ぼくらの大東亜





 ぼくは、おねえちゃんにささやいた。
「なんか、雲行きがあやしいよ。やっぱり逃げたほうがいいんじゃあ……。」
「あんた、忘れたの? 世田谷公園で何かが爆発する、スペクタクル映像を見たのを。」
「あ……。」
 すっかり忘れていた。
「あの、じーさんは、何かとんでもないことを、たくらんでいるのかもしれないよ。あの大砲はなんなのか、何をするつもりなのか。もしも大勢の人が危険に巻きこまれるようなことだったら、あたしたちは絶対にそれを阻止しなきゃならない。」
 おねえちゃんは力説した。まったくの正論だ。おねえちゃんごときに、こんなまともなことを言われたのは、生まれてはじめてかもしれない。
「だから、あたしたちは、明日もあさっても、この洋館に来なくてはならないの。あんた、毎日プールのそうじをするのよ。」
 すごくきびしい顔をして、おねえちゃんは水着の入った手さげを、ぽんぽんとたたいた。ひょっとして、おねえちゃんはプールに来たいだけなのでは……。
 ぼくが疑念を口にする前に、少尉どのが何かをかかえてもどってきた。みんなはまた緊張した。
 老人はテーブルの上に大きな紙を広げた。それは一枚の地図だった。
「これが大東亜である。」
 描かれているのはアジアだった。北のほうに日本と朝鮮半島と中国がある。南はオーストラリア、西はインドの一部まで入っている。
「よいか、これらのほとんどの国は、欧米列強の植民地なのだ。それを日本国が平定して、平和を取り戻してやるというのが、八紘一宇の精神である。」
 少尉どのは、わかったか、という顔をして、みんなを見まわした。
「でも、それって昔の話だと思うけど……。今はみんな独立国になってるんでしょ。学校でならったよ。」
 ちょっとふてくされた顔をして、トシキがいった。
「はたしてそうかな?」
 老人はギロリと彼をにらんだ。
「これらの国は、ほとんどある国の支配下にあると思わんか?」
「米国……。」
 倉持君が黒ぶちのメガネをあげた。
「その通りじゃ。これらの国は、米国の支配下にあるか、共産主義なんぞという妄想にとりつかれた危険な国か、どっちかなのじゃ。じゃからこそ、八紘一宇の精神は重要なのだ。ふたたび日本が世界に覇をとなえる時、おそれおおくも……」
 全員が、ビッと背すじをのばした。
「天皇陛下の御ために、われら臣民は命をかけて働かねばならぬ。そのため、おまえたちは、よく勉強し、からだをきたえ、八紘一宇の精神を身につけねばならない。そのための夏季鍛錬期間なのである。」
「夏季鍛錬期間? 夏休みじゃないの?」
 おねえちゃんが、まぬけなことをいった。この老人の頭の中はちがう。
「たわけ! 休みなぞで立派な少国民になれるか!」
 少尉どのの怒号で、みんな首をちぢめた。
「では、おまえ。月波といったな。」
「チャコでいいよ。」
「赤えんぴつで日本の領土を塗ってみろ。」
「なによそれー、馬鹿にしないでよ。」
 おねえちゃんは、地図にある日本列島をチャッチャと赤く塗っていった。
「チャコさん。北方領土を忘れてる。」
 ロシアから文句でも来そうなことを、トシキがいった。
 日本列島を赤く塗りあげたあと、おねえちゃんは、どうだという顔をした。
「ふん。」
 老人は、おねえちゃんから赤えんぴつをとりあげ、朝鮮半島を真っ赤に塗りつぶした。さらにカラフトの半分と千島列島、台湾まで塗りつぶし、最後に中国の東北地方に赤い斜線を引いた。
 おお〜〜と、声を上げたのは倉持君だ。
「そうか。これが戦前の日本か。ここが満州国だ。」
 さすがに詳しい。
「明治維新の後、日清・日露の戦争に勝った日本は、朝鮮半島を自国のものとしたんだ。台湾だって日本の領土だったんだぜ。
 さらに大陸に進出した日本は満州国を建国した。没落していた清朝のラストエンペラーを皇帝にし、日本の兄弟国としてでっかい国を作ったんだ。」
 倉持君はコーフンしている。このあたりの歴史が好きなんだろう。少尉どのは大きくうなずいた。
「これからわが国が、いかに八紘一宇の精神を世界に広めてきたかを説明する。よいか。これからいう場所に、これをはりつけるのだ。」
 少尉どのが、シールのように小さな紙を持ち出した。日の丸とか、爆弾とか、沈没する軍艦の絵などが描いてある。
「昭和十二年七月七日。盧溝橋。」
「へっ? ロコウキョウ?」
 おねえちゃんが、すっとんきょうな声を出した。
「北京の西南だ。」
 少尉がいうと、倉持君がその場所に日の丸をはった。
「そうか。ここが日中戦争のはじまりか。」
「わかったか。ここから皇軍は、支那との全面戦争に入ったのだ。」
「シナ?」
 ユカちゃんが小首をかしげた。
「中国のこと。チャイナの語源になったことばだよ。」
 ぼくが説明すると、ユカちゃんが両手をたたいた。
「うちの近くにシナそばの店があるわ。おいしいの。」
「それって、中華そばと同じってことか。そういえば、メンマのことをシナチクっていうよな。」
 トシキの指摘に、おーという声が起こった。
「うーん。シナそばと中華そばとラーメンは同じものだったのかあ。」
 なっとくしたように、彼は腕を組んだ。
「おれはまた、なるとが入ってるのが中華そばだと思ってたけどな。」
 倉持君がいったので、みんなで笑った。
「えへん、えへん!」
 少尉どのがわざとらしくセキをした。ぼくらはあわてて緊張した。
「戦線はたちまち拡大した。七月二十八日、皇軍は北京、天津に総攻撃をかける。ほれ、はれ。」
 銃剣が交わった“戦闘中”のシールを、中国北部にぼくははった。
「八月九日、上海で、海軍中尉がひきょうなシナ人に射殺され、戦闘になる。その日のうちに、日本軍航空隊は、漢口、蘇州、南京を爆撃する。」
「やけに手まわしがいいな。」
 倉持君は、揚子江ぞいに爆弾マークのシールをはった。
「昭和十二年十月、安慶上空で空中戦。」
 揚子江沿いに戦闘中シール。
「昭和十二年十一月五日、皇軍は苦戦の末、上海戦線突破。」
 上海付近に、戦闘中シールがはられた。
「昭和十二年十二月二日、南京上空で六機対三十四機の大空中戦。勝ったのだぞ。」
 南京に戦闘シール。
「昭和十二年十二月十日南京攻略。同十三日ついに南京占領。」
 倉持君が南京に日の丸のシールをはった。
「敵の本拠地を占領したのだ。ほれ、バンザイ三唱せんか。」
「え?」
「バンザーイ!」
「バンザーイ!」
 ぼくらはバンザイ三唱させられた。
「ところが敵はひきょうにも、漢口に逃げたあとだった。」
 揚子江の上流の方をぼくは見た。
「そんなひきょう者と話し合う余地などない。昭和十三年一月、日本政府はシナの政府は相手にしないと声明を出した。」
 ぼくらは顔を見あわせた。
「昭和十三年四月から徐州作戦がはじまった。北と南から敵をはさみうちだ。」
「あ、知ってる。三国志の徐州だろ。」
 トシキが徐州をさがした。揚子江と黄河のあいだぐらいにある。
「五月二十日徐州占領。」
 倉持君が徐州に日の丸をはった。
「ところが敵はまたしても漢口に逃げた。なんというひきょう者。」
 老人は、心底がっかりしたような顔をした。
「昭和十三年十月二十七日、皇軍は広東、武昌、そしてついに漢口を占領した。」
 広東は香港のそばだ。思いっきり南に日の丸がはられた。それから漢口とそのとなりの武昌に、ぼくが日の丸をはった。
「ついに敵の本拠地を占領したのだ。ほれ、バンザイ三唱。」
「バンザーイ!」「バンザーイ!」「バンザーイ!」
「ところが敵は、ひきょうにも重慶に逃げたのじゃ。なんというずるいやつらだ。」
 老人より、ぼくらのほうががっかりした。まだ終わらないのか。
「昭和十三年七月十八日、南昌空中戦大勝利。」
 南昌は揚子江より、ちょっと南にある。
「しかしここで撃墜王南郷少佐が亡くなったのだ。」
 戦闘中シールがはられたが、なんか雲行きが怪しくなってきた。
「昭和十三年十二月、重慶爆撃。」
 ええっと、という顔で倉持君が地図を見た。ぼくも重慶をさがしたが、おねえちゃんが最初に見つけた。
「すっごい奥地。」
 揚子江のはるか上流だ。そこに爆弾シールがはられた。
「以後、陸軍は目立った戦果をあげられなくなってしまった。ひきょうにもシナ軍はゲリラ戦を展開したからだ。山賊のように鉄道を襲い、それを皇軍がもぐらたたきのようにやっつけるようになったのだ。」
「ふうん。」
 おねえちゃんがうなずいた。
「昭和十四年五月三日、重慶大空爆。」
 重慶に爆弾シールがはられた。
「昭和十五年夏、一〇一号作戦実施。重慶爆撃。」
 重慶に爆弾シールがはられた。
「昭和十五年九月、仏印北部無血上陸。」
「フツインって?」
 ユカちゃんが聞いた。
「ベトナムとかのこと。」
 日の丸シールをはりながら、倉持君が答えた。はるか南、ついに中国を飛びだした。
「昭和十六年六月五日、重慶爆撃。」
 重慶に爆弾シールがはられた。
「同年六月二十四日から二十九日、重慶連続爆撃。」
 重慶に爆弾シールがはられた。
「昭和十六年七月、仏印南部進出。」
 ぼくはベトナムの南部に日の丸をはった。
「昭和十六年八月二十日、百八機重慶大空爆。」
「重慶はもういいよ。」
 倉持君が爆弾シールをはった。重慶は爆弾シールだらけになってしまった。
「何をいう。本当は二百回爆撃したのだぞ。」
 少尉どのがにらむと、倉持君はうんざりした顔をした。
「みなもいいかげん疲れてきたかもしれんな。」
 全員、うんうんとうなずいた。
「次で最後にしよう。昭和十六年十二月八日、対米英戦開始。真珠湾攻撃、戦艦五隻撃沈三隻大破。」
 おおっという声があがり、倉持君がはるか東、ハワイに爆弾マークと撃沈マークをはった。
「大戦果じゃ、ほれ。」
「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」
 ぼくらは心からバンザイ三唱した。
「今日はこれくらいにしよう。続きはまた明日。」
「はあい。」
 やっと終わった。






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