戦争ごっこ





 おねえちゃんとぼくは洋館にもどった。一度、家に帰ってアリバイを作り――というより、お母さんに、こっぴどく怒られて――、寝たふりをしてから、池尻の洋館にもどったのだ。
 ぼくが置き手紙を書いてきたから、お母さんたちは朝早く、ぼくらふたりが出かけたと思うだろう。
 その朝になった。
 突然、起床ラッパが鳴りはじめた。
「起きろー、起きろー、みな起きろー、起きないと隊長さんにしかられるー……」
 ぼくの頭に歌詞がよみがえった。よみがえったって、どこで覚えたんだ、ぼくは。とにかく、ぼくはベッドから転げ落ちて、階段を一階のホールへと駆け下りた。
 そこでは『少尉どの』が腕を組んで、無言で立っていた。
 少尉は、今にも爆発しそうなこわい顔をして、はりつめた空気をただよわせている。
 パジャマでたちつくす、ぼくの後ろから、おねえちゃんと一条ユカが、ぺちゃくちゃとおしゃべりしながら下りてきた。
「朝っぱらからうるさいわねえ。」
「おねえさま。私、こんな時間に起きたことありませんわ。」
 おねえちゃんはだいたんに、一条ユカはかわいらしく、あくびをしている。
 『少尉どの』のこめかみが、ピクピクと動いている。我慢が限界に達しようとしているのだろうか。
 だが、少尉は押し殺した声で、ぼくにこう聞いた。
「残りのふたりはどうした。」
 老人とは思えない、突き刺すような目でぼくをにらんでいる。
「ええと、その、夜のうちに帰っちゃいました。」
 少尉どのは、ムキーッという、音にならない声を上げて爆発した。
「脱走か! やはりきのうの夜、点呼をとるべきだった! おのれ、あのふたり銃殺だ!」
 老人の大音声がホールにこだまする。
「これからどうしましょう。おねえさま。」
「だいじょうぶよ、ユカちゃん。お泊まりセットをふたつ持ってきてあるから。」
「わあ、ありがとう。少尉さん、この家にオーブンはありますか?」
 いきなりふられた少尉の怒りは、肩すかしをくった。
「ああと……、オーブントースターならあるが……。」
「それじゃ、フレンチトーストを焼きますね。」
「すっごーい、ユカちゃん!」
 確かにすごい。おねえちゃんは料理なんか全然できない。それはともかく、少尉どのとぼくは、ぽつんと取り残されてしまった。
 がっくりと肩を落とす少尉どのは、イスにくずれ落ちた。
 料理ができあがり、女の子ふたりとの朝食の席ははなやかだった。
「ねえ、おねえさま。今年はもう、海へ行きました?」
「それがまだなのよ。水着は買ったんだけどね。こーんなの。」
「わあ、ビキニですかあ、似合いそう。」
 たしかに、おねえちゃんは、ひらひらのついたビキニを買った。
「でも、このへんじゃ着られないよね。」
「そうですね。わたしも、ワンピースを買ったのですけれど、屋内プールでは、ちょっと……。」
 ぼくにはわからなかった。
「どうして屋内プールじゃだめなのさ。――ええと、一条さん?」
 一条ユカの顔が、パアアッと明るくなって、こっちをむいた。
「ユカって、よんで!」
 美少女は、両手をあわせて、アップになった。
「は、はい、ユカ……ちゃん。」
 ぼくは勢いにのみこまれてしまった。
 おねえちゃんが、にやにやしながら、説明してくれた。
「屋内プールだと、スポーツタイプの水着じゃないと、なんだか恥ずかしいの。リゾート気分じゃないなあってね。」
「だからといって、スクール水着はいやですものねえ。」
「そ、そうね……。」
 おねえちゃんの笑顔がひきつった。去年、水着が買えなくて、スクール水着で通したのだ。あれは屈辱の記憶らしい。
「プールなら、この家にもあるぞ。」
 エスプレッソコーヒーを飲んでいた少尉どのが、ぽつりとつぶやいた。
 おねえちゃんの目がかがやいた。
「ホント? おじいちゃん!」
「少尉どのとよべ。庭にそこそこ大きなのがある。古いが掃除すれば使えんこともあるまい。」
「ステキ! 少尉さん。すばらしいですわ!」
 女の子ふたりにはさまれて、少尉どのは悪い気はしないみたいだった。
「うむうむ。朝食がすんだら、掃除してみよう。」
「ばんざーい。」
 おねえちゃんが両手をあげた。このあと、このことばを何度もさけばされることになるとは、ぼくらはまったく気がついていなかった。
 朝食の食器は、ぼくがかたづけた。そのあいだに、おねえちゃんたちは、庭のプールを見てきた。
 もどってくるなり、おねえちゃんは、コーフンした声でぼくにしゃべった。
「すごいよ。ケンジ! 十メートル以上あるプールなの! ビバリーヒルズみたい。扇形をしていて、ちょっと汚れているけど、そうじをすると大丈夫だって、少尉がいってた。がんばるのよ!」
「はっ? 何をがんばるのさ。」
「あんたがそうじするのよ!」
 おねえちゃんは、両手のこぶしに力をいれた。いつの間にか、そんなことになってるらしい。
 十分後、ぼくは少尉どのとプールの床をみがいていた。ブラシでゴシゴシとこすって、よごれを落とすのだ。
 あっという間に汗だくだ。へっぴり腰のぼくに、少尉のおしかりが飛ぶ。
「なんじゃ、その腰つきは! 日本人ならへそに力をいれんか!」
「はあ。」
「わしの言うとおり、復唱しながら、からだを動かすのだ。」
「はい。」
「ぼくらの!」
「ぼくらの!」
「お国は!」
「お国は!」
「金おう」
「金おう」
「無欠の」
「無欠の」
「世界に」
「世界に」
「たぐいなき」
「たぐいなき」
「輝く」
「輝く」
「国がら」
「国がら」
 なんのかけ声か知らないが、ぜーぜーわめきながら、ぼくはブラシを動かした。
 それをふたりの男子が、まん丸の目をして見つめていた。倉持ユタカと宮村トシキだった。
「うぬう、キサマら!」
 少尉どのが、脱走兵ふたりを見て血相を変えた。なんだって、あのふたりは戻ってきたんだ。大変なことになるかもしれない。
 老人が怒りに燃えているのを察知したのか、倉持ユタカは直立不動でサッと敬礼した。
「豪徳寺小五年、倉持ユタカ! ただいま帰還いたしました!」
「うっ。」
 少尉の気がそがれた。とっさにトシキもまねをする。
「羽根木小五年、宮村トシキ! ただいま帰還いたしました!」
 ふたりともしゃっちこばって、必死でくそまじめな顔をしている。ここで老人を怒らせたら、何をされるかわからない。
 少尉の顔がふっと、ゆるんだ。
「ま、まあよいわ、ブラシを持って、プール清掃をせよ!」
「はいっ!」
 ふたりはプールへ降りてきて、ブラシを持った。
 掃除の続きがはじまった。少尉どのは、ぼくらにさっきのかけ声をさけばせて、自分は合いの手を入れた。
「ぼくらの」
「いやさかホイ!」
「お国は」
「いやさかホイ!」
「金おう」
「いやさかホイ!」
「無欠の」
「いやさかホイ!」
 トシキもユタカも笑いを必死でこらえている。もし笑ったら、ぶんなぐられるだろう。
 それにしてもタフな老人だ。ほおとあごに白ひげをたくわえているから、ぼくらより暑いはずなのに、背すじをしゃんと伸ばして、ブラシを動かしている。
「まもれよ」
「いやさかホイ!」
「のばせよ」
「いやさかホイ!」
「一億」
「いやさかホイ!」
「一心」
「いやさかホイ!」
 みんなふらふらになってきたころ、プールみがきは終了した。
「キサマら全員あがれ。これから水をいれる。」
 老人の声で、三人ともへたりこんだ。みんな息があらい。
「なんでもどってきたんだよ。」
 ぼくが小声できくと、ふたりとも、わけがわからないといった顔で首をふった。
「おれ、ウチに帰った記憶がないんだ。気がついたら自分ちで寝てた。だから気になってなあ。」
 倉持ユタカのメガネは汗まみれだ。
「おれもだ。わけわかんないよ。一条ユカはどこ?」
 ハンサムな顔を汗だくにして、宮村トシキはいった。
「彼女なら、ぼくのおねえちゃんと一緒に、水着を買いに行ったよ。」
「水着!」
 ふたりは声をあわせた。男の子なら当然だ。
 しばし無言で、みんな何かを考え続けていた。静寂が破られたのは、老人のどなり声だった。
「何をしとる! 水を流すから、さっさとあがらんか!」
 ぼくらはびっくりして飛びあがり、プールサイドに上がった。
「『海ゆかば』斉唱!」
 少尉どのがさけんだので、ぼくらはぎょっとした。
 プールサイドに直立させられ、みんなで歌詞を覚えさせられた。軍事オタクの倉持ユタカは、この歌を知っていたらしく、彼にあわせて、ぼくは声をはりあげた。
「おーおーおきーみーのー、へーにーこそー死なーめー……」
 プールにどうどうと水が流れこんでいく。
 最後にバンザイを三唱させられた。






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