おねえちゃん怒る




 その夜のうちに、おねえちゃんは親友の真紀さんに電話した。
「真紀ちゃん、聞いて聞いて、あたし、あったま来てんの!」
「あはは。そろそろ電話してくるころだと思ったよ、チャコ。天音レイコのことでしょ。」
「な、なんで知ってんの?」
「知ってるコは知ってるわよ。例の、『あなたは私と同じものをもっているわ』ってやつでしょ。」
「ええっ!」
「あたしもいわれたんだよ。けっこういろんなコがいわれてるみたい。」
 なんてこった。してみると、いままでの天音レイコの言葉はことごとくウソだったと考えるのがいいだろう。
「許せーん!」
 おねえちゃんは天井にむかって絶叫したのだった。
「ケンジっ! 行くよ!」
「ど、どこへ?」
「レイコのところに決まってる!」
「家、知ってるの?」
「こ・れ・が・あ・る・で・しょ!」
 おねえちゃんは、”カウストゥバ”をにぎりしめて、野獣のような顔をした。とても逆らえるふんいきじゃない。
 覚悟を決めて、ぼくはおねえちゃんにしがみついた。
「オーーーーン……、ハレー・クリシュナ・スタパティア・ハレー……、シッディ・マハー・シッディ!」
 カウストゥバが光り、おねえちゃんの目の色が変わり、へやの様子が、マーブル模様にぐにゃりと曲がった。空間が流れる感覚がして、次の瞬間、ぼくたちは近所のビルの屋上に立っていた。
 また空間が流れ、次の瞬間には、はるかに高いビルの上に出た。眼下に広がる世田谷の夜景がすばらしい。
 またまた空間が流れ、こんどはよくわからない場所に出た。西洋の円形の城みたいなところだ。暗くて風がつめたい。
 最後に着いたのは、その城みたいなものの近くの地面の上だった。
「あれは駒沢の給水塔じゃないか。」
 こんな近くで見たのは初めてだった。何十メートルあるだろう、街の灯を背景に、黒ぐろとしたシルエットで、ふたごの塔が立っている。塔のてっぺんは王冠のような独特の形をしていて、それが西洋の城みたいだ。塔と塔は鉄橋のようなものでつながっていて、ふたつは一体だということがわかる。
 見あげていると、こちらへのしかかりそうな存在感があった。
「このへんにレイコがいるはずよ。」
 暗くてよくわからないが、高級住宅地らしい。
 と、闇の向こうからハーモニカの音が聞こえてきた。それはものさびしい聞き覚えのあるメロディで、懐かしいような心細いような、不思議な音色だった。
 おねえちゃんとぼくは、ハーモニカの音にさそわれて、夜の路地を歩いた。すると一軒のアパートがあった。
 まわりの住宅地にまったく似つかわしくない、みすぼらしい建物だった。かべも屋根もトタンでおおってある、みるからに古いアパートだ。
 鉄の階段の下に腰かけて、ひとりの女の子がハーモニカを吹いている。
「マリキットだよあれ。」
 おねえちゃんが駆けよった。
「おねえちゃん、乱暴はいけない。」
「うっさいわね! マリキット、あんたのお家はどこ?」
 マリキットは、黙って一階の右から二番目の部屋を指さした。
「おのれ、レイコーっ!」
 おねえちゃんは、その部屋に突進した。もう誰も止められない。
「たのもー、たのもー、」
 おねえちゃんは乱暴にアパートのドアをたたいた。
「こらーっ! レイコ! いるんだろ、出てこーい!」
 ガチャリとカギをあける音がしてドアが開いた。そこには背の高い男が立っていた。目もと口もと、どうみても日本人ではない。アジア系の外国人だ。
 おねえちゃんは意外ななりゆきにポカンと口をあけた。何者なんだろう、この人。しばらくお見合いしてから、おねえちゃんが聞いた。
「あのー、あなたはだれデスカ?」
 なぜか語尾のほうが外国語口調になる。
「私はレイコの父でハギビスといいます。」
 その人はなめらかな日本語で答えた。
「ええっ! レイコって本当にハーフだったの?」
 おねえちゃんはおどろいた。ぼくもおどろいた。全部が全部ウソではなかったのだ。
「レイコ。お友だちだよ。」
 ハギビス氏が中に声をかけると、天音レイコが出てきた。トレーナーにジーンズというラフなかっこうだ。彼女はクールに髪をかきあげて一言いった。
「ここじゃなんだから。」
 さっそうと歩いていく。ついてこいということらしい。
「レイコ。マリキットも連れて行ってくれ。」
 ハギビス氏が声をかけると、天音レイコの足どりが乱れた。
「なんでよ。お父さん。」
「私はこれから出かけなきゃならん。」
 天音さんはちょっとなさけない顔をした。こんな顔もするのだ。
 うしろから、あのかわいくない少女が、ちょこちょことついて行った。
 天音さんとぼくらは近くのファミレスに入った。
「ドリンクバー、四つ。」
 彼女が指を四本立てるのを見とどけてから、おねえちゃんが切り出した。
「さて、どういうことか説明してもらおうじゃないの。」
 両手をテーブルにおいてうなっている。じりじりと怒りを放出しているようだ。
 天音レイコは神妙な顔をして話しはじめた。
「あなたには悪いと思っているわ。いろいろと気を引こうとしたのはすべて、あなたに友だちになってほしかったからなのよ。私のまわりには、だれかしらいつもいるけれど、本当に真実について語り合える人がいなかったのよ。」
「真実……ね。」
 おねえちゃんは歯をむき出したが、天音さんはかまわず話しつづけた。
「そう、真実よ。なにが正しくてなにがまちがっているか、真剣に考えている人が、この世の中でどれだけいると思う? あなたとならそれを語り合えるわ。私たち、『腹心の友』になれると思うの。」
「それって、ジャイアンみたいな、心の友よーっていう……。」
「おねえちゃん、ちがう。『腹心の友』は赤毛のアンだよ。」
 すかさず天音さんは、おねえちゃんを指さした。
「あなたは普通の人じゃないわ。」
 おねえちゃんの動きが止まった。ぼくはハラハラした。なぜかって、おねえちゃんが、
「そうなのよ、わっかるー?」
なんて、はしゃぎだすのではないかと思ったのだ。じっさい、まんざらでもない顔をしている。
「あなたには、何か真実を感じるような力があるわ。あなたは特別な人なのよ。」
 おねえちゃんの顔がゆるんできたので、ぼくはだんだん不安になってきた。
「サナトリウムの男の子の話なんてしたけど、本当はあなたと”神”の存在について話をしたかったの。」
「どうして? どうして、あたしなの?」
 天音レイコはすぐには答えない。自分の心を開くのに勇気がいるように、天音レイコはことばをしぼりだした。
「……だって、あなたは神秘的な人だもの。」
 天音レイコはちょっとさびしそうにほほえんだ。おねえちゃんは完全に顔がゆるんでいる。
「えーっ? そう? そう思う?」
 おねえちゃんは、でれでれにたにたと答えた。
「本当よ。あなたのその神秘性はどこから来るのかしら?」
「それはねえ……。」
 そこでぼくは、おねえちゃんの足をふんづけた。
「あっ、いやっそのっ、神さまっているよね。絶対。」
「あなたもそう思う? それがわかる人って少ないの。」
 ここで天音さんとおねえちゃんは、神さまについてなんだかんだと話をしたのだが、となりでぼくは、気が気じゃなかった。
 かわいくない女の子――マリキットが、ドリンクバーでオレンジジュースのボタンを押していたが、どうやら中身が切れているらしい。ぼくは店員さんにいって、補充してもらった。この子も不思議な子だ。ジュースが出てくる前も出てきたあとも表情がまったく変わらない。口をへの字に結んでふくらませ、ずっとふきげんな顔をしている。
 ふたりで席にもどったら、天音さんがお礼をいった。
「ありがとうケンジ君。マリキットにやさしくしてくれて。」
 この時の天音さんは、いままでよりほんの少しやさしげだった。
「この子も大変なのよ。ひとりにしておくと、誘拐される危険があるの。」
「えっ、ユーカイ?」
 おねえちゃんが身を乗りだした。
「私たち、あんな暮らしをしてるのには、わけがあるの。私の母の実家が大きな家だってことはいったでしょう? 母は名門で大金持ちの家の娘なので、外国人の父と結婚はできなかったのよ。」
「どういうこと?」
「かけおちしたの。」
「かけおち!」
「そうなのよ。逃げるとき、それなりにお金になりそうなものは持って逃げたんだけど、だんだんとお金がなくなったの。なにしろ、逃げてるとちゅうで私が生まれ、マリキットが生まれたのだから、かかった費用も大きかったと思うわ。でも、母は結局……。」
 天音さんは目をふせた。どうなったんだろう。
 だが、その話は天音さんはしなかった。
「私たちはそのうち、父の国のバランガイ・ルンバンという土地に逃げることにしているの。それまではなんとかこの子を守らなくてはならないわ。父はああ見えて貴族の血を引いてるんだって。」
「えっ、ハギビスさんが?」
「そうなの。だから、父の実家ならやつらも手は出せないはずよ。」
「う〜〜〜〜む……。」
 おねえちゃんは目を閉じて考えこんでいる。
 ぼくは、これまでだと直感し、おねえちゃんの腕をつかんでさけんだ。
「おねえちゃん、帰るよ!」
「へ、な、なによケンジ!」
「いいから、帰ろう! 門限だよ!」
 ふたり分の代金を置いて、ぼくはおねえちゃんを引っぱって外に出た。
 帰りは地下鉄に乗った。電車に乗ってるうちに、おねえちゃんも、だんだんまともに頭が働くようになったらしい。
「ねえ、ケンジ。あたし、また、だまされかけてた?」
「その通り!」



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