美少女・天音レイコ




 世田谷のありふれた緑道のひとつで、おねえちゃんと謎の美少女、ぼくとススだらけの女の子がむきあっている。
 謎の美少女が先に口をひらいた。
「ありがとう。」
「え?」
「あなたたちがこの子を助けてくれたんでしょ。」
 おねえちゃんは、あんぐりと口をあけて、何もいえない。ぼくもおどろいてしまった。なぜだ。なぜわかるんだろう。
「この子、妹なの。ハーモニカを修理してもらった帰りで、迷子になっていたのよ。」
 小さな女の子は、さっきのハーモニカをしっかりとかかえていた。
「とても大事なハーモニカなの。生まれたときからこの子といっしょで……。」
 おねえちゃんが馬鹿みたいに突っ立っていたためだろうか。美少女は妹をつれて、ぼくらのほうに歩き出した。
 それは風の靴をはいているような軽やかな歩き方だった。
 長い黒髪がふわりとゆれて、おねえちゃんのそばを通るとき、
「あなたは私と同じものを持っているわ。」
 その人はたしかにそういったのだ。
 ぼうぜんとしたおねえちゃんを置き去りにして、彼女は歩き去った。あとから小さな女の子が、とことことついていった。


 十分後、おねえちゃんとぼくは、パパと待ち合わせていたカレーショップにいた。本格インドカレーで、ちょっと話題の店だ。
「うわっ、チャコっ! ケンジ! そのかっこうはどうした。」
 最近、ちょっと太めになってきたパパが、おおげさなリアクションをした。
 かっこうといわれて、ぼくとおねえちゃんは、おたがいの姿を確認した。
「ケンジ、あんた、ススだらけで真っ黒だよ。」
「おねえちゃんこそ……、あっそうか。」
 謎がひとつ解けた。
 化粧室の洗面台の前、ペーパータオルで、あちこちからだをふきながら、おねえちゃんは、うなっていた。
「あいつ、となりのクラスの天音レイコ《あまねれいこ》だよ。」
「知ってるの?」
「目立つもの。なんかね、いつも取り巻きに囲まれて、家が大金持ちだってウワサなのよ。」
「ふーん。」
「何が、ふーんよ。これは重大なことだよ。」
「重大って……。」
「あいつ、あたしと同じものを持ってるっていったのよ。もしも、もしもよ。あいつがこれを持っていたとしたら……。」
 おねえちゃんは、胸のみどり色の”カウストゥバ”をにぎりしめた。
「自分のために使い放題だってことじゃない!」
「いや、それは……。」
「あたしなんて石頭の弟に、やれ、世のため人のためなんて、苦労させられてるのに、こんなの不公平だ!」
 ぼくはそんなに石頭なんだろうか。
 大きな力をさずかったものは、その力を世の中のために使う義務があると思うのだけど。
 ここでパパが呼びにきた。
 テーブルについてからも、おねえちゃんはずっとふきげんだった。
「注文はどうする。」
「ぼく、キーマカレーがいい。」
「タンドール・チキンをたのむか。」
「ディナーセットの方が安く上がるよ。」
 パパとやりとりしてるあいだも、おねえちゃんは、うーとか、あーとか、うなりながら、
「シッポをつかんでやる。」
なんてぶっそうなセリフをつぶやいていた。
 食事が運ばれてきて、おねえちゃんのきげんがはじめてよくなった。
「おいしい!」
 この店は地元ではけっこう知られている。店内にはお香のにおいがただよい、観葉植物にまざってヒゲの生えた神様の像とか、へびか竜みたいな怪物の像とかが並んでいる。
 もっと面白いのは、かべにかざってあるたくさんの絵だ。どぎつい色使いで、いかにも異国風だ。
 たとえば鼻の長い象の頭をしていて、手が四本あるふとった人の絵がある。これはガネーシャという神さまなのだそうだ。パパのウンチクによると、商売や学問の神さまで、もともとは障害をとりのぞき幸運をもたらす御利益があるそうだ。
 他にも、美しい女の人がツノのある男をふみつけている戦いの神、ドゥルガー、かんむりをかぶった猿が空を飛んでいるハヌマーン、山の上の空とぶ台車に乗ったスカンダ(韋駄天《いだてん》)などの神さまの絵が、なんだか不思議なふんいきをかもしだしている。
 これらの絵を見ながら、ぼくはインドでのことを思い出していた。
 ことの始まりはパパの海外出張に、おねえちゃんとぼくがインドについていったことからだった。そこであるお坊さんに出会い、ぼくは不思議なペンダントをもらったのだ。六角形の台座に大きな緑色の宝石がついている立派なものだ。お坊さんは”カウストゥバ”と呼んでいた。
 念のためいっておくが、お坊さんはぼくにさずけたのであり、おねえちゃんはそれを横どりしたのである。
 とにかくそれからおねえちゃんは不思議な『ちから』を使えるようになった。けれどもそれにはぼくの同意が必要だ。ぼくがその気にならなければ、おねえちゃんは決して『ちから』を使うことはできないのだ。
(※作者注・このあたりの事情は、『おねえちゃんはミラクルガール』をお読みください)
「わあ、しまった!」
 ぼくはパパの声でわれにかえった。
「小銭入れしかない。サイフを忘れてきた!」
 なんてこった。おねえちゃんはとっくにチキンにかぶりついている。
「どうしようチャコ。いくら持ってる?」
「ふぁたし、ふぉ金なんか、ふぇんぜん、ないふぉ。」
「こまったなあ。」
 そこへ外国人らしき若い店員が、大きな箱をかかえてテーブルを回っているのがみえた。サービスのスピードくじだ。
「ケンジ。」
 おねえちゃんが、にたっと笑ってぼくをにらみつけた。はいはい。こうなってはしかたがない。石頭といわれるのもしゃくなので、ぼくは精神を統一した。
「オーーーーーーーーーーン……。」
 パパがきょろきょろしている。どこから声が聞こえるんだろうと思っているのだ。
「スリン・フリン・クリン・ラクシュミー(吉祥天《きっしょうてん》)・スワーハー!」
 吉祥天は幸運の神だ。おねえちゃんの胸のペンダント”カウストゥバ”が光り、目の色がみどり色に変わった。立ちあがって、つかつかと店員に近より、順番でもないのにスピードくじの箱をひったくった。
「お、お客さん。」
 おねえちゃんは店員を無視して、とりつかれたようにくじの箱に片手をつっこんでかきまわしはじめた。三十秒後、おねえちゃんは一枚の三角くじを引っぱりだして、たかだかとかかげた。
「確かめて。」
 くじをわたされた店員は開いてみておどろいた。
『大当たり、お食事代無料、景品を進呈します』と書かれてあったからだ。
「いやったーっ!」
 おねえちゃんはガッツポーズをとり、腰に手をあててテーブルのあいだでおどりだした。ぼくとパパは恥ずかしくて、ただただうつむいていた。



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