世田谷少国民団





 その日の夜、ぼくとおねえちゃんは、夕飯だというのでキッチンへ呼ばれた。
「あんたたち、毎日どこへ出かけてるのよ?」
 ナスのいためものと、キュウリの漬けものを出しながら、お母さんが聞いた。
「プールよプール。」
 おねえちゃんが、へらへらと笑った。
「夏休みったって、遊んでばかりじゃだめよ。ちゃんと勉強はしてるの?」
「そりゃあもう!」
 おねえちゃんは、大きくうなずきながら断言した。確かに“勉強”は、やっている。
「お、ナスか。夏はナスだなあ。」
 パパがのんきな顔をして、キッチンに入ってきた。仕事が終業時間きっかりに終わるらしく、帰るのはたいてい早い。会社が残業代をケチって、何が何でも五時に終わらせるのだそうだ。
 どうでもいいが、お母さんは、いつの頃からか「お母さん」とよばれるようになったが、パパは今でもパパである。
「ねえ、パパ。『不滅のアレグレット』って、こわくない?」
 ぼくはパパに聞いた。パパはこの曲が大好きなのだ。
「おお、ベートーヴェン第七番第二楽章だな。そうだなあ。こわいというより、ちょっと悲しい曲だな。その哀愁がたまらないよ。けどな、ケンジ。第七番全体は、むしろ明るくて楽しい交響曲なんだぞ。」
「そうなの?」
「そうさ。人生は明るくゆかいに生きなきゃならん。しかし、明るくふるまうことに疲れたとき、ふっと、人生の意味を考えたりする。それが『不滅のアレグレット』なのさ。」
「ふうん。」
「何が、“人生は明るくゆかいに”じゃ。この馬鹿者め!」
 毒づきながら、おじいさんが入ってきた。
「そんなことだから、家族もやしなえず、女房を仕事にだすハメになるのだ。おまえには、人生に対する真剣味というものが足りん。」
 台所がいっきに暗くなった。おじいさんは、小がらなからだから、いつも毒をまきちらす。
 ここはぼくの家であって、ぼくの家ではない。パパが前の会社をリストラされたとき、一家でおじいさんの家にころがりこんだのだ。
「以前のような、ちゃんとした仕事はさがしているのか? ええ?」
 おじいさんは、パパをにらみつけた。パパは何もいえず、ただだまっている。
 おねえちゃんが、そっとテレビのボリュームを上げた。雰囲気を変えようとしたのだ。
 ニュースのアナウンサーは、正社員の数が減少していることをいっている。非正規労働者というのだそうだ。うちでは、パパもお母さんも非正規労働者ということになる。
「おまえたちがだらしない人生を送っていると、チャコやケンジも、どうしようもない人生を送ることになるのだ。それがわからんのか!」
 ニュースとはおかまいなしに、おじいさんの説教が家族全部に飛び火した。
「よいか、おまえたちは両親のようになっては、いかん! 絶対、まともな人生を歩むのだ。」
 おじいさんは、ぼくとおねえちゃんの方をむいた。ぼくはなんと返事したものか考えていた。
 そのときテレビの画面がかわって、サッカーの会場が映った。試合開始直前のようすだ。ざわついていた会場が静まり、おごそかに『君が代』が流れ出した。
 そのとたん、ぼくは飛び上がるようにイスから立ち上がり、人形のように「気をつけ」をして、直立不動の姿勢をとった。なぜそんなことをしたか、自分でもわからない。
 おねえちゃんも同じだったらしい。君が代が流れているとき、ぼくらは身じろぎひとつせず、真剣な顔をして手足をつっぱらせていた。
 やがて、演奏が終わったあと、おじいさんはとまどったように、ぼくらを見た。
「ふうむ。だらしなく育っていると思ったが、意外にこの子たちは、ちゃんと成長しておるな。感心だ。うむ。感心感心。」
 おじいさんは、首をかしげつつ、ぼくらをほめた。おねえちゃんが、おじいさんにほめられるなど、はじめてではなかろうか。



 次の日の朝、ぼくとおねえちゃんが池尻の洋館に行くと、他の三人は庭へ出ていた。
 トシキも倉持君もユカちゃんも、銃をかついでいる。よく見ると、木でできた銃の模型だった。
 異様なのは、銃の先に短剣みたいなものがついている。これは「銃剣」というやつではあるまいか。
 おねえちゃんもぼくも、これにはかなり驚いたが、そのあとで、みんながすることには、もっと驚いた。
 ユカちゃんが銃をかまえた。
「米英撃滅!」
 叫びながらユカちゃんは、ワンピースをひるがえし、近くにあったわら人形に、グサリと銃剣を突き刺した。
 トシキも、そして倉持君も、銃をかまえて、次つぎとわら人形に突進した。
「米英撃滅!」
「米英撃滅!」
 わら人形は、銃剣で、なんどもくし刺しにされた。
 みんな息があらい。さっきから同じことをやっているのだろう。
 洋館のむこうから、老人が歩いてきた。少尉だ。
「少尉どの! 倉持以下、三名、銃剣術の訓練を終わりました!」
 三人は一列にならび、老人にむかって、しっかりとおじぎをした。
 ぼくはこのまま何もいわないのは、おかしいと感じて、とっさに老人にあいさつした。
「少尉どの、おはようございます! 月波健二、月波久子、たった今、到着いたしました!」
「うむ。よく来た。おまえたちも、銃剣を使うがよい。」
 ぼくはトシキから、おねえちゃんはユカちゃんから、木の銃をうけとった。
 ぼくらは銃をかまえ、さけんだ。
「米英撃滅!」
「米英撃滅!」
 ふたりでわら人形に、続けざまに銃剣を突き刺した。
 少尉どのは大いに満足して、全員に中へ入るようにいった。ぼくらは、倉持君を先頭にして一列縦隊を作り、足なみをそろえて、移動を開始した。
 洋館の中でぼくらが整列していると、少尉どのが号令をかけた。
「一同、休め!」
 みんな足を楽にし、張りつめていた気持ちがゆるんだ。
「ちょっとケンジ。今日のこの空気、なんか変じゃない?」
「シッ。」
 おねえちゃんが小声でささやいたが、ぼくは黙らせた。これから何かがはじまる。そんな予感がした。
「諸君らの少国民としての訓練も、少しずつ進歩しておる。だからして、本日はおまえたちに大変ありがたいものをさずけたいと思う。」
 老人はテーブルの上にのっている、桐の箱に手をのばした。
「またブロマイド?」
「シッ。」
 今回はちがうようだ。老人が取りあげたのは、金属製のバッジだった。
「これで諸君らは、世田谷少国民団の一員である。」
 少尉はひとりひとりの胸にバッジをつけていった。バッジは、つばさを広げた二羽の鳥が上下に並んでいるデザインで、古めかしいものだった。
「これは……ハト?」
 おねえちゃんが、つまらないことを聞いた。
「ハトではない。鷲だ。」
 バッジをつけた一同に、老人は語りかけた。
「よいか。おまえたちは八紘一宇の精神を、あまねく世界に知らしめるのだ。米国がその魔の手を伸ばしてくるとき、おまえたちの力が必要になる。おまえたちは平和のために戦うのだ。」
「はいっ!」
 みんなは声をそろえた。アニメかマンガみたいだった。ひとりだけ返事をしなかったものがいる。おねえちゃんだ。
「ちょ、ちょっと、ちょっと。戦うって、どうやって?」
 おねえちゃんは、すっかりあきれている。みんなの態度が大まじめになってしまったからだ。ぼくは朝からこの空気を感じとっていた。なんだか、大きな流れに巻きこまれていくような、そんな感じだった。
「ふふふ。おまえらには、まだ説明しておらなんだな。こちらへ来るがよい。」
 老人が、おねえちゃんとぼくを奥の部屋へ案内した。やはりきのうの夜、みんな何かを見たんだ。






《《前へ章目次へ次へ 》》