばれる朝鮮使節団が、室町時代に3回、安土桃山時代に2回、江戸時代に12回、日本へ派遣されました。 江戸時代に日本に来た朝鮮通信使一行(400人〜500人。1607年から1811年まで12回に渡って来日)は宿泊した旅館の個室便所で大便をせず、宿泊した旅館の中庭や公道で大便をし、小便については、宿泊した旅館の客室に置かれている花瓶の中に放尿したり、客室の隅っこで放尿したりした、と言われています。 此の事が本当だとすれば、朝鮮通信使一行は個室便所で大小便をする習慣を持ってなかったという事になります。 そして、朝鮮通信使一行は「両班」階級の人々でした。 ですから、「両班」階級の人々は個室便所で大小便をする習慣を持ってなかった、と見なして良いでしょう。 すると、「両班」の住居にも個室便所は無かったということになるでしょう。 更に、「両班」の住居の母屋から数メートル離れた所に大小便専用の小屋すら無かったということになるでしょう。

イザベラ・バードは1894年の釜山(プサン)の朝鮮人居住地の様子について著書『朝鮮紀行』の第1章で次のように述べました。
狭くて汚い通りを形づくるのは木製の骨組みに土を塗って建てた低いあばら家である。 其れらのあばら家は、窓が無く、屋根は藁葺き(わらぶき)(注:茅葺きではない)で、軒が深い。 そして、どのあばら家にも地面から60cmほどのところに排煙用の黒い穴がある。 其れらのあばら家の周りには大抵、不規則な形の溝が掘ってあり、其の溝には固体・液体の汚物(糞尿など)が溜まっている。 皮膚病で毛の抜けた犬や、目がただれて土埃(つちぼこり)だらけで半裸・全裸の子供たちが、辺りに充満する悪臭には全くお構い無しに土埃や泥の中で転げ回ったり、日向(ひなた)で息を切らせたり、まばたきしたりしている。

イザベラ・バードは1894年のソウルの様子について著書『朝鮮紀行』の第2章で次のように述べました。
ソウルは首都であるにしては、其のお粗末さは実に形容し難い。 2階建ての家を建てることは礼節上、許可されていない。 ソウルの推計25万人の住民の大多数は迷路のような路地の地べたで暮らしている。 ソウルの路地の大部分は、荷物を積んだ牛同士が擦れ違うことも出来ず、荷物を積んだ牛と人なら辛(かろ)うじて擦れ違える程度の道幅しか無く、おまけに、其の道幅は家々から出た固体・液体の汚物(糞尿など)を溜める溝で狭(せば)められている。 悪臭ぷんぷんの其の溝の傍に好んで集まるのが土埃だらけで半裸の子供たちや皮膚病に罹った犬であり、犬は汚物の中で転げ回ったり、日向でまばたきしたりしている。 <中略>  此のような溝に隣接する家々は一般に軒の深い藁葺き屋根(注:茅葺き屋根ではない)のあばら家であり、其れらは泥壁の家にしか見えず、時折り、屋根の下に紙を貼った小さな窓があって、人の住まいだと分かる。 また、其れらのあばら家には地面から60cm〜90cmの黒ずんだ煙突がある。 此の煙突は家々の床を温める役目を果たした煙(熱風)の噴き出し口である。 終日、松の枝を高々と積んだ牛がソウルに入ってきて、朝6時に此の松の枝は住民の食事の支度と暖房に使われ、ソウルの全ての路地を芳しい匂いで満たす。 路地に煙(熱風)の垂れ込める規則正しさは感心するほどである。 反り返った瓦(かわら)葺き屋根の上流階級の家も見た感じの悪さという点では藁葺き屋根のあばら家と何ら変わらない。

李氏朝鮮の「奴婢」は日常生活に支障が無い程度に食糧(米、麦、大豆、など)を与えられていたようです。 また、イザベラ・バードの著書『朝鮮紀行』の第6章によれば、「李氏朝鮮は極貧国だった」と言っても、漢江(朝鮮半島の中央部を流れる川)の流域は、農耕地が肥沃であり、農作物の生産量が比較的に多く、其の為、漢江流域の農民は日常生活に支障が無い程度に食糧(米、麦、大豆、など)を所有していたようです。

   1897年頃のソウル南大門付近           李氏朝鮮の常民
        

  1880年代のソウル南大門からの眺望(ソウル中心街)、藁葺き屋根の家々
  

          藁葺き屋根の家、作業場
  

  李氏朝鮮が独自開発した乗用一輪車。 此の乗用一輪車の乗り降りは一体どうやるのか、と考えてしまいます。
  

先に述べたように、李氏朝鮮では貨幣経済がほとんど消滅していました。 李氏朝鮮で使われていた貨幣は “ 穴あき銭 ” と言われる銅貨だけでした。 しかも、此の銅貨は都市部でほんの少し使われているだけでした。 日本政府が1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝との間で「日朝修好条規(江華島条約)」を結び、李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させるまで、李氏朝鮮では商店と言えるようなものは「両班」階級が使う筆や紙や真鍮の食器などを扱う小さな店舗が極少数あっただけであり、其れ以外に店舗は無く、常民レベルの商いの全ては露店や屋台で行なわれる物々交換でした。 また、汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑む「朝鮮儒教」というものが李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)に広く深く浸透していた為、李氏朝鮮では職人や技術者が酷く蔑まれ、其の結果として、李氏朝鮮の手工業は低迷していました。 李氏朝鮮の手工業製品と言えるようなものは、「両班」階級が使う調度品(筆、硯、真鍮の食器、食事用のお膳、キセル、黒い帽子、扇子、手鏡、櫛、書き物机、たんす、木製の鞍、など)や、両班(上級両班、下級両班)の家の屋根に使われる瓦、朝鮮人全般が身に着ける象牙色(アイボリーホワイト)の木綿布、朝鮮人全般が使う鍋や釜や紙、農民が使う農耕具、液体貯蔵運搬用の陶製の甕(かめ)、くらいのものでした。 歴史学者の宮脇淳子さんによると、李氏朝鮮には染料を作る技術が無く、高度な染色技術も無かったので、朝鮮人は全般的に染色されていない象牙色の木綿服を着ていました。 李氏朝鮮において綺麗に染色された服を着ていた者は王族と上級両班だけであり、しかも、其の服はシナから輸入されたものでした。 また、李氏朝鮮の人々は山の木を切って、其の木を冬の寒さをしのぐ為の燃料にしてしまうので、山が至るところ禿山になっていました。 李氏朝鮮の山の7割は禿山でした。 また、李氏朝鮮の農民は裕福になったとしても、裕福になった分を両班(上級両班、下級両班)に奪われてしまうので、朝鮮農民の労働意欲は高くありませんでした。 其の為、稲作を初めとする朝鮮農業の生産量は多くありませんでした。 また、開国する前の李氏朝鮮には、学問と言えるようなものは朱子学(「性理学」とも言われる)だけであり、自然科学と言えるようなものはありませんでした。 開国する前の李氏朝鮮には医院と言えるようなものもありませんでした。 開国する前の李氏朝鮮の常民は「病気は怨霊(おんりょう)(恨みをいだいて人にたたりを為す死者の霊や生者の霊)が起こす」と信じていたので、常民の間で病人が出ると、常民は病気の快復を呪術師に頼っていました。 開国する前の李氏朝鮮で学校と言えるようなものは両班(上級両班、下級両班)の子息だけが通う「書堂と呼ばれる私塾」だけでした。 19世紀後半の李氏朝鮮は、王族内で権力抗争が渦巻き、其の為、政治が混乱し、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は国家運営能力をほとんど(全くと言って良いほど)有していませんでした。 新渡戸稲造は「枯死国朝鮮」と言い、「李氏朝鮮は国家的規模で死に瀕している」と述べました。 其の当時の欧米の知識人や日本の知識人には「李氏朝鮮は国家的規模で死に瀕している」と見なしたのです。 其の当時の李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)も同じような考えを持っていたでしょうが、其の当時の李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「最早どう仕様もない」とも思っていたのでしょう。

日本政府が1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させるまで、李氏朝鮮では漢字の読み書きが出来る者は広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)だけであり、「常民」や「奴婢」には漢字の読み書きが禁じられていました。 ハングル(朝鮮語の表音文字)は1440年代に第4代李氏朝鮮王:世宗(セジョン)が家来に命じて作らせたものであると言われていますが、ハングルの普及は両班(上級両班、下級両班)から大反対されました。 なぜなら、両班(上級両班、下級両班)は「常民」や「奴婢」を文盲(もんもう)にしておきたかったからです。 其の所為でハングルはほとんど(全くと言って良いほど)普及せず、日本政府が1876年に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させるまで、「常民」や「奴婢」にはハングルの読み書きも禁じられていました。 其の為、日本政府が1876年に李氏朝鮮を開国させるまで「常民」や「奴婢」は全て文盲でした。 李氏朝鮮の社会は男尊女卑の徹底した社会であり、「両班」階級においても女性の地位は酷く低かったので、日本政府が1876年に李氏朝鮮を開国させるまで「両班」階級の女性も文盲だった、と見て良いでしょう。 そして、「両班」階級は李氏朝鮮の人口の7%を占めていました。 ですから、日本政府が1876年に李氏朝鮮を開国させるまで李氏朝鮮の人々の97%ほどは文盲であった、と見て良いでしょう。 因みに、江戸時代の日本人の70%ほどは平仮名の読み書きが出来た(江戸時代の日本人の30%ほどは文盲であった)と言われています。

日本政府が1876年に李氏朝鮮を開国させてから、日清戦争が1894年に始まるまでの18年間で、ハングルは福沢諭吉の勧めで大いに広まり、李氏朝鮮王朝は漢城(現在のソウルの城壁の内部)に幾つかの学校を作って両班の子息にハングルを教え、李氏朝鮮に入ったキリスト教宣教師団体も漢城に幾つかの学校を作ってハングルを教えました。 李氏朝鮮王朝が1886年1月に創刊した官報『漢城周報』には漢字ハングル混合文やハングルだけで書かれた文が載るようになり、日清戦争(1894年8月〜1895年4月)後の1896年にはハングルだけで書かれた『独立新聞』が創刊されました。 イザベラ・バードは1894年4月中旬から同年5月にかけて南漢江を船で上り下りして観察した事柄として「私の観察したところでは、漢江沿いに住む下層階級(注:「常民」のこと)の男たちの大多数は此の国固有の文字(注:ハングルのこと)を読むことが出来る」と著書『朝鮮紀行』の第6章で述べました。

日本政府が李氏朝鮮の内政権を掌握した1907年において、李氏朝鮮王朝が作った小学校の数は40校ほどでした。 そして、此れらの小学校は両班の子息を教育する為のものでした。

イザベラ・バードの著書『朝鮮紀行』の第36章によれば、漢城市役所は日清戦争後の1896年6月から漢城の環境整備や衛生改革に取り組むようになり、同年10月には漢城の西部地域ではゴミの山や多量の糞尿が除去され、悪臭も消えました。 そして、大通りに面して建っていた藁葺き屋根の家々は次第に撤去され、区画整理によって路地の大部分が拡幅されました。

「浮世風呂  韓国朝鮮人が隠蔽する歴史」(http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/d201b47d0263091d53235932d3ce940a)をご覧になってください。

先に述べたように、汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑む「朝鮮儒教」というものが李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)に広く深く浸透していた為、李氏朝鮮では職人や技術者が酷く蔑まれていました。 其の影響で韓国では今でも職人はかなり蔑まれています。 また、外見的には日本人のように見える人の中にも職人を馬鹿にする人が居ます。 其のような人は朝鮮系なのではないでしょうか。

● 日本には武士が支配した封建時代が有るが、朝鮮には封建時代が無い。
李氏朝鮮という国を広い意味で支配していた人々は李氏朝鮮の王族と上級両班と下級両班です。 鎌倉時代から江戸時代までの日本を支配していた人々は武士です。 支配階級の思想は其の国の国民性に強い影響を与えます。 日本の武士は、忠実、誠実、勤勉、正直、勇気、先取性、自主独立、などを「徳」と考えていました。 また、日本には「滅私奉公」という言葉があるように、日本の武士は「私利私欲は悪であり、公に奉仕する事こそ人の道である」と考えていました。 一方、上級両班は「箸と本以外に重い物を持たない」と言われるほど、労働を蔑視していました。 両班(上級両班、下級両班)は汗を流して働く「常民」を蔑みながら、其の「常民」から金品を奪って自分たちの生活を支えていました。 日本には武士が支配した封建時代が有り、ヨーロッパには騎士が支配した封建時代が有りますが、朝鮮には封建時代が有りません。 此の違いはとても重要です。 なぜなら、此の違いが現代日本人の気質・性向と現代韓国人の気質・性向との違いに繋(つな)がっている、と考えられるからです。

● 紀元前2世紀から19世紀までの2000年間余りに渡って朝鮮の国々の王朝はシナ王朝に朝貢し、其れに加えて、朝鮮の国々の支配者は5世紀後半から「小中華思想」を持つようになった。

考古学的に証明できる朝鮮最初の国「衛氏朝鮮」(紀元前195年頃〜紀元前108年)が紀元前195年頃に成立したと同時に前漢王朝の従属国になってから、日清戦争で日本が「清」を負かし、日清講和条約(1895年4月)で「李氏朝鮮は独立国だ」と清王朝に認めさせるまでの2000年間余りに渡って朝鮮の国々の王朝はシナ王朝に朝貢し、朝鮮の国々の支配者は自国がシナ王朝の従属国である事に甘んじて来ました。 朝貢とは、シナ周辺の弱小国の王が自分の地位をシナ王朝から認証してもらう為に、其の王の使者がシナ王朝の都に出向いてシナ王朝の皇帝に謁見し、「シナ王朝の家来になりますから、王としての私の地位を認証してください」という切なる願いを記した親書と多くの貢ぎ物とをシナ王朝に差し出す事です。 シナ周辺の弱小国の王が其のような朝貢外交を行なわなければならない状況の中で、朝鮮の国々の支配者は「シナ王朝が世界の中心であり、シナ王朝から遠く離れた国ほど格下の国である」と思うようになりました。 そして、更に、朝鮮の国々の支配者は「我が国はシナの第一子分である。 其の意味で我が国は小中華である。 シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である。 日本の王朝はシナ王朝の子分にしてもらえなかった馬鹿な連中である。 日本人は化外の民であり、野蛮人である」という思いを5世紀後半から持つようになった、と思われます。 此の思いは「小中華思想」と言われています。 言うまでもない事ですが、「我が国はシナの第一子分である。 其の意味で我が国は小中華である」「シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である」「日本人は化外の民であり、野蛮人である」はどれも事実に基づいた認識ではなく、朝鮮の国々の支配者の「そうであって欲しい。 そう思いたい」という妄想的願望でしかありません。 其の意味で「小中華思想」は妄想です。 朝鮮の国々の支配者にとって事実はどうでも良いのです。 朝鮮の国々の支配者は「そうであって欲しい。 そう思いたい」という妄想的願望に導かれて世界を解釈していたのです。 朝鮮の国々の支配者はシナ王朝に対して巨大な恥辱感や巨大な屈辱感や巨大な劣等感を持っていたのでしょう。 其の為、朝鮮の国々の支配者は日本に対しては「シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である。 日本の王朝はシナ王朝の子分にしてもらえなかった馬鹿な連中である。 日本人は化外の民であり、野蛮人である」という妄想的優越感を持たざるを得なかったのである、と思われます。 朝鮮の国々の支配者が5世紀後半から「小中華思想」を持つようになった、と思われる理由については、後で述べましょう。

「小中華思想」という妄想は伝統的に「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いの形で表出されて来ました。「小中華思想」という妄想には「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いが濃厚に含まれています。「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いは「小中華思想」という妄想に由来しています。 ですから、「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いも妄想です。 そして、「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いが「小中華思想」という妄想を強めてきた、と考えられます。 言い換えると、「小中華思想」という妄想と「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いは相互増幅関係にある、と見ることが出来ます。 「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思いを「侮日の念」と言わせてもらいましょう。「小中華思想」と「侮日の念」とは相互増幅関係に在るのです。「小中華思想」と「侮日の念」は二重螺旋(らせん)のように絡(から)まり合っている、と思われます。 朝鮮の国々の支配者は伝統的に「侮日の念」を持って来ました。 朝鮮の国々の支配者は日本を格下と見て日本を見下して日本を馬鹿にし、「日本に対する妄想的優越感」を持つ事でシナ王朝に対する恥辱感や屈辱感や劣等感を癒(い)やし、妄想的自尊心を保って来たのです。 因みに、今の韓国人も昔の朝鮮人と同様に日本を格下と見て日本を見下して日本を馬鹿にする事で自らを慰めています。

念の為に、3つの辞典から「妄想」という言葉の解説を引用しておきます。
精選版 日本国語大辞典による「妄想」の解説
特に根拠がないのに不合理な事を事実と確信し、誤りを立証しても承知しない状態。 色々な精神病の症状として現われる。
大辞林 第三版による「妄想」の解説
根拠の無い誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。 統合失調症・進行麻痺などで特徴的に見られ、その内容が有り得ないものであっても経験や他人の説得によっては容易に訂正されない。
デジタル大辞泉による「妄想」の解説
根拠の無い有り得ない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することが出来ない主観的な信念。 現実検討能力の障害による精神病の症状として生じるが、気分障害や薬物中毒等でもみられる。 内容により誇大妄想・被害妄想などがある。

此の論述では、「妄想的」という言葉を「妄想のような」という意味ではなく、「妄想そのものの」という意味で使います。 ですから、「妄想的願望」は「妄想そのものの願望」という意味であり、「妄想的優越感」は「妄想そのものの優越感」という意味であり、「妄想的自尊心」は「妄想そのものの自尊心」という意味であり、「妄想的自信」は「妄想そのものの自信」という意味であり、「妄想的謝罪賠償要求」は「妄想そのものの謝罪賠償要求」という意味であり、「妄想的自画自賛観念」は「妄想そのものの自画自賛観念」という意味であり、「妄想的理念」は「妄想そのものの理念」という意味です。

● 高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になり、李氏朝鮮が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続け、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)だけでなく、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになった。

先に述べたように、918年に興った「高麗」という国は1019年に遼王朝の従属国になり、次いで、高麗は1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、高麗軍は必死に抗戦しましたが、モンゴル軍に勝てませんでした。 そして、高麗は1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になりました。 モンゴル帝国王朝は1271年に現在の北京に移って国名として「元」を名乗り、モンゴル帝国の第5代皇帝フビライ・ハン(注:チンギス・カンの孫)が「元」の初代皇帝になりました。「元」による対日本侵攻(元寇)の1回目(文永の役、1274年)のときにも、2回目(弘安の役、1281年)のときにも、高麗はモンゴル帝国皇帝フビライ・ハンによって対日本侵攻の為の兵站基地にされ、軍船900隻前後を作らされるなど、莫大な出費を強いられました。 高麗は1287年から1356年まで其の全域が元王朝によって併合されて元王朝の直轄領になり、高麗は元王朝によって徹底的に支配されました。 1392年に成立した李氏朝鮮も成立当初から明王朝の従属国でした。 1616年に「後金」が興り、後金王朝は勢力を拡大して李氏朝鮮王に対して自らの子分になることを要求しましたが、李氏朝鮮王は明王朝の従順な家来である事に徹したので、李氏朝鮮王朝と後金王朝との間で戦争が発生しましたが、李氏朝鮮王朝は「後金王朝を兄とし、李氏朝鮮王朝を弟とする。 李氏朝鮮王朝は後金王朝の命令に従う」という条件で後金王朝との間で和議を結びました。 後金王朝は1636年に国名を「清」と改めました。 李氏朝鮮王朝は後金王朝との間で結んだ和議を履行しようとしなかったので、「清」の第2代皇帝ホンタイジ(太宗)は李氏朝鮮王朝の態度に激怒し、1636年12月29日に自ら10万人の兵を率いて李氏朝鮮に侵入し、李氏朝鮮の首都:漢城へ向かって進撃しました。 李氏朝鮮王朝は「清」の軍隊の侵入時から1ヶ月半後に清王朝に降伏しました。 ホンタイジ(太宗)は李氏朝鮮王を清軍陣営に出頭させて李氏朝鮮王に三跪九叩頭の礼をさせ、1637年に李氏朝鮮を清王朝の絶対服従国にしました。 そして、清王朝は李氏朝鮮王朝を徹底的に躾けました。「清」の首都に派遣された李氏朝鮮王朝の使者は「清」の皇帝の前で三跪九叩頭の礼をしなければなりませんでした。 三跪九叩頭の礼をしなければならなかったのは李氏朝鮮王朝の使者だけではありませんでした。 先に述べたように、清王朝による李氏朝鮮王朝への使者派遣は李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になった1637年から李氏朝鮮時代末期の1881年までの244年間で161回に及びました。 清王朝による李氏朝鮮王朝への使者派遣がある度に李氏朝鮮王は「迎恩門」に出向き、其の屋根の下で清王朝の使者を迎え、自分の親族や上級両班が見詰める中で、清王朝の使者に対して三跪九叩頭の礼をしなければなりませんでした。 そして、李氏朝鮮王が清王朝の使者に対して三跪九叩頭の礼をしたあと、李氏朝鮮王と清王朝の使者は一緒に李氏朝鮮王宮へ向かい、李氏朝鮮王宮で李氏朝鮮王は李氏朝鮮王としての自分の地位を清王朝の使者から認証してもらわなければなりませんでした。 此のように、李氏朝鮮が1637年に清王朝の絶対服従国になってから、日清戦争で日本が「清」を負かし、日清講和条約(1895年4月)で「李氏朝鮮は独立国だ」と清王朝に認めさせるまでの258年間に渡って、李氏朝鮮王朝は清王朝との間で甚だ厳しい上下関係の「下」の立場に置かれていたのです。 と言うより、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は1637年から1895年までの258年間に渡って清王朝との間で甚だ厳しい上下関係の「下」の立場に置かれていた、と言った方が良いでしょう。

「小中華思想」(「我が国はシナの第一子分である。 其の意味で我が国は小中華である。 シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である。 日本の王朝はシナ王朝の子分にしてもらえなかった馬鹿な連中である。 日本人は化外の民であり、野蛮人である」という妄想)の根底には「シナ王朝を強く恐れる気持ち」と「我々はシナ王朝による被害者である」という思いと「事大主義」とが在ります。「事大主義」とは、「いつでも一番強い者に付き従って自己保身を図ろうという思い、並びに、其の思いの表出としての態度」です。 考古学的に証明できる朝鮮最初の国「衛氏朝鮮」(紀元前195年頃〜紀元前108年)が紀元前195年頃に成立したと同時に前漢王朝の従属国になって以降、大体においてシナ王朝に従属してきた「朝鮮の国々の支配者」は「シナ王朝を強く恐れる気持ち」と「我々はシナ王朝による被害者である」という思いと「事大主義」とを持って来ました。 特に、高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になって以降、高麗の支配者は「元王朝に対して常にペコペコして元王朝の要求には何でも従う」という思いを身に着けて「我々は元王朝による被害者である」という思いを非常に強く持って苦しみながら生き続けました。 1392年に成立した李氏朝鮮は1637年に清王朝の絶対服従国になってから、日清戦争で日本が「清」を負かし、日清講和条約(1895年4月)で「李氏朝鮮は独立国だ」と清王朝に認めさせるまでの258年間に渡って清王朝によって過酷に支配され、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝を強く恐れる気持ち」を持ち、此の思いが余りに強かった為、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つほどにまでなりました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けたのです。 そして、其の過程で、下級両班の心が上級両班の心に感応し、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになった、と考えられます。 こうして、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)の全てが「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つようになり、中でも李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と考えられます。 以上の考察を要約すれば、高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になり、李氏朝鮮が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続け、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)だけでなく、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになった、と言えるでしょう。

此の論説では「根性」という言葉を「生まれ付きの性質、及び、生まれ付きの性質に匹敵する根本的な性質」という意味で使います。

先に「「小中華思想」(「我が国はシナの第一子分である。 其の意味で我が国は小中華である。 シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である。 日本の王朝はシナ王朝の子分にしてもらえなかった馬鹿な連中である。 日本人は化外の民であり、野蛮人である」という妄想)の根底には「シナ王朝を強く恐れる気持ち」と「我々はシナ王朝による被害者である」という思いと「事大主義」とが在ります」と述べましたが、「我々はシナ王朝による被害者である」という思いと「事大主義」は「シナ王朝を強く恐れる気持ち」から派生的に生まれたものである、と考えられます。 ですから、「シナ王朝を強く恐れる気持ち」が「小中華思想」の根底の中心部に在る、と考えられます。

● 李氏朝鮮では朱子学が国家宗教とされた。
朱子学が何時(いつ)頃、朝鮮に入ったかは良く分かりませんが、朱子は1130年に生まれて1200年に死んだ人ですから、朱子学は1300年頃(高麗時代(918年〜1392年)の後期)には朝鮮に入っていた、と思われます。 李氏朝鮮を興した第1代李氏朝鮮王:李成桂(在位 1392年〜1398年)は朱子学を推奨して仏教を弾圧する政策を行ないました。 此の朱子学推奨政策・仏教弾圧政策は、李成桂が晩年になって仏教に帰依した為、李成桂の晩年期から20年間ほどに渡って中断され、第4代李氏朝鮮王:世宗(在位 1418年〜1450年)の時代から再開されました。 こうして、仏教の替わりに朱子学が推奨され、朱子学が李氏朝鮮の王族と上級両班に広く深く浸透し、其れと同時に、上級両班の中で仏教弾圧運動が強まり、16世紀になると、仏教は実質的に禁じられ、仏教の僧侶は「奴婢」階級に落とされ、16世紀後半になると、仏教は李氏朝鮮支配階級から完全に追放され、朱子学が李氏朝鮮の国家宗教になり、其の為、朱子学が李氏朝鮮支配階級に更に広く深く浸透し、李氏朝鮮支配階級は朱子学一色になり、其れに加えて、下級両班までもが朱子学を信奉するようになりました。 こうして、李氏朝鮮の王族も上級両班も下級両班も朱子学の空理空論を捏(こ)ね回すようになりました。

朱子学とは、シナ南宋の儒教哲学者:朱子(1130年〜1200年)が正統派儒教(孔子・孟子の教え)に色々と理屈を付けて、正統派儒教を学問化した哲学体系です。 ですから、「朱子学は哲学的に体系化された正統派儒教である」と言えます。 朱子学は正統派儒教の規範(徳目)である「仁、義、礼、智、信」の中で「礼」という規範を最も重要なものと見なします。「礼」とは、「全ての者は格の上下に従わなければならない」という規範です。 此の規範の意味をもう少し分かり易く言えば、「格下の者は格上の者に服従しなければならない」という意味です。「「礼」という規範(「全ての者は格の上下に従わなければならない」という規範)で人間界の秩序を保つべし」という理念が朱子学という哲学体系を貫いています。 朝鮮の国々の支配者は過去二千年間余りに渡って大体においてシナ王朝に従属して来ました。 其の過程で朝鮮の国々の支配者が持つようになった「小中華思想」(「我が国はシナの第一子分である。 其の意味で我が国は小中華である。 シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である。 日本の王朝はシナ王朝の子分にしてもらえなかった馬鹿な連中である。 日本人は化外の民であり、野蛮人である」という妄想)と、「礼」という規範(「全ての者は格の上下に従わなければならない」という規範)を最も重要なものと見なす朱子学とは互いに相性が良いのです。 其の為、李氏朝鮮では朱子学が国家宗教とされたのでしょう。 そして、朱子学の「長幼の序」という理念が「小中華思想」という妄想の中に取り入れられて「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という観念が生まれました。 此の観念を「朱子学流小中華思想」と言わせてもらいましょう。

● 広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は朱子学を自分に都合よく解釈しながら1645年頃より1895年(日清講和条約の締結)までの250年間ほどに渡って朝鮮儒教で「常民」や「奴婢」を支配して来た。

シナ社会では孔子が生まれる前から、人民は「貴族」階級と「庶民」階級とに分けられていました。 此の「庶民」階級とは、農民、手工業者、商人など、つらい思いをしながら汗を流して働く人々の集まりです。 孔子が生きていた当時のシナ社会では「貴族」階級と「庶民」階級とが対立し、社会秩序が崩壊しつつありました。 孔子は其のようなシナ社会を秩序ある状態にしようとして「仁」を説いたのです。 孔子が説いた「仁」とは、「貴族」階級が「庶民」階級に対して持つべき思いやりです。 孔子は「貴族」階級をして「庶民」階級に対する思いやりを持たせようとしたのです。 因みに、孔子は「庶民」階級には教えを説きませんでした。

李氏朝鮮では第4代李氏朝鮮王:世宗(在位 1418年〜1450年)の政策により朱子学が李氏朝鮮の王族と上級両班に広く深く浸透して行きました。 そして、1500年頃より李氏朝鮮における朱子学は本来の朱子学から逸脱して行きました。 具体的に言うと、朝鮮では1500年頃より汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑む観念が生まれ、朝鮮の朱子学では「貴族は肉体労働をしてはいけない」とされるようになり、李氏朝鮮の王族と上級両班は汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑み卑しむようになりました。 言葉を換えて述べれば、李氏朝鮮で「朝鮮儒教」の原型が生まれてきたのです。 もう少し具体的に述べると、李氏朝鮮の王族と上級両班はスポーツをも忌み嫌うようになりました。 そして、李氏朝鮮の王族と上級両班は「額に汗すること無く、楽をして本を読んで暮らす」という事を「正しい生き方」と思うようになったのです。 そして、更に、李氏朝鮮の王族と上級両班は「楽をして裕福に且つ怠惰に暮らす」という事を「最高の美徳」と思うようになったのです。 イザベラ・バードが著書『朝鮮紀行』の第8章で述べたように、両班(上級両班、下級両班)は常民の所有物を好き勝手に代価も払わずに自分のものにしていたばかりか、両班(上級両班、下級両班)は常民に対して借金という口実で無慈悲な金銭取り立てを行なっていました。 朝鮮の政治風土を調査・研究したアメリカ人外交官僚:グレゴリー・ヘンダーソンは『朝鮮の政治社会』という本の中で、両班(上級両班、下級両班)の実態について「両班は国家と民衆を食い物にして、私腹を肥やす事しか考えていない」と記しています。 両班(上級両班、下級両班)は官僚でありながら、「公」に奉仕する人々ではなく、私利私欲に生きる人々でした。

先に述べたように、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は1637年から1895年までの258年間に渡って清王朝との間で甚だ厳しい上下関係の「下」の立場に置かれていました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝を強く恐れる気持ち」を持ち、此の思いが余りに強かった為、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つほどにまでなりました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けました。 李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は清王朝に対しては卑屈な態度を採り、自国内では頭を下げる事を極度に嫌い、気位が少しでも傷つけられると烈火の如く怒りだす人々でした。 そして、此のような李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が李氏朝鮮を支配し、李氏朝鮮が益々貧しくなっていく状況の中で、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は朱子学の「礼」という規範(「全ての者は格の上下に従わなければならない」という規範)を自分勝手に拡大解釈して「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という思いを1640年頃より持つようになった、と思われます。 此の思いを「格差原理思想」と言わせてもらいましょう。 此の「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という格差原理思想が「朝鮮儒教」の原型に取り込まれて「朝鮮儒教」の核心になり、「朝鮮儒教」というものが1645年頃に出来上がった、と思われます。 1645年頃に出来上がった「朝鮮儒教」の核心は「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という格差原理思想です。 こうして、「朝鮮儒教」というものが孔子の「仁」の教えに背くものとして1645年頃に出来上がり、且つ、正統派儒教の「徳治思想」(「天は自らの代理人として有徳者を天子(地上界における最高権力者)に任命し、其の天子をして天下(地上界)を徳治させる。 天子は徳を以て善良な民を教化しつつ統治しなければならない。 さすれば、天子の徳は周辺の未開地にも遍く及ぶ。 天子が徳を失って悪徳天子になり悪政を行なったときには、有徳実力者が其の悪徳天子を放伐して新しい天子になって良い」という思想)から大幅に逸脱したものとして出来上がったのです。 そして、格差原理思想を核心とする朝鮮儒教が李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)だけでなく、下級両班にまで広く深く浸透して行きました。 表現を換えて述べれば、1645年頃に広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は格差原理思想を核心とする朝鮮儒教を身に着けたのです。 更に表現を換えて述べれば、格差原理思想を核心とする朝鮮儒教が李氏朝鮮社会を支配するようになったのです。 そして、李氏朝鮮社会では「格上である」=「力が強い」、並びに、「格下である」=「力が弱い」 が成り立つようになりました。 こうして、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は朱子学を自分に都合よく解釈しながら1645年頃より1895年(日清講和条約の締結)までの250年間ほどに渡って格差原理思想を核心とする朝鮮儒教で「常民」や「奴婢」を支配して来たのです。 因みに、朝鮮では李氏朝鮮時代以来、「格上である」=「力が強い」、並びに、「格下である」=「力が弱い」 が成り立ち続け、今の韓国でも成り立っています。

「道徳」の定義を「人間集団内を親和的に保つ為に、人間集団を構成する個々人全員が守る事を要求される内面的規範の総体」とすれば、朝鮮儒教に支配されていた李氏朝鮮社会に「道徳」と言えるようなものは無かったのです。

玄永燮(日本統治下の朝鮮知識人)は「併合前の朝鮮は地獄のようであった」と述べました。 地獄のような生活環境や地獄のような社会体制であっても、李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で生き続けた「常民」や「奴婢」にとって、地獄のような生活環境は生まれながらの生活環境であり、其れなりに生きていける生活環境であり、地獄のような社会体制は生まれながらの社会体制であり、其れなりに生きていける社会体制であり、地獄のような生活環境や地獄のような社会体制は改革しようと思うほどのものではなく、彼ら「常民」や「奴婢」は其のような生活環境や社会体制を改革しようとする気概すら持ってなかったのでしょう。 そして、李氏朝鮮の被支配階級(常民、奴婢)は地獄のような生活環境や地獄のような社会体制に慣れ切り、日本政府が1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させるまで、其のような生活環境や社会体制に順応し切っていた、と考えられます。

● 李氏朝鮮王朝は、李氏朝鮮との国交を求めた日本政府を侮蔑した。
ロシア政府は17世紀から広大なシベリアを幾つかに分けて次々に自国領とし、1858年に黒竜江(アムール川)の北側を自国領とし、1860年にはウスリー川の東側(沿海地方)を自国領とし、ウラジオストクに軍港を造りました。(此の軍港は冬には凍ってしまいます。) 1861年にはロシアの軍艦ポサドニックが対馬の浅茅湾に錨(いかり)を降ろし、ロシア軍が対馬の芋崎(いもさき)に上陸し、そこに兵舎・工場・練兵場などを建設し、芋崎の租借を求めて半年余りに渡って芋崎を占拠した事がありました。 更に、ロシア政府は黒竜江の南側(満洲)と朝鮮とを手に入れようと思って機会をうかがっていました。 日本政府は「近いうちにロシア軍が朝鮮に居座ってしまう可能性が十分にある」と考え、ロシアの動きに危機感を持っていました。 19世紀後半の李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は国家運営能力をほとんど(全くと言って良いほど)有していなかったので、日本が朝鮮に何ら働き掛けずに朝鮮を放置したら、遅かれ早かれ朝鮮がロシアの支配下に入るのは確実でした。 朝鮮半島はユーラシア大陸から日本列島へ向かって突き出た形になっています。 もしロシア軍が朝鮮半島に居座ってしまえば、朝鮮半島は日本に突き出されたナイフのような役目を果たす事になります。 ですから、日本は朝鮮を極貧国の状態にしておく訳(わけ)にはいかなかったのです。 朝鮮が近代的な独立国家になってくれなければ、日本の危うい状況が続く、と思われていたのです。 それで、日本政府(明治の新政府)は朝鮮がロシアに侵略されないだけの気概と国力とを持つ近代国家になることを願いました。 そして、1868年(明治元年)、日本政府は新政府の樹立を李氏朝鮮王朝に知らせて李氏朝鮮王朝との国交を李氏朝鮮王朝に求める為に、使節(外交官僚)を李氏朝鮮に派遣しました。 しかし、李氏朝鮮王朝は日本政府の申し出を拒否しました。 其のあと、日本政府は幾度も使節(外交官僚)を李氏朝鮮に派遣しましたが、李氏朝鮮王朝は其の度毎に日本政府の申し出を拒否しました。 先に述べたように、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「朱子学流小中華思想」(「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という妄想)を持っていました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は、日本が欧米列強の支配をはね除けて独立を守る為に明治維新を成し遂げた事の意味を理解していませんでした。 李氏朝鮮王朝は日本人が洋服を着て欧米人の真似をし始めた事を蔑み、日本人を禽獣に等しい者と見下し、日本政府の使節(外交官僚)を追い返したのです。

● 日本政府は李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させた。
先に述べたように、19世紀後半の李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は国家運営能力をほとんど(全くと言って良いほど)有していなかったので、日本が朝鮮に何ら働き掛けずに朝鮮を放置したら、遅かれ早かれ朝鮮がロシアの支配下に入るのは確実でした。 そうした状況の中で、日本の軍艦:雲揚(うんよう、イギリス製)が朝鮮半島の海岸に沿って水深などを測量していました。 1875年(明治8年)9月、其の軍艦:雲揚が水の補給の為に江華島(仁川の近くにある島)に近付いた時、朝鮮陸軍が雲揚を砲撃しました。 此の砲撃に対して、雲揚は砲撃で応戦し、江華島の砲台を破壊しました(江華島事件)。 日本政府は此の事件の責任を問う形で李氏朝鮮の開国について李氏朝鮮王朝と交渉を行ない、1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝との間で「日朝修好条規(江華島条約)」を結び、李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させました。 其れまで李氏朝鮮王朝は頑なに鎖国政策を行なってきましたが、日本政府は李氏朝鮮王朝をして日本に対して門戸を開かせ、日本との通商(貿易)を始めさせたのです。「日朝修好条規(江華島条約)」の成立以降、欧米列強は李氏朝鮮王朝との間で修好条約を結んで朝鮮に干渉していくようになりました。 少し前の事になりますが、1853年にはアメリカ海軍のペリー提督がアメリカ海軍東インド艦隊の軍艦(黒船)4隻を率いて浦賀に来航し、其の結果として、日本はアメリカ連邦政府によって強圧的に開国させられました。 しかし、其れが結果的には良かったという事を日本政府は知っていたのです。 1880年、日本政府は漢城に公使館を設置しました。 そして、李氏朝鮮王朝が開港した釜山(1876年に開港)、元山(1880年に開港)、仁川(1883年に開港)並びに、漢城には多くの日本人商人が居留するようになり、日本人居留地(日本人街)が出来ました。

李氏朝鮮王朝が1876年(明治9年)に日本政府によって強圧的に開国させられてから、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は日帝による被害者である」という思いと「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いとを持つようになった、と思われます。

「江華島事件」や「日朝修好条規」について、左派日本人は「江華島事件は日本による朝鮮侵略の第一歩であり、日朝修好条規は日本の領事裁判権や日朝間の無関税貿易を李氏朝鮮王朝に強圧的に認めさせた不平等条約であり、ペリー提督が日本に対して行なったのと同じ事を日本は朝鮮に行なったのだ」と主張し、日本を非難します。 しかし、其の当時は、弱い国は強い国の意向により扱われる時代だったのです。 昔の事を今の時代の世界標準で判断・評価するのは馬鹿げています。

因みに、李氏朝鮮王朝は「日朝修好条規」の締結(1876年)から6年後の1882年にアメリカ連邦政府との間で通商条約を締結し、1883年にイギリス政府との間で通商条約を締結し、1888年にロシア政府との間で通商条約を締結しました。

● 壬午軍乱。 甲申政変。
李氏朝鮮王朝は日本に対して開国したあと、開化政策として、日本から軍事顧問を呼び寄せ、近代的な新式軍人を育成する為の軍制改革を始めました。 其の一方で、李氏朝鮮王朝は旧式軍人には13ヶ月間も俸給米(給料)を支給しませんでした。 13ヶ月ぶりにようやく支給された俸給米はたった1ヶ月分であり、しかも、其の俸給米の中には砂や腐敗米が混じっていました。 此の事に激怒した旧式軍人は1882年7月に漢城で武装蜂起し、李氏朝鮮王宮や李氏朝鮮王朝の官庁を襲撃し、李氏朝鮮王朝の高官を殺害しました。 そして、更に、彼ら旧式軍人らの朝鮮人暴徒は日本公使館を襲撃し、日本公使館に放火しました。 日本公使館員などの一行28名は夜間に日本公使館を脱出し、漢城内で避難場所を探しましたが、うまく行かず、漢城から脱出する事を決意し、仁川港へ向かいました。 日本人一行28名は仁川で朝鮮人暴徒の襲撃を受けて多数の死傷者を出しながらも、仁川港で漁船に乗り、海上を漂流しているところをイギリスの船に保護され、長崎へ帰ることが出来ました。 李氏朝鮮王朝は清王朝に救援を要請し、清王朝は此の要請に応じて軍艦3隻と陸軍3000人を朝鮮に派遣し、朝鮮旧式軍人の武装蜂起から1ヶ月後に反乱勢力を鎮圧しました(壬午軍乱)。 此の軍乱のあと、李氏朝鮮王朝は日本政府から離れ、清王朝を頼るようになりました。 朝鮮に派遣された「清」陸軍3000人は引き上げずに漢城の近郊に駐留しました。 そして、清王朝は20歳代前半の袁世凱(えんせいがい)を実質的な朝鮮総督として朝鮮に派遣しました。 派遣された袁世凱は朝鮮の内政権と外交権とを掌握しました。 日本政府も軍艦4隻と陸軍千数百人を朝鮮に派遣し、賠償金の支払いや日本公使館を警護する為の日本陸軍150人を漢城に駐留させる事などを李氏朝鮮王朝に認めさせました。 其の当時の李氏朝鮮王朝は、公使館を襲撃する事が国際社会でどんな意味を持つかという事さえをも理解していませんでした。 また、かつて日本に明治維新の志士たちがいたように、朝鮮にも金玉均など「朝鮮人による朝鮮維新」を成し遂げようとする志士たちが少数いました。 金玉均は「中人」階級の出身でした。 福沢諭吉は自らの私財を以(もっ)て彼ら朝鮮人志士を支援して行きました。 そして、壬午軍乱から凡そ2年後の1884年8月、ベトナムを植民地にしようするフランスと、其れを阻止しようとする「清」との間の紛争が本格的になり、清仏戦争が始まりました。 此の戦争で劣勢になった清王朝は漢城の近郊に駐留させていた「清」陸軍3000人の半数1500人を撤収しました。 金玉均を頭目とする開化派は「清」陸軍1500人の撤退を李氏朝鮮王朝打倒の好機と判断し、1884年12月、日本公使:竹添進一郎と日本公使館警護の日本陸軍150人とを頼りに李氏朝鮮王宮で反乱を起こし、李氏朝鮮王宮を占拠しました。 李氏朝鮮王朝は漢城の近郊に駐留中の「清」陸軍1500人に救援を要請しました。 救援を要請された「清」陸軍が出動し、日本公使館警護の日本陸軍150人も出動し、両軍の間で銃撃戦が起きました。 日本公使:竹添進一郎は日本陸軍に撤退を命令し、日本陸軍は其の命令に従って撤退し、日本公使館に戻りました。 金玉均を頭目とする開化派が起こした反乱は失敗し、金玉均は日本公使館へ逃げ込みました。 此の反乱で漢城は騒乱状態になり、避難中の日本人集団が清国兵や朝鮮人暴徒に襲撃され、日本人婦女子が至るところで暴行されました。 漢城居留していた民間日本人260人が日本公使館に逃げ込みました。 漢城居留していた民間日本人の内、日本公使館に逃げ込まなかった29人は清国兵や朝鮮人暴徒に殺されました。 そして、朝鮮人暴徒が日本公使館を襲撃しました。 そこで、日本公使:竹添進一郎を初めとする日本人一行は日本公使館警護の日本陸軍150人に守られながら日本公使館を脱出し、仁川港へ向かい、停泊中の千歳丸に収容され、長崎へ帰ることが出来ました。 そして、此の騒乱は其の発生から3日後に袁世凱率いる「清」陸軍に鎮圧されました(甲申政変)。 此の政変で日本政府と清王朝との関係は相当に悪くなりました。 1885年4月、日本政府の最高実力者:伊藤博文が特命全権大使としてシナの天津に赴き、清王朝全権大使:李鴻章との間で「天津条約」を締結しました。 日清両国は此の条約に従って朝鮮から軍隊を撤収し、朝鮮に派兵するときには予め互いに通告する事になりました。 此のような状況の中で、朝鮮人による朝鮮維新の動きは李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が持っている「朱子学流小中華思想」や「衛正斥邪」(正しい思想(朱子学)を守り、邪(よこしま)な思想を排斥する)に阻まれ、朝鮮人による朝鮮維新は終に成りませんでした。 1885年3月16日付けの新聞『時事新報』に所謂「脱亜論」が社説として掲載されました。 此の社説は無署名ですが、福沢諭吉が書いたものである、と言われています。 此の社説の文末に「現在の戦略を考えるに、我が国は隣国の開明を待って共にアジアを発展させる為の時間的余裕は無い。 むしろ、其の仲間から脱出し、西洋の文明国と進退を共にすべきである。 支那や朝鮮に対処する方法も、隣国だからと特別扱いするには及ばず、正に西洋人が支那や朝鮮に対処するのと同様に対処すべきである。 悪友と親しく交わる者は悪名を免れない。 我は心の中で東アジアの悪友を拒絶するものである」(現代語訳)と在ります。

因みに、イザベラ・バードは甲申政変から10年後の1894年の3月頃の漢城日本人居留地の様子について著書『朝鮮紀行』の第2章で次のように述べました。
南山(注:漢城の城壁南端付近一帯の丘陵)の斜面には簡素で地味な白い木造の日本公使館があり、其の下には人口ほぼ五千人の日本人居留地がある。 そこには茶屋、劇場を初めとして、日本人の福利に不可欠な様々な施設がある。 ここでは朝鮮的な物とは対照的に、あくまで清潔で几帳面で慎ましい商店街や家々が見られる。 女は顔を隠していないし、キモノを着て下駄を履いた人々は日本で生活しているのと同様に自由に動き回っている。 また、ここでは憲兵や下っ端の兵や、スマートな帯剣の士官も見られる。 士官は一定の時間で警備を交代する。 朝鮮では(豊臣秀吉による朝鮮出兵に起因する)反日感情が根強い為、此のような警戒が必要である。 日本公使館員が戦いを交えつつ海まで逃げざるを得なかった事件が2度あった。

● 日清戦争(1894年(明治27年)8月1日〜1895年(明治28年)4月17日)
1884年8月に始まった清仏戦争で「清」はフランスに負けて、1885年6月、其れまで清王朝の従属国であったベトナムがフランスの植民地になってしまいました。 それで、清王朝は李氏朝鮮までもがロシアや日本の植民地になってしまうのではないかと思い、そうならない内に李氏朝鮮を自国に吸収しようと思って李氏朝鮮に働き掛けていました。 清王朝の李氏朝鮮への働き掛けを日本政府が放置しておけば、李氏朝鮮は自立することが出来ず、近代化する事も出来ないでしょう。 そこで、日本政府は李氏朝鮮から「清」の影響力を排除し、李氏朝鮮を近代化する為に李氏朝鮮の内政を改革しようとしました。 此の過程で日清両国政府は対立を深めていきました。 一方、李氏朝鮮王朝が1876年(明治9年)に日本に対して開国して以降、李氏朝鮮に流入した外国思想に「常民」が感化されたのでしょうか、「常民」の李氏朝鮮王朝に対する不満が徐々に高まりました。 1894年の春、李氏朝鮮の全羅道で下級官僚の不正を正そうとした農民が逮捕されました。 そして、此の事が切っ掛けになり、東学(注:1860年頃に李氏朝鮮で興った宗教。 朝鮮の民間信仰を基に儒教・仏教・道教の三教を折衷したもの)の信者や政治改革を望む農民が一緒になって反乱を起こしました。 此の集団は勢いを増し、全羅道に駐屯していた李氏朝鮮王朝軍を負かし、新たに全羅道に派遣された李氏朝鮮王朝軍をも負かし、1894年5月31日には全羅道の道都:全州を占領しました(東学党の乱、甲午農民戦争)。 李氏朝鮮王朝は此の反乱を鎮める為に清王朝に派兵を要請し、清王朝は此の要請に応じて1894年6月8日から6月25日にかけて「清」陸軍2800人を朝鮮半島西岸の港湾都市:牙山(あさん。忠清道にある)に上陸・駐屯させました。 日本政府(第2次伊藤博文内閣)も「清」の派兵に対抗して6月16日に日本陸軍4000人を仁川に上陸させ、更に、此の陸軍を漢城の近郊(龍山)に進駐させ、仁川と漢城とを支配下に置きました。 更に、日本政府は6月28日に日本陸軍増援部隊4000人を仁川に上陸させました。 此の時点で東学党の乱は収束していましたが、日本陸軍も「清」陸軍も撤退しませんでした。 清王朝は1894年7月上旬から多くの「清」陸軍を平壌(へいじょう)にも駐屯させるようになりました。 日本政府は「日本政府と清王朝とが共同して李氏朝鮮の内政を改革しよう」と清王朝に提案しましたが、清王朝は「李氏朝鮮は自力で改革すべきである」として、日本政府の提案を拒否しました。 1894年7月23日、漢城の近郊(龍山)に駐屯していた日本陸軍は李氏朝鮮王宮を強襲して占拠し、李氏朝鮮王:高宗の身柄を拘束しました。 そして、其れと同時に、日本政府は李氏朝鮮の内政改革に取り掛かりました。 こうして、日清両国政府は李氏朝鮮の内政改革について対立を深め、其の結果として、日清戦争が起きたのです。 1894年7月24日、「清」陸軍の増援部隊が牙山(あさん)に上陸し、牙山に集結する「清」陸軍の規模は3900人弱になりました。 1894年7月下旬には平壌に駐屯する「清」陸軍の規模は1万人ほどになっていました。 1894年7月25日、黄海で「豊島沖海戦」が行なわれ、此の海戦で日本海軍はイギリス国旗を掲げて清国兵を運んでいる清国輸送船を撃沈しました。 漢城の近郊(龍山)に駐屯していた日本陸軍は、牙山に駐屯している「清」陸軍を攻撃する為に1894年7月25日から28日にかけて牙山へ向かって龍山を出発しました。 そして、1894年7月29日、成歓(せいかん。忠清道の都市。現在の天安)で「成歓の戦い」が行なわれました。 此の戦いで日本陸軍は「清」陸軍を撃退し、「清」陸軍は平壌方面へ敗走しました。 そして、1894年8月1日、日清両国政府は互いに宣戦し、日清戦争が正式に始まりました。 尤も、日清戦争と言っても、日本軍が戦った相手は「清」の李鴻章(清王朝の第一家来)の軍(北洋軍)であり、日本軍は挙国一致の「清」軍を相手に戦ったのではありません。 日清戦争で戦場になった地域および海域は朝鮮半島と遼東半島と黄海でした。 1894年9月15日には平壌で「平壌の戦い」が行なわれました。 此の戦いで日本第1陸軍(司令官:山縣有朋陸軍大将)は、平壌に集結・駐屯していた「清」陸軍を撃退し、此れにより日本は朝鮮半島を支配下に置きました。 1894年9月17日には「黄海海戦」が行なわれました。 此の海戦で日本海軍は李鴻章の北洋艦隊に対して優位に戦い、北洋艦隊の軍艦5隻を撃沈しました。 此の海戦は近代的な装甲蒸気軍艦同士で行なわれたという意味で人類史上初の大規模な海戦でした。 此の海戦後、北洋艦隊の残存軍艦は山東半島の威海衛湾に立て籠(こも)った為、日本が黄海の制海権を掌握し、日本は軍人や軍需品(武器、弾薬、食糧、燃料、医薬品、など)を海上輸送できるようになり、陸上輸送の苦しみから解放されました。 日本第1陸軍は1894年10月下旬に鴨緑江(満洲と朝鮮との国境)を渡り、鴨緑江の河口付近一帯を占領し、九連城を攻略し、内陸部に侵攻して鳳凰城を攻略しました。 遼東半島では1894年10月下旬に日本第2陸軍(司令官:大山巌陸軍大将)が遼東半島の東岸に上陸し、1894年11月6日、金州城を攻略しました。 そして、日本第2陸軍は旅順の攻略を目指して西進し、1894年11月21日に旅順を攻略しました(旅順口の戦い)。 更に、1895年1月、日本海軍と日本第2陸軍は、威海衛湾に立て籠った北洋艦隊の残存軍艦と威海衛にある北洋艦隊基地とを破壊する作戦に共同して取り掛かり、1895年2月、北洋艦隊を降伏させ、黄海の制海権を完全に掌握しました(威海衛攻略戦)。 日本第2陸軍の内の威海衛攻略戦に参加しなかった部隊は極寒のなか北上し、日本第1陸軍と協力して、1895年3月、遼河下流東岸域の牛荘(営口)、海城、鞍山を攻略し、遼東半島を占領しました。 日清戦争での日本軍戦死者数は凡そ1400人で、脚気、コレラ、赤痢、腸チフスなどによる日本軍病死者数は1万2000人で、「清」軍戦死傷者数は3万5000人でした。

イザベラ・バードは日清戦争中の奉天(現在の瀋陽)の様子について著書『朝鮮紀行』の第17章で次のように述べました。
1894年8月1日に宣戦が布告され、其れに伴って事態は急速に悪化した。 日本が制海権を完全に掌握していた為、「清」陸軍は満洲を通って進軍するしかなく、吉林や斉斉哈爾(ちちはる)などの北部都市で集められて訓練を受けていない満洲族の兵が1日当たり千人ほど奉天を通過していった。 満洲族の兵は南進する途中、手当たり次第に略奪を行ない、宿屋の主人を殴って宿屋を勝手に占拠して料金を踏み倒し、キリスト教や西洋文明への反感からキリスト教聖堂を荒らした。 <中略>  近代的な武器を装備している「清」陸軍兵はほんの少ししかいない。 ライフル銃1丁すら持たない連隊もある。 <中略>  正確無比な村田ライフル銃を持っている日本軍を相手にして、此のような装備の兵を何千人も戦地へ送り出すことは「殺人」も同然である。「清」陸軍兵も其の事を知っていた。 <中略>  医療設備も救護隊も無く、傷病兵は身ぐるみ剥がされて置き去りにされるのは清国の慣わしであった。 <中略>  兵站部門は全く無能であるばかりか、とんでもない不正を働き、物資が集められても、請負人が其の物資を売って自分の稼ぎにしてしまう。 <中略>  奉天市内の身体健康な乞食や失業中の下層民は全て入隊させられ、3週間の訓練を受けたあとで戦地へ送られた。 奉天や其の周辺にある騾馬(らば)車は全て軍需品の輸送に使われ、街の商業は大方麻痺した。 軍需品の輸送に使われた騾馬車の騾馬は飢えた「清」陸軍兵の食糧になった。 騾馬車の車体は騾馬肉を煮炊きする為の燃料になった。 満洲族の兵から成る「清」陸軍が雪崩(なだ)れ込んで来るに連れて、商店は閉じられ、街路は人の気配が無くなり、商人の大多数は山間部へ逃げた。 いっその事、日本軍が奉天を占領して安全と秩序とを取り戻してくれないものかと願う者も多かった。

欧米列強政府は、清王朝や李氏朝鮮王朝と交渉しても、其の交渉が思い通りにならないので、困っていました。 そこで、欧米列強政府は日本をして「清」を相手に戦わせ、日本がどれくらいうまくやれるだろうかと思って高みの見物をしていました。

日本は日清戦争で「清」を負かし、遼東半島と台湾と賠償金2億両(此の金額は当時の日本の国家歳入の4年2ヶ月分に当たると言われている)とを譲り受け、李氏朝鮮を「清」から独立させました。 過去二千年間余りに渡って大体においてシナ王朝の従属国であった朝鮮は此のとき初めてシナ王朝から「独立国になっていいよ」と言われたのです。 日本と「清」とが結んだ日清講和条約(1895年4月17日)の第1条には「「清」は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国である事を確認し、独立自主を損なうような、朝鮮国から「清」に対する貢・献上・典礼等を永久に廃止する」(現代語訳)と在ります。 日本は朝鮮から過去二千年間余りに渡るシナ王朝の頸木(くびき)を排除し、朝鮮を独立国としたのです。 また、開化派の両班によって1896年に結成された「独立協会」という政治団体は清王朝への従属の象徴であった「迎恩門」を壊し、其のすぐそばに「独立門」を建て(竣工は1897年11月20日)、清王朝からの独立を記念しました。 そして、1897年10月、李氏朝鮮王朝は国名を「大韓帝国」と改めました。「独立協会」は李氏朝鮮王朝の命令で1898年に解散させられました。

日清戦争当時の日本人には「日清戦争は決して侵略戦争ではなく、義戦である」という明確な認識がありました。 明治天皇の詔勅に「朝鮮は、日本が其の初めより導き誘って諸国の仲間となした独立国である。 しかるに、清王朝は事ある毎に朝鮮を自らの従属国だと主張し、陰に陽に朝鮮の内政に干渉し、そこに内乱が起きると、従属国の危機を救うという口実で朝鮮に派兵した。 そこで、日本は朝鮮を清王朝から解き放つ為に、止むを得ず「清」との戦争を決意した」(現代語訳)と在ります。 其の当時、クリスチャンの内村鑑三も「此の戦いは朝鮮独立の為の義戦だ」と書きました。 内村鑑三は日清戦争について「文化を東洋に施したく、其の平和を計るにあり。 日本は東洋における進歩主義の戦士、ゆえに進歩の大敵である支那諸国を除けば、日本の勝利を希望しないものは、世界万国にある訳がない」と書きました。 一方、左派日本人は概(おおむ)ね、次のように考えているようです。「日清戦争は弱い朝鮮を虐(いじ)める「清」を懲らしめて朝鮮を独立させる為の「正義の戦い」であると宣伝されたが、日本が「清」を相手に戦った真の目的は朝鮮から「清」の影響力を排除して、朝鮮を日本の植民地にする事だった。 其の当時の日本は貧しく、欧米の先進技術を取り入れて産業の近代化を急いでいた。 日本は軍艦を自力で造る事も出来ずに外国から購入していた。 日本は対外戦争をやる力が無かったが、日本は軍事力で朝鮮の主権を踏みにじり、目先の敵を相手に戦う事しか考えずに戦争に突入して行った。 日清戦争は、世界から見れば、アジアの片隅で起きた後進国同士の戦いだった」。

● 日英通商航海条約。
アメリカ海軍のペリー提督がアメリカ海軍東インド艦隊の軍艦(黒船)4隻を率いて1853年に浦賀に来航して以降、日本は欧米列強に次々と不平等条約を締結させられました。 日本が欧米列強に締結させられた不平等条約としては、1854年にアメリカ、イギリスに締結させられた和親条約、1855年にロシア、オランダに締結させられた和親条約、1858年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスに締結させられた修好通商条約、1860年にポルトガルに締結させられた修好通商条約、1861年にプロイセン(ドイツ)に締結させられた修好通商条約、1866年にイタリアに締結させられた修好通商条約、などが有ります。

不平等条約の改定は日本政府(明治の新政府)の宿願でしたが、不平等条約の改定はうまく進みませんでした。 ところが、ロシア政府がシベリア鉄道の敷設工事を1891年に始めた為、イギリス政府は極東アジアにおけるロシアの南下政策を警戒するようになり、日本の軍事力を期待して日本政府に対して好意的になり、日本政府の不平等条約改定要求に応じる態度を示すようになりました。 そして、日本政府の宿願だった領事裁判権の撤廃、関税自主権の部分的回復、対等の最恵国待遇、を盛り込んだ「日英通商航海条約」が1894年7月16日に日本政府とイギリス政府との間で調印されました。 此の調印から7日後の1894年7月23日、漢城の近郊(龍山)に駐屯していた日本陸軍は李氏朝鮮王宮を強襲して占拠し、李氏朝鮮王:高宗の身柄を拘束しました。 そして、其れと同時に、日本政府は李氏朝鮮の内政改革に取り掛かりました。 日英通商航海条約が調印された事で日本陸軍はイギリス政府の日本尊重を確認し、日清戦争の遂行に自信を持った、と言われています。

日英通商航海条約は日本政府(明治の新政府)が長年に渡って取り組んできた不平等条約改定交渉の中で初めて手に入れた「改定された条約」です。 日本政府とイギリス政府とが此の条約で領事裁判権の撤廃に合意した事により、日本は治外法権の束縛から解放されました。 此の条約締結におけるイギリス政府の意図は「極東アジアにおけるロシアの南下政策に対抗する為に日本の軍事力を期待する」というものでした。 また、日英通商航海条約が調印された事は日本の国際的地位を大いに高めました。 19世紀後半から20世紀初頭にかけてのイギリスは世界中で最も強い影響力を持つ「世界一の強大国」でした。 日本政府は1894年から1895年にかけて日英通商航海条約と同様の内容の条約をアメリカ連邦政府、フランス政府、ドイツ政府、ロシア政府、オランダ政府、イタリア政府など、14ヶ国の政府と調印することが出来ました。 そして、日本は法権の上では欧米列強と対等の関係になりました。

● イザベラ・バードの著書『朝鮮紀行』からの引用。
日本政府が日清戦争の開始と同時に始めた「李氏朝鮮の内政改革」について、イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第22章で次のように述べました。
1895年1月、ソウルは奇妙な状況の中にあった。 旧秩序が変わりつつあるにもかかわらず、新秩序は生まれていなかった。 陸戦・海戦で勝利を得た日本は、戦前に清王朝に協力を要請していた「朝鮮の内政改革」を朝鮮に強要する態勢にあった。 日本軍が1894年7月に朝鮮王宮を強襲して占拠して以降、朝鮮国王は「給料をもらうロボット」でしかなく、かつて権勢を誇った閔一族は官職から追放されていた。 日本政府は朝鮮の全省庁の監督を引き受け、腐敗した行政官僚に公正を強いる構えでいた。 1894年9月15日に平壌で「清」陸軍を敗退させた日本に目的の成就を阻むものは無かった。 明治維新の功労者の1人である井上馨伯爵が1894年10月20日に朝鮮駐在公使として到着し、朝鮮王朝を実質的に運営した。 朝鮮王朝の各省庁に日本人顧問官が配置され、朝鮮の軍隊は日本人教官に訓練された。 警察が新たに組織され、朝鮮人警察官は日本製の制服を着せられた。 内政改革の草案が作成され、其れを検討する為の「朝鮮人から成る諮問機関」が作られた。 井上馨伯爵は日本人顧問として朝鮮国王と何時でも面会できる資格を有し、閣議の際には通訳官と速記官とを従えて同席した。 日本政府が朝鮮王朝より優位にある事は、ほとんど毎日のように行なわれる新しい人事や規則の改定を見れば、明らかだった。 日本人は、イギリス政府がかつてエジプトに対して行なったのと同様に「自分たちの目的は朝鮮の内政を改革することである」と主張した。 日本政府に自由裁量が許されていたら、日本政府は朝鮮の内政改革を成し遂げたはずだ、と私は思う。 とは言え、朝鮮の内政改革は予想を遥かに超えて難航し、井上馨伯爵がにっちもさっちも行かない状況に置かれている事は明らかだった。 井上馨伯爵は「使える道具が何も無い」と考え、「其れを作れれば」という希望を持って、朝鮮上流階級の子弟多数を2年間の予定で日本に留学させた。 最初の1年間では勉学に努めさせ、次の1年間では官庁で正確な実務と道義の基本を学ばさせるのが狙いである。

日清戦争(1894年8月〜1895年4月)後の1896年の末に朝鮮で『儒学経緯』という本が刊行されました。 此の本について、イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第36章で次のように述べました。
朝鮮における教育に関して特記しておかなければならない事は1896年の末に『儒学経緯』という本が刊行された事である。 此の本は学務大臣:甲箕善が編集し、2人の学務顧問が序文を書き、国費で刊行された。『儒学経緯』には次のような記述がある。
42ページには
最近、所謂(いわゆる)耶蘇教が野蛮な教えで世の中を汚そうとしている。 此の宗教は天国と地獄の作り話で大衆を欺き、祖先崇拝の祭祀に色々と口を入れたり、天地の神々に額ずく慣習を禁じたりしている。 此れらは知性の曇った者のたわ事であり、論ずるに値しない。
50ページには
世界の中央たる清帝国の如何に偉大で栄えある事か!。 清帝国は世界中で最も大きく最も豊かな国である。 世の偉人は全てシナが生んだ者である。
52ページには
ヨーロッパは文明の中心シナから余りに遠く離れている。 故に、ロシア人、トルコ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ベルギー人は人よりも鳥獣に似ており、其の言語は鶏が鳴いているように聞こえる。 <中略>  西洋人がキリスト教と呼ぶところのものは、俗悪浅薄で正道を外れており、野卑な習俗の例証であり、真面目に語るに値しない。 <中略>  彼らは天の神を拝みはするものの、親を奉らず、事ある毎に天を侮辱し、社会的関係を覆(くつがえ)す。 正に此れは野蛮な低俗さの現れである。 外国の慣習は我々が論評するには値しない。 現在、耶蘇教は衰退しつつある。 西洋人は清帝国以外の全ての国に腹子(注:「悪い種」の意か)をまいた。 西洋人は皆この宗教を奉っているが、驚くべき事に、清帝国の知識人や庶民は其れによる汚染を免れた。

イザベラ・バードは1897年の漢城(現在のソウルの城壁の内部)の警察官(巡査)について著書『朝鮮紀行』の第36章で次のように述べました。
現在のソウルの治安は警察が維持しているが、ソウルを警備している警察官1200名は多過ぎる。 ソウルには秩序が有るので、其の4分の1の数で足りるはずである。 日本製の制服を着て髪の毛を肩まで伸ばしてニッケルメッキの鞘に収めた剣を脇の下に下げた朝鮮人警察官が至る所に前かがみの姿勢でたむろしているのは不必要で且つ無駄である、と思われる。 朝鮮の警察は日本政府が創設した組織あるが、賢明とは言えない組織であり、今となっては改めようも無いであろうが、朝鮮の兵や警察官の俸給は高過ぎる。朝鮮の兵は食事・住居付きで1ヶ月当たり4ドル半を支給され、朝鮮の警察官は食事付きで1ヶ月当たり8ドル〜10ドルを支給される。 朝鮮の兵や警察官の俸給は世界でも最高級に属する。

其の当時の漢城で勤務する兵や警察官の俸給がとても高額だったという事は「俸給をそこまで高額にしないと兵や警察官の為(な)り手が無かった」という事を意味するでしょう。 何しろ、其の当時の「奴婢」階級の95%ほどを占めていたと思われる「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」でしたし、其の当時の「常民」階級の男ですら兵や警察官になるのに必要な教養を大して持ってなく、官職に就けずに居候している「両班」階級(「中人」を含む)の男は気位が甚だしく高く、汗を流して働くこと(肉体労働)を極度に蔑む人々でしたから。

● イザベラ・バードの見解。
イザベラ・バードは朝鮮との国境に近い沿海州南部のロシア領に行き、其の地に入植した朝鮮人に会い、彼らの立派な暮らし振りを見て、著書『朝鮮紀行』の第19章で次のように述べました。
私は沿海州に行くまで「朝鮮人は屑(くず)のような民族であり、彼らの状態は望み無し」と考えていた。 ところが、沿海州に行った私は其の考えを大いに修正しなければならなくなった。 自らを裕福な農民に育て上げてロシア人警察官やロシア人入植者やロシア軍人から「勤勉で品行方正だ」と素晴らしい評価を受けている朝鮮人は例外的に勤勉家なのではなく、例外的に倹約家なのでもない。 彼らの大半は飢饉から逃げ出してきた飢えた人々だった。 彼らの裕福さや品行の良さは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、朝鮮人は徐々に真っ当な人間に成り得(え)るのでないかという望みを私に抱かせる。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第28章で次のように述べました。
朝鮮を旅行する者は朝鮮人が怠惰である事に驚く。 私は、ロシア領満洲に住んでいる朝鮮人のエネルギー、勤勉さ、堅実さ、快適な家具や設備を揃えた彼らの住居を見て以来、朝鮮人の怠け癖を気質と見なすのは大いに疑問だと考えている。 朝鮮の庶民の誰もが「貧しさは最良の防衛手段であり、自分と家族の衣食をやり繰りするのに必要な物より多くを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまう」という事を知っているのである。

イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第37章で次のように述べました。
ソウルは実質的に朝鮮の代表である。 西洋的要素の感化力、西洋式教育で導入された思考方法、嫌でも避けられない外国人との接触、無料の新聞の影響力、と言えるようなものがソウルを起点にして朝鮮国民に徐々に変化を生じさせている。 宗主国シナの影響下で朝鮮の両班たちは貴族社会の一般的風潮になっている収奪と暴政とを今日までほしいままにしてきた。 此の点について日本政府は新しい理論を導入し、「民衆も権利を有して当然であり、各階級は其れを尊ばなければならない」という事を朝鮮国民に理解させた。 無料新聞も同じ路線を採った。 朝鮮の農民は日本や西洋による指導を知る事で「食いものにされる事だけが自分たちの運命ではない。 自分たちも国民としての権利を有して当然であり、自分たちも法的見地から見て法的平等に値し、自分たちも収入を守られるべき存在である」という事を徐々に理解するようになった。
<中略>
今日の朝鮮人は何世紀にも渡る弱い立場の産物である。 私は朝鮮で1年近く過ごし、そこに住む人々を主な研究対象とした。 1897年に明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、私は朝鮮人の前途を憂いてはいない。 但し、其れには次に示す2つの条件が不可欠である。
1. 朝鮮は其の内政を自ら改革する能力を有していない為、朝鮮の内政改革には外部からの働き掛けが必要である。
2. 朝鮮国王の権限は憲法上の制約を厳重に且つ恒常的に受けなければならない。
<中略>
日本が清国との戦争を始めた表向きの理由として日本政府が述べている事は「日本の隣国である朝鮮が失政と破滅の深みに年々沈んでいくのを日本政府は黙って見過ごす訳には行かない。 朝鮮の内政改革には日本政府による指導・監督が必要である」というものである。 日本政府が此の例外的な指導・監督を引き受けた最終目的は何なのかを推測する必要はない。 日本政府が大変なエネルギーを以(もっ)て朝鮮の内政改革に取り掛かった事、日本政府が朝鮮に新体制を導入する為に主張した提案は両班の特権に切り込み、且つ、朝鮮国王の大権に切り込んで、朝鮮の身分社会に大変革を惹(ひ)き起こし、朝鮮国王を「給料をもらうロボット」にした事、並びに、日本政府が並々ならぬ能力を発揮して編み出した朝鮮内政改革方針は単純で自然な体裁を示しているという事を指摘するだけで十分である。
私は日本政府が徹頭徹尾、誠意を持って奮闘した、と考える。 日本政府は朝鮮の内政改革の経験が浅く、往々にして荒っぽく、臨機応変の能力が不十分である為、買わなくてもいい反感を買ってしまったが、日本政府は朝鮮を隷属させる意図を少しも持たずに「朝鮮の保護者としての役割」と「朝鮮自立の保証人としての役割」とを果たそうとした。
此の1年間余り、日本政府は時々失敗しながらも前進を続け、有益で重要な改革を何件か成し遂げ、また、他の改革を始動させた。
<中略>
朝鮮が一人立ちするのは無理である。 朝鮮に対して共同保護というような相当に難しい解決策が採られない限りにおいて、朝鮮は日本かロシアかの保護下に置かれるに違いない。

● 三国干渉。 日清戦争後の朝鮮における鉄道建設。
日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」が日本に負けた為、イギリス政府、フランス政府、ドイツ政府、ロシア政府は「清」の弱体振りを知りました。 そこで、此れらの列強政府はシナの分割に乗り出し、シナの奥地にまで侵入して行きました。 ロシア政府は日清戦争の講和会議後にフランス政府とドイツ政府とに声を掛け、1895年4月23日、此の三国の政府が共同して「講和会議で日本の領土になった遼東半島を清王朝に返せ」と日本政府に圧力を掛けてきました。 其の当時の日本には其の干渉を跳ね返すだけの国力が有りませんでした。 それで日本政府は苦渋を飲んで、遼東半島を清王朝に返す事を1895年5月4日に決定しました。

日清戦争の開始直後(1894年)に日本政府は李氏朝鮮王朝から朝鮮内での鉄道敷設権を手に入れましたが、其の鉄道敷設権は三国干渉の情勢下でアメリカ人実業家モーリスの手に渡り、モーリスが京仁鉄道(京城(漢城、ソウル)⇔仁川)の敷設工事を1896年頃に始めました。 しかし、京仁鉄道の敷設工事は資金難と労働争議の噴出により工事半ばで頓挫しました。 そこで、実業家:渋沢栄一の設立した鉄道会社はモーリスが持っている京仁鉄道の敷設権を1897年にモーリスから買い取り、敷設工事を進め、1900年11月に京仁鉄道を完成しました。 京仁鉄道は朝鮮最初の鉄道です。 また、渋沢栄一の設立した鉄道会社はモーリスが持っていた京釜鉄道(京城(漢城、ソウル)⇔釜山)の敷設権をもモーリスから買い取り、京釜鉄道の敷設工事を1901年に始めました。 日露戦争が始まった1904年2月10日(日露両国政府が互いに宣戦した日)時点において、京釜鉄道は未完成でした。 そこで、其の敷設工事は突貫作業で行なわれ、京釜鉄道は1905年1月に全線開通しました。

● ロシアの脅威。 義和団の乱。 北清事変。 ロシア陸軍による満洲占領。
シナでは1860年に締結された北京条約でシナでのキリスト教の布教が公認されて、キリスト教会がシナの奥地にまでたくさん建てられました。 すると、キリスト教徒になったシナ民衆は白人の威を借りて、キリスト教徒にならなかったシナ民衆に威張りまくり、色々悪い事もして、経済的に豊かになりました。 一方、キリスト教徒にならなかったシナ民衆は従前通りの貧しい生活をしていました。 こうして、キリスト教徒のシナ民衆と非キリスト教徒のシナ民衆との所得格差がとても大きくなり、此れを不満とする非キリスト教徒のシナ民衆がシナの各地でキリスト教に反対する暴動を頻繁に起こすようになりました。 また、先に述べたように、日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」が日本に負けた為、イギリス政府、フランス政府、ドイツ政府、ロシア政府は「清」の弱体振りを知りました。 そこで、此れらの列強政府はシナの分割に乗り出し、シナの奥地にまで侵入して行きました。 ロシア政府は日清戦争の講和会議後にフランス政府とドイツ政府とに声を掛け、1895年4月23日、此の三国の政府が共同して「講和会議で日本の領土になった遼東半島を清王朝に返せ」と日本政府に圧力を掛けてきました。 其の当時の日本には其の干渉を跳ね返すだけの国力が有りませんでした。 それで日本政府は苦渋を飲んで、遼東半島を清王朝に返す事を1895年5月4日に決定しました。 但し、日本政府は其の後の清王朝との交渉で遼東半島を清王朝に返す代わりに清王朝から3000万両を獲得し、1895年11月に遼東半島を清王朝に返しました。 1896年、清王朝は三国干渉の見返りとして、シベリア鉄道(モスクワとウラジオストクを結ぶ鉄道)上のカリムスコエ(バイカル湖の東方にあるロシアの都市)から分岐し満洲北部を直線的に横断しウラジオストクに至る鉄道(東清鉄道本線)の敷設権をロシア政府に与えました。 満洲とは、現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)と内モンゴル自治区の東北部とを併(あわ)せた地域です。 1897年、ロシア政府は東清鉄道本線の敷設工事を始めました。 ロシア政府が1891年に始めたシベリア鉄道の敷設工事については、1897年には其の全工事の6割ほどが済んでいた、と思われます。 シベリア鉄道や東清鉄道本線が敷設された目的の中で最も重要なものは、軍人や軍需品(武器、弾薬、食糧、燃料、医薬品、など)をロシアの極東地域へ大量に且つ迅速に輸送する事です。 1898年、清王朝は遼東半島先端の関東州(旅順、大連)の25年間に渡る租借権と、東清鉄道本線上の哈爾浜(ハルビン)から大連に至る東清鉄道南満洲支線の敷設権と、東清鉄道南満洲支線上の奉天から朝鮮国境に至る支線の敷設権とをロシア政府に与えました。 そして、ロシア政府はさっそくロシア陸軍を関東州(旅順、大連)に進駐させ、李鴻章の北洋艦隊の基地であった旅順港(此の軍港は不凍港です)にロシア旅順艦隊(注:ロシア太平洋艦隊の主力)を配置し、東清鉄道南満洲支線の敷設工事に取り掛かりました。 こうして、ロシア政府は万里の長城の北側(満洲と内モンゴル)を勢力圏に収めました。 一方、イギリス政府は1898年に山東半島の威海衛と九竜半島の新界地区と九竜半島に付属する島々とを租借地とし、揚子江流域を勢力圏に収めました。 フランス政府は1899年に広州湾(広東省南西部)を租借地とし、広東省・広西省・雲南省を勢力圏に収めました。 ドイツ政府は1898年に山東省の青島を含む膠州湾を租借地とし、山東省を勢力圏に収めました。 日本政府は1898年に清王朝に対し、台湾の対岸の福建省を外国に割譲しない事を約束させ(福建省不割譲条約)、福建省を勢力圏に収めました。 先に述べたように、其の当時のシナでは、非キリスト教徒のシナ民衆がシナの各地でキリスト教に反対する暴動を頻繁に起こすようになっていました。 特に山東省では反キリスト教暴動が激しくなり、キリスト教に対する反感だけでなく、外国人に対する反感も高まり、「欧米列強の奴らや日本の奴らはシナ人より劣った野蛮人だから、奴らを排斥すべきだ」という排外運動がシナ民衆の間で起きるようになりました。 そうした状況の中で、1899年に山東省で「義和団」という武装集団が外国人と外国文化とをシナから一掃しようとして武装蜂起し、「外国人は出ていけ」と叫び、キリスト教会堂・鉄道・電線を破壊するなど、排外破壊活動を行ないながら北京に迫り、翌年の1900年6月10日、20万人とも言われる義和団が北京に集結し、列強各国の公使館の集まっている区域を包囲しました(義和団の乱)。 其の為、列強各国の公使館員や其の家族が皆殺しにされ兼ねない状況になりました。 此の状況に対し、列強各国の公使館は協力して籠城戦を始めました。 此の籠城戦は2ヶ月間に渡って続く事になります。 此の籠城戦の中で日本公使館付きの柴五郎陸軍中佐が大活躍しました。 柴五郎陸軍中佐は英語・フランス語・北京語に習熟していました。 柴五郎陸軍中佐は其の優れた語学力を使って列強各国公使館の間の意思疏通を円滑にし、2ヶ月間に渡る此の籠城戦の実質的な指揮官として活躍しました。 20万人とも言われる義和団が列強各国の公使館の集まっている区域を包囲した日から11日後の1900年6月21日、清王朝の最高実力者:西太后は義和団と手を結び、列強8ヶ国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア、イタリア、オーストリア、日本)に宣戦しました。 清王朝の宣戦に対し、イギリス政府はインドからインド軍を、フランス政府はフランス領インドシナ(現在のベトナム、現在のラオス、現在のカンボジア)に駐屯中の軍隊を、ドイツ政府は青島に駐屯中の軍隊を、アメリカ連邦政府はフィリピンに駐屯中の軍隊を、ロシア政府は関東州に駐屯中の軍隊とウラジオストクに駐屯中の軍隊を、オーストリア政府は旅順の近くに停泊していた巡洋艦の水兵を、日本政府は広島に駐屯中の第5師団(8千人)を、北京へ派遣する作業に取り掛かりました。 ところが、北清事変中の1900年7月、ロシア陸軍17万7千人が「敷設中の東清鉄道(本線と南満洲支線)を義和団による破壊活動から守る」という口実で大挙して満洲に侵入し、満洲全域を占領して満洲に居座ってしまいました。 義和団討伐の為に派遣された列強8ヶ国の軍隊は天津に上陸して北京に入り、共同して義和団を北京から追い払い、1900年8月15日に北京を支配下に置き、自国民を救出し、「清」を降伏させました(北清事変)。 北清事変の終結後、イギリスの新聞『タイムズ』は社説で「籠城中の外国人の中で、日本兵ほど男らしく奮闘して其の任務を全うした人々はほかにいない。 日本兵の輝かしい武勇と戦術が北京籠城を持ちこたえさせたのだ」と述べました。 イギリスのビクトリア女王を初めとして、列強各国政府は柴五郎陸軍中佐に勲章を授与しました。 先に述べたように、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのイギリスは世界中で最も強い影響力を持つ「世界一の強大国」でした。

満洲に居座ったロシア陸軍は1901年に旅順に堅固な要塞(旅順要塞)を造り始めました。 更に、ロシア政府が1891年に始めたシベリア鉄道の敷設工事は1901年にはほぼ終わり、敷設未完了区間はバイカル湖南端近くの敷設困難区間だけでした。 そして、ロシア政府は李氏朝鮮に強く働き掛けるようになりました。 李氏朝鮮がロシア政府の支配下に置かれれば、日本までもが危機的な状況に置かれます。 また、ロシア陸軍が満洲全域を占領した為、イギリス政府は警戒を強めました。 イギリス政府はシナにおける自国の権益が極東アジアにおけるロシアの南下政策によって損なわれるのではないかと恐れたのです。 そこで、極東アジアにおけるロシアの南下政策に関して利害を同じくするイギリス政府と日本政府は共同してロシア政府に対抗する為に、1902年(明治35年)1月30日に「日英同盟」を結びました。 其の当時のイギリスは世界中で最も強い影響力を持つ「世界一の強大国」でした。 日本は其のイギリスと1894年の「日英通商航海条約」に次いで「日英同盟」という軍事同盟を結ぶことが出来たのです。 1903年1月、ロシア政府は東清鉄道南満洲支線(ハルビン⇔大連)を完成させました。 1904年2月上旬(日露戦争開始直前)、ロシア政府は大シンアンリン山脈(大興安嶺)の中を貫通するトンネル(大興安嶺トンネル)を完成させ、東清鉄道本線を完成させました。 其の当時のロシアの国力は日本の国力の10倍〜15倍でした。 そして、「ロシア陸軍は世界最強だ」と世界中で言われていました。 日本政府(第1次桂太郎内閣)は以上の情勢を考慮し、ロシアを相手に戦争すべきかどうか、色々悩みましたが、日本政府はロシアを相手に戦争することを決断したのです。

● 日露戦争(1904年(明治37年)2月10日〜1905年(明治38年)9月5日)
日本政府(第1次桂太郎内閣)は1904年2月4日に開かれた大本営御前会議でロシアを相手に戦争することを決断し、1904年2月6日にロシア側へ国交断絶を通知しました。 佐世保港で待機していた日本海軍の艦艇14隻は、旅順港と仁川港とに待機していたロシア軍艦を撃沈する為に1904年2月6日に佐世保港を出航し、2月8日から9日にかけて、仁川港から出て来たロシア軍艦2隻に対して砲撃を加え、大損害を与えました(仁川沖海戦)。 また、此の海戦中に日本第1陸軍(4万2000人)の先遣隊2200人が仁川に上陸しました。 1904年2月10日、日露両国政府は互いに宣戦し、日露戦争が正式に始まりました。 ロシア旅順艦隊は日本海軍との正面対決を避けて旅順湾内に立て籠りました。 其の為、日本海軍は黄海の制海権を掌握しました。 そこで、日本海軍は1904年2月から5月にかけて、旅順湾の出入り口に古い船舶を沈めて旅順湾を封鎖するという作戦を立て、此れを実行しましたが、此の作戦実行は旅順要塞からの激しい砲撃に遭って失敗しました。 仁川に上陸した日本第1陸軍の先遣隊2200人はロシア陸軍と交戦しながら北上し、平壌と朝鮮半島西岸の港湾都市:南浦(なんぽ)とを占領しました。 日本第1陸軍の本隊は1904年4月に南浦(なんぽ)に上陸し、鴨緑江の戦い(1904年4月30日〜5月1日)でロシア陸軍を撃破し、鴨緑江を渡って遼陽へ向かって北上しました。 日本第2陸軍(3万8500人)は1904年5月5日に遼東半島南岸の塩大澳(えんたいおう。塩大澳は大連の中心部から北東50km辺りにある湾の名であるようです)から上陸し、南山の戦い(1904年5月25日〜5月26日)では4300人の戦死傷者を出しながらも、ロシア陸軍を撃破し、大連を占領しました。 其の後、日本第2陸軍は遼陽へ向かって北上し、南下してきたロシア陸軍を6月14日に得利寺(とくりじ)の戦いで撃退し、7月23日には大石橋(たいせききょう)の戦いでロシア陸軍を撃退しました。 大本営(日本軍最高司令部)は旅順を攻略する為に日本第3陸軍を1904年5月に編成し(兵員数は不明)、乃木希典陸軍大将を日本第3陸軍の司令官に任命しました。 日本第3陸軍は1904年6月に遼東半島南岸の塩大澳に上陸し、旅順の攻略を目指して西進し、1904年7月26日から旅順攻略戦に取り掛かりました。 旅順湾内に立て籠っていたロシア旅順艦隊は此の作戦実行を察知し、ウラジオストク港に退避しようとして1904年8月10日に旅順湾から出て来ました。 そして、其れを待ち構えていた日本海軍との間で海戦が起きました(黄海海戦)。 此の海戦でロシア旅順艦隊の旗艦が大きな損傷を受け、ロシア旅順艦隊の艦船の大多数は損傷を受けながらも何とか旅順湾内に引き返し、再び旅順湾内に立て籠りました。 また、ロシア旅順艦隊が1904年8月10日に旅順湾から出て来た事に伴って、ロシア・ウラジオストク艦隊がロシア旅順艦隊を援護する為にウラジオストク港を出て南下しましたが、其のロシア・ウラジオストク艦隊は日本海軍によって1904年8月14日に朝鮮の蔚山(うるさん)沖で捕捉され、撃破されました(蔚山沖海戦)。 旅順湾内に立て籠ったロシア旅順艦隊は日本海軍から受けた損傷を修復できず、其の為、ロシア旅順艦隊は壊滅に近い状態でしたが、日本側は其の事を確認できずにいました。 大本営(日本軍最高司令部)は遼陽を攻略する為に日本第4陸軍を1904年6月に編成し(兵員数は不明)、野津道貫(みちつら)陸軍大将を日本第4陸軍の司令官に任命しました。 1904年8月、日本第1陸軍と日本第2陸軍と日本第4陸軍は遼陽へ迫りました。 そして、遼陽へ迫った日本陸軍と、待ち構えていたロシア陸軍との間で1904年8月24日から9月4日にかけて戦闘が起きました(遼陽の戦い)。 此の戦いに参加した兵員数は、日本側12万5000人で、ロシア側15万8000人でした。 此の戦いで日本側は2万3600人の戦死傷者を出し、ロシア側は1万7900人の戦死傷者を出しました。 ロシア陸軍の司令官クロパトキン陸軍大将は自軍を奉天に撤退させ、日本陸軍は遼陽を占領したものの、ロシア陸軍を撃破できませんでした。 1904年10月中旬、奉天に撤退・駐屯していたロシア陸軍が日本陸軍に攻撃を仕掛けてきましたが、此の攻撃は日本陸軍の防御の前に失敗しました(沙河の戦い)。 其の後、日本陸軍は遼陽を拠点とし、ロシア陸軍は奉天を拠点とし、日本陸軍とロシア陸軍は遼陽と奉天との中間辺りに陣を構えて対峙する状態になりました。 ロシア政府は1904年9月にバイカル湖南端近くのシベリア鉄道敷設困難区間を完成させ、シベリア鉄道を全線開通させました。 そして、ロシア政府はシベリア鉄道と東清鉄道本線と東清鉄道南満洲支線とを使って大量の軍人と大量の軍需品を満洲へ運びました。 一方、日本第3陸軍が始めていた旅順攻略戦は激烈を極めました。 ロシア陸軍が1901年に造り始めた旅順要塞は、主要なトーチカ(tochka(ロシア語)。鉄筋コンクリートで堅固に築かれた防御用陣地)だけで15ヶ所も有り、此れら多数のトーチカと多数の大砲とを旅順湾の周りに配備して此れらを塹壕でつないだ要塞であり、当時としては極めて堅固なものでした。 そして、旅順要塞にはロシア陸軍4万4000人が立て籠っていました。 日本第3陸軍は第1次旅順攻略戦(1904年7月26日〜)では旅順要塞への正面攻撃を行ないましたが、うまく行きませんでした。 第1次旅順攻略戦で日本第3陸軍は1万8600人の戦死傷者を出し、ロシア陸軍は7500人の戦死傷者を出しました。 日本第3陸軍による第2次旅順攻略戦(1904年9月19日〜)では旅順要塞への正面攻撃だけでなく、203高地の攻略戦も行なわれましたが、どちらもうまく行きませんでした。 第2次旅順攻略戦で日本第3陸軍は8700人の戦死傷者を出し、ロシア陸軍は7800人の戦死傷者を出しました。 日本第3陸軍は第3次旅順攻略戦(1904年11月26日〜)においても初めの内、旅順要塞への正面攻撃を行ないましたが、うまく行かず、7000人の戦死傷者を出しました。 こうした状況の中で、乃木希典司令官は旅順要塞への正面攻撃を中断し、203高地の攻略戦に重点を置く方針を採りました。 日本第3陸軍は9日間に渡る203高地攻略戦の末、1904年12月5日、203高地を完全に攻略しました。 9日間に渡る203高地攻略戦で日本第3陸軍は9900人の戦死傷者を出しました。 第3次旅順攻略戦の開始時点から203高地攻略完了時点までにおいて、日本第3陸軍は1万6900人の戦死傷者を出し、ロシア陸軍は1万7300人の戦死傷者を出しました。 日本第3陸軍は203高地に観測所を設け、旅順湾内に立て籠ったロシア旅順艦隊に対して203高地の観測所からの指示に従って砲撃を加えました。 ロシア旅順艦隊の艦船のほとんど全ては次々と被弾しました。 203高地を完全に攻略した日本第3陸軍は旅順要塞への正面攻撃を再開し、旅順要塞の主要なトーチカを次々に攻め落として行きました。 こうした状況の中で、1905年1月1日、旅順要塞の司令官ステッセリ陸軍中将は抗戦を断念し、日本第3陸軍に降伏を申し出ました。 203高地攻略完了時点からステッセリ陸軍中将の降伏申し出の時点までにおいて、日本第3陸軍は2200人の戦死傷者を出しました。 1905年1月5日、乃木希典司令官とステッセリ司令官は旅順近郊の水師営で会見し、互いの武勇や防備を称え合い、ステッセリ司令官は乃木希典司令官の息子2人の戦死を悼み、乃木希典司令官は降伏したロシア軍士官に対して武士道精神に則って帯剣を許可しました。 こうして、日本第3陸軍は第3次旅順攻略戦でようやく旅順を完全に攻略したのです。 第3次旅順攻略戦で日本第3陸軍は1万9100人の戦死傷者を出し、ロシア陸軍は1万7500人の戦死傷者を出しました。 3回に渡る旅順攻略戦で日本第3陸軍は1万5400人の戦死者を出し、ロシア陸軍は1万6000人の戦死者を出しました。 正に日本陸軍もロシア陸軍も必死の思いで戦ったのです。 旅順攻略完了後、乃木希典司令官は満洲軍総司令部(注:総司令官は大山巌元帥陸軍大将。 総参謀長は児玉源太郎陸軍大将。1904年6月に現地総司令部として設置された)から「第3陸軍の北上はゆっくりで良い」という指令を受けましたが、乃木希典司令官は1905年1月下旬に極寒の中、第3陸軍を急ぎ北上させました。 一方、先に述べたように、遼陽を拠点とする日本陸軍と奉天を拠点とするロシア陸軍は遼陽と奉天との中間辺りに陣を構えて対峙していましたが、1905年1月25日、奉天を拠点とするロシア陸軍が遼陽を拠点とする日本陸軍に大攻撃を仕掛けて来ました。 遼陽を拠点とする日本陸軍は東西方向へ大きく翼を広げたような格好で陣を構えていました。 其の日本陸軍の最西翼は一番防備の弱い所でした。 其の最西翼をロシア陸軍が9万6000人の大軍勢で襲い掛かって来たのです。 此の大攻撃を満洲軍総司令部は予想していませんでした。 満洲軍総司令部は「ロシア陸軍の動きが活発である。 大作戦の予兆がある」という報告を幾度も受けていたにもかかわらず、満洲軍総司令部は「氷点下30度にもなる此の極寒の季節にロシア陸軍が大作戦を実行する訳がない」と思い込んでいたのです。 其の所為で日本陸軍は後手(ごて)に回り、大苦戦しました。 ところが、1905年1月28日夜、ロシア陸軍の司令官クロパトキン陸軍大将は自軍を撤退させました。 其の為、日本陸軍は此の戦いで9300人の戦死傷者を出すだけで済みました(黒溝台の戦い)。 クロパトキン陸軍大将が自軍を撤退させたのは、乃木希典陸軍大将率いる日本第3陸軍の北上がクロパトキン陸軍大将の予想より遥かに早かったからである、と言われています。 黒溝台の戦いから凡そ3週間後の1905年2月21日、遼陽を拠点とする日本陸軍24万人は奉天を拠点とするロシア陸軍36万人に攻撃を仕掛けました。 2月21日から2月28日までの戦いは前哨戦でした。 1905年3月1日から遼陽を拠点とする日本陸軍は奉天を拠点とするロシア陸軍に総攻撃を仕掛け、ロシア陸軍の強力な反撃に遭いながらも進撃を続けました。 クロパトキン陸軍大将は乃木希典陸軍大将率いる日本第3陸軍によって自軍の退路が断たれる事を恐れ、1905年3月9日、自軍を撤退させました。 そして、1905年3月10日、日本陸軍は奉天を占領しました。 日本陸軍は更に進撃し、奉天から北北東80kmにある鉄嶺を占領しました(奉天の戦い)。 しかし、此の時点で日本陸軍もロシア陸軍も一連の戦いで大きな損害を受け、日本陸軍は物資・人材の補充という面で攻撃能力の限界に達し、ロシア陸軍は士気が極度に低下し、其の事で軍隊としての体(てい)を成さないほどになり、日本陸軍もロシア陸軍も攻撃を継続する事が困難になりました。 そして、日露両陸軍は鉄嶺と長春との中間辺りで日露戦争の終結時まで対峙しました。 奉天の戦いで日本陸軍は1万5900人の戦死者、5万9600人の戦傷者を出し、ロシア陸軍は8700人の戦死者、7500人の行方不明者(脱走兵など)、5万1400人の戦傷者を出しました。

ロシア政府は日本海軍との大規模な海戦に備えて1904年5月に「第2太平洋艦隊」を編成し、1905年1月に老朽艦船で「第3太平洋艦隊」を編成しました。 日本では此の2つの艦隊を纏めて「バルチック艦隊」と言っています。 ロシア政府は1904年10月にバルト海のリエパヤ港から第2太平洋艦隊を出航させ、1905年2月にリエパヤ港から第3太平洋艦隊を出航させました。 第2太平洋艦隊の艦船の内、スエズ運河を通れない大型艦船はアフリカ大陸南端の喜望峰を回り、第2太平洋艦隊の艦船の内、スエズ運河を通れる艦船はスエズ運河を通り、両部隊はマダガスカル島の北部海域で合流しました。 第3太平洋艦隊はスエズ運河を通り、第2太平洋艦隊と第3太平洋艦隊は1905年5月上旬にフランス領ベトナムのカムラン湾で合流してウラジオストクへ向かいました。 こうして、バルチック艦隊は1905年5月下旬に日本の近海に到達しました。 バルチック艦隊の艦船は最新鋭の戦艦4隻を含む戦艦8隻、巡洋艦12隻など全38隻で、其の当時、バルチック艦隊は世界最強と言われていました。 一方、日本海軍の艦船は戦艦4隻、巡洋艦23隻など全108隻でした。 1905年5月27日午後1時40分頃、対馬海峡から日本海に入った辺りの海域で日本海海戦が始まりました。 此の海戦で東郷平八郎海軍大将率いる日本海軍はバルチック艦隊に壊滅的な打撃を与えました。 此の海戦でバルチック艦隊は其の艦船の大多数が撃沈され、戦力の大部分を失いました。 バルチック艦隊の艦船の内、ウラジオストク港に到達できたのは駆逐艦2隻と巡洋艦1隻との合計3隻だけでした。 此の海戦で日本側は駆逐艦1隻が大破し、水雷艇3隻が沈没し、戦艦や巡洋艦は軽度の損傷を受けただけでした。 此の海戦でのロシア側の戦死者数は4800人余りで、日本側の戦死者数は117人でした。 そして、日本は日本海海戦での勝利により日露戦争で辛うじてロシアに勝ったのです。 其れは日本陸海軍が死力を尽くして得た勝利でした。 そして、日露戦争における日本の勝利は有色人種国が人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形で白色人種大国を負かしたという「人類史上の大事件」です。 特に、日本海軍がバルチック艦隊に壊滅的な打撃を与えた事は欧米列強政府を驚愕させたばかりか、ポーランドやフィンランドやトルコなど、ロシアの脅威に苦しんできた国々の人々を狂喜させました。 そして、日清戦争と同じく、日露戦争も朝鮮を巡る戦いでした。

1905年9月5日、日本はアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介でロシアと講和条約(ポーツマス条約)を結び、朝鮮における日本の優越権をロシアに認めさせ、樺太の南半分を譲り受け、遼東半島先端の関東州(旅順、大連)の租借権を譲り受け、ロシアが満洲に敷いた東清鉄道南満洲支線(ハルビン⇔大連)の内の長春以南の部分を譲り受けましたが、ロシアから賠償金を得る事は出来ませんでした。

もし日本がロシアによる満洲占領を容認し、ロシアを相手に戦争しなかったならば、満洲全域は確実にロシアの領土になり、李氏朝鮮はロシアの支配下に置かれ、シベリアに住んでいた白人系ロシア人が続々と李氏朝鮮に流入して定住し、朝鮮半島はロシアの領土になり、李氏朝鮮という国は消滅し、朝鮮人はロシアにおける下位劣等民族として扱われ、ロシア革命(1917年)後には、白人系ソ連人が続々と朝鮮半島に流入して定住し、朝鮮半島はソ連の一部になったでしょう。 そして、更に、朝鮮人はソ連による支配に大きな不満を持ってギャーギャーと喚(わめ)き散らし、其の為、朝鮮人はスターリンの命令によって大量殺戮され、生き残った朝鮮人は全て極寒のシベリアに強制移住させられ、朝鮮半島は白人系ソ連人だけが住む地域になったかも知れません。 もし日本がロシアによる満洲占領を容認し、ロシアを相手に戦争しなかったならば、日本ではソ連の工作員(注:ソ連人とは限らない)の盛んな工作活動でマルクス主義が蔓延し、皇室(天皇家)は潰され、マルクス主義政権が出現して、日本はマルクス主義国家になったかも知れません。(マルクス主義とは、地球的規模の共産化を達成しようとする共産主義であり、学問の衣をまとった宗教です。 別名は「マルクス教」。 教祖はカール・マルクス(1818年〜1883年)。)

もし日露戦争で日本がロシアに負けたならば、日本列島は確実にロシアの領土になり、次いで、ソ連の一部になり、皇室(天皇家)は潰され、日本は確実にマルクス主義国家にされたでしょう。 ですから、日露戦争は日本の存亡を賭けた戦いだったのです。 幸いな事に、日露戦争で日本は辛うじてロシアに勝ち、朝鮮における日本の優越権をロシアに認めさせ、満洲と朝鮮からロシア軍を追い出すことが出来ました。 そして、世界中の人々が驚きました。 東洋の有色人種の島国が白人大国ロシアを負かしたのです。 もう一度言いますが、日露戦争における日本の勝利は有色人種国が人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形で白色人種大国を負かしたという「人類史上の大事件」です。 日本の国力の10倍〜15倍の国力を持つ白人大国ロシアを日本が負かすことが出来た理由については第5章で述べましょう。

先に述べたように、日清戦争開始直前の1894年7月23日、漢城の近郊(龍山)に駐屯していた日本陸軍は李氏朝鮮王宮を強襲して占拠し、李氏朝鮮王:高宗の身柄を拘束しました。 そして、其れと同時に、日本政府は李氏朝鮮の内政改革に取り掛かりました。 其の内政改革の後続措置として、日露戦争が始まってから半年後の1904年8月、日本政府は李氏朝鮮王朝との間で「第1次日韓協約」を結び、日本政府が推薦する者を財政外交顧問として李氏朝鮮王朝内に置く事、並びに、重要な外交案件については事前に日本政府と協議する事を李氏朝鮮王朝に認めさせました。 また、同時期(1904年8月)に親日の両班によって「一進会」という政治団体が結成されました。 此の政治団体の団員数は4千人弱であった、と言われています。 日露戦争中に日本陸軍の武器・弾薬・食糧などの軍需品を満洲との国境(鴨緑江)まで輸送する為の京義鉄道(京城(漢城、ソウル)⇔新義州)を敷設する工事や、朝鮮から鴨緑江を越えて満洲へ軍需品を運搬する業務に「一進会」を介して27万人(注:延べ人数と思われる)の朝鮮人が動員された、と言われています。

● 日本政府による李氏朝鮮の外交権の掌握(1905年11月)。 日本政府による李氏朝鮮の内政権の掌握(1907年7月)。
日露戦争(1904年2月〜1905年9月)で日本は辛うじてロシアに勝ち、李氏朝鮮からロシアの影響力を何とか排除しました。 日本は日露戦争での勝利により「李氏朝鮮に対する日本の保護国としての権利」を得ました。 日本政府は李氏朝鮮の近代化を願って日露戦争後の1905年11月に李氏朝鮮王朝との間で「第2次日韓協約」を結び、李氏朝鮮の外交権を掌握し、李氏朝鮮を日本の保護国とし、1905年12月に京城(漢城、ソウル)に「韓国統監府」を設置しました。 そして、元老の伊藤博文が初代の韓国統監に就任しました。「一進会」は1906年から「韓日合邦」(大韓帝国と日本との対等な合併)を主張するようになりました。「一進会」は「朝鮮は日本と比べてとても貧乏であり、生産技術も資源も全く無いのだから、朝鮮は日本の援助無しでは近代化できない。 韓日合邦こそが朝鮮を近代化する為の唯一の道だ」と考えていました。 韓国統監:伊藤博文は「朝鮮の文化は日本の文化とは根本的に異なるのだから、日本が朝鮮の為を思って、どんなに頑張っても、朝鮮は日本並みにならない」と思い、李氏朝鮮を併合する事に反対していました。 一方、李氏朝鮮王:高宗は第2次日韓協約に反対し、自国の外交権の回復を欧米列強政府に訴えようとして、1907年6月にオランダのハーグで開催された第2回万国平和会議に密使を派遣しました。 しかし、第2次日韓協約は欧米列強政府が承認した国際法でしたので、高宗によって派遣された密使の万国平和会議への参加は欧米列強政府によって拒否されました。 此の事件を受けて、日本政府は1907年7月に李氏朝鮮王朝との間で「第3次日韓協約」を結び、李氏朝鮮の内政権を掌握しました。 そして、日本政府による李氏朝鮮の内政権掌握に対して抗日運動が起きました。

     韓国統監府
  

● 1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府は李氏朝鮮併合1年前の1909年に李氏朝鮮の奴隷制度を無くす政策に取り掛かった。
先に述べたように、李氏朝鮮(1392年〜1910年)の社会は、朝鮮人全体の7%を占める「王族を含めた「両班」階級」と、朝鮮人全体の50%を占める「常民」階級と、朝鮮人全体の43%を占める「奴婢」階級とで構成されていました。「常民」は農業・漁業・商業・手工業に従事する人々であり、「常民」の大多数は農民でした。「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、李氏朝鮮の王族や上級両班の所有物であり、売買・贈与・相続の対象であり、家畜同然の存在でした。「奴婢」の所有者である李氏朝鮮の王族や上級両班が「奴婢」を殺しても、罪になりませんでした。 李氏朝鮮の奴隷制度はインドのカースト制度に匹敵するものでした。 1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府は李氏朝鮮併合1年前の1909年に「李氏朝鮮に戸籍制度を導入し、姓を持つ事を許されていなかった「奴婢」にも姓を持たせ、戸籍に身分を記載する事なく登録させるという改革」(「奴婢」を奴隷の身分から開放し、李氏朝鮮の奴隷制度を無くすだけでなく、李氏朝鮮の身分制度を無くす政策)に取り掛かりました。「奴婢」の身分解放に反対する両班は激しい抗議デモを繰り広げましたが、此の抗議デモは日本政府によって即座に鎮圧されました。 こうして、日本政府は李氏朝鮮の奴隷制度を無くしただけでなく、李氏朝鮮の身分制度を無くして李氏朝鮮の制度上の身分格差を解消しました。 奴隷の身分から解放されたばかりの「奴婢」は途方に暮れたでしょう。 何しろ、奴隷は奴隷の身分から解放されてからは自力で生計を立てなければならないのですから。 奴隷の身分から解放された「奴婢」がどれくらい喜んだかは不明です。 李氏朝鮮の身分制度が無くされ、「両班」の特権が無くなり、「両班」階級出身者が「常民」階級出身者や「奴婢」階級出身者と一緒くたにされたので、「両班」階級出身者は物凄く悔しく思い、物凄く怒り、物凄く日本を憎みました。 一方、李氏朝鮮の身分制度から解放された「常民」階級出身者は日本政府の手先になって「両班」に対する積年の恨みから「両班」階級出身者に物凄く残酷な事をするようになりました。 一方、「かつて奴婢であった者」は「両班」階級出身者に対して残酷な事をするほどの恨みを持ってなかった、と思われます。 なぜなら、「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」でしたから。

此の論述では、「両班」出身者という言葉を「身分制度の廃止により両班でなくなった人々、及び、其れらの人々の子孫」という意味で使い、「両班」階級出身者という言葉を「身分制度の廃止により「両班」階級に属せなくなった人々、及び、其れらの人々の子孫」という意味で使い、「常民」階級出身者という言葉を「常民の身分から解放された人々、及び、其れらの人々の子孫」という意味で使い、「奴婢」出身者という言葉を「奴婢の身分から解放された人々、及び、其れらの人々の子孫」という意味で使います。 また、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国で「両班」階級出身者は韓国人全体の7%を占め、「常民」階級出身者は韓国人全体の50%を占め、「奴婢」階級出身者は韓国人全体の43%を占め、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」階級出身者全体の95%ほどを占めていると仮定します。 ですから、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は韓国人の41%ほどを占めている(韓国人の41%ほどは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)である)と見なします。

日本政府が李氏朝鮮の奴隷制度を無くした事で日本統治時代において「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)との間で婚姻がどれくらい進んだか、明確な事は判りません。 日本統治時代において「常民」階級出身者は「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)を本能的に且つ直感的に識別して此の者たちを本能的に避けたのではないでしょうか。 こうした事から、日本統治時代において「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)との間で婚姻はほとんど(全くと言って良いほど)進まなかった、と思われます。 そこで、此の論述では、1948年8月15日に大韓民国が成立してからも「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との間で婚姻はほとんど進まなかったと仮定します。 また、「両班」階級出身者と「常民」階級出身者との間でも婚姻はほとんど進まなかったと仮定し、「両班」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との間の婚姻は全く無かったと仮定します。

● 日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は李氏朝鮮を近代化する為の最後の手段と考えられた。
李氏朝鮮を自立させる為に尽力してきた韓国統監:伊藤博文は1909年(明治42年)10月26日に満洲の哈爾浜(ハルビン)駅で「安重根」という朝鮮人に拳銃で撃たれて死にました。 伊藤博文に対する銃撃・殺害を受けて、「一進会」は「韓日合邦」を大々的に主張するようになりました。 其の動きに対して「韓日合邦」に反対する朝鮮人が大規模な抗日運動を起こしました。 推測になりますが、両班(上級両班、下級両班)の間で「韓日合邦」賛成派と「韓日合邦」反対派とが互いに激しく対立したのでしょう。 其の当時の「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者)は奴隷の身分から解放されたばかりであり、其の為、「韓日合邦」に賛成・反対できるほどの教養を全く持ってなく、其の当時の「常民」階級出身者ですら「韓日合邦」に賛成・反対できるほどの教養を大して持ってなかった、と思われます。 そうした状況の中で、日本国内では軍人の間で李氏朝鮮併合賛成派が優勢になり、其の為、日本政府(第2次桂太郎内閣)内でも李氏朝鮮併合賛成派が優勢になり、日本政府は1910年8月29日に李氏朝鮮王朝との間で「日朝併合条約」を締結し、日本は李氏朝鮮を併合しました。 日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は李氏朝鮮を近代化する為の最後の手段と考えられたのです。 こうして、李氏朝鮮王朝は1910年8月29日に消滅し、同日、李氏朝鮮は滅びました。 1910年9月、日本政府(第2次桂太郎内閣)は韓国統監府の建物内に朝鮮総督府を設置し、朝鮮の直轄統治に乗り出していきました。 日本政府は親日派朝鮮人と反日派朝鮮人との対立・抗争など、朝鮮内の政治的混乱を収拾する為に、朝鮮内の全ての政治団体を解散させました。「一進会」も李氏朝鮮併合直後の1910年9月に日本政府によって解散を命じられ、即座に解散しました。 また、日本政府は「韓日合邦」(李氏朝鮮と日本との対等な合併)の形ではなく、李氏朝鮮を飲み込む形で李氏朝鮮を併合した為、「一進会」の元構成員の間に失望や怒りが広まりました。「一進会」の元構成員の大多数は日本による李氏朝鮮併合に大きな失望や大きな怒りを感じ、のちの三・一独立運動(1919年3月1日)に身を投じた、と言われています。 日本による李氏朝鮮併合に大きな失望や大きな怒りを感じた「一進会」の元構成員は「李氏朝鮮と日本との対等な合併は両国の力の差から無理である」という事を理解できなかったのでしょう。

其の当時の日本政府は国際慣習法に則って李氏朝鮮併合の手続きを行ないました。 其の当時の欧米列強政府は日本による李氏朝鮮併合に反対せず、日本による李氏朝鮮併合を承認しました。 清王朝も日本による李氏朝鮮併合に反対せず、日本による李氏朝鮮併合を承認しました。 21世紀の現代においても韓国の大学には「日朝併合条約は国際法として無効である。 朝鮮は国際法として無効な日朝併合条約によって不法に植民地支配されたのだ」と主張する学者が居ます。 なぜ其の学者は其のように主張するのでしょうか。 其れは、其の学者が日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)を「悔しくて悔しくて堪らない事だ」と思っており、是が非でも「日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は不法であるという事にしたい」と思っているからです。 韓国の学者の多くや韓国政府の高級官僚の多くが同様に思っています。 国際法には条約や協約や協定や合意など(国家間の合意に基づいて決まった文書形式の約束)と国際慣習法(国際慣習に基づいて作られた国際的な約束)とが有ります。「日朝併合条約は国際法として無効である」という主張は「日朝併合条約は無効な条約である」という事を意味します。「無効な条約」とは「効力の無い約束」です。「効力の無い約束」というのは奇妙な概念です。 朝鮮人がする約束には効力が無いのでしょうか。 約束には効力があるものです。 朝鮮人は「約束は守るべきものである」という理念を理解できないのでしょうか。 まあ、其れはさて置き、東京大学にも「日朝併合条約は国際法として無効である」という事を立証しようと思って一所懸命に調査・研究している教授が居るそうです。 日朝併合条約が締結された当時、弱い国が強い国の意向により扱われるのは世界標準に則った事でした。 今の時代の世界標準で昔の事を判断・評価するのは馬鹿げています。「日朝併合条約は国際法として無効である」という事を立証しようと思って一所懸命に調査・研究している東京大学教授は朝鮮人特有の精神世界に生きているのであり、在日朝鮮人であるか、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人であるか、のどちらかでしょう。「櫻井よしこ オフィシャルサイト 韓国の対日歴史戦の背後に日本人」(https://yoshiko-sakurai.jp/2017/08/31/7002)を是非ご覧になってください。

1926年、朝鮮総督府庁舎は李氏朝鮮の王宮があった敷地の中に新築されました。

    朝鮮併合当初の朝鮮総督府庁舎     1926年に新築された朝鮮総督府庁舎
    

因みに、1926年に新築された朝鮮総督府庁舎は右派の金泳三政権(1993年2月〜1998年2月)によって1996年に取り壊されました。

● 朝鮮人の大多数は朝鮮併合を歓迎し、朝鮮併合を喜んだ。
朝鮮併合時(1910年8月29日)には小規模なゲリラ隊による反抗があっただけで、大規模な暴動は起きませんでした。 朝鮮人の大多数は日本に従順でした。 朝鮮人の大多数は朝鮮併合を歓迎し、朝鮮併合を喜びました。 朝鮮人の大多数は大人しく日本政府の政策に従い、率先して日本人名を使う者がたくさん出て来ました。 朝鮮併合により朝鮮は日本の一部(外地)になり、朝鮮人の全ては日本国籍を与えられ、朝鮮人は日本人として扱われるようになったのです。 朝鮮人の大多数が此の事を喜びました。 朝鮮人の大多数が「我々朝鮮人も白人大国ロシアを負かした日本の国民になった。 我々朝鮮人も一等国民になった」と思って喜んだのです。 日露戦争で日本がロシアを負かした結果として、其の当時の満洲の南半分(南満洲)は日本の勢力圏になっていました。 其の為、多くの朝鮮人が勝手に日本人名を名乗って開拓農民として南満洲に入植しました。 彼ら朝鮮人が勝手に日本人名を名乗ったのは何故かと言うと、日本人名を名乗れば、白人大国ロシアを負かした一等国「日本」の民として威張ることが出来たからです。 創氏改名は朝鮮人の此のような「日本人として威張りたい」という思いから始まった事です。 創氏改名は届出制でした。「日帝が其の届出を強制した」と言っている韓国人や在日朝鮮人が居ますが、創氏改名は強制的に行なわれたものではありません。

● 朝鮮併合は日本株式会社による朝鮮株式会社の吸収・合併のようなものである。
日本が朝鮮を併合したのは、朝鮮を収奪の対象と見なしたからではありません。 朝鮮は極貧国でしたので、朝鮮併合が日本にとって大きな負担になることは明らかでした。 しかし、当時の日本政府は「日本をロシアの脅威から守る為には、日本が朝鮮を併合して朝鮮を直轄統治し、朝鮮の近代化を図り、朝鮮の経済を発展させ、朝鮮の国力を高める事が必要だ」と考えて朝鮮を併合したのです。 日本はあえて「朝鮮」という重荷を背負ったのです。 近代ヨーロッパでも、例えば、ノルウエー&スウェーデン、ノルウエー&デンマーク、オーストリア&ハンガリー、チェコ&スロバキア、などが同君併合国家を作った事で知られています。 併合国家を作る事は国を建て直す為の有効な方策でした。

日本が朝鮮を併合した事は、或る会社が、破産状態にある別の会社を吸収・合併して建て直す事に似ていました。 言わば、日本株式会社が、破産した朝鮮株式会社を吸収・合併して建て直そうとしたのです。 此のような吸収・合併の際、日本株式会社は、朝鮮株式会社を経済的に支援するだけでなく、様々な人材を送り込んで技術や経営の指導に当たります。 そうやって会社を建て直していくのです。 其れと同じような事が日本統治下の朝鮮でも行なわれたのです。 朝鮮殖産銀行の頭取として働いていた有賀光豊さんは普段から「朝鮮は、我々がお手伝いして立派な国に育て上げ、其の上で本来の持ち主に返すべきだ」という信念で働いていました。 此の人は朝鮮をして経済的に自立させたいと願っていたのです。 此の願いは其の当時の朝鮮で働いていた日本人の大多数の共通観念だったのです。 第1章で紹介した朝鮮人の李萬甲さんも日本統治時代を振り返って次のように述懐しています。
私が通っていた高等学校には、上村先生という日本人の先生がいらっしゃって、立派な方でした。 朝鮮人の生徒たちが集まった場で、上村先生がよく言ってくださった言葉があります。 それは「君たちの独立に必要なのは経済力だ」という言葉でした。

此のように、其の当時の日本人は、朝鮮が経済力を身に着けて近代的な独立国家になれるように努力していたのです。 しかし、左派日本人は概ね、次のように考えているようです。「日本は朝鮮の植民地化を目指し、江華島事件を強引に起こし、軍事力で朝鮮を無理やり開国させ、朝鮮の内政や外交に干渉し、朝鮮を侵略し続け、朝鮮を併合し、朝鮮を植民地にし、朝鮮を搾取した」。

● 日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は合法である。
「植民地」の定義を「或る国からの一時的移住者や恒久的移住者によって経済的に開発・支配される事で其の国に従属する地域」とすれば、「日本は朝鮮を併合して朝鮮を植民地にした」と言えます。 19世紀後半の李氏朝鮮は、王族内で権力抗争が渦巻き、其の為、政治が混乱し、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は国家運営能力をほとんど(全くと言って良いほど)有していませんでした。 其の当時の日本の政治家や軍人や実業家は「日本をロシアの脅威から守る為には、日露戦争での勝利によって日本が得た「李氏朝鮮に対する日本の保護国としての権利」を使って朝鮮を併合した方が良い。 朝鮮を併合して朝鮮を直轄統治し、朝鮮の近代化を図り、朝鮮の経済を発展させ、朝鮮の国力を高めよう」と考えたのです。 其の当時、欧米列強は東南アジアの国々やアフリカの国々を植民地にしていました。 其れが其の当時の世界標準だったのです。 韓国人は「日本は「日帝の我が国に対する植民地支配は不法であった」と認めよ」と主張しますが、其の当時の日本は其の当時の世界標準としての国際慣習法に則って李氏朝鮮併合の手続きを行ない、朝鮮を植民地にしたのです。 ですから、日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)は合法であり、不法ではありません。 しかも、欧米列強の植民地になっていた東南アジア諸国やアフリカ諸国では、白人が有色人種を奴隷として又は奴隷同然に扱っていましたが、日本による朝鮮植民地支配下において日本が朝鮮人を奴隷にした事は無く、日本が朝鮮人を奴隷同然に扱った事もありません。 其ればかりか、日本政府は1909年に李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くし、「奴婢」を奴隷の身分から開放したのです。 それなのに、韓国人の大多数は「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国の天然資源を奪い尽くし、我々の祖先を奴隷にした」とか「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が東南アジアを侵略し、東南アジアの人々を奴隷にし、素直に従わない者を殺すなどして、東南アジアの人々に多大な苦痛と害を与えた」とか「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にした」とか「かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にして虐殺した」とか、言いたい放題の出鱈目を言っています。

● 日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)における大きな失敗。
日本は日露戦争(1904年2月〜1905年9月)でロシアを負かしたとは言え、ロシアは日本にとって強大な脅威でした。 其の当時の日本の政治家や軍人や実業家が「日本をロシアの脅威から守る為には、日露戦争での勝利によって日本が得た「李氏朝鮮に対する日本の保護国としての権利」を使って朝鮮を併合した方が良い。 朝鮮を併合して朝鮮を直轄統治し、朝鮮の近代化を図り、朝鮮の経済を発展させ、朝鮮の国力を高めよう」と考えた事は十分に納得できます。 しかしながら、1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府が李氏朝鮮の近代化を急ぐ余り、李氏朝鮮併合1年前の1909年に李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くす政策に取り掛かり、李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くした事は日本による朝鮮植民地支配における大きな失敗であった、と思われます。 李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)は「両班」存立の基盤です。「両班」存立の基盤を無くしたら、「両班」は立つ瀬が有りません。 日本政府が「両班」存立の基盤である「李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)」を無くしたのですから、「両班」が日本を恨むのは当然です。 日本政府が「両班」存立の基盤である「李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)」を無くしたことが大韓民国の成立(1948年8月15日)以降における「韓国人の日本に対する怨念」の根源である、と思われます。 日本政府は朝鮮を日本の保護国として取り扱うに当たっては李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を其のまま残して「両班」を従来通りに「朝鮮の支配者」として扱い、「両班」をうまく使って「両班」を介して「両班」階級と「常民」階級と「奴婢」階級とをコントロールすべきであった、と思われます。

● 日本統治下の朝鮮の様子。
何度も述べますが、 19世紀後半の李氏朝鮮は、王族内で権力抗争が渦巻き、其の為、政治が混乱し、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は国家運営能力をほとんど(全くと言って良いほど)有していませんでした。 日本は其のような朝鮮を植民地にしてから僅(わず)か35年間で、朝鮮の法律、教育制度、貨幣制度、道路、港、鉄道、病院、上下水道、電力施設を整備しました。 よく知られている事ですが、朱子学は「法治主義」を標榜するものではありません。 朱子学に「法治主義」という理念は有りません。 朱子学は哲学的に体系化された正統派儒教ですので、朱子学は「法治主義」という理念を否定しています。 朱子学が信奉されて朝鮮儒教に支配されていた李氏朝鮮に「法治主義」という理念は有りませんでした。 李氏朝鮮では朱子学が国家宗教とされ、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は朱子学一色に染まっていた為、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は朱子学の枠から一歩も抜け出せず、「法治主義」を理解できませんでした。 日本政府は朝鮮の近代化を図り、朝鮮に欠けている「法治主義」を朝鮮に根付かせる為に、朝鮮の法律、教育制度、貨幣制度を整備し、更に、朝鮮の道路、港、鉄道、病院、上下水道、電力施設を整備したのです。

日本が朝鮮を併合統治(植民地支配)して行く過程において、日本は決して朝鮮を収奪の対象とは見ていませんでした。 欧米列強の植民地では例外なく原住民が奴隷として又は奴隷同然に扱われていましたが、日本は朝鮮で朝鮮人を奴隷として又は奴隷同然に扱った事はありません。 其の当時の日本政府は朝鮮に巨額の投資を行なって、朝鮮の国造りをしていきました。 日本政府は朝鮮を日本本土の延長と考えていたのです。 日本統治下の朝鮮の国土整備は朝鮮内の税収だけではとても賄(まかな)うことが出来なかった為、日本統治下の朝鮮の国土整備には内地の日本国民から集められた税金がたくさん投入されました。 日本政府は毎年、国費の1割ほどの資金を朝鮮に注ぎ込んでいったのです。「其の所為で」と言って良いでしょう、1931年(昭和6年)から1934年(昭和9年)にかけて日本の東北地方に起きた東北大飢饉に対しては十分な対策が採られず、貧困にあえぐ農家の娘の身売りが相次ぎました。

日本統治下の朝鮮の国土整備は「かつて奴婢であった者」を労働者として雇う事で行なわれました。 其の際、日本政府は彼らに日当を払いました。 そんな事は当然だと思うかも知れませんが、李氏朝鮮では労働者に日当が払われる事は無かったのです。 日本統治時代は「奴婢」にとっては奴隷身分からの解放の時代であったのです。

台湾の歴史家:黄文雄さんがお書きになった『韓国は日本人がつくった』(徳間書店)によると、朝鮮での歳出はいつも15%〜20%の赤字で、其の赤字分はいつも日本本土から補填されていました。 1924年、日本政府は京城(漢城、ソウル)に京城帝国大学(ソウル大学の前身)を設立し、朝鮮人を学生として迎え入れました。 京城帝国大学の図書館予算は東京帝国大学の10倍にも上りました。 日本政府は朝鮮全土に5200校の小学校を作り、近代教育を実施し、朝鮮人の子供にハングルを必修で学ばせ、ハングルと漢字との混用を推奨しました。 日本政府は朝鮮に道路、港、鉄道、病院、上下水道、公園、巨大なダム、水力発電所、裁判所、警察署、駐在所など、文化的な生活に必要な施設を造りました。 地租に関しても、日本国内では土地評価額の25%でしたが、朝鮮ではたったの3.8%でした。 其れほど朝鮮人の負担を軽くしたのです。 米価の設定に関しても、1941年には朝鮮の生産者の手取り価格が一石あたり50円でしたが、消費者価格は43円でした。 逆ざやです。 朝鮮の生産者からは高く買い取り、朝鮮の消費者には、買い取った値段より安く売っていたのです。 此の事1つで「日本統治下の朝鮮人が如何に手厚く保護されていたか」がお分かりになるでしょう。

日本に併合される前の李氏朝鮮は、衛生事情が甚だしく悪く、西洋医学も無かったので、毎年、多くの人が疫病で死にました。 日本による朝鮮植民地支配下において日本政府は朝鮮に多くの病院を建て、朝鮮に医学知識を普及し、朝鮮の衛生事情を改善しました。 其の結果として、疫病が猛威を振るう事は無くなりました。 日本に併合される前の李氏朝鮮は、農業も振るわず、毎年、多くの餓死者が出ました。 其の当時の朝鮮を見て回ったロシア軍人ジェロトケビッチの『朝鮮旅行記』や、フランス人キリスト教宣教師シャルル・ダレの『朝鮮事情』には、其の惨憺たる状態が描かれています。 日本人は朝鮮に巨大なダム(水豊ダム)を造って治水事業を行ない、やせた土地を開墾し、荒れ地を農地にしていきました。 日本人は朝鮮人に植林技術を教え、山に木を植えていきました。 日本人は朝鮮人に農作技術を教えていきました。 こうして、日本による朝鮮植民地支配の35年間で朝鮮における米の収穫量は3倍になり、米以外の農産物生産量も飛躍的に増大し、朝鮮の人口は日本に併合される前の2倍になりました。 朝鮮の人口は李氏朝鮮併合時(1910年)には1313万人でしたが、1944年には2512万人になったのです。 また、朝鮮人の平均寿命は李氏朝鮮併合時には25歳でしたが、1942年には45歳になりました。 もう一度言いますが、日本統治下の朝鮮の国土整備は朝鮮内の税収だけではとても賄(まかな)うことが出来なかった為、日本統治下の朝鮮の国土整備には内地の日本国民から集められた税金がたくさん投入されたのです。 日本政府が李氏朝鮮の内政権を掌握した1907年から日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が終わった1945年までに日本が朝鮮の近代化に注ぎ込んだ資金の総額は今の円で63兆円である、と言われています。

日本による朝鮮植民地支配下で朝鮮の治安は良くなり、強盗は概ね姿を消し、日本に併合される前の李氏朝鮮と比べて朝鮮の政情は遥かに安定しました。 玄永燮(日本統治下の朝鮮知識人)は「朝鮮併合により旧来の慣習は全て改められ、生命に満ち溢(あふ)れた新朝鮮に生まれ変わった」と述べました。

日本政府が設立した帝国大学を設立順に掲げます。
1. 東京帝国大学(1886年設立)
2. 京都帝国大学(1897年設立)
3. 東北帝国大学(1907年設立)
4. 九州帝国大学(1911年設立)
5. 北海道帝国大学(1918年設立)
6. 京城帝国大学(1924年設立)
7. 台北帝国大学(1928年設立)
8. 大阪帝国大学(1931年設立
9. 名古屋帝国大学(1939年設立)

京城帝国大学と台北帝国大学は大阪帝国大学や名古屋帝国大学よりも早く設立された事に注目して頂きたいと思います。 因みに、東京帝国大学・京都帝国大学・慶應義塾大学・早稲田大学などに入学し卒業した朝鮮人は少なくありません。 また、韓国の大統領を16年間も務めた朴正熙は日本統治時代に「高木正雄」という日本名を名乗り、満洲国陸軍士官学校を1944年に卒業し、大日本帝国陸軍の関東軍の士官(将校)になりました。

日本政府は京城帝国大学を1924年に設立して朝鮮での教育に力を入れましたが、日本統治時代の末期においても、朝鮮人は彼ら朝鮮人の能力だけでは自転車すら工業製品として作ることが出来ませんでした。 朝鮮人の物作り能力について解説した動画「韓国は世界一優秀なDNAの民族だ。→ 500年かけて水車すら作れないのに?」(https://www.youtube.com/watch?v=y_JofOueKf4)をご覧になってください。

日本による朝鮮植民地支配下の朝鮮で日本政府は朝鮮王族を尊重し、日本の皇族は朝鮮王族を厚遇しました。 イギリス政府がビルマ(現在のミャンマー)を植民地にした時、ビルマの王族は悲劇の運命を歩みました。 此れに対し、日本による朝鮮植民地支配下の朝鮮王族は存続しただけでなく、厚遇されていたのです。

    1936年のソウル南大門からの眺望(ソウル中心街)
  

日本による朝鮮植民地支配下の朝鮮で日本政府は日本語を公用語として普及させました。 其の結果として、「教育」「学校」「大学」「大学院」「博士」「学生」「講義」「教師」「教科書」「国語」「算数」「数学」「英語」「地理」「歴史」「美術」「音楽」「体育」「体操」「科学」「物理」「化学」「医学」「衛生」「保健」「芸術」「古典」「哲学」「倫理」「神学」「宗教」「思想」「理論」「進歩」「民主」「注意」「請願」「交通」「封建」「作用」「典型」「抽象」「広場」「想像」「文明」「石油」「現金」「国際」「出版」「電波」「警察」「栄養」「建築」「工業」「大統領」「展覧会」「農作物」「図書館」「生産」「手段」「新聞」「記者」「亜鉛」「暗示」「意訳」「演出」「温度」「概算」「概念」「概略」「会談」「会話」「回収」「改訂」「解放」「化膿」「拡散」「歌劇」「仮定」「活躍」「関係」「幹部」「観点」「間接」「寒帯」「議員」「議院」「議会」「企業」「喜劇」「基準」「基地」「擬人法」「帰納」「義務」「客観」「教養」「協会」「協定」「共鳴」「強制」「業務」「金融」「銀行」など、多数の日本語単語が朝鮮で普及しました。 そして、現在の朝鮮語の単語の7割は、日本統治時代に朝鮮全土に普及した日本語単語を朝鮮式に発音して其の発音をハングルで表記したものです。 手短に言えば、朝鮮語の単語の7割は日本語由来のものです。 殊に、学術用語や法律用語の99%以上は日本語由来のものです。 ですから、朝鮮語の単語の7割は韓国人の言う「日帝残滓(ざんし)」です。

日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が1910年8月29日に始まりました。 すると、多くの朝鮮人が貧しい朝鮮を離れ、高い給料をもらえる日本内地に我先にやって来ました。 日本内地への渡航には渡航証明書が必要でしたが、渡航証明書を持たない多くの朝鮮人が日本内地に密入国しました。 大量の朝鮮人が日本内地に入り込んだ結果として、日本内地では日本人失業者が増え、日本に密入国した朝鮮人の中には悪事を働いて犯罪者になった者が少なからず居ました。 其の為、日本政府は「此れ以上朝鮮人が日本内地に入り込んでは困る」と思い、1919年4月に渡航制限規則を設けました。 しかし其れでも、大量の朝鮮人が日本政府による渡航制限を無視して日本内地に密入国しました。 朝鮮人の日本内地への密入国は1930年代になると激増しました。 森田芳夫著『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』によると、日朝併合時代における在日朝鮮人の数は、1911年に2527人、1912年に3171人、1913年に3635人、1914年に3542人、1915年に3917人、1916年に5624人、1917年に1万4500人、1918年に2万2400人、1919年に2万6600人、(1919年4月に朝鮮人の日本内地への渡航を制限する規則が設けられましたが、此の規則は形骸化しました。) 1920年に3万0200人、1921年に3万8600人、1922年に5万3700人、関東大震災が発生した1923年に8万0400人、1924年に11万8100人、1925年に12万9900人、1926年に14万2800人、1927年に16万5300人、1928年に23万8100人、1929年に27万5200人、1930年に29万8100人、1931年に31万1200人、1932年に39万0500人、1933年に45万6200人、1934年に53万7700人、1935年に62万5700人、1936年に69万0500人、1937年に73万5700人、1938年に79万9900人、1939年に96万7600人、1940年に119万0400人、1941年に146万9200人、1942年に162万5000人、1943年に188万2400人、1944年に193万6800人でした。 そして、今の韓国人は「自ら望んで日本内地に働きに行った朝鮮人男性」を「日帝によって朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた朝鮮人男性だ」と自分勝手に解釈しています。 そして、「日帝によって多くの朝鮮人男性が朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた」と主張し、此の主張を「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題としてギャーギャーと喚(わめ)いています。

李氏朝鮮の「奴婢」は、マルクス主義の用語を使って言えば、全くの無産階級でした。(「無財階級」と言った方が良さそうです。 なぜなら、彼らだって子を産む事くらいは出来るのですから。) 日本政府の奴隷制度廃止政策で奴隷の身分から解放されたばかりの「奴婢」は全くの無財者であり、彼らの暮らし向きは日本統治時代に少しは良くなりましたが、「常民」階級出身者の暮らし向きも日本統治時代に良くなりましたので、身分制度が無くなった日本統治時代においても「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)は経済的にも且つ社会的にも「常民」階級出身者よりずっと下位に置かれていました。

日本による朝鮮植民地支配下で「常民」階級出身者は学校教育を受け、一通りの教養を身に着け、彼らの中には警察官や刑務所の看守になる者も居ました。「常民」階級出身の警察官(巡査)は「両班」に対する積年の恨みから「両班」階級出身者に物凄く残酷な事をした、と言われています。 日本統治下の朝鮮には民族的な一体感と言えるようなものは無かった、と見て良いでしょう。

李氏朝鮮が1876年に開国してから、日本政府が1907年に李氏朝鮮の内政権を掌握するまでの凡そ30年間で、漢城の生活環境は少しずつ良くなり、日本政府が1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握してから、京城(漢城、ソウル)の生活環境は更に良くなりましたが、京城(漢城、ソウル)以外の地域は依然として味噌っかすのような状態でした。 ですから、日本統治下の朝鮮は、此れを全体的に見れば、日本と比べてまだまだ相当に発展の遅れた地域でした。 ですから、自ら望んで朝鮮語を十分に習得して朝鮮に行って朝鮮で仕事をして生計を立てて朝鮮に永住しようと思った日本人は皆無と言っても良く、日本統治下の朝鮮で仕事をして生計を立てていた日本民間人は、李氏朝鮮の開国以降に朝鮮との貿易の為に朝鮮に居留していた日本人商人や、日本政府から派遣された事務官僚、技術官僚、警察官僚、学校の教員、日本政府の要請で朝鮮に赴いた日本企業の社員、並びに、其れらの日本人に食糧・調度品などを供給する日本人商店主くらいのものでした。

● 自ら志願して日本陸軍兵になった朝鮮人男子1万7600人余りの思い。
1937年7月7日に日本と中華民国との間で日中戦争(日華事変、支那事変)が始まりました。 日本陸軍が万里の長城の南側(中華民国)へ侵入したのです。 そして、日本陸軍は中華民国で戦域をどんどん拡大していきました。 そこで、朝鮮人男子の中には此の日本陸軍の勢いに便乗し、自ら志願して日本陸軍兵になり、日本兵と一緒に戦地に赴こうと考えた人たちが少なくなかったのです。 と言うより、多くの朝鮮人男子が我先に日本陸軍の志願兵募集に応じた、と言った方が良いでしょう。 年度毎の志願兵合格者数に対する志願者数の倍率は、1938年において7.3倍(合格者数は406人、志願者数は2946人)、1939年において20倍(合格者数は613人、志願者数は1万2348人)、1940年において27倍(合格者数は3060人、志願者数は8万4443人)、1941年において45倍(合格者数は3208人、志願者数は14万4743人)、1942年において62倍(合格者数は4077人、志願者数は25万4273人)、1943年において48倍(合格者数は6300人、志願者数は30万3394人)になりました。 此れほど多くの朝鮮人男子が自ら志願してまで日本兵と一緒に戦地に赴こうと考えたのです。 そして、朝鮮人志願兵はシナや東南アジアに派遣され、日本兵と一緒に戦いました。 彼ら朝鮮人志願兵の中には特攻隊員になって散っていった人がいましたが、シナや東南アジアに派遣された朝鮮人志願兵の大多数は現地人に対して高圧的な態度を取り、日本兵には出来ないような横暴な振る舞いをした、と言われています。 イザベラ・バードは著書『朝鮮紀行』の第36章で「だぶだぶのズボンをはき、つばが広くて破れやすい帽子をかぶり、たっぷりした袖(そで)とヒラヒラする裾(すそ)の象牙色の服を着ている普通の朝鮮人男子は概して従順で害が無い。 しかし、洋服と武器は従順で害の無い朝鮮人男子を、庶民への共感が無く、愛国心も無く、権力と役得に貪欲で、好戦的で反抗的で粗暴な人間に変えてしまう」と述べました。 日本は1945年8月15日に大東亜戦争での負けを宣言して敗戦国になりました。 すると、自ら志願して日本陸軍兵になった朝鮮人男子にとっては「日本が敗戦国になった事に伴って、朝鮮も敗戦国側になった」という事が余ほど悔しかったのでしょう。 彼ら朝鮮人男子は「第2次世界大戦において我が国は連合国の一員として日本を相手に戦った」とか「我が国は第2次世界大戦の戦勝国である」とか「日帝は第2次世界大戦の戦犯国であり、加害国である。 我が国は日本帝国主義の被害国だ」とか主張するようになりました。 今日でも、韓国人の大多数はそう思っています。 彼ら韓国人は学校の歴史の授業で其のように習ってきたのです。

因みに、朝鮮でも大東亜戦争末期の1944年(昭和19年)4月から徴兵制が実施されましたが、徴兵された朝鮮人男子の入隊は1945年1月からでしたので、徴兵された朝鮮人男子は訓練期間中に終戦を迎え、徴兵された朝鮮人男子の1人も戦地に派遣されませんでした。

● 三・一独立運動(1919年3月1日)について。
第1章で三・一独立運動について簡単に触れました。 此の独立運動について、もう少し詳しく見ておきましょう。 日本が李氏朝鮮を併合してから9年後の1919年3月1日、京城(漢城、ソウル)中心部のパゴダ公園に「両班」階級出身であると思われる学生が集まって数千人規模の集会を開き、「独立万歳」と叫ぶデモ行進を始めました。 此のデモ行進に庶民が次々に参加し、数万人規模の独立運動になった、と言われています。 此の独立運動は当初、デモ行進などの平和的な方法を採っていましたが、日が経つに連れて次第に暴動化し、同時に朝鮮全土に広まり、警察署・駐在所・村役場・小学校などが暴徒に襲われ、放火・投石・破壊・暴行・惨殺などが数多く行なわれました。 此れに対し、朝鮮総督府は警察だけでなく軍隊をも投入して其の暴動を鎮圧しました。 そして、其の暴動の中で五百数十人の朝鮮人が死にました。 1919年5月8日の時点で逮捕・送検された被疑者は1万2668名であり、其の内の3789名が不起訴処分とされて釈放され、6417名が起訴され、残りは調査中という段階でした。 1919年5月20日の時点では、一審判決が下った被告人は4026名であり、其の内で有罪判決を受けた者は3967名であり、死刑になった者や懲役15年以上の実刑になった者はいませんでした。 逮捕を免れた活動家たちは国外へ亡命し、朝鮮における独立運動は頓挫しました。 そして、此の独立運動が頓挫して以降、朝鮮人は日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)に服し、1945年の日本の敗戦に至るまで朝鮮で独立運動は起きませんでした。

● 大韓民国はアメリカのトルーマン政権(民主党、1945年4月〜1953年1月)によって作られた。
大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げたあと、北緯38度線より北側の朝鮮はソ連陸軍に占領され、北緯38度線より南側の朝鮮はアメリカ陸軍に占領されました。 そして、北緯38度線より南側の朝鮮(南朝鮮)は在朝鮮アメリカ陸軍司令部によって統治されました。 在朝鮮アメリカ陸軍司令部によって統治されていた南朝鮮では1946年11月に共産主義の「南朝鮮労働党」が結成され、共産主義勢力が台頭(たいとう)して来ました。 そして、南朝鮮全土で左派朝鮮人と右派朝鮮人とが互いに激しく対立するようになり、多くのテロ行為が発生し、南朝鮮全土は内乱状態になりました。 其の当時の南朝鮮の人々の民度は民主制で国を治められる水準には達していませんでしたが、アメリカのトルーマン政権(民主党、1945年4月〜1953年1月)は南朝鮮にアメリカ式の民主制と大統領制を導入し、「両班」出身の「李承晩」という者がアメリカのトルーマン政権を後ろ盾にして、1948年8月15日に「大韓民国」の成立を宣言し、「大韓民国」の初代大統領に就任しました。「大韓民国」の日本での通称は「韓国」で、国際的な通称は「South Korea」です。 日本政府は李氏朝鮮の近代化を願って李氏朝鮮に法治主義を根付かせようとしました。 しかし、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げたと同時に、朝鮮では法治主義が消滅した、と思われます。 在朝鮮アメリカ陸軍司令部によって統治されていた南朝鮮は、民族的な一体感と言えるようなものが無く、且つ、朝鮮人の全てが法治主義という概念を持たない状況の中で、アメリカのトルーマン政権からアメリカ式の民主制と大統領制を押し付けられ、大韓民国(韓国)が成立したのです。 そして、韓国の政治指導者の地位に就いた者は李承晩を初めとする「両班」出身者でした。 日本政府は1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握し、1909年に李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くし、両班(上級両班、下級両班)の特権を消滅させ、朝鮮を1910年8月から1945年8月まで35年間に渡って併合統治(植民地支配)しました。 其の為、大東亜戦争が終わったあとでも、「両班」階級出身者は日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)をとても悔しく思い、とても日本を憎んでいた、と思われます。 殊に、大韓民国の政治指導者の地位に就いた「両班」出身者は日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)を物凄く悔しく思い、物凄く日本を憎んでいた、と思われます。 そして、大韓民国の政治指導者の地位に就いた「両班」出身者が韓国右派政治指導者として韓国の反日(反日観念、反日活動、反日教育、反日政策)の流れを作って行くのです。 因みに、1945年から南朝鮮に駐留していたアメリカ陸軍7万人は1949年に韓国から全て撤退しました。 また、韓国の政治指導者については、韓国の政治家、韓国政府の高官、韓国の言論人、韓国の学者・大学教授、などをイメージして頂ければ良いでしょう。

● 済州島四・三事件。 麗水・順天事件。 保導連盟事件。 朝鮮戦争。 李承晩ライン。
1945年から1950年代にかけて南朝鮮で起きた重大事件を見ておきましょう。 先に述べたように、在朝鮮アメリカ陸軍司令部によって統治されていた南朝鮮では1946年11月に共産主義の「南朝鮮労働党」が結成され、共産主義勢力が台頭(たいとう)して来ました。 そして、南朝鮮全土で左派朝鮮人と右派朝鮮人とが互いに激しく対立するようになり、多くのテロ行為が発生し、南朝鮮全土は内乱状態になりました。 此れらの事から、在朝鮮アメリカ陸軍司令部によって統治されていた南朝鮮には既に相当な数の共産主義政治指導者が居た事が分かります。 大韓民国の成立(1948年8月15日)以降の彼ら共産主義政治指導者を「韓国左派政治指導者」と呼ぶ事にします。

済州島には15世紀の初め頃まで「耽羅(たんら)王国」という国がありました。 済州島は15世紀の初め頃から李氏朝鮮王朝の支配下に置かれ、其れと同時に、犯罪者と見なされた人々の流刑地になり、 李氏朝鮮王朝が1910年8月29日に消滅するまで李氏朝鮮王朝の支配下にありました。 其の為、済州島民は朝鮮本土の右派朝鮮人から酷く差別されていました。 済州島では日本の敗戦後すぐに、済州島独立運動派が南朝鮮労働党(共産主義政党)と結託し、南朝鮮労働党に支援された済州島独立運動派が1948年4月3日に武装蜂起しました。 此れに対し、南朝鮮の警察や陸軍や反共産主義を掲げる右派青年団体で構成される右派混成部隊が済州島独立運動派の弾圧に乗り出しました。 右派混成部隊は済州島独立運動派の家を襲い、男の若者たちを殺し、少女たちを2週間に渡って輪姦・虐待したあとで虐殺した、と言われています。 済州島民に対する此のような虐殺は1957年まで続きました。 此の過程で済州島民28万人の内の6万人が殺された、と言われています。 此の事件は「済州島四・三事件」と呼ばれています。 また、此の事件が発生した直後、虐殺される事を恐れた済州島民2万人が日本に密入国した、と言われています。

共産主義の南朝鮮労働党は南朝鮮の陸軍に工作員を潜入させ、反乱の機会を窺(うかが)っていました。 済州島で済州島独立運動派が起こした武装蜂起を鎮圧する為の出動を命じられた韓国陸軍部隊の内部で1948年10月19日に、部隊内に潜入していた南朝鮮労働党工作員が反乱を煽動し、他の部隊員が此れに呼応し、部隊ぐるみの反乱になりました。 李承晩大統領は反乱部隊を鎮圧する為の韓国陸軍部隊を直ちに派遣し、此の韓国陸軍部隊の派遣から1週間後に反乱部隊を鎮圧しました。 此の鎮圧は過酷を極め、反乱部隊のほかに非武装の民間人8千人が殺された、と言われています。 此の事件は「麗水・順天事件」と呼ばれています。

李承晩大統領は南朝鮮労働党を主体とする共産主義勢力を弾圧する為に、1948年12月1日に国家保安法を制定しました。 更に、李承晩大統領は南朝鮮労働党の関係者や共産主義者になる恐れが有ると思われる人々を一括管理する為の「国民保導連盟」という団体を1949年6月5日に設立し、翌年にかけて此の団体の末端組織を全国的に整えました。 南朝鮮労働党員の家族などが「此の団体に加入すれば、共産主義者として処罰されない」と勧誘されて此の団体に加入しました。 此の団体に加入すると、食糧の配給を容易に受けることが出来たので、多くの人々が食糧目当てに此の団体に加入した、と言われています。 また、李承晩政権に協力する右派民間団体が共産主義者に対する取り締まりの実績を上げようとして、南朝鮮労働党と関係無い人々を此の団体に加入させる事もあった、と言われています。 先に述べたように、1945年から南朝鮮に駐留していたアメリカ陸軍7万人は1949年に韓国から全て撤退しました。 1950年1月12日、アメリカ国務省のアチソン国務長官が「太平洋におけるアメリカの防衛線はアリューシャン列島ー日本ー沖縄ーフィリピンを結ぶ線である」との声明を発表しました。 そして、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。 ソ連政府に支援された北朝鮮軍7万5000人が国境の北緯38度線を越えてアメリカ陸軍の駐留していない韓国に攻め入ったのです。 1950年6月27日、李承晩大統領は収監中の南朝鮮労働党関係者の全員を裁判なしで殺すように命じ、更に、国民保導連盟に加入していた者全員を危険分子と見て裁判なしで殺すように命じました。 其の結果として、韓国全土で60万人から120万人の民間人が殺され、其れらの死体は排水溝や炭鉱や海に遺棄された、と言われています。 此の事件は「保導連盟事件」と呼ばれています。

北朝鮮軍の大量侵入を知った李承晩大統領は1950年6月27日午前3時に特別列車に乗り、ソウルから脱出し、自国民を置き去りにして、水原(ソウル中心部から南35kmにある町)に退避しました。 韓国に攻め入った北朝鮮軍はソ連製の最新鋭戦車T-34(240輌)などをソ連政府から供与されていました。 一方、韓国軍は戦車を持たず、対戦車砲すらほとんど(全くと言って良いほど)持ってなかった為、韓国軍は北朝鮮軍に圧倒されました。 韓国軍は李承晩大統領に指示を仰ぎ、漢江に架かる橋を、其の橋を渡っていた避難民ごと爆破し、ソウル市民を置き去りにして南へ逃げました。 北朝鮮軍は多くのソウル市民を殺害し、1950年6月28日、ソウルを支配下に置きました。 日本を占領していた連合国軍(主力はアメリカ軍)の最高司令官:マッカーサー陸軍元帥は日本に駐留していたアメリカ軍を1950年6月30日から飛行機や船で釜山に運び、韓国軍を支援しました。 ソウルを支配下に置いた北朝鮮軍は韓国軍を追撃し、韓国軍の支援に入ったアメリカ軍を撃破しながら南下しました。 李承晩は1950年7月2日に釜山に退避しました。 1950年7月7日、国連の安全保障理事会で、北朝鮮軍に対抗する為の国連軍を編成する事が決まりました。 ソ連政府は此の安全保障理事会に欠席して国連軍の編成に反対しませんでした。 そして、1950年7月8日、マッカーサー陸軍元帥が国連軍の最高司令官に任命されました。 マッカーサー陸軍元帥は日本に駐留していた連合国軍を再編成し、此れを北朝鮮軍に対抗する為の国連軍としました。 マッカーサー陸軍元帥は此の国連軍を1950年8月に釜山に上陸させました。 釜山に上陸して北進・西進した国連軍は北朝鮮軍を相手に戦いましたが、北朝鮮軍は国連軍を撃破しながら釜山へ向かって進撃し、北朝鮮軍は1950年9月上旬には釜山を中心とする半径100km以内を除いて韓国を支配下に置きました。 釜山に退避していた李承晩大統領は北朝鮮軍に追い詰められて焦ったのでしょう。 李承晩は大統領に就任して以降、強力な反日政策を行なってきたにもかかわらず、「日本の山口県に6万人規模の亡命政府を作りたい」と、図々しくも日本政府に要請しました。 マッカーサー陸軍元帥は「新たにアメリカ軍を主力とする国連軍を編成し、此の国連軍を仁川に上陸させ、韓国南部に進撃した北朝鮮軍の補給路を断ち、此の北朝鮮軍を韓国から掃討する」という作戦に取り掛かり、1950年9月15日、此の国連軍を仁川に上陸させました。 此の作戦実行は成功しました。 アメリカ軍を主力とする国連軍は韓国南部に進撃した北朝鮮軍を順調に撃破・掃討し、更に、1950年10月、北へ逃げる北朝鮮軍を追撃しながら北緯38度線を越えて北上し、1950年11月、北朝鮮と中国との国境(鴨緑江)から南へ100kmの辺りまで北朝鮮軍を掃討しました。 ところが、ちょうど其の頃、大量の中国軍が劣勢の北朝鮮軍を支援する為に、北朝鮮と中国との国境(鴨緑江)を越えて北朝鮮領内に進入しました。 そして、中国軍は国連軍に対して激しい戦闘を繰り広げました。 中国軍は大量(数十万人)の戦死者を出しながらも人海戦術(注:大兵力を動員し、大損害は覚悟の上で、数の力で敵軍を押し切ろうとする戦術)を使って圧倒的に強かったので、マッカーサー陸軍元帥は、中国東北部(満洲)で待機する中国軍に原子爆弾攻撃を加える事を主張したほどでした。 1951年2月、中国軍は北緯38度線から南へ100kmの辺りまで国連軍を押し返しました。 1951年4月、国連軍は中国軍を北緯38度線辺りまで押し返し、其れ以降、2年間余りに渡って国連軍と中国軍とは互いに北緯38度線辺りで一進一退を繰り返し、朝鮮戦争はようやく1953年7月に休戦状態になりました。 朝鮮戦争は今なお終わっていません。 そして、此の戦争でアメリカ兵3万6000人余りが戦死しました。 また、朝鮮戦争の期間中、保導連盟事件での民間人殺害から逃れようとした韓国人や、朝鮮戦争の惨禍から逃れようとした韓国人や北朝鮮人が日本に大量に密入国しました。 そして、朝鮮戦争が1953年7月に休戦状態になってからも、朝鮮戦争の惨禍から逃れようとした韓国人や北朝鮮人が日本に大量に密入国しました。 其の数は、『コリア・レポート』の創刊者・編集長:辺真一さんによると、何と総計200万人です。 其の当時の日本政府は其の密入国を容認しました。 そして、其の当時の日本政府は日本に密入国した此れらの韓国人や北朝鮮人が日本で生活して行けるように日本国民の血税をたくさん使いました。

朝鮮戦争が始まったあと、アメリカのトルーマン政権は日本に対する政策をすぐ改めました。 トルーマン政権は日本を独立国とする為にアメリカを中心とする48ヶ国と日本との間で1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約を結ばせました。 サンフランシスコ講和条約が発効する1952年4月28日の凡そ3ヶ月前の1952年1月18日、李承晩大統領は大統領令を発し、日本海に「李承晩ライン」なるものを勝手に設定し、日本領の竹島(注:男島・女島と付近の岩礁からなる)を勝手に韓国領とし、此の島を独島(ドクト)と名付けました。 其の日(1952年1月18日)から「日韓基本条約」が締結された1965年までの13年間に、韓国政府は李承晩ラインに基づいて日本漁船328隻を銃撃・拿捕し、其の銃撃・拿捕の際に日本人漁師44人を殺害し、日本人漁師3929人を韓国に連行しました。 韓国に連行された日本人漁師は6畳ほどの部屋に30人も押し込まれ、1部屋30人の1日分として与えられた桶1杯の水と甚だしく少ない食糧で毎日を過ごさなければならないなど、劣悪な監禁生活を最長で3年6ヶ月間に渡って強いられました。 そして、其のような監禁生活の中で8人の日本人漁師が死にました。 更に、韓国政府は拘束中の日本人漁師の釈放と引き換えに、日本の刑務所に収監されている韓国人受刑者の釈放を日本政府に要求して来ました。 日本政府は其の要求を受け入れ、韓国人受刑者(常習的犯罪者および重大犯罪者)472人に日本永住権を与え、彼らを釈放しました。

● 李承晩大統領(在位 1948年8月15日〜1960年4月26日)は強力な反日政策を行なった。
大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げたあと、「両班」出身の「李承晩」という者が朝鮮へ戻って来ました。 李承晩は1911年にアメリカに亡命し、1945年9月までハワイに住んでいました。 李承晩は大韓民国臨時政府(注:三・一独立運動のあと、1919年4月11日に李承晩らによって上海で結成された数十人規模の反日団体)の中心人物で、熱烈な反日主義者でした。 朝鮮人の考える「格下の日帝」が1907年7月に朝鮮人の考える「格上の朝鮮」の内政権を掌握し、1909年に朝鮮人の考える「格上の朝鮮」の身分制度(奴隷制度)を無くし、両班(上級両班、下級両班)の特権を消滅させ、朝鮮人の考える「格下の日帝」が朝鮮人の考える「格上の朝鮮」を1910年8月から1945年8月まで35年間に渡って併合統治(植民地支配)した為、大東亜戦争が終わったあとでも、「両班」階級出身者は日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)をとても悔しく思い、とても日本を憎んでいた、と思われます。 李承晩は「両班」出身者でしたので、李承晩は日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)を物凄く悔しく思い、物凄く日本を憎んでいた、と思われます。 また、日本は日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」を負かした国であり、日本は日露戦争(1904年2月10日〜1905年9月5日)で白人大国ロシアを相手に有色人種国としては人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形でロシアを負かした国であり、日本は日米戦争(1941年12月8日〜1945年8月15日)で白人超大国アメリカを相手に有色人種国としては人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形で3年9ヶ月間に渡って戦った国です。 ですから、李承晩を初めとする「両班」出身者は「我が国を不法に併合統治した日帝は超々強国であった。 今の日本は戦争に負けたとは言え、超強国である」という思いを持ち、日本を強く恐れていた、と思われます。

大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げたあと、「両班」出身者が南朝鮮を牛耳りました。 彼ら「両班」出身者は「南朝鮮の支配権を二度と手放すまい」と決意した、と思われます。 1948年8月、李承晩はアメリカのトルーマン政権から大韓民国初代大統領の座を与えられました。 トルーマン政権は李承晩大統領に強力な反日政策を行なうように唆(そそのか)しました。 そして、李承晩大統領はトルーマン政権の唆しに積極的に従って強力な反日政策を行ない、親日派韓国人の大多数を国外に追放し、反日でなければ韓国では生きられないようにしました。 李承晩大統領の強力な反日政策で韓国に居られなくなった親日派韓国人はアメリカに移住しました。 李承晩大統領は韓国の家庭や学校や職場で親日発言を禁じ、反日発言(日本に対する嘘だらけの悪口、日本に対する非難、日本に対する侮辱)だけを許しました。 そして、李承晩大統領は韓国の教育界をして「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」という嘘を学校教育で生徒・学生に教え込ませました。 此の教育を「歴史捏造反日教育」と言わせてもらいましょう。 歴史捏造反日教育によって韓国の少年少女は日本を憎むように育てられていったのです。 歴史捏造反日教育によって韓国の少年少女は「我々は日帝による被害者である」という思いや「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」などの反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を植え付けられ、「日帝による朝鮮併合統治は極めて残酷で悪辣だった」「日帝植民地支配時代には全ての朝鮮人が日本人の奴隷として働かされていた」と信じるようになりました。 また、李承晩大統領は日本文化を韓国民に知らせる事を法律で禁止しました。 また、「奴婢」出身の政治指導者は李承晩大統領の歴史捏造反日教育に便乗し、彼らなりの歴史捏造反日教育を強力に行なうようになりました。

なぜ李承晩大統領は強力な反日政策を行なったのでしょうか。 朝鮮人の「日本に対する憎しみ」には豊臣秀吉による朝鮮出兵以来の伝統が有ります。 豊臣秀吉による朝鮮出兵によって朝鮮人は「日本に対する憎しみ」を持つようになりました。 此の憎しみは現代の朝鮮人(韓国人、北朝鮮人)にも受け継がれています。 また、日本統治時代の初期(1907年〜1909年)に「両班」存立の基盤である「李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)」が朝鮮人の考える「格下の日帝」によって無くされた為、両班は立つ瀬を失い、両班は特権をも失い、更に、朝鮮人の考える「格上の朝鮮」が朝鮮人の考える「格下の日帝」によって1910年8月から1945年8月まで35年間に渡って併合統治(植民地支配)された為、大東亜戦争が終わったあとでも、「両班」階級出身者は日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)をとても悔しく思い、とても日本を憎んでいた、と思われます。 殊に、李承晩を初めとする「両班」出身者は「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」と「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」とを持っていた、と思われます。 そして、李承晩を初めとする「両班」出身者は「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」という思いを持っていた、と思われます。 今述べた3つの思い以外にも、李承晩を初めとする「両班」出身者が持っていた「日本に対する怨念」があるかも知れませんし、無いかも知れません。 いずれにしても、李承晩を初めとする「両班」出身者は「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの強い怨念を日本統治時代から持ち続けて来た、と思われます。 そして、「両班」階級出身者の中で政治に無関心であった婦女子を除いて、李承晩を初めとする「両班」出身者以外の「「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々」も「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの強い怨念を日本統治時代から持ち続けて来た、と思われます。 そこで、「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの強い怨念を「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と言わせてもらいましょう。 更に、李承晩を初めとする「両班」出身者を含めた「両班」階級出身者は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」から派生する「日本に対する強い敵対心」を日本統治時代から持ち続けて来た、と思われます。 また、先に述べたように、トルーマン政権は李承晩大統領に強力な反日政策を行なうように唆しました。 そこで、李承晩大統領は「私が強力な反日政策を打ち出せば、私は圧倒的多数の支持を得られるに違いない」と考えた、と思われます。 そして、李承晩大統領は次のように考えた、と思われます。「日本は今の時点では連合国軍に占領されているが、其の状態もいつかは解消し、日本は独立するだろう。 日本は1946年11月3日に新憲法を公布し、1947年5月3日に新憲法を施行した。 日本は新憲法の中で「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」という平和主義を掲げた。 しかし、日本は再び我が国に大きな影響力を行使しようと思って我が国の内政と外交とに干渉してくるかも知れない。 我が国が其のような日本に立ち向かうには、どうすれば良いか」。 日本は日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」を負かした国であり、日本は日露戦争(1904年2月10日〜1905年9月5日)で白人大国ロシアを相手に有色人種国としては人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形でロシアを負かした国であり、日本は日米戦争(1941年12月8日〜1945年8月15日)で白人超大国アメリカを相手に有色人種国としては人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形で3年9ヶ月間に渡って戦った国です。 ですから、李承晩を初めとする「両班」出身者は「我が国を不法に併合統治した日帝は超々強国であった。 今の日本は戦争に負けたとは言え、超強国である」という思いを持ち、日本を強く恐れていた、と思われます。 そこで、李承晩大統領は次のように考えた、と思われます。「ヤドカリが貝殻を身に着けているのと同様に我が国民の全てに「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」などの反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)という殻を身に着けさせ、我が国民の全てを反日で纏(まと)め上げ、我が国民の全てが一丸となって日本に立ち向かえるようにしよう。 我が国民の全てを其のように仕立て上げても、日本は我が国にむごい仕打ちをしないだろう。 なぜなら、日本は新憲法で平和主義を掲げているから」。 日本政府が日清戦争の開始と同時に始めた「李氏朝鮮の内政改革」において、日本政府は李氏朝鮮の近代化を願って李氏朝鮮を概ね紳士的に扱って来ました。 李承晩大統領は此の事を分かっていた、と思われます。 そして、日本は敗戦国という弱い立場に置かれていました。 そこで、李承晩大統領は次のように考えた、と思われます。「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう。 だから、敗戦国の日本を見下して徹底的に懲らしめてやろう。 たとえ日本が我が国に大きな影響力を行使しようと思わなくても、我が国民の全てに「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」などの反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)という殻を身に着けさせ、我が国民の全てに、日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を非難させる事で、日本から多くの謝罪と多くの賠償とを引き出せるに違いない」。 李承晩大統領は以上のように考えて強力な反日政策を行なったのだ、と思われます。

先に述べたように、500年間ほどに渡って続いた李氏朝鮮において、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)間の激烈な党争の過程で、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は「戦いで負かした相手を見下して徹底的に懲らしめる」という気質・性癖を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けました。「両班」出身の李承晩大統領も此の気質・性癖を遺伝子レベルで身に着けていた、と思われます。

日本政府が1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させて以来、朝鮮人は「日本に対する巨大な劣等感」を持ち続けた、と思われます。 先に述べたように、日本統治時代の末期においても、朝鮮人は彼ら朝鮮人の能力だけでは自転車すら工業製品として作ることが出来ませんでした。 そして、日本統治下の朝鮮には他国に誇れるようなものは何もありませんでした。 一方、日本は日米戦争では3年9ヶ月間に渡って白人超大国アメリカと戦った国です。 ですから、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は「日本に対する巨大な劣等感」と「日本を強く恐れる気持ち」とを持っていた、と思われます。 また、1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府は李氏朝鮮併合1年前の1909年に「両班」存立の基盤である「李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)」を無くしました。 ですから、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持っていました。 李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」と「日本を強く恐れる気持ち」とに基づいて「韓国一般庶民に日本に対する嘘だらけの悪口を言わせないでは居られない」「韓国一般庶民に日本を激しく非難させないでは居られない」という思いを持っていた、と思われます。

また、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は、朝鮮の近代化において日本が果たした役割と功績とを人目に触れさせないように頑丈な箱に仕舞い込んで厳重に封印して隠蔽しました。 更に、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は、高麗が1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になって清王朝に徹底的に支配されて来た事や、李氏朝鮮には李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の所有物としての「従順で忠実な奴隷」が沢山いた事など、高麗時代・李氏朝鮮時代の恥辱的・屈辱的な事柄を人目に触れさせないように頑丈な箱に仕舞い込んで厳重に封印して隠蔽しました。 そして、韓国の教育界では「両班」出身の政治指導者の指示により、朝鮮の近代化において日本が果たした役割と功績、並びに、高麗時代・李氏朝鮮時代の恥辱的・屈辱的な事柄を生徒・学生に教えてはいけないとされ、韓国の学校の授業では、朝鮮の近代化において日本が果たした役割と功績、並びに、高麗時代・李氏朝鮮時代の恥辱的・屈辱的な事柄は一切教えられて来ませんでした。 其の一方で、日本についてだけは「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」という嘘が学校の授業で教えられて来たのです。 此のように、彼ら「両班」出身の政治指導者は韓国の教育界を反日一色にし、韓国の教育界をして歴史捏造反日教育をさせて来たのです。 そして、「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育が進行する中で「常民」階級出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がたくさん生まれ、「奴婢」出身の政治指導者は韓国左派政治指導者として彼らなりの歴史捏造反日教育を強力に行なって来たのです。

因みに、北朝鮮政府も李承晩大統領の反日発想とほとんど同じ反日発想で北朝鮮の人々に反日教育を行なってきました。

因みに、李承晩政権の強硬派は1960年3月の大統領選挙で大規模な選挙不正を行ないました。 此の選挙不正に対して左派大学生が「李承晩は大統領選挙で大規模な不正を行なった」と主張し、ソウルを初めとして韓国の主要都市で反李承晩デモを繰り広げました。 1960年4月19日にはソウルで数万人規模のデモが行なわれ、警官隊が其のデモ隊を銃撃するなどの無茶な弾圧を実行し、186人の死者が出ました。 それで、デモ隊への無茶な弾圧に対する批判が李承晩政権内でも高まりました。 李承晩大統領は身内からの批判やアメリカ連邦政府の意向を受け入れて1960年4月26日に下野し(四月革命)、1960年5月29日に金浦空港からアメリカのハワイに亡命しました。

● 「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は自身のDNAの中に「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という「無意識の記憶」を持っている。
先に「韓国人の大多数は「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国の天然資源を奪い尽くし、我々の祖先を奴隷にした」とか「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が東南アジアを侵略し、東南アジアの人々を奴隷にし、素直に従わない者を殺すなどして、東南アジアの人々に多大な苦痛と害を与えた」とか「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にした」とか「かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にして虐殺した」とか思い込んでいます」と述べました。 此の事について詳しく述べましょう。
李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で、李氏朝鮮の「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、与えられた仕事を唯(ただ)ひたすらに行なうだけの「家畜同然の存在」でした。 李氏朝鮮の「奴婢」は其のような状況を素直に受け入れ、「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という思いを持って生き続けて来た、と思われます。 其のような思いを持って生き続けて来た「奴婢」のDNAには「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という思いが「無意識の記憶」として組み込まれた、と思われます。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は其のような「奴婢」のDNAを受け継いでおり、自身のDNAの中に「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という「無意識の記憶」を持っているのです。 そして、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」という嘘を教え込まれた「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は其のDNAに組み込まれた「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という「無意識の記憶」に導かれて「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国の王朝を滅ぼし、我々の祖先を奴隷にした筈だ」と思い込むのです。 また、「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が東南アジアを侵略した」と教え込まれた「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は其のDNAに組み込まれた「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という「無意識の記憶」に導かれて「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が東南アジアを侵略し、東南アジアの人々を奴隷にし、素直に従わない者を殺すなどして、東南アジアの人々に多大な苦痛と害を与えた筈だ」と思い込むのです。 また、「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にした」と教え込まれた「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は其のDNAに組み込まれた「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という「無意識の記憶」に導かれて「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にした筈だ」と思い込むのです。 また、「かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行した」と教え込まれた「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は其のDNAに組み込まれた「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という「無意識の記憶」に導かれて「かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にして虐殺した筈だ」と思い込むのです。 以上のように思い込んでいる「奴婢」出身者(奴婢の子孫)には事実や論理による説明や説得は無効です。 此のような思い(観念)を「妄想」と言うのです。

因みに、今の日本国内にも、橋下徹、玉川徹、テリー伊藤、など、「奴隷の平和」「奴隷の安寧」を推奨する人が少なからず居ます。 此のような人は「戦前・戦中から戦後の朝鮮戦争期にかけて日本に大量に入り込んで日本に住み着いた大量の朝鮮人」の遺伝子を受け継いでいるのではないでしょうか。 橋下徹について論じた動画「【フジテレビ激震!遂にキタぁ!『橋下徹は中国ビジネスに深く関与している!』さぁどうする橋下!】暴露したのは超有名ジャーナリスト山口敬之!『橋下氏の中国忖度発言は中国人のビジネスパートナーが喜ぶからだ』」(https://www.youtube.com/watch?v=0codq26-RIQ)をご覧になってください。

● 「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との中で李承晩大統領の強力な反日政策に素直に従ったのは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の方である。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は李承晩大統領の強力な反日政策に素直に従い、李承晩大統領の命令通りに日本を口汚く罵って日本を激しく非難するようになった。

先に述べたように、李承晩大統領は韓国の家庭や学校や職場で親日発言を禁じ、反日発言(日本に対する嘘だらけの悪口、日本に対する非難、日本に対する侮辱)だけを許しました。 李承晩政権の発足(1948年8月15日)以降、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との中で李承晩大統領の強力な反日政策に素直に従ったのは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の方である、と思われます。「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」でした。 此れと同様に「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は李承晩大統領の従順で忠実な支持者になった、と思われます。 人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた感性(感覚や感情を構築しつつ認識する能力。 感覚感情認識力。 感覚的認識力)や、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた知性(概念や推理を構築しつつ認識する能力。概念推理認識力。知的認識力)や、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた理性(倫理観や理念を構築しつつ認識する能力。正邪善悪認識力)や、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた感性・知性・理性によって構築される観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち、欲求、心情、概念、推理、意見、見解、思想、理念、倫理観、など、意識内容の全て)は容易には変化しません。

李承晩大統領に従順で忠実な支持者になった「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は李承晩大統領の強力な反日政策に素直に従い、李承晩大統領の命令通りに日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難するようになりました。「常民」階級出身者も李承晩大統領の強力な反日政策に従って日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を非難し続けて来ましたが、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「常民」階級出身者よりずっと激しく日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を非難し続けて来た、と思われます。

● 李承晩大統領の強力な反日政策は韓国歴代政権によって忠実に受け継がれた。
李承晩大統領が身内からの批判やアメリカ連邦政府の意向を受け入れて1960年4月26日に下野したあとの混乱の中で、1961年5月、朴正熙陸軍少将を指導者とする韓国陸軍将兵が軍事クーデターを起こして軍事独裁政権を立てました。 其れから2年7ヶ月後の1963年12月、朴正熙陸軍少将は韓国の第5代大統領(在位 1963年12月〜1979年10月)になりました。 朴正熙大統領について、呉善花さんは次のように述べています。「朴正熙大統領は16年間も政権を握り、言わば、独裁主義を採って来ました。 実は韓国では此の時代に歴史捏造反日教育が最も強く行なわれていました。 とにかく、「日本人は朝鮮人に対してむごいことをした」と学校の授業で徹底的に教えただけでなく、韓国マスメディアも一貫して其のような報道を行ないました」。 李承晩大統領の強力な反日政策は朴正熙大統領によって忠実に受け継がれたのです。

李承晩大統領の強力な反日政策が韓国歴代政権によって忠実に受け継がれた実例を挙げましょう。 韓国の天安にある「独立記念館」は歴史捏造反日教育の中心施設です。 此の「独立記念館」は、韓国の全斗煥大統領(在位 1980年〜1988年)が「日本による不法な植民地支配」を永久に記憶しようという意図で韓国民から寄付金を募って建設し、1987年に開いた博物館です。 此の「独立記念館」には韓国全土から多くの学生・生徒が修学旅行で見学に来ます。 其の上、此の「独立記念館」には日本からも多くの学生・生徒が修学旅行で見学に来ます。 此の「独立記念館」は7つの館に分かれており、其の中の1つに「日帝侵略館」という展示館が在ります。 此の「日帝侵略館」は、はっきり言って「日帝蛮行展示館」です。 此の「日帝侵略館」は「此れでもか、此れでもか」と、日本人の残虐行為を見せ付ける為のものであり、蝋人形を使った拷問場面の展示は歴史捏造の極みです。 拷問場面の展示は複数あり、中でも「日本人警察官」と解説されている警察官が妊娠中の朝鮮人女性の腹を引き裂いて胎児を取り出している場面は筆舌に尽くし難いものになっています。 此の「日本人警察官」と解説されている警察官は「常民」階級出身の朝鮮人警察官である、と思われます。 また、「日本軍用慰安婦」の展示説明区画では「朝鮮の若い女性のほとんど全てが挺身隊への加入という口実で騙(だま)され、日本軍用慰安婦にされ、日本軍の性奴隷にされた」と説明されています。 此の説明はとんでもない嘘です。 大雑把に考えて、1940年代前半の朝鮮には若い女性(15歳〜24歳)が250万人ほど居た、と思われます。「日本軍用慰安婦」の展示説明区画の説明は「250万人ほど居た若い朝鮮人女性のほとんど全てが挺身隊への加入という口実で騙され、日本軍用慰安婦にされ、日本軍の性奴隷にされた」と主張しているのです。 此のように、韓国人はとんでもない嘘を堂々とつけるのです。 此の「独立記念館」を見学する学生・生徒には「日本は悪い国だ」という観念が刷り込まれていき、彼らの心の中で反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が育っていくのです。

● 朴正熙政権時代(1961年〜1979年)の韓国。
ここで朴正熙政権時代の韓国を見ておきましょう。 先に述べたように、1961年5月、朴正熙陸軍少将を指導者とする韓国陸軍将兵が軍事クーデターを起こして軍事独裁政権を立てました。 其れから2年7ヶ月後の1963年12月、朴正熙陸軍少将は韓国の第5代大統領(在位 1963年12月〜1979年10月)になりました。 1965年6月22日、韓国の朴正熙政権と日本政府との間で「日韓基本条約」が締結されました。 此の条約の締結に伴って「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が締結されました。 ここからは「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」という言葉の代わりに「日韓請求権協定」という言葉を使うことにしましょう。 日韓請求権協定に基づいて、日本政府は日本が韓国内に持っていた財産の所有権の全てを放棄し、更に、日本政府は朴正熙政権に総額3億USドル相当の日本円・物品・技術を10年間に渡って分割無償供与し、総額2億USドル相当の日本円を10年間に渡って低利で貸し付けました。 此れら3億USドル相当の日本円・物品・技術と2億USドル相当の日本円との合計5憶ドル相当のものは今の円で1兆8000億円のものに相当します。 其の当時の韓国の国家予算の総額は3.5億USドル相当のものでした。 此れと比べると、日本政府からの援助資金5億USドル相当のものがどの程度のものであるかがお分かりになるでしょう。 日韓請求権協定の締結交渉の中で朴正熙政権は日本政府に「朝鮮人戦時労働者への補償金の支払方法は韓国政府に任せて欲しい。 此の補償金を韓国政府に一括して払って欲しい」と要求しました。 日本政府は其の要求を受け入れ、朝鮮人戦時労働者への補償金を3億USドル相当の無償供与(日本円・物品・技術)の中に含めて韓国政府に供与しました。 ところが、朴正熙政権は受け取った3億USドル相当の無償供与(日本円・物品・技術)のわずか5.4%だけを朝鮮人戦時労働者へ補償に使い、残りの94.6%(日本円・物品・技術)と2億USドル相当の低利貸し付け日本円とで浦項製鉄所や京釜高速道路や昭陽江ダムや漢江鉄橋や嶺東火力発電所を建設しました。 しかし、日本の製鉄会社(八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管)の無償技術供与・無償技術指導の下で作られた浦項製鉄所の幹部たちは無償技術供与・無償技術指導してくれた日本企業に何の感謝もしませんでした。 また、朴正熙政権は1964年から1972年まで自ら進んでベトナムに韓国陸軍を派遣し、ベトナム戦争でアメリカ軍に加担しました。 朴正熙政権は1964年に2千人の韓国兵を、1965年から1972年までは毎年2万人〜5万人の韓国兵をベトナムに派遣しました。 アメリカ連邦政府は、朴正熙政権が韓国陸軍をベトナムに派遣した事の見返りとして、韓国製品に対する輸入規制を大幅に緩和しました。 其の為、韓国製繊維製品の対アメリカ輸出が激増し、韓国の繊維産業が急成長しました。 更に、アメリカ連邦政府は、朴正熙政権が韓国陸軍をベトナムに派遣した事の見返りとして、韓国に多額の軍事援助を行ないました。 其の為、朴正熙政権は普通ならば国防費に当てる国費を重工業育成費に当てることが出来ました。 更に、朴正熙政権は三星・現代・韓進・大宇などの財閥を意図的に作り出し、朴正熙政権の庇護下で急成長させ、「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」という言葉を国家的規模のスローガンにしました。 其の為、韓国は官民を挙げてベトナム戦争特需に群がりました。 朴正熙政権がベトナム派兵を開始した1964年からベトナム戦争が終わった1975年までの11年間で、韓国のGNP(Gross National Product、国民総生産)は14倍になり、韓国の年間輸出総額は29倍になりました。 此の間の韓国経済の年平均成長率は10%ほどでした。 こうして、韓国経済は1960年代から1980年代前半にかけて指数関数的に且つ急激に成長し、高高度成長を成し遂げました。 韓国政府は此の経済発展を「漢江の奇跡」と称し、学校の授業で「此の奇跡の発展は100%我々韓国人の能力によるものだ」と教えて来ました。 韓国経済は1980年代においても9%弱の年平均成長率を見せ、1990年代においても1997年7月のアジア通貨危機まで9%弱の年平均成長率を見せました。 また、韓国政府は日韓請求権協定の内容を2005年まで自国民に知らせませんでした。 2005年以降においても、韓国政府は日韓請求権協定の内容を自国民に周知させようとしませんでした。 其の所為で今なお韓国人の大多数は日韓請求権協定の内容を知らず、日本による資金援助や技術援助が韓国経済の発展に大きく寄与した事を知りません。 其の為、韓国人の大多数は「韓国は高度経済成長を自らの力だけで成し遂げた」と思っています。

● 1980年5月に起きた「光州事件」(5.18民主化運動)。
朴正熙大統領は1979年10月26日にソウルで行なわれた晩餐会の席で韓国中央情報部の長官に射殺されました。 そして、翌日の1979年10月27日に済州島を除く韓国全土に戒厳令が敷かれました。 そして、朴正熙政権は総崩れになり、韓国社会で民主化の気運が一気に高まりました。 しかし、韓国陸軍少将:全斗煥と韓国陸軍少将:盧泰愚とが1979年12月12日に韓国の全軍を掌握し、次いで韓国の政治権力を掌握して軍事独裁政権を立てました。

1980年4月中旬から5月中旬にかけて首都ソウルや全羅南道の光州市で5万人ほどの学生(主として大学生)が戒厳令の解除や民主化を求めてデモを行ないました。 1980年5月17日、全斗煥・盧泰愚の率いる軍事独裁政権は戒厳令の範囲を済州島を含む韓国全土に拡大しました。 1980年5月18日、全斗煥・盧泰愚の率いる軍事独裁政権は金大中などの民主化運動家を逮捕し、更に、政治活動の禁止や言論・出版・放送などの事前検閲、大学の休校、などを盛り込んだ戒厳令を布告しました。 5月18日、全斗煥・盧泰愚の率いる軍事独裁政権によって光州市に派遣された韓国陸軍空挺部隊と韓国警察機動隊とが、光州市で軍事独裁政権に反対する学生の挑発に乗る形で、韓国陸軍空挺部隊や韓国警察機動隊に抵抗する学生集団の封じ込めに掛かりました。 1980年5月19日、韓国陸軍空挺部隊や韓国警察機動隊に抵抗する学生集団に一般市民が加勢し、学生集団と一般市民は角材、鉄パイプ、火炎瓶などを使用して韓国陸軍空挺部隊や韓国警察機動隊に抵抗し、1980年5月20日、韓国陸軍空挺部隊や韓国警察機動隊に抵抗する群衆は20万人に達しました。 1980年5月21日、韓国陸軍空挺部隊や韓国警察機動隊に抵抗する群衆は軍需工場や韓国陸軍の武器庫を襲撃して装甲車や銃器やダイナマイトなどを奪い取り、全羅南道庁を占拠しました。 1980年5月22日、韓国陸軍部隊が光州市を包囲しました。 1980年5月26日、韓国陸軍の戦車部隊が光州市内に進入しました。 1980年5月27日、光州市を包囲していた韓国陸軍兵士数千名が戦車部隊と共に光州市の中心部にまで進入して光州市全域を支配下に置きました。

● 日本による朝鮮植民地支配下においても「両班」出身者は「格差原理思想」と「朱子学流小中華思想」と「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持ち続け、妄想的自尊心を保って来た。 大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに植え付けようと思い続けて来た。

李氏朝鮮王朝が1876年(明治9年)に日本政府によって強圧的に開国させられてからも、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は彼らが以前から持っていた「格差原理思想」(「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という思い)や、彼らが以前から持っていた「朱子学流小中華思想」(「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という妄想)や、彼らが以前から持っていた「侮日の念」(「日本なんて大した国じゃない。 日本を馬鹿にしないでは居られない」という思い)を持って来ました。 更に、先に述べたように、李氏朝鮮王朝が1876年(明治9年)に日本政府によって強圧的に開国させられてから、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は日帝による被害者である」という思いと「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いとを持つようになりました。 日本による朝鮮植民地支配下においても「両班」出身者は「格差原理思想」と「朱子学流小中華思想」と「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持ち続け、妄想的自尊心を保って来たのです。 また、大韓民国の成立(1948年8月15日)前の南朝鮮には、相当な数の左派政治指導者が居ました。 彼ら左派政治指導者は「我々は日帝による被害者である」という思いを持っていた、と思われます。 彼ら左派政治指導者が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持っていたかどうか、明確な事は分かりませんが、此の論述では、「大韓民国の成立(1948年8月15日)前の南朝鮮にいた左派政治指導者も「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持っていた」と仮定します。 そして、「大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本に対する巨大な劣等感」とを持ち続けて来た」と仮定します。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに「格下の日本なんて恐ろしくない」と強がらせ、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を激しく非難させて来ました。 そして、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに植え付けようと思い続けて来たのです。

● 「両班」出身者(両班の子孫)は1950年代から「現代版格差原理思想」を持つようになった。 1980年代前半には「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が「現代版格差原理思想」を持つようになった。 1980年頃には韓国人の9割ほどが「自分は両班の子孫である」と思うようになった。「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、ソウルオリンピックが行なわれた1988年頃から「現代版小中華思想」を持つようになった。 そして、其れと同時に、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった。

先に述べたように、1645年頃に広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は格差原理思想を核心とする朝鮮儒教を身に着けました。 日本による朝鮮植民地支配下においても「両班」出身者は「格差原理思想」を持ち続けました。 しかし、大韓民国の成立(1948年8月15日)と同時にアメリカ式の民主制と大統領制が大韓民国に導入されて以降、「両班」出身者(両班の子孫)の意識が徐々に変わり、「両班」出身者(両班の子孫)は「格差原理思想」(「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という思い)に替わるものとして「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いを持つようになった、と思われます。 此の思いを「現代版格差原理思想」と言わせてもらいましょう。「両班」出身者(両班の子孫)は1950年代から「現代版格差原理思想」を持つようになった、と思われます。 そして、其の影響で1950年代から「両班」出身者以外の「「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々」も徐々に「現代版格差原理思想」を持つようになり、1980年代前半には「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が「現代版格差原理思想」を持つようになった、と思われます。「常民」階級出身の政治指導者、並びに、「奴婢」出身の政治指導者は1980年代前半から「現代版格差原理思想」を持つようになった、と思われます。

1948年8月15日に大韓民国が成立して以降、「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育が進行する中で「常民」階級出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がたくさん生まれ、彼らも徐々に「朱子学流小中華思想」を持つようになり、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、「常民」階級出身の政治指導者の大多数、並びに、「奴婢」出身の政治指導者の大多数が「朱子学流小中華思想」を持つようになった、と思われます。「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、1950年代後半以降に「日本経済の高度成長(1955年〜1973年)」と其の後の「日本の経済的繁栄」とを見て来ました。 其の過程で、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、韓国の格と日本の格との差を痛感して来た、と思われます。

大韓民国の成立(1948年8月15日)と同時に大韓民国に導入されたアメリカ式の民主制と大統領制が曲がりなりにも採用され続け、個々の韓国人が昔と比べて自己主張できるようになった状況の中で、1980年頃には韓国人の9割ほどが「自分は両班の子孫である」と思うようになった、と思われます。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)までもが「自分は両班の子孫である」と思うようになったのです。 李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で「我々は両班による被害者である」という思いを持って苦しみながら生き続けた常民の子孫や、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」として生き続けた奴婢の子孫は「自分は両班の子孫である」と思いたいのでしょう。

韓国では1961年5月から軍事独裁政権が続いていましたが、左派韓国人活動家が軍事独裁政権に反対して1987年6月に「6月民衆抗争」と呼ばれる韓国民主化運動を大規模に起こしました。 其の当時の韓国はソウルオリンピックの開催を1年後に控えていました。 其の当時の韓国軍事独裁政権は自国経済の高度成長の成果をソウルオリンピックの開催で世界中に大々的に示したいと思っていました。 そこで、韓国軍事独裁政権は「6月民衆抗争」に伴う混乱でソウルオリンピックの開催が中止になることを是非とも避けたいと思い、軍事独裁政権の廃止や大統領直接選挙制の導入や左派活動家の赦免・復権を明記した「民主化宣言」を1987年6月29日に発表しました。 ここに形式的にでも「韓国の民主化」が実現したのです。 そして、翌年の1988年にソウルオリンピックが行なわれました。 すると、韓国人の半数強が此れらの出来事で大きな自信を持って強気になりながらも、日本を恐れて虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを持つようになった、と思われます。 そして、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「朱子学流小中華思想」(「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という妄想)に替わるものとして「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想を持つようになった、と思われます。 此の妄想を「現代版小中華思想」と言わせてもらいましょう。 こうして、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、ソウルオリンピックが行なわれた1988年頃から「現代版小中華思想」を持つようになりました。 そして、其れと同時に、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と思われます。 また、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、自らが身に着けた「現代版小中華思想」を「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに植え付けたいと思うようになった、と思われます。

先に述べたように、「小中華思想」と「侮日の念」とは相互増幅関係に在ります。 此れと同様に「現代版小中華思想」と「侮日の念」とは相互増幅関係にあります。 そして、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とは相互増幅関係にある、と考えられます。 また、「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)には「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いが濃厚に含まれています。 ですから、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「現代版小中華思想」とは相互増幅関係にある、と考えられます。 ですから、「現代版小中華思想」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」との3つは相互増幅関係にある、と考えられます。「現代版小中華思想」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」との3つは三重螺旋(らせん)のように絡まり合っている、と言って良いでしょう。 尤も、三重螺旋というものは有り得ないかも知れませんが。

● 「現代版格差原理思想」と「現代版小中華思想」とから「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いが必然的に生まれてくる。

「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)と「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)とから「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いが必然的に生まれてきます。 其の意味で「現代版格差原理思想」は反日観念である、と言えます。

韓国人の9割ほどは「自分は両班の子孫である」と思っています。 そして、其のプライドから韓国人の大多数は「韓国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である」と思っており、さも当然のように「日本は韓国の弟だ」と言います。 そして、韓国人は全般的に「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」と思っています。

● 1970年代前半には韓国人の83%ほどが「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになった。 2020年の時点でも、韓国人の83%ほどは「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持っている。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに「格下の日本なんて恐ろしくない」と強がらせ、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を激しく非難させて来ました。 呉善花さんが「朴正熙大統領は16年間も政権を握り、言わば、独裁主義を採って来ました。 実は韓国では此の時代に歴史捏造反日教育が最も強く行なわれていました。 とにかく、「日本人は朝鮮人に対してむごいことをした」と学校の授業で徹底的に教えただけでなく、韓国マスメディアも一貫して其のような報道を行ないました」と述べている事から、1970年代前半には「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は「常民」階級出身者の右寄り75%ほどに「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を植え付ける事に成功し、「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てに「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を植え付ける事に成功した、と思われます。 ですから、1970年代前半には「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになった、と考えられます。 また、「両班」出身者以外の「「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々」は「両班」出身の政治指導者に指導されるまでもなく、「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を日本統治時代から持ち続けて来た、と思われます。 そして、1970年代前半以降においても、「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」を「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに植え付けようと思って来ました。

此の論述では、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国で「両班」階級出身者は韓国人全体の7%を占め、「常民」階級出身者は韓国人全体の50%を占め、「奴婢」階級出身者は韓国人全体の43%を占め、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」階級出身者全体の95%ほどを占めていると仮定します。 ですから、「常民」階級出身者の右寄り75%ほどは韓国人の37.5%ほどであり、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は韓国人の41%ほどを占めている、と見なします。 1970年代前半には「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになりました。「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々も「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を日本統治時代から持ち続けて来ました。 ですから、此れら3者を合わせて(7%×0.7+50%×0.75+43%×0.95=4.9%+37.5%+40.85%=83.25%で)、1970年代前半には韓国人の83%ほどが「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになった、と言えるでしょう。 そして、1970年代前半以降、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つ「常民」階級出身者の割合、並びに、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つ「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の割合はほとんど(全くと言って良いほど)変わっていない、と思われます。 ですから、2020年の時点でも、韓国人の83%ほどは「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持っている、と思われます。

● 此の論述における「右派韓国人」「左派韓国人」「中間派韓国人」の意味。「左派韓国人の集合=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立っている。
此の論述では、「右派韓国人」という言葉を「韓国右派政治指導者、並びに、韓国右派政治指導者になろうとする者、並びに、基本的に韓国右派政党を支持する人々」という意味で使い、「左派韓国人」という言葉を「韓国左派政治指導者、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民」という意味で使い、「中間派韓国人」という言葉を「基本的に韓国右派政党も韓国左派政党も支持しない人々」という意味で使います。 また、極左派韓国人は左派韓国人の集合に属すると仮定します。

先に述べたように、身分制度が無くなった日本統治時代においても「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)は経済的にも且つ社会的にも「常民」階級出身者よりずっと下位に置かれ、1948年8月15日に大韓民国が成立してからも「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との間で婚姻はほとんど進まず、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は経済的に且つ社会的に「常民」階級出身者より下位に置かれ、朴正熙大統領の軍事独裁政権(1963年12月〜1979年10月)の下で韓国経済が指数関数的に且つ急激に成長し、「漢江の奇跡」と称される経済発展が1980年代前半に成し遂げられていく中で、「漢江の奇跡」の美味しいところのほとんど全ては「両班」階級出身者と「常民」階級出身者とによって食べられてしまい、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴隷の子孫である」という事の不利性により「漢江の奇跡」の美味しいところをほとんど食べることが出来ず、「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が指数関数的に且つ急激に大きくなっていき、韓国の民主化の実現(1987年6月)の時点で「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が極めて大きくなっていました。 此のような状況の中で「常民」階級出身者が韓国左派政治指導者になろうとすることはほとんど(全くと言って良いほど)考えられません。 また、此のような状況の中で「両班」階級出身者が韓国左派政治指導者になろうとすることもほとんど(全くと言って良いほど)考えられません。 ですから、民主化される前の韓国社会においては、韓国左派政治指導者の99%以上、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者の99%以上は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であった、と見て良いでしょう。 また、民主化される前の韓国社会においては、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の全ては「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であった、と見て良いでしょう。 以上2つのことを纏めて、民主化される前の韓国社会においては、韓国左派政治指導者の99%以上、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者の99%以上、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の全ては「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であった、と見ることが出来ます・・・@ 。 そして、民主化される前の韓国社会においては、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の99%以上は韓国左派政治指導者であったか、又は、韓国左派政治指導者になろうとする者であったか、又は、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民であった、と見ることが出来ます・・・A 。 ですから、@とAとから、民主化される前の韓国社会においては、「(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立っていた、と見ることが出来ます。 そして、此の論述では、「左派韓国人」という言葉を「韓国左派政治指導者、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民」という意味で使います。 此の事を等号を使って書けば、「左派韓国人の集合=(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)」となります。 ですから、民主化される前の韓国社会において既に「左派韓国人の集合=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立っていた、と見ることが出来ます。 あとで詳しく述べますが、1987年6月に韓国の民主化が実現して以降、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが加速度的に増大して行き、韓国社会はひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会になり、此の物凄い競争社会の中で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)はとても不利な立場に置かれることになります。 そして、此のような状況の中で「左派韓国人の集合=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」という事が確定することになります。

韓国人という集合体は上中下3つの階層に分けられる、と思われます。 「両班」階級出身者は韓国の上位層を形成し、韓国の上位層(「両班」階級出身者)は韓国人の1割弱を占めている、と思われます。「常民」階級出身者は韓国の中位層を形成し、韓国の中位層(「常民」階級出身者)は韓国人の5割強を占めている、と思われます。 韓国の上位層・中位層に入り込んだ「奴婢」出身者(奴婢の子孫)が極少数だけ居ると思われますが、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)のほとんど全て(99%以上)は韓国の下位層を形成し、韓国の下位層は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)だけで形成されており、韓国の下位層(「奴婢」出身者)は韓国人の4割ほどを占めている、と思われます。 韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民です。 そして、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の全ては韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫)である、と見なして良いでしょう。 ですから、「韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合= 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合」が成り立っている、と見ることが出来ます。 そして、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民は文在寅大統領の岩盤支持層を形成しています。 言い換えると、韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は文在寅大統領の岩盤支持層を形成しています。 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫))は韓国左派政党に希望を託すしかないのです。 そして、1960年代に生まれて1980年代に韓国の民主化運動(1980年の光州事件、1987年の6月民衆抗争)に参加して韓国の民主化に大きく貢献したと自負する左派韓国人活動家(2020年の時点で50歳代)は韓国左派政治指導者になっています。 そして、韓国人の中でも左派韓国人(韓国左派政治指導者、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民)は極端に強固な妄想を持っています。 また、左派韓国人(韓国左派政治指導者、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民)は右派韓国人や中間派韓国人を親日韓国人と見て「土着倭寇」と称して激しく非難します。

あとで詳しく述べますが、1987年6月に韓国の民主化が実現して以降、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが加速度的に増大して行き、韓国社会はひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会になり、此の物凄い競争社会の中で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)はとても不利な立場に置かれました。 なぜなら、先に述べたように、身分制度が無くなった日本統治時代においても「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)は経済的にも且つ社会的にも「常民」階級出身者よりずっと下位に置かれ、1948年8月15日に大韓民国が成立してからも「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との間で婚姻はほとんど進まず、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は経済的に且つ社会的に「常民」階級出身者より下位に置かれ、朴正熙大統領の軍事独裁政権(1963年12月〜1979年10月)の下で韓国経済が指数関数的に且つ急激に成長していく中で、「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が指数関数的に且つ急激に大きくなっていき、韓国の民主化の実現(1987年6月)の時点で「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が極めて大きくなっていたからです。 韓国が民主化されたあとの「ひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会」の中で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)が少しでも上位に這い上がることは並大抵の事ではないのです。 ですから、若い韓国人女性の間では日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、などでの出稼ぎ売春がとても盛んです。 韓国の此のような現状については、「韓国の階層は親の経済力で固定される」という意味で「韓国は世襲階層社会である」と言われています。 小中高校時代の学業成績がとても良い「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は一流大学に入学して一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になれるかも知れませんが、其のような「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は極めて稀です。 小中高校時代の学業成績が大して良くない「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は韓国左派政党の党首になることを目指して政治活動に専念して其の分野で頭角を現して韓国左派政党の幹部や韓国左派の国会議員などの韓国左派政治指導者になろうとするでしょう。 しかし、韓国左派政治指導者になれる「奴婢」出身者(奴婢の子孫)はとても少数です。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)のほとんど全て(99%以上)は小中高校時代の学業成績が良くなく、従って、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)のほとんど全て(99%以上)は韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の一員になるほか無いのです。 ですから、一流大学に入学して一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になれるような「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は此れを無視して、「「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合 ⊂(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)」が成り立つ、と見ることが出来ます・・・@ 。 また、韓国が民主化されたあとの「ひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会」の中で「常民」階級出身者が韓国左派政治指導者になろうとすることはほとんど(全くと言って良いほど)考えられません。「両班」階級出身者が韓国左派政治指導者になろうとすることもほとんど(全くと言って良いほど)考えられません。 ですから、韓国左派政治指導者の99%以上、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者の99%以上は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)である、と見ることが出来ます。 即ち、「(韓国左派政治指導者 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合) ⊂「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立ちます・・・A 。 また、「常民」階級出身者が韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の一員になることはほとんど(全くと言って良いほど)考えられません。「両班」階級出身者が韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の一員になることもほとんど(全くと言って良いほど)考えられません。 ですから、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の全ては「奴婢」出身者(奴婢の子孫)である、と見ることが出来ます。 即ち、「韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合 ⊂「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立ちます・・・B 。 AとBとから、「(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)⊂「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立ちます・・・C 。 @とCとから、「(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立ちます・・・D 。 そして、此の論述では、「左派韓国人」という言葉を「韓国左派政治指導者、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民」という意味で使います。 此の事を等号を使って書けば、「左派韓国人の集合=(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)」となります・・・E 。 DとEとから「左派韓国人の集合=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立つのです。 此の事は次のように説明する事も出来ます。 先に述べたように、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)には、韓国の上位層・中位層に入り込んだ極少数者と韓国の下位層を形成する大多数者との2種類が在ります。 此の事を等号を使って書けば、「「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合=(韓国の上位層・中位層に入り込んだ極少数「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合 ∪ 韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合)」となります・・・F 。 そして、韓国の上位層・中位層に入り込んだ極少数「奴婢」出身者(奴婢の子孫)というのは、韓国左派政治指導者、及び、韓国左派政治指導者になろうとする者です。 言い換えると、「韓国の上位層・中位層に入り込んだ極少数「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合=(韓国左派政治指導者 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合)」となります・・・G 。 そして、先に述べたように、「韓国の下位層を形成する「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合= 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合」が成り立っています・・・H 。 GとHとをFに代入して、「「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合=(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)」が成り立ちます・・・I 。 そして、此の論述では、「左派韓国人」という言葉を「韓国左派政治指導者、並びに、韓国左派政治指導者になろうとする者、並びに、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民」という意味で使います。 此の事を等号を使って書けば、「左派韓国人の集合=(韓国左派政治指導者の集合 ∪ 韓国左派政治指導者になろうとする者の集合 ∪ 韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民の集合)」となります・・・J 。 IとJとから「左派韓国人の集合=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立つのです。

「左派韓国人の集合=「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の集合」が成り立っていますので、ここから先では「左派韓国人(奴婢の子孫)」という言葉や、「韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)」という言葉をしばしば使います。

● 韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、韓国人の74%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになった。

日本政府が1876年に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させるまで「常民」や「奴婢」は「朱子学流小中華思想」や「侮日の念」や「格差原理思想」を持ってなかった、と考えられます。 なぜなら、日本政府が1876年に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させるまで「常民」や「奴婢」は全て文盲でしたので、「常民」や「奴婢」は「朱子学流小中華思想」や「侮日の念」や「格差原理思想」を持てるほどの感性・知性を持ってなかったからです。 李氏朝鮮王朝が1876年に開国してから李氏朝鮮が1910年8月29日に日本に併合されるまでの期間においても「常民」や「奴婢」は「朱子学流小中華思想」や「侮日の念」や「格差原理思想」を持てるほどの感性・知性を持ってなかった、と考えられます。 日本による朝鮮併合統治下においても「朱子学流小中華思想」や「侮日の念」は「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に広まらなかった、と考えられますが、「格差原理思想」だけは「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間にかすかに広まった、と考えられます。 其のように考えられる理由を説明しましょう。 先に述べたように、李氏朝鮮(1392年〜1910年)の社会は、朝鮮人全体の7%を占める「王族を含めた「両班」階級」と、朝鮮人全体の50%を占める「常民」階級と、朝鮮人全体の43%を占める「奴婢」階級とで構成されていました。 そして、「両班」は官僚の役職で格付けされていました。「常民」は「両班」より下に格付けされていましたが、「常民」階級の中では個々人の格差は無く、誰もが対等でした。「奴婢」階級は「常民」階級 より下に格付けされており、「奴婢」階級は更に幾つかの階級に分かれており、各階級間で格差がありましたが、それぞれの階級の中では個々人の格差は無く、誰もが対等でした。 1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府は李氏朝鮮併合1年前の1909年に「李氏朝鮮に戸籍制度を導入し、姓を持つ事を許されていなかった「奴婢」にも姓を持たせ、戸籍に身分を記載する事なく登録させるという改革」を実行し、朝鮮の奴隷制度を無くしただけでなく、朝鮮の身分制度を無くして制度上の身分格差を解消しました。 其の為、「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差がかすかに生まれてきました。 此のような状況の中で「格差原理思想」が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間にかすかに広まった、と考えられます。 日本による朝鮮併合統治下においても「常民」階級出身者や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「朱子学流小中華思想」や「侮日の念」を持てるほどの感性・知性を持ってなかった、と考えられます。 日本による朝鮮植民地支配下において「格差原理思想」が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に大きく広まることは無かった、と思われます。 なぜなら、日本政府が「両班」出身者の好き勝手を許さず、更に、日本政府が朝鮮人全体を統制していたからです。

先に述べたように、「両班」出身者(両班の子孫)は「格差原理思想」に替わるものとして1950年代から「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)を持つようになりました。 其れに連れて、ぼんやりとした「現代版格差原理思想」が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に徐々に広まり、其の影響で「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差が徐々に現れて個々人の格差が徐々に意識されるようになり、時の経過に連れて「常民」階級出身者の50%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の10%ほどがぼんやりとした「現代版格差原理思想」を持つようになった、と思われます。 そして、其の影響で「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差が大きくなり個々人の格差が意識されるようになった、と思われます。 そして、其の影響で1970年代に「常民」階級出身者の70%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の20%ほどが割りとはっきりした「現代版格差原理思想」を持つようになった、と思われます。 そして、其の影響で「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差が割りとはっきり現れるようになった、と思われます。

韓国では1961年5月から1987年6月まで26年間に渡って軍事独裁政権が続いた為、此の期間中、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いはかなり抑えられた、と思われます。 1987年6月に韓国の民主化が実現して以降、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが加速度的に増大して行きました。 そして、韓国人は「自分を少しでも上位・格上にする為には自分の競争相手を蹴落とすことは当然である」と思うようになり、彼ら韓国人は此の思いを正当化する為に「現代版格差原理思想」を必要としました。 其の為、1987年6月に韓国の民主化が実現して以降、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが加速度的に増大するに伴って「現代版格差原理思想」が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に急激に広まり、韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、「常民」階級出身者の95%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の50%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになった、と思われます。 そして、先に述べたように、「両班」出身者(両班の子孫)は1950年代から「現代版格差原理思想」を持つようになり、1980年代前半には「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が「現代版格差原理思想」を持つようになりました。

此の論述では、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国で「両班」階級出身者は韓国人全体の7%を占め、「常民」階級出身者は韓国人全体の50%を占め、「奴婢」階級出身者は韓国人全体の43%を占め、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」階級出身者全体の95%ほどを占めていると仮定します。 先に述べたように、韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、「常民」階級出身者の95%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の50%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになり、1980年代前半には「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が「現代版格差原理思想」を持つようになっていました。 ですから、此れら3者を合わせて(7%×0.7+50%×0.95+43%×0.5=4.9%+47.5%+21.5%=73.9%で)、韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、韓国人の74%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになった、と言えるでしょう。 そして、2020年の時点でも、「現代版格差原理思想」を持っている韓国人の割合は韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃とほとんど変わっていない、と思われます。 韓国人の残り26%ほどは「現代版格差原理思想」を持ってない、と思われます。

あとで述べる事ですが、「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)は韓国人の道徳観念の重要な構成要素になっています。

韓国人の道徳観念が良く分かる動画「【海外の反応】「え!?日本ではこれが普通!?」非人道的なある行為がまかり通っている韓国と日本社会の違いは〇〇にあった…「自国ではまずありえない」とドン引き…」(https://www.youtube.com/watch?v=iCbzDmGAio4)をご覧になってください。

● 2005年頃に韓国人の83%ほどが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになった。
先にも述べましたが、日本は日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」を負かした国であり、日本は日露戦争(1904年2月10日〜1905年9月5日)で白人大国ロシアを相手に有色人種国としては人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形でロシアを負かした国であり、日本は日米戦争(1941年12月8日〜1945年8月15日)で白人超大国アメリカを相手に有色人種国としては人類史上初めて正規軍 vs 正規軍の形で3年9ヶ月間に渡って戦った国です。 ですから、李承晩を初めとする「両班」出身者は「我が国を不法に併合統治した日帝は超々強国であった。 今の日本は戦争に負けたとは言え、超強国である」という思いを持ち、日本を強く恐れていました。 敗戦後の日本は所謂「平和憲法」を維持し、正式な軍隊を持たずに諸外国に対し紳士的に振る舞って来ました。 にもかかわらず、韓国一般庶民は「日本は戦争狂である」とか「日本は戦争大国・軍事大国になろうとしている」とか「安倍政権は軍国主義の復活を夢見ている」とか「日本は戦争できる国になって再び韓国を侵略する積もりだ」とか「その内、日本人が再び韓国を併合しにやって来るかも知れない」とか、しばしば言います。 韓国一般庶民の「日本を恐れる気持ち」は、李承晩を初めとする「両班」出身者が持っていた「日本を強く恐れる気持ち」が「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で韓国一般庶民に広く浸透して行ったものである、と考えられます。

李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」という嘘を教え込まれた韓国一般庶民は教えられた通りに「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」と言っていますが、五千年の輝かしい歴史と高度な文化を持つ国は相当な強国です。 其のような強国「朝鮮」が “ 不道徳で野蛮な日帝 ” によってすんなりと併合統治(植民地支配)された事について韓国一般庶民はどのように思っているのでしょうか。 韓国一般庶民の大多数は「我が国を不法に併合統治した日帝は不道徳で野蛮な超々強国であった。 我が国は五千年の輝かしい歴史と高度な文化を持つ強国であったのに、我が国は不道徳で野蛮な超々強国の日帝によって不法に植民地支配されてしまった」と思っているのでしょう。 韓国一般庶民の大多数が持っている「我が国を不法に併合統治した日帝は不道徳で野蛮な超々強国であった」という思いは、李承晩を初めとする「両班」出身者が持っていた「我が国を不法に併合統治した日帝は超々強国であった。 今の日本は戦争に負けたとは言え、超強国である」という思いが「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で韓国一般庶民に広く浸透して行ったものである、と考えられます。 そして、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半頃から韓国人の心や頭の中で「今の日本は戦争に負けたとは言え、超強国である」という思いが徐々に稀薄になりながらも、彼ら韓国人は日本を恐れ続け、1987年6月に韓国の民主化が実現し、1988年にソウルオリンピックが行なわれて以降、韓国人の半数強が此れらの出来事で大きな自信を持って強気になりながらも、日本を恐れて虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを持つようになりました。

朝鮮戦争が1953年7月に休戦状態になって以来、彼ら韓国人は「日本に追い付き、日本を追い抜け」という「異様に強い競争心と異様に強い対抗心」を持って経済発展に励んで来ました。 そして、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、1950年代後半以降に「日本経済の高度成長(1955年〜1973年)」と其の後の「日本の経済的繁栄」とを見て来ました。 其の過程で、韓国人の大多数が日本を羨(うらや)ましく思い、日本を仰ぎ見る気持ちを持つようになった、と思われます。 1965年6月22日、韓国の朴正熙政権と日本政府との間で「日韓基本条約」が締結されて以降、韓国は日本政府や日本企業やアメリカ連邦政府から多くの援助を受け、韓国経済は1960年代から1980年代前半にかけて指数関数的に且つ急激に成長し、韓国は1980年代前半に「漢江の奇跡」と称される経済発展を成し遂げました。 此の頃より韓国人は自国のGNP(gross national product、国民総生産)と日本のGNPとをそれぞれUSドルの値に変えて比べないでは居られなくなった、と思われます。

先に述べたように、1987年6月に韓国の民主化が実現し、1988年にソウルオリンピックが行なわれて以降、韓国人の半数強が此れらの出来事で大きな自信を持って強気になりながらも、日本を恐れて虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを持つようになりました。 一方、1989年12月29日、此の年最後の取引日を迎えた東京証券取引所で日経平均株価が取引時間中に史上最高値(3万8957円)になりました。 此れは日本のバブル景気絶頂期の記録です。 此の日の日経平均株価の終値は3万8915円でした。 しかし、翌1990年に入ると、日経平均株価は急降下を始め、其れを追うように地価が下がり、雇用が減りました。 1986年に始まった「日本のバブル景気」は1990年初頭に終了したのです。 日本は1991年から長期の不景気に陥り、日本の名目GDP(Gross Domestic Product、国内総生産)(円単位)は1992年から横這いを続けました。 日本の名目GDP(USドル換算値)は円高の進行で1995年まで増大しましたが、1996年から1998年にかけては円安の進行で日本の名目GDP(USドル換算値)は25%も減少しました。 すると、此の事を知った韓国人は「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを強く持つようになり、「侮日の念」を強く持つようになりました。 日本の名目GDP(USドル換算値)の増大が止まるまで日本を仰ぎ見ていた韓国人までもがそう思うようになりました。 1995年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から大きく駆逐するようになり、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場から大きく駆逐するようになりました。 1996年、韓国はOECD(経済協力開発機構)に加盟することが出来ました。 すると、韓国民は此の事を国を挙げて喜び、「世界に羽ばたく韓国」とか「先進国クラブに加入できた韓国」とか言って自画自賛しました。 1997年7月にタイ王国の通貨:バーツの大暴落から始まったアジア通貨危機の中で、韓国も1997年11月に通貨危機に瀕しました。 此の韓国通貨危機に対して、アメリカ連邦政府は「韓国を IMF の管理下に置こう」と思って日韓通貨スワップを禁じましたが、日本政府は韓国を通貨危機から救おうと思い、日本のメガバンクをして韓国へ多額のUSドルを貸与させました。 しかし、それでも、韓国は通貨危機に陥り、韓国経済は破綻し、韓国は自らを IMF(ロンドン・シティーやニューヨーク・ウォール街を拠点とする国際金融業者の公的な顔)の管理下に置きました。 韓国政府は IMF の指示に従い、関税障壁を撤廃したり、外国資本の韓国市場への参入を大幅に自由化したり、韓国一般庶民に「たくさん借金して多くの物を買うこと」を推奨したりしました。 韓国の財閥企業は IMF の管理下で再生し、サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの製品の輸出がウォン安の流れに乗って激増し、韓国経済は7%強の年平均成長率を見せるようになり、韓国経済は順調に回復して行きました。 但し、韓国が自らを IMF の管理下に置くまでは、韓国企業は日本企業に倣(なら)って終身雇用と年功序列を採用していましたが、韓国が自らを IMF の管理下に置いてからは、韓国企業の大多数が幹部候補社員以外の45歳前後の社員に退職を勧告し、其の為、幹部候補社員以外の45歳前後の社員のほとんど全てが退職してコンビニ経営者やチキン屋などの自営業者になりました。 そして、其れだけでなく、韓国企業の大多数がアメリカ式の経営を採用し、自社の業績が悪くなくても、勤務成績で下位10%以内に入る従業員を毎年、強制的に解雇するようになりました。『デイリー新潮』の2023年12月18日付けの記事「「韓国消滅」と慌てふためく韓国人…急激に落ちる出生率は“世界ワースト1” 日本への「上から目線」は続くのか」の中で、鈴置高史さんは「これが韓国社会に及ぼした影響は図りしれません。 韓国人にとって「競争」は生き残りをかけた戦いとなったのです」と述べています。 一方、日本は1991年から始まったバブル崩壊による長期の不景気から抜け出せず、日本の名目GDP(円単位)は1992年から横這いを続け、日本の名目GDP(USドル換算値)は1999年から2000年にかけて或る程度まで回復しましたが、2001年以降、日本の名目GDP(USドル換算値)は順調に増大していく気配を見せませんでした。 すると、其のような日本経済を見た韓国人は「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを一段と強く持つようになり、「侮日の念」を一段と強く持つようになりました。 そうした状況の中で、一段と強まった「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと、一段と強まった「侮日の念」とに基づく韓国人の行動が目立つようになりました。 例えば、韓国の幼稚園では2000年頃から「独島はわが領土」という歌が幼稚園児に徹底的に教え込まれるようになりました。 2005年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から完全に駆逐し、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場からほとんど(全くと言って良いほど)駆逐し、韓国製の自動車が世界中で大量に走り回るようになり、韓国の造船業が大型船(大型タンカー、液化天然ガス運搬船、大型コンテナ船)の製造において日本の造船業を圧倒して世界一の市場占有率を誇るようになりました。 すると、韓国人の大多数が「韓国は日本に追い付いた」という妄想的自信を持つようになり、「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と更に一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に一段と強く持つようになりました。 そうした状況の中で、更に一段と強まった「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと、更に一段と強まった「侮日の念」とに基づく韓国人の行動が目立つようになりました。 例えば、呉善花さんによると、2005年には竹島問題をテーマに韓国の小中学生が作成したポスターの展示会が開かれ、韓国を模した兔(うさぎ)がお尻から日本列島の形をした大便をするポスターや、日の丸が描かれたトイレットペーパーを燃やすポスターなど、明らかに日本を侮辱する作品がたくさん展示されました。 韓国では此のようなポスターを作った小中学生が先生や親から「よくやった」「奇抜なアイデアだ」と褒められるのです。 此のような反日教育によって韓国の小中学生の大多数が「日本をどんなに馬鹿にしてもいいのだ」と思うようになり、韓国一般庶民の大多数も「日本をどんなに馬鹿にしてもいいのだ」と思うようになった、と思われます。 此のような反日教育は過激であり、此のような過激反日教育が韓国の全土を覆ったとは思いませんが、こうして、2005年頃に「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てに「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを植え付ける事に成功した、と思われます。「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々は「両班」出身の政治指導者に指導されるまでもなく、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになった、と思われます。 従って、2005年頃に「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになった、と考えられます。

此の論述では、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国で「両班」階級出身者は韓国人全体の7%を占め、「常民」階級出身者は韓国人全体の50%を占め、「奴婢」階級出身者は韓国人全体の43%を占め、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」階級出身者全体の95%ほどを占めていると仮定します。 ですから、「常民」階級出身者の右寄り75%ほどは韓国人の37.5%ほどであり、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は韓国人の40.85%を占めている、と見なします。「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々も「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになりました。 ですから、此れら3者を合わせて(7%×0.7+37.5%+40.85%=4.9%+37.5%+40.85%=83.25%で)、2005年頃に韓国人の83%ほどが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになった、と見て良いでしょう。

● 「小中華思想」という妄想が韓国人(朝鮮人)の「侮日の念」の発生源である。
考古学的に証明できる朝鮮最初の国「衛氏朝鮮」(紀元前195年頃〜紀元前108年)が紀元前195年頃に成立したと同時に前漢王朝の従属国になってから、日清戦争で日本が「清」を負かし、日清講和条約(1895年4月)で「李氏朝鮮は独立国だ」と清王朝に認めさせるまでの2000年間余りに渡って朝鮮の国々の王朝はシナ王朝に朝貢し、朝鮮の国々の支配者は自国がシナ王朝の従属国である事に甘んじて来ました。 其の結果として、朝鮮の国々の支配者は「シナ王朝が世界の中心であり、シナ王朝から遠く離れた国ほど格下の国である」と思うようになりました。 そして、朝鮮の国々の支配者にとっては「自国が上から何番目の朝貢国であるか」がとても重要でした。 なぜなら、其の順位が上であればあるほど、其の国の栄光も上位にあったからです。 其のような状況の中で、朝鮮の国々の支配者は「自国がシナ王朝の朝貢国である」という事を嫌わないばかりか、「自国は上から一番目の朝貢国でありたい」「自国はシナ王朝の第一子分でありたい」と思うようになり、「自国がシナ王朝の朝貢国である」という事を誇りにすら思うようになったのです。 此のように思うようになった朝鮮の国々の支配者から見ると、シナから海を隔てて遠いところにある日本は朝鮮の国々より格下の国であるばかりか、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥か目下の国でありました。 3世紀の歴史書『三国志』の魏志倭人伝によれば、3世紀に邪馬台国の “ 卑弥呼 ”(日本語式に書けば、“ 日巫女 ” か)が魏王朝に使者を送り、魏王朝から金印と銅鏡100枚と『親魏倭王』の称号とを授かりました。 此れとは別に5世紀前半まで日本の王朝はシナ王朝に朝貢していましたが、5世紀の雄略天皇(生年 418年、没年 479年)はシナ王朝に朝貢しないことを決断し、シナ王朝への朝貢を打ち切りました。 そして、其れ以来、日本の王朝はシナ王朝に朝貢しませんでした。 其の為、日本はシナ王朝への朝貢に関してランキング外の国になりました。 朝鮮の国々の支配者は「5世紀後半から日本の王朝がシナ王朝に朝貢しなくなった」という事を「日本の王朝がシナ王朝の子分にしてもらえなかった」という事と解釈し、心の底から「我が国はシナの第一子分である。 其の意味で我が国は小中華である。 シナから海を隔てて遠いところにある日本は我が国より格下の国であり、栄光の無い国であり、劣った国であり、遥かに目下の国であり、化外の地である。 日本の王朝はシナ王朝の子分にしてもらえなかった馬鹿な連中である。 日本人は化外の民であり、野蛮人である」と思うようになりました。 こうして、朝鮮の国々の支配者は5世紀後半から「小中華思想」という妄想を持つようになったのです。 ですから、「小中華思想」という妄想が韓国人(朝鮮人)の「侮日の念」の発生源である、と考えられます。

考古学的に証明できる朝鮮最初の国「衛氏朝鮮」(紀元前195年頃〜紀元前108年)が紀元前195年頃に成立したと同時に前漢王朝の従属国になって以降、2000年間余りに渡って朝鮮の国々の王朝はシナ王朝に朝貢し、其れに加えて、朝鮮の国々の支配者は5世紀後半から「小中華思想」という妄想を持ち続けたのです。 其の過程で朝鮮の国々の支配者は「小中華思想」という妄想と「侮日の念」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けたのです。

● 2005年頃に韓国人の83%ほどが「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった。 2020年の時点でも、韓国人の83%ほどは「現代版小中華思想」と「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持っている。「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は、韓国が日本から援助を受けて日本に助けられても、「日本にお礼を言おう」とか「日本に恩を返そう」とかいう気持ちを持たない。「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は「日本から十分な援助を受けられなかった」と感じたときには、「日本に裏切られた」と思って、日本に対する嘘だらけの悪口を言う。

先に述べたように、大韓民国の成立(1948年8月15日)と同時に大韓民国に導入されたアメリカ式の民主制と大統領制が曲がりなりにも採用され続け、個々の韓国人が昔と比べて自己主張できるようになった状況の中で、1980年頃には韓国人の9割ほどが「自分は両班の子孫である」と思うようになりました。 また、先に述べたように、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、ソウルオリンピックが行なわれた1988年頃から「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と思われます。 すると、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とが持っている「自分は両班の子孫である」という思いをうまく使って、自らが身に着けた「現代版小中華思想」を「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに植え付けようと思うようになった、と思われます。 そして、2005年頃に「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てに「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを植え付ける事に成功したのと同様に、2005年頃に「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てに「現代版小中華思想」を植え付ける事に成功した、と思われます。 そして、2005年頃に「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と思われます。「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々は「両班」出身の政治指導者に指導されるまでもなく、1990年代には「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と思われます。

此の論述では、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国で「両班」階級出身者は韓国人全体の7%を占め、「常民」階級出身者は韓国人全体の50%を占め、「奴婢」階級出身者は韓国人全体の43%を占め、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」階級出身者全体の95%ほどを占めていると仮定します。 ですから、「常民」階級出身者の右寄り75%ほどは韓国人の37.5%ほどであり、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は韓国人の41%ほどを占めている、と見なします。 2005年頃に「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々も1990年代には「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。 ですから、此れら3者を合わせて(7%×0.7+50%×0.75+43%×0.95=4.9%+37.5%+40.85%=83.25%で)、2005年頃に韓国人の83%ほどが「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と見なして良いでしょう。 そして、2005年以降、「現代版小中華思想」と「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つ「常民」階級出身者の割合、並びに、「現代版小中華思想」と「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つ「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の割合はほとんど変わっていない、と思われます。 ですから、2020年の時点でも、韓国人の83%ほどは「現代版小中華思想」と「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持っている、と思われます。

「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」と思っています。 ですから、「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は、韓国が日本から援助を受けて日本に助けられても、「日本にお礼を言おう」とか「日本に恩を返そう」とかいう気持ちを持ちません。 また、「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は「日本から十分な援助を受けられなかった」と感じたときには、「日本に裏切られた」と思って、日本に対する嘘だらけの悪口を言います。

韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、日本政府と交渉したり日本の政治家と協議したりする際には「我々は日本に徳や礼節を教えてやるのだ。 我々は日本に手を差し伸べているのだ」という高姿勢な態度で日本政府や日本の政治家と向き合い、日本政府との交渉や日本の政治家との協議が終わったあとに「我々は日本に手を差し伸べてやったのだ」という感じの見解を発表します。「我々は日本に手を差し伸べてやったのだ」と思うのは韓国の政治指導者だけではありません。 韓国一般庶民も「我々は日本に手を差し伸べてやったのだ」と主張します。 韓国の政治指導者や韓国一般庶民の此のような態度や見解や主張は彼らが身に着けている「現代版小中華思想」から来ているのです。

● 2005年頃に韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった。 しかし、其の後、韓国経済の驚異的な成長により彼らの「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」は急速に縮小して行き、其の一方で、彼らの「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」は少しも衰える事なく、2020年の時点で、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」を持っている。

先に述べたように、韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、韓国人の74%ほどが「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)を持つようになりました。 2005年頃に韓国人の83%ほどが「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)を持つようになりました。「現代版格差原理思想」と「現代版小中華思想」とを持つようになった韓国人は此の2つの思想から必然的に生まれてくる「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いに突き動かされ、彼らの考える「格下の日帝」が過去数百年間に渡って、経済においても、文化においても、彼らの考える「格上の朝鮮」よりずっと先進的であった事や、彼らの考える「格上の朝鮮」の国力(経済力、文化力)が過去数百年間に渡って、彼らの考える「格下の日帝」の国力(経済力、文化力)より遥かに劣っていた事や、1975年に彼らの考える「格下の日本」が第1回主要先進国首脳会議(先進6ヶ国(アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・イタリア・日本)の首脳が出席して1975年11月に開催された)の一員になって以来、彼らの考える「格下の日本」が主要先進国首脳会議の一員であり続けている事に関して、極めて異様な苛立ちと極めて異様な悔しさとが混ざった極めて異様な「日本の事が妬ましくて妬ましくて堪らない」という思いを持つのです。「妬(ねた)ましい」とは、恵まれた状況の中にある人を強く羨(うらや)んで憎み、且つ、強い劣等感を持つ様子です。「妬(ねた)み」とは、恵まれた状況の中にある人を強く羨んで憎む思いと強い劣等感との混合体です。 こうして、「現代版格差原理思想」と「現代版小中華思想」とを持つようになった韓国人は「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」とを持つようになりました。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに「格下の日本なんて恐ろしくない」と強がらせ、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を激しく非難させて来ました。 其の結果として、先に述べたように、1970年代前半には「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになりました。 また、1980年頃から日本文化が韓国の法律に違反する形で韓国に入り込み、日本文化を知るようになった韓国の若者は胸が苦しくなるほど日本文化を羨んで日本文化に憧れ、日本文化の優秀性と日本文化の先進性とを知るようになりました。 そして、先に述べたように、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、ソウルオリンピックが行なわれた1988年頃から「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)を持つようになりました。 そして、先に述べたように、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とが持っている「自分は両班の子孫である」という思いをうまく使って、自らが身に着けた「現代版小中華思想」を「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに植え付けようと思うようになりました。 1998年に韓国で日本文化が解禁されると、日本文化の優秀性と日本文化の先進性とが韓国で広く知られるようになり、韓国人の大多数が日本文化の優秀性と日本文化の先進性とを極めて妬ましく思うようになりました。 2005年頃に「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てに「現代版小中華思想」を植え付ける事に成功しました。「現代版小中華思想」を植え付けられた「「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全て」は「現代版小中華思想が事実に合致していない」という事に気付き、彼らの考える「格上の朝鮮」が彼らの考える「格下の日帝」によって1910年8月から1945年8月まで35年間に渡って併合統治(植民地支配)されたことが憎らしくて憎らしくて堪らなくなり、彼らの考える「格下の日本」が経済においても、文化においても、彼らの考える「格上の韓国」よりずっと先進的である事が妬ましくて妬ましくて堪らなくなり、彼らの考える「格下の日本」が主要先進国首脳会議の一員であり続けている事が妬ましくて妬ましくて堪らなくなり、「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いを持つようになりました。 こうして、2005年頃に「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「現代版小中華思想」を植え付けられたのと同時に、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と考えられます。 また、先に述べたように、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が1980年代前半に「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」とを身に着けました。 そして、「両班」階級出身者は「両班」出身の政治指導者に指導されるまでもなく、1990年代には「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。 ですから、2005年頃に「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。

先に述べたように、2005年頃に「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになりました。 「両班」階級出身者は「両班」出身の政治指導者に指導されるまでもなく、1990年代には「現代版小中華思想」を持つようになり、2005年頃に「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「現代版小中華思想」を持つようになりました。 2005年頃に「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。 ですから、此れら3つを纏めて、2005年頃に「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。

「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々は右派韓国人である、と見ることが出来ます。「常民」階級出身者の右寄り75%ほどは右派韓国人である、と思われます。「常民」階級出身者の左寄り25%ほどは中間派韓国人である、と思われます。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全ては左派韓国人です。 ですから、此の論述では、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほどが右派韓国人の全てであると仮定します。 即ち、「右派韓国人の集合=(「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々の集合 ∪「常民」階級出身者の右寄り75%ほどの集合) 」が成り立っている、と仮定します。 そして、先に述べたように、2005年頃に「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。ですから、2005年頃に右派韓国人の全て、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。 そして、此の論述では、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国で「両班」階級出身者は韓国人全体の7%を占め、「常民」階級出身者は韓国人全体の50%を占めていると仮定し、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々、並びに、「常民」階級出身者の右寄り75%ほどが右派韓国人の全てであると仮定しています。 ですから、7%×0.7+50%×0.75=4.9%+37.5%=42.4%で、右派韓国人は韓国人の42.4%を占めています。 此の論述では、「奴婢」階級出身者は韓国人全体の43%を占め、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」階級出身者全体の95%ほどを占めていると仮定しています。 ですから、右派韓国人の全てと、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全て、即ち、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てとを合わせて(42.4%+43%×0.95=42.4%+40.85%=83.25%で)、2005年頃に韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった、と考えられます。 また、先に述べたように、「常民」階級出身者の左寄り25%ほどは中間派韓国人です。 そして、「常民」階級出身者の左寄り25%ほどは韓国人の12%ほどです。 此の論述では、右派韓国人でない「「両班」階級出身者の3割ほど」(韓国人の2.1%ほど)と「常民」階級出身者の左寄り25%ほど(韓国人の12.5%ほど)と「奴婢」階級出身者の内の「奴婢の子孫でない者」(韓国人の2.15%ほど)とを併せた集合を「中間派韓国人」と見なします。 従って、中間派韓国人は韓国人の16.75%ほどを占めています。

2005年頃に韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになりました。 しかし、其の後、韓国経済の驚異的な成長により彼らの「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」は急速に縮小して行き、其の一方で、彼らの「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」は少しも衰える事なく、2020年の時点で、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」を持っている、と言って良いでしょう。 また、2022年の時点で、韓国左派政党の要人や韓国右派政党の要人は「韓国は主要先進国の一員である」との思いから「韓国のG8入り」または「韓国のG7入り」を切に望んでいます。

● 2005年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった。 2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持っている。 右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の9%ほど)は「日本に対する弱い怨念」を持っている。 韓国人の14%ほどを占める中間派韓国人は「日本に対する怨念」を大して又はほとんど(全くと言って良いほど)又は全く持ってない。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にして虐殺した」と主張し始め、此の主張を「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題として大きく取り扱うようになり、左派日本人(福島瑞穂など、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人)の支援を受けて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集(たか)ろうとし、韓国の反日を激しく煽(あお)って “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作りました。 極左派韓国人活動家の主張する「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題に一番初めに賛同したのは右派韓国人の右寄り1、2割であったろう、と思われます。 なぜなら、極左派韓国人活動家が「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大きく取り扱っても其れだけでは、左派韓国人(奴婢の子孫)は極左派韓国人活動家の主張に賛同して良いかどうかの判断力を持ってない、と思われるからです。 時の経過に連れて右派韓国人の右寄り50%ほどが極左派韓国人活動家の主張に賛同するようになると、左派韓国人(奴婢の子孫)の1、2割も極左派韓国人活動家の主張に賛同するようになり、最終的に右派韓国人の右寄り80%ほどが極左派韓国人活動家の主張に賛同するようになり、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ても極左派韓国人活動家の主張に賛同するようになった、と思われます。 極左派韓国人活動家は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大きく取り扱う中で日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けるようになり、右派韓国人の右寄り80%ほどが此の妄想的謝罪賠償要求に賛同して「日本に対する強い怨念」を持つようになり、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ても此の妄想的謝罪賠償要求に大いに賛同して「日本に対する強い怨念」を持つようになった、と思われます。 そして、更に、極左派韓国人活動家が1997年頃に「日帝によって多くの朝鮮人男性が朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた」と主張し始め、2000年頃から此の主張を「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題として大きく取り扱うようになりました。 すると、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが此の問題に賛同するようになり、右派韓国人の右寄り80%ほども此の問題に賛同するようになりました。 極左派韓国人活動家は「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大きく取り扱う中で日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けるようになり、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが此の妄想的謝罪賠償要求に大いに賛同して「日本に対する強い怨念」を持つようになり、右派韓国人の右寄り80%ほども此の妄想的謝罪賠償要求に賛同して「日本に対する強い怨念」を持つようになった、と思われます。 此の「日本に対する強い怨念」を「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」と言わせてもらいましょう。 先に述べたように、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、右派韓国人は韓国人の42.4%を占め、左派韓国人(奴婢の子孫)は韓国人の40.85%を占め、中間派韓国人は韓国人の16.75%を占めています。 ですから、右派韓国人の右寄り80%ほどは、42.4%×0.80=33.92%で、韓国人の34%ほどを占めています。 ですから、右派韓国人の右寄り80%ほどと左派韓国人(奴婢の子孫)の全てとを合わせて(34%+41%=75%で)、2005年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった、と言えるでしょう。 そして、2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持っています。 一方、右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の8.5%ほど)は「日本に対する怨念」を右派韓国人の右寄り80%ほどが持っているほどには持っていません。 と言うより、右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の8.5%ほど)は「日本に対する弱い怨念」を持っている、と言った方が分かりやすいでしょう。 また、韓国人の14%ほどを占める中間派韓国人は「日本に対する怨念」を大して又はほとんど(全くと言って良いほど)又は全く持ってない、と思われます。

● 2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っている。 韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は強い反日観念を持ってない。

2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほどは様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っており、「反日は当然で正しい事だ。 反日は正義だ」と思っています。 2020年の時点でも、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては此れらの反日観念を強固に持っており、「反日は当然で正しい事だ。 反日は正義だ」と思っています。 此の2つの事から、2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っている、と言えます。 簡潔に言えば、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は強い反日観念を持っています。 一方、右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の9%ほど)は反日観念を右派韓国人の右寄り80%ほどが持っているほどには持っていません。 と言うより、右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の9%ほど)は弱い反日観念を持っている、と言った方が分かりやすいでしょう。 韓国人の14%ほどを占める中間派韓国人は反日観念を大して又はほとんど又は全く持ってない、と思われます。 従って、韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は強い反日観念を持ってない、と言って良いでしょう。 ですから、「強い反日観念を持っている韓国人」、即ち、「右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て」を「反日韓国人」と呼ばせてもらいましょう。 すると、「2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っている」と言えるのです。 因みに、2020年の時点でも、中間派韓国人の99%以上は左派韓国人や右派韓国人の反日姿勢・反日発言を糾弾しません。 中間派韓国人の99%以上は韓国の反日について黙(だんま)りを決め込んでいます。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本に対する巨大な劣等感」とを持って来ました。 そして、「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)よりずっと強く「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)に「現代版小中華思想」と「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを植え付け、1990年以降には、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付け、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)に「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を植え付けて来たのです。

1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、左派日本人(福島瑞穂など、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人)の支援を受けて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集ろうとし、韓国の反日を激しく煽って “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作りました。 其れに連れて、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが左派韓国人活動家の展開する強力な反日活動に賛同してきた、と言えるでしょう。 但し、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」は「現代版格差原理思想」を内包している為、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」は個々の韓国人に大きな精神的ストレスを生じさせているようです。 そして、此の精神的ストレスが韓国の反日を更に強めている、と思われます。

● 2012年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなった。 2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては其のように思っている。

大東亜戦争の終結後、日本経済の高度成長に伴って、1960年代には日本製の繊維製品がアメリカに大量に流入し、1970年代には日本製の鉄鋼製品がアメリカに大量に流入し、1981年には日本の集積回路製造業は一時的記憶用集積回路(DRAM)の世界市場で70%のシェア(市場占有率)を有するようになり、日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)がアメリカに大量に流入するようになりました。 また、1980年代前半には日本製の電化製品や日本製の自動車などもアメリカに大量に流入し、アメリカの対日貿易が大赤字になり、アメリカ連邦政府は対日貿易赤字を大きく問題視するようになりました。 1985年9月22日、アメリカ連邦政府の主導で先進5ヶ国財務大臣・中央銀行総裁会議 がニューヨークのプラザホテルで行なわれました。 此の会議にはアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、日本、の財務長官・財務大臣が出席し、此の会議で円高を生じさせる為の「プラザ合意」というものが強圧的に成立しました。 そして、此の時点から1988年にかけて円高が急激に進行しました。 其の為、日本企業は自社製品の世界各国への輸出価格を上げざるを得なくなり、日本企業は自社製品を世界各国に思うように輸出できなくなって非常に苦しみました。 USドルに対する円の為替相場は、1983年に1ドル=237円、1984年に1ドル=237円、1985年に1ドル=238円、1986年に1ドル=168円、1987年に1ドル=144円、1988年に1ドル=128円、1989年に1ドル=137円、1990年に1ドル=144円、1991年に1ドル=134円、1992年に1ドル=126円、1993年に1ドル=111円、1994年に1ドル=102円、1995年に1ドル=94円、1996年に1ドル=108円、1997年に1ドル=120円、1998年に1ドル=130円、1999年に1ドル=113円、2000年に1ドル=107円、2001年に1ドル=121円、2002年に1ドル=125円、2003年に1ドル=115円、2004年に1ドル=108円、2005年に1ドル=110円、2006年に1ドル=116円、2007年に1ドル=117円、2008年に1ドル=103円、2009年に1ドル=93円、2010年に1ドル=87円、2011年に1ドル=79円、2012年に1ドル=79円、2013年に1ドル=97円、2014年に1ドル=105円、2015年に1ドル=121円、2016年に1ドル=108円、2017年に1ドル=112円、2018年に1ドル=110円、2019年に1ドル=109円、2020年に1ドル=106円でした。(因みに、2009年〜2012年の日本は民主党政権時代でした。) 韓国政府は1990年頃に日本政府に対して日本企業が所有する一時的記憶用集積回路(DRAM)製造技術を韓国の財閥企業に無償供与するように強く要求して来ました。 日本政府は其の要求を受け入れ、日本企業をしてサムスン電子やLG電子などの韓国の財閥企業へ多くの製造技術を無償供与させました。 日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は日本製の製造装置を使い、日本製の素材や日本製の部品を使い、日本企業から無償供与された製造ノウハウを使って高品質な工業製品を製造するようになりました。 また、韓国の財閥企業は日本のメガバンクから多額の融資を受けることが出来ました。 其の為、韓国の財閥企業は「韓国の財閥企業は日本のメガバンクによって支えられている」という国際的な信用力を得ることが出来ました。 しかし、こうした事は韓国一般庶民に一切知らされませんでした。 韓国マスメディアはこうした事を一切報道しなかったのです。 ですから、韓国一般庶民は「サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの韓国の財閥企業は高性能な製品を100%自らの技術力で製造して来たのだ。 此れらの企業が世界的大企業になれたのは100%自らの能力によるものだ」と思い込んで来ました。 此の国家的規模の無知蒙昧の中で 日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は低価格で高品質な工業製品を世界中に大量に輸出できるようになって急成長していきました。 1992年にはサムスン電子が一時的記憶用集積回路(DRAM)の世界市場で東芝を抜いて世界一のシェアを持つようになりました。 1995年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から大きく駆逐するようになり、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場から大きく駆逐するようになりました。 1996年、韓国はOECD(経済協力開発機構)に加盟することが出来ました。 すると、韓国民は此の事を国を挙げて喜び、「世界に羽ばたく韓国」とか「先進国クラブに加入できた韓国」とか言って自画自賛しました。 1997年7月にタイ王国の通貨:バーツの大暴落から始まったアジア通貨危機の中で、韓国も1997年11月に通貨危機に瀕しました。 此の韓国通貨危機に対して、アメリカ連邦政府は「韓国を IMF の管理下に置こう」と思って日韓通貨スワップを禁じましたが、日本政府は韓国を通貨危機から救おうと思い、日本のメガバンクをして韓国へ多額のUSドルを貸与させました。 しかし、それでも、韓国は通貨危機に陥り、韓国経済は破綻し、韓国は自らを IMF の管理下に置きました。 韓国の財閥企業は IMF の管理下で再生し、サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの製品の輸出がウォン安の流れに乗って激増し、韓国経済は7%強の年平均成長率を見せるようになり、韓国経済は順調に回復して行きました。 2005年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から完全に駆逐し、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場からほとんど(全くと言って良いほど)駆逐し、韓国製の自動車が世界中で大量に走り回るようになり、韓国の造船業が大型船(大型タンカー、液化天然ガス運搬船、大型コンテナ船)の製造において日本の造船業を圧倒して世界一の市場占有率を誇るようになりました。 すると、韓国人の大多数が「韓国は日本に追い付いた」という妄想的自信を持つようになり、「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と更に一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に一段と強く持つようになりました。 2010年にはサムスン電子製のスマートフォン(Galaxy)が世界中で大量に使われるようになりました。 すると、韓国マスメディアは「韓国は世界が羨む一流先進国である」とする自画自賛記事や「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とする自画自賛記事など、韓国経済の大成長・大発展を自画自賛する記事をほとんど毎日のように発表するようになりました。 すると、韓国人の大多数は「韓国は全ての経済分野で日本に追い付いた。 韓国は幾つかの経済分野で日本を追い抜いた。 韓国は日本に勝った」という妄想的自信を持つようになり、自国を「一流経済先進国」と称し、自画自賛の心地よさに浸(ひた)って「韓国のGDPは2015年に日本のGDPを追い抜く」と予想してホルホルしました。 そして、韓国人のほとんど全てが「韓国は日本に対抗できるだけの必要十分な国力を身に着けた」と思うようになりました。 こうして、2010年頃、韓国人のほとんど全てが「自分たちは日本に対するとても強い経済的劣等感から完全に解放された」と思うようになったのです。 2010年9月には尖閣諸島の近海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりするという事件があり、菅直人政権は此の件で狼狽し、中国共産党に屈しました。 また、2010年には中国共産党の発表する中国のGDPが日本のGDPを追い抜きました。 2011年3月11日には東日本大震災が起き、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を馬鹿にして歓喜の声を上げました。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2011年3月12日付けの第1面トップに「日本沈没」という見出しを掲げたほどです。 2011年9月27日に韓国の全羅北道の全州で行なわれた「プロサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ」の日韓戦では、韓国人観客が「日本の大地震をお祝います(原文のまま)」と書いた垂れ幕を掲げました。 此のような状況の中で、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「2001年以降、名目GDP(USドル換算値)が順調に増大していく気配を見せない日本」と「2005年以降、日の出の勢いの中国」とを比べ、「日本は経済的にも政治的にも没落する国である」と思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に一段と強く持つようになりました。 2010年11月にG20首脳会合が日本で開かれるより先に韓国で開かれ、2012年3月に核セキュリティ・サミットが日本で開かれるより先に韓国で開かれた事で、韓国人のほとんど全ては「韓国は日本に優越する地位を獲得した。 韓国の国威は日本の国威を超えた。 韓国は一流先進国になった」と思って高揚感に酔い痴れるようになりました。 そして、「韓国は戦後の短期間で高度経済成長と民主化とを同時に成し遂げた世界唯一の国である」とか「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」などの自画自賛の言葉が韓国マスメディアの決まり文句になりました。 其れに連れて、韓国の学校では教員が生徒に、韓国の家庭では親が子に、「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか教えるようになり、韓国の小中高校生は教員や親から教えられた通りに信じ込みました。 そして、2012年頃に右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなりました。

先に述べたように、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、右派韓国人は韓国人の42.4%を占め、左派韓国人(奴婢の子孫)は韓国人の40.85%を占め、中間派韓国人は韓国人の16.75%を占めています。 ですから、右派韓国人の右寄り80%ほどは、42.4%×0.80=33.92%で、韓国人の34%ほどを占めています。 ですから、右派韓国人の右寄り80%ほどと左派韓国人(奴婢の子孫)の全てとを合わせて(34%+41%=75%で)、2012年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなったのです。 そして、2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては其のように思っています。

以上のような韓国人の妄想的自画自賛観念は韓国人の「日本に対する妄想的自信」の表明であるだけでなく、朝鮮人が過去二千年間余りに渡ってシナや日本に対して持たざるを得なかった巨大な恥辱感や巨大な屈辱感や巨大な劣等感の裏返しでもある、と思われます。

朴槿恵大統領(在位 2013年2月25日〜2017年3月10日)は2016年8月15日の「光復節」(日本統治からの解放を記念する日)の式典で演説し、其の中で「此の国(韓国)の偉大な現代史」「世界が羨む我が国」「我々は誰もが偉大な大韓国人である」と述べました。 韓国という国は大統領までもが此のような大言壮語を吐く国なのです。

『新潮45』の2018年3月号に掲載された室谷克実さんの論説「「非常識国家」韓国 「歪んだ教育が生む『選民意識』の国民たち」」から『デイリー新潮』が抜粋した記事「なぜ「韓国の常識は、世界の非常識」なのか 歪んだ教育が生む「選民意識」」(https://www.dailyshincho.jp/article/2018/02190630/?all=1)を是非ご覧になってください。

● 2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、更に「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という妄想を持つようになり、日本を恐れながらも虚勢を張って、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持つようになり、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を持つようになった。 2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては其れらの観念を極めて強く持っている。

前項で述べたように、2010年にはサムスン電子製のスマートフォン(Galaxy)が世界中で大量に使われるようになり、中国共産党の発表する中国のGDPが日本のGDPを追い抜きました。 2011年3月11日には東日本大震災が起き、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を馬鹿にして歓喜の声を上げました。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2011年3月12日付けの第1面トップに「日本沈没」という見出しを掲げたほどです。 2011年9月27日に韓国の全羅北道の全州で行なわれた「プロサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ」の日韓戦では、韓国人観客が「日本の大地震をお祝います(原文のまま)」と書いた垂れ幕を掲げました。 此のような状況の中で、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「2001年以降、名目GDP(USドル換算値)が順調に増大していく気配を見せない日本」と「2005年以降、日の出の勢いの中国」とを比べ、「日本は経済的にも政治的にも没落する国である」と思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に一段と強く持つようになりました。 2011年12月には極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が2011年8月30日の韓国憲法裁判所の判決を受けてソウルの日本大使館の前に慰安婦少女像を設置し、此の慰安婦少女像の傍で毎週水曜日に「水曜集会」を開くようになりました。 野田佳彦首相と李明博大統領とが2011年12月に京都で日韓首脳会談を行ない、此の首脳会談で李明博大統領は「日本軍用慰安婦被害者に賠償しろ」と言い出しました。 そして、2012年頃に右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなりました。 2012年5月24日、日本の最高裁判所に相当する韓国大法院が「日帝の反人道的不法行為に対する「韓国人の日本に対する個人請求権」は依然として有効である」との判決を下しました。 2012年8月10日、李明博大統領が竹島に上陸しました。 此れらの事が生じた「2011年〜2012年」頃において、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に更に一段と強く持つようになりました。 そして、2014年中頃から韓国マスメディアは「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流(かんりゅう)人気が巻き起こっている。 韓流(かんりゅう)は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」をほとんど毎日のように発表して来ました。 そして、更に、2014年12月、現代経済研究院(韓国の民間研究機関)が「2016年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜く」と発表しました。 すると、其の記事を読んだ韓国人の大多数は「韓国は全ての経済分野で近いうちに日本を追い抜く。 日本なんて大した国じゃない」と思って大喜びしました。 こうして、2016年頃に右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、更に「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という妄想を持つようになり、日本を恐れながらも虚勢を張って、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持つようになり、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を持つようになりました。 そして、2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては其れらの観念を極めて強く持っています。 因みに、「韓流」という熟語を「はんりゅう」と読む人が居ますが、「韓流」という熟語を「はんりゅう」と読むのは朝鮮式です。

先に述べたように、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、右派韓国人は韓国人の42.4%を占め、左派韓国人(奴婢の子孫)は韓国人の40.85%を占め、中間派韓国人は韓国人の16.75%を占めています。 ですから、右派韓国人の右寄り80%ほどは、42.4%×0.80=33.92%で、韓国人の34%ほどを占めています。 ですから、右派韓国人の右寄り80%ほどと左派韓国人(奴婢の子孫)の全てとを合わせて(34%+41%=75%で)、2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、更に「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という妄想を持つようになり、日本を恐れながらも虚勢を張って、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持つようになり、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を持つようになったのです。 「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いは虚勢を張った思いですから、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては日本を恐れています。 韓国人は全般的に日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持っているのです。

呉善花さんは次のように述べています。「侮日は朝鮮民族の誇りであり、韓国のアイデンティティーであるが故に、侮日は決して消えない」。 という事は、「韓国人が持つ「侮日の念」は遺伝子レベルのものである」という事を意味するのでしょう。

● 所謂「吉田証言」について。
                                            吉田清治
日本共産党員の吉田清治という者が1977年に『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版し、1982年に大阪市内で講演を行ない、其の講演の中で「日本軍用慰安婦狩り」の話をし、1983年に2作目の著書『私の戦争犯罪』(三一書房)を出版し、其の著書の中で「済州島で兵10人の応援で205人の朝鮮人婦女子を慰安婦要員として強制連行した」と述べました。 そして、朝日新聞は吉田清治の講演や著書に基づいて1982年から32年間に渡って「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を報道して来ました。 北海道新聞や共同通信なども吉田清治の講演や著書に基づいて「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事を度々報道しました。

吉田清治についてウィキペディアでは次のように書かれています。
吉田 清治(よしだ せいじ、本名:吉田 雄兎)は1980年代に「自分は太平洋戦争中に日本軍の命令に従い、朝鮮の若い女性を日本軍用慰安婦にする為に彼女らを強制連行した」とする発言を数多く行ない、其の発言内容を述べた著書を出版した人物である。 吉田清治の発言内容の大半、並びに、吉田清治の著作内容の大半が吉田清治の虚偽・創作であったにもかかわらず、主として朝日新聞が吉田清治の発言内容・著作内容を「吉田証言」として大々的に且つ長期間に渡って記事にした為、左派韓国人が「吉田証言」を「日本軍用慰安婦要員強制連行」として大々的に且つ長期間に渡って取り上げ、且つ、韓国マスメディアが「吉田証言」を大々的に且つ長期間に渡って引用した。 其の結果として、「吉田証言」、並びに、朝日新聞や左派韓国人の主張する「日本軍用慰安婦要員強制連行」は国際社会にまで浸透した。

吉田証言
1982年(昭和57年)以降、吉田は「戦時中に済州島などでアフリカでの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行した」と著書や新聞や講演などで述べ、日本、韓国、アメリカなどで何度も其の事を述べて来た。 自著では当時の命令書の内容までも詳細に記載している。 此れについて済州島の『済州新聞』は済州島で追跡調査を行ない、当時の済州島住民から「其のような日本軍用慰安婦狩りの話は聞いたことが無い」という発言を得て此の発言に基づいて「吉田証言は事実に基づいていない」と報道した。 其の後、秦郁彦らも済州島で追跡調査を行ない、同様の結論に至った。

吉田証言の国際社会への浸透
朝日新聞に掲載された「吉田証言」と、朝日新聞が発表した「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)は両方共に韓国マスメディアによって大々的に且つ長期間に渡って引用された為、「吉田証言」は1990年代後半には国際社会にまで浸透した。「吉田証言」を採用した国際的な決議や報告としては、1996年の国連人権委員会のクマラスワミ報告、1998年のマクドゥーガル報告書、2007年のアメリカ連邦議会下院121号決議などがある。「吉田証言」が国際社会にまで浸透する過程では、韓国マスメディアが朝日新聞の「日本軍用慰安婦要員強制連行」報道を大々的に且つ長期間に渡って引用した為、韓国では日本への批判が猛烈に高まり、其の批判を朝日新聞が報じるという事が繰り返され、朝日新聞と韓国マスメディアと韓国世論との間で「三者共鳴」とも言える現象が見られた。

韓国政府による「吉田証言」の証拠採用
1992年7月31日に発表された韓国政府の「日帝下軍隊用慰安婦実態調査報告書」においても韓国政府は「吉田証言」を事実に基づくものとして採用し、其の後も修正してない。

クマラスワミ報告での証拠採用
1996年の国連のクマラスワミ報告でも「吉田証言」は「日本軍用慰安婦要員強制連行」の証拠として次のように採用されている。
日本軍用慰安婦要員強制連行を行なった一人である吉田清治は戦時中の体験を述べた著書の中で、国家総動員法の一部である国民勤労報国協力令の下で、他の朝鮮人と共に千人もの女性を日本軍用慰安婦要員として連行した事に加わっていたことを告白している。

アメリカ連邦議会下院の対日謝罪要求決議案(2006年)を審議する際の資料での証拠採用
2006年にアメリカ連邦議会下院が「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題で対日謝罪要求決議案(アメリカ連邦議会下院121号決議案)を審議する際の資料(memorandum)とされたアメリカ連邦議会調査局の報告書(2006年4月10日付)の「慰安婦システムの報告(Accounts of the Comfort Women System)」の項目で「日本軍による朝鮮人女性連行」の有力証拠として「吉田証言」が明記された。 2007年2月25日に開かれた公聴会でも、「吉田証言」に基づいた資料が判断材料とされたが、日本側の調査と報告を受け、2007年4月3日付けの改訂版の報告書では「吉田証言」が削除された。

朝鮮日報による評価
2012年9月5日、韓国で最大発行部数を誇る『朝鮮日報』は吉田の著書『朝鮮人慰安婦と日本人』を取り上げ、「此の本一冊だけでも日本軍用慰安婦要員強制連行を立証するのに十分である」と述べ、「吉田の著書『朝鮮人慰安婦と日本人』は日本軍用慰安婦要員強制連行の証拠である」とする社説を掲載した。

言うまでもない事ですが、「吉田証言」と言われているものは法廷などの公式の場で証人として述べた事ではなく、吉田清治が講演や著書の中だけで述べた事ですので、「吉田証言」は「日本軍用慰安婦要員強制連行」の証拠としての価値は少しも有りません。 にもかかわらず、朝日新聞は吉田清治の発言内容・著作内容を「吉田証言」として報道し続けたのです。 此の事ひとつで「朝日新聞が如何に強い捏造体質を持っているか」が純正日本人の方々にはお分かり頂けるでしょう。

「連行」という言葉の意味は「強制的に連れて行くこと」であり、「徴用」という言葉の意味は「戦時などに国家が国民を強制的に動員し、強制的に労働させること」です。 ですから、「強制連行」「強制徴用」という言葉は重複表現になっています。「強制連行」「強制徴用」という言葉は韓国人や在日朝鮮人が強い主張をしようと思って使っている言葉です。 韓国人や在日朝鮮人は「強制」という言葉を使って日本を非難するのが好きなのです。 同様の言葉として「強制占領」という言葉も有ります。 此の論述では、「強制連行」「強制徴用」「強制占領」という言葉を韓国人の主張や在日朝鮮人の主張や吉田清治の主張や朝日新聞の主張や左派日本人の主張の中で使うにとどめます。 因みに、韓国人が使う「日帝強占期」という言葉は「日帝強制占領期」を意味します。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の作った “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を「日帝によって不法に植民地支配された朝鮮民族の怨念と悲しみとを象徴する “ 神に近い存在 ” 」として崇めるようになった。

韓国では1987年6月29日に「韓国の民主化」(軍事独裁政権の廃止、大統領直接選挙制の導入、左派活動家の赦免・復権)が行なわれて以降、韓国で軍事独裁政権は出現していません。 左派韓国人活動家は「韓国の民主化」を達成した事で大きな力を身に着けました。 そして、左派韓国人活動家は「韓国の民主化」の次の課題として何に取り組んだら良いかと模索していた、と思われます。 其のような状況の中で、1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版されました。 此の事に極左派韓国人活動家が飛び付かない筈(はず)が有りません。 極左派韓国人活動家は「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題を大々的に取り扱うことを決意した、と思われます。 そして実際、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作りました。 そして、其の過程において、朝鮮語に翻訳された『私の戦争犯罪』を読んだ韓国人の大多数が此の本の内容を100%信じ込み、韓国人の大多数が「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を重大問題として認識し、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を “ 神に近い存在 ” として崇めるようになりました。

先に述べたように、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、右派韓国人は韓国人の42.4%を占め、左派韓国人(奴婢の子孫)は韓国人の40.85%を占め、中間派韓国人は韓国人の16.75%を占めています。 そして、右派韓国人の中では右寄りの者ほど反日の度合いが強い、と思われます。 極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題で主張している内容は、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が吉田清治の著書や所謂「吉田証言」や朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)に基づいて作った100%の虚偽です。 極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が主張した “「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」という100%の虚偽 ” を右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが信じ込むようになりました。 言い換えると、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の作った “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を「日帝によって不法に植民地支配された朝鮮民族の怨念と悲しみとを象徴する “ 神に近い存在 ” 」として崇めるようになったのです。

2014年8月、朝日新聞は「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という主張を裏付ける証拠は無いとし、所謂「吉田証言」を虚偽と見なし、「吉田証言」に基づいた「歴史上の事実」として1982年から32年間に渡って報道してきた「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)の中の16本を撤回しました。 しかし、韓国マスメディアは朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事16本の撤回について「安倍政権下で右傾化する日本」という観点から「日本国内での朝日新聞叩き」という内容で取り扱っただけでした。 其の為、「吉田証言」を虚偽と見なす認識は韓国では広まらず、「元日本軍用慰安婦」の神聖性が朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事16本の撤回によって損なわれる事は無く、韓国人の大多数は極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が主張した “「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」という100%の虚偽 ” を信じ込み続け、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の作った “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を「日帝によって不法に植民地支配された朝鮮民族の怨念と悲しみとを象徴する “ 神に近い存在 ” 」として崇めて来ました。

韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持っており、「侮日の念」を極めて強く持っており、「日本懲らしめ」の思いを極めて強く持っており、「日本に対する嫌がらせ」の思いを極めて強く持っています。 極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が2011年12月にソウルの日本大使館の前に設置した慰安婦少女像や、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が2016年12月30日に釜山の日本総領事館の前に設置した慰安婦少女像は、左派韓国人(奴婢の子孫)の極めて強い「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの象徴であり、且つ、極めて強い「侮日の念」の象徴であり、且つ、極めて強い「日本懲らしめ」の象徴であり、且つ、極めて強い「日本に対する嫌がらせ」の象徴です。 そして、此れらの慰安婦少女像は、日本を糾弾し、日本人をして其の前で土下座させ、謝罪させ、許しを請わせる為のものです。

1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版されるまで、韓国人の全ては「日本軍用慰安婦要員強制連行」という概念すら持っていませんでした。 其の為、1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版されるまで、韓国マスメディアは朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事をほとんど取り上げず、朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事は韓国一般庶民にほとんど影響を与えませんでした。 朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事が韓国一般庶民に大きな影響を与えるようになったのは、1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版され、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、其れと同時に、韓国マスメディアが朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を度々取り上げるようになってからの事です。

● 韓国の歴史捏造反日教育で教えられた反日観念、並びに、歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人の反日発言。
韓国の中学校の歴史教科書には次のような事が記載されているそうです。
太古の昔、天帝:桓因(かんいん)の子:桓雄(かんゆう)が人として地上に降り立った。 そして、桓雄は、人になることを願っていた虎と熊に出会った。 桓雄は其の虎と其の熊にヨモギとニンニクを与え、「此れらを食べて、100日間、日の光を見なければ、人になれるだろう」と告げた。 虎は途中で逃げ出したが、熊はやり遂げて女になり、其の女は桓雄と結ばれて子を産んだ。 其の子が檀君である。 神と熊との血が混じった檀君は立派に育ち、紀元前2333年に平壌を都として朝鮮国を建てた。

此れが所謂「檀君神話」です。 此の神話が韓国の中学校の歴史教科書に「歴史上の事実」として記載され、「歴史上の事実」として教えられています。 其の為、韓国人のほとんど全ては檀君神話を「歴史上の事実」だと信じ込んでいます。 韓国の一流と言われている大学の学生の中にも檀君神話を「歴史上の事実」だと信じ込んでいる者が沢山います。 韓国の一流と言われている大学の学生の大多数は檀君神話を「歴史上の事実」だと信じ込んでいる、と言って良いかも知れません。 要するに、韓国人にとって檀君神話は「檀君史実」なのです。 此の「檀君史実」が「我が国は半万年の歴史を持つ文化大国である」という彼ら韓国人の主張の根拠です。 檀君神話によれば、「韓国人は桓雄という人と熊女との子孫であるが、其の熊女は元々は熊だったのだから、韓国人は人と熊とのハーフである」という事になりますが、韓国人は其れで満足しているのでしょうか。 まあ、其れはさて置き、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国の学校では教師が生徒に、韓国の家庭では親が子に、次のような悪口を教え込んできました。
「我が国は半万年の歴史を持つ文化大国である」とか「かつて高句麗や百済や新羅は未開で野蛮な日本に多くの事を教えてやった。 だから、永久に我が国は日本の兄であり、永久に日本は我が国の弟である」とか「日本の文化は全て朝鮮が日本に教えてやったものである」とか「日本が発展できたのは全て我が国のお陰である」とか「太古から現代に至るまで、朝鮮は日本より格上の文明国であり、日本は朝鮮より格下の未開国である」とか「文明と言えるようなものを持たない島国の野蛮人が我が国を無理やり開国させた」とか「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」とか「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」とか「我が国は五千年の輝かしい歴史と高度な文化を持つ強国だったが、不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国のお米や鉱物資源を全て奪い、我が国の高度で誇らしい文化を全て破壊した。 だから、我が国はとても貧しく惨めな国になった」とか「日帝は類を見ないほど徹底的に悪辣な方法で我が国を弾圧し、我が国の全てを奪った」とか「日帝は我が国の農地の4割強を奪い、其の奪った農地を日本からやって来た日本人や日本の会社に安値で払い下げた」とか「日帝の警察官が我が国の農民に銃剣を突き付けて、我が国の農民が作った米の半分を奪い、其の奪った米を日本へ運んだ」とか「日帝は軍事力で我が国を植民地支配し、我が国の全てを奪った。 我が国が日帝に植民地支配されていた時代は我々の祖先が弾圧・収奪された暗黒時代であった」とか「日帝は我が国を侵略して植民地支配し、世界中で最も残酷な統治をした」とか「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国の天然資源を奪い尽くし、我々の祖先を奴隷にした」とか「我が国は日本帝国主義の被害国だ。「日本は反省しない」という意味で日本は最低の国だ」とか「日帝は我が国の全土で我が国民に対して徹底的な弾圧と徹底的な収奪を行ない、支配体制の確立に力を注いだ」とか「日帝は朝鮮民族の精気を抹消する為にハングルの使用を禁じた」とか「日帝は我が国民からハングルを奪った。 日帝は我が国の文化を徹底的に弾圧した」とか「日帝は我々の祖先に創氏改名を強制した」とか「我々の祖先は日帝に対し独立運動を行ない、日本の圧政を打ち破って上海で大韓民国臨時政府を発足させた」とか「日帝が我が国を強制併合して我が国の富を奪い尽くし、朝鮮民族の抹殺を開始した。 そこで、抗日独立軍が各地で蜂起し、日本軍と果敢に戦った。 大韓民国の独立は我々の祖先が此のようにして自力で勝ち取ったものである」とか「第2次世界大戦において我が国は連合国の一員として日本を相手に戦った」とか「太平洋戦争が始まったあと、大韓民国臨時政府はすぐ日帝に宣戦を布告し、大韓民国は連合国の一員になった。 我が国は連合国の側にいるのだ。 従って、我が国は第2次世界大戦の戦勝国である」とか「日帝は第2次世界大戦の戦犯国であり、加害国である。 我が国は日本帝国主義の被害国だ」とか「日帝の弾圧に苦しめられた朝鮮民族は、光復を得るまでの間、不法な植民地支配に抵抗して抗日独立運動を展開した」とか「日帝は我が国だけでなく中華民国や東南アジア諸国をも侵略し、此れらの国々に多くの害を与えた野蛮国家である」とか「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が東南アジアを侵略し、東南アジアの人々を奴隷にし、素直に従わない者を殺すなどして、東南アジアの人々に多大な苦痛と害を与えた」とか「日帝はとても多くの我が国民を日本に強制連行し、日本の過酷な職場で強制労働させた。 日本に在日朝鮮人が沢山いるのは日帝がとても多くの我が国民を日本に強制連行した所為だ」とか「日帝は我が国民650万人を日本に強制連行し、日本の炭鉱や工場で賃金を与えずに奴隷として働かせた」とか「日帝はとても多くの我が国の少女を挺身隊への加入という口実で集め、彼女らを日本に強制連行し、日本軍の慰安婦にした」とか「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にした」とか「かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にして虐殺した」とか「日本人は野蛮人だ。 日本人は犯罪者だ。 韓国人は平和を愛する民族だ。 だから、韓国人は日本人より優れてる」とか「日帝は戦争犯罪である慰安婦制度を隠滅する為に、終戦時に日本軍用慰安婦の大多数を虐殺した」とか「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の証言こそが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ」とか「日本の関東大震災の時、日本人自警団と日本警察との主導で6千人〜2万人の朝鮮人が殺害された」とか「日本は悪事を悔い改めようとしない」とか「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である。 我々韓国人は日本を無条件に憎悪しなければならず、且つ、日本を無条件に敵視しなければならない」とか「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」とか「日本は世界中で最も悪い国だ」とか「日本人は世界中で最も残忍で最も悪辣な民族であり、少しも反省しない民族である」とか。

以上のように、韓国の学校では教師が生徒に、韓国の家庭では親が子に、日本に対する悪口を言いたい放題に教え込んできたのです。 日本に対する悪口を言いたい放題に言うという性癖は反日韓国人の一大習性です。 韓国人は全般的に何かに付けて自分にとって都合が良い事を捏造して主張します。 韓国人は全般的に自分にとって都合の悪い事を人の所為にする傾向を強く持っています。 韓国人は「自分にとって都合の悪い事を日本の所為に出来る」と思ったら、自分にとって都合の悪い事を必ず日本の所為にします。 韓国人は全般的に「自分は悪くない。 相手が悪いのだ」と思う傾向を強く持っています。 韓国人は全般的に相手の立場を全く考慮せず、自分の立場だけから強い主張をし、自分が相手にどのように思われるかという事を全く考慮しません。 韓国人は全般的に「先に言った者勝ち」と思い、捏造した事を事実だと主張します。 韓国人は全般的に「自己主張や相手に対する非難や罵りは強ければ強いほど、効き目も強い」と思い込んでいます。 韓国人は全般的に相手を非難する時、激しく非難しないでは居られないのです。 また、韓国人は全般的に日本に関する事柄で人に嘘をつくことに何の抵抗も感じず、日本に関する事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思いません。

韓国の学校の教員や韓国の家庭の親は上記の様々な反日観念を心の底から信じ込んでいるのでしょう。 そして、韓国の小中高校生は教員や親から教えられた通りに信じ込んで来ました。 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とに凝り固まり、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らして来ました。 しかも、彼ら左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に対する嘘だらけの悪口を言っても「私は嘘をついている」という自覚が無いのです。 其の所為もあって、彼ら左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を言う」という事を正義と思っているのです。 日本統治下の朝鮮人抗日独立運動家は少数であったにもかかわらず、韓国の小中学生は「日帝の弾圧に苦しめられた朝鮮民族は、光復を得るまでの間、不法な植民地支配に抵抗して抗日独立運動を展開した」と教え込まれ、其の当時の朝鮮人の全てが日本からの解放を望んで抗日独立運動をしていたかのように信じ込みます。 韓国の幼稚園児は「独島はわが領土」という歌を徹底的に教え込まれます。 こうした過程で、韓国人の大多数は「反日の為であれば、日本に対しては何をしても許される」という観念(所謂「反日無罪」という観念)を身に着けました。 以上のように、韓国の反日教育は自国の歴史を捏造する事に基づく反日教育なのです。 歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人や、韓国や日本に潜入している北朝鮮工作員や、在日朝鮮人は次のように言っています。
「日帝による朝鮮併合統治は極めて残酷で悪辣だった」とか「日帝植民地支配時代には全ての朝鮮人が日本人の奴隷として働かされていた」とか「日本人は我々に永久に謝罪し続けなければならない」とか「日本は韓国に永遠に謝罪しろ」とか「日帝による朝鮮併合が無かったならば、韓国は今よりずっと発展したはずだ」とか「我が国が日帝によって植民地支配されなかったならば、我が国は日本以上に発展した筈だ」とか「歴史を忘れた民族に未来は無い」とか「日本人は正しい歴史認識を持ってない」とか「対馬は韓国の領土だ」とか「産経新聞は極右新聞である。 産経新聞の報道や主張は全て嘘である」とか「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「日本は海中に没するのが良い」とか「日本は過去の帝国主義や軍国主義や侵略戦争や我が国に対する不法な植民地支配を美化している野蛮国家である」とか「韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている」とか「日本の倫理性は韓国の倫理性より遥かに低い」とか「日本は歴史を歪曲している」とか「日本は歴史的に韓国に対する罪を負っている」とか「日本はドイツを見倣え」とか「日本人以外のアジア人は「日本はドイツを見倣って、日本の犯した過去の過ちを認めて、心から反省しなければならない」と思っている」とか「全ての韓国人は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、日本の過去の蛮行を世界中に知らしめなければならない」とか「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の存在そのものが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ」とか「日本人は決して自分の罪を申し訳ないと思わない。 日本人は恥を知れ」とか「日本の謝罪は真の謝罪ではない。 日本の賠償は真の賠償ではない」とか「日本人よ、嘘をつくな。 日本人よ、歴史を歪曲するな」とか「日本はロビー活動と隠蔽(いんぺい)と捏造の国だ」とか「日本人には本当の事が分からない。 日本人は自分の欲する事だけしか信じない」とか「日本人は島国根性に凝り固まってグローバル感覚を持ってない」とか「日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている」とか「日本人は安倍政権に簡単に煽動される」とか「日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とか「安倍は日本を戦争できる国にする為に憲法を変えようとしている」とか「安倍は極右の歴史修正主義者である」とか「安倍の歴史修正主義が韓日関係を悪くしている」とか「韓日対立の本当の原因は日本が我が国を不法に併合統治した過去を反省しない事である」とか「日本は「日帝の我が国に対する植民地支配は不法であった」と認めよ」とか「日本は軍国主義を目指している政治後進国だ」とか「韓国の民主主義は日本の民主主義より遥かに進んでいる」とか「韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い」とか「過去を反省しない日本こそ韓国の主敵である。 今や、韓国の主敵は日本である」とか「日本はファシズムの国だから、他国の友人になる方法を知らない」とか「日本人は過去の悪事を認めずに第3次世界大戦を準備している」とか「韓国は蝋燭集会で大統領を罷免できるような政治先進国だ」とか「蝋燭集会は世界中で賞賛されている」とか「我々韓国人の民主性は東アジアの中で最も高い」とか「日本は蝋燭集会のような民衆デモを一度もやったことがない後進国だ」とか「日本人は未開の政治理念を持つ民族だ」とか「韓国は三権分立が確立した政治先進国だ。 日本は三権分立が確立してない政治後進国だ」とか「日本の政治が韓国の政治に追い付くのはまだまだ先だ」とか「安倍はまだ弾劾されないのか。 日本人は本当に馬鹿だ」とか「日本は相手にする価値も無い国だ」とか「日本は末期状態にある」とか「放射能を浴びた猿どもは死滅するのが良い」とか「日本人はヒステリーになっている。 今の日本人は以前と比べて随分と劣化した」とか「日本人の民度はすごく劣化した」とか「韓国の助けが無ければ、日本は明日にも滅びる」とか「日本の破廉恥水準は世界一高い。 国際社会、中でも先進国は日本の破廉恥水準を十分に認識している」とか「島国の犬豚どもを根絶やしにしなければならない」とか「日本は恥知らずの非常識国家だ」とか「日本には地団駄を踏ませて後悔させなければならない」とか「日本の韓国を見下す癖を叩き直してやる!」とか「日本に自然災害が多いのは天罰だ」とか「日本は菅(すが)政権下で亡国へ向かう」とか「韓国と日本とが互いに断交すれば、日本は先進国でなくなり、韓国は勝者になる」とか「日本には未来が無い。 だんだん希望が見えなくなる切ない日本」とか「韓国はもはや世界指導者の地位に就いた。 日本は先細りだ」とか「韓国は既に日本を超えている。 日本は韓国のライバルですらない」とか「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」とか「韓国は経済面でも文化面でも弟の日本より優位に立った」とか「韓国は日本以上の一流経済先進国だ。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ。 韓国はアジアトップの先進国だ」とか「今や、日本はあらゆる面で韓国より劣っている」とか「今や、韓国は全ての分野で日本を追い抜いた。 韓国はあらゆる面で日本に勝った」とか「我が国の幸福指数は日本の幸福指数より遥かに高い」とか「韓国は実質的にG8の先進国だ」とか「韓国はG7に正式加盟してG8を構成するに相応(ふさわ)しい」とか「日本こそG7に相応しくない。 我が国が日本の替わりにG7に入るべきだ」とか「韓国ウォンはUSドやユーロに次ぐ基軸通貨だ」とか「日本は韓国の相手にならないほど没落した」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は民度の低い民族である。 日本人の民度は韓国人の民度よりずっと低い」とか「日本は戦争犯罪を犯したにもかかわらず、残酷な人権蹂躙の歴史を認めない」とか「日本の残虐行為は映画で証明されている」とか「日本の国歌「君が代」は日本帝国主義の象徴であり、且つ、日本軍国主義の象徴であり、且つ、我が国に対する不法な植民地支配の象徴である」とか「日帝の我が国に対する不法な併合と不法な植民地支配は、韓国人にとっては忘れることの出来ない受難と苦痛の歴史である」とか「日帝は我々の祖先を家畜のように扱った」とか「日帝は我々の祖先から人間としての魂を奪った」とか「日本は百済・新羅。高句麗のお陰で強い国になった。 日本の発展は朝鮮のお陰である」とか「朝鮮が日本に漢字や農耕技術などを伝えた事で日本文化が確立した」とか「日本文化の全ては韓国起源だ」とか「日本の文化の全ては韓国の文化をパクったものだ」とか「4世紀から7世紀にかけて百済は日本列島を植民地にしていた」とか「古代朝鮮は未開の日本列島を直轄領にしていた」とか「昔の倭人は我々のことを師匠と呼んでいた未開人であった」とか「昔の日本は朝鮮のお陰で文明化した。 其の歴史的事実が日本の自尊心を傷つけるので、今の日本は其の歴史的事実を消し去ろうとしている」とか「日本は韓国がなければ生き残れない国である。 此の事は此の100年間の日本を見れば分かる」とか「日本は韓国をライバルと思っている。 日本は韓国に対して強いライバル意識を持っている」とか「日本は後進国になった」とか「日本は韓国を羨んでいる」とか「生活の豊かさでは韓国は確実に日本を超えた」とか「日本人が韓国人より貧しいのは間違い無い」とか「日本人は韓国に劣等感を持っている」とか「文化強国第1位はアメリカで、第2位はイギリスで、第3位はフランスで、第4位は韓国だ。 韓国は世界4大文化強国の1つだ」とか「事実上、日本はアメリカの第1植民地である」とか「民主主義、社会システム、インフラ、生活の質において韓国は日本の上を行っている」とか「韓国は自動車や半導体の生産技術・製造装置の分野で日本を超えた」とか「韓国の生活水準は日本の生活水準を上回っている。 韓国の庶民は日本の庶民より豊かな生活をしている」とか「大勢の韓国人が日本旅行に行くのは、日本が韓国に近く、日本旅行代金が安いからであり、日本が好きだからではない」とか「大谷翔平は野球というマイナースポーツの選手だから、大谷翔平は大したことない」とか「韓国人の頭脳(IQ)は世界トップクラスである。 韓国人の視野の広さも世界トップクラスである」とか「韓国人のIQは日本人のIQや中国人のIQより高い」とか「韓国ほどインフラが良く整い、且つ、治安が良い国は少ない」とか「韓国の若者の生活レベルは日本の若者の生活レベルより高い」とか「日本は先進国だなんて言われているが、実は後進国だ。 日本は韓国より遅れている。 韓国はアジアトップの先進国だ」とか「日本人は嘘つきで、韓国の真似ばかりしている」とか「日本より韓国の方が何でも優れている」とか「日本は汚いし、衛生観念もなってない」とか「韓国は世界一住み易い国だ」とか 。

以上のように、歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人や、韓国や日本に潜入している北朝鮮工作員や、在日朝鮮人は日本に対する悪口や日本に対する頓珍漢(とんちんかん)な思いを言いたい放題に言っています。 韓国人が日本に対して持っている頓珍漢な思いは韓国人の感性水準の低さや知性水準の低さに基づく妄想です。 ですから、韓国人は自分たちの感性水準の低さや知性水準の低さから脱却できなければ、此れらの妄想からも脱却できません。「感性水準」とは人間集団を構成する個々人の感性の平均的な発達程度です。「知性水準」とは人間集団を構成する個々人の知性の平均的な発達程度です。 同様に、「理性水準」とは人間集団を構成する個々人の理性の平均的な発達程度です。

韓国人や北朝鮮工作員や在日朝鮮人がインターネット上に書き込む発言には主語の明記されていないものが沢山あります。 上に示した韓国人や北朝鮮工作員や在日朝鮮人の発言には私(滝田)が元々の発言に主語を補って分かり易くしたものが多く含まれています。

2015年頃に或る日本人が韓国で40歳以下の韓国人に「朝鮮戦争はどんな戦争だったか」と質問したところ、応答してくれた韓国人の80%ほどは「韓国が日本を相手に戦って日本に勝った戦争」と答えたそうです。 此れほどにまで韓国人の自国に関する歴史認識はお粗末なのです。

上に示した韓国人の発言の中で1つだけ正しいものが有ります。 其れは「歴史を忘れた民族に未来は無い」というものです。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2013年5月2日に「対馬は昔から韓国の領土、日本の1000年侵奪史を忘れるべきでない」と題する記事(https://japanese.joins.com/JArticle/171121)を発表しました。 インターネット上に「対馬は韓国の領土だ」と書き込んだ韓国人は『中央日報』の此の記事を真に受けているのでしょう。

韓国人が主張する「日本に対する道徳的優位性」の意味や、韓国人が誇る「韓国の民主性」の意味については後で述べましょう。

韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』の2017年2月1日付けの日本語版記事「「日本軍が慰安婦を集団殺害」韓国国定歴史教科書に記述へ」の中で次のように書かれています。
31日公開された国定教科書最終本の修正内容は、近現代史が396件(近代252件、現代144件)と最も多く、次いで先史・古代(196件)、さらに高麗時代(82件)、朝鮮王朝時代(60件)の順だった。 最大の争点になった現代史分野では「国定教科書に反対する市民団体や学界などの意見を反映させて大幅に修正した」と、教育部はコメントした。 まず、植民地時代の記述が大幅に強化された。 従軍慰安婦に関しては「水曜集会(注:毎週水曜日にソウルの日本大使館の前で「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を主張して日本を糾弾する集会)1000回を記念して平和の少女像が建立された」(中学校歴史)、「日本軍用慰安婦が日本軍に集団殺害される事もあった」(高校現代史)などの内容が追加された。 また、親日行為について具体的な実例も示された。 現場検討本には、売国など五つの行為が単純に羅列されているだけだったが、最終本には「売国行為(乙巳〈いっし〉五賊)、抗日運動の弾圧行為(密偵、警察、間島協助会など)」のように、各行為の具体的な実例を盛り込んだ。 さらに高校韓国史の教科書には、金九(キム・グ)暗殺の事実についての記述も細かく追加された。

韓国人が日本統治下の朝鮮に関して主張することのほとんど全て(99%以上)は「我々は日帝による被害者である」という思いに基づく捏造・歪曲・日本非難の言葉です。 しかも、韓国人は全般的に自分の主張が捏造・歪曲だと分かっていても、其の主張を撤回しません。

「日帝による朝鮮併合が無かったならば、韓国は今よりずっと発展したはずだ」とか「我が国が日帝によって植民地支配されなかったならば、我が国は日本以上に発展した筈だ」とか主張する韓国人が沢山います。 此のような韓国人は韓国の学校や家庭で教えられる「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった」という言説を真に受けて信じ込み、高麗が1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になって清王朝に徹底的に支配されて来た事や、李氏朝鮮には李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の所有物としての「従順で忠実な奴隷」が沢山いた事など、高麗時代・李氏朝鮮時代の恥辱的・屈辱的な事柄を知らないのです。 尤も、李氏朝鮮には李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の所有物としての「従順で忠実な奴隷」が沢山いた事を知りながら「日帝による朝鮮併合が無かったならば、韓国は今よりずっと発展したはずだ」とか「我が国が日帝によって植民地支配されなかったならば、我が国は日本以上に発展した筈だ」とか主張する韓国人が居るかも知れませんが、家畜同然に扱われていた「奴婢」が国民の43%を占めるという両班支配体制のままで、朝鮮はどうやったら近代国家になれると言うのでしょうか。「朝鮮が日帝によって不法に植民地支配されなかったならば、朝鮮は自国の奴隷制度(身分制度)を自力で無くすことが出来た筈だ」とでも言いたいのでしょうか。

ここまで述べたように、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国では李承晩大統領が強力な反日政策を行ない、李承晩大統領の強力な反日政策を歴代の大統領が忠実に受け継いだ事で、韓国人の中に広く深く反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が作られて来たのです。

● 日本のことをとても心配してくれる反日韓国人の決まり文句の数々。
「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている」とか「日本人は安倍政権に簡単に煽動される」とか「日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とかいう刺激的な発言は反日韓国人の決まり文句です。 反日韓国人は此のように発言して日本のことをとても心配してくれています。 尤も、此のような発言をする反日韓国人は「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている」とか「日本人は安倍政権に簡単に煽動される」とか「日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とかいう刺激的な発言をする事で “ 加害国:日本 ” に対する悔しさや憎しみや妬みや怒りを表明している積もりなのです。 実は、此れらの刺激的な発言の裏には彼ら本人すら気付いていない重大な思いが隠されているのです。 純正日本人の方々には此の論述を読み進めるに連れて、其の事について追い追い理解して頂けるでしょう。 また、「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている」とか「日本人は安倍政権に簡単に煽動される」とか「日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とかいう刺激的な発言をする事で、純正日本人を苛(いら)立たせ、純正日本人の反韓感情を強めようと思っている「北朝鮮政府の指揮下に在る反日韓国人」もたくさん居ます。

反日韓国人の「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とかいう決まり文句から判るように、彼ら反日韓国人はどういう訳か日本をアジアや国際社会の中に入れてくれているのです。 出来る事なら、彼ら反日韓国人の考える「アジア」や「国際社会」から日本を除外して欲しいものです。

反日韓国人は2019年6月まで「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている」とか「日本人は安倍政権に簡単に煽動される」とか「日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とかいう刺激的な発言をして日本のことをとても心配してくれていましたが、安倍内閣が2019年7月4日に一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目(高純度フッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミド)の対韓国輸出管理を厳格化して以降、彼ら反日韓国人は「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「日本は国際社会で孤立している」とか「日本は国際社会で爪弾きにされている」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている」とか「日本人は安倍政権に簡単に煽動される」とか「日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とかいう刺激的な発言をほとんど(全くと言って良いほど)しなくなり、其の代わり、「放射能を浴びた猿どもは死滅するのが良い」とか「島国の犬豚どもを根絶やしにしなければならない」とか一段と刺激的な発言を度々するようになりました。 ところが、2021年10月になると、反日韓国人は「日本が韓国のTPP入りを拒否するのであれば、日本は自滅する可能性がある」とかいう刺激的な発言をして再び日本のことをとても心配してくれるようになりました。 此の件に関しては、動画「韓国の大学教授「韓国のTPP入りを日本が拒否するなら、自滅になりうる」」(https://www.youtube.com/watch?v=PCkIeFnSlTs)をご覧になってください。 また、2022年1月28日、岸田文雄首相が佐渡金山をユネスコ世界文化遺産に推薦する方針を明らかにした事に対して、反日韓国人は「日本は国際的な恥をかくだけだ」とか「日本は自滅を選んだ」とかいう刺激的な発言をして日本のことをとても心配してくれています。

● 韓国人の主張する「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」について。
「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にした」とか主張している韓国人が沢山いますが、仮に「若い朝鮮人女性20万人の強制連行」が事実だとすると、若い朝鮮人女性20万人が連行される時、其の現場にいたはずの朝鮮男子は何をしていたのでしょうか。 彼ら朝鮮男子は「若い朝鮮人女性20万人の強制連行」の現場を見ていただけなのでしょうか。 彼ら朝鮮男子は「若い朝鮮人女性20万人の強制連行」の現場を見ていただけの意気地無しだったのでしょうか。「若い朝鮮人女性20万人を強制連行する日本軍」に対して「多数の朝鮮男子が蜂起して暴動を起こした」というような事が有ったのでしょうか。「若い朝鮮人女性20万人の強制連行」に関して「多数の朝鮮男子が蜂起して暴動を起こした」というような記事や話は見た事も聞いた事も有りません。 韓国人は其のような暴動の記事や話を新たにでっち上げるかも知れません。「かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にして虐殺した」とか主張している韓国人が沢山いますが、日本軍が若い朝鮮人女性20万人を連行した証拠があるのでしょうか。 日本軍が若い朝鮮人慰安婦を性奴隷にした証拠があるのでしょうか。 日本軍が若い朝鮮人慰安婦を虐殺した証拠があるのでしょうか。「若い朝鮮人女性20万人の強制連行」の証拠は1つも見付かっていません。 彼ら韓国人が「此れが若い朝鮮人女性20万人強制連行の証拠だ」と主張している「証拠(写真など)」は彼ら韓国人がでっち上げたものです。「若い朝鮮人女性20万人の性奴隷」の証拠は1つも見付かっていません。 彼ら韓国人が「此れが若い朝鮮人女性20万人性奴隷の証拠だ」と主張している「証拠(写真など)」は彼ら韓国人がでっち上げたものです。「若い朝鮮人女性20万人の虐殺」の証拠は1つも見付かっていません。 自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を支援する極左派韓国人活動家は「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の証言こそが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ」と主張し、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の所謂「証言集」を「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の「証拠」として世界中に配りました。 しかし、「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の証言」と言われているものは、法廷などの公式の場で証人として述べた事ではなく、私的な場で昔の記憶をたどりながら述べた事や、他人から指示されたり誘導されたりして述べた事ですので、証拠としての価値は少しも有りません。 また、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を支援する極左派韓国人活動家は「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の存在そのものが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ」と主張していますが、そんな主張には何の説得力も有りません。 能くそんなアホな事を言えるものだな、と呆(あき)れてしまいます。 彼ら韓国人は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の資料を新たにでっち上げて「此れが若い朝鮮人女性20万人強制連行の証拠だ」とか「此れが若い朝鮮人女性20万人性奴隷の証拠だ」とか「此れが若い朝鮮人女性20万人虐殺の証拠だ」とか言い出すかも知れません。 また、性奴隷にされたと主張する自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性は、なぜ1990年頃まで日本非難の声を上げずに大人しくしていたのでしょうか。 また、「日帝は戦争犯罪である慰安婦制度を隠滅する為に、終戦時に日本軍用慰安婦の大多数を虐殺した」と主張する人々は、なぜ日本軍用慰安婦の遺骨発掘作業をしないのでしょうか。

第2次世界大戦以前の世界において、売春は合法であり、慰安婦制度は戦争犯罪ではありませんでした。 日本軍用慰安婦は日本兵より遥かに高い給料をもらっていました。 日本軍の朝鮮人慰安婦は慰安婦として3年も働けば、郷里に帰って立派な家を建てることが出来たのです。

韓国のポータルサイト:ネイバーの記事「【よくわかる!】従軍慰安婦とは、高給取りの自ら志願した戦時売春婦です」(https://matome.naver.jp/odai/2136849619026662901)には次のように書かれています。
従軍慰安婦は高給取りの戦時売春婦である。「従軍慰安婦20万人強制連行」説は文筆家で日本共産党員の吉田清治という者が1983年に捏造したものである。 従軍慰安婦は日本軍と契約した慰安所で働くプロの売春婦である。 当時は公娼制度があり、法律で認められた管理売春があった。

        慰安所の入り口
「身も心も捧ぐ大和撫子のサービス」と書かれているが、当時、慰安婦の半数ほどは朝鮮人であった。

      慰安婦募集広告
左側の慰安婦募集広告には「月収300円以上」と書かれている。 当時、日本兵の月給は15円〜20円、陸軍大将の月給は550円。 慰安婦の月収が如何に高額だったかが分かる。

           日本軍用慰安婦たち
此の写真は韓国の歴史教科書に掲載されているものである。 但し、右端の笑顔を見せている女性はカットされて掲載されている。 彼女たちは従軍慰安婦として働いた3年間で現在の価値で4000万円〜5000万円のお金を貯めた。

   慰安所の料金表
兵 6:00〜16:00 1.5円、 下士官 16:00〜17:00 3.0円、 士官 17:00〜24:00 6.0円。(と此の表に書かれているらしいのですが、残念なことに、此の表に何と書かれているのか判読できません。)


因みに、ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授が2020年12月、法律・経済学の学術誌「International Review of Law and Economics」のオンライン版に「日本軍用慰安婦は性奴隷ではなく、雇用契約を結んだ売春婦であった」という内容の「太平洋戦争における性契約」(“ Contracting for sex in the Pacific War ”)と題する論文を発表しました。 早稲田大学の有馬哲夫教授の『デイリー新潮』への寄稿文(次の @、A、B、C)
@ 2021年3月17日付けの記事「「韓国側の批判は筋違い」、ハーバード大教授「慰安婦論文」批判の悪質な点を指摘する」(https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03170558/
A 2021年3月24日付けの記事「「従軍慰安婦」ラムザイヤー論文への総攻撃が続く、批判者たちへの根本的な疑問」(https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03240602/
B 2021年4月13日付けの記事「ハーバード大「慰安婦」論文を批判する韓国系教授のロジックは強引ではないか(前編)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2021/04130602/
C 2021年4月13日付けの記事「ハーバード大「慰安婦」論文を批判する韓国系教授のロジックは強引ではないか(後編)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2021/04130604/
をお読みになれば、マーク・ラムザイヤー教授の論文「太平洋戦争における性契約」に難癖を付けている「ハーバード大学などの教授」は三流学者である事がお分かりになるでしょう。

● 1993年8月4日に発表された「河野談話」。
朝日新聞が1982年から「吉田証言」や「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を報道するようになった事を受けて、韓国政府は1985年頃から韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の解決を日本政府に執拗に求めるようになりました。 1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、左派日本人(福島瑞穂など、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人)の支援を受けて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集ろうとし、韓国の反日を激しく煽って “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作りました。 1992年1月初旬に宮澤喜一総理大臣(在任 1991年11月5日〜1993年8月9日)の韓国訪問予定が韓国で報道されました。 すると、韓国では昭和天皇の人形が焼かれるなど、反日の気運が異様に高まりました。 こうした状況の中で、宮澤喜一総理大臣は1992年1月16日に韓国を訪問し、韓国の盧泰愚大統領との1時間25分に渡る首脳会談で韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」に関して8回も謝罪したそうです。 宮澤喜一総理大臣は「とりあえず謝っておけば、何とかなるだろう」と思ったのではないでしょうか。 秀才大蔵官僚出身の宮澤喜一総理大臣が平身低頭して謝罪している情景が目に浮かびます。 宮澤喜一総理大臣の8回の謝罪から1年7ヶ月後の1993年8月4日、宮澤内閣の官房長官:河野洋平は所謂「河野談話」を発表し、其の中で次のように発言し、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性に謝罪しました。
慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接に此れに関与した。 慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が此れに当たったが、其の場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接此れに加担した事が明らかになった。 また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。 戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、慰安婦の移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行なわれた。

「河野談話」を受けて、韓国人の大多数が「「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題で日本の立場は韓国の立場よりも弱くなった。 日帝強制占領期に我々韓国人に多くの害を与えた日本を懲らしめたい。 弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」と思うようになり、日本政府に更なる謝罪を求めるようになりました。 此れに対し、日本政府は河野談話を踏襲する形で謝罪しましたが、彼ら韓国人は「日本政府の謝罪は不十分である」「日本政府の謝罪には誠意が無い」「日本政府の謝罪には真心が籠っていない」と難癖を付け、日本政府に更なる謝罪を求めて来ました。 此れに対し、日本政府が再び河野談話を踏襲する形で謝罪しました。 こういう事が繰り返されてきたのです。 此のように、韓国の日本に対する謝罪要求は無限ループ的なのです。 韓国の日本に対する無限ループ的な謝罪要求の背景には、「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いが在る、と思われます。

因みに、河野談話の内容は韓国大統領府と宮澤内閣との間で調整済みのものであった、と言われています。 また、宮澤内閣は韓国大統領府要人から「日本政府が謝罪声明さえ出せば、以降、我々は此の件については何も要求せず何も言わない」と言われ、宮澤内閣は其の発言を真に受けた、と言われています。 また、河野洋平は自らが大の親韓国であり、且つ、大の親中国である事を自らの信条としています。 また、日本に対する無限ループ的な謝罪要求を持っているのは韓国人だけではないでしょう。 北朝鮮の人々も日本に対する無限ループ的な謝罪要求を持っている、と見なして良いでしょう。

ASCII.jpデジタル用語辞典による「無限ループ」の解説
プログラム開発において、ソースコードの条件分岐や繰り返し処理の記述ミスなどによって、プログラムが終了せずに同じ処理が無限に続いてしまう事。 文法的、あるいは、論理的な誤りがあると起こりやすい。

● 韓国の歴史教科書には「朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」と書かれている。
昔から朝鮮の歴史学者は自己の願望に従って朝鮮の歴史を記述して来ました。 朝鮮では昔から歴史捏造が行なわれて来たのです。 日本人にとって歴史は過去に起きた事柄を客観的に検証し事実に迫ろうとするものですが、韓国人にとって歴史は「・・・であったら、いいな」という妄想的願望や「・・・であるべきだ」という妄想的理念で作られた妄想的物語です。 そして、韓国人は其の妄想的物語を歴史上の事実だと信じ込みます。 韓国では歴史以外の事においても同じような事が日常的に起きます。 韓国人の心や頭の中では全般的に「・・・であったら、いいな」という妄想的願望がやがて「・・・であるべきだ」という妄想的理念に変化し、更に、「・・・であるべきだ」という妄想的理念が「・・・である」という妄想的事実認定に変化し、其れが彼ら韓国人の口から妄想的発言として表出されるのです。

先に述べたように、此の論述では、「妄想的」という言葉を「妄想のような」という意味ではなく、「妄想そのものの」という意味で使っています。 ですから、「妄想的願望」は「妄想そのものの願望」という意味であり、「妄想的物語」は「妄想そのものの物語」という意味であり、「妄想的事実認定」は「妄想そのものの事実認定」という意味であり、「妄想的発言」は「妄想そのものの発言」という意味です。

李承晩政権発足(1948年8月15日)以来の韓国では「両班」出身の政治指導者の作った歴史教科書で歴史捏造反日教育が行なわれて来ました。 其の歴史教科書には「朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」と書かれています。

「元」の初代皇帝フビライ・ハン(在位 1271年〜1294年)は、元軍による対日本侵攻(元寇)の1回目(文永の役、1274年)のときにも、2回目(弘安の役、1281年)のときにも、「モンゴル帝国による高麗への大規模侵略」(1231年〜1258年)の過程で遼河の下流域に強制移住させられた高麗人60万人の子孫の中から高麗成人男子2万人〜3万人を徴集し、彼らを対日本侵攻用の下士官や兵や雑役夫として元軍を編成しました。 元寇のときに日本に攻め込んできた元軍の構成員の内、士官(将校)はモンゴル人でしたが、下士官(兵を直接的に管理・掌握する役目を持つ者)や兵(下士官によって直接的に管理・掌握される者)の全ては、「モンゴル帝国による高麗への大規模侵略」(1231年〜1258年)の過程で遼河の下流域に強制移住させられた高麗人60万人の子孫の中から徴集された高麗成人男子だったのです。 ですから、元寇のときに日本に攻め込んできた元軍の構成員の大多数は高麗人(朝鮮人)だったのです。 高麗が元王朝の従属国になっていた時代(1271年〜1356年)の高麗の忠烈王(在位 1274年7月〜1308年)は元軍による対日本侵攻を「元」の初代皇帝フビライ・ハンに進言した、と言われています。「元」の初代皇帝フビライ・ハンは元寇の1回目のときにも、2回目のときにも、高麗を対日本侵攻の為の兵站基地にし、高麗の忠烈王をして軍船900隻前後を作らせました。 そして、高麗の忠烈王は元寇の1回目のときには高麗軍(高麗兵7000人、高麗水夫6700人)を編成して此れを元軍に合流させ、元寇の2回目のときには高麗軍(高麗兵1万人、高麗水夫1万7000人)を編成して此れを元軍に合流させました。 元寇の1回目(文永の役)の時、元軍・高麗軍は対馬・壱岐に襲来して上陸し、対馬・壱岐の住民の大多数を殺害して対馬・壱岐を占領し、更に、平戸島から博多湾にかけての一帯に襲来して上陸しましたが、日本の武士軍団に撃退されました。 撤退した高麗軍は対馬の童男童女200人を朝鮮に連行して忠烈王に献上しました。 元寇の2回目(弘安の役)のときにも、元軍・高麗軍は対馬・壱岐に襲来して上陸し、対馬・壱岐を占領し、更に、博多湾の沿岸から上陸しようとしましたが、日本側の防御体制に阻まれて上陸できませんでした。 以上のような「元軍による対日本侵攻に加担した高麗軍の対日本侵攻」は「侵略」と言って良いものでしょう。 ですから、「朝鮮は外国を侵略した事が無い」とは言えないでしょう。

韓国の歴史教科書には「朝鮮は平和国家であった」と書かれていますが、「朝鮮は平和国家であった」とは言えないでしょう。 なぜなら、500年間ほどに渡って続いた李氏朝鮮において、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は利権を同じくする者同士で党派を作り、激烈な党争(党派争い)を繰り広げ、争いに勝った側は負けた側に逃げ道を与えずに負けた側の一族を皆殺しにするという事を繰り返してきた上に、朱子学を自分に都合よく解釈しながら500年間ほどに渡って格差原理思想を核心とする朝鮮儒教で「常民」や「奴婢」を支配し、更に、両班(上級両班、下級両班)は「常民」の所有物を好き勝手に代価も払わずに自分のものにした上に、「常民」に対して借金という口実で無慈悲な金銭取り立てを行ない、更に、王族や上級両班は「奴婢」という家畜同然の奴隷を所有していたからです。

先に述べたように、朴正熙政権は1964年から1972年まで自ら進んでベトナムに韓国陸軍を派遣し、ベトナム戦争でアメリカ軍に加担しました。 朴正熙政権は1964年に2千人の韓国兵を、1965年から1972年までは毎年2万人〜5万人の韓国兵をベトナムに派遣しました。 そして、ベトナム戦争に参加した韓国陸軍はベトナム民間人9000人を虐殺し、多くのベトナム人女性を強姦し、彼女たちを韓国陸軍将兵用の慰安婦として強制的に働かせ、「ライダイハン」と言われる子供を沢山(正確な数は不明)作りました。 此れでは「大韓民国は外国を侵略した事が無い」とは言えないでしょう。 韓国人は此れらの事実(韓国陸軍によるベトナム民間人9000人の虐殺、並びに、韓国陸軍によるライダイハンの産出)を決して認めようとしません。 此れでは「大韓民国は平和国家である」とは言えないでしょう。

因みに、韓国の文在寅大統領はノーベル平和賞をもらいたかったのでしょうか、文在寅大統領は2019年6月にスウェーデンを訪問し、6月14日にスウェーデン議会で演説し、その中で「五千年の歴史を持つ大韓民国・北朝鮮は如何なる国をも侵略した事が無い」と述べました。 どうせなら、文在寅大統領はノルウェー議会で演説した方が良かったのではないでしょうか。

● 敗戦後の日本における在日朝鮮人の横暴。
日本の敗戦(1945年8月15日)から1950年代前半にかけての日本国内では、在日朝鮮人が「おれたちは戦勝国民だ。 敗戦国民の日本人が何を言うか」と言って、横暴の限りを尽くし、多くの凶悪事件を起こしました。 戦前・戦中の日本人の大多数は在日朝鮮人を嫌っていませんでしたが、日本の敗戦後、在日朝鮮人が「おれたちは戦勝国民だ。 敗戦国民の日本人が何を言うか」と言って、横暴の限りを尽くし、多くの凶悪事件を起こしてからは、日本人の大多数が在日朝鮮人を嫌うようになりました。

動画「【れいわ新選組から『怨念の塊男』が参院選に出馬決定!】記者会見で『日本への恨み』を絶叫したキムテヨン候補!なんでこんな日本に恨みしかない人間が国会議員に立候補するんだよ!選挙制度おかしくないですか?」(https://www.youtube.com/watch?v=V6HbsM4ZtRg)をご覧になってください。

また、「朝鮮進駐軍(ウィキペディア)」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D)をご覧になってください。

● 韓国人は全般的に「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴えないでは居られない。 韓国人は全般的に世界中の人々に対して「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを売りにしている。
「人類は皆兄弟だ。 だから人は皆仲良くすべきだ」と主張する人がいます。 現代の人類学では次のように考えられています。「今から250万年ほど前にアフリカ大陸でホモ・サピエンスというヒト属が発生して増殖した。 同じく今から250万年ほど前にユーラシア大陸ではホモ・ネアンデルタールやホモ・エレクトスなどのヒト属が発生してユーラシア大陸に広く生息するようになった。 一方、ホモ・サピエンスは今から10万年ほど前にユーラシア大陸に移動し始め、ユーラシア大陸で徐々に勢力を広げ、今から7万年ほど前から3万年ほど前にかけて、ホモ・ネアンデルタールやホモ・エレクトスなどに取って代わって現生人類になった」。 ですから、「人類は皆兄弟だ」という主張は正しいのでしょう。 ですが、ホモ・サピエンス(現生人類)は多くの兄弟集団に分かれ、兄弟集団同士で相手方の兄弟集団を皆殺しにするほどの凄惨な兄弟喧嘩を頻繁に繰り返して来ました。 人類の歴史では「強い人間集団(民族、部族、宗教団体、国)が弱い人間集団(民族、部族、宗教団体、国)を征服して栄える」という弱肉強食が断続的に数多く行なわれて来たのです。 そして、其の過程で弱い人間集団は滅んだのです。 そもそも、「ホモ・サピエンスは今から10万年ほど前にユーラシア大陸に移動し始め、ユーラシア大陸で徐々に勢力を広げ、今から7万年ほど前から3万年ほど前にかけて、ホモ・ネアンデルタールやホモ・エレクトスなどに取って代わった」という事は「ホモ・サピエンスは今から10万年ほど前にユーラシア大陸に移動し始め、ユーラシア大陸で徐々に勢力を広げ、今から7万年ほど前から3万年ほど前にかけて、ホモ・ネアンデルタールやホモ・エレクトスなどを殺したり追い払ったりして死滅させた」という事でしょう。

韓国の歴史教科書に「朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」と書かれているという事は、「朝鮮は過去五千年間に渡って、他の民族や他の国を侵略できるだけの強い力を持つことが出来ず、他の民族や他の国から一方的に侵略されるだけの弱弱しい人間集団だった」と韓国人が自ら認めたも同然です。 そして、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国の学校の教員をして学生や生徒に「朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」と教えさせ、其のように教育された韓国人をして「朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」と世界に向かって主張させたい、と思っているのでしょう。 そして、其のように教育された韓国人が「韓国人は外国を侵略した事が無い平和の民だ」と弱者振り、現代の国際社会で大きな勢力を持っている人権派(「社会的弱者の権利を擁護し、社会的弱者を救済すべきである」という観念に凝り固まって此の観点でしか世界を解釈できない人々)に「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」を訴えかけ、更に、国連人権委員会(注:国連経済社会理事会の下部機関。 人権派と言われている人々の集まり。 2006年6月から格上げされて「国連人権理事会」となる)の場でも「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」を訴え、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし、「自国の歴史を捏造してでも被害者振って国際社会で同情を勝ち取り、日本を激しくバッシング(bashing)する事で日本に対する国際的評価を下げ、日本に対する国際的評価を下げる事で日本に謝罪させ、日本に謝罪させる事で韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示し、韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示す事で日本を屈服させよう」と思って来たのです。 手短に述べれば、彼ら韓国人は「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴えて来たのです。 そして、これからも彼ら韓国人はそうする積もりでいるようです。 韓国人は全般的に「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴えないでは居られないのです。 韓国人は全般的に世界中の人々に対して「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを売りにしているのです。 彼ら韓国人は世界中の人々に対して「 日帝による被害者」を永久に演じる積もりでいるのでしょう。

● 韓国の反日(反日観念、反日活動、反日教育、反日政策)は韓国の国是になった。
左派韓国人は親北朝鮮&反アメリカです。 中でも左派韓国人活動家は極度に親北朝鮮&極度に反日&極度に反アメリカです。 極左団体「親日人名辞典編纂委員会」が「日帝植民地支配時代に親日行為を行なった人々」の名前と其の親日行為とを編集し、其の編集内容を2009年11月に「親日人名辞典」全3巻として発表しました。 此の辞典には親日派4398人の名前と其の親日行為が記載されています。 そして何と、此の辞典には朴正熙大統領の名前と親日行為が記載されているのです。 韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の2014年12月21日付けの記事によれば、ソウル市議会は此の辞典をソウル市内の全ての中学校と高等学校とに配布する為の予算案を通過させました。 同紙によると、ソウル市議会議員の1人は「教師が親日派について正しく知った上で歴史の授業を行ない、朝鮮民族の正当性を生徒に教える為の事業である」とコメントしました。

今の韓国で親日発言をすると、多方面から徹底的に叩かれて、社会的に抹殺される恐れが有ります。 今の韓国では裁判官でさえ韓国一般庶民の反日心情を考慮せずに親日判決を下すと、多方面から徹底的に叩かれて、社会的に抹殺される恐れが有ります。 2004年9月、ソウル大学の李栄薫教授が韓国のテレビ報道に出演して「日本軍用慰安婦は売春婦である」と発言したところ、其のテレビ報道の撮影現場内で極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の一員から殴る蹴るの暴行を受け、「ナヌムの家」(注:自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性が共同生活をしている施設)に連れて行かれ、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性に朝鮮式の土下座(ひざまずいて額を地面や床に押し着けて屈服の意を表明)をするように命令され、其の命令通りに土下座しました。 2013年5月、ソウルの或る公園で95歳の老人と酒に酔った37歳の男(1976年頃の生まれ)とが世間話しをしている最中に95歳の老人が「日本統治時代は良かった」と発言したところ、酒に酔った37歳の男が此の発言に逆上し、95歳の老人を蹴飛ばし、更に、其の老人の杖を奪って其の杖で怒りに任せて其の老人の頭などを殴りまくりました。 其の老人は病院に運ばれて治療を受けましたが、死にました。 此の事件に対して、韓国のインターネットサイトには、殺された老人への同情の声が多く上がりましたが、其れ以上に「其の老人は殺されて当然だ」とか「其の老人を殴り殺した男に勲章を上げたい」とか「其の老人を殴り殺した男は愛国者だ」とか「其の老人を殴り殺した男に懲役5年の刑を下した裁判官は売国奴だ」とかいう発言が溢れました。 韓国では、日本による朝鮮植民地支配についての肯定的な見解を本に書いて発表したり、「日本軍用慰安婦は自発的な売春婦だった。 日本軍用慰安婦は日本軍と協力関係にあった」という見解を本に書いて発表したりすると、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性から訴訟を起こされたり、検察から在宅起訴されたりして、裁判に掛けられてしまいます。 世宗大学の朴裕河教授は2013年に『帝国の慰安婦』という本を発表しました。 朴裕河教授は此の本の中で「日本軍用慰安婦になった韓国人女性は強制連行されたのではない。 日本軍用慰安婦になった韓国人女性は自発的な売春婦であり、日本軍への自発的な協力者であった」という意味の事を述べました。 此れに対し、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性が2014年に朴裕河教授を名誉棄損で告訴しました。 朴槿恵政権下のソウル東部地検は2015年11月に「『帝国の慰安婦』の内容は虚偽である」と断定し、朴裕河教授を名誉毀損の罪で在宅起訴しました。 先に述べたように、韓国人の大多数は極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が主張した “「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」という100%の虚偽 ” を信じ込み続け、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の作った “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を「日帝によって不法に植民地支配された朝鮮民族の怨念と悲しみとを象徴する “ 神に近い存在 ” 」として崇めて来ました。 そして、韓国では “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” は聖域(注:侵してはならないとされている領域。 異論や疑義を差し挟んではならないとされている事柄)とされ、此の “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” に異論や疑義を差し挟む事はタブー(禁忌)とされてきたのです。 そして、此のタブー(禁忌)を破った者に対しては鉄槌が下されて来ました。

以上のようにして、反日韓国人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が作られて来ました。 そして、反日でない韓国人が「反日でなければ、韓国人でない」と非難されるほどにまでなりました。 韓国の反日(反日観念、反日活動、反日教育、反日政策)は韓国の国是になったのです。 韓国は国を挙げて日本に対する国際的評価を下げようとし、「日本は悪事を悔い改めようとしない」とか「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」とか「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」とかいうイメージを世界中の人々に植え付けようとして来ました。 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とに凝り固まり、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らして来ました。 拓殖大学教授の呉善花さんがお書きになった記事「日本は韓国との関係改善急がず少し距離置くべき」(http://www.news-postseven.com/archives/20140913_274952.html?PAGE=1#container)をご覧になってください。

● 女性のためのアジア平和国民基金(通称:アジア女性基金)
村山富市内閣(1994年6月〜1995年8月)は、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性に補償し、且つ、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を解決する目的で1995年7月に「女性のためのアジア平和国民基金(通称:アジア女性基金)」を設立しました。 アジア女性基金が自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性に渡す予定の補償金は日本国民からの拠出金で賄う事になっていました。 日本国民からアジア女性基金への拠出金が順調に増えたので、日本政府は1996年8月からフィリピン・韓国・台湾の「「元日本軍用慰安婦」と認定された女性たち」に1人当たり200万円の補償金を渡し始めました。 ところが、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「アジア女性基金から補償金を受け取ることは自発的な売春婦である事を自ら認めることになる」と主張し、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性に対してアジア女性基金から補償金を受け取らないように圧力を掛けました。 そして、アジア女性基金から補償金を受け取った韓国人女性61人に対して極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「彼女らは民族の自尊心を売った連中だ」と糾弾しました。 其の為、韓国政府に登録された「元日本軍用慰安婦」韓国人女性236人中の175人はアジア女性基金から補償金を受け取りませんでした。 日本国民からアジア女性基金への拠出金は総額5億6500万円でした。 此の5億6500万円にアジア女性基金の基礎資金からの500万円が加算された5億7000万円がフィリピン・韓国・台湾の「「元日本軍用慰安婦」と認定された女性たち」285人に1人当たり200万円ずつ渡されました。

● 1995年8月15日に発表された「村山談話」。
1995年(平成7年)8月15日、内閣総理大臣:村山富市は「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する談話(所謂「村山談話」)を発表し、其の中で次のように述べました。
今、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべき事は、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を見据えて人類社会の平和と繁栄への道を誤らない事であります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。 私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもない此の歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表わし、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。 また、此の歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とは! 何という自虐史観でしょうか。

● 極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は長年に渡って自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を利用して「寄付金ビジネス」を行なってきた。
1990年11月に結成された極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は2018年7月に名称を変えて「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」となりました。 1990年から2020年まで30年間に渡って自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の一人として挺対協(正義連)の活動に参加してきた李容洙(イ・ヨンス)が2020年5月7日に記者会見を開き、「水曜集会には来週から参加しない。 水曜集会は此れに参加する学生に憎しみばかりを教える。 水曜集会は寄付金集めを目的としているので、水曜集会を無くすべきだ。 水曜集会は「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の解決に役立たない。 水曜集会に参加した学生が出した寄付金はどこに使われるか分からない。 集まった寄付金は「元日本軍用慰安婦」の為に使うべきだが、集まった寄付金は「元日本軍用慰安婦」の為に使われた事が無い。 挺対協が日本軍用慰安婦被害の事例をまとめて出版した本は、内容の検証が行なわれないまま販売されている。 もう二度と日本軍用慰安婦支援団体と関わらない。 此れからは、韓国の若者と日本の若者とが正しい歴史教育を受けて仲良くしながら話し合ってこそ「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題が解決される。 日本からの謝罪と賠償は千年たっても受けなければならない」と発言し、自身が挺対協(正義連)に利用されて来た事など、挺対協(正義連)の悪事や不正を韓国社会に告発し、日本に対しては謝罪と賠償とを乞(こ)い続ける意思を表明しました。 尹美香(ユン・ミヒャン)という女性が1992年に挺対協の一員になり、2008年から2020年5月まで挺対協(正義連)の代表(理事長)を務めて来ました。 挺対協(正義連)に寄せられた寄付金を尹美香が自分名義の銀行口座に入れていた事や、挺対協(正義連)が北朝鮮へ送金していたことなど、尹美香に対する寄付金横領疑惑や、挺対協(正義連)に対する寄付金流用疑惑が李容洙の告発以降、次々と報道され、「ナヌムの家」で2015年から2020年までに集められた寄付金7億9000万円の97.7%が不正に使われていた事が韓国マスメディアで報道され、挺対協(正義連)が自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を利用して「寄付金ビジネス」を行なってきた事が韓国内で広く知られるようになりました。 しかし、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」が韓国で全面的に否定された訳ではありません。 2020年10月の時点で、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」は韓国でまだまだ大きな支持を得ています。 なぜなら、韓国人の中でも左派韓国人活動家は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を使って日本を見下して日本を永久に徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたいと思っているからです。「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題は左派韓国人活動家が日本を見下して日本を永久に且つ徹底的に懲らしめる上で最も重要な道具なのです。 左派韓国人活動家が日本を見下して日本を永久に且つ徹底的に懲らしめる上で「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題の次に重要な道具は「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題です。 もし「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」と「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」との両方が韓国で全面的に否定されてしまえば、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」が崩壊してしまうのです。 もし「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」と「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」との両方が世界中で全面的に否定されてしまえば、左派韓国人は自分や自国が完全否定されたように感じるでしょう。 其れほどにまで「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題と「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題は左派韓国人にとって日本を見下して日本を永久に且つ徹底的に懲らしめる上で重要な道具なのです。 因みに、2020年10月の時点で、尹美香は韓国左派政党「共に民主党」の党員であり、且つ、韓国の国会議員であり、反日の功労者として左派韓国人から高く評価されています。

李容洙(イ・ヨンス)は1990年代には『友達に誘われ、黙って家を出て、特に考える事なく、日本軍について行った』と言っていましたが、2002年には『14歳で銃や刀を突き付けられて連れて行かれた』と言い、2007年には『日本軍によって拉致された』と言うなど、自分の所謂「証言」を其の時々で変えて来ました。 李容洙(イ・ヨンス)は奴婢の子孫である、と思われます。

● 韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、韓国人の74%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになり、且つ、「現代版格差原理思想」に基づく序列観念を持つようになった。 其れと同時に、「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差が明確になり、其れと同時に、韓国社会は個々人の持つ格の上下によって個々人が上下に一列に整列されたような序列社会になった。 1987年6月に韓国の民主化が実現してから加速度的に増大して行った「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃以降においては爆発的に増大して行き、韓国社会はひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会になった。

先に述べたように、李氏朝鮮(1392年〜1910年)の社会は、朝鮮人全体の7%を占める「王族を含めた「両班」階級」と、朝鮮人全体の50%を占める「常民」階級と、朝鮮人全体の43%を占める「奴婢」階級とで構成されていました。 そして、「両班」は官僚の役職で格付けされていました。「常民」は「両班」より下に格付けされていましたが、「常民」階級の中では個々人の格差は無く、誰もが対等でした。「奴婢」階級は「常民」階級 より下に格付けされており、「奴婢」階級は更に幾つかの階級に分かれており、各階級間で格差がありましたが、それぞれの階級の中では個々人の格差は無く、誰もが対等でした。 1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府は李氏朝鮮併合1年前の1909年に「李氏朝鮮に戸籍制度を導入し、姓を持つ事を許されていなかった「奴婢」にも姓を持たせ、戸籍に身分を記載する事なく登録させるという改革」を実行し、朝鮮の奴隷制度を無くしただけでなく、朝鮮の身分制度を無くして制度上の身分格差を解消しました。 其の為、「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差がかすかに生まれてきました。 此のような状況の中で「格差原理思想」が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間にかすかに広まった、と考えられます。 時が経ち、戦後になり、「両班」出身者(両班の子孫)が「格差原理思想」に替わるものとして1950年代から持つようになった「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に徐々に広まり、其の影響で1970年代に「常民」階級出身者の70%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の20%ほどが割りとはっきりした「現代版格差原理思想」を持つようになり、其の影響で「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差が割りとはっきり現れるようになりました。

先に述べたように、韓国では1961年5月から1987年6月まで26年間に渡って軍事独裁政権が続いた為、此の期間中、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いはかなり抑えられた、と思われます。 1987年6月に韓国の民主化が実現して以降、「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが加速度的に増大して行きました。 そして、韓国人は「自分を少しでも上位・格上にする為には自分の競争相手を蹴落とすことは当然である」と思うようになり、彼ら韓国人は此の思いを正当化する為に「現代版格差原理思想」を必要としました。 其の為、韓国の民主化の実現(1987年6月)以降、「現代版格差原理思想」が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に急激に広まり、韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、「常民」階級出身者の95%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の50%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになりました。 そして、先に述べたように、「両班」出身者(両班の子孫)は1950年代から「現代版格差原理思想」を持つようになり、1980年代前半には「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が「現代版格差原理思想」を持つようになっていた事を併せて、韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、韓国人の74%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになり、且つ、「現代版格差原理思想」に基づく序列観念を持つようになりました。 そして、1987年6月に韓国の民主化が実現してから加速度的に増大して行った「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃以降においては爆発的に増大して行きました。 そして、其れと同時に、「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間でも個々人の格差が明確になりました。 そして、其れと同時に、韓国社会は個々人の持つ格の上下によって個々人が上下に一列に整列されたような序列社会になりました。 そして、「大学を卒業してこそ、人間扱いされる。 大学を卒業しなければ、人間扱いされない」という思いが韓国中に広まり、中卒・高卒でブルーカラー労働者(blue collar worker)として働く人は人間扱いされなくなりました。 此のような社会では誰もが少しでも上位・格上を目指して一所懸命になるものです。 こうして、1987年6月に韓国の民主化が実現してから加速度的に増大して行った「少しでも上位・格上を目指そう」という韓国人の思いが韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃以降においては爆発的に増大して行き、韓国社会はひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会になりました。 そして、一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚が李氏朝鮮の両班のように韓国の特権階級を形成し、韓国は勝者と敗者とがはっきり分かれた序列格差社会になって行くことになります。

● 韓国人の感性水準・知性水準の概要。
韓国の大学受験競争は熾烈です。 韓国の中学校や高等学校には部活動が有りません。 韓国の生徒は放課後に多くの補習授業を受けたり、放課後に学習塾に通ったりして、ひたすら学校の勉強に励みます。 但し、韓国の20校ほどの高等学校ではプロ野球選手やプロサッカー選手やプロゴルフ選手を育成する為の特別な教育課程を編成し、放課後も生徒たちに野球やサッカーやゴルフの練習を盛んにやらせているようです。 韓国では裕福な家庭がたくさん集まっている地域では小学1年生の大多数が学習塾に通い、小学2年生の全てが学習塾に通っています。 そして、小学生でも放課後に子供同士で遊ぶという事が有りません。 韓国という国は、其のように育てられた人々や、其のように育てられている人々で溢(あふ)れ返っているのです。 ですから、韓国という国は、国全体が物凄いストレス社会になっています。 韓国では大学入学試験の開始時刻に遅刻しそうな受験生が警察の白バイに乗せてもらって入学試験会場まで運んでもらうという事が公認されています。 其れほどにまで韓国の大学受験競争は異様です。 韓国で異様なものは大学受験競争だけではなく、韓国という国の全体が異様なのです。 韓国人のほとんど全ては大学受験競争の過程で学校のお勉強に熱を入れ過ぎる為、彼らの感性・知性・理性は真っ当に育たず、其の為、韓国人のほとんど全ては真っ当な感性・真っ当な知性・真っ当な理性を持っていません。 ですから、韓国人の民度はとても低いのです。 韓国人は「我々は受験勉強を一所懸命にやって来たのだから、我々は頭が良(い)いはずだ」と思っているようですが、受験勉強(学校のお勉強)をどんなに一所懸命にやっても、頭は良くなりません。 韓国人には此の辺りの事が理解できないのです。 韓国人は仕事や観光で日本に来て「創業三百年」というような看板を見ると、彼らの大多数は「此のお店は代々に渡って一流大学に入れるような頭の良い子が生まれてこなかったのだろう」と思います。 彼ら韓国人の感性水準・知性水準は此の程度なのです。 また、韓国では自転車や小さい四輪自動車に乗っている人は馬鹿にされ、大きくて立派に見える四輪自動車に乗っている人は尊敬されます。 韓国人は全般的に「自転車や小さい四輪自動車は貧乏人が乗る車だ。 高級車に乗りたいとか高級車を買いたいとか思うのが人間の本能だ」と思っています。 韓国人が日本にやって来て、多くの日本人が自転車や小さい四輪自動車(軽自動車)に乗っているのを見ると、彼ら韓国人のほとんど全ては「日本人は貧乏だから、自転車や小さい四輪自動車に乗っているんだ。 日本は貧乏な国なんだ」と思うのです。 日本にやって来た韓国人は全般的に「多くの日本人が自転車や小さい四輪自動車に乗っているのは、彼ら日本人が貧乏だからだ」と思うのです。 韓国人は全般的に「自転車や小さい四輪自動車は社会的に卑しい者や経済的に卑しい者が使う乗り物だ」と思っています。 ですから、韓国では誰も自転車や小さい四輪自動車に乗りたいとは思いません。 社会的身分の高い韓国人や経済的地位の高い韓国人は「高級車」と広く認知されている車にしか乗りません。 韓国人の感性水準(人間集団を構成する個々人の感性の平均的な発達程度)や、韓国人の知性水準(人間集団を構成する個々人の知性の平均的な発達程度)は此の程度なのです。

『日本経済新聞』は2024年2月21日に「韓国で医療危機、研修医8000人辞表 医学部定員増に反発」と題する記事(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM215K70R20C24A2000000/)を発表しました。 此の記事の一部分を引用しておきます。
韓国政府が地方の医師不足解消のため打ち出した大学医学部の定員増方針を巡り、反発する研修医8000人以上が集団で辞表を提出した。 手術のキャンセルや入院の延期が相次ぐなど市民生活に支障が出始めた。 総選挙を4月に控え、政府は早期解決に向けて強制捜査など強硬策を検討する。
韓国政府によると、21日時点で100病院の研修医8816人が辞職を申し出た。 研修医全体の7割近くにのぼり、<後略>

『日本経済新聞』は2024年3月25日に「韓国医学部教授、一斉に辞表提出 医学部定員増案に反発」と題する記事(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM253R80V20C24A3000000/)を発表しました。 此の記事の一部分を引用しておきます。
韓国医療界は25日、政府が掲げる大学医学部の定員増に強く反発して医学部教授らが一斉に辞表を提出した。受理までは勤務を継続し、条件付きながら政府との対話にも応じる意向を示す。辞表提出で尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権を揺さぶり、定員増の撤回を求める。「研修医への処罰は医学部教授の辞職を触発し、韓国の医療システムの崩壊につながる」との懸念を伝えた。 全国医科大学教授協議会は25日、<後略>

韓国人の民度は今なお民主制で国を治められる水準には達していないようです。 韓国という国は、国全体が異様です。 純正日本人の方々には此の論述を読み進めるに連れて、韓国人の感性水準の低さ加減、韓国人の知性水準の低さ加減、韓国人の理性水準の低さ加減、並びに、韓国人の民度の低さ加減、韓国の異様性を嫌というほど理解して頂けるでしょう。

● 韓国人は全般的に自分と他者との関係を「格の上下関係(力の上下関係)」でしか考えることが出来ず、自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を持っている。 韓国社会には「対等な人間関係」というものが無い。 韓国人は全般的に「格下の者(力の弱い者)と見なされる事を酷く嫌い、其の思いから尊大に振る舞う」という性癖を遺伝子レベルで身に着けている。 韓国人は全般的に自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出す性癖を遺伝子レベルで身に着けている。 韓国人は全般的に自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出さないで他者とうまく付き合うという知恵を持ってない。

先に述べたように、韓国人の大多数が「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)を持つようになったと同時に、韓国社会は個々人の持つ格の上下によって個々人が上下に一列に整列されたような序列社会になりました・・・@ 。 そして、朝鮮では李氏朝鮮時代以来、「格上である」=「力が強い」、並びに、「格下である」=「力が弱い」 が成り立ち続け、今の韓国でも成り立っている為、韓国人は全般的に自分と他者との関係を「格の上下関係(力の上下関係)」でしか考えることが出来ず、自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を持っています・・・A 。 @とAとから、韓国社会には「対等な人間関係」というものが無い、と言えます。 そして、韓国人は自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出します。 以上を分かり易く言えば、次のように言えます。 韓国社会では力を持つ者は力を持たない者に威張り散らします。 力を持つ者はそうする事で力を持たない者に「自分は格下だ」と実感させるのです。 韓国人は社会的身分、経済的地位、年齢、学歴、人種などで自分の相手が自分より格上である(力が強い)か、自分より格下である(力が弱い)かを速やかに判断し、「相手は自分より格下である(力が弱い)」と判断すると、相手を自分の下男と見なし、相手に対して威圧的に出て、相手を従わせようとし、「相手は自分よりもほんの少しだけ格下である(力が弱い)」と判断したときでも、相手を従わせようとします。 ですから、韓国人は自分より格下である(力が弱い)と見なす者に助けられも、其の者に感謝しません。 韓国人は「自分より格下の者(力の弱い者)に感謝なんて出来るか。 自分より格下の者(力の弱い者)に感謝なんてしたら、自分は其の者より格下になってしまう」と思うのです。 同様に、韓国人は自分より格下である(力が弱い)と見なす者には謝罪しません。 韓国人は「自分より格下の者(力の弱い者)に謝罪なんて出来るか。 自分より格下の者(力の弱い者)に謝罪なんてしたら、自分は其の者より格下になってしまう」と思うのです。 また、韓国人は格下の者(力の弱い者)と見なされる事を酷く嫌いながらも、「相手は自分より格上である(力が強い)」と判断すると、彼ら韓国人は格上と見なした相手に下男のように従います。

韓国では「謙虚である」という事は美徳ではありません。 韓国では「謙虚である」という事は「格下である(力が弱い)」と同等です。 つまり、韓国人の頭の中では「謙虚である」=「格下である」=「力が弱い」 が成り立っているのです。 ですから、韓国人は謙虚な人を格下の者(力の弱い者)と見なします。 朝鮮では李氏朝鮮時代以来、朝鮮人の頭の中で「格上である」=「力が強い」、並びに、「格下である」=「力が弱い」 が成り立ち続け、今の韓国人の頭の中でも成り立っている為、韓国人は自分と他者との関係を「格の上下関係(力の上下関係)」でしか考えることが出来ず、自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を持っているのです。 其の為、韓国人は全般的に「格下の者(力の弱い者)と見なされる事を酷く嫌い、其の思いから尊大に振る舞う」という性癖を遺伝子レベルで身に着けている、と考えられます。 そして、更に、同じ理由から、韓国人は全般的に自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出す性癖を遺伝子レベルで身に着けている、と考えられます。 韓国人は両班支配体制が生み出した気質・性癖を今なお身に着けているのです。

今の韓国社会には「格上の者(力の強い者)は格下の者(力の弱い者)を従わせて当然だ。 格下の者(力の弱い者)は格上の者(力の強い者)に従って当然だ」という観念が今なお色濃く生きています。 言葉を換えて述べれば、今の韓国社会には「格差原理思想」(「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という思い)が韓国上流階級の間で今なお色濃く生きているのです。 ナッツ・リターン事件はよく知られています。 此の事件は、大韓航空の従業員が泣き寝入りをしなかったので、韓国マスメディアで大きく取り上げられましたが、此の種の事柄は韓国では日常茶飯事であり、此の種の事柄は韓国では滅多に表沙汰になりません。

韓国人は外国に行っても威張ります。 韓国人の中でも韓国大統領府の要人や韓国政府の高官は「韓国より格下の国(力の弱い国)だ」と思っている国の政府高官に威張ります。 韓国大統領府の要人や韓国政府の高官は「韓国より格上の国(力の強い国)だ」と思っている国の政府高官には威張りません。 彼らの此のような態度は、彼らが「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)を持っているという事、並びに、大韓民国の成立(1948年8月15日)当時には味噌っかすのような国であった韓国が2018年には名目GDP(USドル換算値)ランキングで世界10位になり、購買力平価GDP(USドル換算値)ランキングで世界14位になったこと、並びに、韓国が味噌っかすのような国から短期間で経済中位国になったことを彼らが非常に誇らしく思い、「韓国人は世界一優秀な民族である。 我々韓国人の価値観は世界中で通用する」と思っていること、並びに、彼らが「格下の者(力の弱い者)と見なされる事を酷く嫌い、其の思いから尊大に振る舞う」という性癖を遺伝子レベルで身に着けていること、並びに、彼らが自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出す性癖を遺伝子レベルで身に着けていることに因(よ)るのです。 韓国人は全般的に自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出さないで他者とうまく付き合うという知恵を持っていません。 此れを見ても、韓国人の民度の低さ加減が分かります。

韓国の事情に詳しい室谷克実さんの文章を載せた夕刊フジの記事「昔 “ 両班 ” 今 “ 財閥 ” 前近代的な “ 身分制度 ” がいまだに機能する韓国」(http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160414/frn1604141140001-n1.htm)をご覧になってください。

「道徳」の定義を「人間集団内を親和的に保つ為に、人間集団を構成する個々人全員が守る事を要求される内面的規範の総体」とすれば、自分と他者との関係を「格の上下関係(力の上下関係)」でしか考えることが出来ない韓国社会に「道徳」と言えるようなものは無い、と言って良いでしょう。

● 韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国が中国共産党から酷い扱いを受けても、「我々は中国共産党による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、中国共産党に反感すら持たない。

朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月に休戦)では中国軍が圧倒的に強かったので、其の当時の韓国の政治指導者は「中国共産党を恐れる気持ち」を持った、と思われます。 中でも其の当時の「両班」出身の政治指導者は「中国共産党を恐れる気持ち」を強く持った、と思われます。 先に述べたように、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つほどにまでなりました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けました。 そして、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降の「「両班」出身の政治指導者」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の子孫である、と思われます。 ですから、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降においても、「両班」出身の政治指導者は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベルで身に着けていた、と思われます。 其の為、其の当時の「両班」出身の政治指導者は朝鮮戦争での中国軍の圧倒的強さを知って「中国共産党を恐れる気持ち」を強く持った、と思われます。 一方、其の当時の「常民」階級出身の政治指導者や、其の当時の「奴婢」出身の政治指導者は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を身に着けていなかったので、其の当時の「常民」階級出身の政治指導者や、其の当時の「奴婢」出身の政治指導者は朝鮮戦争での中国軍の圧倒的強さを知っても「中国共産党を恐れる気持ち」を或る程度持つにとどまった、と思われます。 そして、中国経済の発展が明確になり始めた1990年頃から、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「中国共産党を恐れる気持ち」を一段と強く持つようになった、と思われます。 21世紀に入って中国が経済的に且つ軍事的に台頭するに連れて、「両班」出身の政治指導者は中国共産党を強く恐れて「恐ろしい中国共産党に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない」という「中国共産党を恐れる気持ち」を持つようになり、且つ、「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性を持つようになった、と思われます。「両班」出身の政治指導者は「中国共産党を恐れる気持ち」を「清王朝を極度に恐れる気持ち」の現代版として遺伝子レベルで持っており、且つ、「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性を「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性の現代版として遺伝子レベルで持っているのです。 一方、「常民」階級出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者も、21世紀に入って中国が経済的に且つ軍事的に台頭するに連れて、「中国共産党を恐れる気持ち」をかなり強く持つようになった、と思われます。 一方、韓国一般庶民は、北朝鮮軍の侵入・侵攻についても、中国軍の侵入・侵攻についても、「敵軍が北から攻めて来た」程度の認識しか持ってなく、「中国軍は圧倒的に強かった」という認識も持ってなく、「中国共産党を恐れる気持ち」も持ってなかった、と思われます。 21世紀に入って中国が経済的に且つ軍事的に台頭して来ても、韓国一般庶民のほとんど全ては「中国共産党を恐れる気持ち」を持たなかった、と思われます。 なぜなら、韓国の学校の授業では、高麗が1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になって清王朝に徹底的に支配されて来た事が一切教えられておらず、其の為、韓国一般庶民のほとんど全ては「シナ王朝を強く恐れる気持ち」を持ってなく、其の為、韓国一般庶民のほとんど全ては「中国共産党を恐れる気持ち」を持たなかった、と考えられるからです。

韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国が中国共産党から酷い扱いを受けても、「我々は中国共産党による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、中国共産党に反感すら持ちません。 2016年7月、韓国政府(朴槿恵政権)はTHAADミサイルの韓国内配備を受け入れました。 そして、韓国財閥ロッテが自身の所有するゴルフ場をTHAADミサイルの配備場所として提供しました。 中国共産党は此の事に対する報復措置として、中国全土のロッテ販売店を営業停止にし、中国人民の韓国への団体旅行を禁じました。 韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』は「中国共産党の此の報復措置による韓国の被害額は120億ドル(1兆3500億円)である」と述べた記事を発表しました。 しかし、此の記事の内容は「中国共産党の報復措置に対する抗議や非難」と言えるようなものではありませんでした。 中国共産党の此の報復措置に対して、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国マスメディアも、中国共産党の此の報復措置に対する抗議や非難を表立っては一切しませんでした。 韓国一般庶民の極一部が中国共産党の此の報復措置に対する抗議や非難をインターネット上に書き込んだだけでした。 韓国一般庶民のほとんど全ては中国共産党の此の報復措置に対する抗議や非難をしませんでした。 韓国一般庶民のほとんど全てが中国共産党の此の報復措置に対する抗議や非難をしなかったのは、彼らが中国共産党を恐れたからではなく、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国マスメディアも、中国共産党の此の報復措置に対する抗議や非難を表立っては一切しなかったからでしょう。 中国共産党の此の報復措置に対する抗議や非難をしなかった韓国一般庶民は「中国共産党を恐れる気持ち」を持ってない、と思われます。

因みに、先に「韓国の学校の授業では、高麗が1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になって清王朝に徹底的に支配されて来た事が一切教えられておらず」と述べましたが、韓国の此のような学校教育の所為で「韓国の一流大学」と言われている大学の学生ですら「朝鮮はシナ王朝の従属国になったことがない」と思っています。「韓国の一流大学」と言われている大学の学生の学力水準は此の程度なのでしょう。

● 韓国人は全般的に「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」と思っている。 そして、此の観念が韓国の反日を可能にしている。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国の反日の根底には「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いが在る、と思われます。 此の観念は、李承晩政権の発足(1948年8月15日)当初には、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)だけが持っていた、と思われます。 そして、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、此の観念が「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)以外の韓国人にも広く浸透して行った、と思われます。 敗戦後の日本は所謂「平和憲法」を維持し、正式な軍隊を持たずに諸外国に対し紳士的に振る舞って来ました。 其の所為もあって、韓国人は全般的に「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」と思っています。 そして、此の観念が韓国の反日を可能にしているのです。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題に関して持っている「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」の核心は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思いである。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っている。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持っている。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に対するストーカー気質」を持っている。

韓国の政治指導者の中でも「奴婢」出身の政治指導者は韓国経済の大発展に伴って次のように思うようになりました。
「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関する「我々韓国人の日本に対する謝罪・賠償の要求」に対して、日本は今日まで誠意や真心を持って応じる事なく、ただ機械的に応じてきた。 そして、我々韓国人の日本に対する謝罪・賠償の要求に対して、日本は今なお誠意や真心を持って応じようとしない。 此のような日本の態度は自己中心的なものであり、利己的なものであり、徳の無いものであり、韓国では通用しない偽善である。 そして、偽善は邪悪な罪であり、悪である。 従って、日本は悪である。 偽善を通し続けようとする日本の倫理性は韓国の倫理性より遥かに低い。 日帝が犯した様々な罪悪に対して日本が誠意や真心の籠った償いをするのは当然である。

此の思いに「奴婢」出身の政治指導者の本心を加味して其れら全体を要約すれば、其の要約は
日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関して、弟の日本は兄の韓国が納得するまで何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである。 格下の日本が其のように謝罪・賠償してこそ、韓国は格下の日本を許すことが出来る。 格下の日本が其のように謝罪・賠償する事こそが、格下の日本が格上の韓国に対して持つべき「格上の韓国への心の底からの優しい愛」である。 格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 我々韓国人は格下の日本人より真の意味で優位に立つ(格上になる)事で格下の日本人と善隣関係を築きたい。
という思いです。 ここで言う「真の意味」とは、彼ら反日韓国人の考える「真の意味」です。 此の思いを「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」と言わせてもらいましょう。 此の思いを詳しく説明すると、
格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る。 日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関して、我々韓国人の「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」が解消されて我々韓国人の気持ちが収まるまで、弟の日本は我々の感情に配慮して我々の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである。 格下の日本が我々韓国人の感情に配慮して我々韓国人の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償する事こそが、格下の日本が格上の韓国に対して持つべき「格上の韓国への心の底からの優しい愛」である。 格下の日本が我々韓国人の感情に配慮して我々韓国人の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すれば、其の事が世界中に知れ渡り、其れと同時に、韓国が日本より格上である事が世界中に知れ渡る。 そうなってこそ、我々韓国人は満足し、我々韓国人の「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」が解消され、我々韓国人は日本を許すことが出来る。 だから、弟の日本は兄の韓国への心の底からの優しい愛を実践しなければならない。 弟の日本が兄の韓国への心の底からの優しい愛を実践してこそ、兄の韓国と弟の日本とは真の意味での仲良し兄弟になれるのだ。 格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 韓国は弟の日本に兄の韓国への心の底からの優しい愛を持たせて韓国に従わせる事で精神面で弟の日本よりも真の意味で優位で居られる(格上で居られる)。 我々韓国人は格下の日本人より真の意味で優位に立つ(格上になる)事で格下の日本人と善隣関係を築きたい。 我々韓国人は真の意味で是非とも弟の日本人と仲良し兄弟になりたい。
となります。 もう一度言いますが、ここで言う「真の意味」とは、彼ら反日韓国人の考える「真の意味」です。

左派韓国人(奴婢の子孫)は「奴婢」出身の政治指導者に教育され、右派韓国人は「両班」出身の政治指導者に教育され、韓国人の41%ほどを占めている左派韓国人(奴婢の子孫)の全て、並びに、韓国人の45%ほどを占める右派韓国人の右寄り80%ほど(韓国人の36%ほど)が上記のように思うようになり、そして、今もそう思っている、と言って良いでしょう。 つまり、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」を持っている、と言って良いでしょう。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にして虐殺した」と主張し始め、此の主張を「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題として大々的に取り扱うようになり、左派日本人(福島瑞穂など、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人)の支援を受けて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集(たか)ろうとし、韓国の反日を激しく煽(あお)って “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作り、更に、極左派韓国人活動家は1997年頃に「日帝によって多くの朝鮮人男性が朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた」と主張し始め、2000年頃から此の主張を「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題として大きく取り扱うようになり、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題だけでなく、「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題でも日本に一層強い妄想的謝罪賠償要求を突き付けるようになりました。 其の過程で、韓国人の41%ほどを占めている左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが此の妄想的謝罪賠償要求に大いに賛同して「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」を強固に身に着け、韓国人の45%ほどを占める右派韓国人の右寄り80%ほど(韓国人の36%ほど)も其の妄想的謝罪賠償要求に賛同して「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」を身に着けたのです。 ですから、韓国人の41%ほどを占めている左派韓国人(奴婢の子孫)の全てと、韓国人の45%ほどを占める右派韓国人の右寄り80%ほど(韓国人の36%ほど)を合わせて、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題に関して「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」を持っている、と言えるのです。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題に関して持っている「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」の核心は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思いです。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思い(此れを言い換えると、「格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせる事で格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)」という思い)を顕在意識領域の上層部に持っているのです。 そして、此の思いから「弟の日本は兄の韓国への心の底からの優しい愛を実践しなければならない」という理念が生まれてきます。 彼ら反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「格下の日本が我々韓国人の感情に配慮して我々韓国人の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償する事こそが、格下の日本が格上の韓国に対して持つべき「格上の韓国への心の底からの優しい愛」である」とか「弟の日本が兄の韓国への心の底からの優しい愛を実践してこそ、兄の韓国と弟の日本とは真の意味での仲良し兄弟になれるのだ」とか言って「日本に対する愛情欲求」を理念的に主張しますが、此れらの「日本に対する愛情欲求」から理念的な要素を取り除いたあとに残るものは「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いです。 彼ら反日韓国人は口には出しませんし、気付いてもいないでしょうが、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っているのです。 そして、更に、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っているのです。 言うまでもない事ですが、「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いも「日本に対する愛情欲求」です。 纏めて述べれば、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っているのです。

右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の9%ほど)並びに、中間派韓国人(韓国人の14%ほど)はそこそこの感性や、そこそこの知性や、そこそこの理性を持っているので、彼らは「韓国と日本との縁(関係)が切れてしまうと、韓国は国としてやっていけない」という事を認識しているようです。 反日韓国人の中でも右派韓国人の右寄り80%ほどは或る程度の感性や、或る程度の知性や、或る程度の理性を持っているので、彼らは「韓国と日本との縁(関係)が切れてしまうと、韓国は国としてやっていけない」という事に薄々気付いているようです。 反日韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては或る程度の感性も、或る程度の知性も、或る程度の理性も、持ってないので、「韓国と日本との縁(関係)が切れてしまうと、韓国は国としてやっていけない」という事に全く気付いていません。 其の為、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持ち、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しながら、虚勢を張って「韓国と日本との縁(関係)が切れても、韓国は全然困らない。 韓国にとって日本なんて不要だ」と思っているのです。 そして、左派韓国人(奴婢の子孫)の一部はインターネット上で「韓国にとって日本なんて不要だ」と主張しています。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が顕在意識領域内に持っている「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とは互いを持続的に強め合っている、と思われます。 昔から「愛と憎しみは表裏一体である」と言われます。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思いを顕在意識領域の上層部に持っており、「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っており、「格下の日本は格上の韓国を愛すべきだ」という思いや「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」という思いや「弟の日本は我々の感情に配慮して我々の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである」という思いや「弟の日本は兄の韓国と共存しなければならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を輸出優遇国として扱って当然だ」という思いや「弟の日本は兄の韓国への愛が足りない」という思いや「弟の日本は兄の韓国と通貨スワップ協定を結んで兄の韓国を助けるべきだ」という思いや「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」という思いや「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」という思いや「弟の日本は兄の韓国を嫌ってはならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」という思いや「弟の日本は韓日関係を軽んじてはならない」という思いや「我々は弟の日本と共に繁栄の道を歩みたい」という思いや「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いや「我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」という思いなどを顕在意識領域の上層部に持っています。 此れらの思いの中でも「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思い(此れを言い換えると、「格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせる事で格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)」という思い)は「極めて異様な愛情欲求」と言ったくらいでは言い足りないくらいの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」です。 また、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部に強く持っている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生します。 また、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部に強く持っている「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生します。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」(@「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思い、A「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という思い、B「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という思い)とは別に、彼ら反日韓国人が顕在意識領域の上層部に持っている「格下の日本は格上の韓国を愛すべきだ」という思いや「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」という思いや「弟の日本は我々の感情に配慮して我々の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである」という思いや「弟の日本は兄の韓国と共存しなければならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を輸出優遇国として扱って当然だ」という思いや「弟の日本は兄の韓国への愛が足りない」という思いや「弟の日本は兄の韓国と通貨スワップ協定を結んで兄の韓国を助けるべきだ」という思いや「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」という思いや「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」という思いや「弟の日本は兄の韓国を嫌ってはならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」という思いや「弟の日本は韓日関係を軽んじてはならない」という思いや「我々は弟の日本と共に繁栄の道を歩みたい」という思いや「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いや「我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」という思いなどは纏めて「日本に対する強い愛情欲求」と言わせてもらいましょう。 そして、3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」(@「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思い、A「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という思い、B「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という思い)と「日本に対する強い愛情欲求」とを纏めたものを「日本に対する異様な愛情欲求」と言わせてもらいましょう。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持っているのです。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に対するストーカー気質」を持っている、と言って良いでしょう。 一方、右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の9%ほど)並びに、中間派韓国人(韓国人の14%ほど)は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っていません。 ですから、韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っていません。 とは言え、韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は「日本に対する愛情欲求」を持ってないという事ではありません。 韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は「日本に対する或る程度の愛情欲求」を持っている、と言った方が良いでしょう。

先に述べたように、 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は強い反日観念を持っており、韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は強い反日観念を持っていません。 此の事と、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持っており、韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は「日本に対する異様な愛情欲求」を持ってないという事から、「強い反日観念を持っている韓国人は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っている。 強い反日観念を持ってない韓国人は「日本に対する異様な愛情欲求」を持ってない」と言えます。 ですから、「日本に対する異様な愛情欲求」は強い反日観念を持っている韓国人にだけ見られるものであり、此れを言い換えると、「日本に対する異様な愛情欲求」を持っていることは強い反日観念を持っている韓国人の特徴である、と言えます。 此れを更に言い換えると、「日本に対する異様な愛情欲求」を持っていることは韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の特徴である、と言えます。 また、強い反日観念を持っている韓国人ほど「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とにたくさん溜め込んでいる、と言えるでしょう。

因みに、韓国人に限らず、日本人であると思われる人の中にも「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない」と思っている人が沢山いるようです。 其れほどではないとしても、「自分は尊敬されて当然だ」とか「自分の周りの者は自分を尊敬しなければならない」とか「自分は賞賛されて当然だ」と思っている日本人が沢山いるようです。 其れらの思いから理念的な要素を取り除いたあとに残るものは「人々から尊敬されたい」「人々から賞賛されたい」という思いです。「人々から尊敬されたい」「人々から賞賛されたい」という思いは「“ 承認されたい ” 欲求」と言い換えても良いものです。「人々から尊敬されたい」「人々から賞賛されたい」という思い(“ 承認されたい ” 欲求)は「格下の者に愛されたい」とか「目下の者に優しく構ってもらいたい」という思いと同類のものである、と思われます。 また、朱子学の「礼」という規範(「全ての者は格の上下に従わなければならない」という規範)は人々が広く持っている「人々から尊敬されたい」「人々から賞賛されたい」という思い(“ 承認されたい ” 欲求)に基づいているのかも知れません。 また、「老人を敬わなければならない」という観念が社会通念になっている社会では、「老人を敬わなければならない」という社会通念によって人々の精神の発達が阻害され、そして、其の為、社会の発展が低迷します。 韓国は其の典型例です。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに溢れるほど溜まっている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「日本に対する異様な愛情欲求」(3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」と「日本に対する強い愛情欲求」とを纏めたもの)の発生源である。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対して強気になっているときには、「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」という思いを持ちます。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対して弱気になっているときには、「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」という思いや、「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」という思いや、「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いを持ちます。 ですから、彼ら反日韓国人の「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」という思いや、「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」という思いや、「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」という思いや、「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いは互いに本質的に同じものです。 そして、此れらの思いは、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが形を変えて顕在意識領域の上層部に出現したものである、と考えられます。

先に述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っています。 彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いは彼ら反日韓国人の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とにおいて互いに強め合っている、と思われます。 彼ら反日韓国人の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とには「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが溢れるほど溜まっている、と言って良いでしょう。 其の為、彼ら反日韓国人の顕在意識領域の下層部に溢れるほど溜まっている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」や「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 また、彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込んだ「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが互いに複雑に反応して「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生し、其れだけでなく、「格下の日本は格上の韓国を愛すべきだ」という思いや「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」という思いや「弟の日本は我々の感情に配慮して我々の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである」という思いや「弟の日本は兄の韓国と共存しなければならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を輸出優遇国として扱って当然だ」という思いや「弟の日本は兄の韓国への愛が足りない」という思いや「弟の日本は兄の韓国と通貨スワップ協定を結んで兄の韓国を助けるべきだ」という思いや「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」という思いや「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」という思いや「弟の日本は兄の韓国を嫌ってはならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」という思いや「弟の日本は韓日関係を軽んじてはならない」という思いや「我々は弟の日本と共に繁栄の道を歩みたい」という思いや「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いや「我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」という思いなどの「日本に対する強い愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 以上の事を纏めて言えば、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに溢れるほど溜まっている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「日本に対する異様な愛情欲求」(3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」と「日本に対する強い愛情欲求」とを纏めたもの)の発生源である、と言えるでしょう。

● 「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「庶民用徳治思想」を持つようになった。

先に述べたように、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げたと同時に、朝鮮では法治主義が消滅しました。 そして、1948年8月15日に大韓民国が成立して以降、アメリカのトルーマン政権から大韓民国初代大統領の座を与えられた李承晩がトルーマン政権の唆しに積極的に従って「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」という思いに基づいて強力な反日政策を行ない、親日派韓国人の大多数を国外に追放し、反日でなければ韓国では生きられないようにしました。 こうして、 李承晩大統領が強力な反日政策を行ない、「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育が進行する中で、「両班」出身者(両班の子孫)が「格差原理思想」に替わるものとして1950年代から持つようになった「現代版格差原理思想」(「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思い)が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に徐々に広まり、其れに連れて、正統派儒教が「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に徐々に浸透して行きました。 李承晩政権の強硬派は1960年3月の大統領選挙で大規模な選挙不正を行ないました。 此の選挙不正に対して左派大学生が「李承晩は大統領選挙で大規模な不正を行なった」と主張し、ソウルを初めとして韓国の主要都市で反李承晩デモを繰り広げました。 此のデモの圧力で李承晩政権は1960年4月に消滅しました。 1961年5月、韓国陸軍の朴正熙少将を指導者とする韓国陸軍が軍事クーデターを起こして軍事独裁政権を立て、1965年頃から朴正熙大統領の軍事独裁政権(1963年12月〜1979年10月)の下で韓国経済が指数関数的に且つ急激に成長していきました。 また、韓国経済が大成長をし始める1965年頃まで正統派儒教の「徳治思想」(「天は自らの代理人として有徳者を天子(地上界における最高権力者)に任命し、其の天子をして天下(地上界)を徳治させる。 天子は徳を以て善良な民を教化しつつ統治しなければならない。 さすれば、天子の徳は周辺の未開地にも遍く及ぶ。 天子が徳を失って悪徳天子になり悪政を行なったときには、有徳実力者が其の悪徳天子を放伐して新しい天子になって良い」という思想)が歪んだ形で「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に徐々に広まって行った、と思われます。 1965年頃から 韓国経済は大成長をし始め、「漢江の奇跡」と称される経済発展が1980年代前半に成し遂げられました。 ところが、「漢江の奇跡」の美味しいところのほとんど全ては「両班」階級出身者と「常民」階級出身者とによって食べられてしまい、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴隷の子孫である」という事の不利性により「漢江の奇跡」の美味しいところをほとんど食べることが出来ませんでした。 尤も、「常民」階級出身者でも、うかうかしていると、「漢江の奇跡」の美味しいところを食べ損ね兼ねない状況に置かれていた、と思われます。 此のように「両班」階級出身者と「常民」階級出身者は「漢江の奇跡」の美味しいところをたくさん食べることが出来ましたが、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「漢江の奇跡」の美味しいところをほとんど食べることが出来ませんでした。 其の為、「両班」階級出身者の生活水準と「常民」階級出身者の生活水準は指数関数的に且つ急激に高まって行きましたが、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準は1次関数的にとても緩い傾きで少しずつしか高まって行きませんでした。 こうして、朴正熙大統領の軍事独裁政権下で韓国経済が高度成長していく中で、「両班」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差、並びに、「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が指数関数的に且つ急激に大きくなっていき、其の為、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に経済的&社会的不満が鬱積していきました。 こうして、韓国では1961年5月から1987年6月まで26年間に渡って軍事独裁政権が続いていく中で、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間で軍事独裁政権に対する非難が沸き起こり、民主主義の理念を持つようになった「常民」階級出身者の間でも軍事独裁政権に対する批判が高まり、正統派儒教の「徳治思想」(「天は自らの代理人として有徳者を天子(地上界における最高権力者)に任命し、其の天子をして天下(地上界)を徳治させる。 天子は徳を以て善良な民を教化しつつ統治しなければならない。 さすれば、天子の徳は周辺の未開地にも遍く及ぶ。 天子が徳を失って悪徳天子になり悪政を行なったときには、有徳実力者が其の悪徳天子を放伐して新しい天子になって良い」という思想)が歪んだ形で「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に急速に広まって行き、特に、朴正熙大統領の軍事独裁政権下で「漢江の奇跡」の美味しいところをほとんど食べることが出来なかった「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間には正統派儒教の「徳治思想」が歪んだ形で爆発的に広まって行った、と思われます。

正統派儒教の「徳治思想」は「貴族」階級が持つべき思想とされ、「庶民」階級は持つ事を要求されなかった思想です。 言葉を換えて述べれば、正統派儒教の「徳治思想」は「貴族」階級用であり、「庶民」階級用ではありません。 ですが、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、「常民」階級出身者や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)までもが「徳治思想」を自ら進んで歪んだ形で持つようになったのです。「常民」階級出身者や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)までもが自ら進んで歪んだ形で持つようになった「徳治思想」とは、「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い」という思想です。 此の思想を「庶民用徳治思想」と言わせてもらいましょう。 此の「庶民用徳治思想」は「常民」階級出身者の間や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に急速に広まるに連れて、「両班」階級出身者の間にも広まって行き、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々が「庶民用徳治思想」を持つようになった、と思われます。 そして、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全て、即ち、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てと右派韓国人の全てを合わせて(43%×0.95+42.4%=40.85%+42.4%=83.25%で)、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「庶民用徳治思想」を持つようになった、と思われます。

● 庶民用徳治思想に付随する「韓国人の思考様式」。
庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「庶民用徳治思想」(「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い」という思想)の中の「統治者が徳を持っていれば、国は栄える」という考えを拡大解釈して「人が徳を持っていれば、其の人は栄える」「人が徳を持っていれば、其の人には善い事が起きる」と考えます。 更に、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は此の考えから論理的に飛躍して「人が徳を持ってなければ、其の人は栄えない」「人が栄えるのは、其の人が徳を持っているからだ」「人が徳を持ってなければ、其の人には善い事が起きない」「人に善い事が起きるのは、其の人が徳を持っており、其の人が善であるからだ」と考えます。 更に、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「庶民用徳治思想」の中の「統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる」という考えを拡大解釈して「人が徳を持ってなければ、其の人は落ちぶれる」「人が徳を持ってなければ、其の人には悪い事が起きる」と考えます。 更に、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は此の考えから論理的に飛躍して「人が徳を持っていれば、其の人は落ちぶれない」「人が落ちぶれるのは、其の人が徳を持ってないからだ」「人が徳を持っていれば、其の人には悪い事が起きない」「人に悪い事が起きるのは、其の人が徳を持ってなく、其の人が悪であるからだ」と考えます。 そして、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は以上の考えから更に論理的に飛躍して「国に善い事が起きるのは、其の国が徳を持っており、其の国が善であるからだ。 国に悪い事が起きるのは、其の国が徳を持ってなく、其の国が悪であるからだ」と考えます。 例えば、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「日本で大きな地震と其れによる大災害がしばしば起きるのは、日本人が徳を持ってなく、日本が悪であるからだ。 韓国で大きな地震がほとんど起きないのは、韓国人が徳を持っており、韓国が善であるからだ。 だから、韓国は日本より優れている」と考えるのです。 庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は一流大学の入学試験に合格した人を「徳を持っている人(徳が有る人)」と見なし、一流大学の入学試験に合格しなかった人を「徳を持ってない人(徳が無い人)」と見なします。 以上の事を手短に述べれば、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人の心や頭の中では「徳を持ってない(徳が無い)」=「悪い事が起きる、又は、衰退する」=「悪である」という等式と、「徳を持っている(徳が有る)」=「善い事が起きる、又は、栄える」=「善である」という等式とが成り立っているのです。 此のような考えが韓国で通用している事は驚くべき事ですが、驚くべき事は更に続きます。 人が別の或る人に嘘をつかれて金品を騙し取られた場合、「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」は日本でも韓国でも「悪い事が起きた人」と見なされますが、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人の心や頭の中では「徳を持ってない(徳が無い)」=「悪い事が起きる、又は、衰退する」=「悪である」という等式が成り立っているので、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」を「悪い事が起きた人」=「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪である人」=「悪人」と見なします。 此れは実に驚くべき事です。 更に、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人の心や頭の中では「徳を持っている(徳が有る)」=「善い事が起きる、又は、栄える」=「善である」という等式が成り立っているので、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をついて人の金品を騙し取った人」を「得(とく)した人」=「善い事が起きた人」=「徳を持っている人(徳が有る)人」=「善である人」=「善人」と見なし、「悪人」とは見なしません。 此れも実に驚くべき事です。 韓国では全般的に「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」は「悪い事が起きた人」=「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪である人」=「悪人」 と見なされ、人に嘘をついて人の金品を騙し取った人は「得(とく)した人」=「善い事が起きた人」=「徳を持っている人(徳が有る)人」=「善である人」=「善人」と見なされ、「悪人」とは見なされません。 韓国人は全般的に「人に嘘をついて人の金品を騙し取る」という事を悪い事とは見なしません。 韓国では、警察に逮捕された人は「人に嘘をついて人の金品を騙し取ったという事ではない事で警察に逮捕されたのだろう」と思われます。 韓国のタクシー運転手は乗客を「此の辺りの地理に不案内な者だ」と見ると、其の乗客に法外なタクシー代を請求します。 其の乗客がタクシー代の法外に高いことに気付いて抗議すると、其のタクシー運転手は大声でまくし立てて「請求したタクシー代は正当だ」と言い張ります。 韓国の屋台はお客を「外国人観光客だ」と見ると、商品の価格を法外に上げます。 其のようなことを知らない外国人観光客は言われるままにお金を払う事になります。 韓国の店主は商品を買った外国人客に対して釣り銭をちょろまかします。 其の外国人客が釣り銭の足りないことに気付いて其の店主に抗議すると、其の店主はギャーギャーと喚(わめ)き散らしたり、「韓国語で話せ」と大声でまくし立てたりして、正当な釣り銭を渡そうとはしません。 韓国では此れらの事が公認されているのです。 此れが韓国という国です。 また、韓国の観光地のホテル代は韓国人にとってすら異常に高く、韓国の観光地の飲食店の食事代も韓国人にとってすら異常に高く、此の2つの事は韓国人の間でもボッタクリと見なされています。

庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」を「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪人」と見なすのですが、自分が人に嘘をつかれて金品を騙し取られたときには、自分を「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪人」とは見なさず、自分の金品を騙し取った人を悪の権化のように思い、其の人を大いに恨んで非難・罵倒します。 また、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は、自分や自分の子が思いも寄らない事件・事故で大損害を被ったときや、自分や自分の子が思いがけない災難に遭ったときには、自分や自分の子を「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪人」とは見なさず、自己責任を棚に上げて損害賠償を求めます。 韓国人というのは全般的にそういうものです。 こうした傾向は左派韓国人(奴婢の子孫)に強く見られます。

以上のような「庶民用徳治思想に付随する「韓国人の思考様式」」と「庶民用徳治思想」(「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い」という思想)とを纏めて「庶民用徳治主義」と言わせてもらいましょう。「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「庶民用徳治主義」を持つようになった、と思われます。 韓国人の「庶民用徳治主義」が韓国社会でどのような現象として現れているかを分かり易く解説した動画「賄賂は受け取って当然の権利ダ!長期間の従属国経験によって根付いた「金がすべて」の国」(https://www.youtube.com/watch?v=eP3Lo5WkK9o)をご覧になってください。

● 韓国の民主化の実現(1987年6月)と同時に、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「日本は第2次世界大戦でアメリカに負けて民主化させられた。 韓国は自らの力だけで民主化した。 だから、韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い。 韓国の民主主義は日本の民主主義よりずっと優れている。 韓国の民主主義は徳治主義に基づくものだ。 日本の民主主義は法治主義に基づくものだ。 だから、徳治主義は法治主義よりずっと優れている」と思うようになった。 1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになって以降、韓国人の大多数は自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「徳治主義は法治主義よりずっと優れている。 我々韓国人は徳を持っている。 日本人は野蛮な輩である。 日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている」と妄想するようになった。

朴正熙大統領の軍事独裁政権下で「漢江の奇跡」の美味しいところをほとんど食べることが出来なかった「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「自分たちは何の罪もない善人である」と思うようになった、と思われます。「常民」階級出身者は、「自分たちは何の罪もない善人である」と思うほどではないとしても、「自分たちは善良な庶民である」と思っているのではないでしょうか。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の「自分たちは何の罪もない善人である」という思いや、「常民」階級出身者の「自分たちは善良な庶民である」という思いは、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)や「常民」階級出身者が自ら進んで「庶民用徳治主義」を身に着けるようになったと同時に身に着けた思いであり、「庶民用徳治主義」の基盤的観念になっている、と言えるでしょう。

韓国では1961年5月から軍事独裁政権が続いていましたが、左派韓国人活動家が軍事独裁政権に反対して1987年6月に「6月民衆抗争」と呼ばれる韓国民主化運動を大規模に起こしました。 其の当時の韓国はソウルオリンピックの開催を1年後に控えていました。 其の当時の韓国軍事独裁政権は自国経済の高度成長の成果をソウルオリンピックの開催で世界中に大々的に示したいと思っていました。 そこで、韓国軍事独裁政権は「6月民衆抗争」に伴う混乱でソウルオリンピックの開催が中止になることを是非とも避けたいと思い、軍事独裁政権の廃止や大統領直接選挙制の導入や左派活動家の赦免・復権を明記した「民主化宣言」を1987年6月29日に発表しました。 ここに形式的にでも「韓国の民主化」が実現したのです。 此れ以降、韓国で軍事独裁政権は出現していません。 左派韓国人活動家は「韓国の民主化」を達成した事で大きな力を身に着けました。「韓国の民主化」にはアメリカ連邦政府が裏で大きく関与していたのですが、韓国人の99%以上は「我々韓国人は韓国の民主化を自分らの力だけで成し遂げた」と信じています。 そして、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人の大多数は日本と韓国とを比較して且つ自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「日本は第2次世界大戦でアメリカに負けて民主化させられた。 韓国は自らの力だけで民主化した。 だから、韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い。 韓国の民主主義は日本の民主主義よりずっと優れている。 韓国の民主主義は徳治主義に基づくものだ。 日本の民主主義は法治主義に基づくものだ。 だから、徳治主義は法治主義よりずっと優れている」と思うようになった、と思われます。 右派韓国人の全ては庶民用徳治思想を持つようになりましたが、右派韓国人の左寄り20%は「日本は第2次世界大戦でアメリカに負けて民主化させられた。 韓国は自らの力だけで民主化した。 だから、韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い。 韓国の民主主義は日本の民主主義よりずっと優れている。 韓国の民主主義は徳治主義に基づくものだ。 日本の民主主義は法治主義に基づくものだ。 だから、徳治主義は法治主義よりずっと優れている」とは思わなかった、と思われます。 こうして、韓国の民主化の実現(1987年6月)と同時に、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「日本は第2次世界大戦でアメリカに負けて民主化させられた。 韓国は自らの力だけで民主化した。 だから、韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い。 韓国の民主主義は日本の民主主義よりずっと優れている。 韓国の民主主義は徳治主義に基づくものだ。 日本の民主主義は法治主義に基づくものだ。 だから、徳治主義は法治主義よりずっと優れている」と思うようになりました。

1987年6月に韓国の民主化が実現し、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになって以降、韓国人の大多数は「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」という思いを一層強く持つようになった、と思われます。 1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになって以降、韓国人の大多数は自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「徳治主義は法治主義よりずっと優れている。 我々韓国人は徳を持っている。 日本人は野蛮な輩である。 日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている」と妄想するようになり、大声を上げて韓国大統領に「徳治」を求めるようになりました。「貴族」階級用であって「庶民」階級用ではない「徳治思想」を「庶民」階級の人々が持つと、上記のようなことになるのです。

● 韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹は「情理」である。
韓国人は「韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い」と言って「韓国の民主性」を誇ります。 韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹は「情理」です。「情理」とは、「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念です。「情念」とは、「理性では抑えることが出来ないほどの強い感情」です。 ここで、「韓国人が持つ様々な情念の中でどの情念を最大限に尊重すべきか」という事が問題になります。 韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、日本に関する事では「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」という思いを最大限に尊重すべき情念と見なします。

  

インターネット上で「韓国人はとても感情的だ」とよく言われます。 マスメディアやインターネットを介して伝わってくる韓国人の言動を見れば、韓国人は全般的にとても感情的であり且つ情念的である事が分かります。 朝鮮人が何時(いつ)頃からどのような事情でとても感情的&情念的になったのか、明確な事は判りません。 大東亜戦争の終結後、アメリカ陸軍によって占領統治されていた南朝鮮にアメリカ式の民主制と大統領制が導入され、1948年8月15日に大韓民国が成立して以来、韓国では李承晩大統領主導の歴史捏造反日教育が進行し、反日発言(日本に対する嘘だらけの悪口、日本に対する非難、日本に対する侮辱)が推奨されて来ました。 アメリカ式の民主制と大統領制が導入された韓国では、個々の韓国人が昔と比べて自己主張できるようになり、朴正熙大統領の軍事独裁政権(1963年12月〜1979年10月)の下で韓国経済が指数関数的に且つ急激に成長し、「漢江の奇跡」と称される経済発展が1980年代前半に成し遂げられました。 しかし、「漢江の奇跡」の美味しいところのほとんど全ては「両班」階級出身者と「常民」階級出身者とによって食べられてしまい、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴隷の子孫である」という事の不利性により「漢江の奇跡」の美味しいところをほとんど食べることが出来ませんでした。 其の為、「両班」階級出身者の生活水準と「常民」階級出身者の生活水準は指数関数的に且つ急激に高まって行きましたが、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準は1次関数的にとても緩い傾きで少しずつしか高まって行きませんでした。 こうして、朴正熙大統領の軍事独裁政権下で韓国経済が高度成長していく中で、「両班」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差、並びに、「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が指数関数的に且つ急激に大きくなっていき、其の為、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に経済的&社会的不満が鬱積していきました。 此のような状況の中で、韓国人全体の喜怒哀楽が韓国マスメディアによって大きく煽られ、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は様々な事でかつて無かったほどに情念的(理性では抑えることが出来ないほどに感情的)になった、と思われます。 こうして、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)はかつて無かったほどに様々な「情念」(理性では抑えることが出来ないほどの強い感情)を持つようになった、と思われます。 其れに加えて、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は500年間ほどに渡って李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」として生き続けた奴婢の子孫として、遺伝子レベルの「情念」を持っている、と思われます。 ですから、朴正熙大統領の軍事独裁政権下で韓国経済が高度成長していく過程の1970年代後半には、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の「情念」を重要視せざるを得なくなった、と思われます。「情念」を持っているのは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)だけではありません。「両班」出身者や「常民」階級出身者も彼らなりの「情念」を持っている、と思われます。 先に述べたように、高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になり、李氏朝鮮が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続け、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)だけでなく、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになりました。「両班」出身者は其のような両班の子孫として、彼らなりの「情念」を遺伝子レベルで持っている、と思われます。 また、李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で、「常民」は「我々は両班による被害者である」という思いを持って苦しみながら生き続けました。「常民」階級出身者は其のような常民の子孫として、彼らなりの「情念」を遺伝子レベルで持っている、と思われます。 そして、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)と「両班」出身者と「常民」階級出身者は韓国人の91%ほどを占めています。 ですから、韓国人の大多数が何らかの「情念」を持っている、と言って良いでしょう。 こうした事情から、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国人全体の「情念」を重要視するようになった、と思われます。

先に述べたように、朴正熙大統領の軍事独裁政権下で韓国経済が高度成長していく中で、「両班」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差、並びに、「常民」階級出身者の生活水準と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の生活水準との差が指数関数的に且つ急激に大きくなっていき、其の為、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の間に経済的&社会的不満が鬱積し、更に、韓国人全体の喜怒哀楽が韓国マスメディアによって大きく煽られ、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は様々な事でかつて無かったほどに情念的(理性では抑えることが出来ないほどに感情的)になり、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国人全体の「情念」を重要視するようになったと同時に、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「情理」(「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念)を明確に認識するようになった、と思われます。 こうして、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「情理」を「韓国の民主性」の根幹と見なすようになり、「「韓国の民主性」の根幹は「情理」である」という認識に立って「韓国の民主性」を日本に誇るようになりました。 韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹は「情理」です。 韓国の政治指導者の頭の中では、韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 =「情理」が成り立っているのです。 ここで、「韓国人が持つ様々な情念の中でどの情念を最大限に尊重すべきか」という事が問題になります。 韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、日本に関する事では「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」という思いを最大限に尊重すべき情念と見なします。

朝日新聞が1982年から「吉田証言」や「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を報道するようになった事を受けて、韓国政府は1985年頃から韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の解決を日本政府に執拗に求めるようになりました。 1987年6月に韓国の民主化が実現し、 1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版され、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようと活動して来ました。 そして、更に、極左派韓国人活動家が1997年頃に「日帝によって多くの朝鮮人男性が朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた」と主張し始め、2000年頃から此の主張を「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題として大きく取り扱うようになりました。 こうした状況の中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念を明確に持つようになり、韓国一般庶民のほとんど全ても「情理」を認識し、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念を持つようになった、と思われます。

因みに、「法」という言葉の根本的な意味は「人の道の理(ことわり)」です。「人の道の理(ことわり)」を「道理」とも言います。 ですから、「法」という言葉の根本的な意味は「道理」である、とも言えます。 ですから、「不法」という言葉の根本的な意味は「道理に反する(反人道的)」という事です。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」(「日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関して、弟の日本は兄の韓国が納得するまで何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである。 格下の日本が其のように謝罪・賠償してこそ、韓国は格下の日本を許すことが出来る。 格下の日本が其のように謝罪・賠償する事こそが、格下の日本が格上の韓国に対して持つべき「格上の韓国への心の底からの優しい愛」である。 格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 我々韓国人は格下の日本人より真の意味で優位に立つ(格上になる)事で格下の日本人と善隣関係を築きたい」という思い)は、要するに「日本は「情理」に従って我々韓国人の要求に応じよ」という命令です。

「日本人は法匪(ほうひ)だ」と言って日本を罵る韓国人が居ます。「法匪」とは、「情理」よりも「法律」を重視する者を罵るときに使う言葉です。「匪」とは、悪者の意です。「日本人は法匪だ」という罵りは「日本は「情理」に従って我々韓国人の要求に応じよ」という命令です。 因みに、日本国籍を持っていると思われる大学教授や日本国籍を持っていると思われる弁護士の中にも「日本は少数の法匪と多数の法痴によって支配されている」と主張する者が居ます。 此のような大学教授や弁護士は朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。

李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けた李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の子孫である韓国右派政治指導者、並びに、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と信じ切っている「奴婢」出身の政治指導者にとっては、「情理」が極めて大きな意味を持っているのです。 韓国一般庶民を含めて韓国人の政治理念を一言で述べれば、「情理至上主義」又は「情念至上主義」と言えるでしょう。

韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「日本は「情理」に従って我々韓国人の要求に応じよ」と日本に強く求めます。 韓国の政治指導者も、韓国の法学者も、「日本も儒教国家だから、情理は日本でも通用するはずだ」と思い込んでいます。 ですから、韓国の政治指導者も、韓国の法学者も、自分たちが信じ切っている「日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪」に関して「 情理に基づく韓国人の謝罪賠償要求に日本は素直に従うべきだ。 日本は誠意と真心とを持って韓国人の情念に素直に応えるべきだ」と考えるのです。 其の意味で韓国の政治指導者も、韓国の法学者も、今なお井の中の蛙です。 念の為に述べれば、「日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪」を大して信じていないにもかかわらず、日本に集る為に日本に対して謝罪と賠償とを乞う韓国人もたくさん居る、と思われます。

● 2011年における反日気運の高まりの中で、韓国の政治指導者の全てが「朱子学流情治民主主義」を持つようになった。 2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「朱子学流情治民主主義」を持つようになった。 韓国人の「朱子学流情治民主主義」が韓国の反日の土台になっている。

先に述べたように、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国人全体の「情念」を重要視するようになったと同時に、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「情理」(「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念)を明確に認識するようになりました。 そして、「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「庶民用徳治主義」を持つようになりました。 朝日新聞が1982年から「吉田証言」や「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を報道するようになった事を受けて、韓国政府は1985年頃から韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の解決を日本政府に執拗に求めるようになりました。 1987年6月に韓国の民主化が実現し、 1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版され、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようと活動して来ました。 そして、更に、極左派韓国人活動家が1997年頃に「日帝によって多くの朝鮮人男性が朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた」と主張し始め、2000年頃から此の主張を「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題として大きく取り扱うようになりました。 こうした状況の中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念を明確に持つようになり、韓国一般庶民のほとんど全ても「情理」を認識し、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念を持つようになりました。

1997年のアジア通貨危機の中で、韓国も1997年11月に通貨危機に瀕しました。 此の韓国通貨危機に対して、アメリカ連邦政府は「韓国を IMF の管理下に置こう」と思って日韓通貨スワップを禁じましたが、日本政府は韓国を通貨危機から救おうと思い、日本のメガバンクをして韓国へ多額のUSドルを貸与させました。 しかし、それでも、韓国は通貨危機に陥り、韓国経済は破綻し、韓国は自らを IMF の管理下に置きました。 韓国の財閥企業は IMF の管理下で再生し、サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの製品の輸出がウォン安の流れに乗って激増し、韓国経済は7%強の年平均成長率を見せるようになり、韓国経済は順調に回復して行きました。 2005年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から完全に駆逐し、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場からほとんど(全くと言って良いほど)駆逐し、韓国製の自動車が世界中で大量に走り回るようになり、韓国の造船業が大型船(大型タンカー、液化天然ガス運搬船、大型コンテナ船)の製造において日本の造船業を圧倒して世界一の市場占有率を誇るようになり、2010年にはサムスン電子製のスマートフォン(Galaxy)が世界中で大量に使われるようになりました。 すると、韓国マスメディアは「韓国は世界が羨む一流先進国である」とする自画自賛記事や「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とする自画自賛記事など、韓国経済の大成長・大発展を自画自賛する記事をほとんど毎日のように発表するようになりました。 すると、韓国人の大多数は「韓国は全ての経済分野で日本に追い付いた。 韓国は幾つかの経済分野で日本を追い抜いた。 韓国は日本に勝った」という妄想的自信を持つようになり、自国を「一流経済先進国」と称し、自画自賛の心地よさに浸(ひた)って「韓国のGDPは2015年に日本のGDPを追い抜く」と予想してホルホルしました。 そして、韓国人のほとんど全てが「韓国は日本に対抗できるだけの必要十分な国力を身に着けた」と思うようになりました。 こうして、2010年頃、韓国人のほとんど全てが「自分たちは日本に対するとても強い経済的劣等感から完全に解放された」と思うようになったのです。 また、「韓国は日本に対抗できるだけの必要十分な国力を身に着けた」と思うようになった反日韓国人は2011年から「旭日旗」批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)を行なうようになり、「旭日旗はナチス・ドイツの鉤十字旗(ハーケンクロイツ旗)と同じく戦犯旗だから、旭日模様を使ってはいけない」と世界中に言い触らすようになりました。 2011年3月11日14時46分、日本の三陸沖の太平洋でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、岩手県から千葉県にかけて震度6弱以上を観測し、宮城県北部で震度7を観測しました。 此の巨大地震の発生に伴って津波が発生し、岩手県、宮城県、福島県の沿岸地帯が大きな津波で襲われ、場所によっては海岸から6kmの地点まで津波が押し寄せました。 此の地震や津波などによる死者は1万5900人に上りました。 また、東京電力福島第一原子力発電所も高さ14m〜15mの津波に襲われ、1号機〜5号機で電源が失われて原子炉の冷却が出来なくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生し、1号機・3号機・4号機で水素爆発が発生し、大量の放射性物質が大気中に放出されました。 此の原子力発電事故はチェルノブイリ原子力発電所の事故並みと言われました(東日本大震災)。 此れらの事は韓国でも大々的に報道され、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が日本を馬鹿にして歓喜の声を上げました。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2011年3月12日付けの第1面トップに「日本沈没」という見出しを掲げたほどです。 2011年9月27日に韓国の全羅北道の全州で行なわれた「プロサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ」の日韓戦では、韓国人観客が「日本の大地震をお祝います(原文のまま)」と書いた垂れ幕を掲げました。 東日本大震災が起きた事で韓国人の大多数が「日本は十分に弱くなったので、我々韓国人は日本を懲らしめることが出来る。 弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」と思うようになった、と思われます。 反日韓国人は「「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題で日本に謝罪させるチャンスがもうすぐ来る」と思った事でしょう。 2011年12月には極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が2011年8月30日の韓国憲法裁判所の判決を受けてソウルの日本大使館の前に慰安婦少女像を設置し、此の慰安婦少女像の傍で毎週水曜日に「水曜集会」を開くようになりました。 野田佳彦首相と李明博大統領とが2011年12月に京都で日韓首脳会談を行ない、此の首脳会談で李明博大統領は「日本軍用慰安婦被害者に賠償しろ」と言い出しました。 此のように2011年には反日の気運が異様に高まりました。 2011年における反日気運の高まりの中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念の上位理念として「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を持つようになった、と思われます。 言い換えると、2011年における反日気運の高まりの中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念の上位に、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念が在ると思うようになった、と思われます。 此の「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念が「韓国人が誇る「韓国の民主性」」です。 表現を換えて述べれば、韓国人が誇る「韓国の民主性」の意味するものは「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念です。 極左派韓国人活動家の主張する「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」と「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」とが韓国の政治指導者や韓国の法学者の「情理」の認識に輪を掛けた、と思われます。 こうした状況の中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある」という考えを持つようになった、と思われます。 そして、此の考えと「庶民用徳治思想」(「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い」という思想)とが結合し、2011年における反日気運の高まりの中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い。「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある」という徳治思想を持つようになった、と思われます。 此の新しい徳治思想を「朱子学流情治民主思想」と言わせてもらいましょう。「朱子学流情治民主思想」と此の思想に付随する「韓国人の思考様式」とを纏めて「朱子学流情治民主主義」と言わせてもらいましょう。 こうして、2011年における反日気運の高まりの中で、韓国の政治指導者の全てが「朱子学流情治民主主義」を持つようになったのです。 そして、此の「朱子学流情治民主主義」が韓国一般庶民の間に急激に広まって行った、と思われます。

極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」がソウルの日本大使館の前の慰安婦少女像の傍で毎週水曜日に「水曜集会」を開き、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱って来た中で、「日韓慰安婦合意」が2015年12月28日に締結されました。 しかし、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日韓慰安婦合意」に大きな不満を持ち、「日韓慰安婦合意」を破棄したいと思っていたようです。 こうした状況の中で、2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「朱子学流情治民主主義」を持つようになった、と考えられます。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「朱子学流情治民主主義」(「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い。「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある」という徳治思想、及び、此の徳治思想に付随する思考様式)を持っており、自らが身に着けた「朱子学流情治民主主義」を拠り所にして「徳治主義は法治主義よりずっと優れている。 我々韓国人は徳を持っている。 日本人は野蛮な輩である。 日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている。 徳治主義に基づく韓国の民主主義は法治主義に基づく日本の民主主義よりずっと優れている。 徳治主義に基づく韓国の民主性は法治主義に基づく日本の民主性より遥かに格が高い」と妄想しているのです。

韓国人は全般的に自らが身に着けた「朱子学流情治民主主義」を拠り所にして「情理」を国政における最高の理と見なし、韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)よりも「情理」を上位のものと見なします。 ですから、韓国人の「朱子学流情治民主主義」が韓国の反日の土台になっている、と考えられます。 2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「朱子学流情治民主主義」を持つようになったと同時に、韓国人の「朱子学流情治民主主義」が韓国の反日の土台になった、と考えられます。 そして、「朱子学流情治民主主義」という「韓国の反日の土台」の上に「情理」(「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念)や「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いや「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」や其の他の「日本に対する強い愛情欲求」などがある、と考えられます。

● 韓国の政治指導者の頭の中で、韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 =「情理」が成り立っている理由。
先に「韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹は「情理」です。 韓国の政治指導者の頭の中では、韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 =「情理」が成り立っているのです」と述べました。 韓国の政治指導者の頭の中で、韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 =「情理」が成り立っている理由を説明しましょう。 前項で述べたように、2011年における反日気運の高まりの中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念の上位理念として「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を持つようになりました。 そして、此の「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念が「韓国人が誇る「韓国の民主性」」です。 此の事を等号を使って書き換えると、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念 = 韓国人が誇る「韓国の民主性」となります。 更に言えば、韓国の政治指導者の頭の中では、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念の根幹 = 韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 という等式が成り立っています。 そして、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念の根幹は「情理」です。 此の事は「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念が内包している命題です。「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念の根幹は「情理」である」という命題を等号を使って書き換えると、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念の根幹 =「情理」 となります。 ですから、此の等式が成り立っていることと、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念の根幹 = 韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 という等式が成り立っていることから、韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹 =「情理」という等式が成り立つのです。

因みに、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国を欧米流・日本流の法治国家にはしない積もりなのでしょう。 韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国を昔のように中国中心の儒教文化圏の一員にしようと思っているようです。

● 韓国は欧米流・日本流の法治国家ではなく、「「情理」を最優先に尊重する」という事を大義として国政を行なう情治国家である。
大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国の法体系が整備されるに連れて、韓国人の法観念も徐々に高まってきた、と思われます。 しかし、韓国では今なお各分野で「朱子学流情治民主主義」が幅を利かしています。 韓国は表向きには法治国家ですが、韓国の歴代大統領の大多数は大統領を退任したあとに逮捕されて裁判に掛けられるような目に遭ってきた事や、2016年10月から2017年2月にかけて行なわれた蝋燭(ろうそく)集会によって朴槿恵大統領が大統領の座から引きずり降ろされた事などから判るように、韓国は欧米流・日本流の法治国家ではありません。「韓国は法治国家ではなく、情治国家である」と言われています。 韓国に欧米流・日本流の法治主義は有りません。「韓国には憲法より上位に「国民情緒法」というものがある」と言われています。 韓国が此のように言われるのは、韓国全体が「朱子学流情治民主主義」に覆(おお)われているからです。

2014年4月16日に韓国の貨客船セウォル号が転覆して沈没するという事故がありました。 朴槿恵大統領は此の事故の第一報を受けたあと、7時間に渡って所在不明になっていました。 そして、韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』は2014年7月18日に「朴槿恵大統領は此の時間帯に補佐官のチョン・ユンフェと密会していた可能性がある」という風評を記事として報道しました。 産経新聞のソウル支局長:加藤達也さんは『朝鮮日報』の此の記事を元にして2014年8月3日に同紙の公式インターネットサイトに「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」と題する記事を発表しました。 此れに対し、韓国の検察は「加藤支局長が朴槿恵大統領の名誉を毀損した」と政治問題化し、2014年8月7日から加藤達也さんの韓国からの出国を禁じ、2014年10月8日に加藤達也さんを在宅起訴し、2015年4月14日まで加藤達也さんの韓国からの出国を禁じました。 一方、加藤達也さんの記事の元になっている『朝鮮日報』の記事に関しては、何のお咎(とが)めもありませんでした。 韓国の検察に言わせれば、「産経新聞は日頃から過度な嫌韓報道を行なって韓国の悪口を言っている不快な連中だから、此の際、産経新聞を懲らしめてやろう」という事なのでしょう。 此の事からも分かるように、韓国は法治国家ではなく、情治国家なのです。 尤も、韓国にも憲法や法律があるのですから、正確に言うのであれば、「韓国は欧米流・日本流の法治国家ではなく、「「情理」を最優先に尊重する」という事を大義として国政を行なう情治国家である」と言った方が良いでしょう。

韓国人の「朱子学流情治民主思想」(「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い。「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある」という徳治思想)を手短に言えば、「「「「情理」を最優先に尊重する」という事を大義として国政を行なうべきである」と考える徳治思想」と言えるでしょう。

2015年12月17日、ソウル中央地方裁判所は加藤達也さんに無罪判決を言い渡しました。 其の際、裁判長は加藤達也さんに3時間に渡って立ち続ける事を強要しました。 2015年12月22日、韓国の検察は此の判決に対する控訴を断念し、加藤達也さんに対する無罪判決が確定しました。

もう1つ、2020年4月にあった実例を挙げましょう。 2019年7月22日に釜山の日本総領事館の中でデモを行なって住居侵入の疑いで起訴された韓国人大学生7人に対し、2020年4月2日、釜山地方裁判所は「韓国民が此れら韓国人大学生7人の行動に共感した」という理由で此れら韓国人大学生7人を無罪にする判決を下しました。 此の件に関しては、『デイリー新潮』の2020年4月10日付けの記事「韓国、日本総領事館に侵入の大学生に実質無罪判決 残念な “ 情治国家 ” を露呈」(https://www.dailyshincho.jp/article/2020/04100600/?all=1)を是非ご覧になってください。

● 韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事を「徳」と考えている。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「徳」(「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事)によって国を治めることを「法治」と考えている。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「韓国は法治国家である」と思っている。 韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「徳」(「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事)に反している行為を「不法」と見なす。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「日本は韓国の法治を踏みにじってはならない」と思っている。

先に述べたように、2011年における反日気運の高まりの中で、韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである」という理念の上位理念として「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を持つようになりました。 韓国の政治指導者の全てが其のような認識を持つようになったのと同時に、韓国の法学者も其れと同じ認識を持つようになった、と思われます。 また、韓国の政治指導者の全てが其のような認識を持つようになったことに少し遅れて、韓国一般庶民の大多数も「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を持つようになった、と思われます。 韓国一般庶民の大多数も「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事を「徳」と考えるようになったのです。 ですから、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事を「徳」と考えているのです。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「徳」(「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事)によって国を治めることを「法治」と考えています。 そして実際、韓国は「徳」によって治められています。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「韓国は法治国家である」と思っています。 また、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「徳」(「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事)に反している行為を「不法」と見なし、「不法」と見なした行為を彼らお好みの重複表現を使って「反人道的不法行為」と称します。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「日本は韓国の法治を踏みにじってはならない」と思っています。 そして、韓国の法学者はそう思うだけでなく、マスメディアで「日本は韓国の法治を踏みにじってはならない」と言ったりします。

● 韓国人の「朱子学流情治民主主義」が良く分かる記事。
韓国人の「朱子学流情治民主主義」が良く分かる記事を紹介しましょう。 韓国マスメディア『WowKorea』の2021年4月21日付けの日本語版記事「韓国外相「日本が韓国を“国際法違反国家”と罵倒」…「日本にそんな資格があるのか」」(https://www.wowkorea.jp/news/korea/2021/0422/10296402.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)外交部長官は、日韓間の最も大きな懸案である「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題について、日本政府の交渉態度に対して不満を吐露した。 韓国政府が幾度も解決の為の現実的な方法を日本政府に提示したが、日本政府が一貫して高圧的な態度でいる為である。 チョン外相は今日(21日)、ソウルのプレスセンターで開かれた討論会で「青瓦台(韓国大統領府)の国家安保室長に在職していた頃、この問題(韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題)の解決の為に非公開で日本に行って協議したが、日本政府の交渉態度には驚いた」「日本政府は一貫して自分の言い分だけを主張し、交渉を壊そうとしているのではないかと思った」と語った。 2015年12月28日、朴槿恵政権は所謂「韓日慰安婦合意」を日本と締結した。 しかし、韓国内で「この合意には被害者の意見が盛り込まれていない。 この合意は “ 韓日両国政府間だけの合意 ” だ」という批判が高まり、この合意に対する反発が高まった。 和解・癒やし財団は韓国政府によって一方的に解散され、韓日慰安婦合意は実効性を失った。 其れを受けて、日本政府は「韓国政府が日韓慰安婦合意を破棄した」と批判した。 この事について、チョン外相は「「韓国政府は韓日慰安婦合意を破棄した」と韓国政府が表明した事は無い」「我々は韓日慰安婦合意を維持しながら、現実的方案を探している」と語った。 また、チョン外相は「2017年の大統領選挙当時、文在寅以外の大統領候補者が「韓日慰安婦合意を破棄する」との公約を掲げていた中で、文在寅は「韓日慰安婦合意を維持する」という難しい公約を掲げていた」と強く主張した。 ただ、チョン外相は韓日慰安婦合意に対する批判的な見方を持っている。 チョン外相は「韓日慰安婦合意に関する韓国内の不満の根本原因は、慰安婦合意が被害者にとって受け入れられるようなものではなく、被害者の名誉と尊厳が回復されないようなものであり、むしろ被害者にとって「恥ずかしい」と思われるようなものである事だ」「被害者の精神的被害・自尊心をどのように回復するかにおいて日本を説得する為、現実的な方法を日本政府に提示した」と語った。 続けて、チョン外相は「其れにもかかわらず、日本は「日韓慰安婦合意は “ 日韓両国政府間の合意 ” であるので、韓国政府が日韓慰安婦合意を守らなければ、韓国政府が “ 国際法違反 ” を犯したことになる」という「理屈に合わない主張」をしている」と語り、「日本人は韓国を「国際法を守らない国」だと罵っている」と主張した。 続けて、チョン外相は「日本人はそのように言う資格が有るのか」と語り、「「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の根本原因、「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の基本的性格は何なのか」と声を荒げた。 続けて、チョン外相は「韓国政府は一貫して現実的な方法を日本政府に提示したが、日本政府は「もっと持って来い」と要求し、日本政府が高圧的な交渉態度を取っている事が、交渉が進展しない事の根本原因だ」と発言した。

此の記事の中に鄭義溶(チョン・ウィヨン)外交部長官の発言として「「韓国政府は韓日慰安婦合意を破棄した」と韓国政府が表明した事は無い」「我々は韓日慰安婦合意を維持しながら、現実的方案を探している」「其れにもかかわらず、日本は「日韓慰安婦合意は “ 日韓両国政府間の合意 ” であるので、韓国政府が日韓慰安婦合意を守らなければ、韓国政府が “ 国際法違反 ” を犯したことになる」という「理屈に合わない主張」をしている」「日本人は韓国を「国際法を守らない国」だと罵っている」「韓国政府は一貫して現実的な方法を日本政府に提示したが、日本政府は「もっと持って来い」と要求し、日本政府が高圧的な交渉態度を取っている事が、交渉が進展しない事の根本原因だ」などが挙げられています。 此の事から分かるように、鄭義溶外交部長官は「朱子学流情治民主主義」の信奉者です。 韓国の外交部長官ですら此の程度です。 また、此の記事の中に「しかし、韓国内で「この合意には被害者の意見が盛り込まれていない。 この合意は “ 韓日両国政府間だけの合意 ” だ」という批判が高まり、この合意に対する反発が高まった。 和解・癒やし財団は韓国政府によって一方的に解散され、韓日慰安婦合意は実効性を失った」とある事から、「朱子学流情治民主主義」が韓国内に広く浸透している事が分かります。 韓国人は全般的に韓国政府が他国政府と結んだ国際法(条約や協約や協定や合意)であっても、其の国際法が自分たちにとって不都合なものであると感じると、「其の国際法には実効性が無い」とか「其の国際法は無効である」とか言い出して、其の国際法を守りません。

● 韓国には全ての国際法より上位に「反日法」とでも言うべきものがある。
先に「韓国人の「朱子学流情治民主主義」が韓国の反日の土台になっている」と述べましたが、「朱子学流情治民主主義」に基づくものとして「反日法」とでも言うべきものが在ります。 此の「反日法」は韓国の反日の法的根拠であり、韓国人にとっては全ての国際法より上位に在ります。 韓国の「反日法」とは、次のようなものです。

前文
我々は、我が国が再び日本によって侵略される事の無いように、且つ、我が国が再び日本によって植民地支配される事の無いように、との思いから、ここに「反日法」を制定する。 そもそも、「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある。 そして、其の実施は反日を第一とする我が国民の厳粛な信託に依拠し、其の権威は反日を第一とする我が国民に由来し、其の権力は反日を第一とする我が国民の代表者が此れを行使し、其の福利は反日を第一とする我が国民が此れを享受する。 此の「反日法」はかかる原理に基づくものであり、此の「反日法」は我が国政府と日本政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)だけでなく、如何なる国際法をも超越するものである。 我が国民は次の第1条から第12条までの事実や理念を肝に銘じなければならない。

第1条
日帝は1875年に江華島事件を強引に起こした。 我が国は1876年に日帝によって強圧的に日朝修好条規を締結させられ、開国させられた。 江華島事件以降、日帝は我が国を侵略し続けた。 我が国は日帝の侵略に負け、1910年8月29日に日帝によって強圧的に併合され、日帝によって不法に植民地支配され、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、日帝によって悪行の限りを尽くされた。 日帝の我が国に対する併合統治は不法な植民地支配であった。 江華島事件以降、日帝は我が国にとって一貫して加害国であった。
第2条
日朝修好条規、第1次日韓協約、第2次日韓協約、第3次日韓協約、日朝併合条約は我が国民の総意に反して日帝によって強圧的に締結させられたものであり、従って、其れらの条規や協約や条約は全て無効である。
第3条
我が国が日帝に頼んだ訳でもないのに、日帝は我が国の身分制度を無くし、我が国を近代化した。 此れは我が国民の総意に反する事であり、日帝が犯した大罪である。
第4条
日帝は警察権力で我が国民を弾圧して虐待した。 日帝は我が国民に対して強権的で強制的な政策を実施した。 日帝植民地支配時代の我が国民は日帝によって奴隷状態に置かれていた。
第5条
日帝植民地支配時代に我が国に住んでいた日本人の財産は日本人が強権的に且つ反人道的に取得したものである。
第6条
日帝植民地支配時代に日帝が我が国民に行なった反人道的不法行為は韓日請求権協定で解決されたとは見なされない。 従って、日本は今なお人道上の責任を負っている。 にもかかわらず、日本は其の責任を果たそうとしない。 日本は其の責任を果たすべきである。
第7条
1919年4月11日に上海で大韓民国臨時政府が発足し、其れと同時に、大韓民国が成立した。 そして、其れ以降、大韓民国臨時政府は抗日闘争を行なってきた。
第8条
大韓民国臨時政府は1940年に韓国光復軍を編成し、1941年12月9日に日帝に対して宣戦を布告し、韓国光復軍を連合国軍の一員として日中戦争に参加させた。 韓国光復軍はシナ各地でシナ軍と協力して日本軍を打ち負かした。 更に、韓国光復軍はイギリス軍の要請でインド戦線やビルマ戦線に派遣され、日本軍の後方撹乱や宣伝活動などの特殊戦や捕虜の尋問を担当した。 また、韓国光復軍はアメリカ軍と協力して対日進攻作戦を計画した。 しかし、日帝が予想よりも早く降伏した為、対日進攻作戦は実行されなかった。 此のように、韓国光復軍は日帝を相手に戦った。 従って、我が国:大韓民国は第2次世界大戦の対日戦勝国である。 そして、日帝は第2次世界大戦の戦犯国である。
第9条
日帝は我が国を侵略する過程で独島を真っ先に占領した。 独島は我が国固有の領土である。 日本が其の事実を受け入れないのは日本が帝国主義侵略を反省しないのと同じである。
第10条
「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関して、日本は「情理」に従って我が国民の賠償要求に応じる義務を負っている。 にもかかわらず、日本は今なお其の義務を果たしてない。 日本は其の義務を果たすべきである。
第11条
我が国政府と日本政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)であっても、其の国際法が「情理」に反するものであれば、其の国際法は我が国においては無効であり、従って、我が国民は其の国際法に従う義務を持たない。
第12条
如何なる国際法であっても、其の国際法が「情理」に反するものであれば、其の国際法は我が国においては無効であり、従って、我が国民は其の国際法に従う義務を持たない。

此の「反日法」の前提として「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 一方、日帝はあらゆる面で我が国より遥かに格下の国であった。 だから、我が国が日帝に自らの統治権を自発的に委ねる訳がない」という妄想が有ります。 此の「反日法」の基本部分は大韓民国の成立(1948年8月15日)前後に李承晩大統領を初めとして、反日を第一とする「両班」出身の政治指導者の総意として作られた、と思われます。 そして、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、此の「反日法」は完成度を高め、2011年における反日気運の高まりの中で、韓国の政治指導者の全てが「朱子学流情治民主主義」を持つようになったと同時に、韓国の政治指導者の全ての総意に基づいて此の「反日法」が出来上がった、と思われます。 韓国の立法機関・司法機関・行政機関は物事を「反日法」に照らし合わせ、「反日法」に適合する判断を下します。 表現を換えて述べれば、此の「反日法」は韓国の立法機関・司法機関・行政機関が下す判断の法的根拠になっているのです。

「反日法」の第7条(1919年4月11日に上海で大韓民国臨時政府が発足し、其れと同時に、大韓民国が成立した。 ・・・)に関しては、朴槿恵政権までの韓国歴代政権は国際世論を考慮してか、第7条を「有っても無きが如く」に扱ってきましたが、文在寅政権(2017年5月10日〜2022年5月9日)は第7条を重く扱い、2018年4月13日に大韓民国臨時政府結成99周年記念式典を行ない、2019年4月11日には大韓民国臨時政府結成100周年記念式典を行ないました。 また、文在寅政権は第11条を根拠として「朴正熙政権が1965年6月22日に日本政府(佐藤栄作政権)と結んだ日韓請求権協定は無効であり、朴槿恵政権が2015年12月28日に安倍政権と結んだ日韓慰安婦合意も無効である」と主張しています。 そして、文在寅政権は日韓請求権協定や日韓慰安婦合意の中で明記または表明された「日本と韓国との間の約束」を守りません。 文在寅政権は「日韓請求権協定は当時の朴正熙政権が日本政府から押し付けられて止むを得ず結んだものであり、日韓慰安婦合意は当時の朴槿恵政権が安倍政権から押し付けられて止むを得ず結んだものであるから、そんな協定や合意は守るに値しない」と考えているのです。「反日法」の前文の中に「そもそも、「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」とありますが、此の理念は要するに「人は法匪であってはならない」という理念です。 韓国人は此の理念に従う事を日本人に要求します。 其の要求を条文化したものが「反日法」の第11条です。 また、韓国人は韓国政府が日本以外の国や国際機関との間で結んだ条約よりも「人は法匪であってはならない」という理念に従う事を世界中の人々に要求します。 其の要求を条文化したものが「反日法」の第12条です。

「反日法」の第1条から第12条までの内容の中で事実と認められる事柄は、第1条の中の「日帝は1875年に江華島事件を強引に起こした。 我が国は1876年に日帝によって強圧的に日朝修好条規を締結させられ、開国させられた」と 第3条の中の「日帝は我が国の身分制度を無くし、我が国を近代化した」と 第7条の中の「1919年4月11日に上海で大韓民国臨時政府が発足し」と「其れ以降、大韓民国臨時政府は抗日闘争を行なってきた」だけです。 第7条の中の「其れと同時に、大韓民国が成立した」は彼ら韓国人の願望でしかありません。 大韓民国臨時政府は発足当初からシナ国民党政府に自らの承認を求めていましたが、シナ国民党政府は「大韓民国臨時政府の構成員の能力や資質はかなり不足している」と見なし、大韓民国臨時政府を承認しませんでした。 1941年12月8日に太平洋戦争が始まると、大韓民国臨時政府はすぐ連合国諸国に自らの承認を求めましたが、アメリカを初めとする連合国諸国は大韓民国臨時政府を承認しませんでした。 枢軸国諸国も大韓民国臨時政府を承認しませんでした。 第2次世界大戦の終結後も、アメリカを初めとする連合国諸国は「第2次世界大戦中において、朝鮮は日本の植民地であったのであり、朝鮮は日本と戦争したことが無く、大韓民国臨時政府は力をほとんど(全くと言って良いほど)持ってなく、大韓民国臨時政府は第2次世界大戦で連合国の勝利に貢献しなかった」と見なし、大韓民国臨時政府を承認しませんでした。 言い換えると、彼ら韓国人の「1919年4月11日に大韓民国が成立した」という主張は世界中のどの国からも承認されなかったのです、そして、其の主張は現在でも承認されていません。 第8条の中の「大韓民国臨時政府は1940年に韓国光復軍を編成し、1941年12月9日に日帝に対して宣戦を布告し、韓国光復軍を連合国軍の一員として日中戦争に参加させた。 韓国光復軍はシナ各地でシナ軍と協力して日本軍を打ち負かした」も彼ら韓国人の妄想的願望でしかありません。 第8条の中の「韓国光復軍はアメリカ軍と協力して対日進攻作戦を計画した。 しかし、日帝が予想よりも早く降伏した為、対日進攻作戦は実行されなかった。 此のように、韓国光復軍は日帝を相手に戦った。 従って、我が国:大韓民国は第2次世界大戦の対日戦勝国である。 そして、日帝は第2次世界大戦の戦犯国である」も彼ら韓国人の妄想的願望でしかありません。 第8条の中の「韓国光復軍はイギリス軍の要請でインド戦線やビルマ戦線に派遣され、日本軍の後方撹乱や宣伝活動などの特殊戦や捕虜の尋問を担当した」は事実かも知れません。 此の部分が事実であるとすれば、韓国光復軍は戦場で日本軍を相手に戦った軍ではなく、イギリス軍の手先として諜報活動だけに携わっただけの集団であり、「軍」と言えるほどのものではなかった事になります。 此の「反日法」の第1条から第12条までの内容の中で事実と認められる事柄として取り上げた内容、並びに、事実かも知れない事柄として取り上げた内容、以外の内容は全て事実ではなく、彼ら韓国人の妄想的願望でしかありません。 因みに、アメリカ軍作成の資料によれば、韓国光復軍は独立の軍隊ではなく、シナ国民党軍の中の一組織であり、其の人数は精々200人でした。

極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」によってソウルの日本大使館の前や釜山の日本総領事館の前に設置された慰安婦少女像は外交関係に関するウィーン条約の第22条第2項「接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護する為に、並びに、公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止する為に、適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」に反して今なお撤去されません。 そして、此の件に関して韓国政府は如何なる介入もしません。 なぜでしょうか。 其れは、韓国政府が「反日法」の第11条に基づいて慰安婦少女像を扱っているからです。 また、韓国の裁判所が自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の訴えを是認し、且つ、日本の主権免除を否認する判決を下すのは、韓国の裁判所が「反日法」の第11条に基づいて自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の訴えを扱っているからです。

● 韓国は世界一の非常識国家になった。
朝鮮戦争が1950年6月25日に始まったあと暫くして、日本と連合国諸国との間で講和に向けた動きが活発になりました。 韓国の李承晩政権は「対日講和条約に署名したい」という意思を度々表明し、「大韓民国は対日講和条約の署名国としての資格が有る」とアメリカ連邦政府に訴えました。 其れに対し、1951年7月9日、アメリカ連邦政府のダレス国務長官補は「第2次世界大戦中において、朝鮮は日本の植民地であったのであり、朝鮮は日本と戦争したことが無く、大韓民国臨時政府は力をほとんど(全くと言って良いほど)持ってなく、大韓民国臨時政府は第2次世界大戦で連合国の勝利に貢献しなかったばかりか、連合国共同宣言に署名しなかった」と判断し、此の判断を根拠として「大韓民国は対日講和条約の署名国になれない」という事を李承晩政権に正式に通達しました。 其れに対し、李承晩政権は日本を国際社会に復帰させようとする対日講和条約の締結そのものに反対しました。 其れに対し、アメリカ連邦政府は1951年8月10日にラスク国務次官補の書簡(ラスク書簡)で李承晩政権に最後通達し、李承晩政権の対日講和条約署名要求だけでなく、李承晩政権の他の対日要求の大部分を拒否しました。 しかし、此の最後通達のあとも李承晩政権は「対日講和条約の署名国」としての地位を要求し続けました。 其れに対し、ダレス国務長官補は李承晩政権の対日講和条約署名要求を再度拒否し、李承晩政権の対日講和会議へのオブザーバー資格での参加をも拒否しました。 そして、此のような李承晩政権に対して、アメリカ連邦政府は李承晩政権の転覆を謀りました。

韓国の国定教科書には「反日法」の第8条(大韓民国臨時政府は1940年に韓国光復軍を編成し、1941年12月9日に日帝に対して宣戦を布告し、韓国光復軍を連合国軍の一員として日中戦争に参加させた。 韓国光復軍はシナ各地でシナ軍と協力して日本軍を打ち負かした。 更に、韓国光復軍はイギリス軍の要請でインド戦線やビルマ戦線に派遣され、日本軍の後方撹乱や宣伝活動などの特殊戦や捕虜の尋問を担当した。 また、韓国光復軍はアメリカ軍と協力して対日進攻作戦を計画した。 しかし、日帝が予想よりも早く降伏した為、対日進攻作戦は実行されなかった。 此のように、韓国光復軍は日帝を相手に戦った。 従って、我が国:大韓民国は第2次世界大戦の対日戦勝国である。 そして、日帝は第2次世界大戦の戦犯国である)と同じ内容の事が記載されています。 そして長年に渡って、韓国の学生の大多数が其の記載内容を信じ込んで大人になり、其の結果として、韓国は世界一の非常識国家になりました。

● 「反日法」に基づいて作られた法律。「反日法」に基づいて出された判決。
日韓請求権協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)の第二条には
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
2 この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の対象となつたものを除く)に影響を及ぼすものではない。
(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日からこの協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産、権利及び利益
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以降における通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下に入ったもの
3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。
と書かれています。(日本外務省が提供する日韓請求権協定文書のPDFファイル(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-293_1.pdf)参照)

要するに、日韓請求権協定は「此の協定の締結以降、韓国人は此の協定の締結日以前に生じた如何なる事由に関しても自身の個人請求権を日本に対して行使することは出来ない」と述べているのです。 にもかかわらず、韓国の裁判所は日韓請求権協定を否定する形で「反日法」に基づく判決を下します。 戦時中の国家総動員法の下で日本に渡航して就労した “ 被強制徴用朝鮮人男性 ” が日本企業に損害賠償および未払い賃金の支払いを求めた訴訟において、日本の最高裁判所に相当する韓国大法院は2012年5月24日に「反日法」の第11条に基づいて「日帝の反人道的不法行為に対する「韓国人の日本に対する個人請求権」は依然として有効である」との判決を下しました。 此の判決は日韓請求権協定に反しており、其の意味で国際法違反です。 此の判決は「韓国は日韓請求権協定を破棄すべきである」という主張とも解釈できるものです。 韓国大法院の此の判決を受けて、2013年7月10日、ソウル高等裁判所が「被強制徴用朝鮮人男性への賠償問題」で「被強制徴用朝鮮人男性に関することは日韓請求権協定の範囲に含まれていない」との判断を示し、新日鉄住金に対して「各原告に1億ウォンを払え」と命じる判決を下しました。 2013年7月30 日、釜山高等裁判所が「被強制徴用朝鮮人男性への賠償問題」で同様の判決を下し、三菱重工業に対して「各原告に最高8000万ウォンを払え」と命じる判決を下しました。 2016年8月19日、ソウル中央地方裁判所が「被強制徴用朝鮮人男性への賠償問題」で同様の判決を下し、新日鉄住金に対して「3人の遺族に総額1億ウォンを払え」と命じる判決を下しました。 2016年8月25日、ソウル中央地方裁判所が「被強制徴用朝鮮人男性への賠償問題」で同様の判決を下し、三菱重工業に対して「14人の遺族に1人当たり9000万ウォンを払え」と命じる判決を下しました。 また、2011年12月に靖国神社の門に放火して韓国に逃亡した中国人が2012年1月にソウルの日本大使館に火炎瓶4本を投げ込んで逮捕され起訴された事件で、2013年1月3日、ソウル高等裁判所が此の中国人を政治犯と認定し、日本政府への身柄引き渡しを拒否する判決を下しました。 また、対馬の観音寺から盗まれて韓国に持ち込まれた仏像について、2013年2月25日、此の事件を扱った韓国の大田地方裁判所が「反日法」の第11条に基づいて此の仏像の日本への返還を禁止する判決を下しました。 此の判決はユネスコ条約(文化財違法輸出入等禁止条約)に反しています。 韓国は此の条約を批准した国であるにもかかわらず、韓国は此の条約を守りません。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2016年11月24日付けの日本語版記事「ソウル中央地裁、不二越に「元挺身隊ら1人当たりに1億ウォンの賠償を」判決」を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
日帝強制占領期の「元女子勤労挺身隊員」キム・オクスンさん(87歳)ら5人が日本の機械メーカー「不二越」を相手取って起こした損害賠償請求訴訟で、「会社側が被害者1人当たりに1億ウォン(945万円)ずつ賠償しなければならない」という判決が下された。
ソウル中央地裁は「満12歳〜15歳という少女期に酷い精神的苦痛を受けた事は明らか」として、23日、同判決を言い渡した。

対馬の観音寺から盗まれて韓国に持ち込まれた「観世音菩薩坐像」について、2017年1月26日、韓国の大田地方裁判所が「反日法」の第11条に基づいて「数百年前に倭寇によって略奪されたものであり、所有権は浮石寺にある 」との判決を下し、韓国政府に対して此の仏像を韓国の浮石寺に引き渡すように命じました。 此の判決はユネスコ条約(文化財違法輸出入等禁止条約)に反しています。 韓国大法院は2018年10月30日に「反日法」の第11条に基づいて自称「元徴用工」韓国人男性の日本に対する個人請求権を認め、「太平洋戦争中に日本製鉄の工場で重労働を強制された」と主張する韓国人原告4人に対して総額4億ウォン(凡そ4千万円)を払うように新日鉄住金に命じました。 此の判決も日韓請求権協定に反しており、其の意味で国際法違反です。 此の判決も「韓国は日韓請求権協定を破棄すべきである」という主張とも解釈できるものです。 此のときの韓国大法院の長官は文在寅大統領の子分であり、韓国大法院の長官になる前には地方裁判所の裁判官をしていた人であり、文在寅大統領が韓国大法院の長官職に抜擢した人物です。 ですから、文在寅政権下の韓国に「三権分立」は有りません。 にもかかわらず、文在寅政権や韓国左派政党「共に民主党」は「韓国は三権分立国家だから、文在寅政権は司法の判断に干渉できない」と言っています。 何という嘘つき政権、何という嘘つき政党でしょうか。

韓国大法院は2018年11月29日に「反日法」の第11条に基づいて自称「元徴用工」韓国人男性の日本に対する個人請求権を認め、「太平洋戦争中に三菱重工業の広島工場で重労働を強制され、其の上、被爆した」と主張する韓国人原告5人に対して総額4億ウォン(凡そ4千万円)を払うように三菱重工業に命じました。 此の判決も日韓請求権協定に反しており、其の意味で国際法違反です。 此の判決も「韓国は日韓請求権協定を破棄すべきである」という主張とも解釈できるものです。 更に同日、韓国大法院は「太平洋戦争中に朝鮮女子勤労挺身隊員にされ、三菱重工業の名古屋工場に強制連行され、無賃金の重労働を強制された」と主張する韓国人原告4人に対して総額5億6千万ウォンを払うように三菱重工業に命じました。 此の判決も日韓請求権協定に反しており、其の意味で国際法違反です。 此の判決も「韓国は日韓請求権協定を破棄すべきである」という主張とも解釈できるものです。

先に述べたように、日韓請求権協定は「此の協定の締結以降、韓国人は此の協定の締結日以前に生じた如何なる事由に関しても自身の個人請求権を日本に対して行使することは出来ない」と述べているのです。 ですから、韓国人は自身の個人請求権を行使したければ、自身の個人請求権を韓国政府に対して行使するしかないのです。 先に述べたように、日韓請求権協定の締結交渉の中で韓国政府(朴正熙政権)は「朝鮮人戦時労働者への補償金の支払方法は韓国政府に任せて欲しい。 補償金を韓国政府に一括して払って欲しい」と日本政府に要求しました。 日本政府は其の要求を受け入れ、朝鮮人戦時労働者への補償金を3億USドル相当の無償供与(日本円・物品・技術)の中に含めて韓国政府に供与しました。 ですから、自称「元徴用工」韓国人男性は、補償を請求したいのであれば、其の補償を日本にではなく、韓国政府に請求すべきなのです。 手短に言えば、韓国人が言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題は日韓請求権協定の締結の時点(1965年6月22日)で解決しているのです。

日韓請求権協定を読んで其の内容を知っていると思われるような韓国人でも次のように考えています。「日本は韓国と日韓請求権協定を結んだが、日本は3億USドル相当の無償供与(日本円・物品・技術)を、『私たちが間違っていたので賠償する』と言って韓国に与えたのではなく、独立祝い金または経済協力資金として韓国に与えたのである。 従って、被害者個々人が日本企業から賠償を受ける権利は依然として存在する。 韓国大法院は其の権利を認定したのである」。 そして、此のように考える韓国人が韓国人の75%ほどを占めているのです。 此のような国とは如何なる条約も、如何なる協約も、如何なる協定も、如何なる合意も、結ぶ事は出来ません。

韓国大法院は今までに4回も日韓請求権協定を自分勝手に自分に都合よく解釈する判決を出しました。 其れらの判決は「韓国は日韓請求権協定を破棄すべきである」という主張とも解釈できるものです。

大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げる際、日本は膨大な日本資産(日本が朝鮮に作った工場や社会基盤など)を破壊する事なく、其のまま朝鮮に残して来ました。 連合国軍総司令部(GHQ)(アメリカのトルーマン政権が敗戦後の日本を占領統治する為に1952年4月28日まで東京・日比谷に設けていた機関)作成の資料を基に産経新聞が推計して2002年9月13日に発表した資料によれば、日本が朝鮮に残してきた日本資産の総額は其の当時の円(¥)で891億円(2001年時点の円で16兆9300億円)であり、其の内で日本が南朝鮮(現在の韓国)に残してきた日本資産の総額は429億円(2001年時点の円で8兆1500億円)です。 日本が朝鮮に残してきた膨大な日本資産は韓国・北朝鮮の経済発展の基礎になりました。 韓国や北朝鮮は日本が朝鮮に残してきた膨大な日本資産を基に発展して来たのです。

● 2017年における「徴用工」を巡る動き。
韓国の左派市民団体がソウルの日本大使館の前に設置された慰安婦少女像の横に「徴用工」の像を設置する計画を進めています。 此の件に関しては、産経ニュース「ソウル、釜山、光州に徴用工像 8月15日設置と市民団体が計画発表 製作は慰安婦像と同じ作者」(http://www.sankei.com/politics/news/170428/plt1704280030-n1.html)並びに、産経ニュース「新たに朝鮮人徴用工の像の設置計画、韓国はひたすら日本に嫌がらせをしたいだけだろう 4月29日」(http://www.sankei.com/politics/news/170429/plt1704290006-n1.html)をご覧になってください。

韓国の文在寅大統領は2017年8月17日に行なわれた記者会見で「「元徴用工」韓国人男性の日本に対する個人請求権は消滅してない」という意味の事を発言しました。 此の件に関しては、産経ニュース「韓国・文在寅大統領が “ 賠償カード ” を切った! 徴用工問題で日本企業2000社標的 識者「補償ビジネスを国家ぐるみでやるということ」(http://www.sankei.com/world/news/170822/wor1708220027-n1.html)をご覧になってください。

● 朝鮮の「貢女(コンニョ)」。 朝鮮の「妓生(キーセン)」。 韓国軍の「第五種補給品」。
朝鮮の王朝は昔から若くて綺麗な娘をシナ王朝にたくさん貢いできました。 朝鮮人は「13歳〜16歳の綺麗な娘をシナ王朝に貢ぐこと」を「貢女(コンニョ)」と言っていました。 5世紀に高句麗王朝や新羅王朝が若くて綺麗な娘をシナの北魏王朝にたくさん貢いだという記録が朝鮮半島に在るそうです。 そして、特に高麗が13世紀後半に元王朝の直轄領になってから、李氏朝鮮が19世紀後半に日本政府によって強圧的に開国させられるまでの実に600年間弱に渡って「貢女」が盛んに行なわれました。 其の当時の「貢女」の1年間当たりの人数は最大で3000人であった、と言われています。 其の当時の朝鮮では、綺麗な娘を持つ両班は其の娘を隣人に隠して育て、其の娘が12歳になる前に無理やり嫁がせる事がよくあり、其の事が露顕した場合には、其の両班の親族全員が連帯責任を負わされたそうです。 此のような事は両班にとって耐え難い苦悩・屈辱であったろう、と思われます。 そして、両班は其のような恥辱的・屈辱的な記憶を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で「朝鮮民族の記憶」として持つようになった、と考えられます。 そして、韓国の学校や家庭では「暮らしやすかった日本統治時代の事柄」はほとんど(全くと言って良いほど)隠蔽され、しかも、「日本統治時代に日本人は朝鮮で悪い事ばかりした」と教えられて来ました。 そして、そう教えられた韓国人は、「両班」階級出身者も、「常民」階級出身者も、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)も、遺伝子レベルで身に着けた「朝鮮民族の記憶」に基づく感性・知性・理性で「日帝が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にしたのは間違い無い」と思って日本に執拗に食い下がるのです。

李氏朝鮮には「妓生(キーセン)」と呼ばれる女性がいました。「妓生」とは、「朝鮮において、宮中内の宴会などで楽技を披露するだけでなく、自国の高級官僚や外国の高官に性的な奉仕をするように李氏朝鮮王朝によって育成・管理された国家公務員」です。 韓国には今でもハニートラップ用の現代版「妓生」がいて、仕事で韓国に赴いた日本人ビジネスマンや日本政府の高級官僚(特に財務省の)や自民党の大物国会議員が此の罠(わな)にしばしば掛かり、親韓国になって帰って来るそうです。 2020年の時点で若い韓国人女性の4人に1人は売春婦である、と言われています。 そして、韓国のソウルでは売春の合法化を要求する売春婦によるデモが年に1回の頻度で起きます。 そして、若い韓国人女性の間では日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、などでの出稼ぎ売春がとても盛んです。 韓国政府の発表では2015年の時点で韓国外で出稼ぎ売春をしている韓国人女性の数は10万人です。 日本で出稼ぎ売春をしている韓国人女性の数は5万人である、と言われています。 此れらの事から「売春婦や慰安婦というものは韓国の文化である」と見なして良いでしょう。 因みに、仕事で中国に赴いた日本人ビジネスマンや日本政府の高級官僚(特に財務省の)や自民党の大物国会議員が中国企業や中国共産党の仕組んだハニートラップにしばしば掛かり、親中国になって帰って来るそうです。

韓国は1990年代前半まで管理売春国家として知られていました。 朝鮮戦争が1950年6月25日に始まって1953年7月に休戦状態になるまでの期間中、韓国軍は慰安婦を募集し、此れに応募した韓国人女性をドラム缶に入れ、此れを「第五種補給品」と称してトラックに載せて戦線の近くに運び、韓国軍将兵や国連軍将兵の為の固定式慰安所や移動式慰安所を設置・運営していました。 此の事は韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録『後方戦史』で裏付けられています。 朝鮮戦争が1953年7月に休戦状態になってからも、韓国の国連軍基地の周辺には国連軍将兵(其の大多数はアメリカ軍将兵)を客とする韓国人売春婦が多数いました。 そして、程なく韓国政府は彼女たちを組織的に管理する為に「基地村」(慰安所歓楽街)を作り、此の管理売春を1990年代前半まで続けました。 此の韓国人売春婦は「米軍慰安婦」とか「洋公主(ヤンコンジュ)」とか呼ばれています。 此の件に関しては、産経ニュース「米軍慰安婦 韓国メディア黙殺、朴政権にふりかかる『戦争と性』」(http://www.sankei.com/premium/news/150703/prm1507030005-n1.html)をご覧になってください。

ベトナム戦争中、ベトナムに駐留していた韓国軍の運営する韓国軍専用慰安所がサイゴン(現在のホーチミン市)に在った事がアメリカ連邦政府の公文書で明らかになりました。 此の件に関しては、「米公文書が暴いたベトナムの『韓国軍慰安所』(livedoor ブログ)」(http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/43523382.html)をご覧になってください。

● 反日韓国人が主張する「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」は事実ではない。
日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が1910年8月29日に始まりました。 すると、多くの朝鮮人が貧しい朝鮮を離れ、高い給料をもらえる日本内地に我先にやって来ました。 日本内地への渡航には渡航証明書が必要でしたが、渡航証明書を持たない多くの朝鮮人が日本内地に密入国しました。 大量の朝鮮人が日本内地に入り込んだ結果として、日本内地では日本人失業者が増え、日本に密入国した朝鮮人の中には悪事を働いて犯罪者になった者が少なからず居ました。 其の為、日本政府は「此れ以上朝鮮人が日本内地に入り込んでは困る」と思い、1919年4月に渡航制限規則を設けました。 しかし其れでも、大量の朝鮮人が其の渡航制限規則を無視して日本内地に密入国しました。 朝鮮人の日本内地への密入国は1930年代になると激増しました。 森田芳夫著『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』によると、日朝併合時代における在日朝鮮人の数は、1911年に2527人、1912年に3171人、1913年に3635人、1914年に3542人、1915年に3917人、1916年に5624人、1917年に1万4500人、1918年に2万2400人、1919年に2万6600人(1919年4月に朝鮮人の日本内地への渡航を制限する規則が設けられましたが、此の規則は形骸化しました)、1920年に3万0200人、1921年に3万8600人、1922年に5万3700人、関東大震災が発生した1923年に8万0400人、1924年に11万8100人、1925年に12万9900人、1926年に14万2800人、1927年に16万5300人、1928年に23万8100人、1929年に27万5200人、1930年に29万8100人、1931年に31万1200人、1932年に39万0500人、1933年に45万6200人、1934年に53万7700人、1935年に62万5700人、1936年に69万0500人、1937年に73万5700人、1938年に79万9900人、1939年に96万7600人、1940年に119万0400人、1941年に146万9200人、1942年に162万5000人、1943年に188万2400人、1944年に193万6800人でした。

日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が終わって55年も経った2000年頃から「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」が日本マスメディアでも報道されるようになりました。「日本軍が朝鮮人を無理やり日本に連れて来て無理やり働かせた」と日本で報道されるようになったのです。 此れを言い出した人々は在日朝鮮人です。 彼ら在日朝鮮人の「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」の主張は捏造・でっち上げ・大嘘です。

日本内地では1938年(昭和13年)3月に「国家総動員法」が公布され、1939年(昭和14年)7月に「国民徴用令」が公布され、大東亜戦争開始(1941年12月8日)後の1943年に「国民徴用令」が戦時向けに改正され、徴用が大規模に行なわれるようになり、1944年3月までに288万人余りの日本人が徴用されました。 そして、1945年(昭和20年)3月には「国民徴用令」に代わるものとして「国民勤労動員令」が公布され、終戦時(1945年8月15日)までに総計616万人の日本人が徴用されました。 また、日本統治下の朝鮮でも1944年9月から1945年3月まで徴用の為の強制的な動員が行なわれ、245人の朝鮮人が徴用の為に強制的に動員されて日本に連れて来られました。 徴用の為に強制的に動員されて日本に連れて来られた朝鮮人の数は245人です。 此の「245人」という数は、高市早苗自民党国会議員が2010年頃に外務省の官僚を叱咤(しった)し、外務省の官僚をして外務省の書庫の中から探し出させた外務省文書資料(昭和34年7月11日付け)に載っているものです。 安倍内閣は2018年4月17日に「被徴用朝鮮人245人」という数を閣議決定し、「被徴用朝鮮人245人」という数は日本政府の公式見解となりました。

戦前から戦中にかけて日本内地に入ってきた彼ら朝鮮人193万人余りは日本の敗戦後、GHQの日本占領政策により無料で朝鮮に帰ることが出来ました。 彼ら朝鮮人の帰国費用はGHQ指令下の日本政府が払ってくれたのです。 此の政策により彼ら朝鮮人193万人余りの内の130万人強は1946年3月までに朝鮮に帰りましたが、残りの朝鮮人60万人ほどは日本国内に居続けて日本に住み着きました。 そして、日本政府は日本に住み着いた朝鮮人60万人ほどに日本永住権を与えました。 彼ら朝鮮人60万人ほどの内、日本国籍を取得した者は「朝鮮系日本人」となり、日本国籍を取得しなかった者は「在日朝鮮人」(略して「在日」)と呼ばれるようになりました。 そして、日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が終わって55年も経った2000年頃から、在日朝鮮人が「自分たちは日本に強制連行されて日本で強制労働させられた」「日本に居る朝鮮人は全て日本に強制連行されてきた者だ」と大々的に騒ぐようになったのです。 彼ら在日朝鮮人は「なぜ韓国政府から帰還要求が無かったのか」との質問に答えません。 また、彼ら在日朝鮮人は「なぜ韓国に帰ろうとしなかったのか」との質問にも答えません。 彼ら在日朝鮮人は日本での劣悪な労働環境などを口にしますが、朝鮮で働くよりも日本内地で働く方が高い給料をもらえたので、彼ら在日朝鮮人は自ら望んで日本内地に働きに来たのです。 にもかかわらず、彼ら在日朝鮮人は「自分たちは被害者である」と主張しています。 此のような主張は純正日本人には全く理解できません。 彼ら在日朝鮮人は被害者振るのが得意なのです。 そして、彼ら在日朝鮮人は被害者振らないでは居られないのです。

● 韓国人の主張する「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題における韓国政府や韓国国会の振る舞いは全く異様である。 朴槿恵政権は国を挙げて日本に外交戦争を仕掛けて来た。

韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「日帝は軍事力で我が国を植民地支配し、我が国の全てを奪った。 我が国が日帝に植民地支配されていた時代は我々の祖先が弾圧・収奪された暗黒時代であった」と日常的に主張します。 左派韓国人(奴婢の子孫)は「暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国の天然資源を奪い尽くし、我々の祖先を奴隷にした」とか「我が国は日本帝国主義の被害国だ。「日本は反省しない」という意味で日本は最低の国だ」という思いを強固に身に着け、「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」と世界に向かって主張しながら、自分らの子にも其のように教え込み、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らしています。 韓国マスメディアは「日帝は第2次世界大戦の戦犯国であり、加害国である。 我が国は日本帝国主義の被害国だ」という政治宣伝(プロパガンダ)を執拗にやり続けています。 そして、韓国政府は此の政治宣伝(プロパガンダ)を外交の基本戦術にしています。 2013年2月25日に韓国大統領に就任した朴槿恵は大統領就任早々の三・一独立運動記念式典(2013年3月1日)での演説の中で「韓国とアメリカとの関係は強固である。 アメリカ連邦政府は日本よりも韓国を大切にしている」という思いに基づいて「加害者と被害者という歴史的な立場は、千年が経っても、変わらない」と発言し、アメリカ連邦政府の理解を求め、日本を非難しました。 そして、朴槿恵大統領は「「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題が解決しなければ、韓日首脳会談は無い」と言って強硬な謝罪要求を掲げて来ました。「日本は歴史を直視すべきだ」「日本は正しい歴史認識を持つべきだ」が韓国政府の決まり文句です。

朴槿恵政権下の韓国は2015年の3月から4月にかけて国を挙げて(左派韓国人、右派韓国人、韓国政府、韓国国会、韓国マスメディア、在米韓国人、韓国系アメリカ人、などが一丸となって)、アメリカ連邦議会の上下両院合同会合での安倍総理大臣演説(2015年4月29日)を阻止しようとしました。 アメリカ連邦議会の上下両院合同会合での安倍総理大臣演説の日程が公になってからの韓国政府&韓国国会の動きを日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「「安倍首相の米議会演説の阻止」で自爆した韓国」(2015年4月27日付け)から引用しておきます。

3月4日    訪米した韓国国会議長が安倍首相のアメリカ連邦議会演説に関してアメリカ連邦議会下院議長に「日本の真の謝罪と行動が必要だ」と発言した。
3月20日  韓国外交部が「安倍首相はアメリカ連邦議会演説で歴史への省察を示すべきだ」と発表した。
3月29日  韓国外交部長官:尹炳世(ユン・ビョンセ)が「安倍首相のアメリカ連邦議会演説と70年談話が日本の歴史認識の試金石になる」と発言した。
4月2日    韓国を訪れたナンシー・ペロシ下院民主党院内総務(アメリカ政界のNo.3)が韓国国会議長と会談し、韓国国会議長が「日本の首相は米議会演説で過去の罪悪を認めて謝罪すべきだ」と発言した。
4月2日    ナンシー・ペロシ下院民主党院内総務が韓国外交部長官:尹炳世と会談し、韓国外交部長官:尹炳世が「安倍演説は我が国に対する不法な侵略、我が国に対する不法な植民地支配、及び、慰安婦問題に関する事柄について具体的に触れなければならない」と発言した。
4月2日    朴槿恵大統領がナンシー・ペロシ下院民主党院内総務と会談して「「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の解決は急務である」と発言した。
4月16日  日米韓の外務次官協議で韓国外交部次官が「安倍演説は正しい歴史認識を基に行なうべきだ」と注文を付けた。
4月21日  韓国国会の外交統一委員長が安倍首相の歴史認識について懸念をリッパート駐韓アメリカ大使に述べた。
4月21日  ウォール・ストリート・ジャーナルが「韓国政府は安倍首相のアメリカ連邦議会演説に韓国の主張を反映させようとし、其の為に韓国政府がアメリカの広報会社と契約した」と報道した。
4月22日  駐日韓国大使が「戦後70年談話」で「侵略、植民地支配、反省という3つの言葉を使うように期待する」と発言した。
4月22日  韓国外交部がバンドン会議での安倍演説に関して「不法な植民地支配と不法な侵略への謝罪と反省が無かった事が遺憾である」と発表した。
4月23日  アメリカ連邦議会内で韓国系団体と中国系団体と自称「元日本軍用慰安婦」とが一緒に記者会見して「安倍首相は演説で謝罪すべきだ」と主張した。
4月24日  韓国外交部が「外交部長官とケリー国務長官とが電話会談で「歴史対立を癒す努力」で一致した」と発表した。
4月24日  ブラジル訪問中の朴槿恵大統領が「正しい歴史認識に基づいた誠意ある行動を日本に期待する」と発言した。

2014年1月、安倍内閣は明治日本の産業革命遺産(炭鉱業、鉄鋼業、造船業に関する明治時代のもの)が世界文化遺産として登録される事を目指してユネスコ世界遺産センターに申請手続きを行ないました。 此れに対して、朴槿恵政権の韓国外交部長官:尹炳世が「長崎造船所や端島(軍艦島)炭坑など7つの施設で第2次世界大戦中に多くの朝鮮人が徴用されて重労働を強制され、多くの犠牲者が出た」と難癖を付け、朴槿恵大統領が登録反対を表明するなど、韓国は国を挙げて明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対しました。 此の辺りの事をもう少し詳しく見ていきましょう。 朴槿恵大統領は2015年4月の中南米訪問で世界遺産委員会の委員国であるコロンビアやペルーの大統領と会談して「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを詳細に説明し、同年5月には世界遺産委員会の委員国であるインドを訪れ、インド首相に同様の考えを詳細に説明しました。 更に、韓国政府はユネスコのボコバ事務局長を韓国に招き、2015年5月20日に朴槿恵大統領がボコバ事務局長と会談して「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを詳細に説明しました。 同年6月21日に韓国外交部長官:尹炳世が東京で岸田外務大臣と会って明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録で合意しました。 にもかかわらず、韓国外交部長官:尹炳世は同年6月下旬に世界遺産委員会の議長国であるドイツに行ってドイツの外務大臣と会談し、「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを詳細に説明し、更に、世界遺産委員会の委員国であるクロアチアに行ってクロアチアの外務大臣と会談して朴槿恵政権の考えを詳細に説明し、更に、ニューヨークへ行って世界遺産委員会の委員国であるマレーシアの外務大臣と会談して朴槿恵政権の考えを詳細に説明しました。 韓国政府の要人は世界遺産委員会の委員国の当局者と接触する際には、徴用関連の捏造写真や所謂「証言録」などを使って説明しました。 また、韓国国会の外交統一委員長は2015年の4月から5月にかけて世界遺産委員会の委員国の当局者宛に「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを述べた書簡を発送しました。 こうした状況の中で、明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録の可否がユネスコの世界遺産委員会で議論されて来ました。 そして、2015年7月4日にユネスコの世界遺産委員会で明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録が決定される場になって、韓国政府代表が突然、異議を唱えました。 窮地に陥った日本政府代表(外務省の官僚)は「there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions(意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた)」という文言を決議案に盛り込むことに合意し、2015年7月5日に此の決議案が可決されて明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録が決定されました。 韓国にとっては世界中の人々の前で日本と揉(も)めて見せる事が重要なのです。 なぜなら、反日韓国人は「日本と韓国とが揉めれば揉めるほど、「日本の悪行」を世界中に知らしめることが出来る」と思っているからです。 明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録が決定されたあと、韓国は「there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions」という言葉を言質(げんち)として「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」を世界中に言い触らすようになりました。

韓国人の主張する「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題における韓国政府や韓国国会の振る舞いは全く異様です。 朴槿恵政権は国を挙げて日本に外交戦争を仕掛けて来たのです。 NHKを初めとする日本マスメディアは以上のような出来事をなるべく報道しないようにして来ました。 ですから、日本人の大多数は以上のような出来事を知りません。

● 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった2005年頃に、韓国人の83%ほどが「日本に対する被害者根性」を身に着けた。 そして、彼らは「日本に対する被害者根性」から派生する「我々は日帝による被害者である」という思いに突き動かされて日本を糾弾しないでは居られない。

2015年の3月から4月にかけて、とても多くの反日韓国人やとても多くの反日韓国系アメリカ人(一説には、総勢10万人とも言われる反日韓国人や反日韓国系アメリカ人)がアメリカの首都:ワシントンD.C.や其の周辺に滞在し、アメリカ連邦議会の上下両院合同会合での安倍総理大臣演説(2015年4月29日)を阻止しようとして、アメリカの外交・安全保障関係者がうんざりするほどにまでアメリカの外交・安全保障関係者にしつこく働き掛けていました。 彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人は安倍演説を阻止しようと目論んで躍起になったのです。 ですが、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人の安倍演説阻止の目論みは失敗しました。 すると、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人は次善の策として、「韓国が受けた被害への言及と韓国への謝罪」を安倍演説の中に入れようと目論みました。 其の目論みの一環として、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性と自称「元日本軍用慰安婦」中国人女性とがアメリカ連邦議会内で共同記者会見を開いて「安倍首相は演説の中で謝罪すべきだ」と主張しました。 こうして、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人はアメリカ連邦政府に圧力を掛けたのです。 しかし、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人の其の目論みも失敗しました。 そして、韓国の国会は2015年5月12日の本会議で、安倍演説の中に「韓国が受けた被害への言及と韓国への謝罪」が入っていなかったという理由で「安倍首相の糾弾」決議案を満場一致で可決しました。 しかし、此の「安倍首相の糾弾」決議案の可決は何の拘束力も持ちません。

韓国人の大多数は「我々は日帝による被害者である」という思いを持っており、彼らは其の思いに突き動かされて日本を糾弾しないでは居られないのです。

明治日本の産業革命遺産は2015年7月5日に世界文化遺産に登録されました。 すると、韓国の映画製作会社『外柔内剛』は「日帝支配下の朝鮮では多くの朝鮮人が強制徴用され、多くの朝鮮人が長崎県の端島(軍艦島)に強制連行された。 端島(軍艦島)では日本人労働者は安全な場所で働き、強制徴用・強制連行された朝鮮人や中国人は危険な場所で強制労働させられた。 端島(軍艦島)で強制労働させられた朝鮮人と中国人との内、1000人以上が端島(軍艦島)で死んだ。 彼らの死体は海や廃坑に捨てられた」という内容の映画の製作にすぐに取り掛かり、此の映画を2017年7月に『軍艦島』という名称で公開しました。 此の映画の内容は言いたい放題の出鱈目・やりたい放題の出鱈目です。 反日韓国人は此のような言いたい放題の出鱈目を主張しないでは居られないのです。

櫻井よしこさんの論説文「映画『軍艦島』の韓・独による悪宣伝を看過してはいけない」(https://jinf.jp/weekly/archives/20867)をご覧になってください。

産経新聞の2021年1月29日付けの記事「<独自>軍艦島元島民、偽徴用工写真の韓国に反論「嘘で島おとしめるな」」(https://www.sankei.com/article/20210129-QG77D3VVFFNJ3J7WKDVPIFUTHQ/)をご覧になってください。

動画「セウォル号遺族の要求が理解不能 あの隣国の被害者意識について 百田尚樹 杉田水脈」(https://www.youtube.com/watch?v=pebILrsBVoQ)をご覧になってください。

韓国の事情に詳しい室谷克実さんの文章を載せた夕刊フジの記事「また出た!「日本沈没」論 韓国のトップ経済紙が掲載「大災害が日本の悪い根性を直したら良い」」(https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180920/soc1809200003-n1.html)をご覧になってください。

先に述べたように、高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になり、李氏朝鮮が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続け、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)だけでなく、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになりました。 此の事は「「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を発現させる奴隷根性遺伝子(生物学上の遺伝子、又は、霊的な遺伝子)が広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)のDNAに組み込まれた」という事を意味する、と見て良いでしょう。「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を発現させる奴隷根性遺伝子(生物学上の遺伝子、又は、霊的な遺伝子)を「清王朝従属奴隷根性遺伝子」と言わせてもらいましょう。 広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)のDNAには「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を発現させる「清王朝従属奴隷根性遺伝子」が組み込まれたのです。

李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けた李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対する被害者意識」を極めて強く持っていた、と思われます。 李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は彼らが持っていた「清王朝に対する被害者意識」に関して或る種の奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と見なして良いでしょう。 其の奴隷根性を「清王朝に対する被害者根性」と言わせてもらいましょう。 また、下級両班も「清王朝に対する被害者意識」を強く持っていた、と思われます。 そして、更に、「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々までもが「清王朝に対する被害者意識」を強く持っていた、と思われます。 ですから、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)を初めとして、「両班」階級の大多数の人々が「清王朝に対する被害者根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と思われます。 また、「常民」は李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で「我々は両班による被害者である」という思いを持って苦しみながら生き続けました。 其の結果として、「常民」は「両班に対する被害者根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と思われます。 一方、李氏朝鮮の「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、与えられた仕事を唯ひたすらに行なうだけの「家畜同然の存在」でした。 李氏朝鮮の「奴婢」は其のような状況を素直に受け入れ、「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という思いを持って生きて来ました。 ですから、李氏朝鮮の「奴婢」は「清王朝に対する被害者根性」も「両班に対する被害者根性」も遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けずに済んだ、と思われます。

李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、「清王朝に対する被害者根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けた李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)を初めとして、「清王朝に対する被害者根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた「両班」階級の大多数の人々のDNAには「清王朝に対する被害者根性」を発現させる「清王朝に対する被害者根性遺伝子」が組み込まれた、と思われます。 また、先に述べたように、「常民」は李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で「我々は両班による被害者である」という思いを持って苦しみながら生き続けました。 其の結果として、「常民」は「両班に対する被害者根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けました。 こうして「両班に対する被害者根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた「常民」のDNAには「両班に対する被害者根性」を発現させる「両班に対する被害者根性遺伝子」が組み込まれた、と思われます。 そして、「両班」階級の大多数の人々のDNAに組み込まれた「清王朝に対する被害者根性遺伝子」は「両班」階級出身者に受け継がれ、「常民」のDNAに組み込まれた「両班に対する被害者根性遺伝子」は「常民」階級出身者に受け継がれ、「両班」階級出身者に受け継がれた「清王朝に対する被害者根性遺伝子」の7割ほど、並びに、「常民」階級出身者に受け継がれた「両班に対する被害者根性遺伝子」の7割ほどが李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で活性化され、其の活性化された「清王朝に対する被害者根性遺伝子」や其の活性化された「両班に対する被害者根性遺伝子」から発現する「被害者根性」が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育によって日本に対するものに変形され、其の結果として「我々は日帝による被害者である」という思いが発生した、と考えられます。 また、先に述べたように、李氏朝鮮の「奴婢」は「清王朝に対する被害者根性」も「両班に対する被害者根性」も遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けずに済みましたので、李氏朝鮮の「奴婢」のDNAには「清王朝に対する被害者根性遺伝子」や「両班に対する被害者根性遺伝子」が組み込まれなかった、と思われます。 従って、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全ては「清王朝に対する被害者根性遺伝子」や「両班に対する被害者根性遺伝子」を持ってない、と思われます。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を激しく非難させて来ました。 こうした状況の中で、「両班」階級出身者に受け継がれた「清王朝に対する被害者根性遺伝子」の7割ほど、並びに、「常民」階級出身者に受け継がれた「両班に対する被害者根性遺伝子」の7割ほどが活性化され、活性化された「清王朝に対する被害者根性遺伝子」や活性化された「両班に対する被害者根性遺伝子」から発現する「被害者根性」が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育によって日本に対するものに変形され、其の結果として「我々は日帝による被害者である」という思いが発生した、と考えられます。 先に述べたように、1970年代前半には「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが「日本による朝鮮併合統治に対する強い悔しさ」や「日本による朝鮮併合統治に対する強い憎しみ」や「我々は日帝による被害者である」という思いなどの「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになりました。 「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々も「我々は日帝による被害者である」という思いを日本統治時代から持ち続けて来ました。 こうして、此れら3者を合わせて(7%×0.7+50%×0.75+43%×0.95=4.9%+37.5%+40.85%=83.25%で)、1970年代前半には韓国人の83%ほどが「我々は日帝による被害者である」という思いを持つようになりました。 そして、「清王朝に対する被害者根性遺伝子」が活性化された「両班」階級出身者や「両班に対する被害者根性遺伝子」が活性化された「常民」階級出身者においても、「清王朝に対する被害者根性遺伝子」が活性化されなかった「両班」階級出身者や「両班に対する被害者根性遺伝子」が活性化されなかった「常民」階級出身者においても、及び、「清王朝に対する被害者根性遺伝子」も「両班に対する被害者根性遺伝子」も持ってない「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てにおいても、「我々は日帝による被害者である」という思いが彼らの顕在意識領域内から心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に浸透して固定化し、其の固定化したものが時の経過に連れて「生まれ付きの性質」と同程度のものになり、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった2005年頃に、韓国人の83%ほどが「日本に対する被害者根性」を身に着けた、と考えられます。 そして、彼らは「日本に対する被害者根性」から派生する「我々は日帝による被害者である」という思いに突き動かされて日本を糾弾しないでは居られないのです。

韓国人の83%ほどが身に着けている「日本に対する被害者根性」は、朝鮮には封建制の歴史が無いという事に大いに関係している、と思われます。 朝鮮には封建制の歴史が無い為、韓国人は武士道精神も騎士道精神も其れらに類するものも有していません。 其の為、韓国人は「我々は日帝による被害者である」という思いを乗り越えて強く生きようという気概を持つことが出来ず、 “ 加害国:日本 ” から被ったと信じる害悪について、何時までも “ 加害国:日本 ” を怨(うら)み続け、何時までもグダグダと文句を言い続け、何時までもギャーギャーと喚き続けるのです。

韓国の駆逐艦が海上自衛隊P1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した事件(2018年12月20日)のあと、韓国国防部は日本側の主張に反論する動画を発表し、「我々の駆逐艦こそ日本の自衛隊哨戒機の低空飛行で威嚇されたんだ」と主張しました。 此の主張は「嘘の言い訳」である、と思われます。 そして、此の「嘘の言い訳」も「日本に対する被害者根性」に基づいている、と見て良いでしょう。

因みに、「日本に対する被害者根性」を持っているのは韓国人だけではないでしょう。 北朝鮮の人々も「日本に対する被害者根性」を持っている、と見て良いでしょう。

● 朴槿恵大統領の退陣を要求する為の蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人の思い。
朴槿恵大統領の友人である実業家:崔順実(チェ・スンシル)が韓国の国政に深く関与していた事が2016年10月下旬に発覚し、此れを受けて、韓国左派勢力が2016年10月下旬から朴槿恵大統領の退陣を要求してソウルで大規模な蝋燭集会を行なうようになりました。 此の蝋燭集会は朴槿恵大統領に対する弾劾が確定した2017年3月10日まで行なわれました。 此の蝋燭集会は朴槿恵大統領の退陣を要求するデモであるだけでなく、反日集会でもありました。 巨大な旭日旗を引き裂くというデモ(演出)が此の蝋燭集会の中で行なわれました。 此の蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人は、左派韓国人大学教授の論説を載せた韓国マスメディアの報道を真に受けて次のように言っていました。
「朴槿恵大統領を弾劾に追い詰めた蝋燭集会はイギリス名誉革命に比肩するものだ」とか「蝋燭集会で朴槿恵大統領を弾劾裁判に掛けた韓国の民主主義は実に素晴らしい」とか「我々韓国人は腐敗した大統領を平和的な革命で罷免したのだ」とか「蝋燭集会の成功は我々韓国人が情緒的に十二分に成熟している事を示している」とか「韓国の民主主義は世界に誇れるものだ」とか「韓国の民主主義は世界一だ」とか「韓国は民主主義先進国だ」とか「韓国は蝋燭集会で大統領を罷免できるような政治先進国だ」とか「蝋燭集会は世界中で賞賛されている」とか「我々韓国人の民主性は東アジアの中で最も高い」とか「韓国の民主主義は日本の民主主義より遥かに進んでいる」とか「韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い」とか「日本は蝋燭集会のような民衆デモを一度もやったことがない後進国だ」とか「日本人の大多数は政治に目覚めていない」とか「日本のマスコミの自由度は韓国のマスコミの自由度よりずっと低い」とか「日本人の政治理念は韓国人の政治理念よりずっと低い」とか「韓国は三権分立が確立した政治先進国だ。 日本は三権分立が確立してない政治後進国だ」とか「日本の政治が韓国の政治に追い付くのはまだまだ先だ」とか「安倍はまだ弾劾されないのか。 日本人は本当に馬鹿だ」とか。

彼ら韓国人が此のように言うのは、彼ら韓国人が「朱子学流情治民主主義」を持ち、「徳治主義は法治主義よりずっと優れている。 我々韓国人は徳を持っている。 日本人は野蛮な輩である。 日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている。 徳治主義に基づく韓国の民主主義は法治主義に基づく日本の民主主義よりずっと優れている。 徳治主義に基づく韓国の民主性は法治主義に基づく日本の民主性より遥かに格が高い」と妄想しているからでしょう。 文在寅政権発足当初(2017年5月)における文在寅大統領の支持率は80%強と報道されていましたので、韓国人の80%強は上記のような観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち)を持っている、と見て良いでしょう。 蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人は蝋燭集会で血を流さずに朴槿恵大統領を大統領の座から引きずり降ろした事を非常に誇らしく思っているのです。 蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人は「我が国の民度は今から330年前のイギリスの民度にようやく到達した。 此れは大いに賞賛すべき事である」と思って非常に喜んでいるのです。 蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人の感性は此れほどに低迷しているのです。 因みに、朝日新聞は2017年3月12日付けの社説「朴大統領罷免 国政の安定化が急務だ」の中で「かつての軍事独裁を脱却し、韓国が民主化を勝ち取って今年で30年。 民衆の圧倒的な行動が「絶対権力」と言われた大統領の交代をもたらしたのは、韓国型民主主義の1つの到達点として歴史に残る事だろう」と述べ、朴槿恵大統領に対する弾劾の成立した事を賞賛しました。 朝日新聞の論説委員の感性は此の程度なのです。

蝋燭集会に参加した左派韓国人(奴婢の子孫)の99%以上は「中国様のご威光の下での北朝鮮流の統治こそが自分たちに相応(ふさわ)しい」という思いを顕在意識領域の下層部に持っているのではないか、と思われます。 また、蝋燭集会に参加した左派韓国人(奴婢の子孫)の99%以上は「我が国が日帝に頼んだ訳でもないのに、日帝は我が国の身分制度を無くし、我が国を近代化した。 此れは我が国民の総意に反する事であり、日帝が犯した大罪である」という思いを顕在意識領域の上層部に持っているかも知れません。

● 韓国に特有であり、しかも、人類史上初のものと思われる「韓国人が誇る「韓国の民主主義」というもの」。
蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人が誇る「韓国の民主主義」というものは、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念に基づく政治形態です。 そして、先に述べたように、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念が「韓国人が誇る「韓国の民主性」」です。 韓国人が誇る「韓国の民主性」の根幹は「情理」です。 そして、「情理」とは、「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念です。 そこで、韓国人が持つ様々な情念の中でどの情念を最優先に且つ最大限に尊重するかにより「情理に基づく様々な主張」が生まれます。 此のような政治制度の国においては、政治的に対立する複数の集団がそれぞれ「情理に基づく自分らの主張」を貫徹しようとする為、内乱が容易に起こり得ます。

日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「「市街戦が始まる」と悲鳴をあげた韓国紙 「北爆」危機の中、南では左右対立が激化」の中に有る資料によると、10月29日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は警察発表で1万人強(主催者発表で3万人)、11月5日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は警察発表で4.5万人(主催者発表で20万人)、11月12日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は警察発表で26万人(主催者発表で100万人)、11月19日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は警察発表で17万人(主催者発表で60万人)、11月26日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は警察発表で27万人(主催者発表で150万人)、12月3日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は警察発表で32万人(主催者発表で170万人)でした。 2016年11月下旬からは韓国右派勢力が朴槿恵大統領に対する韓国左派勢力の弾劾訴追要求に反対して太極旗集会を行なうようになりました。 2016年12月9日、朴槿恵大統領に対する弾劾訴追を要求する韓国左派勢力、及び、其の賛同者が韓国の国会議事堂に押し寄せた状況の中で、韓国の国会では野党議員だけでなく、与党議員62人も朴槿恵大統領を弾劾訴追することに賛成し、其の結果として、韓国の国会は朴槿恵大統領を韓国の憲法裁判所に弾劾訴追しました。 此れにより朴槿恵大統領は直ちに職務停止になり、韓国の憲法裁判所が朴槿恵大統領に対する弾劾の可否を判断する事になりました。 12月中旬以降、主催者発表で韓国右派勢力のソウルでの太極旗集会参加者数が急激に増えて韓国左派勢力のソウルでの蝋燭集会参加者数を圧倒的に上回るようになりました。 12月31日にソウルで行なわれた太極旗集会の参加者数は主催者発表で170万人(同じ日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は主催者発表で80万人)、2017年1月21日にソウルで行なわれた太極旗集会の参加者数は主催者発表で150万人(同じ日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は主催者発表で32万人)、2017年2月11日にソウルで行なわれた太極旗集会の参加者数は主催者発表で210万人(同じ日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は主催者発表で75万人)、2017年2月18日にソウルで行なわれた太極旗集会の参加者数は主催者発表で250万人(同じ日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は主催者発表で70万人)、2017年2月25日にソウルで行なわれた太極旗集会の参加者数は主催者発表で300万人(同じ日にソウルで行なわれた蝋燭集会の参加者数は主催者発表で100万人)でした。 12月中旬以降、韓国右派勢力のソウルでの太極旗集会参加者数が急激に増えた事は憲法裁判所へ圧力を掛ける事を目的とするものでした。 韓国左派勢力のソウルでの蝋燭集会も、韓国右派勢力のソウルでの太極旗集会も、ソウル中心部を南北に通る「世宗大路」で行なわれ、蝋燭集会参加者は此の通りの北半分に陣取り、太極旗集会参加者は此の通りの南半分に陣取り、此の両陣営の間に2万人の警察官が陣取りました。 2017年2月25日には此の両陣営の間で小規模な暴力事件が起きました。 憲法裁判所の周辺には弾劾賛成派(左派)と弾劾反対派(右派)とが集まりました。 そうした状況の中で、2017年3月10日、韓国の憲法裁判所は朴槿恵大統領に対する弾劾を可としました。 其の結果として、朴槿恵大統領に対する弾劾が確定し、朴槿恵大統領は直ちに罷免されました。 蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人や、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人は朴槿恵大統領が罷免されるに至る過程で血が流れなかったとして、「蝋燭集会で朴槿恵大統領を弾劾裁判に掛けた韓国の民主主義は実に素晴らしい。 蝋燭集会の成功は我々韓国人が情緒的に十二分に成熟している事を示している。 韓国の民主主義は世界に誇れるものだ。 韓国の民主主義は世界一だ。 韓国は民主主義先進国だ」と思ってホルホルしました。 韓国左派勢力の朴槿恵大統領に対する弾劾訴追要求に反対して太極旗集会を行なった右派韓国人も概ね同様に思っている、と思われます。 2016年10月から2017年3月にかけて行なわれた蝋燭集会や太極旗集会は「情理に基づく自分らの主張」を貫徹しようとして、国会に大きな圧力を掛け、更に、裁判所にまで大きな圧力を掛けようとするものでした。 蝋燭集会を企画・実施した左派韓国人が誇る「韓国の民主主義」というものや、此の蝋燭集会に参加したり共感したりした韓国人が誇る「韓国の民主主義」というものや、韓国左派勢力の朴槿恵大統領に対する弾劾訴追要求に反対して太極旗集会を行なった右派韓国人が誇る「韓国の民主主義」というものは、「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念に基づき、「情理に基づく自分らの主張」を貫徹する為に大規模な集会を開いて国会だけでなく裁判所にまで大きな圧力を掛けて「情理に基づく自分らの主張」を貫徹しようとする思いに基づくものであり、手短に言えば、朱子学流情治民主主義に基づくものです。 此のような朱子学流情治民主主義は正統派儒教の御本家であるシナにすら無かった、と思われます。 ですから、彼ら韓国人が誇る「韓国の民主主義」というものは韓国に特有であり、しかも、人類史上初のものと思われます。 そして、2016年頃までに韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を明確に認識して身に着けた、と思われます。

国民の大多数が「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を持つような国では、国民が持つ様々な情念の中でどの情念を最優先に且つ最大限に尊重するかにより「情理に基づく様々な主張」が生まれます。 此のような政治制度の国においては、政治的に対立する複数の集団がそれぞれ「情理に基づく自分らの主張」を貫徹しようとする為、内乱が容易に起こり得ます。 此れが朱子学(正統派儒教)の限界なのでしょう。「貴族」階級用であって「庶民」階級用ではない「徳治思想」を「庶民」階級の人々が持つと、上記のようなことになるのです。

韓国人がホルホルするのは「韓国の民主主義」だけではありません。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「自分らは日本より優位にある(格上である)」と感じると、ホルホルしないでは居られないのです。 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「自分らは日本よりも少し優位にある(格上である)」と感じるだけでも、ホルホルしないでは居られないのです。「韓国人の大脳には幸せ思考回路が組み込まれている」とよく言われます。

「朴槿恵大統領を弾劾に追い詰めた蝋燭集会はイギリス名誉革命に比肩するものだ」という主張の出どころは、文在寅大統領によって法務部長官に任命されたものの右派韓国人から猛反対されて法務部長官を辞任したソウル大学教授:゙国(チョ・グク)です。 左派韓国人大学教授の知性(知的認識力)は概ね此の程度であると思って良いのです。

韓国人への提案なのですが、韓国人が誇る「韓国の民主主義」というものに「K民主主義」という名前を付けて此の言葉を世界中に宣伝したら良いのではないでしょうか。

● 韓国左派政党と韓国右派政党は李氏朝鮮時代の党派の現代版である。
アメリカのトルーマン政権によって南朝鮮に導入されたアメリカ式の民主制と大統領制は韓国という国にはなかなか馴染まないようです。 1980年9月から1988年2月にかけて韓国の大統領を務めた全斗煥は大統領退任後の1996年に光州事件(1980年5月に韓国の全羅南道・光州市で大学生・市民によって起こされた暴動が韓国陸軍少将:全斗煥と韓国陸軍少将:盧泰愚とが率いる軍事独裁政権によって鎮圧された事件)の責任や不正蓄財の罪を問われて逮捕・起訴され、事後法(遡及法)で死刑判決を受け(後に恩赦され)ました。 1988年2月から1993年2月にかけて韓国の大統領を務めた盧泰愚も大統領退任後の1995年に光州事件の責任を問われて逮捕・起訴され、事後法(遡及法)で懲役刑判決を受け(後に恩赦され)ました。 事後法(遡及法)とは、実行したときには合法であった行為に対して、のちになって刑事責任を問う事を定めた法律です。 事後法(遡及法)は正常な国(法治国家)では禁じられています。 2005年12月29日には「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」(親日財産国家帰属法)という法律が公布されました。 此の法律は「祖先(父母、祖父母など)が親日行為により得た財産がたとえ合法的に得られたものであっても、其の財産を子孫から没収できる」というものです。 ですから、此の法律は事後法(遡及法)です。 韓国右派政党出身で2008年2月から2013年2月にかけて韓国の大統領を務めた李明博は大統領退任後の2018年3月に収賄罪に問われて逮捕され、其の後すぐ収監され、翌月の4月に起訴され、2020年10月、李明博に対する懲役17年および罰金130億ウォンの実刑判決が確定し、2021年3月の時点で、李明博は収監されています。 韓国右派政党出身で2013年2月から2017年3月にかけて韓国の大統領を務めた朴槿恵は大統領退任後の2017年3月に「崔順実国政介入事件」で逮捕され、其の後すぐ収監され、翌月の4月に起訴され、2020年7月にソウル高等裁判所における差し戻し審で懲役20年および罰金180億ウォンの実刑判決を言い渡され、此の判決が2021年1月14日に確定し、朴槿恵は2021年3月の時点で収監されています。 韓国では今でも事後法(遡及法)が禁じられていません。 此の事ひとつでも「韓国は正常な国でない」という事が分かります。 そして、韓国人は此のような韓国を全く恥じていません。

先に述べたように、500年間ほどに渡って続いた李氏朝鮮において、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は利権を同じくする者同士で党派を作り、激烈な党争(党派争い)を繰り広げ、争いに勝った側は負けた側に逃げ道を与えずに負けた側の一族を皆殺しにするという事を繰り返して来ました。 其の党争の過程で、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は「戦いで負かした相手を見下して徹底的に懲らしめる」という気質・性癖を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けたのです。 此のように、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は党派を作って激烈な党争を繰り広げて来たのです。 其の影響で韓国では今でも「奴婢」出身者(奴婢の子孫)で構成される左派政党と「両班」階級出身者と「常民」階級出身者とで構成される右派政党とが互いに激しく対立しています。 韓国左派政党と韓国右派政党は李氏朝鮮時代の党派の現代版です。 韓国人は両班支配体制が生み出した気質・性癖を遺伝子レベルで身に着けているのです。

因みに、韓国には左派政党と右派政党との激しい対立以外にも、多くの激しい対立があるようです。 特に、韓国の財閥企業経営者に対する労働組合の闘争は日本では考えられないほどに激しいものです。 韓国の過激な労働組合は北朝鮮政府の指揮下に在ります。 韓国左派政党「共に民主党」も北朝鮮政府の指揮下に在ります。

● 大韓民国成立以来の「韓国人の妄想の爆発的な増大」と「韓国人の感性・知性・理性の低迷」。
大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国人の妄想が爆発的に増大し、もともと低かった韓国人の感性・知性・理性が更に低下して行きました。 そして、2019年の時点で日本人が韓国人とは誠意を持って付き合うことが出来ないほどにまで韓国人の妄想は増大しており、且つ、韓国人の感性・知性・理性は低迷しています。 其の結果として、韓国人に関わった日本人が望ましくない状況に陥ってしまうほどにまでなっています。 大韓民国成立以来の「韓国人の妄想の爆発的な増大」と「韓国人の感性・知性・理性の低迷」は李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で引き起こされた、と考えられます。 韓国の学校や家庭では「暮らしやすかった日本統治時代の事柄」はほとんど(全くと言って良いほど)隠蔽され、其の為、韓国一般庶民は日本統治時代の事柄をほとんど(全くと言って良いほど)知りません。 其の上、韓国の学校や家庭では「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」という嘘が生徒や子に教え込まれて来ました。 そして、其ればかりか、高麗が1231年から1258年にかけてモンゴル軍によって数回に渡って大規模に侵略され、徹底的に略奪・蹂躙され、1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になり、次いで李氏朝鮮が明王朝の従属国になり、次いで李氏朝鮮が清王朝の絶対服従国になって清王朝に徹底的に支配されて来た事や、李氏朝鮮には李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の所有物としての「従順で忠実な奴隷」が沢山いた事など、高麗時代・李氏朝鮮時代の恥辱的・屈辱的な事柄は韓国のあらゆる所で完全に隠蔽されています。 そして、韓国一般庶民は歴史捏造反日教育で教えられた通りに信じ込んでいるのです。 1945年以降に生まれて歴史捏造反日教育を受けて育った(2015年の時点で70歳以下の)韓国の政治指導者の99%以上は「高麗時代・李氏朝鮮時代の恥辱的・屈辱的な事柄」や「暮らしやすかった日本統治時代の事柄」を全く知らないようです。 そして、1945年以降に生まれて歴史捏造反日教育を受けて育った韓国の政治指導者の99%以上は李氏朝鮮の両班(上級両班、下級両班)と同様に妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回して妄想的理念を主張したり妄想的発言をしたりします。 例えば、2017年5月の韓国大統領選挙に立候補しようとしたソウル市長:朴元淳(韓国極左派政治指導者)は2017年1月14日に次のように発言しました。
韓日従軍慰安婦協約は主権国家として成立できない協約であり、従軍慰安婦の意思に完全に反する協約であるので、効力は発生しない。 全ての外交関係を越えて人間の尊厳性を守るべきだというのが国際法の大原則である。 此れに反する外交協約や国際協約は効力が発生しない。 韓日間で締結された従軍慰安婦協約は此れに反するので、無効にならざるをえない。 過去の戦争犯罪、非人道的犯罪は全ての国際的慣例を跳び越える。 釜山少女像は民間の所有物であるので、政府が撤去の決定を下してはいけない。

「韓日従軍慰安婦協約は主権国家として成立できない協約であり、従軍慰安婦の意思に完全に反する協約であるので、効力は発生しない」は言いたい放題の妄想的発言です。「 全ての外交関係を越えて人間の尊厳性を守るべきだというのが国際法の大原則である」も言いたい放題の妄想的発言であり、ソウル市長:朴元淳は自分勝手に「国際法の大原則」というものを定義しています。「 此れに反する外交協約や国際協約は効力が発生しない」も言いたい放題の妄想的発言です。「韓日間で締結された従軍慰安婦協約は此れに反するので、無効にならざるをえない」も言いたい放題の妄想的発言であり、此れは「反日法」の第11条に基づくものです。「過去の戦争犯罪、非人道的犯罪は全ての国際的慣例を跳び越える」も言いたい放題の妄想的発言であり、此れは「反日法」の第12条の遥か上を行くものです。「釜山少女像は民間の所有物であるので、政府が撤去の決定を下してはいけない」は「反日法」の第12条に基づくものです。 韓国には以上のような妄想的発言をする政治指導者がゴロゴロ居るのです。 妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回して妄想的発言をするのが韓国の政治指導者の一大特徴です。 先に述べたように、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた感性・知性・理性、並びに、其れらによって構築される観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち、欲求、心情、概念、推理、意見、見解、思想、理念、倫理観、など、意識内容の全て)は容易には変化しません。

また、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人歴史学者の全てが自国の歴史を直視できなくなっています。 歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人歴史学者は「4世紀から7世紀にかけて、朝鮮に高句麗、百済、新羅があった時代に百済が日本を植民地支配していた」とか「かつて日本列島は古代朝鮮の直轄領だった」とか「高句麗、百済、新羅は日本に多くの植民地を持っていた」とか「4世紀から7世紀にかけて、百済はシナの広大な沿岸部(具体的には中華人民共和国の河北省、山東省、江蘇省、安徽省、浙江省、福建省に当たる地域)を支配していた」とか主張しています。 此のような主張は「妄想的願望の表明」としか言えません。 昔の朝鮮の歴史学者も此のような「妄想的願望の表明」を行なっていました。 昔の朝鮮の歴史学者が此のような「妄想的願望の表明」を何時頃から行なうようになったのか、明確な事は分かりませんが、「百済が日本を植民地支配していた」というような「妄想的願望の表明」は、高麗が元王朝の直轄領になった頃(13世紀後半)に生じたのではないか、と思われます。 歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人歴史学者は昔の朝鮮の歴史学者の妄想的願望を其のまま受け継いで妄想的願望の世界に生きているのです。 先に述べたように、韓国人の心や頭の中では全般的に「・・・であったら、いいな」という妄想的願望がやがて「・・・であるべきだ」という妄想的理念に変化し、更に、「・・・であるべきだ」という妄想的理念が「・・・である」という妄想的事実認定に変化し、其れが彼ら韓国人の口から妄想的発言として表出されます。 そして、韓国一般庶民は韓国人歴史学者が垂れ流す「捏造された歴史」を何の違和感も無く受け入れています。 動画「【おもしろ韓国】妄想爆裂!隣国が華々しく君臨する古代東アジア。最後は世界も席巻!」(https://www.youtube.com/watch?v=xO_uWvqIrXM)をご覧になってください。

歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人歴史学者の感性水準(人間集団を構成する個々人の感性の平均的な発達程度)の低さ加減や、知性水準(人間集団を構成する個々人の知性の平均的な発達程度)の低さ加減や、理性水準(人間集団を構成する個々人の理性の平均的な発達程度)の低さ加減が良く分かる実例を挙げましょう。 かつて「日韓歴史共同研究」という会合が2回に渡って行なわれました。1回目の「日韓歴史共同研究」は2001年の日韓首脳会談の合意に基づいて2002年から2005年にかけて行なわれ、2回目の「日韓歴史共同研究」は2005年の日韓首脳会談の合意に基づいて2007年から2010年にかけて行なわれました。 此の「日韓歴史共同研究」についてウィキペディアでは「日本側研究者が見た韓国側研究者の態度」として次のように書かれています。
此の研究会合に参加した古田博司によると、日韓の意見が対立した時に、日本側研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側研究者は立ち上がって「韓国に対する愛は無いのか!」と怒鳴り、日本側研究者が「資料を見てくれ」と言い返すと、韓国側研究者は「資料はそうだけれど」とかブツブツと呟(つぶや)いて、「研究者としての良心はあるのか!」と怒鳴ったという。 此のような韓国側研究者について、古田博司は「韓国側研究者には先ず民族的感情を満足させるストーリーがあって、韓国側研究者は其のストーリーに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなので、其れ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。 要するに『自分が正しい』という所から全てが始まっており、其の本質は何であるかと言えば、『自己絶対正義』に他ならない。 彼らは何をやろうと、彼らの『自己絶対正義』信念は揺らがない」と批判的に評している。

日本側研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側研究者が立ち上がって「韓国に対する愛は無いのか!」と怒鳴るほどにまで、彼ら韓国人研究者は「日本に愛されたい」と思っているのです。 日本側研究者が「資料を見てくれ」と言い返すと、韓国側研究者が「資料はそうだけれど」とかブツブツと呟(つぶや)いて、「研究者としての良心はあるのか!」と怒鳴ったというほどにまで、歴史捏造反日教育を受けて育った韓国人歴史学者の感性・知性・理性は低いのです。

韓国の延世大学の右派名誉教授:金東吉は2011年4月4日に自身のインターネットサイトで東日本大震災(2011年3月11日)に関して「日本が自らを韓国に併合して欲しいと韓国に頼みにくる日はそう遠くはないだろう。 地震と津波で満身創痍になった日本は偏狭なプライドの為、韓国の原発技術者の手助けを即座に拒否したと伝えられているが、今後、日本は韓国の手助け無しでは国民の安全を守って繁栄していく事は難しいだろう」と述べました。「日本が自らを韓国に併合して欲しいと韓国に頼みにくる日はそう遠くはないだろう」とは!恐れ入ったものです。 金東吉は何と途方もない妄想の世界に生きているのでしょうか。 此れが韓国で右派名誉教授と言われている人の認識なのです。 金東吉は「あらゆる面で日本より優位に立ちたい。 あらゆる面で日本より格上になりたい。 あらゆる面で日本に勝ちたい」と切に願っているのです。 金東吉は「「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)を心の底から実感したい」と切に願っているのです。 左派韓国人大学教授の知性(知的認識力)だけでなく、右派韓国人大学教授の知性(知的認識力)も概ね此の程度であると思って良いのです。 もう1つ、興味深い例を挙げましょう。 韓国放送公社(KBS)によると、韓国の駆逐艦が海上自衛隊P1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した事件(2018年12月20日)に関して、韓国の国民大学日本学科教授チェ・ヒシクは次のように言いました。「『首脳同士会おう』という提案を韓国が先にする事が必要です。『怒る日本』を『成熟した韓国』が抱きしめるような形を継続的に作らなければならないと思います」。 チェ・ヒシクという大学教授も何と途方もない妄想の世界に生きているのでしょうか。 其の妄想の世界の大きさ加減・深さ加減は私(滝田)には理解できないほどのものです。 チェ・ヒシクという大学教授も「現代版小中華思想を心の底から実感したい」と切に願っているのです。

呉善花さんの意見を載せた夕刊フジの記事「韓国人に根拠を示しつつ論理的に反論しても聞く耳持たない」(http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20170501/frn1705011100007-n1.htm)をご覧になってください。

産経ニュース「誤解・思い込み…特異な韓国 ソウル・黒田勝弘」(http://www.sankei.com/world/news/150516/wor1505160009-n1.html)をご覧になってください。

韓国の国土面積は日本の国土面積の26%であるにもかかわらず、韓国では韓国が日本よりも大きく描かれた地図が学校教育の現場で盛んに使われているそうです。 其の為、韓国の小中高校の生徒のほとんど全ては「韓国の国土は日本の国土より広い」と思っているそうです。 動画「【おもしろ韓国】仰天!ウリカトル地図。日本より国土が広いと本気で信じる隣国民。」(https://www.youtube.com/watch?v=7AYpq18J3Rs)をご覧になってください。

● 妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回して妄想的理念を主張する韓国マスメディアの記事。
妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回して妄想的理念を主張する韓国マスメディアの記事を紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』の2017年1月17日付けの日本語版記事「韓国与党「岸田外相の妄言、日本政府は謝罪を」」を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
与党セヌリ党は17日、日本の岸田文雄外相が独島を日本固有の領土と発言した事について「日本政府はかつての帝国主義の歴史を振り返り、真摯(しんし)な省察と反省と謝罪とをすべきだ」と主張した。
此の日、セヌリ党の金成願(キム・ソンウォン)報道官は論評を通じ「岸田文雄外相が大韓民国の独島について『日本固有の領土』と妄言を吐いた」と述べ、謝罪を要求した。
金成願報道官は続けて「最近になって日本の安倍首相までもが一時帰国させた駐韓日本大使の帰任時期について『早く帰す必要はない』『日本国民も納得しないだろう』と話している」と述べ、「安倍首相が韓日関係の悪化を長期化の局面に持ち込んでいる」と批判した。
金成願報道官は続けて「日本の右傾化と安倍首相の国粋主義的な言動を世界が懸念している。 日本政府は最近、慰安婦少女像問題を韓日通貨スワップ協定の再開に向けた協議の中断や韓日ハイレベル経済協議の延期と関連づけるなど、姑息な振る舞いを見せている」と強く非難した。
更に、金成願報道官は続けて「日本政府は此れまで韓国政府に対して「歴史と外交を分けて対応すべきだ」と主張してきたが、今回の日本政府の一連の態度は余りにお粗末だ」と述べ、「日本政府は興奮せず、理性的な行動を取るべきだ」と主張した。

妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回して妄想的理念を主張する韓国マスメディアの記事をもう1つ紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2017年1月19日付けの日本語版記事「韓国正しい政党「日本外相、歴史の勉強からやり直せ」」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/224828?sectcode=A10&servcode=A00)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国セヌリ党の非主流派「正しい政党」は、独島領有権を主張した日本の岸田文雄外相の妄言に対して「歴史の勉強からやり直せ」と非難した。
同党の張濟元(チャン・ジェウォン)報道官は18日午後、ソウル汝矣島(ヨイド)国会正論館(記者会見場)で「歴史を直視せず国際法をも無視する日本外相の妄言にただ茫然自失する」と述べ、「日本政府は「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題で大韓民国民の胸に大きな傷を与えただけでなく、独島に関する妄言で再び韓日関係を惑わしている」と指摘した。
また、張濟元報道官は「歴史上の事実は、此れをいくら手の平で隠そうとしても、隠し切れるものではない」と述べ、更に、「歴史を歪曲し、妄言を繰り返したところで、歴史上の事実は歴史上の事実である事に変わりはない」と述べた。
張濟元報道官は続けて「日本政府が歴史をわい曲してごり押し主張を続けるのであれば、日本政府は日本の良心的な国民から見捨てられ、日本は国際社会で孤立するだろう」と述べ、「独島は歴史的&地理的&国際法的にも明らかに韓国固有の領土である事を明確に明らかにする」と強調した。
此の日、「共に民主党」も、「国民の党」も、朴槿恵(パク・クネ)政権の低姿勢外交が日本政府の今回の妄言につながったとして代案づくりを求めた。
此の日、国会で開かれた最高委員会議で「共に民主党」の秋美愛(チュ・ミエ)代表は「外交部の低姿勢外交が日本政府の今回の妄言につながった」と述べ、更に、「岸田外相は「独島は日本の領土」と言った。 韓日関係における真のバランス点が慰安婦密約で崩れるのではないか、とても心配だ」と述べた。 秋美愛代表は続けて「日本政府は弱点だらけの朴槿恵政権を相手に韓日歴史を思い通りに操ることが出来るという錯覚からすぐにでも目覚めるべきだ」と叱責した。
此の日、国会で開かれた最高委員会議で「国民の党」の朴智元(パク・ジウォン)代表は、岸田外相が2017年1月17日に「竹島はそもそも国際法上も歴史的にもわが国固有の領土だ」と主張した事に対して、「岸田外相が独島の慰安婦少女像に関連して独島は日本の領土だと主張したことは甚だしい妄言だ。 2016年12月9日、韓国の国会が朴槿恵大統領を弾劾訴追して以降、我が国が混沌に陥った隙を狙った外交的挑発である」と批判した。

韓国マスメディアには此の類(たぐい)の記事が溢(あふ)れています。 韓国人は全般的に妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回さないでは居られないのです。

● 「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は家畜的感性を遺伝子レベルで身に着けている。 李承晩大統領がトルーマン政権の唆(そそのか)しに積極的に従って強力な反日政策を行ない、韓国の家庭や学校や職場で親日発言を禁じ、反日発言(日本に対する嘘だらけの悪口、日本に対する非難、日本に対する侮辱)だけを許すようになった状況の中で、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は遺伝子レベルで身に着けている家畜的感性に加えて「飼い主に忠実な番犬が持つ番犬的感性」を身に着けた。

先に述べたように、李承晩政権の発足(1948年8月15日)以降、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との中で李承晩大統領の強力な反日政策に素直に従ったのは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の方である、と思われます。「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」でした。 此れと同様に「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は李承晩大統領の従順で忠実な支持者になった、と思われます。 人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた感性(感覚や感情を構築しつつ認識する能力。 感覚感情認識力。 感覚的認識力)や、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた知性(概念や推理を構築しつつ認識する能力。概念推理認識力。知的認識力)や、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた理性(倫理観や理念を構築しつつ認識する能力。正邪善悪認識力)や、人々が数百年間を通じて代々に渡って身に着けた感性・知性・理性によって構築される観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち、欲求、心情、概念、推理、意見、見解、思想、理念、倫理観、など、意識内容の全て)は容易には変化しません。

家畜として飼育されていて互いに近親関係にある30頭ほどの豚の群れが居るとしましょう。 此の豚の群れの飼い主が何かの事情で此の豚の群れの中から適当な1匹を選んで群れから離して屠殺したとし、且つ、屠殺されずに済んだ豚は群れから離された1匹が飼い主に屠殺された事を知っている、としましょう。 此の場合、屠殺されずに済んだ豚は屠殺された豚や飼い主の事をどう思うでしょうか。 屠殺されずに済んだ豚は屠殺された豚を大して気にもせず、飼い主を恨んだり飼い主に反抗したりはしないでしょう。 家畜というのは其のようなものである、と思われます。

李氏朝鮮の「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、李氏朝鮮の王族や上級両班の所有物であり、売買・贈与・相続の対象であり、家畜同然の存在でした。 李氏朝鮮の王族や上級両班は「奴婢」の日常生活に支障が無い程度に「奴婢」に食糧を与え、「奴婢」を家畜同然に扱っていました。 此のような環境の中で、「奴婢」は家畜同然に飼い慣らされて家畜同然の思いで働いていた、と思われます。「奴婢」は初めの内は「李氏朝鮮の王族や上級両班に対する強い怨念」や「我々は李氏朝鮮の王族や上級両班による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)や顕在意識領域の下層部に持っていたでしょうが、時間の経過と共に其れらの思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)にも顕在意識領域の下層部にも持たなくなった、と思われます。 此のような思いで働いている奴隷を「本当の奴隷」(従順で忠実な奴隷)と言うのです。 ですから、「奴婢」の所有者である李氏朝鮮の王族や上級両班がたまに自分の所有する「奴婢」の1人を殺したとしても、殺された「奴婢」の親族は御主人様に殺された身内の者を大して気にもせず、御主人様を恨んだり御主人様に反抗したりはしなかった、と思われます。 500年間ほどに渡って続いた朝鮮奴隷制度の中で「奴婢」は此のような感性を遺伝子レベルで身に着けた、と思われます。 此のような感性を「家畜的感性」と言わせてもらいましょう。 500年間ほどに渡って続いた朝鮮奴隷制度の中で「奴婢」は家畜的感性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けたのです。 其の為、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は家畜的感性を遺伝子レベルで身に着けているのです。

1948年8月15日に大韓民国が成立し、李承晩大統領がトルーマン政権の唆(そそのか)しに積極的に従って強力な反日政策を行ない、韓国の家庭や学校や職場で親日発言を禁じ、反日発言(日本に対する嘘だらけの悪口、日本に対する非難、日本に対する侮辱)だけを許すようになった状況の中で、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は遺伝子レベルで身に着けている家畜的感性に加えて「飼い主に忠実な番犬が持つ番犬的感性」を身に着けた、と思われます。 そして、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は其の番犬的感性に基づいて李承晩大統領を「自分たちの御主人様」と思うようになり、李承晩大統領に従順に且つ忠実になり、日本人を御主人様(李承晩大統領)に対立する敵と見なし、御主人様(李承晩大統領)の命令通りに日本を口汚く罵って日本を激しく非難するようになったのである、と思われます。 そして、李承晩政権が5年、10年と続いていく中で、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「李承晩政権は自分たちが支持すべき政権ではない」という事に気付いて李承晩政権から離反して行きました。 そして、其れに連れて、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「奴婢」出身の政治指導者を支持するようになり、「奴婢」出身の政治指導者に指導されるままに「文明と言えるようなものを持たない島国の野蛮人が我が国を無理やり開国させた」「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」などと信じ込み、「奴婢」出身の政治指導者の言い付け通りに日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し続けたのです。 そして、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになって以降、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は此の市民運動に大いに賛同して一段と日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、其の番犬的感性に基づいて世界中で「ワンワン、キャンキャン」と日本に対する嘘だらけの悪口を言い立てるようになりました。 そして、彼らは今までずっとそうして来たのです。

● 韓国人の41%ほどを占めている「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「親しい間柄の者同士がそれぞれの所有物を共有し、それぞれの所有物を分け合うのは当然だ。 親しくなったら、どれだけ甘えてもいい」と思っている。

呉善花さんによると、韓国では親しい間柄の者同士の間で「私の物はあなたの物であり、あなたの物は私の物である。 それでこそ、互いに親しい間柄と言えるのだ」という観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち)が広く受け入れられています。 左派韓国人(奴婢の子孫)は此のような観念を正常で自然なものと考えている、と思われます。 此のような観念は李氏朝鮮(1392年〜1910年)の「奴婢」階級の間で形成された、と思われます。 そして、此のような観念が「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てに遺伝子レベルで染み着いている、と思われます。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は此のような観念を遺伝子レベルで身に着けている為、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「親しい間柄の者同士がそれぞれの所有物を共有し、それぞれの所有物を分け合うのは当然だ」と思っているのです。 そして、其のような韓国人が「日本人と親しい間柄になった」と思うと、其の韓国人は「親しい間柄の者同士がそれぞれの所有物を共有し、それぞれの所有物を分け合うのは当然だ」という思いを其の日本人と共有しようとし、其の日本人の家にある冷蔵庫の中の食べ物や飲み物を勝手に食べたり飲んだり、其の日本人の財布の中のお金を勝手に使ったり、其の日本人の車を勝手に乗り回したりします。 其の韓国人は「俺とお前とは互いに親友なのだから、俺がお前の家にある冷蔵庫の中の食べ物や飲み物を勝手に食べたり飲んだりするのは当然だし、俺がお前の財布の中のお金を勝手に使うのは当然だし、俺がお前の車を勝手に乗り回すのも当然だ。 それでこそ、俺とお前とは互いに親友なのだ」と本気で思うのです。 韓国人の41%ほどを占めている「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「親しい間柄の者同士がそれぞれの所有物を共有し、それぞれの所有物を分け合うのは当然だ。 親しくなったら、どれだけ甘えてもいい」と思っている、と見て良いでしょう。 自分の家にある冷蔵庫の中の食べ物や飲み物を勝手に食べられたり飲まれたりした日本人や、自分の財布の中のお金を勝手に使われた日本人や、自分の車を勝手に乗り回された日本人が其れらの行為をした韓国人に其れらの行為の意図を問い詰めると、其の韓国人は「親友と思っていたのに、裏切られた」と思って「日本人は陰湿だ」とか「日本人には二面性がある」とか「日本人に後頭部を殴られた(日本に裏切られた)」とか言い、其ればかりか、日本に対する嘘だらけの悪口を言い触らします。

● 韓国人は全般的に全ての事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない。 韓国人は全般的に「嘘も百回つけば、ほんとになる。 嘘も大声でまくし立てれば、ほんとになる」と思って平気な顔で人に嘘をつく。 平気な顔で人に嘘をつくことは韓国人の顕著な性癖である。 韓国人は全般的に嘘つき性癖を身に着けている。

先に「韓国人は全般的に日本に関する事柄で人に嘘をつくことに何の抵抗も感じず、日本に関する事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思いません」と述べましたが、韓国人は全般的に日本に関しない事柄でも人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思いません。 韓国人の「庶民用徳治主義」を説明したところで述べたように、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人の心や頭の中では「徳を持ってない(徳が無い)」=「悪い事が起きる、又は、衰退する」=「悪である」という等式と、「徳を持っている(徳が有る)」=「善い事が起きる、又は、栄える」=「善である」という等式とが成り立っています。 ですから、庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」を「悪い事が起きた人」=「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪である人」=「悪人」と見なし、「人に嘘をついて人の金品を騙し取った人」を「得(とく)した人」=「善い事が起きた人」=「徳を持っている人(徳が有る)人」=「善である人」=「善人」と見なし、「悪人」とは見なしません。 ですから、韓国人は全般的に日本に関しない事柄でも人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わないのです。 日本マスメディア『Business Journal』の2016年6月14日付けの記事「韓国、国民の虚言が社会問題化…偽証罪は日本の165倍、嘘で他人を蹴落としが常態化」(http://biz-journal.jp/2016/06/post_15482.html)を少し改造して載せておきましょう。
「韓国人は息を吐くように嘘をつく」と揶揄されることが有りますが、あながち間違っているとは言えません。 そして、韓国人も其れを否定できません。 韓国の有名な弁護士であるベ・グムジャ氏は「韓国は国全体が嘘の学習場だ。 一挙手一投足がマスコミで報道される韓国大統領と其の取り巻きは影響力の大きい嘘の教師だ」と述べ、韓国大統領すらも公の場で大胆に嘘をついている事を自虐的に表現しました。
韓国では、以前から虚言、欺瞞、嘘つき行為の蔓延していることが社会問題となっていましたが、特に近年は其の状態に拍車が掛かり、不況の影響もあってか詐欺犯罪が増加し続けています。 2000年に法廷での偽証罪で起訴された人は1198人、罪をでっち上げて訴訟を起こす誣告罪で起訴された人は2956人、詐欺罪で起訴された人は5万0386人でした。 そして、2008年には偽証罪は1544人、誣告罪は2171人、詐欺罪は7万人となり、2013年には偽証罪は3420人、誣告罪は6244人、詐欺罪は29万1128人と急増しています。 韓国で偽証罪で起訴された人の数は日本の66倍、人口比に照らすと165倍に達すると計算されています。 また、最近3年間の詐欺被害額は43兆ウォン(約4兆3000億円)に上っています。 犯罪類型別にみて、韓国は世界一の詐欺大国となっています。
韓国は汚職大国でもあります。 中国ほどではありませんが、政治家や役人の大多数は賄賂を受け取っています。 特に全斗煥(在位 1980年〜1988年)以降の大統領の全員は本人や親族に賄賂や不正蓄財などカネの問題が発覚しています。 韓国行政研究院の「政府部門腐敗実態に関する研究報告書」によると、韓国民の過半数が「公務員に金品を渡す行為は普遍的だ」と答えました。 韓国民は役人への賄賂として金品を渡し、役人側も「地位の高い者は金品を受け取って当然だ」と考えています。
では、なぜ此れほどにまで韓国では嘘や不正がはびこるのでしょうか。 朴槿恵大統領の父である朴正熙元大統領は『朴正熙選集』(鹿島研究所出版会)の中で「我が民衆は名誉観念が薄弱であり、責任観念が希薄である」と指摘しています。 韓国人には「高潔な思いを持ち続けて信念を貫く」という考えは有りません。 其の代わり、韓国人にとっては世間体(体裁、体面、見栄)が極めて重要です。 韓国人は生まれながらに責任観念が希薄である為、韓国人は人に嘘をついて不正をしてでも世間体(体裁、体面、見栄)を保とうとするのです。 其の為、韓国では嘘や不正がはびこるのである、と考えられます。
韓国は世界でもまれに見る競争社会です。 韓国人は幼少期から熾烈な競争を強いられ、常に周囲と比べられます。 其のプレッシャーに耐え兼ねて自殺する若者が後を絶たないという状況が韓国には有ります。そして、此の状況は年々酷くなっています。 此のような競争社会にあっては、人の評価基準は他者と比べて学業的に優秀なのか、劣っているのかという事だけです。 其の為、他者を蹴落としてでも自分が学業面で他者より上に居なければならず、しかも、其れを善しとする風潮が韓国社会に定着しています。
韓国人にとって、学業以外の面でも他者を蹴落とすことは自分の評価・地位を高める為の行為です。 韓国人は「他者を蹴落とす事で相対的に自分の評価・地位を高めよう」という考えを持っているのです。 韓国人の此の考えは韓国の外交にも表れます。 韓国人が日本を一所懸命にバッシングするのは、彼ら韓国人が「「韓国の地位は日本の地位より上である」と世界中で認められたい」と思っているからです。「韓国自身の評価を高める努力をせずに日本を叩けば、かえって韓国の評価が下がる」という事に韓国人は気付きません。
韓国では、人に嘘をついて不正をしてでも競争で勝って富や地位を手に入れた者は威張り散らします。 そして、競争で負けた者は競争で勝った者に貢(みつ)ぐことを競争で勝った者から要求されるのです。
(文責:林秀英)

韓国社会には嘘が蔓延しています。 韓国は国全体が嘘で塗り固められているのです。 韓国人は全般的に全ての事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わないのです。「韓国人は息を吐くように嘘をつく」と言われています。 韓国人は平気な顔で人に嘘をつくのです。 韓国人は人に嘘をつくことに何の抵抗も感じません。 韓国人は人に嘘をつくことを戦術と思っています。 韓国は「声闘」文化の国である、と言われます。「声闘」の朝鮮式の読みは「そんと」です。 韓国の「声闘」では、相手を威勢で黙らせた者が勝者と判定され、相手の威勢で黙ってしまった者が敗者と判定されます。 韓国の「声闘」では、相手が黙り込むまで大声でまくし立てた者が勝者と判定されるのです。 ですから、韓国人は相手が黙り込むまで嘘でも何でも出来るだけ大声でまくし立てます。 そして、韓国人は此の戦術が世界中で通用すると思い込んでいます。 先に述べたように、韓国人は全般的に「自己主張や相手に対する非難や罵りは強ければ強いほど、効き目も強い」と思い込んでいます。 ですから、韓国人は全般的に「嘘も百回つけば、ほんとになる。 嘘も大声でまくし立てれば、ほんとになる」と思って平気な顔で人に嘘をつきます。 平気な顔で人に嘘をつくことは韓国人の顕著な性癖です。「韓国人は平気な顔で人に嘘をつく」という現象が韓国一般庶民から韓国の政治指導者や韓国人学者や韓国政府の要人に至るまで、韓国の全ての階層で色濃く見られます。 韓国人は全般的に嘘つき性癖を身に着けているのです。 そして、韓国社会では嘘が発覚しても、韓国社会は其の嘘をほとんど問題にしません。 言い換えると、韓国社会は嘘に極めて寛容です。「韓国の法廷で偽証は日常茶飯事であり、嘘発見器ですら韓国人の偽証に反応しない。 韓国人は法廷で嘘の証言をする場合でも、嘘発見器が検知できるような生理的現象を起こさない。 韓国人には人に嘘をつくことに対する良心の呵責による生理的現象が見られない。 韓国人は人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない」と言われています。 恐らく、韓国人は嘘をついても「嘘をついた」という自覚が無いのでしょう。 韓国人は全般的に嘘をついても「嘘をついた」という自覚が無い、と言って間違い無いでしょう。 韓国人は全般的に嘘をつかずに真摯に生きようという気概を持っていません。 韓国人の此の気概の無さも朝鮮には封建制の歴史が無いという事に大いに関係している、と思われます。

李氏朝鮮時代の出来事などを題材にした韓国ドラマでは「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった」という捏造史観に基づき、登場人物の全てがきらびやかな衣服を身に着けています。

韓国の駆逐艦による海上自衛隊P1哨戒機に対する火器管制レーダー照射事件(2018年12月20日)がありました。 此の事件のあと、韓国国防部は自らの主張を二転三転四転させ、嘘を嘘で塗り替える事を繰り返し、決して謝罪しようとしませんでした。 韓国人は全般的に全ての事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わないのです。 韓国人は全般的に「嘘も百回つけば、ほんとになる。 嘘も大声でまくし立てれば、ほんとになる」と思って平気な顔で人に嘘をつくのです。 平気な顔で人に嘘をつくことは韓国人の顕著な性癖です。 韓国人にとって人に嘘をつくことは戦術です。

2019年10月にあった実例を挙げましょう。 韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相が2019年10月22日に来日し、天皇陛下即位礼正殿の儀(2019年10月22日)に参列しました。 更に、李洛淵首相は安倍晋三首相との会談を希望し、2019年10月24日に安倍晋三首相と会談しました。 其の会談の内容を韓国大手右派マスメディア『中央日報』が2019年10月24日付けの日本語版記事「李洛淵首相・安倍首相ともに「韓日関係、このまま放置できない」」(https://japanese.joins.com/JArticle/258908?sectcode=A10&servcode=A00)で次のように報道しました。
◆安倍氏「国と国との約束を守らなければならない」
安倍首相の「国と国との約束を守らなければならない」という立場は、昨年10月の韓国大法院「日帝強制徴用賠償判決」に関連し、1965年の韓日請求権協定に対する遵守を意味している。 <中略>  
◆李洛淵氏「請求権、遵守してきた」
安倍首相のこうした立場を聞いて、李首相は「日本がそうしたように、韓国も1965年の韓日基本条約や韓日請求権協定を尊重して遵守してきたし、今後もそのようにする」としながら・・・

此のように、韓国政府の要人でさえ平気な顔で人に嘘をつくのです。 と言うより、韓国政府の要人でさえ嘘をついても「嘘をついた」という自覚が無い、と言った方が良いでしょう。

動画「【海外の反応】日本の屋台を馬鹿にして放送した隣国のTV番組「肉は腐ってます…」!それを見た英国人が日本を訪れた結果・・・」(https://www.youtube.com/watch?v=mLQBE4oqnrw)をご覧になってください。

動画「【海外の反応】「日本の屋台は危険ですww」日本の屋台を馬鹿にして放送した韓国のTV番組を見たアメリカ人が日本に行った結果…」(https://www.youtube.com/watch?v=n8bK6rj2Jq4)をご覧になってください。

李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けた李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は嘘をつかないでは生きて行けなかった、と思われます。 また、下級両班も嘘をつかないでは生きて行けなかった、と思われます。 また、李氏朝鮮の過酷な両班支配体制の中で生きていた「常民」や「奴婢」も嘘をつかないでは生きて行けなかった、と思われます。 下級両班も「常民」も「奴婢」も嘘つき性癖を身に着けていた、と思われます。 下級両班も「常民」も「奴婢」も自らの嘘つき性癖に関して或る種の奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と見なして良いでしょう。 其の奴隷根性を「嘘つき根性」と言わせてもらいましょう。 500年間ほどに渡って続いた李氏朝鮮において、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)だけでなく、下級両班や「常民」や「奴婢」までもが「嘘つき根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と思われます。

李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けた李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)のDNAと、「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになった下級両班のDNAと、李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で「我々は両班による被害者である」という思いを持って苦しみながら生き続けた「常民」のDNAと、李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」として生き続けた「奴婢」のDNAとのそれぞれに「嘘つき根性遺伝子」が組み込まれた、と思われます。 李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)のDNAと下級両班のDNAとに組み込まれた「嘘つき根性遺伝子」は李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者に受け継がれ、「常民」のDNAに組み込まれた「嘘つき根性遺伝子」は「常民」階級出身者に受け継がれ、「奴婢」のDNAに組み込まれた「嘘つき根性遺伝子」は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)に受け継がれ、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「常民」や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)に受け継がれた「嘘つき根性遺伝子」が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で活性化され、其の活性化された「嘘つき根性遺伝子」が「嘘つき根性」を発現させ、其の「嘘つき根性」が「韓国人は平気な顔で人に嘘をつく」という現象を生み出した、と考えられます。 表現を換えて言うと、「韓国人は平気な顔で人に嘘をつく」という現象は、李氏朝鮮時代の朝鮮人のDNAに組み込まれた「嘘つき根性遺伝子」が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で活性化され、其の活性化された「嘘つき根性遺伝子」が「嘘つき根性」を発現させ、其の「嘘つき根性」が生み出したものである、と言えるでしょう。

因みに、「嘘つき根性」を持っているのは韓国人だけではないでしょう。 北朝鮮の人々も「嘘つき根性」を持っている、と見なして良いでしょう。

● 2005年頃には韓国人の83%ほどが「日本に対する集り根性」を身に着けた。
イザベラ・バードが著書『朝鮮紀行』の第8章で述べたように、年貢という重い負担を掛けられている常民に対して、両班(上級両班、下級両班)は常民の所有物を好き勝手に代価も払わずに自分のものにしていました。 其ればかりか、両班(上級両班、下級両班)は常民に対して借金という口実で無慈悲な金銭取り立てを行なっていました。 言葉を換えて述べれば、両班(上級両班、下級両班)は常民に集っていたのです。 格上の両班が格下の常民に集っていたのです。 李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、朝鮮儒教に支配された環境の中で「格上の両班が格下の常民に集る」という社会慣習が確立され、常民も此の社会慣習を不本意ながら受け入れ、此のような状況が500年間ほどに渡って続いたのです。 そして、其の過程で両班(上級両班、下級両班)だけでなく、「両班」階級の大多数の人々や「常民」までもが「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」と思うようになった、と考えられます。 イザベラ・バードが著書『朝鮮紀行』の第37章で述べたように、李氏朝鮮では上級官職に就いている両班には官職に就けない身内の者や官職に就けない友人が寄生虫のように集って生きていました。 集られる側の両班も身内の者や友人に集られる事を容認または是認していました。 李氏朝鮮では官職に就けない「両班」階級の成人男子が、上級官職に就いている身内や上級官職に就いている友人に寄生虫のように集って生きる事は当然で普通の事である、と広く認められていたのです。 ですから、此の事と、朝鮮儒教に支配された環境の中で「格上の両班が格下の常民に集る」という社会慣習が確立されていた事とを併せて考えれば、李氏朝鮮では「他人に集る」という事は「両班」階級と「常民」階級とを通じての社会慣習であり、「格下の者に集る」という事は当然中の当然だったのです。 そして、李氏朝鮮では此のような社会が500年間ほどに渡って続きました。 ですから、其の過程で両班(上級両班、下級両班)だけでなく、「両班」階級の大多数の人々や「常民」までもが「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」と思うようになったのです。 両班(上級両班、下級両班)だけでなく、「両班」階級の大多数の人々や「常民」までもが「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」という思いに関して或る種の奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた、と見なして良いでしょう。 其の奴隷根性を「集り根性」と言わせてもらいましょう。 500年間ほどに渡って続いた李氏朝鮮において、両班(上級両班、下級両班)だけでなく、「両班」階級の大多数の人々や「常民」までもが「集り根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けたのです。 一方、李氏朝鮮の「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」であり、与えられた仕事を唯ひたすらに行なうだけの「家畜同然の存在」でした。 李氏朝鮮の「奴婢」は其のような状況を素直に受け入れ、「一切の競争をしないで御主人様に素直に従う奴隷として平和に無事に暮らすのも良いものだ。 御主人様に素直に従わない奴隷は殺されて当然だ」という思いを持って生きて来ました。 ですから、李氏朝鮮の「奴婢」は「集り根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けずに済んだ、と思われます。

日本政府が李氏朝鮮の奴隷制度を無くした事で日本統治時代において「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(かつて奴婢であった者、又は、奴婢の子孫)との間で婚姻がどれくらい進んだか、明確な事は判りませんが、先に述べたように、此の論述では、1948年8月15日に大韓民国が成立してからも「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)との間で婚姻はほとんど進まなかったと仮定しています。

「集り根性」を遺伝子レベルで身に着けている韓国人は成長するに連れて「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」と思うようになり、更に、「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」と思うようになった韓国人が「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で「現代版小中華思想」を身に着けると、「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」という思いと「現代版小中華思想」とが結合し、彼ら韓国人は「格上の韓国が格下の日本に集るのは当然だ」と思うようになります。 こうして、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々と「常民」階級出身者とを合わせた「現代韓国人の55%ほど」が「格上の韓国が格下の日本に集るのは当然だ」という思いを持つようになった、と思われます。 彼ら韓国人は日本企業に集って製造技術を盗もうとしたり、日本企業に無償技術供与を強く要求したり、「日本は韓国の友人である。 困難なときの友人こそが真の友人だ。 韓日友好の証として韓日通貨スワップ協定を結ぶべきだ」とか「韓日通貨スワップは日本にとっても利益になる。 だから、韓日通貨スワップ協定を締結しよう」とか言って、日本に擦(す)り寄って日本に集ろうとします。「現代版小中華思想」を身に着けている韓国人は「劣等な日本は優等な韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ。 それでこそ、兄の韓国と弟の日本とは真の意味での仲良し兄弟になれるのだ。 我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」と思っているのです。 韓国人は日本に集らずに自力で何とかしようという気概を持っていません。 韓国人の此の気概の無さも朝鮮には封建制の歴史が無いという事に大いに関係している、と思われます。

李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って常民に集ってきた両班(上級両班、下級両班)を初めとする「両班」階級の大多数の人々のDNAと、李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で確立された「格上の両班が格下の常民に集る」という社会慣習を不本意ながら受け入れて生き続けた「常民」のDNAとのそれぞれに「集り根性遺伝子」が組み込まれた、と思われます。 そして、「両班」階級の大多数の人々のDNAに組み込まれた「集り根性遺伝子」は「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々に受け継がれ、「常民」のDNAに組み込まれた「集り根性遺伝子」は「常民」階級出身者に受け継がれ、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々や「常民」階級出身者に受け継がれた「集り根性遺伝子」が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で活性化され、其の活性化された「集り根性遺伝子」が「集り根性」を発現させ、其の「集り根性」が生み出す「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」という思いと、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で彼ら韓国人が身に着けた「現代版小中華思想」とが結合し、其の結果として、「格上の韓国が格下の日本に集るのは当然だ」という思いが生まれた、と考えられます。 表現を換えて言うと、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々と「常民」階級出身者とを合わせた「現代韓国人の55%ほど」が持っている「格上の韓国が格下の日本に集るのは当然だ」という思いは、李氏朝鮮時代の朝鮮人のDNAに組み込まれた「集り根性遺伝子」が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で活性化され、其の活性化された「集り根性遺伝子」が「集り根性」を発現させ、其の「集り根性」が生み出す「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」という思いと、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で彼ら韓国人が身に着けた「現代版小中華思想」とが結合したものである、と考えられます。 また、先に述べたように、李氏朝鮮の「奴婢」は「集り根性」を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けずに済みましたので、李氏朝鮮の「奴婢」のDNAには「集り根性遺伝子」が組み込まれなかった、と思われます。 従って、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全ては「集り根性遺伝子」を持ってない、と思われます。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を非難させ、1990年以降、左派韓国人活動家による「日本に対する妄想的謝罪賠償要求」が盛り上がる中で、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが日本に集ることを学習して習得し、「日本に集って何が悪いのだ。 日本に集るのは当然だ」という集り妄想を持つようになった、と思われます。 また、「常民」階級出身者の右寄り75%ほど、並びに、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々も、左派韓国人活動家による「日本に対する妄想的謝罪賠償要求」に強く影響されて「日本に集って何が悪いのだ。 日本に集るのは当然だ」という「集り妄想」を持つようになった、と思われます。 こうして、此れら3者を合わせて(7%×0.7+50%×0.75+43%×0.95=4.9%+37.5%+40.85%=83.25%で)、韓国人の83%ほどが「日本に集って何が悪いのだ。 日本に集るのは当然だ」という集り妄想を持つようになった、と考えられます。 そして、「日本に集って何が悪いのだ。 日本に集るのは当然だ」という集り妄想が彼らの顕在意識領域内から心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に浸透して固定化し、其の固定化したものが時の経過に連れて「生まれ付きの性質」と同程度のものになり、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった2005年頃に、韓国人の83%ほどが「日本に対する集り根性」を身に着けた、と思われます。

因みに、「日本に集りたい」という思いを持っているのは韓国人だけではないでしょう。 北朝鮮の人々も「日本に集りたい」という思いを持っている、と見て良いでしょう。

● 韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってない。 韓国人は全般的に約束を守らない。 韓国人は全般的に約束を平気で破る。 韓国人は全般的に日韓両国政府間交渉で結ばれた条約や協定や合意を「悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない約束」と解釈し、「悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意なんぞ自分たちに都合よく変更したり破棄したりしてこそ、韓国は日本より優位で居られる」とか「韓国は日本より格上である。 悪の日本との約束なんぞ、ひっくり返してこそ、韓国は日本より格上で居られるし、日本に思い知らせることも出来る」と思っている。

「韓国人は約束を守らない」「韓国人は平気で約束を破る」とよく言われます。 韓国人は全般的に約束を守りません。 韓国人は全般的に約束を平気で破ります。 韓国政府は日韓慰安婦合意という国家間の約束を守りません。 韓国政府は日韓請求権協定という国家間の約束を守りません。 なぜ韓国人は約束を守らないのでしょうか。 其れは、韓国人が「約束は守るべきものである」という理念を持ってないからです。 朝鮮語にも「約束」という言葉はあるのですが、朝鮮語における「約束」の概念は先進国標準の「約束」の概念と大きく異なります。 どういう事かと言うと、朝鮮語における「約束」は「守らなくても良い取り決め」なのです。「守らなくても良い取り決め」という概念には矛盾が含まれていますが、彼ら韓国人は此の矛盾を矛盾と認識できるだけの気概を持っていません。 日韓慰安婦合意にしても、日韓請求権協定にしても、韓国人は、政治指導者から一般庶民に至るまで、「韓日両国政府間交渉の場で韓国政府は日本政府から何だか納得のいかない約束を押し付けられて止むを得ず調印したのだ。 日本政府から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意なんぞ自分たちに都合よく変更したり破棄したりしてしまえば良い」くらいに思っているです。 韓国人が日韓両国政府間交渉で結ばれた条約や協定や合意を「日本政府から押し付けられた何だか納得のいかない約束」くらいに思っているのは、韓国人が「約束は守るべきものである」という理念を持ってないからです。 韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってない為、日韓基本条約や日韓請求権協定や日韓慰安婦合意を「国家間の約束」と認識することが出来ず、「日本政府から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意なんぞ自分たちに都合よく変更したり破棄したりしてしまえば良い」と思うのです。 韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってない為、「日韓基本条約や日韓請求権協定や日韓慰安婦合意はそもそも不法な(道理に反する)ものだから、日韓基本条約や日韓請求権協定や日韓慰安婦合意は無効である」とか「日韓基本条約や日韓請求権協定や日韓慰安婦合意においては、日本側の法的解釈と韓国側の法的解釈とで違いがある」とか主張するのです。 韓国人は全般的に日韓両国政府間交渉で結ばれた条約や協定や合意を「悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない約束」と解釈し、「悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意なんぞ自分たちに都合よく変更したり破棄したりしてこそ、韓国は日本より優位で居られる」とか「韓国は日本より格上である。 悪の日本との約束なんぞ、ひっくり返してこそ、韓国は日本より格上で居られるし、日本に思い知らせることも出来る」と思っているのです。 此のような発想は韓国人の特徴です。 韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってない為、純正日本人から見ると、「韓国人は約束を守らない」と見えるのです。 韓国大統領や韓国政府高官も「約束は守るべきものである」という理念を持ってない為、彼らは日本政府から「約束を守れ」と言われても、「約束は守るべきものである」という理念を理解できないのです。 韓国の裁判官が日韓基本条約や日韓請求権協定や日韓慰安婦合意に反する判決を下すのは、韓国の裁判官が「約束は守るべきものである」という理念を持ってない為と言うより、韓国の裁判官が「韓国は日本より格上である。 悪の日本との約束なんぞ、ひっくり返してこそ、韓国は日本より格上で居られるし、日本に思い知らせることも出来る」と思っている為です。

● なぜ韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってないのか。
なぜ韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってないのでしょうか。 此れについては、次のように説明できるでしょう。
先に述べたように、高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になって以降、高麗の支配者は「元王朝に対して常にペコペコして元王朝の要求には何でも従う」という思いを身に着けて「我々は元王朝による被害者である」という思いを非常に強く持って苦しみながら生き続けました。 1392年に成立した李氏朝鮮は1637年に清王朝の絶対服従国になってから、日清戦争で日本が「清」を負かし、日清講和条約(1895年4月)で「李氏朝鮮は独立国だ」と清王朝に認めさせるまでの258年間に渡って清王朝によって過酷に支配され、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝を強く恐れる気持ち」を持ち、此の思いが余りに強かった為、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つほどにまでなりました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けました。 そして、其の過程で、下級両班の心が上級両班の心に感応し、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになりました。 こうして、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)の全てが「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つようになりました。 其の結果として、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は清王朝から要求された事だけは忠実に実行し、清王朝以外の王朝から要求される事はぞんざいに扱って置けば良い、と思うようになり、「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになりました。 そして、其れと同時に、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)の頭の中から「約束は守るべきものである」という理念が消えたのです。 こうして、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は「約束は守るべきものである」という理念を持たなくなった、と考えられます。 広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は「約束は守るべきものである」という理念を持たなくなった為、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は自分の子に「約束は守るべきものである」という理念を教えることが出来ません。 其の為、其の子は「約束は守るべきものである」という理念を持つこと無く大人になり、そして、其の為、自分の子に「約束は守るべきものである」という理念を教えること無く、一生を終えた、と考えられます。 そして、其の為、其の子の子も「約束は守るべきものである」という理念を持つこと無く大人になり、そして、其の為、自分の子に「約束は守るべきものである」という理念を教えること無く、一生を終えた、と考えられます。 こういう事が繰り返されて現代に至っているのです。 広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)の全てが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持ち、其の結果として、「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになって「約束は守るべきものである」という理念を持たなくなったのですから、「両班」階級の全ての人々や「常民」も「約束は守るべきものである」という理念を持たなくなりました。「奴婢」は李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」でしたので、「奴婢」は「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を元より持ってなかった、と思われます。 日本政府が1909年に李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くしたあとでも、「両班」階級出身者や「常民」階級出身者や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)が「約束は守るべきものである」という理念を持つことはありませんでしたし、大韓民国の成立(1948年8月15日)以降においても、「両班」階級出身者や「常民」階級出身者や「奴婢」出身者(奴婢の子孫)が「約束は守るべきものである」という理念を持つことはありませんでした。 其の為、現代においても、韓国の学校や家庭では「約束は守るべきものである」という理念が教えられておらず、韓国の子供は「約束は守るべきものである」という理念を持つこと無く大人になり、其の結果として、韓国には「約束は守るべきものである」という理念を持たない韓国人が満ち溢れることになったです。「広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)の全てが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持ち、其の結果として、「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになって「約束は守るべきものである」という理念を持たなくなり、其れに伴って「両班」階級の全ての人々や「常民」が「約束は守るべきものである」という理念を持たなくなった」という「民族レベルの気質・性癖」を現代の韓国人は遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で受け継いでいる、と言えるでしょう。

因みに、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベルで身に着け、「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになった事の反動で、今の韓国人の言動にはやたらに虚勢や強がりが目立ちます。

● 韓国経済の大成長・大発展に伴う韓国人の思い。
大東亜戦争で日本が負け、朝鮮に住んでいた日本人が朝鮮から引き上げる際、日本は膨大な日本資産(日本が朝鮮に作った工場や社会基盤など)を破壊する事なく、其のまま朝鮮に残して来ました。 日本が朝鮮に残してきた日本資産の総額は其の当時の円(¥)で891億円(2001年時点の円で16兆9300億円)であり、其の内で日本が南朝鮮(現在の韓国)に残してきた日本資産の総額は429億円(2001年時点の円で8兆1500億円)です。 日本が朝鮮に残してきた膨大な日本資産は韓国・北朝鮮の経済発展の基礎になりました。 韓国や北朝鮮は日本が朝鮮に残してきた膨大な日本資産を基に発展して来たのです。 朝鮮戦争(1950年6月25日〜)は韓国経済の成長を大きく阻害しました。 朝鮮戦争が1953年7月に休戦状態になって以来、「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本に対する巨大な劣等感」とを持ち、更に、民族レベルの「自信の無さ」に苦しみながら、日本を手本にし、日本を模倣し、日本企業から多くの無償技術供与を受け、「日本に追い付き、日本を追い抜け」という「異様に強い競争心と異様に強い対抗心」を持って経済発展に励んで来ました。 1965年6月22日、韓国の朴正熙政権と日本政府との間で「日韓基本条約」が締結されました。 此の条約の締結に伴って、日韓請求権協定が締結されました。 日韓請求権協定に基づいて、日本政府は日本が韓国内に持っていた財産の所有権の全てを放棄し、更に、日本政府は朴正熙政権に総額3億USドル相当の日本円・物品・技術を10年間に渡って分割無償供与し、総額2億USドル相当の日本円を10年間に渡って低利で貸し付けました。 此れら3億USドル相当の日本円・物品・技術と2億USドル相当の日本円との合計5憶ドル相当のものは今の円で1兆8000億円のものに相当します。 其の当時の韓国の国家予算の総額は3.5億USドル相当のものでした。 此れと比べると、日本政府からの援助資金5億USドル相当のものがどの程度のものであるかがお分かりになるでしょう。 日韓請求権協定の締結交渉の中で朴正熙政権は「朝鮮人戦時労働者への補償金の支払方法は韓国政府に任せて欲しい。 補償金を韓国政府に一括して払って欲しい」と日本政府に要求しました。 日本政府は其の要求を受け入れ、朝鮮人戦時労働者への補償金を3億USドル相当の無償供与(日本円・物品・技術)の中に含めて韓国政府に供与しました。 ところが、朴正熙政権は受け取った3億USドル相当の無償供与(日本円・物品・技術)のわずか5.4%だけを朝鮮人戦時労働者へ補償に使い、残りの94.6%(日本円・物品・技術)と2億USドル相当の低利貸し付け日本円とで京釜高速道路や昭陽江ダムや漢江鉄橋や嶺東火力発電所や浦項製鉄所を建設しました。 しかし、日本の製鉄会社(八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管)の無償技術供与・無償技術指導の下で作られた浦項製鉄所の幹部たちは無償技術供与・無償技術指導してくれた日本企業に何の感謝もしませんでした。 浦項製鉄所の幹部たちは「朱子学流小中華思想」を身に着けていたのでしょう。 浦項製鉄所の幹部たちは「格下の日本に感謝なんて出来るか。 格下の日本に感謝なんてしたら、韓国は日本より格下になってしまう」と思ったのでしょう。 また、朴正熙政権は1964年から1972年まで自ら進んでベトナムに韓国陸軍を派遣し、ベトナム戦争でアメリカ軍に加担しました。 朴正熙政権は1964年に2千人の韓国兵を、1965年から1972年までは毎年2万人〜5万人の韓国兵をベトナムに派遣しました。 アメリカ連邦政府は、朴正熙政権が韓国陸軍をベトナムに派遣した事の見返りとして、韓国製品に対する輸入規制を大幅に緩和しました。 其の為、韓国製繊維製品の対アメリカ輸出が激増し、韓国の繊維産業が急成長しました。 更に、アメリカ連邦政府は、朴正熙政権が韓国陸軍をベトナムに派遣した事の見返りとして、韓国に多額の軍事援助を行ないました。 其の為、朴正熙政権は普通ならば国防費に当てるべき国費を重工業育成費に当てることが出来ました。 更に、朴正熙政権は三星・現代・韓進・大宇などの財閥を意図的に作り出し、朴正熙政権の庇護下で急成長させ、「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」という言葉を国家的規模のスローガンにしました。 其の為、韓国は官民を挙げてベトナム戦争特需に群がりました。 朴正熙政権がベトナム派兵を開始した1964年からベトナム戦争が終わった1975年までの11年間で、韓国のGNP(Gross National Product、国民総生産)は14倍になり、韓国の年間輸出総額は29倍になりました。 此の間の韓国経済の年平均成長率は10%ほどでした。 こうして、韓国経済は1960年代から1980年代前半にかけて指数関数的に且つ急激に成長し、高高度成長を成し遂げました。 韓国政府は此の経済発展を「漢江の奇跡」と称し、学校の授業で「此の奇跡の発展は100%我々韓国人の能力によるものだ」と教えて来ました。 韓国経済は1980年代においても9%弱の年平均成長率を見せ、1990年代においても1997年7月のアジア通貨危機まで9%弱の年平均成長率を見せました。 また、韓国政府は日韓請求権協定の内容を2005年まで自国民に知らせませんでした。 2005年以降においても、韓国政府は日韓請求権協定の内容を自国民に周知させようとしませんでした。 其の所為で韓国人の大多数は今なお日韓請求権協定の内容を知らず、日本による資金援助や技術援助が韓国経済の発展に大きく寄与した事を知りません。 其の為、韓国人の大多数は「韓国は高度経済成長を自らの力だけで成し遂げた」と思っています。 話を1980年頃の韓国に戻しましょう。 1980年において韓国の名目GDP(USドル換算値)は日本の名目GDP(USドル換算値)の17分の1であり、同年において韓国の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は1700ドル強で、日本の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は9700ドル弱でした。 大韓民国の成立(1948年8月15日)以降、韓国では日本文化を韓国民に紹介することは法律で禁止されて来ました。 韓国で日本文化が解禁されたのは1998年でしたが、其れよりずっと前の1980年頃から日本文化が韓国の法律に違反する形で韓国に入り込み、日本文化を知るようになった韓国の若者は胸が苦しくなるほど日本文化を羨んで日本文化に憧れ、日本文化の優秀性と日本文化の先進性とを知るようになりました。 そして、1998年に韓国で日本文化が解禁されると、日本文化の優秀性と日本文化の先進性とが韓国で広く知られるようになりました。 すると、其れと同時に、韓国一般庶民は「日本文化に対する巨大な劣等感」を持つようになりました。 先に述べたように、韓国では「漢江の奇跡」と称される経済発展が1980年代前半に成し遂げられ、1987年6月に韓国の民主化が実現し、翌年の1988年にソウルオリンピックが行なわれました。 すると、韓国人の半数強が此れらの出来事で大きな自信を持って強気になりながらも、日本を恐れて虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを持つようになりました。 そして、「両班」出身の政治指導者も、「常民」階級出身の政治指導者も、「奴婢」出身の政治指導者も、「朱子学流小中華思想」(「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という妄想)に替わるものとして「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)を持つようになりました。 1980年代前半には日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)や日本製の電化製品や日本製の自動車などがアメリカに大量に流入し、アメリカの対日貿易が大赤字になり、アメリカ連邦政府は対日貿易赤字を大きく問題視するようになりました。 1985年9月22日、「プラザ合意」というものが強圧的に成立し、此の時点から1988年にかけて円高が急激に進行する事になります。 其の為、日本企業は自社製品の世界各国への輸出価格を上げざるを得なくなり、日本企業は自社製品を世界各国に思うように輸出できなくなって非常に苦しむ事になりました。 ところが、「プラザ合意」の成立後も日本の対アメリカ貿易黒字は増え続け、日米貿易摩擦が激化しました。 アメリカ連邦政府は日本の産業の中でも集積回路製造業の急激な伸張振りを非常に恐れ、アメリカ連邦政府の対日圧力が非常に高まりました。 アメリカ連邦政府は日本の国力を削ぐ為に、日本政府に対して「日米半導体協定」を結ぶことを要求し、日本政府は其の要求を受け入れ、アメリカ連邦政府と日本政府は1986年9月2日に「日本の半導体集積回路市場を外国メーカーに解放する」という事と「日本製半導体集積回路のダンピング輸出を防止する」という事とを主たる内容とする「日米半導体協定」(1986年9月2日発効)を締結しました。 1986年において一時的記憶用集積回路(DRAM)を生産する日本企業(NEC、東芝、日立、富士通、三菱電機)の世界DRAM市場におけるシェアの合計は80%弱でしたが、「日米半導体協定」の締結以降、一時的記憶用集積回路(DRAM)を生産する日本企業は急速に勢いを失って行く事になります。「日米半導体協定」は1996年まで続きます。
            DRAMの地域別シェア推移
  
    出典:湯之上、「エルピーダとは一体何だったのか」、JBpress、2012年4月5日

「プラザ合意」の成立(1985年9月)や「日米半導体協定」(1986年9月2日発効)の締結にもかかわらず、「日本のバブル景気」が1986年に始まり、日米貿易摩擦は解消されませんでした。 其の為、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ政権(共和党、1989年1月〜 1993年1月)の要求で「日米構造協議」が1989年から1990年にかけて行なわれ、日本では「ジャパン・バッシング(Japan-bashing)」「日本叩き」という言葉が流行するほど、ジョージ・H・W・ブッシュ政権は日本政府に対して大きな要求(構造改革、規制緩和)を突き付けて来ました。 韓国政府はジョージ・H・W・ブッシュ政権の対日圧力に便乗したのでしょうか、それとも、ジョージ・H・W・ブッシュ政権が韓国政府を唆したのでしょうか、韓国政府は1990年頃に日本政府に対して日本企業が所有する一時的記憶用集積回路(DRAM)製造技術を韓国の財閥企業に無償供与するように強く要求して来ました。 日本政府は其の要求を受け入れ、日本企業をしてサムスン電子やLG電子などの韓国の財閥企業へ多くの製造技術を無償供与させました。 それなのに、日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は無償技術供与をしてくれた日本企業に何の感謝もしなかったようです。 日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は「現代版小中華思想」を身に着けていたのでしょう。 日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は「格下の日本に感謝なんて出来るか。 格下の日本に感謝なんてしたら、韓国は日本より格下になってしまう」と思ったのでしょう。 日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は日本製の製造装置を使い、日本製の素材や日本製の部品を使い、日本企業から無償供与された製造ノウハウを使って高品質な工業製品を製造するようになり、特に、韓国の一時的記憶用集積回路(DRAM)メーカーであるサムスン電子は赤字覚悟で自社製品の価格を下げて販路を広げ、日本の一時的記憶用集積回路(DRAM)メーカーを次々と脱落させることに成功しました。 また、韓国の財閥企業は日本のメガバンクから多額の融資を受けることが出来ました。 其の為、韓国の財閥企業は「韓国の財閥企業は日本のメガバンクによって支えられている」という国際的な信用力を得ることが出来ました。 しかし、こうした事は韓国一般庶民に一切知らされませんでした。 ですから、韓国一般庶民は「サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの韓国の財閥企業は高性能な製品を100%自らの技術力で製造して来たのだ。 此れらの企業が世界的大企業になれたのは100%自らの能力によるものだ」と思い込み続けたのです。 こうして、韓国民の国家的規模の無知蒙昧の中で、日本企業から多くの無償技術供与を受けた韓国の財閥企業は低価格で高品質な工業製品を世界中に大量に輸出できるようになって急成長していきました。 日本政府が韓国政府の無償技術供与要求を受け入れて日本企業をして韓国の財閥企業へ多くの製造技術を無償供与させた事は日本政府がアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ政権の命令に従ったものである、と言われています。 こうして、「日米半導体協定」が1986年9月2日に発効して以降、日本の一時的記憶用集積回路製造業は急速に国際競争力を失って行きました。 1992年にはサムスン電子が一時的記憶用集積回路(DRAM)の世界市場で東芝を抜いて世界一のシェアを持つようになりました。 1995年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から大きく駆逐するようになり、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場から大きく駆逐するようになりました。

1989年12月29日、東京証券取引所で日経平均株価が取引時間中に史上最高値(3万8957円)になりました。 しかし、翌1990年に入ると、日経平均株価は急降下を始め、其れを追うように地価が下がり、雇用が減るなど、1986年に始まった「日本のバブル景気」は1990年から萎縮の局面に入りました。 日本は1991年から長期の不景気に陥り、日本の名目GDP(円単位)は1992年から横這いを続けました。(因みに、1991年12月にソビエト連邦が崩壊しました。) 其の一方で、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、左派日本人(福島瑞穂など、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人)の支援を受けて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集ろうとし、韓国の反日を激しく煽って “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作りました。 1992年1月初旬に宮澤喜一総理大臣(在任 1991年11月5日〜1993年8月9日)の韓国訪問予定が韓国で報道されました。 すると、宮澤喜一総理大臣の韓国訪問直前の韓国では昭和天皇の人形が焼かれるなど、反日の気運が異様に高まりました。 こうした状況の中で、宮澤喜一総理大臣は1992年1月16日に韓国を訪問し、韓国の盧泰愚大統領との1時間25分に渡る首脳会談で韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題に関して8回も謝罪しました。 1993年8月4日、宮澤内閣の官房長官:河野洋平は所謂「河野談話」を発表しました。「河野談話」を受けて、韓国人の大多数が「「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題で日本の立場は韓国の立場よりも弱くなった。 日帝強制占領期に我々韓国人に多くの害を与えた日本を徹底的に懲らしめたい。 弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」と思うようになり、日本政府に更なる謝罪を求めるようになりました。 1996年、韓国はOECD(経済協力開発機構)に加盟することが出来ました。 すると、韓国民は此の事を国を挙げて喜び、「世界に羽ばたく韓国」とか「先進国クラブに加入できた韓国」とか言って自画自賛しました。

1997年7月にタイ王国の通貨:バーツの大暴落から始まったアジア通貨危機の中で、韓国も1997年11月に通貨危機に瀕しました。 此の韓国通貨危機に対して、アメリカ連邦政府は「韓国を IMF の管理下に置こう」と思って日韓通貨スワップを禁じましたが、日本政府は韓国を通貨危機から救おうと思い、日本のメガバンクをして韓国へ多額のUSドルを貸与させました。 しかし、それでも、韓国は通貨危機に陥り、韓国経済は破綻し、韓国は自らを IMF の管理下に置きました。 韓国の財閥企業は IMF の管理下で再生し、サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの製品の輸出がウォン安の流れに乗って激増し、韓国経済は7%強の年平均成長率を見せるようになり、韓国経済は順調に回復して行きました。 しかし、IMF管理下の韓国経済復興の過程で、韓国中位層の人々の所得が大幅に減少し、韓国富裕層と韓国貧困層との所得格差が以前にも増して拡大して行きました。 一方、1986年に始まった「日本のバブル景気」は1990年から萎縮の局面に入りました。 此の辺りから韓国人の「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とが加速度的に増大し始めた、と思われます。 日本の名目GDP(USドル換算値)は円高の進行で1995年まで増大しましたが、1996年から1998年にかけては円安の進行で日本の名目GDP(USドル換算値)は25%も減少しました。 すると、此の事を知った韓国人は「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを強く持つようになり、「侮日の念」を強く持つようになりました。(其の当時から、韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、「円安」=「日本の経済力の低下」=「日本の国力の低下」 と思い込んで来たようです。) 2000年5月にタイのチェンマイで開催された「ASEAN+日中韓の財務相会議」で、アジア通貨危機のような事が二度と起きないように東アジア域内各国の手持ち外貨(主にUSドル)を融通し合って東アジア域内各国の通貨の安定を図ろうとする通貨協定が結ばれました。 此の通貨協定は「CMI(チェンマイ イニシアティブ)」と呼ばれています。 2001年7月4日、日本の財務省は CMI に基づいて韓国銀行との間で日韓通貨スワップ協定「日本の財務省の20億USドルと韓国銀行の20億USドル相当韓国ウォンとの交換」を締結しました。 2002年にはサッカーワールドカップが日本と韓国との共同開催の形で行なわれました。 此のサッカーワールドカップは、日本による単独開催が決まりかけていた時、韓国が無理やり割り込んできて、結局、日韓共催の形で行なわれました。 其の当時の日本人は「日本が韓国に譲歩すれば、韓国も其れを汲(く)んでくれて、うまくいくだろう」と思ったのですが、其の思いは全くの見当外れ、全くの見当違いでした。 其の当時の韓国人はサッカーワールドカップの日韓共催について「日本は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題やバブル景気の萎縮で弱くなったので、日本は韓国に譲歩して日韓共催を受け入れたのだ」と思ったのです。 そして、サッカーワールドカップの日韓共催以降、韓国では「弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いが韓国中に広まって行きました。 韓国人は全般的に「譲歩する者は弱い者だ。 強い者は譲歩する訳がない。 弱い者には強く出て徹底的に懲らしめるのが良い」と考えるのです。

1986年に始まった「日本のバブル景気」は1990年から萎縮の局面に入りました。 日本は1991年から長期の不景気に陥り、日本の名目GDP(円単位)は1992年から横這いを続けました。 日本の名目GDP(USドル換算値)は1999年から2000年にかけて或る程度まで回復しましたが、2001年以降、日本の名目GDP(USドル換算値)は順調に増大していく気配を見せませんでした。 すると、其のような日本経済を見た反日韓国人は「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを一段と強く持つようになり、「侮日の念」を一段と強く持つようになりました。 そうした状況の中で、一段と強まった「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと、一段と強まった「侮日の念」とに基づく反日韓国人の行動が目立つようになりました。 例えば、韓国の幼稚園では2000年頃から「独島はわが領土」という歌が幼稚園児に徹底的に教え込まれるようになりました。 2005年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から完全に駆逐し、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場からほとんど(全くと言って良いほど)駆逐し、韓国製の自動車が世界中で大量に走り回るようになり、韓国の造船業が大型船(大型タンカー、液化天然ガス運搬船、大型コンテナ船)の製造において日本の造船業を圧倒して世界一の市場占有率を誇るようになりました。 すると、韓国人の大多数が「韓国は日本に追い付いた」という妄想的自信を持つようになり、「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と更に一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に一段と強く持つようになりました。 そうした状況の中で、更に一段と強まった「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと、更に一段と強まった「侮日の念」とに基づく反日韓国人の行動が目立つようになりました。 例えば、呉善花さんによると、2005年には竹島問題をテーマに韓国の小中学生が作成したポスターの展示会が開かれ、韓国を模した兔(うさぎ)がお尻から日本列島の形をした大便をするポスターや、日の丸が描かれたトイレットペーパーを燃やすポスターなど、明らかに日本を侮辱する作品がたくさん展示されました。 こうして、韓国企業が2005年頃に一時的記憶用集積回路(DRAM)の製造や家電製品の製造や大型船の製造において世界一の市場占有率を獲得した事で、韓国人は日本に対するとても強い経済的劣等感からようやく不完全ながらも解放されたのです。 2005年5月、日本銀行は韓国銀行との間で CMI とは独立に日韓通貨スワップ協定「30億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」を締結しました。 2006年2月24日、日本の財務省は CMI に基づいて韓国銀行との間で日韓通貨スワップ協定「日本の財務省の100億USドルと韓国銀行の100億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2015年2月23日まで」を締結しました。 此れに伴って、日本の財務省が CMI に基づいて韓国銀行との間で2001年7月4日に締結した日韓通貨スワップ協定「日本の財務省の20億USドルと韓国銀行の20億USドル相当韓国ウォンとの交換」は廃止されました。 2007年7月30日にはアメリカ連邦議会下院本会議で「日本軍用慰安婦に関する対日謝罪要求決議」(アメリカ連邦議会下院121号決議、提案者はマイク・ホンダ議員)がなされました。 韓国は此の事を「日本の慰安婦犯罪が国際的に認められた」という事だと解釈し、日本に対する攻勢を一段と強め、「侮日の念」を大いに強めました。 ところが、2007年にアメリカで発生したサブプライム住宅ローン危機の中で2008年9月にアメリカの投資銀行リーマンブラザーズが倒産し(リーマンショック)、此れによって起きた世界金融危機の中で韓国は2008年10月に再び通貨危機に瀕しました。 其の影響で反日韓国人の「侮日の念」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いは大いに抑えられた、と思われます。 2008年12月、日韓両国政府は CMI とは独立の(日本銀行と韓国銀行との間の)日韓通貨スワップ相互融通額を其れまでの「30億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」から「200億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」に引き上げました。 しかし、韓国政府や韓国マスメディアは日本に感謝しないばかりか、韓国が1997年に通貨危機に瀕した際に日本のメガバンクが韓国に多額のUSドルを貸したことを韓国政府や韓国マスメディアはけろっと忘れて「1998年に通貨危機に瀕した韓国から一番先に抜け出した資金は日本資金である。 日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った。 今回の通貨危機でも日本の支援は遅すぎる。 今回の韓日通貨スワップ協定は恩着せがましい」と日本を非難しました。 此れ以降、「1998年に通貨危機に瀕した韓国から一番先に抜け出した資金は日本資金である。 日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った」という思いが韓国人の常識になりました。 韓国がリーマンショックによって通貨危機に瀕した事の対策として、韓国政府はアメリカ連邦政府とも通貨スワップ協定を結び、韓国は此の通貨危機を無事に乗り切りました。 そして、韓国の財閥企業は順調に大躍進して行く事になります。 2009年9月に日本で民主党と社民党と国民新党とで構成される鳩山由紀夫政権が発足しました。 すると、李明博大統領は「鳩山由紀夫政権は我が国に多額の融資をしてくれる。 我が国は今まで以上に日本から謝罪と賠償とを受け取れる」と思って喜びました。 こうした中で韓国ウォンの為替市場が安定化した為、2010年4月、日韓両国政府は CMI とは独立の(日本銀行と韓国銀行との間の)日韓通貨スワップ相互融通額を其れまでの「200億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」から「30億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」に引き下げました。 2010年にはサムスン電子製のスマートフォン(Galaxy)が世界中で大量に使われるようになりました。 すると、韓国マスメディアは「韓国は世界が羨む一流先進国である」とする自画自賛記事や「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とする自画自賛記事など、韓国経済の大成長・大発展を自画自賛する記事をほとんど毎日のように発表するようになりました。 すると、韓国人の大多数は「韓国は全ての経済分野で日本に追い付いた。 韓国は幾つかの経済分野で日本を追い抜いた。 韓国は日本に勝った」という妄想的自信を持つようになり、自国を「一流経済先進国」と称し、自画自賛の心地よさに浸(ひた)って「韓国のGDPは2015年に日本のGDPを追い抜く」と予想してホルホルしました。 そして、韓国人のほとんど全てが「韓国は日本に対抗できるだけの必要十分な国力を身に着けた」と思うようになりました。 こうして、2010年頃、韓国人のほとんど全てが「自分たちは日本に対するとても強い経済的劣等感から完全に解放された」と思うようになったのです。 そして、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とが復活しました。 しかし、此の頃、韓国では所得中間層が大幅に減り、富裕層と貧困層との二極化が極端に進行していました。 韓国の財閥企業に勤める社員と韓国の中小零細企業に勤める社員との間でとても大きな所得格差が生じていたのです。 2010年9月には尖閣諸島の近海で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりするという事件があり、菅直人政権は此の件で狼狽し、中国共産党に屈しました。 また、2010年には中国共産党の発表する中国のGDPが日本のGDPを追い抜きました。 また、「韓国は日本に対抗できるだけの必要十分な国力を身に着けた」と思うようになった反日韓国人は2011年から「旭日旗」批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)を行なうようになりました。 韓国の誠信女子大学の客員教授をしている徐敬徳(ソ・ギョンドク)という左派韓国人活動家や、反日宣伝工作活動組織「VANK」の長をしている朴起台(パク・キテ)という極右派韓国人活動家は「旭日旗はナチス・ドイツの鉤十字旗と同じく戦犯旗だから、旭日模様を使ってはいけない」と主張する電子メールを世界中に送り付け、「旭日旗」批反で韓国一般庶民を煽動するようになりました。 そして、徐敬徳(ソ・ギョンドク)に指導されている韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)も、朴起台(パク・キテ)に指導されている韓国右派一般庶民も、世界中の旭日模様に対して「其の模様は旭日旗と同様だから、使うべきでない」と激しく且つしつこく抗議・非難するようになりました。 2011年3月11日には東日本大震災が起き、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を馬鹿にして歓喜の声を上げました。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2011年3月12日付けの第1面トップに「日本沈没」という見出しを掲げたほどです。 2011年9月27日に韓国の全羅北道の全州で行なわれた「プロサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ」の日韓戦では、韓国人観客が「日本の大地震をお祝います(原文のまま)」と書いた垂れ幕を掲げました。 東日本大震災が起きた事で韓国人の大多数が「日本は十分に弱くなったので、我々韓国人は日本を懲らしめることが出来る。 弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」と思うようになりました。 東日本大震災の被災者救援や原発事故処理で菅直人政権は無能振りを露呈しました。 此のような状況の中で、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「2001年以降、名目GDP(USドル換算値)が順調に増大していく気配を見せない日本」と「2005年以降、日の出の勢いの中国」とを比べ、「日本は経済的にも政治的にも没落する国である」と思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に一段と強く持つようになりました。 反日韓国人の「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とが復活しただけでなく、其れらの観念が以前にも増して一段と強まったのです。 そして、反日韓国人の更に更に一段と強まった「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと、反日韓国人の更に更に一段と強まった「侮日の念」とが反日韓国人の反日を一段と強めました。 リーマンショック(2008年9月)によって起きた世界金融危機(2008年9月〜2010年)の中で2010年にユーロ危機が起きました。 韓国の李明博政権は韓国がユーロ危機の影響を強く受けることになるのではないかと恐れ、日韓通貨スワップ相互融通額の増大を日本の野田佳彦政権に強く要求しました。 野田佳彦政権は此の要求を受け入れ、2011年10月19日、CMI とは独立の(日本銀行と韓国銀行との間の)日韓通貨スワップ相互融通額については其れまでの「30億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」の上に「270億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換。期限は2012年10月31日まで」を加え、更に、CMI に基づく日韓通貨スワップ相互融通額については其れまでの「日本の財務省の100億USドルと韓国銀行の100億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2015年2月23日まで」の上に「日本の財務省の300億USドルと韓国銀行の300億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2012年10月31日まで」を加え、総額700億USドル相当の日韓通貨スワップ協定を韓国政府との間で締結して韓国を支援しました。 此れにより韓国は通貨危機に陥らずに済みました。 そして、韓国の財閥企業は順調に大躍進して行く事になります。 一方、2011年12月には極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が2011年8月30日の韓国憲法裁判所の判決を受けてソウルの日本大使館の前に慰安婦少女像を設置し、此の慰安婦少女像の傍で毎週水曜日に「水曜集会」を開くようになりました。 野田佳彦首相と李明博大統領とが2011年12月に京都で日韓首脳会談を行ない、此の首脳会談で李明博大統領は「日本軍用慰安婦被害者に賠償しろ」と言い出しました。 李明博大統領は野田佳彦政権が総額700億USドル相当の日韓通貨スワップ協定を韓国政府との間で締結して韓国を支援してやったことを恩に感じないのです。 反日右派韓国人は彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で「アメリカ連邦政府は日本よりも韓国を大切にしている」と思い、2010年11月にG20首脳会合が日本で開かれるより先に韓国で開かれ、2012年3月に核セキュリティ・サミットが日本で開かれるより先に韓国で開かれた事で、韓国人のほとんど全ては「韓国は日本に優越する地位を獲得した。 韓国の国威は日本の国威を超えた。 韓国は一流先進国になった」と思って高揚感に酔い痴れるようになりました。 韓国人の此のような高揚感は過去二千年間余りに渡って大体においてシナ王朝の従属国であった朝鮮の歴史において初めてのものでしょう。 そして、「韓国は戦後の短期間で高度経済成長と民主化とを同時に成し遂げた世界唯一の国である」とか「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」などの自画自賛の言葉が韓国マスメディアの決まり文句になりました。 其れに連れて、韓国の学校では教員が生徒に、韓国の家庭では親が子に、「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか教えるようになり、韓国の小中高校生は教員や親から教えられた通りに信じ込みました。 そして、2012年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなりました。 そして実際、韓国の電車の座席に座っている白人女性の傍らに立っている韓国人が其の白人女性に対して「立ち上がって席を自分に譲れ」と要求するほどになりました。 以上のような「韓国人が持つ妄想的自信」と「現代版小中華思想」と「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」という妄想とを拠り所として、2012年5月24日、日本の最高裁判所に相当する韓国大法院が「反日法」の第11条に基づいて「日帝の反人道的不法行為に対する「韓国人の日本に対する個人請求権」は依然として有効である」との判決を下しました。 2012年8月10日、李明博大統領が竹島に上陸し、更に、其れから4日後の2012年8月14日、李明博大統領は忠清北道・清原にある教員養成大学で開かれたゼミナールにおいて出席者から竹島上陸の感想を問われ、「日王が韓国人に心底から土下座したいのであれば、来い」と発言しました。 李明博大統領の其の時の発言を日本語に直訳すると、「日王が韓国人に心底から土下座したいのであれば、来い。 重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝罪させてやる。 重罪人が土下座もせずに言葉で謝罪するだけなら、ふざけた話だ。 そんな馬鹿な話は通らない」となります。 李明博大統領は野田佳彦政権が総額700億USドル相当の日韓通貨スワップ協定を韓国政府との間で締結して韓国を支援してやったことを恩に感じないばかりか、恩を仇で返したのです。 此れらの事が生じた「2011年〜2012年」頃において、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に更に一段と強く持つようになりました。 2012年10月31日、CMI とは独立の(日本銀行と韓国銀行との間の)日韓通貨スワップ協定「270億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換。期限は2012年10月31日まで」と、CMI に基づく日韓通貨スワップ協定「日本の財務省の300億USドルと韓国銀行の300億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2012年10月31日まで」とが期限の到来により終了しました。 第2次安倍内閣が2012年12月26日に発足しました。 すると、韓国マスメディアは「第2次安倍内閣の発足で日本の右傾化が一段と強まり、日本の軍国主義復活の動きが加速する」とか「安倍政権は日本国民の大多数の意向に反して、過去の軍国主義時代に戻ろうとしている」とかいう「安倍政権を非難するテレビ報道」や「もうすぐ日本は滅びる」とかいう「日本を見下す記事」をほとんど毎日のように発表するようになりました。 そして、韓国一般庶民はインターネット上で「安倍は極右の歴史修正主義者である」とか「安倍政権は軍国主義の復活を夢見ている」とか「日本国民は安倍に騙されている」とか「アベノミクスは失敗する」とか「日本はアジアで孤立して自滅する」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか盛んに言い立てるようになりました。 其れらの発言の大部分は韓国マスメディアの主張の受け売りであるか、アメリカ左派(リベラル系)マスメディア(ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、など)の主張の受け売りであるか、日本の反日左派マスメディア(朝日新聞、毎日新聞、など)の主張の受け売りであるか、のいずれかである、と思われます。 2013年2月25日に韓国大統領に就任した朴槿恵は大統領就任早々の三・一独立運動記念式典(2013年3月1日)での演説の中で「韓国とアメリカとの関係は強固である。 アメリカ連邦政府は日本よりも韓国を大切にしている」という思いに基づいて「加害者と被害者という歴史的な立場は、千年が経っても、変わらない」と発言し、アメリカ連邦政府の理解を求め、日本を非難しました。 2013年5月20日に韓国大手右派マスメディア『中央日報』は「広島と長崎に原爆が投下された事は神罰である」と主張する論説を発表しました。 2013年7月3日、CMI とは独立の(日本銀行と韓国銀行との間の)日韓通貨スワップ協定「30億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」が期限の到来により終了しました。 朴槿恵大統領も李明博大統領と同様に「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」という事を世界中に印象付けようと考え、2013年11月にヨーロッパを歴訪した際にヨーロッパ各地で「韓国は日本によって不法に植民地支配された」と日本を非難し、此の対日非難への賛同をヨーロッパ各国政府に求め、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題に関して日本に対する嘘だらけの悪口を行く先々で言い触らし(悪口外交、告げ口外交)、「韓日歴史問題の解決が無い限りにおいて、日本との関係改善は無い」との発言を繰り返しました。 韓国マスメディアは其のような朴槿恵大統領を「外交の天才」と賞賛しました。 韓国政府の女性家族部は自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の所謂「証言」に基づいて「彼女らが日本軍によって慰安婦にされた過程や慰安婦として生きた状態」などを漫画にし、此れを2014年1月にフランスで開催されたアングレーム国際漫画フェスティバルに出品しました。 其の目的は、韓国政府の主張する「慰安婦被害の惨状」を世界中に知らせて国際問題とし、「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」というイメージを世界中の人々に植え付ける事です。 日本に対する嘘だらけの悪口を言い触らすのは韓国人だけではありません。 韓国系アメリカ人の大多数は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を象徴する慰安婦少女像をアメリカ国内にたくさん設置しようとして一所懸命です。 此の種の反日活動に精を出している韓国系アメリカ人は李承晩大統領の強力な反日政策で韓国に居られなくなってアメリカに移住してアメリカでの永住権を得た韓国人や其の子孫、並びに、朴正熙政権時代にベトナムに派遣されて北ベトナムのゲリラ兵を相手に戦い、其の見返りとしてアメリカへの移住を許可されてアメリカでの永住権を与えられた韓国人男性や其の子孫です。 李承晩大統領の強力な反日政策で韓国に居られなくなってアメリカに移住してアメリカでの永住権を得た韓国人や其の子孫は母国:韓国への郷愁から時の経過に連れて反日になったのです。 アメリカやヨーロッパに留学した反日韓国人学生はクラスメートに日本に対する嘘だらけの悪口を言い触らします。 自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を支援している極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は2014年に「ヨーロッパ平和旅行」という企画を作り、此の企画に基づいてフランス、イギリス、ドイツ、チェコなどのヨーロッパ諸国で「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を宣伝し、「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」と主張し、日本に対する嘘だらけの悪口を言い触らしました。 2014年2月、ソチ・オリンピックのフィギュアスケート競技の女子シングルで、ロシアのソトニコワが金メダルを獲得し、韓国のキム・ヨナは銀メダルを獲得しました。 此れに対し、韓国では「ソトニコワが金メダルを取ったのは採点不正だ」という主張が大規模に沸き起こり、競技終了時から3週間が経過した2014年3月10日、大韓体育会が「可能な限りの方法で更なる措置を取る」と表明し、2014年4月10日、大韓体育会と韓国スケート連盟とが共同して国際スケート連盟(ISU)の懲戒委員会に「ソトニコワが金メダルを取ったのは採点不正だ」と提訴しました。 それでも、韓国一般庶民の不満は収まらず、韓国内では大規模なデモ活動が続き、国際スケート連盟会長の退任を求める署名活動も行なわれました。 2014年中頃から韓国マスメディアは「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」をほとんど毎日のように発表して来ました。 そして、更に、2014年12月、現代経済研究院(韓国の民間研究機関)が「2016年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜く」と発表しました。 すると、其の記事を読んだ韓国人の大多数は「韓国は全ての経済分野で近いうちに日本を追い抜く。 日本なんて大した国じゃない」と思って大喜びしました。 こうして、2016年頃に右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、更に「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という妄想を持つようになり、日本を恐れながらも虚勢を張って、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持つようになり、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を持つようになりました。 先に述べたように、韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持っていません。「「約束は守るべきものである」という理念を持ってない一流先進国:韓国」とは! 実に笑わせてくれます。 また、韓国という実例を見れば分かるように、「約束は守るべきものである」という理念を持ってない国でも、近くに経済大国があって其の経済大国が何かに付けて支援してやれば、経済的にはかなり発展できるのです。 妄想的自信を持つようになった彼ら韓国人は「韓国は此れほどの一流経済先進国であり、此れほどの一流文化先進国であり、韓国人は世界一優秀な民族であるのに、なぜ韓国人は科学分野のノーベル賞を取れないのだろうか」と、大いに且つ深く悩むようになりました。 韓国人は科学分野のノーベル賞を取りたくて取りたくて堪らないのです。 韓国人の此のような精神状態は「ノーベル症」と言われています。 韓国人の99%以上は「人は学校のお勉強が良く出来れば出来るほど、其の人が科学分野のノーベル賞を取る確率は高くなる」と思っているようです。 韓国人の大多数は「日本が科学分野で25人ものノーベル賞受賞者を出したのは、日本がロビー活動を盛んにして来たからだ。 我が国が科学分野でノーベル賞を取れていないのは、我が国がロビー活動をして来なかったからだ。 だから、我が国も科学分野のノーベル賞を取る為に、ロビー活動を盛んにしなければならない」と思っています。 そして、日本人が科学分野のノーベル賞を取ると、彼ら韓国人は「韓流文化は科学分野のノーベル賞より遥かに価値がある。 科学分野のノーベル賞なんぞ受賞しなくて良い」と言って強がり、ホルホルします。

麻生太郎財務大臣は2020年3月27日に韓国で行なわれた記者懇談会の席上で記者からの質問に対して次のように言いました。「今から6、7年前の話だが、私が韓国側に「通貨スワップ協定を結ばなくても大丈夫か」と確認したところ、韓国側から「大丈夫だ」との返事があった。 私が韓国側に「本当にいいのか」と確認したところ、韓国側は「日本側が「どうかお金を借りてください」と頼むのであれば、お金を借りてやっても良い」と言った。 そこで、私は「お金を貸す側が「お金を借りてください」と頭を下げるという話は聞いたことがない」と思い、日本側は日韓通貨スワップ交渉から手を引いた」。 2015年2月23日、日本の財務省がCMI に基づいて韓国銀行との間で2006年2月24日に締結した日韓通貨スワップ協定「日本の財務省の100億USドルと韓国銀行の100億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2015年2月23日まで」が期限の到来により終了しました。 此れにより2001年7月4日から13年半に渡って続いた日韓スワップ協定の全てが終了しました。 此れから1年も経たない内に、韓国政府(朴槿恵政権)は日韓通貨スワップ協定の再締結に関する日本政府(安倍内閣)の考えを打診し、「韓日通貨スワップ協定を再締結したい」と言い出しました。 此れを受けて、日本政府(安倍内閣)は日韓通貨スワップ協定の再締結の可否を検討するようになり、韓国政府(朴槿恵政権)から正式要請があれば、日韓通貨スワップ協定の再締結に応じる考えを固めました。 そして、2016年8月にソウルで開催された日韓財務対話において、日韓両国政府は韓国政府(朴槿恵政権)が提案した双方同額の日韓通貨スワップ協定の締結についての協議を開始する事に合意しました。 ところが、2016年12月30日、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が釜山の日本総領事館の前に慰安婦少女像を設置しました。 此の事に関して韓国政府(朴槿恵政権)は何の措置も取りませんでした。 という事は、韓国政府(朴槿恵政権)は此の慰安婦少女像の設置を是認したという事を意味します。 そこで、日本政府(安倍内閣)は此の件を「日韓慰安婦合意」違反と見なし、翌2017年1月6日、韓国への対抗措置として「日韓通貨スワップ協定の締結についての協議を無期限に中断する」と宣言しました。

アメリカ連邦議会の上下両院合同会合での安倍総理大臣演説の日程が公になると、韓国政府はナンシー・ペロシ下院民主党院内総務を韓国に招き、韓国国会議長が2015年4月2日にナンシー・ペロシ下院民主党院内総務と会談して「日本の首相は米議会演説で過去の罪悪を認めて謝罪すべきだ」と発言し、同日、韓国外交部長官:尹炳世がナンシー・ペロシ下院民主党院内総務と会談して「安倍演説は我が国に対する不法な侵略、我が国に対する不法な植民地支配、及び、慰安婦問題に関する事柄について具体的に触れなければならない」と発言し、同日、朴槿恵大統領がナンシー・ペロシ下院民主党院内総務と会談して「「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の解決は急務である」と発言しました。 そうした中で、安倍演説阻止の為にアメリカの首都:ワシントンD.C.や其の周辺に集まった「総勢10万人とも言われる反日韓国人や反日韓国系アメリカ人」は、アメリカの外交・安全保障関係者がうんざりするほどにまでアメリカの外交・安全保障関係者にしつこく働き掛けていました。 彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人は安倍演説を阻止しようとして躍起になったのです。 ですが、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人は安倍演説阻止の主張がアメリカ連邦政府の要人の賛同やアメリカ連邦議会議員の賛同を得ていない事を知りました。 すると、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人は次善の策として、「韓国が受けた被害への言及と韓国への謝罪」を安倍演説の中に入れようと目論みました。 其の目論みの一環として、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性と自称「元日本軍用慰安婦」中国人女性とがアメリカ連邦議会内で共同記者会見を開いて「安倍首相は演説の中で謝罪すべきだ」と主張しました。 こうして、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人はアメリカ連邦政府に圧力を掛けたのです。 しかし、彼ら反日韓国人や彼ら反日韓国系アメリカ人の其の目論みは失敗しました。 そして、韓国の国会は2015年5月12日の本会議で、安倍演説の中に「韓国が受けた被害への言及と韓国への謝罪」が入っていなかったという理由で「安倍首相の糾弾」決議案を満場一致で可決しました。

2014年1月、安倍内閣は明治日本の産業革命遺産(炭鉱業、鉄鋼業、造船業に関する明治時代のもの)が世界文化遺産として登録される事を目指してユネスコ世界遺産センターに申請手続きを行ないました。 此れに対して、朴槿恵政権の韓国外交部長官:尹炳世が「長崎造船所や端島(軍艦島)炭坑など7つの施設で第2次世界大戦中に多くの朝鮮人が徴用されて重労働を強制され、多くの犠牲者が出た」と難癖を付け、朴槿恵大統領が登録反対を表明するなど、韓国は国を挙げて明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対しました。 朴槿恵大統領は2015年4月の中南米訪問で世界遺産委員会の委員国であるコロンビアやペルーの大統領と会談して「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを詳細に説明し、同年5月には世界遺産委員会の委員国であるインドを訪れ、インド首相に同様の考えを詳細に説明しました。 更に、韓国政府はユネスコのボコバ事務局長を韓国に招き、2015年5月20日に朴槿恵大統領がボコバ事務局長と会談して「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを詳細に説明しました。 同年6月21日に韓国外交部長官:尹炳世が東京で岸田外務大臣と会って明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録で合意しました。 にもかかわらず、韓国外交部長官:尹炳世は同年6月下旬に世界遺産委員会の議長国であるドイツに行ってドイツの外務大臣と会談し、「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを詳細に説明し、更に、世界遺産委員会の委員国であるクロアチアに行ってクロアチアの外務大臣と会談して朴槿恵政権の考えを詳細に説明し、更に、ニューヨークへ行って世界遺産委員会の委員国であるマレーシアの外務大臣と会談して朴槿恵政権の考えを詳細に説明しました。 韓国政府の要人は世界遺産委員会の委員国の当局者と接触する際には、徴用関連の捏造写真や所謂「証言録」などを使って説明しました。 また、韓国国会の外交統一委員長は2015年の4月から5月にかけて世界遺産委員会の委員国の当局者宛に「明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録に反対する」という考えを述べた書簡を発送しました。 こうした状況の中で、明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録の可否がユネスコの世界遺産委員会で議論されて来ました。 そして、2015年7月4日にユネスコの世界遺産委員会で明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録が決定される場になって、韓国政府代表が突然、異議を唱えました。 窮地に陥った日本政府代表(外務省の官僚)は「there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions(意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた)」という文言を決議案に盛り込むことに合意し、2015年7月5日に此の決議案が可決されて明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録が決定されました。 韓国にとっては世界中の人々の前で日本と揉(も)めて見せる事が重要なのです。 なぜなら、反日韓国人は「日本と韓国とが揉めれば揉めるほど、「日本の悪行」を世界中に知らしめることが出来る」と思っているからです。 明治日本の産業革命遺産の世界文化遺産への登録が決定されたあと、韓国は「there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions」という言葉を言質(げんち)として「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」を世界中に言い触らすようになりました。 此のように、2015年の3月から7月にかけて、韓国の反日は彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で朴槿恵政権が先頭に立って国を挙げて日本に外交戦争を仕掛けるレベルにまで達したのです。 以上のように、2011年から2015年にかけての期間は韓国の反日の最盛期でした。 此の事を韓国人の精神状態として述べると、2011年から2015年にかけて、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」と思うようになった、と言えるでしょう。 付け足しになりますが、2016年5月31日、韓国の或る民間団体がユネスコ(国連教育科学文化機関)に対して「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の記録物を世界記憶遺産として登録するように申請しました。 2021年4月15日、ユネスコは「世界記憶遺産への登録手続きについては、ユネスコ加盟国の反対があった時点で審査を無期限に停止する」という規約を設けました。「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の記録物が世界記憶遺産として登録される見込みはありません。

2020年の時点で、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は相変わらず「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」とか「韓国は経済面でも文化面でも弟の日本より優位に立った」とか「韓国は日本以上の一流経済先進国だ。 K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ。 韓国はアジアトップの先進国だ」とか思っています。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は自己陶酔しないでは居られないのです。 そして、2020年の時点で、日本の名目GDP(円単位)は1991年から30年間も横這いを続けており、其のような日本に対して、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本は相手にする価値も無い国だ」とか「日本は末期状態にある」とか「放射能を浴びた猿どもは死滅するのが良い」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「韓国の助けが無ければ、日本は明日にも滅びる」とか「島国の犬豚どもを根絶やしにしなければならない」とか「日本は菅(すが)政権下で亡国へ向かう」とか「韓国と日本とが互いに断交すれば、日本は先進国でなくなり、韓国は勝者になる」とか「日本には未来が無い。 だんだん希望が見えなくなる切ない日本」とか「韓国はもはや世界指導者の地位に就いた。 日本は先細りだ」とか「韓国は既に日本を超えている。 日本は韓国のライバルですらない」とか「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」とか「韓国は経済面でも文化面でも弟の日本より優位に立った」とか「韓国は日本以上の一流経済先進国だ。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ。 韓国はアジアトップの先進国だ」とか「今や、日本はあらゆる面で韓国より劣っている」とか「今や、韓国は全ての分野で日本を追い抜いた。 韓国はあらゆる面で日本に勝った」とか「我が国の幸福指数は日本の幸福指数より遥かに高い」とか「韓国は実質的にG8の先進国だ」とか「韓国はG7に正式加盟してG8を構成するに相応(ふさわ)しい」とか「日本こそG7に相応しくない。 我が国が日本の替わりにG7に入るべきだ」とか「韓国ウォンはUSドやユーロに次ぐ基軸通貨だ」とか「日本は韓国の相手にならないほど没落した」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は民度の低い民族である。 日本人の民度は韓国人の民度よりずっと低い」とか言っています。 上記のような発言をインターネット上に書き込んだ韓国人はそうする事で日本に対する鬱憤を晴らしたいのでしょうか、其のように思って妄想の世界でホルホルしたいのでしょうか、本気で其のように思っているのでしょうか。

2021年の時点で「日本は相手にする価値も無い国だ」とか「日本は末期状態にある」とか「放射能を浴びた猿どもは死滅するのが良い」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「韓国の助けが無ければ、日本は明日にも滅びる」とか「島国の犬豚どもを根絶やしにしなければならない」とか「日本は菅(すが)政権下で亡国へ向かう」とか「韓国と日本とが互いに断交すれば、日本は先進国でなくなり、韓国は勝者になる」とか「日本には未来が無い。 だんだん希望が見えなくなる切ない日本」とか「韓国はもはや世界指導者の地位に就いた。 日本は先細りだ」とか「韓国は既に日本を超えている。 日本は韓国のライバルですらない」とか「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」とか「韓国は経済面でも文化面でも弟の日本より優位に立った」とか「韓国は日本以上の一流経済先進国だ。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ。 韓国はアジアトップの先進国だ」とか「今や、日本はあらゆる面で韓国より劣っている」とか「今や、韓国は全ての分野で日本を追い抜いた。 韓国はあらゆる面で日本に勝った」とか「我が国の幸福指数は日本の幸福指数より遥かに高い」とか「韓国は実質的にG8の先進国だ」とか「韓国はG7に正式加盟してG8を構成するに相応(ふさわ)しい」とか「日本こそG7に相応しくない。 我が国が日本の替わりにG7に入るべきだ」とか「韓国ウォンはUSドやユーロに次ぐ基軸通貨だ」とか「日本は韓国の相手にならないほど没落した」とか「もうすぐ日本は後進国に転落する」とか「日本人は民度の低い民族である。 日本人の民度は韓国人の民度よりずっと低い」とかいう発言をインターネット上に書き込んだ韓国人の95%ほどは、韓国左派マスメディアや韓国右派メディアや韓国左派政治指導者や韓国右派政治指導者によって洗脳され、本気で其のように思っているのです。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は其のように思っている、と思われます。 また、2021年の時点で、此れらの発言をインターネット上に書き込んだ韓国人の残り5%ほどは自国についての認識の日本に対する投影(投射)として此れらの発言をしている、と思われます。 人は全般的に自分や自分の所属する集団が持っている悪い属性を敵対する相手や敵対する集団に投影(投射)し、敵対する相手や敵対する集団が其の悪い属性を持っていると言って非難する性癖を生まれ付き持っています。 此れらの発言をインターネット上に書き込んだ韓国人の残り5%ほどは口には出しませんが、「韓国はつまらない国だ」とか「韓国は相手にされる価値も無い国だ」とか「日本の助けが無ければ、韓国は明日にも滅びる」とか「韓国は文在寅政権下で亡国へ向かう」とか「韓国と日本とが互いに断交すれば、韓国は先進国でなくなり、日本は勝者になる」とか「韓国には未来が無い。 だんだん希望が見えなくなる切ない韓国」とか「日本はもはや世界指導者の地位に就いた。 韓国は先細りだ」とか「韓国はロビー活動と隠蔽(いんぺい)と捏造の国だ」とか「韓国は今なお全ての面で日本より劣っている」とか「我が国の幸福指数は日本の幸福指数より遥かに低い」とか「韓国はもうすぐ後進国に転落する」とか「韓国人は民度の低い民族である。 韓国人の民度は日本人の民度よりずっと低い」とかいう思いを顕在意識領域の下層部に持っているのではないでしょうか。

また、「大勢の韓国人が日本旅行に行くのは、日本が韓国に近く、日本旅行代金が安いからであり、日本が好きだからではない」とか「大谷翔平は野球というマイナースポーツの選手だから、大谷翔平は大したことない」とか「韓国人の頭脳(IQ)は世界トップクラスである。 韓国人の視野の広さも世界トップクラスである」とか「韓国人のIQは日本人のIQや中国人のIQより高い」とか「韓国ほどインフラが良く整い、且つ、治安が良い国は少ない」とか「韓国の若者の生活レベルは日本の若者の生活レベルより高い」とか「日本は先進国だなんて言われているが、実は後進国だ。 日本は韓国より遅れている。 韓国はアジアトップの先進国だ」とか「日本人は嘘つきで、韓国の真似ばかりしている」とか「日本より韓国の方が何でも優れている」とか「日本は汚いし、衛生観念もなってない」とか「韓国は世界一住み易い国だ」とか言っている韓国人が沢山います。 此のような韓国人は本気で其のように思っているのでしょうか、それとも、自国についての認識を日本に投影して其のように言っているのでしょうか、それとも、其のように言う事で自らを慰めているのでしょうか。 いずれにしても、馬鹿な人たちです。

また、韓国経済が大発展した2010年頃から「韓国人はアフリカや東南アジアの人々を露骨に見下す」とインターネット上で言われるようになりました。 韓国人が見下す対象は日本人だけではありません。 ここでは具体例を挙げませんが、韓国人は全般的にアフリカや東南アジアの人々を露骨に見下します。 韓国人が何時頃からアフリカや東南アジアの人々を露骨に見下すようになったのか、明確な事は分かりませんが、韓国人は「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半からアフリカや東南アジアの人々を露骨に見下すようになったのではないか、と思われます。

動画「【海外の反応】「タイが親日国だなんて絶対に嘘だ!」タイ旅行で日本語と韓国語を使ってみた結果…→あまりの対応の差にww」(https://www.youtube.com/watch?v=B6Kl-URwzYU)をご覧になってください。

因みに、第2次世界大戦後のアメリカの学校の歴史教育では多くの生徒・学生が「第2次世界大戦でアメリカは日本と戦争した。 此の戦争で多くのアメリカ兵が日本兵に殺された。 真珠湾を忘れるな」とかいうように教えられて来た、と思われます。 其の結果として、2020年の時点でも白人系アメリカ人の半数は日本に対する否定的イメージと日本を拒否するような感覚とを持っており、「日本の発展度と中国の発展度とは互いに同じようなものだ」と思っている、と思われます。 そして、此のような白人系アメリカ人は「韓国は日本の植民地であった」という思いから韓国に対して同情的&親和的であり、韓国製の家電製品や自動車やスマートフォンがアメリカでたくさん売れていることもあって韓国に対して先進国的イメージを持っている、と思われます。 此のような白人系アメリカ人の中には「日本には旅行で行ったことが無いが、韓国には旅行で10回も行ったことが有る」というような者が沢山いるのです。 以上のような事や、第2次世界大戦後におけるアメリカ連邦政府の対韓国政策、並びに、第2次世界大戦後におけるアメリカ連邦政府の対日本政策から見て、反日右派韓国人が「アメリカ連邦政府は日本よりも韓国を大切にしている」と思っているのはかなりの程度で正しいのです。

● 韓国人は全般的に自分の怨念の対象である相手に対しては何度でも繰り返し謝罪・譲歩させたいと思う。 韓国人は謝罪・譲歩させたいと思う相手に対して強い被害者意識や強い憎しみや強い怨念を持っている場合には、「相手を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いで其の相手に何度でも繰り返し謝罪・譲歩させようとする。 反日韓国人は日本を「自分たちに対する罪を負っている相手」と見ており、且つ、「日本は十分に弱くなったので、我々韓国人は日本を懲らしめることが出来る」と見ている為、彼ら反日韓国人は「弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いで日本に何度でも繰り返し謝罪・譲歩させようとする。

韓国人は全般的に自分の怨念の対象である相手を責め立てて其の相手に謝罪・譲歩させたいと思い、其の相手が謝罪・譲歩すると、其の相手を弱い者と見なし、「自分は相手より格上になった」と思い、此の思いを持続させようとして其の相手に更なる謝罪・譲歩を要求します。 そして、韓国人は、相手が更に謝罪・譲歩すると、其の相手を更に弱い者と見なし、「自分は相手より格上になった」という思いを更に強め、此の思いを持続させようとして其の相手に更なる謝罪・譲歩を要求します。 此の繰り返しが無限ループ的に続きます。

上に述べた事を言い換えると、次のようにも言えるでしょう。 韓国人は全般的に「自分の怨念の対象である相手に謝罪・譲歩させれば、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)」と思っており、自分の怨念の対象である相手より優位に立つ(格上になる)為に其の相手を責め立てて其の相手に謝罪・譲歩させ、しかも、たった一度だけの謝罪・譲歩では安心・満足できず、謝罪・譲歩させた相手に「自分は格下なのだ」と末永く思わせ、且つ、「謝罪・譲歩させた相手よりも自分は優位にある(格上である)」という自覚を末永く持てるように、謝罪・譲歩した相手を弱い者と見なし、何度でも繰り返して其の相手に謝罪・譲歩を要求します。

要するに、韓国人は全般的に自分の怨念の対象である相手に対しては何度でも繰り返し謝罪・譲歩させたいと思うのです。 そして、韓国人は謝罪・譲歩させたいと思う相手に対して強い被害者意識や強い憎しみや強い怨念を持っている場合には、「相手を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いで其の相手に何度でも繰り返し謝罪・譲歩させようとします。 韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の2023年3月28日付けの日本語版記事「強制動員謝罪、日本人は一度「ごめんなさい」と言えば終わり」(https://japan.hani.co.kr/arti/politics/46305.html)によれば、韓国外交部の或る高官が「私たちは過ちを犯した人は反省し続けなければならないという考えがあるが、日本には違う文化がある。『ごめんなさい』と謝れば、『水に流す』という。 日本には、一度謝罪すれば、その後は謝罪を繰り返さない文化があるという話をよく聞く」と発言しました。 此の韓国外交部高官の言う「反省」とは「謝罪」の意です。 韓国では、過ちを犯したと思われている人は謝罪し続けなければならないのです。

また、韓国人は自分の怨念の対象である相手が自分たちよりも強くて容易には謝罪・譲歩させられないと思った場合でも、何かの拍子や時代の流れで其の相手が弱くなったと見るや、其の相手に謝罪・譲歩を要求します。 反日韓国人の日本に対する態度が此れに該当します。 反日韓国人は日本を「自分たちに対する罪を負っている相手」と見ており、且つ、「日本は十分に弱くなったので、我々韓国人は日本を懲らしめることが出来る」と見ている為、彼ら反日韓国人は「弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いで日本に何度でも繰り返し謝罪・譲歩させようとします。

韓国人の此のような「無限ループ的な謝罪・譲歩要求性癖」の背景には「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という「現代版格差原理思想」が有る、と思われます。

● 韓国人は全般的に自身がどんなに間違った事をしても、どんなに悪い事をしても、決して自ら謝罪しようとはしない。 韓国人は全般的に「謝罪すれば、負けになる」「謝罪しなければ、負けにならない」と思っている。 韓国人は滅多な事では謝罪しない。 韓国人は全般的に「譲歩すれば、負けになる」とも思っている。

前項で述べたように、韓国人は全般的に「自分の怨念の対象である相手に謝罪・譲歩させれば、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)」と思っており、自分の怨念の対象である相手より優位に立つ(格上になる)為に其の相手を責め立てて其の相手に謝罪・譲歩させ、しかも、たった一度だけの謝罪・譲歩では安心・満足できず、謝罪・譲歩させた相手に「自分は格下なのだ」と末永く思わせ、且つ、「謝罪・譲歩させた相手よりも自分は優位にある(格上である)」という自覚を末永く持てるように、謝罪・譲歩した相手を弱い者と見なし、何度でも繰り返して其の相手に謝罪・譲歩を要求します。 韓国人は概して此のような人々なのです。 ですから、韓国人は全般的に自身がどんなに間違った事をしても、どんなに悪い事をしても、決して謝罪しようとしません。 韓国人は全般的に「謝罪すれば、負けになる」「謝罪しなければ、負けにならない」と思っています。 韓国人にとって「謝罪する」という事は「死ぬ」という事と同じくらいに大変な事なのです。 韓国人は滅多な事では謝罪しません。 韓国人の中でも左派韓国人活動家は自分たちの悪事がばれると、謝罪しようとしないばかりか、居直って相手を屈服させようとします。 また、韓国人は全般的に「譲歩すれば、負けになる」とも思っています。 韓国人にとって譲歩は弱い者がする事なのです。

若い頃から右派政権に反対する活動だけをやってきたような左派韓国人で構成される文在寅政権が2017年5月10日に発足しました。 そして、2018年12月20日、韓国の駆逐艦による海上自衛隊P1哨戒機に対する火器管制レーダー照射事件がありました。 2018年12月20日、日本海の大和堆の近くの日本の排他的経済水域内で、韓国の駆逐艦が海上自衛隊P1哨戒機に対して火器管制レーダーを2回に渡って合わせて5分間ほど照射したのです。 此の事件後、文在寅政権下の韓国国防部は自らの主張を二転三転四転させ、嘘を嘘で塗り替える事を繰り返し、決して謝罪しようとしませんでした。 韓国の駆逐艦が海上自衛隊P1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した事は、此の駆逐艦を監視していた海上自衛隊P1哨戒機を追い払う為の嫌がらせであり、 其の後の韓国国防部の支離滅裂な嘘は韓国国防部の苦し紛れの「嘘の言い訳」でしょう。 韓国人は嘘をつかないでは居られないのです。 また、2022年5月10日に発足した尹錫悦政権の此の火器管制レーダー照射事件についての公式見解は「韓国の駆逐艦による海上自衛隊P1哨戒機に対する火器管制レーダー照射は無かった」というものです。 尹錫悦政権も文在寅政権と同じく、日本に謝罪しないばかりか、堂々と嘘をついているのです。

因みに、2018年12月20日に行なわれた「韓国の駆逐艦による海上自衛隊P1哨戒機に対する火器管制レーダー照射」は文在寅政権が取り決めた対日交戦規定に基づいたものである事を韓国大手右派マスメディア『中央日報』が2022年8月18日付けの日本語版記事「文政府「日本哨戒機に追跡レーダー照射しろ」…事実上の交戦指針(1)」(https://japanese.joins.com/JArticle/294476?sectcode=A10&servcode=A00)で報道しました。

● 韓国人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)の内の主なものの時間経過に伴う量的変化。
韓国人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)の内、「我々は日帝による被害者である」という思いの総量や「日本に対する怨念」の総量や「日本に対する敵対心」の総量や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量や「侮日の念」の総量の時間経過に伴う変化について述べましょう。 ここで、例えば、「侮日の念」の総量とは、個々の韓国人が持っている「侮日の念」の総和量の意です。

大韓民国の成立(1948年8月15日)の時点での「我々は日帝による被害者である」という思いの総量、同時点での「日本に対する怨念」の総量、同時点での「日本に対する敵対心」の総量、同時点での「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量、同時点での「侮日の念」の総量はそれぞれ少しずつの違いは有るでしょうが、ここでは簡単の為に此れらの総量を全て1とします。 時の経過に連れて、此れらの反日観念それぞれの総量は加速度的に又は指数関数的に増大し、韓国の民主化の実現(1987年6月)の直前の時点で、「我々は日帝による被害者である」という思いの総量は10くらいになり、「日本に対する怨念」の総量も10くらいになり、「日本に対する敵対心」の総量も10くらいになり、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量も10くらいになり、「侮日の念」の総量も10くらいになった、と思われます。 1987年6月に韓国の民主化が実現し、翌年の1988年にソウルオリンピックが行なわれました。 すると、韓国人の半数強が此れらの出来事で大きな自信を持って強気になりました。 そして、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、其れと同時に、韓国マスメディアが朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を度々取り上げるようになりました。 すると、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」が韓国人の間に広く浸透し、「我々は日帝による被害者である」という思いと「日本に対する怨念」と「日本に対する敵対心」とが急激に強まりました。 1997年のアジア通貨危機の中で、韓国も1997年11月に通貨危機に瀕しました。 此の韓国通貨危機に対して、アメリカ連邦政府は「韓国を IMF の管理下に置こう」と思って日韓通貨スワップを禁じましたが、日本政府は韓国を通貨危機から救おうと思い、日本のメガバンクをして韓国へ多額のUSドルを貸与させました。 しかし、それでも、韓国は通貨危機に陥り、韓国経済は破綻し、韓国は自らを IMF の管理下に置きました。 韓国の財閥企業は IMF の管理下で再生し、サムスン電子やLG電子やヒュンダイなどの製品の輸出がウォン安の流れに乗って激増し、韓国経済は7%強の年平均成長率を見せるようになり、韓国経済は順調に回復して行きました。 一方、1989年12月29日、此の年最後の取引日を迎えた東京証券取引所で日経平均株価が取引時間中に史上最高値(3万8957円)になりました。 しかし、翌1990年に入ると、日経平均株価は急降下を始め、其れを追うように地価が下がり、雇用が減るなど、1986年に始まった「日本のバブル景気」は1990年から萎縮の局面に入りました。 日本は1991年から長期の不景気に陥り、日本の名目GDP(円単位)は1992年から横這いを続けました。 日本の名目GDP(USドル換算値)は円高の進行で1995年まで増大しましたが、1996年から1998年にかけては円安の進行で日本の名目GDP(USドル換算値)は25%も減少しました。 すると、此の事を知った韓国人は「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを強く持つようになり、「侮日の念」を強く持つようになりました。 こうした事から、2000年頃に「我々は日帝による被害者である」という思いの総量は50くらいになり、「日本に対する怨念」の総量も50くらいになり、「日本に対する敵対心」の総量も50くらいになり、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量も50くらいになり、「侮日の念」の総量も50くらいになった、と思われます。 日本の名目GDP(USドル換算値)は1999年から2000年にかけて或る程度まで回復しましたが、2001年以降、日本の名目GDP(USドル換算値)は順調に増大していく気配を見せませんでした。 すると、其のような日本経済を見た反日韓国人は「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを一段と強く持つようになり、「侮日の念」を一段と強く持つようになりました。 2005年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から完全に駆逐し、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場からほとんど(全くと言って良いほど)駆逐し、韓国製の自動車が世界中で大量に走り回るようになり、韓国の造船業が大型船(大型タンカー、液化天然ガス運搬船、大型コンテナ船)の製造において日本の造船業を圧倒して世界一の市場占有率を誇るようになりました。 すると、韓国人の大多数が「韓国は日本に追い付いた」という妄想的自信を持つようになり、「日本は弱くなった。 日本なんて大した国じゃない」と更に一段と強く思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に一段と強く持つようになり、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量や「侮日の念」の総量が急激に増大して行きました。 そして、其れに連れて、「我々は日帝による被害者である」という思いの総量や「日本に対する怨念」の総量や「日本に対する敵対心」の総量も急激に増大していった、と思われます。 こうした事から、2005年頃に「我々は日帝による被害者である」という思いの総量は100くらいになり、「日本に対する怨念」の総量も100くらいになり、「日本に対する敵対心」の総量も100くらいになり、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量も100くらいになり、「侮日の念」の総量も100くらいになった、と思われます。 2005年頃以降、「我々は日帝による被害者である」という思いの総量や「日本に対する怨念」の総量はほとんど変わらなかった、と思われます。 リーマンショック(2008年9月)によって起きた世界金融危機の中で韓国は2008年10月に再び通貨危機に瀕しました。 其の影響で反日韓国人の「侮日の念」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いは大いに抑えられた、と思われます。 此の通貨危機に際して、韓国政府は日本政府やアメリカ連邦政府と通貨スワップ協定を結び、韓国は此の通貨危機を無事に乗り切りました。 そして、韓国の財閥企業は順調に大躍進して行く事になります。 2010年にはサムスン電子製のスマートフォン(Galaxy)が世界中で大量に使われるようになり、中国共産党の発表する中国のGDPが日本のGDPを追い抜きました。 2011年3月11日には東日本大震災が起き、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を馬鹿にして歓喜の声を上げました。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2011年3月12日付けの第1面トップに「日本沈没」という見出しを掲げたほどです。 2011年9月27日に韓国の全羅北道の全州で行なわれた「プロサッカーのアジア・チャンピオンズリーグ」の日韓戦では、韓国人観客が「日本の大地震をお祝います(原文のまま)」と書いた垂れ幕を掲げました。 東日本大震災が起きた事で韓国人の大多数が「日本は十分に弱くなったので、我々韓国人は日本を懲らしめることが出来る。 弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」と思うようになりました。 此のような状況の中で、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「2001年以降、名目GDP(USドル換算値)が順調に増大していく気配を見せない日本」と「2005年以降、日の出の勢いの中国」とを比べ、「日本は経済的にも政治的にも没落する国である」と思い、日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に一段と強く持つようになりました。 リーマンショック(2008年9月)によって起きた世界金融危機(2008年9月〜2010年)の中で2010年にユーロ危機が起きました。 韓国の李明博政権は韓国がユーロ危機の影響を強く受けることになるのではないかと恐れ、日韓通貨スワップ相互融通額の増大を日本の野田佳彦政権に強く要求しました。 野田佳彦政権は此の要求を受け入れ、2011年10月19日、CMI とは独立の(日本銀行と韓国銀行との間の)日韓通貨スワップ相互融通額については其れまでの「30億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換」の上に「270億USドル相当の日本円・韓国ウォン交換。期限は2012年10月31日まで」を加え、更に、CMI に基づく日韓通貨スワップ相互融通額については其れまでの「日本の財務省の100億USドルと韓国銀行の100億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2015年2月23日まで」の上に「日本の財務省の300億USドルと韓国銀行の300億USドル相当韓国ウォンとの交換。期限は2012年10月31日まで」を加え、総額700億USドル相当の日韓通貨スワップ協定を韓国政府との間で締結して韓国を支援しました。 此れにより韓国は通貨危機に陥らずに済みました。 そして、韓国の財閥企業は順調に大躍進して行く事になります。 2011年12月には極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が2011年8月30日の韓国憲法裁判所の判決を受けてソウルの日本大使館の前に慰安婦少女像を設置し、此の慰安婦少女像の傍で毎週水曜日に「水曜集会」を開くようになりました。 野田佳彦首相と李明博大統領とが2011年12月に京都で日韓首脳会談を行ない、此の首脳会談で李明博大統領は「日本軍用慰安婦被害者に賠償しろ」と言い出しました。 そして、2012年頃に右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなりました。 2012年5月24日、日本の最高裁判所に相当する韓国大法院が「反日法」の第11条に基づいて「日帝の反人道的不法行為に対する「韓国人の日本に対する個人請求権」は依然として有効である」との判決を下しました。 2012年8月10日、李明博大統領が竹島に上陸しました。 此れらの事が生じた「2011年〜2012年」頃において、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを更に更に更に一段と強く持つようになり、「侮日の念」を更に更に更に一段と強く持つようになりました。 こうした事から、「2011年〜2012年」頃において「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量は200くらいになり、「侮日の念」の総量も200くらいになり、其れらに伴って「日本に対する敵対心」の総量も200くらいになった、と思われます。「2011年〜2012年」頃における「我々は日帝による被害者である」という思いの総量や「日本に対する怨念」の総量は2005年頃とほとんど変わらずにそれぞれ100くらいであった、と思われます。 2014年中頃から韓国マスメディアは「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」をほとんど毎日のように発表して来ました。 そして、更に、2014年12月、現代経済研究院(韓国の民間研究機関)が「2016年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜く」と発表しました。 すると、其の記事を読んだ韓国人の大多数は「韓国は全ての経済分野で近いうちに日本を追い抜く。 日本なんて大した国じゃない」と思って大喜びしました。 こうして、2016年頃に右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、更に「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という妄想を持つようになり、日本を恐れながらも虚勢を張って、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持つようになり、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を持つようになりました。 こうした事から、2016年頃に「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量は400くらいになり、「侮日の念」の総量も400くらいになり、其れらに伴って「日本に対する敵対心」の総量も400くらいになった、と思われます。 そして其れ以降、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量や「侮日の念」の総量や「日本に対する敵対心」の総量はほとんど変わらず、2020年の時点では「我々は日帝による被害者である」という思いの総量は100くらいであり、「日本に対する怨念」の総量も100くらいであり、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量は400くらいであり、「侮日の念」の総量も400くらいであり、「日本に対する敵対心」の総量も400くらいである、と思われます。 以上のように、2016年頃に「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量や「侮日の念」の総量や「日本に対する敵対心」の総量が「我々は日帝による被害者である」という思いの総量や「日本に対する怨念」の総量より極めて大きくなり、個々の韓国人が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを単なる強がりと言えないほどに極めて強く持つようになり、且つ、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、且つ、「日本に対する敵対心」を極めて強く持つようになった、と思われます。 2011年以降、韓国人の様々な反日観念の中で「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本に対する敵対心」とがとても大きな割合を占めるようになったのです。

韓国人に見られるような「強がり」は本質的に精神の弱い人間が持つ最大の特徴です。

● 中央日報が2020年7月6日に報じた記事「<韓国人アイデンティティ調査>中国・アメリカ・日本への敵対感大きくなった」によれば、韓国人の71.9%は日本に敵意を持っている。

韓国政府と北朝鮮政府とが1992年から行なっている「日本海」表記批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)や、極左団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が1992年から行なっている「ソウルの日本大使館の前での水曜集会」や、左派韓国人が2011年から行なっている「旭日旗」批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)などを見れば分かるように、韓国人の反日観念として「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」などがあります。 そして、右派韓国人の右寄り80%ほどや左派韓国人(奴婢の子孫)の大多数は「過去を反省しない日本こそ韓国の主敵である。 今や、韓国の主敵は日本である」と思っているようです。 韓国の東アジア研究院と成均館大学と中央日報とが共同して実施した「2020年韓国人のアイデンティティ」調査の結果を中央日報が報じた2020年7月6日付けの日本語版記事「<韓国人アイデンティティ調査>中国・アメリカ・日本への敵対感大きくなった」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/267762?sectcode=400&servcode=400)によれば、韓国人の71.9%は日本に敵意を持っています。

因みに、韓国に潜入している北朝鮮工作員が「ソウルの日本大使館の前での水曜集会」だけでなく、「日本海」表記批反や「旭日旗」批反をも煽っている、と思われます。 韓国人の此れらの反日活動や、韓国人が2019年7月に始めた「日本製品不買運動」や「日本製品を売らない運動」や「日本旅行に行かない運動」は、小さくて弱い犬が大きくて強い犬に虚勢を張って「ワンワン、キャンキャン」と吠え立てているような観が有ります。

● 韓国人学者が主張する「日本文化の韓国起源説(日本文化の韓国発祥説)」。
韓国経済が大成長・大発展するに連れて、韓国人学者(主として大学教授)が盛んに「日本文化の起源やシナ文化の起源は韓国(South Korea)にある」と主張し、其の主張を韓国マスメディアが盛んに報道して来ました。 日本文化に関しては「日本人、日本国、日本語、八百万の神、天皇、神道、神社、勾玉、万葉仮名、片仮名、平仮名、君が代、日本の祭り、神輿、武士道、侍、忍者、日本刀、相撲、剣道、柔道、合気道、空手、日本庭園、錦鯉、日本建築、茶道、華道、和歌、俳句、浮世絵、和服、歌舞伎、演歌、芸者、扇子、折り紙、お花見、桜(ソメイヨシノ)、ツツジ、盆栽、秋田犬、和牛、鮨(寿司)、刺身、海苔巻き、うどん、天ぷら、日本酒、抹茶、納豆、豆腐、醤油、味噌、味噌汁、沢庵漬け、などの起源は韓国にある。 天照大神、須佐之男命、日本武尊、卑弥呼は韓国人である」と主張しています。 シナ文化に関しては「黄河文明、中国人、易学、漢字、印刷技術、漢方薬、鍼灸、囲碁、西遊記、などの起源は韓国にある。 孔子、老子、始皇帝は韓国人である。 韓国の歴史五千年はシナの歴史四千年よりも長く、世界最古である。 イエス・キリスト、仏陀、ムハンマドは韓国人である」と主張しています。 。 韓国起源説を主張する韓国人学者は近い内に「イギリス人の起源は韓国にある」とか「フランス人の起源は韓国にある」とか「ドイツ人の起源は韓国にある」とか「イタリア人の起源は韓国にある」とか言い出すかも知れません。 既に、韓国起源説を主張する韓国人学者は「人類の文明の起源は韓国にある」と言い出した、と言われています。 此れが事実だとすれば、此れは「既に、韓国起源説を主張する韓国人学者は「イギリス人の起源も、フランス人の起源も、ドイツ人の起源も、イタリア人の起源も、韓国にある」と言い出した」という事を意味します。

日本では韓国起源説を「ウリジナル」と呼んでいます。 此の言葉は「我々」を意味する朝鮮語「ウリ」と英単語「original」の日本語表記「オリジナル」とを合わせたものです。

動画「【おもしろ韓国】もはやギャグ!壮大な韓国起源説を抜粋。宇宙も造った神の末裔。」(https://www.youtube.com/watch?v=KA8zYh2hwG4)をご覧になってください。

動画「韓国人「日本刀は韓国のものです」日本刀は韓国が起源と信じる韓国人にアメリカ人が強烈なツッコミを入れた結果」(https://www.youtube.com/watch?v=vFEr1gP_hfY)をご覧になってください。

日本文化の韓国起源説は韓国人学者(主として大学教授)によって為されます。日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者は日本に集って「日本やシナの文化は元々は自分たちのものだ」と主張しているのです。 考古学的に証明できる朝鮮最初の国「衛氏朝鮮」(紀元前195年頃〜紀元前108年)が紀元前195年頃に成立したと同時に前漢王朝の従属国になって以降、朝鮮が他国に誇れるものは「高麗青磁」という工芸品だけでした。 此の事を知っている韓国人学者は「自国の歴史を捏造してでも「自分たちの祖先が如何に誇らしい文化を持っていたか、そして、自分たちが如何に誇らしい民族であるか」を自国民に示すだけでなく、世界中の人々に示したい」という妄想的願望を持っているのです。 彼ら韓国人学者の此のような思考様式の根底には「格差原理思想」(「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という思い)と「朱子学流小中華思想」(「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という妄想)とがあるのです。 彼ら韓国人学者は神道、神社、勾玉、万葉仮名、片仮名、平仮名、君が代、日本の祭り、神輿、武士道、侍、忍者、日本刀、相撲、剣道、柔道、合気道、空手、日本庭園、錦鯉、日本建築、茶道、華道、和歌、俳句、浮世絵、和服、歌舞伎、演歌、芸者、扇子、折り紙、お花見、桜(ソメイヨシノ)、ツツジ、盆栽、秋田犬、和牛、鮨(寿司)、刺身、海苔巻き、うどん、天ぷら、日本酒、抹茶、納豆、豆腐、醤油、味噌、味噌汁、沢庵漬け、などは日本の高級な文化の構成要素である事を知っています。 そして、彼ら韓国人学者は朝鮮が他国に誇れるものは「高麗青磁」という工芸品だけだった事も知っています。 もし彼ら韓国人学者が此のような事を受け入れてしまったら、彼ら韓国人学者にとって、日本の文化は韓国の文化より圧倒的に格上である事になり、日本国自体が韓国より圧倒的に格上である事になり、韓国は日本より圧倒的に格下である事になります。 ですが、其のようなことは彼ら韓国人学者には絶対に受け入れられない事です。 なぜなら、「格差原理思想」と「朱子学流小中華思想」とが彼ら韓国人学者の骨の髄にまで染み込んでいるからです。 其のような彼ら韓国人学者にとって「韓国は日本より圧倒的に格下である」と認める事は「韓国が日本に服従しなければならない」という事を意味します。 言うまでもなく、「韓国が日本に服従しなければならない」という事は彼ら韓国人学者には絶対に受け入れられない事です。 そこで彼ら韓国人学者は「神道、神社、勾玉、万葉仮名、片仮名、平仮名、君が代、日本の祭り、神輿、武士道、侍、忍者、日本刀、相撲、剣道、柔道、合気道、空手、日本庭園、錦鯉、日本建築、茶道、華道、和歌、俳句、浮世絵、和服、歌舞伎、演歌、芸者、扇子、折り紙、お花見、桜(ソメイヨシノ)、ツツジ、盆栽、秋田犬、和牛、鮨(寿司)、刺身、海苔巻き、うどん、天ぷら、日本酒、抹茶、納豆、豆腐、醤油、味噌、味噌汁、沢庵漬け、などの起源は韓国(South Korea)にある」と主張する事で「日本に対する韓国の格上性(優位性)」を主張するのです。 しかし、彼ら韓国人学者は其れだけでは満足できずに「日本人、日本国、日本語、八百万の神、天皇の起源も韓国(South Korea)にある」と主張し、更に、「天照大神、須佐之男命、日本武尊、卑弥呼は韓国人である」と主張するのです。 しかし、それでも彼ら韓国人学者は満足できずに「黄河文明、中国人、易学、漢字、印刷技術、漢方薬、鍼灸、囲碁、西遊記、などの起源は韓国にある。 孔子、老子、始皇帝は韓国人である」と主張するのです。 しかし、それでも彼ら韓国人学者は満足できずに「イエス・キリスト、仏陀、ムハンマドは韓国人である」と主張するのです。

上記のように、シナ文化の韓国起源説よりも日本文化の韓国起源説の方が圧倒的に多い理由として、韓国では義務教育段階から「日本は島国で、昔の日本民族は野蛮で未開で劣等だったのだから、昔の日本に文化と言えるようなものは無かった。 日本文化の全ては韓国(South Korea)が日本に教えてやったものだ」という「日本を格下と見て日本を馬鹿にする考え」で学校教育が行なわれている事、並びに、2005年頃に韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった事、並びに、日本政府が1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させて以来、朝鮮人が「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とを持ち続けた事、並びに、1998年に韓国で日本文化が解禁され、韓国で日本文化の優秀性と日本文化の先進性とが広く知られるようになるに連れて、韓国一般庶民が「日本文化に対する巨大な劣等感」を持つようになった事の4つを挙げることが出来るでしょう。 ここでは「日本文化に対する巨大な劣等感」を「日本に対する巨大な劣等感」の中に含めます。 韓国人が持っている「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とは純正日本人には理解できないほどに強いものです。 日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者は「現代版小中華思想」に基づいて「日本は島国で、昔の日本民族は野蛮で未開で劣等だったのだから、昔の日本に文化と言えるようなものは無かった。 百歩譲って、もし昔の日本に文化と言えるようなものが有ったとしても、其れは遥か遠い昔に韓国(South Korea)が日本に教えてやったものだ。 だから、日本文化の全ては韓国起源だ」とか「遠い昔の日本は文字も無く、稲作技術も無い未開の地であった。 遠い昔、韓国(South Korea)から日本に渡った韓国人が文字や稲作技術などを日本に伝えた。 そして、其れが日本の国家の起源となった」と主張し、其の主張を論文として発表しています。 日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者を初めとして、日本文化の韓国起源説に賛同する韓国人は「世界中で高く評価されている日本文化の全ての起源は韓国にある」と考え、「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とに突き動かされて「日本に対する韓国の格上性(優位性)」を主張し、其のように主張することで「日本に対する巨大な劣等感」を克服しようとし、「日本に対する巨大な劣等感」で萎(な)えそうになる自分の気持ちを支える為に、「日本に対する妄想的自信」と「日本に対する妄想的優越感」とを持とうとするのです。 日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者を初めとして、日本文化の韓国起源説に賛同する韓国人が「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とに突き動かされて「日本に対する韓国の格上性(優位性)」を主張することは精神安定剤の服用効果と似たような効果を有しているのです。 ですが、彼ら韓国人は「日本に対する巨大な劣等感」をなかなか克服できないのです。 そこで、日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者は日本文化の韓国起源説を次から次へと追加するのでしょう。 此のように、彼ら韓国人は妄想(妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、妄想的自信)の世界に生きているのです。 彼ら韓国人は純正日本人には理解できないほどの「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とを持っているのです。 そして、日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者は、日本文化の韓国起源説を主張する事が「日本に対する巨大な劣等感」の表出になっている事に気付かないのです。 日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者の知性(知的認識力)は其の程度なのです。 韓国の著名な文化人(作家など)までもが日本文化の韓国起源説に賛同しています。 日本文化の韓国起源説に賛同する韓国文化人の知性(知的認識力)は相当に低い、と言って良いでしょう。 右派韓国人の右寄り80%ほどは日本文化の韓国起源説に賛同している、と思われます。 そして、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ても日本文化の韓国起源説に賛同している、と思われます。 また、韓国起源説は韓国の学校の授業や韓国マスメディアによって広められます。 韓国では義務教育段階から学校の授業で「日本文化の全ては韓国起源だ。 日本の文化の全ては韓国の文化をパクったものだ」と教えられています。 そして、其のような授業を受けた韓国人生徒のほとんど全ては其の授業内容を真に受けて信じ込みます。 たとえ学校の授業で其のように教えられても、其のように教えられた生徒の1、2割は其のような授業内容に疑問を持っても良さそうなものですが、韓国の学校で其のように教えられた韓国人生徒のほとんど全ては其の授業内容を真に受けて信じてしまうのです。 韓国の学校の授業で日本文化の韓国起源説を教えられて信じ込んだ韓国人はインターネット上に「日本文化の全ては韓国起源だ」とか「日本の文化の全ては韓国の文化をパクったものだ」とか書き込んでホルホルしています。 韓国一般庶民はそうでもしないと、気持ちが収まらないのでしょう。 此のような韓国人の行動様式・思考様式の根底には「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とがあるのです。 其れほどにまで韓国人は「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とに取り憑かれているのです。

動画「韓国「【海外の反応】「あの国だけは行きたくない!」日本をバカにする韓国人がフランス人に誘われ仕方なく日本旅行に行った結果…」(https://www.youtube.com/watch?v=UX496tjhLw8)をご覧になってください。 純正日本人の方々が此の動画をご覧になれば、純正日本人の方々には「韓国の学校で日本文化の韓国起源説教育が如何に徹底的に行なわれているか」を理解して頂けるでしょう。

日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者と日本文化の韓国起源説に賛同する韓国人とが持っている「日本文化の韓国起源説願望」は韓国人の大多数が遺伝子レベルで身に着けている3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)の内の主に「嘘つき根性」と「集り根性」と、日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者の骨の髄にまで染み込んでいる「格差原理思想」と「朱子学流小中華思想」と、彼ら韓国人が持っている「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とが互いに結合して生まれたものである、と思われます。 尤も、此の説明だけでは、韓国人の「日本文化の韓国起源説願望」を構造的に十分には説明できていないとは思いますが。 とにかく、韓国人は他国の優れた文化の起源は自国にあると言わないでは、気持ちが収まらないのです。

次に韓国起源説についてのウィキペディアの解説の一部分を載せておきます。
近代に至り、朝鮮の宗主国である清は日清戦争で日本に負けた。 すると、現実面で「小中華思想は正しい」とは言えなくなった。 小中華思想の上では劣等でなければならない日本によって朝鮮が併合・近代化され、日本文化が朝鮮に大量に流入すると、日本に対する劣等感や反日感情が広まった。 大韓民国(韓国)は第2次世界大戦後の1948年に成立した。 しかし、韓国は国民国家としての成立と他国による認知とに必要な「民族の歴史と文化とに基づくアイデンティティー」が不足していた。 そこで、韓国人は、世界的に認知度の高い日本文化や中国文化などを韓国起源だと主張する事で、アイデンティティーの樹立、国民国家としての成立、他国による認知、自国を併合した日本や長年宗主国として君臨してきた中国に対する劣等感の克服、などを同時に且つ容易に成し遂げようとしている、と考えられる。
また、此のような小中華思想に儒教思想や民族主義が加わる事で「優等な長男の中国、次男の韓国、劣等な三男の日本」「優等な母なる韓国と劣等な捨て子の日本」という認識が発生し、更に「先進的で文化的で優秀な韓国が、未開で野蛮で劣等な日本に先進的な文明を授けてやった」「日本は韓国の優れた文化を受け入れただけの文化劣等国である」「有史以来、日本は一段格下の文化劣等者である」「百済人が日本を建国した」「日本文化の全ての源流は韓国にある」という歴史観が韓国内に広く浸透し、日本文化の韓国起源説の温床になっている。

韓国人は度々「桜の起源は韓国にある」と言いますが、桜の起源が韓国にあろうと、シナにあろうと、東南アジアにあろうと、アフリカにあろうと、純正日本人はそんな事を気にせずに桜の花を愛します。 一方、韓国人は日本人へ向かって「桜の起源は韓国にある。 どうだ、参ったか」とか言って得意がります。 純正日本人の感性と韓国人の感性との違いは色々ありますが、純正日本人の桜の花を好む感性と、韓国人の「桜の起源は韓国にある」と言って得意がる感性との違いは、純正日本人の感性と韓国人の感性との違いを代表している、と言えるでしょう。

韓国人の妄想的歴史観や、韓国人の主張する韓国起源説について解説した動画「韓国「どうだ!コリアン文明はスゴイだろ?世界五大文明ニダ!」→ え。なにそれ…。初耳ですけど…」(https://www.youtube.com/watch?v=xOfNc03X31g)をご覧になってください。

● 韓国起源説の主張や「旭日旗」批反で有名な徐敬徳(ソ・ギョンドク)。
徐敬徳(ソ・ギョンドク)は韓国の誠信女子大学の客員教授であり、韓国左派政治指導者であり、多くの韓国起源説を主張している事で有名です。 また、徐敬徳は「旭日旗」批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)でも有名です。 徐敬徳は韓国政府から公金を活動資金として与えられています。 徐敬徳は奴婢の子孫であり、且つ、北朝鮮政府の指揮下に在る、と思われます。 此の大学教授は「旭日旗はナチス・ドイツの鉤十字旗(ハーケンクロイツ旗)と同じく戦犯旗だから、旭日模様を使ってはいけない」と主張する電子メールを世界中に送り付け、「旭日旗」批反で韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)を煽動しています。 韓国左派政治指導者は「日帝は第2次世界大戦の戦犯国である」と主張しています。 ですから、韓国左派政治指導者にとっては “ 戦犯国:日本 ” の国旗「日章旗」こそが戦犯旗であるはずなのに、韓国左派政治指導者は「日章旗は戦犯旗である」とは言いません。 おかしな話です。 日本を非難する為の言葉としては「旭日旗は戦犯旗である」と言うより「日章旗は戦犯旗である」と言った方が適切でしょう。 ですから、「日章旗は戦犯旗である」と世界中に言い触らす事を徐敬徳を初めとする韓国左派政治指導者に強くお勧めします。 韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の皆さん、「日章旗こそナチス・ドイツの鉤十字旗と同じく戦犯旗だ。 日本は日章旗を使うべきではない」と主張しましょう。

      徐敬徳(ソ・ギョンドク)              徐敬徳&文在寅
    

● 韓国の反日宣伝工作活動組織「VANK」。
VANK(Voluntary Agency Network of Korea)とは、朴起台(パク・キテ)という極右派韓国人活動家が反日宣伝工作活動を行なう目的で1999年1月1日に設立した極右団体であり、韓国内では「サイバー外交使節団」と呼ばれています。 VANK の団員数は10万人〜15万人であり、其の会員の大多数は中学生や高校生である、と言われています。 VANK は2005年からインターネットを使って、ディスカウントジャパン運動(日本に対する誹謗・中傷・悪口を世界中に発信し、日本に対する国際的評価を下げ、日本の地位を失墜させようとする運動)を展開し、徐敬徳(ソ・ギョンドク)と同様に「旭日旗はナチス・ドイツの鉤十字旗(ハーケンクロイツ旗)と同じく戦犯旗だから、旭日模様を使ってはいけない」と主張する電子メールを世界中に送り付け、彼ら反日韓国人の考える「日本の本当の姿」を世界中に知らせる為に反日宣伝工作活動を行なっています。 更に、朴起台(パク・キテ)は配下の会員を総動員して攻撃対象のインターネットサイトに大量の電子メールを送り付け、攻撃対象のインターネットサイトのサーバーに大きな負担を掛けるなどのサイバー攻撃をも仕掛けます。 VANK は「民間外交使節団」を名乗っていますが、VANK は韓国政府から公金を活動資金として与えられています。 ですから、VANK は韓国政府に支援された反日宣伝工作活動組織です。

因みに、2019年の時点で VANK や徐敬徳(ソ・ギョンドク)だけでなく、反日韓国人の大多数が旭日旗を非難するだけでなく、放射状の建造物や放射状の図柄を、たとえ其れが紅白でなくても、旭日模様と見て抗議・非難しています。 何とお粗末な感性・知性・理性でしょうか。

       VANK が貼り出したポスター       VANK の団長:朴起台(パク・キテ)
    

動画「【OINK】旭日旗にまつわる一方的な言いがかりと、なんでも旭日に見えちゃう病状をまとめてみました。」(https://www.youtube.com/watch?v=zfxtWJ5UHiM)をご覧になってください。

● 朝日新聞社の社旗が赤と白との旭日模様であるにもかかわらず、徐敬徳(ソ・ギョンドク)という左派韓国人活動家も、反日宣伝工作活動組織「VANK」の長:朴起台(パク・キテ)という極右派韓国人活動家も、そして、此れら2人の人物に指導されている韓国一般庶民も、朝日新聞社の社旗については何の抗議も何の非難もしない。

「韓国は日本に対抗できるだけの必要十分な国力を身に着けた」と思うようになった反日韓国人は2011年から「旭日旗」批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)を行なうようになり、徐敬徳(ソ・ギョンドク)という左派韓国人活動家や反日宣伝工作活動組織「VANK」は「旭日旗はナチス・ドイツの鉤十字旗と同じく戦犯旗だから、旭日模様を使ってはいけない」と主張する電子メールを世界中に送り付け、「旭日旗」批反で韓国一般庶民を煽動するようになりました。 そして、徐敬徳(ソ・ギョンドク)という左派韓国人活動家に指導されている韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)も、反日宣伝工作活動組織「VANK」の長:朴起台(パク・キテ)という極右派韓国人活動家に指導されている韓国右派一般庶民も、世界中の旭日模様に対して「其の模様は旭日旗と同様だから、使うべきでない」と激しく且つしつこく抗議・非難しています。 しかしながら、朝日新聞社の社旗が赤と白との旭日模様であるにもかかわらず、徐敬徳(ソ・ギョンドク)も、朴起台(パク・キテ)も、そして、此れら2人の人物に指導されている韓国一般庶民も、朝日新聞社の社旗については何の抗議も何の非難もしません。 徐敬徳(ソ・ギョンドク)も、朴起台(パク・キテ)も、朝日新聞社の社旗が赤と白との旭日模様である事を知らない筈(はず)が有りません。 徐敬徳(ソ・ギョンドク)も、朴起台(パク・キテ)も、朝日新聞社の社旗が赤と白との旭日模様である事を韓国一般庶民に意図的に隠しているのです。 韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の皆さん、並びに、VANK の会員の皆さん、朝日新聞社に対して「旭日模様を社旗に使うべきではない」と抗議しましょう。

韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は徐敬徳(ソ・ギョンドク)の反日煽動に容易に乗ってしまいます。 また、「両班」階級出身者と思われる韓国右派一般庶民の大多数や、「常民」階級出身者と思われる韓国右派一般庶民の大多数は、朴起台(パク・キテ)の反日活動に賛同している、と思われます。

● 韓国人は全般的に世界各国の格付け・順位付け報道の中で示される日本の順位と韓国の順位とに異様に強い競争心と異様に強い対抗心とを持っており、「韓国は日本に勝った、負けた」と、韓国と日本とを比較しないでは居られない。 韓国人は全般的に「韓国と日本は互いのライバルだ」と思っている。

韓国人の心や頭の中では全般的に、「格上である」は「優位にある」と同義であり、「格下である」は「劣位にある」と同義であり、韓国人は「格上、格下」という事に異様にこだわります。 韓国人は先進国の大手調査会社や研究機関が発表する様々な格付けが大好きで、其の中で発表される日本の順位と韓国の順位とに病的にこだわります。 韓国マスメディアは先進国の大手調査会社や研究機関が発表する様々な格付けを引用し、「「世界中で評判の良い国」調査で韓国は31位、日本は?」とか「国家競争力ランキングで韓国は15位、日本は?」とか「日本が「世界最高の国」ランキングで1ランクダウン、韓国は20位」とかいう記事をほとんど毎週のように発表します。 そして、韓国人は其のような記事を読んで日本の順位と韓国の順位とに一喜一憂します。 韓国人はスタンダード&プアーズ(S & P)、ムーディーズ(Moody's)、フィッチ(Fitch)、などの信用格付け会社が発表する国別信用格付けを見て「我が国の信用格付けは日本の信用格付けより2段階高い」と言ってホルホルしています。 また、例えば、韓国マスメディアはMERS(2012年にサウジアラビアで発生して世界中に広まり、韓国では2015年に流行した新型肺炎)や、武漢肺炎(2019年12月に中国の武漢で発生して世界中に広まった新型肺炎)に関しても、韓国の感染確定者数と日本の感染確定者数とを比較し、「韓国の感染確定者数は日本の感染確定者数よりも多いので、韓国は日本に負けた」とか「韓国の感染確定者数は日本の感染確定者数よりも少ないので、韓国は日本に勝った」とかいう意味の記事を発表します。 韓国人は全般的に世界各国の格付け・順位付け報道の中で示される日本の順位と韓国の順位とに異様に強い競争心と異様に強い対抗心とを持っており、「韓国は日本に勝った、負けた」と、韓国と日本とを比較しないでは居られないのです。 韓国人は全般的に「韓国と日本は互いのライバルだ」と思っているのです。

反日韓国人は、韓国が経済面で日本に勝つ事、並びに、韓国が文化面で日本を圧倒する事を願って止みません。 反日韓国人にとって「韓国が経済面で日本に勝つ」という事は「1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)や1人当たりの名目GDP(USドル換算値)で韓国が日本を大きく引き離す」という事です。 そして、反日韓国人は「韓国が経済面で日本に勝てば、韓国は世界中で日本より賞賛・尊敬される。 是が非でも、世界中で日本より賞賛・尊敬されたい」と思っているのです。 反日韓国人にとって「韓国が文化面で日本を圧倒する」という事は「韓国がスポーツの競技会で不正をしてでも日本に勝ち、且つ、非スポーツの競技会で不正をしてでも日本に勝ち、且つ、全ての文化面で不正をしてでも韓国の文化が世界中で日本の文化より高く評価される」という事です。 そして、反日韓国人は「韓国が文化面で日本を圧倒すれば、韓国は世界中で日本より賞賛・尊敬される。 是が非でも、世界中で日本より賞賛・尊敬されたい」と思っているのです。 韓国が経済面で日本に勝ち、且つ、韓国が文化面で日本を圧倒し、其の結果として、韓国が世界中で日本より賞賛・尊敬されるようになることが彼ら反日韓国人の最高価値なのです。 彼ら反日韓国人は「是が非でも、世界中で日本より賞賛・尊敬されたい」と心の底から願っているのです。 反日韓国人は異様に強い “ 承認されたい ” 欲求を持っているのです。 そして、此のような反日韓国人が韓国人の75%ほどを占めているのです。

「韓国人は全般的に世界各国の格付け・順位付け報道の中で示される日本の順位と韓国の順位とに異様に強い競争心と異様に強い対抗心とを持っており、「韓国は日本に勝った、負けた」と、韓国と日本とを比較しないでは居られない。 韓国人は全般的に「韓国と日本は互いのライバルだ」と思っている」という現象は、韓国人が持っている「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いと「日本に対する巨大な劣等感」とに基づいている、と思われます。

● 左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本に関して持っている願望の中で最も大きなもの。
韓国では1987年に「民主化宣言」が発表されて以降、「韓国と北朝鮮とが互いに力を合わせれば、我々は日本に勝てる」という内容の小説や漫画が相次いで出版されて圧倒的な人気を得て来ました。 其れらの作品の中で最も有名で代表的なものは1993年に出版された『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』という小説です。 此の小説の粗筋(あらすじ)は「韓国と北朝鮮とが共同して核ミサイルを開発した。 そして、韓国と北朝鮮は其の核ミサイルを日本へ向けて配備し、南北共同軍を組織した。 南北共同軍が対馬に侵攻して対馬を占領し、次いで、南北共同軍が九州に侵攻して九州を占領した。 日本の自衛隊は南北共同軍に抗戦する意欲を無くし、日本は韓国と北朝鮮とに降伏して許しを請うた。 そして、韓国と北朝鮮とが共同開発した核ミサイルの1つが日本の無人島に打ち込まれた」というものです。 此の小説は1年間で100万冊も売れるベストセラーになり、今までに450万冊も売れた、と言われています。 そして、此の小説は1995年に映画化されて大ヒットしました。 そして、此の映画を見た韓国人のほとんど全てが溜飲の下がる思いを持った、と言われています。

左派韓国人(奴婢の子孫)は「自国の歴史を捏造してでも被害者振って国際社会で同情を勝ち取り、日本を激しくバッシング(bashing)する事で日本に対する国際的評価を下げ、日本に対する国際的評価を下げる事で日本に謝罪させ、日本に謝罪させる事で韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示し、韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示す事で日本を屈服させよう」と思っています。 北朝鮮が核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルを完成したと思われる2018年の時点で、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本に関して持っている願望の中で最も大きなものは「中国様のご威光の下で我々はいつの日か韓米軍事同盟を解消し、中国と軍事同盟を結び、北朝鮮政府の主導で南北朝鮮を統一して大朝鮮国を作り、北朝鮮製の核ミサイルで核武装し、其の核ミサイルを日本へ向けて配備して大朝鮮国を強力な核武装国家にし、大朝鮮国を経済分野においても文化分野においても科学分野においても軍事分野においても日本を遥かに凌ぐ大国に成長させ、大朝鮮国が全ての面で日本より優位にあり、且つ、大朝鮮国が日本より数段格上である事を世界中の人々に認めさせる事で心の底から日本を見下し、最終的には日本を植民地支配して日本の富の全てを奪い取りたい」という思いである、と思われます。「いくら何でも、そんな事はないだろう」と思う純正日本人が沢山いるでしょうが、其れほどにまで左派韓国人(奴婢の子孫)の反日妄想的願望は大きいのです。

● 右派韓国人の右寄り80%ほどが日本に関して持っている願望の中で最も大きなもの。
右派韓国人の右寄り80%ほどの「日本罵り」や「日本非難」は左派韓国人(奴婢の子孫)の「日本罵り」や「日本非難」ほど激しくありません。 ですが、右派韓国人の右寄り80%ほどは左派韓国人(奴婢の子孫)と同様に「自国の歴史を捏造してでも被害者振って国際社会で同情を勝ち取り、日本を激しくバッシング(bashing)する事で日本に対する国際的評価を下げ、日本に対する国際的評価を下げる事で日本に謝罪させ、日本に謝罪させる事で韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示し、韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示す事で日本を屈服させよう」と思っています。 右派韓国人の右寄り80%ほどが日本に関して持っている願望の中で最も大きなものは、左派韓国人(奴婢の子孫)の全てが日本に関して持っている願望の中で最も大きなものとほぼ同じ「我々はいつの日か南北朝鮮を統一して大朝鮮国を作り、大朝鮮国の経済力と技術力とを飛躍的に高め、其の経済力と技術力とで北朝鮮製の核ミサイルを改良・高性能化して大朝鮮国を強力な核武装国家にし、大朝鮮国を経済分野においても文化分野においても科学分野においても軍事分野においても日本を遥かに凌ぐ大国に成長させ、大朝鮮国が全ての面で日本より優位にあり、且つ、大朝鮮国が日本より数段格上である事を世界中の人々に認めさせる事で心の底から日本を見下し、最終的には日本を植民地支配して日本の富の全てを奪い取りたい 」という思いである、と思われます。

韓国人は全般的に程度の差こそあれ、「日本が経済的に落ちぶれることで韓国が全ての面で日本より優位に立つ」という事を願い、「日本を激しく非難したい」と思い、「日本を恥さらしにしたい」と思っています。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本が経済的に落ちぶれた暁(あかつき)には、哀れな日本が「韓国様、お助けください」と言って来るのを見たい」と思っているのです。 其れでいて、彼ら反日韓国人は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っているのです。

● 「両班」出身の政治指導者が持っていると思われる妄想的未来予想願望。
「両班」出身の政治指導者は「我々はいつの日か韓米軍事同盟を解消し、中国と軍事同盟を結び、南北朝鮮を統一して大朝鮮国を作り、大朝鮮国の経済力と技術力とを飛躍的に高め、其の経済力と技術力とで北朝鮮製の核ミサイルを改良・高性能化して大朝鮮国を強力な核武装国家にし、大朝鮮国を経済分野においても文化分野においても科学分野においても軍事分野においても日本を遥かに凌ぐ大国に成長させ、大朝鮮国が全ての面で日本より優位にあり、且つ、大朝鮮国が日本より数段格上である事を世界中の人々に認めさせる事で心の底から日本を見下し、最終的には日本を植民地支配して日本の富の全てを奪い取りたい。 中国が世界一の経済文化軍事大国になって世界一の覇権国家としての地位を確立した暁には、大朝鮮国は朱子学流情治民主主義国家として中国の第一子分になり、我々が中国共産党に次いで世界ナンバー2の地位に就く」という妄想的未来予想願望を持っているのではないか、と思われます。 因みに、宗教団体「統一教会」(現在の新名称は「世界平和統一家庭連合」、教祖は文鮮明)の幹部たちは此の妄想的未来予想願望を強く持っているのではないか、と思われます。

● 日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らす韓国人の大多数は左派韓国人(奴婢の子孫)である。

韓国人は全般的に程度の差こそあれ、日本に対する国際的評価を下げる為に「日本は悪事を悔い改めようとしない」とか「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」とか「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」とかいうイメージを世界中の人々に植え付けようとします。 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とに凝り固まり、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らして来ました。 一方、右派韓国人の右寄り80%ほども「我々は日帝による被害者である」という思いと「現代版小中華思想」と「侮日の念」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とを持ち、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難して来ましたが、右派韓国人の右寄り80%ほどの「日本に対する嘘だらけの悪口」や「日本に対する非難」は左派韓国人(奴婢の子孫)の「日本に対する嘘だらけの悪口」や「日本に対する非難」ほど激しくありません。 ですから、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を非常に激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らす韓国人のほとんど全ては左派韓国人(奴婢の子孫)である、と見なして良いでしょう。 彼ら左派韓国人(奴婢の子孫)は北朝鮮政府の指揮下に在る、と思われます。

● 左派韓国人(奴婢の子孫)が日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らす理由。
なぜ左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らすのでしょうか。 左派韓国人(奴婢の子孫)が日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らす理由は色々あるでしょうが、其れらの理由の中で1番目に大きなものは何でしょうか。

左派韓国人(奴婢の子孫)が日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らす理由の中で1番目に大きなものは、「我々韓国人は外国を侵略した事が無い平和の民だ。 だから、現代の国際社会で大きな勢力を持っている人権派に「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」を訴えかければ、人権派の人々は我々韓国人の味方になってくれるはずだ。 彼ら人権派の人々を味方に付け、自国の歴史を捏造してでも被害者振って国際社会で同情を勝ち取り、日本を激しくバッシング(bashing)する事で日本に対する国際的評価を下げ、日本に対する国際的評価を下げる事で日本に謝罪させ、日本に謝罪させる事で韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示し、韓国が日本より格上である事を世界中に大々的に示す事で日本を屈服させよう」という思いである、と思われます。

左派韓国人(奴婢の子孫)が日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らす理由の中で2番目または3番目に大きなものは、「日本は江華島事件以降、我が国を侵略し続け、35年間に渡って我が国を不法に併合統治して来たにもかかわらず、日本は心からの謝罪をしようとしない。 其のような日本に対しては全世界に向かって「日本に対する怒り」を表明しないでは居られない」という思いや、「彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で日本に謝罪させるだけでなく、日本から受けた損害を日本に賠償させ、日本に集り続けよう」という思いである、と思われます。

挺対協(正義連)を構成している極左派韓国人活動家は次のように思っているようです。「李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育、並びに、「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育に便乗して韓国の反日を激しく煽る事で純正日本人の反韓感情を強め、日本と韓国とを憎しみ合わせる事で北朝鮮政府の主導による「南北朝鮮の統一」に都合が良い程度に日韓関係を弱め、次いで韓国政府をして米韓同盟を破棄させ、在韓アメリカ軍を韓国から追い出し、最終的に北朝鮮政府の主導で南北朝鮮を統一しよう。 そして、日本から多額の賠償を手に入れよう。 北朝鮮政府の主導で南北朝鮮を統一すれば、我々は日本に勝てる」。 韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は極左派韓国人活動家が行なう政治宣伝(プロパガンダ)に容易に同調して日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らしている、と言って良いでしょう。 尤も、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は、李承晩大統領の強力な反日政策が進行する過程で自らの家畜的感性に加えて身に着けた「飼い主に忠実な番犬が持つ番犬的感性」に基づき、「奴婢」出身の政治指導者の言い付け通りに、日本に対して「ワンワン、キャンキャン」と吠え立て、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しているだけなのかも知れません。 私(滝田)は左派韓国人(奴婢の子孫)の感性水準・知性水準・理性水準の低さ加減を痛感するに連れて、此の可能性の方が大きいかも知れない、と思うようになりました。 因みに、挺対協(正義連)は北朝鮮政府の手先である、と見て良いでしょう。

● 韓国人は全般的に「相手の悪口を言い触らし続ければ、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)。 我々が日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし続ければ、韓国は日本より優位になれる(格上になれる)」と思っている。
韓国人は全般的に「韓国は日本より格上である。 しかるに、世界中の人々は其の事を知らない。 だから、我々韓国人は韓国が日本より格上である事を世界中の人々に全力で知らしめなければならない」と思っています。 韓国人は全般的に韓国が日本より格上である事を世界中の人々に認めてもらって韓国が日本より格上である事を心安らかに実感したいと思っています。 韓国人は全般的に韓国が日本より格上である事を世界中の人々に認めてもらわなければ、韓国が日本より格上である事を心安らかに実感できないのです。

先に述べたように、韓国人は全般的に「自分の怨念の対象である相手に謝罪・譲歩させれば、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)」と思っています。 たとえ日本がすぐには謝罪・譲歩しなくても、彼ら韓国人は「我々が日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし続ければ、韓国は日本より優位になれる(格上になれる)」と思っています。 なぜ彼ら韓国人は其のように思っているのでしょうか。 其れは、彼ら韓国人は「我々が日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし続ければ、其の内、日本側が根負けして謝罪・譲歩するかも知れない」と思っているからです。 韓国人は全般的に「相手の悪口を言い触らし続ければ、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)。 我々が日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし続ければ、韓国は日本より優位になれる(格上になれる)」と思っているのです。

韓国人の日本に対する嘘だらけの悪口は2023年時点でかなり巧妙になっています。 動画「【海外の反応】「日本人だけは勘弁して!」シェアハウスで暮らすイギリス人女性が日本人をバカにしたK国番組を見てしまう→でも、日本人と暮らしてみた結果ww」(https://www.youtube.com/watch?v=8x9NbRTv2uY)をご覧になってください。

● 韓国人が持っている、又は、持つ事を要求される「反日物乞い奴隷道徳」。
韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で極左派韓国人活動家に唆(そそのか)されて日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けている韓国人は乞食です。 普通の乞食は情けを掛けてやるに値する者ですが、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で極左派韓国人活動家に唆されて日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けている韓国人は情けを掛けてやるに値しない乞食です。 日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けることを正当化して「日本が朝鮮のアイデンティティーを踏みにじった数々の罪悪は、いかなる条約や協定、謝罪や賠償でも消えず、日本が背負うべき永遠の重荷である」とか主張している韓国人大学教授や韓国知識人は精神的物乞いです。

「強者集団による被害者である」という思いを持ち続け、且つ、其の思いに基づく怨念で其の強者集団を罵って非難し続け、且つ、其の強者集団に謝罪と賠償とを強く求め続けて其の強者集団に集って生きていこうとする弱者集団の道徳を「物乞い奴隷道徳 」と、言わせてもらいましょう。

先に述べたように、2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っています。 そして、彼ら反日韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は長年に渡って日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし、「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴え、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大々的に取り扱い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集って来ました。 そして、右派韓国人の右寄り80%ほどは極左派韓国人活動家の日本に対する妄想的謝罪賠償要求に賛同して「日本に対する強い怨念」を持ち続けて来ました。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「物乞い奴隷道徳 」の持ち主です。 韓国人が持っている、又は、持つ事を要求される「物乞い奴隷道徳 」を「反日物乞い奴隷道徳 」と言わせてもらいましょう。

韓国人の持っている様々な規範の中から「反日物乞い奴隷道徳 」の規範であると思われるものを抜き出すと、其れは次に挙げる14個の規範です。

第1規範
全ての韓国人は次に掲げる事実や理念を肝に銘じなければならない。 そして、全ての韓国人は其れらの事実や理念を世界中の人々に伝えなければならない。
我が国は半万年の歴史を持つ文化大国である。
韓国は世界が羨む一流経済先進国である。
韓国の偉大さは世界中で賞賛されている。
韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!
韓国人は世界一優秀な民族である。
我々韓国人の価値観は世界中で通用する。
我々韓国人の常識は世界中で通用する。
我々韓国人の正義は世界中で通用する。
韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である。
我々は誰もが偉大な大韓国人である。
かつて高句麗や百済や新羅は未開で野蛮な日本に多くの事を教えてやった。 だから、永久に我が国は日本の兄であり、永久に日本は我が国の弟である。
日本の文化は全て朝鮮が日本に教えてやったものである。
日本が発展できたのは全て我が国のお陰である。
太古から現代に至るまで、朝鮮は日本より格上の文明国であり、日本は朝鮮より格下の未開国である。
文明と言えるようなものを持たない島国の野蛮人が我が国を無理やり開国させた。
日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である。
朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった。
我が国は五千年の輝かしい歴史と高度な文化を持つ強国だったが、不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国のお米や鉱物資源を全て奪い、我が国の高度で誇らしい文化を全て破壊した。 だから、我が国はとても貧しく惨めな国になった。
日帝は類を見ないほど徹底的に悪辣な方法で我が国を弾圧し、我が国の全てを奪った。
日帝は我が国の農地の4割強を奪い、其の奪った農地を日本からやって来た日本人や日本の会社に安値で払い下げた。
日帝の警察官が我が国の農民に銃剣を突き付けて、我が国の農民が作った米の半分を奪い、其の奪った米を日本へ運んだ。
日帝は軍事力で我が国を植民地支配し、我が国の全てを奪った。 我が国が日帝に植民地支配されていた時代は我々の祖先が弾圧・収奪された暗黒時代であった。
日帝は我が国を侵略して植民地支配し、世界中で最も残酷な統治をした。
暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略して不法に植民地支配し、我が国の天然資源を奪い尽くし、我々の祖先を奴隷にした。
我が国は日本帝国主義の被害国だ。「日本は反省しない」という意味で日本は最低の国だ。
日帝は我が国の全土で我が国民に対して徹底的な弾圧と徹底的な収奪を行ない、支配体制の確立に力を注いだ。
日帝は朝鮮民族の精気を抹消する為にハングルの使用を禁じた。
日帝は我が国民からハングルを奪った。 日帝は我が国の文化を徹底的に弾圧した。
日帝は我々の祖先に創氏改名を強制した。
我々の祖先は日帝に対し独立運動を行ない、日本の圧政を打ち破って上海で大韓民国臨時政府を発足させた。
日帝が我が国を強制併合して我が国の富を奪い尽くし、朝鮮民族の抹殺を開始した。 そこで、抗日独立軍が各地で蜂起し、日本軍と果敢に戦った。 大韓民国の独立は我々の祖先が此のようにして自力で勝ち取ったものである。
第2次世界大戦において我が国は連合国の一員として日本を相手に戦った。
太平洋戦争が始まったあと、大韓民国臨時政府はすぐ日帝に宣戦を布告し、大韓民国は連合国の一員になった。 我が国は連合国の側にいるのだ。 従って、我が国は第2次世界大戦の戦勝国である。
日帝は第2次世界大戦の戦犯国であり、加害国である。 我が国は日本帝国主義の被害国だ。
日帝の弾圧に苦しめられた朝鮮民族は、光復を得るまでの間、不法な植民地支配に抵抗して抗日独立運動を展開した。
日帝は我が国だけでなく中華民国や東南アジア諸国をも侵略し、此れらの国々に多くの害を与えた野蛮国家である。
暴力的で不道徳で野蛮な日帝が東南アジアを侵略し、東南アジアの人々を奴隷にし、素直に従わない者を殺すなどして、東南アジアの人々に多大な苦痛と害を与えた。
日帝はとても多くの我が国民を日本に強制連行し、日本の過酷な職場で強制労働させた。 日本に在日朝鮮人が沢山いるのは日帝がとても多くの我が国民を日本に強制連行した所為だ。
日帝は我が国民650万人を日本に強制連行し、日本の炭鉱や工場で賃金を与えずに奴隷として働かせた。
日帝はとても多くの我が国の少女を挺身隊への加入という口実で集め、彼女らを日本に強制連行し、日本軍の慰安婦にした。
強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にした。
かつて日本軍が若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にして虐殺した。
日本人は野蛮人だ。 日本人は犯罪者だ。 韓国人は平和を愛する民族だ。 だから、韓国人は日本人より優れてる。
日帝は戦争犯罪である慰安婦制度を隠滅する為に、終戦時に日本軍用慰安婦の大多数を虐殺した。
「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の証言こそが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ。
日本の関東大震災の時、日本人自警団と日本警察との主導で6千人〜2万人の朝鮮人が殺害された。
日本は悪事を悔い改めようとしない。
日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である。 我々韓国人は日本を無条件に憎悪しなければならず、且つ、日本を無条件に敵視しなければならない。
韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある。
日本は世界中で最も悪い国だ。
日本人は世界中で最も残忍で最も悪辣な民族であり、少しも反省しない民族である。
日帝による朝鮮併合統治は極めて残酷で悪辣だった。
日帝植民地支配時代には全ての朝鮮人が日本人の奴隷として働かされていた。
日本人は我々に永久に謝罪し続けなければならない。
日本は韓国に永遠に謝罪しろ。
日帝による朝鮮併合が無かったならば、韓国は今よりずっと発展したはずだ。
我が国が日帝によって植民地支配されなかったならば、我が国は日本以上に発展した筈だ。
歴史を忘れた民族に未来は無い。
日本人は正しい歴史認識を持ってない。
対馬は韓国の領土だ。
産経新聞は極右新聞である。 産経新聞の報道や主張は全て嘘である。
日本はアジアで孤立して自滅する。
日本は国際社会で孤立している。
日本は国際社会で爪弾きにされている。
もうすぐ日本は滅びる。
日本は海中に没するのが良い。
韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている。
日本の倫理性は韓国の倫理性より遥かに低い。
日本は歴史を歪曲している。
日本は歴史的に韓国に対する罪を負っている。
日本はドイツを見倣え。
日本人以外のアジア人は「日本はドイツを見倣って、日本の犯した過去の過ちを認めて、心から反省しなければならない」と思っている。
「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の存在そのものが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ。
日本人は決して自分の罪を申し訳ないと思わない。 日本人は恥を知れ。
日本の謝罪は真の謝罪ではない。 日本の賠償は真の賠償ではない。
日本人よ、嘘をつくな。 日本人よ、歴史を歪曲するな。
日本はロビー活動と隠蔽(いんぺい)と捏造の国だ。
日本人には本当の事が分からない。 日本人は自分の欲する事だけしか信じない。
日本人は島国根性に凝り固まってグローバル感覚を持ってない。
日本人は安倍政権の嘘の声明を盲目的に信じている。
日本人は安倍政権に簡単に煽動される。
日本人は安倍政権から間違った知識を注入されている。
日本国民は安倍に騙されている。
安倍は日本を戦争できる国にする為に憲法を変えようとしている。
安倍は極右の歴史修正主義者である。
安倍の歴史修正主義が韓日関係を悪くしている。
韓日対立の本当の原因は日本が我が国を不法に併合統治した過去を反省しない事である。
日本は「日帝の我が国に対する植民地支配は不法であった」と認めよ。
日本は軍国主義を目指している政治後進国だ。
過去を反省しない日本こそ韓国の主敵である。 今や、韓国の主敵は日本である。
日本はファシズムの国だから、他国の友人になる方法を知らない。
日本人は過去の悪事を認めずに第3次世界大戦を準備している。
朴槿恵大統領を弾劾に追い詰めた蝋燭集会はイギリス名誉革命に比肩するものだ。
蝋燭集会で朴槿恵大統領を弾劾裁判に掛けた韓国の民主主義は実に素晴らしい。
我々韓国人は腐敗した大統領を平和的な革命で罷免したのだ。
蝋燭集会の成功は我々韓国人が情緒的に十二分に成熟している事を示している。
韓国の民主主義は世界に誇れるものだ。
韓国の民主主義は世界一だ。
韓国は民主主義先進国だ。
韓国は蝋燭集会で大統領を罷免できるような政治先進国だ。
蝋燭集会は世界中で賞賛されている。
我々韓国人の民主性は東アジアの中で最も高い。
韓国の民主主義は日本の民主主義より遥かに進んでいる。
韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い。
日本は蝋燭集会のような民衆デモを一度もやったことがない後進国だ。
日本人の大多数は政治に目覚めていない。
日本のマスコミの自由度は韓国のマスコミの自由度よりずっと低い。
日本人の政治理念は韓国人の政治理念よりずっと低い。
韓国は三権分立が確立した政治先進国だ。 日本は三権分立が確立してない政治後進国だ。
日本の政治が韓国の政治に追い付くのはまだまだ先だ。
安倍はまだ弾劾されないのか。 日本人は本当に馬鹿だ。
日本人は未開の政治理念を持つ民族だ。
日本は相手にする価値も無い国だ。
日本は末期状態にある。
放射能を浴びた猿どもは死滅するのが良い。
日本人はヒステリーになっている。 今の日本人は以前と比べて随分と劣化した。
日本人の民度はすごく劣化した。
韓国の助けが無ければ、日本は明日にも滅びる。
日本の破廉恥水準は世界一高い。 国際社会、中でも先進国は日本の破廉恥水準を十分に認識している。
島国の犬豚どもを根絶やしにしなければならない。
日本は恥知らずの非常識国家だ。
日本には地団駄を踏ませて後悔させなければならない。
日本の韓国を見下す癖を叩き直してやる!
日本に自然災害が多いのは天罰だ。
日本は菅(すが)政権下で亡国へ向かう。
韓国と日本とが互いに断交すれば、日本は先進国でなくなり、韓国は勝者になる。
日本には未来が無い。 だんだん希望が見えなくなる切ない日本。
韓国はもはや世界指導者の地位に就いた。 日本は先細りだ。
韓国は既に日本を超えている。 日本は韓国のライバルですらない。
韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない。
韓国は経済面でも文化面でも弟の日本より優位に立った。
韓国は日本以上の一流経済先進国だ。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ。 韓国はアジアトップの先進国だ
今や、日本はあらゆる面で韓国より劣っている。
今や、韓国は全ての分野で日本を追い抜いた。 韓国はあらゆる面で日本に勝った。
我が国の幸福指数は日本の幸福指数より遥かに高い。
韓国は実質的にG8の先進国だ。
韓国はG7に正式加盟してG8を構成するに相応(ふさわ)しい。
日本こそG7に相応しくない。 我が国が日本の替わりにG7に入るべきだ。
韓国ウォンはUSドやユーロに次ぐ基軸通貨だ。
日本は韓国の相手にならないほど没落した。
もうすぐ日本は後進国に転落する。
日本人は民度の低い民族である。 日本人の民度は韓国人の民度よりずっと低い。
日本は戦争犯罪を犯したにもかかわらず、残酷な人権蹂躙の歴史を認めない。
日本の残虐行為は映画で証明されている。
日本の国歌「君が代」は日本帝国主義の象徴であり、且つ、日本軍国主義の象徴であり、且つ、我が国に対する不法な植民地支配の象徴である。
日帝の我が国に対する不法な併合と不法な植民地支配は、韓国人にとっては忘れることの出来ない受難と苦痛の歴史である。
日帝は我々の祖先を家畜のように扱った。
日帝は我々の祖先から人間としての魂を奪った。
日本は百済・新羅。高句麗のお陰で強い国になった。 日本の発展は朝鮮のお陰である。
朝鮮が日本に漢字や農耕技術などを伝えた事で日本文化が確立した。
日本文化の全ては韓国起源だ。
日本の文化の全ては韓国の文化をパクったものだ。
4世紀から7世紀にかけて百済は日本列島を植民地にしていた。
古代朝鮮は未開の日本列島を直轄領にしていた。
昔の倭人は我々のことを師匠と呼んでいた未開人であった。
昔の日本は朝鮮のお陰で文明化した。 其の歴史的事実が日本の自尊心を傷つけるので、今の日本は其の歴史的事実を消し去ろうとしている。
日本は韓国がなければ生き残れない国である。 此の事は此の100年間の日本を見れば分かる。
日本は韓国をライバルと思っている。 日本は韓国に対して強いライバル意識を持っている。
日本は後進国になった。
日本は韓国を羨んでいる。
生活の豊かさでは韓国は確実に日本を超えた。
日本人が韓国人より貧しいのは間違い無い。
日本人は韓国に劣等感を持っている。
文化強国第1位はアメリカで、第2位はイギリスで、第3位はフランスで、第4位は韓国だ。 韓国は世界4大文化強国の1つだ。
事実上、日本はアメリカの第1植民地である。
民主主義、社会システム、インフラ、生活の質において韓国は日本の上を行っている。
韓国は自動車や半導体の生産技術・製造装置の分野で日本を超えた。
韓国の生活水準は日本の生活水準を上回っている。 韓国の庶民は日本の庶民より豊かな生活をしている。
大勢の韓国人が日本旅行に行くのは、日本が韓国に近く、日本旅行代金が安いからであり、日本が好きだからではない。
大谷翔平は野球というマイナースポーツの選手だから、大谷翔平は大したことない。
韓国人の頭脳(IQ)は世界トップクラスである。 韓国人の視野の広さも世界トップクラスである。
韓国人のIQは日本人のIQや中国人のIQより高い。
韓国ほどインフラが良く整い、且つ、治安が良い国は少ない。
韓国の若者の生活レベルは日本の若者の生活レベルより高い。
日本は先進国だなんて言われているが、実は後進国だ。 日本は韓国より遅れている。 韓国はアジアトップの先進国だ。
日本人は嘘つきで、韓国の真似ばかりしている。
日本より韓国の方が何でも優れている。
日本は汚いし、衛生観念もなってない。
韓国は世界一住み易い国だ。
第2規範
全ての韓国人は「我々は日帝による被害者である」という思いと「日本に対する怨念」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本に対する憎しみ」と「日本に対する敵対心」とを明確に且つ強烈に且つ永久に持ち続けなければならない。
第3規範
全ての韓国人は親日観念を持ってはならない。 全ての韓国人は親日発言をしてはならない。 全ての韓国人は親日行為を行なってはならない。
第4規範
全ての韓国人は「朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である。 そして、韓国は日本帝国主義の被害者である」と、世界に向かって言い続けなければならない。
第5規範
「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い。「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある」という徳治思想を全ての韓国人は永久に持ち続けなければならない。
第6規範
全ての韓国人は「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という観念を心の底から永久に信じ続けなければならない。 且つ、全ての韓国人は「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」というイメージを世界中の人々に植え付けるように努めなければならない。
第7規範
全ての韓国人は「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 日帝は我が国を侵略して植民地支配し、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、様々な悪事を働いた。 日帝は我が国だけでなく中華民国や東南アジア諸国をも侵略し、此れらの国々に多くの害を与えた野蛮国家である。 日本は過去の帝国主義や軍国主義や侵略戦争や我が国に対する不法な植民地支配を美化している野蛮国家である。 一方、朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」という観念を心の底から永久に信じ続けなければならない。 且つ、全ての韓国人は此の観念を事実として世界中の人々に告げるように努めなければならない。
第8規範
全ての韓国人は「格下の者は格上の者に礼を尽くさなければならない。 格下の者は格上の者に従わなければならない。 格下の者が格上の者に従わない場合、格上の者は格下の者に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いを永久に持ち続けなければならない。
第9規範
全ての韓国人は「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いを永久に持ち続けなければならない。
第10規範
全ての韓国人は永久に日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し続けなければならず、永久に日本を貶(けな)し続けなければならない。
第11規範
全ての韓国人は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、日本の過去の蛮行を世界中に知らしめなければならない。
第12規範
全ての韓国人は「日本はドイツを見倣って日本の犯した過ちを認め、心から反省しなければならない」という観念を明確に且つ永久に持ち続けなければならない。
第13規範
全ての韓国人は日本に対して「日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関して、弟の日本は兄の韓国が納得するまで何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである。 格下の日本が其のように謝罪・賠償してこそ、韓国は格下の日本を許すことが出来る。 格下の日本が其のように謝罪・賠償する事こそが、格下の日本が格上の韓国に対して持つべき「格上の韓国への心の底からの優しい愛」である。 格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 我々韓国人は格下の日本人より真の意味で優位に立つ(格上になる)事で格下の日本人と善隣関係を築きたい」という謝罪賠償要求観念を明確に且つ永久に持ち続けなければならない。
第14規範
全ての韓国人は全ての日本人をして「日本は韓国より格下である」と心の底から認めさせ、且つ、全ての日本人をして土下座させ、且つ、全ての日本人をして心の底から韓国に謝罪させる為に、徹底的に日本を責め続けなければならない。

此の「反日物乞い奴隷道徳 」は韓国人の反日を完全なものとする為に韓国人の全てが守らなければならない基準として相当に有効です。 大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国という国は自らの反日を完全なものとする為に自ら進んで「反日物乞い奴隷道徳 」を作り、其の「反日物乞い奴隷道徳 」を自らの道徳としてきたのです。 此の「反日物乞い奴隷道徳 」は李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で徐々に作られ、2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「朱子学流情治民主主義」を持つようになったと同時に出来上がった、と思われます。 先に示した韓国の「反日法」は韓国の反日の法的側面を抽出したものです。 韓国の「反日物乞い奴隷道徳 」は韓国の反日の倫理的側面を抽出したものです。 法と倫理とは互いに重なり合う部分が多いので、韓国の「反日法」と韓国の「反日物乞い奴隷道徳 」とは互いに明確に区分されるようなものではありません。 とは言え、韓国の反日の法的根拠になっているものが韓国の「反日法」であり、韓国の反日の倫理的根拠になっているものが韓国の「反日物乞い奴隷道徳 」である、と言えるでしょう。 第5規範は「朱子学流情治民主主義」の永久絶対信仰の義務を規定したものです。 第6規範は「現代版小中華思想」の永久絶対信仰の義務を規定したものです。 第7規範は韓国人が主張する「日本に対する道徳的優位性」の永久絶対信仰の義務を規定したものです。 第7規範の中の「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 日帝は我が国を侵略して植民地支配し、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」など、様々な悪事を働いた。 日帝は我が国だけでなく中華民国や東南アジア諸国をも侵略し、此れらの国々に多くの害を与えた野蛮国家である。 日本は過去の帝国主義や軍国主義や侵略戦争や我が国に対する不法な植民地支配を美化している野蛮国家である。 一方、朝鮮五千年の歴史において朝鮮は外国に侵略された事はあるが、朝鮮は外国を侵略した事が無い。 だから、朝鮮は平和国家であった。 大韓民国は外国を侵略した事が無い。 だから、大韓民国は平和国家である」という観念が韓国人が主張する「日本に対する道徳的優位性」の意味です。 ですから、第7規範を手短に述べれば、「全ての韓国人は「韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている」と心の底から永久に信じ続けなければならない。 且つ、全ての韓国人は此の観念を事実として世界中の人々に告げるように努めなければならない」となります。 彼ら韓国人が「韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている」と言うときの「道徳的優位性」という言葉や、「日本の倫理性は韓国の倫理性より遥かに低い」と言うときの「倫理性」という言葉は、自国に「道徳」と言えるようなものが無い事を棚に上げて「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」と言って日本を非難する為の言葉です。 また、「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」という韓国人の主張は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の「自分たちは何の罪もない善人である」という思いや、「常民」階級出身者の「自分たちは善良な庶民である」という思いを意味します。 しかも、彼ら韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持っていません。 ですから、 日韓慰安婦合意にしても、日韓請求権協定にしても、彼ら韓国人は「何の罪もない善人である我々韓国人が悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意をなぜ大切にしなければいけないのだ。 何の罪もない善人である我々韓国人は悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意なんぞ自分たちに都合よく変更したり破棄したりしてしまえば良い」と思うのです。 先に述べたように、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の「自分たちは何の罪もない善人である」という思いや、「常民」階級出身者の「自分たちは善良な庶民である」という思いは、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)や「常民」階級出身者が自ら進んで「庶民用徳治主義」を身に着けるようになったと同時に身に着けた思いであり、「庶民用徳治主義」並びに「朱子学流情治民主主義」の基盤的観念になっています。 第8規範は「現代版格差原理思想」の永久絶対信仰の義務を規定したものです。 また、韓国の「反日物乞い奴隷道徳 」には第6規範(現代版小中華思想の永久絶対信仰の義務を規定したもの)並びに、第7規範(韓国人が主張する「日本に対する道徳的優位性」の永久絶対信仰の義務を規定したもの)が含まれている為、韓国人は自らが「反日物乞い奴隷道徳 」を持っている事に気付かないのです。

先に述べたように、2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っています。 そして、彼ら反日韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし、「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴え、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大々的に取り扱い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集って来ました。 しかも、彼ら反日韓国人は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っています。 ですから、彼ら韓国人は大きな精神的ストレスを抱えている、と思われます。

韓国の政治指導者の中でも「奴婢」出身の政治指導者は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」など)に凝り固まり、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)をして日本を口汚く罵らせて日本を激しく非難させ、彼らをして日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らさせ、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大々的に取り扱い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集りながら、「韓日関係は弟の日本が反省して兄の韓国に快く且つ永久にかしずく仲良し兄弟関係でなければならない。 我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」と思っているのです。 此れぞ、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で生じた「韓国人の奴隷根性の結晶」である、と言えるでしょう。

「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「反日物乞い奴隷道徳 」の持ち主ですが、彼ら「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「主体思想」(金日成が提唱した北朝鮮版マルクス教)をも信奉しているようです。「主体思想」について詳しい事は知りませんが、「主体思想」を極めて簡単に説明すれば、此れは「奴隷根性を土台として作られたマルクス教」であり、もう少し詳しく述べると、此れは「金日成が北朝鮮の人々の奴隷根性を武器として有効に使う為に作った威嚇的マルクス教」である、と言えるでしょう。 其の為、北朝鮮の「主体思想」と韓国の「反日物乞い奴隷道徳 」とは「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)の心の中で両立している、と思われます。

● 李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」をかなりの程度に作った。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領はトルーマン政権の唆しに積極的に従い、「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いを前提にして歴史捏造反日教育を政治の基本方針とし、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を非難させ、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」など)を植え付け、「反日法」と「反日物乞い奴隷道徳 」とを作り、様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「反日法」や「反日物乞い奴隷道徳 」など)で「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」を性急に作ろうとし、そして実際、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」をかなりの程度に作ったのです。

● 韓国には「反日教」という国家宗教がある。
右派韓国人は其の右寄り80%ほどが反日です。 左派韓国人(奴婢の子孫)は其の全てが反日です。 今の韓国の反日は「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」というイメージを世界中の人々に植え付けようとする国民運動です。 今の韓国で親日発言をすると、多方面から徹底的に叩かれて、社会的に抹殺される恐れが有ります。 今の韓国では裁判官でさえ韓国一般庶民の心情を考慮せずに親日判決を下すと、多方面から徹底的に叩かれて、社会的に抹殺される恐れが有ります。 先に「反日でない韓国人が「反日でなければ、韓国人でない」と非難されるほどにまでなりました。 韓国の反日(反日観念、反日活動、反日教育、反日政策)は韓国の国是になったのです」と述べましたが、「韓国の反日は国是の域を超えて国家宗教になった」と言っても良いでしょう。「韓国には「反日教」という国家宗教がある」と言って良いでしょう。 韓国人なら「反日教」の教義通りに日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難して日本を見下すのが当然だ、と見なされるのです。 ソウルの日本大使館の前に設置されている慰安婦少女像や、釜山の日本総領事館の前に設置されている慰安婦少女像は「反日教」の御神体です。 反日韓国人は右派も左派も「反日教」というイデオロギーで結束し、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付け、国を挙げて日本に外交戦争を仕掛けて来たのです。 韓国人にしてみれば、「反日物乞い奴隷道徳 」という言葉を使いたくないでしょうから、ここでは韓国人の立場に立って、「反日物乞い奴隷道徳 」という言葉の代わりに「反日道徳」という言葉を使うことにしましょう。 韓国の「反日教」の教義は単純であり、次のようなものです。
1. 我々韓国人の反日教は「反日法」と「反日道徳」とを2本の柱とする。
2. 全ての韓国人は「反日法」と「反日道徳」とを守らなければならない。
3. 「反日法」や「反日道徳」を守らない韓国人は自身の社会的身分や自身の経済的地位が剥奪される事、並びに、自身が社会的に抹殺される事を覚悟しなければならない。

此の論述をここまでお読みになった純正日本人の方々は「韓国の反日は「反日病」又は「反日妄想病」と言って良いくらいのものだ」とお思いになったのではないでしょうか。

● なぜ韓国の反日は国家宗教になったのか。
なぜ韓国の反日は国家宗教になったのか、其の理由として大きなものが5つある、と思われます。

韓国の反日が国家宗教になった理由の第1は、アメリカのトルーマン政権(民主党、1945年4月〜1953年1月)がニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の「韓国と日本とを互いに不和の状態にしておきたい」という意向に従って、李承晩大統領に強力な反日政策を行なうように唆した事です。 ワスプ(WASP、White Anglo-Saxon Protestant)とは、イギリス国教会からの離脱を意図して1620年9月にメイフラワー号に乗ってイギリスのプリマス港から船出して大西洋を横断し、同年11月に現在のマサチューセッツ州のコッド岬に上陸して入植地:プリマスを作った清教徒を初めとして、彼ら清教徒に続いてイギリスから北アメリカ大陸東部に渡った多くの清教徒や其の子孫であり、北アメリカ大陸東部の政治・経済とアメリカの建国において主導的な役割を果たし、広い意味でのアメリカ支配階級の主要構成員であり続けて来た人々です。 此の論述では、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人を狭い意味でのアメリカ支配階級と見て、話を進めます。

第2次世界大戦の終結後、アメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)は植民地政策の要諦または鉄則と言われる「分割統治」という政策(「分断統治」と言った方が良いと思いますが)に則って「韓国と日本とを互いに不和の状態にしておきたい」と思っていました。 分割統治とは、かつて欧米列強政府が植民地を支配して行く中で複数の被支配者集団の間に在る民族的&宗教的&経済的な利害の対立を利用して複数の被支配者集団を互いに適度に抗争させる事で複数の被支配者集団の統一的な勢力の形成を困難にして植民地支配の安定を謀るという政策です。 アメリカ支配階級は日本と韓国との間に在る民族的&宗教的&経済的な利害の対立を利用して、韓国人をして日本に対する怨念をたくさん持たせる事で日本と韓国との統一的な勢力の形成を困難にして日韓両国に対する支配の安定を謀ろう、と思っていました。 そして、トルーマン政権はアメリカ支配階級の「韓国人をして日本に対する怨念をたくさん持たせよう」という意向に従って、李承晩大統領に強力な反日政策を行なうように唆しました。 そして、李承晩大統領はトルーマン政権の唆しに積極的に従って強力な反日政策を行ない、アメリカ支配階級の企てに嵌(は)まりました。 アメリカ支配階級は1950年1月12日にアメリカ国務省のアチソン国務長官をして「太平洋におけるアメリカの防衛線はアリューシャン列島ー日本ー沖縄ーフィリピンを結ぶ線である」との声明を発表させて北朝鮮政府(金日成)に餌(えさ)をまき、北朝鮮政府(金日成)をして其の餌に食らい付かせて朝鮮戦争を起こし、其れ以降、アメリカ連邦政府は日本政府に「日本は韓国を友好的に扱え」と命じるようになり、日本政府は其の命令に従って来ました。

韓国の反日が国家宗教になった理由の第2は、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領がトルーマン政権の唆しに積極的に従い、「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いを前提にして歴史捏造反日教育を政治の基本方針とし、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を非難させ、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」など)を植え付け、「反日法」と「反日物乞い奴隷道徳 」とを作り、様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「反日法」や「反日物乞い奴隷道徳 」など)で「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」を性急に作ろうとし、そして実際、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」をかなりの程度に作った事です。 因みに、「現代版格差原理思想」と「現代版小中華思想」とから必然的に生まれてくる「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いが「侮日の念」を更に大きく強くした、と考えられます。

韓国の反日が国家宗教になった理由の第3は、1980年代前半から吉田清治などの左派著述家や、戸塚悦朗や福島瑞穂などの左派弁護士が韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」のネタを捏造して世界中にばらまいたり、自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を熱心に支援したりし、在日朝鮮人学者や反日左派日本人学者(日本国籍を取得した朝鮮系反日日本人学者を含む)が「日本は朝鮮で悪い事を沢山した」と主張する論説や「日本は朝鮮で悪い事を沢山した」と暗に示すような論説を数多く書き、其れらの論説が権威ある論説とし発表され、更に、朝日新聞が「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を32年間も報道し続け、多くの日本人弁護士や多くの日本人学者や多くの日本人政治家や多くの日本人ジャーナリストや多くの日本マスメディアが韓国の反日を支援し、更に、韓国の反日が明らかになった1990年以降の日本歴代政権までもがアメリカ連邦政府からの「日本は韓国を友好的に扱え」という命令に従って韓国の反日を容認してきた事です。 因みに、日本は日米戦争でアメリカに負け、日本はアメリカの子分になったのですから、日本政府はアメリカ連邦政府からの「日本は韓国を友好的に扱え」という命令に従わざるを得ませんでした。

自民党(自由民主党)が1955年に結成されて以降、自民党の大物国会議員の大多数は親韓国でしたし、自民党の大物国会議員の大多数は日本人拉致など、北朝鮮のやる事に目をつぶって来ました。 1972年の所謂「日中国交正常化」(日本と中国とが互いに国交を結んだ事)以降、自民党の大物国会議員の大多数は親中国になりました。 そして、敗戦後の日本歴代政権は韓国に対して宥和政策(強硬な態度をとる国家に対して、其の態度を大目に見て許し、其の国家との衝突を避ける為に譲歩し、其の国家を宥(なだ)め、其の国家との友好関係を維持しようとする外交政策)を採り続け、中国に対しても宥和政策を採り続け、北朝鮮に対しても宥和政策を採りて来ました。 敗戦後の日本では、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人が「日本国内で出来るだけ高い地位を確保したい。 日本国を自分たちにとって住み心地の良い国にしたい」という思いから、東京大学への入学を目指して学業に励み、多くの朝鮮系日本人が外務省や文部科学省(文部省)や総務省など、日本国の行政機関(霞が関の中央官庁)の高級官僚になった、と思われます。 また、「日中国交正常化」以降、日本国の行政機関(霞が関の中央官庁)の中には中国共産党の息の掛かった高級官僚がたくさん潜むようになった、と思われます。 こうして、日本国の行政機関は親韓国&親中国の傾向を持つようになりました。 中でも外務省は親韓国&親中国の傾向を強く持ち続けて来ました。 今の自民党の中にも親韓国&親中国の大物国会議員が沢山いますし、親韓国&親中国の元自民党国会議員が沢山います。 若手の自民党国会議員の中にも親韓国&親中国の者が沢山いるようです。 また、中国共産党や中国人実業家や在日中国人や中国系日本人や中国企業と取り引きのある日本人などから大量のお金(又は其れに相当するもの)を寄付の形でもらって中国マネー漬けにされて親中国にならざるを得ない自民党国会議員が沢山いるようです。 特に、衆議院選挙や参議院選挙で落選して国会議員になれなかった自民党員には中国共産党から多くのお金が渡っている、と思われます。(自民党国会議員の75%ほどは親中国であるようです。 自民党国会議員の中で親韓国の者が占める割合については良く分かりませんが、此れも75%ほどでしょうか。) 親韓国の総理大臣や親韓国の自民党大物国会議員や親韓国の総理大臣経験者は度々次のように発言して来ました。「東アジアの安定の為に日韓関係を安定化させなければならない。 其の意味で韓国を大切にし、韓国に譲歩し、韓国と仲良くしなければならない。 また、人道的な見地からも韓国を大切にし、韓国に譲歩し、日韓友好を維持・促進しなければならない。 日本と韓国とは別れたくても別れられない夫婦のようなものだ。 日韓関係は離婚できない夫婦のような特殊関係である」。 そう言えば、「自由民主党(リベラル デモクラティック パーティー)という名称は如何にも左派的です。 自民党内の純正右派勢力には親韓国・親中国の勢力を圧倒する力を身に着けて欲しいものです。 そして、自民党には出来るだけ早く公明党と絶縁して欲しいものです。

日本マスメディア『JBpress』の2016年12月4日付けの記事「「韓国に謝れ」産経に圧力をかけていた日本の政治家」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48558)をご覧になってください。
動画「【更迭で】斉藤鉄夫国交相「多くの韓国人が広島に強制連行されて被爆された」と発言、早速韓国に利用される」(https://www.youtube.com/watch?v=A9HQrKG4ZVk)をご覧になってください。

また、主として自民党の国会議員で構成されている日韓議員連盟という集団の幹事長:河村建夫は安倍内閣の意向に反して文在寅政権の意向に同調する活動ばかりしています。 此の件に関しては、動画「問題解決に日本企業が金を出すという河村議員 政府方針に反逆す」(https://www.youtube.com/watch?v=mwFOp5SLKfo)を是非ご覧になってください。 2021年の衆議院議員選挙に関する動画「立憲共産を応援する自民元幹事長。日本国籍を持たない人達のために投票を呼びかける枝野代表?。選挙戦終盤で奇々怪々な出来事」(https://www.youtube.com/watch?v=_8-i52MoGZ4)をご覧になってください。

韓国の反日を支援してきた日本人弁護士や日本人学者や日本人政治家(中でも旧社会党系国会議員)や日本人ジャーナリストの中にはそれぞれ、多くの朝鮮系日本人弁護士、多くの朝鮮系日本人学者、多くの朝鮮系日本人政治家、多くの朝鮮系日本人ジャーナリストが潜んでいます。 そして、此れらの朝鮮系日本人が色々な所で韓国の反日を支援しているのです。 東京大学の法学、歴史学、哲学、経済学、社会学、教育学など、思想系の学部・学科の教授や名誉教授の99%以上はマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)です。 此のような事は東京大学に限られた事ではありません。 日本の一流大学の全てにおいて此れと同じような事が見られます。 日本の一流大学の教授や名誉教授の中にはマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)がとても多く居るのです。 日本の一流大学の思想系の学部・学科の教授や名誉教授の99%以上はマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)である、と見て良いでしょう。 彼らマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)である大学教授や大学名誉教授も韓国の反日を支援しているのです。

                                             伊藤亜人
毎日新聞が東京大学名誉教授:伊藤亜人に面会取材した内容を韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』が2019年7月25日に報じた記事「韓国研究した東京大教授「日本は傲慢では駄目、彼らの『恨』を推し量るべき」」を、おかしな表現を修正して引用しておきます。 此の記事をお読みになれば、東京大学の思想系の学部・学科の教授や名誉教授がどんな思想を持っているかを推察することが出来るでしょう。
著名な文化人類学者である伊藤亜人・東京大学名誉教授が、行き詰まっている韓日関係を解決するには「朝鮮半島の人々の恨(ハン)」を推し量るべきだと語った。 伊藤教授は7月24日、毎日新聞の面会取材に応じて韓日請求権協定について「確かに日韓基本条約などの『法』はある」としながらも、「明治以降の日本帝国主義の犠牲になってきた朝鮮半島の人たちには、西洋的な『法』だけでは割り切れない感情がある。 彼らの心の中にある『恨(ハン)』とか『非業の気持ち』に対して日本側は『惻隠(そくいん)の情』を示すべきだ。 傲慢にならずに相手の気持ちを推し量ろうとする姿勢が大切だ。 そうでないと、何時までも日本は『法匪』と呼ばれる。 お互いにとって不幸な状態が永久に続く」と述べた。 毎日新聞は「法匪」という単語を「法解釈に固執し実態を顧みない人」と説明している。
伊藤教授は1970年代から済州島や全羅南道珍島などの現場調査を約30年間に渡って続け、日本に韓国の事を伝えてきた学者だ。 日帝強占期以降に韓国について研究した第1世代の文化人類学者としての功績を認められ、2003年に韓国政府から文化勲章を授与されている。
伊藤教授は現在の日本の政治・経済分野のエリートたちは韓国社会に対する理解や共感が不足している事を指摘した。 伊藤教授は「国際交流の「交流」の基本はあくまでも生身の人間同士が現場で触れ合い、いろんな経験を共にすることだ。 そうすれば、お互いの考え方の違いが理解でき、どうすれば違いを乗り越えられるかを考えることが出来る」と述べ、現在の日本のエリートたちは此のような考えが足りない、と批判した。 その上で「戦前を知る日本の政治家の中には深い反省を含めてアジアへの熱い思いを持つ人が多かったが、現在の日本のエリート層には隣国への友愛の情が感じられない」とも言った。
伊藤教授は未来志向的な韓日関係を築くのに最も重要なものとして、両国の国民同士、特に若い世代の交流活性化を挙げた。「負の遺産」への抵抗が少ない世代だからだ。 伊藤教授は「私自身も韓国に心の通う友人が出来て50年近くになろうとしている。 日本国民の何人かに1人ずつでもこうした友人が出来れば、日韓の関係は自ずとうまく行くに違いない」と述べた。
チェ・ウンギョン特派員

伊藤亜人は「韓国は日本に対する強い愛情欲求を持っているのだから、日本は其の愛情欲求に真摯に対応して韓国を愛すべきだ」と言っているのです。 伊藤亜人は朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。                                              和田春樹
また、東京大学名誉教授:和田春樹を初めとして、大学教授、大学名誉教授、弁護士、ジャーナリスト、元外交官僚、医師、作家など、77人が安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置の即時撤回を要求する為の署名運動をインターネットサイト「韓国は敵じゃない」(https://peace3appeal.jimdo.com/)で始めました。 此のインターネットサイトに掲載されている「韓国は敵なのか」と題する声明は韓国を100%擁護するものであり、此のインターネットサイトに名前を連ねている呼びかけ人77人は全て韓国の代弁者です。 此のインターネットサイトに掲載されている声明をお読みになれば、「此のインターネットサイトに名前を連ねている呼びかけ人77人がどのような観念を持っているか、並びに、日本の大学の法学、歴史学、哲学、経済学、社会学、教育学の左派教授や左派名誉教授の頭の出来がどの程度であるか」がお分かりになるでしょう。 此のインターネットサイトに掲載されていた「韓国は敵なのか」と題する声明および呼びかけ人77人の氏名リストは削除されたようです。 2021年4月の時点で、此のインターネットサイトには「慰安婦問題の解決に向かってーー 私たちはこう考える」と題する声明と此の声明の呼びかけ人118名の氏名が掲載されています。 伊藤亜人と同じく、和田春樹を初めとする此れら118名も朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。 かつて此のインターネットサイトに掲載されていた呼びかけ人77人の氏名を載せておきます。
青木有加(弁護士)、秋林こずえ(同志社大学教授)、浅井基文(元外務省職員)、庵逧由香(立命館大学教授)、石川亮太(立命館大学教員)、石坂浩一(立教大学教員)、岩崎稔(東京外国語大学教授)、殷勇基(弁護士)、内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)、内田雅敏(弁護士)、内橋克人(評論家)、梅林宏道(ピースデポ特別顧問)、大沢真理(元東京大学教授)、太田修(同志社大学教授)、大森典子(弁護士)、岡田充(共同通信客員論説委員)、岡本厚(元「世界」編集長)、岡野八代(同志社大学教員)、荻野富士夫(小樽商科大学名誉教授)、小田川興(元朝日新聞ソウル支局長)、大貫康雄(元NHKヨーロッパ総局長)、勝守真(元秋田大学教員)、勝村誠(立命館大学教授)、桂島宣弘(立命館大学名誉教授)、金子勝(慶応大学名誉教授)、我部政明(琉球大学教授)、鎌田慧(作家)、香山リカ(精神科医)、川上詩朗(弁護士)、川崎哲(ピースボート共同代表)、小林久公(強制動員真相究明ネットワーク事務局次長)、小林知子(福岡教育大学教員)、小森陽一(東京大学名誉教授)、在間秀和(弁護士)、佐川亜紀(詩人)、佐藤学(学習院大学特任教授)、佐藤学(沖縄国際大学教授)、佐藤久(翻訳家)、佐野通夫(こども教育宝仙大学教員)、島袋純(琉球大学教授)、宋基燦(立命館大学准教授)、高田健(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)、村竜平(秋田大学教育文化学部)、高橋哲哉(東京大学教授)、田島泰彦(早稲田大学非常勤講師、元上智大学教授)、田中宏(一橋大学名誉教授)、高嶺朝一(琉球新報元社長)、谷口誠(元国連大使)、外村大(東京大学教授)、中島岳志(東京工業大学教授)、永田浩三(武蔵大学教授)、中野晃一(上智大学教授)、成田龍一(日本女子大学教授)、西谷修(哲学者)、波佐場清(立命館大学コリア研究センター上席研究員)、花房恵美子(関釜裁判支援の会)、花房敏雄(関釜裁判支援の会元事務局長)、羽場久美子(青山学院大学教授)、平野伸人(平和活動支援センター所長)、広渡清吾(東京大学名誉教授)、飛田雄一(神戸学生青年センター館長)、藤石貴代(新潟大学)、古川美佳(朝鮮美術文化研究者)、星川淳(作家・翻訳家)、星野英一(琉球大学名誉教授)、布袋敏博(早稲田大学教授・朝鮮文学研究)、前田哲男(評論家)、三浦まり(上智大学教授)、三島憲一(大阪大学名誉教授)、美根慶樹(元日朝国交正常化交渉日本政府代表)、宮内勝典(作家)、矢野秀喜(朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動事務局長)、山口二郎(法政大学教授)、山田貴夫(フェリス女学院大学・法政大学非常勤講師、ヘイトスピーチを許さない川崎市民ネットワーク事務局)、山本晴太(弁護士)、和田春樹(東京大学名誉教授)

興味深い記事が有ります。 韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の2019年10月17日付けの日本語版記事「日本社会に横たわる韓中への嫉妬、韓日関係を難しくする」(http://japan.hani.co.kr/arti/economy/34669.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国の最高裁判所による日帝強制動員被害者への賠償判決に対する日本の貿易報復と韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)終了決定で、韓日関係が最悪な局面へと突き進んでいる。 しかも、解決の糸口を見出せないまま対立が長期化している。 李洛淵(イ・ナギョン)首相が今月22日に開かれる徳仁天皇即位式に参加することになり、両国が対話の糸口をつかむことが出来るか注目される。 東アジアにおける対立と緊張関係を解き、新たな平和の道を作っていく為には、韓日の関係改善が不可欠だ。
筑波大学の進藤榮一名誉教授は、アジア未来フォーラム初日の今月23日午後「東アジアの新たな秩序と平和」と題して中国の清華大学人文学部の汪暉教授と特別対談を行なう。 進藤教授はアメリカ外交、アジア地域統合、国際政治経済学の専門家であり、国際アジア共同体学会の代表であり、「一帯一路」日本研究センターの長でもある。 アジア未来フォーラムでは、アジアの持続可能な未来の為にどのように協力すべきかに焦点を当てる予定だ。
まず、冷え切った韓日関係をどう解決すべきか。 進藤教授はハンギョレの電子メールによるインタビューに応えて、「日本社会全般に広がっている「中国と韓国に対する潜在的嫉妬」感情と安倍政権とが韓日関係を悪化させている」と述べた。 進藤教授は「日本のバブル景気の崩壊後、急速な経済発展に成功した中国と韓国に対する潜在的嫉妬が日本社会にある」と指摘する。 進藤教授は「中国・韓国経済の発展と日本の長期低迷期間が重なっている。 ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本経済が終わりを迎えた事で、日本の政界、日本の財界、日本のマスメディア界、一般日本国民の間で中国・韓国に反発する感情が高まり始めた」と述べた。 一方、戦争を体験してない日本人が日本社会の主流となり、「日本の不法な植民地支配など、日本が犯した歴史の過ちを忘れて狭い意味での愛国主義に閉じ籠もっている。 日本軍用慰安婦(性奴隷)、強制徴用問題などを解決しない日本を見る時、アウシュビッツの歴史的誤りを今も謝罪し続けているドイツとは対照的だ」と指摘する。 そして、進藤教授は「本当に心配だ。 日本がアジアと世界の信頼を失うことになるだろう。 困難であっても、韓日の知識人、報道関係者、政治家、経済人が活発に交流し、連帯できる仕組みを作らなければならない」と強調した。
進藤教授は「アメリカ主導の世界秩序「パックスアメリカーナ」が終わり、世界の軸がアジアに移りつつある」と主張する。 これは中国の「一帯一路」を念頭に置いたものだ。 一帯一路とは、2013年に習近平主席がカザフスタンを訪問した際に初めて提起した構想で、古代シルクロードのように内陸と海洋に多様な道を作ってユーラシアとアフリカ大陸を一つに繋げようというものだ。 進藤教授は「一帯一路は軍事的同盟ではなく、社会的・経済的関係を基に相互信頼を築いて、貧困を解消し、テロの可能性を縮小し、地球環境の持続可能性を高める方向に進もうというものだ。 中国だけでなく日本・韓国が参加してシンクタンクを設立するなどして、積極的に取り組むべきである」と述べた。
アメリカは中国の「一帯一路」にかなり神経をとがらせている。 アメリカのトランプ政権は中国経済の拡大を牽制する狙いで、昨年、新たなアジア政策「インド太平洋戦略」を本格的に始動した。 日本もかねてより「インド太平洋地域」に力を入れている。 このような戦略の影響で韓日関係の重要度が弱まり、日本が強硬に出ているのではないかという分析もある。
日米同盟が堅固である為、中国の「一帯一路」を支持する日本知識人は少数だ。 それだけに進藤教授の主張は貴重である。 進藤教授は1979年に「アメリカが日本本土占領を終えたあとも、沖縄に対する軍事占領を継続することを希望する」などの内容が盛り込まれた裕仁天皇のメッセージを発掘した論文「分割された領土」を雑誌『世界』に掲載し、波紋を呼んだ。「天皇」に狙いを定めた此の論文は聖域なしに研究する進藤教授のやり方をよく示している。

進藤榮一略歴: 1939年、北海道で生まれる。 京都大学法学部卒業、筑波大学教授、早稲田大学アジア研究機構客員教授。 現在、筑波大学名誉教授、国際アジア共同体学会の代表。「一帯一路」日本研究センターの長。 アメリカ外交、アジア地域統合、国際政治経済学の専門家。
主な著書: 『現代アメリカ外交序説‐ウッドロー・ウィルソンと国際秩序』『分割された領土-もうひとつの戦後史』『東アジア共同体をどうつくるか』『一帯一路からユーラシア新世紀の道』

キム・ソヨン ハンギョレ経済社会研究院首席研究員

                                           進藤榮一
此の記事に出てきた筑波大学名誉教授:進藤榮一が此の記事の中で主張していることは韓国左派政治指導者が主張していることと同じです。 進藤榮一も朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。「日本社会全般に広がっている「中国と韓国に対する潜在的嫉妬」感情」とは! 実に笑わせてくれます。「本当に心配だ。 日本がアジアと世界の信頼を失うことになるだろう」と、進藤榮一が日本のことをとても心配してくれるのも反日韓国人にそっくりです。

「韓国専門家」と言われている日本人大学教授が何人も居るようです。其のような日本人大学教授の全ては「韓国大好き人間」であるようです。 そして、其のような日本人大学教授は「韓国大好き」という観点から論文を書いて発表したり、「韓国大好き」という観点から日本マスメディアで「韓国擁護論」を主張したり「韓国を見倣え論」を主張したりしているのです。 其のような日本人大学教授が日本マスメディアでは「韓国専門家」として通用しているのです。 其のような日本人大学教授も朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。 また、日本外務省の高級官僚の中にも「韓国大好き人間」が沢山いるようです。 また、青木理などの反日ジャーナリストも「韓国を見倣え論」を主張していましたが、2024年の時点では、青木理などの反日ジャーナリストは「日本は韓国を助けろ」と主張するようになりました。

敗戦後の日本では、2002年9月に小泉総理大臣が北朝鮮の平壌に出向き、2002年9月17に開かれた日朝首脳会談で北朝鮮トップの金正日が日本人13人の拉致を事実と認めた事で「北朝鮮政府による日本人拉致」が公になり、日本人のほとんど全てが北朝鮮政府の悪事を初めて知るようになるまで、朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)という組織が日本国内でとても強い政治力を持ち、やりたい放題の事をしていました。(因みに、「北朝鮮政府による日本人拉致」が公になった事で「日本社会党は北朝鮮政府の代弁者である」という事が誰の目にも明らかになりました。) 朝鮮総連の日本国内における強い政治力を実感できる文章「元TBS社員の独り言」(https://j-taki.tumblr.com/post/93591461825/)をご覧になってください。

NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、神奈川新聞、中日新聞、北海道新聞、日刊ゲンダイ、共同通信、などの日本マスメディアは「韓国人の日本人に対する影響力を増やしたい」という思いを持っています。 NHKを初めとする此れらの日本マスメディアでは、多くの在日朝鮮人や多くの朝鮮系日本人が重要な地位(例えば、解説委員、論説委員、報道番組のプロデューサーや編集長やディレクターなど)に就いて力を振るっています。 其れだけでなく、此れらの日本マスメディアでは、多くの在日朝鮮人や多くの朝鮮系日本人が、記者、アナウンサー、ニュースキャスター、テレビコメンテーター、取材カメラマンとして採用されています。 此れらの日本マスメディアが流す報道番組の大部分には在日朝鮮人や「在日朝鮮人と深い関係にある日本人」や朝鮮系日本人が大きく関与しているのです。 此れらの日本マスメディアで働く在日朝鮮人や、此れらの日本マスメディアで働く「在日朝鮮人と深い関係にある日本人」や、此れらの日本マスメディアで働く朝鮮系日本人は「韓国人の日本人に対する影響力を増やしたい。 そして、韓国人の日本人に対する影響力を増やすことで韓国人が日本人をコントロールできるようにしたい。 そして、韓国人が日本人をコントロールすることで現代版小中華思想を心の底から実感したい。 そして、現代版小中華思想を心の底から実感しながら、韓国の利益の為に日韓友好を深めたい。 そして、日韓友好を深める為に日本人に韓国に好意的になってもらいたい。 そして、日本人に韓国に好意的になってもらう為に「韓国人は日本に好意的である」と報道し、日本人の嫌韓感情の原因になるような韓国人の振る舞いをなるべく報道しないようにしよう」と思っているのです。 言い換えると、此れらの日本マスメディアで働く在日朝鮮人や、此れらの日本マスメディアで働く「在日朝鮮人と深い関係にある日本人」や、此れらの日本マスメディアで働く朝鮮系日本人は反日韓国人が持っている「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」、並びに、反日韓国人が持っている「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」を満たしたいと思っているのです。

NHKの中にはとても多くの在日朝鮮人が潜んでいる、と思われます。 安倍内閣が2019年7月4日に一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目(高純度フッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミド)の対韓国輸出管理を厳格化して以降、NHKは自らが放映する韓国ドラマの宣伝を以前にも増して盛んにするようになりました。 また、NHKは「やらせドキュメンタリー」と言われても反論できないようなドキュメンタリーをたくさん作り、其れらをBS放送で2024年1月中旬頃まで盛んに放映していました。 韓国のシンクタンク:東アジア研究院は2024年9月19日に「日本に対して好感を持っている韓国人の割合は41.7%である」とするレポートを発表しました。 此のレポートは日本からの経済支援や金融支援を切に願っている韓国政府が東アジア研究院に発表させたものである、と思われます。 NHKはニュース番組の中で東アジア研究院の此のレポートに忠実に「韓国のシンクタンク:東アジア研究院は「日本に対して好感を持っている韓国人の割合は41.7%である」とする調査結果を発表しました」と報道しました。 NHKの此のようなニュースを信じてはいけません。 NHKを初めとする此れらの日本マスメディアは、自らにとって都合の悪い事や、韓国や中国にとって都合の悪い事や、在日朝鮮人にとって都合の悪い事や、反日左派勢力にとって都合の悪い事をなるべく報道しないようにして来ました。 其ればかりか、此れらの日本マスメディアは、在日朝鮮人にとって利益になることや、反日左派勢力にとって利益になることを狡猾・巧妙に報道しています。 例えば、此れらの日本マスメディアは、在日朝鮮人が日本国内で行なった犯罪を報道する場合、其の犯人(被疑者、容疑者)の国籍や実名を報道せずに其の犯人の通名(日本人的な名前)を報道したり、氏名無しの単なる「男」「女」と報道したりして来ました。 此のような報道を視聴した者は其の犯人が在日朝鮮人である事を知ることが出来ません。 また、此れらの日本マスメディアは、韓国マスメディアが発表する反日報道や、反日韓国人がアメリカやヨーロッパで行なってきた反日活動をほとんど(全くと言って良いほど)日本国民に知らせて来ませんでした。 また、NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビなどの報道番組の中で出てくる「街の声」の大部分(95%ほど)は所謂「やらせ」、即ち、捏造・でっち上げです。 此れらのテレビ局の報道番組の中で “ 面会取材に応じる一般人 ” として登場する人々の大多数(95%ほど)は本当の一般人ではなく、取材を命じられた番組制作スタッフの関係者や、番組制作に協力している広告代理店の関係者です。 また、NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビなどは報道番組の中で、彼らが総理大臣にしたいと思っている人物の映像や発言や意向や動き、並びに、安倍総理大臣に批判的な自民党国会議員の映像や発言や意向や動きを念入りに報道したり、彼らが総理大臣にしたいと思っている人物の映像や、安倍総理大臣に批判的な自民党国会議員の映像を、其の人物が関係する話題の中で1秒間ほど流し、其の人物の視覚的イメージを視聴者の脳裏に焼き付けようとします。 また、此れらの日本マスメディアは自民党の総裁選が近付く度に「自民党総裁選の立候補者4名の人気度」とか「自民党総裁選の立候補者4名の国民からの支持率」とかいう記事を発表します。 此のような記事の「人気度」「支持率」の実態は、此れらの日本マスメディアが「それらしく捏造した人気度」「それらしく捏造した支持率」であり、此のような記事は日本の世論を此れらの日本マスメディアが願っている方向に誘導する為のものです。 また、新聞の見出しというものは印象操作の為の道具です。 新聞紙面の作成者は見出しを過激な表現(過激な言葉遣い、過度に大きな字体)にしたり、見出しの中に自らの思いや偽情報を狡猾・巧妙に仕込んだりします。 新聞の読者は本文より先に見出しを見るでしょうから、新聞の読者は見出しを見て第一印象を持ちます。 そして、其の読者が本文を読むとしても、其の読者のほとんど全ては見出しから得た第一印象に捕捉された精神状態のまま本文を読みます。 此のようにして、新聞紙面の作成者は読者の観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち、欲求、心情、概念、推理、意見、見解、思想、理念、倫理観、など、意識内容の全て)を操作できるのです。 NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、神奈川新聞、中日新聞、北海道新聞、日刊ゲンダイ、共同通信、などの日本マスメディアは以上のような情報操作や印象操作を駆使した「偏向報道や色付け報道や歪曲報道や捏造報道」で日本人の観念を密かに操って来たのです。 2012年12月26日に第2次安倍内閣が発足して以降、此れらの日本マスメディアは安倍内閣の支持率を下げる為の「偏向報道や色付け報道や歪曲報道や捏造報道」を狡猾・巧妙に行なってきました。 ドナルド・トランプさんが2017年1月にアメリカ大統領に就任して以降、此の傾向が一段と激しくなりました。 此れらの日本マスメディアの中でもNHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビなどの「偏向報道や色付け報道や歪曲報道や捏造報道」は実に狡猾・巧妙です。 此れらの日本マスメディアの報道番組の内容の90%から95%は正常です。 しかし、残りの10%から5%は偏向報道・色付け報道・歪曲報道・捏造報道です。 ですから、此のような報道を視聴した者の大多数が其れらの偏向報道・色付け報道・歪曲報道・捏造報道を「正しいもの」と思ってしまうのです。 そして、とても多くの日本人が、中でも高齢者が其れらの偏向報道・色付け報道・歪曲報道・捏造報道を真に受けて信じ込んでいます。「10個の事実と1個の嘘とを織り交ぜて報道する」。 此れが、マスメディアが報道番組を介して人々を洗脳する際の鉄則です。 此れらの日本マスメディアの中でもNHKは如何にも「日本国民の為を思って放送しています」という顔をしています。 ですから、日本人の大多数がNHKに騙されてしまうのです。 また、NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビなどの日本マスメディアは左派国会議員や左派学者や左派評論家などの良いイメージ画像を報道番組内で発信します。 ですから、其れらの報道番組を視聴した日本人の大多数が左派国会議員や左派学者や左派評論家などの良いイメージを持ってしまうのです。 また、此れらの日本マスメディアの中でもフジテレビや日本テレビは「韓国はこんなに良い国なんだ」とか「韓国人はこんなに日本の事が好きなんだ」とか「韓国の物が日本でこんなに流行している」とかいう「韓流ごり推し」報道を度々して来ました。 TBSの『サンデーモーニング』(日曜日 8:00〜9:54)や、同じくTBSの『報道特集』(土曜日 17:30〜18:50)は「戦前・戦中から戦後の朝鮮戦争期にかけて日本に大量に入り込んで日本に住み着いた大量の朝鮮人」の遺伝子を受け継いでいる人たちが作っている番組である、と言って良いでしょう。『サンデーモーニング』は在日朝鮮人や朝鮮系日本人や高齢左派日本人の為の番組である、と言って良いでしょう。 もう一度言いますが、NHKを初めとする此れらの日本マスメディアは朝鮮系の人間をたくさん抱えているのです。 NHKを初めとする此れらの日本マスメディアは其の職員として働いている「多くの在日朝鮮人や多くの朝鮮系日本人」によって深く侵蝕されているのです。 また、学生時代に過激な政治運動をやっていたような左派日本人がNHKを初めとする此れらの日本マスメディアの職員になって活動している、と言われています。

在日朝鮮人や朝鮮系日本人によって侵蝕されているのはNHKを初めとする此れらの日本マスメディアだけではありません。 日本の公立学校も在日朝鮮人や朝鮮系日本人によって深く侵蝕されています。 多くの在日朝鮮人や多くの朝鮮系日本人が日本の公立小学校・公立中学校・公立高等学校の教員として採用されており、彼らは日本教職員組合(日教組)の組合員になって反日左派教育をして来ました。 在日朝鮮人など、日本国籍を持たない者でも日本の公立小学校・公立中学校・公立高等学校の教員になれるのです。 日本の公立小学校・公立中学校・公立高等学校の教員を採用する試験で国籍に関する制限はありません。
                                           宇都宮健児
日本弁護士連合会(日弁連)の上層部の弁護士は全てマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)です。 日弁連の元会長:宇都宮健児は中国共産党の機関紙『人民日報』の取材に応じて「第2次大戦中に犯した犯罪について徹底的に謝罪して懺悔を表明することが戦後日本の出発点だ。 安倍氏は日本の犯した犯罪を認めない上、憲法改正を図っている。 これでは周辺国の信頼は得られない」と発言しました。 宇都宮健児は「中国共産党の代弁者であり、且つ、反日韓国人の代弁者である」と言えるでしょう。『人民網』の2013年4月2日付けの日本語版記事「「平和の衣」を脱ぎ去ろうとする日本に警戒すべきだ」(http://j.people.com.cn/94474/8191286.html)をご覧になってください。


宇都宮健児は日本マスメディア『Business Journal』の面会取材に応じて次のように発言しました。(『Business Journal』の2019年11月28日付けの記事「徴用工個人の損害賠償請求権は消滅していない…日本による奴隷的強制労働こそ問題の本質」(https://biz-journal.jp/2019/11/post_130248.html)参照)
徴用工問題の本質は人権侵害の問題であり、「元徴用工」の方々の救済を最優先に考えるべきです。 そこで大切な事は謝罪と賠償です。 新日鉄住金を訴えた「元徴用工」は、感電死の危険がある中で溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷な労働を強いられ、其れにもかかわらず、賃金が支払われていません。 与えられる食料は少なく粗末で、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰を受けるなど、極めて劣悪な環境に置かれていました。 これは、強制労働(ILO第29号条約)や奴隷制(1926年奴隷条約)に該当する重大な人権侵害です。 その為、徴用工問題では被害者個人の被害が回復されなければならず、被害者や社会が受け入れることの出来ない国家間の合意は真の合意とはなり得ません。 また、「元徴用工」など個人の損害賠償請求権を国家間の協定で消滅させることは出来ないという事は今や国際人権法上の常識です。 <中略>  過去には日本政府や日本の最高裁判所も、実体的な個人の請求権は日韓請求権協定では消滅していない、と解釈しています。 例えば、1991年8月27日の参議院予算委員会では、外務省の柳井俊二条約局長がそのような意味の答弁をしています。 また、最高裁は2007年4月27日、中国人の強制連行被害者が西松建設に賠償を求めた裁判の判決で、個人の請求権について「実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権利を失わせるにとどまる」との判断を下しています。 結果的に、勝訴した西松建設は自発的に原告との和解に応じ、謝罪と賠償を行なっています。 この最高裁の解釈は徴用工問題にも当てはまります。 その為、日本企業が自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、日韓請求権協定は法的障害には成り得ないのです。 <中略>  この西松建設の他、花岡事件や三菱マテリアル事件などの事例を見ても、日本企業には被害者個人に対する謝罪と賠償の意思が有ることは明白です。 しかし、安倍首相や閣僚らは「日韓請求権協定で解決済み」と繰り返しており、企業の自発的な賠償を実質的に妨害しているのが現実です。 これは国の越権行為に当たると考えます。 <中略>  そもそも、日本企業は「元徴用工」に慰謝料を支払う意思があるのですから、政府はそれを阻止すべきではありません。 安倍内閣は歴史修正主義者で構成されていると言っても過言ではないでしょう。 少なくとも、中国人の強制連行被害者と同等の補償を行なうべきです。 戦後補償の問題については、ドイツの取り組みを見倣うべきです。 2000年8月、ナチス・ドイツによる強制労働被害に関してドイツの政府と企業約6400社が「記憶・責任・未来」基金を創設し、これまで約100ヶ国の166万人以上に対して約44億ユーロの賠償金を支払っています。 同様に、日本政府と日本企業とが基金を創設し、「元徴用工」に直接的な謝罪や補償を行なうという方法が望ましいです。 また、謝罪と賠償に加えて記憶の継承も重要です。 ドイツでは首都ベルリンの中心部に、ナチスに殺された600万人以上のユダヤ人のための追悼モニュメントが設置されています。 これは、同じような過ちを繰り返さず若い世代に語り継いでいくというドイツ人の決意の表れです。 日本も同様に徹底した教育や広報を行なうと共に、日本軍用慰安婦少女像や徴用工像を日本の国会議事堂の前などに設置すべきだと考えています。 私が日弁連の会長を務めていた2010年12月11日、日弁連と大韓弁護士協会(大韓弁協)は、日本による不法な植民地支配の下での韓国民に対する人権侵害、特にアジア太平洋戦争時の人権侵害による被害と被害回復に関して、共同シンポジウムを開催しました。 其の成果を踏まえて、日本軍用慰安婦被害や朝鮮人男性強制動員被害の救済の為に「共同宣言」を発表しました。 日韓関係が戦後最悪と言われる今こそ、日弁連と大韓弁協は新たな「共同宣言」を発表するなど、問題解決に向かって共同活動を行なうべきではないかと考えています。

韓国放送公社(KBS)は日本マスメディア『Business Journal』の宇都宮健児に対する面会取材から半年後の2020年6月1日に日弁連の元会長:宇都宮健児を「日本の行動する良心」として取り上げ、宇都宮健児の過去の発言「謝罪と賠償は第一歩に過ぎない。 其れ以上に重要な事は記憶の継承である。 日本軍用慰安婦少女像や徴用工像を日本の国会議事堂の前などに設置すべきである。 そして、日本の戦争犯罪の教訓を後世に残すべきである」などを紹介しました。 正に宇都宮健児は韓国の代弁者です。 伊藤亜人や和田春樹や進藤榮一と同じく、宇都宮健児も朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。
                                           戸塚悦朗
左派弁護士:戸塚悦朗は「Sex Slave(性奴隷)」という言葉を作り出し、「日本軍の慰安婦はSex Slave(性奴隷)であった」と主張し、国連人権委員会(国連経済社会理事会の下部機関。 人権派と言われている人々の集まり。 2006年6月から格上げされて「国連人権理事会」となる)での活動で「Sex Slave(性奴隷)」という言葉を世界中に広めました。 其の結果として、「日本軍は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して性奴隷にした」という観念が世界中に定着してしまいました。

敗戦後の日本では、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人が「日本国内で出来るだけ高い地位を確保したい。 日本国を自分たちにとって住み心地の良い国にしたい」という思いから、東京大学への入学を目指して学業に励み、彼らの中で学業成績の優秀な者は東京大学を初めとする一流大学に入学し、中央官庁の高級官僚、一流大学の教授、日本学術会議の会員、国会議員、「NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、など」の論説委員や解説委員、此れらの報道機関の報道番組のプロデューサーや編集長やディレクター、「朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、神奈川新聞、中日新聞、北海道新聞、など」の編集長や論説委員、東レの社長、経団連の会長、文部科学省の初等中等教育局長、文部科学省の事務次官、グローバリズムを信奉する精神科医、グローバリズムを信奉する脳科学者、グローバリズムを信奉する弁護士、グローバリズムを信奉する会社経営者、グローバリズムを信奉する言論人、グローバリズムを信奉するジャーナリスト、グローバリズムを信奉する政治評論家、グローバリズムを信奉する経済評論家、グローバリズムを信奉するニュースキャスター、グローバリズムを信奉する時事解説者、グローバリズムを信奉するテレビコメンテーター、などになり、真っ当な日本人(純正日本人)の振りをして「日本は韓国と仲良くしなければいけません」とか「日本は韓国を見倣うべきです」とか「日本は韓国の要求を受け入れるべきです」とか「日本は韓国と協力すべきです」とか、更には「朝鮮学校の授業料を無償化すべきである」と主張しているのです。 また、テレビのワイドショー番組に出演している芸能人は其の番組のディレクターから「日本は韓国と仲良くしなければいけません」とか「日本は韓国を見倣うべきです」とか「日本は韓国の要求を受け入れるべきです」とか「日本は韓国と協力すべきです」とか発言するように指示され、其の指示に従って「日本は韓国と仲良くしなければいけません」とか「日本は韓国を見倣うべきです」とか「日本は韓国の要求を受け入れるべきです」とか「日本は韓国と協力すべきです」とか発言しているのです。 また、テレビのワイドショー番組では韓国に関する話題が頻繁に取り上げられ、其の中で司会者が韓国を持ち上げて賞賛するような場面がよく有ります。 上記のテレビ放送局の経営者や職員、並びに、上記の新聞社の経営者や職員には韓国政府から多額のお金が渡っている、と思われます。 韓国の事情に詳しい室谷克実さんの文章を載せた夕刊フジの記事「日本のマスコミ界に潜む韓国マネー? 「対日世論工作」予算が3.3倍…メディアで「韓国に学べ」と叫ぶ人々の矛盾」(https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200528/for2005280001-n1.html)をご覧になってください。 因みに、言うまでもない事かも知れませんが、日本の芸能人や日本のスポーツ選手の中には在日朝鮮人や日本国籍を取得した朝鮮系日本人が沢山います。 もう一度言いますが、上記のテレビ放送局や上記の新聞社は在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人によって牛耳られています。 2022年5月10日に韓国で尹錫悦政権が発足して以降、上記のテレビ放送局や上記の新聞社は矢鱈に日韓友好を推奨するようになりました。 其れほどにまで上記のテレビ放送局や上記の新聞社を牛耳っている「在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人」は「韓国が日本に愛されるように」と願っているのです。

韓国の反日が国家宗教になった理由の第4は、北朝鮮政府が多数の北朝鮮工作員(一説には、5万人近くの北朝鮮工作員)を韓国に送り込んで、韓国人の反日感情を煽っている事です。 自称「元日本軍用慰安婦」韓国人女性を支援している挺対協(正義連)は北朝鮮政府の指揮下に在ります。 挺対協(正義連)は北朝鮮政府の手先になって韓国人の反日感情を煽っているのです。 挺対協(正義連)以外の極左派韓国人団体も北朝鮮政府の手先になって韓国人の反日感情を煽っています。 挺対協(正義連)も、其れ以外の極左派韓国人団体も、とても大きな影響力を持っています。 右派韓国人の中の少なからぬ人々や、中間派韓国人の中の少なからぬ人々は、極左派韓国人団体の煽動に容易に乗ってしまいます。

文在寅政権が北朝鮮政府の手先である事を明確に示した記事が在ります。 韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』の2020年6月5日付けの日本語版記事「北の一言で法律まで制定する文在寅政権」を引用しておきます。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の妹である金与正(キム・ヨジョン)労働党中央委員会第1副部長が4日に談話を発表し、その中で韓国内で活動する脱北者団体による北朝鮮向けビラ散布を激しく非難した。 金与正氏は談話の中で「(ビラ散布を)阻止する法律でも作れ」と要求した。 すると、韓国統一部はわずか4時間30分後にそれまで予定になかったブリーフィングを介して「対北ビラ散布禁止法律案(仮称)」を準備していると発表した。 青瓦台(韓国大統領府)も「北朝鮮へのビラ散布は百害あって一利なしの行為だ」と非難した。
金与正氏は労働新聞に掲載した談話の中で、北朝鮮にビラを散布した脱北者らに対し「人間醜物」「雑種犬」「くず」と呼び、「そいつらがうろついて、質(たち)の悪い事ばかりしているので、その主人(韓国政府)の責任を追及すべき時になった」と主張した。 さらに「私は悪い事をするやつらよりも、それを見て見ぬふりして煽り立てるやつの方がもっと憎い」「(南朝鮮当局は)くずたちの道化をやめさせる法律でも作るべきだろう」と指摘した。
金与正氏は「南朝鮮当局が相応の措置を取らないのであれば、それが開城工業地区の完全撤去につながるか、ただうるさいだけの北南共同連絡事務所の閉鎖か、有るのか無いのか分からない北南軍事合意の破棄になるか、いずれであっても、しっかりと覚悟しておくべきだ」と脅迫した。 開城の南北共同連絡事務所と9・19南北軍事合意は、2018年に立て続けに開かれた南北首脳会談で決まったものであり、いずれも文在寅政権が対北朝鮮政策の治績として宣伝してきたものである。
金与正氏の脅迫に韓国政府は即座に反応した。 韓国統一部の呂尚基(ヨ・サンギ)報道官は緊急のブリーフィングで「境界地域の国民の生命と財産に危険をもたらす行為(ビラ散布)は中断すべきだ」「境界地域における緊張造成行為を根本的に解消できる実効性のある制度改善方策を既に検討している」と明らかにした。 さらに「法律整備計画を準備している」として「対北ビラ散布禁止法律案(仮称)」を推進している事を確認した。
青瓦台の高官も「北朝鮮へのビラ散布には断固として対応していくだろう」と述べた。 韓国国防部は「民間団体による北朝鮮へのビラ散布は境界地域での緊張を高め、周辺に住む国民の生命と財産に危険をもたらす行為であるため、中断すべきだ」とコメントした。

韓国の反日が国家宗教になった理由の第5は、中国共産党が韓国の反日を支援している事です。 アメリカで「日本軍用慰安婦像」や「日本軍用慰安婦碑」を建てるなどの反日活動を行なう韓国系アメリカ人の背後には、中国共産党を後ろ盾とする中国系反日組織(「抗日連合会」という組織。正式名称は「世界抗日戦争史実維護連合会」)が在るのです。 此の中国系反日組織の本部はカリフォルニア州・サンフランシスコの近くにあって、此の中国系反日組織が韓国系アメリカ人の反日活動を支援しているのです。 また、中国共産党は朝鮮語に堪能な中国人工作員を大量に韓国に送り込んで、韓国人の反日感情を煽っている、と言われています。 2014年7月3日には中韓首脳会談で中韓両首脳が韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」関連資料の共同研究(「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の証拠を見付け出す為の共同研究)を行なう事で合意しました。 2014年12月15日には韓国政府傘下のシンクタンク「北東アジア歴史財団」と中国吉林省の「公文書保管局」とが韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」関連資料の共同研究の覚書を結びました。

以上のように、反日活動を行なう韓国人の背後には在日朝鮮人や朝鮮系日本人や北朝鮮政府や中国共産党が居るのです。

なぜ北朝鮮政府や中国共産党は韓国の反日を支援するのでしょうか。 まず、北朝鮮政府についてですが、北朝鮮政府は次のように思っているようです。「韓国の反日を支援し、且つ、韓国の反日を激しく煽る事で純正日本人の反韓感情を強め、日本と韓国とを憎しみ合わせる事で北朝鮮政府の主導による「南北朝鮮の統一」に都合が良い程度に日韓関係を弱め、次いで韓国政府をして米韓同盟を破棄させ、在韓アメリカ軍を韓国から追い出し、最終的に北朝鮮政府の主導で南北朝鮮を統一しよう」。 手短に述べれば、北朝鮮政府は「韓国の反日を支援し、且つ、韓国の反日を激しく煽る事で韓国を取り込もう」と思っているのです。

次に、中国共産党についてですが、中国共産党は「「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」というイメージを世界中の人々に植え付ける事で「日本はパートナーとしてふさわしくない」というイメージを世界中に広めて日本を孤立させ、更に、アメリカ国内に「日米同盟は危険だ」とのムードを作り、ひいては、アメリカと日本とを互いに離反させ、日本人を洗脳して日本人をして皇室(天皇家)を潰させ、最終的には日本を中国の日本自治区または日本省にしよう」と思っているのです(中国主導のグローバリゼーション計画「一帯一路」の一環)。 更に、中国共産党は「韓国の反日を支援し、且つ、韓国の反日を激しく煽る事で純正日本人の反韓感情を強め、日本と韓国とを憎しみ合わせる事で北朝鮮政府の主導による「南北朝鮮の統一」に都合が良い程度に日韓関係を弱め、次いで韓国政府をして米韓同盟を破棄させ、在韓アメリカ軍を韓国から追い出し、北朝鮮政府の主導で南北朝鮮を統一し、最終的には朝鮮を中国の朝鮮自治区または朝鮮省にしよう」と思っているのです。 朝鮮が中国の朝鮮自治区または朝鮮省になるという事は、朝鮮が本来の地位に戻るという事ですので、其の意味では望ましい事です。

因みに、“ 進歩的文化人 ” と言われて来た言論人(大内兵衛、大江健三郎、加藤周一、丸山真男、羽仁五郎、など)は「日本は中国の日本省になるのが良い。 中国共産党には日本を中国の日本省にして欲しい」と思いながら、其の思いを胸に畳んで自説を主張してきたのです。

因みに、北朝鮮や中国は言わずと知れた反日国です。 反日左派日本人は韓国政府の息や北朝鮮政府の息や中国共産党の息の掛かった人々である、と思われます。 反日左派日本人は、韓国や北朝鮮や中国を「我が母国」と思っている日本人であるか、グローバリズム(globalism。汎地球的自由主義。地球市民主義)を信奉する日本人であるか、のどちらかでしょう。 韓国や北朝鮮や中国を「我が母国」と思っている日本人はたとえ日本国籍を持っていても外国人と見て良い人々です。 反日左派日本人は「日本を在日朝鮮人や朝鮮系日本人や在日中国人にとって住み心地の良い国にしよう」とか「日本は韓国の日本に対する要求を全て受け入れるべきだ」とか「国家というものを無くして、世界政府を作ろう」と思っているのです。 反日左派日本人は韓国政府の手先であるか、北朝鮮政府の手先であるか、中国共産党の手先であるか、のいずれかでしょう。 反日左派日本人は韓国政府または北朝鮮政府または中国共産党と共同して韓国の反日を支援しているのです。

● 朝日新聞は韓国の手先・代弁者であるか、又は、北朝鮮政府の手先・代弁者であるか、又は、中国共産党の手先・代弁者であるか、又は、アメリカ支配階級の手先・代弁者である。

朝日新聞は1982年から32年間に渡って吉田清治の講演や著書に基づいて「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を報道して来ました。 其の目的は、日本をして韓国に謝罪させる為でしょうか、それとも、日本と韓国とを憎しみ合わせる為でしょうか。 此の2つの目的以外には、朝日新聞が32年間に渡って「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事を報道してきた目的は此れと言って見当たりません。 もし朝日新聞が日本をして韓国に謝罪させる為に「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事を報道してきたのであれば、朝日新聞は韓国の手先・代弁者です。 もし朝日新聞が日本と韓国とを憎しみ合わせる為に「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事を報道してきたのであれば、朝日新聞は北朝鮮政府の手先・代弁者であるか、又は、中国共産党の手先・代弁者であるか、又は、アメリカ支配階級の手先・代弁者である、となります。 朝日新聞が北朝鮮政府の手先・代弁者であり、且つ、中国共産党の手先・代弁者であるとか、朝日新聞が中国共産党の手先・代弁者であり、且つ、アメリカ支配階級の手先・代弁者であるとか、朝日新聞がアメリカ支配階級の手先・代弁者であり、且つ、北朝鮮政府の手先・代弁者であるとか、朝日新聞が北朝鮮政府の手先・代弁者であり、且つ、中国共産党の手先・代弁者であり、且つ、アメリカ支配階級の手先・代弁者であるとかいう事も大いに有り得ます。 朝日新聞は今日まで韓国寄りの論説をしばしば発表して来ました。 安倍内閣が2019年7月4日に対韓国輸出管理を厳格化して以降、朝日新聞は韓国を露骨に擁護する論説や韓国人を元気付けようとする記事を相次いで発表して来ました。 因みに、毎日新聞も韓国を擁護したいという気持ちが透けて見える論説や純正日本人の嫌韓を和らげようという意図が透けて見える記事を相次いで発表して来ました。

● 日本を深く侵蝕している中国共産党工作員。
「中国共産党工作員」とは、中国共産党の指示を直接に受けて世界各地で工作活動を行なう中国政府外交官僚、並びに、中国政府外交官僚の工作活動によって中国共産党の利益の為に働くようになった人々(中国共産党の手先・代理人)並びに、中国共産党によって工作活動要員として世界各地に送り込まれた非官僚中国人を意味します。 念の為に述べれば、中国共産党工作員は中国人(中国の国籍を持っている者)であるとは限りません。 日本国籍を持っている中国共産党工作員だって沢山いるのです。 NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、などの日本マスメディアは中国共産党工作員によって深く侵蝕されているようです。 と言うより、NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、などや、各種雑誌の発行会社などは中国共産党の手先になっている、と言った方が良いでしょう。 此れらのテレビ局や新聞社や雑誌発行会社には中国共産党から多額の金銭または其れに相当するものが渡っているようです。 其の為、此れらのテレビ局や新聞社や雑誌発行会社は中国共産党にとって都合の悪い事を報道しません。 其ればかりか、此れらのテレビ局や新聞社や雑誌発行会社は中国を賞賛するような記事や日本国民を巧妙に誘導して中国の利益を増やそうとする記事をしばしば発表します。 NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、などの日本マスメディアの職員の中には在日朝鮮人や朝鮮系日本人が沢山いることは先にも述べましたが、此れらのテレビ局や新聞社や雑誌発行会社の職員の中には中国共産党の利益の為に働く日本人もたくさん居る、と言って良いでしょう。 ドナルド・トランプさんが2017年1月にアメリカ大統領に就任しました。 すると、日本国内に居る中国共産党工作員は安倍内閣の支持率を下げる為に、同年2月から森友学園問題を取り上げるようになり、同年3月からは加計学園問題を取り上げるようになり、此れら2つの問題を2018年5月頃までしつこく取り上げて来ました。 2023年2月の時点のNHKは大河ドラマの製作においても中国共産党工作員によって深く侵蝕されている、と見て良いでしょう。「日本は工作員天国・スパイ天国」と言われています。 日本国内で暗躍している中国共産党工作員の数は5万人である、と言われています。 中国共産党は其の巨大な資金力を使って日本のマスメディア界、日本の政界、日本の官界、日本の財界、日本の学会に盛んに働き掛けています。 日本学術会議の会員になっている「日本の一流大学の理学や工学の教授」の中には中国共産党工作員が沢山いるようです。 経団連も中国共産党によって懐柔されているようです。 動画「中国はもうダメ!政治リスクで世界のお金が離れていく!なのに日本の経団連は中国べったり」(https://www.youtube.com/watch?v=vBDQn8OXoKs)をご覧になってください。

2021年の時点で中国共産党は政治宣伝(プロパガンダ)機関として「孔子学院」というものを世界中の大学内に550ヶ所も設置しており、日本国内には15の孔子学院がある、と言われています。 2018年頃から日本国内で「中国五千年」と言われるようになりました。 此の現象は日本国内にある孔子学院を根城にする中国共産党工作員の仕業、又は、在日本中国大使館勤務の中国政府外交官僚の仕業であり、中国共産党による日本人洗脳戦略の一環である、と見て間違いありません。 多くの日本人が「そんな事は大した事ではない」と思うかも知れませんが、「中国五千年」を素直に且つ無批判に信じてしまうような日本人は日本人洗脳戦略の初期段階では些細な事柄で少しずつ洗脳され、初期段階が終わって次の段階に入ると、重要な事柄で加速度的に且つ急激に洗脳されて行くでしょう。

因みに、北朝鮮の国籍を持たない北朝鮮工作員が純正日本人の振りをして日本の政界で盛んに活動しているようです。 また、日本経済新聞の経済に関する記事を信用して有り難がって読んでいると、経済音痴になるようです。

● 「戦前・戦中から戦後の朝鮮戦争期にかけて日本に大量に入り込んで日本に住み着いた大量の朝鮮人」の遺伝子を受け継いでいる日本人が日本における韓流ブームや韓流人気や韓国旅行人気の基盤(建物の土台を支える地盤)になっている。

日本による朝鮮併合統治(日本による朝鮮植民地支配)が1910年8月29日に始まりました。 すると、多くの朝鮮人が貧しい朝鮮を離れ、高い給料をもらえる日本内地に我先にやって来ました。 大東亜戦争の終結時に日本内地に居た朝鮮人の数は193万人余りでした。 彼ら朝鮮人193万人余りの内の130万人強は1946年3月までに朝鮮に帰りましたが、残りの朝鮮人60万人ほどは日本国内に居続けて日本に住み着きました。 そして、日本政府は日本に住み着いた朝鮮人60万人ほどに日本永住権を与えました。 また、先に述べたように、朝鮮戦争の期間中、保導連盟事件での民間人殺害から逃れようとした韓国人や、朝鮮戦争の惨禍から逃れようとした韓国人や北朝鮮人が日本に大量に密入国しました。 そして、朝鮮戦争が1953年7月に休戦状態になってからも、朝鮮戦争の惨禍から逃れようとした韓国人や北朝鮮人が日本に大量に密入国しました。 其の数は、『コリア・レポート』の創刊者・編集長:辺真一さんによると、何と総計200万人です。 其の当時の日本政府は其の密入国を容認しました。 そして、其の当時の日本政府は日本に密入国した此れらの韓国人や北朝鮮人が日本で生活して行けるように日本国民の血税をたくさん使いました。 1959年から1967年にかけて在日朝鮮人の帰還事業が行なわれ、此の帰還事業の「北朝鮮は地上の楽園である」という宣伝文句の下で在日朝鮮人9万人強が北朝鮮に帰りました。 という事は、日本に密入国した総計200万人の内の190万人ほどは韓国や北朝鮮に帰らずに日本国内に居続けて日本に住み着いたという事を意味します。 大した根拠も無く述べさせてもらいますが、韓国や北朝鮮に帰らずに日本国内に居続けて日本に住み着いた朝鮮人(60万人ほど+190万人ほど)と純正日本人との間での数世代に渡る婚姻の結果として、韓国や北朝鮮に帰らずに日本国内に居続けて日本に住み着いた朝鮮人の遺伝子(生物学上の遺伝子、又は、霊的な遺伝子)を受け継いでいる日本人が2019年の時点で1000万人ほど居るのではないでしょうか。 此のような日本人は朝鮮人の遺伝子を受け継いでいる為、朝鮮に郷愁を感じるのでしょう。 日韓関係が冷え込んでいる2019年10月の時点でも、此のような日本人が大量に韓国を訪れているようです。 此のような日本人、即ち、戦前・戦中から戦後の朝鮮戦争期にかけて日本に大量に入り込んで日本に住み着いた大量の朝鮮人の遺伝子(生物学上の遺伝子、又は、霊的な遺伝子)を受け継いでいる日本人、並びに、在日朝鮮人や日本国籍を取得した朝鮮系日本人が日本における韓流ブームや韓流人気や韓国旅行人気の基盤(建物の土台を支える地盤)になっているのです。 在日朝鮮人や日本国籍を取得した朝鮮系日本人はK-POPや韓国ドラマが大好きです。 そして、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人は「韓国擁護論」や「韓国を見倣え論」の主張元です。 そして、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人は「社民党」や「れいわ新選組」や「日本共産党」や「立憲民主党」や「公明党(創価学会)」の支持基盤になっています。 そして、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人が此れらの組織の構成員になっている、と思われます。 そして、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人の中には北朝鮮政府と通じている者が沢山いるようです。 そして、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人は NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、日本テレビ、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、日本経済新聞、日刊ゲンダイ、共同通信、などの組織の内部で大きな力を振るって「韓国推し」報道をしています。 また、「社民党」や「れいわ新選組」や「日本共産党」や「立憲民主党」や「公明党(創価学会)」に所属する国会議員や県議会議員や区議会議員や市町村議会議員の中には日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人が沢山いるようです。

因みに、もし、あなたが朝鮮に郷愁を感じるのであれば、あなたは「戦前・戦中から戦後の朝鮮戦争期にかけて日本に大量に入り込んで日本に住み着いた大量の朝鮮人」の遺伝子(生物学上の遺伝子、又は、霊的な遺伝子)を間違い無く受け継いでいるのです。 あなたが朝鮮に郷愁を感じないのであれば、あなたは「戦前・戦中から戦後の朝鮮戦争期にかけて日本に大量に入り込んで日本に住み着いた大量の朝鮮人」の遺伝子を受け継いでいない、と言えるでしょう。

● 毎日新聞など、韓国を擁護する日本マスメディアの「韓国人の7人に1人が観光客として日本にやって来たのだから、韓国人は日本を嫌っている、とは言えない。 韓国人はみんな日本に親近感や好感を持っている。 韓国人は三菱製のボールペンを使っているし、日本製ゲームや日本製アニメが大好きで、日本製乗用車も大好きだ。 韓国人は日本旅行をしたくてうずうずしている。 韓国人はみんな日本が大好きだ。 韓国人はみんな親日だ」という主張はまやかしである。

毎日新聞など、韓国を擁護する日本マスメディアは「2018年の1年間だけでも人口約5000万人の韓国から700万人近い韓国人が観光客として日本にやって来た。 韓国人の7人に1人が観光客として日本にやって来たのだから、韓国人は日本を嫌っている、とは言えない。 韓国人はみんな日本に親近感や好感を持っている。 韓国人は三菱製のボールペンを使っているし、日本製ゲームや日本製アニメが大好きで、日本製乗用車も大好きだ。 韓国人は日本旅行をしたくてうずうずしている。 韓国人はみんな日本が大好きだ。 韓国人はみんな親日だ。 だから、日本人は嫌韓感情を捨てて韓国人と仲良くすべきである。 日本は韓国の良き隣国でなければならない」と主張する論説を度々発表して来ました。 日本政府観光局によれば、2013年度の訪日韓国人数は245万人(うち、観光客数は197万人)、2014年度の訪日韓国人数は275万人(うち、観光客数は228万人)、2015年度の訪日韓国人数は400万人(うち、観光客数は351万人)、2016年度の訪日韓国人数は509万人(うち、観光客数は459万人)、2017年度の訪日韓国人数は714万人(うち、観光客数は659万人)、2018年度の訪日韓国人数は753万人(うち、観光客数は697万人)でした。 そして、2018年における韓国の人口は5164万人でした。 ですから、「韓国人の7人に1人が観光客として日本にやって来た」という主張は間違っていません。 しかし、「韓国人の7人に1人が観光客として日本にやって来たのだから、韓国人は日本を嫌っている、とは言えない。 韓国人はみんな日本に親近感や好感を持っている。 韓国人は三菱製のボールペンを使っているし、日本製ゲームや日本製アニメが大好きで、日本製乗用車も大好きだ。 韓国人は日本旅行をしたくてうずうずしている。 韓国人はみんな日本が大好きだ。 韓国人はみんな親日だ」という主張はまやかしです。「韓国人の7人に1人が観光客として日本にやって来た」からと言って、「韓国人はみんな日本に親近感や好感を持っている。 韓国人は日本旅行をしたくてうずうずしている。 韓国人はみんな日本が大好きだ。 韓国人はみんな親日だ」とはなりません。 其の理由を詳しく述べましょう。 先に述べたように、強い反日観念を持っている韓国人は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っています。 強い反日観念を持っている韓国人ほど「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とにたくさん溜め込んでいます。 其の為、彼ら反日韓国人の顕在意識領域の下層部に溜め込まれた「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」や「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 また、彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込んだ「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが互いに複雑に反応して「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生し、其れだけでなく、色々な「日本に対する強い愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 其の結果として、強い反日観念を持っている韓国人は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しながらも、「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に発生し、彼らは其の思いを顕在意識領域の下層部に押し込んで保持して来たのです。 実際、強い反日観念を持っている韓国の政治指導者は反日を叫びながらも、密かに日本製高級乗用車を所有していたりします。 先に述べたように、 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は強い反日観念を持っており、韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は強い反日観念を持っていません。 ですから、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が強い反日観念を持っている韓国人の全てです。 分かり易く言うと、「韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)」の集合=「強い反日観念を持っている韓国人」の集合 という等式が成り立っています。 此の等式と「強い反日観念を持っている韓国人は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しながらも、「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に発生し、彼らは其の思いを顕在意識領域の下層部に押し込んで保持して来た」という事とから、「韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しながらも、「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に発生し、彼らは其の思いを顕在意識領域の下層部に押し込んで保持して来た」という事が導かれます。 此のような精神状態は強い反日観念を持っている韓国人の特徴である、と思われます。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いを顕在意識領域の下層部に押し込んで保持しながら、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難して来たのです。 強い反日観念を持っている韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とに凝り固まり、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らして来ました。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は決して親日ではありません。 彼らは「反日は当然で正しい事だ。 反日は正義だ」と思っているのです。

因みに、2018年の時点で、韓国人の45%ほどを占める右派韓国人(2320万人ほど)の左寄り20%ほど(464万人ほど)は弱い反日観念を持っており、韓国人の14%ほどを占める中間派韓国人(775万人ほど)は反日観念を大して又はほとんど又は全く持っていません。 弱い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の左寄り20%ほど)や、中間派韓国人(反日観念を大して又はほとんど又は全く持ってない韓国人)も「日本に対する或る程度の愛情欲求」を持っています。 其の為、弱い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の左寄り20%ほど)や、中間派韓国人(反日観念を大して又はほとんど又は全く持ってない韓国人)も「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」と思っています。「右派韓国人の左寄り20%ほど」や「中間派韓国人の全て」は「日本に対する或る程度の愛情欲求」を持ち、其れ相応の「日本に対する好感」を持っています。

● 韓国の政治指導者は「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」とか言って日本に寛大さを求めながら、日本が見せた寛大さや好意を踏みにじる。

韓国の政治指導者は「恐ろしい中国共産党」にだけ従順です。 そして、其の反動で韓国の政治指導者は「中国共産党以外の恐ろしくない勢力」を軽んじます。 韓国の政治指導者は「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」とか言って日本に寛大さを求めます。 そして、日本が韓国に寛大さを見せると、韓国の政治指導者は日本を見下して軽んじ、日本が見せた寛大さや好意を踏みにじります。 韓国の政治指導者にとって「寛大な国、優しい国」日本の見せた寛大さや好意は踏みにじるに値するものなのです。 日本が韓国に寛大さや好意を見せれば見せるほど、韓国の政治指導者は付け上がります。 そして、韓国の政治指導者は韓国に寛大さや好意を見せた「寛大な国、優しい国」日本を見下して軽んじ、最終的に日本を裏切ります。 韓国という国は日本に対しては恩を仇(あだ)で返す国なのです。 此の事に関しては、日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「人民元圏で生きる決意を固めた韓国 日韓通貨スワップ終了を真田幸光教授と考える」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150302/278134/)を是非ご覧になって欲しいと思ったのですが、此の記事は日経ビジネスのインターネットサイトで見られなくなってしまいましたので、此の記事の内容を基本的に其のまま、一部の表はカットして次に掲載します。

人民元圏で生きる決意を固めた韓国 日韓通貨スワップ終了を真田幸光教授と考える。
2015年3月5日(木)
韓国は人民元を頼りに生きる決意を固めた。 日韓通貨スワップ協定の終了を真田幸光・愛知淑徳大学教授と共に考える。(司会者は日経ビジネス副編集長:坂巻正伸)

真田 幸光(さなだ ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部・研究科教授(学部長・研究科長)。 1957年東京生まれ。 慶応義塾大学法学部卒。 1981年、東京銀行入行。 韓国・延世大学留学を経てソウル、香港に勤務。 1997年にドレスナー銀行、1998年に愛知淑徳大学に移った。 1997年のアジア通貨危機当時はソウルと東京で活躍。 2008年の韓国通貨危機の際には、1997年アジア通貨危機の経験と欧米金融界に豊富な人脈を生かし、「ウォン売りは止まらない」と、いち早く韓国を見限った。

韓国の通貨スワップ協定(2015年3月1日の時点で)

<注> CMI(チェンマイ イニシアティブ)は IMF融資とリンクしない場合は30%まで。
資料 ソウル新聞「韓国経済の体力は十分」(2015年2月17日)

坂巻: 日韓通貨スワップ協定が2015年2月23日を以て全て終了しました。(「『目下の日本』からドルは借りない」参照)
真田: 韓国は金融面でも中国頼みで生き残る事を決意したと思います。 少なくとも国際金融界はそう見なしたでしょう。
坂巻: 韓国の2国間通貨スワップ協定の相手から日本が消えたうえ、中国との通貨スワップ協定の枠が総枠の70%を占めるようになりました。 中国頼みとの判断は、ここからですか。
真田: そうです。 韓国は「お前のドルなんか借りないよ」と日本にケンカを売る形で日韓通貨スワップ協定を終了させたのです。 最後の日韓通貨スワップ協定となったのは CMI(チェンマイ イニシアティブ)の中の「日本から韓国への100億ドル」でした。 CMI は1997年のアジア通貨危機に苦しんだアジア各国が作ったセーフティネットです。 アジア各国の協力の象徴なのです。 アジア各国が見守る中、韓国は CMI の「日本から韓国への100億ドル」を此れ見よがしに蹴ったのです。
鈴置: 韓国各紙は「日本など相手にするな。 通貨スワップ協定は欧米と結べば良い」と書いています。 例えば、『朝鮮日報』(朝鮮語版)の2月18日付け社説の見出しは「韓日通貨スワップ、恋々とせずにアメリカ・EUチャネルを開け」でした。

「恋々とするな」とは?
鈴置: 韓国の金融界は日本との通貨スワップ協定を続けたかったでしょう。 でも、今の韓国社会は「日本ごときに頭を下げられない」との空気が支配しています。 当然、「卑日」路線の朴槿恵政権も延長を要請しませんでした。 そこで『朝鮮日報』は金融界などの「恋々とする勢力」に対し「アメリカ・EUとの通貨スワップ協定」という代案を提示したうえ、「日本、日本、と未練がましい事を言うな」と叱ったのでしょう。
真田: アメリカ・EUが韓国を助けるかは甚だ疑問です。 韓国は外貨不足の国ですから、国際金融市場では常にUSドルの借り手です。 超短期のUSドル資金の融通――1日間で決済するので「オーバーナイト」と呼びます。 ギリシャ問題などを抱える欧州の金融機関には、この「オーバーナイト」のUSドルを韓国に貸す余裕はありません。 一方、アメリカにはその余裕があるとしても、韓国の現在のリスク要因を考えれば、アメリカが簡単に韓国に貸すとは思えません。 韓国は日常的な取引でさえ仲間外れにされているのに、いざという時の信用供与をアメリカ・EUに頼んでいます。 韓国紙の主張は絵に描いた餅に終わる可能性が大です。

スポンサーは中国しかいない。
坂巻: では、誰が韓国にオーバーナイトのドルを貸しているのですか。
真田: 今までは日本の銀行が貸していたと思われます。 ところが、韓国は日本にケンカを売った。 そこで国際金融筋は「韓国はいざという時に助けてくれるスポンサーを日本以外に確保したな」と見なしました。 もちろん、韓国の新たなスポンサーは先ほど申し上げたようにアメリカ・EUではありません。 それは中国しかあり得ません。 今後、韓国の金融機関が外貨不足で困った時は、中国の銀行が韓国の金融機関に人民元を貸すことになるでしょう。 韓国全体がピンチに陥った時には、韓国政府は中国政府に通貨スワップをお願いして助けてもらうことになるでしょう。 その過程で、韓国は次第に人民元経済圏に組み込まれていくと思います。 そもそも韓国の貿易総額の25%は中国との取引です。 この実態に金融が追い付く形で、貿易はドルではなく人民元で決済されるようになっていく、と見られます。

「次の危機」を待つ中国
鈴置: 中国と韓国との間では既に通貨スワップ協定を生かして人民元と韓国ウォンで貿易決済する仕組み、即ち、USドルを使わずに取引する仕組みができています。 韓国民間企業も此の仕組みを活用し始めました。 また、韓国が困った時、中国は「助けて欲しいのであれば、AIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加しろ」と要求する可能性が極めて高い。 AIIBは、日本とアメリカが主導するアジア開発銀行(ADB)に対抗して中国が計画したものです。 アメリカはAIIBを中国のアジア支配の道具として警戒し、韓国に参加しないよう強く求めています。 中国は韓国をアメリカから引きはがして自分の陣営に取り込むべく、韓国の次の危機を待っているでしょう。
真田: 私も、韓国が困った際には中国は韓国のAIIB加盟を救済の条件に付けると思います。 今でさえ、中国は韓国のAIIB加盟を相当強力に要求しているのです。 いざという時に韓国が「NO」と言うのは難しい。

韓国の歴史認識は誤りだ。
坂巻: 日韓通貨スワップ協定の終了は「日韓」を超え「アメリカ・中国」の問題なのですね。
真田: その通りです。 このシリーズ記事がずっと指摘してきたように、韓国はアメリカから離れ、どんどん中国陣営に引き込まれています。 今回の事件はその一幕なのです。(「米中星取表」参照) 鈴置さんが小説『朝鮮半島201Z年』で予測した通り、韓国は日本より先に中国と自由貿易協定(FTA)を結びました。 そして、これまた、鈴置さんの予測通りに、韓国は日本との通貨スワップを打ち切って中国頼みになりました。 韓国は、ミサイル防衛(MD)に関しても中国から睨まれているので、動けなくなっています。 貿易→金融→軍事の順に着々と中国に取り込まれているのです。
坂巻: 今後、韓国が金融面で困った時に日本は助けないのですか。
真田: 容易には助けないと思います。 日本の金融界には「恩を仇で返された」との思いが強いからです。 韓国人や韓国マスメディアは「1997年、日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った」と主張します。 しかし、それは全くの誤りです。 あの時は、欧米の金融機関が韓国から撤退する中、最後まで邦銀が韓国にドルを貸し続けたのです。 韓国の歴史認識は完全に間違っています。

恩を仇で返す国は助けない。
鈴置: 当時、真田先生は東京三菱銀行で韓国を担当していました。 私も日経新聞のデスクとしてアジアの金融を見ていました。 あの頃は、韓国人の中でも理解力のある人は「日本は最後まで面倒を見てくれた」と言っていました。 1998年だったと思いますが、韓国通貨危機の原因を問題にした韓国国会でも、「日本は最後まで面倒を見てくれた」という事を前提にした質問があったそうです。 でも今や、そんな事を言う韓国人は居ません。 なぜなら、韓国では日本が悪者でなければならないからです。 その当時をよく知っている筈(はず)の韓国人記者も「日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った」と書きます。
真田: 欧米が韓国から逃げたあとも、日本は最後まで韓国から引かなかった。「日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った」とは、言いがかりも甚だしい。 これだけは記録に留めて頂きたい。 邦銀の担当者は本店を説得し、欧米が韓国から逃げたあとも、日本は最後まで韓国にドルを貸し続けたのです。 韓国が国際通貨基金(IMF)に救済を申請したあとでも、日本輸出入銀行はKDB(韓国産業銀行)とIBK(中小企業銀行)にUSドルを融資しました。 我々、邦銀の韓国担当者が走り回ったのです。 それなのに、「日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った」と世界中に吹聴する韓国。 そんな国を誰が助ける気になるでしょうか。 麻生太郎財務大臣が2014年10月に「韓国から申し出があれば、日韓通貨スワップ協定の延長を検討する」と国会で答弁したのも、恩を仇で返す韓国への不信感が背景に有ったと思います。

アメリカ連邦政府は日韓通貨スワップを禁じた。
坂巻: 1997年の韓国通貨危機で最後には邦銀も韓国から引きました。 なぜですか。
真田: アメリカ連邦政府からの指示です。 日本には永田町(政界)を含め「韓国を助けよう」という合意があった。欧米のヘッジファンドがウォンを売り浴びせる中でもです。 しかし、「韓国救済は国際的なスキームの中でやる」というアメリカ連邦政府からの指示があったのです。 日本はその指示に従わざるを得なかったのです。「国際的なスキーム」とは、IMFによる救済です。
鈴置: 韓国のドル不足がどうしようもなくなり、韓国政府が IMFに救済を申請したのが1997年11月21日。 その直前の或る日、私は朝刊版デスクでした。 夕方「韓国銀行から日本銀行に対し、ドルを貸してくれ、と要請があった」との情報に接しました。 日韓通貨スワップの要請です。 もちろん、日本はその要請に応じる積もりでした。 あの頃は、「旧植民地の韓国が困ったら、韓国を助けるのは当然だ」という思いが永田町だけでなく、日本全体の空気でした。 しかし、その晩、いくら待っても「日銀が日韓通貨スワップを承諾した」との情報が入って来ないのです。 変だなと思って担当部に聞きに行ったところ、「日銀がアメリカ連邦政府に連絡したところ、「日韓通貨スワップは駄目だ」という厳しい回答があった」との事でした。 私は驚きました。「アメリカ連邦政府は韓国を IMF の管理下に置く積もりだ。 日本は余計な事をするんじゃない」というアメリカ連邦政府のお達しなのです。 米連邦準備委員会(FRB)議長だったアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)氏の回顧録『波乱の時代(上)』の274ページに次の記述があります。
11月、日本銀行の幹部から電話があり「韓国経済が崩壊しかねない」と警告された。 日本のメガバンクが韓国に対する信任に見切りを付け、数百億ドルの融資の更新を撤回しようとしているとの説明だった。

私の体験に照らせば、グリーンスパン氏は半分しか語っていません。「韓国通貨危機に関して日本銀行の幹部から電話があった」とは書いても、「日韓通貨スワップを禁じたのはアメリカ連邦政府だ」という記載は無いのです。 日韓通貨スワップを禁じたのはFRBではなく、アメリカ財務省かも知れません。
真田: 本当に日韓通貨スワップを禁じたのは、アメリカ国防省、あるいは、ホワイトハウスかも知れません。 米韓関係は相当に悪化していましたから。
鈴置: 北朝鮮の核開発にどう対応するかで米韓は対立していました。 米韓の間の貿易摩擦も深刻になっていました。 金泳三政権(1993年〜1998年)と日本との関係は悪かったのですが、金泳三政権はクリントン政権(1993年〜2001年)からも睨まれていました。 金泳三政権はアメリカを怒らせていたのに、当時の韓国紙は「極めて良好な韓米関係」と書いていました。 それについては今も同じです。
坂巻: そのアメリカに関連して質問です。 今回の日韓通貨スワップ協定の打ち切りについて、日本政府はアメリカ連邦政府に事前に説明していたのでしょうか。
真田: 韓国のドル離れ、韓国のアメリカ離れに繋がる極めて重要な案件ですから、日本政府は事前に説明していたと思います。 ただし、「日韓通貨スワップ協定を打ち切る」ではなく、「韓国の求めがあれば、日韓通貨スワップ協定を続ける」というような表現だったろうと想像します。
鈴置: それに対し、アメリカ連邦政府は何と言ったのでしょうか。
真田: アメリカ連邦政府が何かを言ったとしたら、其れは韓国に対しての発言だったでしょう。 尤も、アメリカ連邦政府が「日韓通貨スワップ協定を続けろ」と韓国政府に言ったとしたら、韓国政府はアメリカ連邦政府の命令を無視した事になります。

チキンゲームを戦う米韓
坂巻: 韓国政府は強気ですね。
真田: 韓国政府はアメリカ連邦政府に対しては「中国カード」を使えると考えているフシがあります。 いざという時は「中国に人民元スワップを発動してもらう」と言えば、アメリカ連邦政府がドルを貸してくれる、と計算していると思います。
鈴置: 米韓両国政府の思わくの違いに注目すべきですね。 韓国政府は「「我々は中国側に行くぞ」とアメリカ連邦政府を脅(おど)せば、アメリカ連邦政府は我々の要求を受け入れる」と考えている。 なぜなら、韓国政府は「アメリカ連邦政府は韓国を手放せないはずだ」と思っているからです。 一方、アメリカ連邦政府は「「そんなに中国が好きなら、そっちへ行け」と韓国政府を放り出せば、韓国政府は戻ってくる」と信じている。 なぜなら、アメリカ連邦政府は「韓国は自力だけでは自国を守れない」と思っているからです。 真田先生が指摘されたMD(missile defense)、殊に、THAAD(サード)の韓国配備の問題でも同様です。 韓国政府は中国政府の怒りを避けようとして「THAADの配備計画なんぞアメリカ連邦政府から聞いていない」と言い張る。 なぜなら、韓国政府は「「THAADで追い詰められた韓国が中国側に行ったら大変だ」とアメリカ連邦政府は思う筈だ」と考えているからです。 これに対し、アメリカ連邦政府は「韓国政府とTHAADの配備計画についての相談を始めている」などと “ 勇み足の発言 ” をして「米中どちらの味方なのかをはっきりせよ」と韓国政府に迫っています。

金融を武器にするアメリカ
真田: そこが分析の要所です。 ただ、アメリカ連邦政府のハラが読みづらい。 韓国政府を脅せば戻ってくると計算しているのか、あるいは「戻ってくればよし、戻ってこなくてもよし」と達観しているのか。 オバマ政権はレームダック化しましたが、オバマ政権は朝鮮半島に関しても思考を停止した感があります。 アメリカを本当に動かしている金融と軍事の2つのパワーセクターが「この半島をどうしたらいいのか」と、迷っているように見えます。
鈴置: アメリカの金融界がどう動くかが注目ですね。 ウクライナ問題でも同様ですが、最近のアメリカ連邦政府は軍事力での勝負を避け、金融力で相手を圧倒しようとします。 そして、仮にアメリカ連邦政府が朝鮮半島を捨てる場合でも、単に捨てるのではなく、朝鮮半島を捨てることを中国政府との交渉カードにするだろう、と思います。
坂巻: 近未来小説『朝鮮半島201Z年』では米中が話し合って、半島全体を中立化しました。
鈴置: 厳密には、アメリカ連邦政府が中国政府に騙された振りをして中立化を呑むという筋立てです。『中国という蟻地獄に落ちた韓国』のエピローグに架空の日米首脳会談を入れました。 ここに種明かしがされています。

中韓密約で逆転ホームラン?
真田: 『朝鮮半島201Z年』は、日本にとってワーストシナリオです。 そうなっては困りますが、今や、そうなっても、おかしくないと思います。 最近の国際金融界には「習近平主席は「南北首脳会談を強力に後押しする」と朴槿恵大統領に約束した。 南北和解という大金星を挙げたい朴槿恵政権は外交常識を超えて中国政府の言う事を聞くようになった」という噂が流れています。 習近平と朴槿恵との密約説とも言うべき話です。 証拠は無いのですが。 内政でも失点続き、外交でもその迷走が次第に批判され始めた朴槿恵政権は、ここで逆転満塁ホームランを打つ必要があります。 もし南北首脳会談を開いたうえ、核問題で何らかの進展があれば、指導力は一気に浮揚します。

父親も演じた南北和解劇
鈴置: 確かに韓国でも、そうした噂を信じる人が増えています。 北朝鮮に核を放棄させるには、在韓米軍の撤収や米韓同盟の解消など、韓国側の相当に思い切った、国の針路を変えるほどの譲歩が必要でしょう。 そうした超大型の取引はトップ同士で交渉するしかありません。 朴槿恵大統領の父親の朴正熙大統領も、北朝鮮との秘密交渉の末、1972年に南北朝鮮の和解・統一を目指して「7.4共同声明」を発表しました。 当時は米中が和解に動いていまして、状況は今と反対でした。 しかし、朝鮮半島に限れば、構造は似ています。 ベトナム戦争を終わらせようとするアメリカ連邦政府が韓国からも軍を引き始めていたのです。 7.4共同声明は「アメリカ連邦政府から見捨てられる」との国民の不安を解消するために朴正熙政権が打った大興業だったのです。 しかし、現実には南北の対立は解けませんでした。 其ればかりか、南北の政権ともに「非常時」を名分として独裁体制を強化したのです。 朴槿恵大統領がそうするかはともかく、韓国民は「安全保障を巡る環境は1972年と似てきた。 お父さんと同様に朴槿恵大統領は南北和解劇を演じるかも知れない」と考えるでしょう。 朴槿恵大統領も「南北統一は大当たりだ」などと唐突に思わせぶりな発言をしますしね。 それに、中国政府とすれば、朴槿恵政権が南北首脳会談への期待を持つ限りにおいて、朴槿恵政権を金縛りに出来る。

アメリカも韓国から離れたい。
真田: 「中韓密約」はアメリカ連邦政府にとっても悪い話ではありません。 アメリカ連邦政府は韓国政府を泳がせつつ、裏で中国政府と大きな絵を描いている可能性がある、と私は思うのです。
鈴置: 1971年のニクソン・ショック。 突然の米中和解がそうでした。 韓国だけではなく、日本も寝耳に水でした。 そして今後、アメリカ連邦政府が「カード」として使うであろう「在韓米軍の撤収」など安い代価です。 北朝鮮の核問題解決に向けて何らかのメドが立つのですから。 代価というか、そもそもアメリカ連邦政府だって在韓米軍を撤収したいのです。
坂巻: 大きな見取り図で読むと面白いですが、話を戻します。「離米従中」の引き金になる「韓国の次の通貨危機」、即ち「ウォンの売り浴びせ」は起きるのでしょうか。
鈴置: 韓国は外貨準備高を世界7位の3600億ドルにまで増やしたと豪語しています。 この金額は1997年のアジア通貨危機当時と比べて約18倍です。

韓国の外貨準備高はあてにならない。
真田: 少々の外貨準備高は自国通貨の防波堤になりません。 ロシアは韓国以上の外貨準備高を持っていましたが、2014年、通貨ルーブルは価値が半値になるまで売り込まれたのです。 投機をする側にとって中途半端な外貨準備高は、売りに出したローカル通貨を買い取ってくれる宝の山と見えるのです。 押さえておくべき事は韓国がまだドル不足の国であり、ホットマネーが大量に入り込んでいる事です。 何らかの拍子にこれが一気に流れ出る懸念が常にあります。 ギリシャ危機はとりあえず収束しましたが、いつ再発するか分かりません。 アメリカの金融緩和もいずれ終了します。 それが韓国にとって、そして北東アジアにとって大きな節目になるかも知れません。 本来なら、今こそ日韓は協力すべきです。 しかし、日本にとって韓国はけしからん国になりました。 でも、ケンカをしても得にはなりません。 韓国だって同じ事です。極東の安定の為には日韓がいい関係を維持する必要があります。 ただ、こうは言っても、日韓関係が良くなることはないでしょうね。 韓国人は本質的に日本が嫌いなのですから。


次に、日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「5年前、韓国は通貨スワップを食い逃げした」(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226331/090700066/?P=1)を是非ご覧になってください。

韓国の政治指導者は「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」とか言って日本に寛大さを求めながら、日本が見せた寛大さや好意を踏みにじります。 2010年頃まで日本人の大多数が持っていた「日本が韓国を支援してあげれば、韓国は日本に感謝して、韓国の反日は和らいでいくだろう」という思いが如何に見当外れ(見当違い)であるかが分かろうというものです。

次に、日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「「百害あって一利なし」の日韓スワップ」(https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226331/010800087/?P=1)を是非ご覧になってください。

韓国人は、政治指導者から一般庶民に至るまで、普段から日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しますが、韓国人の中でも韓国の政治指導者は、困ってくると「日本は韓国の友人である。 困難なときの友人こそが真の友人だ。 韓日友好の証として韓日通貨スワップ協定を結ぶべきだ」とか「韓日通貨スワップは日本にとっても利益になる。 だから、韓日通貨スワップ協定を締結しよう」とか言って、日本に擦(す)り寄って日本に集ろうとします。 そして、日本が韓国の要求に応じようとしないと、韓国人は「我々がゴネ続ければ、日本は我々の要求に応じるはずだ」と考え、しつこくゴネ続けて自分たちの要求を通そうとします。

日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「中国が韓国を「投げ売り」する日」(http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226331/012600089/?P=1)をご覧になってください。

● 韓国の文在寅大統領の「日韓慰安婦合意」破棄宣言。
韓国の文在寅大統領は2018年1月10日に行なわれた記者会見で「日本が真実を認め、被害者の女性たちに心からの謝罪をし、其れを教訓として此のような事が二度と起きないように国際社会と共に努力すれば、被害者のおばあさんたちも日本を許すことが出来るだろう。 其れが「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の完全な解決である」という意味の事を発言しました。 此の発言は日本に対する謝罪要求であり、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の蒸し返しであり、日韓両国政府が「韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題が最終的かつ不可逆的に解決された」という事を約束した上で締結した「日韓慰安婦合意」の破棄宣言である、と見て良いものです。

2018年3月1日、韓国の文在寅大統領は三・一独立運動(1919年3月1日)を記念する式典で「大韓民国が成立した日付けは第2次世界大戦後の1948年8月15日ではなく、第2次世界大戦前の上海で大韓民国臨時政府が発足した1919年4月11日である」との認識で演説し、此の中で次のように発言しました。
尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん。 三・一独立運動の99周年です。 <中略>  1700万個の蝋燭(ろうそく)が、三・一独立運動で始まった国民主権の歴史を最も平和的で美しい方法でよみがえらせました。 <中略>  大韓民国の歴史が其の成立100周年へ向かう中、国民主権の新たな歴史が刻まれ始めました。 <中略>  私達には平和を作る力が有ります。 私は此のような国民の力と自信によって、三・一独立運動と大韓民国の成立100周年を恒久的な平和体制の構築と平和に基づく繁栄の新たなスタートラインにします。 <中略>  独島は日本による朝鮮半島侵略の過程で一番先に占領された私達の土地です。 私達固有の領土です。 日本が其の事実を否定するのは帝国主義侵略に対する反省を拒否するのと変わりありません。「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題においても、加害者である日本政府が「終わった」と言ってはなりません。 戦時中の反人道的な人権犯罪行為は「終わった」という言葉で隠す事はできません。 不幸な歴史であればあるほど、其の歴史を記憶し、其の歴史から学ぶ事だけが真の解決になります。 日本は人類普遍の良心を持って歴史の真実と正義に向き合わなければなりません。 我が国に苦痛を与えた日本が我が国と真の和解をし、韓日両国が平和共存と繁栄の道を共に歩んでいく事を私は望みます。 私は日本に特別な待遇を求めません。 ただ、最も近い隣国らしく誠意ある反省と和解の上で共に未来へ進む事を願うだけです。 <後略>

文在寅大統領の此の発言内容は韓国の「反日法」並びに「反日物乞い奴隷道徳 」そのものと見て良いものです。 此の発言は日韓両国政府が「韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題が最終的かつ不可逆的に解決された」という事を約束した上で締結した「日韓慰安婦合意」を「反日法」の第11条に基づいて無効と見なすものであり、「日韓慰安婦合意」の破棄宣言です。 此の発言は国際法違反です。

韓国の慰安婦財団(正式名称は「和解・癒やし財団」。 韓国政府が日韓慰安婦合意に基づいて設立した財団。 日本政府は日韓慰安婦合意に基づいて此の財団に10億円を出した)は2019年7月3日に韓国政府によって一方的に解散されました。 此の財団の設立の為に日本政府が出した10億円の内の5億円余りがどこかに残っているはずだ、と言われています。 此の5億円余りのお金は韓国公職者の懐に入ってしまったのでしょうか。

韓国の憲法裁判所は2019年12月27日に「反日法」の第11条に基づいて「日韓慰安婦合意は無効である」との判決を下しました。

因みに、安倍内閣は、朴槿恵政権に続く韓国の政権が日韓慰安婦合意を無効と見て破棄する事を見越して朴槿恵政権との間で日韓慰安婦合意を結んだのかも知れません。 そして実際、文在寅政権は日韓慰安婦合意を無効と見て破棄しました。 安倍内閣は「韓国政府は他国と結んだ約束をいとも簡単に破る国である」という事を世界中の国々に知らしめて世界中の国々の韓国に対する信用度を下げる事で韓国に対する国際的評価を下げようという戦術を使ったのかも知れません。 そうだとすると、文在寅政権は其の戦術に嵌(は)まった、と言えそうです。

● 韓国人の99%以上は「独立門」の由来を知らない。
2018年3月1日、三・一独立運動を記念する式典がソウル市内の西大門刑務所歴史館で行なわれました。 此の式典が終わったあと、文在寅大統領夫妻とお供の者は西大門刑務所歴史館から独立門(1897年に「清」からの独立を記念して建てられた門)まで、大きな太極旗や小さな太極旗を手に持って行進し、独立門の前で万歳を三唱しました。 其のときの写真を韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の2018年3月2日付けの日本語版記事「独立闘士10万人が獄苦をなめた “ 西大門刑務所 ” に鳴り響いた独立宣言書」(http://japan.hani.co.kr/arti/politics/29915.html)でご覧になってください。 文在寅大統領夫妻、お供の者、並びに、『ハンギョレ』の記者たちは「独立門は日本からの独立を記念して建てられたものだ」と思っているのでしょう。 彼らは「日本が朝鮮を「清」から独立させ、其の独立を記念して独立門が建てられた」という事を知らないのです。 彼らが此の程度の事すら知らないのは、韓国の学校や家庭では「朝鮮五千年の歴史において朝鮮の国々は、人々が皆高尚で、人々が皆美しい衣服を身にまとい、街々には立派な家々がたくさん立ち並ぶという、輝かしく誇らしい歴史と高度で誇らしい文化を持つ強国だった。 なのに、暴力的で不道徳で野蛮な日帝が我が国を侵略し、我が国の王朝を滅ぼし、我が国を不法に植民地支配し、我が国の貴重な物を全て奪い取り、我が国の高度で誇らしい文化の全てを破壊した。 其の為、我が国は極めて貧乏で極めて惨めな国になった」という嘘が生徒や子に教え込まれて来たからです。 韓国人は此れほどに自国の歴史に無知蒙昧なのです。 韓国人の99%以上は「独立門は日本からの独立を記念して建てられたものだ」と思っているのです。

因みに、2023年の三・一独立運動記念式典においても、伊藤博文を拳銃で撃ち殺した朝鮮人:安重根の大きな肖像画像が掲げられました。 安重根は朝鮮の英雄として崇められています。

● 安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対する文在寅政権の反応。
日本は長年に渡って高純度フッ化水素(此れは一時的記憶用集積回路(DRAM)の製造や液晶パネルの製造に使われ、ウラン濃縮に転用可能)を韓国へ輸出して来ました。 安倍内閣は日本が韓国へ輸出した高純度フッ化水素の内の3万9530トンほどが行方不明になっていることに疑惑を持ち、此の疑惑に対する韓国政府からの回答を3年間近く要求して来ましたが、韓国政府は此の回答要求を黙殺して来ました。 そこで、2019年7月4日、安倍内閣は一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目(高純度フッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミド)の対韓国輸出管理を厳格化しました。 すると、文在寅大統領は安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対して日本を強く非難し、素材や部品や製造装置の自国産化を強力に推進すると宣言し、「日本政府による対韓国輸出規制措置は自由貿易の秩序に反する不当な経済報復だ」とか「結局、日本経済に大きな被害が及ぶだろうと警告しておく」とか「警告した通り日本も大きい被害を甘受しなければならないだろう」とか「今後起きる事態の責任は全面的に日本政府に有る」とか「日本が自由貿易の秩序を乱す事に対する国際社会の批判はとても大きい。 日本は経済力だけでは世界指導者の地位に就くことが出来ない事に気付かなくてはならない」とか発言して来ました。 更に、文在寅大統領は「我々はもう二度と日本に負けない。 我々は勝利の歴史を作る」とか「南北間の経済協力で平和経済が実現すれば、我々の経済は日本経済に一気に追い付ける」とか「大韓民国は日本に対する道徳的優位性と成熟した民主主義との上に平和国家としての地位と文化強国としての地位とを一段と高め、経済強国として新たな未来を開くだろう」とか発言し、盛んに法螺を吹きました。 そして、2019年7月10日、韓国外交部長官:康京和はアメリカの国務長官に電話して泣き付き、日本を非難しました。 そして、韓国外交部は「アメリカの国務長官が康京和に「理解した」と答えた」と発表しました。 韓国マスメディアは、右派マスメディアも、左派マスメディアも、此の発表を受け、あたかもアメリカ連邦政府が韓国の味方になってくれるかのような記事を発表しました。 そして、其の記事を読んだ韓国人は小躍りして喜びました。 しかし、結局、此の泣き付き外交は失敗しました。 なぜなら、アメリカの国務長官の「理解した」(understand)という返答は「私はあなた(康京和)が言った事の意味・内容を理解した」という事を意味し、「私はあなた(康京和)が言った事に同意する」という事を意味しないからです。(韓国人は全般的に英語の「understand」や日本語の「分かる」を「同意する」という意味に解釈するようです。) 2019年7月18日、韓国左派政党「共に民主党」は「日本政府による対韓国輸出規制措置が韓日経済戦争レベルのものになれば、日本は再び国際貿易の秩序を崩壊させた「経済戦犯国」として記録されるだろう」との声明を発表しました。 また、2019年7月18日、文在寅政権は日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)について「場合によっては継続しない可能性がある」と言い出しました。 文在寅政権は「アメリカ連邦政府が韓国と日本との間で結ばせた韓日GSOMIAを終了してもいいのか」とアメリカ連邦政府を脅してアメリカ連邦政府を日韓の仲裁に引きずり込もうとしたのです。 此れに対し、トランプ大統領は「日韓双方が望むのであれば、私は仲裁する」と答えました。 韓国マスメディアは、右派マスメディアも、左派マスメディアも、此の発言を受け、韓国人を元気付けようとして、あたかもトランプ大統領が日韓の仲裁に乗り出すかのような記事を発表しました。 そして、韓国人の大多数が「今度こそ、トランプ大統領が韓日の仲裁に乗り出してくれる」と大いに期待しました。 しかし、結局、此の「アメリカ連邦政府に対する脅し外交」は失敗しました。 なぜなら、トランプ大統領の「日韓双方が望むのであれば、私は仲裁する」という発言は「日本は仲裁を望んでいないので、私は仲裁しない」という事を意味するからです。 韓国マスメディアは、右派マスメディアも、左派マスメディアも、「日本政府が対韓国輸出規制措置を続ければ、一時的記憶用集積回路(DRAM)の生産が滞って世界中のユーザーが困り、日本は世界中から非難されることになるだろう」と、以前にも増して連日のように日本のことをとても心配してくれるようになりました。 安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対して、文在寅政権は WTO(世界貿易機関)の一般理事会(2019年7月24日)で「日本政府による対韓国輸出規制措置は不当だ」と主張して日本を強く非難しましたが、文在寅政権は賛同を得られませんでした。 文在寅政権は中国政府が主導する東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の会議(2019年7月26日〜7月31日に中国の鄭州で行なわれたRCEP交渉会合、2019年8月2日〜8月3日に中国の北京で行なわれたRCEP閣僚会合、2019年8月24日〜25日にインドネシアのジャカルタで行なわれたRCEP交渉会合)でも「日本政府による対韓国輸出規制措置は不当だ」と主張して日本を強く非難したようですが、文在寅政権は賛同を得られなかったようです。 そして、更に、文在寅政権は「日本政府による対韓国輸出規制措置の不当性をイギリス政府やドイツ政府やフランス政府やイタリア政府やカナダ政府に訴える為に此れらの国々へ韓国政府高官を派遣する」と言っていましたが、文在寅政権が本当に此れらの国々へ韓国政府高官を派遣したのかどうか、はっきりしません。 恐らく、文在寅政権は此れらの国々へ韓国政府高官を派遣しなかったのでしょう。 2019年8月23日、文在寅政権は日韓GSOMIAの終了を安倍内閣に通告しました。 日本政府は2019年8月28日から韓国をホワイト国(輸出優遇国)として扱わなくなり、日本から韓国への輸出全般について経済産業省の輸出許可が必要になりました。 朝日新聞デジタルによれば、文在寅大統領は2019年8月29日の閣議で日韓歴史問題に関して「日本が加害者だという事は動かせない歴史的事実である」「一度、反省の言葉を述べたから反省は全て済んだとか、一度、合意をしたから問題は全て解決したとかいう事にはならない」と述べました。 此れらの発言に関して朝日新聞デジタルは「文大統領「日本は正直に」 輸出優遇国除外巡り批判」という題の記事の中で次のように報道しました。(此の記事の中のおかしな表現を修正しました。)
韓国の文在寅大統領は29日午前の閣議で、日本政府が輸出手続きを簡略化できる優遇国から韓国を除外した事について、「日本政府の態度はとても残念だ」と述べた。「日本側は措置の理由も明らかにしてない」とし、「日本は正直でなければならない」と述べた。
文氏は「韓日歴史問題でも日本は正直でない」と指摘した。「日本が加害者だという事は動かせない歴史的事実」と述べ、「一度、反省の言葉を述べたから反省は全て済んだとか、一度、合意をしたから問題は全て解決したとかいう事にはならない」と述べた。
文氏はまた、日韓が領有権を争う島根県の竹島(韓国名:独島)を挙げ、「日本が日本帝国主義侵略の最初の犠牲になった独島を日本の領土とするのは根拠の無い主張だ」と述べた。 この日の閣議は来年の予算案を確定させる為に開かれ、文氏は「日本による経済報復の中で韓国が経済大国であり続ける為に、政府の特別な意思を盛り込んだ予算案を編成した」とも主張した。(ソウル=神谷毅)

文在寅大統領は2019年8月29日の閣議で「加害国:日本の真摯に反省しようとしない態度を何度でも問題にしてやる」という意思を表明したのです。

先に述べたように、文在寅大統領は安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対して日本を強く非難し、素材や部品や製造装置の自国産化を強力に推進すると宣言し、「結局、日本経済に大きな被害が及ぶだろうと警告しておく」とか「警告した通り日本も大きい被害を甘受しなければならないだろう」とか発言して来ました。 そして、更に、文在寅政権はトランプ政権に泣き付き、WTOの一般理事会やRCEPの会議で「日本政府による対韓国輸出規制措置は不当だ」と主張して日本を強く非難し、「日本政府による対韓国輸出規制措置の不当性をイギリス政府やドイツ政府やフランス政府やイタリア政府やカナダ政府に訴える為に此れらの国々へ韓国政府高官を派遣する」と言っていました。 文在寅政権の此れらの発言や行動は右派韓国人からの追及や非難を和らげたり、左派韓国人(奴婢の子孫)からの支持を厚くしたりする為の反日政治宣伝(反日プロパガンダ)です。 言うまでもない事ですが、文在寅政権がWTOの一般理事会やRCEPの会議で「日本政府による対韓国輸出規制措置は不当だ」と主張して日本を強く非難した事は、日本に対する国際的評価を下げる為の反日政治宣伝(反日プロパガンダ)でもあります。 文在寅政権は2019年8月23日に日韓GSOMIAの終了を安倍内閣に通告しました。 此れについて、文在寅政権は「韓日GSOMIA終了通告は、日本政府が「韓国は安全保障上信頼できない国である」とのレッテルを韓国に貼って韓国への輸出を一方的に規制した事への対抗措置である」と主張して来ましたが、此の主張は右派韓国人からの追及や非難を和らげたり、左派韓国人(奴婢の子孫)からの支持を厚くしたりする為の反日政治宣伝(反日プロパガンダ)であるだけでなく、日本を悪者にして反日韓国人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を強める為の反日政治宣伝(反日プロパガンダ)でもあります。 文在寅政権は「日本政府が対韓国輸出規制措置を撤回すれば、我々は韓日GSOMIA終了通告を撤回する」と言ってきましたが、此の主張も右派韓国人からの追及や非難を和らげたり、左派韓国人(奴婢の子孫)からの支持を厚くしたりする為の反日政治宣伝(反日プロパガンダ)であるだけでなく、日本を悪者にして反日韓国人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を強める為の反日政治宣伝(反日プロパガンダ)でもあります。 日韓GSOMIAの終了が確定する2019年11月23日午前0時の6時間前の11月22日午後6時、文在寅政権はトランプ政権の圧力に負けて日韓GSOMIA終了通告の撤回を表明し、日韓GSOMIAの継続を受け入れました。 文在寅政権が安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置への対抗措置として日韓GSOMIA終了通告を使った事は実に浅はかでした。 しかし、韓国外交部長官:康京和は日韓GSOMIAについて「韓国政府は韓日GSOMIAをいつでも終了できる権利を持っている」と折に触れて主張し、2020年8月の時点でも其のように主張しています。 此の主張は自国民から支持を得る為の政治宣伝(プロパガンダ)なのでしょうが、康京和は「韓日GSOMIAが解消されれば、日本政府は相当に困るはずだ」と思い込んでいるのかも知れません。「韓国政府は韓日GSOMIAをいつでも終了できる権利を持っている」という主張はいい加減聞き飽きた感じがします。

因みに、安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置はトランプ政権との合意の上で行なわれている、と見るのが妥当でしょう。 安倍内閣が韓国に対する輸出管理厳格化措置をトランプ政権との合意無しで行なえるほど、日本はアメリカから独立していません。 なぜなら、日本はアメリカの子分なのですから。 また、安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置がトランプ政権との合意の上で行なわれている事に韓国人の大多数は2019年8月末の時点で気付いていないようです。 安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置はトランプ政権の対中国共産党戦略&対北朝鮮戦略の一環であるようです。 トランプ政権下のアメリカ情報機関が「日本が韓国へ輸出した高純度フッ化水素4万トンほどが北朝鮮に横流しされた」という情報を安倍内閣に与えたのだろう、と言われています。

因みに、文在寅政権はアメリカ連邦政府をして米韓同盟の解消を言い出させようと思ってか、アメリカ連邦政府を怒らせるような事、例えば、火力発電用の北朝鮮産石炭の輸入、開城南北連絡事務所の開設を口実にした「発電機や発電用軽油80トンの北朝鮮への引き渡し」、石油製品などの韓国船舶から北朝鮮船舶への積み替え(瀬取り)など、北朝鮮の相次ぐ大陸間弾道ミサイル発射に対する国連制裁決議2371(2017年8月5日)や国連制裁決議2397(2017年12月22日)に違反する事を色々やっているようです。

● 安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対する韓国一般庶民の反応。
文在寅政権は韓国左派政党「共に民主党」と共同して安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対抗しようとして「NO JAPAN」とか「Boycott Japan」とかいう標語の下に左派韓国人(奴婢の子孫)を動員して「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」を2019年7月に始めました。 そして、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」を行なうようになり、韓国人の80%ほどが此れらの運動に賛同しました。 そして、更に、韓国の小売り業者の中には「日本製品を売らない運動」を行なう者がたくさん現れました。 韓国の世論調査によると、「日本製品を買わない、又は、日本製品を買うことに抵抗を感じる」と答えた韓国人の割合は80%強であり、「日本製品不買運動」に反対する韓国人の割合は6%ほどでした。 彼ら反日韓国人の「日本製品不買運動」の対象品目は、日本製ビール、日本酒、日本製スポーツ飲料、日本製衣料品、日本製化粧品、日本製タバコなどでしたが、此のような日本製品の不買運動にとどめる事なく、韓国人が使っている日本製品(例えば、日本製筆記用具、日本製ゲーム機、日本製便器、日本製自動車、日本製カメラ、日本製時計、日本製複写機、日本製ゴルフ用品、日本製医療機器、日本製エレベーター、日本製製造装置、日本製素材、日本製部品、など)の全て、並びに、韓国人の言う「日帝残滓」(日本統治時代に日本が作って今の韓国人が受け継いで使っている物(例えば、上下水道、鉄道、橋、トンネル、道路、発電施設、送電施設、教育施設、各種法律制度(戸籍制度、教育制度、警察制度、軍隊制度)、重厚な洋風建築物、など)、並びに、日本が日本統治下の朝鮮に植えた樹木、並びに、朝鮮語の単語の7割を占める「日本語由来の単語」、など)の全てを韓国内から除去する運動を大々的に展開したら良いのではないでしょうか。 中でも「日帝残滓」は韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)にとっては喉(のど)に刺さった魚の骨のようなものでしょうから、「日帝残滓」の全てを韓国内から除去する運動を大々的に展開することを反日韓国人に強くお勧めします。 そして、「日本製品不買運動」や「日本製品を売らない運動」や「日本旅行に行かない運動」を行なうだけでなく、「NO JAPAN」運動や「Boycott Japan」運動を徹底的に行なって此れらの運動を「日韓断交」にまで持っていって欲しいものです。

大雑把に考えて、韓国の人口5183万人(2019年)の世界人口77億人(2019年)に対する割合は0.67%ですから、韓国の「日本製品不買運動」が日本企業に与える影響は微々たるものです。 また、日本にやって来る観光客は韓国人だけではありませんので、韓国の「日本旅行に行かない運動」が日本に与える影響も大したものではありません。

● 反日活動に精を出す韓国人はムラムラと沸き起こってくる「日本に対する怒り」を「怒りの陶酔感」に変え、其の「怒りの陶酔感」に浸る事で自己の精神を安定させる。 反日韓国人の「反日に基づく怒りの陶酔感」は彼ら反日韓国人の精神の安定にとって不可欠な精神安定剤である。

韓国人の大多数は反日活動に精を出さないと、精神が安定しないのです。 彼ら反日韓国人は反日活動に精を出すと、精神が安定するのです。 手短に言えば、反日韓国人にとって反日活動は麻薬のようなものです。 彼ら反日韓国人は反日活動を中断して暫くすると、彼らの心の中では日本に対する「悔しさ」と「憎しみ」と「妬み」とが混然一体となって「日本に対する怒り」となり、其の「日本に対する怒り」がムラムラと沸き起こってくるのでしょう。 彼ら反日韓国人はムラムラと沸き起こってくる「日本に対する怒り」から日本に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせて日本を見下し、「日本に対する韓国の格上性(優位性)」を主張する事で「日本に対する巨大な劣等感」を克服しようとし、「日本に対する巨大な劣等感」で萎(な)えそうになる自分の気持ちを支える為に、「日本に対する妄想的自信」と「日本に対する妄想的優越感」とを持とうとし、ムラムラと沸き起こってくる「日本に対する怒り」を「怒りの陶酔感」に変え、其の「怒りの陶酔感」に浸る事で自己の精神を安定させるのです。 此のような「反日に基づく怒りの陶酔状態」は「火病」と言われています。 また、韓国は「現代版格差原理思想」に基づく序列社会であり、「現代版格差原理思想」に基づく男尊女卑社会です。 其のような韓国社会で怒りを抑圧し過ぎる事で起きる「怒り症候群」(食欲不振、呼吸困難、頭痛、めまい、不眠、慢性疲労感、鬱状態、などを伴う怒りの症状)も「火病」と言われており、此の種の「火病」はアメリカ精神医学会で「韓国人特有の怒り症候群」として認定されています。 此の種の「火病」状態にある韓国人は 「腹の中に火の玉が上がってくるようだ」と訴えるそうです。 以上のように韓国の「火病」には「反日に基づく怒りの陶酔状態」と、アメリカ精神医学会で認定されている「韓国人特有の怒り症候群」とがあるのです。 反日韓国人の「反日に基づく怒りの陶酔感」は彼ら反日韓国人にとって精神安定剤として働き、且つ、彼ら反日韓国人の精神の安定にとって不可欠なものなのです。 表現を少し換えて述べれば、反日韓国人の「反日に基づく怒りの陶酔感」は彼ら反日韓国人の精神の安定にとって不可欠な精神安定剤であるのです。 反日韓国人の此のような精神状態は、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「情理」(「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念)を国政の基本としてきた事から生まれた、と思われます。

● 反日韓国人の「日本に対する異様な愛情欲求」についての再考察。
ここから暫くのあいだ、反日韓国人の「日本に対する異様な愛情欲求」について再考察します。
韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本を格下と見て日本を馬鹿にし、「我々は日帝による被害者である」という思いを持ち、其の思いに基づく怨念で日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難して来ました。 韓国の政治指導者は天皇陛下を「日王」と呼称し、韓国の政治指導者の中でも「奴婢」出身の政治指導者は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」など)に凝り固まり、韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)をして日本を口汚く罵らせて日本を激しく非難させ、彼らをして日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らさせ、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大々的に取り扱い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集って来ました。 韓国政府は韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で日本を非難し、且つ、ソウルの日本大使館の前に設置されている慰安婦少女像や、釜山の日本総領事館の前に設置されている慰安婦少女像を其のままにして来ました。 それなのに、韓国政府も、韓国の政治指導者も、「日本は相手国を尊重すべきだ」とか「日本は韓国と未来志向の協力関係を構築しなければならない。 日本は韓国と共存しなければならない」とか「日本は韓国の友人である。 困難なときの友人こそが真の友人だ。 韓日友好の証として韓日通貨スワップ協定を結ぶべきだ」とか度々言って来ました。 そして、2022年1月の時点でも彼ら反日韓国人は「日本は相手国を尊重すべきだ」とか「日本は韓国と未来志向の協力関係を構築しなければならない。 日本は韓国と共存しなければならない」とか「日本は韓国の友人である。 困難なときの友人こそが真の友人だ。 韓日友好の証として韓日通貨スワップ協定を結ぶべきだ」とか言っています。 此れは一体どういう事でしょうか。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本を格下と見て日本を馬鹿にし、「我々は日帝による被害者である」という思いを持ち、其の思いに基づく怨念で日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難しながら、
「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」とか「弟の日本は我々の感情に配慮して我々の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである」とか「格下の日本が我々韓国人の感情に配慮して我々韓国人の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すれば、其の事が世界中に知れ渡り、其れと同時に、韓国が日本より格上である事が世界中に知れ渡る。 そうなってこそ、我々韓国人は満足し、我々韓国人の「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」が解消され、我々韓国人は日本を許すことが出来る。 だから、弟の日本は兄の韓国への心の底からの優しい愛を実践しなければならない。 弟の日本が兄の韓国への心の底からの優しい愛を実践してこそ、兄の韓国と弟の日本とは真の意味での仲良し兄弟になれるのだ」とか「弟の日本は兄の韓国と共存しなければならない」とか「弟の日本は兄の韓国への愛が足りない」とか「弟の日本は兄の韓国と通貨スワップ協定を結んで兄の韓国を助けるべきだ」とか「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」とか「弟の日本は兄の韓国を輸出優遇国として扱って当然だ」とか「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」とか「弟の日本は兄の韓国を嫌ってはならない」とか「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」とか「弟の日本は韓日関係を軽んじてはならない」とか「我々は弟の日本と共に繁栄の道を歩みたい」とか「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」とか「我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」とか
思っているのです。
反日韓国人の此のような妄想的願望は純正日本人には実に理解し難いものです。 多くの純正日本人が「反日韓国人の此のような妄想的願望は本当だろうか」と思うでしょうから、実例を挙げましょう。 2020年2月下旬以降、中国と韓国で武漢肺炎感染確定者数が急激に増えている状況の中で、2020年3月5日、安倍内閣は3月9日以降に中国と韓国から日本に入国しようとする者に対して2週間の自己隔離を求める方針(中国・韓国から日本への入国を制限する方針)を発表しました。 此れに対して、文在寅政権の報道官は3月8日に「日本は韓国に対して此のような過剰な措置を取りながら、一言の事前協議も無かった」と発表しました。(『中央日報』の2020年3月9日付けの日本語版記事「韓国「入国拒否、事前協議なかった」に対し、日本「事前通報した」と主張」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/263453?sectcode=A10&servcode=A00)参照) 文在寅政権の報道官が「日本は韓国に対して此のような過剰な措置を取りながら、一言の事前協議も無かった」と発表したという事はどのような事を意味しているのかと言うと、「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい。 なのに、日本は韓国と一言の事前協議もせず、韓国から日本への入国を制限する方針を発表した。 此の事は「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いを日本が黙殺したものである。 従って、日本を許す事は出来ない」という思いを意味しているのです。 右派韓国人の右寄り80%ほどや左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に関する事では押しなべて此の調子です。 右派韓国人の右寄り80%ほどや左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っているのです。 但し、此の思いは彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに持っている思いですから、彼ら反日韓国人が此の思いを口に出す事はありません。 右派韓国人の右寄り80%ほどや左派韓国人(奴婢の子孫)は韓国に対する日本政府の諸々の対応や措置に対して「必ず」と言って良いほど日本政府に抗議しますが、其れらの抗議の根底には「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いが在るのです。

伝染病が世界中で流行している状況の中で、又は、伝染病が世界中で流行しそうな状況の中で「あなたの国から我が国への入国を制限したいと思いますが、いかがでしょうか」と相手国に事前協議を持ち掛ける国なんて有りません。 純正日本人の方々には「文在寅政権が如何に日本に甘えているか、如何に国際常識に欠けているか」を理解して頂けるでしょう。 日本に甘え、且つ、国際常識に欠ける韓国人は文在寅政権の構成員だけではありません。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持った精神状態で心の奥底で日本に甘えており、其れと同時に、彼ら反日韓国人は妄想(妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、妄想的自信)の世界に生きている為、国際常識に欠けるのです。

念の為に、もう1つ実例を挙げましょう。 2019年7月以降、文在寅政権は「安倍内閣は対韓国輸出規制措置を撤回しろ」とか「安倍内閣は韓国をホワイト国(輸出優遇国)として扱え」とか言って息巻いています。 そんな状況の中の2020年6月、韓国の兪明希(ユ・ミョンヒ)通商交渉本部長がWTO(世界貿易機関)の事務局長選に立候補しました。 其の意図は「自分がWTOの事務局長になって韓国の格を高め、且つ、安倍内閣による対韓国輸出規制措置をWTOの場で不当と断じる」という事です。 国連を初めとする国際機関の長には先進国でない国の者に就任してもらうという事が「世界の常識」になっています。 兪明希がWTOの事務局長選に立候補したという事は、韓国政府が自国を「先進国ではない」と認めたようなものですが、韓国政府はそう思ってはいないようです。 韓国政府は「世界の常識」を知らないのでしょう。 文在寅大統領や韓国外交部長官は兪明希をWTOの事務局長にする為に、各国要人に電話を掛けて兪明希への支持を要請しました。 また、各国駐在の韓国大使が兪明希をWTOの事務局長にする為に総動員された、と言われています。 兪明希がWTOの事務局長選に立候補した事を受けて、韓国では「日本による輸出規制に報復しろ」とか「日本を倒せ」とかいう主張が噴出し、反日の気運が盛り上がりました。 そうした中で日本政府はナイジェリアの立候補者への支持を表明しました。 すると、韓国では「なぜ日本は兪明希を支持しないのか。 日本は兪明希を支持すべきだ」という声がたくさん上がりました。 兪明希は韓国における通商問題担当の代表者であり、文在寅政権の意向を受けて文在寅政権に忠実に仕える高級官僚です。 兪明希は2019年2月に通商交渉本部長に就任して以降、安倍内閣と対決しようとする行動や発言を盛んに行なってきました。 例えば、 兪明希は安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対して批反(「批判」ではなく、あえて「批反」と書かせてもらう)を繰り返し、安倍内閣が韓国をホワイト国(輸出優遇国)として扱わなくなった件では、アメリカ連邦政府やアメリカ連邦議会議員に韓国の肩を持ってもらう為にアメリカに行ってアメリカで安倍内閣を批反する発言を繰り返しました。 また、兪明希は韓国通商部が安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置を2019年9月にWTOに提訴した際の韓国側責任者です。 そして、兪明希は「韓国は日本とのWTO紛争で百戦百勝している。 今回のWTO提訴でも徹底的に日本に立ち向かう」と発言しました。 其の兪明希がWTOの事務局長選の期間中の2020年7月16日にWTO本部(ジュネーブ)で行なった記者会見で「日本にも働きかけて、WTOに対する私のビジョンを示したい。 WTOの事務局長選候補者の中で誰がWTO改革の適任者であるかについて、日本は候補者の能力と資質を正しく判断する国だ」と発言しました。 此の発言の裏には「格下の日本は韓国人の私を支持すべきだ。 私は格下の日本に愛されたい。 私は日本に優しく構って欲しい。 格下の日本は私を愛してくれるだろう」という思いが在るのです。 また、「なぜ日本は兪明希を支持しないのか。 日本は兪明希を支持すべきだ」という声を上げた韓国人は韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の集合に属しているのです。 此れらの反日韓国人は「格下の日本は格上の韓国を愛すべきだ」という思いを持っています。「日本による輸出規制に報復しろ」とか「日本を倒せ」とか主張した韓国人は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持ちながら、顕在意識領域の上層部では虚勢を張って「日本による輸出規制に報復しろ」とか「日本を倒せ」とか主張しているのです。

文在寅政権の指令下にある韓国マスメディア『聯合ニュース』は2020年8月2日付けの記事「日本は『善隣』をやめたようだ」の中で「日本は、WTOの事務局長選で韓国の兪明希ではなく、アフリカ出身の候補を支持する方針を決めたという話も出ている。 どんな戦略的考慮を優先したのかは分からないが、アジアの代表選手格である我が国の候補ではなく、あえて遠い国の候補を支持するという日本の方針は非常識としか思えない」と書きました。 此の文章を見ても、また、此の記事の標題「日本は『善隣』をやめたようだ」を見ても、此の記事を書いた韓国人は「日本は兪明希を支持すべきだ。 劣等な日本は優等な韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ。 それでこそ、兄の韓国と弟の日本とは真の意味での仲良し兄弟になれるのだ。 我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」と思っている事が分かります。

『中央日報』の2020年8月7日付けの日本語版記事「韓国のWTO事務局長候補「日本、重要なWTO加盟国…引き続き支持を求めるだろう」」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/268960?sectcode=210&servcode=200)によれば、兪明希は2020年8月6日に韓国政府庁舎で記者会見を開き、安倍内閣がWTOの事務局長選で兪明希を支持しない立場を見せた事に関連して「私は両国の過去の連携を踏まえて引き続き日本に支持を要求する積もりだ」と述べました。『中央日報』の2020年8月25日付けの日本語版記事「韓国通商交渉本部長、WTO事務局長選で日本の支持を要請…「輸出規制とは無関係」」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/269524?sectcode=A10&servcode=A00)によれば、兪明希は共同通信の書面取材に応じて「WTOの事務局長選で日本にも私を支持して欲しい」と、自身への支持を日本に要求しました。 兪明希(ユ・ミョンヒ)はどこまで面の皮が厚いのでしょうか。

韓国政府や韓国マスメディアは何かに付けて日本の内政に干渉してきます。 例えば、日本政府閣僚の靖国神社参拝に反対したり、文部科学省が検定した教科書に異議を唱えたり、日本の特定秘密保護法を非難したり、日本の安全保障法制に反対したり、と枚挙に暇(いとま)が有りません。 日本の内政に対する韓国政府や韓国マスメディアの干渉は「日本に対する異様な愛情欲求」に基づいている、と言って良いでしょう。

『レコードチャイナ(Record China)』の2020年10月26日付けの記事「日本のWTO選韓国不支持に「露骨な韓国けん制」と韓国メディア、ネットにも落胆や反発の声」(https://www.recordchina.co.jp/b847526-s0-c100-d0058.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
2020年10月25日、日本政府がWTO(世界貿易機関)事務局長選挙でナイジェリアのヌゴジ・オコンジョイウェアラ候補を支持する方針を固めた事について、韓国『オーマイニュース』は「韓国の当選を阻止する為の露骨な韓国牽制だ」と報じた。
日本政府は「官僚の経験があり、世界銀行でも長期勤務するなど国際実務に精通したオコンジョイウェアラ候補が適任者である」との立場を近いうちにWTOに伝えると見られている。
WTO事務局長は個別の紛争には関与しないとされているが、日本政府は韓国の兪明希(ユ・ミョンヒ)産業通商資源部通商交渉本部長が当選した場合、韓国との紛争解決手続きの公正性に懸念が生じる可能性があると判断してオコンジョイウェアラ候補の支持を決めたと言う。 兪本部長は、日本政府による韓国に対する輸出管理厳格化措置をWTOに提訴する過程で重要な役割を果たしてきた人物だ。
WTOの事務局長選挙は規定上、投票で結論を下す事も可能だが、慣例的に合意が重視され、投票が行なわれた事はない。 その為、兪本部長が多数の支持を確保すれば、日本政府は最終的には兪本部長の就任を受け入れると見られている。
これに対して韓国ネットユーザーからは「やっぱり日本は近くて遠い国だ」「日本は韓国を味方とは思っていない。 韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄しよう」「これが東アジアの現実」「NO JAPAN運動を強化すべきだ」「これでも韓国ではレクサス車が売れている。 韓国民はよく考えるべきだ」など、落胆や反発の声が数多く上がっている。 また、「日本が韓国を支持すると言ったら、その方が驚きだ」「そもそも日本には期待していない。 不利な状況だけど、最善を尽くしてほしい」「そうだと思ったよ。 それでも、WTO事務局長には兪本部長が就任すると信じている。 そうなれば、日本は大恥をかくことになる」などの声が上がっている。
一方で、「EU(欧州連合)もナイジェリア候補を支持している。 韓国を支持しないからといって日本を批判するのはおかしい」「日本が候補者を出したならば、韓国も同様にしただろう」「韓国は日本に何もして上げないのだから、日本の支持を期待するのはおかしい」などの声や、「韓国政府の外交失敗」「韓国政府の能力不足が原因」などの声も上がっている。(翻訳・編集/堂本)

正常な感性・知性・理性を持っている韓国人が少しは居るようですが、「やっぱり日本は近くて遠い国だ」「日本は韓国を味方とは思っていない。 韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄しよう」「NO JAPAN運動を強化すべきだ」などの声が数多く上がっている事からも、韓国人の大多数は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っている事が推察されます。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」を持っている。

先に何度か述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持っています。 そして、其れと同時に、彼ら反日韓国人は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っています。 彼ら反日韓国人の此のような精神状態を心理学の用語で論じれば、「韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対して民族的規模で且つアンビバレンツ(ambivalent)な(或る人や或る集団に対して愛と憎しみとを同時に持っている)精神状態にある」と言えます。 しかも、彼ら反日韓国人は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思いを顕在意識領域の上層部に持っています。 此の思いは「極めて異様な愛情欲求」と言ったくらいでは言い足りないくらいの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」です。 また、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部に強く持っている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生します。 また、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部に強く持っている「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生します。 ですから、彼ら反日韓国人の日本に対する「民族的規模のアンビバレンス(愛憎併存)」は、彼ら反日韓国人が格下と見て馬鹿にして見下す相手に対するものであり、其の意味で、彼ら反日韓国人の日本に対する「民族的規模のアンビバレンス(愛憎併存)」は純正日本人には極めて理解し難いほどの「極めて異様なもの」である、と言えます。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」を持っている、と言えるでしょう。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」(「日帝強制占領期に日帝が犯した様々な罪悪に関して、弟の日本は兄の韓国が納得するまで何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである。 格下の日本が其のように謝罪・賠償してこそ、韓国は格下の日本を許すことが出来る。 格下の日本が其のように謝罪・賠償する事こそが、格下の日本が格上の韓国に対して持つべき「格上の韓国への心の底からの優しい愛」である。 格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 我々韓国人は格下の日本人より真の意味で優位に立つ(格上になる)事で格下の日本人と善隣関係を築きたい」という思い)は、日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」を内包しています。 ですから、「日本に対して謝罪賠償要求観念を明確に且つ永久に持ち続けなければならない」と規定する「反日物乞い奴隷道徳 」も日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」を内包しています。

日本を格下と見て日本を馬鹿にする韓国人の日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」は滅多に無い現象である、と思われます。 ですから、日本を格下と見て日本を馬鹿にする韓国人の日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」を心理学の研究対象として詳細に調査・分析することは大いに有意義である、と思われます。

先に「そして、3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」(@「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思い、A「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という思い、B「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という思い)と「日本に対する強い愛情欲求」とを纏めたものを「日本に対する異様な愛情欲求」と言わせてもらいましょう」と述べました。 先に何度か述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持っているのです。 そして、純正日本人から見れば「日本に対する異様な愛情欲求」としか言えないものを彼ら韓国人は異様なものとは思っていません。 彼ら韓国人は「日本に対する異様な愛情欲求」の異様性に気付いていない、と言って良いでしょう。

● どのようにして韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持つようになったのか。

どのようにして韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持つようになったのでしょうか。 此れについては、次のように説明できるでしょう。
先に述べたように、高麗が1259年にモンゴル帝国王朝の絶対服従国になって以降、高麗の支配者は「元王朝に対して常にペコペコして元王朝の要求には何でも従う」という思いを身に着けて「我々は元王朝による被害者である」という思いを非常に強く持って苦しみながら生き続けました。 1392年に成立した李氏朝鮮は1637年に清王朝の絶対服従国になってから、日清戦争で日本が「清」を負かし、日清講和条約(1895年4月)で「李氏朝鮮は独立国だ」と清王朝に認めさせるまでの258年間に渡って清王朝によって過酷に支配され、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝を強く恐れる気持ち」を持ち、此の思いが余りに強かった為、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つほどにまでなりました。 そして、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)は「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けました。 そして、其の過程で、下級両班の心が上級両班の心に感応し、下級両班までもが「清王朝を極度に恐れる気持ち」を持つようになりました。 こうして、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)の全てが「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という「清王朝を極度に恐れる気持ち」を顕在意識領域内に持つようになりました。 其の結果として、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は清王朝から要求された事だけは忠実に実行し、清王朝以外の王朝から要求される事はぞんざいに扱って置けば良い、と思うようになり、「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになり、朝鮮の近くに「弟と見なすことが出来る日本」がある事をいいことにして「朱子学流小中華思想」(「我が国は小中華である。 我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国は日本の兄であり、日本は我が国の弟である。 我が国は優等な兄であり、日本は劣等な弟である。 我が国は日本に徳や礼節を教える立場にある」という妄想)を持つようになった、と思われます。 そして、時が経ち、日本政府が1876年(明治9年)に李氏朝鮮王朝をして李氏朝鮮を強圧的に開国させてからも、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)は「朱子学流小中華思想」を持ち続け、「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになった精神状態で「恐ろしい清王朝に睨まれたくない。 蛇に睨まれた蛙になりたくない。 清王朝に媚びて清王朝の歓心を買いたい。 清王朝に愛されたい。 清王朝に優しく構ってもらいたい」という思いを持ち続け、其れに加えて、彼らの顕在意識領域の下層部に「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いを持つようになった、と思われます。 そして、日本が朝鮮を併合統治(植民地支配)するようになってからも、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)上がりの「両班」出身の政治指導者は「どんな相手との約束も誠実に守って相手と対等に付き合って行こう」という気概を失って意気地無しになった精神状態で顕在意識領域の下層部に「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いを持ち続け、日本による朝鮮の併合統治(植民地支配)が20年、30年と続くに連れて、「両班」出身の政治指導者の心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)にも「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いが発生し、其れに加えて、「両班」出身の政治指導者の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いが発生し、時の経過に連れて「両班」出身の政治指導者の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とにおいて「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが増大して行った、と思われます。 そして、1948年8月15日に大韓民国が成立してからも「両班」出身の政治指導者は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持ち続けた、と思われます。 其の一方で、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「強大な力を持つ日帝は若い朝鮮人女性20万人を強制連行して日本軍の慰安婦にして性奴隷にして虐殺した」と主張し始め、此の主張を「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題として大々的に取り扱うようになり、左派日本人(福島瑞穂など、日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人)の支援を受けて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集(たか)ろうとし、韓国の反日を激しく煽(あお)って “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” を作り上げようとし、 “ 元日本軍用慰安婦という虚像 ” をかなりの完成度で作り、更に、極左派韓国人活動家は1997年頃に「日帝によって多くの朝鮮人男性が朝鮮で強制動員され、日本に強制連行され、日本で強制労働させられた」と主張し始め、2000年頃から此の主張を「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題として大きく取り扱うようになり、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題だけでなく、「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題でも日本に一層強い妄想的謝罪賠償要求を突き付けるようになりました。 其の過程で、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とを顕在意識領域内に持つようになり、其の一方で、「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々の心、並びに、「常民」階級出身者の心、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の心が「両班」出身の政治指導者の心に感応し、「両班」出身の政治指導者が彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持ち続けて来た「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが「両班」階級出身の大多数(7割ほど)の人々の心、並びに、「常民」階級出身者の心、並びに、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の心にじわじわと伝播し、其の結果として、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持つようになった、と思われます。 また、先に述べたように、2005年頃に韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「現代版小中華思想」(「我が国は日本より格上であり、日本は我が国より格下である。 我が国が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の我が国に喜んで仕えるはずだ。 格下の日本は格上の我が国にかしずいて当然だ」という妄想)を顕在意識領域の上層部に持つようになりましたが、其れと同時に、彼ら韓国人は「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いを顕在意識領域の上層部に持つようになり、中でも韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いを極めて強く持ち続けて来ました。 そして、彼ら反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「真の意味で韓国が格下の日本より優位に立って(格上になって)心の底から日本を見下す為には、経済面と精神面と文化面との三面で日本より優位に立たなければ(格上にならなければ)ならない」と思って来ました。 経済面では、韓国は1980年代前半に「漢江の奇跡」と称される経済発展を成し遂げ、2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、日本に対して経済面では大きな充足感を得ました。 しかし、歴史捏造反日教育を受けて育った反日韓国人は「自分らは日本に対して精神面や文化面では大して充足感を得てこなかった」と思っており、中でも極左派韓国人活動家が主張する「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題に賛同する反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は此れらの問題において「自分らは日本に対して精神面では少しも充足感を得てこなかった」と思っているのです。 そこで、彼ら反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対して精神面でも大きな充足感を得ようとして「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」を彼らの顕在意識領域の上層部に持つようになったのです。 更に、彼ら反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの顕在意識領域の下層部に強く持つようになった「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」や「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 また、彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込んだ「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが互いに複雑に反応して「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生し、其れだけでなく、「格下の日本は格上の韓国を愛すべきだ」という思いや「我々が日本に声を掛けてやるだけで、格下の日本はとても喜ぶに違いない。 格下の日本は格上の韓国に喜んで仕えるはずだ。 弟の日本は兄の韓国にかしずいて当然だ」という思いや「弟の日本は我々の感情に配慮して我々の気に入るような仕方で何度でも誠意と真心とを持って心の底から謝罪して賠償すべきである」という思いや「弟の日本は兄の韓国と共存しなければならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を輸出優遇国として扱って当然だ」という思いや「弟の日本は兄の韓国への愛が足りない」という思いや「弟の日本は兄の韓国と通貨スワップ協定を結んで兄の韓国を助けるべきだ」という思いや「弟の日本は兄の韓国の良き隣国であるべきだ。 日本は大国なのだから、日本は “ 韓国に優しくかしずいてもよい ” という心のゆとりを持って兄の韓国を愛すべきだ」という思いや「先進国である日本は我が国に寛大さを見せるべきだ。 其れが先進国の度量である」という思いや「弟の日本は兄の韓国を嫌ってはならない」という思いや「弟の日本は兄の韓国を見放すような冷たい心を持ってはならない」という思いや「弟の日本は韓日関係を軽んじてはならない」という思いや「我々は弟の日本と共に繁栄の道を歩みたい」という思いや「我々は弟の日本との間で未来志向の協力関係を築きたい」という思いや「我々は是非とも弟の日本と真の意味での仲良し兄弟になりたい」という思いなどの「日本に対する強い愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 此の事を簡潔に言い換えると、彼ら反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する強い愛情欲求」を持っている、と言えます。 以上のようにして、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」(3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」と「日本に対する強い愛情欲求」とを纏めたもの)を持つようになったのです。

● 韓国の反日の根幹は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」である。
右派韓国人は其の右寄り80%ほどが反日です。 左派韓国人(奴婢の子孫)は其の全てが反日です。 先に述べたように、2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っています。 そして、彼ら反日韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし、「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴え、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大々的に取り扱い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集って来ました。 ですから、韓国の反日は民族的規模のものです。 そして、先に何度か述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持ち、「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っています。 そして、更に、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」(此れを言い換えると、「格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい。 格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせる事で格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」)を顕在意識領域内に持っています。 韓国の反日は以上のような反日韓国人の属性の上に成り立っているのです。 ですから、韓国の反日の根幹は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」である、と言えるでしょう。 そして、此の事が韓国の反日の特徴である、と言えるでしょう。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている「日本に対する強がり」や「日本に対する負け惜しみ」や「日本に対する怒り」や「日本に対する被害者振り」や「日本に対する口汚い罵り」や「日本に対する激しい非難」や「日本を見下す発言」や「日本に対する格上気取り」は「日本に対する愛情欲求」の裏返しである。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は黙殺(無反応扱い)される事を非常に嫌がります。 彼ら反日韓国人は黙殺されると、激しく怒ります。 彼ら反日韓国人は「黙殺された」と思うと、知性(概念推理認識力)の点検機能や理性(正邪善悪認識力)の点検機能が働かず、条件反射(脊髄反射)的に「馬鹿にされた」「侮られた」「見下された」と思って激高します。 そして、先に述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持っています。 ですから、彼ら反日韓国人の「日本に対する異様な愛情欲求」を日本政府が黙殺すると、右派韓国人の右寄り80%ほども、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ても、強がりや負け惜しみを連発し、「安倍は極右だ。 安倍は我々韓国人の正当な要求を馬鹿にしている」とか「安倍は実にけしからん奴だ。 弟の日本が兄の韓国を馬鹿にするとは何事か!」とか「日本の馬鹿たれどもを叩き直してやる!」とか「日本には地団駄を踏ませて後悔させなければならない」とか「一流先進国である韓国に対する日本の態度は実に無礼だ」とか「日本の韓国を見下す癖を叩き直してやる!」とか「チョッパリの腐った根性を叩き直してやる!」とか言って激高し、「韓国に対する愛は無いのか!」とか「日本人に後頭部を殴られた(日本に裏切られた)」とか言って被害者振り、「日本が我々の要求に応じなければ、日本は国際社会で孤立している」とか「もうすぐ日本は滅びる」とか「歴史を忘れた民族に未来は無い」とか「日本は海中に没するのが良い」とか「日本人の心の中には弱小国家を侵略しようとする本能がいつも蠢(うごめ)いている」とか言って鬱憤を晴らし、「チョッパリ猿は実に卑劣だ」とか「糞ったれ倭寇ども」とか「放射能を浴びた猿どもは死滅するのが良い」とか「島国の犬豚どもを根絶やしにしなければならない」とか言って日本を口汚く罵り、「日本製品不買運動を盛り上げよう」とか「日本に行かない運動を推進しよう」とか言って気勢を上げ、格上を気取って「日本は蝋燭集会のような民衆デモを一度もやったことがない後進国だ」とか「日本人は未開の政治理念を持つ民族だ」とか「日本は軍国主義を目指している政治後進国だ」とか言って日本を見下し、「日本に対する韓国の格上性(優位性)」を主張する事で「日本に対する巨大な劣等感」を克服しようとし、「日本に対する巨大な劣等感」で萎(な)えそうになる自分の気持ちを支える為に、「日本に対する妄想的自信」と「日本に対する妄想的優越感」とを持とうとするのです。 彼ら反日韓国人にとって「日本に対する韓国の格上性(優位性)」を主張することは精神安定剤の服用効果と似たような効果を有しているのです。 彼ら反日韓国人は自らの精神の安定の為には何が何でも日本を見下さないでは居られないのです。 一方、韓国政府は格上を気取って日本政府を非難したり、日本政府に内緒でアメリカ連邦政府に泣き付いたり、冷静さを装って「日本は相手国を尊重すべきだ」とか「日本は韓国と未来志向の協力関係を構築しなければならない。 日本は韓国と共存しなければならない」と言ったりします。 韓国政府の「日本は相手国を尊重すべきだ」とか「日本は韓国と未来志向の協力関係を構築しなければならない。 日本は韓国と共存しなければならない」とかいう発言は格上気取りの「日本に対する愛情欲求」の表明です。 前項で「韓国の反日の根幹は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」である」と述べました。 此れを言い換えると、「韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている「日本に対する強がり」や「日本に対する負け惜しみ」や「日本に対する怒り」や「日本に対する被害者振り」や「日本に対する口汚い罵り」や「日本に対する激しい非難」や「日本を見下す発言」や「日本に対する格上気取り」は「日本に対する愛情欲求」の裏返しである」と言えるでしょう。

● 「日本に対する異様な愛情欲求」を表出している韓国マスメディアの社説。
「日本に対する異様な愛情欲求」を表出している『中央日報』の社説を紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2020年8月31日付けの日本語版社説「安倍首相の辞任、韓日関係改善の変曲点にすべきだ」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/269686?sectcode=110&servcode=100)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
安倍晋三首相が8月28日、持病を理由に辞任の意向を表明した。 此れを受け2012年12月から8年間近くに渡る歴代最長寿首相記録を立てた「安倍時代」が幕を下ろす事になった。 安倍首相は「アベノミクス」などの積極的な景気浮揚策で日本人の支持を受けながら長期政権の樹立に成功したが、外交的には保守強硬一辺倒路線で近隣国との衝突を自ら招いたという指摘を受けている。 特に韓国との関係では、日本による不法な植民地支配を正当化し、A級戦犯が祀られている靖国神社を参拝したほか、韓国大法院の日帝徴用賠償判決を「国際法違反」と猛攻し、貿易報復のような極端な措置を取るなど、露骨な「韓国叩き外交」をはばからなかった。
また、安倍首相は我が国民の反日感情を煽りながら、此れを国内政治に利用する姿を見せた。 安倍首相の右翼路線と文在寅(ムン・ジェイン)大統領の民族主義が正面衝突し、韓日関係は1965年の韓日国交正常化以降で最悪レベルに転落した。 韓日間で苦労して締結された軍事情報包括保護協定(GSOMIA)がいつ破棄されるか分からない危機を迎え、韓日米軍事協力に穴が開いた中、4日からは日本企業の資産現金化も可能になり、両国間の最大争点になっている徴用問題が破局を迎える懸念も強まった。 其れだけに安倍首相の辞任は韓日関係を復元する為の変曲点にしなければいけない。 しかし、誰が日本の新しい首相になろうと、徴用など核心の懸案に対しては安倍首相と異なる立場を採るのは難しいというのが、専門家らの一致した見方だ。 日本では「韓国大法院の徴用判決は日韓請求権協定(1965年)で決着がついた賠償合意を一方的に覆(くつがえ)したものだ」という認識が与野党を問わず定着しているからだ。 従って、韓国政府としては徴用を初めとする過去の問題は時間をかけて交渉で解決していく一方、経済・安保懸案は早期に協力を復元するツートラック戦略を推進する必要がある。
韓日両国は北東アジアで2つだけの民主主義国家であり、アメリカとの同盟国だ。 韓日関係は安全保障と経済で共存・共栄していくしかない関係だ。 特に米中の対立が激化している現在、北東アジア域内の緊張を緩和する為の「韓日両国の協力の必要性」は更に高まっている。 韓日両国政府は安倍首相の辞任を契機に韓日米の連携を復元し、韓日両国間の懸案を前向きに解決していく事に力を注がなければいけない。 文大統領が8・15光復節(解放記念日)演説で「いつでも日本政府と対座する準備が出来ている」と述べたのに続き、青瓦台(韓国大統領府)が安倍首相の辞意表明後に日本の新しい首相と協力する意向を示した事は、こうした点で前向きに評価できる。 日本政府にも、徴用や慰安婦など過去の問題に対する誠意ある反省無くして根本的な韓日関係の改善は不可能だという認識への転換が求められる。

次に、「日本に対する異様な愛情欲求」を表出している『京郷新聞』の社説を紹介しましょう。 韓国左派マスメディア『京郷新聞』の2020年8月30日付けの社説「ポスト安倍の時代、未来志向で韓日の課題を解決すべきだ」の日本語訳を紹介しましょう。
安倍晋三首相が去る8月28日、持病を理由に辞意を電撃表明して、7年8ヶ月の長期政権に終止符を打った。 日本の政界では後任首相の選出で、水面下の競い合いが本格化している。 長きに渡って安倍首相と呼吸を合わせてきた菅義偉・官房長官、外相を務めた岸田文雄・自民党政調会長、石破茂・元自民党幹事長などが後任首相の候補に挙がっていると言う。
安倍首相辞任の主な理由はコロナ19の防疫失敗と権力型スキャンダルなどの国内問題である為、今回、自民党政権内で日本の首相が替わっても、日本の首相の交替が韓日関係に大きな変化をもたらすことは無いだろう。 韓国政府内でも「今すぐ韓日関係に変化があるとは思えない」という観測が主流である。 そうだとしても、日本の首相の交替は最悪の韓日関係の出口を探る動力源になるだろう。
韓日国交正常化以来の韓日関係が最悪の状況に陥った事の責任の大部分は安倍首相に有る。 彼は政権発足直後から過去の侵略戦争を美化し、集団的自衛権の法制化と靖国神社の参拝とで日本の右傾化を導いた。 安倍首相は危機の度に「韓国叩き」に乗り出して韓日関係を悪化させ、韓国政府が推進してきた朝鮮半島の平和プロセスを妨害した。 此のような彼が首相の地位にいたので韓日関係の改善は期待薄だった、と言っても過言ではない。
ポスト安倍時代の韓日関係は未来志向で確立されなければならない。 日本は此れ以上、韓日歴史問題で近隣国の信頼を失わないようにする事を外交の大原則とすべきだ。「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題についても、「日帝強制徴用被害者」問題についても、日本は虚心坦懐に韓国と協議して解決策を導く必要がある。 安倍首相は「戦後清算」を叫んだが、彼の政権期間中に戦後問題は更に膨れ上がった。 我々は日本の新たな首相が真の意味の「戦後清算」に乗り出す事を期待する。 何よりも「嫌韓」を政治に利用してはならない。
米中の新冷戦など、世界的大転換期に韓日間の協力の必要性は大きくなっている。 ミドルパワーの韓日両国が緊密に協力すれば、韓日両国はコロナ19以降の国際秩序を主導することが出来る。 朝鮮半島の平和を実現する上でも、日本の協力が絶対に必要である。 日本政府も日本の政界も韓日関係の重要性を今一度肝に銘じるべきである。 日本の首相の交代を韓日関係改善の突破口として活用する能動的な態度が求められる。

韓国人の言う「韓国と日本との未来志向の協力関係」は「格下の日本が反省して格上の韓国にかしずく関係」を意味します。

次に、「日本に対する異様な愛情欲求」を表出している『朝鮮日報』の社説を紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』の2020年8月29日付けの日本語版社説「安倍退陣で「嫌韓政治」「反日政治」が全て終わることを願う」を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
日本の安倍首相が28日に辞意を表明した。 持病の悪化が原因だという。 安倍首相は2007年の第1次安倍内閣の時にも同じ病気で辞任した。 安倍首相は8月24日、連続在任日数2799日を記録し、日本の歴代首相の中で1位となった。 安倍首相は日本国内の嫌韓の雰囲気を政治利用し、その事が再び嫌韓を引き起こすという悪循環が繰り返された。 安倍首相は日帝による侵略戦争を正当化しながら、首相としての職務を遂行してきた。 安倍首相はA級戦犯が祀(まつ)られている靖国神社を参拝するという挑発行為を行なった。 安倍首相は中国人とアメリカ、英国、オーストラリア、オランダの捕虜に対しては謝罪したが、韓国に対しては一言も言及しなかった。 安倍首相は2016年には「日本軍用慰安婦被害者らに謝罪の手紙を送る意向はあるのか」との質問に「そのような考えは毛頭ない」と答えた。
2018年末に韓国の駆逐艦と日本の哨戒機が対峙する問題が起きた際、安倍首相は日本の哨戒機が撮影した映像をテレビで公開した。 この時、安倍首相は実務担当者の反対を押し切ったという。 安倍首相は過去には韓米日安保協力を考慮して水面下で解決してきた問題をあえて大きくしたのだ。 安倍首相は韓国大法院の日帝強制徴用賠償判決について「国際法違反」と主張し、過去には無かった貿易報復で対抗した。 安倍首相は国内で政治危機が起きる度に、露骨な「韓国叩き」を行なってきた。 安倍首相自らが主催した大阪G20(主要20ヶ国・地域)首脳会議では韓国とだけは首脳会談を行なわず、韓国政府関係者に会うときには自分が座るソファーよりも低いソファーに座らせた。
日本の政治家の中には過去にも安倍首相のような人はいた。 しかし、日本国内の世論がこれを制御した。 ところが、最近は安倍首相のような人が人気を得ている。 韓国からの謝罪要求に対する日本国民の疲労度が高まる中、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が反日を国内政治に利用している事で、「嫌韓」が大きな流れになってしまったのだ。
韓日両国は互いに引っ越す事のできない地政的な宿命関係にある。 北朝鮮の核問題と中国による覇権追求の脅威に対抗するという課題も山積みだ。 韓日関係の回復が遅れれば、韓日のどちらにとってもプラスにならない。 次の日本の首相は「嫌韓政治」をしてはならない。 韓国政府も「反日政治」の誘惑を振り切らねばならない。

2020年9月16日に菅義偉政権が発足して以降、韓国マスメディアだけでなく、韓国の経済団体や、文在寅政権までもが日本に盛んにラブコールを送ってくるようになりました。

● 韓国中間派政党「正しい未来党」の指導者の日本に対する思い。
韓国中間派政党「正しい未来党」の指導者の日本に対する思いを紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2019年7月2日付けの日本語版記事「韓国野党代表「文大統領、天皇即位式に直接参加しなければ」」(https://japanese.joins.com/JArticle/258479?sectcode=A10&servcode=A00)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
「正しい未来党」の孫鶴圭(ソン・ハッキュ)代表が文在寅大統領に今月22日に開かれる徳仁天皇の即位式の出席を提案した。
孫代表は11日、国会最高委員会議で天皇の即位式が韓日関係改善の突破口に成り得(え)るとして「文大統領が日本の徳仁天皇の即位式に直接参加する事を提案したい」と話した。
韓国政府は天皇即位式に誰が参加するかをめぐって慎重な態度を見せているが、李洛淵(イ・ナギョン)首相が慶祝特使の形式で参加する可能性が持続的に提起されている。
孫代表も李首相が対日本専門家として交渉力を発揮することが出来るだろうと話した。 だが、「韓日関係の解決方法を探るには限界がある」とし、「文大統領が即位式に直接参加すれば根本的で発展的な解決策になるだろう」と提案した。
特に「文大統領が天皇の即位式に参加して韓国人の温かい祝いを伝えれば、日本国民の心を精一杯溶かすことが出来るだろう」とし、「そうすれば、安倍晋三首相の姿勢も変わるだろう」と付け加えた。 この方法は大統領の地位を高めて大韓民国国民の自負心を高める道だと話した。 孫代表は韓日歴史問題に関連しては、韓国が道徳的優位性を保ちつつ、日本は企業負担を減らして平和的に問題を解決するのが良いと提案した。
彼は「韓日関係の基本環境を変えなければならない」として「韓国政府が日本に賠償に関連した金銭的要求をしないと宣言し、韓国政府が賠償問題の責任を負うと発表し、日本には韓日歴史問題に関して心からの謝罪を要求すべきだ」と話した。

韓国中間派政党「正しい未来党」の孫代表は妄想の世界であれやこれやと思考を巡らして日本に擦り寄ろうとしています。 言うまでもない事かも知れませんが、韓国人の言う「韓日歴史問題の解決」は「日本が韓国の歴史認識を素直に受け入れ、韓国が「もういい」と言うまで日本が韓国に謝罪し続ける」という事を意味します。 しかし、日本が韓国にどんなに謝罪し続けても、韓国人は「もういい」とは言わないでしょう。「そんな事は分からないではないか」と思う日本人が沢山いるかも知れませんが、韓国人の「「もういい」とは言わない」という思いは、日本が韓国にどんなに謝罪し続けても、彼ら韓国人の子々孫々に受け継がれて行くでしょう。 朴槿恵大統領が2013年3月1日の三・一独立運動記念式典で「加害者と被害者という歴史的な立場は、千年が経っても、変わらない」と発言したように、韓国人が「もういい」と言う日は今(2020年の時点)から千年以内には、やって来ないでしょう。

● 韓国の或る団体が作った「慰安婦に土下座する安倍総理大臣」の像。
韓国の或る団体が「慰安婦に土下座する安倍総理大臣」の像を2020年8月10日から展示すると発表しました。

  『永久の贖罪』という名の像(『京郷新聞』から引用)
  

韓国左派マスメディア『京郷新聞』の2020年7月25日付けの記事「少女像にひざまずく安倍」によれば、韓国の江原道平昌郡五台山の麓にある「韓国自生植物園(私営)」が『永久の贖罪』という名の像を2020年8月10日から展示すると発表しました。 此の『永久の贖罪』像の制作費を出した韓国自生植物園長は次のように言いました。「民族精神を高揚させる為に、元慰安婦のおばあさんたちが受けるべき謝罪を芸術作品の形で表現した。 日本が正面から歴史に向き合い、心から謝罪し、自身の過ちを反省し、新しい日本に生まれ変わることを切に願っている」。『永久の贖罪』像の作成者は次のように言いました。「謝罪しようとしない日本は我々が「もういい」と言うまで此の作品のように額ずき謝罪して初めて我々の許しを得ることが出来るということを表わした作品だ。 安倍は不法な植民地支配や「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題に関して謝罪しようとしないので、安倍に謝罪を促す為の作品だ」。 此れらの発言から此の像を作成した韓国人、並びに、此の像を展示した韓国人は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っている事が分かります。

『永久の贖罪』像は反日韓国人が持っている様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」など)の象徴であり、且つ、「日本に対する異様な愛情欲求」の象徴です。

● 黒田勝弘さんの対韓国観念の変容。
産経新聞ソウル駐在客員論説委員:黒田勝弘さん(78歳)が「「土下座像は国際儀礼上、許されない」という菅会見は “ ダメ対応 ” の典型だ。 新政権は韓国とこう付き合うべきだ」という標題で御自身の考えを2020年9月6日に「文春オンライン」で発表しました。 黒田さんの此の考えは、黒田さんの認識力の向上に因るものなのか、黒田さんの認識力の低下に因るものなのか、其のいずれでもないのか、と考えさせられてしまうほどのものです。 黒田さんの此の考えは黒田さんの認識力の低下に因るものである、と思われます。 黒田さんは長い韓国暮らしの所為で朝鮮人特有の精神に洗脳されて朝鮮人特有の精神世界に生きるようになったのではないでしょうか。 黒田さんが2020年9月6日に「文春オンライン」で発表した御自身の考え「「土下座像は国際儀礼上、許されない」という菅会見は “ ダメ対応 ” の典型だ。 新政権は韓国とこう付き合うべきだ」(https://bunshun.jp/articles/-/40103)をご覧になってください。 此の文章には意味不明なところが2ヶ所ほど有ります。

● ドイツの首都ベルリンの中心部にある公共の場所に設置された慰安婦少女像。
  

2020年9月下旬、ドイツ在住の韓国人で構成される市民団体「コリア協議会」がドイツの首都ベルリンの中心部にある公共の場所に「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を象徴する慰安婦少女像を設置しました。 此の慰安婦少女像の製作は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」が担当しました。 此の慰安婦少女像の横に置かれた碑文には「第2次世界大戦において、日本軍はアジア・太平洋地域で女性を性奴隷として強制的に連行した」とドイツ語で書かれています。

第2次世界大戦で日本は日独伊三国軍事同盟(枢軸同盟)を結んで連合国と戦いました。 其の為、ドイツに対して好意的な思いを持っている日本人が沢山いるようですが、其のような思いは其のような思いを持っている日本人の片思いです。 また、「戦後のドイツは日本に対して友好的だ」と思っている日本人もたくさん居るようですが、其のような思いは大きな思い違いです。 第1次世界大戦で日本は連合国の一員になり、ドイツと戦いました。 第1次世界大戦で日本陸軍は1914年9月2日に山東半島に上陸し、山東半島に駐留していたドイツ軍を2ヶ月余りの攻撃で降伏させ、ドイツの山東半島における権益を奪い取りました。 日本海軍はドイツ領だったミクロネシアの島々(グアム島を除くマリアナ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島(パラオ諸島を含む))を1914年10月に占領しました。 こうした事で第1次世界大戦中からドイツ人は全般的に日本に対して非友好的になった、と思われます。 第1次世界大戦後のドイツの政治指導者のほとんど全てが日本に対して非友好的であった中で、アドルフ・ヒトラーは例外的に日本に対して友好的でした。 其の為、日独防共協定(1936年11月)や日独伊三国軍事同盟(1940年9月)が成立したのでしょう。 現在のドイツの一般庶民が日本に対してどれほど非友好的であるか、どれほど友好的であるか、詳しい事は知りませんが、ドイツの政治指導者やドイツのマスメディア関係者は全般的に日本に対して非友好的観念を持っているようです。 ドイツの政治指導者やドイツのマスメディア関係者が日本に対する非友好的観念の全てを公にすることは無いようですが、ドイツの政治指導者やドイツのマスメディア関係者が全般的に日本に対して非友好的観念を持っているからこそ、ドイツの首都ベルリンの中心部に慰安婦少女像が設置されたのです。 加えて言えば、ドイツでは左派系の学者が右派系の学者より大きな力を持っているようです。

● 韓国左派政党「共に民主党」の「東京オリンピックをボイコットしても良いのか」という「日本に対する脅し」。
2020年の夏季オリンピックをどこで開催すべきかが検討されている段階で、韓国左派勢力は「東京は放射能影響圏内にある」と主張し、2020年の夏季オリンピックが東京で開催されることに露骨に反対していました。 そして、2013年9月に IOC(国際オリンピック委員会)の総会で2020年の夏季オリンピックが東京で開催されることが決定されてからも、韓国左派勢力は東京オリンピックの開催に露骨に反対して来ました。 例えば、韓国左派政党「共に民主党」の議員らは「東京オリンピックの競技場が放射能影響圏内にある」と主張する為の地図を公開し、世界に向かって「2020年の東京オリンピックは放射能オリンピックである」と主張し、日本に対しては「東京オリンピックをボイコットしても良いのか」と言っていました。 彼らは此のような発言が日本に対する脅しになると思っているのです。 更に、安倍内閣が2019年7月4日に一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目の対韓国輸出管理を厳格化して以降、「共に民主党」の議員らは「放射能オリンピック反対」というポスターを相次いでインターネット上に掲載し、世界に向かって「日本が韓日歴史問題で謝罪しなければ、全世界の良心が東京オリンピックをボイコットするだろう。 経済戦犯国(注:どのような意味なのか、理解不能)に平和の祭典を主催する資格はない」と主張して来ました。 彼らは此のように言う事で日本を脅している積もりなのです。 何と馬鹿な人たちでしょうか。 韓国人の此のような姿勢・態度は大きくて強い犬に対する小さくて弱い犬の姿勢・態度と同じです。「弱い犬ほどよく吠える」と言われます。 先に「韓国人は全般的に日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持っているのです」と述べました。 此の事を「韓国人は全般的に大きくて強い犬に対する小さくて弱い犬の思いと同じ思いを日本に対して持っている」と言い換えることが出来るでしょう。

2021年になると、誠信女子大学の客員教授:徐敬徳(ソ・ギョンドク)が東京2020オリンピック組織委員会の公式インターネットサイトの聖火リレー地図にブラウザの表示倍率を500%にしてもほとんど見えない程度の点を発見し、此れを竹島だと断じました。 右の図は徐敬徳が自身のインターネットサイトで発表した画像です。 赤い丸の中にぼんやり見える程度の点があるらしいです。

此れを受けて、朴槿恵政権下で首相を務めた黄教安(ファン・ギョアン)は2021年5月26日に自身のインターネットサイトで「どの国が、自分たちの領土を挑発する国の国際行事に何も無かったかのように参加するというのか」と述べ、「日本が表示を修正しない場合、韓国は東京オリンピックに参加すべきでない」との考えをほのめかしました。 黄教安は此のように言う事で日本を脅している積もりなのでしょう。 更に、韓国の前首相:丁世均(チョン・セギュン)(「共に民主党」所属)は2021年5月26日に自身のインターネットサイトで日本に対して「東京オリンピック組織委員会のホームページに表示されている竹島を削除せよ。 日本が竹島の削除を最後まで拒否すれば、韓国は東京オリンピックへの不参加など、あらゆる手段を使うべきだ」と主張しました。 丁世均も此のように言う事で日本を脅している積もりなのでしょう。 更に、韓国の元首相:李洛淵(イ・ナギョン)も2021年5月27日に自身のインターネットサイトで「竹島表示を直ちに削除する事を日本政府に強く求める」と主張し、「日本が最後まで拒否すれば、韓国政府は東京オリンピックのボイコットなど可能な全ての手段を使って、断固たる対応を取るべきだ」と主張しました。 李洛淵も此のように言う事で日本を脅している積もりなのでしょう。 更に、『東京スポーツ新聞』の2021年5月28日付けの記事「竹島表記問題で韓国の東京五輪ボイコットが現実味「可能な限りの最大で強力な対応を行なう」と韓国外相断言」(https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3221904/)によれば、韓国外交部長官:鄭義溶(チョン・ウィヨン)は2021年5月28日に韓国の国会の外交統一委員会で「独島問題に関する日本の誤った行動を私は決して容認しない」と主張し、「韓国政府は可能な限りの最大で強力な対応を行なう」と言い、東京オリンピックへの不参加をほのめかしました。 鄭義溶も此のように言う事で日本を脅している積もりなのでしょう。 彼ら反日韓国人は「2020年の東京オリンピックは放射能オリンピックである」とか「東京オリンピックをボイコットしても良いのか」とか「東京オリンピック組織委員会のホームページに表示されている竹島を削除せよ。 日本が竹島の削除を最後まで拒否すれば、韓国は東京オリンピックへの不参加など、あらゆる手段を使うべきだ」とかいう発言を「日本に対する脅し」の積りで言っているのでしょうが、何という妄想でしょうか。 何と馬鹿な人たちでしょうか。 韓国が東京オリンピックに参加しなくても、日本は痛くも痒(かゆ)くもありません。 また、彼ら韓国の政治指導者は此のような発言をする事で日本に対して駄々をこねているのです。 彼ら韓国の政治指導者の此のような発言の裏には「日本に対する異様な愛情欲求」があるのです。 そして、其れと同時に、韓国民の自分に対する支持を高めようという政治的意図が有るのです。 丁世均(チョン・セギュン)は2022年の韓国大統領選挙に立候補する為に2021年4月に首相を辞任しました。 丁世均の「東京オリンピック組織委員会のホームページに表示されている竹島を削除せよ。 日本が竹島の削除を最後まで拒否すれば、韓国は東京オリンピックへの不参加など、あらゆる手段を使うべきだ」という発言は2022年の韓国大統領選挙で支持を高める為の政治宣伝(プロパガンダ)でもあるのです。

「東京オリンピック組織委員会のホームページに表示されている竹島を削除せよ。 日本が竹島の削除を最後まで拒否すれば、韓国は東京オリンピックへの不参加など、あらゆる手段を使うべきだ」と主張した丁世均の其の後の発言を報じた『中央日報』の2021年5月30日付けの日本語版記事「韓国前首相、日本政府を露骨な表現で批判」(https://japanese.joins.com/JArticle/279085?sectcode=A10&servcode=A00)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。 此の記事をお読みになれば、韓国左派政治指導者が「日本に対する異様な愛情欲求」を如何に強く持っているかを推察することが出来るでしょう。
「あいつら。 悪い奴ら。 偏屈。 恥知らず」。 日本政府が独島を自国領土として東京五輪地図に表示したことに対して、丁世均前首相が此のような露骨な表現で日本政府を批判した。
丁世均前首相は29日、忠清南道地域の市道議員懇談会に参加し、「日本はちょっと偏屈で恥知らずなのではないか。 我々を刺激しなくても、いくらでも五輪をやることが出来るではないか。 五輪地図の修正がなされなければ、国民の同意を受けて五輪をボイコットすべきだ」と主張した。
その上で、「言うのも恥ずかしいが、我々は「対話しよう」と、何度も信号を送った。 ところが、最隣国との首脳会談は全く出来なかった。 あいつらが独島を奪おうとする所業は絶対に容認できない」と語った。
また、「我々が独島を奪ったのであれば、分からなくはないが、日本は歴史的にも事実的にもとんでもない事をする」と語った。
丁世均前首相は、日本政府が韓国大法院の徴用工判決を問題にして2019年に輸出規制をした事に関して「本来、敵国に戦争物資は禁輸しても生活物資や産業物資は禁輸しないものだ。 日本人は悪い奴らだ」と語った。

動画「【韓国『日本よ!台湾のように韓国の事も愛してくれ!』】日本から台湾へのワクチン供給が羨ましくてたまらない韓国! 日本政府の返答は『竹島は東京五輪HPから削除しないよ。旭日旗も使うよ。』」(https://www.youtube.com/watch?v=_DJxMICCm98)をご覧になってください。
動画「韓国外相「独島表記を容認しない。最大で強力な対応を行う」ボイコットの現実味が増していると話題」(https://www.youtube.com/watch?v=5J51Kq1PwVc)をご覧になってください。

『東京スポーツ新聞』の2021年5月30日付けの記事「【東京五輪】韓国次期大統領候補が竹島問題で IOCを猛批判「ボイコットしなければならない」」(https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3229485/)によれば、丁世均は「大韓民国の主権と誇りとが毀損され、我々の選手たちの安全と生命とが保証されない東京五輪への参加に反対する」と主張し、更に、「東京2020オリンピック組織委員会のホームページに独島が日本領として表示されている」という韓国人の主張に対する IOCの姿勢について「政治的中立は五輪の最も重要な原則である。 東京五輪の地図における独島表記は、大韓民国に対する日本の明白な政治的挑発であり、公平性の違反であり、五輪精神の毀損である。 IOCは人類の平和の祭典を管理・監督する義務を有するにもかかわらず、自ら五輪精神を毀損している」と主張して IOCを激しく非難しました。
                                             丁世均
丁世均は2017年に来日した際、大島衆議院議長と会談し、其の会談において、2018年に開かれる平昌冬季オリンピックを機会に多くの日本人が韓国へ観光に行くように要求し、「もし日本人観光客が少なかったら、東京オリンピックには1人の韓国人も行かせない」と発言しました。 また、丁世均は2019年には安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対して毎日新聞の面会取材に応じて「日本を親友から唯の知人に格下げする」と発言しました。 いやはや、丁世均が日本を親友と思っていたとは、驚きです。 日本に甘えるのもいい加減にして欲しいものです。 また、ジョー・バイデンアメリカ大統領が新型コロナウイルスワクチンをアメリカ最優先で配給するという原則を明らかにした事に対し、丁世均は2021年4月23日に韓国CBSラジオの番組の中で「アメリカが禁輸措置を取るのであれば、此れはチンピラしかしないような事だ」と発言しました。 正に「弱い犬ほどよく吠える」です。

● 韓国の文化は日本の文化とは根本的に異なる。
韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望)は、李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)が清王朝に徹底的に支配されて来た過程で、「我々は清王朝による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けて「事大主義」に徹して苦しみながら生き続けた李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)を初めとして、「両班」階級の大多数の人々が遺伝子レベルで身に着けた3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)、並びに、李氏朝鮮時代の早い時期に両班支配体制が確立されて以降、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で生き続けた「常民」や「奴婢」が遺伝子レベルで身に着けた3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)の内の主に「被害者根性」から発生している、と思われます。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望)は遺伝子レベルのものなのです。 此れらの妄想を身に着けた彼ら反日韓国人は此れらの妄想を妄想とは思ってなく、彼ら反日韓国人は此れらの妄想を「真正な観念」と思っているのです。 妄想とは其のようなものです。 此れらの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望)を遺伝子レベルで身に着けた反日韓国人は韓国経済の大発展に伴って更に「新たな妄想的願望」と「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」と「妄想的自信」との3つを身に着けました。 彼ら反日韓国人が身に着けた「新たな妄想的願望」として「日本に対する異様な愛情欲求」や「日本文化の韓国起源説願望」が有ります。 彼ら反日韓国人が身に着けた「新たな妄想的願望」は此れら以外にも有るかも知れませんが、今のところ、彼ら反日韓国人が身に着けた「新たな妄想的願望」は「日本に対する異様な愛情欲求」と「日本文化の韓国起源説願望」との2つだけである、とします。 先に述べたように、彼ら反日韓国人の「日本に対する異様な愛情欲求」は、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の下層部に強く持つようになった「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合したり、彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込んだ「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが互いに複雑に反応したりして、彼らの顕在意識領域の上層部に発生したものです。 ですから、彼ら反日韓国人の「日本に対する異様な愛情欲求」は遺伝子レベルのものです。 また、先に述べたように、「日本文化の韓国起源説願望」は韓国人の大多数が遺伝子レベルで身に着けている3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)の内の主に「嘘つき根性」と「集り根性」と、日本文化の韓国起源説を主張する韓国人学者の骨の髄にまで染み込んでいる「格差原理思想」と「朱子学流小中華思想」と、彼ら反日韓国人が持っている「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本に対する強い敵対心」と「日本に対する巨大な劣等感」とが互いに結合して生まれたものです。 ですから、「日本文化の韓国起源説願望」も遺伝子レベルのものです。 そして、彼ら反日韓国人が身に着けた「新たな妄想的願望」は「日本に対する異様な愛情欲求」と「日本文化の韓国起源説願望」との2つだけです。 ですから、彼ら反日韓国人が身に着けた「新たな妄想的願望」は全て遺伝子レベルのものです。 また、彼ら反日韓国人の「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」は韓国人の大多数が遺伝子レベルで身に着けている3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)や「現代版小中華思想」や「日本に対する異様な愛情欲求」などが互いに結合して生まれたものである、と考えられます。 ですから、「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」も遺伝子レベルのものである、と考えられます。 一方、彼ら反日韓国人の「妄想的自信」は、彼ら反日韓国人が韓国経済の大発展に伴って他の遺伝子レベルの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念)の上に身に着けたものです。 ですから、「妄想的自信」は準遺伝子レベルのものである、と見て良いでしょう。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)は総じて遺伝子レベルのものです。 表現を換えて述べれば、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は遺伝子レベルの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)を持っている、と言えます。 そして、此れらの妄想を身に着けた彼ら反日韓国人は此れらの妄想を妄想とは思っておらず、彼ら反日韓国人は此れらの妄想を「真正な観念」と思っているのです。 ですから、伊藤博文が「朝鮮の文化は日本の文化とは根本的に異なる」と思った通りに、韓国の文化は日本の文化とは根本的に異なるのです。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている価値観と純正日本人が持っている価値観とは互いに根本的に異なる。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は何かに付けて「日本は韓国人の価値観を理解して受け入れるべきだ」と思って彼ら反日韓国人の価値観を日本に押し付けてきますが、日本が彼ら韓国人の価値観を受け入れる必要性は有りません。「人間集団が持っている価値観」とは、「人間集団に属する個々人の持っている全観念の集合の共通部分に含まれる観念の内、其の人間集団の意見・見解を生み出す働きを持ち、且つ、其の人間集団の行動様式を決める働きを持つ観念の集合体」です。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている価値観は遺伝子レベルの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)で構築されています。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている価値観と純正日本人が持っている価値観とは互いに根本的に異なります。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)と純正日本人とは互いに基本的な価値観すら共有できません。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている価値観と純正日本人が持っている価値観とは根本的に相容れません。

因みに、韓国人の中には「韓国人の価値観は日本人の価値観と同じである」と主張している政治家が居ます。 此の主張は日本へのラブコールです。 其れほどにまで韓国人は「日本に愛されたい」と思っているのです。

● 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている。
先に述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)は総じて遺伝子レベルのものです。 ですから、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は遺伝子レベルの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)の世界に生きているのです。 彼ら反日韓国人の心の中では妄想が絶え間なく湧き出ているのです。 彼ら反日韓国人の頭は妄想によって幾重にも取り巻かれている、と言って良いかも知れません。

「韓国人は現実を直視できない」とか「韓国人は見たい事だけを見て、見たくない事から目を背ける」とか「韓国人は現実から逃避する」とか「韓国人は現実と願望との区別が出来ない」とか度々言われます。 確かに純正日本人から見れば、韓国人は其のような傾向を極めて強く持っているように見えます。 しかし、彼ら反日韓国人にしてみれば、「我々は現実を直視できない」とか「我々は見たい事だけを見て、見たくない事から目を背ける」とか「我々は現実から逃避する」とか「我々は現実と願望との区別が出来ない」とかいう自覚は全く無く、彼ら反日韓国人は「我々は現実を直視している」とか「我々は見たくない事でもしっかり見ている」とか「我々は現実から逃避していない」とか「我々は現実と願望との区別が出来る」と思っているのです。 彼ら反日韓国人は自らが住んでいる妄想の世界を「真正な世界」と思い込み、自らの妄想を「真正な観念」と思い込み、「我々は現実から目を背ける事なく、現実を直視している」と自然に思っているのです。 妄想とは此のようなものです。 また、彼ら反日韓国人は遺伝子レベルの妄想の世界に生きている為、彼ら反日韓国人は丸い物を四角い物と思ってしまうほどの精神的乱視になっており、其の為、彼ら反日韓国人は現実を歪んだ像として捉えている、とも言えます。 韓国人は全般的に自分にとって都合が良い情報だけを受け入れて世界を解釈する、と言っても良いでしょう。 韓国人は全般的に世界の全てを自分に都合よく解釈する、と言っても良いでしょう。 韓国人は全般的に現実を有るがままに受け止めて認識することが出来ない、と言っても良いでしょう。 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きているのです。

● 韓国人の認識バイアスについての『レコードチャイナ(Record China)』の記事。
『レコードチャイナ(Record China)』の2017年2月17日付けの記事「韓国国民10人中9人、根拠もなく勝手に思い込む「認識バイアス」に該当=韓国ネット「根拠はたくさんある」「この国では当たり前」」(https://www.recordchina.co.jp/b164192-s0-c30-d0035.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
2017年2月17日、韓国『聯合ニュース』は「韓国民の10人中9人に根拠も無く勝手に思い込むなど、認識バイアスに該当する習慣がある」と報じた。
韓国保健社会研究院は同日、昨年9月に12歳以上の男女1万人を対象にして行なった調査の結果を纏めた報告書「韓国民の健康状態と精神的習慣の現況と政策対応」を発表した。
研究者らは精神の健康に関する習慣的な態度、思考習慣、精神的な傾向などを「精神的習慣」と定義し、否定的な精神的習慣を7つの領域、30の項目に分け、各項目に対するアンケート調査の設問を作成した。 アンケート調査の結果、「認識バイアス」領域に該当する5項目の内の1項目以上について「そのような習慣がある」と答えた人の割合は90.9%に達したという。
「認識バイアス」とは、物事の決定に自分の意見が反映されなかった時に、自分は無視されていると考えることや、一を聞いたら十を知ることが出来ると考えることなどを言う。 その他、内緒話をしている人たちを見て自分の悪口を言っていると考えること、世の中の全てが是非に分かれていると考えること、最悪の状況を一番先に考えること、なども認識バイアスの代表的な例である。
報告書は「精神的習慣が精神の健康の重要な決定要素である点が広く認識されていない」とし、「否定的な精神的習慣が多くみられる高齢者と低所得者に対する管理プログラムを開発すべきだ」と主張した。
この報道に韓国ネットユーザーから「根拠が無いだなんて!。 この国の有り様を見て。 それが根拠よ」「政治に経済、さらに大気汚染まで。 正常な精神で暮らせる訳がない」「韓国が滅んでいく根拠は沢山ある」「韓国政府は経済の指標よりも国民のメンタルの方が大事だという事に気付いていない」「資本主義の悪い面。 大き過ぎる貧富の差は自壊の感情と喪失感とを増幅させる」「努力は報われるという言葉が無い国では当たり前のことだ」など、韓国の社会や政府に対する不満の声が多く寄せられた。 その他、「学校で国英数だけを教えるのではなく、人間性の教育をすべきだ」「90%以上がそう考えるなら、それが正常という事では?」との指摘も見られた。(翻訳・編集/堂本)

「認識バイアス」(cognitive bias、認識の偏り)という言葉は心理学用語です。 此の記事の標題の中には「根拠もなく勝手に思い込む「認識バイアス」」とあります。 思い込みには浅いもの(軽度のもの)から極めて深いもの(極めて重度のもの)まで色々あります。 言葉を換えて述べれば、「認識の偏り」には軽度のものから極めて重度のものまで色々あります。「認識バイアス」とは、軽度のものから極めて重度のものまでの「認識の偏り」を意味するのでしょう。 極めて重度の「認識の偏り」が「妄想」(根拠の無い有り得ない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することが出来ない主観的な信念)であり、軽度の「認識の偏り」は「妄想と言えるほどではない思い込み」なのでしょう。 そして、韓国保健社会研究院によれば、韓国人の90%が「妄想」又は「妄想と言えるほどではない思い込み」を持っているという事なのでしょう。 韓国人は全般的に自分の願望や信念を裏付ける情報だけを選択・重視し、此れに反する情報の一切を排除する「認識の偏り」を持っているのです。 そして、此の「認識の偏り」は左派韓国人(奴婢の子孫)に強く見られます。

● 2018年頃、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本人は韓国に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は韓国に対する劣等感から生まれたのだ」と思うようになった。 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている為、自分自身が遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている事に気付かず、其の為、彼ら反日韓国人は自分を客観的に見ることが出来ず、其の為、彼ら反日韓国人は遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている自分を基準にしてしか他人の事を推測・判断できない。

先に何度も述べたように、2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っています。 そして、彼ら反日韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし、「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴え、彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、彼らの言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題を大々的に取り扱い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けて日本に集りながら、彼ら反日韓国人は「なぜ日本人は韓国を嫌うのだろうか。 日本人の嫌韓の理由が分からない」と思って来たようです。 そして、其の疑問に対する正解が見付かったと思ったのでしょう、2014年に一人の韓国政府の要人が「日本人は韓国に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は韓国に対する劣等感から生まれたのだ」と言い始め、其の後、多くの韓国一般庶民がインターネット上で同じような事を発言するようになりました。「日本人は韓国に劣等感を持っている」とは! 実に笑わせてくれます。 2018年には韓国が名目GDP(USドル換算値)ランキングで世界10位になり、購買力平価GDP(USドル換算値)ランキングで世界14位になり、韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)が日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜いたこともあって、2018年頃、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本人は韓国に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は韓国に対する劣等感から生まれたのだ」と思うようになった、と思われます。 其のような思いは遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている韓国人がお粗末な思考力で彼らなりにあれやこれやと考えた末に導き出した結論なのでしょう。 韓国人の大多数が其のような思いを持っているという事からも、韓国人の感性水準・知性水準・理性水準が如何にお粗末なものであるかが良く分かります。 彼ら反日韓国人の「日本人は韓国に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は韓国に対する劣等感から生まれたのだ」という思いは彼ら反日韓国人の「日本に対する巨大な劣等感」の裏返しである、と思われます。

韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本人は韓国に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は韓国に対する劣等感から生まれたのだ」と思うようになったのは、彼ら反日韓国人が遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている自分を基準にして他人の事を推測・判断しているからでしょう。 人は誰でも自分を基準にして他人の事を推測・判断するように生まれ付いていますが、心掛け次第で或る程度までは自分を客観的に見ることが出来るようになり、或る程度までは自分の事を他人の立場で考えることが出来るようになり、或る程度までは他人の事を他人の立場で考えることが出来るようになるものです。 しかし、彼ら反日韓国人は遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている為、自分自身が遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている事に気付かず、其の為、彼ら反日韓国人は自分を客観的に見ることが出来ず、其の為、彼ら反日韓国人は遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている自分を基準にして他人の事を推測・判断してしまうのです。 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている為、自分自身が遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている事に気付かず、其の為、彼ら反日韓国人は自分を客観的に見ることが出来ず、其の為、彼ら反日韓国人は遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている自分を基準にしてしか他人の事を推測・判断できないのです。 自分自身が遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている事に気付かない彼ら反日韓国人は自分を客観的に見る能力を持てる筈がないのです。

因みに、「各国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は其の国の物価を考慮した1人当たりのGDPであり、実際の豊かさを1人当たりの名目GDP(USドル換算値)より良く表している」と言われますが、各国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は其の国の一般庶民の暮らし易さや豊かさを1人当たりの名目GDP(USドル換算値)よりどれくらい良く表しているのでしょうか。 各国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は其の国の一般庶民の暮らし易さや豊かさを表す数値として信頼できるものなのでしょうか。

● 韓国マスメディア『スカイデイリー』の「日本人の嫌韓は韓国に対する嫉妬心から生まれた」という主張。
『東京スポーツ新聞』の2021年5月13日付けの記事「韓国メディアが日本との比較を特集「太陽が昇る大韓民国、沈む日本」」(https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3156978/)を引用しておきます。
韓国マスメディア『スカイデイリー』が様々な分野で韓国と日本との比較を特集し、「太陽が昇る大韓民国、沈む日本」と主張し、持論を展開した。
『スカイデイリー』は政治や経済や文化やスポーツなどの日韓比較を実施した。「最近外国から聞こえてくる韓流旋風ニュースと共に、様々な指標で韓国の地位が空を突くようにアップしている」と指摘した。 そして、各分野での韓国の優勢振りを強調した。「2017年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は日本を追い抜いた。 教育面では韓国の家庭のパソコン普及率は世界最高レベルの85%で、日本のパソコン普及率は35%だ。 経済面ではサムスン電子の売上高は日本の電子系会社の売上高の全てを合わせたよりも何倍も多い」と、日本社会や日本経済の現状を分析した。 さらに「アカデミー助演女優賞をユン・ヨジョン、アカデミー監督賞や作品賞をポン・ジュノ監督が受賞するなど、韓国は文化的にも日本を上回っている。 BTSがビルボードのトップに君臨し、日本のオリコンチャートなど全世界180ヶ国の音楽チャートを席巻している。 服飾デザイナーも韓国人が人気だ」と、文化面での優勢を主張した。 そして、スポーツ面でも「欧州サッカーニュースのほとんどは孫興民(28歳、FW、トットナム在籍)や黄義助(28歳、FW、ボルドー在籍)などに関するものであり、韓国人サッカー選手が全世界に存在感を見せている」と、胸を張った。
その上で、『スカイデイリー』は日韓関係が悪化している理由を次のように指摘した。「日本の右翼は韓国の躍進に対して「嫌韓」世論を作り出し、インターネット上で韓国に関する記事だけを誹謗したり嘲笑したりし、醜い態度を見せている。 日本人の嫌韓は、過去に自分たちが占領して従属国と見なした韓国が今では強国になって世界中の人々の注目を浴びている事から生じているのであり、日本人の嫌韓には韓国に対する嫉妬心や島国根性が見て取れる」と、日本国民を猛烈に批判した。
日韓関係の悪化もあり、韓国では反日感情が高まりを見せているようだ。

韓国マスメディア『スカイデイリー』の上記の見解は韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の日本に対する思いを代表している、と思われます。 此の記事に関連して、動画「韓国メディア「各分野で、太陽が昇る大韓民国、沈む日本。嫌韓は韓国への嫉妬」」(https://www.youtube.com/watch?v=QFD7qrqrxZc)をご覧になってください。『スカイデイリー』が発表した元記事(朝鮮語)は「https://www.skyedaily.com/news/news_view.html?ID=130685」で見ることが出来ます。

● 「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国左派政治指導者の知性水準は世界の政治指導者の知性水準より甚だしく低い。
2020年5月2日、「Insight Korea」という韓国インターネットサイトに「安倍が死んでも文在寅に勝てない理由」と題する文章が発表されました。 此の文章は妄想の塊と言っても言い過ぎではないものです。 此の文章の日本語訳を紹介しましょう。 純正日本人の方々には此の文章をお読みになる事で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国左派政治指導者の知性水準の低さ加減を推察して頂けるでしょう。
コロナ19肺炎のパンデミック(Pandemic、世界的大流行)は未曾有の危機だ。 此のパンデミックは14世紀のヨーロッパで大流行してヨーロッパの人口を半減させた黒死病や、1918年から1920年にかけて数千万人の命を奪ったスペイン風邪にも匹敵する「歴史的な災い」になるかも知れないという悲観的な展望が出ている。
危機であればあるほど、指導者の役割が重要である。 此の点で文在寅大統領のリーダーシップと安倍晋三首相のリーダーシップとは対照的だ。 コロナ19肺炎の伝播初期において、韓国は深刻な混乱を招いた。 しかしながら、文大統領が透明性・開放性・迅速性という原則を立てて国民と通じ合った結果、我々は防疫模範国家という評価を受けている。
我々は今回の事態を経験して、賢明で洞察力のあるリーダーの重要性を知る事になった。 もちろん、成熟した市民意識、医療陣の献身、防疫当局の徹底した検査・管理があったので、コロナ19肺炎による被害を最小限に抑えられた事は周知の事実である。
一方、日本はどうなのか。 閑散とした都市の繁華街には、鼠の群れがウヨウヨしていると外信は伝えた。 連日、東京は街に感染者が溢れている。 或る自治体の長は医療陣がゴミ袋を被って診療していると言ってレインコートの提供を訴えた。 陽性判定を受けた人たちが都心の路上で死亡したとか、日本は制御不能状態に陥ったという警告も出た。 世界最高の文明国と偉ぶっていた日本の政治指導者たちは恥ずかしいに違いない。
日本が「感染国家」になった事の責任は全面的に安倍首相に有る事は間違い無い。 彼は長期政権に下心を持ち、東京オリンピックの開催に固執して防疫ゴールデンタイムを逃した。 彼が其の後に打ち出した対策は無定見なものであり、其の無定見な対策に対して叱責が相次いでいる。 日本のコロナ19検査は速度が遅く、1日当たりの検査実績は多くても7000件に過ぎない。 安倍は感染者数を減らす為に、クルーズ船(注:ダイヤモンド・プリンセス号)の感染者数を統計から除くという小細工を使った。
安倍政権は揺らいでいる。 朝日新聞の調査によれば、日本国民の66%は来年秋に任期が終わる安倍の4期連続再任に反対している。 日本でのコロナ19肺炎の流行を受け、安倍のリーダーシップに懸念を抱く人が多くなったのである。 安倍は2012年12月から現在まで首相職を維持しており、第1次安倍内閣(2006年9月〜2007年8月)の期間を合わせて最長命の首相になった。 彼の長期政権の理由は日本特有の派閥政治にあると言えるが、彼の長期政権の最大の理由は彼が何よりも「嫌韓フレーム」で多くの支持を集めた事である。 安倍が国内で危機に直面する度に使う手段は「韓国叩き」である。 安倍は独島の領有権主張、歴史歪曲、経済侵略など、絶え間ない挑発で嫌韓感情を煽り立ててきた。
安倍は文在寅政権と韓国に劣等感を持っているようだ。 安倍が世界の認める「韓国の成功した防疫」を嘲笑し、韓国製のコロナウイルス診断キットを「不良品だ」と貶(けな)すのは愚かな自尊心の所為である。 韓国を見倣うのは屈辱だと考える情緒が安倍政権の内部に広まっているのだ。
日本は一時、文化経済大国として世界の羨望を集めた。 だが、日本は今では隣国に財布自慢や拳自慢をする下品な三流国家に転落している。 此のような現象は、日本軍国主義の象徴と見なされる安倍の長期政権期間中に目立ってきた。 安倍の偏狭なリーダーシップが日本にとって毒になっているのである。 韓国との共存・連帯を推進する政治指導者が日本に出現する時、日本は初めて真の先進国になるという事を日本は忘れてはいけない。

此の文章の作者は奴婢の子孫である、と思われます。 安倍首相の偏狭なリーダーシップが日本にとって毒になり、日本が今では隣国に財布自慢、拳自慢をする下品な三流国家に転落しているのであれば、其のような日本の状態は此の文章の作者にとっては極めて喜ばしい事でしょうに、此の文章の作者は「安倍が日本を其のような状態にしたのだ」と考えて安倍首相に大きな不満を持って安倍首相を非難しているのです。 おかしな感性、お粗末な知性です。「馬鹿」としか言いようがありません。 因みに、此のようなおかしな感性、お粗末な知性を持っているのは此の文章の作者だけではありません。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の全てが此のようなおかしな感性、お粗末な知性を持っている、と見て良いでしょう。 話を此の記事の内容に戻しましょう。「彼の長期政権の理由は日本特有の派閥政治にあると言えるが、彼の長期政権の最大の理由は彼が何よりも「嫌韓フレーム」で多くの支持を集めた事である。 安倍が国内で危機に直面する度に使う手段は「韓国叩き」である。 安倍は独島の領有権主張、歴史歪曲、経済侵略など、絶え間ない挑発で嫌韓感情を煽り立ててきた」という文からは「 韓国を嫌わないで韓国を愛して欲しい」という思いが透けて見えます。「安倍は文在寅政権と韓国に劣等感を持っているようだ」とは! 実に笑わせてくれます。「安倍が世界の認める「韓国の成功した防疫」を嘲笑し、韓国製のコロナウイルス診断キットを「不良品だ」と貶(けな)すのは愚かな自尊心の所為である。 韓国を見倣うのは屈辱だと考える情緒が安倍政権の内部に広まっているのだ」という文からは「韓国をまともな国として扱って欲しい」という思いが透けて見えます。 更に、「韓国との共存・連帯を推進する政治指導者が日本に出現する時、日本は初めて真の先進国になるという事を日本は忘れてはいけない」とある事から、此の文章の作者は「日本に対する異様な愛情欲求」を持っている事が分かります。 纏めとして言えば、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国左派政治指導者の知性水準は世界の政治指導者の知性水準より甚だしく低い、と言って良いでしょう。

● 「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の知性水準は世界の学者の知性水準より甚だしく低い。
韓国マスメディア『ソウル新聞』が韓国政府傘下のシンクタンク「北東アジア歴史財団」の李明贊(イ・ミョンチャン)名誉研究員に対する面会取材記事(朝鮮語)「[2000字インタビュー50]イ・ミョンチャン “韓日逆転が完成すれば、嫌韓も対立も解消する”」(http://m.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20210317500115&)を2021年3月17日に発表しました。 此の面会取材の中で李明贊名誉研究員は「完全な韓日逆転が実現すれば、日本人の嫌韓は急速に解消し、其れに伴って韓日対立も解消し、韓日歴史問題は韓国の主張が大きく反映される形で決着するだろう」と述べました。 此の面会取材記事の日本語訳を紹介しましょう。 純正日本人の方々には此の記事をお読みになる事で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の知性水準の低さ加減を推察して頂けるでしょう。
北東アジア歴史財団の李明贊名誉研究員は著書「日本人が証言する韓日逆転」の中で次のように述べている。
2000年代初期、サムスンがソニーを抜き、2010年バンクーバー冬季オリンピックの女子フィギュアスケートでキム・ヨナが日本の浅田真央を抑えて優勝した。 2017年には1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)において韓国が日本を追い抜き、同年、勤続5年目からの労働者賃金において韓国(月362万ウォン、円で35.9万円)は日本(月343万ウォン、円で34.0万円)を越えた。 2020年、映画『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞4部門で作品賞などを受賞して文化芸術部門で韓日逆転現象の頂点に立った。 此のように、あちこちで韓日逆転現象が日常化した。 此のような韓日逆転現象が日本人の嫌韓の理由である。

各界で起きている韓日逆転現象と韓日両国関係の展望について李明贊名誉研究員に面会取材した。 李明贊名誉研究員は1960年生まれで、高麗大学で学士・修士を経て、日本の慶応大学で国際政治学の博士号を取得し、2020年に北東アジア歴史財団を退職した。 以下は一問一答の内容である。(此の一問一答は長いので、一部分を抜粋しました。)

問.現在、韓日逆転現象はどれくらい進行していると見るか。
答.韓日逆転現象は分野別に時期と程度の差があるが、既に韓日逆転現象が起きた分野と、近い将来に韓日逆転現象が起きる分野とがある。 韓流に代表される文化の分野では既に韓日逆転現象が起きた。 自民党世襲政治の代表とも言える安倍政治は民主主義とは遠く離れている。 韓国は真の民主化を目指して粘り強く進み続けている。 日本は政治分野でも韓国に逆転されつつある。 日本経済は「失われた30年」の間に低迷し続け、韓国の大企業が提供する商品の分野で韓日逆転現象が進行している。 唯一、日本の職人が力を発揮して日本の強みとして残っていた素材・部品・製造装置の分野でも、韓国は政府と大企業と中小企業とが力を合わせて完全な韓日逆転を目指して邁進している。 早ければ5年以内に、遅くとも10年以内に、韓国は日本による輸出規制のような虐めが二度と効かない国になり、完全な韓日逆転が実現する。
問.日本は経済で一時アジアを制覇した。 日本のGDPは今なお世界第3位であり、世界第4位のGDPを持つドイツのGDPと比べて少なからぬ差を見せている。 なのに韓日逆転現象が起きたのはなぜか。
答.自民党世襲政治に起因する「日本経済の非効率性」が韓日逆転現象の起きた理由だ。「日本経済の非効率性」は「失われた30年」という言葉に良く表されている。 日本がアナログ社会である事は「日本経済の非効率性」そのものである。 過度な政府借金(GDPの2.7倍)、高齢化社会、日本社会に内在するバブル景気の後遺症、第4次産業が未来を決定する激変の国際社会で変化を嫌う素人で構成される社会、韓日歴史問題を解決しないまま周辺国と頻繁に揉(も)める事に起因する過度の国力消耗、などを「日本経済の非効率性」として挙げることが出来る。「日本経済の非効率性」の決定版が韓国に対する輸出規制だと言える。 安倍政権が行なった此の外交的愚策は韓国の日本製品不買運動を激発させ、日本の地方観光産業を衰退させ、韓国の先進的なコロナウイルス対応を受け入れられない状況を引き起こした。
問.韓日歴史問題で韓日の和解が実現すれば、日本人の嫌韓は消滅するだろうか。
答.日本人の嫌韓は韓日歴史問題の解決を難しくしている要因である。 完成へ向かっている韓日逆転現象の所為で日本人の嫌韓が激しくなった。 完成へ向かっている韓日逆転現象が日本人の嫌韓の理由である。 韓日歴史問題は日本人の嫌韓の理由ではない。 従って、たとえ韓日歴史問題で韓日の和解が実現しても、日本人の嫌韓は消滅しない。 もし完全な韓日逆転が実現すれば、日本人は諦めて日本人の嫌韓は急速に消滅し、韓日対立も消滅し、韓日歴史問題は韓国の主張が大きく反映される形で決着するだろう。 此の事を明確に認識すれば、自民党世襲政治の代表とも言える安倍政治が横行する状況の中では、韓日歴史問題で韓国民が日本と妥協することは有り得ないし、韓日歴史問題で日本と如何なる妥協もしてはならない。 韓国の国力を出来るだけ早く増進して完全な韓日逆転を実現する事だけが、被害者である韓国民が韓日歴史問題を思い通りに解決する唯一の道である。 遅くとも10年以内に完全な韓日逆転が実現する。

                                        李明贊名誉研究員
此れが日本の慶応大学で国際政治学の博士号を取得した人の見解です。 李明贊名誉研究員は慶応大学国際政治学科の教授から「上記のような観念」を吹き込まれたのでしょう。 李明贊名誉研究員は白昼夢を見ているのです。 此のような白昼夢を見ている韓国人は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)である、と思われます。 李明贊名誉研究員の対日見解は妄想の塊と言っても言い過ぎではないものです。 此のような妄想の塊と言えるような対日見解を発表するのは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の特徴である、と言って良いでしょう。 李明贊名誉研究員は「日本人は完成へ向かっている韓日逆転現象に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は完成へ向かっている韓日逆転現象に対する劣等感から生まれたのだ」と言いたいのでしょう。 あとで詳しく述べますが、韓国は、所得下位層が厚く、所得上位層と所得下位層との所得格差が極めて大きく、2019年の時点で所得が最も低い「所得下位20%世帯」の「1ヶ月平均所得」は44.8万ウォン(円換算で4万2000円)であり、更に、2020年の時点で韓国人青年(15歳〜29歳)の拡張失業率(実質失業率)は26.8%であり、韓国人青年(15歳〜29歳)の4人に1人は実質的な失業者であるにもかかわらず、李明贊名誉研究員は自著の中で「2017年には1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)において韓国が日本を追い抜き、同年、勤続5年目からの労働者賃金において韓国(月362万ウォン、円で35.9万円)は日本(月343万ウォン、円で34.0万円)を越えた」と書いてホルホルしているのです。 李明贊名誉研究員の知性(知的認識力)の何とお粗末なことか。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の対日見解は押しなべて李明贊名誉研究員の対日見解と同じようなものです。「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の知性水準は世界の学者の知性水準より甚だしく低い、と言えるでしょう。 また、「李明贊名誉研究員が2020年まで研究員として勤めていた韓国政府傘下のシンクタンク「北東アジア歴史財団」がどの程度のものであるか」がお分かりになるでしょう。 また、日本に留学していた李明贊を指導した慶応大学国際政治学科の教授は「李明贊名誉研究員の知性(知的認識力)を此のようなお粗末なものにした」という意味で日本国に大きく貢献した、と言えるでしょう。

韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)が日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜いたと言える年は2017年ではなく、2018年です。 2017年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万1409ドルであり、2017年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万1001ドルです。 2018年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万2762ドルであり、2018年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万3021ドルです。 韓国人の大多数は2018年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)が日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜いたことを知って「韓国は日本より上だ。 韓国は日本を完全に追い抜いた」と確信しました。

因みに、2022年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万9044ドルであり、2022年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は5万3736ドルであり、2018年以降、韓国は1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)において日本に勝っています。

● 「両班」階級出身者であるか、「常民」階級出身者であるか、のどちらかだろうと思われる韓国右派政治指導者の知性水準も世界の政治指導者の知性水準より相当に低い。

先に「「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国左派政治指導者の知性水準は世界の政治指導者の知性水準より甚だしく低い」と述べましたが、「両班」階級出身者であるか、「常民」階級出身者であるか、のどちらかだろうと思われる韓国右派政治指導者の知性水準も世界の政治指導者の知性水準より相当に低いのです。 2020年5月4日、『ソウルファイナンス』という韓国マスメディアが「韓日通貨スワップはしばらく忘れよう」と題する記事を発表しました。 此の記事の日本語訳を紹介しましょう。 此の記事は先に紹介した「安倍が死んでも文在寅に勝てない理由」と題する文章よりマシです。 純正日本人の方々には此の記事をお読みになる事で「韓国右派政治指導者の知性水準はこんなもんか!」と納得して頂けるでしょう。

『ソウルファイナンス』の「韓日通貨スワップはしばらく忘れよう」と題する記事の日本語訳。
近頃、マスメディアで「日本にコロナ19防疫物資を支援して韓日通貨スワップを締結すべきだ」というニュアンスの主張が登場している。 もちろん、不安な世界経済状況の中で通貨スワップを多くの国と大規模に結ぶ事は望ましい事ではある。 しかし、日本は韓日通貨スワップを単純に韓国に対する経済援助のように考えており、韓日関係の改善交渉で韓日通貨スワップを切り札として使おうとする動きを見せている。
かつて、李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島訪問が口実になって満期解約された韓日通貨スワップはその後、朴槿恵(パク・クネ)政権と安倍政権との間で再締結の議論がされ、日本側の慰安婦少女像撤去要求でうやむやになった。 今でも日本政府は韓日通貨スワップ締結を、「国際法を順守せよ」という日本政府の要求に韓国政府が従う場合の韓国への贈り物と見なし、韓国政府の屈服を期待している。 文在寅政権が韓国歴代政権と比べて日本と簡単に妥協しない為、安倍政権が持っている切り札は韓日通貨スワップだけだとの解釈も可能だ。
現在の韓国は日本を除く多くの国との間で通貨スワップ協定を締結しており、其の規模は限度を定めていないカナダとの通貨スワップ協定を除いて合計1932億ドル規模に達する、と韓国銀行が明らかにしている。 其の内の大部分は個別国家と結んだ通貨スワップ協定である。 アセアン+3と結んだ多者間通貨スワップ規模は384億ドルである。 アメリカとの通貨スワップ規模は600億ドルである。 中国と元貨で締結された通貨スワップ規模はドル換算560億ドルで、規模ではアメリカとの通貨スワップに次ぐ。 多分、アメリカが韓米通貨スワップを600億ドル規模で締結した事情には其れより先に締結された中国との通貨スワップの規模が影響したと見られる。 此のような状況の中で、韓国が韓日通貨スワップに執着する理由は無い。 韓日通貨スワップはあれば良いが、韓日通貨スワップが無くても、韓国が過去の通貨危機のような状況に直面する危険性はほとんど無い。 また、1997年のアジア通貨危機の中で、1998年に通貨危機に瀕した韓国から一番先に抜け出した資金は日本資金であるという苦い記憶を持つ私たちが、韓日関係の改善交渉で韓日通貨スワップを切り札として使って優位に立とうとやきもきしている日本政府との通貨スワップ締結を急ぐ理由は無い。 其の上、韓日通貨スワップ協定を締結した場合、今後予想される日本経済の危険性により、かえって韓国経済が困難に落ち入る可能性がある事も予め念頭に置く必要がある。 日本円は安全資産とされるが、日本の政府借金規模はどのように見ても尋常でない。 GDPの2.7倍に達する政府借金と財政の40%ほどを国債発行で埋めるしかない日本の財政状況は見逃せないレベルにある。
「日本の対外純資産規模が9兆ドルを越えているので、日本経済は安全だ」という主張もある。 此のような主張は「日本円は安全資産だ」と思われている理由の1つだ。 日本が28年連続世界1位の債権国家であるという事実に対する評価も「日本円は安全資産だ」と思われている理由の1つだ。 しかし、日本政府が保有している外貨準備高は1兆3千億ドル余りで、日本の全債権額の15%でしかない。 日本の全債権額の85%は日本の民間が持っている外国債権であり、 日本の財政危機に直ちに利用可能な国家資産ではない。
また、日本円が安全資産と見なされ、日本から外国資金が離脱する危険性が無いとしても、「日本国債の外国人投資額率は10%ほどなので、日本円は安全資産だ」という考えは幻想ではないかとの疑問がある。 今日まで日本円が安全資産だった理由の幾つかが次第に消えつつある。 日本はまだ世界3位の経済大国だと言われているが、日本の製造業は枯れつつある。 日本経済を回復させる意図で行なわれている通貨膨脹政策が日本経済を不況のどん底に落とし入れる危険性は大きい。
コロナ19事態によって全世界の経済地形は大きく変わるしかない。 現在、見られる限りでは、日本のコロナ19事態は長引くと見られ、其の為、日本経済は相当に大きな打撃を受けると見られる。 韓国はコロナ19防疫成功を契機に国家の地位を高め、為替管理で有利な立場に立つ可能性が高くなった。 此のような状況の中では、韓日通貨スワップを望むのは日本側になる可能性が高い。 韓国にはもう少し堂々とした経済外交が必要な時である。 私たちが韓日通貨スワップを欲しがる姿を見せる理由は無い。
ホン・スンヒ主筆

ホン・スンヒ主筆は「両班」階級出身者であるか、「常民」階級出身者であるか、のどちらかでしょう。「文在寅政権が韓国歴代政権と比べて日本と簡単に妥協しない為、安倍政権が持っている切り札は韓日通貨スワップだけだとの解釈も可能だ」とは、随分お気楽な考えです。「此のような状況の中で、韓国が韓日通貨スワップに執着する理由は無い。 韓日通貨スワップはあれば良いが、韓日通貨スワップが無くても、韓国が過去の通貨危機のような状況に直面する危険性はほとんど無い」とは、大見得を切ったもんです。「1997年のアジア通貨危機の中で、1998年に通貨危機に瀕した韓国から一番先に抜け出した資金は日本資金であるという苦い記憶を持つ私たち」とありますが、1998年に通貨危機に瀕した韓国に日本のメガバンクは最後までドルを貸し続けたのです。 しかし、此の事実が韓国ではいつの間にか通用しなくなり、「1998年に通貨危機に瀕した韓国から一番先に抜け出した資金は日本資金である。 日本による貸しはがしの所為で韓国は通貨危機に陥った」と信じられるようになりました。 そして、ホン・スンヒ主筆も「1998年に通貨危機に瀕した韓国から一番先に抜け出した資金は日本資金である」と信じているのです。「韓日関係の改善交渉で韓日通貨スワップを切り札として使って優位に立とうとやきもきしている日本政府」とは! 実に笑わせてくれます。 また、「日本の全債権額の85%は日本の民間が持っている外国債権であり、 日本の財政危機に直ちに利用可能な国家資産ではない」とありますが、こんな事は当たり前の事であり、普通はわざわざ言わないものです。 ホン・スンヒ主筆は其れを敢えて述べているという事から推察すると、ホン・スンヒ主筆は「日本の民間が持っている外国債権までをも利用しなければならないような重大な財政危機が日本を襲う可能性がある」と考えているのでしょう。 ホン・スンヒ主筆は日本の心配をするよりも自国の心配をした方が良いのではないでしょうか。「コロナ19事態によって全世界の経済地形は大きく変わるしかない」と断定的に書かれていますが、此の文の意味がはっきりしません。 此の文のすぐあとに「現在、見られる限りでは、日本のコロナ19事態は長引くと見られ、其の為、日本経済は相当に大きな打撃を受けると見られる。 韓国はコロナ19防疫成功を契機に国家の地位を高め、為替管理で有利な立場に立つ可能性が高くなった」と書かれている事から推察すると、「コロナ19事態によって全世界の経済地形は大きく変わるしかない」という文は「日本はコロナ19防疫に失敗し、日本経済は相当に大きな打撃を受け、日本は国家の地位を低めるだろう。 一方、韓国はコロナ19防疫に成功し、韓国経済は順調に発展し、韓国は国家の地位を高めるだろう。 其の結果として、韓国は為替管理で日本よりも有利な立場に立つだろう」という願望推測を断定的に述べたものでしょう。 また、「此のような状況の中では、韓日通貨スワップを望むのは日本側になる可能性が高い」とありますが、此の文の意味は「日本は近い内に金融危機に落ち入るだろうから、日本は韓日通貨スワップを望んでいるはずだ。 韓日通貨スワップは日本の利益にはなるが、韓国の利益にはならない」という事なのでしょう。

韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界で自分たちの価値観に基づいて日本のことをあれやこれやと考えて日本のことをあれやこれやと批反しないでは居られないのです。

● 韓国マスメディア『韓国経済新聞』が発表した「妄想の塊と言っても言い過ぎではないホルホル記事」。
韓国マスメディア『韓国経済新聞』が2020年5月上旬に発表した記事「「Kプレミアム」時代…「メイド・イン・コリア」の待遇が変わった」の『中央日報』による日本語訳(https://japanese.joins.com/JArticle/265537?servcode=300§code=320)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。 此の記事は「妄想の塊と言っても言い過ぎではないホルホル記事」です。
京畿道金浦市(キョンギド・キンポシ)にある中堅家電企業のウォンボンは浄水器、冷温水器、空気清浄器などを、ロシア、中東、東南アジアに輸出する。 創業者であるキム・ヨンドン会長と従業員は最近になって変化した韓国の地位を実感している。 新型コロナウイルスに打ち勝っている韓国が世界に大きな影響を与え、「輸出製品に太極旗を付けてほしい」という海外バイヤーの要請が増えた為だ。 キム会長は「5年前から中東のバイヤーの要求で太極旗を付けているが、最近は他の国からも『メイド・イン・コリア』と太極旗とを表示して欲しいと言われる。 この機会をうまく活用して輸出を増やし、新たな取引先も発掘していくだろう」と話した。
新型コロナウイルスの伝播を契機に韓国の格と韓国の世界での位置づけとが見違えるように高まっている。「コリア低価値時代は過ぎ、コリア高価値時代が来た」という自負心が全方向へ拡散している。 韓国で新型コロナウイルスが爆発的に伝播した2月には想像できなかったことだ。 アメリカや欧州など、ほとんど全ての先進国の市民が「韓国の再発見」を話している。 韓米経済学会長を務めた米アラバマ大学経済学科のイ・ジュンス教授は「韓国は携帯電話と一時的記憶用集積回路(DRAM)をうまく製造する国から脱却し、防疫、医療体制、情報技術、生物工学、など様々な分野で能力と底力を備えた国と認識され始めた」と話した。
韓国は世界的に見て危機をチャンスに変えた数少ない国に挙げられる。 新型コロナウイルス問題は新たな跳躍を可能にする発火点になるという期待が出ている。 買い占めがない国、医療陣の犠牲と献身、世界最高の診断技術と診断システム、市民のソーシャルディスタンスを確保しようとする成熟した思い、防疫当局の透明で体系的な対応、など。 これら全てが韓国の魅力を引き上げていると分析されている。
都市封鎖政策で市民の自由を制限しなかった点も高い評価を受けている。 中国は武漢を長期封鎖したが、韓国は大邱(テグ)の出入りを遮断しなかった。 各国の指導者、各国のマスメディア、各国の研究所などは既に韓国をお手本にしている。 フィンランドのニーニスト大統領は先月22日に文在寅大統領との電話会談で「新型コロナウイルス問題で解決策を提供した韓国は他の分野でも世界と戦略を共有できる有利な立場を先取りした」と発言した。 外信は韓国で流行した「ダルゴナコーヒー」など、韓国人の生活文化と食べ物まで報道している。 韓国の躍動的な発展物語にも再度スポットライトが当てられている。 強大国の不法な植民地支配を体験した国の中で唯一産業化と民主化とを成し遂げ、K-POPを初めとして、韓国ドラマや韓国映画の質が全て世界水準に達したという、韓国の文化的成就が際立って見えるのだ。

韓国は安全・清潔な国…K観光時代に備えなくては。
韓国経済は全力で耐えている。 韓国の製造業稼動率と輸出戦線とに異常が生じたが、韓国は他の国よりも善戦している。 配達・宅配ドライバーは休む暇もなく全国を走り回っている。 オンラインショッピングなどの非対面ビジネスが危機の中で燃え上がっている。
これからは危機をチャンスに変える現場をあちこちに作らなければならない。 全ての経済分野で総力戦を展開しなければならない。 韓国企業はポスト・コロナ時代の新しい市場に備えてハードウェア・ソフトウェア分野の競争力を新たに整備し、アメリカ・中国・欧州など伝統的輸出市場のほかに東南アジア・中南米・中東・アフリカなどに対する攻略を大々的に推進しなければならない。「もう少し頑張って競合企業との格差を広げ、もう少し力を入れて新市場を開拓すれば、期待以上の成果を上げられる」(クォン・ビョンオKOTRA社長)という希望を生かさなければならない。 ここに韓国の新しい兵器であるK生物工学、K製薬、K美容、K観光、K食品、K教育などが本格的な出撃を控えている。 日本と比べて劣勢だった観光産業も逆転の機会を迎えた。
今後、主要国の国境が再び開かれる時、「世界中の人が韓国を訪れるK観光時代」を開け放たなければならない。 韓国政府も韓国の湧き上がる魅力が世界市場に広まるように企業活動を積極的に支援し、サービス産業の質的高度化を図らなければならない。
韓国経済新聞は「コリア高価値時代が来た。 大韓民国、また走ろう」と題する企画シリーズを合計10回連載する。 世界における韓国の位置づけと韓国経済・韓国文化の躍動性とを点検し、韓国の新たな方向性を提示する企画だ。 韓国の進むべき道は険しく、新型コロナウイルス禍は収まっていないが、今からしっかりと準備すれば、韓国経済の大躍進は可能だと信じて疑わない。

今の韓国人の83%ほどは此の記事の内容に賛同するでしょう。 今の韓国には此の記事に書かれているような観念が行き渡っているのです。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は此の記事に書かれているような観念を強固に持っています。

● 韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い。
韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準がどの程度であるかが良く分かる記事を紹介しましょう。 韓国マスメディア『聯合ニュース』の2021年5月4日付けの日本語版記事「日本の汚染水海洋放出決定後に「水産物消費減らした」63% 韓国調査」(https://jp.yna.co.kr/view/MYH20210504010800882)を引用しておきます。
日本政府が東京電力福島第1原発の処理済み汚染水の海洋放出を決定して以降、韓国の消費者の6割以上は日本産かどうかにかかわらず水産物の消費を減らしたことが消費者団体の調査で明らかになった。
消費者団体「消費者市民の会」によると、ソウル市と近隣の京畿道に暮らす20歳代〜50歳代の消費者500人を対象にして先月22日〜23日に実施した調査で、63.2%が海洋放出決定後に水産物の消費量を減らしたと回答した。 消費量は変わらないとの回答は36.2%だった。 福島第1原発汚染水の海洋放出は2年後に始まる見通しだが、早くも水産物の安全性に対する懸念が高まっていることが明らかになった。
また、日本産水産物の安全管理に対しては69.6%が信頼していないと回答した。 水産物の安全を守るために必要な政策としては、全ての日本産水産物の国内への流入禁止、日本産水産物の安全性と放射能に対する管理強化、原産地表記の徹底などが挙がった。

福島第1原発の処理水の海洋放出は此の記事の日付け(2021年5月4日)から2年後に始まる見通しであるにもかかわらず、韓国人は「福島第1原発の処理水の海洋放出が決定された」と聞いただけで韓国の消費者の63.2%が日本産かどうかにかかわらず水産物の消費を減らしたのです。 全く呆(あき)れてしまいます。「韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準がどの程度であるか」がお分かりになるでしょう。 韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い、と見て良いでしょう。「福島第1原発の処理水の海洋放出は此の記事の日付け(2021年5月4日)から2年後に始まる見通しであるにもかかわらず、韓国人は「福島第1原発の処理水の海洋放出が決定された」と聞いただけで韓国の消費者の63.2%が日本産かどうかにかかわらず水産物の消費を減らした」という事に基づいて韓国一般庶民の知性水準を手短に且つ通俗的に評価すれば、「韓国一般庶民は頭が悪い」「韓国一般庶民の知能指数(IQ)は普通(標準)よりかなり低い」と言って良いでしょう。 しかし、此のような馬鹿げた現象は韓国一般庶民の知性水準が低いことだけに基づいているのではなく、韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準が総合的に低いことに基づいているのです。 韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準の総合的な低さ加減を手短に且つ通俗的に評価すれば、「韓国一般庶民は馬鹿である」と言って良いでしょう。 また、韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準の総合的な低さ加減が丸わかりになるような記事を韓国マスメディア『聯合ニュース』は能く発表できるものだな、と呆れてしまいます。 韓国マスメディア『聯合ニュース』の編集長の知性や感性は相当に低い、と言って良いでしょう。

東京新聞の2023年6月19日付けの記事「韓国で「塩」が商品棚から消えた…買いだめの理由は「処理水の海洋放出」 野党代表は「核排水」と発言」(https://www.tokyo-np.co.jp/article/257694)をご覧になってください。

因みに、韓国の政治指導者の大多数は「東京電力が処理水として福島第1原発の敷地内のタンクに溜め込んでいる水は汚染水である。 だから、其の汚染水を海に流してはならない」と大々的に主張しています。 此のような主張をしている韓国の政治指導者の大多数(7割ほど)は「奴婢」出身の政治指導者である、と思われます。 そして、此のような主張をしている「奴婢」出身の政治指導者は北朝鮮政府の指揮下に在る、と思われます。 言い換えると、此のような主張をしている「奴婢」出身の政治指導者は韓国に潜入している北朝鮮工作員の指導下で反日活動に精を出している、と思われます。 そして、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は、此のような主張をしている「奴婢」出身の政治指導者の言うことを真に受けて信じ込み、「福島第1原発の汚染水を海に流すな」と言って騒いでいるのです。

● 韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性水準は世界の一般庶民の知性水準より甚だしく低い。

  

「無明」というペンネームを使う韓国知識人がいます。 日経ビジネスオンライン 鈴置高史さんの「韓国はレミングの群れだ もう、止(と)められない「北朝鮮との心中」」(https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226331/010700211/?P=1)によれば、「無明」というペンネームを使う韓国知識人は日本の自民党の内幕や日韓関係について詳しい事から、日本を長らく担当した外交官僚OBだろう、との事です。 此の韓国知識人が2019年1月4日に自分のブログで発表した「韓国、レーダー照射問題に関する反駁動画公開」(朝鮮語)という文章の中で、此の韓国知識人は「朝鮮王朝が滅びた時がそうだったように、韓国の支配層が嘘を表明して韓国の被支配層を煽動すると、韓国の被支配層の豚どもは常に其の嘘と煽動に騙されてきた。 常に嘘と煽動で騙される韓国の被支配層の豚どもに人間の知性はないのだ」と述べました。

2020年3月から韓国マスメディアは「韓国は新型コロナウイルス防疫に成功した。 K防疫は世界中で賞賛されている。 世界中の国々がK防疫をお手本にしている」という「自国賛美の妄想テレビ報道」をほとんど毎週のようにして来ました。 此の妄想記事は大いに効いたようです。 韓国人の大多数は韓国マスメディアが発表する「自国賛美の妄想記事」を真に受けて信じ込んでいるようです。 2020年4月の時点で、文在寅大統領は韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)から「文在寅大統領様、愛してます」とか「大韓民国大統領様、我が国の格を随分と高めてくれて、ありがとうございます」とか言われて、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の間で絶大な人気が有ります。韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は李氏朝鮮時代に遺伝子レベルで身に着けた家畜的感性に基づいて文在寅大統領を “ 愛すべき御主人様 ” と思っているようです。「無明」というペンネームを使う韓国知識人が言っている「被支配層の韓国の豚ども」とは、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の事だ、と思われます。韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は「騙される韓国の豚どもに人間の知性はないのだ」と言われてしまうほど、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性は低いのです。韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性については、知能テストで測れる知能指数(IQ)は普通(標準)よりかなり低く、知能テストで測れない知性は極めて低い、と見ることが出来ます。韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性水準は世界の一般庶民の知性水準より甚だしく低い、と見て良いでしょう。

また、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の言説を真に受けて「2017年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は日本を追い抜いた」と言ってホルホルしています。 先にも述べましたが、購買力平価GDP(USドル換算値)とは、各国の物価を考慮したGDPであり、実際の豊かさを他のGDPより良く表している、と言われます。 あとで詳しく述べますが、韓国は、所得下位層が厚く、所得上位層と所得下位層との所得格差が極めて大きく、2019年の時点で所得が最も低い「所得下位20%世帯」の「1ヶ月平均所得」は44.8万ウォン(円換算で4万2000円)であり、更に、2020年の時点で韓国人青年(15歳〜29歳)の拡張失業率(実質失業率)は26.8%であり、韓国人青年(15歳〜29歳)の4人に1人は実質的な失業者であり、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)のほとんど全ては韓国の下位層を形成しているにもかかわらず、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の言説を真に受けて「2017年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は日本を追い抜いた」と言ってホルホルしているのです。 此の事を見ても、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性水準がどれほど低いかが分かります。

● 韓国人が2019年7月に始めた「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」は「日本に対する異様な愛情欲求」の裏返しであり、此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人は此れらの嫌がらせ運動を自分らの「日本に対する愛情欲求」が踏みにじられた腹癒せに行なっているのである。

文在寅政権は韓国左派政党「共に民主党」と共同して安倍政権の韓国に対する輸出管理厳格化措置に対抗しようとして「NO JAPAN」とか「Boycott Japan」とかいう標語の下に韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)を動員して「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」を2019年7月に始めました。 此れらの運動が日本に対する抗議運動である事は誰の目にも明らかです。 此れらの抗議運動の内実を分析してみましょう。 此れらの抗議運動を行なっている韓国人は此れらの抗議運動を「日本に対する嫌がらせ(相手に嫌な思いをさせる為に行なう行為)」として行なっているのである、と思われます。 ですから、ここでは韓国人の立場に立って此れらの抗議運動を「嫌がらせ運動」と言わせてもらいましょう。

 







韓国マスメディア『聯合ニュース』の2020年12月22日付けの日本語版記事「7割が日本製品不買運動に参加経験。4割「今後も続ける」」(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20201221005100882)によれば、韓国人の71.8%が「日本製品不買運動」に参加した経験が有ります。「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」は韓国左派政党「共に民主党」の指令下で始められたものである為、此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人の主体は韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)である、と思われます。 此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人は日本政府に対韓国輸出規制措置を撤回させる為に此れらの嫌がらせ運動をしているのでしょうか。 此の推察は当たっていない、と思われます。 なぜなら、此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人の主体は韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)であり、先に述べたように、韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性水準は世界の一般庶民の知性水準より甚だしく低く、従って、此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人の知性水準は彼らの嫌がらせ運動に明確な目的を設定できるほど高くはないからです。 では、此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人に此れらの嫌がらせ運動をさせている原動力(意思や情念など)は何でしょうか。 此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人は「此れらの嫌がらせ運動をすれば、日本は対韓国輸出規制措置を撤回するだろう」と思っているのでしょうか。 此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人は「此れらの嫌がらせ運動をする事で日本政府に対韓国輸出規制措置を撤回させよう」と思っているのでしょうか。 此れらの推察も大して当たっていない、と思われます。 此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人は此れらの嫌がらせ運動を反日感情の鬱憤晴らしとして行なっているのでしょうか。 此の推察も大して当たっていない、と思われます。「日本製品不買運動」を行なっている韓国人は「韓国の街中で日本企業の広告看板を見たくない。 日本企業の目障りな広告看板や目障りな日本製品を見ないで済むように韓国から日本企業や日本製品を追い出したい」と思っているのでしょうか。 此の推察も大して当たっていない、と思われます。「日本旅行に行かない運動」を行なっている韓国人は「日本なんてつまらない国だ。 そんなつまらない国に観光に行こうなどと思ってはならない。 韓国人としてのプライドを持つべきだ」と思っているのでしょうか。 此の推察も大して当たっていない、と思われます。 なぜ以上のように思われるかと言うと、「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」を行なっている韓国人の主体は韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)であり、先に述べたように、 彼ら反日韓国人は「黙殺された」と思うと、知性(概念推理認識力)の点検機能や理性(正邪善悪認識力)の点検機能がほとんど働かず、条件反射(脊髄反射)的に「馬鹿にされた」「侮られた」「見下された」と思って激高する人々だからです。 先に述べたように、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いを顕在意識領域の下層部に押し込んで保持しながら、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難して来たのです。 ですから、「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」を行なっている反日韓国人は自分たちが顕在意識領域の下層部に押し込んで保持している「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いが踏みにじられたと思って、悔しくて悔しくて堪らないのです。 結局のところ、韓国人が2019年7月に始めた「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」は「日本に対する異様な愛情欲求」の裏返しであり、此れらの嫌がらせ運動を行なっている韓国人は此れらの嫌がらせ運動を自分らの「日本に対する愛情欲求」が踏みにじられた腹癒せに行なっているのである、と見るのが最も妥当でしょう。「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」を行なっている反日韓国人の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とには「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとが溢れるほど溜まっているのです。 そして、彼ら反日韓国人の顕在意識領域の下層部に溢れるほど溜まっている此の2つの思いが彼らの顕在意識領域の上層部に流れ込み、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と結合し、「格下の日本に愛されたい。 格下の日本に優しく構って欲しい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」や「格下の日本との縁(関係)を切られたくない。 格下の日本との縁(関係)を強めたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が彼らの顕在意識領域の上層部に発生するのです。 韓国で「日本製品不買運動」や「日本旅行に行かない運動」が起きるのは、彼ら反日韓国人が「日本に対する極めて異様な愛情欲求」を持っているからです。

また、彼ら反日韓国人が「サムスンのスマートフォンは世界トップのシェアを持っているのに、サムスンのスマートフォンは日本では大して売れていない。 日本人はサムスンのスマートフォンの良さを理解できないのだ」と言ったり、「ヒュンダイの車は世界第4位の販売台数を誇っているのに、ヒュンダイの車は日本ではほとんど売れない。 全く悔しい」と言ったりするのも、彼ら反日韓国人が「日本に対する愛情欲求」を持っているからです。 また、彼ら反日韓国人は「日本では今、韓流ブームが起きている。 此れは第1次韓流ブームだ」とか「日本では今、韓流ブームが起きている。 此れは第2次韓流ブームだ」とか「日本では今、韓流ブームが起きている。 此れは第3次韓流ブームだ」とか「日本では今、韓流ブームが起きている。 此れは第4次韓流ブームだ」とか言ってホルホルして来ました。 彼ら反日韓国人は其れほどにまで「日本に愛されたい」と思っているのです。

● 韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準の低さ加減が良く分かる記事。
韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準の低さ加減が良く分かる記事を紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2021年5月11日付けの日本語版記事「韓国野党「韓米ワクチンスワップを促す決議案」…「クアッドの検討も必要」」(https://japanese.joins.com/JArticle/278542?sectcode=240&servcode=200)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国野党「国民の力」は10日、新型コロナウイルス感染症危機の克服のために「韓米ワクチンスワップ」を積極的に推進することを政府に促す決議案を所属議員101人全員の署名を受けて発議した。
この決議案には「新型肺炎ワクチン確保特別委員会」を国会内に設置し、韓米ワクチンパートナーシップを構築し、韓国がアジアのワクチンハブとして発展できる基盤作りの為に努力することを促す内容が盛り込まれた。
「安全な新型コロナウイルスワクチン確保のために、インド・太平洋地域の平和と繁栄のための非公式安保協議体であるクアッド(Quad、アメリカ・日本・オーストラリア・インド)参加を目指して前向きな検討が必要だ」という内容も盛り込まれた。
「国民の力」の外交安保特別委員会の長を務めるパク・ジン議員は決議案提出後、記者会見で「今回の決議案が与野党合意で成立すれば、新型肺炎危機の克服へ向けた超党派的協力の出発点になるだろう」と話した。

純正日本人の方々には韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準の低さ加減を理解して頂けるでしょう。 韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準はどれも相当に低い、と言って良いでしょう。 此の記事に関連して、動画「韓国野党、ワクチンスワップ推進決議案「韓国がアジアのワクチンハブとなるため努力する」」(https://www.youtube.com/watch?v=RP-NXU-843s)をご覧になってください。

● 文在寅大統領が行なった韓国民向けの壮大な法螺吹き演説。 其れを真に受けてホルホルする韓国人。
文在寅大統領は大統領就任から満3年を迎えた2020年5月10日に韓国民向けの壮大な法螺吹き演説を行ないました。 此の演説の内容が『朝鮮日報』の2020年5月11日付けの日本語版記事「文大統領「我々が標準になり、我々が世界になった」」の中で次のように書かれています。
文在寅大統領は大統領就任から満3年を迎えた5月10日、青瓦台で国民向けの特別演説を行なった。 この演説で、文在寅大統領は「我々の目標は世界をリードする大韓民国である」「我が国は防疫で世界をリードする国になった。K防疫は世界標準になった」「大韓民国の国家的地位と国民的自負心は以前にも増して高まった」と述べた。 また、文在寅大統領は「我々は全国民の力で防疫戦線を死守し、ウイルスとの戦いに勝ってきた」「我々は我が国の防疫対策と保健医療体制が世界最高水準にある事を確認した」「我が国は世界をリードする『防疫一等国』である」と述べた。 さらに、文在寅大統領は演説の後半で「我々は『既に我が国は先進国だ』と言い始めた」「我々が見倣いたいと思っていた国々が我が国を見倣い始めた」「我が国は世界標準になった」「今や、世界中の国々が大韓民国の偉大さを語り始めた」と述べた。

文在寅大統領の此れらの発言は自国民から支持を得る為の「自国賛美の政治宣伝」ですが、左派韓国人(奴婢の子孫)は文在寅大統領が行なう「自国賛美の政治宣伝」を真に受けてホルホルし、「韓国の新型コロナウイルス防疫対策は世界一優れている。 世界中の国々がK防疫を学んでいる。 韓国は本物の先進国だ」と思っています。 左派韓国人(奴婢の子孫)だけでなく、右派韓国人の右寄り80%ほども文在寅大統領が行なう「自国賛美の政治宣伝」を真に受けて信じ込んでいるようです。 纏めて言えば、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は文在寅大統領が行なう「自国賛美の政治宣伝」を真に受けて信じ込んでいる、と言って良いでしょう。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2020年6月22日付けの日本語版記事によれば、韓国人の84%が「韓国は先進国だ」と思っています。『コリア・レポート』の創刊者・編集長:辺真一さんは「2020年8月の時点で、韓国人の31%が「日本よりも韓国の方が先進国だ」と思っている」と言っています。 純正日本人なら誰もが「韓国は科学分野のノーベル賞を1つも取った事が無いくせに、韓国が日本よりも先進国だって?」と思うのではないでしょうか。 辺真一さんは「韓国人の31%が「日本よりも韓国の方が先進国だ」と思っている」と言っていますが、実際には韓国人の大多数(7割ほど)が韓国政府や韓国マスメディアによって洗脳されて「日本よりも韓国の方が先進国だ」と本気で思っているようです。「日本人は今なお判子(印鑑)を使っている。 日本人は今なお FAX を使っている。 日本人は今なお現金で支払っている。 だから、日本は遅れている。 日本よりも韓国の方が先進国だ」と言っている韓国人も居ます。 全くの憶断になりますが、韓国一般庶民は、彼らの祖先を含めて、判子(印鑑)を使ったことが無いのでしょう。 また、韓国一般庶民は FAX を使うこと無く、行き成りインターネットを使うようになったのかも知れません。 そして、韓国一般庶民は判子(印鑑)や FAX がどんなものであるかを知らないのかも知れません。 また、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は次のように思ってホルホルしています。「世界中の国々がK防疫を賞賛している。 今回の新型コロナウイルスの世界的蔓延で、アメリカやヨーロッパ諸国は先進国でない事が分かった。 日本も先進国ではなく、アジアのリーダーでもない事が分かった。 此れからは韓国が世界をリードする時代である」。 能くここまでホルホルできるものだな、と呆れてしまいます。 2010年頃、韓国人のほとんど全てが「自分たちは日本に対するとても強い経済的劣等感から完全に解放された」と思うようになったのですが、現在でも彼ら反日韓国人は「日本に対する巨大な劣等感」を持っており、其の為、彼ら反日韓国人はやたらに虚勢を張って強がります。 そして、彼ら反日韓国人はアメリカやヨーロッパ諸国から「韓国は一等国である。 日本よりも韓国の方が先進国である。 韓国は日本より格上の国である」と認められる事を切に願っているのです。 そして、其の願いが余りに強い為、韓国人の大多数は文在寅大統領が行なう政治宣伝によって容易に洗脳され、「韓国の新型コロナウイルス防疫対策は世界一優れている。 世界中の国々がK防疫を学んでいる。 韓国は本物の先進国だ」という妄想を持ってしまうのでしょう。 かつて「小中華思想」を持っていた朝鮮の国々の支配者が「そうであって欲しい。 そう思いたい」という妄想的願望に導かれて世界を解釈したのと同様に、「現代版小中華思想」を持っている韓国人は「そうであって欲しい。 そう思いたい」という妄想的願望に導かれて世界を解釈するのです。

文在寅大統領は2020年7月9日に一時的記憶用集積回路(DRAM)製造会社「SKハイニックス」の工場を訪問し、「我々は此の1年、日本政府による輸出規制の中、日本に依存していた核心素材の国産化に官民の協力で成功し、生産に1件の支障も出さずに危機を克服した。 我が国は日本と別の道を歩む」と法螺演説をしました。 2020年7月の時点で、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は文在寅大統領の法螺演説を真に受けて「安倍政権は韓国大法院の日帝強制徴用賠償判決に対して対韓国輸出規制措置で韓国に報復したが、我が国は素材や部品や製造装置の自国産化を強力に推進し、其れらの自国産化に成功した。 日本が我が国に対して輸出規制できる品目はもはや1つも無い。 なぜなら、日本が或る品目で我が国に輸出規制しても、我が国には其の品目をすぐに造れる技術力が有るからだ。 だから、対韓国輸出規制措置で打撃を受けたのは韓国ではなく日本の方だ。 現在困っているのは韓国ではなく日本の方だ。 韓国の勝ちだ。 日本の負けだ。 我が国は日本を完全に追い抜いたんだ」と思ってホルホルしています。 韓国人の知性水準は此の程度なのです。

日本マスメディア『現代ビジネス』の2021年5月21日付けの記事「文在寅は“死に体”へ…ついに韓国が「中国・北朝鮮」からも見捨られ、文政権は“万事休す”へ!」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83326)によれば、文在寅大統領は大統領就任から満4年を迎えた2021年5月10日の特別演説で次のように法螺を吹きました。
韓国が世界各国から招請され続けている事は、韓国の存在感が高まっている事を示している。 K防疫が世界の標準となり、世界各国は韓国経済の驚くべき回復力と成長潜在力に注目している。 K-POP、K美容、K食品、Kコンテンツはグローバルブランドとなり、世界中の人々が韓国文化に熱狂している。 経済、文化、芸術、科学、保健、民主主義など、我々の魅力と国際社会への貢献が韓国をソフトパワー強国へ押し上げている。

文在寅大統領の此れらの発言は自国民から支持を得る為の政治宣伝(プロパガンダ)ですが、文在寅大統領は本気で其のように思っているのかも知れません。 日本マスメディア『時事通信』の2021年05月21日付けの記事「アメリカと同じ方向に進む。 韓国大統領」(https://www.jiji.com/amp/article?k=2021052100626&g=int)によれば、文在寅大統領はアメリカ東部日付け2021年5月20日にアメリカの首都:ワシントンD.C.でナンシー・ペロシ下院議長らアメリカ連邦議会指導部と懇談し、「韓米同盟は世界で最も模範的な同盟だ。今後も共に同じ方向に進むことを約束する」と強調しました。 此の記事の内容が本当だとすれば、文在寅大統領の精神構造をうまく説明できる人は居るのでしょうか。

文在寅大統領によって法務部長官に任命されたものの右派韓国人から猛反対されて法務部長官を辞任したソウル大学教授:゙国(チョ・グク)は2021年6月30日に自身のインターネットサイトで「2年間の韓日貿易戦争で韓国企業の技術自立化は高まり、全体的に見て韓国が日本に勝利したという評価が出ている」と述べました。 ゙国(チョ・グク)は文在寅大統領を支えようとして一所懸命になっているようです。

法螺を吹く事を好む大統領は文在寅大統領だけではありません。 例えば、朴槿恵大統領は2013年に「2020年に月面無人着陸船を自力で打ち上げて月面に着陸させ、月に太極旗をはためかせる」という計画を発表しました。 韓国人は全般的に好んで法螺を吹いたり(大風呂敷を広げたり)、実現不可能または実現困難な計画を好んで立てたり、ほとんど起きそうもない事を好んで予想したりします。 そうする事で彼ら反日韓国人は萎(な)えそうになる自分の気持ちを支えながら遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きているのです。

● 韓国マスメディアの「高純度フッ化水素の国産化に成功。 我が国の半導体集積回路(DRAM)製造会社の使用する高純度5-9(純度99.999%)フッ化水素の国産品と日本産品との比が7:3になった。 韓国は完全に日本を逆転した」というホルホル記事を真に受けてホルホルする韓国人。

韓国マスメディアは「高純度フッ化水素の国産化に成功」というような「自国賛美の妄想記事」を2019年8月から10月にかけてほとんど毎週のように発表しました。 そして、其れらの「自国賛美の妄想記事」を読んだ韓国人の大多数が其の記事の内容を真に受けて「韓国、ファイト!」とか言ってホルホルしていました。 高純度フッ化水素製造分野の日本人専門家によれば、韓国マスメディアが発表する「高純度フッ化水素の国産化に成功」というような「自国賛美の妄想記事」の実態は「実験室で高純度フッ化水素を作れた」という事であり、「工場で高純度フッ化水素を大量生産できる」という事と「実験室で高純度フッ化水素を作れる」という事とには天と地ほどの隔たりがあるとの事です。 ですから、「実験室で高純度フッ化水素を作れた」と言っても、其れは「高純度フッ化水素の国産化に成功」とか「高純度フッ化水素の開発に成功」とか言えるようなものではないのです。 2020年6月の時点でも、韓国マスメディアは「高純度フッ化水素の国産化に成功。 我が国の半導体集積回路(DRAM)製造会社の使用する高純度5-9(純度99.999%)フッ化水素の国産品と日本産品との比が7:3になった。 韓国は完全に日本を逆転した」というホルホル記事を発表しました。 そして、此のホルホル記事を読んだ韓国人の大多数が此の記事の内容を真に受けてホルホルしていました。 此の記事では「5-9フッ化水素」を高純度フッ化水素としていますが、「5-9フッ化水素」は中国企業でも作れる程度のものであり、大して高純度ではありません。 2019年6月まで韓国の一時的記憶用集積回路(DRAM)製造会社(サムスン電子、SKハイニックス)に無制限に供給されてきた日本企業製の高純度フッ化水素は「12-9(純度99.9999999999%)フッ化水素」と言われるものです。「5-9フッ化水素」と「12-9フッ化水素」とでは純度において7桁の違いが有ります。 ですから、「5-9フッ化水素」と「12-9フッ化水素」との違いは1円と10000000円(1千万円)との違いと同じです。

韓国マスメディア『聯合ニュース』は日本の経団連に相当する韓国全経連が2021年10月5日に発表した資料に基づいて「日本による輸出規制2年。3品目の対日輸入額ほぼ変わらず」と題する記事 (https://jp.yna.co.kr/view/AJP20211005002500882)を2021年10月5日に発表しました。 此の記事によれば、一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目(高純度フッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミド)の日本からの輸入に関して、韓国に対する輸出管理厳格化措置発動以降の19年下半期〜21年上半期における韓国輸入額は、韓国に対する輸出管理厳格化措置発動以前の17年下半期〜19年上半期における韓国輸入額と比べて0.67%減少しただけであり、同3品目の対日輸入依存度で言えば、韓国に対する輸出管理厳格化措置発動以降の2年間における対日輸入依存度74.6%は、韓国に対する輸出管理厳格化措置発動以前の2年間における対日輸入依存度75.9%と比べて1.3ポイント低下しただけでした。 要するに、一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目の対日輸入依存度は韓国に対する輸出管理厳格化措置発動の前後でほとんど変わっていないのです。 はっきり述べれば、韓国は一時的記憶用集積回路(DRAM)などの製造に必要な素材3品目(高純度フッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミド)の純国産化に2021年7月の時点で成功してないのです。『レコードチャイナ(Record China)』の2022年2月9日付けの記事「韓国の「素材・部品・装備」脱日本宣言から2年、依存度はむしろ深刻化?」(https://www.recordchina.co.jp/b889102-s39-c20-d0195.html)をご覧になってください。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2021年12月18日付けの日本語版記事「「東京よりソウル」…日本を抜いた「高級韓国」 100年以上続くのか」(https://japanese.joins.com/JArticle/285808?sectcode=140&servcode=100)についての動画「【ゆっくり解説】韓国さん、2021年になって高級韓国さんに変身!その数々の輝ける功績を御覧ください!日本はもう追い抜かれたらしいですよ、やれやれですね・・・」(https://www.youtube.com/watch?v=KxiVm7_BiGM)をご覧になってください。

● トランプ大統領から「2020年のG7首脳会議に韓国を招待しよう」と言われただけで「韓国は世界秩序を導くリーダー国の一員になった。 文在寅大統領がG7に出席すれば、正式メンバーとしての加盟も間違い無い」と思って歓喜した文在寅政権。

2020年5月31日、トランプ大統領が「現在のG7首脳会議の枠組みは時代遅れだ」として、アメリカでの開催が予定されているG7首脳会議に「ロシア、オーストラリア、インド、韓国」を招待する意向を示しました。 此れに対して、翌日の6月1日、文在寅大統領はトランプ大統領との電話会談で「喜んで招待に応じる」とあっさり承諾しました。 そして、其の翌日の6月2日、文在寅政権の報道官は「韓国は世界秩序を導くリーダー国の一員になった。 韓国のG7参加は韓国の格の上昇と国益に大きく役立つ。 文在寅大統領がG7に出席すれば、正式メンバーとしての加盟も間違い無い」とのコメントを発表しました。 文在寅政権の此の喜びようは「韓国人の妄想的願望の極み」と見て良いものでしょう。

トランプ大統領のG7への「韓国、ロシア、オーストラリア、インド」招待の意向に対して、安倍内閣は「現状の枠組みを維持することは極めて重要である」とのコメントを発表しました。 此れに対して、文在寅政権の報道官は「我々は日帝による被害者である」という思い丸出しで「隣国に害を及ぼす事に慣れている日本の「誤りを認めたり反省したりしない態度」については今さら驚く事もない。 日本の破廉恥水準は世界一高い。 国際社会、中でも先進国は日本の破廉恥水準を十分に認識しているので、安倍内閣の破廉恥な発言は韓国の主要先進国首脳会議正式加盟に何ら影響を与えないだろう」とのコメントを発表しました。 そして、韓国与野党国会議員も韓国マスメディアも「日本は隣国に害を与えるばかりの国だ。 日本の外交は姑息な小国外交だ。 日本はアジアでの主導権を失いたくないのだ。 日本は恥の文化の国と言われているのに、日本は恥知らずだ。 日本は恥を知れ」と言って日本を激しく非難しました。 そして、韓国一般庶民はインターネット上で「日本は我が国の発展を何とかして邪魔したいんだ」とか「日本こそG7に相応しくない。 我が国が日本の替わりにG7に入るべきだ」とか「アメリカが我が国を招待したんだ。 日本は引っ込んでろ」とか「日本はアメリカの腰巾着なんだから、アメリカに逆らったら駄目だろ」とか盛んに言い立てました。 ドイツの外務大臣は2020年7月26日にドイツマスメディアの取材に応じて「G7とG20との2つがあれば十分である。 G7やG20は合理的に組織された体制である。 私たちはG11やG12を必要としない」と発言しました。 此れに対して、日本を批反するときには必ず「日本はドイツを見倣え」と主張して騒ぐ韓国人は2020年8月8日現在、黙り込んでいます。

ドイツの外務大臣が「G7とG20との2つがあれば十分である。 G7やG20は合理的に組織された体制である。 私たちはG11やG12を必要としない」と発言した事を受けて、韓国外交部長官:康京和はドイツ政府を説得する為に2020年8月9日に仁川国際空港を出発してドイツへ向かい、8月10日にベルリンでドイツの外務大臣と会談しました。 韓国マスメディアの『朝鮮日報』『中央日報』『聯合ニュース』『ハンギョレ』は8月11日付け又は8月12日付けの記事で「韓国とドイツとの外相会談のあとに行なわれた記者会見でドイツの外務大臣が「今回のG7に韓国が参加する事を大いに歓迎する。 韓国は国際的に重要な国だ」と発言した」と報道しました。 其れらの報道を見聞きした韓国人は次のような発言をインターネット上に書き込みました、「ドイツが韓国のG7参加に反対したという記事はフェイクだったんだ。 其のフェイク記事を流した親日マスメディアを潰してください」「韓国は堂々とG7入りだ。 文在寅政権、ファイト!」「我が国の文在寅政権は最高だ」「韓国はG7に加盟できるほどに成長したんだね」「親日売国マスメディアが「ドイツが韓国のG7参加に反対した」と書いていたけど、其の記事は捏造だったね。 親日売国マスメディアは余りにも嘘をつくから、信じなかったけど」など。 此れらの発言をした韓国人は、ドイツの外務大臣が「今回のG7に韓国が参加する事を大いに歓迎する。 韓国は国際的に重要な国だ」と発言したという報道を見聞きしただけで此のように喜んでいるのです。 此れらの発言をした韓国人は左派韓国人(奴婢の子孫)である、と思われます。 左派韓国人(奴婢の子孫)は全般的に同じ思いでいる事でしょう。 ドイツの外務大臣の「今回のG7に韓国が参加する事を大いに歓迎する。 韓国は国際的に重要な国だ」という発言は、此れが本当だとして、「今回のG7に韓国がオブザーバーとして参加する事を大いに歓迎する」という事を意味する外交辞令です。 韓国はドイツ経済にとって無視できない貿易相手国ですので、ドイツの外務大臣は康京和を冷淡に扱う訳には行きません。 此れらの発言をした韓国人はドイツの外務大臣の発言を拡大解釈・妄想解釈しているのです。 また、此れらの発言をした韓国人(「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる)は社交辞令や外交辞令というものを全く理解できないのです。 純正日本人の方々には「此れらの発言をした韓国人の感性や知性がどの程度のものであるか」を理解して頂けるでしょう。 康京和も韓国外交部長官という地位にありながら、社交辞令や外交辞令というものを全く理解できないようです。

● 韓国政府文化体育観光部の海外文化広報院が発表したホルホル調査結果。
韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2021年6月6日付けの日本語版記事「外国人の78%が韓国に好感…日本だけ韓国に否定的評価」(https://japanese.joins.com/JArticle/279318?sectcode=400&servcode=400)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
外国人は韓国と聞いて思い浮かべる肯定的イメージとしてK-POPを最初に挙げる。 韓国のイメージに否定的な影響を与える事柄の第一は北朝鮮だ。 これらは文化体育観光部の海外文化広報院が2020年7月〜8月に16ヶ国の8000人を対象に韓国のイメージを調査した結果だ。
文化体育観光部の海外文化広報院が2021年6月5日に発表した調査結果によると、外国人が韓国に対して持つ最初のイメージの調査で、肯定的な回答(非常に肯定的+やや肯定的)の割合は74.5%である。 この数値は前年の72.9%より1.6ポイント上がった。 外国人が韓国に対して持つ全般的なイメージの調査で、肯定的な回答の割合は78.1%であり、この数値は前年の76.7%より1.4ポイント上がった。 外国人の4人に3人が韓国に対して友好的な思いを持っていることになる。 これに対し、外国人が韓国に対して持つ最初のイメージの調査で、否定的な回答の割合は9.7%で、外国人が韓国に対して持つ全般的なイメージの調査で、否定的な回答の割合は7.4%に過ぎなかった。 韓国人の韓国に対する肯定的イメージの割合59%より外国人の韓国に対する肯定的イメージの割合の方が高くなっている。
韓国文化の発展と韓国経済の発展とが韓国のイメージ向上に大きく寄与した。 外国人の韓国に対する肯定的イメージでは、外国人がK-POPや韓国人歌手を思い浮かべる割合は14.9%で、最も多い。 2位は韓国料理や韓国食品の11.4%で、3位は韓国文化遺産の6.2%だ。 韓国の企業や商品も韓国のイメージ向上に寄与した。 4位は韓国企業ブランドの6.1%で、5位は韓国先端技術力の5.7%で、8位は韓国ビューティーや韓国コスメの3.3%で、9位は韓国経済の発展の2.8%だ。
 <中略>  
外国人が韓国人に対して持つイメージの調査でも、肯定的な回答の割合は74%であり、この数値は前年の71.3%より2.7ポイント上がった。 外国人は韓国人に対して「勤勉、誠実」「秩序や規律をしっかり守る」「活動的」などのイメージを持っている。
外国人が韓国と聞いて思い浮かべる人物の上位10人中5人が歌手や俳優など韓流スターだ。 1位は文在寅大統領であり、2位は世界的なファンを持つBTS(防弾少年団)である。 ビルボードチャートに名前を上げているガールズグループのBLACKPINK(ブラックピンク)は前年7位から今年4位になった。 英プレミアリーグで猛活躍している孫興民選手は前年10位から今年6位になった。
韓国に対して最も好感を持っている国はロシアだ。 諸外国の韓国に対する肯定的評価の割合を高い順に並べると、1位はロシアの89.8%で、2位はタイの89.6%で、3位はインドネシアの89.2%で、4位はアラブ首長国連邦の88.6%で、5位はインドの87.2%だ。
◇ 日本だけ韓国を否定的に評価
韓国を最も否定的に見ている国は日本だ。 日本の韓国に対する肯定的評価の割合は27.6%に過ぎず、日本の韓国に対する否定的評価の割合は39.0%だ。 日本に次いで韓国に否定的な国は中国だ。 中国の韓国に対する肯定的評価の割合は69.4%で、中国の韓国に対する否定的評価の割合は8.0%だ。 日本は中国と比べても、韓国に対する否定的評価の割合が大幅に高い。 これは日本軍用慰安婦や強制徴用工のような韓日歴史問題と独島領有権、日本政府による対韓国輸出規制措置に対するWTO提訴、福島第1原発汚染水の海洋放出など、様々な事案を巡って韓日両国間の対立が深まった結果と見られる。 ただ、日本の韓国に対する肯定的評価の割合は前年より8.8ポイント増え、日本の韓国に対する否定的評価の割合は前年より14.2ポイント減っており、多少、日本人の対韓国イメージが改善された。
海外文化広報院は「2019年に安倍政権の反韓政策により政治から経済にまで広がった韓日両国間紛争が2020年にはこれ以上広がらずに小康状態を維持している。 日本でマスメディアを介して伝えられる韓国関連情報の大部分は韓国に否定的なものだ。 これが日本人の対韓国イメージに否定的な影響を与える事柄の第一である」と指摘した。 海外文化広報院は「日本の未来世代は韓国に対して友好的な思いを持っていることが明らかになり、既成世代とは違いを見せている」と付け加えた。

韓国政府文化体育観光部の海外文化広報院は此のような調査結果を発表する事で韓国一般庶民をしてホルホルさせたいのでしょう。 此の件に関しては、動画「【ゆっくり解説】嫌いな国ランキング堂々1位になってしまうwww英国BBCが発表!」(https://www.youtube.com/watch?v=JNJyMS-tz8s)をご覧になってください。

因みに、K-POP は韓国政府が国策として多額の国費を投入して作ったものです。

● 文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))の馬鹿さ加減が良く分かる記事。
文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))の馬鹿さ加減が良く分かる記事を紹介しましょう。『レコードチャイナ(Record China)』の2021年6月4日付けの記事「アメリカのワクチン支援国、「特別」な韓国は含まれ日本は除外?=韓国ネット「日本は何もしてないから…」」(https://www.recordchina.co.jp/b877539-s25-c100-d0191.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
2021年6月4日、韓国マスメディア『ファイナンシャルニュース』によると、ホワイトハウスは「韓国の状況は特別だ」と強調し、ヤンセン製の新型コロナウイルスワクチン100万回分を韓国に送ると発表した。『ファイナンシャルニュース』の記事は「ホワイトハウスは韓国へのワクチン供与の理由をホワイトハウスのサリバン国家安全保障補佐官に直接説明させるほど、韓国へのワクチン供与の特別性と正当性を強調した」と伝えている。
『ファイナンシャルニュース』の記事によると、ホワイトハウスは3日(現地時間)、2500万回分のワクチンを他国に供与する計画を発表し、「ヤンセン製ワクチン100万回分が3日午後に韓国へ向かう」と発表した。 此の声明では韓国などアメリカのパートナーや隣国へのワクチン供与に関する詳細が発表されたが、日本へのワクチン供与についての言及は無かった。 サリバン国家安全保障補佐官は此の声明の中で「韓国の状況は特別だ」と強調し、「韓国へのワクチン供与の目的は米軍、並びに、米軍と共に働く韓国兵を保護することだ」と述べたという。 此の記事は「韓国へのワクチン供与の目的が基本的に駐韓米軍の保護にあるという事を強調したものと見られる」とし、「ホワイトハウスは韓国へのワクチン供与に関するアメリカ内からの問題提起を遮断したい考えだ」と説明している。
『ファイナンシャルニュース』の記事を見た韓国ネットユーザーからは「文政権の外交力は素晴らしい」「これではっきりした。 アメリカは日本よりも韓国を大切に思っている」「韓国は診断キットやマスクをアメリカに支援したが、日本は何をしたか。 韓国と日本とは互いに供与し合わなければ、真のパートナーとは言えない」「バイデン大統領は菅首相とマスクをしてハンバーガー会談、文大統領とはマスクをしないでカニ料理。 バイデン大統領は菅首相に不信感を抱き、文大統領を信頼している証拠だ」など、「韓国へのワクチン供与は外交成果だ」と喜ぶ声が続出している。
ただ、韓国ネットユーザーの一部からは「既に1億回分のワクチンを確保している日本にワクチンを供与する必要はないのでは?」「日本はワクチンが余っているから他の国にあげると言っている」と指摘する声も上がっている。(翻訳・編集/堂本)

アメリカ東部日付け2021年5月21日に米韓首脳会談が開かれました。 此の米韓首脳会談の事前協議において韓国側は「ワクチンスワップ」とかいうアホな取り引きをアメリカ側に提案し、其の中で「アストラゼネカ製ワクチンやヤンセン製ワクチンではなく、ファイザー製ワクチンやモデルナ製ワクチンを韓国に供与して欲しい」とアメリカ側にしつこく要求し、更に、文在寅大統領の好きな食べ物のリストをアメリカ側に渡して「晩餐会または午餐会を開いて欲しい」とアメリカ側にしつこく要求した、と言われています。(韓国人にとって自分らの常識は世界の常識なのです。) しかし、アメリカ連邦政府から韓国へ供与されたワクチンはヤンセン製ワクチン100万回分でした。 そして、文在寅大統領に出された料理は “ クラブケーキ(crab cake)” と言われる蟹肉ハンバーグでした。 クラブケーキ(crab cake)はアメリカでは前菜でしかありません。 一方、2021年4月16日に開かれた日米首脳会談で菅義偉首相に出されたハンバーガーはアメリカでは主菜(main dish)として通用するものです。 また、“ crab cake ” という言葉には裏の意味として「友達でもないのに纏わり付いて来て離れない奴」という意味が有ります。 ところが、韓国では2021年5月21日に開かれた米韓首脳会談の直後から「今回の韓米首脳会談は2021年4月16日に開かれた日米首脳会談より20分ほど長かった。 文在寅大統領に出された料理はハンバーガーより高級なクラブケーキだった。 日米首脳会談で両首脳はマスクをして会談した。 韓米首脳会談で両首脳はマスクをしないで会談した。 だから、韓国は日本より優遇された」と大きく報道されました。 そして、其の報道を見聞きして真に受けた文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))は「韓国は日本より優遇されたんだ」と思って大いに喜びました。 そして、彼ら文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))は2021年6月4日の『ファイナンシャルニュース』の記事(ホワイトハウスは「韓国の状況は特別だ」と強調し、ヤンセン製の新型コロナウイルスワクチン100万回分を韓国に送ると発表)を見聞きして自身の喜びに確信を持った、といったところでしょうか。

              米韓首脳会談
  

上の写真のバイデン大統領は如何にも柔和で優しそうな表情をしていますが、其の表情の裏には「文在寅なんていう奴には優しく接しておだてて喜ばせておこう。 韓国なんていう国はおだてて喜ばせておき、有効に使える限りにおいて役に立てば、其れで良い」くらいの思いが有る、と思われます。

因みに、アメリカ連邦政府から韓国へ供与されたヤンセン製ワクチン100万回分の有効期限は2021年6月23日である事を『朝鮮日報』が2021年6月9日に報じました。 ヤンセン製ワクチンはアメリカ国内でも接種されていましたが、其の過程でヤンセン製ワクチンの副作用の危険性がアメリカ国内で広く知られるようになり、ヤンセン製ワクチンの接種を拒否するアメリカ人が激増し、其の為、ヤンセン製ワクチンの接種はアメリカでは行なわれなくなり、大量のヤンセン製ワクチンが使われない状態になっていました。 アメリカ連邦政府は其の状態のヤンセン製ワクチンを各地から集めて韓国へ供与した、と言われています。

● 2021年のG7首脳会議に招待された文在寅大統領。
2021年のG7首脳会議が6月11日から6月13日までイギリス南西部のコーンウォール半島にある村「カービスベイ」で開かれました。 此のG7首脳会議には韓国、オーストラリア、インド、南アフリカ共和国、それぞれの首脳がゲストとして招待されました。

       G7首脳と招待国首脳との集合写真
  

ところが、文在寅政権はG7首脳会議の集合写真で文在寅大統領が黒人と同列に並んでいるのを嫌がったのでしょうか。(韓国人の黒人差別はよく知られています。) それとも、文在寅政権は菅義偉首相を集合写真の隅っこに配置したかったのでしょうか。 それとも、文在寅政権は「文在寅大統領が最前列の中央近くに立っているのは、韓国の偉大さが世界中で賞賛されているからだ」と主張したかったのでしょうか。 それとも、文在寅政権は招待国の首脳の中で文在寅大統領だけが最前列に立っているという事にしたかったのでしょうか。 それとも、文在寅政権は文在寅大統領が最前列に立っているのは韓国の国力とは関係ない事を伏せたかったのでしょうか。 文在寅政権は最前列の一番左に立っている南アフリカ共和国大統領と1列後ろの一番左に立っている菅義偉首相との中間で写真を切断し、南アフリカ共和国大統領の写っている部分を削除し、菅義偉首相が写真の左端に立っている構図の写真を捏造し、此の写真の下に「1枚の写真で見る大韓民国の地位。 此の場所、此の姿が大韓民国の地位です。 我々はここまで来ました。 苦難の時間を克服した偉大な国民の血と汗の滲む努力の結果です。 感激的です。 全て国民のお陰です。  大韓民国政府」というコメントを付け、此の写真とコメントを韓国大統領府の公式インターネットサイトで発表しました。

  文在寅政権が韓国大統領府の公式インターネットサイトで発表した写真とコメント
  
此の写真とコメントを見た文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))の間では「我々の大統領様が国格を上げてくれた。 大統領ように感謝する」「見よ、我々の大統領だ」「韓国は世界の一流国になった」「文大統領のお陰で大韓民国が輝く」など、歓喜の声が湧き上がりました。 韓国の政権は此の手の捏造記事(フェイク記事)をしばしば流します。 文在寅政権の指令下にある韓国マスメディア『聯合ニュース』は 2021年6月14日付けの記事「G7での韓日会談開催合意 日本が一方的に取り消し=韓国当局者」(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210614001800882)で「文在寅大統領と菅義偉首相とがG7首脳会議に合わせて会談する事で韓日両国が合意していたが、日本が此の会談を一方的に取り消した」と報道しました。 此の記事も捏造記事(フェイク記事)です。

『レコードチャイナ(Record China)』の2021年6月14日付けの記事「G7で “ 上座 ” に座った文大統領、韓国メディアは「韓国の地位が上昇」と評価、ネットも歓喜「菅首相より前」」(https://www.recordchina.co.jp/b877965-s25-c100-d0191.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
2021年6月14日、韓国マスメディア『ニューシス』は、英国で行なわれたG7サミット(G7首脳会議)で「韓国の地位の変化」が確認されたと伝えた。『ニューシス』の記事は「新型コロナウイルス対応とワクチン協力において、韓国の役割に対する国際社会の期待の高さが反映された結果だ」と分析している。
『ニューシス』の記事によると、文大統領は12日(現地時間)、英国コーンウォールで行なわれたG7拡大会議第1セッションに出席した。 第1セッションのテーマは「ワクチン供給・グローバル保健システム」であり、文大統領は「韓国が世界へのワクチン供給を拡大する為にグローバルワクチンハブとしての役割を担える」と強調した。
『ニューシス』の記事はこの会議での文大統領の席が議長国である英国の首相の右隣だった事に注目し、「G7の首脳でない文大統領が国際社会の視線を一身に浴びる重要な座席の1つに座った」「韓国の地位が変化した証拠だ」と評価している。 英首相の左隣には米大統領が座り、菅義偉首相は米大統領、仏大統領、カナダ首相に続いて左側4番目の席で、ドイツ首相は右側3番目の席だったと言う。
さらに、『ニューシス』の記事は、韓国の地位の変化は集合写真の撮影でも確認できる、としている。 集合写真は3列に並んで撮影され、文大統領は1列目で英首相と米大統領との間だった。 菅首相、ドイツ首相、カナダ首相は2列目だったと言う。
また、『ニューシス』の記事は、今回のG7サミットをきっかけに「韓国へのラブコールも殺到している」と伝えている。 文大統領は英首相を初めとして、豪州首相、ドイツ首相、EU首脳常任議長らと会談してコロナ協力案などについて協議したと言う。
『ニューシス』の記事によると、韓国大統領府は自身のインターネットサイトにG7サミットの記念写真を掲載し、「文大統領の立ち位置が韓国の現在の地位であり、韓国の未来の地位はもっと栄光あるものになると確認している」と書き込んだ。 また、韓国大統領府は自身のインターネットサイトに「今回のG7サミットでの最も大きな成果の1つは韓国の過去が築いた『現在の達成感に対する確信』と『未来への自信に対する確信』である」と書き込んだ。
これに対して韓国ネットユーザーからは、「何と誇らしいことか」「韓国の地位が高まっていると感じる」「ついに韓国もここまで来たか」「やっぱり文大統領は外交の天才だ」「文大統領は菅首相よりも前にいる。 これが韓国の品格と日本の品格との差だ」「韓国が英国とアメリカとの間に挟まれているのは単なる偶然なんかじゃない。 韓国の地位が上がった証拠だ」「韓国は経済では世界10位以内だ。 韓国は文化産業では5位以内だ。 韓国は軍事力では6位だ。 韓国は民主主義ではアジアトップだ。 韓国は保健医療では世界トップレベルだ。 韓国はスポーツでも10位以内だ。 韓国は造船や半導体やバッテーリーなどの未来産業分野でも世界をリードしている」など、喜ぶ声が続出している。(翻訳・編集/堂本)

『ニューシス』は左派マスメディアであるようです。『ニューシス』の記事に対する韓国ネットユーザーの発言を見ても、文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))の馬鹿さ加減が良く分かります。 G7首脳会議の集合写真を撮るときには、主催国(議長国)の首脳(大統領または首相)が最前列の真ん中に立ち、其の両隣に在任期間の長い大統領が立ち、在任期間の短い大統領は端の方に立ち、2列目の真ん中から少しずれた位置に在任期間の最も長い首相が立ち、在任期間の短い首相は端の方に立つ事になっています。『ニューシス』は此の取り決めを知らないのでしょう。 G7拡大会議第1セッションでの文大統領の席が議長国である英国の首相の右隣だったことは英国の首相の計らいだった、と言われています。

● 「韓国が実質的なG8メンバーとして位置付けられたとの国際的な評価がある」と言って喜ぶ文在寅政権。「G8を超えてG5に成長する韓国」と言わないでは居られない韓国左派政治指導者。

韓国マスメディア『聯合ニュース』の2021年6月14日付けの日本語版記事「韓国 事実上「G8」の位置付けに=大統領府高官」(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210614003600882)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
【ソウル聯合ニュース】青瓦台の朴洙賢(パク・スヒョン)国民疏通首席秘書官は14日のテレビ報道に出演し、文在寅大統領がG7首脳会議に出席した事について、「韓国が実質的なG8メンバーとして位置付けられたとの国際的な評価がある」と述べた。
パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は「今回のG7首脳会議に招待された4ヶ国の内、インド、オーストラリア、南アフリカ共和国は議長国の英国と関係がある英連邦諸国である為、韓国が実質的に唯一の招待国であり、2年連続でG7首脳会議に招待された」と述べた。
また、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は保健をテーマにした第1セッションでの各国首脳の発言を紹介した。「バイデン米大統領は「先月の韓米首脳会談は最高だったが、今回も文大統領が出席した為、G7首脳会議もうまくいくと思う」と述べた。 英国のジョンソン首相は「韓国は最高の防疫模範国だ」と応じた」と、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は述べた。「国連のグテーレス事務総長とフランスのマクロン大統領も同じ認識を示した」と、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は述べた。
その上で、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は文大統領が現地で英アストラゼネカの最高経営責任者と面会したのに続き、G7終了後にオーストリアを国賓訪問し、主要製薬会社の代表と面会する予定を紹介し、「文大統領がワクチン確保の安定性を強化し、グローバルワクチンハブ(拠点)を築く為のワクチン外交を展開している」と述べた。
                                    パク・スヒョン国民疏通首席秘書官
「韓国が実質的なG8メンバーとして位置付けられたとの国際的な評価がある」とは、ホルホルし過ぎです。 しかも、此れは韓国大統領府高官の発言です。 パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は「韓国が実質的なG8メンバーとして位置付けられたとの国際的な評価がある」と述べる事で韓国一般庶民を喜ばせ、「文在寅政権に対する支持率を高めたい」と思ったのでしょうか。 また、左派の文在寅政権がアメリカと中国との間でふらふらしているのは、文在寅政権が「主要先進国首脳会議という晴れやかな舞台で世界中から「韓国は一流先進国である」と認められたい」という思いを有しているからでしょう。 韓国が中国の完全子分になってしまっては、韓国は主要先進国首脳会議という晴れやかな舞台に立つ事は出来ません。

『レコードチャイナ(Record China)』の2021年6月15日付けの記事「韓国、G7サミットでの興奮と不安―中国メディア」(https://www.recordchina.co.jp/b878002-s25-c100-d0192.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
中国紙:環球時報(電子版)は14日、英国で開催されたG7サミット(G7首脳会議)にゲストとして参加した韓国について、「韓国は興奮すると同時に不安にもなっている」と述べた記事を掲載した。
環球時報の記事は「韓国の興奮」について、韓国大統領府の朴洙賢(パク・スヒョン)国民疏通首席秘書官が14日のテレビ報道に出演し、文在寅大統領のG7首脳会議出席について、「韓国が実質的なG8メンバーとして位置付けられたとの国際的な評価がある」「今回のG7首脳会議に招待された4ヶ国の内、インド、オーストラリア、南アフリカ共和国は議長国の英国と関係がある英連邦諸国である為、韓国が実質的に唯一の招待国であり、2年連続でG7首脳会議に招待された」と述べたことを取り上げた。
環球時報の記事は「韓国の興奮」について、韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相が自身のインターネットサイトに「文大統領は、国際社会を主導するG7首脳らと肩を並べた」「G8を超えてG5に成長する韓国」と書き込み、成長する韓国に期待を寄せたことをも取り上げた。
環球時報の記事は「韓国の不安」について、「韓国は最大の隣国である中国から疑われるのを心配している」と指摘した。韓国など招待国4ヶ国も署名した「開かれた社会の声明」が中国を狙っているとの見方が出ている事について、G7首脳会議を準備してきた韓国政府関係者が13日、政府専用機内で記者団に「特定の国を狙う内容は全く無い」と説明したこと、韓国の崔鍾文(チェ・ジョンムン)外交部第2次官も14日、G7と招待国との会議では中国問題に関する議論は無かったと述べたことなどを伝えている。(翻訳・編集/柳川)

                                             李洛淵
李洛淵(イ・ナギョン)はどれだけ甘い夢を見れば気が済むのでしょうか。 李洛淵は白昼夢に浸っているのです。 此の記事の中に「李洛淵氏が自身のインターネットサイトに <中略>  「G8を超えてG5に成長する韓国」と書き込み、・・・」とあるのは特に注目されるところです。「G8を超えてG5に成長する韓国」の意味するところは「韓国がG7に正式加盟してG8を構成し、次いで日本をG8から追い出し、次いでイタリアを追い出し、次いでカナダを追い出し、アメリカとイギリスとフランスとドイツと韓国とでG5を構成することになる」という妄想的未来予想願望です。 此の妄想的未来予想願望は李洛淵だけでなく韓国左派政治指導者の全てが持っている思いであり、大物の韓国右派政治指導者や韓国大手右派マスメディア『中央日報』の幹部や韓国大手右派マスメディア『朝鮮日報』の幹部ですら「韓国はG7に正式加盟してG8を構成するに相応(ふさわ)しい」と本気で思っているのです。 其れほどにまで韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、「主要先進国首脳会議という晴れやかな舞台で世界中から「韓国は一流先進国である」と認められたい」と思っているのです。 韓国人は全般的に「韓国がG7に正式加盟してG8を構成し、日本をG8から追い出すんだ」という「異様に強い競争心と異様に強い対抗心と異様に強い “ 承認されたい ” 欲求」を持っているのです。

文在寅大統領のG7首脳会議出席に関して面白い動画が在ります。 動画「G7首脳におだてられて馬鹿丸出しな韓国「コーンウォールの主役は韓国だ」韓国人のG7の喜びが全壊爆裂!」(https://www.youtube.com/watch?v=5wcWkOaAZMY)をご覧になってください。

左派韓国人(奴婢の子孫)も、右派韓国人の右寄り80%ほども、何も知らずにホルホルしているのです。 そして、何も知らずにホルホルするのが彼らの幸せなのです。

韓国右派マスメディア『東亜日報』の2022年8月11日付けの日本語版記事「半地下」(https://www.donga.com/jp/article/all/20220811/3566260/1)によれば、2020年の時点で韓国には半地下住宅に住んでいる世帯数が32万7320世帯もあり、韓国の半地下住宅の6割強がソウルにあるそうです。 韓国の1世帯は平均4人構成だとすると、韓国には半地下住宅に住んでいる貧困者が130万人もいるのです。 此れが韓国人の言う「世界10位の経済大国である大韓民国」の実態であり、此れが韓国人の言う「実質的にG8の先進国:韓国」の実態であり、此れが韓国人の言う「国際的に実質的なG8メンバーとして位置付けられた韓国」の実態です。

因みに、半地下生活者を題材にした韓国製映画『パラサイト 半地下の家族』は2020年2月にアカデミー賞を獲得しました。 韓国人は此の映画がアカデミー賞を獲得したことを大いに喜びました。 純正日本人から見れば、韓国の半地下住宅は韓国の恥部にしか見えません。 其のような半地下住宅に住んでいる韓国人を題材にした韓国製映画『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞を獲得した事で韓国人は大いにホルホルしているのです。 此れが韓国人の感性であり、韓国人の民度なのです。 ソウル以外の地域に住んでいる韓国人はソウルに住むことに憧れています。 ソウルに住んでいる韓国人はソウルに住んでいることを誇りに思っています。 ソウルの半地下住宅に住んでいる韓国人もソウルに住んでいることを誇りに思っているのです。 そして、ソウルの半地下住宅に住んでいる韓国人は半地下住宅に住んでいながら、大いに満足しているのです。

● 遺伝子レベルの集団妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回す韓国左派知識人の発言。
韓国の右派マスメディア『東亜日報』の2021年6月18日付けの記事「大統領府「韓日問題の解決、品格ある外交努力が必要…日本も努力しなければ」」(https://www.donga.com/news/Politics/article/all/20210618/107509308/1)の日本語訳を紹介しましょう。
大統領府の朴洙賢(パク・スヒョン)国民疏通首席秘書官は18日「韓日は互いに近い国なので、韓日両国間に問題がたくさん生じるが、其のような問題を解決する為に品格ある外交努力をするのは当然だ」として、韓日関係改善の為に日本の努力を促した。
パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は此の日午後、YTN「ザ・ニュース」に出演し、G7(主要7ヶ国)首脳会議で日本との首脳会談が出来なかった事に関連した質問を受けて「結果的に首脳会談に至らなかったのは残念だ」と発言した。
パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は「川があれば、川を渡る為に飛び石が置かれるが、其の飛び石は川を渡る為の踏み石であり、障害物にはならないだろう。 其のように韓日両国が共に努力し、日本も其のような姿勢で努力してくれると信じる」と発言した。
また、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は日本政府が韓国の独島防御訓練に抗議し、且つ、東京オリンピックを活用して地図に独島を表記している事については、「東京オリンピックがコロナパンデミックで苦痛を受ける人類に新しい希望をもたらし、新しい地球村の秩序を作っていく事に寄与できる場になるように、日本は本当に丁重で品格ある姿勢で努力しなければならない」と強調した。
一部で提起された東京オリンピックのボイコット論や、文在寅大統領の東京オリンピック訪日に反対する主張について、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は「大統領府では其れについてどんな議論もした事は無く、議論すべき時期でもない」と一蹴し、「文在寅政権は人類の普遍的価値の為に常に開かれた姿勢で努力してきた。 文在寅政権は此の問題も其のように眺めている」と語った。 そして、パク・スヒョン国民疏通首席秘書官は「我が国がG8に次ぐ新しい国際秩序の中で消費者ではなく生産者として機能している状況の中で、我が国はより大きな価値を持って努力する開かれた姿勢を世界に見せてきた」と語った。 <後略>

「G8に次ぐ新しい国際秩序」とは、どういうものでしょうか。「より大きな価値を持って努力する」とは、どういう意味でしょうか。 もし、あなたがパク・スヒョン国民疏通首席秘書官の上記発言内容をすんなりと理解できるのであれば、あなたは間違い無く朝鮮人特有の精神世界に生きているのです。

● 文在寅大統領が2021年6月21日に韓国大統領府で開かれた会議で述べた事。
韓国マスメディア『WowKorea』の2021年6月22日付けの日本語版記事「文大統領「今回の歴訪で韓国の地位を確認…先導国家への跳躍を夢見て」(https://www.wowkorea.jp/news/korea/2021/0622/10304421.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
文在寅大統領は6月21日、G7(主要7ヶ国)首脳会議およびオーストリア・スペインの国賓訪問などの欧州歴訪と関連し、「大韓民国の地位と品格とをもう一度確認することが出来た」と述べた。
文大統領はこの日、青瓦台(大統領府)の映像会議室で国務会議を主宰し、「全ての国民が団結して努力した結果、第2次世界大戦後の新生独立国の中で我が国だけが先進国となった。 これは偉大な我が国民が成し遂げた成果だ」とし、「大韓民国は追撃国家から先導国家への跳躍を夢見ている」と強調した。
文大統領は「世界的な防疫模範国である我が国のK防疫は国際標準になった。 世界経済が停滞する中、韓国経済は最も早く回復し、その強さを遺憾なく示している」とし、「我が国は製造業強国としての地位を堅固なものにしており、半導体、バッテリー、バイオ、水素自動車など、未来の核心産業の国際競争力を更に高めている」と述べた。
また、「世界最高水準のK技術力とデジタル技術力は我が国が経済・社会・文化など、多くの分野で世界を先導して跳躍する為の足掛かりになっている」とし、「韓国の文化芸術は優れた共感力で世界中の人々の心をつかんでおり、Kブランドは世界的なブランドになっている」と述べた。
文大統領は人類共通の課題である気候変動対応においても韓国の役割を強調した。 文大統領は「韓国は炭素中立(カーボン・ニュートラル)の為の国際協力に賛同するだけでなく、先導国家と開発途上国とをつなぐ架け橋の役割を更に強化している」とし、「G7首脳会議で確認されたように、主要先進国の首脳らは防疫でも経済でも気候変動などのグローバル懸案でも、我が国が成し遂げた成果について一ように高く評価した」と述べた。
文大統領は「主要先進国の首脳らとの首脳会談でも、韓国の地位が大いに高まったことを感じることが出来た」とし、「大韓民国は他の先進国と共に重要な国際懸案を議論し解決する為の中心的役割を果たすだろう。 実際に多くの国々が様々な分野で我が国と協力パートナーになることを望んでいる」と述べた。

何と凄い自国賛美・自画自賛でしょうか。 天にも昇るような喜びようです。 左派韓国人は、政治指導者から一般庶民(奴婢の子孫)に至るまで、自国賛美・自画自賛をしないでは居られないのです。 此のような文在寅大統領を韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)は心の底から信頼・支持しているのです。

● 文在寅大統領の対日融和姿勢。 韓国大統領府の図々しさ。
文在寅大統領は2021年1月18日の記者会見でどういう訳か其れまでの反日姿勢から一転して、日韓慰安婦合意を日韓両国政府間の合意として認め、日本に対する融和姿勢を表明しました。 しかし、其れ以降、文在寅政権が日韓慰安婦合意を遵守するようになった訳ではありません。 文在寅政権は今なお日韓慰安婦合意を遵守していません。 2021年6月になると、文在寅大統領は韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題や「日本政府による対韓国輸出規制措置」問題や「福島第1原発汚染水の海洋放出」問題について菅義偉首相と話し合いたいとして韓日首脳会談の開催をしつこく菅義偉内閣に求めるようになり、韓国大統領府は「日韓両国政府は略式首脳会談の開催に暫定合意した」という捏造願望情報を垂れ流しました。 文在寅大統領は2021年のG7首脳会議の期間(6月11日から6月13日)中に、まるでストーカーのように菅義偉首相への接近を試みましたが、略式首脳会談すら開かれませんでした。 すると、韓国大統領府は「日本政府は略式首脳会談開催の暫定合意を破った」と言い出しました。 そして、其の後、韓国大統領府は文在寅大統領がG7首脳会議に参加できた事で気を大きくしたのか、東京2020オリンピック(2021年7月23日〜8月8日)の開会式への文在寅大統領の出席意向を表明し、次期オリンピック開催国フランスの代表として日本にやって来るマクロン大統領並みの待遇(長時間に渡る日韓首脳会談など)や、文在寅大統領と菅義偉首相との会食、及び、日本政府による韓国に対する輸出管理厳格化措置の撤回を菅義偉内閣に図々しく求め、「東京2020オリンピックの開会式に文在寅大統領が出席する事で韓日首脳会談をやりたい」と、しつこく菅義偉内閣に求めました。 しかし、文在寅大統領は日本政府の文在寅大統領に対する「日本が韓国へ輸出した高純度フッ化水素4万トンほどの北朝鮮への横流し疑惑に対する回答」や「日韓慰安婦合意の遵守」や「日韓請求権協定の遵守」をないがしろにして来た為、菅義偉内閣は韓国大統領府からの一連の要求に応じませんでした。 因みに、韓国大統領府は「韓国をホワイト国(輸出優遇国)へ戻す」という事や「日韓通貨スワップ」や「日本から韓国へのコロナウイルスワクチン融通」をも菅義偉内閣に求めていた、と言われています。

● へたった思いを表出している韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の記事。
韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の2021年6月16日付けの日本語版記事「日本は「感情に流される国」になりたいのか」(http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40289.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国を扱う日本マスメディアの態度には常に「上から目線」があると痛感する。「上から目線」とは、道徳性と実力で優位な立場に立つ者が自分より劣った者に教えようとするような態度を意味する。 日本マスメディアは「韓国は常に感情に流される国だ」「韓国は約束を守らない国だ」「韓国は支持率回復の為に反日感情に依存する国だ」というような事を盛んに主張し、それからしばらく経つと、「外交努力によって両国はそろそろ関係を回復すべきだ」というような社説を相次いで発表する。 其の例はたやすく見付かる。 日本のリベラルを代表する朝日新聞は6月10日の社説で「日韓両国は英国コーンウォールでのG7首脳会議を利用して、たとえ短時間でも互いに向き合い、事態を打開する機運を模索する」という事を求め、日本の保守を代表する読売新聞は6月9日に「文在寅大統領は責任感を持って日韓間の懸案に対応することが重要である」と述べた。
2018年〜2019年に展開された激しい韓日対立以降、日本を見つめる文在寅政権の態度には少なからぬ変化が現れている、と感じる。 特に昨年9月の菅義偉首相の就任後、文在寅政権は韓日関係回復を目指して凄まじい外交努力をして来た。 文大統領は昨年11月にパク・チウォン国家情報院長を東京に送って「東京五輪を平和五輪として開催しよう」とのメッセージを伝えた。 文大統領は今年1月の年頭記者会見で「差し押さえ手続きが進められている日本企業の資産が現金化されるのは望ましくない」と述べた。 文大統領は今年3月の三・一独立運動記念式典での演説で再び「相手の立場に立って考える精神」を強調し、「私はいつでも日本政府と向き合って対話する準備が出来ている」と和解を訴えた。 それでも、菅政権はなかなか態度を変えなかったが、日韓両国政府の暫定合意により6月12日に文大統領と菅首相との略式首脳会談が開かれることになった。 その会談の目的は文大統領が「7月23日に開かれる東京五輪の開会式に出席したい。 冷え込んだ韓日関係を此れを契機に解決しよう」とのメッセージを菅首相に伝える事だった。 加藤勝信官房長官は6月14日に「略式会談が行なわれなかったのは時間の都合による」と説明したが、それは詭弁に過ぎない。 匿名の日本外務省幹部の言葉を引用した6月15日の読売新聞の報道によると、日本政府は「立ち話」程度なら可能との見解を韓国政府に伝え、加えて、日本軍用慰安婦の話が出た場合に備えて回答要領を作成したという事実も確認できる。 菅首相も文大統領が対話の為に自分に2度も近付いてきたことを認めている。 アメリカのジョー・バイデン大統領との初の電話会談の為に午前0時47分に電話機の前で待機していた菅首相に足りなかったのは時間ではなく、文大統領に対する誠意ではないかと思う。
35年間に渡る不法な植民地支配の苦しみを記憶している韓国人の心は日本人の小さな妄言1つに大きく揺れる。 東京五輪のウェブサイトに載った地図にかすかに独島が表記されているというニュースが伝わり、与党の主な大統領選候補者たちは「五輪をボイコットしよう」と主張している。 そのような極端な意見を持たずに菅首相に近付いた文大統領の気持ちを日本も察して欲しい。 加藤官房長官は6月15日に「文大統領の訪日について韓日両政府が協議中」との読売新聞の報道について、「報道にあるような事実はない」と答えたが、それで日本が得ようとしているものは何か。「いつも感情に流される日本」、「「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題を公教育で扱うとした河野談話の約束を守らない日本」、「30%台に落ちた内閣支持率回復の為に反韓感情に依存する菅内閣」。 そのような軽蔑の籠った視線で最も近い隣人を見つめないように、韓国人は必死に努力している。
キル・ユンヒョン記者

韓国左派知識人は大分へたっているようです。 此の記事には「韓国をまともな国として扱って欲しい」という思いや「 韓国を愛して欲しい」という思いが溢れています。「日本は「感情に流される国」になりたいのか」「いつも感情に流される日本」「30%台に落ちた内閣支持率回復の為に反韓感情に依存する菅内閣」「軽蔑の籠った視線で最も近い隣人を見つめないように、韓国人は必死に努力している」とは! 実に笑わせてくれます。 また、「文大統領は今年3月の三・一独立運動記念式典での演説で再び「相手の立場に立って考える精神」を強調した」というのもお笑い種(ぐさ)です。 文在寅大統領は「韓国人は全般的に相手の立場を全く考慮せず、自分の立場だけから強い主張をし、自分が相手にどのように思われるかという事を全く考慮しない」という事に少しは気付いているのでしょうか。 また、「上から目線」という言葉は純正日本人が韓国人の態度や言い方を批評するときに使ってきた語句ですが、2020年頃から韓国人は此の語句を日本人に対して使うようになったようです。 また、同じ頃から韓国人は「日本は歴史捏造国家である」とか言うようになりました。 此のような現象は「韓国人のオウム返し」と言われています。 日本人が使っている語句をオウム返しに使って日本に反論するような韓国人は其の程度の反論能力しか持ってないのです。「日本マスメディアは「韓国は常に感情に流される国だ」「韓国は約束を守らない国だ」「韓国は支持率回復の為に反日感情に依存する国だ」というような事を盛んに主張し、」とありますが、其のような主張をした日本マスメディアは一体どのマスメディアなのでしょうか。「2018年〜2019年に展開された激しい韓日対立以降、日本を見つめる文在寅政権の態度には少なからぬ変化が現れている、と感じる。 特に昨年9月の菅義偉首相の就任後、文在寅政権は韓日関係回復を目指して凄まじい外交努力をして来た」とありますが、韓国左派知識人ですら此の程度の認識しか持ってないのです。「日韓両国政府の暫定合意により6月12日に文大統領と菅首相との略式首脳会談が開かれることになった」とありますが、此れは韓国大統領府が垂れ流した「日韓両国政府は略式首脳会談の開催に暫定合意した」という捏造願望情報をキル・ユンヒョン記者が真に受けて思い込んだものです。「日本政府は「立ち話」程度なら可能との見解を韓国政府に伝え、加えて、日本軍用慰安婦の話が出た場合に備えて回答要領を作成したという事実も確認できる」とありますが、此れは「日本政府は「立ち話」程度なら可能との見解を韓国政府に伝え、加えて、日本軍用慰安婦の話が出た場合に備えて回答要領を作成した」という読売新聞の報道内容をキル・ユンヒョン記者が真に受けて此の報道内容を事実と思い込んだものでしょう。 キル・ユンヒョン記者が書いた此の記事は韓国左派知識人が書いたものの中ではマシな方です。 韓国左派知識人の書いた文章は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回して述べたものであり、其の結果として、 韓国左派知識人の書いた文章は全般的に妄想的理念の集合体になっています。

● 韓国人の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い。 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い。 手短に述べれば、韓国人の民度は甚だしく低い。

先に「「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国左派政治指導者の知性水準は世界の政治指導者の知性水準より甚だしく低い」「「奴婢」出身者(奴婢の子孫)であると思われる韓国人学者の知性水準は世界の学者の知性水準より甚だしく低い」「「両班」階級出身者であるか、「常民」階級出身者であるか、のどちらかだろうと思われる韓国右派政治指導者の知性水準も世界の政治指導者の知性水準より相当に低い」「韓国左派一般庶民(奴婢の子孫)の知性水準は世界の一般庶民の知性水準より甚だしく低い」と述べ、更に、韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準の低さ加減について述べ、文在寅大統領支持者(韓国左派一般庶民(奴婢の子孫))の馬鹿さ加減について述べて来ました。 先に、韓国人は「福島第1原発の処理水の海洋放出が2年後に始まる」と聞いただけで韓国の消費者の63.2%が日本産かどうかにかかわらず水産物の消費を減らしたという事を取り上げた所で「韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い」と述べましたが、色々な韓国人の世界中の人々に対する姿勢・態度を観察すると、「韓国一般庶民の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い」という文の内容を一般化して「韓国人の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い」と言うことが出来ます。 韓国人の感性水準の低さ加減を示す例を挙げましょう。 韓国人の大多数は超高層ビル(高さ100m以上のビル、又は、25階建て以上のビル)の数を経済力や先進性の指標と思っています。 分かり易く言えば、韓国人は全般的に「超高層ビルが沢山ある地域は経済的に進んでいて豊かであり、超高層ビルが無い地域は経済的に遅れていて貧しい。 超高層ビルが多い国は先進国であり、超高層ビルが少ない国は後進国である」と思っているのです。 ですから、韓国人はヨーロッパに行ってヨーロッパの伝統的な街並みを見て「此の地域には超高層ビルが無い」と見ると、「此の地域は貧しいんだ」と思うのです。 東京見物に来た韓国人は「ソウルには超高層ビルが沢山あるが、東京にはソウルほど超高層ビルが無い」と思って「日本よりも韓国の方が経済的に進んでいるんだ。 日本よりも韓国の方が先進国だ」と思ってホルホルします。 また、先に述べたように、「韓国人は全般的に「自己主張や相手に対する非難や罵りは強ければ強いほど、効き目も強い」と思い込んでいる」「韓国人は全般的に相手を非難する時、激しく非難しないでは居られない」「韓国人は全般的に「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴えないでは居られない」など、韓国人の感性水準の低さ加減を示す例は枚挙に暇が有りません。 此れらの事から「韓国人の感性水準は世界の人々の感性水準より相当に低い」と言って良いでしょう。 次に、韓国人の理性水準の低さ加減を示す例を挙げましょう。 韓国人の中には、日本以外の外国に行って「アイム ジャパニーズ」とか「アイム フロム ジャパン」とか言って大きな顔をして威張る者が沢山います。 彼らの此のような態度は、彼らが「現代版格差原理思想」を持っていること、並びに、大韓民国の成立(1948年8月15日)当時には味噌っかすのような国であった韓国が2018年には名目GDP(USドル換算値)ランキングで世界10位になり、購買力平価GDP(USドル換算値)ランキングで世界14位になったこと、並びに、韓国が味噌っかすのような国から短期間で経済中位国になったことを彼らが非常に誇らしく思い、「韓国人は世界一優秀な民族である。 我々韓国人の価値観は世界中で通用する」と思っていること、並びに、彼らが「格下の者(力の弱い者)と見なされる事を酷く嫌い、其の思いから尊大に振る舞う」という性癖を遺伝子レベルで身に着けていること、並びに、彼らが自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出す性癖を遺伝子レベルで身に着けていること、並びに、世界的には今なお韓国よりも日本の方が遥かに格上に見られていることを彼ら自らが知っていることに因るのです。 韓国人は学校などで「日本以外の外国に行ったら、「私は日本人だ」と言って振る舞うのが良い」と指導されているようです。 また、韓国人の中には、「日本の評判を下げよう」と思い、日本以外の外国の飲食店や観光地で「アイム ジャパニーズ」とか「アイム フロム ジャパン」とか言って「大声でまくし立てる」などの迷惑行為を繰り返す者が沢山います。 また、先に述べたように、「日本に対する悪口を言いたい放題に言うという性癖は反日韓国人の一大習性である」「韓国人は全般的に何かに付けて自分にとって都合が良い事を捏造して主張する」「韓国人は全般的に自分にとって都合の悪い事を人の所為にする傾向を強く持っている」「韓国人は「自分にとって都合の悪い事を日本の所為に出来る」と思ったら、自分にとって都合の悪い事を必ず日本の所為にする」「韓国人は全般的に「自分は悪くない。 相手が悪いのだ」と思う傾向を強く持っている」「韓国人は全般的に相手の立場を全く考慮せず、自分の立場だけから強い主張をし、自分が相手にどのように思われるかという事を全く考慮しない」「韓国人は全般的に「先に言った者勝ち」と思い、捏造した事を事実だと主張する」「韓国人は全般的に全ての事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない」など、韓国人の理性水準の低さ加減を示す例は枚挙に暇が有りません。 此れらの事から「韓国人の理性水準は世界の人々の理性水準より相当に低い」と言って良いでしょう。 韓国人の知性水準の低さ加減を示す例については今までに何度も述べましたので、ここでは述べなくて良いでしょう。 また、左派韓国人(奴婢の子孫)がインターネット上に書き込む「日本に対する罵詈雑言」(口汚い罵りや激しい非難や嘘だらけの悪口など)の数々から判断して「韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い」と言って良いでしょう。 以上、韓国人の感性水準の低さ加減、韓国人の知性水準の低さ加減、韓国人の理性水準の低さ加減について述べて来ましたが、手短に述べれば、「韓国人の民度は甚だしく低い」と言えます。

とは言え、韓国人は悪賢さ・ずる賢さ・悪知恵においては純正日本人を圧倒するものを持っていますので、韓国人を甘く見てはいけません。 北朝鮮人も同様です。

また、韓国人の民度は甚だしく低い為、韓国人のほとんど全ては遠回しな言い方や社交辞令や外交辞令というものを全く理解できません。 そして、韓国人は遠回しな言い方で言われたり、社交辞令を言われたり、外交辞令を言われたりすると、彼ら韓国人は其れらを自分に都合よく解釈します。 ですから、韓国人にこちらの意思を伝えたいときには、遠回しな言い方や社交辞令や外交辞令をやめて、ストレートに言わなければいけません。

動画「【海外の反応】「日本は韓国より格下だ!」日本を見下していた韓国人がC・ロナウドが韓国を毛嫌いし、日本を賞賛する様子を見た結果www」(https://www.youtube.com/watch?v=8t38tExcWOE)をご覧になってください。 此の動画には韓国人の感性水準の低さ加減、韓国人の知性水準の低さ加減、韓国人の理性水準の低さ加減がうまく表現されています。

● 韓国人は全般的に事実と意見とを互いに区別できない。 韓国人の文章理解力水準は世界の人々の文章理解力水準より相当に低い。 ハングルだけで表記される韓国語文章は韓国人の知性水準に釣り合っており、韓国人に相応しい。

OECD(経済協力開発機構)が2018年に各国の15歳児(高校1年生)を対象にして学力調査(PISA)を実施し、其の調査結果を公表しました。 統計データ分析家の本川裕さんが其の調査結果に基づいてお書きになった文章を『PRESIDENT Online』が2021年9月9日に「「韓国人は事実と意見を区別できない」低すぎる “読解レベル” が慰安婦・竹島問題をこじらせる」と題する記事(https://president.jp/articles/-/49687)として発表しました。 此の学力調査のテスト問題として、情報に含まれる「事実」と「意見」とを正しく判別できるかどうかを調べる為の「ラパヌイ島設問」というのが有るのですが、本川裕さんは此の文章の中で「この設問に対する正答率を比較すると、アメリカが69.0%と最も高く、次いで英国が65.2%であり、韓国はOECD加盟国の中では最も低い25.6%である。 慰安婦問題、竹島問題など、日韓問題がなかなか解決の方向に向かわないのは、韓国では「意見」を「事実」と同じぐらい重視して両方を区別しない場合もあるからである」と述べています。 本川裕さんが其の調査結果に基づいてお作りになった図表を拝借させて頂きます。

  

世間一般で「子は親の鏡」と言われています。 本川裕さんも「子は親の鏡」と述べています。 ですから、本川裕さんが述べている「この設問に対する正答率を比較すると、・・・、韓国はOECD加盟国の中では最も低い25.6%である」という事は「事実と意見とを互いに区別できる韓国人は韓国人の26%ほどしか居ない。 韓国人は其の26%ほどしか事実と意見とを互いに区別できない。 韓国人の74%ほどは事実と意見とを互いに区別できない」という事を意味する、と見て良いでしょう。 韓国人は全般的に事実と意見とを互いに区別できないのです。 韓国人の文章理解力水準は世界の人々の文章理解力水準より相当に低い、と言って良いでしょう。

韓国人の文章理解力水準が世界の人々の文章理解力水準より相当に低い理由の1つとして、朝鮮語には目で見ても区別できない単語が山ほど有るという事が在ります。 日本語には同音異義語がたくさん有りますが、日本語の同音異義語は、此れを漢字で書けば、目で見て区別することが出来ます。 一方、朝鮮語については、先に述べたように、朝鮮語の単語の7割は、日本統治時代に朝鮮全土に普及した日本語単語を朝鮮式に発音して其の発音をハングルで表記したものです。 ですから、朝鮮語にも同音異義語がたくさん有りますが、朝鮮語の単語はハングルという表音文字で書かれる為、朝鮮語の同音異義語は目で見ても区別することが出来ません。 従って、韓国人は朝鮮語の文章を読んでも、同音異義語の意味を正確に読み取ることが出来ません。 従って、韓国人は朝鮮語の文章をぼんやりとしか理解できないのです。

韓国では大韓民国の成立(1948年8月15日)から凡そ2ヶ月後の1948年10月9日に「ハングル専用に関する法律」(略称:ハングル専用法)が制定され、公文書は全てハングルで表記することが正式に決まりました。 朴正熙大統領の軍事独裁政権時代(1963年12月〜1979年10月)には「韓国が漢字を使う限りにおいて、韓国は中国より格下であり続けるから、漢字を使うのをやめよう」という漢字排斥活動が盛り上がり、朴正熙軍事独裁政権は1970年に漢字廃止宣言を行ないました。 そして、其れ以来、韓国の小学校では漢字教育が禁止され、児童に漢字を教えた小学校教員は国策に協力しない者として懲戒免職などの重い処分を受けるなど、韓国の学校教育では漢字教育が禁止され続け、韓国の実社会でも漢字はどんどん使われなくなり、1980年頃には韓国の新聞や雑誌でも漢字が使われなくなり、韓国語の文章のほとんど全てがハングルだけで表記されるようになり、2000年頃には韓国語の文章の全てがハングルだけで表記されるようになりました。 そして、其の状態が現在も続いています。 そして、「韓国の学校では漢字教育が行なわれず、韓国語の文章の全てがハングルだけで表記されている」という事は朴正熙軍事独裁政権による漢字廃止宣言(1970年)の影響を受けたものであるだけでなく、「韓国人が自分らの感性水準(人間集団を構成する個々人の感性の平均的な発達程度)や、自分らの知性水準(人間集団を構成する個々人の知性の平均的な発達程度)に見合った(釣り合った)文章表記様式を自主的に採用した」という事を意味している、と思われます。 ハングルだけで表記される韓国語文章は平仮名だけ又は片仮名だけで表記されている日本語文章と同じようなものです。 ハングルだけで表記される韓国語文章は韓国人の知性水準に釣り合っており、韓国人に相応しい、と思われます。 韓国人はよく「韓国語は日本語より優れている」と主張します。 先に述べたように、韓国人の知性水準は世界の人々の知性水準より相当に低い為、韓国人にとって漢字を使いこなすことは相当に難しいのです。 ですから、「韓国人はよく「韓国語は日本語より優れている」と主張する」という事は「自らの知性水準が世界の人々の知性水準より相当に低い韓国人にとって、ハングルだけを使う韓国語文章表記法は、漢字をたくさん使う日本語文章表記法より優れている(韓国人に釣り合っている、韓国人に相応しい)」という事を意味しているのです。

韓国知識人の大多数は漢字がシナ発祥のものである(漢字の起源はシナにある)ことを認めています。 そして、韓国人知識人には「格差原理思想」(「格上の者は格下の者を強圧的に服従させてよい。 格下の者が格上の者に服従しない場合、格上の者は格下の者に何をしても良い」という思い)が骨の髄にまで染み込んでいます。 従って、韓国知識人の大多数にとって、韓国人が漢字を使うことはシナ(中国)に服従するになり、且つ、朝鮮人にハングルと漢字との混用を推奨した日本に服従することになり、此の事が韓国知識人の大多数には耐えられず、其の結果として、韓国では漢字が使われなくなった、と言えるでしょう。

● 韓国人の「ケンチャナヨ精神」。
前々項で韓国人の超高層ビルに対する思いを述べました。 ここでは韓国内のマンション(高層の集合住宅)について述べる事から始めようと思います。 日本国内のマンションは築50年で再建築の対象になるそうですが、韓国内のマンションは築30年で再建築の対象になるそうです。 という事は、韓国内のマンションは築30年で安心して住めない状態になってしまう程度にいい加減に造られているという事を意味します。 此のような「いい加減さ」は韓国内のマンションに限った事ではありません。 韓国ではほとんど全ての分野で此のような「いい加減さ」が横行しているのです。「いい加減さ」を容認して「細かい事は気にしない。 此の程度で大丈夫だ」と考える韓国人の思いは「ケンチャナヨ精神」と呼ばれています。 ケンチャナヨ精神は朝鮮の伝統的な政治風土・社会風土に根差したものであり、韓国の社会通念になっています。 ケンチャナヨ精神は最先端技術分野でも発揮されます。 実例を挙げると、韓国「LG化学」製の電気自動車用バッテリーを使っている電気自動車(ヒュンダイの KONA など)が韓国やカナダやオーストリアやオーストラリアやノルウェーなどで2021年だけで15件ほどの発火炎上事故を起こしました。『レコードチャイナ(Record China)』の2022年6月14日付けの記事「韓国で現代自のEVが衝突3秒で炎に包まれる、運転手らは脱出できず死亡。韓国ネット「販売中止に」」(https://www.recordchina.co.jp/b895908-s39-c30-d0191.html)は「2022年6月4日、韓国・釜山市内の高速道路のゲートを通過しようとしたアイオニック5(ヒュンダイの電気自動車。日本でも2022年5月2日に発売された)が衝突緩衝壁に衝突し、衝突からわずか3秒後に火炎に包まれて全焼し、運転席にいた30代男性と助手席にいた40代女性は脱出できずに死亡した」と報じています。 此の記事を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
2022年6月14日、韓国マスメディア『インサイト』によると、ヒュンダイの電気自動車「アイオニック5」が高速道路のゲートの衝突緩衝壁に衝突する事故が起き、其の車に乗っていた男女2人が死亡した。
『インサイト』の記事によると、2022年6月4日午後11時ごろ、韓国・釜山市江西区の南海高速道路のゲートを通過しようとしたアイオニック5が衝突緩衝壁に衝突し、発火炎上した。 通報を受けた消防隊員らは午後11時15分ごろに現場に到着し、火を消し止めたが、其の車は全焼したという。
監視カメラの映像を分析した結果、其の車は衝突からわずか3秒後に火炎に包まれ、其の為、運転席にいた30代男性と助手席にいた40代女性は其の車から脱出できなかった。
消防当局は、バッテリーの温度が一気に高温になる「バッテリー熱暴走」が事故の原因と見ている。 バッテリー熱暴走とは、バッテリーに衝撃が加えられたときにバッテリーで火災が発生する現象である。 これが起きると、短時間で温度が800°Cまで上昇する。 バッテリー熱暴走を起こしたと見られる其の車は5日午前0時ごろに鎮火したように見えたが、再び発火し、完全に鎮火するのに7時間強を要したという。
2017年以降に韓国で発生した電気自動車火災は69件に上り、其の大多数が充電中や駐車中に発生した。 今回の交通事故による火災が死者の発生にまで及んだことから、「バッテリーを保護できるように設計し、今よりもっと多ような状況で衝突テストを行なう必要がある」との指摘が出ているという。
此の事故を知った韓国のネットユーザーからは「道路上の爆弾だ。 小さな衝撃でも、蓄積された電気エネルギーが熱エネルギーに変換されて、火災・爆発が起きる」「内燃機関車だったら2人は軽傷で済んだだろう」「電気自動車を買おうかどうかと、さんざん悩んでいたけど、これで決心がついた」「自分が安全運転していても、事故に巻き込まれることはある。 電気自動車の購入は時期尚早だ」「電気自動車が地下駐車場で軽い事故を起こしたら、マンションやビルが丸ごと焼失してしまう可能性がある。 電気自動車を販売中止にすべきだ」「電気自動車の横に駐車するのも怖い」など、電気自動車に対する不安の声が続出している。 その他「インフラや安全性を考えると、電気自動車は内燃機関車より安価であるべきだ」「人間にとって最も大きな価値が安全と命なのに、高いお金を払って電気自動車を買う必要があるのか」などの声も見られた。(翻訳・編集/堂本)

此の記事の中で「2017年以降に韓国で発生した電気自動車火災は69件に上り、其の大多数が充電中や駐車中に発生した」と、あっさり書かれていますが、よく考えてみれば、此の事は大変な事であり、其れにもかかわらず、韓国では2022年の時点で電気自動車が非常によく売れており、韓国人の大多数が「韓国は電気自動車(EV)先進国だ」とか言ってホルホルしています。 全く呆れてしまいます。

アイオニック5は2022年12月5日にも韓国・慶尚北道・栄州市で衝突・炎上事故を起こしました。 此の事故を報じた韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の2022年12月8日付けの日本語版記事「【韓国・EV火災】衝突から5秒後に炎上したヒュンダイのアイオニック5。 鎮火に1時間50分。 バッテリー火災は水では鎮火できない。」(https://japan.hani.co.kr/arti/economy/45332.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
慶尚北道・栄州市でアイオニック5が衝突直後に炎上。 運転手は死亡。
走行中の電気自動車が構造物に衝突し、あっという間に炎に包まれて人命被害が発生する事故が相次いでいることから、電気自動車の安全性に対する懸念が高まっている。
慶尚北道の栄州警察署の2022年12月7日の発表によると、2022年12月5日午後9時30分頃、栄州市下望洞付近を走行していたタクシー(車種はアイオニック5)がスピードを保ったまま建物の角に衝突した。 そのタクシーは衝突からわずか5秒後に火炎に包まれ、70歳代の運転手は近くの病院に運ばれたが、死亡した。
電気自動車のバッテリーから火災が発生すると、その火災が少なくとも2時間以上続く。 バッテリー火災は水では鎮火できない為、バッテリーが燃え尽きるまで待つしかない。 バッテリーパックが損傷すると、内部の温度はあっという間に800°Cまで上がって火がつく「熱暴走」が発生する為だ。 この日の事故でも、車両火災は1時間50分間続いた。
完成車業界はこれまで、電気自動車の火災発生率は内燃機関車に比べて低いと主張してきた。 しかし、電気自動車は火災発生による被害が致命的なものになる。 電気自動車のドライバーが車両火災を恐れる理由はここにある。 今年6月に釜山で発生したアイオニック5の火災が代表的な例だ。 この事故ではアイオニック5が高速道路の料金所の衝突緩衝壁に衝突し、衝突からわずか3秒後に火炎に包まれ、ドライバーを含む2人が死亡した。
専門家は「電気自動車のドライバーはブレーキ故障やスリップなどの事故発生時の対応要領を熟知しておくべきだ」と助言する。 釜山と栄州の電気自動車火災では、或る共通点が指摘されている。 両車両とも垂直な構造物の角に衝突していた。 釜山の事故では料金所の衝突緩衝壁であり、栄州の事故では建物の角である。 垂直な構造物の角と衝突すると、エネルギーが一ヶ所に集中し、バッテリーに加わる衝撃が大きくなり、火災につながる可能性が高くなる。 漢拏大学のチェ・ヨンソク教授(未来モビリティ工学)は「急発進などの事故が起きた際には電柱のような構造物を避けなければならず、平らな壁や駐車してある車両にぶつけるのが最も安全」だと語った。<後略>  アン・テホ記者

アイオニック5は「走る電気瞬間焼却炉」と言って良いくらいのものです。

動画「韓国製EVタクシー、時速188キロの暴走事故は致命的欠陥だった事が判明」(https://www.youtube.com/watch?v=foC4O4TtAjs)をご覧になってください。

『レコードチャイナ(Record China)』の2023年11月17日付けの記事「高速道路を走行中に突然減速、韓国キアの「K8ハイブリッド」に苦情相次ぐ=韓国ネット「日本車に乗れ」」(https://www.recordchina.co.jp/b923966-s39-c30-d0191.html)をご覧になってください。

動画「韓国でまたEVタクシーが暴走!HVでも不具合、車種の問題ではなくK品質ですね」(https://www.youtube.com/watch?v=ydMwoOShtQQ)をご覧になってください。

アメリカの Consumer Reports(非営利の消費者組織である Consumers Union が1936年から発行しているアメリカ合衆国の月刊誌)が2024年2月16日に「Why So Many Hyundai, Kia, and Genesis Vehicles Are Getting Recalled for Fire Risks(ヒュンダイ、キア、ジェネシスの車が発火リスクでリコールされる理由)」と題する記事(https://www.consumerreports.org/cars/car-recalls-defects/why-so-many-hyundai-kia-vehicles-get-recalled-for-fire-risk-a1169940635/)を発表しました。 此の記事の冒頭に「Since 2010 more than 3,100 Hyundai and Kia vehicles have caught fire, injuring 103 people and killing one, according to the National Highway Traffic Safety Administration (NHTSA), the government agency investigating both automakers.(アメリカの国家幹線道路交通安全局、並びに、ヒュンダイとキアとを取り調べている政府機関によれば、 2010年以来、ヒュンダイとキアの車3100台以上が発火した。 そして、此れらの発火事故で103人が負傷し、1人が死んだ)」と書かれています。 3100台という数はアメリカ国内だけの発火件数でしょうから、世界全体では此れより遥かに多くの韓国車が発火した、と思われます。 動画「韓国車が3100台以上燃えている→韓国人「日本の部品が沢山使われているから」【世界の〇〇にゅーす】」(https://www.youtube.com/watch?v=Idv9G7JUUDw)をご覧になってください。

ケンチャナヨ精神が社会通念になっている韓国で、なぜサムスン電子やLG電子やSKハイニックスは高性能な一時的記憶用集積回路(DRAM)や液晶パネルを作ることが出来るのでしょうか。 其れは、サムスン電子やSKハイニックスがアメリカ製やオランダ製や日本製の高性能な製造装置を使い、日本製の高性能な素材を使い、日本製の高性能な部品を使い、日本企業から無償供与された製造ノウハウを使っているからです。

2022年1月11日、韓国の光州市で建設中の39階建て高層マンションの外壁や床が大規模に崩れ落ちる事故がありました。 此の事故についての動画「【韓国】建設中の高層マンションの壁が… 作業員6人安否不明」(https://www.youtube.com/watch?v=hoF7kA1yJB0)をご覧になってください。

韓国の建設会社は「少しくらいの不正工事はやって当然だ。 少しくらいの不正工事は、ばれなければ、問題ない。 最低限の建築基準を満たさなくても、ばれなければ、大丈夫だ。 工期をなるべく短縮し、コストをなるべく削減し、なるべく多くの利益を上げよう」と思っているのです。 此のような建て方は韓国の建設会社の昔からの慣わしです。 そして、此のような思い(ケンチャナヨ精神)が今なお韓国社会に蔓延しているのです。

● 韓国人の大多数は当世における下級両班になりたいと思っている。
韓国社会で最上位層に居る人々は韓国の財閥です。 韓国の経済界で大きな力を持っているのが、サムスン(三星)、ヒュンダイ、SK、LG、ロッテ、GS、現代重工業、韓進、ハンファ、斗山、の10大財閥です。 2010年から2020年にかけて此れら10大財閥が経営する企業の売り上げは韓国のGDPの60%ほどであった、と言われています。 そして、此の期間において、サムスン財閥が経営する企業の売り上げは韓国のGDPの20%ほどであり、サムスン電子の売り上げは韓国のGDPの16%ほどであり、サムスン財閥が経営する企業の売り上げと、サムスン財閥の関連会社の売り上げとを合わせれば、其の売り上げの合計は韓国のGDPの30%ほどであった、と言われています。 サムスン財閥が経営する企業の資産は韓国の富の3分の1に迫る、と言われています。 2024年の時点でサムスン(三星)とヒュンダイとSKとLGとの4大財閥の売り上げは韓国のGDPの50%を占める、と言われています。 此れら4大財閥にロッテ、GS、現代重工業、韓進、ハンファ、斗山を加えた10大財閥が韓国経済を牛耳っているのです。 此れら10大財閥が韓国の一流財閥であり、此れら10大財閥が「当世における上級両班」です。 此れら韓国には10大財閥以外に100前後の弱小財閥があります。 此れら100前後の弱小財閥は韓国の二流財閥であり、此れら100前後の弱小財閥は「当世における下級両班」です。 そして、10大財閥の経営する企業が韓国の一流財閥企業であり、100前後の弱小財閥の経営する企業は韓国の二流財閥企業です。 当世における下級両班は100前後の弱小財閥の他にも在りますが、其れについては少しあとで述べましょう。 10大財閥は自分らを貴族と思っています。 10大財閥は成金貴族です。 此の辺りの事情については、「韓国財閥ランキング! 10大財閥の影響力と庶民との格差は?」(http://leave-the-life.com/post-2346/)をご覧になってください。

先に述べたように、韓国社会は個々人の持つ格の上下によって個々人が上下に一列に整列されたような序列社会ですので、韓国の大学受験競争は熾烈です。 小中高校時代の学業成績がとても良い韓国の若者は一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指します。 小中高校時代の学業成績がとても良い韓国の若者の内、高収入を得たいと思っている者は一流財閥企業の高級社員になることを目指し、其の為の前段階として一流大学に入学しようとして一所懸命です。 一流財閥企業に就職できれば、給与面で大きな有利性を得ることが出来ます。 一流財閥企業以外の企業に就職すれば、給与面での有利性を得ることが出来ず、たとえ一所懸命に働いても、給与面で報われる事はほとんどありません。 全くの憶断で述べさせてもらうと、100前後の韓国弱小財閥企業の正社員の給与は一流財閥企業の高級社員の給与の半分ほどではないでしょうか。 此のような理由で、一流財閥企業の高級社員になれるかどうかで、収入面での人生の明暗が決まります。 其の為、小中高校時代の学業成績がとても良い韓国の若者の内、高収入を得たいと思っている者はひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員になることを目指します。 ですが、一流財閥企業の正社員になれる韓国人は韓国内での就職を希望している韓国人の1%も居ません。 全くの憶断で述べさせてもらうと、韓国中小企業の正社員の給与は100前後の韓国弱小財閥企業の正社員の給与の半分ほどではないでしょうか。 一説には、韓国の非正規労働者の平均月収は8万円である、と言われています。 此のような理由で、韓国では収入面で明るい人生を歩んでいる人に対する怨念(羨み、妬み、憎しみ、恨み、など)が蔓延しており、其の怨念から人の悪口をさんざんに言って人の足を引っ張る人が極めて多いのです。

小中高校時代の学業成績がとても良い韓国の若者の内、高収入を得たいと思っている者は一流財閥企業の高級社員になることを目指しますが、一流財閥企業の高級社員は所詮、当世における下級両班でしかありません。 小中高校時代の学業成績がとても良い韓国の若者の内、高収入よりも権威や権力を得たいと思っている者は大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指しますが、大学医学部の教授や政府の高級官僚も所詮、当世における下級両班でしかありません。 小中高校時代の学業成績がとても良い韓国の若者は揃いも揃って当世における下級両班になることを目指しているのです。 そして、韓国では一流財閥が「当世における上級両班」として、そして、一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚が100前後の弱小財閥と共に「当世における下級両班」として特権階級を構成しているのです。

● 韓国人の職業観。 世襲階層社会の韓国。
朝鮮では伝統的に「楽をして裕福に且つ怠惰に暮らしていける人は偉い。 汗を流して働く人は卑しい」と思われて来ました。 そして、韓国では現在でも其のように思われています。 其の為、韓国では今なお職人は卑しい者と見なされ、職人だけでなく、ブルーカラー労働者(blue collar worker、工場などの生産現場で肉体を駆使して働く労働者)全般が卑しい者と見なされて馬鹿にされます。 そして、韓国ではホワイトカラー労働者(white collar worker、企業内の管理部門などに所属して主に企画・管理業務などを行なう労働者)は尊敬されます。 そして、韓国人の9割ほどは「自分は両班の子孫である」と思っています。 此れらの理由で、韓国の若者は「肉体労働者(職人やブルーカラー労働者)にはなりたくない。 ホワイトカラー労働者になりたい。 出来る事なら、一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になりたい」と思って大学受験競争に一所懸命になります。 大学を卒業してもホワイトカラー労働者になれなかった韓国人の大多数は「自分は両班の子孫である」と思っている所為で「ブルーカラー労働者になっても良い」とは思いません。 また、韓国では現在でも「楽をして裕福に且つ怠惰に暮らしていける人は偉い。 汗を流して働く人は卑しい」と思われている為、「自分は卑しい仕事をしているんだ」と思っている肉体労働者(職人やブルーカラー労働者)は自分の仕事に身が入りません。

韓国人の大多数は「楽をして裕福に且つ怠惰に暮らしていける人は偉い。 汗を流して働く人は卑しい」という思いに近いものとして「なるべく楽をして不正をしてでも稼ごう」という思いを持っています。「なるべく楽をして不正をしてでも稼ごう」という思いを持っている韓国人は様々な不正を働きます。 例えば、韓国の建設会社の職員や職人は常習的に手抜き工事をします。 また、先に述べたように、韓国のタクシー運転手は乗客を「此の辺りの地理に不案内な者だ」と見ると、其の乗客に法外なタクシー代を請求します。 其の乗客がタクシー代の法外に高いことに気付いて抗議すると、其のタクシー運転手は大声でまくし立てて「請求したタクシー代は正当だ」と言い張ります。 韓国の屋台はお客を「外国人観光客だ」と見ると、商品の価格を法外に上げます。 其のようなことを知らない外国人観光客は言われるままにお金を払う事になります。 韓国の店主は商品を買った外国人客に対して釣り銭をちょろまかします。 其の外国人客が釣り銭の足りないことに気付いて其の店主に抗議すると、其の店主はギャーギャーと喚(わめ)き散らしたり、「韓国語で話せ」と大声でまくし立てたりして、正当な釣り銭を渡そうとはしません。

先に述べたように、韓国が民主化されたあとの「ひたすら一流大学への入学と一流財閥企業の高級社員や大学医学部の教授や政府の高級官僚になることを目指す物凄い競争社会」の中で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)が少しでも上位に這い上がることは並大抵の事ではないのです。「韓国の階層は親の経済力で固定される」という意味で「韓国は世襲階層社会である」と言われています。『コリア・レポート』の創刊者・編集長:辺真一さんは次のように述べています。
韓国で貧しい家庭に生まれた子どもが “成り上がる” というケースはめったに無いのです。 なぜなら、高収入を得る為に一流企業に入社するには、一流大学に入らなければいけない。 一流大学に入るには、一流高校に入らなければいけない。 ・・・と、幼少期から塾通いをしたり、いい家庭教師をつけたりと、膨大な教育費が長期間に渡って掛かります。 ですから、金持ちの家庭の子でなければ、一流大学・一流企業に入ることが出来ない。 ですから、“ 親が駄目なら、子も駄目になる ” という連鎖がどんどん広がって行くのです。

● 韓国の就職事情。
韓国には徴兵制が有る為もあって、韓国の一流財閥企業の高級社員になることを目指す韓国人大学生は大学在学中に長期間渡って休学し、休学中に1年半〜2年の兵役に就いたり、色々な資格を取ったり、特別に語学の勉強をしたり、ボランティア活動をしたりして、自身に箔を付け、30歳前後で大学を卒業して一流・二流財閥企業に就職します。 しかし、財閥企業に就職できた韓国人でも40歳代前半で役員コースに乗れなかった者は45歳で退職します。 ですから、財閥企業に就職した大学卒業者の勤続年数の平均は15年です。 此れを裏付けるデータが在ります。 其れは2019年に韓国統計庁が発表した「韓国における平均退職年齢は49.4歳である」というデータです。 此のデータを算出するに当たっては長く働ける職種の人(公務員、医者、弁護士など)の勤続年数も含まれていますので、「韓国の一流財閥企業の高級社員になることを目指す韓国人大学生は30歳前後で大学を卒業して財閥企業に就職し、財閥企業に就職できた韓国人でも彼らのほとんど全ては45歳で退職する。 財閥企業に就職した大学卒業者の勤続年数の平均は15年である」という事を信用して頂けるでしょう。 此の韓国就職事情は実に異様です。 韓国人は「韓国の会社員の月給は日本の会社員の月給よりずっと高い」と言ってホルホルしていますが、韓国の会社員が会社員としてもらえる生涯賃金は日本の会社員が会社員としてもらえる生涯賃金の半分である、と言われています。

韓国ではフライドチキンがキムチに次ぐ2番目の国民食であるそうです。 韓国ではフライドチキンを製造・販売するお店は「チキン屋」と呼ばれています。 韓国企業の勤め人のほとんど全ては45歳で退職し、其の後、彼らの大多数は貯金や借金を使ってチキン屋を開店します。 ですから、韓国にはチキン屋が在り過ぎて過当競争になり、チキン屋を開店しても大して儲かりません。 其の為、開店したチキン屋の8割ほどは開店してから5年以内に廃業するそうです。 チキン屋を開店する自信の無い者や、チキン屋を開店して失敗した者は警備職、守衛職、宅配運送職、清掃職などに就くそうです。 ですが、此れらの職に就いても低収入しか得られません。 2017年時点の韓国ではチキン屋のような自営業者が就業者全体に占める割合は25%であり、チキン屋のような自営業者の平均年収は日本円で210万円である、と言われていました。 2024年時点ではチキン屋のような自営業者4人の内の3人の月収は日本円で11万円以下である、と言われています。 更に、チキン屋のような自営業者の平均年収のデータは韓国統計庁が発表する「韓国の就業者の平均年収」を算出する為のデータとして使われない、と言われています。

動画「平均年収は日本より高いのに生涯賃金は日本の半分の韓国。サラリーマンとして働ける期間がわずか15年しかない。45歳を過ぎるとリストラされチキン屋は本当だった」(https://www.youtube.com/watch?v=PdqNSpb2sEQ)をご覧になってください。

韓国では「就職活動をしているのに就職できずにいる者」だけを失業者と見なします。 韓国では「就職していないのに就職活動をしていない者」は失業者とは見なされません。『中央日報』の2021年2月10日付けの日本語版記事「コロナ第3波ショックで失業者157万人「過去最多」=韓国」(https://japanese.joins.com/jarticle/275429?sectcode=400&servcode=400)によれば、2021年1月の時点で、韓国人失業者の数は157万人です。 また、高齢者でもなく、且つ、兵役に就いている訳でもなく、且つ、健康を害している訳でもなく、且つ、育児や家事に従事している訳でもなく、且つ、学業に就いている訳でもなく、且つ、職業訓練中でもないのに、就職活動をしていない韓国人の数は349万人です。 此れら349万人は所謂「ニート」です。 此れらのニートは韓国では失業者とは見なされません。 韓国人失業者157万人と韓国人ニート349万人とを合わせた数は506万人です。 此の数は韓国の人口5164万人(2018年)の9.8%です。 ですから、韓国の実質失業率は9.8%である、と見て良いのではないでしょうか。 また、2020年の時点で、6万8000人ほどの韓国人青年が日本に働きに来ている、と言われています。 また、韓国統計庁が発表した「2019年第3四半期家計動向調査」によると、所得が最も低い「所得下位20%世帯」の1ヶ月平均所得は44.8万ウォン(円換算で4万2000円)です。 韓国は、所得下位層が厚く、所得上位層と所得下位層との所得格差が極めて大きいのです。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2020年7月16日付けの日本語版記事「韓国青年失業率10.7%で「最悪」21年ぶり…45万人「何もせず休んだ」」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/268134?sectcode=300&servcode=300)によれば、2020年6月における韓国人青年(15歳〜29歳)の失業率は10.7%です。 此の記事によれば、韓国には実質失業率を意味する「拡張失業率」というものが有ります。 此の「拡張失業率」というものは失業率とニート率とを合わせたものなのでしょう。 此の記事によれば、2020年の時点で韓国人青年(15歳〜29歳)の拡張失業率(実質失業率)は26.8%であり、韓国人青年(15歳〜29歳)の4人に1人は実質的な失業者です。 韓国人青年(15歳〜29歳)の此のような就職事情は2020年に始まった事ではありません。 2015年頃には「Hell Korea」(地獄の朝鮮)という言葉が韓国人青年の間で流行りました。 2020年の時点で、此の言葉の意味する実態は韓国人青年にとっては当たり前の事になっているので、韓国人青年はもはや此の言葉を余り大きく取り上げないようです。『中央日報』の2023年9月7日付けの日本語版記事「高金利の犠牲か、無計画が災いしたか…借金41%増えた韓国の20代」(https://s.japanese.joins.com/JArticle/308764?sectcode=300&servcode=300)によれば、2023年7月の時点で韓国20歳代の就職率は61.4%です。 ですから、2023年7月の時点で、100%−61.4%=38.6%で、韓国20歳代の失業率と韓国20歳代のニート率とを合わせた割合は38.6%である、と見て良いでしょう。

『中央日報』の2021年10月13日付けの日本語版記事「韓国の大学生「願書出してもどうせ就職できない…」10人に4人が求職諦めた」(https://japanese.joins.com/JArticle/283792?sectcode=300&servcode=300)によれば、韓国経済研究院が4年制大学の3年生や4年生や卒業生など2713人にアンケート調査をしたところ、「積極的に求職活動をしている」と回答した者は回答者全体の9.6%で、「求職活動を休んでいる」と回答した者は回答者全体の8.4%で、「求職活動をほとんどしていない」と回答した者は回答者全体の33.7%で、「求職活動を儀礼的にしている」と回答した者は回答者全体の23.2%でした。「求職活動を休んでいる」と回答した者の割合(8.4%)と「求職活動をほとんどしていない」と回答した者の割合(33.7%)と「求職活動を儀礼的にしている」と回答した者の割合(23.2%)との合計は65.3%です。『中央日報』の2021年10月20日付けの日本語版記事「【コラム】「就職放棄族」に残忍な10月が行く=韓国」(https://japanese.joins.com/JArticle/284030)によれば、韓国人青年の4人に1人は実質的な失業者であり、韓国人青年の10人に6人は就職断念族であり、韓国人青年の100人に3人は引きこもりです。 ここで言う「韓国人青年」は15歳〜29歳の韓国人を意味するようです。 2018年〜2021年の期間における韓国の4年制大学の新卒者の就職率は35%前後である、と言って良いでしょう。 因みに、同期間における日本の4年制大学の新卒者の就職率は96%前後です。

動画「調べてみたら韓国地獄だった。55%が貯金40万円もない貧困、35%がうつ病経験者、25%がニート。キラキラしているのは上位10%なのに、それと日本全体を比べる反日マスコミ」(https://www.youtube.com/watch?v=iYPUjUp8rPo)をご覧になってください。

韓国の就職事情は以上のようなものであり、韓国に韓国人として生まれるという事は罰ゲームに強制的に参加させられるようなものであるのに、韓国の若者の中には「韓国の若者の生活レベルは日本の若者の生活レベルより高い」とか言ってホルホルしている者が沢山います。

『レコードチャイナ(Record China)』の2023年12月30日付けの記事「「韓国人が国外に逃げ始める」と中国メディア、中国ネット「他人事とは思えない」」(https://www.recordchina.co.jp/b926154-s39-c30-d0192.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
中国メディアの鳳凰WEEKLYはこのほど「韓国人が国外に逃げ始める」と述べた記事を配信した。 この記事は「韓国のテレビ局が今年実施した調査によると、韓国の20歳〜30歳の若者の56%が国外移住を希望している。 韓国の権威ある結婚情報会社によると、20歳〜30歳の韓国人カップルの70%以上が国外移住を検討している」と伝えた。 その上で、「かつて韓国人の国外移住の『終着駅』は憧れのアメリカだったが、近年は目的地が多様化している」と指摘した。 韓国の社会問題である虐め、就職難、高自殺率、低出生率などにも触れた。 この記事について、中国のSNS上では「中国人もさほど変わらない」「他人事とは思えない」「韓国の儒教文化が共犯者の一人だ」「お金があれば、国外移住したい人が多いと思う。 自分もそう」「韓国人がソウルで家を買うには飲まず食わずで15年かかるらしい。 中国も五十歩百歩だ」「中国の大都市はもっと酷い」などのコメントが寄せられた。(翻訳・編集/柳川)

動画「富裕層の海外移住が世界4位になった韓国。国民の移民希望は60%超える。やはりこの国はヘル朝鮮、未来はないのか?」(https://www.youtube.com/watch?v=ff-IyGXr1YQ)をご覧になってください。

● 韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)や1人当たりの名目GDP(USドル換算値)に関しても韓国と日本とを比較しないでは居られない。 韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、「2018年以降、韓国は1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)において日本に勝っている。 韓国は経済において日本を追い抜いた。 韓国は日本に勝った。 国民の生活水準を示すのは1人当たりの名目GDP(USドル換算値)ではなく、1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)である。 1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)こそが国民の生活水準を示すのだ。 1人当たりの名目GDP(USドル換算値)においても韓国はもうすぐ日本を追い抜く。 もうすぐ日本は滅びる」と思ってホルホルしている。

先に「韓国人は全般的に世界各国の格付け・順位付け報道の中で示される日本の順位と韓国の順位とに異様に強い競争心と異様に強い対抗心とを持っており、「韓国は日本に勝った、負けた」と、韓国と日本とを比較しないでは居られない。 韓国人は全般的に「韓国と日本は互いのライバルだ」と思っている」と述べましたが、韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)や1人当たりの名目GDP(USドル換算値)に関しても韓国と日本とを比較しないでは居られません。 2018年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)が日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜きました。 2018年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万2762ドルであり、2018年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万3021ドルであり、 2019年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万3448ドルであり、2019年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万4619ドルであり、2020年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万2256ドルであり、2020年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万4819ドルであり、2021年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万5224ドルであり、2021年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万8860ドルであり、2022年の時点で日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は4万9044ドルであり、2022年の時点で韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)は5万3736ドルであり、2018年以降、韓国は1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)において日本に勝っています。 また、2019年の時点で日本の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は4万0548ドルであり、2019年の時点で韓国の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は3万1902ドルであり、2020年の時点で日本の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は4万0118ドルであり、2020年の時点で韓国の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は3万1728ドルであり、2021年の時点で日本の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は3万9883ドルであり、2021年の時点で韓国の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は3万4998ドルであり、2022年の時点で日本の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は3万3822ドルであり、2022年の時点で韓国の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)は3万2250ドルであり、1人当たりの名目GDP(USドル換算値)においても、2022年の時点で韓国は日本にかなり迫ってきました。 そこで、韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、「2018年以降、韓国は1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)において日本に勝っている。 韓国は経済において日本を追い抜いた。 韓国は日本に勝った。 国民の生活水準を示すのは1人当たりの名目GDP(USドル換算値)ではなく、1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)である。 1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)こそが国民の生活水準を示すのだ。 1人当たりの名目GDP(USドル換算値)においても韓国はもうすぐ日本を追い抜く。 もうすぐ日本は滅びる」と思ってホルホルしています。 しかし、韓国は、所得下位層が厚く、所得上位層と所得下位層との所得格差が極めて大きく、2019年の時点で所得が最も低い「所得下位20%世帯」の「1ヶ月平均所得」は44.8万ウォン(円換算で4万2000円)であり、更に、2020年の時点で韓国人青年(15歳〜29歳)の拡張失業率(実質失業率)は26.8%であり、韓国人青年(15歳〜29歳)の4人に1人は実質的な失業者です。 そして、2023年4月の時点の韓国で所得上位層と所得下位層との所得格差は2019年の時点より更に広がっていると思われ、2023年4月の時点の韓国で実質失業率は2020年の時点での実質失業率より更に上がっているものと思われます。 韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、韓国の此のような暗い経済状況を見て見ない振りをしているのでしょう。 なぜ韓国人は、経済専門家だけでなく、一般庶民までもが「経済において韓国は日本を追い抜いた。 韓国は日本に勝った。 もうすぐ日本は滅びる」と思ってホルホルするのかと言うと、韓国マスメディアが日本に対する異様に強い対抗心を持ちながら、韓国の経済専門家のホルホル見解を報道するからです。

また、2020年の時点で日本の名目GDP(USドル換算値)は5兆0488億ドルであり、2020年の時点で韓国の名目GDP(USドル換算値)は1兆6447億ドルです。 2021年の時点で日本の名目GDP(USドル換算値)は5兆0055億ドルであり、2021年の時点で韓国の名目GDP(USドル換算値)は1兆8110億ドルです。 2022年の時点で日本の名目GDP(USドル換算値)は4兆2335億ドルであり、2022年の時点で韓国の名目GDP(USドル換算値)は1兆6653億ドルです。 2022年の時点での日本の名目GDP(USドル換算値)(4兆2335億ドル) は2022年の時点での韓国の名目GDP(USドル換算値)(1兆6653億ドル) の2.54倍です。 2021年から2022年にかけて日本の名目GDP(USドル換算値)は15%も減少しましたが、其れはUSドルに対する円の為替相場が2021年の1ドル=110円から2022年の1ドル=131円になったからです。 2022年3月から日本円がUSドルに対して急激に安くなり、2022年10月21日に「1ドル=151.94円」になりました。 すると、韓国の政治指導者や韓国の経済専門家は「日本は経済危機に陥った。 日本経済の凋落は確実だ。 日本経済はもうすぐ破綻する」と思って歓喜しました。 そして、韓国の政治指導者や韓国の経済専門家の此のような思いを韓国マスメディアを介して知った韓国一般庶民は「日本経済の凋落は確実だ。 日本経済はもうすぐ破綻する」と思ってホルホルしました。 韓国の政治指導者の大多数や韓国の経済専門家の大多数は2023年4月の時点でも相変わらず「円安」=「日本の経済力の低下」=「日本の国力の低下」 と思い込み、USドルに対する円の為替相場が2021年の1ドル=110円から2022年の1ドル=131円になった事を考察して「日本経済の凋落は確実だ。 日本経済はもうすぐ破綻する」と思ってホルホルしています。

先に述べたように、2018年に韓国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)が日本の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)を追い抜きました。 1人当たりの名目GDP(USドル換算値)においても、2022年の時点で韓国は日本にかなり迫ってきました。 此のように、韓国のGDPは急激に増大して来ましたが、韓国のGDPの急激な増大の理由の1つとして、1997年7月に始まったアジア通貨危機の中で通貨危機に陥った韓国が自らを IMF の管理下に置いて以降、韓国政府が韓国一般庶民に「たくさん借金して多くの物を買うこと」を推奨した事を挙げることが出来ます。 2023年の時点で韓国一般庶民の大多数は返せる見込みが無いほどの大きな借金を抱えています。

韓国政府が発表するGDP(国内総生産)には韓国企業が外国で生産して出荷した分が含まれている、と言われています。 先に述べたように、韓国人は平気な顔で人に嘘をつきます。 韓国人は人に嘘をつくことに何の抵抗も感じません。 ですから、韓国政府が発表する統計データにはしばしば嘘や誤魔化しが含まれている、と見て良いでしょう。 韓国政府が発表するGDP(国内総生産)には韓国企業が外国で生産して出荷した分が含まれている、と見て良いでしょう。

朝鮮日報は2023年9月16日付けの記事「住宅価格・所得の統計を改ざん…文在寅政権は国民をだましていた」(https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/09/16/2023091680018.html)の中で次のように述べました。
文在寅政権時の2019年7月初め、マンション価格統計を出す韓国不動産院(旧韓国鑑定院)のキム・ハッキュ院長は世宗市の国土交通部庁舎に呼び出された。 韓国不動産院は国土交通部傘下の公企業だ。 同院長は当時のパク・ソンホ第1次官と住宅土地室長に順に会い、院長職から退くよう要求された。「ろくに協力しない」というのが理由だった。 韓国不動産院住宅統計部長も国土交通部住宅政策課長に呼ばれ、「協力しなければ、韓国不動産院の組織と予算をふっ飛ばしてやる」と言われた。
国土交通部が要求した「協力」とはマンション価格統計の改竄だった。 不動産対策が前年9月13日に打ち出されて以降、下落傾向にあったマンション価格が再び上昇し始めたという統計が事前に報告されたことから、上昇率を実際より低くして発表するよう迫ったのだ。 国土交通部は青瓦台(文政権)から「住宅価格『上昇率』管理を徹底せよ」と指示されていた。 監査院は「青瓦台(文政権)は2017年6月から韓国不動産院の公表前の統計を事前に受け取り、統計の数字が当時の青瓦台(文政権)に不利に出る度に国土交通部と韓国不動産院に圧力を加えていた」と今月15日に明らかにした。 韓国不動産院は2019年6月末から8月初めまで毎週「ソウルのマンション価格は前週比0.02%ずつの上昇に停(とど)まっている」と改竄された統計を発表していた。
監査院によると、青瓦台(文政権)は文在寅氏が大統領に就任した翌月の2017年6月から退任する6ヶ月前の2021年11月までの4年5ヶ月間、住宅価格、所得、雇用に関する政府公式統計を改竄していた。 韓国不動産院が週1回発表する「週間マンション価格動向」統計は94回以上も改竄された。 統計庁の「家計動向調査」と「勤労形態別付加調査」統計も青瓦台(文政権)の指示で統計庁が統計算出方式を変えたり、「今の統計には問題がある」という趣旨の報道資料を出したりしたことが調査で分かった。
改竄された統計は不動産政策と「所得主導成長」政策の失敗を隠すのに使われた。 住宅価格の上昇が下落に、所得分配の悪化が改善にすり替えられた。 文前大統領と当時の政府高官らは、改竄した統計を基に「政府の政策が効果を上げている」と国民にウソをついた。

動画「韓国改ざんでGDP6%アップ。一人当たりGNIで日本を超える。ユン大統領ついに禁じ手を使ってしまう。」(https://www.youtube.com/watch?v=VDeq33z-nok)をご覧になってください。

因みに、「国民の生活水準を示すのは1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)である」と言っている日本人大学教授が居ます。 此の日本人大学教授には是非とも韓国を例に挙げて「国民の生活水準を示すのは1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)である」という見解を明快に説明して欲しいものです。 各国の1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)も、各国の1人当たりの名目GDP(USドル換算値)も、其の国の一般庶民の暮らし易さや豊かさを表すものではなく、従って、其の国民の生活水準を示すものではありません。 此の事は韓国を見れば明らかです。 動画「金利を上げずに日銀が国債を買い続ける日本に豪州の人々から意外な反応が…」(https://www.youtube.com/watch?v=JpsD8iUJFzs)をご覧になってください。

● 韓国左派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い。 韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準もそれぞれ世界の政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い。

先に述べた「韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い」という事から「韓国左派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い」という事が導かれますが、此の事を実感できる記事を紹介しましょう。 韓国マスメディア『聯合ニュース』の2021年6月1日付けの日本語版記事「韓国外交部「ゴールポスト動かしたのは日本」 茂木外相の発言に反論」(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210601004400882)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
【ソウル聯合ニュース】日本の茂木敏充外相が5月31日の参議院決算委員会で「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題を巡る「韓日間の合意」に関する文在寅政権の姿勢について「ゴールポストが動かされる」などと指摘した事について、韓国外交部の当局者は6月1日に「これまでゴールポストを動かしてきたのは2015年の韓日慰安婦合意や1993年の河野談話などで自ら表明した責任の痛感や謝罪・反省の精神に逆行する行動をした日本側だ」と反論した。
また、韓国外交部の当局者は「日本側は正しい歴史認識なしには「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題が決して解決されないことを認めるべきであり、「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題の歴史的事実を謙虚に認めて反省し続けなければならない」と指摘した。
更に、韓国外交部の当局者は「日本軍用慰安婦の募集・動員・移送の強制性は否定できない歴史的事実である」と主張し、「日本軍用慰安婦被害者の生の証言こそ日本軍用慰安婦の募集・動員・移送の強制性を立証するどんな文書よりも強力で明らかな証拠であり、日本自らも認めたことがあり、国際社会も既に明確に判定を下した事案である」と強調した。
韓国外交部はこの日(6月1日)の午後、日本国大使館の相馬弘尚総括公使を外交部庁舎に呼び出し、茂木外相の発言や東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の公式ホームページの日本地図に独島が表示されている事について抗議した。

文在寅政権下の韓国外交部の日本に対する此の反論には全く呆れてしまいます。「韓国外交部の当局者は「日本軍用慰安婦の募集・動員・移送の強制性は否定できない歴史的事実である」と主張し、・・・」とありますが、日本軍用慰安婦の募集・動員・移送の強制性を証明する事物は1つも見付かっていません。 また、「(韓国外交部の当局者が)「日本軍用慰安婦被害者の生の証言こそ日本軍用慰安婦の募集・動員・移送の強制性を立証するどんな文書よりも強力で明らかな証拠であり、・・・」と強調した」とありますが、韓国外交部の当局者ともあろう者が此のような発言をするとは、全く呆れてしまいます。 此の発言をした韓国外交部の当局者の感性・知性・理性は、「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の証言こそが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ」「「元日本軍用慰安婦」韓国人女性の存在そのものが「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」の何よりの証拠だ」と主張している極左派韓国人活動家たちの感性水準・知性水準・理性水準と同等です。 純正日本人の方々には「韓国左派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い」という事を理解して頂けるでしょう。 此の記事に関連して、動画「韓国外交部「慰安婦問題でゴールポストを動かしたのは日本」」(https://www.youtube.com/watch?v=0hkZUz070uI)をご覧になってください。

先に「韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準はどれも相当に低い」と述べました。 此の事を実感できる記事を紹介しましょう。 韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2021年7月17日付けの日本語版記事「五輪まで1週間、文大統領の東京行きは未定…「日本に変化なく難しい」」(https://japanese.joins.com/JArticle/280868?sectcode=A10&servcode=A00)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
東京オリンピックの開幕を7日後に控えた7月16日まで文在寅大統領の訪日は未定だ。 青瓦台(韓国大統領府)関係者は此の日、『中央日報』との電話で「韓日首脳会談が開催されるべきだが、韓日首脳会談の実質的な成果が見込めてこそ、文在寅大統領は日本に行くことが出来るという我々の立場に変化はない」とし、「外交チャンネルでは議論があるが、菅内閣は韓日首脳会談の開催に明確な意思を見せていない」と伝えた。 此の関係者は「物理的な時間には限界があるが、菅内閣が韓日首脳会談の開催に前向きになることを最後まで期待して最終判断をすることになる」と話した。 議題調整や警護問題などを勘案すると、「今週末までには韓日両国間の交渉を終えるべきだ」という見方が強い。
韓国大統領府は韓日首脳会談を実現させる為に、既に条件を大幅に引き下げている。 当初、韓国大統領府は「日本軍用慰安婦要員強制連行」問題や「日帝強制徴用被害者」問題などの韓日歴史問題、福島第1原発汚染水の海洋放出、日本政府による対韓国輸出規制措置を韓日首脳会談で議論すべき3大議題として要求してきた。 しかし、菅内閣が此の要求に応じなかった為、韓国大統領府は対韓国輸出規制措置だけを議論する条件で文在寅大統領の訪日を希望しているという事を菅内閣に伝えたという。 菅内閣が対韓国輸出規制措置の撤回に応じれば、対韓国輸出規制措置に対するWTO提訴の取り下げと、不安定な状態にある日韓GSOMIAの正常化とを菅内閣に反対給付する可能性もある。 韓国大統領府関係者は「すぐに解決するのが難しい韓日歴史問題を除いて、韓日両国政府が比較的に解決しやすい問題だけを提示し、韓日首脳会談実現の可能性を高めた」とし、「韓日関係を対韓国輸出規制措置以前の状態に戻してこそ、日韓両国は共に未来へ向かって行くことが出来る」と説明した。 しかし、菅内閣はこうした実質的な最後通牒に対しても1週間以上に渡って明確な意思を見せていない。
韓国大統領府関係者は「我々は、韓日首脳会談の実質的な成果が見込めてこそ、文在寅大統領の訪日は可能であるという立場にある。 もし韓日首脳会談で如何なる成果も無く、挨拶だけをして帰る事になれば、相当な政治的逆風が生じることになる」とし、「韓国大統領府は文在寅大統領の訪日が実現した場合の韓国世論の動向を綿密に予測している」と述べた。 韓国大統領府では「週末までに菅内閣が明確な意思を見せなければ、文在寅大統領の訪日は難しいのではないか」という見方が少なくない。 此れに先立って菅義偉首相は7月8日の記者会見で「文在寅大統領が東京オリンピックに合わせて訪日すれば、外交上、丁寧に対応することは当然の事だと認識している」と述べたが、韓国大統領府が掲げた韓日首脳会談の条件には明確な意思を示さなかった。

「こうした実質的な最後通牒」とは! 実に笑わせてくれます。「菅内閣が対韓国輸出規制措置の撤回に応じれば、対韓国輸出規制措置に対するWTO提訴の取り下げと、不安定な状態にある日韓GSOMIAの正常化とを菅内閣に反対給付する可能性もある」とありますが、此のような「頓珍漢な発想」はどのような思考過程で発生してくるのだろうか、と考えてしまいます。『中央日報』は韓国大手右派マスメディアです。 其の『中央日報』が此のようなお粗末な記事を発表するのです。 全く呆れてしまいます。 此のように、韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準も純正日本人には理解できないほどに低いのです。 純正日本人の方々には「韓国右派政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準もそれぞれ世界の政治指導者の感性水準・知性水準・理性水準より相当に低い」という事を理解して頂けるでしょう。

因みに、産経新聞は2021年7月6日に「文在寅大統領の訪日が実現すれば、菅義偉首相は就任以降、初の対面による日韓首脳会談を行う意向だ。 政府関係者が明らかにした」とする「いい加減な記事」(https://www.sankei.com/article/20210706-XLTM2BN6PNK5BIXSBBRNTFVOEA/)を垂れ流しました。
読売新聞は2021年7月19日に「日韓両国政府は東京五輪に合わせ、23日に菅首相と韓国の文在寅大統領とによる初の対面での首脳会談を行う方針を固めた。 会談は東京・元赤坂の迎賓館で予定している。 慰安婦問題や「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)」をめぐる問題などについて協議する見通しだ」とする「いい加減な記事」(https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210719-OYT1T50028/)を垂れ流しました。

● 「日本に対する異様な愛情欲求」を表出している韓国左派マスメディア『ハンギョレ』の記事。
面白い記事が在ります。 韓国左派マスメディア『ハンギョレ』が「華やかだった「ギンギラギンに」の時代の日本は終わった」と題する記事(https://news.yahoo.co.jp/articles/e5d3fd142b175b266caa6dcfe91a5e1c80c40b56)を2021年8月1日に発表しました。 此の記事は長いので、此の記事の代わりに『レコードチャイナ(Record China)』の2021年8月9日付けの記事「華やかだった時代の日本は終わった、「韓国の若い世代は追い越しの時代に」と主要紙」(https://www.recordchina.co.jp/b880493-s25-c100-d0059.html)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
「華やかだった『ギンギラギンに』の時代の日本は終わった」と題する記事を韓国左派マスメディア『ハンギョレ』が掲載した。 此の記事の筆者は「1980年代〜90年代に韓国が憧れていた日本のバブル景気は1990年代後半に弾けた。 今や、韓国の若い世代は追い越しの時代を生きている」と指摘し、「韓国と日本はお互いを対等なパートナーと見なすべきだ」と主張した。
此の記事の筆者は1980年代の韓国について「当時、韓国は日本に到底追いつけない辺境の国だった」と回顧し、「1980年の韓国のGDP(国内総生産)は日本のGDPの17分の1に過ぎなかった。 韓国の1人当たりの国民所得は1686ドルだった。 日本の1人当たりの国民所得は1万ドルに近かった。 日本は先進国であったが、韓国は貧困から抜け出し始めた発展途上国だった」と振り返った。
此の記事の筆者によると、文化も当然違っていた。 金大中政権が日本文化を解禁したのは1998年であったが、其れよりずっと前の1980年頃から韓国の法律に違反する形で韓国に入り込んだ日本文化は1980年代に小学生だった「此の記事の筆者」から見ても信じられないほど先進的だった。 貿易船の船長として働いていた「此の記事の筆者の父親」は度々日本の雑誌を持ち帰った。 此の記事の筆者は日本語が全く分からなかったが、すぐに其の雑誌のとりこになった。 艶やかで鮮明なカラーページは、韓国の雑誌とは比べ物にならなかった。 此の記事の筆者は胸が苦しくなるほど日本文化に憧れていた。
近藤真彦が1981年に発表した「ギンギラギンにさりげなく」が韓国の子どもたちの間で猛烈に流行した。 カセットテープに違法に録音されていた此のポップなダンス曲はかなりの中毒性が有り、ずっと口ずさんでいても飽きなかった。 其の当時、韓国歌謡界にはダンス曲と言えるようなものがほとんど無く、1980年代の韓国の小学生にとって「ギンギラギンにさりげなく」は巨大なカルチャーショックだった。
此の記事の筆者は「1990年代になると、近藤真彦はやや古い存在になった。『ギンギラギンにさりげなく、そいつが俺のやり方、ギンギラギンにさりげなく、さりげなく生きるだけさ』と自信たっぷりに歌っていた時代は終わりを迎えていた」と言及し、「東京の不動産を売ればアメリカも買えるという時代が幕を下ろそうとしていた。 日本のバブル景気は1990年代前半に弾けた。 物凄い音を立てて消え去った。 失われた10年が間もなく始まるところだった」と述べた。
更に、此の記事の筆者は「韓国の10歳代と20歳代にとって、今の日本は生活レベルでは韓国とあまり変わらないが、街が少し強迫的で清潔であるに過ぎない」と論評し、「今では誰も日本のドラマを見て東京に憧れたりはしない。 中年以上の韓国人は依然として日本に対して妙な劣等感を持っているが、新しい世代にはもう劣等感はない。 彼らは既に追い越しの時代を生きている」と述べた。 その上で、此の記事の筆者は「もしかすると、韓国と日本はお互いに本音で語り合ってお互いを対等なパートナーと見なすことが出来る時期を迎えたのかも知れない」と強調し、「日本に憧れた20世紀の韓国少年たちの時代は過ぎ去った。 21世紀の「友人の時代」の幕が上がった」と述べて此の記事を結んだ。(編集/日向)

「韓国と日本はお互いを対等なパートナーと見なすべきだ」という主張は「日本に対する異様な愛情欲求」の表出です。「21世紀の「友人の時代」の幕が上がった」というのも「日本に対する異様な愛情欲求」の表出です。 韓国人の「韓国と日本はお互いを対等なパートナーと見なすべきだ」という思いには虫唾が走ります。

● 韓国与党「共に民主党」の院内代表:尹昊重(ユン・ホジュン)の韓国国会本会議場での演説。
韓国大手右派マスメディア『中央日報』は2021年9月8日に「韓国与党院内代表「文政権、解放75年で日本を超えた政府」…自画自賛8分に反省20秒」と題する記事(https://japanese.joins.com/JArticle/282766)を発表しました。 此の記事の前半部分を抜粋し、おかしな表現を修正して引用しておきます。
9月8日、通常国会の代表演説で本会議場の演壇に立った韓国与党「共に民主党」の院内代表:尹昊重(ユン・ホジュン)が「歴史学者は文在寅政権を解放75年で日本を超えた政府として記録するだろう」と声を高めて演説を始めたところ、民主党議員の間で拍手が起きた。 尹院内代表は「世界は大韓民国を先進国と呼んでいる」と述べ、更に、「文在寅政権は大韓民国を先進国にした政府として歴史に記録されるだろう」と述べた。
尹院内代表の演説のハイライトは「対日貿易戦争での勝利」を宣言する部分だった。 尹院内代表は「2019年、日本は我が国に対する輸出規制を断行して経済侵略を行なった。 我々は「二度と負けない」という覚悟でたじろがなかった」とし、「その後、100大核心品目の対日輸入依存度は2017年の33.5%から2021年には24.9%に低下し、2020年に我が国の国家競争力総合順位と国家信用度は日本を上回った」と話した。 続いて「K防疫の成功、カブールの奇跡、対日貿易戦争での勝利、韓国の先進国入り、これら全てが可能だったのは韓国民が偉大である為だ」と強調した。
◆文在寅政権の成果の羅列が8分、不動産政策の反省は20秒
この日、尹院内代表は36分の演説時間の内の8分を文在寅政権の成果を羅列するのに使った。「文在寅政権の過去4年間は文在寅政権が韓国民と力を合わせて大韓民国を先進国にする為の飛躍の時間だった」「蝋燭革命でスタートし、業務引継ぎ委員会を設ける間もなく、国政壟断の収拾と積弊の清算に入った。 国の枠を立て直す旅程だった」などの内容だった。
尹院内代表は▼社会安全網の強化 ▼文在寅ケア ▼革新創業 ▼共生型地域雇用 ▼韓国版ニューディール2.0 ▼権力機関改革 ▼幼稚園3法 ▼手術室CCTV法 ▼世界第6位の軍事大国、などを文在寅政権の成果として挙げた。
一方、不動産政策に対する反省はわずか3つの文に過ぎなかった。 尹院内代表は「依然として解決すべき課題が残っている」とし、「不動産問題は国民と政府とにとって痛みの部分になった。 心配をかけて心より申し訳なく思う」と述べた。 20秒間の反省を終えた尹院内代表は「1世帯1住宅の負担を減らし、供給を大規模に拡大していくが、投機需要を確実に遮断する」と述べた。 政府・与党の従来の不動産政策基調を継続する意志を表わしたのだ。 <後略>

尹院内代表は韓国国会の本会議場の演壇上で一人漫才を演じたかったのでしょうか。「歴史学者は文在寅政権を解放75年で日本を超えた政府として記録するだろう」とか「対日貿易戦争での勝利」とか「2019年、日本は我が国に対する輸出規制を断行して経済侵略を行なった」とか「2020年に我が国の国家競争力総合順位と国家信用度は日本を上回った」とか「K防疫の成功」とか「世界第6位の軍事大国」とか、色々笑わせてくれます。

動画「感染者が急減する日本、急増する韓国。マスク着用率、ワクチン接種率を見ると変わらないように見えるが、コロナ対策(K防疫)、ワクチン確保の過程をみれば、大きな違いがある」(https://www.youtube.com/watch?v=yXiJ1E5k9ys)をご覧になってください。

● 大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民は相互ホルホル関係にあり続けた。 韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で引き起こされた「韓国人の妄想の爆発的な増大」と「韓国人の感性・知性・理性の低迷」とに輪を掛けた。 韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が韓国人全体を愚民の集合体に保つ力として強く働き続け、其の結果として、2022年の時点で韓国人全体は愚民の集合体である。

大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、1989年に吉田清治の著書『私の戦争犯罪』が朝鮮語に翻訳されて韓国で出版され、1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになり、其れと同時に、韓国マスメディアが朝日新聞の「日本軍が朝鮮人女性を日本軍用慰安婦要員として強制連行した」という内容の記事(記者は植村隆)を度々取り上げるようになって以降、韓国マスメディアは、右派マスメディアも、左派マスメディアも、日本を見下すテレビ報道、日本を激しく非難する記事、日本を懲らしめてやろうとするテレビ報道、日本が困って頭を下げて韓国に頼みに来たとする記事、朝日新聞や毎日新聞やニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの「韓国を擁護する記事」を引用した記事、などをほとんど毎週のように発表して来ました。 そして、韓国一般庶民は韓国マスメディアが発表する反日記事を真(ま)に受けて信じて来ました。 2005年頃にはサムスン電子製を初めとする韓国製の一時的記憶用集積回路(DRAM)が日本製の一時的記憶用集積回路(DRAM)を世界市場から完全に駆逐し、韓国製の家電製品(液晶テレビなど)が日本製の家電製品(液晶テレビなど)を世界市場からほとんど(全くと言って良いほど)駆逐し、韓国製の自動車が世界中で大量に走り回るようになり、韓国の造船業が大型船(大型タンカー、液化天然ガス運搬船、大型コンテナ船)の製造において日本の造船業を圧倒して世界一の市場占有率を誇るようになり、2010年にはサムスン電子製のスマートフォン(Galaxy)が世界中で大量に使われるようになりました。 すると、韓国マスメディアは「韓国は世界が羨む一流先進国である」とする自画自賛記事や「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とする自画自賛記事など、韓国経済の大成長・大発展を自画自賛する記事をほとんど毎日のように発表するようになりました。 第2次安倍内閣が2012年12月26日に発足しました。 すると、韓国マスメディアは「第2次安倍内閣の発足で日本の右傾化が一段と強まり、日本の軍国主義復活の動きが加速する」とか「安倍政権は日本国民の大多数の意向に反して、過去の軍国主義時代に戻ろうとしている」とかいう「安倍政権を非難するテレビ報道」や「もうすぐ日本は滅びる」とかいう「日本を見下す記事」をほとんど毎日のように発表するようになりました。 そして、2014年中頃から韓国マスメディアは「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」をほとんど毎日のように発表して来ました。 そして、2020年3月から韓国マスメディアは「韓国は新型コロナウイルス防疫に成功した。 K防疫は世界中で賞賛されている。 世界中の国々がK防疫をお手本にしている」という「自国賛美の妄想テレビ報道」をほとんど毎週のようにして来ました。 そして、韓国一般庶民は韓国マスメディアが発表する反日記事や自国賛美の妄想記事を真に受けて信じ込んで来ました。 そして、韓国一般庶民は日本を見下すテレビ報道、日本を激しく非難する記事、日本を懲らしめてやろうとするテレビ報道、日本が困って頭を下げて韓国に頼みに来たとする記事、朝日新聞や毎日新聞やニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの「韓国を擁護する記事」を引用した記事、安倍政権を非難するテレビ報道、「もうすぐ日本は滅びる」とかいう「日本を見下す記事」、「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」、「韓国は新型コロナウイルス防疫に成功した。 K防疫は世界中で賞賛されている。 世界中の国々がK防疫をお手本にしている」という「自国賛美の妄想テレビ報道」などを韓国マスメディアに要求します。 そして、韓国マスメディアは其の要求に従って、日本を見下すテレビ報道、日本を激しく非難する記事、日本を懲らしめてやろうとするテレビ報道、日本が困って頭を下げて韓国に頼みに来たとする記事、朝日新聞や毎日新聞やニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの「韓国を擁護する記事」を引用した記事、安倍政権を非難するテレビ報道、「もうすぐ日本は滅びる」とかいう「日本を見下す記事」、「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」、「韓国は新型コロナウイルス防疫に成功した。 K防疫は世界中で賞賛されている。 世界中の国々がK防疫をお手本にしている」という「自国賛美の妄想テレビ報道」などをしたり発表したりします。 要するに、韓国マスメディアは、右派マスメディアも、左派マスメディアも、日本を見下すテレビ報道、日本を激しく非難する記事、日本を懲らしめてやろうとするテレビ報道、日本が困って頭を下げて韓国に頼みに来たとする記事、朝日新聞や毎日新聞やニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの「韓国を擁護する記事」を引用した記事、安倍政権を非難するテレビ報道、「もうすぐ日本は滅びる」とかいう「日本を見下す記事」、「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という「自国賛美の妄想記事」、「韓国は新型コロナウイルス防疫に成功した。 K防疫は世界中で賞賛されている。 世界中の国々がK防疫をお手本にしている」という「自国賛美の妄想テレビ報道」などの大衆迎合妄想記事・大衆迎合妄想テレビ報道をしたり発表したりし、其の記事の韓国人読者や其のテレビ報道の韓国人視聴者と一緒にホルホルしたいと思い、韓国人読者や韓国人視聴者も韓国マスメディアと一緒にホルホルしたいと思っているのです。 韓国マスメディアは「日本の朝日新聞や毎日新聞の主張は日本国民の大多数の声である」と思い込んでいて、其の思いに基づいた記事やテレビ報道をしたり発表したりし、其の記事を読む韓国人や其のテレビ報道を視聴する韓国人も朝日新聞や毎日新聞の主張を日本国民の大多数の声と思い込んでいます。 特に朝日新聞について韓国一般庶民は「朝日新聞は正しい主張をし、事実を其のまま伝える新聞であり、日本で一番の高級紙であり、日本で最も大きな影響力を持つ新聞である」と思っています。 こうして、韓国一般庶民は其の妄想をどんどん膨らませ、自らの感性・知性・理性をどんどん低下させて来たのです。 先に述べたように、大韓民国成立以来の「韓国人の妄想の爆発的な増大」と「韓国人の感性・知性・理性の低迷」は李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で引き起こされましたが、韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で引き起こされた「韓国人の妄想の爆発的な増大」と「韓国人の感性・知性・理性の低迷」とに輪を掛けたのです。 韓国人は全般的に韓国マスメディアによって煽動され易くて騙されやすい傾向をとても強く持っているのです。 韓国人の中でも韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)は其の傾向を非常に強く持っています。

以上を手短に述べれば、次のように言えるでしょう。
大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で、韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民は相互ホルホル関係にあり続けた。 韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で引き起こされた「韓国人の妄想の爆発的な増大」と「韓国人の感性・知性・理性の低迷」とに輪を掛けた。 韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が韓国人全体を愚民の集合体に保つ力として強く働き続け、其の結果として、2022年の時点で韓国人全体は愚民の集合体である。

韓国一般庶民と相互ホルホル関係にあるのは韓国マスメディアだけではありません。 大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国歴代政権や韓国の政治指導者も、其の政権や其の政治指導者を支持する韓国一般庶民の支持や人気を得ようとして、其の韓国一般庶民の喜びそうな「日本に関する虚偽声明」や、其の韓国一般庶民の喜びそうな「日本を非難する声明」を出して来ました。 そして、韓国マスメディアは韓国歴代政権や韓国の政治指導者が出した「日本に関する虚偽声明」や「日本を非難する声明」を其のまま、あるいは、適当な飾りを付けて報道し、其れらの報道を見聞きした韓国一般庶民は喜び、自分たちを喜ばせてくれるような声明を韓国歴代政権や韓国の政治指導者に強く求めて来たのです。 ですから、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国歴代政権や韓国の政治指導者も、其の政権や其の政治指導者を支持する韓国一般庶民と相互ホルホル関係にあり続けたのです。 こうして、韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係、並びに、韓国歴代政権や韓国の政治指導者と其の政権や其の政治指導者を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が韓国人全体を愚民の集合体にする力として強く働き続け、其の結果として、2020年の時点で韓国人全体が愚民の集合体になったのです。

尤も、大韓民国の成立当時から韓国人全体は愚民の集合体であった、と考えられます。 大韓民国の成立当時から韓国人全体が愚民の集合体であったからこそ、韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係、並びに、韓国歴代政権や韓国の政治指導者と其の政権や其の政治指導者を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係が出来上がった、と考える方が妥当でしょう。

未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てには愚民の集合体であり続けて欲しいものです。 韓国人は愚民の集合体であるにもかかわらず、韓国人は自分たちを愚民だとは思っていません。 愚民というのはそういうものでしょう。 また、韓国マスメディアと其の報道を支持する韓国一般庶民との相互ホルホル関係のほかに、大韓民国成立以来の反日政策や、韓国が日本よりも大きく描かれた地図が韓国の学校教育の現場で盛んに使われていることなどを見ても、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、韓国は国を挙げて自国民愚民化政策に取り組んで来た、と言えるでしょう。

因みに、もし、どこかの国の最高権力者が自国民を愚民の集合体にしたいと思っているのであれば、韓国を自国民愚民化政策の参考にするのが良いでしょう。 尤も、こう言われるまでもなく、先進国と言われていない国の政府は自国のマスメディアをして先進国に関する情報を自国民にほとんど伝えさせないようにして来た、と思われます。

● 「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の馬鹿さ加減を嫌というほど理解できる記事。
『統一経済ニュース』という得体の知れない韓国マスメディアが「日本を圧倒する韓国の地位、G20首脳会議で再確認」と題する論評記事を2021年11月3日に発表しました。 此の論評記事を書いた人はマ・ソンギという人物です。 マ・ソンギという人物は此の論評記事の内容から推察して99%以上の確率で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)である、と思われます。『統一経済ニュース』という韓国マスメディアは「奴婢」出身者(奴婢の子孫)が経営しているマスメディアであろう、と思われます。 此の論評記事は「妄想の塊」と評価して良いものです。 此の論評記事は私(滝田)が目にした韓国マスメディアの論評記事の中で最低であり、「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の馬鹿さ加減を極めて鮮明に表出しています。 先に「韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)の感性水準・知性水準・理性水準はそれぞれ世界の人々の感性水準・知性水準・理性水準より甚だしく低い」と述べましたが、純正日本人の方々には此の論評記事をお読みになる事で「奴婢」出身者(奴婢の子孫)の馬鹿さ加減を嫌というほど実感して頂けるでしょう。 此の論評記事の日本語訳を http://blog.livedoor.jp/ttongsulland/archives/27383714.html で読むことが出来ます。

● 韓国最大野党「共に民主党」は2023年7月5日に議員総会を開催し、日本が福島第1原発の汚染水を放出するならば、日本産水産物の全ての輸入を禁じる法律の制定を検討することを決めた。

韓国マスメディア『聯合ニュース』の2023年7月5日付けの日本語版記事「汚染水放出なら「日本産水産物全体の禁輸へ法制定を検討」 韓国最大野党」(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20230705002700882?section=news)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国最大野党「共に民主党」は2023年7月5日、議員総会を緊急開催し、日本政府が韓国を初めとする周辺国の同意なく東京電力福島第1原発の処理済み汚染水の海洋放出に踏み切った場合、福島県産だけでなく日本産の水産物の全ての輸入を禁じる法律の制定を検討することを決めた。 議員総会後、李素永(イ・ソヨン)院内報道官が記者団に明らかにした。
共に民主党は国会で過半数の議席を占める。 この日の議員総会では福島汚染水の海洋放出に関して国際原子力機関(IAEA)が前日発表した包括報告書への言及と指摘があったという。 李素永院内報道官は「我が党はこの先、福島汚染水の海洋放出を阻止し、安全性の検証を徹底的に行なう為に、可能な限りの措置を取る」と述べた。
共に民主党はまずは野党4党の連帯を強化し、次いで福島汚染水の海洋放出に反対する議員の集まりを発足させ、これを主軸に国際機関や市民団体との連携を図るつもりだ。 李素永院内報道官は「共に民主党としては、福島汚染水の海洋放出に対して強力な措置を採れるように司令塔の役割を担う組織を設け、ハンガーストライキだけでなく議員の誰もが参加できる非常時の行動を計画して実行する」と説明した。
李素永院内報道官は、7月7日〜9日のグロッシIAEA事務局長の来韓に関しては、同氏の具体的なスケジュールを未確認としながらも、「必要があれば面会を求める」と述べた。
福島汚染水の海洋放出を阻止する為に、共に民主党の議員と無所属の議員との計10人で構成される議員団が7月10日〜12日に東京を訪問する予定だ。 李素永院内報道官は「韓国民が福島汚染水の海洋放出をどれほど憂慮しているか、日本政府が分かるよう、現地で記者会見を開く」と述べた。 また、李素永院内報道官は「共に民主党は韓国で外国特派員との懇談会を開く計画がある」と述べた。

どうせなら、日本産水産物の全ての輸入を禁じる法律の制定を検討するだけでなく、日本産品の全て・日本製品の全ての輸入を禁じる法律の制定、並びに、日本旅行を禁じる法律の制定をしたら良いのではないでしょうか。 文在寅政権と韓国左派政党「共に民主党」とが共同して始めた「日本製品不買運動」や「日本製品を売らない運動」や「日本旅行に行かない運動」は2022年1月の時点ですっかり下火になりました。 ここで再び「NO JAPAN」とか「Boycott Japan」とかいう標語を高々と掲げ、日本産品の全て・日本製品の全ての輸入を禁じる法律の制定、並びに、日本旅行を禁じる法律の制定を目指して「日本産品の全て・日本製品の全てを絶対に買わない・絶対に使わない運動」や「日本産品の全て・日本製品の全てを絶対に売らない運動」や「日本旅行に絶対に行かない運動」を大々的に始めることを韓国左派政党「共に民主党」に強くお勧めします。

● 韓国は純正日本人にとって真っ当に付き合えるような国ではない。
韓国マスメディア『WowKorea』の2021年11月16日付けの日本語版記事「小学生が描いたとみられる「反日」ポスターに「誇らしい vs 情緒的虐待」」(https://s.wowkorea.jp/news/read/323152/)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
韓国の小学生らが「反日感情」を込めて描いた絵には数々の悪口が描写されている。 此れらの絵に対して韓国ネットユーザーの間で賛否両論が巻き起こっている。 2021年11月14日、オンラインコミュニティ「ボベドリーム」や「ppomppu」には「誇らしい韓国小学生たちの作品世界」というタイトルで小学生が描いたとみられる10点の絵の写真が掲載された。 其れらの絵には、韓国人が「日本の奴ら、みんな殺してやる」と言いながら日本人を銃撃する姿や、韓国人が日章旗に小便をする姿や、韓国人が日章旗を足で踏み付ける姿や、韓国人が日章旗を刃物で滅多切りにする姿、などが描かれている。 或る絵には悪口と共に「チョッパリ(日本人に対する差別用語)」という単語が使用された。 此のような悪口が描写された絵に対して、韓国ネットユーザーの反応ははっきり2つに分かれた。「子供に対する情緒的虐待」と批判する側と「大韓民国の国民として誇らしい」と褒め称える側とで意見が対立した。「此れらの絵を上手な絵と思って公開したのか」「こんな絵をどうして小学生が描けるのか」「北朝鮮の小学校の子供が思想教育を受ける状況が思い浮かぶ」「みんな正気ではない」などのコメントを寄せた韓国ネットユーザーがいる一方で、「日本には嫌韓書籍のコーナーがある」「日本の女子中学生による反韓デモの現場を見た事がないのか」「この子たちの親の躾けは立派だ」「この子たちが大きくなって、必ず日本に復讐をしてほしい」などのコメントを寄せた韓国ネットユーザーも居る。
韓国のテレビ放送局MBCは2014年に「在日韓国人が多く居住する鶴橋(大阪の一区画)で、或る日本人中学生が韓国人に向かって嫌韓発言を浴びせ、「韓国人には死んでほしい」「鶴橋大虐殺を起こしてやる」などと叫んだ」と報道した。 此の報道は韓国に衝撃を与えた。

まともな感性・知性・理性を持っている韓国人が少しは居るようですが、此の記事をお読みになった純正日本人の方々はどのようにお思いになったでしょうか。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2019年7月2日付けの日本語版記事「韓国光復会「日本の韓国を見下す癖を直しておかなくては」」(https://japanese.joins.com/JArticle/255093?sectcode=A10&servcode=A00)を、おかしな表現を修正して引用しておきます。
日帝に抵抗して祖国光復(解放)に献身した独立有功者とその遺族とで構成される韓国政治団体「光復会」が日本による経済報復に関連して声明を発表した。
光復会は7月2日に声明を発表し、「被強制徴用朝鮮人男性に重労働を強制して富を築いた反人道的日本企業に対して韓国大法院が被強制徴用朝鮮人男性へ損害賠償せよと命じた事は、21世紀文明社会で国境を超えて通用する基本的な法理である」と主張した。
続いて「過去の時代、親日反民族政権は間違った対日低姿勢外交で日本を甘やかした。 文在寅政権が日本のごり押しに負けるというような事があってはならない」とし、「この機会に日本の韓国を見下す癖を直しておかなくてはならない」と主張した。
また、「日本全国に蜘蛛の巣のように敷かれた鉄道の枕木1つ1つは、朝鮮人強制労働者の死体と言っても過言ではない」とし、「日本政府が韓国裁判所の判決を『韓日関係を著しく損なうものだ』として経済報復に出るという事は容認できないごり押しである」と付け加えた。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』が此のような極反日の声明や極反日の記事や極反日の論説を報道するのは前々からの事です。『中央日報』は東日本大震災について2011年3月12日付けの第1面トップに「日本沈没」という見出しを掲げました。『中央日報』は2013年5月2日に「対馬は昔から韓国の領土、日本の1000年侵奪史を忘れるべきでない」と題する記事(https://japanese.joins.com/JArticle/171121)を発表しました。『中央日報』は2013年5月20日に「広島と長崎に原爆が投下された事は神罰である」と主張する論説を発表しました。

韓国の光復会は極右かつ極反日の団体です。 純正日本人の方々には此の記事をお読みになっただけでも、「韓国人という集合体は純正日本人には理解し難い異様な観念(思い、考え、想念、妄想、幻想、感情、感覚、気持ち)を持っている」という事を理解して頂けるでしょう。 純正日本人の方々には「韓国は純正日本人にとって真っ当に付き合えるような国ではない」という事を理解して頂けるでしょう。

韓国人の反日の異様性について解説した動画「ヤバすぎる『歴史歪曲禁止法』の衝撃的な内容とは?反日でなければ、韓国民に非ず」(https://www.youtube.com/watch?v=96wXkzrff0I)をご覧になってください。

日本人の大多数は子供の頃に学校の先生から「隣の人とは仲良くしなければいけません」と教育され、学校の先生の言う事を真面目に素直に聞くような優等生タイプの日本人ほど「隣の国とは仲良くしなければならない」と思っているようです。 隣人や隣国が仲良くするに値する人や国であれば、其の隣人や其の隣国と仲良くすることは有意義です。 隣人や隣国が仲良くするに値しない人や国であれば、其の隣人や其の隣国と仲良くしようと思う事は実に馬鹿げています。

鈴置高史さんは『デイリー新潮』の2022年10月20日付けの記事「日米韓共同訓練で韓国の国論は真っ二つに… 迷走の本質は「恐中病」」(https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10201700/?all=1)の最後の方で「日本は韓国に対してどうすればいいのでしょうか」という問いに答えて「(韓国とは)距離を置いて展開を見守ればいいのです。 一番の悪手は余計な手出しをする事です。 ずぶずぶと沈みゆく国と深く係わってはいけません」と述べています。

● 韓国人の全て(5160万人ほど)を右派傾向の強い順(左派傾向の弱い順)に右側から一列に整列したとすると、・・・・・

韓国人の全て(5160万人ほど)を右派傾向の強い順(左派傾向の弱い順)に一列に整列することが出来ると仮定して、韓国人の全て(5160万人ほど)を右派傾向の強い順(左派傾向の弱い順)に右側から一列に整列したとします。 此の時、右派韓国人は右側に、左派韓国人は左側に、中間派韓国人は真ん中に並びます。 此れについては異論は無いでしょう。 次からが私(滝田)の推測なのですが、強い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど)は此の列の中で最も右に位置し、右派韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど)の最も右側に極右派韓国人が位置します。 強い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど)の左に、弱い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の左寄り20%ほど)が位置し、弱い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の左寄り20%ほど)の左に、中間派韓国人(反日観念を大して又はほとんど又は全く持ってない韓国人)が位置し、中間派韓国人(反日観念を大して又はほとんど又は全く持ってない韓国人)の左に、左派韓国人(奴婢の子孫)が位置している、と思われます。 そして、左派韓国人(奴婢の子孫)の最も左側に極左派韓国人が位置します。 ですから、最も右に位置する韓国人と最も左に位置する韓国人とがそれぞれ極度に反日であり、中間に位置する韓国人は大して又はほとんど又は全く反日でない、と思われます。 そして、強い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど)の右半分程度のお気に入り韓国マスメディアは『中央日報』であり、強い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど)の左半分程度のお気に入り韓国マスメディアは『朝鮮日報』であり、弱い反日観念を持っている右派韓国人(右派韓国人の左寄り20%ほど)のお気に入り韓国マスメディアは『東亜日報』であり、中間派韓国人(反日観念を大して又はほとんど又は全く持ってない韓国人)のお気に入り韓国マスメディアは『WowKorea』であり、左派韓国人(奴婢の子孫)のお気に入り韓国マスメディアは『ハンギョレ』である、と思われます。

● 「oink」という言葉。
「oink」という言葉は「only in Korea」の略語である、と言われています。 ウィキペディアによれば、2003年に破綻寸前になった韓国外換銀行(KEB)をアメリカの投資会社「ローンスター」が買収し、韓国外換銀行の経営を建て直し、2006年にローンスターが韓国外換銀行を売却しようとしたところ、韓国検察庁がローンスターに対して「韓国外換銀行を不当な安値で買収した容疑、脱税容疑、外貨密輸入容疑」で家宅捜査を行ない、「ローンスターが不当な株価操作をした」としてローンスターを起訴しました。 投資会社が破綻寸前の企業を安値で買収し、其の企業を立て直して此れを高値で売却することは投資会社の主要業務の1つであり、韓国以外の国では何ら違法ではありません。 ですから、ローンスターを初めとして、欧米の国際金融業者は此の捜査・起訴を異常かつ不当だと考えています。 こうした経緯の中で、韓国から投資資金が流出し、其れと同時に、「oink」という言葉がアメリカの国際金融業者の間で「韓国でしか起こり得ない出来事を形容し、且つ、韓国を揶揄する言葉」として生まれた、と言われています。 英語には豚の鳴き声を意味する「oink」という擬声語が有ります。 アメリカ人やイギリス人は豚のブーブーいう鳴き声を「oink. oink.」と表現します。 韓国検察庁の異常性&不当性に大きな不満を持ったアメリカの国際金融業者は韓国人のギャーギャーいう喚(わめ)き声から豚のブーブーいう鳴き声を連想し、韓国人のギャーギャーいう喚き声と豚のブーブーいう鳴き声と韓国検察庁の異常性&不当性とを頭の中で重ねて「only in Korea」というフレーズ(言い回し)を思い付いたのでしょう。「only in Korea」を日本語に直訳すれば、「韓国にだけ」となりますが、「oink」の日本語訳としては「韓国にだけ」よりも「韓国に特有な」「韓国特有の」「韓国人特有の」辺りが妥当でしょう。 韓国特有の異様性が「oink」という言葉を介して世界中に広まって行くかも知れません。

● 韓国人の気質・性癖。
先に述べたように、李氏朝鮮では両班(上級両班、下級両班)は常民に何をしても許され、且つ、常民の正当な努力は全く通用しませんでした。 朝鮮の文学者であり思想家でもある李光洙(1892年〜1950年)は、李氏朝鮮時代に形成された朝鮮人の気質・性癖として、虚言、詐欺、相互不信、美辞麗句、空理空論、阿諛迎合、面従腹背、大勢従応、無知、悪口、卑屈、臆病、無決断、反社会的な利己心、などを挙げました。

韓国の第5代大統領:朴正熙は自分の著書の中で韓国人の気質・性癖として「事大主義。 怠惰と不労所得の観念。 開拓精神の欠如。 企業心の不足。 悪性利己主張。 健全な批判精神の欠如。 党派意識。 特権・エリート集団意識」を挙げました。 朴正熙大統領が韓国人の気質・性癖として挙げたものはどれを見ても、かつての両班支配体制に由来するものである事が分かります。 其れらの気質・性癖は日本統治時代に形成されたものではありません。 其れらの気質・性癖は、500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で朝鮮人が遺伝子レベル(生物学上の遺伝子レベル、又は、霊的な遺伝子レベル)で身に着けた気質・性癖が李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育の進行過程で増幅されて露(あらわ)になったものです。 もし日本による朝鮮植民地支配に関して日本に罪が有るとすれば、其れは、1907年7月に李氏朝鮮の内政権を掌握した日本政府が李氏朝鮮の近代化を急ぐ余り、李氏朝鮮併合1年前の1909年に李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くす政策に取り掛かり、李氏朝鮮の身分制度(奴隷制度)を無くした事、並びに、日本による朝鮮植民地支配が短過ぎて両班支配体制に由来する気質・性癖を消し去ることが出来なかった事でしょう。

韓国人の気質・性癖・思考様式・行動様式として次の事柄を挙げることが出来るでしょう。
1. 韓国人は全般的に「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」と思っている。
2. 1970年代前半には韓国人の83%ほどが「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持つようになった。 2020年の時点でも、韓国人の83%ほどは「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」を持っている。
3. 韓国の民主化の実現(1987年6月)から2、3年後の1990年頃、韓国人の74%ほどが「現代版格差原理思想」を持つようになった。
4. 2005年頃に韓国人の83%ほどが「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」とを持つようになった。
5. 2005年頃に韓国人の83%ほどが「現代版小中華思想」を持つようになり、其れと同時に、「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった。 2020年の時点でも、韓国人の83%ほどは「現代版小中華思想」と「現代版小中華思想が事実に合致していない」という思いと「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持っている。「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は、韓国が日本から援助を受けて日本に助けられても、「日本にお礼を言おう」とか「日本に恩を返そう」とかいう気持ちを持たない。「現代版小中華思想」を身に着けた韓国人は「日本から十分な援助を受けられなかった」と感じたときには、「日本に裏切られた」と思って、日本に対する嘘だらけの悪口を言う。
6. 2005年頃に韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「現代版小中華思想」と「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」と「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いとを持つようになった。 しかし、其の後、韓国経済の驚異的な成長により彼らの「日本経済を極めて異様に妬ましく思う気持ち」は急速に縮小して行き、其の一方で、彼らの「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」は少しも衰える事なく、2020年の時点で、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」を持っている。
7. 2005年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった。 2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持っている。 右派韓国人の左寄り20%ほど(韓国人の9%ほど)は「日本に対する弱い怨念」を持っている。 韓国人の14%ほどを占める中間派韓国人は「日本に対する怨念」を大して又はほとんど(全くと言って良いほど)又は全く持ってない。
8. 2020年の時点でも、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」や「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いや「韓国が今なお経済分野で日本より下位にある事を悔しがる気持ち」や「日本に対する巨大な劣等感」など)を持っている。 韓国人の23%ほど(右派韓国人の左寄り20%ほど、並びに、中間派韓国人の全て)は強い反日観念を持ってない。
9. 2012年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国人は世界一優秀な民族である」とか「韓国は世界が羨む一流先進国である」とか「韓国の偉大さは世界中で賞賛されている」とか「韓国は何と偉大で誇らしい国である事か!」とか「我々韓国人の価値観は世界中で通用する」とか「我々韓国人の常識は世界中で通用する」とか「我々韓国人の正義は世界中で通用する」とか「韓国人は世界指導者の地位に就くことになる民族である」とか思うほどにまでなった。 2020年の時点でも、右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全ては其のように思っている。
10. 2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「韓国は全ての経済分野で日本を追い抜いた。 日本なんて大した国じゃない」という妄想的自信と「韓国は経済面では弟の日本より優位に立った(格上になった)。 韓国は日本以上の一流経済先進国だ」という妄想とを持つようになり、更に「K-POPを初めとするKカルチャーは世界中で大人気だ。 世界中で韓流人気が巻き起こっている。 韓流は日本を席巻している。 韓国は日本以上の一流文化先進国だ」という妄想を持つようになり、日本を恐れながらも虚勢を張って、「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持つようになり、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を持つようになった。 2020年の時点でも、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は其れらの観念を極めて強く持っている。
11. 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本を恐れている。
12. 韓国人は全般的に日本を恐れながらも虚勢を張って「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを極めて強く持っている。
13. 日本に対する悪口を言いたい放題に言うという性癖は反日韓国人の一大習性である。 韓国人は全般的に何かに付けて自分にとって都合が良い事を捏造して主張する。 韓国人は全般的に自分にとって都合の悪い事を人の所為にする傾向を強く持っている。 韓国人は「自分にとって都合の悪い事を日本の所為に出来る」と思ったら、自分にとって都合の悪い事を必ず日本の所為にする。 韓国人は全般的に「自分は悪くない。 相手が悪いのだ」と思う傾向を強く持っている。 韓国人は全般的に相手の立場を全く考慮せず、自分の立場だけから強い主張をし、自分が相手にどのように思われるかという事を全く考慮しない。 韓国人は全般的に「先に言った者勝ち」と思い、捏造した事を事実だと主張する。 韓国人は全般的に「自己主張や相手に対する非難や罵りは強ければ強いほど、効き目も強い」と思い込んでいる。 韓国人は全般的に相手を非難する時、激しく非難しないでは居られない。 韓国人は全般的に日本に関する事柄で人に嘘をつくことに何の抵抗も感じず、日本に関する事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない。
14. 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「侮日の念」と「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とに凝り固まり、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らして来た。 しかも、彼ら左派韓国人(奴婢の子孫)は日本に対する嘘だらけの悪口を言っても「私は嘘をついている」という自覚が無い。 彼ら左派韓国人(奴婢の子孫)は「日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し、日本に対する嘘だらけの悪口を言う」という事を正義と思っている。
15. 韓国人は全般的に自分の主張が捏造・歪曲だと分かっていても、其の主張を撤回しない。
16. 韓国人の心や頭の中では全般的に「・・・であったら、いいな」という妄想的願望がやがて「・・・であるべきだ」という妄想的理念に変化し、更に、「・・・であるべきだ」という妄想的理念が「・・・である」という妄想的事実認定に変化し、其れが彼ら韓国人の口から妄想的発言として表出される。
17. 韓国人は全般的に「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを世界中の人々に訴えないでは居られない。 韓国人は全般的に世界中の人々に対して「自分たちは弱者であり、日帝による被害者である」という思いを売りにしている。
18. 韓国人は全般的に「自転車や小さい四輪自動車は貧乏人が乗る車だ。 高級車に乗りたいとか高級車を買いたいとか思うのが人間の本能だ」と思っている。 日本にやって来た韓国人は全般的に「多くの日本人が自転車や小さい四輪自動車に乗っているのは、彼ら日本人が貧乏だからだ」と思う。 韓国人は全般的に「自転車や小さい四輪自動車は社会的に卑しい者や経済的に卑しい者が使う乗り物だ」と思っている。 韓国では社会的に卑しいと見られている者や経済的に卑しいと見られている者でも自転車や小さい四輪自動車に乗ろうとしない。
19. 韓国人は全般的に自分と他者との関係を「格の上下関係(力の上下関係)」でしか考えることが出来ず、自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を持っている。 韓国社会には「対等な人間関係」というものが無い。 韓国人は全般的に「格下の者(力の弱い者)と見なされる事を酷く嫌い、其の思いから尊大に振る舞う」という性癖を遺伝子レベルで身に着けている。 韓国人は全般的に自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出す性癖を遺伝子レベルで身に着けている。 韓国人は全般的に自分と他者との「格の上下関係(力の上下関係)」に基づく強い序列観念を露骨に表に出さないで他者とうまく付き合うという知恵を持ってない。
20. 韓国人は自分より格下である(力が弱い)と見なす者に助けられも、其の者に感謝しない。 韓国人は「自分より格下の者(力の弱い者)に感謝なんて出来るか。 自分より格下の者(力の弱い者)に感謝なんてしたら、自分は其の者より格下になってしまう」と思う。 韓国人は自分より格下である(力が弱い)と見なす者には謝罪しない。 韓国人は「自分より格下の者(力の弱い者)に謝罪なんて出来るか。 自分より格下の者(力の弱い者)に謝罪なんてしたら、自分は其の者より格下になってしまう」と思う。
21. 韓国右派の政治指導者も、韓国左派の政治指導者も、韓国が中国共産党から酷い扱いを受けても、「我々は中国共産党による被害者である」という思いを心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)に仕舞い込んで封印し、中国共産党に反感すら持たない。
22. 韓国人は全般的に「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」と思っている。
23. 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が彼らの言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題に関して持っている「日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念」の核心は「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という思いである。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いとを彼らの顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに強く持っている。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は彼らの顕在意識領域の上層部に「日本に対する異様な愛情欲求」を持っている。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本に対するストーカー気質」を持っている。
24. 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)とに溢れるほど溜まっている「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いと「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いと、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「現代版小中華思想」と、他の幾つかの要素とが、彼ら反日韓国人が彼らの顕在意識領域の上層部に持っている「日本に対する異様な愛情欲求」(3つの「日本に対する極めて異様な愛情欲求」と「日本に対する強い愛情欲求」とを纏めたもの)の発生源である。
25. 「漢江の奇跡」と称される経済発展が成し遂げられた1980年代前半には、韓国人の83%ほど(右派韓国人の全て、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「庶民用徳治思想」を持つようになった。
26. 庶民用徳治思想を持つようになった韓国人の心や頭の中では「徳を持ってない(徳が無い)」=「悪い事が起きる、又は、衰退する」=「悪である」という等式と、「徳を持っている(徳が有る)」=「善い事が起きる、又は、栄える」=「善である」という等式とが成り立っている。 庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」を「悪い事が起きた人」=「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪である人」=「悪人」と見なす。 庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をついて人の金品を騙し取った人」を「得(とく)した人」=「善い事が起きた人」=「徳を持っている人(徳が有る)人」=「善である人」=「善人」と見なし、「悪人」とは見なさない。 韓国では全般的に「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」は「悪い事が起きた人」=「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪である人」=「悪人」 と見なされ、人に嘘をついて人の金品を騙し取った人は「得(とく)した人」=「善い事が起きた人」=「徳を持っている人(徳が有る)人」=「善である人」=「善人」と見なされ、「悪人」とは見なされない。 韓国人は全般的に「人に嘘をついて人の金品を騙し取る」という事を悪い事とは見なさない。
27. 庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は「人に嘘をつかれて金品を騙し取られた人」を「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪人」と見なすが、自分が人に嘘をつかれて金品を騙し取られたときには、自分を「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪人」とは見なさず、自分の金品を騙し取った人を悪の権化のように思い、其の人を大いに恨んで非難・罵倒する。 庶民用徳治思想を持つようになった韓国人は、自分や自分の子が思いも寄らない事件・事故で大損害を被ったときや、自分や自分の子が思いがけない災難に遭ったときには、自分や自分の子を「徳を持ってない人(徳が無い人)」=「悪人」とは見なさず、自己責任を棚に上げて損害賠償を求める。 こうした傾向は左派韓国人(奴婢の子孫)に強く見られる。
28. 韓国の民主化の実現(1987年6月)と同時に、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「日本は第2次世界大戦でアメリカに負けて民主化させられた。 韓国は自らの力だけで民主化した。 だから、韓国の民主性は日本の民主性より遥かに格が高い。 韓国の民主主義は日本の民主主義よりずっと優れている。 韓国の民主主義は徳治主義に基づくものだ。 日本の民主主義は法治主義に基づくものだ。 だから、徳治主義は法治主義よりずっと優れている」と思うようになった。 1990年11月に極左派韓国人活動家が「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を結成して「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題を大々的に取り扱うようになって以降、韓国人の大多数は自らが身に着けた「庶民用徳治主義」を拠り所にして「徳治主義は法治主義よりずっと優れている。 我々韓国人は徳を持っている。 日本人は野蛮な輩である。 日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている」と妄想するようになった。
29. 韓国人は全般的にとても感情的であり且つ情念的である。
30. 2016年頃に韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「朱子学流情治民主主義」を持つようになった。 韓国人の「朱子学流情治民主主義」が韓国の反日の土台になっている。 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「朱子学流情治民主主義」(「統治者が徳を持っていれば、国は栄える。 統治者が徳を持ってなければ、国は落ちぶれる。 統治者は徳を以て善良な国民を教化しつつ統治し、国を栄えさせなければならない。 統治者が徳を持たずに悪政を行なったときには、善良な庶民が其の悪徳統治者を放伐して良い。「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである。 従って、国政においては「徳」の実現を目指し、「法」の中で「情理」を最優先に尊重すべきである。「情理」は「法」の1つであるので、「情理」は韓国の憲法や法律より上位にあり、更に、「情理」は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある」という徳治思想、及び、此の徳治思想に付随する思考様式)を持っており、自らが身に着けた「朱子学流情治民主主義」を拠り所にして「徳治主義は法治主義よりずっと優れている。 我々韓国人は徳を持っている。 日本人は野蛮な輩である。 日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 韓国は日本に対する道徳的優位性を持っている。 徳治主義に基づく韓国の民主主義は法治主義に基づく日本の民主主義よりずっと優れている。 徳治主義に基づく韓国の民主性は法治主義に基づく日本の民主性より遥かに格が高い」と妄想している。
31. 韓国人は全般的に自らが身に着けた「朱子学流情治民主主義」を拠り所にして「情理」を国政における最高の理と見なし、韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)よりも「情理」を上位のものと見なす。
32. 韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事を「徳」と考えている。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「徳」(「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事)によって国を治めることを「法治」と考えている。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「韓国は法治国家である」と思っている。 韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「徳」(「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事)に反している行為を「不法」と見なす。 そして、韓国人は、法学者から一般庶民に至るまで、「日本は韓国の法治を踏みにじってはならない」と思っている。
33. 韓国人は全般的に韓国政府が他国政府と結んだ国際法(条約や協約や協定や合意)であっても、其の国際法が自分たちにとって不都合なものであると感じると、「其の国際法には実効性が無い」とか「其の国際法は無効である」とか言い出して、其の国際法を守らない。
34. 2016年頃までに韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「「法」即ち「道理」の中で「情理」を最優先に尊重する事が「徳」というものである」という理念を明確に認識して身に着けた。
35. 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」を持つようになった2005年頃に、韓国人の83%ほどが「日本に対する被害者根性」を身に着けた。 そして、彼らは「日本に対する被害者根性」から派生する「我々は日帝による被害者である」という思いに突き動かされて日本を糾弾しないでは居られない。
36. 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「自分らは日本より優位にある(格上である)」と感じると、ホルホルしないでは居られない。 韓国人の中でも左派韓国人(奴婢の子孫)は「自分らは日本よりも少し優位にある(格上である)」と感じるだけでも、ホルホルしないでは居られない。
37. 韓国人は全般的に妄想の世界であれやこれやと理念を捏ね回さないでは居られない。
38. 韓国人の41%ほどを占めている「奴婢」出身者(奴婢の子孫)は「親しい間柄の者同士がそれぞれの所有物を共有し、それぞれの所有物を分け合うのは当然だ。 親しくなったら、どれだけ甘えてもいい」と思っている。
39. 韓国人は全般的に全ての事柄で人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない。 韓国人は全般的に「嘘も百回つけば、ほんとになる。 嘘も大声でまくし立てれば、ほんとになる」と思って平気な顔で人に嘘をつく。 平気な顔で人に嘘をつくことは韓国人の顕著な性癖である。 韓国人は全般的に嘘つき性癖を身に着けている。 韓国社会では嘘が発覚しても、韓国社会は其の嘘をほとんど問題にしない。 言い換えると、韓国社会は嘘に極めて寛容である。 韓国の法廷で偽証は日常茶飯事であり、嘘発見器ですら韓国人の偽証に反応しない。 韓国人は法廷で嘘の証言をする場合でも、嘘発見器が検知できるような生理的現象を起こさない。 韓国人には人に嘘をつくことに対する良心の呵責による生理的現象が見られない。 韓国人は人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない。 韓国人は全般的に嘘をついても「嘘をついた」という自覚が無い。 韓国人は全般的に嘘をつかずに真摯に生きようという気概を持ってない。
40. 2005年頃には韓国人の83%ほどが「日本に対する集り根性」を身に着けた。
41. 韓国人は「約束は守るべきものである」という理念を持ってない。 韓国人は全般的に約束を守らない。 韓国人は全般的に約束を平気で破る。 韓国人は全般的に日韓両国政府間交渉で結ばれた条約や協定や合意を「悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない約束」と解釈し、「悪の日本から押し付けられた何だか納得のいかない条約や協定や合意なんぞ自分たちに都合よく変更したり破棄したりしてこそ、韓国は日本より優位で居られる」とか「韓国は日本より格上である。 悪の日本との約束なんぞ、ひっくり返してこそ、韓国は日本より格上で居られるし、日本に思い知らせることも出来る」と思っている。
42. 左派韓国人は左派韓国人(奴婢の子孫)特有の奴隷根性を遺伝子レベルで身に着けている。
43. 韓国人の心や頭の中では全般的に、「格上である」は「優位にある」と同義であり、「格下である」は「劣位にある」と同義であり、韓国人は「格上、格下」という事に異様にこだわる。 韓国人は全般的に世界各国の格付け・順位付け報道の中で示される日本の順位と韓国の順位とに異様に強い競争心と異様に強い対抗心とを持っており、「韓国は日本に勝った、負けた」と、韓国と日本とを比較しないでは居られない。 韓国人は全般的に「韓国と日本は互いのライバルだ」と思っている。
44. 韓国人は全般的に「譲歩する者は弱い者だ。 強い者は譲歩する訳がない。 弱い者には強く出て徹底的に懲らしめるのが良い」と考える。
45. 韓国人は全般的にアフリカや東南アジアの人々を露骨に見下す。
46. 韓国人は全般的に自分の怨念の対象である相手を責め立てて其の相手に謝罪・譲歩させたいと思い、其の相手が謝罪・譲歩すると、其の相手を弱い者と見なし、「自分は相手より格上になった」と思い、此の思いを持続させようとして其の相手に更なる謝罪・譲歩を要求する。 そして、韓国人は、相手が更に謝罪・譲歩すると、其の相手を更に弱い者と見なし、「自分は相手より格上になった」という思いを更に強め、此の思いを持続させようとして其の相手に更なる謝罪・譲歩を要求する。
47. 韓国人は全般的に「自分の怨念の対象である相手に謝罪・譲歩させれば、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)」と思っており、自分の怨念の対象である相手より優位に立つ(格上になる)為に其の相手を責め立てて其の相手に謝罪・譲歩させ、しかも、たった一度だけの謝罪・譲歩では安心・満足できず、謝罪・譲歩させた相手に「自分は格下なのだ」と末永く思わせ、且つ、「謝罪・譲歩させた相手よりも自分は優位にある(格上である)」という自覚を末永く持てるように、謝罪・譲歩した相手を弱い者と見なし、何度でも繰り返して其の相手に謝罪・譲歩を要求する。
48. 韓国人は全般的に自分の怨念の対象である相手に対しては何度でも繰り返し謝罪・譲歩させたいと思う。 韓国人は謝罪・譲歩させたいと思う相手に対して強い被害者意識や強い憎しみや強い怨念を持っている場合には、「相手を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いで其の相手に何度でも繰り返し謝罪・譲歩させようとする。
49. 韓国人は自分の怨念の対象である相手が自分たちよりも強くて容易には謝罪・譲歩させられないと思った場合でも、何かの拍子や時代の流れで其の相手が弱くなったと見るや、其の相手に謝罪・譲歩を要求する。 反日韓国人の日本に対する態度が此れに該当する。 反日韓国人は日本を「自分たちに対する罪を負っている相手」と見ており、且つ、「日本は十分に弱くなったので、我々韓国人は日本を懲らしめることが出来る」と見ている為、彼ら反日韓国人は「弱くなった日本には強く出て、弱くなった日本を徹底的に虐めて徹底的に懲らしめたい」という思いで日本に何度でも繰り返し謝罪・譲歩させようとする。
50. 韓国人は全般的に自身がどんなに間違った事をしても、どんなに悪い事をしても、決して謝罪しようとしない。 韓国人は全般的に「謝罪すれば、負けになる」「謝罪しなければ、負けにならない」と思っている。 韓国人は全般的に「譲歩すれば、負けになる」とも思っている。 韓国人にとって譲歩は弱い者がする事である。
51.2016年頃に「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いの総量や「侮日の念」の総量や「日本に対する敵対心」の総量が「我々は日帝による被害者である」という思いの総量や「日本に対する怨念」の総量より極めて大きくなり、個々の韓国人が「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いを単なる強がりと言えないほどに極めて強く持つようになり、且つ、「侮日の念」を極めて強く持つようになり、且つ、「日本に対する敵対心」を極めて強く持つようになった。
52. 韓国人は全般的に程度の差こそあれ、「日本が経済的に落ちぶれることで韓国が全ての面で日本より優位に立つ」という事を願い、「日本を激しく非難したい」と思い、「日本を恥さらしにしたい」と思っている。
53. 韓国人は全般的に程度の差こそあれ、日本に対する国際的評価を下げる為に「日本は悪事を悔い改めようとしない」とか「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」とか「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」とかいうイメージを世界中の人々に植え付けようとする。
54. 韓国人は全般的に「韓国は日本より格上である。 しかるに、世界中の人々は其の事を知らない。 だから、我々韓国人は韓国が日本より格上である事を世界中の人々に全力で知らしめなければならない」と思っている。
55. 韓国人は全般的に韓国が日本より格上である事を世界中の人々に認めてもらって韓国が日本より格上である事を心安らかに実感したいと思っている。
56. 韓国人は全般的に韓国が日本より格上である事を世界中の人々に認めてもらわなければ、韓国が日本より格上である事を心安らかに実感できない。
57. 韓国人は全般的に「相手の悪口を言い触らし続ければ、自分は其の相手より優位に立てる(格上になれる)。 我々が日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし続ければ、韓国は日本より優位になれる(格上になれる)」と思っている。
58. 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は「日本製ビールや日本製筆記用具や日本製ゲームや日本製アニメや日本製乗用車が大好きだ。 日本が大好きだ。 日本旅行もしてみたい」という思いを顕在意識領域の下層部に押し込んで保持しながら、日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難して来た。
59. 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」を持っている。
60. 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている「日本に対する強がり」や「日本に対する負け惜しみ」や「日本に対する怒り」や「日本に対する被害者振り」や「日本に対する口汚い罵り」や「日本に対する激しい非難」や「日本を見下す発言」や「日本に対する格上気取り」は「日本に対する愛情欲求」の裏返しである。
61. 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は黙殺(無反応扱い)される事をとても嫌がる。 彼ら反日韓国人は「黙殺された」と思うと、知性(概念推理認識力)の点検機能や理性(正邪善悪認識力)の点検機能がほとんど働かず、条件反射(脊髄反射)的に「馬鹿にされた」「侮られた」「見下された」と思って激高する。
62. 韓国人は全般的に大きくて強い犬に対する小さくて弱い犬の思いと同じ思いを日本に対して持っている。
63. 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は遺伝子レベルの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)を持っている。
64. 韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は遺伝子レベルの妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)の世界に生きている。 彼ら反日韓国人は自らが住んでいる妄想の世界を「真正な世界」と思い込み、自らの妄想を「真正な観念」と思い込み、「我々は現実から目を背ける事なく、現実を直視している」と自然に思っている。 韓国人は全般的に自分にとって都合が良い情報だけを受け入れて世界を解釈する。 韓国人は全般的に世界の全てを自分に都合よく解釈する。 韓国人は全般的に現実を有るがままに受け止めて認識することが出来ない。 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている。
65. 韓国人は全般的に自分の願望や信念を裏付ける情報だけを選択・重視し、此れに反する情報の一切を排除する認識の偏りを持っている。 此の認識の偏りは左派韓国人(奴婢の子孫)に強く見られる。
66. 2018年頃、韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が「日本人は韓国に劣等感を持っている。 日本人の嫌韓は韓国に対する劣等感から生まれたのだ」と思うようになった。
67. 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている為、自分自身が遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている事に気付かず、其の為、彼ら反日韓国人は自分を客観的に見ることが出来ず、其の為、彼ら反日韓国人は遺伝子レベルの集団妄想の世界に生きている自分を基準にしてしか他人の事を推測・判断できない。
68. 韓国人は全般的に遺伝子レベルの集団妄想の世界で自分たちの価値観に基づいて日本のことをあれやこれやと考えて日本のことをあれやこれやと批反しないでは居られない。
69. 2010年頃、韓国人のほとんど全てが「自分たちは日本に対するとても強い経済的劣等感から完全に解放された」と思うようになったが、現在でも彼ら反日韓国人は「日本に対する巨大な劣等感」を持っており、其の為、彼ら反日韓国人はやたらに虚勢を張って強がる。 そして、彼ら反日韓国人はアメリカやヨーロッパ諸国から「韓国は一等国である。 日本よりも韓国の方が先進国である。 韓国は日本より格上の国である」と認められる事を切に願っている。
70. かつて「小中華思想」を持っていた朝鮮の国々の支配者が「そうであって欲しい。 そう思いたい」という妄想的願望に導かれて世界を解釈したのと同様に、「現代版小中華思想」を持っている韓国人は「そうであって欲しい。 そう思いたい」という妄想的願望に導かれて世界を解釈する。
71. 2020年7月の時点で、韓国人の75%ほど(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)は文在寅大統領の法螺演説を真に受けて「安倍政権は韓国大法院の日帝強制徴用賠償判決に対して対韓国輸出規制措置で韓国に報復したが、我が国は素材や部品や製造装置の自国産化を強力に推進し、其れらの自国産化に成功した。 日本が我が国に対して輸出規制できる品目はもはや1つも無い。 なぜなら、日本が或る品目で我が国に輸出規制しても、我が国には其の品目をすぐに造れる技術力が有るからだ。 だから、対韓国輸出規制措置で打撃を受けたのは韓国ではなく日本の方だ。 現在困っているのは韓国ではなく日本の方だ。 韓国の勝ちだ。 日本の負けだ。 我が国は日本を完全に追い抜いたんだ」と思ってホルホルしている。
72. 韓国人は全般的に好んで法螺を吹いたり(大風呂敷を広げたり)、実現不可能または実現困難な計画を好んで立てたり、ほとんど起きそうもない事を好んで予想したりする。
73. 韓国人は全般的に「韓国がG7に正式加盟してG8を構成し、日本をG8から追い出すんだ」という「異様に強い競争心と異様に強い対抗心と異様に強い “ 承認されたい ” 欲求」を持っている。
74. 左派韓国人は、政治指導者から一般庶民(奴婢の子孫)に至るまで、自国賛美・自画自賛をしないでは居られない。 右派韓国人の右寄り80%ほども自国賛美・自画自賛をしないでは居られない。
75. 韓国人は全般的に「超高層ビルが沢山ある地域は経済的に進んでいて豊かであり、超高層ビルが無い地域は経済的に遅れていて貧しい。 超高層ビルが多い国は先進国であり、超高層ビルが少ない国は後進国である」と思っている。
76. 韓国人の民度は甚だしく低い為、韓国人のほとんど全ては遠回しな言い方や回りくどい表現や社交辞令や外交辞令というものを全く理解できない。 彼ら反日韓国人は遠回しな言い方で言われたり、回りくどい表現で言われたり、社交辞令や外交辞令を言われたりすると、其れらを自分に都合よく解釈する。
77. 韓国人は全般的に事実と意見とを互いに区別できない。 韓国人の文章理解力水準は世界の人々の文章理解力水準より相当に低い。
78. 韓国人は全般的に韓国マスメディアによって煽動され易くて騙されやすい傾向をとても強く持っている。 韓国人の中でも韓国左派政党を恒常的に支持して100%左派心情を有する韓国一般庶民(韓国の下位層を形成する「奴婢の子孫」)は其の傾向を非常に強く持っている。
79. 韓国人は、経済専門家から一般庶民に至るまで、1人当たりの購買力平価GDP(USドル換算値)や1人当たりの名目GDP(USドル換算値)に関しても韓国と日本とを比較しないでは居られない。

以上、韓国人の気質・性癖・思考様式・行動様式をたくさん挙げましたが、韓国人の気質・性癖を極めて手短に述べれば、「韓国人は異様に高い自己評価を持ち、白昼夢に浸ることを生き甲斐にしている」と言えるでしょう。 韓国人はエリート知識人から一般庶民に至るまで、“ 白昼夢に浸る韓国人 ” なのです。 また、韓国人という集合体について過不足なく述べれば、「韓国人という集合体は “ 日本に愛されたい ” 集団であり、日本に対するストーカー集団であり、遺伝子レベルの集団妄想の世界に生き、あらゆる面で韓国が日本に勝つことを夢想し、妄想的自尊心と異様に高い自己評価を持ち、白昼夢に浸ることを生き甲斐にし、自惚れ(うぬぼれ)ていることに気付かない妄想集団であり、「是が非でも、世界中で日本より賞賛・尊敬されたい」と心の底から願っている反日妄想集団である」と言えるでしょう。

サムスンの初代会長は「我が国の政治は四流。 我が国の官僚と行政組織は三流。 我が国の企業は二流。」という言葉を残したそうです。 もし、サムスンの初代会長が「我が国民の民度は五流。 我が国の政治は四流。 我が国の官僚と行政組織は三流。 我が国の企業は二流。」という言葉を残したならば、其の言葉は名言中の名言と言われたかも知れません。

● 反日韓国人の反日観念の中心に在るもの。
先に述べたように、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)のDNAには「清王朝に対して常にペコペコして清王朝の要求には何でも従う」という奴隷根性を発現させる「清王朝従属奴隷根性遺伝子」が組み込まれました。 そして、更に、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)のDNAには3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)が組み込まれました。 ですから、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人の反日観念の中心には、清王朝従属奴隷根性遺伝子と、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育によって活性化された3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)との計4種類の奴隷根性遺伝子(清王朝従属奴隷根性遺伝子、清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)が在り、其れら4種類の奴隷根性遺伝子が広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人の反日観念の芯になっている、と考えられます。 此の事は、大気中の微粒子が雪の結晶の芯になっているのと似ています。 そして、其れら4種類の奴隷根性遺伝子の周りを、清王朝従属奴隷根性遺伝子から発現する「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性と、3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが取り囲んでいる、と考えられます。

「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々のDNAには3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)が組み込まれました。 ですから、「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人の反日観念の中心には、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者による歴史捏造反日教育によって活性化された3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)が在り、其れら3種類の奴隷根性遺伝子が「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人の反日観念の芯になっている、と考えられます。 そして、其れら3種類の奴隷根性遺伝子の周りを、其れら3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが取り囲んでいる、と考えられます。

「常民」が500年間ほどに渡って朝鮮儒教に支配された環境の中で「我々は両班による被害者である」という思いを持って苦しみながら生き続けた過程で「常民」のDNAに3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)が組み込まれました。 ですから、「常民」階級出身の反日韓国人の反日観念の中心には、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で活性化された3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)が在り、其れら3種類の奴隷根性遺伝子が「常民」階級出身の反日韓国人の反日観念の芯になっている、と考えられます。 そして、其れら3種類の奴隷根性遺伝子の周りを、其れら3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(両班に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが取り囲んでいる、と考えられます。

「奴婢」が500年間ほどに渡って李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班)の「従順で忠実な奴隷」として生き続けた過程で「奴婢」のDNAに1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)が組み込まれました。 ですから、「奴婢」出身の反日韓国人の反日観念の中心には、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者や「奴婢」出身の政治指導者がそれぞれの歴史捏造反日教育を推し進めて行く中で活性化された1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)が在り、其の1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)が「奴婢」出身の反日韓国人の反日観念の芯になっている、と考えられます。 そして、其の1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)の周りを、其の1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)から発現する1種類の奴隷根性(嘘つき根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが取り囲んでいる、と考えられます。

広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた4種類の奴隷根性遺伝子(清王朝従属奴隷根性遺伝子、清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する4種類の奴隷根性(「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性、清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。「常民」階級出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(両班に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。「奴婢」出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)から発現する1種類の奴隷根性(嘘つき根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。

彼ら反日韓国人が其れらの奴隷根性などに無理なく自然に従って思考・行動している事は生物学的に自然な事であり、且つ、心理学的にも自然な事であるのです。 表現を換えて簡単に述べれば、韓国の反日は生物学上の自然現象であり、且つ、心理学上の自然現象でもあるのです。 ですから、韓国の反日を生物学の研究対象および心理学の研究対象として詳細に調査・分析することは、純粋に学問的な観点から見て大いに有意義である、と思われます。 また、韓国の反日を生物学の研究対象および心理学の研究対象として詳細に調査・分析することは、対韓国戦略・対北朝鮮戦略の観点から見ても大いに有意義である、と思われます。

● 韓国の反日を要約すると。
韓国の反日は、現象的には、自らの反日を完全なものとする為に自ら進んで「反日法」と「反日物乞い奴隷道徳 」とを作り、「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いを前提にして、日本に対する嘘だらけの悪口を世界中に言い触らし、「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」「韓国は日本より格上であり、日本を叱りつける立場にある」というイメージを世界中の人々に植え付け、そうする事で日本に謝罪・賠償させ、其れにより韓国が日本より格上である事を世界中の人々に示し、韓国が日本より格上である事を世界中の人々に認めてもらおうとする「韓国歴代政権主導の国民運動」です。 また、韓国の反日には、純正日本人の反韓感情を一段と強め、日本と韓国とを憎しみ合わせる事で北朝鮮政府の主導による「南北朝鮮の統一」に都合が良い程度に日韓関係を弱め、次いで韓国政府をして米韓同盟を破棄させ、在韓アメリカ軍を韓国から追い出し、最終的に北朝鮮政府の主導で南北朝鮮を統一しようとする「極左派韓国人団体、北朝鮮政府、中国共産党」の工作活動としての側面が有り、且つ、朝日新聞を初めとする日本の反日左派マスメディア、左派日本人、在日朝鮮人、朝鮮系日本人の対韓国支援活動としての側面が有ります。

韓国の反日は、構造的には、大韓民国の成立(1948年8月15日)以来、李承晩大統領がトルーマン政権の唆しに積極的に従い、「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いを前提にして歴史捏造反日教育を政治の基本方針とし、李承晩大統領を初めとする「両班」出身の政治指導者(韓国右派政治指導者)や「奴婢」出身の政治指導者(韓国左派政治指導者)が「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とを持ち、それぞれの歴史捏造反日教育を推し進め、「日本人は徳を持ってない。 日本は悪である。 我が国は日帝によって侵略されて植民地支配され、悪行(あくぎょう)の限りを尽くされた。 我々は日帝による被害者である」と主張し、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに日本に対する嘘だらけの悪口を言わせて日本を非難させ、「常民」階級出身者と「奴婢」出身者(奴婢の子孫)とに様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」など)を植え付け、「反日法」と「反日物乞い奴隷道徳 」とを作り、様々な反日観念(例えば、「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」や「日本に対する強い敵対心」や「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いや「侮日の念」や「現代版小中華思想」や「現代版格差原理思想」や「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」や「反日法」や「反日物乞い奴隷道徳 」など)で「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」を性急に作ろうとし、そして実際、「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」をかなりの程度に作った「韓国歴代政権主導の国民運動」である、と言えるでしょう。

反日韓国人の顕在意識領域の下層部と心の奥深い所(潜在意識領域内、無意識領域内)にまで立ち入って心理学的に韓国の反日を考察すれば、韓国の反日の根幹は日本に対する「民族的規模の極めて異様なアンビバレンス(愛憎併存)」であり、韓国の反日を病理学的に見れば、韓国の反日は「反日病」又は「反日妄想病」とでも言うべき「遺伝子レベルの集団精神病」である、と言えるでしょう。

● 韓国人の75%ほどを占める反日韓国人(右派韓国人の右寄り80%ほど、並びに、左派韓国人(奴婢の子孫)の全て)が持っている「反日観念構造体」。
先に述べたように、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた4種類の奴隷根性遺伝子(清王朝従属奴隷根性遺伝子、清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する4種類の奴隷根性(「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性、清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。「常民」階級出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(両班に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。「奴婢」出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)から発現する1種類の奴隷根性(嘘つき根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しています。

「反日観念構造体」とは、次のようなものです。

広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人の反日観念の中心に在る4種類の奴隷根性遺伝子(清王朝従属奴隷根性遺伝子、清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)と、其れらの奴隷根性遺伝子から発現する4種類の奴隷根性(「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性、清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人の反日観念の核(中心部)を構成しています。「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人の反日観念の中心に在る3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)と、其れらの奴隷根性遺伝子から発現する3種類の奴隷根性(清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人の反日観念の核(中心部)を構成しています。「常民」階級出身の反日韓国人の反日観念の中心に在る3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)と、其れらの奴隷根性遺伝子から発現する3種類の奴隷根性(両班に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが「常民」階級出身の反日韓国人の反日観念の核(中心部)を構成しています。「奴婢」出身の反日韓国人の反日観念の中心に在る1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)と、其の奴隷根性遺伝子から発現する1種類の奴隷根性(嘘つき根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とが「奴婢」出身の反日韓国人の反日観念の核(中心部)を構成しています。 そして、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人においても、「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人においても、「常民」階級出身の反日韓国人においても、「奴婢」出身の反日韓国人においても、それぞれの核(中心部)の周りを「日本に愛されたい。 日本に優しく構って欲しい」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「日本との縁(関係)を切られたくない。 日本との縁(関係)を強めたい」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「我々がどんなに日本に対する嘘だらけの悪口を言っても、どんなに日本を非難しても、敗戦国の日本は紳士的な態度を保持して我が国にむごい仕打ちをしないだろう」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「現代版小中華思想」が取り囲み、更に、其の周りを「情理」(「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念)が取り囲み、更に、其の周りを「朱子学流情治民主思想」が取り囲み、更に、其の周りを「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「侮日の念」が取り囲み、更に、其の周りを「現代版格差原理思想」が取り囲み、更に、其の周りを「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」とが取り囲み、更に、其の周りを「我々は日帝による被害者である」という思いが取り囲み、更に、其の周りを「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」が取り囲み、更に、其の周りを「格下の日本より真の意味で優位に立ちたい(格上になりたい)。 格下の日本より真の意味で優位に立つ(格上になる)為に、格下の日本をして自分の愛情欲求に従わせたい」という「日本に対する極めて異様な愛情欲求」が取り囲み、更に、其の周りを「日本に対する強い愛情欲求」が取り囲み、更に、其の周りを「自己主張や相手に対する非難や罵りは強ければ強いほど、効き目も強い」という観念が取り囲み、更に、其の周りを「嘘も百回つけば、ほんとになる。 嘘も大声でまくし立てれば、ほんとになる」という観念が取り囲み、更に、其の周りを「格上の者が格下の者に集るのは当然だ」という思いと「格上の韓国が格下の日本に集るのは当然だ」という思いとが取り囲み、更に、其の周りを「日本文化を極めて異様に妬ましく思う気持ち」が取り囲み、更に、其の周りを「日本に対する巨大な劣等感」が取り囲み、更に、其の周りを「日本を恐れる気持ち」が取り囲み、更に、其の周りを「反日法」観念が取り囲み、更に、其の周りを「反日物乞い奴隷道徳 」観念が取り囲み、更に、其の周りを「日本に追い付き、日本を追い抜け」という「異様に強い競争心と異様に強い対抗心」が取り囲み、更に、其の周りを「異様に強い “ 承認されたい ” 欲求」が取り囲み、更に、其の周りを色々な妄想(妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)が取り囲んでいる、と言ったところでしょうか。 以上が反日観念構造体です。「反日観念構造体を持っている」という事が「反日韓国人の反日連帯感に基づく一体性」です。 言葉を換えて述べれば、「反日観念構造体を持っている」という事が「反日韓国人の反日アイデンティティー」です。 親北朝鮮&反アメリカの反日韓国人は此の反日観念構造体に加えて、親北朝鮮&反アメリカの観念を持って行動し、反北朝鮮&親アメリカの反日韓国人は此の反日観念構造体に加えて、反北朝鮮&親アメリカの観念を持って行動している、と言ったところでしょうか。 念の為に述べれば、個々の反日韓国人の反日観念は大小・強弱において様々です。

● 韓国人に望む事。
「韓国は早く正気を取り戻せ」と主張している日本人が居るようですが、「韓国が正気を取り戻す」という事は有り得ません。 なぜなら、韓国は正気というものを今まで一度も持った事が無いのですから。「韓国は早く正気になれ」と主張する日本人が居るかも知れませんが、韓国(韓国人)が正気になることは少なくとも千年くらい先まで無いでしょう。 なぜなら、広い意味での李氏朝鮮の支配者(王族、上級両班、下級両班)出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた4種類の奴隷根性遺伝子(清王朝従属奴隷根性遺伝子、清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する4種類の奴隷根性(「中国共産党に対して常にペコペコして中国共産党の要求には何でも従う」という奴隷根性、清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しており、「両班」階級に属していても両班ではなかった大多数の人々出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(清王朝に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(清王朝に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しており、「常民」階級出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(両班に対する被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(両班に対する被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しており、「奴婢」出身の反日韓国人は其のDNAに組み込まれた1種類の奴隷根性遺伝子(嘘つき根性遺伝子)から発現する1種類の奴隷根性(嘘つき根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動しており、反日観念を持ってない、又は、反日観念をほとんど持ってない韓国人の99%以上は韓国の反日について黙(だんま)りを決め込んでいるからです。

経済評論家:三橋貴明さんの意見を載せた夕刊フジの記事「日韓国交断絶によって生じる日本側のメリットとは」(http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170423/dms1704231000006-n1.htm)をご覧になってください。

ローマ教皇フランシスコは貨客船セウォル号沈没事故に関して次のように仰せられました。
韓国人が此の事故をきっかけに倫理的に且つ霊的に生まれ変わることを望む。

ローマ教皇フランシスコは此のように仰せられましたが、私(滝田)としては、未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが倫理的にも霊的にも生まれ変わる事なく、彼らのDNAに組み込まれた3種類の奴隷根性遺伝子(被害者根性遺伝子、嘘つき根性遺伝子、集り根性遺伝子)から発現する3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)と「日本に対する被害者根性」と「日本に対する集り根性」とに無理なく自然に従って思考・行動し続け、遺伝子レベルの集団妄想(現代版小中華思想、侮日の念、現代版格差原理思想、妄想的理念、妄想的優越感、妄想的自尊心、妄想的願望、日本に対する妄想的謝罪賠償要求観念、妄想的自信)の世界に生き続け、自国賛美・自画自賛の心地よさに浸り続け、未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが「反日法」と「反日物乞い奴隷道徳 」とを堅固に持ち続け、「現代版小中華思想を心の底から実感したい」という思いと「格下の日本は格上の韓国に従わなければならない。 格下の日本が格上の韓国に従わない場合、格上の韓国は格下の日本に対して格の上下に従うことを何度でも要求することが出来る」という思いと「格下の日本なんて恐ろしくない」という思いと「日本による朝鮮植民地支配に由来する強い怨念」と「日本に対する強い敵対心」と「我々は日帝による被害者である」という思いと「日本軍用慰安婦と朝鮮人男性徴用工とに由来する強い怨念」とに凝り固まり続け、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題、並びに、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題、並びに、韓国人の言う「関東大震災時の朝鮮人虐殺」問題を世界中で取り上げて日本に対する嘘だらけの悪口を言って日本を激しく非難し続け、其の番犬的感性に基づいて世界中で「ワンワン、キャンキャン」と日本に対する嘘だらけの悪口を言い立て続け、「日本は韓国に永遠に謝罪しろ」と言い続け、日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付け続け、福島第1原発の処理水に関しては其の海洋放出に狂ったように反対し続け、「旭日旗は戦犯旗である」と言い続け、日本文化の韓国起源説を主張し続け、「日本製品不買運動」と「日本製品を売らない運動」と「日本旅行に行かない運動」とをやり続け、新たに「日章旗こそナチス・ドイツの鉤十字旗と同じく戦犯旗だ。 日本は日章旗を使うべきではない」と世界中に言い触らすようになることを望みます。 手短に言えば、未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが3種類の奴隷根性(被害者根性、嘘つき根性、集り根性)に無理なく自然に従って反日活動に精を出し続けることを望みます。 そして、更に、韓国が滅亡するまで、韓国政府が韓国一般庶民の喜びそうな「日本に関する虚偽声明」や、韓国一般庶民の喜びそうな「日本を非難する声明」を出し続け、韓国マスメディアが「韓国はアジアトップの先進国だ」という妄想を初めとする自国賛美の妄想記事や「日帝は第2次世界大戦の戦犯国であり、加害国である。 我が国は日本帝国主義の被害国だ」という妄想記事を出し続け、韓国政府と韓国マスメディアとが「日本は韓国を尊重すべきだ」とか「日本は韓国と未来志向の協力関係を構築しなければならない。 日本は韓国と共存しなければならない」とかいう格上気取りの「日本に対する愛情欲求」を表明し続けることを望みます。 そして、更に、韓国や日本に潜入している北朝鮮工作員が反日工作活動に精を出し続け、在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人が反日に徹し続けることを望みます。 そして、更に、韓国が滅亡するまで、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題、並びに、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題、並びに、韓国人の言う「関東大震災時の朝鮮人虐殺」問題、並びに、「レーダー照射」問題が解決しないことを望みます。 そして、更に、韓国で反日政権が再び誕生し、韓国が滅亡するまで韓国で反日政権が続くことを望みます。 そして、更に、未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが遺伝子レベルの集団妄想の世界に生き続け、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てがあらゆる面で韓国が日本に勝つことを夢想し続け、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが妄想的自尊心と異様に高い自己評価を持ち続け、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが白昼夢に浸ることを生き甲斐にし続け、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てが「是が非でも、世界中で日本より賞賛・尊敬されたい」と心の底から願い続け、異様に強い “ 承認されたい ” 欲求を持ち続けることを望みます。 そして、究極的には、在日朝鮮人と日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人との全てが母国に帰り、反日左派日本人の全てが韓国や北朝鮮や中国に移住し、日本と韓国とが互いに限りなく疎遠になることを望みます。

歴代のシナ王朝は朝鮮民族の扱いに長(た)けていました。 中でもモンゴル帝国(元)以降のシナ王朝は歴代の朝鮮王朝を甘やかすこと無く、歴代の朝鮮王朝を叩きに叩いて徹底的に躾けて来ました。 韓国に対しては此のように対処するのが良いと考える純正日本人が沢山いるでしょうが、此のようなやり方は現代では通用しません。 ですから、韓国に対する戦略としては「韓国が滅亡するまで、韓国人を適度に甘やかし、韓国人をして反日活動に精を出し続けさせ、韓国人の首を真綿で締め上げて行くように韓国人を扱って行く」という超々長期戦略を採用し、此の超々長期戦略の中で時々は「韓国を叩く」という戦術を使うのが良いでしょう。 但し、「韓国人を適度に甘やかして」とは言っても、韓国をどの程度に甘やかすことが韓国を適度に甘やかすことなのかは難しい問題です。

反日韓国人は相変わらず執拗に「もう一度、日本に謝罪を促す。 我々韓国人は寛容だ。 日本が真に反省して謝罪すれば、我々韓国人は日本を許すことが出来る」と言っています。 反日韓国人は日本にどれだけ甘えれば、気が済むのでしょうか。 また、韓国人が持つ「寛容」の概念は純正日本人が持つ「寛容」の概念とは大きく異なるようです。

高麗大学の朴鴻圭(パク・ホンギュ)という教授は韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2023年4月21日付けの日本語版論評記事「【韓半島平和ウォッチ】日本人の人間らしさと日本の国家らしさを問う(2)」で「日本が朝鮮のアイデンティティーを否定して行なった罪悪は、いかなる条約や協定、謝罪や賠償でも消えず、日本が背負うべき永遠の荷である」と主張しています。 此の件を取り扱った動画「高麗大教授「韓国への罪は、いかなる条約や協定、謝罪と賠償でも消えず、日本が負うべき永遠の荷。この意識に日本人が共感するかを問うている」(https://www.youtube.com/watch?v=WG5CezMaUqA)をご覧になってください。(韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2023年4月21日付けの日本語版論評記事「【韓半島平和ウォッチ】日本人の人間らしさと日本の国家らしさを問う(2)」(https://japanese.joins.com/JArticle/303507)参照)

2023年頃、韓国の裁判官の中には「情理」(「徳治思想の観点から情念を最優先に尊重しなければならない」という理念)が日本では通用しないということを理解した者が少なからず居るようです。 韓国の或る裁判官は2024年の初め頃より「情理」の代わりになるものとして「徳治思想の観点から人権を最優先に尊重しなければならない」という理念を思い付いたのか、「2015年の韓日慰安婦合意は韓日両国政府が勝手に合意したものであるから、此の合意は韓日両国政府間でのみ有効である。 従って、韓国の被害者が日本国を相手に損害賠償を求めた徴用工訴訟は韓日慰安婦合意に抵触しない。 また、現代の国際法は「徳治思想の観点から人権を最優先に尊重しなければならない」という理念を認める方向に進化したから、人権は韓国政府と他国政府との間で締結された国際法(条約や協約や協定や合意)より上位にある。 従って、日本の主権免除は認められない」と、非常識なことを言い出しました。 此のような思いを韓国の裁判官の大多数が持っている、と思われます。 韓国の裁判官の感性水準・知性水準・理性水準は此の程度である、と見て良いでしょう。

先に述べたように、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で極左派韓国人活動家に唆(そそのか)されて日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けている韓国人は乞食です。 普通の乞食は情けを掛けてやるに値する者ですが、韓国人の言う「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」問題や、韓国人の言う「日帝による朝鮮人男性の強制動員&強制連行&強制労働」問題で極左派韓国人活動家に唆されて日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けている韓国人は情けを掛けてやるに値しない乞食です。 日本に妄想的謝罪賠償要求を突き付けることを正当化して「日本が朝鮮のアイデンティティーを踏みにじった数々の罪悪は、いかなる条約や協定、謝罪や賠償でも消えず、日本が背負うべき永遠の重荷である」とか主張している韓国人大学教授や韓国知識人は精神的物乞いです。 未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てには物乞いであり続けて欲しいものです。 そして、未来永劫に渡って、韓国人の全て、及び、其の子孫の全てには反日に徹し続けてもらい、韓国という国が存在する限りにおいて韓国には100%の反日物乞い奴隷道徳国家になって欲しいものです。

日本は日米戦争でアメリカに負けた事で「朝鮮」という重荷を下ろすことが出来たのです。 ですから、日本は「韓国」という極めて厄介で極めて面倒な国を二度と背負うことの無いように日本と韓国との関係を疎遠にしなければいけません。 日本外務省の高級官僚があちこちで「韓国に尹錫悦政権がある間にこそ、日韓関係改善のチャンスがある。 韓国に尹錫悦政権がある間に日韓関係を改善しておかなかったら、其れ以降、日韓関係改善のチャンスは二度と無い。 日韓関係改善のチャンスを逃すな」とか言っているようですが、其のような言説に惑わされたり騙されたりしてはいけません。

● 次に掲げる、2019年以降に発表された記事や動画をご覧になってください。
鈴置高史さんが2019年5月の時点での韓国について述べた記事「蟻地獄に堕ちた韓国経済、「日本と通貨スワップを結ぼう」と言い出したご都合主義(『デイリー新潮』2019年5月21日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2019/05211700/?all=1)と
鈴置高史さんが2020年5月の時点での韓国について述べた記事「「防疫で世界を先導」と胸を張る文在寅、「反面教師に」と冷ややかな安倍晋三(『デイリー新潮』2020年5月11日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2020/05111445/?all=1)と
鈴置高史さんが2021年12月の時点での韓国について述べた記事「「K防疫のまやかし」から韓国人は目覚めるか。 幼いナショナリズムが生む国家の蹉跌(『デイリー新潮』2021年12月10日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2021/12101700/?all=1)とをご覧になってください。

韓国大手右派マスメディア『中央日報』の2022年1月3日付けの日本語版記事「韓国大統領候補の支持率、李39.4%、尹29.9%…若者が李候補支持へ [中央日報世論調査]」(https://japanese.joins.com/JArticle/286244)によれば、韓国与党「共に民主党」の大統領候補:李在明(イ・ジェミョン)の支持率は39.4%であり、韓国野党「国民の力」の大統領候補:尹錫悦(ユン・ソクヨル)の支持率は29.9%であり、30歳代の回答者のうち44.3%が李在明を支持し、30歳代の回答者のうち20.1%が尹錫悦を支持し、20歳代・30歳代の者が李在明の支持に回った、と分析されています。 こうして見ると、20歳代・30歳代の韓国人の4割強が4年半に渡る文在寅政権に多くの不満を感じながらも、「文在寅大統領のお陰で我が国は2020年のG7首脳会議に参加できた。 文在寅大統領は我が国の格を随分と高めてくれた。 文在寅大統領は自分たちにいい夢を見せてくれた。 中国様のご威光の下での北朝鮮流の統治こそが自分たちに相応(ふさわ)しい」という思いを顕在意識領域の上層部に持つようになったようです。

2022年3月の時点の韓国における新型コロナウイルス蔓延状況について解説した動画「韓国政府、コロナ対策無策無能。最多感染者を更新するたびに今がピークだと叫び営業制限緩和。死亡者多すぎて霊安室、火葬場足りず。」(https://www.youtube.com/watch?v=WMT6b_cE6F4)をご覧になってください。

2022年3月の時点の韓国人の精神状態を考察した動画「自らコロナにかかろうとする韓国人。それを旅行で日本に拡散か?」(https://www.youtube.com/watch?v=0aDFBxx8w7U)をご覧になってください。

アメリカ連邦政府が「2022年5月21日に米韓首脳会談が開かれ、次いで5月23日に米日首脳会談が開かれる」と発表して以降、韓国人は左派も右派も「米韓首脳会談が米日首脳会談より先に開かれるのは、アメリカ連邦政府が日本よりも韓国を大切にしている証拠だ、韓国が日本を超えた証拠だ」と言って無邪気に喜んでいました。 ですが、5月25日の時点で韓国はお通夜のような状態になっています。 此の件に関して、韓国の事情に詳しい室谷克実さんの文章を載せた夕刊フジの記事「前座扱い≠ノ地団駄の韓国 バイデン大統領の日韓歴訪にみる「国格」の差 共同声明、いくら読んでも出てこない「スワップ」の文字」(https://www.zakzak.co.jp/article/20220526-6SLENVK5NJNGJO7R5TD3RYPS4Y/)をご覧になってください。

韓国マスメディア『韓国経済』による政治宣伝を話題にした動画「盛大に自滅!?日本へ強気に豪語するも厳しい現実を突きつけられた韓の狂った主張とは」(https://www.youtube.com/watch?v=IjbNU1TEfU0)をご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「尹錫悦は「シャングリラ」で従中の馬脚を現した。 後は「キシダ」を騙すだけ(『デイリー新潮』2022年6月14日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2022/06141715/?all=1)を是非ご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「尹錫悦はなぜ「キシダ・フミオ」を舐めるのか。「宏池会なら騙せる」と小躍りする中韓(『デイリー新潮』2022年6月23日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2022/06231700/?all=1)を是非ご覧になってください。

動画「学校では教わらない韓国(李氏朝鮮時代)の歴史 韓流ドラマ時代劇を検証してみた!【なるためJAPAN】」(https://www.youtube.com/watch?v=5kIiofrRZ6c)をご覧になってください。 此の動画の最後の方で述べられている「 “ PACHINKO ” という小説・ドラマについての話」が特に重要です。

動画「韓国ウォン安止まらず。大幅利上げで借金返済に苦しむ多くの国民が生活破たん。韓国政府は徳政令連発。なぜ借金投資を税金で救済するのか、反発も。3度目の徳政令で完全に借金踏み倒し慣れの国民。」(https://www.youtube.com/watch?v=JPLTMpPEhmo)をご覧になってください。

動画「自衛隊、哨戒機解決しなければ隣国との安保協力拒否」(https://www.youtube.com/watch?v=LgEU2s_AwII)をご覧になってください。

動画「自国ワクチン完成の韓国、接種するのは・・」(https://www.youtube.com/watch?v=qVEnccqa8y4)をご覧になってください。

動画「「スワップ?支援?それより謝罪しろや!」経済支援を期待したK国を訪韓した麻生副総裁が会心の一撃」(https://www.youtube.com/watch?v=CCFI929tTLU)をご覧になってください。

動画「輸出、GDP成長率でも日本に勝てない」(https://www.youtube.com/watch?v=gj50Fww_bkY)をご覧になってください。

動画「出生率が0.7」(https://www.youtube.com/watch?v=xBPCWKPLAYI)をご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「半導体戦争で板挟みになる韓国 アメリカの圧迫と中国の嫌がらせ…頼みの綱は日本の輸出管理撤廃(『デイリー新潮』2023年1月20日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/01201701/?all=1)を是非ご覧になってください。 鈴置高史さんは此の記事の最後の方で「韓国政府や日本の外務省が展開した「韓国は我々の側に戻った」キャンペーンに騙されているのです。 それは議員に限らず、学者や記者も同様ですけれど」と述べています。

動画「韓国の「ホワイト国」復帰検討。岸田政権、対韓外交をひっくり返す予定との報道」(https://www.youtube.com/watch?v=flabQWdxa00)をご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「どうする韓国、中国が怖くて半導体封鎖に加われないのか 「ホワイト国」に再指定すれば日本も同罪(『デイリー新潮』2023年2月10日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/02101701/?all=1)を是非ご覧になってください。

動画「妄想が酷すぎる!日韓外相会談が決まってすらいないのに自称徴用工問題協議は最終の協議らしいです。」(https://www.youtube.com/watch?v=WT7OHdqwoKo)をご覧になってください。

動画「出生率0.78、なぜ韓国人女性は韓国人男性との出産、結婚、交際を拒否するのか?韓国が消滅する誰も語らない圧倒的事実。日本の半分の出生率に。」(https://www.youtube.com/watch?v=bmcpBii67nU)をご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「徴用工問題で“速度戦”に失敗した尹錫悦 アベ不在…それでもキシダは騙されるのか(『デイリー新潮』2023年2月21日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/02211700/?all=1)を是非ご覧になってください。

動画「尹政権の罠!自称元徴用工解決案にある新たな罠!韓国政府が苛立ち、岸田首相に決断求める!」(https://www.youtube.com/watch?v=nhuc8SpG-xM)をご覧になってください。

動画「【当たり前】日本政府「旧朝鮮半島出身労働者問題で三菱重工業と日本製鉄は参加しない」、当たり前のことを何を今更」(https://www.youtube.com/watch?v=mNM7_oeNjvc)をご覧になってください。

動画「徴用工訴訟、韓国ユン政権が動く「解決策の提示」。岸田政権は高く評価し歓迎しているが、このゴールポストは将来に動く可能性が高い」(https://www.youtube.com/watch?v=TdmVOLme7Lg)をご覧になってください。

動画「論理破綻したコラム!論理的思考力が欠如している中央日報コラム!これじゃぁノーベル賞は受賞できんわね!」(https://www.youtube.com/watch?v=juNEDB2E0wQ)をご覧になってください。

動画「尹大統領の驚愕発言!日本は韓国に数十回謝罪した!」(https://www.youtube.com/watch?v=bwUgrRpZfoA)をご覧になってください。

動画「【K国の反応】「日本は関係改善を望んでいない」K国国民がアンケート結果を知った時の反応が面白すぎるww【グレートJAPANちゃんねる】 」(https://www.youtube.com/watch?v=SECbfFOPj8s)をご覧になってください。

鈴置高史さんが岸田首相の韓国訪問中の発言について述べた記事「寝た子を起こす謝罪、第3者弁済のまやかし…岸田外交は日韓に時限爆弾を残した(『デイリー新潮』2023年5月9日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/05091702/?all=1)をご覧になってください。

韓国人の韓国G8メンバー待望熱を書いた記事を紹介しましょう。 韓国マスメディア『WowKorea』の2023年5月15日付けの日本語版記事「尹大統領、「”首脳外交”スーパーウィーク」に突入…「G8」編入を狙う」(https://www.wowkorea.jp/news/korea/2023/0515/10395540.html)をご覧になってください。

韓国人の韓国G8メンバー待望熱に対するアメリカ国務省の見解を書いた記事を紹介しましょう。 韓国マスメディア『WowKorea』の2023年5月16日付けの日本語版記事「韓国を含め「G8」?…アメリカ「加盟国に変わりはない」」(https://www.wowkorea.jp/news/korea/2023/0516/10395614.html)をご覧になってください。

動画「証拠なんてどうでもいい!韓国の風習「声闘」で処理水放出を批判!」(https://www.youtube.com/watch?v=3PEqIwhOe98)をご覧になってください。

動画「心理的G8に入った韓国が遂に世界の中心国に飛躍!」(https://www.youtube.com/watch?v=wWGEE35T_Wg)をご覧になってください。

動画「2023年、韓国、我慢できず、韓国は◯◯だと世界に宣言してしまう」(https://www.youtube.com/watch?v=Ap9taz7zSPk)をご覧になってください。

動画「韓国に生まれなくてよかった、は韓国人も同意する名言。韓国人の60%以上が韓国は不公正と回答。大手企業の世襲雇用などカネ、コネがなければまともな生活ができない」(https://www.youtube.com/watch?v=qUa2xfs19Zs)をご覧になってください。

動画「やっぱり!韓国が処理水に関して日本に賠償を求める動きを開始。慰安婦・徴用工に次ぐタカリ。韓国漁業関係者への風評被害について日本に賠償を求めるが、処理水のデマを吹聴しているのは韓国」(https://www.youtube.com/watch?v=09y1Sw7zgZU)をご覧になってください。

動画「貧しく老いる韓国 。韓国銀行総裁:日本は豊で韓国は貧しい老人。今後20年余りで急激な高齢化を迎える韓国。現在の高齢者の貧困率は50%に迫り、現役世代の年金未加入率40%、年金崩壊不可避。」(https://www.youtube.com/watch?v=26yxmPoTvc4)をご覧になってください。

動画「世界に知れ渡った韓国の無能ぶり、なぜかKポップでフィナーレを迎えた韓国ジャンボリー。なぜこれほどの大失態になったのか?補償はどうなる?」(https://www.youtube.com/watch?v=HNfjHfnCAic)をご覧になってください。

動画「韓国人はなぜ平気で借金をするのか?借金、投資(ギャンブル)破産、失業者が多すぎて韓国経済を追い詰める」(https://www.youtube.com/watch?v=lqtwD70lx4Q)をご覧になってください。

動画「日本旅行に来る韓国人は日本の何に驚き、どこに感動するのか? 他の外国人のインバウンド事情とは全く違うポイントだった。韓国の闇が炙り出される。」(https://www.youtube.com/watch?v=RoyLjL3slGw)をご覧になってください。

動画「【メンツ丸潰れ】麻生副総裁がK国を強烈にディスるww「政治も経済も成長がないよね」【グレートJAPANちゃんねる】」(https://www.youtube.com/watch?v=o6lRf49uqfE)をご覧になってください。

動画「【韓国沈没】韓国に用意された失われた「業火な30年」、韓国の成長率が5%から0%台に転落!」(https://www.youtube.com/watch?v=IlZr6N0a18I)をご覧になってください。

動画「【海外の反応】「韓国に行きたかった…」希望どうり韓国に留学した友達と嫌々日本に留学したアメリカ人女性の結末が…まさかの結果に…」(https://www.youtube.com/watch?v=8yC96CZbHA4)をご覧になってください。

動画「韓国の野球レベルは韓国プロ野球1軍が日本の社会人・独立リーグレベル、韓国代表クラスで日本プロ野球の二軍レベル。」(https://www.youtube.com/watch?v=B_2RV-cPCYc)をご覧になってください。

動画「【韓国の反応】福島の処理水放流、何度測定しても基準値をはるかに下回っていると、韓国さんが不思議がる」(https://www.youtube.com/watch?v=4NiFvESNp9E)をご覧になってください。

動画「韓国経済の成長が完全停止を報道、ピークコリアを迎えて沈む韓国!」(https://www.youtube.com/watch?v=T-qBQPRCUnM)をご覧になってください。

動画「【海外の反応】韓国人「着物なんて着てくるんじゃない!」着物を着てパーティに出席したアメリカ人女性が韓国人から受けた仕打ちがヤバ過ぎる…」(https://www.youtube.com/watch?v=CHIKNYkQoBY)をご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「日韓友好で支持率アップ? 岸田首相が気付いていない、空中分解する「尹錫悦政権」の現在(『デイリー新潮』2023年11月20日)」の5ページ目(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/11201731/?all=1&page=5)を是非ご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の右派の思いについて述べた記事「キシダ退陣説に焦る韓国 「日本の食い逃げを許すな…」呼び捨てにされる最悪の後継候補は(『デイリー新潮』2023年11月27日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2023/11271702/?all=1)をご覧になってください。

動画「韓国人の恥ずかしい嘘がバレた!?日本の技術を自慢した韓国人に中国のテレビ局が痛烈な一言!」(https://www.youtube.com/watch?v=NemhbiSBOVI)をご覧になってください。

韓国の就職事情を解説した所で動画「調べてみたら韓国地獄だった。55%が貯金40万円もない貧困、35%がうつ病経験者、25%がニート。キラキラしているのは上位10%なのに、それと日本全体を比べる反日マスコミ」(https://www.youtube.com/watch?v=iYPUjUp8rPo)をご覧になれるようにして置きましたが、此の動画をまだご覧になっていない人はここでご覧になってください。

先端集積回路を巡るアメリカ・台湾・日本・韓国の思惑を述べた動画「韓国が、日本と台湾に友達になろう!と擦り寄り始めた。半導体の日台協力を見て、疎外感を感じるとともに自国の半導体産業が必要とされていない技術レベルと言うことに気づいた。」(https://www.youtube.com/watch?v=xYOD6tmZgzk)をご覧になってください。

動画「「世界よwこれが日本のスラム街だ!」日本のスラム街の動画も作成しようと日本を訪れたアメリカ人男性が見たものとはww」(https://www.youtube.com/watch?v=aBx252rSRTI)をご覧になってください。

動画「韓国のすりよりが止まらない。半導体3素材輸出規制強化は日韓ともに損だった、中国に得させないために日韓は協力しよう!と恥ずかしげもなく用日を展開、韓国はよほど苦しいらしい。」(https://www.youtube.com/watch?v=WfU5nYWt_gM)をご覧になってください。

動画「日米同盟が強化される中、疎外される韓国。フィリピンを含め中国に立ち向かう西側に対し相変わらずコウモリを続ける韓国が軍事大国化する日本にイチャモン」(https://www.youtube.com/watch?v=pSFKHaRuMG8)をご覧になってください。

韓国人の馬鹿さ加減が良く分かる動画「韓国がG7首脳会議に呼ばれなかった結果→韓「日本が我が国に嫉妬して羨むほどだったのに」【世界の〇〇にゅーす】」(https://www.youtube.com/watch?v=NzL7fxyfBUA)をご覧になってください。

動画「【衝撃】バカと賢い人間の大きな違いは「思考」の差。何故バカは自分を大きく見せ、頭が良い人ほど腰が低いのか」(https://www.youtube.com/watch?v=Ux6j2hi_siE)をご覧になってください。

駐日韓国大使が「韓国人をパスポート無しで日本に入国させろ」と言い出しました。 韓国左派マスメディア『ハンギョレ』が「韓国と日本は価値観が全く同じである」と言い出しました。 動画「パスポートなしで日本に入国させろ! 駐日韓国大使が発言。用日、日本へのすりよりが加速。仏像・シャインマスカットの二の舞い危惧。」(https://www.youtube.com/watch?v=DhYJo9NqHVA)をご覧になってください。 韓国人の「韓国人をパスポート無しで日本に入国させろ」という気持ち悪い要求や、韓国人の「韓国と日本は価値観が全く同じである」という気持ち悪い主張には反吐(へど)が出そうです。

動画「人口減の韓国。既に外国人比率は日本の2倍。ブルーカラーの仕事はほぼ外国人。韓国社会で自然と力をつける移民により韓国社会は崩壊する。日本にやったことのブーメラン。」(https://www.youtube.com/watch?v=UCSz9rA9Es4)をご覧になってください。

鈴置高史さんが韓国の尹錫悦政権について述べた記事「世界遺産登録に難クセ 「佐渡金山」を突破口に「日本統治不法論」を認めさせたい韓国(『デイリー新潮』2024年6月19日)」(https://www.dailyshincho.jp/article/2024/06191700/?all=1)を是非ご覧になってください。

第3章  日中戦争はどのようにして起きたのか。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/rekishi04.htm
1937年7月7日に日本と中華民国との間で日中戦争(日華事変、支那事変)が始まりました。 そして、1941年(昭和16年)12月8日に日本とイギリスとの間で日英戦争が始まり、日本とアメリカとの間で日米戦争が始まりました。 1941年12月8日以降、日本と連合国(アメリカ、イギリス、オランダ、など)との戦争と日中戦争(日華事変、支那事変)とを纏めて「大東亜戦争」と呼ぶ事になりました(昭和16年12月12日 東条内閣の閣議決定)。

● シナの近代化は日清戦争後に始まった。
日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」が日本に負けてから、進取の気性に富んだシナ人が留学生として日本へ沢山やって来ました。 彼らは「日清戦争で勝った日本に学ぼう」と思って日本へやって来たのです。 日本はシナ人留学生を喜んで受け入れ、シナの未来の為に官民を挙げて支援していきました。 日本はシナ人留学生に知識を与え、彼らの独立心を育てていきました。 そして、日露戦争(1904年2月10日〜1905年9月5日)で日本がロシアに勝ったので、日本におけるシナ人留学生の数は更に増え、1906年におけるシナ人留学生の数は2万人〜3万人であった、と言われています。 シナ人留学生が日本の港に着いて街に出て最初に驚いた事は、学童たちが小学校へ通う光景でした。 其れは当時のシナでは考えられない光景だったのです。 其の当時のシナでは、学校は極少数の人々の為のものでした。 其の当時のシナ人の80%〜90%は文盲でした。

日清戦争が終わった頃から1910年代にかけて、日本人がしばしば使った言葉に「支那の覚醒」という言葉が有りました。 シナ人が目覚め、彼らが自ら率先してシナの近代化に取り組む事を、日本人は心から願いました。 先に述べたように、日本は日露戦争でロシアに勝ち、満洲と朝鮮からロシア軍を追い出しましたが、日露戦争後でも東アジアにおけるロシアの脅威は相当に大きなものでした。 東アジアでロシアをのさばらせない為には、シナが近代化し、経済を発展させ、国力を高める事が不可欠でした。 そこで、日本人は「シナ人によるシナ人の為の近代的なシナ」が出来る事を強く願ったのです。 此の願いは或る程度まで実を結びました。 日本に学びに来たシナ人留学生は帰国後、日本留学で得た知識や技術をシナ近代化の為に使いました。 日本へ留学した経験を有するシナ人によってシナにもたらされた知識や技術がシナ社会に与えた影響は、かつて日本の遣隋使や遣唐使によって日本にもたらされた知識や技術が日本社会に与えた影響に比肩するものだったのです。 そして、日本へ留学した経験を有するシナ人は、のちに起きる辛亥革命の主役になりました。

清王朝末期のシナで学問と言えば、朱子学と陽明学くらいしか有りませんでした。 其の為、其の当時のシナで西洋の哲学思想や自然科学を学ぶ事は出来ませんでした。 日本に学びに来たシナ人留学生は日本語の学習を介して西洋の哲学思想や自然科学や西洋の社会制度など、西洋文明の諸々の観念を学んだのです。 日本に学びに来たシナ人留学生は帰国後、西洋の哲学思想や自然科学や議会制度や行政制度や司法制度などをシナ人に紹介しました。 其の影響の大きさは、「現代中国語になった日本製熟語(和製漢語)」の多さにも見る事ができます。 現代中国語の語彙の7割は日本製熟語です。 現代中国語として使われている次の単語は日本製熟語(和製漢語)です。
「人民」「共和国」「社会」「主義」「改革」「開放」「共産」「革命」「進歩」「民主」「思想」「理論」「広場」「石油」「現金」「国際」「学校」「学生」「保健」「出版」「電波」「警察」「栄養」「建築」「工業」「体操」「展覧会」「農作物」「図書館」「生産」「手段」「新聞」「記者」「亜鉛」「暗示」「意訳」「演出」「温度」「概算」「概念」「概略」「会談」「会話」「回収」「改訂」「解放」「科学」「化学」「化膿」「拡散」「歌劇」「仮定」「活躍」「関係」「幹部」「観点」「間接」「寒帯」「議員」「議院」「議会」「企業」「喜劇」「基準」「基地」「擬人法」「帰納」「義務」「客観」「教育学」「教科書」「教養」「協会」「協定」「共鳴」「強制」「業務」「金融」「銀行」「銀婚式」「銀幕」「緊張」「空間」「組合」「軍国主義」「景気」「契機」「経験」「経済学」「経済恐慌」「軽工業」「形而上学」「芸術」「系統」「劇場」「化粧品」「下水道」「決算」「権威」「原子」「原則」「原理」「現役」「現実」「元素」「建築」「公民」「講演」「講座」「講師」「効果」「広告」「高利貸」「光線」「光年」「酵素」など。
シナ近代化の基礎は日本の影響下で作られたのです。 日本留学ブーム、日本政府によるシナ近代化の援助、日本人による革命支援(清王朝打倒の支援)などによって、清王朝末期のシナの学生や知識人の間には親日ムードが漂っていました。

● 辛亥革命。 中華民国の成立。
「義和団の乱」(1899年)と「北清事変」(1900年)のあとの1901年9月、列強8ヶ国の政府と清王朝との間で「北京議定書」という条約が締結され、清王朝は巨額の賠償金を払う破目になり、其の上、列強8ヶ国の軍隊が北京と天津に駐留するようになりました。 其の為、「清」は以前にも増して強く列強の干渉を受けるようになり、「清」は半植民地状態になりました。 清王朝は中央集権体制を立て直す事で列強の干渉を退けようとしましたが、財源難の為、其の試みはうまく行かず、かえって対外従属を強める結果になりました。 そうした状況の中で、華中・華南において学生や知識人や商工界の一部の間で清王朝打倒の気運が高まって行きました。 日露戦争(1904年2月10日〜1905年9月5日)で日本がロシアに勝った為、華中・華南において学生や知識人や商工界の一部の間で「日本を見倣え。 日本に学べ。 日本のようにやろう」という気持ちが一気に湧き上がって行ったのです。 孫文は1905年に日本人から支援を受けて東京で清王朝打倒の為の「中国革命同盟会」を結成し、三民主義(民族の独立、民権の伸張、民生の安定)を唱えました。 孫文は引き続き日本人から色々な支援を受け、清王朝打倒と民主共和国の樹立とを目指し、華南で革命運動をやっていましたが、失敗の繰り返しに終わっていました。 1911年5月、財源難の清王朝は鉄道国有令を出し、シナ全土の鉄道を国有化し、此れを担保にして列強から多額の資金を借りようとしました。 此れに対し、湖南省・湖北省・広東省などで広範な反対運動が起き、四川省では大規模な武装闘争が起きました(四川暴動)。 そして、1911年10月初め、清王朝は湖北新軍(湖北省における清王朝の軍隊)に四川暴動の鎮圧命令を出しました。 此れを受けて、1911年10月10日、湖北新軍内に大きな勢力を持っていた革命派の高級軍人が湖北省武漢市武昌で武装蜂起しました。 此の武装蜂起に各地の革命派の軍人が呼応し、1911年11月中旬には華中・華南の省のほとんど全てが清王朝からの独立を宣言しました。 革命派の軍人たちは南京(揚子江の下流域にある城壁都市)に集まり、孫文を象徴的な最高幹部に頂いて革命政府を作り、1912年1月1日に南京で「中華民国」の成立を宣言し、孫文が中華民国の初代臨時大総統に就任しました。 すると、清王朝は慌てました。 清王朝は隠居中の袁世凱を総理大臣に任命し、彼に革命政府軍の討伐を命じ、革命政府(孫文)との交渉に当たらせました。 総理大臣に任命された袁世凱は言葉巧みに孫文に近寄り、「私が清の皇帝を退位させるから、私を中華民国の臨時大総統にしてくれ」と孫文に持ちかけ、孫文は袁世凱に「もし、あなたが清王朝を平和裏に終わらせてくれれば、あなたに臨時大総統の地位をすぐに譲ろう」と応じて、密約が成立しました。 革命政府の弱さに悩んでいた孫文は止むを得ず臨時大総統の地位を袁世凱に譲ってしまったのです。 そして、袁世凱は1912年2月12日に「清」の最後の皇帝:溥儀(当時6歳)を退位させ、政権を清王朝から革命政府に移しました。 こうして、1912年2月12日に清王朝が滅んで、中華民国が成立しました(辛亥革命)。 孫文、宋教仁、黄興、胡漢民、廖仲ト、朱執信、汪精衛など、辛亥革命の指導者は全て日本留学の経験者でした。 孫文を除いて、辛亥革命の指導者は「清」の地方軍の将軍でした。 ですから、辛亥革命は、日本留学の経験を有する「清」高級軍人が「清王朝を倒してシナを近代化しよう」と思って起こしたクーデターです。

もし袁世凱が「清」最強の北洋新軍を率いて革命政府軍を相手に戦い始めたならば、其の戦いは激しい長期戦になり、「清」は大混乱状態になり、「清」は列強に付け込まれて、「清」の全土が列強の植民地になったでしょう。 ですから、袁世凱が革命政府軍を相手に戦わなかった事は「清」にとっては良い事でした。 此の程度の事は袁世凱や孫文には分っていた事です。 溥儀と其の一族は、袁世凱と革命政府との取り決めにより溥儀の退位後も紫禁城で其れまで通りの生活を続けました。 袁世凱は1912年3月10日に中華民国の第2代臨時大総統に就任し、革命政府を掌握しました。

孫文が臨時大総統の地位を袁世凱に譲ってしまった為、其れまで孫文を支援してきた日本人志士たちは大きな失望感を味わいました。 日本人志士たちが孫文を支援してきたのは「列強の侵略に為す術(すべ)を持たない腐敗堕落した清王朝を倒し、新政権を打ち立て、日本と共にアジアの富強を図ろう」という孫文の主張に賛同したからでした。 右派政治運動家:内田良平は、孫文がいとも簡単に臨時大総統の地位を袁世凱に譲った事を知って激怒し、次のように言いました。「敵と内通するとは支那古来の易姓革命と変わらない。 アジアの解放という崇高な人道的使命を分担させられるかのような期待を孫文に持ち続けた事は誤りだった」。 大日本帝国陸軍の関東軍(1919年創設)の参謀:石原莞爾も孫文が臨時大総統の地位を袁世凱に譲った事を知って落胆し、「漢族に近代国家を建設するのは不可能だ」と言いました。 シナの維新を目指し、「シナ人によるシナ人の為の近代的なシナ」が出来る事を願ってシナを支援してきた日本人志士たちの試みは、孫文が臨時大総統の地位を袁世凱に譲った事で実質的に頓挫した、と見て良いでしょう。

1913年3月、袁世凱は革命政府の大物:宋教仁を殺して孫文らを追い出し、1913年10月に中華民国「大総統」の地位を手に入れ、独裁政治を始めました。 孫文は1914年7月に袁世凱政権の打倒を目的とする秘密結社「中華革命党」を結成して抵抗しましたが、もはや後の祭りでした。

清王朝は自国を中央集権国家にしていました。 其の為、清王朝によって地方へ派遣される高級官僚は自分の出身地には派遣されませんでした。 ところが、辛亥革命が成功し、中華民国が成立した途端に、各省の政府はよそ者の官僚を全て追い出し、自省出身の者を自省の官僚に登用しました。 其の為、其れまでの中央集権体制が崩壊し、中華民国は地方分権国家になりました。 其の為、中華民国は成立当初から分裂の危機にありました。

● 21ヶ条の要求。
日本政府は第1次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)中の1915年1月に中華民国の袁世凱政権に対して「21ヶ条の要求」を出しました。 其の内容は @ 日本政府が清王朝と締結していた条約・協定(日露戦争後の日本の南満洲における権益に関するもの)を袁世凱政権に確認・認定させる事、A 日本が第1次世界大戦中に山東半島でドイツから奪い取った権益を袁世凱政権に確認・認定させる事、B 袁世凱政権を日本政府の傀儡政権とする事、の3つでした。

日露戦争(1904年2月〜1905年9月)の終結後、日本はロシアから譲り受けた「東清鉄道南満洲支線の長春以南の部分」を「南満洲鉄道」という名で経営するようになりました。 多くの日本人が南満洲に入り、沿線都市に学校を作り、病院を建て、沿線都市を整備し、炭鉱を開発し、港を整備するなど、多大な投資をしていきました。 1910年8月に日本が朝鮮を併合してからは、多くの朝鮮人が日本人名を名乗って開拓農民として南満洲に入植しました。 1912年2月12日に清王朝が滅んで、中華民国が成立しました。 そして、1914年7月28日に第1次世界大戦が始まりました。 日本政府はドイツの山東半島における権益を奪い取ろうとして、1914年8月23日にドイツに宣戦しました。 日本は連合国の一員になったのです。 日本陸軍は1914年9月2日に山東半島に上陸し、山東半島に駐留していたドイツ軍を2ヶ月余りの攻撃で降伏させ、ドイツの山東半島における権益を奪い取りました。 日本海軍はドイツ領だったミクロネシアの島々(グアム島を除くマリアナ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島(パラオ諸島を含む))を1914年10月に占領しました。 日本政府は此の勢いに乗って第1次世界大戦中の1915年1月に中華民国の袁世凱政権に対し「21ヶ条の要求」を出したのです。「21ヶ条の要求」の内容は、先に述べたように、@ 日本政府が清王朝と締結していた条約・協定(日露戦争後の日本の南満洲における権益に関するもの)を袁世凱政権に確認・認定させる事、A 日本が第1次世界大戦中に山東半島でドイツから奪い取った権益を袁世凱政権に確認・認定させる事、B 袁世凱政権を日本政府の傀儡政権とする事、の3つでした。「21ヶ条の要求」を突き付けられた袁世凱は「日本はこんなに酷いことを要求している」と言い触らし、国内世論を沸騰させようとしましたが、反日世論は盛り上がりませんでした。 但し、中華民国の学生や知識人の中に日本政府を非難する者が出始めました。 中華民国の学生や知識人の間で反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が芽生え始めたのです。 そうした状況の中で、袁世凱政権を日本政府の傀儡政権とする要求は日華両国政府の協議の過程で取り下げられ、1915年5月25日、中華民国の袁世凱政権を日本政府の傀儡政権とする要求を除く16ヶ条の要求が「日華条約」として締結されました。

袁世凱を政敵とする孫文は「21ヶ条の要求」について「日本政府の態度は東洋の平和を確保し、日華の親善を図る上で妥当なものだ」と述べました。 孫文は1915年3月に日本外務省に日華同盟案を提出しました。 其の内容は「21ヶ条の要求」と概ね同じものでした。 此のように、其の当時の東アジア情勢の中で「21ヶ条の要求」は普通のものだったのです。 言い換えると、「21ヶ条の要求」は其の当時の東アジア情勢を代表していたのです。 日本政府が清王朝と締結していた条約・協定(日露戦争後の日本の南満洲における権益に関するもの)を袁世凱政権に確認・認定させる事、並びに、日本が第1次世界大戦中に山東半島でドイツから奪い取った権益を袁世凱政権に確認・認定させる事について、第1次世界大戦の連合国の主要メンバーであり、且つ、シナに権益を持っていたイギリス政府やフランス政府は「妥当なものだ」として承認しました。 袁世凱政権を日本政府の傀儡政権とする要求については、イギリス政府は此の要求を取り下げるように日本政府に要求しました。 アメリカはシナに権益を持ってなかったので、アメリカ連邦政府は日本を激しく非難し、中華民国への支援を表明しました。

因みに、日本の高等学校などでは「日本政府が21ヶ条の要求を出したので、中国人の対日感情が急速に悪化し、中華民国全土で反日運動が盛り上がり、日本と中華民国との間に決定的な溝が生まれた」のような感じで教えられていますが、実際には、其のような反日運動の盛り上がりや、日華間の決定的な溝は1919年に「五・四運動」が起きるまで無かったのです。

● 五・四運動。
先に述べたように、中華民国の成立(1912年2月12日)によって、「清」の中央集権体制が崩壊し、中華民国は地方分権国家になりました。 其の為、中華民国は成立当初から分裂の危機にありました。 日本陸軍は1914年にドイツの山東半島における権益を奪い取りました。 日本政府は1915年1月に中華民国の袁世凱政権に対して「21ヶ条の要求」を出しました。 其のような状況の中で、中華民国の学生や知識人の間で反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が芽生え始め、彼らシナ人の中で日本に対する不満が燻(くす)ぶり続けていました。 一方、袁世凱は自らが中華民国の皇帝になって中華民国を分裂の危機から救おうと思い、1915年12月に中華民国の皇帝に即位しましたが、学生や知識人に猛反対され、更に、自分の直属の部下にすら反対され、1916年3月に退位しました。 そして、袁世凱は1916年6月に失意の内に病死しました。 中華民国を何とか纏めていた袁世凱が死んだあと、中華民国は軍閥(政治権力を持って自らの意思で動く軍隊)が乱立・割拠する内戦状態になりました。 そして、ロシア革命(1917年)を成し遂げたマルクス主義者(マルクス教徒)たちが中華民国の学生や知識人に「日本は21ヶ条の要求を出すような悪い国だ。 我々マルクス主義者こそ中華民国の味方だ。 我々と一緒にやっていこう」と働き掛け、中華民国の学生や知識人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)や日本に対する不満を煽り立てました。 第1次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)の講和条件を話し合う為に、1919年1月にパリ講和会議が開かれました。 此の会議で中華民国政府は日本が第1次世界大戦中にドイツから奪い取った山東半島権益を中華民国に返還するように要求しましたが、此の要求は欧米列強政府から黙殺され、山東半島における権益はドイツに代わって日本が受け継ぐ事になりました。 此れを受けて、1919年5月4日、マルクス主義にかぶれた北京大学の教授や学生が日本の南満洲における権益に反対して反日運動を始めました。 彼らマルクス主義にかぶれた北京大学の教授や学生は日本に対して「袁世凱政権は無くなったのだから、袁世凱政権が日本政府と結んだ日華条約はもはや無効だ。 だから、日露戦争後に日本が南満洲に投資して作った物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張したのです。 此の反日運動は「五・四運動」と呼ばれて中華民国全土の学生や知識人の間に広まり、中華民国の学生や知識人は反日一色になりました。 そして、其れと同時に、其れまで中華民国の学生や知識人の間に漂っていた親日ムードは無くなりました。 日露戦争後にアメリカに留学して反日・親アメリカに仕立て上げられたシナ人たちの大多数も五・四運動に参加した、と言われています。 日本の高校生用の歴史教科書などでは「五・四運動は学生・知識人だけでなく、多くの労働者も参加した国民的運動である」のような感じで書かれていますが、其の当時の中華民国に「労働者」と言えるような人々はほとんどいませんでした。

● シナ共産党の発足。
1917年、ロシアでマルクス主義に基づく革命が起きました(ロシア革命)。(マルクス主義とは、地球的規模の共産化を達成しようとする共産主義であり、学問の衣をまとった宗教です。 別名は「マルクス教」。 教祖はカール・マルクス(1818年〜1883年)。) 1919年3月2日、モスクワで「コミンテルン」(英語で Comintern、「Communist International」の略語)という組織が地球的規模の共産化の為に結成されました。「コミンテルン」という組織は、ロシア共産党(ボルシェヴィキ、首領はレーニン)が世界中でマルクス主義暴力革命を起こそうとして世界各国のマルクス主義者(マルクス教徒)の代表をモスクワに集め、活動資金面ではロンドン・シティーのユダヤ人国際金融業者:ロスチャイルド(略して「ロンドン・ロスチャイルド」)や、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力を後ろ盾にして結成した組織です。 コミンテルンはレーニンの直属でした。 1920年から1945年までに起きた動乱や戦争の全てにコミンテルンが関与していました。 という事は、コミンテルンの後ろ盾になっている「ロンドン・ロスチャイルド、並びに、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力」が1920年から1945年までに起きた動乱や戦争の全てにコミンテルンを介して関与していたという事を意味します。 ロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力はコミンテルンを介して戦争の種を世界中にばらまいたのです。

五・四運動(1919年5月4日開始)はコミンテルンに後押しされて始められました。 マルクス主義にかぶれた北京大学の教授や学生はコミンテルンの指導下にありました。 其の当時のロシア人は日露戦争でロシアが日本に負けた事を悔しく思い続け、南満洲から日本人を叩き出したいと思っていました。 当然、コミンテルンもそう思っていました。 ですから、コミンテルンの指導下にあった北京大学の教授や学生が「袁世凱政権は無くなったのだから、袁世凱政権が日本政府と結んだ日華条約はもはや無効だ。 だから、日露戦争後に日本が南満洲に投資して作った物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張したのは自然な事でした。 そして、中国共産党の発表では1921年7月に上海でコミンテルンの後押しでシナ共産党が結成され、第1回シナ共産党大会が開かれました。 此の大会には20歳代後半の毛沢東が出席していました。 毛沢東は此の大会に出席して正式なシナ共産党員になりました。 シナ共産党はコミンテルンのシナ支部として発足したのです。 1921年におけるシナ共産党の党員数は57人でした。 翌1922年におけるシナ共産党の党員数は300人でした。 五・四運動が行なわれていた頃の中華民国の学生や知識人は反日一色になっていました。 シナ共産党も発足以来、「抗日」を党是として来ました。 五・四運動以降、大東亜戦争中まで、コミンテルンの工作員が中華民国内の色々な所に入り込み、お金をばら撒いて(其のお金の出どころはロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力です)、シナ人の反日・抗日・排日運動を陰で支えていました。 因みに、今の中国共産党も「抗日」を党是としています。

● 国共合作。 国民党軍による北伐。 国共合作の解消。
孫文は1919年10月に広州(広東省の中心都市)で秘密結社「中華革命党」を改編して「国民党」を作りました。 此のときの「国民党」は軍閥ではありませんでした。 なぜなら、孫文は自分の軍隊を持ってなかったからです。 1919年5月に五・四運動が起き、中華民国の青年の間にマルクス主義への共感が広まっていき、加えて、其の当時、日本人から孫文への資金援助が無くなり、加えて、孫文は自分の軍隊を持ってなかった為、孫文は1920年頃から「コミンテルン(1919年3月2日に発足)に頼ろうか」と思うようになり、コミンテルンに接近するようになりました。 また、1922年頃、シナ共産党(1921年7月に結成)は生まれ立ての弱小集団でしたから、コミンテルンはシナ共産党を当てにすることが出来ず、其の為、国民党(孫文)を当てにするようになりました。 此のような状況の中で、孫文とコミンテルンとは互いに合意に達し、孫文は1923年にコミンテルンから軍事顧問を招き、其の軍事顧問を国民党最高顧問にしました。 1923年における国民党の党員数は5万人でした。 そして、コミンテルンが孫文に活動資金を提供するようになり、シナ共産党員を国民党に無制限に入れるという国共合作が1924年に成立しました。 先に述べたように、コミンテルンの背後にはロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が居ました。 レーニンは1924年1月21日に死にました。 レーニンが死んだあと、スターリンがコミンテルンの最高責任者になりました。 国民党最高顧問になったコミンテルン軍事顧問の指導下で国民党(孫文)はソ連式の近代的な軍隊の育成に取り掛かりました。 孫文は1925年に死去しました。 そして、其の後すぐ、蒋介石が国民党の主導権を握りました。 孫文が死んだあとも、コミンテルン(スターリン)は国民党に多額の活動資金を提供しました。(其のお金の出どころはロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力です。) 其のお陰で国民党は中華民国で最も強い軍閥になりました。 1926年7月、蒋介石率いる国民党軍は中華民国の全国統一を目指して広州を出発し、所謂「北伐」を始めました。 国民党軍は翌1927年の3月には上海と南京とを支配下に置きました。 しかし、此の頃、国民党内でシナ共産党員の勢力が拡大し過ぎ、加えて、シナ共産党員がコミンテルン(スターリン)から指示されて上海で武装暴動を起こしました。 其の為、蒋介石は1927年4月に国共合作を解消し、国民党からシナ共産党員を追い出し(上海クーデター)、南京に「南京政府」を立てて南京を中華民国の首都にしました。 其れから1年後の1928年4月上旬、蒋介石率いる国民党軍は北伐を再開し、1928年5月下旬に北京に迫りました。 其の当時、北京で実権を握っていた軍閥の首領は張作霖という人でした。 張作霖は国民党軍に抗し切れずに北京から撤退しました。 そこへ国民党軍が入り、1928年6月上旬に北京を支配下に置きました。 こうして、国民党軍による北伐が完了しました。 国民党軍による北伐が完了したとは言っても、シナ共産党軍は依然として強い勢力を持っており、蒋介石政権が中華民国の全土を統治していた訳ではなく、シナ共産党軍のほかにも多数の軍閥があり、其れらの軍閥と国民党軍との間で戦闘が続発していました。

● 日本による南満洲への投資。 満洲事変。
ここで日露戦争前後の満洲と日本とに目を向けましょう。 満洲は、シナに清王朝を立てた女真族(満洲族)の本拠地です。 シナで1899年に「義和団の乱」が起き、1900年6月に「北清事変」が起きました。 すると、北清事変中の1900年7月、ロシア陸軍17万7千人が大挙して満洲に侵入し、満洲に居座ってしまいました。 そして、ロシア政府は朝鮮に強く働き掛けるようになりました。 此のような状況に危機感を持った日本は満洲と朝鮮とからロシア軍を追い出す為にロシアを相手に戦いました(日露戦争)。 日露戦争で日本は辛うじてロシアに勝ち、アメリカのポーツマスでロシアと講和条約(ポーツマス条約 1905年9月5日)を結び、朝鮮における日本の優越権をロシアに認めさせ、樺太の南半分を譲り受け、遼東半島先端の関東州(旅順、大連)の租借権を譲り受け、ロシアが満洲に敷いた東清鉄道南満洲支線(ハルビン⇔大連)の内の長春以南の部分を譲り受けましたが、ロシアから賠償金を得る事は出来ませんでした。 日本陸軍とロシア陸軍はそれぞれ鉄道警備隊だけを残して満洲から撤退しました。 日本が日露戦争でロシアに勝った結果として、長春以南の南満洲は日本の勢力圏になり、長春以北の北満洲は其れまで通りロシアの勢力圏になりました。 日本が関東州の租借権を獲得した事は、日本が満洲からロシア軍を追い出した事に対する、清王朝からのお礼の意味が有りました。 また、日本の租借地になった関東州には日本陸軍が入り、南満洲鉄道(長春⇔大連)の警備に当たりました。

其の当時の満洲は多くの馬賊がのさばる無法地帯でした。 馬賊は武装した軍勢です。 馬賊は清王朝の軍隊との武力衝突をも辞さず、満洲の町や村を襲って金銭や食糧を奪っていました。 其れら多くの馬賊の頂点に立っていた者が「張作霖」という人物でした。 言い換えると、張作霖の下には多くの馬賊が集まって大きな勢力を形成し、満洲の民衆から金銭や食糧を奪っていたのです。 ジョージ・ブロンソン・レー(シナに32年間滞在したアメリカ人ジャーナリスト)は「張作霖一家が3000万民衆から奪い取った収入は、南京政府の収入よりも多くなくとも、其れに匹敵するものであった」と書いています。 其のような状況の中で、日本は南満洲鉄道の経営に乗り出し、沿線都市に学校を作り、病院を建て、沿線都市を整備し、炭鉱を開発し、港を整備するなど、多大な投資をしていきました。 1928年、張作霖は、北京に迫り来る国民党軍に抗し切れずに北京から撤退して満洲に戻る途中、奉天(現在の瀋陽)の近くで、乗っていた列車ごと爆殺されました(張作霖爆殺事件)。 歴史学者の宮脇淳子さんによると、此の事件の首謀者は張作霖の息子:張学良です。 此の事件のあと、張学良は彼の父:張作霖が満洲に持っていた全権益と巨額の財産とを継承しました。 張学良は蒋介石に帰服し、1930年頃に「満洲は中華民国の一部だから、日本人は南満洲に持っている物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張し、日本の南満洲における権益を奪い取ろうとし、南満洲在住の日本人に有りと有らゆる妨害工作を仕掛けてきました。 其れに対して、関東軍(石原莞爾)は1931年9月18日に奉天近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で南満洲鉄道の線路を爆破し(柳条湖事件)、此の事件を張学良の仕業としました。 そして、関東軍は張学良勢力の掃討に乗り出し、張学良の軍隊を満洲全域(南満洲&北満洲)で掃討し、北満洲を占領し、満洲全域を支配下に置きました。 此れが満洲事変(1931年9月18日〜1932年2月)です。 今のロシア政府は関東軍が北満洲を占領した事を「日本がロシアを侵略した」と思っているようです。 其の当時のソ連政府も其のように思っていたでしょう。 しかし、其の当時のソ連政府は満洲事変に対して積極的に動きませんでした。 ソ連政府が満洲事変に対して積極的に動かなかったのは、ソ連政府が1928年に始めた第1次五年間計画の達成に手一杯であった為である、と言われています。 一方、コミンテルン(スターリン)は見えないところで動いていたのではないでしょうか。 第三者の立場から見れば、「満洲事変は日本によるシナ侵略戦争の始まりである」と見えるでしょう。 しかし、実の所、日本陸軍が張学良の軍隊を掃討したのを見た満洲の民衆は大喝采し、日本陸軍に感謝したのです。 なぜなら、張学良の軍隊は「軍費を捻出する為に広大な満洲の土地を荒らし、民衆の膏血(人の脂と血)の7、8割は軍費に充てられ、商民の3割はついに破産した」と言われるほどにまで酷い収奪を行なっていたからです。

其の当時の諸外国の反応は、「日本陸軍の行動は止むを得なかった」とするものや、日本陸軍の行動を強く非難するものなど、様々でした。 アメリカの新聞記者ウォルター・リップマンは「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準からすれば、極めて忍耐強かった」と書きました。 国際連盟(1920年1月に発足)はイギリス人のリットンを団長とする調査団を満洲に派遣して調査させました。

張学良は蒋介石に帰服していました。 張学良が「満洲は中華民国の一部だから、日本人は南満洲に持っている物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張し、日本の南満洲における権益を奪い取ろうとし、南満洲在住の日本人に有りと有らゆる妨害工作を仕掛けてきた事は、アメリカ連邦政府に支援されていた蒋介石からの指示によるものだった、と言えそうです。 そして、関東軍が張学良勢力の掃討に乗り出し、張学良の軍隊を満洲全域(南満洲&北満洲)で掃討し、北満洲を占領し、満洲全域を支配下に置いた事は、アメリカ連邦政府の誘導によるものだった、と言えそうです。 そして、関東軍が張学良勢力の掃討に乗り出し、張学良の軍隊を満洲全域(南満洲&北満洲)で掃討し、北満洲を占領し、満洲全域を支配下に置いた事は、大本営がアメリカ連邦政府の誘導に敢えて乗ったものだった、と考えることも出来そうです。 アメリカ連邦政府が何時頃から蒋介石を支援するようになったのか、明確な事は分かりませんが、アメリカ連邦政府は蒋介石が国民党の主導権を握った頃(1925年頃)から蒋介石に支援の相談を持ち掛けるようになったのではないでしょうか。 孫文が1919年に秘密結社「中華革命党」を改編して「国民党」を作った頃には、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は蒋介石を「将来、役に立つ人物」と見て蒋介石に目を付けていたのではないでしょうか。 孫文が1925年に死んだあとすぐ、蒋介石が国民党の主導権を握ったのはニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の後ろ盾によるのかも知れません。 また、歴史学者の宮脇淳子さんによると、張学良は張作霖爆殺事件の前から密かにコミンテルン(スターリン)の工作員になっていました。 そうだとすると、張学良が1930年頃に「満洲は中華民国の一部だから、日本人は南満洲に持っている物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張し、日本の南満洲における権益を奪い取ろうとし、南満洲在住の日本人に有りと有らゆる妨害工作を仕掛けてきた事は、コミンテルン(スターリン)からの指示によるものだったのかも知れません。 五・四運動(1919年)が起きたときにも、コミンテルンの指導下にあった北京大学の教授や学生が「袁世凱政権は無くなったのだから、袁世凱政権が日本政府と結んだ日華条約はもはや無効だ。 だから、日露戦争後に日本が南満洲に投資して作った物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張したのを思い出して頂けるでしょう。 恐らく、張学良が1930年頃に「満洲は中華民国の一部だから、日本人は南満洲に持っている物の全てを手放して南満洲から出ていけ」と主張し、日本の南満洲における権益を奪い取ろうとし、南満洲在住の日本人に有りと有らゆる妨害工作を仕掛けてきた事は、コミンテルン(スターリン)、並びに、アメリカ連邦政府に支援されていた蒋介石からの指示によるものだったのではないでしょうか。 そうだとすると、関東軍が張学良勢力の掃討に乗り出し、張学良の軍隊を満洲全域(南満洲&北満洲)で掃討し、北満洲を占領し、満洲全域を支配下に置いた事は、コミンテルン(スターリン)とアメリカ連邦政府の誘導によるものだった、と言えます。 敵勢力を許容可能範囲内において最大限に伸張させてから敵勢力を潰しに掛かるという戦略は、強い人間集団が弱い人間集団に対して使える「極めて有効な戦略」です。 関東軍(石原莞爾)が1931年9月に奉天近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で南満洲鉄道の線路を爆破し(柳条湖事件)、此の事件を張学良の仕業とし、関東軍が張学良勢力の掃討に乗り出し、張学良の軍隊を満洲全域(南満洲&北満洲)で掃討し、北満洲を占領し、満洲全域を支配下に置いた事は、大本営がコミンテルン(スターリン)とアメリカ連邦政府の誘導に敢えて乗ったものだった、と考えることも出来ます。

関東軍(石原莞爾)が1931年9月に奉天近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で南満洲鉄道の線路を爆破して以降、日本の軍事は大本営の主導で行なわれるようになりました。

● 満洲国の成立。 リットン調査団の報告。 日本の国際連盟脱退。
1924年の北京政変(クーデター)で清王朝最後の皇帝:溥儀と其の一族は紫禁城から強制的に退去させられました。 溥儀と其の一族は北京の日本公使館に入り、其の後、天津の日本租界に移り、日本政府の保護を受けていました。 1932年3月、日本政府は満洲の地に溥儀を迎えて「満洲国」を作りました。 そして、1934年3月、溥儀は満洲国の皇帝になりました。 清王朝は女真族(満洲族)がシナに立てた王朝です。 ですから、満洲は「清」の皇帝の故郷です。 溥儀は「故郷の満洲に帰りたい。 そこに自分の国をつくりたい」と願っていました。 日本政府は溥儀の願いを叶えた、と言って良いでしょう。 満洲国は、皇帝が満洲人であるだけでなく、大臣も一人残らず満洲人か清王朝の遺臣でした。 満洲国はすぐに自立できる状態にはありませんでしたので、日本政府が満洲国の後ろ盾になりました。 しかし、リットン調査団の報告の結論は「満洲国を国際連盟の管理下に置くべきである」というものでした。 リットン調査団の報告に基づき、1933年2月、国際連盟は「満洲国を国際連盟の管理下に置くべきである」と決議し、此れを受けて、1933年3月、日本は国際連盟を脱退しました。 此れら一連の出来事はアメリカ連邦政府とコミンテルン(スターリン)との誘導の流れに乗るものであった、と思われます。 1933年5月、日本と中華民国との間で「万里の長城の北側は日本の勢力圏とし、万里の長城の南側は中華民国の勢力圏とする」という「塘沽(とうこ)停戦協定」が結ばれました。

  緑色の部分が満洲国の領域です。
  

● 第1次国共内戦。 シナ共産党軍の「長征」。
シナ共産党軍にはモスクワ帰りの共産党員が沢山いました。 其の所為でシナ共産党軍はマルクス主義暴力革命を目指す軍閥でした。 其の当時、イギリスやフランスや日本は天津や上海や香港や広州など、シナの沿海地域に大きな投資をしていました。 シナ共産党軍はお金持ちシナ人の財産や、イギリスやフランスや日本がシナに築いた資産を全て奪い取る積もりでいました。 また、蒋介石が1927年4月に国共合作を解消したあと、イギリス政府やフランス政府はシナ共産党軍を牽制する為に、蒋介石(国民党軍)に活動資金を提供するようになりました。 アメリカ連邦政府も此の頃から蒋介石に活動資金を提供するようになった、と思われます。 そして、1928年6月に国民党軍による北伐が完了しました。 其のような状況の中で、蒋介石はイギリス政府やフランス政府から責(せ)っ付かれて、1930年12月からシナ共産党軍の掃討に乗り出しました(第1次国共内戦)。 中華民国はまたしても内戦状態になったのです。 国民党軍は順調にシナ共産党軍を追い詰めていきました。 シナの沿海地域は国民党軍によって支配され、追い詰められたシナ共産党軍はコミンテルン(スターリン)に支援されながら、内陸部の農村地帯に数ヶ所の支配拠点を作り、満洲事変が起きた年(1931年)の11月に江西省の瑞金で「中華ソビエト共和国」の成立を宣言しました。 蒋介石率いる国民党軍は各地のシナ共産党軍を撃破し、1934年10月にはシナ共産党軍を追い詰めた為、瑞金が陥落しそうになりました。 瑞金に駐留していたシナ共産党軍の生き残り主力部隊8万人の中には毛沢東・周恩来・ケ小平がいました。 此の生き残り主力部隊8万人は1934年10月に瑞金を去り、所謂「長征」を始めました。 此の生き残り主力部隊8万人は西へ進路をとって山岳地帯を進み、更に、四川盆地の西方にある険しい山岳地帯(標高3000m〜7000m)を進み、苦しい行軍の末に、1935年10月、内モンゴルに近い延安に辿(たど)り着きました。 此の過程でシナ共産党軍の主力部隊の兵員数は8万人から3万人になりました。 瑞金以外の地に駐留していたシナ共産党軍の生き残り少数2部隊も四川盆地の西方にある険しい山岳地帯を進むなどして、1936年10月、延安の辺りで主力部隊に合流し、「長征」は終わりました。 毛沢東はモスクワ帰りのエリート共産党員を嫌っていました。 そこで、毛沢東はモスクワ帰りのエリート共産党員が「長征」の途中で全て死ぬように謀りました。 そして、モスクワ帰りのエリート共産党員は「長征」の途中で全て死にました。 そして、「長征」が終わったあと、シナ共産党軍における毛沢東の主導権が確立されました。

● 八・一宣言。 西安事件。 国共再合作。
1930年12月に第1次国共内戦が始まり、シナ共産党軍は国民党軍によって追い詰められ、瑞金に駐留していたシナ共産党軍の生き残り主力部隊8万人は1934年10月に「長征」を始めました。 「長征」がまだ終わっていない1935年8月1日、モスクワに滞在中のシナ共産党代表が中華ソビエト共和国政府との連名で「抗日救国の為に全同胞に告げる書」(八・一宣言)を発表しました。 此の宣言の内容は、蒋介石の政策を批判し、「シナ全土の同胞・政党・軍隊はそれぞれの間の闘争をやめ、共同して日本軍に抵抗せよ」と呼びかけたものです。 1935年8月は満洲事変(1931年9月〜1932年2月)の後であり、日中戦争(1937年7月7日〜1945年8月15日)の前です。 八・一宣言が発表された当時(1935年頃)、日本は満洲国の建設に力を注いでいました。 其の当時のコミンテルン(スターリン)は将来的には満洲から日本人を叩き出したいと思っていました。 また、コミンテルン(スターリン)は日本国内のマルクス教勢力を増大させて日本を共産化しようと考え、日本国内でも工作活動をしていました。 はっきり述べれば、コミンテルン(スターリン)は大日本帝国を潰そうと考えていたのです。 八・一宣言はコミンテルン(スターリン)の意向に添ったものであり、日本に対する敵対宣言です。 1935年8月1日の時点で「日本を敵とする」というシナ共産党の方針が確立されたのです。 こうした状況の中で、シナ共産党軍起死回生の策として「日本を中華民国の内戦に引き込み、国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせる」という戦術が考え出されました。

シナ人の伝統的な戦術として「夷(い)を以(もっ)て夷(い)を制す」というものが在ります。「夷(い)」とは、シナ人が外国を敵国と見なし、且つ、見下して使う語です。 ですから、「夷を以て夷を制す」とは、「敵国を使って他の敵国を抑える」という戦術です。 此の戦術は実際には自分に対する複数の敵国を互いに戦わせて其の勢力を削ぎ、最終的に自分が複数の敵国を制圧するか、少なくとも自分は生き残るという戦術として使われます。 ですから、「夷を以て夷を制す」という戦術は「意図的に漁夫の利を得る」戦術です。 毛沢東は「夷を以て夷を制す」戦術で国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせ、両者の勢力を削ぐ事で自分は生き残ろうとしたのです。

1936年12月12日、蒋介石が西安に滞在していた時、油断していたのでしょうか、蒋介石は不意を突かれ、潜んでいたシナ共産党兵に捕えられてしまいました(西安事件)。 此の事件の首謀者は張学良です。 張学良は蒋介石の部下でしたが、張学良は1935年に密かにシナ共産党員になっていました。 捕えられた蒋介石は延安に連行され、毛沢東の前に置かれました。 毛沢東は蒋介石を目の前にして、どうしたものかと思案しました。 思案の最中の毛沢東にコミンテルン(スターリン)から指令が来ました。 其の指令は「蒋介石を殺さずに釈放して国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせよ」というものでした。 もう少し詳しく述べると、「国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせる事で両者の勢力を削ぎ、其の間にシナ共産党軍の勢力を回復させ、其の後、勢力を回復したシナ共産党軍が国民党軍と日本陸軍とを打ち負かし、シナ全土を支配下に置け」という指令です。 此の指令は正に「夷を以て夷を制す」戦術です。 毛沢東は此の指令に従いました。 毛沢東は蒋介石に「命を助けてやるから、お前は日本陸軍を相手に戦え」と言いました。 すると、蒋介石は「ならば、シナ共産党軍も国民党軍と一緒に日本陸軍を相手に戦え」と言いました。 こうして、「国共再合作」が実現したのです。 こうして、日本陸軍は国民党軍とシナ共産党軍とを相手に戦わなければならなくなり、日中戦争が始まっていくのです。 蒋介石の周りにはシナ共産党軍から差し向けられた者たちが多数入り込み、蒋介石の行動を逐一監視していました。 こうして、蒋介石は命拾いしましたが、蒋介石は自分の命と引き替えにシナ共産党軍の勢力拡大を許したのです。

蒋介石(国民党軍)が日本陸軍を相手に戦うようになった背景には、アメリカ連邦政府による蒋介石(国民党軍)への軍事援助が在りました。 アメリカ連邦政府の軍事援助があったからこそ、蒋介石(国民党軍)は日本陸軍を相手に戦うことが出来たのです。

日中戦争は以上のような状況の中で起きたのです。 コミンテルン(スターリン)、毛沢東、ホワイトハウスの要人は日中戦争の起きることを望んでいたのです。 コミンテルン(スターリン)の背後にはロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が居ました。 ホワイトハウスの要人の背後にもロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が居ました。 今でも左派日本人大学教授などは此のような状況を意図的に黙殺して「日本の軍国主義者が日中戦争を始めた」と主張します。 此のような主張は、中国共産党や、ロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の意向におもねったものでしょう。

● 蘆溝橋事件。
西安事件(1936年12月12日)が起きた頃、北京の南西郊外に日本陸軍が駐屯していました。 日本陸軍の此の駐屯は「北京議定書(1901年)」という条約に基づいていました。 1937年7月7日に始まった日中戦争はシナ共産党軍が仕組んだ小さな事件から始まりました。 北京の南西郊外に蘆溝橋(ろこうきょう)という石造りの橋が在ります。 1937年7月7日、此の橋の近くの荒れ地で夜間訓練をしていた日本陸軍に数発の銃弾が撃ち込まれました。 其の当時、日本は中華民国との紛争を避ける方針を採っていましたので、北京の南西郊外に駐屯中の日本陸軍は其の銃撃に応戦しませんでした。 しかし翌朝、北京の南西郊外に駐屯中の日本陸軍は再三に渡って銃撃を受けた為、近くに居る国民党軍を攻撃し始めました。 此れが「蘆溝橋事件」です。 此の事件の切っ掛けになった銃弾はシナ共産党軍が撃ち込んだものであるというのが今日の定説です。 中国共産党は蘆溝橋事件を「日本陸軍の自作自演」だと主張していますが、蘆溝橋事件は日本陸軍の自作自演ではありません。 中国共産党の劉少奇は、此の事件を自分の工作実績の自慢話として語りました。 シナ共産党軍は国民党軍と北京の南西郊外に駐屯中の日本陸軍とを互いに戦わせ、日本陸軍を中華民国の内戦に引き込もうと考えて此の謀略を仕組んだのです。 シナ共産党軍は此の事件の翌日、日本陸軍との開戦を主張する激烈な声明を発表し、蒋介石に対日開戦を強く迫りました。 また、此の事件の直後に、コミンテルン(スターリン)はシナ共産党軍へ「局地解決を避け、全面戦争に導け。 局地解決を図ろうとする要人は、此れを抹殺しろ」との指令を出しました。 それで、シナ共産党軍は、休戦協定が成立しそうになると、各地で日本人に対するテロを繰り返し、日本陸軍を挑発しました。 日本人と朝鮮人との合計二百数十名が惨殺された事件(通州事件、1937年7月29日)も起きました。 それでも、日本陸軍は忍耐に忍耐を重ねてシナ共産党軍の挑発になかなか乗りませんでした。 しかしながら、コミンテルン(スターリン)とシナ共産党軍との謀略は成功し、日本陸軍は国民党軍との全面的な戦闘状態に入っていきました。 こうして、日本陸軍は中華民国の内戦に引き込まれ、日本陸軍は中華民国で戦域をどんどん拡大する破目になったのです。 国民党軍と日本陸軍との戦いは概して、日本陸軍が攻撃すると、国民党軍が撤退して敗走するという形で進みました。 国民党軍はどんどん弱体化し、四川省の重慶まで引き下がりました。 一方、シナ共産党軍はどんどん力を回復しました。

日中戦争中、アメリカ連邦政府やイギリス政府が蒋介石(国民党軍)に援助物資を送る為に使っていた輸送路(鉄道、道路、水路)を「援蒋ルート」と言います。 援蒋ルートは @ ビルマのラングーン(現在のヤンゴン)から雲南省の昆明を経て四川省の重慶に至る輸送路、A フランス領インドシナのハイフォンから雲南省の昆明を経て四川省の重慶に至る輸送路、B 香港から重慶に至る輸送路、の3本です。 アメリカ連邦政府は此れらの援蒋ルートを使い、重慶に駐屯する国民党軍に、武器、弾薬、医薬品、食糧など、様々な援助物資を送り届けていました。 尤も、其れらの援助物資は、山を越え、川を越え、重慶に届くまでに当初量の何分の一かに減ってしまいました。 なぜなら、其れらの地域を支配する匪賊(集団で強姦・殺害・強奪を働く賊)によって援助物資の一部が次々と通行料として取られてしまったからです。 其の当時、日本陸軍の支配地域以外のシナには匪賊が2000万人も居た、と言われています。 其の数はシナ軍の約10倍です。 彼ら匪賊は強奪で生計を立てていたのです。

● 第2次国共内戦。 中華人民共和国の成立。
1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇がNHKのラジオ放送でポツダム宣言の受諾(日本の無条件降伏)を日本国民にお伝えになりました。 日本国民は昭和天皇の御言葉に素直に従い、日本は連合国に無条件降伏し、シナに居た日本陸軍は引き上げました。 中華民国(蒋介石政権)は第2次世界大戦の主要戦勝国になり、1945年10月に発足した国際連合の常任理事国になりました。 しかし、国民党軍とシナ共産党軍は共通の敵(大日本帝国)を失った為、国共合作は無意味になり、両軍は1945年10月から武力衝突するようになりました。 ここからは「ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「シナにおいて共産主義勢力を強大にし、シナを共産主義国家にし、シナをソ連の子分にしよう」と思っていた。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は其の思いが公にならないように狡猾・巧妙に事を運んだ」という仮説に基づいて話を進めます。 日本が無条件降伏したので、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、アメリカのトルーマン政権(民主党、1945年4月〜1953年1月)にとって、蒋介石は御用済みになりました。 しかし、蒋介石(国民党軍)への軍事援助を急に打ち切ってしまったら、トルーマン政権は世界中から不信感を持たれますから、トルーマン政権は日本の無条件降伏後も蒋介石(国民党軍)への軍事援助を続けていました。 トルーマン政権はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の「シナにおいて共産主義勢力を強大にし、シナを共産主義国家にし、シナをソ連の子分にしよう」という思いが公にならないように、蒋介石(国民党軍)と毛沢東(シナ共産党軍)との連立政権の樹立を望んでいる振りをし、1946年1月、トルーマン政権は蒋介石(国民党軍)と毛沢東(シナ共産党軍)とを和解させる振りをして、アメリカ陸軍省に勤めるマーシャル陸軍元帥を特使としてシナに派遣し、彼をして蒋介石と毛沢東との対立を調停する振りをさせましたが、蒋介石と毛沢東との対立はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の予想通りに且つ願望通りに解消しませんでした。 1946年6月、蒋介石(国民党軍)がシナ共産党軍の制圧に本格的に乗り出し、毛沢東(シナ共産党軍)も此れに対抗し、国民党軍とシナ共産党軍との本格的な内戦が始まりました(第2次国共内戦)。 そこで、トルーマン政権は「此の辺りが蒋介石(国民党軍)への軍事援助を打ち切る潮時だ」と考え、蒋介石(国民党軍)への軍事援助を打ち切りました。 国民党軍とシナ共産党軍とは互いに激しく戦いましたが、最終的にはシナ共産党軍が優勢になり、毛沢東は1949年10月1日に北京で「中華人民共和国」の成立を宣言しました。 蒋介石は1949年12月に成都(四川省の中心都市)から飛行機に乗って台湾へ逃げました。 此の国共内戦は1950年5月まで局地的に続き、1950年6月の時点でシナ共産党軍はシナ全土と満洲とを支配下に置きました。 こうして、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の目論み通りに、且つ、彼らの「シナにおいて共産主義勢力を強大にし、シナを共産主義国家にし、シナをソ連の子分にしよう」という思いが公になること無く、シナ全土の共産化を目指す毛沢東政権が成立し、共産主義国家「中華人民共和国(略称:中国)」が出来たのです。 こうして、毛沢東はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力のお陰で自らの目的を果たすことが出来ました。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力がシナ共産党を強大な勢力に育て上げたのです。 手短に言えば、「中華人民共和国(略称:中国)」という共産主義国家はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力によって造られたのです。

中国事情に詳しい河添恵子さんによると、第2次国共内戦中にロンドン・ロスチャイルドは毛沢東に活動資金を提供していました。 此の件に関しては、動画「[河添恵子さん][中国政府に本当の危機!] EU・IMFも中国政府にNO![一帯一路]と政治的介入」(https://www.youtube.com/watch?v=PcoltUw5ctQ)をご覧になってください。 ロンドン・ロスチャイルドも毛沢東に活動資金を提供して「シナにおいて共産主義勢力を強大にし、シナを共産主義国家にしよう」と考えていたのです。

蒋介石が戦争相手をシナ共産党軍から日本陸軍に変更した事は、彼の人生における最大の過ちである、と見て良いでしょう。 なぜなら、蒋介石は其の事でニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力に利用されて最後には御用済みにされ、シナ共産党軍に負け、台湾へ逃げる破目になったからです。 また、国共再合作と言っても、日本陸軍を相手に戦ったのは国民党軍であり、シナ共産党軍については、毛沢東の部下の将軍の1人が血気にはやって日本陸軍と交戦した事が一度あっただけで、毛沢東に日本陸軍を相手に戦う意思は無く、大局的に見て、シナ共産党軍は日本陸軍と交戦しませんでした。 国民党軍が日本陸軍を相手に戦っている間に、シナ共産党軍は勢力を温存・回復し、日本陸軍がシナから去ったあと、シナ共産党軍は国民党軍を打ち負かしました。 其の結果として、シナは近代国家への道を進むことが出来ずに共産主義国家になってしまいました。 ですから、蒋介石が戦争相手をシナ共産党軍から日本陸軍に変更した事は、彼個人の過ちであるばかりか、シナにとっても不幸な事であった、と言えるでしょう。

毛沢東は自身の「夷を以て夷を制す」戦術について語った事が有ります。 1964年に佐々木更三を団長とする日本社会党訪中団が毛沢東と会談しました。 日本社会党というのは「江華島事件(明治8年)以降、日本はアジア諸国を侵略してきた。 満洲事変や日中戦争や太平洋戦争は全くの侵略戦争であった。 日本は中国や朝鮮で悪い事ばかりしてきた」という観念を教え込まれて信じ切っている人々や、其のような観念を主張することが自分たちの利益になると思っている人々(日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人など)の集まりです。 日本社会党訪中団が「日本の軍国主義者のシナ侵略」について毛沢東に謝罪しました。 すると、毛沢東は次のように言いました。「何も申し訳なく思う事はない。 日本の軍国主義はシナに大きな利益をもたらし、シナ人民に権力を奪取させてくれた。 皇軍(日本軍)なしでは、我々が権力を奪取することは不可能だった」。 毛沢東がそう言って日本に感謝したという話は有名です。 言うまでもなく、此の感謝は本当の意味での感謝ではありません。 シナ共産党軍の謀略に嵌(は)まった日本陸軍に対する一種の嘲笑の言葉なのです。 毛沢東は意図的に漁夫の利を得たのです。 中国共産党に謝罪する事が如何に愚かな事かがお分かりになるでしょう。

● 中独合作。
中独合作(ドイツ語で Chinesisch-Deutsche Kooperation)というものがあった、と言われています。 中独合作とは、1920年代の後半から1930年代にかけて蒋介石政権とドイツ政府との間で行なわれていた軍事経済協力です。 其の当時、蒋介石政権は国民党軍の強化と国防産業の育成を必要としていました。 ドイツ政府は第1次世界大戦終結後の経済復興の過程で軍需資源の安定確保を必要としていました。 蒋介石政権の思いとドイツ政府の思いとが互いにうまく合って此の両者の間で軍事経済協力が行なわれた、と言われています。 1920年代の後半にドイツ政府はドイツ軍人約30人から成る軍事顧問団を蒋介石政権に派遣しました。 此のドイツ軍事顧問団は蒋介石(国民党軍)に様々な助言をし、国民党軍の人材育成と組織整備とを行ないました。 1931年9月に起きた満洲事変がシナに飛び火して起きた上海事変(1932年1月〜1932年3月)で日本陸軍を相手に戦った国民党軍の背後にはドイツ軍事顧問団が居ました。 上海事変はドイツ政府が国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせたものです。 ドイツでナチスが1933年1月に政権を取りました。 すると、ナチス政権は蒋介石(国民党軍)への軍事援助を以前にも増して強め、其の軍事援助は国民党軍の人材育成と組織整備とにとどまらず、国民党軍への軍需品の供与にまで及びました。 ドイツ製の各種武器(機関銃、ライフル銃、迫撃砲、大砲、など)が国民党軍に供与された、と言われています。 1934年8月に蒋介石政権とナチス政権との間でシナの鉱産物とドイツの工業製品とを物物交換する条約が結ばれました。 此の条約でナチス政権はシナからタングステンとアンチモンとをたくさん手に入れ、蒋介石政権は多くのドイツ製武器を手に入れた、と言われています。 1936年、ヒトラーが外交方針を変更し、1936年11月、日本政府とナチス政権は共同してコミンテルン(スターリン)に対抗する為に日独防共協定を締結しました。 此れに伴って、蒋介石政権とナチス政権との協力関係は弱くなっていきました。 しかし、日中戦争の中で1937年8月13日に起きた上海戦で日本陸軍を相手に戦った国民党軍の背後にもドイツ軍事顧問団が居た、と言われています。 此の頃のドイツ軍事顧問団の構成員の数は100人余りであった、と言われています。 上海戦は1937年10月26日まで続きました。 此の戦いで兵の人数では日本陸軍の2.4倍の国民党軍は日本陸軍に負けて、南京に退却しました。 此の戦いで日本陸軍は4万人余りの戦死傷者を出しました。 日本陸軍は国民党軍を追撃しました。 そして、南京に退却した国民党軍と、追撃する日本陸軍との間で南京戦(1937年12月4日〜12月13日)が始まる事になります。 1938年にナチス政権(ヒトラー)は満洲国を正式に承認し、シナから軍事顧問団を撤収し、シナへの軍需品の輸出を禁じました。 ナチス政権(ヒトラー)が蒋介石政権を見捨て、日本と防共協定を結んだ事はドイツの経済界人を失望させた、と言われています。 また、シナ在住ドイツ人のほとんど全ては蒋介石政権に同情的だった、と言われています。

● 因みに。
中国共産党(毛沢東)はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の意図に反して、ソ連の子分になろうとせず、其の上、中国共産党は1950年代の後半からソ連政府と対立するようになり(中ソ対立)、此の対立が1980年頃まで続きました。 ですから、ソ連政府は共産主義国家「中華人民共和国」の成立による利を得ることが出来なかった、と言えるのではないでしょうか。 一方、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は毛沢東が得た漁夫の利と同程度の利を共産主義国家「中華人民共和国」の成立によって得た、と言えるのではないでしょうか。 なぜなら、共産主義国家「中華人民共和国」の成立によって、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は世界中の人々に「共産主義国家:ソ連に加えて共産主義国家:中国が成立した事で東西の政治的対立が一層深まった」と思わせることが出来たからです。 共産主義国家「中華人民共和国」の成立はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、スターリンが望んだ事です。 はっきり述べれば、「東西冷戦」はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、スターリンが共同して仕組んだ八百長であったのです。

1962年に起きたキューバ危機というものは一般的に、ソ連政府がキューバに核ミサイル基地を建設した事をアメリカ連邦政府が1962年10月に気付き、アメリカ連邦政府が同年11月にかけてキューバに対する海上封鎖を実施した為、アメリカ連邦政府とソ連政府との間の軍事的緊張が高まり、其の緊張が核戦争勃発寸前にまで達した事件である、と言われています。 しかしながら、キューバ危機というものは、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が「深刻な東西対立」というものを世界中の人々に強く印象付ける為に企てた八百長であったであったのです。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「「深刻な東西対立」というものを世界中の人々に強く印象付ける為にはどうしたら良いか」と考えた、と思われます。 そこで、彼らは「ソ連政府をしてキューバに核ミサイル基地を建設させ、其の核ミサイル基地をアメリカの偵察衛星または偵察飛行機に発見させ、アメリカ連邦政府とソ連政府とに「深刻な東西対立」を演じさせる」という目論みを思い付き、其の目論みに乗ることをソ連政府の要人に勧め、ソ連政府の要人は其の勧めを受け入れて其の目論みに乗ったのである、と思われます。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力も、ホワイトハウスの要人も、ソ連政府の要人も、アメリカとソ連との間で核戦争を起こす積もりなんて初めから少しも有りません。 なぜなら、もしアメリカとソ連との間で核戦争が起きれば、アメリカもソ連も莫大な損害を受け、其の結果として、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力も莫大な損害を受けるからです。 キューバ危機の中で注目された2人の首脳(ソ連のフルシチョフ第一書記、アメリカのケネディ大統領)はキューバ危機という八百長を演じた2大役者であったのです。 また、ソ連の上空25kmで偵察飛行していたアメリカのU2型偵察機が1960年5月にソ連の地対空ミサイルで撃墜された事件もユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が「深刻な東西対立」というものを世界中の人々に強く印象付ける為に企てた演出であった、と見て間違い無いでしょう。

ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は世界中のマスメディアのほとんど全てをして世界中の人々に「深刻な東西冷戦構造が出来上がった」と思わせる為の報道をさせて来たのです。

第2次世界大戦の終結に伴って、中華民国(蒋介石政権)は第2次世界大戦の主要戦勝国になり、1945年10月に発足した国際連合の常任理事国になりました。 しかしながら、日本の無条件降伏に伴って、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、アメリカのトルーマン政権にとって、蒋介石夫妻は御用済みになったので、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、アメリカのトルーマン政権は、中華民国(蒋介石政権)を国連の常任理事国にしたくなかったのではないでしょうか。 ロンドン・ロスチャイルドも同様に思っていたのではないでしょうか。 そして、時が経ち、1970年頃、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「そろそろ中華民国を国連の常任理事国の座から引きずり降ろす潮時だ」と考えたのでしょう。 中華民国が国連の常任理事国になってから26年後の1971年10月25日、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は中華民国を国連の常任理事国の座から引きずり降ろして国連から追放し、同時に中華人民共和国を国連に加盟させて常任理事国の座に据えました。

第4章  満洲国の発展。 中華民国の実態。 シナ軍の実態。 シナ人の気質。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/rekishi05.htm
満洲国の発展、中華民国の実態、シナ軍の実態、シナでの日本陸軍の行動、シナ人の気質、などについて、もう少し詳しく見ていきましょう。

● 日本は満洲国の建設に力を注いだ。
満洲国はたった13年間の王国でしたが、奇跡の国でした。 満洲国には毎年100万人ほどの人々が雪崩れ込みました。 シナでの強奪・虐殺・貧困を嫌ったシナ人や、朝鮮での貧困を嫌った朝鮮人などが満洲で一旗揚げようと思い、新天地を求めて満洲国に移住したのです。 満洲国の人口は、満洲国が建国された1932年に3000万人弱でしたが、終戦時の1945年には4500万人強になりました。 今の中国人は「其の当時の満洲は強奪と虐殺の地獄だった」とか言っていますが、決してそんな事は無かったのです。

満洲国は「五族協和」を掲げていました。 色々な民族の人々(多くは漢族の人々)が満洲国の平和と繁栄に憧れ、満洲国の平和と繁栄にあやかりたいと思い、我先に満洲国に移住し、自己の繁栄と満洲国の繁栄の為に働きました。 こうして、満洲国は短い期間内に近代的な法治国家、平和国家、重工業国家に成長しました。 しかし、「五族協和といっても、実際は日本が指導した国であり、其の中枢では日本人が大多数を占めていたではないか」という批判も有るでしょう。 しかし、此れは満洲国が自立するまでは、止むを得ない事でした。 なぜなら、日本人以外の人々の大多数は学校教育を受けてなく、字も読めず、「国家」の概念すら理解していない人々だったからです。 日本人には指導的な役割を果たす事が求められたのです。

  満洲国の首都:新京(旧称は長春)の大同大街
  

かつて馬賊がのさばる無法地帯であった満洲は満洲国の建設によって生まれ変わりました。 満洲国では近代的な行政制度や司法制度が確立され、貨幣の統一がたった2年間で達成され、財政が確立し、治安が確立し、賄賂などの悪習が大幅に減りました。 満洲国の領土面積は現在の日本の領土面積の3倍強です。 日本人は其の広大な地域に鉄道や道路や港や空港や上下水道を整備し、治山や治水や電力供給など、様々な国土開発を行ないました。 首都:新京(旧称は長春)は実に先進的な百万人都市として建設されました。 新京では、道路は全て舗装され、東京にも無かった下水道が敷設され、水洗便所が使われました。 以前は鍋・釜しか製造できなかった満洲は、自動車や飛行機を製造する一大産業国家になりました。 日本人は満洲に学校を建て、教育を普及させ、病院を建て、風土病や伝染病を駆逐していきました。 言うまでもなく、改革しなければならない事柄はまだまだ沢山残っていましたし、戦時経済の逼迫(ひっぱく)した状況もありました。 しかし、全体的に見れば、満洲国は生命・財産の保護された平和郷であり、周辺の地域より遥かに優れたアジア人の王道楽土でした。 もし日本が敗戦する事なく、満洲国が存続したならば、間違い無く満洲国は巨大な発展を遂げ、アジアの平和と繁栄に寄与する重要な国家になったでしょう。 しかし、日本の敗戦によって、満洲は中華人民共和国の一部になりました。 そして、日本が満洲に残してきた膨大な日本資産(日本が満洲国に作った工場や社会基盤など)は中華人民共和国の経済発展の基礎になりました。 中華人民共和国は満洲国の遺産を基に発展したのです。

動画「「満洲の旅」特急あじあ号の姿や戦前の朝鮮や朝鮮人が見られます。」(https://www.youtube.com/watch?v=Q7JDjWN3jHE)をご覧になってください。

● 中華民国は血で血を洗う抗争と餓死の国だった。
先に述べたように、袁世凱が1916年に死んだあと、中華民国は軍閥が乱立・割拠する内戦状態になりました。 袁世凱の死後、中華民国は軍閥同士が血で血を洗う抗争を繰り広げる戦国時代に入ったのです。 此の状態は西安事件が起きた1936年まで続きました。 此の時代(1916年〜1936年)の中華民国の社会状態をもう少し詳しく見ていきましょう。 其の当時の中華民国では飢饉が頻発していました。 其の当時の中華民国の飢饉は毎回、数十万人から数百万人の餓死者を出し、餓死者が1000万人を越える事も度々ありました。 飢えた民衆が各地で人肉や自分の子どもの肉を食べたという話が其の当時の資料に多く見られます。 なぜ当時の中華民国で飢饉が頻発したのでしょうか。 其れは、軍閥同士が内戦をしていたからです。 軍閥同士の内戦は中華民国の田畑を荒らし、農作物を痛めつけました。 それぞれの軍閥は勢力を維持・拡大する為に、貧農に重税を課し、働き盛りの男たちを拉致し、其の男たちを労役に使ったり兵にしたりしました。 大軍閥から小軍閥に至るまで軍閥は貧農から収穫物・牛・馬・荷車・若者など、役に立つものを何もかも奪い取りました。 貧農たちは戦乱の度に逃げ惑い、多くの農夫が運搬夫や兵にされて戦場に駆り出されました。 富農(大地主)は生き残る為には自ら武装するか、そうでなければ、軍閥や匪賊にお金を渡して彼らに守ってもらうしかなく、其の為の費用を小作農民から搾り取りました。 追い詰められた小作農民は富農(大地主)の屋敷を襲って穀物や家畜を奪い取りました。 此のような状況の中では正常な農業生産は出来ませんから、食糧が不足して、飢饉が頻発するのは当然です。

1916年〜1936年の中華民国は国としての体(てい)を成していなかったのです。 とても多くの民衆が軍閥同士の内戦や自称「何々政権」同士の内戦の犠牲者になっていたのです。 此れらの内戦で数百万人または数千万人の死者が出る事もありました。 其の為、其の当時の中華民国の食肉市場では何と人肉が売られていたほどです。 人肉は獣肉(イノシシや犬などの肉)よりも安値で売られていました。 なぜでしょうか。 其れは、獣肉よりも人肉の方が安く大量に仕入れることが出来たからです。 また、男の肉は女の肉よりも安値で売られていました。 なぜでしょうか。 其れは、女の肉よりも男の肉の方が安く大量に仕入れることが出来たからです。 此れらの事は、其の当時の中華民国が如何に凄惨な地域であったかを如実に示しています。 中華民国の民衆の大多数は生きていくのがやっとであり、毛沢東に言わせれば、「貧しくて無学無知」の人々でした。

● シナ軍はシナ民衆を虫けらのように扱って殺した。
シナ軍の実態について述べましょう。 シナ軍と日本陸軍との間には大きな質的差異がありました。 シナ軍は、国民党軍もシナ共産党軍も、行く先々で同胞のシナ民衆を強姦し、殺害し、シナ民衆の物を強奪しました。 シナでは伝統的に民衆は戦乱で虫けら同然に殺される存在であり、少なくとも権力者が保護する対象ではありませんでした。 梁啓超(清王朝末期の政治家、ジャーナリスト、歴史学者)はシナ民衆を「戮民(りくみん)」(殺戮される民)と呼びました。 例えば、国共再合作でシナ共産党軍と組んだ国民党軍は、1938年、日本陸軍の進撃を阻もうとして、黄河の堤防を爆破しました。 此の時、大雨が降った事もあって、11の都市と、4千の村が水没し、水死者100万人、他の被災者600万人という大惨事になりました。 しかも、其れだけでは終わりませんでした。 此の人為的な水害の結果として、黄河の水路が変わり、黄河の周辺で大飢饉が広範囲に起きたのです。 それで、食糧不足に悩んだ国民党軍は民衆から食糧を強奪しました。 其の惨状を実際に見たアメリカ人記者は「道端には凍死者と餓死者が溢れ、飢えた人々は死肉を食べていた」と報じました。 国民党軍は堤防の爆破の直後から、堤防の爆破を「日本陸軍の仕業だ」と宣伝していました。 しかし、国民党軍の此の自作自演は、のちに外国人記者によって見破られました。 堤防の爆破の直後から、日本陸軍は堤防の修復作業を行ない、更に、被災した民衆の救助と防疫作業を行ないました。 日本陸軍は、国民党軍から虫けらのように扱われていたシナ民衆を救済したのです。

国民党軍の此のような性格は国民党軍だけのものではなく、シナ共産党軍も同様でした。 シナ共産党軍は、シナ民衆から「共匪(きょうひ)」と呼ばれていました。「共匪」とは、「共産主義の匪賊」の意です。 なぜシナ共産党軍は其のように呼ばれていたかと言うと、シナ共産党軍は行く先々でシナ民衆に強姦・殺害・強奪を働いたからです。 シナ軍は、国民党軍もシナ共産党軍も、犯罪者やゴロツキや浮浪者や失業者を寄せ集めた集団だったのです。 彼らは最下位層の人々でした。 彼らは漢字の読み書きも出来ませんでした。 彼らが軍隊に入ったのは、軍隊に入れば、食いっぱぐれが無く、其の上、占領地区で強姦や強奪が出来るからです。 ですから、シナ軍の司令官は、或る土地を占領すると、最低1週間は兵たちに好きなように強姦や強奪をさせました。 兵たちにそうさせないと、司令官が殺されてしまうのです。

先に述べたように、国民党軍と日本陸軍との戦いは概して、日本陸軍が攻撃すると、国民党軍が撤退して敗走するという形で進みました。 ですから、激戦地を除けば、日本陸軍に殺されたシナ兵の死者は、シナ側が宣伝するほど多くありませんでした。 国民党軍には「督戦隊(とくせんたい)」という部隊がありました。 督戦隊とは、戦線の後方で「敵を殺せ、敵を殺せ」と叫びながら戦線にいる兵をけしかけ、敵前逃亡する兵がいると、其の兵を撃ち殺すという役目を持った部隊です。 先に述べたように、シナ兵のほとんど全ては「軍隊に入れば、食いっぱぐれが無く、占領地区で強姦や強奪が出来る」と考えて軍隊に入った元犯罪者や元ゴロツキや元浮浪者や元失業者でしたから、彼らの士気は低く、敵前逃亡するシナ兵が多かったのです。 シナ史家の黄文雄さんによると、日中戦争では日本陸軍に殺されたシナ兵よりも督戦隊に殺されたシナ兵の方が多かったのです。 因みに、負傷したシナ兵は置き去りにされました。

● シナ民衆は日本陸軍を熱烈に歓迎した。
日中戦争中、国民党軍が通過した所はどこもかしこも強奪されました。 更に、国民党軍は撤退する時、焦土作戦を実行しました。 焦土作戦とは、敵軍が自領土に侵入した時、戦線を後退させつつ、敵軍の利用し得る食料を焼却したり、敵軍の利用し得る住居を破壊したりして、敵軍を消耗させる作戦です。 国民党軍は撤退する時、家屋、工場、道路、橋、潅漑施設などを次々に破壊したのです。 其の所為で国民党軍が通過した所はどこもかしこも荒廃しました。 国民党軍の焦土作戦実行によってシナ経済は破壊され、農業も工業も壊滅的な被害を受け、シナ民衆は相当に苦しみました。 特に農民たちは悲惨でした。

ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、上海戦(1937年8月13日〜1937年10月26日)で日本陸軍に負けて南京方面へ撤退する国民党軍の様子を次のように書きました、「シナ軍による焼き払いの狂宴。 南京方面の15マイルに渡る農村地帯では、ほとんど全ての建物に火が付けられた。 村ぐるみ焼き払われたのである。 中山陵園内の兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、其のほか多くの施設が灰塵に帰した。 <中略>  此のシナ軍による焼き払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドルから3000万ドルにのぼった。 此れは、南京戦に先立って何ヶ月間も行なわれた日本軍の空襲による損害よりも大きい」。

一方、国民党軍が撤退したあとにやって来た日本陸軍は支配した地域ですぐに道路や橋や潅漑施設の復旧に取り組みました。 また、日本陸軍は支配した地域で治安維持にも取り組みました。 また、日本政府および日本陸軍は1938年から日本陸軍の支配地域での農業復興計画を実行に移し、シナ農民の救済に当たりました。 それで、「軍隊は匪賊に過ぎない」と思っていたシナ民衆は驚き、日本陸軍を熱烈に歓迎しました。「統率がとれ、強姦や強奪をせずに民衆を救う軍隊」というものを、彼らは初めて見たのです。

● 日本政府および日本陸軍は日本陸軍の支配地域でシナ農業の復興に取り組んだ。
日中戦争が始まってから1年半後の1938年12月から日本軍は四川省の重慶(注:首都:南京が日本陸軍の攻撃で陥落したあとの中華民国の首都で、国民党軍の拠点)を爆撃するようになりましたが、国民党軍と日本陸軍との間の地上戦闘は1938年12月には下火になって1939年3月に収束しました。 先に述べたように、日本政府および日本陸軍は1938年から日本陸軍の支配地域での農業復興計画を実行に移していました。 日本政府および日本陸軍が日本陸軍の支配地域で特に力を入れた事はシナ農民の救済でした。 其の救済によって、日本陸軍の支配地域での農業生産は飛躍的に増大しました。 日本人技術者がシナ農民に日本の農業技術を提供していったのです。 戦時下であった為、悪戦苦闘はありましたが、日本人の努力は多くのところで実を結んでいきました。 また、日本政府および日本陸軍は日本陸軍の支配地域に病院を建てるなど、疫病の多かった中華民国の衛生事情の改善に努めました。 更に、日本政府および日本陸軍は、絶望視されていた中華民国の製糸業を復興しました。 以上のように、日本政府および日本陸軍は、満洲・朝鮮・台湾で行なっていた近代化事業と同じようなものを、日中戦争の最中に日本陸軍の支配地域で行なっていたのです。 日本政府の推計によると、1938年から終戦の1945年までの日本の中華民国に対する投資の累計は47億円にも達していました。 1940年の日本の一般会計の歳出決算額は59億円でしたから、其の当時の47億円が如何に巨額であるかがお分かりになるでしょう。 此の47億円はシナでの戦争に使ったお金ではなく、日本陸軍の支配地域でシナ農業の復興の為に使ったお金です。 此のように、国民党軍がシナ各地を焦土化し、シナ民衆を虫けら扱いしていた時、日本陸軍はシナ農業の復興、シナ民衆の救済、治安維持の為に働いていたのです。

とは言え、「植民地」の定義を「或る国からの一時的移住者や恒久的移住者によって経済的に開発・支配される事で其の国に従属する地域」とすれば、「日本はシナを植民地にした」「日本はシナで植民活動をした」と言われても、反論できないでしょう。

日本陸軍の支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他の地域と比べると、天国と地獄ほどの差が有りました。「日本陸軍は一方的に強奪し破壊した」かのように語られる事がありますが、実際は其の逆だったのです。 ですから、シナの老人で此の時代の事を体験した人々の中には、親日的な人が大勢います。 彼らは当時の日本人が如何にシナ民衆を救済したかを知っているのです。 日本の敗戦後、日本人がシナから引き揚げてくる時、多くの日本人が帰り損なって、シナに取り残されました(所謂「中国残留孤児」)。 しかし、其の時、帰り損なった日本人を助けてくれたシナ人が少なからず居ました。 其のようなシナ人の大多数は、戦時中のシナ兵が如何に悪かったか、並びに、日本人が如何にシナ民衆を救済したか、をよく知っていたので、日本人を助けてくれたのです。

● 日本政府および日本陸軍は中華民国が共産化しないように尽力した。
1937年7月7日に蘆溝橋事件が起きて以降、日本陸軍は中華民国の中に足を踏み入れて行きました。「日本は中華民国を侵略した」と言われて来ました。 中国共産党がそう叫び、左派日本人もそう叫んできました。 其の所為もあって、現代の日本人の中には「日本陸軍が平和な中華民国に侵入して戦争を仕掛けた」と思っている人が沢山います。 しかし、先に述べたように、其の当時の中華民国では軍閥同士が血で血を洗う抗争を繰り広げ、多くのシナ民衆が其の抗争の犠牲者になっていました。 其の当時の中華民国は内戦と騒乱に明け暮れて凄惨な状況の中にあったのです。 また、其の当時、コミンテルン(スターリン)は子分のシナ共産党を介して、内戦と騒乱に明け暮れる中華民国を共産化しようと企んでいました。 日本陸軍は、中華民国の中に足を踏み入れたからには中華民国が共産化しないように尽力しました。 日本は中華民国の悲惨な状態を座視して居られなかったのです。 日本陸軍はシナを日本の領土とする為に戦っていたのではありません。 日本政府および日本陸軍は中華民国を共産主義に対する防波堤に成り得る近代国家に成長させようとしたのです。 日本政府および日本陸軍は、もし中華民国が共産化されれば、次は日本が共産化される番である、と考えていたのです。 日本政府および日本陸軍は中華民国がなるべく早く近代国家になり、日本と協力して、コミンテルン(スターリン)に対抗してくれることを望んでいたのです。

● ローマ教皇ピオ11世は日本軍の行動を支持した。
日中戦争が始まってから3ヶ月後(1937年10月)に、平和主義者として知られるローマ教皇ピオ11世(在位 1922年〜1939年)は、日本軍の行動に理解を示し、世界中のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけてくれました。 ローマ教皇ピオ11世は「日本軍の行動は侵略ではない。 日本軍は中華民国を守ろうとしているのである。 日本軍は中華民国から共産主義を排除する為に戦っている。 共産主義が存在する限りにおいて、世界中のカトリック教会とカトリック信徒は遠慮なく日本軍に協力せよ」との声明を出しました。 此の声明は当時の東京朝日新聞(注:「東京朝日新聞」は現在の「朝日新聞」の古い名称)でも報道されました。 1937年10月16日付け及び10月17日付けの東京朝日新聞の夕刊紙面は「これこそは、我が国の支那に対する政策の根本を諒解するものであり、知己の言葉として、百万の援兵にも比すべきものである。 英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきものである」と歓迎の意を表わしました。 ローマ教皇ピオ11世が此のように日本軍の行動に賛意を表わしてくれた事は、欧米の誤解や反日に悩まされてきた日本にとって、とても嬉しい事でした。 しかし、ローマ教皇ピオ11世は1939年に此の世を去ってしまいました。

因みに、戦前・戦中において朝日新聞(東京朝日新聞、大阪朝日新聞)は大本営や日本政府の御用新聞でした。

● 日本政府および日本陸軍は南京の汪兆銘政権と協力して大東亜共栄圏を作ろうとした。
1937年7月7日に蘆溝橋事件が起き、同時に日本と中華民国との間で日中戦争(日華事変、支那事変)が始まりました。 そして1940年、日本は中華民国の華北と華中の一部を支配下に置き、其の統治を親日的な汪兆銘(おうちょうめい)政権に任せました。 汪兆銘は蒋介石から分かれた人です。 汪兆銘は法政大学で学びました。 国民党内では蒋介石よりも汪兆銘の方が人望が有りました。 汪兆銘は当初は反日家でしたが、中華民国の将来を考えて1940年3月に南京に親日の汪兆銘政権を立てました。 日本政府および日本陸軍は汪兆銘政権を支援しました。 汪兆銘は孫文の「三民主義」を継承し、日本と中華民国との協力によって東アジアに平和と繁栄を築けると信じていました。 南京の汪兆銘政権が支配していた地域では、シナ民衆は平和と繁栄を享受していました。 其の象徴が上海です。 日中戦争中でも上海は、ダンスホールや映画館が満員になるなど、活況を呈していました。 また、ナチスから大迫害を受けてポーランドやリトアニアから極東へ逃げてきたユダヤ難民の為に、上海の日本統治地区にユダヤ難民居住区域が設けられ、ユダヤ難民はそこで安全に暮らすことが出来ました。 此のように、日本政府および日本陸軍は南京の汪兆銘政権と協力して大東亜共栄圏を作ろうとしたのです。 一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は悲惨でした。 此れらの地域では彼らの軍隊の所為で食糧が不足し、強奪が横行し、民衆は悲惨な生活を強いられました。 蒋介石はシナ兵の乱れた気質・性癖を正そうとして、規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施しましたが、実を結ぶ事は出来ませんでした。 此のように、日本陸軍の支配地域と、そうでない地域とでは、シナ民衆の生活に格段の差があったのです。

日本政府および日本陸軍は日中戦争の最中に、中華民国を共産主義に対する防波堤に成り得る近代国家に成長させる為だけでなく、南京の汪兆銘政権と協力して大東亜共栄圏を作る為にも、非常な努力を積んでいたのです。 しかし、其の努力は日本の敗戦で実りませんでした。 日本陸軍は中華民国から撤退する際、日本資産(日本が中華民国に作った社会基盤など)を破壊する事なく、正確な資産リストを添えて、其のまま中華民国に残して来ました。 そして、其れらは中華人民共和国の経済発展の基礎になりました。

日本の敗戦で日本陸軍がシナから撤退したあと、国民党軍とシナ共産党軍との内戦が再び始まりました。 此の内戦で両軍は日本が中華民国と満洲に残してきた膨大な日本資産を奪い合いました。 此の内戦での死者は日中戦争での死者よりも多かったのです。 また、此の内戦でシナ共産党軍が勝利し、シナを統一して以来、シナ共産党は、かつて自分たちがシナ民衆に行なった強姦・殺害・強奪の全てを日本陸軍の仕業として宣伝し続け、シナの若者に其のように教えて来ました。 かつて私(久保有政氏)が20世紀前半におけるシナの歴史を「レムナント誌」に掲載した時、或る日本人は「こんな事があったなんて知りませんでした。 世間で一般に言われている事と何と違うのでしょう」と言いました。 また、日本へ留学しているシナ人クリスチャンが私に手紙をくれまして、其の中に「先生はシナに関し事実を書いています。 がんばってください」と書いてありました。 シナ人の中にも知っている人は居るのです。

ここまで見てきたように、日本陸軍は止むを得ず中華民国の中に足を踏み入れましたが、日本陸軍は中華民国が共産化しないように尽力し、南京の汪兆銘政権と協力して大東亜共栄圏を作ろうとしたのです。 此れは、シナの焦土化や、シナ民衆に対する強姦・殺害・強奪を平気で行なっていた国民党軍やシナ共産党軍とは対照的です。 日本には侍の時代から焦土化や民衆に対する強姦・殺害・強奪の思想は無かったのです。 日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。 他の都市も概ね無傷でした。 日本陸軍は、シナの都市を大きく破壊する気も、シナ民衆に強姦・殺害・強奪を働く気も無かったのです。 日本陸軍は、都市に近付くときには必ず自由都市宣言をしました。 此れは「降伏すれば、都市を破壊しない。 住民の安全も保障する」という宣言です。

● 日本は東南アジア諸国に独立心を与えた。
「中華民国を共産主義に対する防波堤に成り得る近代国家に成長させ、南京の汪兆銘政権と協力して大東亜共栄圏を作りたい」という日本の願いは、もう少しで実現するところでした。 其の願いは日本の敗戦で実現しませんでした。 日中戦争で日本は決して負けていませんでした。 日米戦争で日本が負けたが故に、日本の大東亜共栄圏構想は実現しなかったのです。 それでも、日本が東南アジア諸国に与えた独立心はすくすくと育ち、実を結んでいきました。 黄文雄さんは次のように述べています。「大日本帝国は類史に計り知れない貢献を行ない、正の遺産を残した。 負の遺産はほとんどない。 過去の一時期に問題があるとすれば、其れはただ日米戦争で負けた事だ」。 日本ほど、東南アジアの独立と繁栄の為に貢献した国はほかにありません。 日本という国が無かったならば、今日の東南アジアの独立と繁栄は無かったでしょう。

● 「南京大虐殺」の大元は東京裁判(極東国際軍事裁判)で作られた。
日中戦争において日本陸軍は国民党軍よりも強かったので、大抵の場合、国民党軍は日本陸軍に激しく抵抗する事も無く逃げ去り、大抵の都市は無傷で日本陸軍に明け渡されました。 しかし、国民党軍は上海戦では激しい抵抗を見せ、上海戦に続く南京戦(1937年12月4日〜12月13日)でも若干の抵抗を見せました。 南京防衛軍司令官:唐生智(とう せいち)が「自分に頑張らせて欲しい」と蒋介石に言ったので、日本陸軍が南京城を包囲した1937年12月8日の前日(1937年12月7日)、蒋介石は南京の防衛を唐生智司令官に任せ、大型飛行機に乗って南京城を脱出し、四川省の重慶へ向かいました。 其の上、蒋介石から南京城の防衛を任された唐生智司令官も、自軍の敗北色が濃くなった時、敵前逃亡して南京城を脱出してしまいました。 司令官を失ったシナ兵も南京城から逃げ出す事を考えました。 そして、南京城から逃げ出そうとしたシナ兵の大多数は督戦隊や日本兵に撃ち殺されました。 シナ兵は「逃げ出せば、督戦隊や日本兵に殺されるし、逃げ出さなければ、日本兵に捕まる」と思っていました。 そこで、日本陸軍による南京城攻撃が間近に迫って来た時、南京城内のシナ兵は男性シナ民間人を殺して其の服を奪い取り、自分の軍服を脱ぎ捨て、奪い取った服を着てシナ民間人に成り済ましました。 シナ民間人に成り済ましたシナ兵は、其れが露見したときに日本兵に殺される事もありました。 其のようなことはありましたが、南京で日本陸軍による市民の大量虐殺というような事は無かったのです。

「南京大虐殺」を初めて公に取り上げたのは東京裁判(極東国際軍事裁判、1946年5月〜1948年11月)でした。 東京裁判では「南京大虐殺」に関して次のような判決が出されました。 判決文の主要部分を次に示します。
後日の見積りによれば、日本軍が占領してから最初の6週間に南京と其の周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は20万以上であった事が示されている。 此れらの見積りが誇張でない事は、埋葬隊と他の団体が埋葬した死骸が15万5000に及んだ事実によって証明されている。

此の記述に関しては、「南京虐殺(1)「大虐殺派」から「なかった派」まで」(http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking/nanking-jiken-1.html)をご覧になってください。

東京裁判では「でっち上げられた証拠」に基づいて上記のような判決が出されました。 東京裁判の裁判官たちは、「南京大虐殺」に関して提出された「証拠」がでっち上げられたものである事を理解していた、と思われます。 では、なぜ東京裁判で「でっち上げられた証拠」に基づいて上記のような判決が出されたのでしょうか。 東京裁判で上記のような判決が出された理由の第1は「広島・長崎への原子爆弾攻撃や東京大空襲など、日本列島への爆撃による日本民間人虐殺を正当化する為には、「日本陸軍がシナで「南京大虐殺」という人道に反する事をやったのだ」と世界に向かって主張することが必要だ」と連合国側が考えた事です。 東京裁判で上記のような判決が出された理由の第2は「日本人の頭を押さえつけておく為には、「日本陸軍はこんなに悪い事をやったのだ」と日本人に思わせ、日本人に自虐史観を末永く持たせる事が必要だ」と連合国側が考えた事です。

中国共産党は上記の判決を根拠として、「日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)からの6週間に南京城内で日本陸軍が30万人の市民を虐殺した」と主張し、此のでっち上げ情報を「南京大虐殺」と称し、此のでっち上げ情報を世界中に垂れ流しています。 中国共産党が主張する「南京大虐殺」は中国共産党が流しているデマ(デマゴギー:政治的な目的で意図的に流される煽動的な虚偽情報)です。

● 1971年以降において「南京大虐殺」は左派日本マスメディアや左派日本人や中国共産党が垂れ流しているデマゴギーである。
1937年7月7日に始まった日中戦争において、「南京戦」と言われる戦いが1937年12月4日から12月13日までありました。 南京の市街地は壮大な城壁(長さ35km、高さ10m〜20m、上面の幅3m〜18m)に囲まれており、此の城壁に囲まれた地域全体が「南京城」と呼ばれています。 此の南京城は世界最大級の城壁都市でした。 比較の為に述べると、東京の山手線の一周は34.5kmです。

日中戦争開始から凡そ1ヶ月後に起きた上海戦(1937年8月13日〜1937年10月26日)で、日本陸軍は自軍の2.4倍の兵員を持つ国民党軍を撃破し、南京方面へ撤退する国民党軍を追撃し、1937年12月4日に南京城の近くに到達し、12月8日に南京城を包囲し、12月10日に南京城への攻撃を開始し、12月13日に南京城を攻め落として南京城を占領しました。

日本陸軍が南京に迫った時の南京の人口は20万人でした。 此れは色々な調査で一致している数字です。 南京戦が始まる6日前の1937年11月28日、南京政府の警察庁長官:王固磐は、南京で開かれた記者会見において「ここ南京には今でも20万人が住んでいる」と発表しました。 日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から5日後の1937年12月18日、南京城内の「安全区」に住む欧米人(宣教師、大学教授、医師、など15名)が作っていた自称「南京安全区国際委員会」(The International Committee for Nanking Safety Zone)が「南京の人口は20万人」と発表しました。 人口20万人の都市で其の都市の市民30万人を虐殺することは出来ません。 日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後の1938年1月14日、「南京安全区国際委員会」が「南京の人口は25万人」と発表しました。 此れは「南京安全区国際委員会」が綿密に調査して出した信頼できる数字です。 南京戦を恐れて南京城から逃げ出した南京市民たちが日本陸軍による南京占領中に南京城に戻ってきたのです。 上智大学の渡部昇一教授によると、日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後に日本陸軍が南京市民25万人に食糧を配ったとの記録が残っています。 南京戦が始まる6日前に20万人だった南京の人口が日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後には25万人になったのです。 日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後の1938年1月14日は中国共産党が主張する「南京大虐殺」の最中です。 都市での戦闘を恐れて其の都市から逃げ出した市民が其の都市での大虐殺の最中に其の都市に戻ってくる事は有り得ません。 ですから、南京城内で日本陸軍による30万人大虐殺は無かったのです。 もし「南京大虐殺」が事実ならば、南京城内の安全区に住む欧米人(宣教師、大学教授、医師、など15名)は其の事を世界に向かって発信したはずです。 しかし、其のような発信は有りませんでした。 また、「南京大虐殺」の「証拠写真」と言われている物は今日では全て捏造写真である事が明らかになっています。 其の事は東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに詳しく書かれています。

1997年に中国系アメリカ人のアイリス・チャンが『ザ・レイプ・オブ・南京』という本を出版しました。 此の本はアメリカで50万部も売れました。 此の本は「日本陸軍が南京市で市民30万人を虐殺した」という嘘を世界中にばらまきました。 しかし、其の後、此の本の内容の大部分は虚偽であり、且つ、此の本で使われた写真の大部分は捏造写真である事が多くの批判によって明らかにされました。 そうした状況の中で、アイリス・チャンは2004年11月にピストル自殺しました。 其の自殺の理由として、イギリスの『エコノミスト』紙は記事の中で「彼女は自分の書いた事柄が余りにインチキと批判された為、其れが「南京虐殺は無かった」と主張している人たちに有利に働いて、其れを気に病んだのではないだろうか」と書きました。

アメリカのトルーマン政権(民主党)は敗戦後の日本を占領統治する為に1952年4月28日まで東京・日比谷に連合国軍総司令部(GHQ)を設けていました。 連合国軍総司令部(GHQ)は日本の新聞やNHKのラジオ番組「真相はこうだ」(1945年12月〜1946年2月)やNHKのラジオ番組「真相箱」(1946年2月〜1948年1月)を使って「南京大虐殺こそ、近代史上、まれに見る凄惨なものであった」という虚偽宣伝を行ない、更に、「日本の国民が悪いのではない。 日本の軍部が悪かったのだ。 日本の軍部はシナや朝鮮に多くの害を与えた。 アメリカが日本を救ってくれた。 アメリカが日本に自由と民主主義をくれた」という政治宣伝(プロパガンダ)を行ないました。 そして、アメリカ軍による日本占領が終わったあと(1952年4月28日以降)、「南京大虐殺」はほとんど問題にならずに月日が過ぎました。 ところが、1971年(昭和46年)、連合国軍総司令部(GHQ)に取って代わったかのように「日本陸軍の悪事」を告発して断罪する人たちが出現しました。 具体的に述べれば、朝日新聞が1971年の8月から12月まで「中国の旅」と題する記事(記者は本多勝一)を連載し、日本陸軍を断罪する大キャンペーンを行なったのです。 此の記事の中で「南京大虐殺」も扱われました。 其の為、日本国内の報道関係者の大多数、日本国内の左派学者の全て、日本国内の所謂「進歩的文化人」の全て、日本国内の所謂「有識者」の大多数が此の記事の内容を事実と思い込み、左派新聞記者や左派学者が競うように日本陸軍の残虐行為を求めて中国に渡って取材しました。 そして、「日本陸軍の残虐行為」が「此れでもか、此れでもか」と誠しやかに報道されたのです。 此の辺りの詳しい事については「朝日は何を、どう報じてきたか(その1)反日報道の原点「中国の旅」」(http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/virus/v-asahi-1.html)をご覧になってください。 そして、1971年以降、中国共産党が東京裁判での判決を根拠とし、日本で報道されている「南京大虐殺」に便乗する形で「南京大虐殺」を世界に向かって主張するようになりました。「南京大虐殺」は1940年代の後半ではアメリカ連邦政府が流していたデマゴギー(政治的な目的で意図的に流される煽動的な虚偽情報)でしたが、1971年以降において「南京大虐殺」は左派日本マスメディアや左派日本人や中国共産党が垂れ流しているデマゴギーです。

● 中国共産党が日本の敗戦から70年後でも「南京大虐殺」というデマゴギーを世界中に盛んに垂れ流す理由。
1971年以降、中国共産党は事ある毎に「南京大虐殺」を持ち出して来ました。 なぜ中国共産党は日本の敗戦から70年後でも「南京大虐殺」というデマゴギーを世界中に盛んに垂れ流すのでしょうか。 中国共産党が日本の敗戦から70年後でも「南京大虐殺」というデマゴギーを世界中に盛んに垂れ流す理由の第1は「日本はそんなに悪い事をした戦犯国だという事を世界中の人々に印象付け、日本を何時までも第2次世界大戦終結後の国際秩序の中に押し留めておき、日本人の頭を押さえつけておきたい」と中国共産党が思っている事です。 中国共産党が日本の敗戦から70年後でも「南京大虐殺」というデマゴギーを世界中に盛んに垂れ流す理由の第2は「「南京大虐殺」という主張と一緒に「日本は軍国主義を志向している」という主張を世界中に発信し、「日本はパートナーとしてふさわしくない」というイメージを世界中に広めて日本を孤立させ、更に、アメリカ国内に「日米同盟は危険だ」とのムードを作り、ひいては、アメリカと日本とを互いに離反させ、日本人を洗脳して日本人をして皇室(天皇家)を潰させ、最終的には日本を中国の日本自治区または日本省にしよう」と中国共産党が思っている事です。 中国共産党が日本の敗戦から70年後でも「南京大虐殺」というデマゴギーを世界中に盛んに垂れ流す理由の第1・第2からお分かりになるように、中国共産党は日本の右派勢力を恐れているのです。

「第2次世界大戦終結後の国際秩序」とは、一般的に「第2次世界大戦の敗戦国は第2次世界大戦の戦勝国に従わなければならない」という理念ですが、中国共産党の言う「第2次世界大戦終結後の国際秩序」とは、「日本を何時までも第2次世界大戦終結後の国際秩序の中に押し留めておき、日本人の頭を押さえつけておくべきだ。 未来永劫に渡って、日本は東京裁判史観を尊重しなければならず、特に日本の総理大臣はA級戦犯が祀(まつ)られている靖国神社に参拝してはならない」という理念です。「東京裁判史観」とは、「満洲事変から太平洋戦争まで、日本が起こした事変や戦争の全ては日本が東アジアや東南アジアや南洋諸島を軍事力で支配しようとした侵略戦争である」という観念です。 因みに、日本の総理大臣が靖国神社に参拝すると、中国政府はギャーギャーと喚き散らします。 其れほどにまで中国共産党は日本の右派勢力を恐れているのです。

櫻井よしこ オフィシャルサイト 「南京事件」でアメリカを “ 洗脳 ” する習近平政権の邪悪な政治的意図 (https://yoshiko-sakurai.jp/2015/01/17/5717)を是非ご覧になってください。

因みに、「日本を何時までも第2次世界大戦終結後の国際秩序の中に押し留めておき、日本人の頭を押さえつけておくべきだ。 未来永劫に渡って、日本は東京裁判史観を尊重しなければならず、特に日本の総理大臣はA級戦犯が祀(まつ)られている靖国神社に参拝してはならない」という理念を有しているのは中国共産党だけではありません。 アメリカ連邦議会議員の半数ほどやアメリカ知識人の半数ほども此の理念を有しています。 特にアメリカ民主党の連邦議会議員や左派(リベラル系)知識人(左派大学教授など)は此の理念をとても強く持っています。 ビル・クリントン、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマ、ケネディ家の人々は此の理念の信奉者です。 此の理念を有しているアメリカ連邦議会議員や、此の理念を有しているホワイトハウスの要人などは、中国共産党と同じく、日本の右派勢力を恐れているのです。 そして、此の理念を有しているアメリカ連邦議会議員や、此の理念を有しているホワイトハウスの要人などは「ジャパン・ハンドラーと言われている人(リチャード・アーミテージ、など)を使って対日政界工作をしている限りにおいて、日米同盟は大して深化しない」という事に気付かないのです。 尤も、此の理念を有しているアメリカ人は「日米同盟は深化しなくて良い」と思っているのかも知れません。

● シナ人の気質。
日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」が日本に負けた為、イギリス政府、フランス政府、ドイツ政府、ロシア政府は「清」の弱体振りを知りました。 そこで、此れらの列強政府はシナの分割に乗り出し、シナの奥地にまで侵入して行きました。 其れに連れて、「欧米列強の奴らや日本の奴らはシナ人より劣った野蛮人だから、奴らを排斥すべきだ」という排外運動がシナ民衆の間で起きるようになりました。 そうした状況の中で、1899年に山東省で「義和団」という武装集団が外国人と外国文化とをシナから一掃しようとして武装蜂起し、「外国人は出ていけ」と叫び、キリスト教会堂・鉄道・電線を破壊するなど、排外破壊活動を行ないながら北京に迫り、翌年の1900年6月10日、20万人とも言われる義和団が北京に集結し、列強各国の公使館の集まっている区域を包囲しました(義和団の乱)。 其の為、列強各国の公使館員や其の家族が皆殺しにされ兼ねない状況になりました。 此の状況に対し、列強各国の公使館は協力して籠城戦を始めました。 此の籠城戦は2ヶ月間に渡って続く事になります。 20万人とも言われる義和団が列強各国の公使館の集まっている区域を包囲した日から11日後の1900年6月21日、清王朝の最高実力者:西太后は義和団と手を結び、列強8ヶ国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア、イタリア、オーストリア、日本)に宣戦しました。 清王朝の宣戦に対し、列強8ヶ国の政府は共同派兵して、義和団を北京から追い払い、1900年8月15日に北京を支配下に置き、自国民を救出し、「清」を降伏させました(北清事変)。 其の後も欧米人に対する虐殺や焼き討ちなどの事件がたくさん起きました。 しかし、シナ人の欧米人排斥運動はやがて収束しました。 なぜでしょうか。 其れは、欧米列強がシナ人の欧米人排斥運動を強圧的に封じ込めたからです。 例えば、1926年に「万県事件」というのがありました。 揚子江一帯で反イギリス運動が広まる中で、イギリスの商船がシナ側に拿捕されたのです。 其の時、イギリス政府は軍艦2隻を派遣し、艦砲射撃で沿岸の街を徹底的に破壊しました。 此れによりシナ人はすっかり縮み上がってしまいました。 そして、反イギリス運動は収束しました。 此れについて台湾の歴史家:黄文雄さんは「自分のかなわない相手と見るや、とことん従順になるのがシナ人の特性である」と述べています。 シナ人はイギリスを「自分が勝てない相手」と見なし、イギリスに従順になったのです。「強い敵にはとことん従順になり、弱そうに見える者には侮辱的&加虐的&威圧的になり、人の弱みにとことん付け込む」、手短に述べれば、「弱きをくじき、強きに媚びる」、此れがシナ人の気質です(朝鮮人も同じです)。 一方、日本もシナ人の排外運動の対象にされ、攻撃されましたが、日本政府は極力自重して、反撃しませんでした。 日本政府は何とかシナ人との友好関係を築こうと思って、忍耐強く平和的な解決に努力したのです。

日本には伝統的に「弱きを助け、強きを挫(くじ)く」という観念が有りますが、シナには其のような観念は有りません。 シナには「強者が弱者を助ける」という観念は無いのです。 シナでは強者は常に弱者を虐げて来ました。 シナではいつも暴君が上に立ち、民衆は暴君に支配され、暴君の言いなりになるしかありませんでした。 シナ民衆は四千年間、抑圧されて生きる事しか知りませんでした。 ですから、シナ人は、弱者を助ける日本人や、暴力を受けてもなかなか反撃しない日本人を見た時、日本人の其の行動を理解できず、日本人の其の行動は「日本人が弱いからだ」と考え、日本人を侮りました。 そして、シナ人は「欧米列強は強いから我々は欧米列強には逆らえないが、日本は弱いから我々は日本には逆らえる」と考え、欧米列強に対する排外運動を引っ込め、排日運動に絞り込みました。 日本人のシナ人への思いやりが日本人への侮りと排日運動とを増長させたのです。 此れは、日本人には理解できない事かも知れません。 其れほど、シナ人と日本人とは互いに異質なのです。

シナの文豪:魯迅(1881年〜1936年)は、「シナ人は、相手が弱いと見るや、其の弱みに付け込む民族だ」と嘆いています。 例えば、呉越の戦いの物語に代表されるように、シナ人は相手の弱みを知ると、其れに付け込まなければ天罰が下る、とさえ思うのです。 黄文雄さんも次のように述べています。「弱者にまで友好的な態度を取るとなれば、其れは余ほど無力であり、弱みがあるからだろうと解釈し、付け込んでくるのだ。 此れは、有史以来、戦乱・飢饉の絶え間がない弱肉強食の世界で生きてきたシナ人の生存本能の為せる業(わざ)だろう」。

シナ人の此のような気質は今日でも変わっていません。 例えば、仮にアメリカが中国にとって大きな敵だとしても、中国で反アメリカ運動は起きません。 なぜでしょうか。 其れは、中国はアメリカにはとても勝てない事を中国共産党が知っているからです。 2018年7月、アメリカのトランプ政権は中国共産党に経済戦争を仕掛けました。 2020年7月の時点で、トランプ政権は中国封じ込め作戦を実行中ですが、中国で反アメリカ運動は起きていません。 しかし、中国で反日運動は容易に燃え上がります。 なぜでしょうか。 其れは、日本人が自虐的で、脅せば、すぐ謝るからです。 ですから、日本人が自虐的になればなるほど、中国共産党や中国一般庶民は図に乗ってきます(朝鮮人も同じです)。 因みに、2012年9月に中国で起きた反日暴動は中国共産党が起こしたものです。

日本の明治維新が成功したのは武士の力のお陰でした。 彼ら武士は「至誠」を美徳と考える人々であり、「私」に仕えず「公」に仕える者でした。 そして、明治維新が成功したあと、彼ら武士は士農工商の身分制度を無くし、自ら刀を捨て、庶民になったのです。 彼ら武士は四民平等の世界に自ら進んで身を投じて行ったのです。 一方、シナの革命家たちに共通するものは「凄(すさ)まじいほどの保身」、言い換えると、「他人を蹴落としてでも生き残りたいという願望」でした。 そして、シナの革命家たちは、自分が生き残る為にはシナ民衆の命さえをも顧みません。 中華民国の内戦では軍閥同士が血で血を洗う抗争を繰り広げ、多くの民衆が其の抗争の犠牲になりました。 シナ兵は日本陸軍との戦いの中でおびただしいシナ民間人を殺しました。 シナ兵は至る所でシナ民間人に強姦・殺害・強奪を働きました。 シナ兵はシナ民衆から「匪賊」と呼ばれていたほどです。 此のような有り様は日本の武士たちの戦いの有り様とは大きく異なります。 日本の戦国時代は、武士の集団同士が戦ったのであり、武士は民間人を殺しませんでした。 関ヶ原の戦いがあったときにも、近くの百姓たちは弁当を持って山の上から戦闘を見物していました。 此のように、日本人の気質とシナ人の気質とは互いに大きく異なるのです。 そして、日本人はシナ人の気質をなかなか理解できないのです。 明治維新後、日本政府が対外政策を行なっていく過程で、日本はシナの事で一番苦労しました。 なぜ当時の日本はシナの事で苦労したのか。 其の理由の1つとして、其の当時の日本人がシナ人の気質を理解できなかった事を挙げることが出来るでしょう。

第2次世界大戦終結後の1949年に出来た中華人民共和国では、毛沢東が1958年から1961年まで「大躍進政策」という「農業と工業との大増産計画」を大々的に推し進めました。 此の政策が推し進められる中で、中国人民は毛沢東の「雀(すずめ)は穀物を食い荒らす害鳥だ」という考えに洗脳されて国内の雀を大量に殺しました。 其の結果として、大量の害虫が発生して稲などの青葉を食い荒らし、其の結果として、米などがほとんど収穫されず、中国人民の食糧が全く足りなくなって大飢饉が発生し、飢餓に苦しんだ中国人民はおが屑や木の皮を食べ、墓に埋められた家族の死体を掘り起こして食べるなどし、4500万人の中国人民が餓死した、と推計されています。 そして、此の時期から中国各地で人肉食(食人)が復活した、と言われています。 また、「文化大革命」(1966年〜1976年、大躍進政策の大失敗によって劉少奇に権力を奪われた毛沢東が劉少奇から権力を奪還する為に紅衛兵運動を引き起こし、大地主や金持ちや右派知識人を抹殺し、伝統的な文化を否定・破壊し、中国全土で共産化を徹底しようと思って起こした政治闘争)の最中には中国各地で大量殺戮が行なわれ、2000万人の中国人民が殺された、と推計されています。 そして、文化大革命の期間中にも中国各地で人肉食(食人)が大規模に行なわれた、と言われています。 例えば、「敵側の人間を殺し、其の手足を切り取り、大きな鍋に入れて茹でて食べた」というような事が日本の新聞で報道された事も在ります。 また、中国事情に詳しい福島香織さんによると、「敵側の人間を捕えて、其の人間を生かしたまま、其の腹を裂いて、内臓を取り出して食べた」というような事を記録した文書があるそうです。 シナの人肉食(食人)文化については、唐の時代から記録が在りますが、シナでは人肉食(食人)文化が20世紀後半まで続いていたのです。 そうした状況の中で、「強い敵にはとことん従順になり、弱そうに見える者には侮辱的&加虐的&威圧的になり、人の弱みにとことん付け込む」という気質が中国人の間に益々広く深く作られてきたのです。

因みに、現代の中国では大躍進政策の大失敗や、文化大革命時の大量殺戮は隠蔽されており、中国の学生・生徒が使う教科書には記載されていません。

● シナ人は人に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思わない。
黄文雄さんは「日本人は『誠』の民族であり、シナ人は『詐』(騙す)の民族である」と述べています。 シナ人は生き残る為には様々な謀略を巡らし、平気な顔で人に嘘をつきます。 戦乱が絶えず、虐殺が日常茶飯事だったシナでは「人に嘘をつくことが生き残る為に何よりも大切だ」と考えられたのです。 シナでは謀略に長(た)けた者だけが勝ち残りました。 袁世凱は謀略に長(た)けていました。 毛沢東も謀略に長け、モスクワ帰りのエリート共産党員が「長征」の途中で全て死ぬように謀りました。 かつて新渡戸稲造は「シナ人は人に嘘をつくことを恥とも思わぬ厚顔無恥な人々だ」と嘆きました。 ヨーロッパの大思想家であるカントやモンテスキューまでもが哲学や法学の大著の中で「シナ人は嘘つきだ」と説いています。 其れは今も変わりません。 今でも中国人は「嘘も百回つけば、ほんとになる」と思っています(朝鮮人も同じです)。 中国共産党は「南京大虐殺」という嘘を嘘と知りながら世界中に垂れ流しています。 中国共産党は、かつてシナ共産党がシナ民衆に対して行なった強姦・殺害・強奪の全てを日本陸軍の仕業として世界中に宣伝しています。

日本人の大多数は何となく「シナは昔から倫理性の高い国だ」と思っているかも知れませんが、其の思いは幻想です。 シナ社会は昔から騙し騙される社会であり、相手の弱みに付け込む社会でした。 それで、孔子や孟子が現われて、仁や義を説いたのです。

シナでは、昔から家族倫理(一族倫理)はあっても、公共倫理が稀薄でした。 今日でも、中国の政治家や官僚は国の内外に嘘をつくことを罪悪とも恥とも思いません(朝鮮の政治家や官僚も同じです)。 中国人にとって人に嘘をつくことは戦術です(朝鮮人も同じです)。 中国では「良心を持つ人は社会から疎外されて孤立する」という諺が生きています。 或る日本人が中国を旅行したときの話です。 彼が或る商店に入った時、彼は店員から「檀那、うちの商品はみんな本物です。 よその店は偽物しか置いてませんよ」と言われました。 そして、彼はどの商店に入っても其れと同じ事を言われたそうです。 こんな商売上の嘘ならまだしも、「南京大虐殺」という政治的な嘘を声高に叫ぶのは許せません。 更に、中国共産党は「かつてのシナ共産党が如何にシナ民衆に優しく、日本陸軍が如何に残虐だったか」という「彼らの言う「正しい歴史」(純正日本人から見れば虚偽の歴史)」を中国人民に教えています。 中国の教科書には中国共産党を讃美する「虚偽の歴史」が書かれているのです。

● 中国は体質的・文化的には前近代的な国家である。
シナの歴史は「勝てば官軍、負ければ賊軍」の観念で書き換えられて来ました。 シナでは勝った者がいつも歴史を書き換え、自己の歴史を美化・正当化して来ました。 シナでは勝った者が善玉であり、負けた者は悪玉とされ、負けた者には徹底的な糾弾と懲罰が加えられてきました(朝鮮も同じです)。 今日、中国の政治家が日本の政治家に対して居丈高なのは其の伝統に由来するのです。 尤も、中国人の全てがそうだという事ではありません。 民間レベルでは中国経済の発展に伴って、中国人が外国の人々と接する機会や、中国人が外国の情報に接する機会も増えて来ました。 其の為、教養のある中国人が増え、尊敬できる中国人も増えています。 私自身、中国系アメリカ人の友人や、中国系日本人の友人や、中国に住む中国人の友人を持っていますが、彼らは本当に尊敬できる人たちです。 中国人の全てが彼らのような中国人であれば、どれほど良いでしょうか。 しかし、残念な事に、中国の政治家や中国の官僚や中国の共産党員や中国の商売人の中には平気な顔で人に嘘をつく人が今なお沢山いるのです。 クリスチャンも、此のような中国の実情に無知ではいられません。 中国は中国共産党一党支配の共産主義独裁国家であり、言論と人権とが抑圧されている国です。 中国には言論の自由が無く、普通選挙が無く、中国経済は大きく発展したものの、中国は体質的・文化的には前近代的な国家です。 中国は中国共産党一党支配の共産主義独裁国家ですから、中国人民14億人(本当は10億人であるとも言われている)の中で所得格差はあってはならない筈(はず)なのに、中国では最上位層1%の人々が中国全体の富の40%を所有している、と言われています。 日本マスメディア『JBpress』の2020年6月5日付けの記事「“中国の貧困”をまさかの暴露、李首相の真意とは? 全人代で飛び出した「月収1000元が6億人」発言」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60790)によれば、中国の李克強首相は2020年5月の全国人民代表大会のあとの記者会見(2020年5月28日)において「2019年の時点で中国人の平均年収は3万元(円換算で45万円)である。 中国には月収1000元(円換算で1万5000円)の人が6億人もいる」と発言しました。 また、中国共産党の大物たちは「中国で動乱が発生して自分の身が危うくなった時には外国に逃亡し、そこで家族と一緒に安楽に暮らせるように、スイスなどの外国の銀行に巨額の資産を預け、自分の家族を外国に住まわせている」と言われています。 中国人の中でも中国共産党の大物になれるような人は「自分や自分の家族がいい思いをすることが出来れば、其れで十分だ。 他人の事なんてどうでもいい」と思っています。 中国共産党の幹部100人がスイスの銀行に預けている資産の総額は日本円にして1200兆円である、と言われています。 100人で1200兆円ですから、1人当たりの平均は12兆円です。 1人で50兆円ほどの資産を持っている中国共産党幹部が何人も居るのではないでしょうか。 なぜ中国共産党の幹部は此れほど多くの資産を持っているのでしょうか。 中国共産党の党員数は9200万人である、と言われています。 中国共産党は上納金という接着剤で繋がる巨大階級人脈の集合体になっているのではないでしょうか。 中国共産党は「今の中国の超格差社会は未来の平等社会の準備段階である」とか主張しているようですが、中国共産党が支配する中国で所得格差の無い社会は永久に実現しないでしょう。 なぜなら、中国共産党員は「自分たちだけが裕福であれば、其れで良い。 他人の事なんてどうでもいい」と永久に思い続けるでしょうから。 先に述べたように、シナでは伝統的に民衆は戦乱で虫けら同然に殺される存在であり、少なくとも権力者が保護する対象ではありませんでした。 今(2023年の時点)でも中国共産党にとって中国人民は消耗品であり、使い捨て部品であり、虫けら同然のものであり、中国共産党にとって中国人民の人権なんぞ、どうでも良いのです。

動画「【ガチで中国クーデター起きるぞ?中国共産党の内部文書が流出!『住民への通告無しダム放水による大洪水は、なんと中国政府の住民犠牲前提の計画』と判明!】」 (https://www.youtube.com/watch?v=L9D5nf_HfKs)をご覧になってください。

中国経済の実態について解説した動画「業績の水増しビッグ・バンで一般投資家が資産を溶かす」(https://www.youtube.com/watch?v=qJNuP2vSrBQ)をご覧になってください。

                                    山口那津男 と 習近平
因みに、公明党の代表:山口那津男は「中国共産党によるウイグル人弾圧の証拠は無い」と言っています。 山口那津男は習近平の手先・代弁者です。 山口那津男が習近平の手先・代弁者になった理由は何でしょうか。 山口那津男は習近平から利益を得ようとしているのでしょうか。 それとも、山口那津男は習近平に借りを返しているのでしょうか。

● 蒋介石について。
蒋介石は第2次世界大戦終結後の連合国の会議において、主要連合国による日本の分割統治に反対し、皇室(天皇家)の存続を訴え、日本に対する賠償請求権を放棄してくれました。 そこには、西安事件以降、彼が不本意にもシナ共産党軍の意向に従って日本陸軍を相手に戦った事に対する後悔があったのかも知れません。 蒋介石が日本に対する賠償請求権を放棄してくれた事は日本にとって有り難い事でありました。 また、日本の敗戦後、日本人が台湾から引き上げる際、日本は膨大な日本資産を其のまま台湾に残して来ました。 1949年12月、蒋介石はシナ共産党軍に負けて台湾へ逃げました。 そして、蒋介石は日本が台湾に残してきた膨大な日本資産を受け継ぎました。 蒋介石は賠償以上の膨大な富を手に入れたのです。 そして、台湾の支配者になった蒋介石は台湾で敵対勢力に対して暴力的な恐怖政治を行ない、多くの台湾人を殺しました。

● 中華人民共和国(中国)は第2次世界大戦の戦勝国ではない。
中国共産党は日本を非難する時、しばしば「日本は第2次世界大戦終結後の国際秩序に挑戦しようとしている」と世界に向かって主張し、第2次世界大戦の戦勝国の注意を喚起しようとします。 先に述べたように、中国共産党の言う「第2次世界大戦終結後の国際秩序」とは、「日本を何時までも第2次世界大戦終結後の国際秩序の中に押し留めておき、日本人の頭を押さえつけておくべきだ。 未来永劫に渡って、日本は東京裁判史観を尊重しなければならず、特に日本の総理大臣はA級戦犯が祀(まつ)られている靖国神社に参拝してはならない」という理念です。 中国共産党は「日本は第2次世界大戦終結後の国際秩序に挑戦しようとしている」と世界に向かって主張する事で、日本の言動について第2次世界大戦の戦勝国の注意を喚起しようとするだけでなく、「中華人民共和国は第2次世界大戦の戦勝国であり、日本は敗戦国であるから、日本は中国共産党に従わなければならない」と主張しているのです。 中国共産党は2015年9月3日に「抗日戦争勝利70周年記念式典」を行ないました。 大局的に見て、シナ共産党軍は日本陸軍と交戦しませんでした。 抗日戦争をしたのはシナ共産党軍ではなく、国民党軍です。 加えて、中華人民共和国という国は第2次世界大戦終結後の1949年10月1日に成立した国です。 2015年の70年前は1945年です。 1945年の地球上に中華人民共和国という国は無かったのです。 ですから、中華人民共和国は第2次世界大戦の戦勝国ではないのです。 其の中華人民共和国を支配する中国共産党が2015年に抗日戦争勝利70周年記念式典を行なったのは理屈に反する事です。 中国共産党は「抗日戦争勝利70周年記念式典」を行なう事で「中華人民共和国は第2次世界大戦の戦勝国だ」というイメージを世界中に広めようとしているのです。

● 中華思想(華夷思想)。
中国共産党が持っている主義・思想はマルクス主義と中華思想(華夷思想)との2つである、と言って良いでしょう。 中華思想の「中華」とは、漢族が「我が国は中華である」と言うように使う民族的自負の言葉であり、「中華」の「中」は「世界の中心」という意味であり、「中華」の「華」は「華やかで立派で文化的に優れた」という意味であり、従って、「中華」は「華やかで立派で文化的に優れた世界の中心」という意味です。 ですから、「中華思想」とは、此れを手短に述べれば、「我が国は華やかで立派で文化的に優れた世界の中心である」という思いです。漢族は紀元前3世紀頃から正統派儒教の「徳治思想」(「天は自らの代理人として有徳者を天子(地上界における最高権力者)に任命し、其の天子をして天下(地上界)を徳治させる。 天子は徳を以て善良な民を教化しつつ統治しなければならない。 さすれば、天子の徳は周辺の未開地にも遍く及ぶ。 天子が徳を失って悪徳天子になり悪政を行なったときには、有徳実力者が其の悪徳天子を放伐して新しい天子になって良い」という思想)に基づいて「我が国は華やかで立派で文化的に優れた世界の中心である。 中華の地を治める天子の徳は周辺の未開地にも遍く及び、其の結果として、周辺の未開地の民は中華の文化に同化することになり、中華圏は拡大し続ける。 また、周辺の未開地の民は積極的に中華の文化に同化して中華圏の一員にならなければならない」と思うようになりました。 此の思いが「中華思想」です。 ですから、中華思想は漢族の民族的自負の思想です。 中華思想を持つシナ人はシナを世界の文化の中心と考え、決して周辺国をシナと対等とは認めません。 例えば、中華思想を持つシナ人は「日本は中国の属国になるべきだ」と考えます。 また、中華思想を持つシナ人は「固定的な国境」という観念や「固定的な領土」という観念を持ちません。 なぜなら、此れらの観念は「我が国は華やかで立派で文化的に優れた世界の中心である。 中華の地を治める天子の徳は周辺の未開地にも遍く及び、其の結果として、周辺の未開地の民は中華の文化に同化することになり、中華圏は拡大し続ける。 また、周辺の未開地の民は積極的に中華の文化に同化して中華圏の一員にならなければならない」という中華思想に反するからです。

● 中国共産党の心根。
中国共産党は「我が国は華やかで立派で文化的に優れた世界の中心である。 中華の地を治める天子の徳は周辺の未開地にも遍く及び、其の結果として、周辺の未開地の民は中華の文化に同化することになり、中華圏は拡大し続ける。 また、周辺の未開地の民は積極的に中華の文化に同化して中華圏の一員にならなければならない」という中華思想に基づいて次のように言っています。「日本や東南アジア諸国は中華の恩恵に与(あずか)って発展してきた。 だから、日本や東南アジア諸国は中国政府の言うことを聞き入れて中国政府の従属国にならなければならない。 そして、ヨーロッパやアメリカに対抗できる大中華圏を作り上げよう」。 また、中国共産党は中華思想に基づいて中華圏を拡大しようとし、「尖閣諸島は俺たちのものだ。 南シナ海も俺たちのものだ。 台湾も俺たちのものだ。 沖縄も俺たちのものだ」と主張しています。 中国共産党は沖縄を我が物にする為に沖縄に工作員を送り込み、在日中国人や在日朝鮮人や日本国籍を取得した反日朝鮮系日本人を使って彼らに沖縄独立運動と沖縄駐留アメリカ軍基地反対運動とをやらせ、更に、親中国の日本人に盛んに働き掛けています。 2015年8月、中国共産党は日本の安全保障法制の成立を妨害しようとして、多くの在日中国人を安全保障法制反対デモ隊の中に潜り込ませ、彼らに安全保障法制反対デモをさせました。 2015年の時点で在日中国人(日本永住者や留学生や技能実習生を含む)の数は凡そ100万人である、と言われています。 そして、此の100万人の在日中国人は全て中国共産党(在日本中国大使館)の指令下にある、と見ることが出来ます。 日本と中国との間で戦争が起きた場合、此の100万人の在日中国人は中国共産党工作員として日本国内で色々な破壊活動を行なうだろう、と言われています。(因みに、朝鮮半島有事の際には、在日朝鮮人や日本に潜伏している北朝鮮工作員が日本国内で色々な破壊活動を行なうだろう、と言われています。) また、2015年の時点で、韓国系アメリカ人の大多数は「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を象徴する慰安婦少女像をアメリカ国内にたくさん設置しようとして一所懸命です。 彼ら韓国系アメリカ人の背後には、中国共産党を後ろ盾とする中国系反日組織(「抗日連合会」という組織、正式名称は「世界抗日戦争史実維護連合会」)が有るのです。 中国共産党は此の組織を使って韓国系アメリカ人を動かしているのです。 なぜ中国共産党はそんな事をするのでしょうか。 其れは、「日本軍用慰安婦要員20万人の強制連行&性奴隷&虐殺」を象徴する慰安婦少女像をアメリカ国内にたくさん設置する事が「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」というイメージをアメリカ人に植え付けるのに有効であり、加えて、「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」と主張する韓国系アメリカ人や中国系アメリカ人の票を得たいと思っている連邦議会議員希望者や州議会議員希望者が居るからです。 更に、中国共産党は「南京大虐殺」というデマゴギーと「日本は軍国主義を志向している」というデマゴギーとを世界に向かって主張し、「日本は悪事を悔い改めようとしない」「日本人は徳を持ってない。 昔も今も日本は悪である」「日本はパートナーとしてふさわしくない」というイメージを世界中に広めようとして来ました。 そうする事で、中国共産党は「日本を孤立させ、更に、アメリカ国内に「日米同盟は危険だ」とのムードを作り、ひいては、アメリカと日本とを互いに離反させ、日本人を洗脳して日本人をして皇室(天皇家)を潰させ、最終的には日本を中国の日本自治区または日本省にしよう」と思っているのです(中国主導のグローバリゼーション計画「一帯一路」の一環)。 其れほど中国共産党にとって日本は魅力的なのです。 また、中国共産党は中国主導のグローバリゼーション計画「一帯一路」を実現する過程で中国人民14億人(注:此の数は中国政府発表の疑わしいものである)の1割ほどを世界中にばらまいて、其の者たちをして世界中を蚕食させ、其の地を植民地にしようと思っているのでしょう。 既に中国共産党は1990年代から2020年までにアメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、日本、アフリカ、などにとても多くの中国人(一説には、総計9000万人の中国人)を移住させたり派遣したりして来た、と言われています。 また、中国事情に詳しい河添恵子さんによると、中国共産党は自国企業に多額の資金を提供し、其の企業を多国籍企業に育て上げ、自らの影響力を人目に付かない形で世界中で行使しようと思い、2017年の時点で、此の計画を実行中です。 また、中国共産党は玉城デニーに「沖縄の独立」と言わせ、多数の中国共産党工作員を使って2018年に玉城デニーを沖縄県知事にしました。 中国共産党は玉城デニーを有効に使って先ずは沖縄を独立させ、次いで沖縄を中国の沖縄省にしようと考えています。

● ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の中華民国と中国共産党とに対する思い。
第2次世界大戦においてシナで日本陸軍を相手に戦った国は中華民国です。 第2次世界大戦の終結に伴って、中華民国(蒋介石政権)は第2次世界大戦の主要戦勝国になり、1945年10月に発足した国際連合(第2次世界大戦の戦勝国クラブ)の常任理事国になりました。 中華民国(蒋介石政権)は1949年まではシナにありましたが、中華民国(蒋介石政権)は1949年に台湾に移り、同年、シナでは中華人民共和国が成立しました。 あとで詳しく述べますが、第2次世界大戦の前の1930年代から、白人系アメリカ一般庶民の大多数は、左派も右派も、シナにロマンチックな幻想を持ち、シナに対して片思い感情を持っていました。 白人系アメリカ一般庶民だけでなく、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力も「中国共産党は我々の戦略的パートナーである」という「中国共産党に対する片思い的観念」を持っていた、と思われます。 そして、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は第2次世界大戦後も長らく「中国共産党は我々の戦略的パートナーである」という「中国共産党に対する片思い的観念」を持ち続けた、と思われます。 そして、時が経ち、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は、中華人民共和国が成立してから凡そ20年後の1970年頃に「そろそろ中華民国を国連の常任理事国の座から引きずり降ろして国連から追放し、中華人民共和国を国連に加盟させて常任理事国の座に着かせる潮時だ」と考えたのでしょう。 1971年7月、アメリカのニクソン大統領が自身の中国訪問計画を発表しました。 1971年10月25日、アメリカ連邦政府の政治工作によって中華民国は国連の常任理事国の座から引きずり降ろされたばかりか、国連から追放され、同時に中華人民共和国が中華民国に代わって国連に加盟して常任理事国の座に着きました。 そして、1972年2月21日、ニクソン大統領が中国を訪問しました。 中華人民共和国は国連の常任理事国の座に着いて以来、戦勝国面をして図々しく振る舞って来ました。 中国共産党の図々しい態度、中国主導のグローバリゼーション計画「一帯一路」、AIIB設置の背景には、中国共産党の「ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は我々中国共産党の味方である。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力と我々中国共産党との良好な関係は此れからも末永く続くだろう」という思いが有った、と思われます。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は第2次世界大戦後も長らく「中国共産党は我々の戦略的パートナーである」という「中国共産党に対する片思い的観念」を持って来ましたが、2016年頃に彼らは中国共産党の急激な伸張と其れに伴う中国共産党の横暴さに危機感を持ち、「中国共産党は我々の戦略的パートナーである」という「中国共産党に対する片思い的観念」が幻想である事に気付いたのでしょう。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は2017年頃に従来の「中国共産党に対する友好的方針」を変更し、次のような対中国共産党戦略構想を新たに採用したように見えます。「中国共産党の世界制覇の野望を挫き、中国共産党の力を適度に弱め、中国共産党を手なずけ、中国共産党を手下とし、中国共産党をうまく使って北朝鮮の非核化を成し遂げ、北朝鮮を中国共産党の管理下に置き、サムスン電子やSKハイニックスの集積回路受託製造能力を大幅に下げたあとで、北朝鮮と韓国とを丸々其のまま中国共産党にくれてやろう。 そして、其の後、中国共産党の持つ強い侵蝕力をうまく使って世界各国から国家主義者(保守主義者)を追放し、其れらの国々を中国の自治区または省にしてでも自らの金融支配力を使って商業グローバリズムを世界中に浸透させ、加えて、自らの金融支配力を使って中国共産党を十分に飼い慣らし、中国の自治区または省になった地域のマルクス主義者(共産主義者)を有効に活用して世界中を適度な紛争状態にし、地球上の数ヶ所で適度な戦争を起こし、此のような紛争状態・戦争状態を維持する事で地球的規模の自由市場経済を造り上げよう」。 尤も、此れとは異なる対中国共産党戦略構想も色々考えられているとは思いますが。 イギリスのメイ首相が2017年8月30日から9月1日にかけて来日し、安倍総理大臣と会談しました。 此の会談はメイ首相がロンドン・ロスチャイルドの「中国共産党に対する友好的方針」の変更に関する思いなどを安倍総理大臣に直(じか)に伝える為の会談だったのではないか、と思われます。 イギリス政府が新しい対中国共産党戦略を実行する為には、イギリスがEU(欧州連合)から離脱することが必要だったのでしょう。 2018年7月、アメリカのトランプ政権は中国共産党に経済戦争を仕掛けました。 更に、2018年10月4日、アメリカのペンス副大統領が首都:ワシントンD.C.のハドソン研究所で講演し、「中国はアメリカに挑戦する国だ。 トランプ大統領とアメリカ国民は後ろに引かない」と宣言しました。 トランプ政権によって虐められるようになった中国共産党は「中日友好を促進しよう」とか言って、日本に擦り寄って来ました。 経団連会長:中西宏明(日立製作所の会長)はウォールストリートジャーナルの面会取材に応じて中国について「敵に回したりしては日本は存在し得ない。 アメリカの場合はそれは出来るかも知れないけど、日本はそうはいかない」と発言しました。

● 現代でも情報や宣伝や多額の賄賂を駆使した侵略がたくさん行なわれている。
「侵略」の定義を「或る人間集団が軍事力、諜報、宣伝、賄賂などによって、他の人間集団の主権、領土、政治的独立を侵害する」という事とすれば、日本は中華民国を侵略したことになるでしょう。 しかし、人類の歴史では「強い人間集団(民族、部族、宗教団体、国)が弱い人間集団(民族、部族、宗教団体、国)を征服して栄える」という弱肉強食が断続的に数多く繰り返されてきたのです。 現代でも情報や宣伝や多額の賄賂を駆使した侵略がたくさん行なわれています。 例えば、多数の工作員を他国のマスメディアの職員とし、其のマスメディアを介して其の国の人々を感化・洗脳して其の国の政権の支持率を低下させ、其の国の国会議員・高級官僚などをハニートラップに掛けたり、其の国の国会議員・高級官僚などを買収したりして、其の者を操り人形に仕立て上げ、其の者に様々な工作活動をさせ、其の国の政権の支持率を低下させて其の政権を打倒し、其の国に自らの意に適った新政権を立て、最終的に其の国を乗っ取ろうとするような侵略が行なわれています。 此れから先も少なくとも千年ほどに渡って世界のあちこちで、情報や宣伝や多額の賄賂を駆使した侵略が行なわれていくでしょう。 日本に関しては、日本を商業グローバリズム(世界各国の経済規制を撤廃し、世界各国に自由競争原理を導入し、其のような地球的規模の自由市場経済によって大きな利益を上げようとする思想)の中に取り込みたいと思っているユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力による日本グローバル化計画(日本解体計画)が実行されていくでしょうし、其れ以上に激しく且つ露骨に中国共産党による日本人洗脳計画と日本侵蝕計画とが実行されて行くでしょう。 かつて、ユダヤ人国際金融業者:ロスチャイルドはユダヤ人カール・マルクスをして「プロレタリアン・インターナショナリズム」(「各国のプロレタリアの利害は国境を越えて一致している。 全世界のプロレタリアは資本主義社会の打倒と共産主義社会の実現の為に、団結して戦わなければならない」という思想、及び、此の思想に付随する思考様式)を唱えさせ、子供騙しの史的唯物論(唯物史観)を創作させ、史的唯物論という土台の上に共産主義経済理論を構築させ、史的唯物論と共産主義経済理論とを纏(まと)めて「マルクス主義」と名付け、此れを貧者の武装理論として世界中に広め、世界中で人心を対立させ、世界中を不安定状態にし、世界各地に動乱や戦争を適度に起こす事で大きな利益を得て来ました。 しかし、1989年(平成元年)11月にベルリンの壁が破壊され、1989年12月にマルタ会談が行なわれ、東西冷戦の終結が宣言されました。 世界中の人々の大多数が此れら2つの出来事を知り、此れら2つの出来事を知った人々の大多数(9割ほどか)が「マルクス主義に基づくソ連経済は潰れた。 マルクス主義は資本主義に負けた」と思うようになった、と思われます。 其の為、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「東西冷戦を利用して人心を対立させ、世界中を不安定状態にし、世界各地に動乱や戦争を適度に起こす事で大きな利益を得よう」という戦略がうまく機能しなくなった事を理解した、と思われます。 1990年以降、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は此の戦略に替えて、グローバリズム(汎地球的自由主義。地球市民主義)に基づく「地球的規模の自由市場経済主義」(注:此れが先ほど述べた「商業グローバリズム」です)を世界戦略主義として世界中に広める事で「地球的規模の自由市場経済」を造り上げ、此れによって大きな利益を上げて世界の頂点に君臨し続けようという戦略を推し進めています。 実は、此の戦略は東西冷戦時代の初期から偽装された形で徐々に推し進められて来ました。 其の一例としてEEC(European Economic Community、欧州経済共同体)の結成(1957年)を挙げることが出来ます。 先に述べたように、此の戦略は東西冷戦の終結宣言(1989年12月)以降に本格的に推し進められるようになり、1992年2月にEEC(欧州経済共同体)はEU(European Union、欧州連合)に改編されました。 ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は自らの商習慣に都合が良い商業グローバリズムを世界中に浸透させる事で世界を商業的に統一支配して大きな利益を得よう、と考えているのです。 そして、ヨーロッパ諸国の政治家の大多数が「地球的規模の自由市場経済主義」(商業グローバリズム)に賛同しています。

かつて、ロンドン・ロスチャイルドによって作り出されたマルクス主義者(マルクス教徒)は「資本主義社会からマルクス主義社会への移行は歴史の必然である。 地球的規模のマルクス主義化は歴史の必然である」と言っていました。 そして、現代のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の代理人として商業グローバリズムの広報を担当している学者(ズビグネフ・ブレジンスキー、など)は「グローバリズム(汎地球的自由主義。地球市民主義)に基づく「地球的規模の自由市場経済化」は歴史の必然である」と言っています。 元駐ウクライナ大使:馬渕睦夫さんがお書きになった『国難の正体』(ビジネス社)や、経済評論家:三橋貴明さんがお書きになった『グローバル経済に殺される韓国 打ち勝つ日本』(徳間書店)では「グローバリズムの危険性」が述べられています。 また、汎地球的自由主義者や、地球市民主義者や、人権擁護活動家が商業グローバリズムの隆盛に便乗して自らの勢力を拡大しようとしています。

因みに、先ほど「子供騙しの史的唯物論(唯物史観)」と述べましたが、あなたが或る程度の哲学的思考力をお持ちであれば、あなたは史的唯物論(唯物史観)をお読みになって「史的唯物論(唯物史観)は子供騙しのものである」という事がお分かりになるでしょう。

因みに、1989年11月の「ベルリンの壁の破壊」以降、ヨーロッパや日本のマルクス主義者(マルクス教徒)は発言力を失い、発言力を失ったマルクス主義者(マルクス教徒)の大多数は人権擁護活動家や環境保護活動家になり、人権擁護活動家や環境保護活動家として大きな顔をするようになりました。 ヨーロッパの国々の中でもドイツでは人々の大多数が、かつてナチス政権が行なった大規模なユダヤ人迫害に対する反省の念を持っている為、人権擁護活動家がとても大きな力を持っています。 そして、其れと同程度に環境保護活動家も大きな力を持っています。

動画「中国の失敗!習近平のバカさ!野望を口をしたからいまの中国包囲網がある!」(https://www.youtube.com/watch?v=2hTin8h2b8M)をご覧になってください。

第5章  日米戦争はどのようにして起きたのか。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/rekishi06.htm
日本による真珠湾攻撃(1941年12月8日)から終戦(1945年8月15日)に至るまで、日本はアメリカを相手に戦いました。 此の戦争はどのようにして起きたのかを見ていきましょう。

● マッカーサー陸軍元帥の証言。
日米戦争におけるアメリカ陸軍最高司令官はダグラス・マッカーサー陸軍元帥でした。 ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は大東亜戦争の終結から6年後の1951年5月3日、アメリカ連邦議会上院の軍事外交委員会で、大東亜戦争について「日本が戦争を始めたのは主として自国の安全を保障する為だった」と証言しました。 かつて日本軍を相手に戦ったアメリカ陸軍の最高司令官:ダグラス・マッカーサー陸軍元帥が「日本が戦争を始めたのは主として自国の安全を保障する為だった」と証言したのですから、此の証言は大変注目に値します。

次はアメリカ連邦議会上院の軍事外交委員会でのダグラス・マッカーサー陸軍元帥の証言(1951年5月3日)からの抜粋です。
日本が抱える8000万人に近い膨大な人口は四つの島に詰め込まれていた事を理解して頂かなければなりません。 其の凡そ半分は農業人口であり、残り半分は工業に従事していました。 潜在的に、日本における予備労働力は、私が知る限りでは、量的にも質的にも、どこにも劣らぬ優れたものです。 彼らはいつの頃からか労働の尊厳というものを身に着けました。 彼らは、何もせずに居るときよりも働いて何かを作っているときの方が幸せだという事を知ったのです。 此のように膨大な労働能力が存在するという事は、彼らが働く為には多くの仕事が必要であるという事を意味しました。 彼らは工場を建設し、労働力を抱えていましたが、基本的資源を有していませんでした。 日本には、蚕を除いては、自国産の資源はほとんど有りません。 彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油が無く、スズが無く、ゴムが無く、其のほかにも多くの資源が欠乏していました。 其れらの全てはアジア海域に有りました。 彼らは、其れらの供給が断たれれば、日本に1000万人から1200万人の失業者が生まれるのではないか、と恐れました。 ですから、日本が戦争を始めたのは主として自国の安全を保障する為だったのです。

● ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちの「西へ西へ」の侵出欲。
イギリス国教会からの離脱を意図した清教徒(プロテスタントの一派)41人(のちに “Pilgrim Fathers” と呼ばれる人々)を含む総計102人のイギリス人が1620年9月にメイフラワー号に乗ってイギリスのプリマス港から船出して大西洋を横断し、同年11月に現在のマサチューセッツ州のコッド岬に上陸して入植地:プリマスを作りました。 しかしながら、同年から翌年にかけての冬の寒さで彼ら清教徒入植者たちの半数が死にました。 それでも彼ら清教徒入植者たちは頑張り、1622年頃から北アメリカ先住民のインディアンを殺害・駆逐して自らの生存圏を拡大して行きました。 彼ら清教徒に続いて多くの清教徒がイギリスから北アメリカ大陸東部に渡って入植者になりました。 彼ら清教徒や彼らの子孫はワスプ(WASP、White Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれ、北アメリカ大陸東部の政治・経済とアメリカの建国において主導的な役割を果たし、広い意味でのアメリカ支配階級の主要構成員であり続けて来ました。 そして、アメリカ独立戦争(1775年〜1783年)後も、ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちは北アメリカ先住民のインディアンを殺害・駆逐しながら西へ西へ侵出して行きました。 アメリカ軍の司令官たちは「インディアンを全滅すべきだ」と公言し、容赦ないインディアン全滅作戦を実行しました。 1861年に始まった南北戦争は1865年に終わりました。 すると、白人系アメリカ人はフロンティア(辺境地帯)の開拓に邁進(まいしん)し始め、本格的な西部開拓時代(西部劇の時代)が始まりました。 アメリカ軍の騎兵隊はインディアンの女・子供を殺し、インディアンの生活環境を極度に破壊しました。 其の所為でインディアンの数が激減し、インディアンの組織的抵抗は1890年に終わり、ほぼ同時にフロンティアが消滅し、西部開拓時代(西部劇の時代)が終わりました。 以上を比較的手短に述べれば、アメリカという国は、イギリス国教会からの離脱を意図して1620年9月にメイフラワー号に乗ってイギリスのプリマス港から船出して大西洋を横断し、同年11月に現在のマサチューセッツ州のコッド岬に上陸した清教徒を初めとして、ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちが北アメリカ先住民のインディアンを殺害・駆逐しながら西へ西へ侵出して作った国である、と言えるでしょう。

アメリカのテキサス州は元々メキシコの領土でしたが、此の地域には1800年頃から多くの白人が入植者として入り込んで勢力を伸ばし、メキシコ人を圧倒する勢力を持つようになりました。 そうした状況の中で、彼ら白人入植者はアメリカ軍を後ろ盾にして此の地域のメキシコからの分離・独立を要求するようになり、1835年に反乱を起こしました。 そして、1836年2月には有名な「アラモの戦い」が起きました。 此の戦いでアラモ砦の180人余りの白人守備隊の全員がメキシコ軍に殺されました。 しかし、最終的には「リメンバー・アラモ」という合い言葉で士気を高めたテキサス軍(アメリカ軍人に指揮された白人入植者部隊)がメキシコ軍を打ち負かし、1836年5月、此の地域はテキサス共和国として独立しました。 其れから9年後の1845年、アメリカ連邦政府はテキサス共和国を自国の領土に組み入れました。 そして、アメリカとメキシコとの国境をどうするかで両者は対立し、1846年にアメリカ・メキシコ戦争が始まりました。 此の戦争はアメリカ勝利の形で1848年に終わり、アメリカ連邦政府は其れまでメキシコの領土であった「ニューメキシコ、アリゾナ、ユタ、ネヴァダ、カリフォルニア」を自国の領土に組み入れました。 こうして、アメリカの領土が北アメリカ大陸の西海岸に達しました。

ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちの「西へ西へ」の侵出欲は、アメリカの領土が北アメリカ大陸の西海岸に達したあとも無くならずにハワイ諸島(ハワイ王国)にまで達しました。 そして、アメリカ連邦政府は1898年にハワイ王国を軍事力で併合し、ハワイ諸島を自国の領土に組み入れました。 1898年2月、キューバ島のハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦メインが爆発・沈没し、266名の乗組員が死にました。 此の事件で疑いを掛けられたスペイン政府は戦艦メインの爆発・沈没の調査を約束しました。 そして、スペイン政府はアメリカとの戦争を避けようと思って多くの譲歩を重ねました。 しかし、アメリカ連邦政府は此の事件をスペインの仕業だと決め付け、1898年4月に問答無用でスペインとの戦争に踏み切りました(米西戦争)。 アメリカの合い言葉は「リメンバー・メイン」でした。 此の戦争は1898年8月まで続きました。 此の戦争でアメリカはスペインを負かし、1898年に「キューバ島、プエルトリコ島、フィリピン、グアム島」の統治権をスペインから奪い取りました。

「リメンバー・アラモ」「リメンバー・メイン」「リメンバー・パールハーバー」。 アメリカの戦争はいつも「リメンバー・・・」でした。 アメリカは戦争の際には、いつも敵国からの攻撃をうまく使い、「リメンバー・・・」の合い言葉で国民がまとまって戦争に臨んで来ました。

米西戦争でスペインを負かしたアメリカは1898年12月にスペインからフィリピンの統治権を手に入れました。 そして、アメリカはフィリピンを植民地にしようとしました。 フィリピン人はアメリカに対して抵抗運動を起こしました。 抵抗運動を起こしたフィリピン人とフィリピンに来ていたアメリカ軍との間で1899年2月から1902年7月にかけて戦争が起きました(米比戦争)。 此の戦争でアメリカ軍はフィリピン人を制圧し、推計2万人のフィリピン人が戦死しました。 また、此の戦争に伴う飢餓と疫病で20万人のフィリピン人が死にました。 フィリピンを手に入れたアメリカ連邦政府は、フィリピン人に英語を使わせるなど、徹底的な植民地政策を行ないました。 そして、知的なフィリピン人ほど率先してフィリピン古来の文化を捨てて積極的にアメリカ化して行きました。 こうして、アメリカ連邦政府はフィリピンを植民地にしたのです。

ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちは「自分たちが非白人劣等民族を追放し、非白人劣等民族の領土を奪い、其の地に自分たちの文明を築くことは神から与えられた「明白なる定め」(Manifest Destiny)だ」と思っていました。 1620年9月にメイフラワー号に乗ってイギリスのプリマス港から船出して大西洋を横断し、同年11月に現在のマサチューセッツ州のコッド岬に上陸して入植地:プリマスを作った清教徒入植者たちは、同年から翌年にかけての冬の寒さで彼らの半数が死にながらも、1622年頃から北アメリカ先住民のインディアンを殺害・駆逐して自らの生存圏を拡大して行き、彼ら清教徒入植者たちに続いてイギリスから北アメリカ大陸東部に渡った清教徒たちと共同して北アメリカ大陸の東部一帯を植民地にしました。 そして、彼ら清教徒入植者たちはイギリスからの独立を求めて1775年に独立戦争を起こして勝利し、イギリス政府は1783年にアメリカ合衆国の独立を正式に承認しました。 アメリカ合衆国政府はアメリカ独立戦争の講和条約(パリ条約、1783年)でミシシッピ川以東の土地をイギリスから譲り受けて自国の領土に組み入れ、1803年にミシシッピ川以西からロッキー山脈にかけての土地をフランスから買い取って自国の領土に組み入れ、1819年にフロリダをスペインから買い取って自国の領土に組み入れ、テキサス共和国を1845年に自国の領土に組み入れ、1846年にワシントン、オレゴン、アイダホを自国の領土に組み入れ、1848年にニューメキシコ、アリゾナ、ユタ、ネヴァダ、カリフォルニアをメキシコから奪い取って自国の領土に組み入れ、1898年にハワイ諸島を自国の領土に組み入れ、1898年に「キューバ島、プエルトリコ島、フィリピン、グアム島」の統治権をスペインから奪い取りました。 白人系アメリカ人のこうした「西へ西へ」の侵出は「明白なる定め」という標語の下に行なわれたのです。 此の標語は白人系アメリカ人の侵出欲を正当化する為のものでした。 イギリス国教会からの離脱を意図した清教徒41人を含む総計102人のイギリス人が1620年9月にメイフラワー号に乗ってイギリスのプリマス港から船出して大西洋を横断し、同年11月に現在のマサチューセッツ州のコッド岬に上陸して入植地:プリマスを作って以来のアメリカは今の中国に負けず劣らずの膨張主義国家だった、と言えるでしょう。 尤も、其の当時の欧米列強の其のようなやり方は其の当時の世界標準でした。 其の当時の日本は欧米列強のような強い国になろうと思って頑張っていました。

● アメリカ連邦政府の「シナに関する門戸開放・機会均等」要求。
1898年にフィリピンを手に入れたアメリカ連邦政府にとって、シナはすぐそこにありました。 其の当時のアメリカは経済の発展が著しく、アメリカの経済力はイギリスの経済力に迫る勢いを持っていました。 アメリカ連邦政府は大発展した国内工業界の要請に応じる為にシナに食い込みたいと考えていましたが、日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)後のシナではヨーロッパ列強政府によるシナ分割合戦が進んでいたので、アメリカ連邦政府がシナに食い込める余地はほとんど有りませんでした。

先に述べたように、日清戦争後のシナでは「清」の弱体振りを知ったヨーロッパ列強政府がシナの分割に乗り出し、シナの奥地にまで侵入して行きました。 1896年、ロシア政府はシベリア鉄道上のカリムスコエ(バイカル湖の東方にあるロシアの都市)から分岐し満洲北部を直線的に横断しウラジオストクに至る鉄道(東清鉄道本線)の敷設権を清王朝からもらい、1897年、東清鉄道本線の敷設工事を始めました。更に、1898年、ロシア政府は遼東半島先端の関東州(旅順、大連)の租借権を清王朝からもらい、ロシア軍がすぐ関東州に進駐しました。 こうして、ロシア政府は万里の長城の北側(満洲と内モンゴル)を勢力圏に収めました。 イギリス政府は1898年に山東半島の威海衛と九竜半島の新界地区と九竜半島に付属する島々とを租借地とし、揚子江流域を勢力圏に収めました。 フランス政府は1899年に広州湾(広東省南西部)を租借地とし、広東省・広西省・雲南省を勢力圏に収めました。 ドイツ政府は1898年に山東省の青島を含む膠州湾を租借地とし、山東省を勢力圏に収めました。 以上のように、ロシア政府、イギリス政府、フランス政府、ドイツ政府は満洲やシナの沿海地域に租借地を持ち、そこに軍隊を派遣し、シナとの貿易を続ける為に、多くの人材と資金をシナに投じていました。 一方、アメリカ連邦政府はシナ分割合戦に出遅れました。 満洲やシナの沿海地域に租借地を持ってないアメリカ連邦政府は満洲やシナで権益を手に入れようと思って躍起になりました。 そこで、アメリカ連邦政府は1899年に列強6ヶ国(ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、日本)の政府に対して「シナに関する門戸開放・機会均等」を要求しました。 分かり易く言えば、「私を仲間に入れてくれ」という事です。 アメリカ連邦政府は此の要求を妥当なものだと考え、此の要求をヨーロッパ列強政府に執拗に主張しました。 アメリカ連邦政府の此の態度に、ヨーロッパ列強政府は「賛成ですよ」と言いながら、アメリカ連邦政府の要求にはほとんど応じませんでした。 日本政府はヨーロッパ列強政府に同調しました。

● ロシアの脅威。
ロシア政府は17世紀から広大なシベリアを幾つかに分けて次々に自国の領土に組み入れて来ました。 そして、ロシア政府は満洲をも自国の領土に組み入れようと思っていました。 ロシアはイギリスやフランスやドイツ以上に侵出欲の強い国でした。 日清戦争(1894年8月1日〜1895年4月17日)で「清」を負かした日本は「清」との間で日清講和条約(1895年4月17日)を結び、遼東半島と台湾と賠償金2億両とを「清」から譲り受けました。 ところが、ロシア政府は日清戦争の講和会議後にフランス政府とドイツ政府とに声を掛け、1895年4月23日、此の三国の政府が共同して「講和会議で日本の領土になった遼東半島を清王朝に返せ」と日本政府に圧力を掛けてきました。 其の当時の日本には其の干渉を跳ね返すだけの国力が有りませんでした。 それで日本政府は苦渋を飲んで、遼東半島を清王朝に返す事を1895年5月4日に決定しました。 但し、日本政府は其の後の清王朝との交渉で遼東半島を清王朝に返す代わりに清王朝から3000万両を獲得し、1895年11月に遼東半島を清王朝に返しました。 ロシア政府は「日本に遼東半島を返させた。 見返りをくれ」と清王朝に言い出しました。 其の見返りとして、1896年、ロシア政府はシベリア鉄道上のカリムスコエ(バイカル湖の東方にあるロシアの都市)から分岐し満洲北部を直線的に横断しウラジオストクに至る鉄道(東清鉄道本線)の敷設権を清王朝からもらいました。 そして、1897年、ロシア政府は東清鉄道本線の敷設工事を始めました。 更に、1898年、ロシア政府は遼東半島先端の関東州(旅順、大連)を25年間に渡って租借する権利と、東清鉄道本線上の哈爾浜(ハルビン)から大連に至る東清鉄道南満洲支線の敷設権と、東清鉄道南満洲支線上の奉天から朝鮮国境に至る支線の敷設権とを清王朝からもらいました。 そして、ロシア政府はさっそくロシア陸軍を関東州に進駐させ、李鴻章の北洋艦隊の基地であった旅順港(注:此の軍港は不凍港です)にロシア旅順艦隊(注:ロシア太平洋艦隊の主力)を配置し、東清鉄道南満洲支線の敷設工事に取り掛かりました。 一方、其の当時の朝鮮王妃:閔妃(びんひ)は朝鮮王:高宗よりも大きな権力を持っていました。 三国干渉でのロシアの強さを知った朝鮮王妃:閔妃は「日本よりもロシアの方が強い」と思い、ロシア政府と組んでしまいました。 其の事に激怒した駐朝鮮日本公使:三浦梧楼は朝鮮王妃:閔妃の殺害計画を部下の書記官に立てさせました。 そして、1895年10月8日午前3時、訓練隊(注:朝鮮を独立させ改革しようとする朝鮮兵部隊で、日本陸軍の指導下で作られた)と日本人壮士と日本公使館警護の日本兵とが共同して李氏朝鮮王宮に乱入し、朝鮮王妃:閔妃を殺しました。 此の事件によって日本の威信は大きく損なわれました。 此の事件の10日後、日本政府は三浦梧楼ほか2名の公使館員を召還して裁判に掛けましたが、此の3名は「証拠不十分」との理由で無罪になりました。 朝鮮各地に駐屯していた日本軍は朝鮮王妃:閔妃殺害事件後に日本公使館警護の軍隊を除いて駐屯地から次第に引き上げ、朝鮮王朝の各省内にいた日本人顧問や日本人検査官も契約満了に伴って帰国しました。 そして何と、朝鮮王:高宗は1896年2月にロシア公使館へ逃げ込み、ロシア公使館内で国政を執り行なうようになり(露館播遷、1896年2月〜1897年2月)、ロシア政府と組んでしまいました。 日清戦争の前から朝鮮の内政に強く干渉してきた日本政府の朝鮮に対する影響力は、こうした一連の流れ(三国干渉、朝鮮王妃:閔妃殺害、露館播遷)の中で低下し、日本政府に代わってロシア政府が朝鮮に対する影響力を行使できる立場になりました。 例えば、ロシア軍士官が朝鮮王:高宗の要請で来朝して朝鮮軍の改編や訓練を行なうようになりました。 一方、シナでは1899年に「義和団の乱」が起き、翌1900年の6月に「北清事変」が起きました。 北清事変で日本陸軍は規律正しく行動しただけでなく、大きな戦果をも挙げたので、日本陸軍は列強の政府から信頼され、特にイギリス政府とアメリカ連邦政府とから厚く信頼されるようになりました。 北清事変中の1900年7月、ロシア陸軍17万7千人が「敷設中の東清鉄道(本線と南満洲支線)を義和団による破壊活動から守る」という口実で大挙して満洲に侵入し、満洲全域を占領して満洲に居座ってしまいました。 更に、満洲に居座ったロシア陸軍は1901年に旅順に堅固な要塞を造り始めました。 更に、ロシア政府は1891年にシベリア鉄道の敷設工事を始めました。 此の敷設工事は1901年にはほぼ終わり、敷設未完了区間はバイカル湖南端近くの敷設困難区間だけでした。 そして、ロシア政府は李氏朝鮮王朝に強く働き掛けるようになりました。 李氏朝鮮がロシア政府の支配下に置かれれば、日本までもが危機的な状況に置かれます。 また、ロシア陸軍が満洲全域を占領した為、イギリス政府は警戒を強めました。 イギリス政府はシナにおける自国の権益が極東アジアにおけるロシアの南下政策によって損なわれるのではないかと恐れたのです。 そこで、極東アジアにおけるロシアの南下政策に関して利害を同じくするイギリス政府と日本政府は共同してロシア政府に対抗する為に、1902年(明治35年)1月30日に「日英同盟」を結びました。 其の当時のイギリスは世界中で最も強い影響力を持つ「世界一の強大国」でした。 日本は其のイギリスと1894年の「日英通商航海条約」に次いで「日英同盟」という軍事同盟を結ぶことが出来たのです。 また、アメリカ連邦政府(セオドア・ルーズベルト大統領 在位 1901年〜1909年、共和党)も「シナの門戸開放」成就の為に満洲からロシア軍を追い出したいと思っていました。 1903年1月、ロシア政府は東清鉄道南満洲支線(ハルビン⇔大連)を完成させました。 1904年2月上旬(日露戦争開始直前)、ロシア政府は大シンアンリン山脈(大興安嶺)の中を貫通するトンネル(大興安嶺トンネル)を完成させ、東清鉄道本線を完成させました。 其の当時のロシアの国力は日本の国力の10倍〜15倍でした。 そして、「ロシア陸軍は世界最強だ」と世界中で言われていました。 日本政府(第1次桂太郎内閣)は以上の情勢を考慮し、ロシアを相手に戦争すべきかどうか、色々悩みましたが、日本政府はロシアを相手に戦争することを決断したのです。

もし日本がロシアによる満洲占領を容認し、ロシアを相手に戦争しなかったならば、満洲全域と朝鮮とがロシアの領土として確定し、次いで、ソ連の領土になり、日本ではコミンテルン(スターリン)の工作員(注:ソ連人とは限らない)の盛んな工作活動によってマルクス教が蔓延し、皇室(天皇家)が潰され、マルクス教政権が出現して、日本はマルクス主義国家になったかも知れません。 もし日露戦争で日本がロシアに負けたならば、朝鮮だけでなく、日本列島までもがロシアの領土になり、次いで、ソ連の領土になり、皇室(天皇家)が潰され、日本は確実にマルクス主義国家にされたでしょう。 ですから、日露戦争は日本の存亡を賭けた戦いだったのです。 幸いな事に、日露戦争で日本は辛うじてロシアに勝ち、朝鮮における日本の優越権をロシアに認めさせ、満洲と朝鮮とからロシア軍を追い出しました。

● 日露戦争で日本がロシアに勝てたのはニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者による「日本への巨大な資金援助」のお陰である。
日露戦争で日本はロシアを負かしました。 日本が白人大国ロシアを相手に戦争して勝ったのです。 其れは、其の当時、まるで鼠が猫を負かした事のように思われました。 日本の学校では「此の勝利は100%日本の実力によるものである」と教えられて来ました。 しかし、此の勝利の背景には、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者による「日本への巨大な資金援助」が有ったのです。 日本が其の国力の10倍〜15倍の国力を持つ白人大国ロシアを負かすことが出来たのは、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者による「日本への巨大な資金援助」が有ったからです。

ロシア帝国領ウクライナでは1881年から1906年まで激しい反ユダヤ主義の嵐が吹きまくり、大規模なユダヤ人虐殺(ポグロム)が頻発していました。 特に、1903年にウクライナの都市キシニョフ(現在のモルドバ共和国の首都)で起きたロシア政府公認のユダヤ人大虐殺は世界中に報じられ、世界中のユダヤ人を激怒させました。 其の当時のロシア帝国はユダヤ人から “ 悪の帝国 ” と見られていたのです。 ですから、ユダヤ人から見れば、「1904年2月に始まった日露戦争は、ユダヤ人を迫害するロシア帝国(ロマノフ王朝)に対する戦いである」と見えたのです。 其の当時の日本人社会主義者:片山潜は「私は戦争に反対である。 しかし、一日本人として私は、先般キシニョフでユダヤ人を虐殺したロシアによって日本が討ち負かされる事を欲しない」と述べました。

先に述べたように、イギリス政府と日本政府は共同してロシア政府に対抗する為に、1902年(明治35年)1月30日に「日英同盟」を結びました。 日露戦争は1904年(明治37年)2月10日に始まりました。 日本政府(第1次桂太郎内閣)はロシアとの戦争に必要なポンド(注:イギリスの通貨)を軍事同盟国のイギリスから借りる為に、日本銀行の副総裁:高橋是清に1000万ポンドの日本国債発行という使命を与えました。 高橋是清は1904年2月24日に横浜港を出発し、アメリカ経由でイギリス・ロンドンへ向かいました。 其の当時の日本政府はロシアとの戦争に必要な軍需品(戦艦など)を軍事同盟国のイギリスから買う為には、欧米の国際金融業者から巨額のポンドを借りるほかに手立てが無かったのです。 高橋是清は1904年4月1日にロンドンに到着しました。 其の当時のロンドンの金融街では「日本はロシアに勝てる筈が無い。 日本は負ける。 日本に貸したお金は回収できない」と思われていたので、高橋是清に課せられた任務は困難を極めました。 しかし、幸いにも、パース銀行ロンドン支店では、かつて高橋是清に金融学を教授したアレクサンダー・シャンドという人が支店長を務めていました。 そして、幸いにも、1904年4月23日頃、アレクサンダー・シャンドの好意により日本政府はパース銀行、並びに、香港上海銀行との交渉で日本政府の希望額1000万ポンドの半額500万ポンドの日本国債を発行する事が内定しました。 しかし、残り500万ポンドの日本国債を発行できる見込みはありませんでした。 そうした状況の中で、高橋是清の旧友で、スパイヤーズ社(注:ニューヨークの商社)のロンドン支店長をしているアーサー・ヒルという人が500万ポンドの日本国債発行の内定を祝い、1904年5月3日に晩餐会を開いてくれました。 此の晩餐会にはロンドン滞在中のユダヤ系国際金融業者:ヤコブ・シフ(Jacob Schiff)が招待されていました。 ヤコブ・シフはニューヨーク・ウォール街の大投資銀行「クーン・ローブ商会」の頭取であり、ユダヤ系アメリカ人の超大物でした。 此の晩餐会でヤコブ・シフは高橋是清の隣に座り、日本経済の事や日本人の気持ちなどについて熱心に細かく高橋是清に質問しました。 高橋是清は出来る限り丁寧に応答し、「私は日本政府から年内に1000万ポンドの日本国債を発行するように申し付けられています。 しかしながら、ロンドンの銀行家たちは500万ポンドよりも多いポンドを日本に貸すのは無理だと言っています」と話しました。 翌日の5月4日、パース銀行ロンドン支店長アレクサンダー・シャンドが高橋是清を訪れ、「ヤコブ・シフが残りの 500万ポンドを自分が引き受けてアメリカで買いたいと言っている」と高橋是清に伝えました。 此れを契機に高橋是清に課せられた任務はすこぶる順調になっていきました。 其の当時、ロスチャイルドを初めとするユダヤ系国際金融業者は「ユダヤ人迫害が続くロシア帝国で革命を起こして、ロマノフ王朝を打倒したい」と思っていました。 ヤコブ・シフはニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者の会合で自らがロシア政府の国債を買わない事を宣言し、アメリカやヨーロッパの国際金融業者に対してロシア政府の国債を買わないように呼びかけてくれました。 其れに加えて、ヤコブ・シフはアメリカやドイツの国際金融業者に対して日本国債を引き受けるように呼びかけてくれました。 ヤコブ・シフの多大な支援のお陰で、日本政府はニューヨークでも日本国債を発行することが出来るようになり、日露戦争中に4回もポンド建て日本国債を発行することが出来ました。 此のような幸運の背景には、セオドア・ルーズベルト大統領を初めとするアメリカの大物政治家やアメリカの大物実業家が日本に好意的であった事が有ります。 そこには、セオドア・ルーズベルト大統領を初めとするアメリカの大物政治家やニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者の「満洲からロシア軍を追い出して、日本と一緒に満洲に食い込みたい」という思いがあった、と思われます。 日本政府は日露戦争中の4回に渡るポンド建て日本国債発行によって当初の希望額(1000万ポンド)を遥かに超える8200万ポンド(4億1000万ドル、8億2000万円)を借りることが出来ました。 此の内の推計3300万ポンド(1億6500万ドル、3億3000万円)はヤコブ・シフが貸してくれた分です。 ポンド建て日本国債発行によって調達できた8200万ポンド(8億2000万円)で日本政府はロシアとの戦争に必要な多数の高性能軍艦(戦艦、巡洋艦、駆逐艦)を軍事同盟国のイギリスから買うことが出来ました。 日露戦争直前(1903年)の日本の国家歳入は2億6000万円でした。 此れと比べると、其の当時の8億2000万円が如何に巨額であるかがお分かりになるでしょう。 ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者による「日本への巨大な資金援助」が無かったならば、日本はロシアに勝てなかったのです。 ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者は「日本に十分な戦争資金を提供し、日本をしてロシア帝国としっかり戦わせる事で、ロシア帝国を弱体化させ、ロマノフ王朝を打倒し、更に、満洲からロシア軍を追い出して、日本と一緒に満洲に食い込みたい」と思っていたのです。

因みに、日本が日露戦争の遂行に要した費用は18億2600万円でした。 其の内の凡そ10億円は国内債と増税で賄われました。 また、日本が日露戦争時のポンド建て日本国債発行による膨大な借金を返し終わったのは1986年(昭和61年)です。 そして、其の結果として、日本に莫大な戦費を貸し付けた「ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者」は大きな利益を得ることが出来ました。 ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者が日本に貸し付けた莫大な戦費の年利率は7%であった、と言われています。

● ハリマン提案。 桂・ハリマン覚え書き。
日露戦争(1904年2月〜1905年9月)の終結後、日本はロシアから譲り受けた「東清鉄道南満洲支線の長春以南の部分」を「南満洲鉄道」という名で経営するようになりました。 鉄道は経済発展の基盤ですから、日本は南満洲鉄道を所有・経営できるようになった事を喜びました。 しかし、日露戦争で膨大な資金を使い果たした日本には、此の鉄道を経営する為の資金の見通しが立ちませんでした。 そうした状況の中で、アメリカのユダヤ系大物実業家エドワード・ハリマンがニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者の代表として1905年8月31日に来日し、日本政府に「私が南満洲鉄道に出資するから、南満洲鉄道を私と日本とで共同経営しよう」と持ちかけて来ました。 此れが所謂「ハリマン提案」です。 エドワード・ハリマンはアメリカの大きな鉄道会社の経営者であり、「鉄道王」と呼ばれていました。 エドワード・ハリマンは日露戦争中にポンド建て日本国債を1個人として100万ポンド(500万ドル)分も買ってくれた人でした。 其の当時のシナは、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアによって分割されており、アメリカがシナに食い込める余地はほとんど有りませんでした。 極東でアメリカの食い込める余地の有る地域は未開の地:満洲だけでした。 アメリカ連邦政府は其の満洲に食い込もうとして、エドワード・ハリマンを日本に送ってきたのです。 日本政府(第1次桂太郎内閣)はハリマンを大歓迎し、彼を午餐会・晩餐会・園遊会に招待しました。 ハリマンは皇居に参上して明治天皇に拝謁し、其の後、駐日アメリカ大使の強力な支援を受けながら、第1次桂太郎内閣と精力的に交渉を行ないました。 桂太郎首相、元老の井上馨、元老の伊藤博文、実業家の渋沢栄一、など、政財界の有力者の大多数はハリマン提案を受け入れる事に賛成しました。 元老の井上馨は「ハリマン提案を受け入れる事は日本の防衛の為にも良い」と考えていました。 井上馨は「日本一国では満洲を守る事は出来ない。 満洲にアメリカが入ってくれれば、防衛は強固なものになる」と考えたのでしょう。 第1次桂太郎内閣はハリマン提案を受け入れる事を決定し、アメリカ連邦政府と正式協定を結ぶ約束を1905年10月12日にハリマンとの間で交わしました。 此の約束が所謂「桂・ハリマン覚え書き」です。 アメリカ連邦政府と正式協定を結ぶ約束(桂・ハリマン覚え書き)を第1次桂太郎内閣との間で交わしたハリマンは上機嫌になりました。 10月13日、ハリマンはサンフランシスコへ向かう船に乗って帰国の途に就きました。 第1次桂太郎内閣がハリマンとの間で桂・ハリマン覚え書きを交わした1905年10月12日、講和会議で日本側全権大使を務めた外務大臣:小村寿太郎はアメリカから日本へ向かう船に乗っていました。 小村寿太郎は1905年10月15日に帰国し、桂・ハリマン覚え書きの話を聞きました。 すると、彼は「とんでもない事だ」と言って猛反対しました。 其の理由は「日本が多くの血を流し財を尽くして獲得した戦果は実に貧弱である。 此の貧弱な戦果の半分以上の価値がある南満洲鉄道をアメリカ人と共同経営する事にしたら、南満洲鉄道はアメリカに奪われてしまう」というものでした。 結局、小村寿太郎の意見が通り、1905年10月23日、第1次桂太郎内閣はハリマンとの約束(桂・ハリマン覚え書き)の破棄を駐日アメリカ大使に一方的に通告しました。 小村寿太郎は自身に与えられた使命を果たしたのです。 ハリマンは桂・ハリマン覚え書きが一方的に破棄された事を、サンフランシスコへ向かう船の無線電信で知りました。 其の時のハリマンの怒りはどれほどだったでしょうか。 第1次桂太郎内閣が桂・ハリマン覚え書きを一方的に破棄して以降、日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者やホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員は「日本は約束を破った。 日本は恩知らずだ。 日本は借りを返そうとしない。 日本は南満洲を独り占めしようとしている」と、激しい不快感を持つようになりました。 アメリカ製の西部劇を見れば分かるように、19世紀から20世紀前半にかけての白人系アメリカ人は借りを返す事を第1の正義と考えるような人々です。 第1次桂太郎内閣がハリマン提案を拒否した場合でも、ハリマンを初めとして、日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者は大きな怒りや大きな失望感を持ったでしょう。 第1次桂太郎内閣は桂・ハリマン覚え書きをハリマンと交わしておきながら、其の約束を一方的に破棄したのです。 ですから、ハリマンを初めとして、日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者は大きな怒りや大きな失望感を持っただけでなく、強硬な反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を持った、と思われます。 日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者の「日本に対する怒り」は頂点に達したのです。

「第1次桂太郎内閣はアメリカとの付き合い方を2つの点で間違えた」と言えるでしょう。(私(滝田)は第1次桂太郎内閣を非難しているのではありません。) 1つ目は「第1次桂太郎内閣がハリマンとの約束(桂・ハリマン覚え書き)を一方的に破棄した」という点で。 2つ目は「第1次桂太郎内閣がニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者に作った巨大な借りを返さなかった」という点で。 第1次桂太郎内閣がハリマンとの約束(桂・ハリマン覚え書き)を一方的に破棄した事は歴史の大きな分かれ目でした。 此の出来事以降、日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者やホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員は日本を「叩き潰すべき第1の国」と見なすようになりました。 そして、反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)がアメリカ中に広まりました。 此の出来事から36年後、日米戦争が始まります。 もし日本とアメリカとが南満洲鉄道を共同経営したならば、日米は協調路線をとり、日米戦争は無かっただろう、という見方も在ります。 其のような見方を紹介しましょう。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe150.html#04 をご覧になってください。

● 日露戦争後、アメリカ社会で日本脅威論や反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が大々的に広まった。
1776年に発表されたアメリカ独立宣言の中に「我々は自明の真理として、全ての人は平等に造られており、創造主から一定の奪い難い権利を与えられており、其の権利には生存・自由・幸福の追求が含まれていることを信じる」とありますが、此の文中の「全ての人」は「白人」を意味し、此の「全ての人」の中に有色人種は含まれていないのです。 言い換えると、其の当時の白人系アメリカ人にとって、有色人種は人ではなかったのです。 アメリカという国は、ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちが北アメリカ先住民のインディアンを殺害・駆逐しながら西へ西へ侵出して作った国です。 また、アメリカは近代に至るまで大規模な黒人奴隷制度が有った国です。 アメリカでは1863年に奴隷解放宣言がなされましたが、其の後もアメリカ国内の人種偏見・人種差別は酷いものでした。 レストランも、トイレも、バスも、学校も、公共施設は全て「白人用」と「有色人種用」とに分けられていました。 其の当時の白人系アメリカ人は白人だけを人と思っていたのです。

19世紀から20世紀前半にかけてのアメリカではヨーロッパからの白人の移民は歓迎されましたが、アジアからの有色人種の移民は歓迎されませんでした。 19世紀のアメリカ西海岸地帯では、シナ人移民に対してヒステリックな排斥運動が起きていました。 日本人のアメリカへの移住は1884年(明治17年)に始まり、アメリカへ移住した日本人の大多数は農場や工場や鉄道敷設現場などで働きました。 1900年にはアメリカへの日本人移民の数が年間1万人に達しました。 アメリカで勤勉な日本人移民が増えるに連れて、白人系アメリカ人は「日本人移民によって自分達の地位が奪われるのでないか」と思い、日本人移民を排斥するようになりました。 成功した日本人移民を見て嫉妬して憎む白人系アメリカ人も居ました。 此のように、日露戦争前のアメリカ社会には既に反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が有りましたが、日露戦争後、アメリカ社会で日本脅威論や反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)が大々的に広まったのです。 日本脅威論に関しては、「人ではない連中が白人大国ロシアを負かした」「日本人は油断ならない」「日本を叩き潰すべきだ」という観念がアメリカ中に広まりました。 白人系アメリカ人が日本や日本人に恐れを持つようになったのです。 其の当時の白人系アメリカ人にとって、日本人は得体の知れないエイリアンのようなものに見えたのでしょう。 何しろ、「人ではない連中が白人大国ロシアを負かした」のですから。 此の日本脅威論はアメリカ・マスメディアによって広められました。「新聞王」と呼ばれたウィリアム・ハーストは、連日、日本脅威論を書き立てました。 ウィリアム・ハーストは「新聞の売上げを増やす為ならば、国を戦争に追い込む事をも辞さない」と言われた人であり、あたかも日本人がアメリカを征服するかのような記事を発表し、反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を煽り立てました。 こうして、日本脅威論がアメリカ・マスメディアを介してアメリカ中に広まったと同時に、日露戦争の前からあった反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)がアメリカ・マスメディアによって大増幅されてアメリカ中に広まったのです。 日本人移民が特に多かったカリフォルニア州では、駅やトイレや街角に「ジャップは消えろ」「ジャップを焼き殺せ」という殴り書きが見られました。 日本人が散髪屋に入ると、「動物の散髪はしない」と言われました。 日本人が家を借りようと思って不動産屋に入ると、「ジャップが住むと、地価が下がるから、駄目だ」と言われました。 日本人はB級映画・小説・漫画の格好のネタになりました。 こうして、日本人についての邪悪なイメージが白人系アメリカ人に強烈に植え付けられていったのです。 其の当時のアメリカには「日本人の大脳皮質は欧米人の大脳皮質よりも白い。 日本人は原始的で、思考力は劣る」と言ってのけた人類学者も居たほどです。

日露戦争後に日本脅威論や反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)をアメリカ中に大々的に広めたアメリカ・マスメディアの背後には、第1次桂太郎内閣が桂・ハリマン覚え書きを一方的に破棄した事で大きな怒りや大きな失望感や強硬な反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を持つようになったニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が居た、と見るのが妥当です。 ホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員や州政府の要人や州議会議員がニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の手先として動いていた、と考えられます。

因みに、1924年、「移民法1924年」(注:日本では「排日移民法」と言われる)が制定され、日本人のアメリカへの移住は完全に止められました。 此の時までに27万人弱の日本人がアメリカに移住した、と言われています。

● 「オレンジ計画」という日本制圧戦略がアメリカ連邦政府によって作られた。
アメリカ連邦政府は日露戦争(1904年2月10日〜1905年9月5日)後の1906年に「オレンジ計画」という日本制圧戦略を作りました。 世界中の主要国を色分けして、日本はオレンジ色だったのです。 其の当時のニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「日露戦争の次なる戦争を起こしたい」と思い、アメリカ連邦政府をしてアメリカと日本との戦争を第一に想定した日本制圧戦略を立てさせ、ヨーロッパ列強に対しても日本制圧戦略に付随する戦略を立てさせたようです。 オレンジ計画は「数十年後には日本を潰してやるぞ」という戦略でした。 アメリカ連邦政府は日本を叩き潰すべき「第1の国」と見なし、戦争準備に着手したのです。 オレンジ計画は年々改訂され、最終的には何と、日本列島の家屋を無差別に焼き払う事まで盛り込まれていました。 此れは日本人の大量虐殺を意味します。 アメリカ連邦政府は其のような計画をナチス・ドイツに対しても、マルクス主義を掲げるソ連に対しても、立てませんでした。 アメリカ連邦政府は白人国家に対しては其のような計画を立てなかったのです。 日露戦争の直後から大東亜戦争の終結に至るまでのアメリカ連邦政府の対日政策の全てはオレンジ計画に基づいて行なわれました。 大東亜戦争末期に、アメリカ軍は日本列島の200余りの都市を爆撃し、日本の民間人(非戦闘員)50万人を殺しました。 民間人(非戦闘員)を殺す事は明確な国際法違反です。 しかし、其れさえもオレンジ計画に盛り込まれていたのです。

なぜアメリカ連邦政府は日露戦争の終結から1年後の1906年に強硬な反日姿勢を採ったのでしょうか。 先に述べたように、第1次桂太郎内閣がハリマンとの約束(桂・ハリマン覚え書き)を一方的に破棄した為、ハリマンを初めとして、日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者は大きな怒りや大きな失望感を持っただけでなく、強硬な反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を持つようになり、「白人がアジアに侵出するのは良いが、黄色人種の日本人が出しゃばるのは許せない」と思うようになりました。 ホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員も強硬な反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を持つようになり、「白人がアジアに侵出するのは良いが、黄色人種の日本人が出しゃばるのは許せない」と思うようになりました。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者と仲が良いワスプ系財閥も同様に考えるようになった、と思われます。 更に、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者は「日露戦争の次なる戦争を起こしたい」と思っていました。 ホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員もニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者の意向に従って強硬な反日姿勢を採るようになったのです。

日本は外国の介入を拒否する形で南満洲鉄道の経営を行ないました。 日本は南満洲における権益を独占したのです。 此れに対し、アメリカ連邦政府は「シナの門戸開放」を唱えて反対しました。 アメリカ連邦政府は「シナに対する影響力を強める為にシナ人学生を自国にたくさん留学させよう」と考え、日露戦争が始まる前の1900年頃からシナ人学生のアメリカへの留学を清王朝に強く働きかけていました。 そして、アメリカ連邦政府はようやく1911年にアメリカ留学の為の予備校として「清華学堂」(清華大学の前身)を北京に開設することが出来ました。 そして、アメリカ連邦政府は多くのシナ人学生をアメリカに招き入れ、彼らシナ人留学生を反日・親アメリカに仕立て上げ、彼らをシナに送り返しました。 蒋介石夫人:宋美齢(上海の大財閥の娘)も此れらシナ人留学生の1人でした。 1909年、アメリカ連邦政府は、南満洲鉄道を清王朝に買い取らせようか、それとも、南満洲鉄道の並行線を清王朝に造らせようか、と画策し、こうした画策案をヨーロッパ列強政府に示しました。 此のように、アメリカ連邦政府の日本に対する執拗な嫌がらせが始まりました。 アメリカ連邦政府の日本叩き政策が始まったのです。 日本政府が第1次世界大戦下の1915年1月に中華民国の袁世凱政権に出した「21ヶ条の要求」に対して、アメリカはシナに権益を持ってなかったので、アメリカ連邦政府は日本を激しく非難し、中華民国への支援を表明しました。 アメリカ・マスメディアも日本を激しく非難しました。 アメリカ連邦政府はシナと日本とを互いに対立させる事で日本を弱体化させようと思い、シナ駐在の工作員(外交官僚など)やアメリカ留学帰りの反日シナ人を使ってシナ人の五・四運動(1919年5月4日〜)を煽り立てました。 其れは日本を深く悩ませるものでした。 日本政府は1923年の国防方針書に「アメリカは・・・経済的侵略政策を遂行し、とくに支那に対する其の経営施設は、悪辣な反日宣伝と共に、日本が国運をかけ幾多の犠牲を払って獲得した地位を脅かしている」(現代語訳)と記し、シナにおけるアメリカの執拗な反日活動を憂えました。 しかし、日本はアメリカと事を構える気は有りませんでした。 日本はアメリカと仲良くやって行きたかったのです。 日本が脅威と感じていた国はロシアであり、アメリカではありませんでした。 日本政府の要人や日本陸海軍の要人はアメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)の日本に対する思い(大きな怒りや大きな失望感や強硬な反日観念)を感じ取ることが出来なかったのかも知れません。 感じ取ることが出来たとしても、日本政府の要人や日本陸海軍の要人は「そんな事は大した事ではない」と思ったのでしょう。 其の当時の日本政府の要人や日本陸海軍の要人は「対アメリカ戦略なんてものを考えるには及ばない」と思っていたのでしょう。 其の当時の日本人は誰一人として「二、三十年後、日本は広大な太平洋で隔てられたアメリカを相手に戦争することになるだろう」とは夢にも思わなかったのです。

● アメリカ連邦政府は日本政府が国際連盟設立委員会で出した「人種差別の撤廃」提案を力ずくで潰した。
日本政府は第1次世界大戦終結後の1919年2月、パリ講和会議の国際連盟設立委員会で「人種平等の原則を国際連盟の規約に明記する」という事を提案しました。 此の提案は当時としては画期的なものでした。 日本は国際会議で「人種差別の撤廃」を明確に主張した世界最初の国です。 此の提案は白人の黄色人種に対する差別に苦しんでいた日本にとって非常に重要な意味を持っていました。 其の当時の日本は一等国として認められ、世界の五大国(第1次世界大戦の戦勝国であるイギリス、フランス、アメリカ、イタリア、日本)の1つでした。 日本政府の非常な努力の結果として、多くの国々(フランス、イタリア、ギリシャ、中華民国、ポルトガル、チェコスロバキア、など)の政府が此の提案に賛成し、アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領(在位 1913年〜1921年、民主党)も当初は此の提案に賛成していたようですが、イギリス帝国内の自治領であったオーストラリアの政府やアメリカ連邦議会議員が此の提案に強硬に反対しました。 そして、採決が行なわれ、此の提案に対する賛成票は11、反対票は5になりましたが、議長であったウッドロウ・ウィルソン大統領が発した「全会一致でなければ、此の提案を可決すべきでない」の一言で否決されてしまったのです。 国内で人種差別をしていたアメリカは此の提案を断じて認める訳には行かなかったのです。 国際会議で「人種差別の撤廃」を世界で初めて提唱したのが日本政府であり、其れを力ずくで潰したのがアメリカ連邦政府でした。 ウッドロウ・ウィルソン大統領は「民族自決(民族が自らの意思で自らの事を決定する事)」を唱えた人として知られています。 しかし、「民族自決」の「民族」は白人系民族を意味しています。 彼にとってアジアの民族やアフリカの民族の事は相当に下位の事柄だった、と思われます。 アメリカ支配階級は黄色人種と対等に付き合っていく気は無かった、と見て良いでしょう。 此のように、日本は人種偏見の渦巻く欧米諸国を相手に渡り合って行かなければならなかったのです。 其れがどれほど大変な事だったか。

ウッドロウ・ウィルソン大統領は第1次世界大戦下の1918年1月、アメリカ連邦議会で「14ヶ条の平和原則」を発表しました。 ウィルソン大統領は此の中で、秘密外交の廃止、海洋の自由、平等な通商関係の樹立、軍備の縮小、アルザス・ロレーヌ地方のフランスへの返還、オーストリア=ハンガリー帝国内の民族自治、バルカン諸国の独立保証、オスマン帝国支配下の民族の自治の保障、ポーランドの独立、国際平和機構の設立、などを主張しました。 此の内、民族自決に関するものは、オーストリア=ハンガリー帝国内の民族自治、バルカン諸国の独立保証、オスマン帝国支配下の民族の自治の保障、ポーランドの独立、の4つです。 そして、此の「14ヶ条の平和原則」が1919年1月に開かれたパリ講和会議の基本理念になりました。 朝鮮で1919年3月1日に起きた三・一独立運動は、パリ講和会議で民族自決が大きく取り上げられた事に触発された朝鮮人が「アメリカが我々朝鮮人に味方してくれる」と思って起こしたものです。

因みに、国際連盟は1920年1月に発足し、日本は国際連盟の常任理事国4ヵ国(イギリス、フランス、イタリア、日本)の一員になりました。

● 日本政府によるミクロネシア統治。
日本は第1次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)で1914年8月23日にドイツに宣戦し、日本海軍はドイツ領だったミクロネシアの島々(グアム島を除くマリアナ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島(パラオ諸島を含む))を1914年10月に占領しました。 1919年6月に締結されたヴェルサイユ条約により此れらの島々は正式に日本領になり、日本政府がミクロネシアの島々を統治する事になりました。 グアム島はマリアナ諸島の南端に位置します。 グアム島は1898年以降、アメリカ領でした。 ですから、アメリカ領のグアム島を日本領の島々が取り囲む形になりました。 アメリカは密かに邪魔者:日本への敵意を燃やしたでしょう。

日本統治下のミクロネシアの島々では日本政府によって発電所が作られて電気が引かれ、学校や病院が建てられ、ミクロネシアの人々の半数以上が初めて実用的な読み書きをするようになり、予防接種がミクロネシアの人々全員に行なわれ、道路が舗装され、製糖工場が建てられ、製糖業が目覚ましく発展し、漁業、農業、鉱業、商業が振興され、其の結果として、ミクロネシアの人々の生活水準は著しく向上しました。 ミクロネシアに赴任した日本人はミクロネシアの人々に砂糖キビや米の作り方を教え、ミクロネシアの人々と一緒に汗を流して働き、ミクロネシアの人々に労働の尊厳を教えたのです。 ミクロネシアの人々の大多数は今も親日的で、パラオでは80%の人が名前の一部に日本人名を使っています。 また、パラオの国旗が日の丸に似ているのも、親日感情の表れです。 第2次世界大戦の終結後、ミクロネシアはアメリカ連邦政府の統治下に入りました。 ミクロネシアにやって来たアメリカ人は日本政府が作った発電所を壊し、道路の舗装を剥がし、二宮金次郎の像を引きずり下ろし、南洋神社を取り壊し、反日教育を行ないました。 此れらの事はミクロネシアの人々にとって耐え難い事だった、と言われています。 アメリカ連邦政府はミクロネシアを核爆弾の実験場程度にしか扱いませんでした。 アメリカ連邦政府はミクロネシアのマーシャル諸島に属するビキニ環礁(ビキニ島)やエニウェトク環礁(エニウェトク島)で1946年から1958年までに23回の核実験(原子爆弾実験、水素爆弾実験)を行ないました。 アメリカ連邦政府は1952年11月1日にエニウェトク環礁で世界初の水爆実験を行ないました。 また、アメリカ連邦政府は1954年3月1日にビキニ環礁で世界で3番目の水爆実験を行ないました。 此の水爆実験(1954年3月1日)により日本のマグロ漁船:第五福竜丸など凡そ1000隻の漁船が死の灰を浴びて被曝しました。 因みに、世界で2番目の水爆実験はソ連政府が1953年8月12日に行なったものです。

● ワシントン会議(1921年11月〜1922年2月)はオレンジ計画に基づいて開かれた。
第1次世界大戦が終わってから3年後の1921年11月、アメリカの首都:ワシントンD.C.でアメリカ連邦政府の提唱によってワシントン会議が開かれました。 此の会議には、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、中華民国の計9ヶ国の政府代表が参加しましたが、此の会議は実質的にはアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5ヶ国会議でした。 此の会議で決まった事は大きく見て次の3つです。 @ アメリカ連邦政府のオレンジ計画にとって邪魔な「日英同盟」を解消する事。 ワシントン会議での取り決めにより「日英同盟」は1923年8月に失効しました。 A 海軍軍縮条約の締結。 此の条約によって、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアのそれぞれが保有できる戦艦(主力艦)の総排水量の上限は、アメリカが50万トン、イギリスが50万トン、日本が30万トン、フランスが17万5000トン、イタリアが17万5000トンに制限され、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアのそれぞれが保有できる航空母艦の総排水量の上限は、アメリカが13万5000トン、イギリスが13万5000トン、日本が8万1000トン、フランスが6万トン、イタリアが6万トンに制限され、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアのそれぞれが保有できる戦艦(主力艦)の保有数の比は 15:15:9:5:5 とされ、此れら5ヶ国が保有する戦艦の主砲の口径は16インチ(40.6 cm)以下に制限され、此れら5ヶ国が保有する戦艦1隻当たりの基準排水量は3万5000トン以下とされ、此れら5ヶ国が保有する航空母艦1隻当たりの基準排水量は2万7000トン以下とされ、此れら5ヶ国が保有する巡洋艦1隻当たりの基準排水量は1万トン以下とされました。 此の取り決めには日本の海軍力の拡大を阻止するという意図がありました。 大きい艦船が備える大きい口径の主砲の射程は、小さい艦船が備える小さい口径の主砲の射程よりも長いので、艦船同士の戦いにおいて、大きい口径の主砲を備える大きい艦船は、小さい口径の主砲を備える小さい艦船よりも圧倒的に有利です。 アメリカ連邦政府は日本の海軍に其のような有利性(優位性)を持たせないようにしたのです。 B 9ヶ国条約の締結。 此の条約によって、シナの領土保全・門戸開放・機会均等が明文化され、日本は山東半島における権益を失いました。

ワシントン会議でアメリカ連邦政府は日本の弱体化を狙いました。 其の当時、アメリカの大都市には高層ビルが立ち並び、ニューヨークのマンハッタン地区には超高層ビル(摩天楼)が立ち並ぶなど、アメリカは世界無比の経済的繁栄を誇る超大国でしたから、日本はワシントン会議でアメリカに譲歩せざるを得ませんでした。 こうして、日本は徐々にアメリカ連邦政府の日本制圧戦略によって追い詰められていったのです。

ワシントン会議で締結された海軍軍縮条約では、巡洋艦以下の補助艦については、1隻当たりの基準排水量が1万トン以下とされただけでした。 そこで、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれ、此の会議でアメリカ、イギリス、日本が保有できる巡洋艦以下の補助艦の総排水量の比は 10:10:7 とされました。

● ホワイトハウスの要人を初めとするアメリカ政界人はマルクス主義に寛容で無頓着だった。
ロシアでは第1次世界大戦下の1917年にロシア革命が起き、1919年3月にコミンテルンが結成され、1922年にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。 コミンテルンは1923年から1924年にかけて、外モンゴルを卑怯な手段で共産化し、ソ連に次いで世界で二番目のマルクス主義国家として「モンゴル人民共和国」を1924年に作りました。 此れに対して、アメリカ連邦政府は何の論評も発表しませんでした。 恐らくアメリカ連邦政府はマルクス主義を脅威と感じていなかったのでしょう。 其の当時、マルクス主義の脅威を本当に認識していたのは、アジアでは日本だけでした。 マルクス主義がやがて世界中に危機をもたらす事を、日本は充分認識していたのです。 ところが、アメリカ連邦政府はマルクス主義を脅威と感じず、「日本はアメリカのシナ進出の障害だ」と考え、日本を事さら敵視し、日本叩きで頭がいっぱいでした。

時代を100年ほど溯りましょう。 1820年頃から「アメリカは希望の国だ」という情報がアメリカからヨーロッパに伝えられるようになり、ヨーロッパで貧困や政治的弾圧や宗教的迫害などで苦しんでいた白人が移民として1820年頃からアメリカに大量に雪崩れ込みました。 此の動きは1930年頃まで続きました。 1820年から1920年までの間にヨーロッパから3700万人の白人が移民としてアメリカに雪崩れ込んだ、と言われています。 国・地域別ではドイツから600万人が、イタリアから475万人が、アイルランドから450万人が、イギリスから420万人が、オーストリア=ハンガリー帝国から420万人が、ヨーロッパ圏ロシアから330万人が、スカンジナビアから230万人がアメリカに移住した、と言われています。 ヨーロッパからアメリカに移住した白人は自己の繁栄を目指して一所懸命に働きました。 或る者は実業家になって巨万の富を築き、或る者は科学者になって成功し、或る者は政治家になって成功し、或る者は軍人になって成功し、多くの白人が工場労働者になってアメリカの工業を底辺で支え、多くの白人が西へ西へ進む事に命を懸け、彼らアメリカに移住した白人の全体がアメリカ経済を発展させました。 そして、其の経済発展が更に大量の移民を必要とし、其れに応じたヨーロッパやシナなどからの移民がアメリカ経済を更に発展させました。 こうして、20世紀初頭にアメリカの経済力はイギリスの経済力と肩を並べました。 更に、アメリカは1870年頃から自国内の石油を採掘して使用するようになり、1900年頃から石油資源を大規模に開発し、工業力と金融力とを更に増大させ、経済規模を急激に拡大しました。 そして、1910年頃にはアメリカ経済の規模はイギリス経済の規模を大きく抜いて断トツの世界一になりました。 1914年、ドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国のグループ(同盟国)と、イギリスやフランスやロシアのグループ(連合国)との間で第1次世界大戦(1914年7月〜1918年11月)が始まりました。 第1次世界大戦中、アメリカは連合国に大量の軍需品を供給して巨利を得ました。 アメリカは1917年4月に連合国側に加わり、ドイツに宣戦し、第1次世界大戦に参戦しましたが、アメリカは戦場にならなかったので、アメリカ経済は順調に且つ爆発的に発展しました。 そして、第1次世界大戦は1918年11月に終わり、アメリカは1920年代に世界無比の経済的繁栄を誇るようになりました。 第1次世界大戦下の1917年にロシア革命が起き、1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立しましたが、其の当時のアメリカの工場労働者は自国の経済的繁栄の恩恵を受けていたので、アメリカの工場労働者がマルクス教に染まる恐れはほとんどありませんでした。 また、ロンドン・ロスチャイルド、並びに、ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者はロシア革命運動に多大な資金を提供してロシア革命運動を支援ました。 ロンドン・ロスチャイルド、並びに、ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者はロシアの火事を煽ってロマノフ王朝を打倒する事でロシア帝国を崩壊させようとしたのです。 ロシア革命の黒幕はロンドン・ロスチャイルド、並びに、ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者だったのです。 しかし、ロシア革命はホワイトハウスの要人にとっては対岸の火事にしか見えませんでした。 第1次世界大戦の直後から世界無比の経済的繁栄を誇り続けたアメリカは、ニューヨークの株式取引所で株価が大暴落した1929年10月24日から徐々に不景気になり、1932年後半から1933年春にかけては失業率が25%に達して1200万人もの失業者が生まれ、1933年2月にはアメリカ国内の全ての銀行が業務を停止しました。 とは言え、ピーター・ドラッカーに言わせれば、其の当時のアメリカ人の生活水準は其の当時の日本人の生活水準の3倍でした。 1933年3月にアメリカの大統領になったフランクリン・ルーズベルト(民主党)はニューディール政策を行ないました。 アメリカ経済は此の政策により回復基調に転じ、1人当たりの国民所得は順調に増大し、失業率は減少し、1941年には失業率が9.1%になり、白人系アメリカ一般庶民の大多数は大恐慌の悪夢からようやく立ち直り、安定した生活を手に入れられるようになりました。 アメリカにもユダヤ系マルクス主義者から成る「アメリカ共産党」という集団がありましたが、此の集団は大きな影響力を持ちませんでした。 なぜなら、白人系アメリカ人に対するアメリカ共産党の影響力が大きくならないように、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力がアメリカ共産党員の全てを柵(さく)の中に入れて養い飼っていたからです。 其の為、ホワイトハウスの要人を初めとするアメリカ政界人やアメリカ財界人はマルクス主義に寛容で無頓着でした。 また、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は彼らが養い飼っていた「アメリカ共産党のユダヤ系マルクス主義者」をしてマルクス主義を主張させないように彼らユダヤ系マルクス主義者を指導しながら、彼らユダヤ系マルクス主義者をフランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府機関に送り込んで行きました。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力にとって、アメリカ共産党のユダヤ系マルクス主義者は兵力として使える人材なのです。 こうした事から、アメリカでは第2次世界大戦の前の1930年代から「マルクス主義者はリベラリスト(自由主義者)である。 マルクス主義はリベラリズム(自由主義)の一種である」と思われてきました。 因みに、日本でも長年に渡って、日本人マルクス主義者(日本人マルクス教徒)」は「マルクス主義はリベラリズム(自由主義)の一種である」と思って来ました。 そして、今でも世界中のマルクス主義者(世界中のマルクス教徒)」のほとんど全ては「マルクス主義はリベラリズム(自由主義)の一種である」と思っているようです。

● アメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)も、コミンテルン(スターリン)も、日本制圧の為に日中戦争を望み、日本を日中戦争へ誘導し、日中戦争を利用した。
アメリカのバブル景気は1929年10月に緩やかに萎縮し始めました。 とは言え、其の影響力は甚大であり、地球的規模の大恐慌が起きました。 1931年9月から1932年2月にかけて満洲事変があり、1932年3月に満洲国の成立があり、1933年3月に日本の国際連盟脱退がありました。1934年10月から1936年10月にかけて、シナ共産党軍の「長征」があり、1936年12月に西安事件と国共再合作がありました。 こうした状況の中で、1937年7月7日、日本陸軍はシナ共産党軍の謀略に嵌(は)まる形でシナの内戦に引き込まれていき、日中戦争(日華事変、支那事変)が始まりました。 コミンテルン(スターリン)と毛沢東はシナの内戦に日本陸軍を引き込み、国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせて、其の間にシナ共産党軍を建て直そうとしました。 もともと日本陸軍は中華民国の中に入っていく積もりは有りませんでした。 しかし、日本陸軍はシナ共産党軍が仕組んだ罠(わな)に掛かる形で塘沽(とうこ)停戦協定を破って万里の長城の南側(中華民国)へ侵入して行きました。 此れが日中戦争(1937年7月7日〜1945年8月15日)の始まりです。 日本陸軍は蒋介石率いる国民党軍を相手に戦うようになりましたが、日本陸軍は幾度も和平に持ち込もうと努力しました。 ところが、和平が成立しそうになると、和平の成立を邪魔する事件が起き、和平は成立しませんでした。 其れらの事件の背景には、アメリカ連邦政府の工作活動やコミンテルン(スターリン)の工作活動が在ったのです。 アメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)やコミンテルン(スターリン)は「国民党軍と日本陸軍とが互いに戦う」という事を望んだのです。 アメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)は「国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせる事で日本を弱体化させよう。 其れがうまく行かないときには、中華民国における日本陸軍勢力を許容可能範囲内において最大限に伸張させ、最終的には日本と直接戦う事で日本を潰そう。 そして、日本を潰したあとで日本をアメリカの子分にし、シナにおいて共産主義勢力を強大にし、シナを共産主義国家にし、シナをソ連の子分にしよう」と考えていました。 コミンテルン(スターリン)は「国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせるだけでなく、アメリカと日本とを互いに戦わせ、其れにより日本を弱体化させ、日本中にマルクス主義を広め、日本でマルクス主義暴力革命を起こしたい」と考えていました。 アメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)も、コミンテルン(スターリン)も、日本制圧の為に日中戦争を望み、日本を日中戦争へ誘導し、日中戦争を利用したのです。 ですから、日中戦争を単に「明治憲法の欠陥(大日本帝国憲法 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)」とか「関東軍の暴走」とかで説明することは一面的です。 日中戦争が起きた理由を日本国内の事だけで説明するのは妥当ではありません。 日中戦争が起きた理由は日本国内だけでなく、日本国外にもあったのです。 日本の外から日本に迫り来る敵意が日本に否応なく決断を迫り、日本を日中戦争へ誘導していったのです。 1937年7月7日以降、日本陸軍が万里の長城の南側(中華民国)で戦域をどんどん拡大していった為、アメリカ連邦政府は「日本に対する怒り」を世界中に発信しました。 此の時点で日本はアメリカ支配階級によって完全に操られていたのです。 此の時点で日本はアメリカ支配階級の日本制圧戦略に完全に負けていたのです。 そして、此の時点以降、日本は軍国主義と全体主義とでやっていくほかに手立てが無くなったのです。 因みに、一般の白人系アメリカ人もアメリカ支配階級によって操られていた、と言えるでしょう。

アメリカ連邦政府はシナを自国製品の大消費地にしたいと考え、1899年以降、列強6ヶ国の政府に対し「シナの門戸開放」を要求し続け、日露戦争後においては、日本に対して「お前は引っ込め」とばかりに日本叩きをやって来ましたが、満洲事変(1931年)、満洲国の成立(1932年)、日本の国際連盟脱退(1933年)が起きた頃、アメリカ連邦政府は対日政策をオレンジ計画に基づいて其れまでの「日本叩き政策」から次の段階の「日本潰し政策」に切り替えた、と思われます。「日本潰し政策」とは、「蒋介石(国民党軍)を支援し、日本陸軍を中華民国に誘い込み、国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせ、中華民国における日本陸軍勢力を許容可能範囲内において最大限に伸張させ、最終的には日本と直接戦う事で日本を潰そう」というものです。

「アメリカとの戦争を避けるという観点からすれば、日本は大陸においては満洲国の建設までにしておくべきだったのであり、中華民国へ足を踏み入れるべきではなかった」という意見が在ります。 しかし、日本が其のように行動することは不可能でした。 なぜなら、其の当時の日本はアメリカ支配階級、並びに、コミンテルン(スターリン)の後ろ盾になっているロンドン・ロスチャイルドによって完全に操られていたからです。

日中戦争が始まったとき(1937年7月7日)から、アメリカ連邦政府は蒋介石(国民党軍)への軍事援助を露骨にするようになりました。 アメリカ連邦政府の「日本潰し政策」が始まったのです。 アメリカ連邦政府やイギリス政府が使っていた援蒋ルートは、ビルマルート、仏印ルート、香港ルートの3本ありました。 アメリカ連邦政府やイギリス政府は蒋介石(国民党軍)に対して援蒋ルートを使い、武器、弾薬、医薬品、食糧を大量に供与しました。 もしアメリカ連邦政府やイギリス政府からの多大な軍需品援助が無かったならば、山奥の重慶に退避した蒋介石(国民党軍)は日本陸軍の前に降参したでしょう。 蒋介石(国民党軍)は、アメリカ連邦政府やイギリス政府から多大な軍需品援助を受けていた事で持ちこたえることが出来たのです。

因みに、アメリカ民間人が日本陸軍との戦闘に直接参加した事も有りました。 例えば、アメリカ合衆国義勇軍(通称:フライング・タイガーズ )は戦闘機100機とアメリカ人パイロット70名と、アメリカ人地上勤務員104名から成り、義勇軍の名を借りたアメリカの対日戦闘部隊であり、1941年からビルマのラングーン近くにある航空基地を本拠地とし、日本陸軍を攻撃しました。 また、日米開戦(1941年12月8日)後、アメリカ連邦政府は延安のシナ共産党軍にも武器などを大量に供与した事が有りました。

● 第2次世界大戦の前の1930年代から、白人系アメリカ一般庶民の大多数は、左派も右派も、シナにロマンチックな幻想を持ち、シナに対して片思い感情を持っていた。

全く理解に苦しむ話ですが、白人系アメリカ一般庶民の大多数は、左派も右派も、アメリカに移住したシナ人を徹底的に差別・排斥しながら、シナにロマンチックな幻想を持っていました。 其の幻想は、アメリカ人女性:パール・バックが1931年に発表して1938年にノーベル文学賞を受賞した小説『大地』に描かれたシナ人の姿によって大いに強められました。 また、其の当時の大流行作家イギリス人:ジェームズ・ヒルトンは、シナの奥地に神秘的な理想郷「シャングリラ」があるという荒唐無稽な小説『失われた地平線』を1933年に発表し、此れが1937年にアメリカで映画化されて空前の大ヒット作になりました。 また、『タイム』誌を1923年に創刊し、『ライフ』誌を1936年に買収し、ラジオ・映画・報道にも大きな影響力を持っていたアメリカ人ジャーナリスト:ヘンリー・ルースは「キリスト教宣教師を父としてシナの山東省で生まれ育った」という思いから反日・親シナの報道に徹し、白人系アメリカ人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)と白人系アメリカ人のシナへの親和感情を煽り立てました。 ヘンリー・ルースは蒋介石夫妻を「自由なシナ」の象徴だと絶賛し、蒋介石夫人:宋美齢をアメリカに招いて一大ヒロインに祭り上げ、反日・親シナのキャンペーンを大々的に展開しました。 其の結果として、白人系アメリカ一般庶民の大多数は、左派も右派も、シナに対して片思い感情を持つようになりました。 シナにいるアメリカ人外交官僚が「現実のシナはそんな自由なところではない」と幾ら説明しても、白人系アメリカ一般庶民の大多数は其れとは正反対の方向を向き続けました。

蒋介石は白人系アメリカ一般庶民の此の奇妙な幻想を巧みに利用しました。 蒋介石は、国民党軍がやったシナ民間人殺戮を日本陸軍の仕業に見せ掛ける為に、多くの写真をでっち上げ、其れらの捏造写真をアメリカ国内にばらまいて、反日宣伝を繰り広げました。「日本陸軍の残虐性」を証明するとされた写真は1930年代に蒋介石によって捏造されたものなのです。 また、其の当時のアメリカ連邦政府は蒋介石夫人:宋美齢をアメリカ国内で厚遇しました。 宋美齢はアメリカで開かれた講演会で「日本陸軍の残虐性」を訴えて泣いて見せました。 宋美齢は英語を流暢に話し、敬虔なキリスト教徒を演じる美人でした。 宋美齢の演技によって「異教徒の日本人を相手に戦う敬虔なキリスト教徒の蒋介石夫妻」というイメージが作られ、アメリカ世論は物の見事に蒋介石支持に回っていきました。 白人系アメリカ一般庶民は蒋介石夫妻にすっかり騙されたのです。 蒋介石は自分に逆らう者を蒸気機関車のボイラーで焼き殺すような事をしていたにもかかわらず、シナ専門家のアメリカ人:オーウェン・ラティモアは蒋介石を「真に民主的な指導者だ」と賞賛しました。 そして、「蒋介石は民主的な指導者だ。 日本軍は残虐だ。 蒋介石を支援して、日本軍をやっつけろ」という反日観念が白人系アメリカ一般庶民の頭の中に作られていきました。 しかし、白人系アメリカ一般庶民の大多数は世界地図上でどこが日本であるかを指し示すことが出来ませんでした。 そして、白人系アメリカ一般庶民の6割ほどは世界地図上でどこがシナであるかを指し示すことが出来ないほどに無知でした。

蒋介石の戦術は、虚偽を用いてでも「日本に侵略されているシナの悲惨さ」と「日本陸軍の残虐性」とを世界中に宣伝し、アメリカを味方につけて、アメリカが日本を潰してくれるようにする事でした。 アメリカ人ジャーナリスト:セオドア・ホワイトは国民党軍宣伝部の顧問を務め、白人系アメリカ人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を盛り上げました。 セオドア・ホワイトは蒋介石の戦術について次のように書いています。「アメリカ人を説得する為にアメリカの新聞・雑誌を使って人に嘘をつくという事がシナ政府唯一の戦術となっていた」(『歴史の探究』P76)。

日中戦争開始後のイギリスで「蒋介石はシナ内外における巧みな宣伝に支えられているが、其の実は、腐敗した政治家たちに囲まれているファシストに過ぎない」と評されるようになっても、白人系アメリカ一般庶民の大多数は騙され続けました。 イギリス外務省極東部長:アシュレー・クラークは、アメリカを訪れた際に「現実のシナについての限りない無知に驚愕した」と言いました。

反日・親シナの報道に徹していたアメリカ人ジャーナリスト:ヘンリー・ルースや、国民党軍宣伝部の顧問を務めていたアメリカ人ジャーナリスト:セオドア・ホワイトなど、白人系アメリカ人の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を盛り上げたアメリカ人ジャーナリストや、シナへの甘い幻想を白人系アメリカ人に持たせたアメリカ人小説家(パール・バック、ジェームズ・ヒルトン)や、シナへの甘い幻想を白人系アメリカ人に持たせたアメリカ人映画製作者の背後には、第1次桂太郎内閣が桂・ハリマン覚え書きを一方的に破棄した事で大きな怒りや大きな失望感や強硬な反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を持つようになったニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が居た、と見るのが妥当です。 ホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員や州政府の要人や州議会議員がニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の手先として動いていた、と考えられます。

● 捏造文書『田中上奏文』。
『田中上奏文』という文書が1929年からシナで出回るようになりました。 此の文書はシナ語で書かれたものであり、此の文書の長さは漢字4万個分です。 此の文書の内容は、1927年に日本の総理大臣:田中義一が昭和天皇に提出したとされるもので、シナ征服の前段階としての満洲征服・モンゴル征服の手順が書かれているものです。 ところが、日本語で書かれた筈の原文はまだ見付かっていません。 其れは当然です。 なぜなら、其のような原文は初めから無かったからです。『田中上奏文』が捏造文書である事は、其の当時の日本の正式な上奏文形式に合致していない事などから明らかです。 また、『田中上奏文』は東京裁判においてさえ捏造文書として扱われました。 此の文書の中には次のように書かれています。
シナの全資源を掌握すれば、我々は、インド、群島、中央アジアの征服、更に、ヨーロッパの征服にさえ取り掛かることになるだろう。 しかし、大和民族がアジアで抜きん出たいと願うのであれば、其の第一歩は満洲とモンゴルに対する支配権を握る事である。 <中略>  我々が将来、シナを支配しようと望むのであれば、我々は、日露戦争でロシアを相手に戦ったように、アメリカ合衆国を叩き潰さなければならない。 世界を征服する為には、シナを征服しなければならない。 シナを征服する為には、満洲とモンゴルとを征服しなければならない。 シナを征服できれば、ほかのアジア諸国や南洋諸国は全て我々を恐れ、我々に降伏するだろう。 そうなれば、世界は東アジアが我々のものである事を悟って、我々の権利をあえて侵害しようとはしないだろう。

此の文書の作者については諸説ありましたが、此の文書はコミンテルン(スターリン)によって作られた事が判っています。 シナ語版『田中上奏文』は1929年に南京で発行されていた雑誌で発表され、広く宣伝され、しばしば日本の邪悪な動機を説明する為に引用されました。 また、英語版『田中上奏文』が作られ、此れがアメリカ連邦議会で回し読みされ、アメリカ連邦議会議員の反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を一段と強めました。 そして、日本を「美しき民主国家シナを脅かす侵略者」として非難する声が上がりました。 ロシア語版、ドイツ語版、フランス語版の『田中上奏文』も作られて、『田中上奏文』は延々と反日宣伝に使われました。

先に述べたように、日本に関して、コミンテルン(スターリン)は「国民党軍と日本陸軍とを互いに戦わせるだけでなく、アメリカと日本とを互いに戦わせ、其れにより日本を弱体化させ、日本中にマルクス主義を広め、日本でマルクス主義暴力革命を起こしたい」と考えていました。 此の願いを実現するには、白人系アメリカ人の「日本に対する怒りと恐怖と憎しみ」を増幅する事が必要です。『田中上奏文』は白人系アメリカ人の「日本に対する怒りと恐怖と憎しみ」を増幅する為にコミンテルン(スターリン)が作ったものです。 そして、コミンテルン(スターリン)の背後にはロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が居たのです。『田中上奏文』が捏造文書である事については、ジョン・ステファン著『田中覚書き(1927年)――本物かにせ物か』(『現代アジア研究』七巻四号、1973年)P733〜P747を参照してください。

因みに、ヨシフ・スターリンはコミンテルンを1943年5月に解体しました。

● フランクリン・ルーズベルト大統領(在位 1933年3月〜1945年4月、民主党)について。
もともと、蒋介石にとって日本陸軍は敵ではありませんでした。 蒋介石の本当の敵はシナ共産党軍でした。 国共再合作で蒋介石(国民党軍)は日本陸軍を相手に戦う破目になりましたが、それにしても、蒋介石はなぜ日本陸軍と長く戦い続けたのでしょうか。 蒋介石が日本陸軍と長く戦い続けた理由の第1は、もし蒋介石が日本陸軍と和解すれば、「蒋介石は弱腰だ」という大批判が巻き起こり、蒋介石が失脚させられてしまうという状況があった事です。 蒋介石の周りには蒋介石の足を引っ張る者が少なからず居ました。 蒋介石は保身の為に戦い続けたのです。 蒋介石が日本陸軍と長く戦い続けた理由の第2は、蒋介石が「日本陸軍を相手に戦う事でアメリカ連邦政府から援助を受け続け、来たるべきシナ共産党軍との戦いに向けて戦力を蓄えよう」と思っていた事です。 蒋介石は「援助してくれなければ、日本と手を握るぞ」とアメリカ連邦政府を脅しつつ、アメリカ連邦政府から援助を受けていたのです。

フランクリン・ルーズベルト大統領は其のような蒋介石を信頼していたか、又は、信頼している振りをしていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領は徹底した親シナ主義者であり、徹底した反日主義者であり、日本人を劣等人種と思っていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領はいつも「シナ人には親しみを感じている」と言っていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領の母親の実家はシナとのアヘン貿易で巨利を得ていたデラノ家です。 フランクリン・ルーズベルト大統領は蒋介石を「偉大な指導者だ」と褒め称え、蒋介石への援助を惜しみませんでした。 其の一方で、フランクリン・ルーズベルト大統領は「日本は世界征服の陰謀を企んでいる悪の帝国だ」と信じていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領は学生時代に『田中上奏文』とほぼ同じ内容の話を聞き、其れを信じ続けていたのです。 更に、フランクリン・ルーズベルト大統領はスミソニアン博物館教授:アレス・ハードリシュカに「なぜ日本は邪悪なのか」を内々に研究させ、「日本人が邪悪なのは、日本人の頭蓋骨の発達が我々よりも二千年も遅れているからだ」というような事を本気で信じていました。 其の為、フランクリン・ルーズベルト大統領は日本人を病原体に喩え、「日本人を根絶したい」とまで思っていました。 先に述べたように、フランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府機関ではニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力によって送り込まれた多数のユダヤ系マルクス教徒が蠢(うごめ)いていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領はマルクス教を掲げるソ連に対しては甘い幻想を持っていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領はマルクス教への警戒感を持ってなかったのです。 そして、フランクリン・ルーズベルト大統領は第2次世界大戦中にソ連と同盟を結び、ヨシフ・スターリンと仲良くなりました。 フランクリン・ルーズベルト大統領は「スターリンの望むものをスターリンに与えておけば、スターリンはアメリカの邪魔をしないだろう」などと言っていました。 其の所為でフランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府上層部ではソ連人スパイ(コミンテルンのスパイ)が暗躍していました。 フランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府上層部でのソ連人スパイの暗躍はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が仕組んだものである、と思われます。

フランクリン・ルーズベルト大統領

● ホワイトハウスの要人は日米開戦を望んでいた。
アメリカ連邦政府やイギリス政府が蒋介石(国民党軍)を支援した為、日中戦争は日本 vs アメリカ・イギリスの戦いの観を呈して来ました。 蒋介石はアメリカ連邦政府&イギリス政府の傀儡になり、日中戦争は泥沼化しました。 やがて、ホワイトハウスの要人は蒋介石(国民党軍)への軍事援助を十分にやったと判断したのでしょう、ホワイトハウスの要人は其れまでの対日政策を変更し、日本潰し政策の最終段階「日本との直接対決」に日本を誘い込んできました。 大本営もホワイトハウスの要人にそうさせるような事を(多分、故意に)しました。 アメリカ連邦政府やイギリス政府が使っていた援蒋ルートの内で最大のものは、フランス領インドシナのハイフォンからシナの重慶に至るルート(仏印ルート)でした。 ドイツ陸軍とドイツ空軍とがポーランドに侵攻してから1年後の1940年9月、大本営は仏印ルートを遮断する為にフランス領インドシナ北部(ベトナム北部のハノイ、並びに、ハノイの近く)に日本陸軍を進駐させました。 また、1940年9月、日本政府はドイツ政府・イタリア政府との間で日独伊三国軍事同盟(枢軸同盟)を結びました。 大本営の此れらの作戦行動は大本営がアメリカ連邦政府の「日本との直接対決」戦術に敢えて乗ったものである、と思われます。 フランス領インドシナ北部への日本陸軍の進駐や日独伊三国軍事同盟に対して、フランクリン・ルーズベルト政権は日本を強く非難し、対日警戒感を一段と強め、屑鉄と鉄鋼製品の対日輸出を禁じました。 1941年7月25日、フランクリン・ルーズベルト政権は在アメリカ日本資産を凍結しました。 1941年7月28日、大本営は東南アジアにおける日本の勢力圏を拡大して石油などの資源を確保する為に、フランス領インドシナ南部(ベトナム南部のサイゴン、並びに、サイゴンの近く)に日本陸軍を進駐させました。 大本営の此の作戦行動も大本営がアメリカ連邦政府の「日本との直接対決」戦術に敢えて乗ったものである、と思われます。 此の直後にフランクリン・ルーズベルト政権の対日姿勢は強硬になり、1941年8月1日、アメリカ連邦政府は石油の対日輸出を全面的に禁じました。 アメリカ連邦政府に続き、イギリス政府とオランダ政府も同じような対日制裁措置を採りました。 此れが日本で「ABCD包囲網」とか「ABCDライン」とか言われているものです。 ABCDとは、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、シナ(China)、オランダ(Dutch)の頭文字を連ねたものです。 ABCD包囲網により日本には石油や屑鉄や鉄鋼製品などが入らなくなりました。 正にABCD包囲網による経済制裁は日本に「死ね」と言う程きついものでした。 石油が無ければ、戦車は動けず、軍艦も動けず、飛行機も飛べず、石油を使う火力発電も出来ません。 石油の備蓄を少ししか持たない日本にとって、此れは死活問題でした。 ホワイトハウスの要人は「此れ程きつい事をすれば、大本営や日本政府はアメリカとの戦争を決意するだろう」と考えたのです。 ホワイトハウスの要人は「大本営や日本政府がアメリカとの戦争を決意する」という事を望んでいたのです。 此のような事は全て、先に述べた「オレンジ計画」という日本制圧戦略の一環でした。

1941年11月5日に開かれた大本営御前会議は「大日本帝国は現下の危局を打開して自存自衛を全うし、大東亜の新秩序を建設する為に、対米英蘭戦争を決意し、次の処置を採る。 1.武力発動の時期を12月初旬と定め、此の時までに日本陸海軍は作戦準備を完了する。 2.・・・」という事を決定し、アメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争することを日本国の意思として最終的に決定しました。

以上のように、日米の戦いは真珠湾攻撃の前から始まっていました。 それでも、日本政府はフランクリン・ルーズベルト政権との関係を修復する為に出来る限りの努力を積んでいました。 日本政府は野村駐米大使のほかに来栖(くるす)臨時大使をアメリカに派遣してアメリカ連邦政府との交渉に当たらせ、日米首脳会談をアメリカ連邦政府に強く申し入れました。 日本政府は、フランクリン・ルーズベルト政権がABCD包囲網を解いてくれれば、シナからの撤兵を検討し、且つ、シナに関する門戸開放と機会均等とを約束するという案を用意していました。 日本政府は大きな妥協案を用意していたのです。 しかし、フランクリン・ルーズベルト大統領は話し合いの場に出てきませんでした。 フランクリン・ルーズベルト大統領は「日本政府は今さら何言ってんの」と思ったのでしょう。 フランクリン・ルーズベルト政権はのらりくらりするばかりで、日本政府の交渉要求にも、日本政府が示した案にも返答しませんでした。 なぜなら、フランクリン・ルーズベルト政権は日本の軍事が大本営の主導で行なわれている事を知っており、且つ、日本政府がシナやフランス領インドシナでの日本軍部の軍事行動を抑えられない事を知っていたからです。 そして、1941年11月26日、アメリカのコーデル・ハル国務長官は野村駐米大使と来栖臨時大使とを呼び出し、「ハル・ノート」と言われる要求を通告して来ました。

● ハル・ノートを突き付けられた日本政府の思い。
ハル・ノートを読んだ日本政府高官には目が眩むほどの絶望感が走りました。 ハル・ノートは其れを読んだ日本政府高官には予想外のものでした。 其の内容は @ 満洲とシナとフランス領インドシナからの日本軍全面撤退、A 日独伊三国軍事同盟の破棄、B 日本が支援していた汪兆銘政権の否認、などでした。 此のような対日要求は予想できない事ではありませんでした。 では、なぜハル・ノートが其れを読んだ日本政府高官には予想外のものだったのかと言うと、フランクリン・ルーズベルト政権の考えが「日本政府が此れらの要求を全て呑むのであれば、ABCD包囲網を解除してやろう」というものではなく、「日本政府が此れらの要求を全て呑むのであれば、ABCD包囲網を解除するかどうかという話し合いに乗っても良い」というものだったからです。 ビジネスの場で人と交渉して相手に妥協を求める際には、自分の方でも其れなりの妥協を用意しなければならないものです。 其れは国際政治の場でも同じ筈です。 ところが、フランクリン・ルーズベルト政権の要求は、自分らは一点の妥協もせず、「日本政府がアメリカ連邦政府の要求の全てを呑んで丸裸になるべきだ」というものでした。 こんな理不尽な要求は、とうてい呑めるものではありません。 呑めば、こちらは丸裸になって、交渉する際の取引カードが無くなってしまって交渉できなくなります。 先に述べたように、ホワイトハウスの要人は「大本営や日本政府がアメリカとの戦争を決意する」という事を望んでいたのです。

先に述べたように、ハル・ノートを受け取る前の日本政府は、フランクリン・ルーズベルト政権との関係を何とか修復したいと思って努力していました。 しかし、日本政府は1941年11月26日にハル・ノートを受け取り、全ての努力が無駄であった事を知りました。 そして、日本政府内にも「アメリカとの戦争、止むなし」という思いが生まれました。 こうして、1941年12月8日に日米戦争が始まったです。

東京裁判の判事の中でただ1人、日本の無罪を主張したインドのパール判事は「モナコやルクセンブルクのような小国でも、ハル・ノートのようなものを突き付けられたら、矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」と述べました。

因みに、アメリカ連邦議会上下両院の経済合同委員会レポート(1949年)に準拠して、1939年における、アメリカ、ドイツ、ソ連、ポーランド、日本、シナの国民1人当たりの国民所得を挙げてみると、アメリカは1人当たり580ドル、ドイツは1人当たり540ドル、ソ連は1人当たり155ドル、ポーランドは1人当たり120ドル、日本は1人当たり92ドル、シナは1人当たり30ドルでした。

● ハル・ノートは日本潰し政策の最終段階「日本との直接対決」に日本を誘い込む為の駄目押しであった。
なぜフランクリン・ルーズベルト政権はハル・ノートという強硬な対日要求を出してきたのでしょうか。 ホワイトハウスの要人やアメリカ連邦政府の高級官僚(高級文官、高級武官)やアメリカ連邦議会議員の背後に控えて彼らを従えているニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力はアメリカ連邦政府にオレンジ計画を立てさせた時点(1906年)で「数十年後には日本を潰してやるぞ」と思っていました。 真珠湾攻撃の前から、ホワイトハウスの要人が日本との戦争を決意していた事は今では良く知られています。 しかし、其の当時、アメリカ国民の大多数は1939年9月に始まった第2次世界大戦への参戦に反対していました。 其の当時、白人系アメリカ一般庶民の大多数は大恐慌の悪夢からようやく立ち直り、安定した生活を手に入れられるようになったばかりでしたので、白人系アメリカ一般庶民の大多数は「外国との戦争に関わりたくない」と思っていたのです。 そうした状況の中で、フランクリン・ルーズベルト大統領は「何としても日本を相手に戦って日本を潰したい」と思っていました。 また、其の当時のヨーロッパでは、ドイツ陸軍とドイツ空軍とがポーランドに侵攻してから既に2年が過ぎ、ドイツ陸軍とドイツ空軍とがイギリスにも迫っていました。 イギリスのチャーチル首相は「是非ともアメリカに参戦してもらって、イギリスの味方になって欲しい」と考え、アメリカの参戦をフランクリン・ルーズベルト大統領に要望していました。 それで、フランクリン・ルーズベルト大統領は盟友チャーチル首相の要望に応えてイギリスを救う為にも、アメリカの参戦を何としても実現したいと思っていました。 アメリカが日本と開戦すれば、日本とドイツとの軍事同盟関係によりアメリカはドイツとも開戦する事になり、アメリカはイギリスの味方になれるのです。 其の為にも、フランクリン・ルーズベルト大統領は日米開戦を何としても実現したいと思っていたのです。 フランクリン・ルーズベルト大統領は、たとえフランクリン・ルーズベルト政権が勝手に戦争を始めても、アメリカ世論はフランクリン・ルーズベルト政権についてこないという事を理解していました。 どうすれば、白人系アメリカ一般庶民は日本との戦争を受け入れるでしょうか。 もし日本が先にアメリカを奇襲攻撃すれば、アメリカ国民は怒って「日本との戦争、止むなし」と思うに違いありません。 アメリカは西部劇に見られるように決闘の国であり、決闘の相手をして先に銃を抜かせてこそ、大義名分の立つ国です。 そこで、フランクリン・ルーズベルト大統領はハル・ノートを日本に突き付けたのです。 フランクリン・ルーズベルト大統領は「此れを日本に突き付ければ、日本は牙をむいて刃向かってくるに違いない」と考えたのです。 他国に戦争を仕掛ける為の重要外交文書を出すには、アメリカ連邦議会の承認が必要です。 ところが、ハル・ノートはアメリカ連邦議会が知らないところで密かに日本に突きつけられたのです。 ハル・ノートが日本に突きつけられた事は、フランクリン・ルーズベルト大統領と幾人かの側近だけが知っていた事でした。 また、其の当時の日本海軍の使っていた暗号はアメリカ軍情報部によってかなり解読されていました。 其れに加えて、1941年11月26日に択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)を出てハワイ・オアフ島の真珠湾へ向かっていた日本空母艦隊(空母6隻、艦載航空機350機、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、潜水艦3隻、補給艦7隻)の発する暗号電波がアメリカ軍情報部によって数地点で傍受されていた為、ハワイ・オアフ島の真珠湾へ向かっていた日本空母艦隊の位置はホワイトハウスの要人によって把握されていました。 しかも、日本空母艦隊の真珠湾への進航が公にならないように、ホワイトハウスの要人は日本空母艦隊の予想進路周辺の広い範囲にアメリカ軍の艦船や航空機が立ち入ることを禁じたほどです。 そして、ホワイトハウスの要人は日本空母艦隊が真珠湾へ向かっている事に関して全く知らない振りをしていました。 日本空母艦隊が真珠湾へ向かっている事はアメリカ海軍長官にも知らされていなかったのです。 ですから、真珠湾内にあるアメリカ海軍航空隊基地と真珠湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊が日本空母艦隊によって奇襲攻撃された時、アメリカ国民は「アメリカに対する日本の凶暴な侵略が突然始まった」と思ったのです。

其の当時、真珠湾にはアメリカ海軍の大基地が有りました。 今でも有ります。 此の基地はアメリカのアジア進出の為の軍事拠点になっていました。 真珠湾から700km辺りの所まで進んでいた日本空母艦隊から零戦などの艦載航空機350機が日本時間1941年12月8日午前1時30分から午前3時15分頃にかけて真珠湾を目指して発艦しました。 其れらの艦載航空機はハワイ時間12月7日午前7時55分(日本時間12月8日午前3時25分。 日本政府の開戦通告文書がアメリカ国務省に提出された時刻の1時間前)から真珠湾内にあるアメリカ海軍航空隊基地と真珠湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の戦艦8隻、巡洋艦8隻、駆逐艦30隻とを急降下爆撃や低空飛行での魚雷投下で奇襲攻撃しました。 此の攻撃はハワイ時間午前10時頃まで続きました。 此の攻撃によりアメリカ側は、戦艦4隻が沈没し、戦艦4隻が中破または小破し、巡洋艦2隻が大破し、巡洋艦1隻が小破し、駆逐艦3隻が大破または中破し、航空機188機が大破し、航空機159機が小破し、アメリカ兵2330人余りが戦死し、民間人68人が死亡するなど、アメリカ側は大損害を受けました。 フランクリン・ルーズベルト政権は、自国が此れほどの損害を受けようとも、日本をして先にアメリカを奇襲攻撃させたかったのです。 アメリカ畏るべし。

因みに、真珠湾攻撃で日本側は、特殊潜航艇4隻が沈没し、特殊潜航艇1隻が座礁し、艦載航空機29機が大破し、航空機74機が小破し、将兵64人が戦死しました。

● 大本営はフランクリン・ルーズベルト政権と其の背後に控えるニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の謀略に敢えて乗った。
真珠湾攻撃の知らせがフランクリン・ルーズベルト大統領に届いた時、彼は喜んだでしょう。 此れでアメリカ世論は一気に参戦に傾き、アメリカは日本との戦争を始められるからです。 其の当時のアメリカ大統領側近の話によると、フランクリン・ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃の知らせを聞いた時、彼は安堵したそうです。 其れは彼の念願が叶った瞬間でした。 そして、其の後すぐ、フランクリン・ルーズベルト大統領はテレビ映像でアメリカ国民の前に姿を現し、顔をこわばらせた怒りの表情で、真珠湾攻撃を「日本の卑怯な騙し討ち」と非難しました。 其れを受けて、アメリカのマスメディアの全てが「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)の合い言葉を繰り返すなど、アメリカ国民の日本に対する怒りを煽り立てる為の政治宣伝を流しまくりました。 そして、其のような政治宣伝を見たり聞いたりした白人系アメリカ人の全てが其のような政治宣伝を真に受けて「日本人は卑怯な奴らだ。 日本は最低な国だ。 日本を叩き潰すべきだ」と思いました。 こうして、ルーズベルト政権とアメリカのマスメディアの全てが一丸となって一気にアメリカ国民を日本との戦争へ向かわせていったのです。 大本営の要人はアメリカ側の此のような対応を当然予想していたでしょう。 大本営はフランクリン・ルーズベルト政権と其の背後に控えるニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の謀略に敢えて乗ったのです。 なぜそう言えるのかと言うと、大本営の要人は真珠湾を奇襲攻撃しようと考えていたからです。

イギリスのチャーチル内閣のオリバー・リットルトン生産相は、1944年の演説の中で、真珠湾攻撃について触れています。 イギリスの新聞『タイムズ』は次のように書きました。
リットルトン氏は <中略>  「日本人が真珠湾でアメリカ人を攻撃せざるを得ないほど、アメリカは日本を挑発した」と言明し、「アメリカが戦争に巻き込まれたというのは歴史を戯画化したものである」と付言した。

イギリス海軍のラッセル・グレンフェル大佐は著書『主力艦隊シンガポール』の中で次のように述べています。
今日、いやしくも合理的な知性のある人で、日本がアメリカ合衆国に対して悪辣な不意討ちを行なった、と信ずる者はいない。 攻撃は充分予期されていたのみならず、希望されていたのである。 ルーズベルト大統領が自国を戦争に引き込みたいと考えていた事は、疑問の余地がない。 彼は政治的理由から、最初の敵対行動が相手側から始められる事を熱望していたのである。 <中略>  アメリカ連邦政府は、日本が軍事力に訴えざるを得ないほど日本に圧力を掛けたのである。 日本はアメリカの大統領によってアメリカ合衆国を攻撃するように誘導されたのである。

因みに、日本国内には真珠湾攻撃の開始時刻が日本政府の開戦通告文書のアメリカ国務省への提出時刻の1時間前だったことを悔やむ声が有りますが、真珠湾攻撃の開始時刻が日本政府の開戦通告文書のアメリカ国務省への提出時刻の1時間前であっても1時間後であっても、真珠湾攻撃が白人系アメリカ人に与えた衝撃は全く同じであった、と思われます。 此の辺りの事について大本営の要人は十分に分かっていた、と思われます。 ですから、大本営の要人にとって真珠湾攻撃の開始時刻が日本政府の開戦通告文書のアメリカ国務省への提出時刻の1時間前であっても1時間後であっても、そんな事はどうでも良かったのです。

● ハル・ノートを書いた人はコーデル・ハル国務長官ではない。
「ハル・ノートは日本潰し政策の最終段階「日本との直接対決」に日本を誘い込む為の駄目押しであった」と先に述べましたが、実は、コーデル・ハル国務長官自身が最初に用意したハル・ノート原案はもっと穏やかなものでした。 其のハル・ノート原案は日本政府が呑めるものでした。 しかし、日本政府に突き付けられたハル・ノートは強硬なものでした。 其の原稿を書いた人はコーデル・ハル国務長官ではありません。 其の原稿を書いた人は財務省副長官のハリー・ホワイトです。 フランクリン・ルーズベルト大統領はハリー・ホワイトの書いた原稿が気に入って「よし、此れでいけ」という事になり、コーデル・ハル国務長官から野村駐米大使に手渡されたので、其れ以来、「ハル・ノート」と呼ばれています。 ハリー・ホワイトはソ連のスパイである事が戦後の1948年に明らかになりました。 エリザベス・ベントリーというソ連女性スパイや、ウィテカー・チェンバースというソ連人スパイが逮捕され、此の2人が「ハリー・ホワイトはソ連共産党のエリートで、ソ連のスパイだ」と明かしたのです。 此のようなスパイ疑惑の中で、ハリー・ホワイトは審問期間中に不審死を遂げました。 ハリー・ホワイトはソ連の工作員によって殺されたというのが大方の見方です。 しかし、ハリー・ホワイトはニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が雇った殺し屋によって殺された、と見るのが妥当でしょう。 なぜなら、第5章で述べたように、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は彼らが養い飼っていた「アメリカ共産党のユダヤ系マルクス主義者」をしてマルクス主義を主張させないように彼らユダヤ系マルクス主義者を指導しながら、彼らユダヤ系マルクス主義者をフランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府機関に送り込んで行きましたが、此れと同様にフランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府上層部でのソ連人スパイの暗躍はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が仕組んだものである、と思われるからです。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力がコミンテルン(スターリン)に対してソ連人スパイをアメリカに派遣するように依頼し、コミンテルン(スターリン)が其の依頼に応じてソ連人スパイ:ハリー・ホワイトをアメリカに派遣し、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が其のソ連人スパイ:ハリー・ホワイトをフランクリン・ルーズベルト政権下のアメリカ連邦政府上層部に送り込んだ、と考えられます。

● 日米戦争の根源。
日米戦争はどのようにして起きたのかを見て来ました。 日露戦争直後に第1次桂太郎内閣が桂・ハリマン覚え書きを一方的に破棄した事、そして其の事で、日本政府に巨額のポンドを貸したニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力やホワイトハウスの要人やアメリカ連邦議会議員が日本を「叩き潰すべき第1の国」と見なすようになった事が日米戦争の根源です。 もっと簡潔に述べれば、日米戦争の根源は、日露戦争直後に第1次桂太郎内閣が桂・ハリマン覚え書きを一方的に破棄した事です。 繰り返して述べますが、私(滝田)は第1次桂太郎内閣を非難しているのではありません。

● 「戦争反対」「反戦平和」という観念や「地球市民」という観念について。
「戦争反対」「反戦平和」という観念や「地球市民」という観念は、其れらを強力に広めた者においては戦略的観念であり、其れらを真に受けて信じ込んでいる者においては幻想または妄想です。 東西冷戦時代まではロンドン・ロスチャイルド、並びに、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が「世界各地に動乱や戦争を適度に起こす事で大きな利益を得よう」という戦略を強力に推し進めて来ました。 世界中が平和であり過ぎては、ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力(ロンドン・ロスチャイルドを含む)の利益は大きなものにはなりません。 世界中が動乱や戦争で混乱し過ぎては、世界中の企業が疲弊して、ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の利益は大きなものにはなりません。 ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「自分たちの利益を最大化するには、動乱や戦争が起きている地域の混乱度をどの程度にすれば良いか、動乱や戦争が起きていない地域の人心の対立度をどの程度にすれば良いか」と常々考えて来たのです。 ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は、自分たちの利益を最大化する為に、動乱や戦争が起きている地域の混乱度を最適化し、且つ、動乱や戦争が起きていない地域の人心の対立度を最適化し、そうする事で自分たちの金融支配力を盤石(ばんじゃく)に維持して行こう、と考えて来たのです。 また、19世紀から20世紀にかけて、ロンドン・ロスチャイルドは動乱や戦争が起きている地域の混乱度を最適化し、且つ、動乱や戦争が起きていない地域の人心の対立度を最適化する為に、「戦争反対」「反戦平和」を主張する人々の0.01%ほどを養い飼って彼らをして「戦争反対」「反戦平和」と言わせてきた、と思われます。 また、19世紀から20世紀にかけて、ロンドン・ロスチャイルドはマルクス主義やグローバリズム(汎地球的自由主義。地球市民主義。「国家」の概念を否定し、全人類を地球市民としての同胞と見なし、民族・国家の違いを無視して世界を統一し、自由な市民社会を汎地球的に作ろうとする思想、及び、此の思想に付随する思考様式)を世界中に広める為に、地球市民主義を主張する人々の0.1%ほどを養い飼って彼らをして「地球市民」と言わせて来たのです。 ですから、「戦争反対」「反戦平和」という観念や「地球市民」という観念は、其れらを強力に広めた者においては戦略的観念であり、其れらを真に受けて信じ込んでいる者においては幻想または妄想です。 また、ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力(ロンドン・ロスチャイルドを含む)は世界中の人心を操る為に全ての学問分野の全ての学会を支配下に置いている、と見て良いでしょう。 全ての学問分野の全ての学会はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力によって養い飼われている、と見て良いでしょう。 全ての学問分野の中でも「国際政治学」はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の御用学問である、と見て良いでしょう。 国連(国際連合)はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の意向に従って作られたものである、と見て良いでしょう。 なぜなら、国連は第2次世界大戦の戦勝国クラブだからです。 ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の手下がたくさん国連の職員として働いている、と思われます。 EEC(欧州経済共同体)やEU(欧州連合)はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の意向に従って作られたものである、と思われます。 FRB(Federal Reserve Board。アメリカ連邦準備制度理事会。正式名称はBoard of Governors of the Federal Reserve System)はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力による世界金融支配の為の中枢機関である、と思われます。 スタンダード&プアーズ(S&P)、ムーディーズ(Moody's)、フィッチ(Fitch)、などの信用格付け会社はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の手下である、と見るのが妥当でしょう。 此れらの信用格付け会社が発表する国別信用格付けは「機関投資家にとって利益を上げ易い国を高く格付けする」という考えで作られている、と思われます。 Council on Foreign Relations(外交問題評議会)というアメリカ民間組織はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の諮問機関である、と思われます。 ヘンリー・キッシンジャーはCouncil on Foreign Relations(外交問題評議会)の一員でした。 ヘンリー・キッシンジャーはニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の首席秘書として働いていた、と思われます。 詳しい事は知りませんが、20世紀初頭からのアメリカの歴代大統領は、トランプ大統領を除いて全て、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の代理人としての役者だった、と言って良いのではないでしょうか。 アメリカの3大テレビネットワークと言われている「ABC、NBC、CBS」はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の手下である、と見るのが妥当です。 アメリカの有力新聞と言われているニューヨーク・タイムズ(New York Times)や、ワシントン・ポスト(Washington Post)や、アメリカの週刊誌ニューズウィーク(Newsweek)は、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力が自分たちにとって都合が良い考えを広める為に作ったマスメディアですが、此れらのマスメディアはいつの頃からか自らの意思で左傾化(リベラル化)の度合いをどんどん強め、「ほとんど極左」と言っても良いような所に自らを置きました。 アメリカのテレビネットワーク「ABC、NBC、CBS」や、ニューヨーク・タイムズや、ワシントン・ポストや、ニューズウィークはニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力のプロパガンダ機関であり、且つ、アメリカ民主党のプロパガンダ機関です。 情けないことに、「ニューヨーク・タイムズは世界一の高級紙である」と思っているインテリ馬鹿が沢山います。 アメリカのシンクタンク:CSIS(Center for Strategic and International Studies。戦略国際問題研究所)はニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力がグローバリズムを推進しようとして作った機関である、と思われます。 CSIS の権威は大分落ちて来たように見えます。 また、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は対中国共産党戦略を補完する為の対ロシア戦略を持っている、と思われます。 ロシア政府が2022年2月24日に始めた対ウクライナ侵攻は、ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力(ロンドン・ロスチャイルドを含む)の対ロシア戦略にロシア政府が乗せられて起きたものである、と思われます。 ユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の対ロシア戦略を実行した「アメリカ連邦政府、並びに、イギリス政府」はロシア政府より二枚も三枚も上手(うわて)である、と言えるでしょう。 プーチン大統領の戦略思考力と外交手腕は三流以下である、と言って良いでしょう。 ロンドン・ロスチャイルドや、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力について論じると、「其れは陰謀論だ」とか言って非難する人が居ますが、其のような人はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力によって養い飼われているのでしょう。

拙文「アメリカ支配階級の変容」(http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/america/america_jew_wasp.html)を見て頂けると、ありがたい。

第6章  大東亜戦争はどのような意義を有しているのか。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/rekishi07.htm
前章ではアメリカ連邦政府によって行なわれて来た日本叩き政策や日本潰し政策について述べました。 日米開戦直前の1941年11月26日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権から日本政府に提出された「ハル・ノート」は日本潰し政策の最終段階「日本との直接対決」に日本を誘い込む為の駄目押しであった、とも述べました。

● 白人系アメリカ人の日本人に対する強烈な人種偏見と憎しみ。
第5章で述べたように、20世紀前半の白人系アメリカ人の心の中には「日本人に対する強烈な人種偏見と憎しみ」がありました。 此の「日本人に対する強烈な人種偏見と憎しみ」がアメリカ連邦政府の日本叩き政策や日本潰し政策を後押ししたのです。 日米開戦(1941年12月8日)後、アメリカのトマス・ブレーミー将軍は演説の中で「諸君が戦っている相手は奇妙な人種である。 彼らは人間と猿の中間にある。 文明存続の為に、我々は最後まで戦い抜かなければならない。 日本人を根絶しなければならない」と言いました。 其の当時のアメリカの雑誌には「アメリカ人はドイツ人を憎む事を学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然に湧いてくる。 此れは、かつてインディアンを相手に戦ったときと同様に自然なものだ」「普通の日本人は知性が低く、無知である。 彼らはたぶん人間なのだろうが、人間である事を示すような点はどこにもない」と書かれていました。 1943年のアメリカ軍の調査では、アメリカ兵の半数が「日本人を根絶すべきだ」と考えていました。 其の狂気は其のまま戦場に持ち込まれ、「日本兵捕虜は容赦なく撃ち殺され、まだ息の有る者も他の死体と共に穴に投げ入れられた」と、従軍記者エドガー・ジョーンズは記しています。

なぜアメリカ連邦政府(トルーマン政権)は日本に原子爆弾を落としたのでしょうか。 其れは、日本人が黄色人種だからでしょう。 著名な飛行家リンドバーグは「「ドイツ人はユダヤ人の取り扱いで人間性を穢(けが)した」と主張するアメリカ人が日本人の取り扱いで人間性を穢したのである」と書いています。 其の当時のドイツ人がユダヤ人に対して強烈な人種偏見と憎しみとを持っていたのと同様に、其の当時の白人系アメリカ人は日本人に対して強烈な人種偏見と憎しみとを持っていました。 其の当時は世界中の白人が黄色人種を露骨に差別する人種偏見の時代だったのです。 日本は大航海時代以降の白人優越支配体制にただ一国で立ち向かいました。 白人の中でもアメリカ支配階級は日本人という生意気な黄色人種をどうしても許せなかったのです。 一方、日本は当初からアメリカを相手に戦争しようと思っていたのではありません。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力によって一層強化された白人優越支配体制の中で、日本政府は欧米列強との協調に出来る限り取り組んで来ました。 其れは忍耐に忍耐を重ねたものでした。 そして、其れが破綻した時、日本は自存自衛の為にアメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争することを辞さなかったのです。

● 東南アジアと太平洋における「アメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍」と日本軍との戦いの概要。
東南アジアと太平洋における戦いは3年9ヶ月間続きました。 以下は其の概要です。
1941年11月5日に開かれた大本営御前会議は「大日本帝国は現下の危局を打開して自存自衛を全うし、大東亜の新秩序を建設する為に、対米英蘭戦争を決意し、次の処置を採る。 1.武力発動の時期を12月初旬と定め、此の時までに日本陸海軍は作戦準備を完了する。 2.・・・」という事を決定し、アメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争することを日本国の意思として最終的に決定しました。 そして、其れ以降、大本営は1941年12月8日をアメリカ・イギリス・オランダに対する開戦予定日とし、アメリカ・イギリス・オランダに対する戦争の準備の完了に全力を挙げました。 1941年12月1日に開かれた大本営御前会議で1941年12月8日をアメリカ・イギリス・オランダに対する開戦日とすることが決定されました。 1941年11月26日に択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)を出てハワイ・オアフ島の真珠湾から700km辺りの所まで進んでいた日本空母艦隊(空母6隻、艦載航空機350機、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、潜水艦3隻、補給艦7隻)から零戦などの艦載航空機350機が日本時間1941年12月8日午前1時30分から午前3時15分頃にかけて真珠湾を目指して発艦し、ハワイ時間12月7日午前7時55分(日本時間12月8日午前3時25分。 日本側からの開戦通告文書がアメリカ国務省に提出された時刻の1時間前)から真珠湾内にあるアメリカ海軍航空隊基地と真珠湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の戦艦8隻、巡洋艦8隻、駆逐艦30隻とを急降下爆撃や低空飛行での魚雷投下で奇襲攻撃し、戦艦4隻を撃沈し、戦艦4隻を中破または小破し、巡洋艦2隻を大破し、巡洋艦1隻を小破し、駆逐艦3隻を大破または中破し、航空機188機を大破し、航空機159機を小破し、アメリカ兵2330人余りを戦死させるなど、アメリカ側に大損害を与えました。 一方、山下奉文陸軍中将率いる日本陸軍はイギリス政府に対する宣戦布告前の日本時間1941年12月8日午前1時30分(真珠湾攻撃開始時刻の1時間55分前)にイギリス領マレー半島のコタバルに上陸しました。 シンガポール港に停泊していたイギリス東洋艦隊の主力艦である戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(基準排水量3万7000トン)と重巡洋艦レパルス(基準排水量2万8000トン)は日本陸軍輸送船団を撃沈しようとして同日の夜にシンガポール港を出航し、マレー半島東方沖へ向かいました。 1941年12月10日、サイゴンの近くにある日本海軍航空隊基地から発進した日本海軍航空隊(魚雷と爆弾とを装着した攻撃機85機)がマレー半島東方沖で戦艦プリンス・オブ・ウェールズと重巡洋艦レパルスとを撃沈しました(マレー沖海戦)。 一方、コタバルに上陸した日本陸軍はイギリス陸軍を相手に戦いながら南下し、1942年1月31日、イギリス領マレー半島を占領しました(マレーの戦い)。 日本陸軍は1942年2月8日、シンガポール島へ上陸し、イギリス陸軍の強力な抵抗に遭いながらも、シンガポール要塞を攻め落とし、1942年2月15日、シンガポールを占領しました。 一方、1941年12月8日、台湾にある日本海軍航空隊基地から発進した日本海軍航空隊(零戦84機と爆弾を装着した攻撃機106機)がフィリピンのルソン島にあるアメリカ空軍基地へ向かい、給油と爆弾搭載の為に此の空軍基地に並んでいた爆撃機B-17や戦闘機を攻撃しました。 此の攻撃でアメリカ極東空軍は18機のB-17と80機余りの戦闘機を失い、開戦日に戦力の半分を失いました。 台湾の日本海軍航空隊は1941年12月9日以降においても、ルソン島のアメリカ空軍基地を攻撃し続け、1941年12月13日にはアメリカ極東空軍の残存機は20機以下になり、アメリカ極東空軍は何ら戦果を挙げずに壊滅に近い状態になりました。 日本陸軍は1941年12月10日から12月24日にかけてフィリピンのルソン島の数ヶ所に上陸し、アメリカ軍を撃破しながら首都マニラへ向かって進撃し、1942年1月2日、マニラを占領しました。 マニラを捨てたアメリカ軍はバターン半島に撤退しました。 日本軍は此のアメリカ軍を攻撃しましたが、此のアメリカ軍は頑強に抵抗し、日本軍には多数の戦死者が出ました。 1942年3月24日以降、連日に渡って、日本軍の爆撃機がバターン半島のアメリカ軍を爆撃し、1942年4月3日、日本軍がバターン半島のアメリカ軍に対する総攻撃を始め、1942年4月11日、日本軍はバターン半島のアメリカ軍を降伏させ、バターン半島を占領しました。 此の時、日本軍の捕虜になったアメリカ兵の数は7万人強でした。 アメリカ軍はバターン半島の沖合いにあるコレヒドール島に巨大な大砲20門を設置して、コレヒドール島を堅固な要塞にしていました。 コレヒドール島にはアメリカ軍1万3000人が駐屯していました。 アメリカ極東陸軍のダグラス・マッカーサー将軍はコレヒドール島に司令部を置いて戦闘を指揮していました。 1942年4月14日以降、バターン半島の日本陸軍砲兵部隊はコレヒドール島要塞を砲撃し、此れに対して、コレヒドール島のアメリカ軍砲兵部隊も砲撃で応戦しました。 1942年4月19日、日本陸軍の砲撃でアメリカ軍の弾薬庫が大爆発し、此の砲撃戦の勝負が付きました。 1942年5月5日、日本陸軍の歩兵部隊がコレヒドール島に上陸し、激戦の末、翌日の5月6日、日本陸軍はコレヒドール島のアメリカ軍を降伏させ、コレヒドール島を占領しました。 此の時、日本陸軍の捕虜になったアメリカ兵の数は1万2500人弱でした。 マッカーサー将軍はフランクリン・ルーズベルト大統領の命令で1942年3月に家族と一緒に部下16人を引き連れてコレヒドール島を脱出し、フィリピンのアメリカ兵10万人を置き去りにして、オーストラリア(のアデレード?)に退避しました。 1942年5月10日、ミンダナオ島のアメリカ軍は日本陸軍に降伏し、1942年6月9日、日本陸軍はミンダナオ島を占領しました。 また、日本陸軍は1942年1月中旬から同年2月中旬にかけて、ボルネオ島の油田地帯、セレベス島の主要都市、セラム島の主要都市、スマトラ島の油田地帯に上陸・進攻し、オランダ軍・オーストラリア軍と交戦し、オランダ軍・オーストラリア軍の拠点を占領しました。 1942年2月中旬、日本陸海軍はジャワ島進攻作戦に取り掛かりました。 アメリカ軍・イギリス軍・オランダ軍・オーストラリア軍の艦船で構成される連合国軍艦隊は日本陸海軍のジャワ島進攻作戦を阻止しようとし、スラバヤ沖海戦やバタビア沖海戦が起きました。 此の2つの海戦で日本海軍は連合国軍艦隊を撃破し、日本海軍はジャワ島近海の制海権を掌握しました。 そして、1942年3月1日、日本陸軍はジャワ島の4ヶ所から一斉にジャワ島に上陸し、オランダ軍を主力とする連合国軍を撃破しながら進軍し、バンドン要塞を攻め落とし、1942年3月12日、ジャワ島の連合国軍を降伏させ、ジャワ島を占領しました。 また、1941年12月8日、フランス領インドシナ南部(ベトナム南部のサイゴン、並びに、サイゴンの近く)に駐屯していた日本陸軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に取り掛かりました。 此の作戦を担った日本陸軍はバンコクでタイ在住のビルマ人を義勇兵として募集して「ビルマ独立義勇軍」を作りました。 日本陸軍とビルマ独立義勇軍はタイとビルマとの国境になっている険しい山脈を越え、ビルマに進攻しました。 ビルマ独立義勇軍は道案内をし、日本陸軍の方針を現地のビルマ人に良く知らせて人心を安定させました。 日本陸軍は十分な食糧を持っていませんでしたが、ビルマ独立義勇軍と現地のビルマ人に支えられ、食糧には不自由せずに行動できました。 更に、現地のビルマ青年が次々とビルマ独立義勇軍に参加しました。 こうして、日本陸軍は進撃を続け、1942年3月8日、イギリス領ビルマの首都ラングーンを占領しました。 次いで、日本陸軍はビルマからイギリス陸軍を駆逐し、更に、ビルマに派遣されていたアメリカ陸軍中将:スティルウェルの指揮するシナ国民党軍をビルマから駆逐し、1942年5月末までにビルマ全土を占領し、ビルマに軍政を敷きました。 此のように、日本陸海軍は破竹の快進撃を続けたのです。 1942年5月27日、空母「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」と此れらを護衛する艦船とで構成される空母艦隊(日本での通称は「南雲機動艦隊」)がアメリカ軍の要衝となっているミッドウェー島を攻略する為に広島の海軍基地を出航しました。 其の当時、日本海軍の使っていた暗号はアメリカ軍情報部によってかなり解読されていました。 其れに加えて、アメリカ軍情報部は優れた電波傍受技術を有していた為、アメリカ軍情報部は日本空母艦隊がミッドウェー島へ向かっている事を知りました。 そこで、アメリカ空母艦隊(空母3隻、重巡洋艦7隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦15隻、艦載航空機232機)がミッドウェー島の北450km辺りの海域で日本空母艦隊(空母4隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦12隻、艦載航空機248機)を待ち伏せました。 そして、1942年6月5日から6月7日にかけてミッドウェー島の北450km辺りの海域からミッドウェー島の西北西500km辺りの海域にかけてのかなり広い海域で日本空母艦隊とアメリカ空母艦隊との間で海戦が起きました(ミッドウェー海戦)。 此の海戦で日本空母艦隊は空母4隻の全てが撃沈されて艦載航空機の全てを失い、重巡洋艦1隻が撃沈され、重巡洋艦1隻が大破し、駆逐艦1隻が中破し、3057人の戦死者を出すなど、日本空母艦隊は大損害を受けて大敗しました。 一方のアメリカ空母艦隊は空母1隻が撃沈され、駆逐艦1隻が撃沈され、307人の戦死者を出しました。 此の海戦以降、アメリカ軍が優勢に転じ、圧倒的な物量と高度な情報収集力とに物を言わせて日本軍に対して優勢を維持しました。 1942年8月に始まったガダルカナル島の戦いでは、同島に駐屯していた日本陸軍守備隊と同島に上陸してきて来たアメリカ軍との間で激しい戦闘が繰り広げられ、日本兵2万2000人が飢餓や戦闘で死亡し、ガダルカナル島の日本陸軍守備隊は1943年2月に同島から撤退しました。 一方、ビルマでは1943年8月1日、日本陸軍による軍政が廃止され、ビルマ政府が日本陸軍を後ろ盾にしてビルマの独立を宣言しました。 しかし、アメリカ陸軍中将スティルウェルの指揮するシナ国民党軍が1943年10月末から本格的な反撃に転じ、日本陸軍によってビルマから追い出されていたイギリス陸軍も1944年2月から本格的な反撃に転じました。 日本陸軍はイギリス陸軍の拠点になっているインパール(インド東北部の都市)を攻略する作戦(インパール作戦)の実行に1944年3月から取り掛かりましたが、此の作戦を実行した日本陸軍8万5600人はイギリス陸軍との戦闘で3万人の戦死者、2万人の戦傷者を出し、此の作戦実行は惨憺たる失敗に終わりました。 そして、連合国軍は1945年の終戦までにビルマの全土を奪還しました。 一方、太平洋では、マリアナ諸島を支配下に置こうとするアメリカ連邦政府がアメリカ空母艦隊(空母15隻、戦艦7隻、重巡洋艦8隻、軽巡洋艦12隻、駆逐艦67隻、艦載航空機130機)をマリアナ海域に派遣しました。 此のアメリカ空母艦隊を日本空母艦隊(空母9隻、戦艦5隻、重巡洋艦11隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦20隻、艦載航空機395機)が迎え撃つ形で1944年6月19日から6月20日にかけてアメリカ空母艦隊と日本空母艦隊との間で海戦が起きました(マリアナ沖海戦)。 此の海戦で日本空母艦隊は空母3隻が撃沈されて艦載航空機の大多数を失って大敗しました。 此れによりアメリカ軍は西太平洋の制海権と制空権とを掌握しました。 西太平洋の制海権と制空権とを掌握したアメリカ軍は1944年6月から8月にかけて、サイパン島・テニアン島・グアム島に上陸し、それぞれの島の日本陸軍守備隊を相手に戦って激しい戦闘を繰り広げました。 サイパン島の戦い、テニアン島の戦い、グアム島の戦いでアメリカ軍は火炎放射器で畑や草むらを焼き払い、洞窟や草むらに潜む日本兵を容赦なく殲滅しました。 そして、サイパン島の日本陸軍守備隊3万1600人の内の3万人が戦死し、テニアン島の日本陸軍守備隊8500人の内の8100人が戦死し、グアム島の日本陸軍守備隊2万2500人の内の1万8500人が戦死しました。 サイパン島では8000人〜1万人の日本民間人が死んだ、と言われています。 サイパン島・テニアン島・グアム島を占領したアメリカ軍は此れらの島々の航空施設を修繕・整備し、アメリカ軍司令部は1944年11月以降、此れらの航空施設から多数のB29爆撃機を発進させ、日本列島の200余りの都市への爆撃を行なうようになりました。 1944年10月、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島への上陸作戦に取り掛かりました。 日本海軍は此の上陸作戦を阻止しようとし、1944年10月20日から10月25日にかけてレイテ沖海戦が起きました。 此の海戦で日本海軍は空母4隻、戦艦大和(基準排水量6万4000トン)と戦艦武蔵(基準排水量6万4000トン)とを含む戦艦9隻、重巡洋艦13隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦34隻、艦載航空機270機を以て臨みましたが、此れらの戦力の内、空母4隻、戦艦武蔵を含む主力戦艦3隻、重巡洋艦6隻など、多数の日本軍艦がアメリカ空母艦隊によって撃沈され、日本海軍は壊滅に近い状態になりました。 レイテ沖海戦で勝利したアメリカ軍はフィリピンの島々に大挙して上陸し、日本陸軍との激戦の末、フィリピンを奪還しました。 此の戦いでフィリピンの島々の日本陸軍守備隊53万人の内の43万人が戦死しました。 1944年11月、アメリカ軍はペリリュー島(パラオ諸島の1つ)に上陸し、同島の日本陸軍守備隊を相手に戦って激しい戦闘を繰り広げました。 ペリリュー島の戦いでもアメリカ軍は火炎放射器で洞窟に潜む日本兵を容赦なく殲滅しました。 そして、ペリリュー島の日本陸軍守備隊1万0900人の内の1万0700人が戦死しました。 1945年2月19日から同年3月後半にかけては、硫黄島において日本陸軍守備隊とアメリカ軍上陸部隊との間で激しい戦闘が繰り広げられました。 硫黄島の戦いでもアメリカ軍は火炎放射器で洞窟に潜む日本兵を容赦なく殲滅しました。 硫黄島には日本陸軍守備隊2万1000人(司令官:栗林陸軍中将)が居ました。 硫黄島への上陸を想定して硫黄島を包囲したアメリカ軍勢は11万1000人であり、此の硫黄島上陸用部隊11万1000人を含めてアメリカ軍の硫黄島上陸作戦に従事したアメリカ軍将兵の数は実に25万人強でした。 此の兵力は硫黄島の大きさに比べて法外な規模でした。 1945年2月19日、アメリカ軍の硫黄島上陸用部隊11万1000人の内の3万人が硫黄島に一気に上陸し、其の内の500人が戦死し、1900人が戦傷しました。 硫黄島に上陸したアメリカ軍3万人は硫黄島の日本陸軍守備隊2万1000人を制圧するのに1ヶ月余りを要しました。 硫黄島の戦いでは日本軍守備隊2万1000人の内の2万人が戦死し、1000人が捕虜になり、硫黄島に上陸したアメリカ軍の内の6800人が戦死し、2万2000人が戦傷しました。 アメリカ軍司令部は1945年3月9日から3月20日までの間に延べ1595機のB29爆撃機をサイパン島・テニアン島・グアム島の航空基地から発進させ、東京・名古屋・大阪・神戸などを空襲しました。 アメリカ軍司令部は1945年3月9日に325機のB29爆撃機をサイパン島・テニアン島・グアム島の航空基地から発進させ、翌3月10日の午前0時7分から大量の焼夷弾を東京都東部の下町一帯に投下して一夜の内に10万人の民間人(非戦闘員)を焼き殺しました(東京大空襲)。 更に、アメリカ軍司令部は1945年4月13日から4月14日にかけて327機のB29爆撃機をサイパン島・テニアン島・グアム島の航空基地から発進させ、東京市街地に対して無差別爆撃を行ないました。 更に、アメリカ軍司令部は1945年4月15日から4月16日にかけて202機のB29爆撃機をサイパン島・テニアン島・グアム島の航空基地から発進させ、東京市街地に対して無差別爆撃を行ないました。 更に、アメリカ軍司令部は1945年5月23日に558機のB29爆撃機をサイパン島・テニアン島・グアム島の航空基地から発進させ、5月24日の午前1時40分頃から東京市街地に対して夜間無差別爆撃を行ないました。 更に、アメリカ軍司令部は翌5月25日に498機のB29爆撃機をサイパン島・テニアン島・グアム島の航空基地から発進させ、5月25日の午後10時40分頃から東京市街地に対して夜間無差別爆撃を行ないました。 戦後の日本では、日本軍は日本に襲来して来たB29爆撃機を撃ち落とすことが出来なかった、と広く思われて来ましたが、アメリカ合衆国戦略爆撃調査団によれば、大東亜戦争で日本軍が撃ち落としたB29爆撃機や、故障などで墜落したB29爆撃機の総数は485機であり、戦死したB29爆撃機搭乗員は3041人です。 日本軍の高射砲は多数のB29爆撃機を撃ち落としたのです。 また、其の当時の日本軍はレーダーを用いた早期警戒システムを構築していました。 其の為、B29爆撃機の日本襲来に対して多数の日本迎撃戦闘機が迎撃発進することが出来、多数のB29爆撃機を撃ち落とすことが出来ました。 尤も、日本軍のレーダーはアメリカ軍のレーダーやイギリス軍のレーダーほど性能の良いものではありませんでした。 1945年3月26日、アメリカ軍上陸部隊15万人が沖縄諸島へ上陸し始めました(沖縄戦の開始)。 1945年4月6日、戦艦大和は沖縄戦に参加する為に山口県徳山沖を出航し、豊後水道を通って沖縄へ向かいましたが、翌日の4月7日、アメリカ軍航空隊から激しい魚雷攻撃や激しい爆弾攻撃を受け、鹿児島県坊ノ岬から西南西200km辺りの海域で撃沈されました。 沖縄戦でアメリカ軍は火炎放射器や火炎放射戦車を使い、日本陸軍と極度に激しい戦闘を交え、1945年6月下旬、沖縄本島を占領しました。 此の戦いで日本兵と日本人軍属との合計9万4000人が戦死し、日本民間人10万人が死亡し、アメリカ兵1万4000人が戦死しました。 1945年8月6日に広島への原子爆弾投下があり、同年8月9日には長崎への原子爆弾投下がありました。 そして、1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇がNHKのラジオ放送でポツダム宣言の受諾(日本の無条件降伏)を日本国民にお伝えになりました。 日本軍部の中には徹底抗戦を主張する高級士官が居ましたが、日本軍人を含めた日本国民の99%以上は昭和天皇の御言葉に素直に従い、大きな混乱が起きること無く、日本は連合国に無条件降伏して立派に負けたのです。 1945年9月2日、東京湾に停泊したアメリカの戦艦ミズーリの甲板上で日本政府の代表と大本営の代表とが降伏文書に署名し、ここに大東亜戦争は終結しました。

因みに、アメリカ支配階級は第1次桂太郎内閣による桂・ハリマン覚え書きの破棄(1905年10月23日)から大東亜戦争の終結(1945年9月2日)までの40年をかけて大日本帝国を潰したのです。 此のようなものを「戦略」と言うのです。 アメリカ畏るべし。

● 東京裁判は勝者が敗者を一方的に裁いたショー(見世物)だった。
1945年8月30日、南西太平洋方面連合国軍最高司令官:ダグラス・マッカーサー陸軍元帥が厚木飛行場に降り立ちました。 1946年5月、マッカーサー陸軍元帥は連合国を代表して、日本の戦争犯罪人を裁く為に東京・市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂で「極東国際軍事裁判」(通称:東京裁判。 1946年5月〜1948年11月)を開きました。 此の裁判は裁判と言っても、実際には勝者が敗者を一方的に裁いたものであり、「勝ったアメリカが100%正しく、負けた日本が100%悪い」という事を世界中に印象付ける為のショー(見世物)でした。 東京裁判では「平和に対する罪」「人道に対する罪」というものが新設され、「平和に対する罪」は「A級罪」とも呼ばれ、「人道に対する罪」は「C級罪」とも呼ばれました。 そして、平和に対する罪(A級罪)の被疑者として逮捕・起訴されて被告人になった日本の戦時指導者28人の内、7人が絞首刑に処され、16人が終身禁錮刑に処され、2人が有期禁錮刑に処されました。 残る3人については病死または病気の為、判決が出ませんでした。 A級戦犯とは、平和に対する罪(A級罪)の被疑者として逮捕・起訴されて被告人になった者の内、「平和に対する罪(A級罪)を犯した」との有罪判決を受けた者です。 岸信介氏と笹川良一氏のお二人は平和に対する罪(A級罪)の被疑者として逮捕・勾留されましたが、起訴されなかったので、此のお二人はA級戦犯ではありません。

かつて、ヨーロッパでは多くの戦争が有りました。 昔はヨーロッパでも、勝者が敗者に無茶苦茶な要求をしたり、敗者を容赦なく処刑したりする事が多く有りました。 しかし、ドイツ三十年戦争(1618年〜1648年)の講和条約(ウェストファリア条約)が締結されて宗教戦争の時代が終わった1648年以来、ヨーロッパの人々は「勝者が敗者に無茶苦茶な要求をしたり、敗者を容赦なく処刑したりすることは良くない」と思うようになりました。「勝ち負けはあっても、勝者が敗者を一方的に裁くべきではない」という理念が一般的になったのです。 其の為、第1次世界大戦が終わったときにも、負けたドイツ帝国(1871年〜1918年)の皇帝ヴィルヘルム2世(在位 1888年6月〜1918年11月)をどう裁くかという議論はヨーロッパ諸国から出ませんでした。 オランダに亡命したヴィルヘルム2世は裁かれる事なく、オランダで余生を平和に過ごすことが出来ました。 一方、アメリカという国は、ヨーロッパから北アメリカ大陸東部に渡った白人たちが北アメリカ先住民のインディアンを殺害・駆逐しながら西へ西へ侵出して作った国だからでしょうか、マッカーサー陸軍元帥を初めとするアメリカ高級軍人は「勝ち負けはあっても、勝者が敗者を一方的に裁くべきではない」という理念を有していなかったのでしょう。 其の為、東京裁判においては、勝者が敗者を一方的に裁くという事が当然のように行なわれたのだ、と思われます。

因みに、東京裁判でインドから派遣されたパール判事は「平和に対する罪と人道に対する罪は事後法(遡及法)であり、事後法(遡及法)で裁く事は出来ない」とし、平和に対する罪を犯したとして逮捕・起訴されて被告人になった者全員の無罪、並びに、人道に対する罪を犯したとして逮捕・起訴されて被告人になった者全員の無罪を主張しました。

● 連合国軍総司令部(GHQ)による日本人洗脳政策。
日米戦争については「侵略を続けた日本をアメリカが懲罰したのだ」という観念が広く受け入れられて来ました。 此の観念は戦前・戦中の日本を「侵略を続けた悪い国」と見なすものです。 そして、此の観念はアメリカのトルーマン政権(民主党)が自国の立場を正当化する為に唱えたものです。

1945年12月から1946年2月までNHKのラジオ放送で「真相はこうだ」というラジオ番組がほとんど毎日のように日本国中に流されました。 そして、更に、1946年2月から1948年1月までNHKのラジオ放送で「真相箱」というラジオ番組がほとんど毎日のように日本国中に流されました。 此れらの番組の制作者は連合国軍総司令部(GHQ)でしたが、NHKが自らの意思で制作したように偽装されていました。 此れらの番組は白人系アメリカ人(特にワスプ系アメリカ人)の歴史観や政治観を日本人に吹き込み、巧みに日本人を感化・洗脳する為のものでした。 其の内容は「南京大虐殺こそ、近代史上、まれに見る凄惨なものであった」という虚偽宣伝や、「日本の国民が悪いのではない。 日本の軍部が悪かったのだ。 日本の軍部はシナや朝鮮に多くの害を与えた。 アメリカが日本を救ってくれた。 アメリカが日本に自由と民主主義をくれた」という政治宣伝(プロパガンダ)でした。 此のような番組が1945年(昭和20年)12月から1948年(昭和23年)1月までの2年1ヶ月間に渡ってほとんど毎日のように流されたのです。 其の当時の日本人は日米戦争でアメリカに負けた事で呆然(ぼうぜん)とした状態にありましたし、厳しい情報統制下にありましたから、日本人のほとんど全てが「そうだったのか」と思い込みました。 日本人のほとんど全てが「そうだったのか」と思い込んだだけでなく、敗戦後の日本の政治指導者になるような人々までもが「そうだったのか」と思い込んだのです。 そして、其のように思い込んで日本の政治指導者になった人々は親中国になり、親北朝鮮になり、親韓国になりました。 こうして、「満洲事変から太平洋戦争まで、日本が起こした事変や戦争の全ては日本が東アジアや東南アジアや南洋諸島を軍事力で支配しようとした侵略戦争である」という「東京裁判史観」が日本人に刷り込まれて行ったのです。

敗戦後の日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)はトルーマン政権(民主党)によって設けられた機関です。 トルーマン政権(民主党)は多数の武官・文官を連合国軍総司令部(GHQ)に送り込みました。 其れらの武官・文官の中には多くのユダヤ系マルクス主義者が含まれていました。 そして、彼らユダヤ系マルクス主義者が主体となって日本人を感化・洗脳する政策を行なったのです。「真相はこうだ」「真相箱」というラジオ番組は連合国軍総司令部(GHQ)の「War Guilt Information Program」(戦争犯罪広報計画)に基づいて作られました。 連合国軍総司令部(GHQ)は日本人に与える情報を厳しく制限・統制し、日本国内で発行される出版物を厳しく制限・統制し、日本の学校教育を厳しく統制しました。 連合国軍総司令部(GHQ)は大本営の考えに賛同して来た学者を日本の一流大学の法学、歴史学、哲学、経済学、社会学、教育学など、思想系の学部・学科から追放し(公職追放)、大内兵衛を初めとする「マルクス主義の信奉者(マルクス教徒)」を日本の一流大学の思想系の学部・学科の教授職・助教授職に据えました。 其の結果として、日本の一流大学の思想系の学部・学科ではマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)が連合国軍総司令部(GHQ)を後ろ盾にして圧倒的勢力を持つようになり、日本の一流大学の思想系の学部・学科の教授職や名誉教授職の99%以上がマルクス主義の信奉者(マルクス教徒)で占められるようになり、「本来ならば尊敬されない学者」が尊敬されるようになりました。 そして、其の状態が2022年の時点でも続いています。 日本の一流大学の思想系の学部・学科では昇進の為の階段は左側にしか無いのです。 また、大内兵衛や大江健三郎や加藤周一や丸山真男や羽仁五郎など、“ 進歩的文化人 ” と言われて来た人々の実態・実質は “ マルクス主義の信奉者(マルクス教徒) ” であり、此れらの人々が War Guilt Information Program(戦争犯罪広報計画)に便乗して、マルクス主義を盛り上げようとして自民党政権を批判する言論を展開して来ました。 そして、日本教職員組合(日教組)の教員が大江健三郎や加藤周一や丸山真男や羽仁五郎などのマルクス主義者を後ろ盾にして公教育の場で「江華島事件(明治8年)以降、日本はアジア諸国を侵略してきた。 満洲事変や日中戦争や太平洋戦争は全くの侵略戦争であった。 日本は中国や朝鮮で悪い事ばかりしてきた」と生徒に教え込んで来ました。 こうして、「江華島事件以降の日本の歴史は侵略の連続だった。 日の丸と君が代は日本軍国主義の象徴である」という日本悪者論が日本中に流布し、「満洲事変から太平洋戦争まで、日本が起こした事変や戦争の全ては日本が東アジアや東南アジアや南洋諸島を軍事力で支配しようとした侵略戦争である」という「東京裁判史観」が敗戦後の日本人の中に広く深く作られてきたのです。 そして、連合国軍総司令部(GHQ)によって直接的に又は間接的に洗脳された日本人は朝日新聞を日本で発行されている新聞の中で一番の高級紙と思い込み、朝日新聞を信じる日本人は朝日新聞の「天声人語」を文字通りに「天の声」と思って来たのです。 そして、此のような日本人が戦後の日本人の大多数を占めて来たのです。 何と意気地が無く、腑甲斐無く、情けない事か。

  大内兵衛      大江健三郎      加藤周一      丸山真男      羽仁五郎
        

日本の敗戦から50年・60年が経って、ようやく日本の真実の歴史が語られるようになりました。 私たち純正日本人は今こそ自虐史観から脱却しなければいけません。

● アメリカ軍が日本の民間人(非戦闘員)に対して行なった虐殺のあれこれ。
アメリカ軍は日本列島の200余りの都市を爆撃し、日本の民間人(非戦闘員)50万人を殺しました。 アメリカ軍による日本列島への爆撃は初めの内、軍需工場や飛行場などの軍用施設に対するものでしたが、或る時点から日本の民間人(非戦闘員)を皆殺しにする無差別爆撃になりました。 其のやり方は、まず直径5km〜6kmの地域の周辺家屋を焼夷弾(注:ゼリー状の粗製ガソリンを長さ50cmほどの筒状の容器に詰めた爆弾であり、爆発すると、油脂を撒き散らして大きな炎を上げる)で焼き、人々の逃げ道を断ち、其のあと其の地域内に多くの通常爆弾や多くの焼夷弾を落とすというものでした。 此のような爆撃は民間人の虐殺を目的とするものでした。 アメリカ軍は1945年3月10日の東京大空襲(東京都東部の下町一帯(現在の江東区、中央区、墨田区、台東区、江戸川区、荒川区、葛飾区、足立区)への焼夷弾爆撃。1945年3月10日の午前0時7分から午前2時間40分頃まで行なわれた)で一夜の内に10万人の民間人(非戦闘員)を焼夷弾だけで焼き殺しました。 此の日(1945年3月10日)、アメリカ軍は325機のB29爆撃機を使って1783トンの焼夷弾を東京都東部の下町一帯に投下したのです。 325機のB29爆撃機を想像してみてください。 此の爆撃による火災の煙は高度15kmにまで達し、秒速100mの火炎旋風が吹き荒れ、一夜の内に10万人の民間人(非戦闘員)が焼き殺されたのです。 東京都東部の下町一帯の運河や道路や公園は真っ黒焦げの死体で埋め尽くされました。 一夜の内におびただしい丸焦げ死体を含む10万人の死者が出たのです。 其れは正に人体丸焼き大虐殺でした。 日本列島への爆撃作戦の指揮官はカーチス・ルメイという空軍少将でした。 カーチス・ルメイ空軍少将は日本への原子爆弾投下作戦や東京大空襲作戦、其の他、日本列島への爆撃作戦の直接の責任者でした。 彼は日本家屋が木と紙で出来ている事に注目し、焼夷弾を用いて焼き払う事を考え、事前にユタ州の砂漠に日本式家屋を建てて焼夷弾を投下し、其の効果を確かめました。 アメリカ軍による日本列島への爆撃は初めの内、軍需工場や飛行場などの軍用施設に対するものでしたが、カーチス・ルメイ空軍少将が日本列島爆撃作戦の指揮官に任命されてからは、焼夷弾を投下して日本の民間人(非戦闘員)を皆殺しにする無差別爆撃になったのです。 カーチス・ルメイ空軍少将は日本家屋を燃やして日本人を焼き殺そうという意図を初めから持っていたのです。 大東亜戦争の終結後、カーチス・ルメイは回想記の中で「私は日本の民間人を殺したのではない。 日本の軍需工場を破壊したのだ。 日本の都市の民家は全て軍需工場だった。 或る家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。 木と紙で出来た民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。 女も子供も老人も全て戦闘員だった。 これをやっつけて何が悪いのか」と述べました。 カーチス・ルメイ空軍少将はアメリカ情報機関から其のような情報を得ていたのでしょう。

フランクリン・ルーズベルト大統領の死去(1945年4月12日)に伴ってフランクリン・ルーズベルト大統領の跡を継いだハリー・トルーマン大統領(民主党、在位 1945年4月12日〜1953年1月20日)は広島と長崎への原子爆弾投下を命じました。 広島市への原子爆弾投下(1945年8月6日)と長崎市への原子爆弾投下(1945年8月9日)によって民間人20万人が殺されました。 広島市に落とされた原子爆弾は核分裂物質としてウラン235を使った銃身型原子爆弾であり、長崎市に落とされた原子爆弾は核分裂物質としてプルトニウム239を使った爆縮型原子爆弾でした。 アメリカ連邦政府が原子爆弾を製造する為に立ち上げた研究開発計画は「マンハッタン計画(Manhattan Project)」と呼ばれていました。 フランクリン・ルーズベルト大統領はマンハッタン計画を1942年6月から実行に移しました。 マンハッタン計画には科学者と技術者との合計5万人、多数の建設作業員、女性を含む多数の機械操作員が投入されました。 また、其の当時は電子計算機が実用化されていなかったので、マンハッタン計画には長大な計算だけを行なう高校生がたくさん投入されました。 マンハッタン計画の資金は20億ドル(7300億円)でした。 比較の為に言うと、其の当時の日本の一般会計の歳出決算額は1941年(昭和16年)で81億円、1943年(昭和18年)で126億円、1944年(昭和19年)で199億円でした。 そして、1945年7月16日、核分裂物質としてプルトニウム239を使った爆縮型原子爆弾が完成しました。 アメリカ連邦政府(トルーマン政権)は、原子爆弾の製造に大量の資金と大量の人材を投入して大急ぎで原子爆弾を製造したからには、日本が降伏する前に是非とも原子爆弾を日本に対して使ってみたかったのでしょう。 アメリカ連邦政府(トルーマン政権)は其の気持ちを抑えきれずに日本民間人を実験対象として人体実験をしたのです。 また、アメリカ連邦政府(トルーマン政権)が日本に原子爆弾を落とした事には「第2次世界大戦終結後の世界を見据えて「アメリカにはこんなに凄い兵器があるぞ」という事を世界中に見せ付けておこう」という意図も有ったのです。 アメリカ連邦政府は「広島と長崎への原子爆弾投下は、日本列島での決戦を避けて戦争を早く終わらせる為に必要であった」と表明しています。

ハリー・トルーマン大統領

国際法に則れば、民間人(非戦闘員)を殺す事は一番重い罪です。「日米戦争でアメリカが行なったことは100%の正義である」という主張は正しくありません。

因みに、1964年12月6日、日本政府(佐藤栄作内閣)はカーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を授与しました。 日本政府がカーチス・ルメイに此の勲章を授与した理由は「カーチス・ルメイは日本の航空自衛隊を育成した」というものでした。

● 東京裁判史観からの脱却を。
アメリカ支配階級(ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力、並びに、ホワイトハウスの要人)も、コミンテルン(スターリン)も、日本制圧の為に日中戦争を望み、日本を日中戦争へ誘導し、日中戦争を利用しました。 そして、日本陸軍はシナの奥地にまで侵入して行きました。 そして、アメリカ支配階級は「いつかは日本を潰してやるぞ」と思っていました。 其の思いの奥深いところには黄色人種の強国に成長していた日本に対する人種偏見と憎しみがありました。 そして、ホワイトハウスの要人は、蒋介石への露骨な軍事援助、日本への経済制裁(石油輸出禁止など)を行ない、最後にはハル・ノートで日本を挑発し、日本をしてアメリカとの戦争を決意させ、日米戦争中には日本列島への爆撃で多くの日本民間人を殺し、人体実験を目的として広島と長崎とに原子爆弾を投下しました。 こうして見ると、日米戦争で日本を相手に戦ったアメリカにどれほどの正義が有ったでしょうか。

東京裁判史観は日本人の大多数を骨抜きにしました。 私たち純正日本人は純正日本人の価値観を回復しなければいけません。 其の為には、東京裁判史観から脱却しなければいけません。 人は「勝った側が正しく、負けた側が悪い」と思いがちです。 日本人には其の傾向が強く有ります。 今の日本人高齢者の大多数は「日本は中国や朝鮮で悪い事ばかりしてきた」という自虐史観を持っています。 また、今の日本人の中で韓国・北朝鮮・中国に好意的な人々や、マルクス主義の信奉者(マルクス教徒)は「江華島事件(明治8年)以降、日本はアジア諸国を侵略してきた。 満洲事変や日中戦争や太平洋戦争は全くの侵略戦争であった。 日本は中国や朝鮮で悪い事ばかりしてきた」と主張し、「其の当時の政治家や軍人はみな狂っていたのだ」と思っています。 しかし、其の当時の政治家や軍人は狂っていたのではありません。 其の当時の政治家や軍人は熟慮に熟慮を重ねた末に戦争を始めたのです。 あとから考えれば、「ああすれば良かった。 こうすれば良かった」という事は有るでしょう。 しかし、あの状況にまで追い込まれた時、開戦以外に選択肢が有ったでしょうか。 もし、あなたが20世紀前半に生きていたならば、あなたは日米戦争が起きないように出来たでしょうか。 1941年11月5日に開かれた大本営御前会議は「大日本帝国は現下の危局を打開して自存自衛を全うし、大東亜の新秩序を建設する為に、対米英蘭戦争を決意し、次の処置を採る。 1.武力発動の時期を12月初旬と定め、此の時までに日本陸海軍は作戦準備を完了する。 2.・・・」という事を決定し、アメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争することを日本国の意思として最終的に決定しました。 大本営御前会議は「戦わずしてアメリカに屈するよりも、たとえ日本が負ける事になろうとも、アメリカを相手に戦った方が良い」と考え、アメリカとの戦争を決意したのです。

特攻隊員を初めとして、全ての日本兵は日本とアジアの行く末を思って命を捧げました。 其の犠牲の上に今日の日本とアジアがある事を私たちは忘れてはなりません。

● マッカーサー陸軍元帥が朝鮮戦争で国連軍の最高司令官を務めた事で知った事。
日米戦争でアメリカに負けた日本はアメリカ軍を主力とする連合国軍の支配下に置かれ、占領統治されました。 連合国軍総司令部(GHQ)は当初、日本を二度と戦争へ向かわせないように日本には重工業をやらせずに日本を農業国にしようと考え、其の考えに則った政策を実施しました。 アメリカ連邦政府は戦車や戦闘機や戦艦などを日本に造らせないようにしたのです。 先に述べたように、1945年から南朝鮮に駐留していたアメリカ陸軍7万人は1949年に韓国から全て撤退しました。 そして、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。 ソ連政府に支援された北朝鮮軍7万5000人が国境の北緯38度線を越えてアメリカ陸軍の駐留していない韓国に攻め入ったのです。 此の日(1950年6月25日)より約5ヶ月前の1950年1月12日、アメリカ連邦政府(トルーマン政権)のアチソン国務長官がアメリカの首都:ワシントンD.C.のナショナル・プレスクラブで演説し、「太平洋におけるアメリカの防衛線はアリューシャン列島ー日本ー沖縄ーフィリピンを結ぶ線である」との声明を発表しました。 北朝鮮政府(金日成)は此の声明を真に受けて、ソ連政府(スターリン)の支援の下で1950年6月25日に北朝鮮軍7万5000人をアメリカ陸軍の駐留していない韓国に攻め入らせたのです。 其の当時、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「朝鮮半島で戦争を起こそう」と考えていました。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「朝鮮人は屑(くず)のような民族だ」と思っていたのではないでしょうか。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力はアメリカ国務省のアチソン国務長官をして「太平洋におけるアメリカの防衛線はアリューシャン列島ー日本ー沖縄ーフィリピンを結ぶ線である」との声明を発表させて北朝鮮政府(金日成)に餌(えさ)をまき、北朝鮮政府(金日成)をして其の餌に食らい付かせて朝鮮戦争を起こしたのです。 スターリンは此の陰謀(戦術)に賛同していた、と思われます。(アチソン国務長官の声明(1950年1月12日)の真意については、馬渕睦夫さんの『国難の正体』(ビジネス社)の第1章をご覧になってください。) 北朝鮮軍の大量侵入を知った李承晩大統領は1950年6月27日午前3時に特別列車に乗り、ソウルから脱出し、自国民を置き去りにして、水原(ソウル中心部から南35kmにある町)に退避しました。 韓国に攻め入った北朝鮮軍はソ連製の最新鋭戦車T-34(240輌)などをソ連政府から供与されていました。 一方、韓国軍は戦車を持たず、対戦車砲すらほとんど(全くと言って良いほど)持ってなかった為、韓国軍は北朝鮮軍に圧倒されました。 韓国軍は李承晩大統領に指示を仰ぎ、漢江に架かる橋を、其の橋を渡っていた避難民ごと爆破し、ソウル市民を置き去りにして南へ逃げました。 北朝鮮軍は多くのソウル市民を殺害し、1950年6月28日、ソウルを支配下に置きました。 此の時、日本を占領していた連合国軍(主力はアメリカ軍)の最高司令官:マッカーサー陸軍元帥は日本から見た共産軍の脅威というものを初めて肌で感じたのです。 マッカーサー陸軍元帥は日本に駐留していたアメリカ軍を1950年6月30日から飛行機や船で釜山に運び、韓国軍を支援しました。 ソウルを支配下に置いた北朝鮮軍は韓国軍を追撃し、韓国軍の支援に入ったアメリカ軍を撃破しながら南下しました。 李承晩は1950年7月2日に釜山に退避しました。 1950年7月7日、国連の安全保障理事会で、北朝鮮軍に対抗する為の国連軍を編成する事が決まりました。 ソ連政府は此の安全保障理事会に欠席して国連軍の編成に反対しませんでした。 そして、1950年7月8日、マッカーサー陸軍元帥が国連軍の最高司令官に任命されました。 マッカーサー陸軍元帥は日本に駐留していた連合国軍を再編成し、此れを北朝鮮軍に対抗する為の国連軍としました。 マッカーサー陸軍元帥は此の国連軍を1950年8月に釜山に上陸させました。 釜山に上陸して北進・西進した国連軍は北朝鮮軍を相手に戦いましたが、北朝鮮軍は国連軍を撃破しながら釜山へ向かって進撃し、北朝鮮軍は1950年9月上旬には釜山を中心とする半径100km以内を除いて韓国を支配下に置きました。 釜山に退避していた李承晩大統領は北朝鮮軍に追い詰められて焦ったのでしょう。 李承晩は大統領に就任して以降、強力な反日政策を行なってきたにもかかわらず、「日本の山口県に6万人規模の亡命政府を作りたい」と、図々しくも日本政府に要請しました。 もし韓国が北朝鮮軍によって完全に制圧され、更に、ソ連軍や中国軍が韓国に居座ってしまえば、日本が共産化されてしまうことになるのは明らかでした。 なぜなら、其の当時の日本では日本の共産化を目論む日本共産党や日本社会党が大きな勢力を持っていたからです。 そこで、マッカーサー陸軍元帥は「新たにアメリカ軍を主力とする国連軍を編成し、此の国連軍を仁川に上陸させ、韓国南部に進撃した北朝鮮軍の補給路を断ち、此の北朝鮮軍を韓国から掃討する」という作戦に取り掛かり、1950年9月15日、此の国連軍を仁川に上陸させました。 此の作戦実行は成功しました。 アメリカ軍を主力とする国連軍は韓国南部に進撃した北朝鮮軍を順調に撃破・掃討し、更に、1950年10月、北へ逃げる北朝鮮軍を追撃しながら北緯38度線を越えて北上し、1950年11月、北朝鮮と中国との国境(鴨緑江)から南へ100kmの辺りまで北朝鮮軍を掃討しました。 ところが、ちょうど其の頃、大量の中国軍が劣勢の北朝鮮軍を支援する為に、北朝鮮と中国との国境(鴨緑江)を越えて北朝鮮領内に進入しました。 そして、中国軍は国連軍に対して激しい戦闘を繰り広げました。 中国軍は大量(数十万人)の戦死者を出しながらも人海戦術(注:大兵力を動員し、大損害は覚悟の上で、数の力で敵軍を押し切ろうとする戦術)を使って圧倒的に強かったので、マッカーサー陸軍元帥は、中国東北部(満洲)で待機する中国軍に原子爆弾攻撃を加える事を主張したほどでした。 1951年2月、中国軍は北緯38度線から南へ100kmの辺りまで国連軍を押し返しました。 中国軍の圧倒的な力に直面したマッカーサー陸軍元帥は、中国東北部で待機する中国軍に原子爆弾攻撃を加える許可をトルーマン大統領に要求しました。 しかし、中国との全面戦争を望んでいなかったトルーマン大統領はマッカーサー陸軍元帥の要求を拒否し、1951年4月11日、マッカーサー陸軍元帥の連合国軍最高司令官としての任を解きました。 解任されたマッカーサー陸軍元帥は1951年4月16日、羽田空港から帰国の途に就きました。 1951年4月、国連軍は中国軍を北緯38度線辺りまで押し返し、其れ以降、2年間余りに渡って国連軍と中国軍とは互いに北緯38度線辺りで一進一退を繰り返し、朝鮮戦争はようやく1953年7月に休戦状態になりました。 朝鮮戦争は今なお終わっていません。 そして、此の戦争でアメリカ兵3万6000人余りが戦死しました。 また、朝鮮戦争ではソ連製の最新鋭ジェット戦闘機MiG-15とアメリカ製の最新鋭ジェット戦闘機F-86とが空中戦を繰り広げました。 ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は自らが望んだ朝鮮戦争でアメリカ兵3万6000人余りが死んだところで、其の事を全く意に介していないようです。

マッカーサー陸軍元帥は朝鮮戦争で予想外の苦労をしました。 なぜでしょうか。 其れは、大量の中国軍が朝鮮戦争に参加したからです。 それで、マッカーサー陸軍元帥は日本を独立国とする事の必要性と日本に再武装させる事の必要性を説きました。 そして、アメリカ連邦政府は日本に対する政策を改めました。 アメリカ連邦政府は日本を独立国とする為に急いでアメリカを中心とする48ヶ国と日本との間で1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約を結ばせました。 更に、此の条約が締結された日(1951年9月8日)、アメリカ連邦政府と日本政府は日米安全保障条約を結びました。 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、連合国軍による日本占領統治は終わり、日本は名目上の(表向きの)独立国になりました。 はっきり述べれば、日本は正式にアメリカの子分になったのです。 アメリカ連邦政府は日本を朝鮮戦争に必要な軍需品の供給基地とする為に日本に重工業を許しました。 此れが朝鮮戦争特需と言われるものです。 此れにより日本は経済発展の機会を掴みました。

馬渕睦夫さんは『国難の正体』(ビジネス社)の中(P48〜P52)で「マッカーサー陸軍元帥はホワイトハウスの要人から蚊帳の外に置かれていた」という意味の事を述べています。

帰国したマッカーサー陸軍元帥はアメリカ連邦議会上院の軍事外交委員会(1951年5月3日)で大東亜戦争について「日本が戦争を始めたのは主として自国の安全を保障する為だった」と証言しました。 マッカーサー陸軍元帥が此のような衝撃的な証言をしたのは、通説では「マッカーサー陸軍元帥が朝鮮戦争で共産軍の脅威に直面して、かつて日本があれほど朝鮮や満洲にこだわった理由を初めて理解したからである」と言われていますが、馬渕睦夫さんは『国難の正体』の中で次のように述べています。「有能な軍人であったマッカーサー陸軍元帥は、日本が大東亜戦争を始めた目的が自国の安全を保障することだった事くらい、初めから分かっていた筈である。 マッカーサー陸軍元帥が此のような衝撃的な証言をしたのは、自分がホワイトハウスの要人から蚊帳の外に置かれている事を朝鮮戦争で国連軍の最高司令官を務めた事で知り、自分がアメリカ支配階級の一員として扱われていない事を知り、アメリカ支配階級が自分を裏切ったからには、大東亜戦争の真相を隠しておくには及ばない、とマッカーサー陸軍元帥が考えたからであろう」。 また、マッカーサー陸軍元帥はアメリカ連邦議会上院の軍事外交委員会(1951年5月3日)で「太平洋においてアメリカが過去百年に犯した最大の政治的過ちは、シナにおいて共産主義勢力を強大にした事だ。 次の百年で代償を払うことになるに違いない」と述べました。(第3章で述べたように、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は「シナにおいて共産主義勢力を強大にし、シナを共産主義国家にし、シナをソ連の子分にしよう」と思っていました。) アメリカに帰ったマッカーサー陸軍元帥は首都:ワシントンD.C.やニューヨークで熱狂的な歓迎を受け、アメリカ連邦議会上院の軍事外交委員会(1951年5月3日〜5日)で自説を述べ、其のあと、遊説を始めました。 マッカーサー陸軍元帥は其の遊説の当初には行く先々で熱狂的な歓迎を受けましたが、其の熱狂的な歓迎振りは急速に萎縮していきました。 恐らく、ニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力がアメリカ連邦議会議員や州議会議員を介してマッカーサー陸軍元帥を熱狂的に歓迎する為の動員を中止させ、アメリカ・マスメディアに「マッカーサー陸軍元帥のことを取り上げるな」と命じたのでしょう。

また、馬渕睦夫さんは『国難の正体』の中で「朝鮮戦争はアメリカにとって楽に勝てる戦争だったのに、ホワイトハウスの要人は朝鮮戦争で早く勝とうとせず、朝鮮戦争を出来るだけ長引かせようとした。 そして、朝鮮戦争が3年の長きに渡って続いた事でホワイトハウスの要人の背後に控える国際金融勢力、並びに、其の国際金融勢力と結託しているアメリカ軍需産業は大きな利益を得た」と述べています。 ホワイトハウスの要人の背後に控えるニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力は、朝鮮戦争を休戦状態にして、東西ドイツの分裂状態がヨーロッパにおける東西冷戦の象徴であるように、朝鮮戦争の休戦状態(南北朝鮮の分裂状態)を東アジアにおける東西冷戦の象徴にしたかったのでしょう。

因みに、アチソン国務長官の声明(1950年1月12日)の真意については、次のような見方もあります。
1948年8月15日に発足した李承晩政権はアメリカ連邦議会でロビー活動を活発に行ないながら、アメリカ連邦政府に対して「韓国を戦勝国に加えろ」と執拗に要求し、サンフランシスコ講和条約の草案作成においては対馬と竹島とを日本領から外すように執拗に要求していた。 李承晩政権の此の要求に業を煮やしたアチソン国務長官が「アメリカ連邦政府はアリューシャン列島ー日本ー沖縄ーフィリピンを結ぶ線よりも西の地域には関心が無い」という意味で1950年1月12日に「太平洋におけるアメリカの防衛線はアリューシャン列島ー日本ー沖縄ーフィリピンを結ぶ線である」との声明を出したのである。

● 日本が捨て身で始めた大東亜戦争が大航海時代以降の欧米列強によるアジア・アフリカ植民地支配体制を終わらせた。
ピーター・ドラッカーという高名な思想家が『新しい現実』(ダイヤモンド社、1989年)という本の第4章で次のように述べています。
しかし、結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。 日本が採った道、即ち、自らの主権の下に西洋化(近代化)を図るという道が西洋の思わくを打ち砕いた。 日本は西洋(の優れた概念や制度)を取り込む事で西洋の支配を免れた。 日本は軍事的には第2次世界大戦において日本の歴史上最も決定的な敗北を喫した。 日本の植民地大国になろうとする野望は達せられなかった。 しかし、其の後の推移の中で政治的に敗北したのは西洋の方だった。 日本はアジアから西洋(の軍隊)を追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させた。 其の結果として、西洋はアジアとアフリカとに対する支配権を放棄せざるを得なくなった。 第2次世界大戦後、世界中の非西洋諸国が日本の明治維新をモデルにした。 非西洋諸国は自らの支配権の下に西洋化を進めた。 此れこそが反植民地主義の意味する事だった。 <中略>  非西洋諸国は日本の明治維新を手本にし、西洋から導入した概念や制度を自らのものとし、自力で自らを支配しようとする。

ピーター・ドラッカーの此の論述の要点は2つ有ります。 其の1つ目は、日本が捨て身で始めた大東亜戦争が大航海時代以降の欧米列強によるアジア・アフリカ植民地支配体制を終わらせ、非西洋諸国の発言力と独立への意志とをかつて無かったほどに強めた事です。 ピーター・ドラッカーの此の論述の要点の2つ目は、第2次世界大戦の終結後に独立した非西洋諸国の全てが日本の明治維新を手本にし、西洋の優れた概念や制度を取り入れて西洋化(近代化)を進め、国内政治の全てを自力で行なおうとしている事です。

大東亜戦争以前、有色人種の近代的な独立国家として歩んでいた国は日本だけでした。 東南アジアではタイ王国以外の国は欧米列強の植民地になっていました。 タイ王国が欧米列強の植民地にならなかったのは、タイ王国がタイ王国の周辺に展開していたイギリス軍とフランス軍との緩衝地帯になっていたからです。 欧米列強の植民地になっていた東南アジア諸国では、白人が有色人種を奴隷として又は奴隷同然に扱っていました。 其の為、欧米列強は益々富み、欧米列強の植民地になっていた東南アジア諸国は益々貧しくなりました。 欧米列強の植民地になっていた東南アジア諸国の人々は白人にペコペコして、奴隷や召し使いのように白人に仕え、自分の国に居ながら権利を制限され、過酷な人種差別の中で生きていたのです。 大東亜戦争で日本軍は東南アジアに侵攻しましたが、日本軍は東南アジアの人々を攻撃したのではありません。 日本軍は東南アジアの人々を奴隷として使ったり奴隷同然に扱ったりした事はありません。 日本軍は東南アジアに駐留する欧米列強の軍隊を攻撃し、彼ら白人軍隊を次々に追い払っていったのです。 そして、日本が東南アジア諸国に呼び起こした独立への意志は、日本が日米戦争でアメリカに負けたあとも、確実に育っていきました。 1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇がNHKのラジオ放送でポツダム宣言の受諾(日本の無条件降伏)を日本国民にお伝えになりました。 すると、オランダ政府はインドネシアを再び植民地にしようとしてインドネシアに軍隊を送り、1945年8月17日、インドネシア独立戦争が始まりました。 フランス政府はインドシナを植民地にし続けようとし、1946年12月19日、インドシナ戦争が始まりました。 イギリス政府はビルマを植民地にし続けようとしました。 しかしながら、東南アジアの人々はもう西欧列強の言いなりにはなりませんでした。 東南アジアの国々は次々に独立していったのです。 結局、大東亜戦争が起きた事で欧米列強は東南アジアの植民地を全て失いました。 日本は日米戦争でアメリカに負けましたが、東南アジア諸国を欧米列強から独立させるという大東亜共栄圏の目的を果たしたのです。

ピーター・ドラッカー : 世界で初めて企業の経営理論を体系化し、ビジネス界に最も大きな影響力を与えた思想家として知られ、「企業経営の神様」と呼ばれる。 ウィーン生まれのユダヤ人であり、1937年にアメリカに亡命した。 生誕 1909年、死没 2005年。

タイの元首相ククリッド・プラモードは新聞に次のような文章を載せました。
日本のお陰で、アジアの諸国は全て独立した。 日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子はすくすく育っている。 今日、東南アジアの諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話が出来るのは、いったい誰のお陰であるか。 其れは身を殺して仁を為した日本というお母さんのお陰である。

東南アジア諸国の日本に対する評価について解説した動画「日本統治への韓国と東南アジア諸国の歴史認識が対極すぎる」(https://www.youtube.com/watch?v=4wusKRR78ag)をご覧になってください。

もう一度言いますが、日本が捨て身で始めた大東亜戦争が大航海時代以降の欧米列強によるアジア・アフリカ植民地支配体制を終わらせたのです。 此の事は評価しきれないほど大きな事柄です。 大東亜戦争は人類史上の画期的な出来事なのです。 其の主役を果たしたのが日本です。 日本は国家の命運を賭けてアメリカを相手に精一杯戦い、そして、立派に負けたのです。 飾った表現を使って言えば、日本の武士軍団が国家の命運を賭けてアメリカの騎士軍団を相手に精一杯戦い、そして、日本は無条件降伏し、「まな板の上の鯉」(じたばたしないで静かに処分を待つ身)になったのです。 もし大東亜戦争が無かったならば、今なお東南アジア諸国・アフリカ諸国は欧米列強の植民地であり続けているでしょう。 もし大東亜戦争が無かったならば、欧米列強は東南アジア諸国・アフリカ諸国からの収奪により益々富み、東南アジア諸国・アフリカ諸国は益々貧しくなったに違いありません。 もし大東亜戦争が無かったならば、今なお有色人種は奴隷や召し使いのように白人に仕え、自分の国に居ながら権利を制限され、過酷な人種差別の中で生き続けているでしょう。 大東亜戦争が歴史の流れを変えたのです。 日本は大東亜戦争において精一杯戦って立派に負けた事で東南アジア諸国・アフリカ諸国に大きく貢献したのです。

日本がアメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争し、特にアメリカを相手に精一杯戦って立派に負ける事は日本に与えられた使命だったのです。 そして、日本は其の使命を果たしたのです。 日本が其の使命を果たせるように、大本営はアメリカ・イギリス・オランダとの戦争を決意したのです。 厚生省の発表(1977年)によれば、日中戦争と大東亜戦争とで死んだ日本軍人の数は230万人です。 此れら230万人の日本軍人は正にお国の為に(日本に与えられた使命を日本が果たせるように)死んだのです。

1940年当時においてアメリカの国民総生産(GNP)は日本の国民総生産 (GNP) の10倍〜20倍であり、アメリカの石油生産量は日本の石油生産量の740倍ほどでした。 そんな事くらい、大本営の要人は十分に分かっていた筈です。 ですから、大本営の要人は「日本がアメリカを相手に戦争しても、日本はアメリカに勝てない」という事を十分に理解していた、と思われます。 それでも、1941年11月5日に開かれた大本営御前会議はアメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争することを日本国の意思として最終的に決定したのです。 此の大本営御前会議の出席者の全員は「日本がアメリカ・イギリス・オランダを相手に戦争し、特にアメリカを相手に精一杯戦って立派に負ける事は日本に与えられた使命である」という思いを持っていたのではないでしょうか。

因みに、今の日本に与えられた使命は、1億総中流を目指し、外国人労働者の受け入れ、並びに、移民の受け入れを出来る限り抑制し、且つ、中国に呑み込まれないように中国に依存しない経済力を十分に身に着け、且つ、「韓国」という極めて厄介で極めて面倒な国を二度と背負うことの無いように日本と韓国との関係を疎遠にし、且つ、日本国憲法の第9条を改正する事です。

動画「二階元幹事長「中国を相手にしないで日本が飯を食っていけるのか」 (https://www.youtube.com/watch?v=HHQSliby2_Q)をご覧になってください。

第2章で既に述べた事ですが、日本は日米戦争でアメリカに負けた事で「朝鮮」という重荷を下ろすことが出来たのです。 ですから、日本は「韓国」という極めて厄介で極めて面倒な国を二度と背負うことの無いように日本と韓国との関係を疎遠にしなければいけません。 日本外務省の高級官僚があちこちで「韓国に尹錫悦政権がある間にこそ、日韓関係改善のチャンスがある。 韓国に尹錫悦政権がある間に日韓関係を改善しておかなかったら、其れ以降、日韓関係改善のチャンスは二度と無い。 日韓関係改善のチャンスを逃すな」とか言っているようですが、其のような言説に惑わされたり騙されたりしてはいけません。 もう一度言います。 日本は「韓国」という極めて厄介で極めて面倒な国を二度と背負うことの無いように日本と韓国との関係を疎遠にしなければいけません。 日本は「韓国」という極めて厄介で極めて面倒な国を二度と背負ってはなりません。

先に述べたように、国連(国際連合)はユダヤ系&ワスプ系国際金融勢力の意向に従って作られたものです。 其の為、国連の各機関では汎地球的自由主義者や、地球市民主義者や、人権擁護活動家が幅を利かせているようです。 中でも国連人権理事会やユネスコ(国連教育科学文化機関)は人権派や左派の牙城になっています。 そして、かなり前から国連人権理事会(昔の国連人権委員会を含めて)やユネスコからの日本に対する圧力が強まっていました。 ですから、日本は此の圧力による損害を最小限に食い止める為に「国連からの脱退」又は「ユネスコからの脱退」を検討すべき時期に来ている、と思われます。

第7章  日中戦争下の南京で日本陸軍による市民30万人の虐殺は無かった。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/nankingmj.htm
第4章で「「南京大虐殺」は1940年代の後半ではアメリカ連邦政府が流していたデマゴギー(政治的な目的で意図的に流される煽動的な虚偽情報)でしたが、1971年以降において「南京大虐殺」は左派日本マスメディアや左派日本人や中国共産党が垂れ流しているデマゴギーです」と述べました。 第7章では、日中戦争下の南京で日本陸軍による市民30万人の虐殺は無かったこと、日本陸軍による大規模な虐殺は無かったこと、日本陸軍による小規模な虐殺さえも無かったことが多くの証拠によって明らかにされていること、及び、東京裁判で「南京で多数の虐殺があった」と証言した反日白人のシナでの活動などについて述べましょう。

● 社民党の首相経験者:村山富市は1998年5月24日に南京大虐殺紀念館を訪問し、「一時期、日本軍の侵略により中国やアジア諸国の皆さんに多くの損害や苦痛を与えた事実を厳粛に受け止めなければならないと思う」と発言した。 村山富市のほか、海部俊樹・土井たか子・野中広務・菅直人などが南京大虐殺紀念館を訪問して献花している写真が南京大虐殺紀念館に展示されており、あたかも日本政府が南京大虐殺紀念館の展示を容認しているような印象を訪問者に与えている。

1937年7月7日に始まった日中戦争において、「南京戦」と言われる戦いが1937年12月4日から12月13日までありました。 南京の市街地は壮大な城壁(長さ35km、高さ10m〜20m、上面の幅3m〜18m)に囲まれており、此の城壁に囲まれた地域全体が「南京城」と呼ばれています。 此の南京城は世界最大級の城壁都市でした。 比較の為に述べると、東京の山手線の一周は34.5kmです。

日中戦争開始から凡そ1ヶ月後に起きた上海戦(1937年8月13日〜1937年10月26日)で、日本陸軍は自軍の2.4倍の兵員を持つ国民党軍を撃破し、南京方面へ撤退する国民党軍を追撃し、1937年12月4日に南京城の近くに到達し、12月8日に南京城を包囲し、12月10日に南京城への攻撃を開始し、12月13日に南京城を攻め落として南京城を占領しました。 中国共産党は「日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)からの6週間に南京城内で日本陸軍が30万人の市民を虐殺した」と主張し、此の主張を「南京大虐殺」と称し、此の主張を世界中に垂れ流しています。 中国の南京にある南京大虐殺紀念館の外壁には大きな文字で「300000」と表示されています。 中国の子どもたちは南京大虐殺紀念館へ連れて行かれ、反日観念(反日の思い、反日感情、反日理念)を植え付けられます。 此の「南京大虐殺」は日本では1971年に朝日新聞によって大々的に報道され、朝日新聞の「南京大虐殺」記事に賛同する左派学者や所謂「進歩的文化人」や所謂「有識者」や親中国の日本人によって更に広められ、文部省(文部科学省)検定済教科書にまで書かれ、日本人の自虐史観の大元(大本と書くべきか)になって来ました。 そして、1971年以降、中国共産党が東京裁判での判決を根拠とし、朝日新聞の「南京大虐殺」報道に便乗する形で「南京大虐殺」を世界に向かって主張するようになりました。 社民党の首相経験者:村山富市は1998年5月24日に南京大虐殺紀念館を訪問し、「一時期、日本軍の侵略により中国やアジア諸国の皆さんに多くの損害や苦痛を与えた事実を厳粛に受け止めなければならないと思う」と発言しました。 村山富市のほか、海部俊樹・土井たか子・野中広務・菅直人などが南京大虐殺紀念館を訪問して献花している写真が南京大虐殺紀念館に展示されており、あたかも日本政府が南京大虐殺紀念館の展示を容認しているような印象を訪問者に与えています。

● 南京城陥落前後のシナ兵の行動。 日本陸軍によるシナ兵数千人の処刑。
南京戦の最中、南京城内にいた南京市民は全員、南京城内に設けられた「安全区」に集められていました。 日本陸軍は「安全区」を攻撃しませんでした。 ですから、「安全区」内の南京市民は日本陸軍の攻撃では1人も死にませんでした。 日本陸軍による南京城攻撃が間近に迫って来た時、南京城内のシナ兵は自分の軍服を脱ぎ捨て、南京市民の中に紛れ込もうとしました。 しかし、下着姿で紛れ込む訳には行きませんから、彼らシナ兵は男性シナ民間人を殺して其の服を奪い取り、自分の軍服を脱ぎ捨て、奪い取った服を着てシナ民間人に成り済まし、南京の「安全区」へ逃げ込みました。

在南京アメリカ領事館のジェームズ・エスピー副領事は南京城陥落前後のシナ兵の行動について次のように述べました。
シナ兵自身も略奪と無縁ではなかった。 <中略>  日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって、市民と財産に対する侵犯が行なわれた。 気も狂わんばかりになったシナ兵が、自分の軍服を脱ぎ捨て市民の衣服に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の衣服欲しさに殺人まで行なった。 <中略>  南京城陥落後、南京城内に入った日本兵は脱ぎ捨てられたシナ兵の軍服が街路の至るところに散乱しているのを目撃した。 シナ兵は民間人に成り済ます為に、自分の軍服を脱ぎ捨てて、民間人の衣服に着替えた。 民間人の衣服を盗む者もいれば、民間人を撃ち殺して衣服をはぎ取る者も多くいた。

また、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は軍服を一斉に脱ぎ捨てるシナ兵たちに南京城内で出くわしました。 1937年12月22日付けのニューヨーク・タイムズ紙面には次のように書かれています。
私は一部隊の全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、其れは滑稽と言って良いほどの光景であった。 多くの兵が下関(注:シナの町)へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。 小道に走りこんで便衣(注:シナ人の普段着)に着替えてくる者もあった。 中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵もいた。

「安全区」へ逃げ込んだシナ兵の中には、武器を隠し持って市街戦の準備をした者や、「安全区」内で強姦・殺害・強奪を働き、其れを日本陸軍の仕業と見せ掛けた者や、強奪・強姦の被害者を脅迫して「犯人は日本兵だ」と言わせた者もいました。 日本陸軍は南京占領中に、シナ民間人に成り済まして「安全区」へ逃げ込んだシナ兵を掃討する作戦を大々的に行ないました。 そして、日本陸軍はシナ民間人に成り済まして「安全区」へ逃げ込んだシナ兵の中で武器を隠し持っていた数千人を処刑しました。「ハーグ陸戦法規」(1907年)では、軍人は明確に軍人と判るように軍服を着用しなければならず、且つ、武器は隠さず公然と携帯しなければならず、其の取り決めを守らなければ、違法戦闘員と見なされ、捕えられても捕虜とは見なされず、従って、民間人に成り済まして武器を隠し持っている兵は違法戦闘員と見なされ、捕えられても捕虜とは見なされず、捕虜としての扱い(保護)を受けることが出来ず、処刑されても仕方が無い、とされているのです。 ですから、日本陸軍によるシナ兵数千人の処刑は「捕虜の処刑」ではなく、「捕虜の殺害」でもなく、合法でした。 違法戦闘員に対する此のような処刑が誤って、又は、故意に「捕虜の虐殺」と伝えられた面があります。

南京において日本兵による犯罪はありました。 しかし、其れはどの国の軍隊にも有るものであり、南京において虐殺を行なったのは日本兵ではなく、シナ兵だったのです。 以下は其の詳細です。

● 南京で日本陸軍による30万人大虐殺は無かった。
日本陸軍が南京に迫った時の南京の人口は20万人でした。 此れは色々な調査で一致している数字です。 南京戦が始まる6日前の1937年11月28日、南京政府の警察庁長官:王固磐は、南京で開かれた記者会見において「ここ南京には今でも20万人が住んでいる」と発表しました。 日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から5日後の1937年12月18日、南京城内の「安全区」に住む欧米人(宣教師、大学教授、医師、など15名)が作っていた自称「南京安全区国際委員会」(The International Committee for Nanking Safety Zone)が「南京の人口は20万人」と発表しました。 人口20万人の都市で其の都市の市民30万人を虐殺することは出来ません。 日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後の1938年1月14日、「南京安全区国際委員会」が「南京の人口は25万人」と発表しました。 此れは「南京安全区国際委員会」が綿密に調査して出した信頼できる数字です。 南京戦を恐れて南京城から逃げ出した南京市民たちが日本陸軍による南京占領中に南京城に戻ってきたのです。 上智大学の渡部昇一教授によると、日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後に日本陸軍が南京市民25万人に食糧を配ったとの記録が残っています。 南京戦が始まる6日前に20万人だった南京の人口が日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後には25万人になったのです。 日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から1ヶ月後の1938年1月14日は中国共産党が主張する「南京大虐殺」の最中です。 都市での戦闘を恐れて其の都市から逃げ出した市民が其の都市での大虐殺の最中に其の都市に戻ってくる事は有り得ません。 ですから、南京城内で日本陸軍による30万人大虐殺は無かったのです。 もし「南京大虐殺」が事実ならば、南京城内の安全区に住む欧米人(宣教師、大学教授、医師、など15名)は其の事を世界に向かって発信したはずです。 しかし、其のような発信は有りませんでした。 また、「南京大虐殺」の「証拠写真」と言われている物は今日では全て捏造写真である事が明らかになっています。 其の事は東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに詳しく書かれています。

また、日本陸軍は、シナ民間人に成り済ましたシナ兵と本当のシナ民間人を区別する為に、1937年12月から1938年1月にかけて、一人一人と面接した上で、シナ民間人と認められた人々に「良民証」を発行しました。 60歳以上の老人と10歳以下の子どもは軍人ではないでしょうから、10歳から60歳までの年齢の人々に良民証を発行し、其の発行数は16万人分に達しました。 南京安全区国際委員会の一員として南京にいたアメリカ人ルイス・スマイス教授は、在南京日本国大使館の外交官補:福田篤泰(ふくだ とくやす)さんに宛てた手紙の中で「南京の人口は25万〜27万人だろう」と書いています。

● 南京城に入った欧米の記者やカメラマンは「南京大虐殺」を報じていない。
日本陸軍が南京城内に入った時、多くの日本人記者や日本人カメラマンも南京城内に入りました。 其の総数は100人余りでした。 日本人記者や日本人カメラマンだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者やカメラマンも南京城内に入りました。 しかし、其の中の誰もが「南京大虐殺」を報じていません。 アメリカのパラマウントニュースは南京占領の記録映画を作りましたが、其の中で「南京大虐殺」は報じられていません。 また、其の当時のシナで「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、ノース・チャイナ・デイリー・ニュースの1937年12月24日(南京城陥落の11日後)付けの紙面を見ると、日本陸軍が南京市民に食糧などを配って南京市民が喜んでいる光景が写真入りで報道されています。 此れが「30万人大虐殺」が有ったという都市の光景でしょうか。

南京で実際にどのような事が有ったのか、其の当時の日本の新聞を閲覧してみると、そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、日本兵が南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿、以前の生活を取り戻し始めた南京市民の姿、などが写真入りで解説されています。 また、平和の回復を知って南京に戻ってきた南京市民の写真、シナ負傷兵を手当する日本陸軍衛生兵の写真、再び農地を耕し始めた農民たちの写真、其のほか多くの写真が記事と共に掲載されています。 其の当時、日本の報道は検閲の下に置かれていたとは言え、此れらの写真の内容は「30万人大虐殺」があったという都市の光景ではありません。

● 蒋介石は一度も「南京大虐殺」に言及しなかった。
蒋介石が1927年4月に南京に国民政府を立てて以降、南京は中華民国の首都になっていました。 それで、国民党の総裁:蒋介石は日中戦争が始まってからも首都南京に居ましたが、日本陸軍が南京城を包囲した1937年12月8日の前日(1937年12月7日)、蒋介石は南京の防衛を唐生智司令官に任せ、大型飛行機に乗って南京を脱出し、重慶へ向かいました。 其のときから終戦に至るまで、蒋介石はシナ民衆向けに何百回ものラジオ演説を行ないました。 しかし、其のラジオ演説の中で蒋介石は「南京で大虐殺があった」とは一度も言いませんでした。 蒋介石の意識の中にも「南京大虐殺」は無かったのです。 もし「南京大虐殺」が事実であれば、蒋介石はラジオ演説の中で「南京で大虐殺があった」と言ったはずです。

● 日本陸軍に殺されたシナ民間人はほんの少数だった。
日本陸軍の司令官:松井石根(まつい いわね)陸軍大将は、南京戦を前にして「決して民間人を殺してはならない」と全軍に厳しく命じていました。 そして、南京戦の最中、南京城内に留まった南京市民たちは全て南京城内に設けられた「安全区」に避難していました。 南京にいた外国人たちも全て「安全区」に避難していました。 日本陸軍は、其の「安全区」の中にも多くのシナ兵が居る事を知っていましたが、日本陸軍は「安全区」を攻撃しませんでした。 ですから、たまたま流れ弾に当たって数人が死傷したかも知れませんが、其のような事故を除けば、「安全区」内の人々は全員無事でした。 南京城陥落後、南京安全区国際委員会の長であったドイツ人ジョン・ラーベは「日本軍が安全区を攻撃しなかった事を深く感謝いたします」との感謝状を松井石根陸軍大将に手渡しました。

南京城陥落後、日本陸軍の監督・指揮の下で、「紅卍会(こうまんじかい)」という南京のシナ人団体が、死んだシナ兵の埋葬作業を行ないました。 彼らは埋葬した人々のリストを残していますが、其の中に女性や子供の死体はほとんど含まれていません。 此れは、シナ民間人の犠牲者がほとんど無かった事を示しています。 また、南京安全区国際委員会は「安全区」の安全と秩序の維持の為に、南京で日本兵が行なったとされる強姦・殺害・強奪などを纏め、被害届として在南京日本国大使館に幾度も提出し、日本陸軍に改善を求めました。 其の被害届には、日本兵が行なったとされる犯罪が425件記されていますが、其の大部分は人から伝え聞いた事であり、仮に全てを事実だとしても、其の内で殺人事件は49件であり、しかも、其の49件の殺人事件の内、南京安全区国際委員会の構成員が目撃した殺人事件はたった2件でした。 其の他は全て伝聞です。 しかも、其の2件の内の1件は、アメリカ人ジョン・マギー神父が目撃したものですが、其れは、日本陸軍がシナ民間人に成り済まして「安全区」へ逃げ込んだシナ兵を掃討する作戦を実行していた最中に、日本兵が不審なシナ人を見付け出して身元を尋ねた時、其のシナ人が急に逃げ出したので、日本兵が其のシナ人を撃ち殺したというものでした。 此れは国際法上、合法です。 他の1件は不明です。

先に述べたように、南京城陥落前後に、多くのシナ兵が自分の軍服を脱ぎ捨て、シナ民間人に成り済まして、「安全区」へ逃げ込みました。 そこで、日本陸軍は彼らを見付け出して残らず除去する作戦を行ないました。 シナ兵は帽子をかぶっているので、額の上部に日焼け跡がなく、其の事でシナ兵と分かります。 また、シナ兵の手は度重なる銃の発射でタコが出来ています。 そうした事などで日本陸軍はシナ兵と南京市民とを区別し、シナ民間人に成り済ましたシナ兵を見付け出したときには、其のシナ兵を逮捕しました。 其の際、誤認逮捕が無かったとは言えないでしょう。 しかし、たとえ誤認逮捕が有ったとしても、其の数はほんの少数だった、と言えるでしょう。

● 岡村寧次陸軍大将の記録は?
「南京大虐殺」肯定派の人々は岡村寧次(おかむら やすじ)陸軍大将が書いた次の文章をしばしば採り上げます。
上海に上陸して、一、二日の間に、此の事に関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
1.南京城の攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があった事は事実である。
2.第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
        (『岡村寧次大将資料』)

岡村寧次陸軍大将は此の報告を上海で聞きました。 彼自身は南京へ行っていません。 先に述べたように、南京安全区国際委員会は日本兵による暴行として425件の事件を報告しました。 其の大部分は人から伝え聞いた事であり、仮に全てを事実だとしても、其の内で殺人事件は49件であり、しかも、其の49件の殺人事件の内、南京安全区国際委員会の構成員が目撃した殺人事件はたった2件でした。 其の他は全て伝聞です。「数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行」という岡村大将の記述が噂(うわさ)に基づくものである事は明らかです。 また、「給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある」という記述も、後述するように、南京においては事実ではありませんでした。

● 国民党軍の中にあった「便衣隊」。
日中戦争中の国民党軍の中には、シナ人の普段着を着て武器を持ち、日本陸軍を相手に戦ったシナ人部隊がありました。 シナ人の普段着を「便衣」と言います。 そこで、此のシナ人部隊を「便衣隊」と言い、此のシナ人部隊の兵を「便衣兵」と言います。 ですから、便衣兵はゲリラ兵です。 多くの日本兵が便衣兵を目撃しました。 例えば、橋本以行(はしもと もちつら)さんは、南京戦の最中、揚子江岸で見た便衣兵について「小銃や機銃を大事に携行していても、正規兵の服装をした者は一人も見当たらない」(『南京戦史』(10)P130)と述べています。 また、揚子江岸にいた便衣兵は降伏勧告にも応じずに戦闘を続けたので、日本陸軍は攻撃を続行し、便衣兵はジャンク(シナの小型帆船)に乗って逃げようとしましたが、多くは溺死し、其れらの死体は下流の揚子江岸に打ち上げられました。 其の写真が残っていますが、其の写真がのちに南京大虐殺肯定派の人々によって「南京大虐殺の証拠写真」として使われました。 其の写真の中の死体は便衣兵の死体だったのです。 また、先に述べたように、南京城内で自分の軍服を脱ぎ捨ててシナ民間人に成り済ましたシナ兵が死んだ時、其の死体もシナ民間人の死体のように見えたでしょう。

● 南京戦でシナ兵が選べた3つの選択肢。
日本陸軍が南京城を包囲した1937年12月8日の前日(1937年12月7日)、蒋介石夫妻はアメリカ人パイロットの操縦する大型飛行機に乗って南京を脱出し、重慶へ向かいました。 蒋介石から南京の防衛を任された唐生智司令官も、敗北色が濃くなった時、敵前逃亡して南京を脱出してしまいました。 此の時、南京に残されたシナ兵には3つの選択肢が有りました。 選択肢の1つ目は降伏する事です。 降伏すれば、捕虜として扱われ、保護される事になります。 選択肢の2つ目は南京から逃げ出す事です。 しかし、シナ兵が南京から逃げ出そうとすれば、彼らは日本兵に殺されるかも知れません。 また、シナ兵が南京から逃げ出そうとすれば、彼らは督戦隊に撃ち殺されるかも知れません。 実際、督戦隊に撃ち殺されたシナ兵が少なからず居ました。 ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、南京城の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を成していたシナ兵の死体を目撃しました。 ティルマン・ダーディン記者は大東亜戦争の終結後、此の件に関して次のように言いました。「此れは、此の門から脱出しようとしたシナ兵の死骸です。 シナ兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、脱出を試みました。 此れらの死体の山は、日本軍がここを占領する前に出来たように思われます。 此の地域で(日本軍との)戦闘は有りませんでした」(1987年8月14日の面会取材、質問者は笠原十九司、伊原陽子、『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』P571 青木書店)。 彼が目撃した死体の山は、日本兵が殺したシナ兵ではなく、督戦隊が殺したシナ兵だったのです。 選択肢の3つ目は、自分の軍服を脱ぎ捨て、シナ民間人に成り済まして、「安全区」の中に身を隠す事でした。 シナ兵の大多数が此の道を選びました。 そこで、日本陸軍は南京占領中に、シナ民間人に成り済まして「安全区」へ逃げ込んだシナ兵を掃討する作戦を大々的に行ないました。 シナ民間人に成り済まして武器を隠し持っていたシナ兵は、日本兵に見付け出されると、処刑されました。 其の数は数千人に達しました。 先に述べたように、シナ民間人に成り済まして武器を隠し持っていたシナ兵数千人の処刑は「捕虜の処刑」ではなく、「捕虜の殺害」でもなく、合法でした。

● 日本陸軍による捕虜シナ兵の殺害はあったのか。
「南京大虐殺」肯定派がしばしば引用するものに、第16師団長:中島今朝吾(なかじま けさご)陸軍中将の日記があります。 特に、南京戦で捕虜にした7000人〜8000人のシナ兵についての次の記述です。「此の7000〜8000人、此れを片づけるには相当に大きな壕がいるが、なかなか見当たらない。 一案として100人、200人などに分割してのち、適当な箇所に誘って処理する予定だ」(現代文に変更)。 此の記述の内容は「大量の捕虜を殺害して壕に埋めてしまおう、と中島今朝吾陸軍中将が考えた」と解釈できるものです。 其の当時のシナでは確かに食糧の調達などは大変でしたから、此のような大量の捕虜を一体どうすれば良いのかという事は大問題でした。 其の為、中には此のような考えを持つ者も居たようです。 しかし、中島今朝吾陸軍中将の日記の中に、捕虜を実際に殺害したという記述は有りません。 また、其の当時の日本陸軍の記録を見ると、此の7000人〜8000人の捕虜は殺害されずに捕虜収容所へ送られた事が分かります。 其の当時の膨大な資料の集大成である『南京戦史』(偕行社)は様々な資料を引用し、次のように結論しています。「此れらを総合すると、堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容した事は明らかである」(P324)。 また、『南京戦史』によると、其の当時の南京の捕虜収容所は此れら7200人の捕虜を含む総計1万人ほどの捕虜を受け入れました。 彼らの大多数はのちに釈放され、苦力(クーリー、労務者)になって労役に就いたり、故郷に帰ったりしました。 釈放されなかった者の内の2000人ほどは、のちに親日の汪兆銘政権の南京政府軍に編入されました。 其の中に、劉啓雄(りゅう けいゆう)少将もいました。 此の少将は「安全区」に潜んでいたところを発見され、しばらく苦力として使われていましたが、1940年3月に南京に発足した汪兆銘政権において和平救国軍の長になりました。

また、中島今朝吾陸軍中将の日記の中に「大体捕虜はせぬ方針なれば」という言葉のある事がしばしば指摘されます。 実際、大量の捕虜を抱え込む事は大変な事ですから、捕虜は少ない方が良いのですが、「捕虜はせぬ方針」について、大西一参謀は次のように述べています。「それは、銃器を取りあげて釈放せいという事です。 シナ兵は全国各地から集まっていますが、自分の国ですから、歩いて帰れます」(『正論』昭和61年6月号 阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)。 更に、大西一参謀は「軍命令や師団命令の形の捕虜殺害命令なんぞ絶対に出ていない」と断言しています。 資料を見ても、捕虜シナ兵の殺害記録はありません。 また、其の当時の日本の新聞にも、釈放されて故郷に帰るシナ兵たちが荷物を持ち、にこにこ顔で写真に収まっている姿などが載っています。

● 「南京で虐殺は無かった」とする述懐。
其の当時の南京を実際に知る人々は「南京で虐殺は無かった」と述懐しています。 在南京日本国大使館に勤めていた外交官補:福田篤泰さんは、日本陸軍による南京占領当時を振り返って、次のように述懐しています。「日本軍に悪いところがあった事も事実である。 しかし、20万、30万の虐殺はおろか、千単位の虐殺も絶対に無い。 <中略>  言わば、衆人環視の中である。 そんな事をすれば、それこそ大問題だ。 絶対に嘘である。 宣伝謀略である」。(田中正明著『南京虐殺の虚構』P35〜P37)

日本陸軍と共に南京に入った東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンは次のように述懐しています。「私は南京をたくさん歩いていますが、虐殺を見た事も無ければ、兵隊から聞いた事も有りません。 虐殺が有ったなんて、有り得ない事です。 死体はたくさん見ています。 敗残兵が沢山いましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したりした事は有るでしょう。 しかし、それは、南京へ行く途中、クリーク(揚子江河口付近の水路)で何度も見ている死体と同じですよ」。(阿羅健一著『「南京事件」 日本人48人の証言』P42)

東京日日新聞の佐藤振寿カメラマンも次のように述懐しています。「虐殺は見ていません。 12月16、17日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。 また、多くのシナ人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、残虐行為が有ったとはとても信じられません」。(同P53)

南京に家族同伴で赴任していた福岡日日新聞の三苫(みとま)幹之介記者にはお嬢さんが1人いました。 此のお嬢さんは小学1年生のときから小学5年生のときまで南京の日本人小学校に通っていました。 此の方は南京大虐殺について次のように述懐しています。「そんな話は全然聞いた事がありません。 あちらでは近所の支那人の子供ともよく遊びましたが、彼らからも其のような噂すら聞きませんでした」。(同P138〜P141)

歩兵第13連隊第4中隊のU中尉は次のように述懐しています。「抗州湾上陸以降、私は(シナの)女たちが、墨や油や泥を顔や手足に塗り、事さらに臭気を放つようなボロをまとって、わが軍の入城を迎えたのを知っております。 彼女らはなるべく醜悪に見えるように努めていました。 <中略>  日本の兵隊は支那の軍閥の兵隊とは全然素質が違うのだという事が了解できると、それから徐々に生地を出し始める。 黒い顔が白くなり、汚い服がきれいな服に変わるのであります。 南京の難民地区でも、私はやはりそうした女の移り変わる姿を見る事ができました」。(東中野修道著『1937南京攻略戦の真実』P124)

南京戦に参加した野砲兵第22連隊長:三国直福大佐は次のように述懐しています。「昭和13年(1938年)8月にまた南京に戻って来ました。 此の時も虐殺があったという話は聞いていません。 もう日本人の商人もたくさん来ていました。 南京の街は朗らかでした。 町の人とも親しく話しましたが、その時も、シナ人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありません」。

第十軍参謀:谷田勇(たにだ いさむ)大佐は次のように述懐しています。「(昭和13年(1938年)11月以降、私が担当していた課は支那復興の為に)南京で経済指導を行なっていたので、寸暇も無いほど多忙であった。 したがって、課長以下、日中官民と接触して、此れを理解し、かつ支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはなはだ多くなっていった。 此の時、シナ官民と親交を重ねたが、酒食の席でも南京虐殺に関する話を聞く事はなかった」。

● 日本陸軍の悪事に関する元日本兵の述懐の信憑性はどの程度か。
「南京大虐殺」肯定派がしばしば引用するのが松岡環著『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』です。 此の本には「日本兵がシナで犯した」とされる多数の罪が102名の元日本兵の述懐の形で書かれています。 此の本に関し、亜細亜大学の東中野修道教授は次のように批判しています。「百二名の兵はみな匿名、仮名なのである。 <中略>  誰が「証言」内容に責任を負うのか。 「証言」内容が事実かどうか第三者的に検証できないようでは、客観的報道、客観的記録とは言いがたい。 <中略>  百歩譲って「証言」内容が事実だとしても、彼らの大多数は憲兵の目を逃れて軍紀違反行為を繰り返しながら処罰を免れてきた悪運強き戦争犯罪人でしかなかった事を明らかにしただけなのである」。(『諸君』平成14年11月号)

歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平さんは此の本を次のように評しています。「本当に馬鹿馬鹿しい本です。 私のところには聞き取りに来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたところ、その2人にも来なかったと言っています。 まともな話をする人のところには行かないようです。 確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」。(『正論』平成14年11月号 阿羅健一著「南京戦・元兵士102人の証言のデタラメさ」)

アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されている田所耕三という人は『アサヒ芸能』(昭和46年1月28日号)で「南京城陥落後約10日間に渡って殺人と強姦を行なった」と述べています。 しかし、竹本忠雄教授(筑波大学)、大原康男教授(国学院大学)によると、彼の所属する部隊は南京城陥落2日後の12月15日には南京から転進していました。 ですから、田所耕三が南京城陥落後約10日間も南京に居たという事は有り得ません。 田所耕三はのちに取材に応じて「記者が何かおもしろい事はないかと聞いてきたので、有る事・無い事を喋ったんだ」と言いました。

曽根一夫という人は『続・私記南京虐殺』などの手記を出版し、其の中で南京戦と南京城陥落後の南京城内の虐殺と目撃談を書いています。 しかし、曽根一夫は手記の中で自らを歩兵の分隊長と称していますが、実際には砲兵の初年兵でした。 しかも、南京城内には彼の属する部隊の一部が入っただけで、彼は南京城内に入っていません。 ですから、彼は彼が書いている「南京城内の虐殺」を南京城内で自ら行なう事も目撃する事も出来ませんでした。 南京戦中、彼と行動を共にした戦友は「彼がそうした虐殺行為を実行・目撃することは有り得ない」と述懐しています。 ですから、曽根一夫の『続・私記南京虐殺』などの手記は創作・虚構・捏造・でっち上げです。

● 日本兵が述懐する南京城内の様子。
南京城内の様子はどのようだったのでしょうか。 以下は日本兵の述懐です。
敵の大軍は我が軍によって完全に撃破されました。 見れば、幾十もの敵の死体がころがっております。 中にはまだ虫の息でうねっている者さえおります。 此れを見られた隊長が『苦しいか、今、薬をやるぞ』と何かをやられますと、或る兵は目を開けて、『水、水』と、かすれた声で哀願しました。 誰かが水を飲ませてやりますと、両手を合わせ涙をたたえ、『謝、謝』(シェー、シェー)と伏し拝みました。 <中略>  今までに我が中隊では数十人もの敵兵を救い、郷里に帰してやりました。 その中には中隊の為に骨身を惜しまず、弾丸下をものともせず、実に勇敢に良く働いた者も沢山おります。 そして、彼らが郷里に送り帰される時は、別れを惜しんで泣いて別れるのでした。(歩兵第47連隊 大分第2中隊 伍長S・S)(東中野修道著『1937南京攻略戦の真実』P165)

(南京へ向かう途中の)露営の時、私は道路の警戒を命ぜられました。 特に監視すべき方向は此の方向だと道路上を指すと、指したところに忽然と若い女が現われて、窈窕(ようちょう)たる姿態が楚々(そそ)として、こちらに来るじゃありませんか。 誰だって面食らいます。 <中略>  「日本の兵隊さんね」、流暢な日本語なんです。 年の頃は二十七、八で、聞いてみると、上海から逃げてきたけれど、皆殺しにされたり、はぐれたりして、支那軍の方に居ると危ないと思い、やってきたという。「日本語はどこで覚えたか」と聞くと、「長崎に4年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた」と言います。 <中略>  いろいろ調べてみたけれど、くさいところは無いようだ。 ちょうど中隊に通訳がいなくて何かと不自由していたので、通訳として使う事にしましたが、炊事をさせると、日本人の味の好みを心得て、乙なところを見せる。 所帯慣れしているから、兵隊に程良く愛嬌を振りまく。 皆で大切にしたもんです。 ときには宵待草(よいまちぐさ)や、荒城の月を聞かせてくれました。 毎日の行軍も宿営も楽しみでした。 <中略>  しかし、南京へ向かって猛追撃する我々に伍して行ける訳がない。 中隊長殿が見かねて上海の方へ帰されたが、その日の行軍のけだるい事、道の遠い事、足の重い事、皆考え込んでしまった。「おい、きついなあ」「うん」。 返事も上っすべり。 誰かが思い出し風に「変な事言いっこなしよ、皆兄弟じゃないか」と彼女の口真似をすると、とたんに爆笑がわいたものです。(歩兵第13連隊 熊本第11中隊 歩兵曹長K・S)(東中野修道著『1937南京攻略戦の真実』P190〜P192)

私が洗面していると、前にきて頭をぴょこんと下げ、「兵隊さん、おはよう」と、はっきりした日本語で、支那人から挨拶されました。 不審に思って良く聞くと、「大阪に18年間いました」という。 <中略>  (彼の相談に乗ってあげると)彼は一時間ばかりして喜んで戻って来ました。 そして言う事には、『家族も安心しました。 長男が27歳になっていますが、長男も日本語をうまく話せます。 皆の者に「日本軍が来たからもう安心しておれ」と、言ってきました』と、いかにも落ち着いたもんです。 齢は50歳ほどでしたが、達者な男で、南京攻撃、安慶上陸から漢口攻略まで、1年3ヶ月の間、日本軍の為に忠実に務め、大きな功績を残しました。(第2野戦病院 T・Y)(東中野修道著『1937南京攻略戦の真実』P190〜P192)

都新聞の小池秋羊記者は次のように述べています。「「食糧がなく飢餓状態だ。 食糧をくれ」と我々にすがりつく人もいました。 私たちの宿舎には見付け出された米が何俵もありましたので、難民区(安全区)のリーダーを宿舎に連れていき、米や副食品などを大八車二台分やりました」。

南京の病院で勤務していたアメリカ人ジェームズ・マッカラム医師は1937年12月29日の日記に次のように書いています。「(安全区に入ってきた日本陸軍は)礼儀正しく、しかも、私どもを尊敬して処遇してくれた。 若干のたいへん愉快な日本兵がいた。 私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、支那人の赤子を抱き上げたりしているのを目撃した」。 更に、彼は次のように書いています。「12月31日、今日私は民衆の群が中山路を横断しているのを目撃した。 後で彼らは日本軍によって配給された米を持って帰って来た」「日本人の善行を1つ報告しなければならない。 とても気持ちのよい日本人が最近病院にやってきた。 彼らに患者用の食糧の不足を告げたところ、きょう、百斤(60kg)の豆と牛肉を持ってきてくれた。 此の1ヶ月間、肉を食べられなかったので、此の贈り物は大歓迎だ。 ほかに欲しいものはないか、と言ってくれた」。(『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』P263 青木書店)

南京城陥落(1937年12月13日)から暫くの間、南京城内では電気も水道も止まり、南京城内の夜は真っ暗な状態でした。 しかし、翌年の1月元旦には南京城内全域で電燈が灯り、水道が復旧しました。 1938年1月3日付けの朝日新聞によると、電気については日本人技術士官以下80名とシナ人電気工70名とが協力して不眠不休で復旧作業に取り組み、水道についても150名の編成で不眠不休で復旧作業に取り組みました。 そして、1月3日には多くの南京市民が日の丸とシナの五色旗を振り、市街で「南京自治政府」の発足を祝いました。

● 日本兵の犯罪は少数あった。
次に、日本兵が南京で行なった犯罪について見てみましょう。 南京城の攻略を指揮した松井石根陸軍大将は、南京城陥落から5日後の12月18日、全軍で慰霊祭を執り行ないました。 其れは日中双方の戦死者を弔(とむら)うものでした。 慰霊祭において松井石根陸軍大将は一同の顔を眺め回して異例の訓示を行ないました。「諸君は戦勝により皇威を輝かした。 しかるに、一部の兵の暴行により、せっかくの皇威を汚(けが)してしまった。 何という事を君たちはしてくれたのか!。 君たちのした事は皇軍としてあるまじき事だ。 諸君は、今日より以降は、あくまで軍規を厳正に保ち、絶対に無辜(むこ)の民を虐(しいた)げてはならない。 それ以外に戦没者への供養はない事を心に留(と)めてもらいたい」(前田雄二著『戦争の流れの中に』P122〜P124)。 戦争が始まる前、松井石根陸軍大将は蒋介石に会って「日華が共同して強大なアジアを造ろう」と呼びかけるなど、平和の為に尽力しました。 松井石根陸軍大将は南京戦の直前にも日本兵に厳正に軍規を守るように通達しました。 にもかかわらず、南京城陥落後、南京市民に対する「一部の兵の暴行」があったのです。 松井石根陸軍大将は憲兵隊から報告を受け、其れを深く嘆きました。 此の暴行は強姦か強奪の犯罪だった、と言われています。 但し決して、のちに言われたような「大虐殺」ではありません。

松井石根陸軍大将はのちに東京裁判で次のように証言しました、「南京占領に関する周到な配慮にもかかわらず、占領当時の倥偬(こうそう)たる情勢において一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行なった者があったようである。 此れは私のはなはだ遺憾とするところである。 <中略>  憲兵隊長から此れを聞き、各部隊に命じて即時、厳格なる調査と処罰をなさしめた。 <中略>  私は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任したが、其の間、昭和12年12月下旬に南京でただ若干の違法事件ありとの噂を関知しただけで、何ら其のような事柄に関して公的な報告を受けた事は無く、当法廷において検事側の主張するような大規模な虐殺・暴行事件に関しては、終戦後、東京における米軍の放送により初めて此れを聞き知ったに過ぎない。 <中略>  検事側の主張するような計画的または集団的な虐殺を行なった事実は断じて無い」(1947年11月24日付けの口述書、現代文に変更)。 松井石根陸軍大将は、日本軍による南京占領当時、一部の若年将兵による強奪・強姦があった事を認めたものの、東京裁判で検事側が主張したような「大規模な虐殺・暴行事件」を否定したのです。 また、松井石根陸軍大将は東京裁判で次のようにも証言しました、「戦時における支那兵および一部の不逞の民衆が戦乱に乗じて常習的に暴行略奪を行なう事は周知の事実である。 南京陥落当時の暴行・略奪においても、支那軍民が犯したものもまた少なくなかった。 此れを全部、日本軍将兵の責任に帰せようとするのは、事実を歪める事である」(現代文に変更)。

では、日本陸軍の間にどれくらいの犯罪があったのでしょうか。 詳しい事はのちに述べますが、実際は或る程度の犯罪はあったものの、其の当時のロシア陸軍やシナ軍が占領地で行なってきた多数の犯罪に比べれば、遥かに少数でした。 日本陸軍がシナで行なった犯罪はアメリカ軍が大東亜戦争中に占領地で行なった犯罪と大差ない、という見解もあります。 南京戦は世界中から注目されていたので、日本陸軍は軍規を厳正に守る事を求められていました。 ですから、日本陸軍の一部が行なった犯罪は松井石根陸軍大将を深く悲しませたのです。

● シナ兵による悪事のあれこれ。
南京戦に参加した日本兵の述懐によると、南京や近隣の地域で悪事を重ねていたのは、日本兵ではなく、むしろシナ兵のほうでした。 国民党軍がどのようなものだったかについて、南京へ向かっていた或る日本兵は次のように記しています。「(通りかかった)この町には、かつて蒋介石の大軍がたむろしていたのですが、空陸一体の皇軍の進撃に、敵はもろくも敗退したのです。 城内の住民は、食糧は申すまでもなく、家財道具も全て支那軍によって強奪され、男はみな壕掘りに連日連夜酷使されたという事でした。 此のような国の民こそ全く可哀相でなりません」。(歩兵第47連隊 大分第1大隊 第2中隊 歩兵伍長 H・G)(東中野修道著『1937南京攻略戦の真実』P200)

梶村 止(かじむら・いたる)少尉は、南京戦に参加したのち、南京から上海へ移動しました。 彼の1938年1月15日の日記によると、上海の近くに駐屯していた時、近くの村人がシナ兵に襲われ、梶村少尉の隊に救いを求めて来ました。 村人に案内され、梶村少尉一行30余名が現場に急行したときは、敵兵40名〜50名が逃走したあとでした。 梶村少尉は次のように記しています。「自国の兵隊の悪事を、自国民の敵軍に報告し、討伐を願うという矛盾が、とりもなおさず支那軍隊が如何なるものであるか、この一事にて判断できる」。 梶村少尉らが村を立ち去る時、村人らは名残を惜しんでくれた、と書かれています。(同P188)

ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、上海戦(1937年8月13日〜1937年10月26日)で日本陸軍に負けて南京方面へ撤退する国民党軍の様子を次のように書きました、「シナ軍による焼き払いの狂宴。 南京方面の15マイルに渡る農村地帯では、ほとんど全ての建物に火が付けられた。 村ぐるみ焼き払われたのである。 中山陵園内の兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、其の他多数の施設が灰塵に帰した。 <中略>  此のシナ軍による焼き払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドルから3000万ドルにのぼった。 此れは、南京戦に先立って何ヶ月間も行なわれた日本軍の空襲による損害よりも大きい」。

福岡日日新聞の三苫幹之介記者は、南京に入ったのち、「安全区」内にいるシナ人夫妻に面会取材して記事を書きました。 次は其の抜粋です。
三苫記者 : 日本軍がやって来た時、あなたたちはどこで何をしていたのですか。
シナ人夫妻: 私たち夫婦は、国際委員会で設定された南京城の西北の山西路からずっと入った安全区にいました。 中央軍の支那兵が銃を持って昼も夜も代わる代わるやって来て難民を尋問し、食糧や物品を強奪し、お金と見れば一銭でも二銭でも巻き上げていきました。 最も恐れられたのは拉致される事で、独身の男は労役に使う為に盛んに拉致され、夜には少女が拉致されました。 中央軍の支那兵の横暴は全く目に余るものがありました。

● ルイス・スマイス教授による戦争被害調査報告『南京地区における戦争被害:1937年12月〜1938年3月』は何を意味するか。
南京安全区国際委員会の一員であったアメリカ人ルイス・スマイスは金陵大学で社会学教授を務めていました。 ルイス・スマイス教授による戦争被害調査報告『南京地区における戦争被害:1937年12月〜1938年3月』を見てみましょう。 此れは南京城内(南京の市街地)と南京城外(南京の農村地帯)での暴行・拉致によるシナ民間人死者の数を調べたものであり、加害者を特定していませんが、被害の実態を知る上で貴重な資料です。 調査方法は、南京城内では50戸に1戸、南京の農村地帯では250世帯に1世帯を抽出し、彼がシナ人助手と共に面接調査したものであり、「南京における唯一の学術的調査」と見て良いものです。 此の調査によると、南京城内でのシナ民間人の被害は、暴行による死者が2400人で、拉致された者が4200人です。 拉致された者はほとんど死亡した、と見ることが出来ます。 南京の農村地帯でのシナ民間人の被害は、暴行による死者が9160人です。(南京の農村地帯で拉致された者については記載されていないようです。) 合計1万5760人が南京地区(南京城内、並びに、南京の農村地帯)での暴行・拉致によるシナ民間人死者の数です。 此れは「30万人虐殺説」には程遠い数字です。 ルイス・スマイス教授による戦争被害調査報告『南京地区における戦争被害:1937年12月〜1938年3月』だけを見ても、「日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)からの6週間に南京城内で日本陸軍が30万人の市民を虐殺した」という中国共産党の主張は虚偽である事が分かります。

ルイス・スマイス教授による戦争被害調査が出した数は加害者を特定しないでシナ民間人死者の数だけを推計した数です。 此のシナ民間人死者の集合には、日本陸軍によって殺された者よりも国民党軍によって殺された者の方がたくさん含まれている、と思われます。 というのは、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者の記事に有ったように、国民党軍は南京の農村地帯の建物のほとんどを焼き払いました。 そして、そこでは多くのシナ民間人が殺されたでしょう。 また、福岡日日新聞の三苫幹之介記者に面会取材されたシナ人夫妻が述べたように、国民党軍は働ける男を見付け出すと、其の男を拉致して、其の男を労役に使いました。 また、シナ兵は自分の軍服を脱ぎ捨ててシナ民間人に成り済ます際、しばしばシナ民間人を撃ち殺して、其の便衣(シナ人の普段着)を奪いました。 以上のような事から、ルイス・スマイス教授による戦争被害調査が示したシナ民間人死者の大方は国民党軍によって殺害された者である、と言えるのではないでしょうか。

● 国民党軍士官7名がシナ民間人に成り済まして「安全区」内にある金陵女子文理学院内に隠れ住んでいた。
南京城陥落(1937年12月13日)から3週間後の1938年1月4日付けのニューヨーク・タイムズは次のように報じました。
南京安全区国際委員会の委員として南京の金陵女子文理学院に残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の国民党軍大佐1名と其の部下の士官6名が金陵女子文理学院の建物内に隠れていたところを日本軍の捜索隊に発見されて逮捕されたのを見て、心底から当惑した。 実のところ、アメリカ人教授たちは此の国民党軍大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位に就けていたのである。
此の国民党軍士官たちは自分の軍服を脱ぎ捨てて金陵女子文理学院の建物内に隠れていたところを日本軍の捜索隊に発見された。 彼らは大学の建物内に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃1丁と弾薬を隠していたが、其れらも日本軍の捜索隊に発見され、其れらが自分たちのものである事を自白した。 此の国民党軍士官たちは、自分たちが南京城内で強奪した事、ある晩などは避難民キャンプに居る少女たちを暗闇に引きずり込んで、其の翌日に「犯人は日本兵だ」と言い触らしていた事を、アメリカ人教授たちや他の外国人たちの居る前で自白した。

此のように、国民党軍士官7名がシナ民間人に成り済まして「安全区」内にある金陵女子文理学院内に隠れ住んでいたのです。 しかも、其の国民党軍士官7名の内の大佐は避難民キャンプ(安全区)で2番目に権力ある地位を与えられていた人でした。 此の大学内には南京安全区国際委員会のアメリカ人教授たちも何人か住んでいました。 南京安全区国際委員会のアメリカ人教授たちとは、マイナー・ベイツ、ルイス・スマイス、ミニー・ヴォートリン、ジェームズ・マッカラム、などです。 逮捕された国民党軍士官7名は南京城内で強奪や、少女たちへの強姦を行ない、其れらの犯罪を日本兵がやったように言い触らしていたのです。 逮捕された国民党軍士官7名が南京城内での強奪や、少女たちへの強姦を自白するまで、南京安全区国際委員会のアメリカ人教授たちは「南京での非道な行為の全ては日本陸軍の仕業だ」と言って来ました。

● 「安全区」へ逃げ込んだ国民党軍高官による反日攪乱行為。
1938年1月25日付けの『チャイナ・プレス』は次のように報じました、「其の報告書の主張するところによれば、彼らの中には南京平和防衛軍司令官:王信労がいた。 彼は陳弥と名乗って、国際避難民地帯の第四グループを指揮していた。 <中略>  また、前第八十八師の副師長:馬中将や、南京警察の高官:密信喜もいると言われている。 馬中将は安全区内で反日攪乱行為を続けていたと言われる。 また、安全区には黄安大尉のほか17人が機関銃1丁とライフル17丁を持って隠れ、王信労と三人の元部下は掠奪・煽動・強姦に携わったという」(東中野修道著『「南京虐殺」の徹底検証』P277)。 此のように、「安全区」へ逃げ込んだ国民党軍高官は略奪・強姦を繰り返し行ない、しかも、其れらの犯罪を日本兵がやったように見せ掛けたのです。

一体どれほどのシナ兵が「安全区」に隠れ、反日攪乱行為を繰り返していたのでしょうか。 南京城陥落(1937年12月13日)から4日後の1937年12月17日付けのニューヨーク・タイムズは次のように報じました、「昨日、南京の日本軍司令部が発表したところによると、 <中略>  市内には、軍服を捨て、武器を隠し持ち、平服を着たシナ兵2万5000人がいると信じられている」(『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』P415 青木書店)。 ニューヨーク・タイムズが此の報道をした時点で、依然として、とても多くのシナ兵がシナ民間人の服を着て「安全区」に隠れている、と考えられていました。 全員ではないとしても、彼らの大多数は「安全区」内で強奪・強姦・脅迫を行ない、其れらの犯罪を日本兵がやったように見せ掛けたのです。

● 日本人に成り済ましたシナ人がいた。
1938年2月17日付けの大阪朝日新聞は次のように報じました。
皇軍の名をかたり 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る 【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来、我が将兵が種々の暴行を行なっているとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わっているので、駐南京の憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査したところ、此のほど漸(ようや)く其の根源を突き止めることが出来た。 其の根源は、皇軍の名をかたって掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いていた憎むべき支那人一味であるが、憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。 此の不逞極まる支那人は、かつて京城(現在のソウル)において洋服仕立を営業し、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で、皇軍入城後、日本人を装ひ、我が通訳の腕章を偽造して、此れをつけ、 <中略>  三ヶ所を根城に、皇軍の目を眩(くら)ましては南京安全区内に跳梁し、強盗の被害は総額五万元、暴行に至っては無数で、襲われた無辜(むこ)の支那人らは一味を日本人と信じ切っていた為、発覚が遅れたものであるが、憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。

此のように、日本人に成り済ましたシナ人も居たのです。 彼らは日本兵通訳の腕章を偽造し、其れを身に着け、日本語を話し、日本人に成り済まして暴行を繰り返していたのです。 此の事については、マルクス主義歴史学者として知られる笠原十九司(かさはら とくし)教授(宇都宮大学)までもが次のように述べています。「安全区へ逃げ込んだシナ兵にとっては日本軍をおびやかすだけでは不十分であった。 <中略>  「強姦、略奪、その他の暴行を全て日本軍の仕業とする」という散発的な抵抗が存在した」。

● 南京安全区国際委員会が日本国大使館に提出した被害届の大部分はシナ人からの伝聞である。
先に述べたように、南京城内の安全区に住む欧米人が作っていた南京安全区国際委員会は、南京城内で日本兵が行なったとされる強姦・殺害・強奪などを纏め、被害届として在南京日本国大使館に幾度も提出し、日本陸軍に改善を求めました。 其れらの事件の総数は1938年2月までに計425件に上りました。 此の被害届は「事件5. 12月14日の夜、日本兵たちが家々に押し入り、女性をレイプして連れ去った。 其の地域はパニックになった為、何百人もの女性たちは昨日、金陵大学内に避難してきた」「事件10. 12月15日夜、多くの日本兵が金陵大学の建物内に入り、30人ほどの女性たちを強姦した」のような事が延々と書かれたものです。 仮に、此れら425件の事件が全て事実だとしても、其の内で殺人事件は49件しかありません。 此の被害届を見る限りでは、30万人大虐殺はおろか、1万人、1千人の虐殺も無かった事になります。 また、49件の殺人事件の内、南京安全区国際委員会の構成員が目撃した殺人事件はたった2件でした。 其の他は全て伝聞です。 他の事件は全てシナ人から聞いた事でした。 425件の内の強姦事件についてはどうでしょうか。 竹本忠雄教授と大原康男教授は次のように述べています。「委員会が記録した『被害届』に記された強姦事件(未遂を含む)は何件か。 集計すると361件である。 しかも誰が事件の目撃者であったのか、誰が誰に聞いて記録したのかについての記載がある事例は僅かに61件であった。 此の内、日本兵がやったという確証があり、真相究明ないしは逮捕の為に日本軍に通報された件数は僅かに7件であった。 <中略>  なお、日本軍に通報された7件については、『シカゴ・デイリーニューズ』(1938年2月9日)に報道されている通り、日本軍は犯人を厳しく罰している。 処罰は厳しく、部隊から不満の声が漏れたほどであった」。(『再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪』)

在南京日本国大使館に勤めていた外交官補:福田篤泰さんは南京安全区国際委員会について次のように述懐しています。
当時、私は役目柄、毎日のように外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。 出かけてみると、シナの青年が次から次へと駆け込んでくる。「いまどこどこで日本の兵隊が十五、六歳ほどの女の子を輪姦している」「太平路何号で日本兵が集団で押し入り、物を奪っている」等々。 その訴えをジョン・マギー神父やジョージ・フィッチ牧師など、3、4人が私の目の前でどんどんタイプしているのだ。「ちょっと待ってくれ。 君たちは検証もせずに其れをタイプして、抗議されても困る」と幾度も注意した。 時には、彼らを連れて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何も無い。 住んでいる者もいない。 そんな形跡も無い。 そういう事が幾度かあった。

此のように、南京安全区国際委員会が日本国大使館に提出した被害届の大部分は、シナ人から聞いた事を検証せずに書き連ねたものなのです。

● 「日本陸軍の残虐性」を示すものだとされるマギー・フィルム。
日本陸軍による南京占領中、南京安全区国際委員会の一員であったアメリカ人ジョン・マギー神父は南京城内の光景を16ミリフィルムに撮影して残しました。 其の16ミリフィルムは、のちに「日本陸軍の残虐性」を示すものだとされて「南京大虐殺」肯定派の間でしばしば使われました。 しかし、其の映像を実際に見ても、明らかに虐殺されたと判断できる死体は1つも映っていません。 其の映像の標題は「日本軍の暴行」となっていますが、日本兵が捕虜を処刑・殺害しているシーンは無く、何千もの死体シーンも無く、其の映像に映っている人々の大多数は生きている人です。 また、ジョン・マギー神父は東京裁判で「あちこちで殺人が行なわれていた」と証言し、「あなたが目撃したものは有りますか」と聞かれて、「1つだけ有ります」と答えました。 しかし、其れは、日本陸軍がシナ民間人に成り済まして「安全区」へ逃げ込んだシナ兵を掃討する作戦を実行していた最中に、日本兵が不審なシナ人を見付け出して身元を尋ねた時、其のシナ人が急に逃げ出したので、日本兵が其のシナ人を撃ち殺したというものでした。 此れは国際法上、合法です。 ですから、ジョン・マギー神父は違法な殺人を1件も見ていません。 ジョン・マギー神父は30万人虐殺も、1万人虐殺も、1000人虐殺も、10人虐殺も、見ていないのです。 また、ジョン・マギー神父が目撃したものとして、「強姦」が1つ、「盗み」が1つありました。 此の「強姦」というのは、日本兵があるシナ人男性の妻のもとへやって来たのを、ジョン・マギー神父が目撃したというものですが、ジョン・マギー神父は強姦現場を見たのではありません。 其の日本兵は其のシナ人妻か其の夫に不審な点を発見し、尋問しようと思ってやって来たのかも知れません。 また、ジョン・マギー神父が目撃した「盗み」というのも、或る日本兵がシナ人の家からアイスボックスを持って出るのをジョン・マギー神父が目撃したというものです。 たった其れだけの目撃で「盗み」と断定できるでしょうか。 此のように、ジョン・マギー神父は南京城陥落の前も後もずっと南京城内に居たにもかかわらず、日本兵による残虐行為を1つも目撃してないのです。

ジョン・マギー神父によって報告された「1937年12月13日に南京城内で起きたシナ人2家族惨殺事件」は有名です。 彼の16ミリフィルムには此の「事件」で辛うじて生き残った少女の姿が映っています。 此の「事件」に関するジョン・マギー神父の報告は次のようなものでした。
1937年12月13日、凡そ30人の兵が、南京城の南東部にある新路口五番地(注:ここは「安全区」外である)のシナ人の家にやってきて、家の中に入れろと要求した。 馬という名のイスラム教徒の家主が玄関のドアを開けた。 すると、兵たちは直ちに其の家主を拳銃で撃ち殺した。 借家人の夏氏が兵たちの前に跪(ひざまず)いて他の者を殺さないように懇願したが、兵たちは直ちに夏氏を拳銃で撃ち殺した。 家主の夫人が「なぜ夫を殺したのか」と問うと、兵たちは直ちに家主の夫人を拳銃で撃ち殺した。 夏氏の夫人は1歳の赤ん坊と一緒に応接間のテーブルの下に隠れていたが、兵たちに発見されて引きずり出された。 夏氏の夫人は兵たちに衣服を剥がされ、強姦され、胸を銃剣で刺されて殺され、膣に瓶(びん)を押し込まれた。 1歳の赤ん坊は銃剣で刺し殺された。 兵たちが隣の部屋に踏み込んだ時、そこには夏氏の夫人の両親(76歳、74歳)と、2人の娘(16歳、14歳)が居た。 兵たちが娘たちを強姦しようとしたので、祖母は娘たちを守ろうとしたところ、兵たちは直ちに祖母を拳銃で撃ち殺した。 祖母の死体にしがみついた祖父も殺された。 娘たちは服を脱がされ、年上の娘が2、3人の兵に強姦され、年下の娘が3人の兵に強姦された。 其の後、年上の娘は銃剣で刺し殺され、膣に杖を押し込まれた。 年下の娘も銃剣で刺し殺されたが、膣に物を押し込まれるような惨(むご)い仕打ちを免れた。 更に、兵たちは、隣の部屋にいた8歳の娘を銃剣で刺したが、其の娘は傷を負っただけで済んだ。 此の家の所有者であるイスラム教徒の2人の子(4歳、2歳)も殺された。 4歳の子は銃剣で刺し殺され、2歳の子は頭を刀で切り裂かれた。 銃剣で刺されて傷を負った8歳の娘は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。 夏氏夫妻には4歳の娘も居たが、此の娘は逃げて無事だった。 生き残った2人の娘(8歳、4歳)はお米の御飯を炊いて食べて生き長らえた。 兵たちは此の家に毎日やって来て、此の家の物を色々持ち出したが、生き残った2人の娘は古いシーツの下に隠れていたので、発見されずに済んだ。 8歳の娘と4歳の娘は14日間其の家に居続けた。

此の事件報告は、簡潔に述べれば、「1937年12月13日に凡そ30人の兵が「安全区」外の家に押し込み、其の家に住むシナ人2家族を惨殺した」というものです。

ジョン・マギー神父は此の「事件報告」について「生き残った8歳の娘から部分部分を聞き出し、幾つかの細かな点では近所の人や親戚の話を参考にした」と書いています。 ですから、此の「事件報告」は単なる伝聞報告ではなく、伝聞に他者の話が併せられて作られた報告です。 惨殺されたシナ人2家族が住んでいた家は「安全区」外にありました。 ジョン・マギー神父は此の「事件」の日付を12月13日と書いていますが、此の日は日本陸軍が南京城を攻め落として南京城を占領した日です。 東中野修道教授によると、日本陸軍が南京城を包囲した1937年12月8日以降、南京城内の市民の全ては国民党軍によって「安全区」内に強制的に集められていました。 ですから、日本陸軍が南京城を攻め落として南京城を占領した日(1937年12月13日)においても、南京城内の市民の全てが「安全区」内に強制的に集められていた、と見ることが出来ます。 ですから、日本陸軍が南京城を攻め落として南京城を占領した日(1937年12月13日)に「安全区」外の家(南京城内にある)でシナ人家族が惨殺される事は有り得ないのです。 ですから、ジョン・マギー神父が報告した「1937年12月13日に南京城内で起きたシナ人2家族惨殺事件」はでっち上げであり、捏造です。 尤も、此の「事件報告」の中にある「凡そ30人の兵が「安全区」外の家に押し込み、其の家に住むシナ人2家族を惨殺した」という事は本当なのでしょう。 正に「膣に瓶を押し込む」「膣に杖を押し込む」という殺し方はシナ流です。 シナには昔から、其のような惨(むご)い殺し方をする風習が有りました。 日本兵はそんな殺し方をしません。 ですから、もし此の「シナ人2家族惨殺」が事実であれば、此の惨殺は、南京城内の市民の全てが国民党軍によって「安全区」内に強制的に集められた日(1937年12月8日)以前にシナ兵によって行なわれたものでしょう。

● 南京安全区国際委員会の長であったドイツ人ジョン・ラーベの反日性向。
南京安全区国際委員会の長はジョン・ラーベというドイツ人でした。 ジョン・ラーベは日記などに日本陸軍が行なったという残虐行為を数多く記録しています。 其の記録はどれくらい信頼できるものなのでしょうか。 例えば、ジョン・ラーベは「民間人の死体は至るところに見られた。 私が調べたところ、民間人の死体の背中には撃たれた傷があった。 逃げるところを背後から撃たれたらしい」(1937年12月13日付けの日記)と記しています。 しかし、先に述べたように、日本陸軍による南京城攻撃が間近に迫って来た時、南京城内のシナ兵は自分の軍服を脱ぎ捨て、南京市民の中に紛れ込もうとしました。 しかし、下着姿で紛れ込む訳には行きませんから、彼らシナ兵は男性シナ民間人を殺して其の服を奪い取り、自分の軍服を脱ぎ捨て、奪い取った服を着てシナ民間人に成り済まし、南京の「安全区」へ逃げ込みました。 ジョン・ラーベはそうした事情を黙殺しています。 ジョン・ラーベが見たという民間人の死体は実際にはシナ民間人ではなく、シナ兵である、と考えられます。 また、ジョン・ラーベは同じ日に「日本兵たちは市内を巡り、10人〜20人のグループに分かれて、店々や家々を手当たり次第、略奪した。 此れは私の両目が目撃したものである」と記しています。 ジョン・ラーベは日本兵の行動を組織的な略奪のように書いていますが、竹本忠雄教授と大原康男教授は次のように述べています。「入城した日本軍は、まず宿舎の確保に苦労し、宿舎に充てた建物の設備補充の為に、将校の指示のもとに、無人になった建物から家具やフトン等を持ち出した。 それらを『徴発』した際には、代償を支払う旨の証明書を添付したが、そうした事情を遠巻きに見ていた外国人やシナ人は理解せず、日本軍が組織的に掠奪していると誤認した可能性がある」(『再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪』)。 日本陸軍は徴発を行なった場合には、常に代価を支払って来ました。 日本陸軍は南京でも其のように行なったのです。 其れをジョン・ラーベは日本兵による略奪と思ったのです。 また、其の当時(1937年頃)は日独伊三国軍事同盟(1940年9月)の締結前であり、ドイツ政府は蒋介石政権に軍事顧問団を派遣して蒋介石政権と深い関係にありました(中独合作)。 そして、ドイツ人であるジョン・ラーベは国民党の顧問を務め、且つ、シーメンス社(ドイツの巨大企業)の南京支社長を務め、シーメンス社と国民党との間の武器取引で多額の報酬を得ていました。 ジョン・ラーベは武器商人でもあったのです。 其の為、ジョン・ラーベは、ドイツ政府が蒋介石政権との関係を絶って日本に接近する事を恐れていました。 此のようなジョン・ラーベにとって、日本に対する嘘だらけの悪口を言う事は自然な成り行きだったのです。 東中野修道教授によると、ジョン・ラーベは1937年12月12日以降、国民党軍大佐2人を密かにかくまっていました。 此の国民党軍大佐2人は「安全区」内で反日攪乱工作を行なっていました。 また、彼の1938年2月22日付けの日記にも、彼がもう1人別の国民党軍士官をかくまっていた事が記されています。 此のように、ジョン・ラーベは国民党軍士官の反日攪乱工作を手伝っていたのです。

松井石根陸軍大将の私設秘書だった田中正明さんは、ジョン・ラーベが書いた報告書や日記には多くの矛盾点が有ると批判し、「講談社刊『南京の真実』は真実ではない!」(http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html)の中で次のように述べています。
12月9日、松井軍司令官は休戦を命じ、城内の唐生智軍に『降伏勧告のビラ』を空から全市にばら撒いて講和を呼びかけた。 その間、攻撃を中止して、10日正午まで待機した。 <中略>  しかるに、ラーベの12月9日の日記には、「中華門から砲声と機関銃の射撃音が聞こえ、安全区内に響いている。 明かりが消され、暗闇の中を負傷者が足を引きずるようにして歩いているのが見える」とある。 全然『降伏勧告のビラ』も休戦の事も触れてなく、戦闘は続いていた事になっている。 <中略>  ラーベの日記には「局部に竹を突っ込まれた女の人の死体をそこら中で見かける。 吐き気がして息苦しくなる。 70歳を越えた人さえ幾度も暴行されているのだ」とあるが、強姦して其のあと局部に竹を突っ込むなんていう風習は、支那には有っても、日本には絶対に無い。 <中略>  金陵大学病院の医師マッカラム氏は「(安全区に入ってきた日本陸軍は)礼儀正しく、しかも、私どもを尊敬して処遇してくれた。 若干のたいへん愉快な日本兵がいた。 私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、支那人の赤子を抱き上げたりしているのを目撃した」と、東京裁判に提出した日記の中に書いている。 <中略>  ところが、ラーベ日記には、安全区内で毎日のように火事と強姦が続いたという “ 地獄絵 ” が描かれている。 一体どちらが本当なのか。 <中略>  ヒトラーがジョン・ラーベの原稿に信をおかず、彼を逆に入獄せしめた理由が、私にはわかるような気がする。

ジョン・ラーベの頭の中には、何とか「日本陸軍の残虐性を世界中に訴えて日本を叩き潰したい」という思いがあったのでしょう。 其の為、ジョン・ラーベの報告書や日記は、其の内容がとても偏っており、督戦隊に殺されたシナ兵や、自分の軍服を脱ぎ捨てて「安全区」に隠れたシナ兵による犯罪には全く言及せず、「日本陸軍の残虐性」だけを書き記すものになったのでしょう。 在南京ドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から凡そ4週間後の1938年1月9日に南京に戻り、自分の目で南京の実情を確かめ、1938年2月10日付けで在武漢ドイツ大使館に次のように書き送りました。
ラーベは最近、日本兵による血なまぐさい事件をぶり返し、其れを阻止する為に相変わらず奔走している。 だが、私の意見では、ドイツ人はそんな事を気に留めるべきではない。 なぜなら、南京のシナ人が日本人に頼り、仲良くなっている事は、見れば明らかな事だからだ。 第一、暴行事件といっても、すべてシナ人から一方的に話を聞いているだけではないか。(『再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪』)

念の為に述べれば、日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から6週間後の1938年1月末までの期間は、中国共産党が「此の期間中に南京城内で日本陸軍が30万人の市民を虐殺した」と主張している期間です。

ジョン・ラーベは表向きは暴行事件の被害者の救済などに奔走し、中立を装っていました。 それで、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』などでは、ジョン・ラーベは稀(まれ)な善人だと持ち上げられています。 しかし、其の実態は、と言うと、ジョン・ラーベは国民党軍士官をかくまい、国民党軍士官の反日攪乱工作を手伝い、また、自身の虚偽報告書を使って自分なりの反日攪乱工作を行なっていたのです。 此のような人が南京安全区国際委員会の長だったのですから、彼の姿勢は南京安全区国際委員会の構成員たちに強い影響を与えたでしょう。 南京安全区国際委員会の構成員たちの書き残した報告書や日記がジョン・ラーベの書き残した報告書や日記と同じようなものになったのは、そうした経緯からでした。

● 南京における強姦事件の真相。
次に、南京安全区国際委員会の構成員が書き残した「南京における強姦事件」記録を見ておきましょう。 ジョン・ラーベは1937年12月17日付けの日記に「昨晩、千人近くの女性・少女が強姦された、と言われている。 金陵女子文理学院の学生だけでも百人が強姦された」と書きました。 また、金陵女子文理学院教授ミニー・ヴォートリン女史は1937年12月17日付けの日記に「ああ神よ、野獣のような日本兵の蛮行をとめてください」と書きました。 ジェームズ・マッカラム医師は1937年12月19日付けの日記に「此れほどの残虐は聞いた事が無く、読んだ事も無い。 強姦! 強姦! 強姦! 我々の見積もりによれば、一晩に千人が強姦され、そうした事が毎日ある。 反抗すれば銃剣で刺されるか、撃ち殺されるだろう。 人々はヒステリックになっている。 女性たちは毎朝、毎日、毎夜、連れ去られる。 日本兵たちは、気の赴くままに出入りし、好き勝手に行動しているようだ」と書きました。 しかし、此れらの強姦事件は ジョン・ラーベやミニー・ヴォートリンやジェームズ・マッカラムが目撃した事ではありません。「言われている」「見積もりによれば」「・・・しているようだ」と書かれている事からも判るように、いずれも伝聞または憶測なのです。「犯人は日本兵だ」というのも伝聞です。 南京安全区国際委員会の構成員が書き残した「南京における強姦事件」記録のほとんど全てはシナ人から聞いたものでした。 南京安全区国際委員会の構成員の日記は、彼らがシナ人から聞いた事を其のまま信じ切って書いたものであるか、そうでなければ、彼らがシナ人から聞いた事を故意に検証せずに反日的な意図を持って書いたものです。

此れらの日記が書かれてから凡そ2週間後(1938年1月1日頃)、金陵女子文理学院内に隠れ住みながら南京城内で強奪・強姦を繰り返し「犯人は日本兵だ」と言い触らしていた国民党軍士官7名が日本の憲兵に逮捕されました。 金陵女子文理学院内には南京安全区国際委員会のアメリカ人教授たちも何人か住んでいました。 ニューヨーク・タイムズが1938年1月4日に報じたように、国民党軍士官7名が日本の憲兵に逮捕され、罪状を自白した時、金陵女子文理学院内に住んでいたアメリカ人教授たちは心底から当惑しました。 また、1938年2月には、大阪朝日新聞が報じたように、日本人に成り済まして掠奪・暴行を繰り返していたシナ人が逮捕されました。 そして、彼らが逮捕されたあと、強姦・殺害・強奪事件はほとんど無くなりました。 ですから、南京安全区国際委員会の構成員が非難した「日本陸軍による強姦・殺害・強奪」のほとんど全ては、シナ民間人に成り済ましたシナ兵や、日本人に成り済ましたシナ人による犯行だったのです。 ジェームズ・マッカラム医師の1938年1月8日の日記には「私は、或るシナ人民が「強姦や略奪、放火などは日本兵がやったのではなく、シナ兵がやった。 私はそれを証明できる」と言うのを聞いた」という記述があります。

竹本忠雄教授と大原康男教授は次のように書いています。
安全区にある金陵女子文理学院は婦女子ばかり4000名を収容し、此の難民収容所の責任者はミニー・ヴォートリン女史であったが、金陵女子文理学院以外の難民収容所(18ヶ所)の責任者は全てシナ人であった。 そして何と、其の責任者をシナ民間人に成り済ました国民党軍将校が務めているケースもあった。 当然の事ながら、シナ人が責任者を務めた難民収容所の治安維持はシナ人たちが担当した。 そして、強姦事件の大部分は安全区内の難民収容所で起きていた。 安全区内の難民収容所が解散した1938年2月以降、そうした強姦事件は起きていない。 安全区内の難民収容所の責任者たちが主張した「日本軍の犯罪」を額面通り受け取る事は極めて危険だと言えよう。
そもそも当時の南京で、女性は全て安全区にいた。 そして日本軍司令部は、安全区に集中している外国権益を保護し、安全区委員会との摩擦を避ける為に、又は、多数のシナ兵が安全区内に潜伏していて危険であるとの判断から、日本兵に対して安全区への立ち入りを禁じた上に、要所に見張りを立てた。 其の為、日本兵は勝手に安全区に入れなかったし、危険を冒してまで安全区に入ろうとする日本兵はいなかった。(『再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪』)

先に述べたように、南京で起きた強姦事件の内の7件は日本兵が行なったものであり、其の犯人は処罰されています。 また、日本陸軍が調査していたものが数件あり、総計10件ありました。 知られていない事件を含めれば、多くて数十件の日本兵による犯罪があった、と考えられるでしょう。 南京で起きた強姦事件のほとんど全てはシナ民間人に成り済ましたシナ兵や、日本人に成り済ましたシナ人による犯行だった、と見て良いのです。

● マイナー・ベイツ教授は東京裁判で「南京で多数の虐殺があった」と証言した。
先に紹介したアメリカ人マイナー・ベイツは金陵大学で歴史学教授を務め、南京安全区国際委員会で指導的立場にいました。 マイナー・ベイツ教授は東京裁判における主要な証言者です。 マイナー・ベイツ教授は「日本陸軍の残虐性」を世界中に広めた中心人物である、と見て良いでしょう。 マイナー・ベイツ教授は東京裁判で「日本軍侵入後、何日ものあいだ私の家の近所の路には、射殺された民間人の死体が沢山ありました」と証言しました。 しかし、此の証言は虚偽としか思えません。 なぜなら、虚偽と推察するに足る述懐が幾つか有るからです。 1937年12月13日に南京城内に入った都新聞の小池秋羊記者は「城内は、どの家も空き家で、物音1つしませんでした。 犬、ネコの姿1つ見受けられず、……」と述懐しています(南京事件 P144)。 南京の「安全区」へ逃げ込んだシナ兵を掃討する作戦を担当した第7連隊の日本兵たちも「連隊に発せられた命令は「市民を殺すな。 皇軍の名を穢(けが)してはならない」であった」と述懐しています。 彼らは「民間人に危害を及ぼさないように非常な注意を払った」と述懐しています。

南京の「安全区」内で日々を過ごした同盟通信社の特派員:前田雄二さんは、マイナー・ベイツ教授の言ったような虐殺死体の存在を否定して、次のように述べています。
いわゆる「南京大虐殺」というのは、二、三十万人という数は別にしても、主に住民婦女子を虐殺したものだ。 ところが、殺されなければならない住民婦女子は難民区(安全区)内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。 そして私の所属していた同盟通信社の旧支局は此の中にあり、入城4日目には私たち全員は此の支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。 難民区(安全区)内が私たちの生活圏であり、既に商店が店を開き、日常生活を回復していた。 住民居住区の情報は逐一私たちの耳目に入っていたのだ。 こういう中で、万はおろか、千あるいは百を以て数えるほどの虐殺が行なわれるなどという事は有り得なかった。 捕虜の処刑・虐殺はあったが、それは戦闘行為の枠内で論ぜられるべきものであって、非戦闘員の大量虐殺は無かった。 それが、さもあったかのように伝えられ、教科書にまで記載されている事は見過ごしていい事ではない。 なぜ歴史が歪められたのか。 それは、戦後の東京裁判史観の為であろう。(内外ニュース社発行『世界と日本』1959.4.5、413号)

マイナー・ベイツ教授は東京裁判で「南京で多数の虐殺があった」と証言しましたが、彼は実際に虐殺死体を自分の目で見たのではありません。 マイナー・ベイツ教授が東京裁判に提出した報告書は全て伝聞体で書かれています。 南京安全区国際委員会が日本国大使館に提出した被害届においても、殺人事件の「証言者」の欄にマイナー・ベイツの名はありません。 在南京アメリカ領事館のジョン・ムーア・アリソン領事がマイナー・ベイツ教授に南京市民虐殺の証明を求めたときにも、マイナー・ベイツ教授は其れを証明できませんでした。

● マイナー・ベイツ教授は蒋介石の戦術に沿って、「日本陸軍の残虐性」というデマゴギー(政治的な目的で意図的に流される煽動的な虚偽情報)を世界に向かって発信した。
マイナー・ベイツ教授は「埋葬死体4万体の証拠から見ると、4万人近くの非武装者が南京城内および其の周辺で殺された。 其の内の凡そ30%は兵になった事のない者たちだった」と述べています。 分かり易く言えば、「南京城内および其の周辺で殺された4万人近くの非武装者の凡そ30%は民間人であり、日本陸軍は其れら1万2000人ほどの民間人を殺した。 残りの凡そ70%は武器を携帯していないシナ兵であり、日本陸軍は其れら2万8000人ほどの非武装シナ兵を殺した」と述べているのです。 シナ兵の大多数は逃げる際に自分の軍服を脱ぎ、シナ民間人から奪い取った服を着てシナ民間人に成り済まして逃げました。 そして、当然、シナ民間人に成り済まして逃げたシナ兵は武器を隠し持っていたでしょう。 其のようなシナ兵は日本陸軍に殺されて当然です。 其のようなシナ兵は日本陸軍に殺されたとき軍服を着てなく、其の死んだ姿はシナ民間人と同じです。 マイナー・ベイツ教授は「4万人近くの非武装者が南京城内および其の周辺で殺された」と述べる事で、まるで日本陸軍がシナ民間人や非武装シナ兵を大量殺戮したように見せ掛けたのです。 また、マイナー・ベイツ教授が述べた「埋葬死体4万体の証拠」の「埋葬」は「南京のシナ人団体:紅卍会による埋葬」を意味します。 日本陸軍は死体の埋葬作業を紅卍会に任せました。 マイナー・ベイツ教授は「其の内の凡そ30%は兵になった事のない者たちだった」と述べましたが、竹本忠雄教授と大原康男教授が紅卍会の埋葬死体リストを調べてみたところ、女性と子供との合計比率はたった0.3%でした。 しかも、此れは南京戦のときだけでなく、翌1938年の7月と8月における埋葬死体をも含んでの事ですから、もし南京戦での死体だけに限れば、女性と子供との合計比率は0.3%より小さくなります。 もし日本陸軍がシナ民間人を大量殺戮したのであれば、埋葬死体の中におびただしい数の女性や子供が含まれていたはずです。 ですから、埋葬死体の中に女性や子供がほとんど含まれていなかったという事実は、南京城内および其の周辺で日本陸軍によるシナ民間人大量殺戮は無かった事を意味しているのです。

在南京アメリカ領事館のジェームズ・エスピー副領事が述べたように、日本陸軍による南京城攻撃が間近に迫って来た時、南京城内のシナ兵は男性シナ民間人を殺して其の服を奪い取り、自分の軍服を脱ぎ捨て、奪い取った服を着てシナ民間人の中に紛れ込みました。 埋葬死体4万体の中には、シナ兵に殺された男性シナ民間人の死体がたくさん含まれていたでしょう。 男性シナ民間人を殺したのは、日本兵ではなく、シナ兵です。「0.3%の女性や子供」に関しても、其の大多数を殺した者はシナ兵である可能性が高いのです。 しかし、マイナー・ベイツ教授はそうしたシナ兵たちの悪事には一切言及せず、シナ兵たちの悪事の全てを日本兵の犯行に見せ掛け、「日本陸軍の残虐性」を世界に向かって声高に主張しました。

日本陸軍による南京城占領開始日(1937年12月13日)から5日後の1937年12月18日付けのニューヨーク・タイムズに「南京の街路は女・子供を含む民間人の死体で満ちていた」という内容の記事が載りました。 此の記事はティルマン・ダーディン記者が書いたものですが、此の記事の内容は彼が目撃した事ではありません。 なぜなら、彼は此の記事を「南京の外国人は……目撃した」という伝聞体で書いているからです。 此の記事の内容はティルマン・ダーディン記者が1937年12月15日に南京を去る時、マイナー・ベイツ教授から手に入れたものです。 マイナー・ベイツ教授は1938年4月12日付けの自身の手紙の中で「南京を去るティルマン・ダーディン記者など欧米の特派員に南京の状況を書いたレポートを1937年12月15日に渡した」と書いています。 ですから、情報の発信源はマイナー・ベイツ教授だったのです。

ハロルド・ティンパリーというオーストラリア人ジャーナリストがいました。 彼は1938年に『戦争とは何か』という本を出版しました。 此の本は「日本陸軍による南京での市民虐殺」を大々的に取り上げ、アメリカ人に日本陸軍の非道を訴え、日米戦争の一因になった本です。 しかし、ティンパリーは上海に居たのであり、南京に居たことはありません。 ですから、ティンパリーは「日本陸軍による南京での市民虐殺」を目撃していません。 此の本の内容はティンパリーがマイナー・ベイツ教授から手に入れたものです。 此の事をティンパリー自身が此の本の中に書いています。

マイナー・ベイツ教授は此のようにして「日本陸軍による南京での市民虐殺」という虚偽を世界中に広めたのです。 ジョン・ラーベと同じく、マイナー・ベイツ教授も国民党の顧問でした。 蒋介石の戦術は、虚偽を用いてでも「日本に侵略されているシナの悲惨さ」と「日本陸軍の残虐性」とを世界中に宣伝し、アメリカを味方につけて、アメリカが日本を潰してくれるようにする事でした。 そこで、マイナー・ベイツ教授は蒋介石の戦術に沿って、「日本陸軍の残虐性」というデマゴギー(政治的な目的で意図的に流される煽動的な虚偽情報)を世界に向かって発信したのです。

第5章で述べたように、国民党軍宣伝部の顧問を務めていたアメリカ人ジャーナリスト:セオドア・ホワイトは蒋介石の戦術について次のように書いています。「アメリカ人を説得する為にアメリカの新聞・雑誌を使って人に嘘をつくという事がシナ政府唯一の戦術となっていた」。(『歴史の探究』P76)

● 南京城内および其の周辺で日本陸軍によるシナ民間人大量殺戮は無かった。
以上、見てきた事から、南京城内および其の周辺で日本陸軍によるシナ民間人大量殺戮は無かった、と考えられます。 南京で強奪・強姦・暴行・殺人が無かったという事ではありません。 日本兵による犯罪も少数ありましたが、シナ民間人に成り済ましたシナ兵による犯罪や、日本人に成り済ましたシナ人による犯罪がとても多かったのです。 彼らシナ兵は、自分らの犯罪を日本兵がやったように見せ掛けたり、被害者を脅迫して「加害者は日本兵だ」と言わせたりしました。 それで、南京安全区国際委員会の構成員は「加害者は日本兵だ」と思い込み、アメリカ人ジョン・マギー神父やドイツ人ジョン・ラーベやアメリカ人マイナー・ベイツ教授が悪意を持って「日本陸軍の残虐性」というデマゴギーを世界に向かって発信し、こうした事がのちに大きく膨らんで、「南京大虐殺」という嘘へ発展していったのです。

第8章  日本人とユダヤ人との密接な関係。
原文はこちら→ https://remnant-p.com/080nihon.htm
日露戦争で日本がロシアに勝てたのは、ヤコブ・シフを初めとするニューヨーク・ウォール街のユダヤ系&ワスプ系国際金融業者による「日本への巨大な資金援助」のお陰である事を第5章で述べました。 ここでは其れ以外の事で、日本人とユダヤ人との密接な関係。を述べましょう。

● 日露戦争での日本の勝利に歓喜したユダヤ人。
ロシア帝国領ウクライナでは1881年から1906年まで激しい反ユダヤ主義の嵐が吹きまくり、大規模なユダヤ人虐殺(ポグロム)が頻発していました。 特に、1903年にウクライナの都市キシニョフ(現在のモルドバ共和国の首都)で起きたロシア政府公認のユダヤ人大虐殺は世界中に報じられ、世界中のユダヤ人を激怒させました。 其の当時のロシア帝国はユダヤ人から “ 悪の帝国 ” と見られていたのです。 ですから、ユダヤ人から見れば、「1904年2月に始まった日露戦争は、ユダヤ人を迫害するロシア帝国(ロマノフ王朝)に対する戦いである」と見えたのです。

日露戦争で日本が勝った時、ユダヤ人の詩人ナフタリ・ヘルツ・インベルは「日本がユダヤ人虐殺のロシアを懲らしめてくれた」と讃美し、次のような詩を明治天皇に献上しました。
世界諸国民の為の良い知らせを汝らに告ぐ。 恐ろしいイワン(ロシア皇帝)は打ち倒された。 此れはキシネフの罪に対する報復である。 あらゆる人々に此の良き知らせを伝えよう。 イワンは我が人民の血で足を洗った。 我が人民の幼児や子供を殺した。 今や、イワンは敗北に苦しむであろう。 そして高い山から荒野へ逃げるであろう。 私(神)は日の出ずる所から鷲を招いた。 私はイワンを倒す為に、遠くの地の我が同志、日本を呼んだ。 戦闘、戦争で、イワンを鎮圧する為に。

此のように、其の当時のユダヤ人にとって日本は、かつて新バビロニア王国を滅ぼしてユダヤ人を解放してくれたペルシャ帝国のような解放者に思えたのです。「日本がロシアを懲らしめてくれた。 日本人はユダヤ人の同志、又は、イスラエルの行方不明の10部族の一派ではないか」と思って喜ぶユダヤ人も居ました。 ワルシャワのヘブル語新聞『ハ・ツフィラー』は次のようなユダヤ人の言葉を掲載しました。
我々は日本びいきなのであろうか。 ユダヤの歴史の記録の中に日本という名前を見付け出す事は出来ないだろう。 <中略>  しかし、日本びいきである私は、日本人が新しい事実に敏速に対応している事に感心している、と白状せざるを得ない。 <中略>  私の夢は、いつか誰かが日本の土の中から、日本人が実はイスラエルの行方不明の10部族である証拠を掘り出してくれる事である。

● ユダヤ人を助けた日本人。
ユダヤ人と日本人とは互いに20世紀において珍しい関わり方をして来ました。 主としてロシア帝国領ウクライナで行なわれた大規模なユダヤ人虐殺(ポグロム)が切っ掛けになって、東ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナにユダヤ国家を建設しようとする運動を1880年代に始めました。 日本政府は、イギリス政府のバルフォア外務大臣(在任 1916年12月〜1919年10月)が第1次世界大戦下の1917年11月に出した「バルフォア宣言」(東ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナにユダヤ国家を建設しようとする運動をイギリス政府が支持するという表明)を支持しました。 また、田中義一内閣(1927年〜1929年)を初めとして、多くの日本人がユダヤ国家建設運動を応援しました。 1936年11月、日本とドイツとは日独防共協定を結び、其れ以降、日本はドイツと同盟国関係になりましたが、日本は反ユダヤ主義を採る事を拒否しました。 1940年9月、日本は日独伊三国軍事同盟を結びました。 しかし、外務大臣:松岡洋右はユダヤ人実業家に送った手紙の中で「私はまず、あなたに、日本では決して反ユダヤ主義を採用しない事を保証したい。 私は確かにヒットラーと条約を結んだが、彼に対して決して反ユダヤ主義を約束しなかった。 此の事は私見ではなく、大日本帝国の原則である」と述べました。 松岡外務大臣は満洲国のユダヤ人砂糖製造業者レヴ・ジクマンと会った際に「反ユダヤ主義に反対しているのは自分だけでなく、天皇陛下も反対している」と打ち明けています。 松岡外務大臣は「もしドイツが日本に対しユダヤ人を迫害するように要求してきた場合には、其の要求に屈服するよりは、枢軸同盟を破棄するであろう」と言いました。 日本は、ナチスから大迫害を受けた多数のユダヤ難民を救う為に門戸を開いた数少ない国の1つでした。 1940年の夏、北欧リトアニアの日本領事代理:杉原千畝は、ポーランドやリトアニアのユダヤ難民六千人に通行ビザを発行し、彼らユダヤ難民がシベリア鉄道でウラジオストクに行き、そこから船で日本の敦賀港に行く事を可能にしました。 彼らユダヤ難民は其の後、入国ビザの要らないカリブ海のオランダ植民地キュラサオへ向かうことが出来ました。 しかも、彼らは神戸で旅行者として必要なだけ滞在する事が許されていました。 彼らの行き先がない場合には、上海の日本統治地区に設けられたユダヤ難民居住区域に滞在する事も許されていました。 神戸のユダヤ難民は現地のユダヤ人会やホーリネス教会の人々から援助を受けました。 上海でも、犬塚惟重海軍大佐、安江仙弘陸軍大佐がユダヤ人の為に好意的に動きました。 此の動きがドイツ政府に知れた時、ドイツ大使は日本政府に抗議しました。 しかし、日本政府は此の抗議を黙殺しました。 こうして、ナチスから大迫害を受けた多数のユダヤ難民が日本の支援で生き延びることが出来たのです。

● 日本を民主的な平和愛好国家にする為に尽力したユダヤ人。
最後に、第2次世界大戦終結後の日本を民主的な平和愛好国家にする為に尽力したユダヤ人について見てみましょう。 第2次世界大戦で敗戦国になった日本は1952年4月28日まで連合国軍総司令部(GHQ)の占領統治下に置かれました。 連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は、日本を民主的な平和愛好国家にする事を決意しました。 そして、アメリカのトルーマン政権(民主党)は多数の武官・文官を連合国軍総司令部(GHQ)に送り込みました。 其れらの武官・文官の中にはユダヤ系マルクス主義者がたくさん含まれていました。 ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は其れらの武官・文官から成る日本改革チームを作りました。 日本改革チームの構成員になったユダヤ系マルクス主義者は敗戦国:日本の内政改革、具体的には、軍国主義者や国家主義者の公職からの追放、平和憲法の作成、農地改革、夫婦平等権の確立、労働権の確立、などで大きな働きをしました。

チャールズ・ケーディス陸軍大佐は連合国軍総司令部(GHQ)の日本改革政策で最も大きな働きをした人です。 彼はユダヤ人です。 ケーディス大佐はマッカーサー陸軍元帥の指示を受け、戦争放棄条項(憲法第9条)を起草するなど、日本を権威主義国家から民主主義国家に変える為の新憲法の草案作成で中心的な役割を果たしました。 ケーディス大佐は大恐慌中のニューディール政策に熱心に参加した人であり、其の為、日本の新憲法にはケーディス大佐のニューディール精神が反映され、最低限度の生活権(憲法第25条)と労働権(憲法第27条)という、アメリカ憲法では保障されていない権利が盛り込まれました。

ウォルフ・ラジンスキーは日本の農地改革(1947年)を立案しました。 彼もユダヤ人です。 彼は日本の農地改革に取り組む為に、熱心に日本の地方を巡って、小作人と地主の言い分を聞いて回りました。 ラデジンスキーによる農地改革は大成功を収め、地方の人々の不満や不安を解消しました。 もし彼の働きが無かったならば、日本では今なお前近代的な土地制度が続いているでしょう。

アルフレッド・オプラーは日本の裁判制度改革を立案しました。 彼もユダヤ人です。 日本で家庭裁判所や法務省人権擁護局が設立されたのは、彼の働きによるものです。

セオドア・コーエンは敗戦後の日本において労働者を抑圧から解放し、彼らが共産主義者にならないように尽力しました。 彼もユダヤ人です。 彼は日本占領終了後も日本に留まり、日本人女性と結婚しました。

ベアテ・シロタは男女の社会的平等に関する規定を新憲法に取り入れるように働き掛けました。 特に夫婦平等権(憲法第24条)は彼女の働きによるものです。 彼女もユダヤ人です。 政治学者スーザン・ファーは次のように述べています。「ベアテ・シロタのような非凡な女性が日本国憲法の草案作成に参加していなかったならば、新憲法において選挙権以外に明確に女性の権利を保障するものを入れることが出来たかどうか、疑問である」。

此れらの事柄を見ると、「連合国軍総司令部(GHQ)による日本改革政策はユダヤ人の陰謀である」という見方は的を射ていない事が分かります。 今日の日本があるのは此のような多くのユダヤ人のお陰である、と言っても言い過ぎではありません。

追記
ユダヤ人についての論述を載せたインターネットサイト http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/ も見て頂けると、ありがたい。

フリーの多倍長数値計算ソフト(2017年4月3日に更新)を紹介したインターネットサイト http://www1.s-cat.ne.jp/0123/tabaityousuutikeisan/ も見て頂けると、ありがたい。