イスラエル国内のエチオピア系ユダヤ人

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ユダヤ教聖典(旧約聖書)ではソロモン王とシバ王国の女王との関係が記されている。 ソロモン王とシバ王国の女王との間に生まれた子供の子孫とされるのが「エチオピア系ユダヤ人」である。 彼らは自らを「ベド・イスラエル(イスラエルの家)」と呼び、ユダヤ教聖典を信奉するが、『タルムード』を持っていない。 西暦1973年にセム系のチーフ・ラビが彼らを「ユダヤ人」と認定した。 その後、大飢饉がエチオピアを襲った為、イスラエル政府は彼らの救出作戦を実施した。 イスラエルの航空会社とイスラエル空軍との協力により、彼らの多くは救出され、現在イスラエルには6万人のエチオピア系ユダヤ人が居住している。

西暦1996年1月末、エチオピア系ユダヤ人はエイズ・ウイルス感染の危険性が高いとして、イスラエル血液銀行がエチオピア系ユダヤ人の献血した血液だけを秘密裏に廃棄していたことが発覚した。 更に、イスラエル保健相が「彼らのエイズ感染率は平均の50倍だ」と発言し、廃棄措置を正当化した。 これに対して、エチオピア系ユダヤ人は「エイズ感染の危険性は他の献血にも存在する。 我々のものだけ廃棄したのは人種差別ではないか」と猛反発した。 怒り狂ったエチオピア系ユダヤ人数千人がイスラエル首相府に押しかけ、警官隊と激しく衝突した。

この事件について『読売新聞』は「ユダヤ内部差別露呈」と題して、次のように書いた。
今回の事件は、歴史的、世界的に差別を受けてきたユダヤ人の国家イスラエルに内部差別が存在することを改めて浮き彫りにした。 エチオピア系ユダヤ人のイスラエルヘの移民は1970年代に始まり、エチオピアに飢饉が起きた1984年から翌年にかけて、イスラエルが『モーセ作戦』と呼ばれる極秘空輸を実施。 1991年の第二次空輸作戦と合わせ、計約6万人が移民した。 だが、他のイスラエル人は通常、エチオピア系ユダヤ人を呼ぶのに差別的な用語『ファラシャ(外国人)』を使用。 エチオピア系ユダヤ人の宗教指導者ケシムは、国家主任ラビ庁から宗教的権威を認められず、子供たちは『再ユダヤ人化教育』のため宗教学校に通うことが義務づけられている。 住居も粗末なトレーラーハウスに住むことが多く、オフィス勤めなどホワイトカラーは少数に過ぎない。 エチオピア系ユダヤ人はイスラエル社会の最下層を構成している。 ヘブライ大学のシャルバ・ワイル教授は『とりわけ若者にとって、よい職業や住居を得ること以上に、イスラエル社会に受け入れられることが重要だ』と、怒りが爆発した動機を分析する。 デモ参加者は『イスラエルは白人国家か』『アパルトヘイトをやめよ』と叫んだ。 『エチオピア系ユダヤ人組織連合』のシュロモ・モラ氏は『血はシンボル。 真の問題は白人・黒人の問題だ』と述べ、同系ユダヤ人の置かれている状況は『黒人差別』によるとの見方を示した。

『毎日新聞』は次のように書いた。
ユダヤ人は東欧系のアシュケナジム、スペイン系のセファルディム、北アフリカ・西アジアのユダヤ社会出身のオリエント・東方系に大別され、全世界のユダヤ人口ではアシュケナジムが過半数を占めている。 イスラエルではセファルディム、オリエント・東方系が多いが、少数派のアシュケナジムが政治の中枢を握っている。 エチオピア系ユダヤ人は、イスラエル軍内部でエチオピア系兵士の自殺や不審な死亡が多いと指摘するなど、イスラエル社会での差別に苦情を呈してきた。 たまっていた不満に献血事件が火をつけた格好だ。