ユタカとトシキ





 ぼくは眠っている。
 ほおに当たる木の感触が冷たくて気持ちいい。
 どのくらいたったのか、なにやら耳を引っぱられる感じがする。
 引っぱられる感覚は、だんだん強くなってくる。もっと強く、さらに強く。
「いだだだだだだっ!」
「目が覚めたかケンジ!」
 頭の上に、黒髪のショートカットの女の子が見える。おねえちゃんだ。ぼくは床に寝っころがって、耳を引っぱられているのだ。
「さ、覚めた覚めました。」
「よろしい。あたしの方はさあ、お姫さまのユカちゃんがスースーと寝ちゃってるのよ。つまんないから遊びにきたら、あんたたちも寝てるのね。」
「えっ?」
 おどろいて、ぼくはまわりを見た。
 ぼくと倉持ユタカ、宮村トシキの三人は、男だけで別の部屋で休んでいたのだが、ぼく以外のふたりは、ベッドの上で熟睡している。
 ぼくも異様に眠い。イスから床にくずれ落ちたのを思い出した。だから床で寝てたのだ。これはおかしい。異常だ。
 窓の外を見ると、もう、とっぷりと日が暮れている。渋谷の夜景が木と木のあいだに見えた。
「何時間たったんだろう。どうも、さっきのお茶に睡眠薬か何か入っていたのかもしれない。異常に眠いもの。」
「ふえー、セコいじーさんめ、あたしのカラダが目当てだったのかな?」
「それは絶対ないと思うけど……、おねえちゃん、何で平気なの?」
「へ?」
「ほら、みんなでお茶を飲んだじゃないか。何でおねえちゃんだけ眠くならずに、飛びはねてんのさ。」
 おねえちゃんは、ピンピンしている。これはおかしい。異常だ。
 昼間より元気いっぱいという感じで、おねえちゃんは天井を見上げた。
「あたしは普通じゃないもの。このペンダントに守られてるんだよ。きっとそう。」
 カウストゥバに光を当てて、おねえちゃんはニッカリと笑った。宝石のきらきらした光を、ちょっときれいな横顔にあびたおねえちゃんは、神ごうしい御すがただった。
 だがぼくは、違うことを考えていた。普段からおねえちゃんは夜遊びばかりしている。夜になると目がらんらんと輝きだすのだ。そういう意味で確かにおねえちゃんは普通じゃない。睡眠薬より夜遊びぐせが勝ったのだ。
 それはともかく、ぼくらはこれからどうするか話し合った。
「交番に駆けこむべきだよ。ぼくらだけなら、“ちから”を使って外へ出られるもの。子どもが三人、監禁されてますって言えば、警察ものりだすよ。」
「どうも、警察はきらいなんだよね。」
 おねえちゃんは、しぶーい顔をした。
 わからなくもない。ケバい顔に今日以上の超うす着で、夜な夜な盛り場をうろついてる、おねえちゃんは、どちらかというと、毎日警官から逃げ回ってる方だろう。
「それより、もうちょっと、あのじーさんの様子をさぐろうよ。なんか、まだまだ秘密がありそうじゃない?」
「うーん。ぼくもあの高射砲はなんなのか、知りたいなあ。突然、音楽が鳴りだしたり、玄関の鍵がひとりでにかかったり、屋敷にカラクリが多いってのも不思議だ……。」
「そうよ、それそれ。キョーミあるでしょ。」
「でも、このふたりは家に帰さないと……。」
 ぼくは、寝こんでる倉持ユタカと宮村トシキを見た。家の人が心配してるだろう。
「しょうがないわね。ケンジ。そいつをおぶって。」
「えっ、ぼくが?」
「あたりまえでしょ。」
 ぼくは寝こんでる倉持ユタカの下に、からだをもぐらせた。
「お、重い……。」
「ほらあ、おぶったら、あたしにつかまって。」
「でも、住所がわかんないよ。豪徳寺の方らしいけど。」
「なんとかなるでしょ。」
 ぼくが左手をおねえちゃんの腰に巻きつけた時、ぼくの口から、マントラ(真言)が流れた。ぼくの意志とはあまり関係がない。
「オーーーーン……、ハレー・クリシュナ・スタパティア・ハレー……」
 カウストゥバがぼうっと緑色に光り、おねえちゃんの目の色が変わるのがわかった。
「シッディ・マハー・シッディ!」
 周りの空間が、マーブル模様にぐにゃりと曲がった。次の瞬間、夜風の中、ぼくらはコンクリの電信柱の上に立っていた。
「きゃーっ、落ちるぅ!」「落ちついて!」
 また空間が曲がって流れ、次の瞬間には送電線の鉄塔の上に立っていた。
「高すぎるよ!」
 次の瞬間は、ビルの屋上。
 次の瞬間は、体育館の屋根。
 こうして何度か空間のジャンプを繰り返し、気がつくとぼくらは、団地のベランダに立っていた。
 壁のあちこちにヒビが入っている。そうとう古い、ボロい団地だった。手すりから下をのぞくと五階ぐらいの高さだ。この古さではエレベーターもないだろう。狭くて不便な住まいといっていい。
 窓のむこうの室内に灯がともり、中から声が聞こえた。
「ただいまあ、お総菜買ってきたわよ。」
「帰ったか。おれも今、起きたところだ。」
 倉持ユタカの両親だ。おねえちゃんは、カーテンのすきまから中をのぞいた。
「これから夜勤だったわねえ。パン工場なんて、あんたに勤まるの?」
「徹夜は得意なんだが……。」
 父親らしい、ほおのこけた人が苦笑いした。
「こんな仕事しかないからな。落ちぶれたくはないもんだ。春までのIT長者がアルバイト生活だ。」
「六本木のマンションが懐かしいわねえ。でも、見晴らしはこの団地もまあまあよ。」
 母親らしい、さばけた感じの人が窓に近づいてきた。ぼくたちはあわててベランダのすみにかくれる。
「おそくなったが食事にしよう。この総菜は、また……。」
「パート先の残り物。すごく安いのよ。そういえば、ユタカは? ちゃんとご飯食べたのかしら。」
「さあ、おれは寝てたからなあ。あいつはしっかりしてるから、冷蔵庫をあさって何か食ったんじゃないか。」
 何も食べてない。ユタカはぼくの背中で、くたーっとしている。しょい直しながら、ぼくはまた部屋の中をのぞきこんだ。
「寝てるの?」
 母親がとなりの部屋を指さした。
「たぶんな。」
 父親は総菜にはしをつけはじめた。
 おねえちゃんが、となりの部屋の窓をあけた。カギはかかっておらず、音もなくサッシが開いた。おねえちゃんもぼくも無言で、ユタカをかかえてベッドに寝かせた。
 おねえちゃんは、ユタカの黒ぶちのメガネをやさしくはずして、そばのつくえの上に置いた。
 そして、ぼくがおねえちゃんの腰につかまると、またマントラが口からでて、ぼくらは外へ飛び出した。
 空間を移動し、巨大な寺院の屋根に出た。おそらく豪徳寺だろう。まねき猫で有名だ。
 おねえちゃんは何もいわない。また空間が移動し、来た時とは逆の道をたどって、もとの池尻の洋館の二階にもどった。
「つぎっ、そいつ。」
 なんだか、怒ったような顔をして、おねえちゃんは命令した。
 ぼくは宮村トシキのからだを背中にかかえた。ユタカほど重くはない。
 また空間がマーブル模様に変わり、ぼくたちは羽根木の方向へジャンプを繰り返した。羽根木はでっかい公園があるところだ。
 小田急線らしき鉄道が見えたあと、次のジャンプで、小さな一戸建ての前に、ぼくらはあらわれた。
 ごちゃごちゃした住宅地にはさまれた、それは小さな一戸建てだ。敷地のすみに、子ども用のバスケットのゴールがあるが、古くなってこわれている。
 表札を見ると、『宮村』と書いてあった。
「ここだよね。」
 おねえちゃんはチャイムを鳴らしてみた。
 だけど家の人が出てきたら、この状況をどう説明したらいいのだろう。「池尻からつれて参りました」っていうのだろうか。
 しかし、誰も出なかった。家の中はしんとして、静まりかえっている。
「みんな寝てるのかな。明かりひとつついてない。」
 ぼくが首をかしげていると、おねえちゃんがドアのノブをまわした。
「だめだ。カギがかかってる。」
「そりゃ、かかってるさ。」
「ちょっと、そいつの腰をこっちへ近づけて。」
 何のことやらわからないが、ぼくは言うとおりにした。するとおねえちゃんは、トシキの腰についてるベルトキーを伸ばして、カギを鍵穴に差しこんだ。
 かちゃりと音がして、ドアが開いた。
「お、おねえちゃん、このまま入るつもり?」
「他にどうすんのよ。誰も出てこないなら仕方ないじゃない。」
 おねえちゃんは、ずかずか入っていく。しょうがないので、ぼくは後に続いた。
 それにしても何か変だ。子どもがひとり帰らないのなら、家の人は心配して起きてるものだろう。この家には人がいる気配がなかった。
 カウストゥバがぼうっと緑色に光った。
 おねえちゃんは、それを手に持ち、ろうかを照らした。罰当たりな感想だが、こういうとき懐中電灯代わりになる便利な宝石だ。
 ぼくらは居間の方に足を踏み入れた。ぼくがソファーにトシキを寝かせたとき、おねえちゃんが小声でささやいた。
「これを見て。」
 一枚の紙切れを、おねえちゃんは差し出した。置き手紙みたいだ。
『トシキへ――。約束通り、私たちは先に荷物を持って出発する。連絡先は、岩手県K町、字××××……。』
 そのあと、電話番号などが書いてあって、
『留守中のことは、代田のおばさんに頼んである。お金は大事に使うこと。十日でもどるので、おまえも出発の準備をしておくこと。』
 よく見ると、部屋はソファーとテレビひとつ以外は、がらんとして何もない。台所の方を見ると、こちらは正真正銘からっぽだった。
 事情はわからないが、宮村トシキは東京から引っ越すらしい。それもかなりあわただしい引っ越しだ。子どもをのこして、先に行くなんて、ありだろうか?
 トシキは、ソファーの上でクークーと眠っている。朝になったら、この手紙を読むのだ。
「帰るよ!」
 おねえちゃんは、何だかすごく不機嫌になって、ぼくの手を引っぱった。部屋がマーブル模様にぐにゃりと曲がり、ぼくらは池尻の洋館ではなく、自分たちの家の方向へジャンプを続けた。
 おねえちゃんはずっと無言だ。おねえちゃんの心の中はわからない。ふたりのことをどう思ったのだろう。






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