シンデレラの馬車





 ユカちゃんがいなくなり、歩道橋の上から人影が消えたときに、おねえちゃんがさけんだ。
「ケンジ! 高いところへ!」
 ちょっとおどろいたが、ぼくの口からはマントラが出た。
「オーーーーン……、ハレー・クリシュナ・スタパティア・ハレー……」
 おねえちゃんの胸のペンダント、カウストゥバがぼうっと緑色に光った。
「シッディ・マハー・シッディ!」
 まわりの空間がマーブル模様にぐにゃりと曲がり、次の瞬間、近くのビルの屋上にぼくらは立っていた。ぼくは必死でおねえちゃんの腰にしがみついている。
「もっと高いところ!」
 またまわりの空間がぐにゃりと曲がり、いちだんと高いビルの屋上に、ぼくらはたどりついた。
 一面、まっ昼間の東京だ。右のほうに世田谷公園の緑が広がっている。東のほうは目黒区。それを飛びこえると、渋谷のビル群がそびえている。後ろのほうでは、246とその上の首都高を車が流れている。
 少しだが風がここちいい。だが、おねえちゃんはいらついている。
「何? どこ? 少尉はこの景色の何をねらってるの?」
「おねえちゃん。地図がなきゃ、なんにもわかんないよ。」
「そうか。書店へ!」
 ぼくの口からふたたびマントラが出て、ぼくはおねえちゃんにしがみついた。
 空間がマーブル模様にぐにゃりと曲がり、書店の中にぼくらはあらわれた。なんか、カウンターの中のおじさんが、目をまん丸にしてるけど、今はそれどころじゃない。
 おねえちゃんは東京都の地図を探しだした。ハンディ版で千二百六十円だ。
「ケンジ。出しといて。」
「ええー?」
 おねえちゃんに逆らってもしかたがない。ぼくはサイフから千二百六十円ぴったり出して、カウンターに置いた。レジの中のおじさんは、まだ固まっている。
「さあ、もどりましょ!」
 ぼくの口からまたマントラが出て、空間がぐにゃりと曲がり、ビルの上になった。
 おねえちゃんが地図を調べているとき、ぼくはぼうっと世田谷公園を見ていた。思えば、この公園からすべては始まったのだ。巨大な公園には丘があり森があり池があり噴水がある。中では鉄道まで走っている。五分の一スケールの立派な蒸気機関車が、休日には汽笛を鳴らして走るのだ。ぼくも乗ったことがある。
「うわあっ!」
 おねえちゃんが、すっとんきょうな声をあげた。
「ケンジ! あたしたち、今、どこにいると思う?」
「え?」
 ぼくは地図をうけとった。世田谷のページで世田谷公園を見つけて、そのとなりを見た。
「げっ、自衛隊?」
「そうだよ。ここ自衛隊の病院だよ!」
 地図を見ると、となりの建物は自衛隊の駐屯地だし、そっちの建物は防衛省の技術研究所だ。
「こっこっこっこっ……………」
 おねえちゃんの声がうわずっている。ぼくもどうきが激しくなった。
「ここなのかな? ここに砲弾を撃ちこむ気なのかな?」
「いや、まだわかんないよ。おねえちゃん。」
 ぼくは、あのことばが気になっていた。
「ユカちゃんがいってたじゃないか。“馬車が来る。シンデレラの馬車は走りだしてはいけない”って。このへんで、馬車は走ってたっけ?」
「さあ。」
「世田谷公園は? SLは走ってるよ。」
「知らないよ。あたし。」
 ぼくらは一度、家に帰ることにした。家で区や東京都の情報を調べるのだ。
 まわりの空間がマーブル模様にぐにゃりと曲がり、次の瞬間、ぼくらは家の二階にいた。
 ぼくはパソコンのキーをたたいた。“馬車”“馬車”“馬車”だ。馬事公苑には馬車があるけど、こんなとこ砲撃しても意味がないだろう。横浜の馬車道も、スパゲティの馬車道もなんの関係もない。
 だめだ。そもそもこんなローカルな情報なんて、ネットでわかるわけがない。
 一階に行くと、おねえちゃんは古新聞を調べていた。必死でローカル面を読んでいるけど、何も出てこない。
 その時、ぼくの口からマントラが流れた。
「オーン・サラスヴァティ(弁才天)・スヴァーハー……」
 家中の情報誌がふわふわと飛んできた。古新聞、区や都のお知らせ、パンフ、チラシなどが、ぼくとおねえちゃんのまわりをぐるぐると動いた。
 おねえちゃんの目は緑色に光り、それらの情報をスキャンでもするように、ものすごいスピードで読んでいる。読み終わった紙は自然にたたまれて、床に落ちた。
 次つぎと新聞やチラシが流れてきたが、かんじんの情報は見つからない。おねえちゃんにスキャンされた紙は、うずたかく積み上がるばかりだ。最後の一枚が読み終えられて、おねえちゃんの目の光が消えた。
「どうだった?」
 ぼくが聞くと、おねえちゃんは首をふった。
「だめ。まったく手がかりなし。」
 おねえちゃんは床にへたりこんだ。つかれたらしい。
 ぼくらは途方に暮れて、居間にころがっていた。日がかたむいて、夕方が近づいている。
「ただいまー。チャコ、ケンジ。」
 玄関のほうで声がする。お母さんが帰ってきたのだ。もう、こんな時間だ。ぼくらはなんの収穫もなく時間をむだにしている。
「おかえりなさい。」
 とりあえず、ぼくはお母さんを玄関まで出むかえた。めずらしく、おねえちゃんも出てきた。ほかにやることがなかったのだろう。
「麦茶のむ?」
「あらあ、気がきくじゃないチャコ。めずらしいわね。」
 お母さんは居間に入ると、おねえちゃんが差しだした麦茶をごくごくと飲んだ。それからテレビのスイッチを入れた。
 ニュースをやっていた。東京のビル街を、“シンデレラの馬車”が走っている。
「おねえちゃん!」
 ぼくとおねえちゃんは身じろぎもせずに、その映像を見ていた。
「ははあ。これはVTRね。前回の時の映像を流してるんだわ。」
 お母さんがつぶやいた。たしかに画面のすみには、VTRと書いてある。
 ――と、このように馬車は丸の内を走ります。観光客には知られていますが、意外と東京都民は知りません。明日は米国大使一行が登場するそうです。大使着任の儀式でした。
「懐かしいわあ、私も見に行ったことがある。おとぎの国の行列なのよねえ。」
「お母さん! それって米国大使の儀式なの?」
 おねえちゃんが、かみつくように聞いた。
「どこの国の大使も着任するとやるそうよ。しょっちゅうやってるわ。丸の内から皇居まで、しずしずと馬車の行列が進むのよね。」
「皇居? なんのために?」
「決まってるじゃない。天皇に会うためよ。」
 おねえちゃんは、ぼくを見た。まちがいない。
 お母さんが台所に行ったあと、おねえちゃんは地図をひろげた。
「明日、丸の内をねらうのかな? ケーサツに知らせようか。」
「こんなこと、誰も信じないよ。それに、馬車の行列をねらうなんて、無理だと思う。」
「まてよまてよケンジ。馬車に乗るのはアメリカの大使なんだよね?」
「うん。着任したばかりの新しい大使だって。」
「その人は今、どこにいるの?」
「どこって、アメリカ大使館なんじゃない?」
 ぼくとおねえちゃんの目があった。
 ぼくたちは、必死で地図の上のアメリカ大使館をさがした。
「あった! 赤坂だ。」
「丸の内より近いよ、おねえちゃん。しかも大使館公邸がとなりにある。これ、重要文化財だ。」
「きっと、でっかい建物だよ。今夜のうちに砲撃すれば、“シンデレラの馬車は走りださない”。」
「ひゃ、ひゃくとうばん! 今度こそ警察に電話だ。おねえちゃん!」
 おねえちゃんは、電話に飛びつき、110番した。
「アメリカ大使舘がねらわれているんです!」
「はあ? 誰ですかあなたは。」
「誰でもいいでしょ。とにかく、大使公邸が爆破されるんです。」
「えっ、テロの計画があるのですか。爆発物を使うとか?」
「それが何キロも離れたところから、でっかい大砲でどかーんと砲撃されるの。」
「………………。」
「もしもし、聞いてるんですか? もしもし!」
「いたずら電話もたいがいにしなさい!」
 ガチャンと乱暴に電話を切る音がして、おねえちゃんが顔をしかめた。
「ぜんぜんだめ。」
「どうしよう、おねえちゃん。」
「行こう! 池尻へ!」
 警察になんか知らせてる場合じゃない。ぼくの口からマントラが出た。おねえちゃんにしがみついた瞬間、ぐにゃりと空間が曲がって、ぼくたちは池尻へ飛んでいた。






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