涙なみだの物語





 ちょっと休憩して、みんなでお茶を飲んだ。
 少尉がトイレに行っているあいだに、倉持君がぼくにささやいた。
「ケンジ。どうしてじーさんは、大東亜戦争の戦果発表を、あそこでやめたと思う?」
「さあ。」
 ぼくは首をふった。
「あの次に来るのは、ミッドウェイ海戦なんだ。日本海軍が空母を四隻失った、決定的な大敗北だ。」
「あ……。」
 戦争映画なんかになっている、アメリカがわの大勝利だ。ぼくは思いだした。
「そこから先は、坂道をころがり落ちるように、日本は負けていくのさ。」
 倉持君はお茶を飲みながら、窓のそとをぼんやりと見つめた。
 少尉がもどってきて、“国語の時間”になった。ぼろぼろのパンフレットがくばられ、代表して、ユカちゃんが朗読をはじめた。
 髪の長いユカちゃんは、目をふせてゆったりと読み出した。


 姿なき入城

 いとし子よ、ラングーンは落ちたり。
 いざ、汝も 勇ましく入城せよ。
 姿なく、声なき汝なれども。

 昭和十六年十二月、ラングーン第一回の爆撃に、
 汝は、別働隊編隊機長として、近郊ミンガラドン飛行場にせまり、
 敵スピットファイアー二十機と、空中戦はなばなしく、
 陸鷲は、その十六機をほふれり。
 更にラングーンの上空に現れ、巨弾を投じたる一瞬、
 敵高射砲弾は、汝が愛機の胴体を貫きつ。
 機はたちまちほのおを吐き、翼は、空中分解を始めぬ。
 汝、にっこりとして天蓋を押し開き……


「脱出だ。早く、パラシュートで逃げるのよ。」
 おねえちゃんはさけんだが、続きはちがっていた。ユカちゃんは、よどみもなく読み進んだ。


 天蓋を押し開き、
 二王立ちとなって僚機に別れを告げ、
「天皇陛下万歳。」を奉唱、
 若き血潮に、大空の積乱雲をいろどりぬ。


「死んじゃうのかあ。」
「かわいそう。」
 ユカちゃんはハンカチで、目をふいた。
 一同はくらーい気持ちになった。
 次の文章はトシキが読んだ。ちょっとことばがむずかしいのか、つっかえつっかえ、がんばった。


 北満の露

 時は明治三十七年の二月、ちょうど日・露開戦当時のことであった。トルチハの近くで、露兵の為に捕らえられたあやしげな二人の蒙古人があった。
「ただの蒙古人とはどうしても様子が違う。」
 というのできびしく尋問したが、二人は黙々として一言も答えない。そこで荷物を調べると、地図や手帳の外に多量の綿火薬が発見された。


「ははあ、こりゃ日本がわのスパイだな。」
 倉持君がつぶやいた。
「スパイって、つかまるとろくな裁判も受けられずに死刑なんだ。」
「ふうん。」
 トシキの朗読は続いた。やっぱり二人は日本人で、軍法会議のすえ、処刑されることになってしまった。柱にしばりつけられて銃殺だ。


 やがて、二人は柱の前で直立不動の姿勢をとり、つつしみ深いしぐさで、はるか東の空、宮城の方をふし拝み、終ってにこやかに笑みをもらした。静かに沈む赤い夕日が、二人の顔をそめて、その姿は、まったく神か人かと思われるばかりであった。武人の面目を重んじて、目かくしされることをさえしりぞけた。
 空に一声、雁が鳴いて過ぎると、あたりはしんとして息をのむような静けさ。その静けさを破って、
「ねらえ。」
 号令と同時に二烈士は両手を高くあげ、
「天皇陛下万歳」
 この声のまだ終らないうちに、
「撃て。」
 たちまち響く銃声もろとも、二烈士はついにハルピン市外の露と消えた。


「ううう。これもかわいそ。」
 おねえちゃんが、目をぬぐった。
「軍人とはこのように、見事に散ることこそ大事なのだ。」
 少尉どのが重おもしくいった。
「次の文章は、諸君らのような子どもの話である。チャコ。おまえさんが読むのだ。」
「えっ、あたし?」
 おねえちゃんが自分を指さした。


 愛路少年隊

 交通路は、ちょうど人間でいえば血管のようなものである。もし、血管に少しでもさしさわりがあれば、からだの働きも望めないように、交通路に故障が起これば、国の活動は、たちまちとどこおることになる。ことに支那のように広くて大きな国では、交通路が何よりも大切である。


(それで愛路少年隊かあ。)
 ぼくはぼんやりと考えた。パンフの文章では、愛路村というのがあって、中国軍ゲリラから日本がわが使っている道路を守るための村だそうだ。もちろん、守っているのは、現地の中国人たちで、日本軍がそういう風に組織させたのだ。中には若い少年隊もいる。
 おねえちゃんは読み続けた。あるとき、愛路少年隊の一員である子どもが、鉄道を破壊した犯人らしき集団を、墓地で発見する。だが、手投げ弾を投げられ、意識不明の重傷を負って、少年は病院にかつぎこまれる。


 楊少年は、苦しい息の下から、
「悪者が三人、あの墓地に――」
と叫ぶようにいった。そうしてまたすやすやと眠りだした。まもなく、楊少年は、また何かいおうとして口を動かしている。耳を寄せて聞くと、
「ニッポン、バンザイ。」
といっている。それっきり、少年の息は絶えてしまった。


「やっぱり死ぬの?」
 読みながら、おねえちゃんは、なさけない顔をした。
 ぼくらはみんな、くらーい気持ちになって、だれも何もいわない。
 なんというか、その、りっぱな最期なんだろうけど、その……。いうにいえない気分というか、とにかく落ちこんでしまった。
「最後は、倉持ユタカ、おまえが読むのだ。」
 少尉どのは倉持君を指名した。彼は読みはじめた。


 君が代少年

 昭和十年四月二十一日の朝、台湾で大きな地震がありました。


「のっけからイヤな予感がする。」
 トシキが苦ーい顔をした。


 公学校の三年生であった徳坤(とくけん) という少年は、けさも目がさめると、顔を洗ってから、うやうやしく神だなに向って、拝礼をしました。神だなには、皇大神宮の大麻がおまつりしてあるのです。
 それから、まもなく朝の御飯になるので、少年は、その時外へ出ていた父を呼びに行きました。
 家を出て少し行った時、「ゴー。」と恐しい音がして、地面も、まわりの家も、ぐらぐらと動きました。「地震だ。」
と、少年は思いました。そのとたん、少年のからだの上へ、そばの建物の土角がくずれて来ました。土角というのは、粘土を固めて作った煉瓦のようなものです。
 父や、近所の人たちがかけつけた時、少年は、頭と足に大けがをして、道ばたに倒れていました。


「うーん。」
 おねえちゃんが、腕ぐみをした。気持ちはわかる。


 少年の傷は思ったよりも重く、その日の午後、かりに作られた治療所で手術を受けました。このつらい手当の最中にも、少年は、決して台湾語を口に出しませんでした。日本人は国語を使うものだと、学校で教えられてから、徳坤は、どんなに不自由でも、国語を使い通して来たのです。


「国語?」
「日本語のことだろう。」
 トシキの疑問に、倉持君がぶっきらぼうに答えた。このあと、徳坤少年は、元気になって学校へ行きたがったが、その願いはかなわない。それほどの重傷だったのだ。


 少年は、あくる日の昼ごろ、父と母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある医院へ送られて行きました。
 その夜、つかれて、うとうとしていた徳坤が、夜明近くなって、ばっちりと目をあけました。そうして、そばにいた父に、
「おとうさん、先生はいらっしやらないの。もう一度、先生におあいしたいなあ。」
といいました。これっきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。
 それからしばらくして、少年はいいました。
「おとうさん、ぼく、君が代を歌います。」
 少年は、ちょっと目をつぶって、何か考えているようでしたが、やがて息を深く吸って、静かに歌いだしました。

  きみがよは
  ちよに
  やちよに

 徳坤が心をこめて歌う声は、同じ病室にいる人たちの心に、しみこむように聞こえました。

  さざれ
  いしの

 小さいながら、はっきりと歌はつづいて行きます。あちこちに、すすり泣きの声が起りました。

  いわおとなりて
  こけの
  むすまで

 終りに近くなると、声はだんだん細くなりました。でも、最後まで、りっぱに歌い通しました。
 君が代を歌い終った徳坤は、その朝、父と、母と、人々の涙にみまもられながら、やすらかに長い眠りにつきました。


「やっぱり死ぬのね。」
 おねえちゃんは、目にハンカチをあてている。ユカちゃんもだ。
 なんでこう、まいどまいど、人が死ぬ話ばかりなんだろうか、ぼくはまたしても、くらーい気持ちになった。
「よいか。男子たるもの、最後はこのように死ぬのである。」
 少尉どのが、みんなの沈黙をやぶった。
「台湾の少年でさえ、愛国心を持って、日本のことばを、しっかりと勉強して話していたのだ。まさしく、日本語こそが国語なのである。おまえたちも、国語は話せるか?」
「そりゃ話せるよ。」
 トシキがぼそりといった。
「ちゃんとした標準語だぞ。東北弁などはいかん。あれは日本語ではない。」
「あたしたちみんな、東京育ちです。」
 ユカちゃんが複雑な顔で答えて、少尉は「それならよい」と、納得した。
 そのあとは、みんなで、少年のめいふくを祈って、『君が代』を斉唱した。
 時間もおそくなり、ぼくとおねえちゃんは家に帰ることにした。ところが、倉持君、トシキ、ユカちゃんは、泊まっていくという。そのための準備もちゃんと用意してきているらしい。
「ええー。いいないいな。あたしも泊まりたあい。」
 ダダをこねる、おねえちゃんを引っぱって、ぼくは家路についた。






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