とりかえしのつかないこと




 後から聞いた話だが、その日、天音さんは、遅刻してやってきたおねえちゃんを、一日中見ていたそうだ。
 しきりに考えこんでは首をふり、悩みに悩んでいたらしい。
 おねえちゃんのほうは、正体がばれるんじゃないかと、ビクビクものだったそうだ。
 だが、天音さんの受難はまだ続いた。
 帰り道、中学校の近くの路上でぼくは見た。例の三つあみ委員長さんが、数人の中学生の前で、紙をひらひらさせていたのだ。
「ついに手に入れたわよ。天音レイコの住所!」
「住所?」
「そう。あいつの家って、保護者会の連絡名簿にも載ってないのよ。すっごく怪しい。」
「それなら、どうやって調べたのさ。」
「職員室で、先生のファイルからちょっといただいてきたの。学校にはちゃんと住所がとどけてあるもの。」
 何人かの生徒から、やりすぎだという非難の声があがった。
「何よ。あんたたち、あいつがいいとこのお嬢様だと思ってるんでしょう。私があいつのウソをあばいてやるわ。今日か明日に地図で場所を調べておいて、日曜日にあんたたちを連れてくわよ。」
 委員長さん、おそるべき執念だ。なんでそんな得にもならないことをするんだろう。
「私、ウソやぎまんが、絶対に許せないの!」
 うーん。そんな人もいるのか。これは天音さん、大変なピンチだ。
 夜、家でおねえちゃんにその話をしてみた。
 おねえちゃんは両手を腰に当て、首を直角に曲げて、ず〜〜っとうなっていた。
 それから部屋を八の字にぐるぐると歩きはじめた。
 十回ぐらい回ったあとだろうか、おねえちゃんはドアのノブに手をかけた。
「あたし、知らせてくる。」
「誰に?」
「レイコによ!」
「落ち着いてよ、おねえちゃん。知らせたってどうなるもんじゃないと思うよ。」
「それはそうだけど……。」
「ウソって結局はばれるもんだよ。自業自得って言葉もあるし。」
 おねえちゃんは、今度は両手をこめかみに当てて、ぐりぐりと自分の頭を攻撃しはじめた。
「何やってんの?」
 おねえちゃんは、ぐりぐりをやめない。
 そして突然さけんだ。
「やっぱり、知らせなきゃ!」
 出て行こうとするおねえちゃんを、ぼくは引き止めた。
「もう、十一時近いよ、おねえちゃん。気持ちはわかったから、明日の朝に行くことにしようよ。」
 おねえちゃんは、今まで見たこともないような真剣な顔で、こっくりとうなずいた。
 よく日は土曜日だった。
 前回とちがい、今度は地下鉄で来たので、どうもアパートの正確な場所が思い出せない。
「確か駒沢の給水塔の近くだったよ。」
「こっちの道でよかったかなあ。」
 近所の人だろう、ゴミの集積所を掃除してるおばさんがいたので、おねえちゃんは聞いてみた。
「あのー、すいません。このへんに、ハギビスって外国の人が住んでるアパートを知りませんか?」
「なにっ、外人?」
「ええ。まあ……。」
 おばさんの態度が一変した。
「困った一家だよ、まったく。夜になると子どもはハモニカを吹くし、ごみの分別はてきとうだし、自治会費は払わないし……。」
 おねえちゃんとぼくは顔を見合わせた。
「なによりも気味がわるいのはね、ときどき外国人なかまがあつまって、あの家にたむろすることだよ。うるさいったらありゃしない。まわりの住人の迷惑なんて、なんにも考えてないんだあいつらは。それにね、どうやらあの人たち、不法滞在らしいよ。」
「不法滞在って……。」
「犯罪者ってことさ。」
「えっ、うそでしょ?」
「うそなもんかね。すぐそこがアパートの大家の家だから、行って聞いてみな。いつも、だまされただまされたって、いってるよ。」
「何をだまされたんですか?」
「何でも契約の時は日本人の奥さんがやってきて、それで安心して部屋を貸したんだって。外人が住むなんてちっとも知らなかったそうだよ。」
「その奥さんって人は今でもいるんですか?」
「逃げちまったんだよ。まったく最近の若い女は……。」
 新事実に、おねえちゃんとぼくは衝撃を受けた。
 おねえちゃんのかわりに、ぼくがたずねた。
「それで、アパートの場所は……。」
「そっちの路地を右に入ってすぐだよ。あんたたち、外人の仲間かい?」
「い、いえ、ちょっとした知り合いです。」
 ぼくは、おねえちゃんの背中を押して、路地に入った。
 アパートに着くと先客がいた。五十歳ぐらいで顔のでかい、太った女の人だ。ピンク色のどぎついめがねをかけている。
 女の人は金の鎖のついためがねを上げ下げして、ぼくたちを見下ろした。
「あんたたち、誰?」
「ハギビスさんちに用があるんですが。」
「それなら後にするんだね。私が今、大事な話をするとこだから。」
 女の人は乱暴にドアをたたきだした。
「こらーっ! ハギビス! いるんだろ、出てこーい!」
 このあいだのおねえちゃんにそっくりだ。
 ドアが開きハギビスさんが出てきた。
「大家さんどうも。家賃でしたら、きちんとはらってるはずですが……。」
 大家のおばさんは腰に手をあてて、近所に聞こえるくらい大声でさけんだ。
「寝ぼけたこといってんじゃないよ。いままで何度も出て行け出て行けといってるのに、しつこく居座りやがって、ずうずうしい。いつになったら出て行ってくれるんだい? 近所からも苦情が出てるんだよ。私は外国人なんかに部屋を貸したおぼえはないんだからね。さっさと出て行ってくれなきゃこまるよ!」
 大家さんは、いっきにまくしたてた。
 ハギビスさんはとてもこまった顔をしていたが、とにかく頭を下げた。
「すいません。もう少しだけ待っていただけませんでしょうか。以前いったように、私は失業中で職をさがしているところなんで、なかなか別のアパートが見つからないんです。それに娘たちもおりますし、子どものためにも、もうしばらくお願いできませんか。」
 おくのほうから、マリキットと天音レイコの顔が見えた。おねえちゃんと天音レイコの目が合った。おねえちゃんは信じられないという顔をし、天音さんはくちびるをかみしめていた。
 と、大家さんが下品な高笑いをはじめた。その声はボロアパートにひびきわたり、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「何が失業中だよ。あんたのビザなんかとっくに切れてるだろうに。あんたは不法滞在だ。犯罪者なんだよ。仕事なんか見つかるものか。それに娘だって? 上の娘はこまっしゃくれたウソつきに育ってホラばっかり吹く。下の娘なんか、出生届も出してないらしいじゃないか。日本人ですらないだろ。あんた、親らしいことなんか一つもしてないで、なにが娘だ。」
「それはいろいろと私が日本に不慣れなためだったので……。」
 ハギビスさんは答えようとしたが、大家さんがさえぎった。
「ようするに女房に逃げられたからだろう。日本語の読み書きもできないやつが、日本にいる資格なんかないんだよ。いや、日本から出て行くのはどうでもいいけど、私のアパートからは、出て行っとくれ。」
 大家のおばさんはどなりちらし、ハギビスさんはそれを一所懸命なだめた。
 このやりとりを、おねえちゃんがどう見ていたか考えるのは興味深い。お金持ちの太った大家に、貧しい外国人がひたすらあやまって頭を下げているのを見ると、どちらの言い分が正しいかどうかなんてどうでもよくなってしまう。これは好き嫌いの問題だ。
「ちょっと、おばさん! それひどいんじゃないの!」
 あんのじょうというか、おねえちゃんは突っかかりだした。
「きちんと家賃をはらってる人を、犯罪者だなんだとどろぼうみたいにいうなんて、あんたの顔のほうがよっぽど悪人にみえるよ!」
 おねえちゃんが大家のおばさんをにらみつけると、おばさんは一瞬、おどろいた顔をしたが、すぐに反撃した。
「なんなんだよ、このケバい子は。ハギビスあんたの親戚かね? え、ちがう? だったら口をださないでおくれ。なんだろうねえ、最近の娘は、知らない大人にそんな口をきけと学校で教えてるのかね。あんたどこの学校だ? 住所と名前をいいな。いえないだろう。どうせろくでもない、頭からっぽの不良娘だろうが。」
 これはある意味あたっている。
「まあ〜〜よく見ると憎たらしい顔してる子だねえ。だれにも好かれない顔だね。ボーイフレンドもいないんだろう。かかか。頭が悪い上に友だちに好かれないなんて、みじめな子だねえ。身なりもセンスも悪いねえ。ビンボーな親なんだな。絶対幸せになれないね。」
「なんだって、くそばばあ! あんたみたいにぶくぶく太ったブタみたいな女、見たことないよ!」
 おねえちゃんがそうさけぶと、天音レイコが大家のおばさんのうしろで、手をふって口に人差し指をあてているのがみえた。必死な顔をしてる。やめてくれといいたいのだ。
「なんだと、このドブス! ようもいったね。」
「ブスとはなによ! あんたなんか、ブタのからだにブルドッグの首をつけた新種の動物じゃない。首輪つけて歩いたら?」
「もう一度いってみなドブス娘! これ以上いったらひどい目にあわせてやる。」
「なんどでもいってやるよ。欲ブタ! ケチブタ! 馬鹿ブタ!」
「おのれ! もう許せん! これを見な!」
 大家のおばさんはふところからケータイを出した。
「それが何よ。」
「いまここで、入国管理局におまえらのことを通報すれば、ハギビスは監獄行きだよ。ひっひっひ。さあ、どうするね。」
 ハギビスさんが飛び出してきた。
「す、すいません。大家さん。それだけはかんべんしてください。」
「いーや、こんなぶじょくを受けたのは生まれてはじめてだ。絶対に許せないね。」
「そこをなんとか。」
「あんた土下座って知ってるかい? 日本じゃだれかにあやまるときはそうするのさ。」
 ハギビスさんはひざまずいて、両手をゆかにつけ、頭をさげた。
「まだ、頭が高いんだよ!」
 大家のおばさんは、靴でハギビスさんの頭をふみつけて、ゆかに顔を押しつけた。
 反射的な行動だったのだろう、おねえちゃんは大家のおばさんに体当たりをくらわせた。おばさんは、かべに激突してゆかにひっくりかえり、あおむけのままわめきたてた。
「今日中だ! 今日中に出て行け! さもないと、監獄にぶちこんでやる!」
 手足をばたばたさせながら、わめきつづけている。
「こんなとこに一秒だっていることはないよ。さっさと引っ越そう!」
 おねえちゃんがそうさけんでふりかえると、天音レイコが大きくため息をつき、やれやれという顔をして首をふった。
「あんたってば、なんにもわかってないのね。」



《《前へ章目次へ次へ 》》