浮かんで消えた「英ユ同祖論」
日本人とユダヤ人とは共通の祖先を持つという説は「日ユ同祖論」として知られている。 これと同種のものとして、イギリス人とユダヤ人とが共通の祖先を持つとする「英ユ同祖論」が在る。
「イギリス人の祖先は行方不明のイスラエル10部族だ」という説を支持するイギリスがいる。 こういった「英ユ同祖論」が明確に形成されたのは近代以降のことである。「英ユ同祖論」の元祖は18世紀の人リチャード・ブラザーズであるとされている。 彼は「イギリス人の祖先は行方不明のイスラエル10部族だ」と考えただけでなく、「ヨーロッパ諸国民は行方不明のイスラエル10部族の子孫である」と考え、更に、「自分はダビデの直系の子孫であり、ユダヤ人の王、世界の支配者である」と信じ、終には時の国王ジョージ3世に王位譲渡の要求を行なうまでに至った。 イギリス政府はフランス革命の勃発やジャコバン主義者などの過激派に神経をとがらせていたこともあって、彼を1795年に逮捕し、精神病院に収容した。 リチャード・ブラザーズは1824年に死んだが、熱狂的な彼の信奉者たちはリチャード・ブラザーズの死後も存続した。
エドワード・ハインなる人物が著書『イギリス国民と行方不明のイスラエル10部族の47の同一点』(1874年)などを通して、「イギリス国民こそ古代イスラエル人の真の末裔である」と主張し、イギリス政府はパレスチナに植民すべきこと、イギリス国民はイスラエル2部族と再び合体して、キリストの再臨を実現すべきこと、などを精力的に説いた。 この為、エドワード・ハインは「英ユ同祖論」の真の樹立者と目されている。 彼とその信奉者・後継者たちの構築した理論によれば、南ユダ王国最後の王ゼデキヤの娘は、預言者エレミヤに伴われて、アイルランドへ逃亡し、一方、既にアイルランドには12部族のひとつダン族がたどり着いており、その王子にゼデキヤの娘は嫁いだのであるという。 彼らヘブライ人はアイルランドからスコットランド、イングランドへ移動し、スチュワート王家などはこの血統から発しており、つまるところは、イギリス王室はヨーロッパ最古の王室であり、その血をダビデ王にまでさかのぼることが出来るという。 エドワード・ハインはイギリスでかなりの数の信奉者を集めることに成功し、その後、アメリカに目を向けた。 彼の理論に従えば、アメリカ人はマナセ族の子孫である。 彼は1884年にニューヨークへ行き、3年間をアメリカで過ごしたが、彼の “教義” は彼が予想したほどには広まらず、最後には一文なしでイギリスに戻る破目になった。 しかし、彼の死後も「英ユ同祖論」は衰えず、イギリス本土のみならず植民地にも勢力を拡張した。 1919年には、イギリス王室のメンバーの後援も得て「ブリテン・イスラエル世界連盟」なるものが成立した。 しかし、第二次世界大戦の終結と同時に、大英帝国の覇権時代が終焉し、イギリス政府がパレスチナ支配から手を引くと、「ブリテン・イスラエル世界連盟」は急速に支持者を失っていったようである。「ブリテン・イスラエル世界連盟」は現在も存在している。 本部はバッキンガム宮殿のすぐそばにある。 しかし、「英ユ同祖論」支持者が現在どの程度いるかは定かではない。