ユダヤ教聖典のモーゼ五書(創世記 ,出エジプト記 ,レビ記 ,民数記 ,申命記)と ヨシュア記の要約

ユダヤ教聖典の日本語訳は私の手に入らない。 以下の要約はフェデリコ=バルバロ(カトリック宣教師)による日本語訳「聖書」(講談社)を基にしてある。

創世記 第1章
神ヤハウェ(YHWH)は1日目に天と地を造った。 更に「光あれ 」と言って、光を造った。 神ヤハウェは2日目に「水の間に屋根ができて、上の水と下の水とに分けよ 」と言った。 すると、そのようになった。 神ヤハウェはその屋根を天と呼んだ。 神ヤハウェは3日目に「天の下の水は1ヶ所に集まり、大陸が現れよ 」と言った。 すると、そのようになった。 神ヤハウェは大陸を地と呼び、水の集まった所を海と呼んだ。 更に神ヤハウェは様々な植物を造った。 神ヤハウェは4日目に太陽と月と星を造り、それらを天に配置した。 神ヤハウェは5日目に水の中で生きる様々な動物と天の下を飛び交う様々な動物を造った。 神ヤハウェは6日目に地の上で生きる様々な動物を造り、更に自分に似せて1人の男と1人の女を造った。 そして、神ヤハウェは人を祝福して言った。「生めよ。 増えよ。 地を支配せよ。 魚と鳥と地を這う生き物を支配せよ。 全ての草と全ての木をおまえたちに与える」。 神ヤハウェは自身の作り出したものを眺め渡し、満足した。 これが6日目である。
(批評・・・創世記第1章ではユダヤの神ヤハウェは「世界を創造した最高神」であるかのように書かれているが、創世記第3章以下を読むと、神ヤハウェの実態は「世界を創造した最高神」ではないことが判る。 創世記第1章は、創世記の作者が創世記の構成上の必要性と神ヤハウェの権威付けの為に書いたものであろう。 世界の創造について書かなければ、創世記にはならない。 創世記は紀元前6世紀から紀元前4世紀までの間に書かれたと考えられている。 従って、この時期にイスラエルの民(ユダヤ人)の間に「神ヤハウェは世界を創造した最高神である」という観念が確立したと言えよう。 また、この時期以降のユダヤ教およびユダヤ教から派生したキリスト教は「神ヤハウェが世界を創造した」という仮説の上に成り立っていると言えよう。)
創世記 第2章
こうして、神ヤハウェは天と地と生き物を作り終えた。 7日目、神ヤハウェは休んだ。 神ヤハウェは7日目を聖なる日として祝福した。 (このあと、神ヤハウェが天地創造開始6日目に行なった男と女の作成過程が詳しく書かれている)。 神ヤハウェは土で男(アダム)を造り、命を与えた。 神ヤハウェはエデンの園を造り、様々な果樹と善悪を知る木を植え、そこに男を置き、そこを男に耕させた。 神ヤハウェは男に言った。「善悪を知る木の実を食べてはならぬ。 それを食べると、必ず死ぬ」。 神ヤハウェは男を深く眠らせ、男の肋骨1本を取り出し、肉を元のように閉じ、その肋骨から女を造った。 男は眠りから覚め、女の存在に気付いた。
(批評・・・「全ての人の祖先を辿って行くと、アダムに行き着く。 そして、アダムは神によって土から作られた」という発想は奇想天外である。 このような発想はどこから生まれたのか。)
創世記 第3章
蛇が女に言った。「人が善悪を知る木の実を食べれば、善と悪とを知る天人のようになることを神ヤハウェは知っている」。 女は神ヤハウェから「善悪を知る木の実を食べてはいけない 」と聞いていたが、蛇の言葉を聞き、天人のようになりたいと思い、善悪を知る木の実を食べた。 女は一緒にいた男にもその実を与え、男もそれを食べた。 神ヤハウェは、男と女が善悪を知る木の実を食べたことを知った。 神ヤハウェは蛇に言った。 「おまえは全ての家畜と野獣の中で最も呪われたものとなる。 おまえは生きている限り、腹ばい、塵を食うことになる。 私は、おまえと女との間に、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。 女の子孫はおまえの頭を踏み砕き、おまえの子孫は女の子孫のかかとを狙うであろう」。 そして、神ヤハウェは女に言った。「おまえは苦しみつつ子を産むことになる。 おまえは夫に情を燃やし、夫はおまえを支配する」。 神ヤハウェは男に言った。「おまえは生き続ける限り、苦労して地から糧を得ることになる」。 男は女をエバ(イブ)と名付けた。 神ヤハウェは男と女に皮衣(かわごろも)を着せて、言った。「人は善と悪とを知り、我々のようなものになった」。 神ヤハウェはエデンの園から人を追い出した。 それは、人に土を耕させる為であった。
(批評・・・日本では一般的に、聖書の世界で人類史上最初に神ヤハウェの命令に背いた者はアダムであると言われているようだが、聖書の世界で人類史上最初に神ヤハウェの命令に背いた者はエバ(イブ)である。 また、蛇が女に言った言葉「人が善悪を知る木の実を食べれば、善と悪とを知る天人のようになることを神ヤハウェは知っている」は、神ヤハウェが「世界を創造した最高神」ではないことを暗示している。 神ヤハウェが「世界を創造した最高神」であれば、神ヤハウェは世界の全てを知り尽くしているのだから、蛇はわざわざ「・・・を神ヤハウェは知っている」などと言わないであろう。「人は善と悪とを知り、我々のようなものになった」という神ヤハウェの言葉は意味深長である。 この言葉は、神ヤハウェも天人同様に善と悪との両面を持つことを意味し、神ヤハウェが善と悪との混合体であることを創世記の作者が遠回しに述べたものであろう。 神ヤハウェと天人との序列ははっきりしないが、この両者は互いに同類であると見なして良いのではないか。 創世記の作者もそのように見なして「人は善と悪とを知り、我々のようなものになった」と神ヤハウェに言わせたのであろう。 神ヤハウェは「世界を創造した最高神」ではなく、「全知全能の神」でもなく、「純粋善神」でもない。 蛇が女に言った言葉「人が善悪を知る木の実を食べれば、善と悪とを知る天人のようになることを神ヤハウェは知っている」は、善悪を知る木は神ヤハウェが造ったものではないことを暗示している。 善悪を知る木は、神ヤハウェより上位にいる神が造ったものであろう。 また、一般的に、エバ(イブ)に善悪を知る木の実を食べるよう唆した蛇は悪魔(サタン)の使いであると見なされているようだが、そのような解釈は妥当であろうか。 神ヤハウェは男(アダム)に「善悪を知る木の実を食べると、必ず死ぬ」と言ったのに、善悪を知る木の実を食べた男(アダム)は死ななかった。 なぜ神ヤハウェは男(アダム)に「善悪を知る木の実を食べると、必ず死ぬ」と言ったのか。 仮に、神ヤハウェが男(アダム)に「善悪を知る木の実を食べると、必ず死ぬ」と言わなかったら、男(アダム)が女(エバ)より先に善悪を知る木の実を食べたであろう。 神ヤハウェおよび創世記の作者は男(アダム)より先に女(エバ)に善悪を知る木の実を食べさせたかったのであろう。 ではなぜ神ヤハウェおよび創世記の作者はそう思ったのか。 それは人の情念の始原を女に設定したかったからだと思われる。 神ヤハウェおよび創世記の作者は男(アダム)より先に女(エバ)に善悪を知る木の実を食べさせたかったのである。 そして、エバ(イブ)に善悪を知る木の実を食べさせる為に、エバ(イブ)のもとに蛇を差し向けたのである。 この蛇は神ヤハウェの化身または使いであり、悪魔(サタン)の使いではない。 もし、エバ(イブ)が蛇の唆(そそのか)しに乗らず、善悪を知る木の実を食べなかったら、アダムとエバ(イブ)がエデンの園に長期間に渡って住み続ける可能性が極めて大きくなり、それでは人類の歴史がなかなか進展しない。 人類の歴史を進展させない神は四流以下の神である。 神ヤハウェは自らが一流の神でないことを自覚しており、一流の神になろうと思って頑張っているように見える。 14節(神ヤハウェは蛇に言った。 「おまえは全ての家畜と野獣の中で最も呪われたものとなる。 おまえは生きている限り、腹ばい、塵を食うことになる」)と15節(私は、おまえと女との間に、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。 女の子孫はおまえの頭を踏み砕き、おまえの子孫は女の子孫のかかとを狙うであろう)は、エバ(イブ)に善悪を知る木の実を食べるよう唆した蛇が神ヤハウェの化身または使いであることをアダムとエバ(イブ)に悟られないようにする為のものであろう。)
創世記 第4章
男は妻エバ(イブ)を知り、エバ(イブ)は身籠もり、カインを産んだ。 エバ(イブ)は再び身籠もり、アベルを産んだ。 カインは地を耕す者となり、アベルは羊飼いになった。 カインは神ヤハウェに地の実を捧げた。 アベルは神ヤハウェに家畜の初子を捧げた。 神ヤハウェはアベルの捧げ物を受け取ったが、カインの捧げ物を受け取らなかった。 カインは非常に腹立ち、打ちひしがれた。 神ヤハウェはカインに言った、「自分は正しいと思うならば、顔を上げればよいではないか。 (おまえが)善い行ないをしなかったら、悪魔という悪者がおまえの門の前まできている。 悪魔はおまえを征服しようとするが、おまえは悪魔に勝たねばなるまい」。 カインはアベルと言い争い、アベルを殺した。 神ヤハウェはカインに言った、「おまえは、弟の血を飲み込んだ大地から呪われる。 おまえが大地を耕しても、大地はおまえに実りを与えてくれない。 おまえはさすらい人になる」。 カインは神ヤハウェに言った、「私は流浪人となり、逃亡者となるので、人に見られれば、すぐ殺されてしまうでしょう」。 神ヤハウェは言った、「そうはなるまい。 おまえを殺そうとする者は7倍の罰を受けるだろう」。 そして、神ヤハウェはカインを人に殺させないように、1つの標しをカインに付けた。 カインは神ヤハウェの前から去って、ノドの地に住み着いた。 カインはその妻を知った。 妻は身ごもってエノクを生んだ。 カインはある町を造り、息子の名を取って、その町をエノクと名付けた。 そして、エノクはイラドを生み、イラドはメフヤエルを生み、メフヤエルはメトシャエルを生み、メトシャエルはレメクを生んだ。 こうして、カインの子孫が各地で繁栄した。 レメクは妻たちに言った、「妻たちよ。 わが言葉を聴け。 私は傷つけられたので、その男を殺した。 私は叩かれたので、相手の若者を殺した。 私を殺そうとする者は77倍の罰を受ける」。
さて、アダムはまた妻を知った。 妻は子を産んで、その子をセトと名付けて言った、「カインが殺したアベルの代わりに、神はもう1人の子を下さった」。 セトにも子が生まれ、その子をエノシュと名付けた。
(批評・・・この章から神ヤハウェは悪神としての意地悪さを見せてくる。 神ヤハウェは弟アベルの捧げ物(家畜の初子)を受け取ったのに、兄カインの捧げ物(地の実)を受け取らなかった。 しかも、神ヤハウェはカインに言った、「自分は正しいと思うならば、顔を上げればよいではないか」と。 7節の第2文「(おまえが)善い行ないをしなかったら、悪魔という悪者がおまえの門の前まできている」はどう考えても理解不能である。 この文は誤訳であるか、または、「善い行ないをしなかったから、」と植字すべきところを「か」の一字を抜かしたか、のどちらかであろう。「(おまえが)善い行ないをしなかったから、悪魔という悪者がおまえの門の前まできている」とすれば、意味が通じる。 7節の第3文「悪魔はおまえを征服しようとするが、おまえは悪魔に勝たねばなるまい」も腑に落ちない。 なぜ悪魔はカインを征服しようとするのか。 なぜ神ヤハウェは悪魔に勝つことをカインに要求するのか。 カインはアベルと言い争い、アベルを殺したと書いてある。 神ヤハウェは、カインがアベルを殺すことを望んでいるようにも見える。 もし、カインがアベルを殺さなかったら、その後の展開はどうなったであろうか。 カインは神ヤハウェに言った、「私は流浪人となり、逃亡者となるので、人に見られれば、すぐ殺されてしまうでしょう」と。 神ヤハウェは言った、「そうはなるまい。 おまえを殺す者は7倍の罰を受けるだろう」と。 そして、神ヤハウェはカインを人に殺させないように、1つの標しをカインに付けた。 カインは神ヤハウェの前から去って、ノドの地に住み着いた。 カインはその妻を知った。 妻は身ごもってエノクを生んだとある。 この辺りの文から見て、創世記の作者は、アダム、エバ(イブ)、カイン、アベルが生きていた頃、地上には彼ら4人以外にも人が生きていたと設定していることが判る。 では、彼ら4人以外の人を造った神はどんな神なのか。 創世記の作者はこの点については何も述べていない。 創世記の作者は、彼ら4人以外の人も神ヤハウェが造ったと主張するのであろうか。 23節(妻たちよ。 わが言葉を聴け。 私は傷つけられたので、その男を殺した。 私は叩かれたので、相手の若者を殺した)と24節(私を殺そうとする者は77倍の罰を受ける)はカインの子孫の残酷さを示している。 しかし、なぜ創世記の作者はこのようにカインを貶める筋書きにしたのであろうか。 神ヤハウェは弟アベルの捧げ物(家畜の初子)を受け取ったのに、なぜ、兄カインの捧げ物(地の実)を受け取らなかったのか。 人類に殺し合いの歴史を始めさせる為か。 創世記第8章以降を読むと分かるのだが、神ヤハウェは家畜の生贄と燔祭(祭壇で羊などの動物を焼いて神に捧げること)が大好きである。 神ヤハウェは羊を焼いて立ち昇る煙の匂いを芳しいと感じるほど、この煙の匂いが大好きである。 これから先、神ヤハウェはイスラエルの民に家畜の生贄と燔祭と小麦の捧げ物を何度も要求する。 だが、神ヤハウェは小麦の捧げ物より家畜の生贄を焼いて立ち昇る煙の匂いのほうをずっと好む。 カインが神ヤハウェに地の実を捧げたとき、神ヤハウェは地の実なんていう詰まらない捧げ物を欲しがっていなかったと解釈できなくもない。 そうだとすると、神ヤハウェはかなり狭量であり、不寛容である。 カインとアベルが神ヤハウェに捧げ物をした時点までにおいて、神ヤハウェは自身の思いや好みをこの2人に全く伝えていない(創世記第4章までにおいて、神ヤハウェが自身の思いや好みをこの2人に伝えたというような記述はない)。 このような環境でどうしてカインは神ヤハウェに喜ばれる捧げ物をすることができようか。 神ヤハウェおよび創世記の作者の意図を計り兼ねる。)
創世記 第5章
この章では、アダムの系図が書かれている。 アダムは130歳でアベルの代わりとなる子(セト)をエバ(イブ)に産ませた。 アダムは930歳で死んだ。 (エバが何歳で死んだかは書かれていない)。 セトは105歳でエノシュを生み、セトは912歳で死んだ。 エノシュは90歳でケナンを生み、905歳で死んだ。 ケナンは70歳でマハラレエルを生み、910歳で死んだ。 マハラレエルは65歳でエレドを生み、895歳で死んだ。 エレドは162歳でエレクを生み、962歳で死んだ。 エレクは65歳でメトシェラーを生み、365歳で死んだ。 メトシェラーは187歳でレメクを生み、969歳で死んだ。 レメクは182歳でノアを生み、777歳で死んだ。 ノアは500歳でセム(長男)、カム(次男)、ヤフェト(三男)を生んだ。
(批評・・・この章は誇張に満ちている。 創世記の作者はここに登場する人物の享年をなぜこれほど高くしたのか。)
創世記 第6章
ノアが生きていた頃、人間界には罪悪が蔓延していた。 神ヤハウェは人を造ったことを後悔した。 神ヤハウェは、ノアとその妻と3人の息子(セム、カム、ヤフェト)とその妻たちの合計8人だけを地上に残し、彼ら以外の人の全てを抹殺する計画を立て、その計画実行の為の指示をノアに与えた。
(批評・・・人間界に満ちていた罪悪が具体的にどのようなものであるかについては書かれていない。 ここで言われている罪悪とはカインの子孫による殺戮闘争などを言うのか。 また、神ヤハウェが人を造ったことを後悔したというのもおかしな話である。 これを見ても、創世記の作者は神ヤハウェを「世界を創造した最高神」や「全知全能の神」や「純粋善神」として描いていないことが判る。 神ヤハウェは、ノアとその妻と3人の息子とその妻たちの合計8人だけを地上に残し、彼ら以外の人の全てを抹殺する計画を立てたとあるが、このような計画を立てる神は神の名に値するであろうか。 神ヤハウェのこの計画は一神教徒の過激思想の根源かもしれない。)
創世記 第7章
ノアは神ヤハウェの指示に完全に従った。 神ヤハウェは40日間大雨を降らせ、大洪水を起こした。 この大洪水は40日間続いた。 大洪水は猛威を振るい、天が下にある全ての山々を覆った(注:これは、全ての山々の頂までが水没したと解釈するしかない)。 箱船に乗り込んだノアの家族8人と各種の動物だけは生き残り、それら以外の人や地上に棲息していた動物は全て死んだ。 この大洪水が起こったとき、ノアは600歳であった。
(批評・・・アダムの子孫の殆ど全ては死んだことになる。 水中に棲息していた動物は生き残れたであろう。 しかし、これについての記載はない。 水中に棲息していた動物のことは創世記の作者の頭に無かったのだろう。 また、全ての山々の頂までが水没してしまうような大洪水は有り得ない。 中近東の全ての山々の頂までが水没する為には5123mの海面上昇が必要である。 こんなことが有り得ないことは創世記の作者にはわかっていただろうし、創世記が書かれた頃の一般人にもわかっていただろう。 創世記の作者は無理をし過ぎている。 現代アメリカのキリスト教徒の中には聖書の一字一句をそのまま信じている人が4000万人前後もいるというから、驚きである。)
創世記 第8章
大洪水が収まり、水が完全に引いたとき、箱船に乗り込んでいたノアの家族と各種の動物たちは箱船から出た。 ノアは祭壇を作り、何度も燔祭を行なった。 神ヤハウェはその煙の匂いを嗅ぎ、芳しく感じ、「私はもう人の故に大地を呪うことはすまい。 私はもう二度と生き物を滅ぼすことはすまい 」と思った。
(批評・・・もし、ノアが燔祭を行なわなかったら、神ヤハウェの思いはどうだったであろうか。 恐らく、神ヤハウェは怒ったであろう。)
創世記 第9章
神ヤハウェはノアの子孫が繁栄するように祝福した。 そして、神ヤハウェはノアの家族と生き残った動物の全てと契約を結ぶと宣言した。 ノアの3人の息子(セム、カム、ヤフェト)から全地に人類が広がった。
(批評・・・人以外の動物と契約を結んで、どうしようというのか。 この契約は神ヤハウェがノアの家族と生き残った動物の全てに対し一方的に行なうものである。 このようなものが契約と言えようか。 また、神ヤハウェがノアの家族と結んだ契約の具体的内容については創世記のどこにも書かれていない。 してみると、神ヤハウェはノアの家族と生き残った動物の全てと契約を結ぶと宣言しただけであるようだ。)
ノアは畑で葡萄を栽培して暮らしていた。 ノアは葡萄酒を飲んで酔っぱらい、丸裸になって寝ころんでいたことがあった。 ノアの次男カムは父の裸姿を見てしまい、2人の兄弟(セム、ヤフェト)に告げた。 セムとヤフェトは父の裸姿を見ないようにして、父の体をマントで覆った。 酔いから醒めたノアは、カムが自分の裸姿を見たことを知り、激怒して、カムの子カナンを呪って言った。「カナンに呪いあれ。 カナンは兄弟たちの奴隷となれ。 神よ、セムを祝福されよ。 ヤフェトをセムの幕屋に住まわしたまえ」。 ノアは洪水の後も350年間生きた。 ノアの一生は950年だった。
(批評・・・ノアがカムの子カナンを呪い、「カナンに呪いあれ。 カナンは兄弟たちの奴隷となれ 」と言ったとはどういうことか。 この言葉の中の「カナン 」とは「カナンおよびカナンの子孫 」のことであるらしい。 モーゼに率いられてエジプトを脱出するイスラエルの民はセムの子孫である。 セムの子孫であるイスラエルの民がヨシュアに率いられてカナンの地(現在のパレスチナ一帯)を侵略するとき、その地に元々住んでいた人々はカナンの子孫である。「カナンに呪いあれ。 カナンは兄弟たちの奴隷となれ 」という言葉は、将来、カナンの子孫がセムの子孫によって征服されることを要求したものだろう。)
創世記 第10章
この章では、ノアの息子(セム、カム、ヤフェト)の子孫のことが書かれている。「ヤフェトの子はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トゥバル、メシェク、ティラスである。 ゴメルの子はアシュケナツ、リファト、トガルマである。 ヤワンの子らはエリシャ、タルシシュ、キッティムの民、ドダニムの民である。 この人たちから異国の島々の民族が分かれ出た。 カムの子はクシュ、ミズライム、プト、カナンである。 クシュの子はセバ、ハビラ、サブタ、ラーマ、サブテカである。 ラーマの子はシェバ、デダンである」とある。 カムの子カナンの子孫はどんどん広がってカナンの地の民カナン人となった、と書かれている。 セムの子孫についても色々書かれている。
創世記 第11章
この章では所謂「バベルの塔 」の話が書かれている。 東の方からやってきた人々(多分バビロニア人)がシンアル(所在不明)の平原に住み着いた。 彼らは言った。「さあ、煉瓦を作り、我々の町と天に届くほどの塔を作ろう。 我々の名を上げよう」。 彼らは煉瓦とアスファルトとを使って、自分たちの町と塔を造り始めた。 しかし、この事業は神ヤハウェの意に反するものであった。 神ヤハウェは彼らの言葉を乱し、彼らの意思疎通を止めた。 そこで、町と塔の建設は中止され、彼らはばらばらになり、全世界に散っていった。
(批評・・・なぜ、町と塔の建設事業が神ヤハウェの意に反するものであったか。 恐らく、@ 町と塔の建設事業に携わっていた人々がバビロニア人であり、この建設事業を容認すると、バビロニア人の勢力が強大になり過ぎることを神ヤハウェが予想した。 A 神ヤハウェはセムの子孫を繁栄させようと考えていた。 B バビロニア人の勢力が強大になり過ぎることはセムの子孫を繁栄させようという神ヤハウェの考えに抵触する恐れがある、と神ヤハウェが思った。  以上3つの理由によるだろう。 バビロニア人と言えどノアの子孫である。 なのに、神ヤハウェはバビロニア人には冷たい。 このような神が他にいるだろうか。)
この章の後半にはセムの子孫の系図が書かれている。 セムの子アルパクシャドの子シェラの子エベルの子ペレグの子レウの子セルグの子ナホルの子テラの子アブラムである。 セムの子孫のテラは70歳でアブラムとナホルとハランを生んだ。 この当時、テラの一家はユーフラテス川下流域の町ウル(シュメールの都市)に住んでいた。 アブラムの妻はサライといい、うまずめ(子供を生めない女)であった。 ハランはロト(男)とミルカ(女)を生んだ。 ナホルはミルカを妻にした。 ハランは父テラより先にウルで死んだ。 ある時、テラの一族はウルを去り、ユーフラテス川上流域の町ハランに住み着いた。 テラはハランで死んだ。 テラの一生は205年であった。 (アブラムが生まれたのは紀元前1900年頃であると考えられている)。
創世記 第12章
アブラムが75歳になったとき、神ヤハウェはアブラムに言った。「私が示す地に行け。 おまえの子孫を繁栄させよう」。 アブラムはそのお告げに従い、妻サライとロトを連れてハランを去り、カナンの地に到着した。 神ヤハウェは再びアブラムに言った。「おまえの子孫にカナンの地を与えよう」。 やがて、カナンの地に飢饉が起こったので、アブラム一族はエジプトに行った。 すると、アブラムの妻サライが余りに美しいので、サライはエジプトの王宮に連れて行かれ、エジプト王の妻にされたが、神ヤハウェのご加護によりサライはアブラムのもとに戻った。
創世記 第13章
アブラム一族はエジプトからカナンに戻った。 ここでアブラムはロトと別れ、ロトはヨルダンの谷間(ソドマの近く)に住むことになった。 アブラムはカナンに住むことになった。 神ヤハウェはアブラムに言った。「カナンの地を永久におまえとおまえの子孫に与える。 そして、おまえの子孫を地の塵の数ほどに増やそう」。
(批評・・・なぜ神ヤハウェはアブラム一族だけを選んだのか。 アブラム存命中、セムの子孫でアブラム以外の者もいたはずである。 それらの者は全て神ヤハウェから選ばれるに値しない人なのか。 どうやら、そうらしい。 ヤフェトの子孫も神ヤハウェから選ばれるに値しない人であるらしい。 このように、特定の個人または一族だけを選んで愛する神はその個人や一族の守護神と言うべきものである。)
創世記 第14章
カナンの地の町々の間では戦争が絶えなかった。 その戦争でロトは捕らえられ、ロトの財産は奪われた。 その報告を聞いたアブラムは使用人を集め、ロト奪還部隊を作り、敵を打ち破り、ロトとその財産を奪い返した。 戦争に勝ったアブラムをソドマの王とサレムの王が出迎えて、祝福した。
創世記 第15章
神ヤハウェは実の子がいないアブラムに言った。「おまえは大きな報酬を得るだろう。 おまえの跡継ぎはおまえの実の子である。 おまえの子孫は星の数ほどになる。 私はおまえの主である。 この地をおまえのものにする為に、カルディアのウルからおまえを出させたのは私である」。 そして、神ヤハウェはアブラムに雌牛1頭、雌ヤギ1頭、雄羊1頭、雌鳩1羽、雄鳩1羽を屠って捧げるように命じた。 アブラムはその通りにした。 その日の暮れ近く、神ヤハウェはアブラムに言った。「おまえの子孫は外国で他国人として住むようになり、そこで奴隷となり、400年間苦しむだろう。 だが、私はその国を裁く。 そして、彼らは莫大な財産を持って、その国を去るであろう」。 その日、暗闇になりきったとき、神ヤハウェはアブラムに言った。「私はおまえの子孫にエジプトの川からユーフラテス川までの地を与える」。
(批評・・・お気に入りの人の子孫の数を星の数ほどに増やし、その子孫を外国の奴隷にして400年間も苦しませるという計画の真意は何か。 また、第12章で神ヤハウェはカナンの地をアブラムの子孫に与えると言ったが、この章で神ヤハウェはエジプトの川からユーフラテス川までの地をアブラムの子孫に与えると言った。 創世記の作者はこの差違をどう考えているのか。)
創世記 第16章
アブラムの妻サライには子が産まれなかった。 サライは自分の女奴隷ハガルをアブラムに妻として与えた。 ハガルは身籠もり、サライを見下すようになった。 サライはハガルを痛めつけた。 ハガルは荒野に逃げ出した。 天使がハガルを見つけ、ハガルを諭し、慰めた。 ハガルは戻って男の子を産んだ。 アブラムはその子をイスマエルと名付けた。 このとき、アブラムは86歳であった。
創世記 第17章
アブラム99歳のとき、神ヤハウェはアブラムに言った。「私はおまえ及びおまえの子孫との間に永遠の契約を定める。 今後、おまえはアブラハムと名のれ。 私はおまえの神となり、おまえの子孫の神となる。 私はおまえの子孫を大いに増やす。 私はカナンの地を永遠の所有地としておまえの子孫に与える。 おまえ及びおまえの子孫は次のようにせねばならぬ。 おまえたちの男は全て割礼を受けねばならぬ。 おまえたちの代々の男の子は生まれて8日目に割礼を受けねばならぬ。 金で買った男も割礼を受けねばならぬ。 割礼を受けぬ男はおまえの民から追放せねばならぬ」。 神ヤハウェは更に言った。「おまえの妻サライを今後サラと呼べ。 サラはおまえの子を産むであろう。 その子をイサクと名付けよ。 私はイサクと永遠の契約を結び、彼と彼の子孫の神となる。 また、私はイスマエルを祝福し、彼に多くの子孫を与える。 彼から大いなる民が生まれる。 しかし、私は来年の今頃生まれるイサクと契約を結ぶ」。 神ヤハウェはこう語り終えると、高く上っていった。 その日、アブラハムは彼の家の男たち全てを集め、彼らに割礼を施した。
(批評・・・此の章で神ヤハウェが言ったことはイスラエルの民の選民思想の大元と見なして良いものだろう。 神ヤハウェは以前、カナンの地をアブラハムの子孫に与えると言ったが、アブラハムの子イスマエルの子孫にはカナンの地が与えられないことになる。 不公平である。)
創世記 第18章
ある日、神ヤハウェが3人の男の姿になってアブラハムのところに現れた。 アブラハムはヨーグルト、搾りたての牛乳、焼きたてのパン、屠殺したばかりの子牛の肉で作った料理でその3人の男をもてなした。 男の1人がアブラハムに言った。「1年後、サラは子を産んでいよう」。 それから、3人の男はソドマを見下ろせる所に行き、「ソドマとゴモラの罪はあまりにも重いと聞いている。 それが本当かどうか、私は見たい 」と言った。 神ヤハウェ(3人の男)は状況次第ではソドマとゴモラを全滅するつもりであった。
(批評・・・神ヤハウェはわざわざ3人の男の姿になって現れなくても、神ヤハウェはソドマとゴモラの状況が手に取るように判るであろうに。 神ヤハウェは何の為に3人の男の姿になって現れたのか。)
創世記 第19章
3人の男のうちの2人がソドマに着いた。 ソドマに住んでいたロトはこの2人を家に呼び入れ、もてなした。 ところが、間もなく、ソドマの男ども全員がロトの家に押しかけ、2人の他国人を出せと言って、わめいた。 (ソドマの男どもは全て男色だったのである。 当時、中東では男色が蔓延しており、神ヤハウェは男色を忌み嫌っていた)。 2人の男(天使)はロトに言った。「我々はこの町を滅ぼす為にやって来たのだ。 おまえの身内の者をこの町から出せ。 おまえもこの町から出よ」。 その日の未明に神ヤハウェは燃えている硫黄の雨をソドマとゴモラの上に降らせた。 ソドマとゴモラは壊滅した。 ロトの妻は避難の途中で後ろを振り向いたので、塩の柱になった。 ロトと2人の娘は山の上の洞穴に住み着いた。
創世記 第20章
アブラハムは幕屋をたたんで、南下し、ラゲルの地で他国人として住み始めた。 ラゲルの王は人を使わして、サラを連れてこさせ、自分の妻にした。 ある日のこと、ラゲルの王が就寝中、夢の中に神ヤハウェが現れて言った。「サラをアブラハムに返せ。 さもないと、おまえの一族は皆死ぬ」。 ラゲルの王はアブラハムを呼び出し、サラを返し、多くの家畜と男女の奴隷と千枚の銀をアブラハムに与え、ラゲルの好きなところに住んでよいと言った。
創世記 第21章
サラは男の子を産んだ。 アブラハムはその子をイサクと名付けた。 このとき、サラは90歳、アブラハムは100歳であった。 それから2、3年後のある日、アブラハムはサラの要求に従い、奴隷女ハガルとその子イスマエルに数日分のパンと水だけを与え、この2人を荒野に追い出した。 神ヤハウェは荒野をさまよう2人を見つけ、助けた。 イスマエルは立派に成長した。 ラゲルの王とアブラハムは互いに侵略しないという約束を結んだ。
創世記 第22章
イサクが14歳位になった頃、神ヤハウェはアブラハムに言った。「おまえが愛している一人息子イサクをモリヤの地(後にエルサレム神殿が建てられた所)に連れて行き、山の上でイサクを生贄として捧げよ」。 アブラハムはその命令に従い、イサクと2人のしもべを連れて、モリヤの地に向かった。 出発して3日目にモリヤの地が見えた。 アブラハムは2人のしもべに言った。「ここに居残ってくれ。 私と息子はあそこに行って礼拝してくる」。 アブラハムは運んできた薪をイサクの肩に載せ、2人は一緒に歩んで行った。 イサクがアブラハムに言った。「お父さん。 私たちは火と薪を持っていますが、生け贄の子羊はどこにいるのですか」。 アブラハムは答えた。「生け贄の子羊は神が計らって下さるだろう」。 2人は歩き続けた。 2人がモリヤの山の上に着くと、アブラハムはそこに祭壇を作り、その上に薪を載せ、イサクを縛って薪の上に置いた。 アブラハムが剣を手に取り、イサクを殺そうとしたとき、神ヤハウェがアブラハムに言った。「アブラハム、その子を殺すな。 おまえは神を恐れ敬い、一人息子さえ私の為には惜しまないということが今こそ判った」。 アブラハムが目を上げると、藪に角を引っかけた雄羊が見えた。 アブラハムはその雄羊を捕らえ、それを息子の代わりに生け贄にした。 神ヤハウェは再びアブラハムに言った。「私は誓う。 おまえは一人息子さえ私の為には惜しまなかった。 私はおまえを祝福し、おまえの子孫を星の数ほどに増やそう。 おまえの子孫によって全ての民が祝福されるだろう」。 その後、アブラハムとイサクは2人のしもべと共にベエルシバに戻り、そこに住み着いた。
(批評・・・神ヤハウェは全く疑り深い神である。 これを見ても、神ヤハウェは「世界を創造した最高神」ではなく、「全知全能の神」でもなく、「純粋善神」でもなく、「一流の神」ですらないことが判る。 神ヤハウェが「世界を創造した最高神」であれば、わざわざこんなことを試みなくてもアブラハムの心を読み取れるであろうに。)
創世記 第23章
時は経ち、サラはヘブロンで死んだ。 サラの生涯は127年であった。 アブラハムはサラの墓を作る為に、ヘブロンにあるマクペラの洞穴を買い取り、そこにサラを葬った。
創世記 第24章
アブラハムは最も信頼できる下僕に言った。「おまえはハランに行き、私の親族の中からイサクの妻となるべき娘を見つけ出して、連れてきてほしい」。 その下僕はハランに行き、神ヤハウェのご加護によりイサクの妻となる娘を見つけ出した。 その娘はアブラハムの弟ナホルの息子ベトエルの娘レベッカであった。 (レベッカは姿形が美しかった)。 アブラハムの下僕はレベッカとその家族に金銀など多くの贈り物をし、彼女を連れ帰った。 イサクはネゲブのラハイロイというところでレベッカと会った。 イサクは自分の幕屋にレベッカを迎え入れ、妻とした。 この時、イサクは40歳であった。
創世記 第25章
アブラハムは新たに妻ケトラを娶った。 ケトラはジムラン、ヨクシャン、メダン、マディアン、イシュバク、シュアを生んだ。 アブラハムはそばめ(ハガル、ケトラ)の子らをイサクから離し東の国に住まわせた。 ケトラが産んだ子孫は大いに栄えた。 アブラハムは時が満ちて老い、幸せな老年を送ってから、息絶えて先祖の列に加わった。 アブラハムの生涯は175年であった。 イサクとイスマエルは父アブラハムをマクペラの洞穴に葬った。 イスマエルは12人の男子を儲けた。 その子らはアラブ人の族長となった。 イスマエルは137歳で死んだ。 イサクが60歳のとき、妻レベッカは双子を産んだ。 兄はエザウと名付けられ、弟はヤコブと名付けられた。 2人の息子は成長し、エザウは荒れ野を歩き回る巧みな狩人になり、ヤコブは幕屋に住む穏やかな人になった。 父イサクはエザウを愛したが、母レベッカはヤコブを愛した。 ある日、ヤコブがエザウに言った。「おまえの長子権を私に売ってくれないか」。 エザウは言った。「長子権が何の役に立とう」。 そして、エザウは自分が持っている長子権をヤコブに売った。 (現在のアラブ人は自分らをイスマエルの子孫であると考えている。 よって、現在のアラブ人もアブラハムを自分たちの先祖であると考えている)。
創世記 第26章
イサク一族が住んでいた地に飢饉が訪れた。 イサクは飢饉を避ける為に、住まいをペリシテ人の地ゲラルに移した。 そのとき、神ヤハウェが現れて、イサクに言った。「エジプトに行ってはならぬ。 私はおまえと共にいて、おまえを祝福しよう。 おまえの子孫を空の星のように増やし、おまえとおまえの子孫にこの地を与える。 私はおまえの父アブラハムにした約束を守る。 それは、アブラハムが私の声に従い、私の命令を守ったからである」。 イサクはゲラルに住まいを定めた。 神ヤハウェのご加護によりイサク一族は豊かになり、大金持ちとなり、大小の家畜の群と多くの使用人を持つようになった。 そこで、ペリシテ人はイサクを妬み始めた。 ペリシテ人はかつてアブラハムが掘った井戸を土で埋めてしまった。 ペリシテ人の王はイサクにこの地から出て行くよう要求した。 その後、井戸に関する争いが2、3あり、イサク一族はベエルシバに移った。 その夜、神ヤハウェが現れて、イサクに言った。「私はおまえの父アブラハムの神である。 私はおまえと共にある。 私はおまえを祝福し、おまえの子孫を増やそう」。 イサクはベエルシバに祭壇を築き、幕屋を建て、井戸を掘った。 その後、ペリシテ人の王がイサクと仲直りをして同盟を結びたいと思って、イサクのところへ来た。 イサクはペリシテ人の王の為に宴会を開き、皆で食いかつ飲んだ。 翌朝、イサクとペリシテ人の王は同盟を結んだ。 エザウは40歳でヘト人の2人の女(ユディト、バセマト)を妻にした。 この2人の女が父イサクと母レベッカの心痛の種となっていく。
創世記 第27章
イサクはエザウを愛していた。 妻レベッカはヤコブを愛していた。 イサクは既に年老いて、目はほとんど見えなくなっていた。 イサクはエザウに言った。「野の獣を捕ってきて、私の好きな料理を作って、食べさせておくれ」。 レベッカはその言葉を聞き、ヤコブに言った。「私が主人の好きな料理を作るから、おまえがそれを父のところへ持って行き、食べさせなさい。 そうすれば、おまえの父はおまえを祝福するでしょう」。 ヤコブは母に従い、母が作った料理を父のところに持って行った。 イサクはヤコブをエザウだと思いこみ、その料理を食べ、ヤコブを祝福し、全財産をヤコブに与えた。 その直後、エザウが狩りから戻った。 エザウは料理を作り、父のところに持って行き、言った。「お父さん、この料理を食べて、私を祝福してください」。 こうしてイサクは真実を知った。 エザウはくやしさで大声を上げて叫んだ。「お父さん、私も祝福してください」。 しかし、イサクはエザウを祝福せず、ヤコブへの祝福も撤回しなかった。 エザウは声を出して泣いて言った。「ヤコブを殺してやる」。 母レベッカはその言葉を聞き、ヤコブに言った。「エザウがおまえを殺そうとしています。 私の兄ラバンがいるハランに行き、エザウの怒りが収まるまでそこにいなさい」。
創世記 第28章
イサクはヤコブを呼んで言った。「おまえはカナンの娘の中から妻を選んではいけない。 母の父ベトエルの家へ行け。 そして、母の兄ラバンの娘の中から妻を選べ」。 ヤコブは父の言いつけに従い、ハランに向かった。 その途中のある所(エルサレムの北方20qにあるベテル)で、神ヤハウェがヤコブの夢の中で現れて言った。「私はおまえの祖父アブラハムの神であり、おまえの父イサクの神である。 おまえが今横たわっているこの地をおまえとおまえの子孫に与えよう。 おまえの子孫は地の塵の数ほどに増えるであろう。 私はいつもおまえと共にいて、おまえを守る。 私はおまえを見捨てることはない」。 ヤコブは目を覚まして、恐れおののいた。
創世記 第29章
ヤコブはハランの近くで家畜の群れを引き連れている娘を見た。 その娘は母レベッカの兄ラバンの娘ラケルであった。 ヤコブはラバンの家に行き、自分の身に起きた事を全て話した。 ヤコブはラケルを愛するようになり、ラバンに仕えることになった。 7年後、ヤコブはラバンの2人の娘レア(姉)とラケル(妹)を妻にし、更に7年間ラバンに仕え、ラバンの財産をとても大きくした。 ヤコブはラケルを愛していたが、レアを愛していなかった。 レアは4人の男の子(ルベン、シメオン、レビ、ユダ)を産んだが、ラケルは1人も産めなかった。
創世記 第30章
2人の妻レアとラケルとの確執・嫉妬が続いた。 ラケルはヤコブの子を産めないと知って、自分の女奴隷ビルハをヤコブの妻としてヤコブに与えた。 ビルハは2人の男の子(ダン、ネフタリ)を産んだ。 レアはもう自分が子を産めなくなったと知り、自分の女奴隷ジルパをヤコブの妻としてヤコブに与えた。 ジルパは2人の男の子(ガド、アシェル)を産んだ。 レアとラケルとの確執・嫉妬が続く中、レアは男の子イッサカルを産んだ。 更にレアは男の子ザブロンと女の子ディナを産んだ。 その後、ラケルはようやく男の子ヨゼフを産んで、「神は私の恥をぬぐってくださった 」と言った。 ヤコブがラバンに仕え始めてから14年後、ヤコブはラバンに言った。「私を自分の国へ帰らせてください。 妻と子供たちと一緒に出発させてください」。 ラバンは言った。「払ってほしい報酬の額を言ってくれ」。 しかし、ヤコブは報酬を受け取ってすぐ出発するようなことはしないで、これから先の数年間、ラバンの下で働きながら少しずつ報酬を受け取っていくやり方をラバンに提案し、ラバンはその提案を受け入れた。 そこで、ヤコブは更に6年間ラバンの下で働き、工夫して大きな財産(多くの羊、ヤギ、らくだ、ろば)を手に入れた。 ラバンの家畜はどんどん弱くなり、数も減っていった。
創世記 第31章
ヤコブがラバンの下で働き始めてから20年後、神ヤハウェはヤコブに言った。「おまえはこの地を去って、故郷に帰れ」。 そこでヤコブはラバンの隙をつき、2人の妻と子供たちをラクダに乗せ、全財産(家畜など)を連れて故郷に向かった。 ラバンはヤコブを追いかけて、7日目にガラアドの山でヤコブに追いついた。 ラバンとヤコブはいろいろと話し合って、結局、2人は和解した。
創世記 第32章
ヤコブはマハナイムという所まで来た。 ヤコブは兄エザウと和睦しようとして、エドムにいる兄エザウに使者を送った。 エザウは400人の手下を引き連れて来た。 ヤコブはエザウへの贈り物として、200頭の雌ヤギ、20頭の雄ヤギ、200頭の雌羊、20頭の雄羊、30頭のラクダ、40頭の若い雌牛、10頭の雄牛、20頭の雌驢馬、10頭の子驢馬を用意した。 そして、ヤコブはそれらの贈り物を家族の者より先に行かせた。 その日の夜、ヤコブは家族の者を自分より一足先に行かせ、1人残った。 そこへ1人の人が現れ、夜明けまでヤコブと相撲を取り続けた。 その人は神ヤハウェの使いであった。 その人はヤコブに勝てないと思い、ヤコブに言った。「夜が明けてしまうから、もう去らせてくれ」。 ヤコブは言った。「私を祝福して下さるまであなたを離しません」。 すると、その人は「おまえはイスラエル(神と闘っても強い)と称されるだろう。 おまえは神と格闘して勝ったからだ」と言って、ヤコブを祝福した。
創世記 第33章
ヤコブは家族に追いつき、400人を引き連れたエザウを遠くに見た。 ヤコブはエザウに近付きながら、七度も地面にひれ伏した。 エザウはヤコブを迎え、彼を抱きしめた。 エザウは誇り高く誠実な態度を取り、昔のことには一切触れなかった。 2人は泣いた。 エザウは贈り物を受け取った。 エザウは一足先に帰途に着いた。 ヤコブはカナンの地にあるシケムに着いた。 ヤコブは幕屋を張る為の場所を銀百枚で買った。
創世記 第34章
月日が経ち、ヤコブの娘ディナが外出したとき、シケムの首領ハモルの息子シケムはディナに強く心を惹かれ、彼女と一緒に寝た。 ハモルとシケムはヤコブのところに来て、事の真相を話した。 それを聞いたヤコブの息子たちは大いに怒った。 ハモルは言った。「シケムがディナを深く愛しているので、ディナをシケムの妻にしてやってほしい。 我々と同盟を結ぼう」。 ヤコブの息子たちは言った。「割礼を受けていない男にディナを嫁がせることはできない。 あなたがたの男全員が割礼を受ければ、あなたがたの申し入れを受けよう」。 ハモルとシケムはその提案を受け入れた。 そこで、ハモルとシケムは町の人々にその提案を説明し、その提案を受け入れるよう説得した。 町の人々はこの提案を受け入れ、町の男たちは全員割礼を受けた。 この町の男たちが割礼の痛みに苦しんでいたとき、ヤコブの息子シメオンとレビは剣を取って、ハモルとシケムをはじめ町の男全員を殺し、町の財産を全て略奪した。 ヤコブはシメオンとレビに言った。「おまえたちは困った事をしてくれた。 彼らは私の敵となり、私の一族を滅ぼそうとするだろう」。
(批評・・・この辺からユダヤ人の苦難の歴史が始まるように思える。 ヤコブの息子シメオンとレビがしたことを現代のユダヤ人はどう評価しているのだろうか。)
創世記 第35章
神ヤハウェはヤコブに言った。「ベテルに行き、そこに祭壇を築け」。 ヤコブは家族と一緒にベテルに行き、そこに祭壇を作った。 神ヤハウェは再びヤコブに言った。「おまえの名はもはやイスラエルである。 おまえは子孫を増やせ。 おまえの子孫から多くの王が生まれる。 アブラハムとイサクに与えた土地をおまえとおまえの子孫に与える」。 ベテルから帰る途中、ラケルは難産の末、男の子を産み、死んだ。 ラケルはベツレヘムに通じる道沿いに葬られた。 ラケルが産んだ男の子はベニヤミンと名付けられた。 ヤコブの子は12人になった。 レアが産んだ子は、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ザブロンである。 ラケルが産んだ子は、ヨゼフ、ベニヤミンである。 レアの女奴隷ジルパが産んだ子は、ガド、アシェルである。 ラケルの女奴隷ビルハが産んだ子は、ダン、ネフタリである。 ヤコブ一族はヘブロンにいる父イサクのところへ行った。 イサクは180歳になっていた。 それから間もなくイサクは時が満ちて息絶えて先祖の列に加わった。 エザウとヤコブがイサクを葬った。
創世記 第36章
この章では、エザウの一族がセイルの地(死海の南端から南に50km位にある山岳地帯)に住んでいたことや、エザウの妻の名前や子孫の名前などが書かれている。 エザウの子孫はエドム人と言われる。 神ヤハウェはエザウの子孫(エドム人)にはカナンの地を与えないつもりらしい。
創世記 第37章
ヤコブはヘブロンの近くにに住まいを定めた。 ヤコブは息子の中でヨゼフを一番愛していた。 ヨゼフは兄たちから憎まれるようなことをよく言った。 ヨゼフが17歳になった頃、ヤコブはヨゼフに言った。「兄たちはシケムで羊を放牧している。 おまえは彼らのところへ行き、放牧の様子を報告せよ」。 ヨゼフはシケムに向けて発った。 兄たちはヨゼフがやって来るのを遠くから見つけ、ヨゼフを殺してしまおうと企んだ。 彼らはヨゼフを捕まえて、ヨゼフの服を剥ぎ取り、ヨゼフを空の貯水槽に投げ込んで、食事を始めた。 ちょうどそのとき、イスマエル人の隊商が通りかかった。 ヨゼフの兄たちはヨゼフを殺すことはせず、ヨゼフをイスマエル人に銀20枚で売った。 こうしてヨゼフはエジプトに連れて行かれた。 ヨゼフの兄たちはヨゼフが野獣に噛み殺されたように工作し、父ヤコブに報告した。 ヤコブはヨゼフが野獣に噛み殺されたと信じ、深く嘆き悲しんだ。 ヨゼフを買ったイスマエル人はヨゼフをエジプト王の重臣であるポティファルに売った。
創世記 第38章
ヤコブの4番目の息子ユダは他の兄弟と離れて幕屋を張っていた。 ユダはカナン人の娘を妻とした。 その女はユダの息子エル、オナン、シェラを産んだ。 ユダは長男エルの妻としてタマルという女を迎えた。 しかし、神ヤハウェは長男エルを憎み、彼を死なせた。 そこで、ユダは次男オナンに対し「タマルを妻にして、死んだ兄の為に子をつくれ 」と言った。 オナンはタマルを妻にしたが、子をつくろうとしなかった。 神ヤハウェはオナンを憎み、彼を死なせた。 そこで、ユダはタマルに言った。「三男シェラが成人するまで父の家に帰っていよ」。 タマルはユダの言いつけに従った。 多くの日が過ぎ去り、ユダの妻が死んだ。 その喪が明けると、ユダはティナムの地に向かった。 すると、ある人がタマルに言った。「あなたの舅ユダがティナムに行こうとしてますよ」。 タマルは やもめの服を脱ぎ、ベールを身にまとい、ティナムに向かう道にあるエナイムの門の傍に腰かけた。 ちょうどそこへユダが通りかかり、タマルを娼婦だと思い、彼女と一緒に寝た。 タマルはユダの子を身籠もった。 3ヶ月ほど経って、ユダは、タマルが身を売って、そのせいで身ごもっていることを知った。 そして、ユダは、娼婦だと思って一緒に寝た女がタマルだったことを知った。 タマルは産期満ちて双子を産んだ。
創世記 第39章
ヨゼフは神ヤハウェのご加護によりポティファルに気に入られ、やがて、ポティファル家の支配人となり、ポティファル家の全財産を管理した。 ポティファルの妻が容姿端麗なヨゼフを何度も誘惑したが、ヨゼフはそれに応じなかった。 ヨゼフはポティファルの妻の姦計により捕らえられ、牢に入れられた。 しかし、ヨゼフは神ヤハウェのご加護により看守長に気に入られ、牢の中の事は全てヨゼフに任された。
創世記 第40章
エジプト王の重臣である酌取り頭とパン焼き頭の2人がエジプト王の逆鱗に触れ、ヨゼフが入れられていた牢に入れられた。 酌取り頭とパン焼き頭の2人は牢の中で奇妙な夢を見た。 ヨゼフは2人の見た夢を解き明かした。 そして、事実その通りになった。 酌取り頭は復職し、パン焼き頭は絞首刑にされた。
創世記 第41章
それから2年後、エジプト王は気味の悪い夢を2回見た。 そして、酌取り頭が以前牢の中で一緒だったヨゼフのことをエジプト王に話した。 エジプト王はヨゼフを牢から出し、ヨゼフに正装させて、拝謁を許し、ヨゼフに夢解きをさせた。 このとき、ヨゼフは30歳であった。 ヨゼフは言った。「これから7年間大豊作が続きます。 そして、その後7年間大飢饉が続きます。 そこで、大飢饉に備えて、大豊作が続く間に対策を取らなければなりません」。 エジプト王と家臣たちはこの発言がたいそう気にいった。 エジプト王はヨゼフを首相に任命し、自分の指輪をヨゼフの指に嵌め、ヨゼフの首に金の首飾りを掛け、大飢饉に備えて対策を取るようヨゼフに命じた。 ヨゼフは大豊作の7年間に小麦を十分に備蓄した。 飢饉の年が来る前にヨゼフには2人の息子マナセ、エフライムが生まれた。 この子らを産んだのはエジプトの祭司の娘アスナトであった。 大飢饉が始まってからは、エジプト王はヨゼフに命じて、備蓄した小麦を人々に提供した。 こうして、エジプトだけは飢餓から免れた。
創世記 第42章
エジプトに大飢饉があったとき、カナンの地にも飢饉があった。 ヤコブはベニヤミン以外の10人の息子に、エジプトに行って小麦を買ってくるように言った。 10人の息子はエジプトに向かった。 彼らはヨゼフのもとにやって来て、顔を地につけて、ひれ伏した。 彼らはヨゼフが自分たちの弟であるとは気付かなかった。 ヨゼフは彼らが自分の兄であることに気付いたが、素知らぬ振りをした。 10人の兄弟は言った。「我々は12人兄弟です。 末の弟は父のもとにいます。 もう1人は今はおりません」。 ヨゼフは彼らを牢に入れ、三日目に彼らに言った。「おまえたちの1人だけが牢に残り、他の者は必要な小麦を持って帰り、その後で末の弟を連れて、ここに戻れ。 そうすれば、おまえたちの1人も殺されることはない」。 ヨゼフはシメオンを囚人として牢に残し、他の者には必要な小麦を与え、小麦代金までも小麦袋の中に入れ、彼らをカナンに帰した。 カナンに戻った兄弟たちは事の顛末を父ヤコブに話した。 ヤコブはベニヤミン(末っ子)をエジプトに行かせることには耐えられなかった。 長男ルベンが言った。「私に任せてください。 きっとベニヤミンを連れ戻します」。 しかし、ヤコブは承知しなかった。
創世記 第43章
ヤコブ一家が小麦を食い尽くしたとき、息子ユダが父ヤコブに言った。「ベニヤミンを我々と一緒に行かせてください。 ベニヤミンのことは私が保証します」。 ヤコブはユダの申し入れを受け入れ、ヨゼフへの多くの贈り物と前回の小麦代金と今回の小麦代金とを息子たちに持たせ、彼らをエジプトに行かせた。 彼らはエジプトに行って、ヨゼフの前に出た。 ヨゼフはベニヤミンが来たことを知り、シメオンを牢から出し、彼らをもてなす食事の準備を執事に命じ、彼らを自宅に招待した。 彼らはヤコブに贈り物を差し出して、ひれ伏した。 ヨゼフは父ヤコブのことなどを問いかけ、彼らを盛大に歓待した。
創世記 第44章
ヨゼフは執事に命じて、彼らの袋に入る限りの小麦を入れ、ベニヤミンの袋には更にヨゼフの銀の杯を入れた。 翌日、彼らが出発し、町を少し出たところで、ヨゼフは執事に言わせた。「おまえたちはなぜご主人様の杯を盗んだのか」。 彼らは急いで自分の袋を開けてみた。 すると、ベニヤミンの袋から銀の杯が見つかった。 彼らはヨゼフの家に戻り、ヨゼフに言った。「我々全員、あなた様の奴隷になります」。 ヨゼフは答えた。「杯を持っていた者が私の奴隷になるだけでよい。 他の者は父のもとに帰ってよい」。 ユダが進み出て言った。「父は末の弟をこよなく愛しております。 もし、末の弟が帰還できなければ、父は悲しみで死んでしまうでしょう。 ですから、末の弟の代わりに私を奴隷として残してください」。
創世記 第45章
そのとき、ヨゼフは自分の気持ちを抑えきれなくなり、家臣をその場から退けて、兄弟たちに言った。「私はヨゼフだ。 父はまだ生きているのか」。 兄弟たちは唖然として何も言えなかった。 ヨゼフは続けて言った。「主なる神が、あなた達を救う為に、あなた達より先に私をここに送ったのだ。 主なる神が私をエジプトの首相にして下さったのだ。 飢饉はあと5年続く。 急ぎ父のところに戻り、全財産を携えて私のところへ来るよう、父に伝えてほしい」。 ヨゼフは兄弟皆と抱き合って泣いた。 エジプト王はヨゼフに言った。「私はおまえの兄弟たちにエジプトの一番よい土地を与えよう」。 ヨゼフはエジプト王の命令に従い、兄弟たちに車、旅の食料、着替えなどを与え、ベニヤミンには銀300枚と着替え5着を与え、父ヤコブの為にエジプトの最良産物を載せた驢馬10頭と小麦とパンを載せた10頭の驢馬を用意させた。 ヨゼフの兄弟たちは父のもとへ帰り、事の顛末を父に告げた。
(批評・・・ヨゼフがヤコブ一族をエジプトに招いた結果として、ヤコブの子孫はその後エジプト人の奴隷となり、430年間もエジプトに留まることになる。 奴隷になる方が飢え死にするよりましだというのか。 これは神ヤハウェの立てた計画であるが、なぜ神ヤハウェはこんな計画を立てたのか。 エジプトの金銀・財宝を分捕る為か。)
創世記 第46章
神ヤハウェはヤコブに言った。「恐れずにエジプトに行け。 私もエジプトに行く」。 ヤコブ一族は全財産(家財、家畜)を携えてエジプトに向かった。 エジプトに入ったヤコブの子孫の総数(妻を数に入れない)は66人である。 ヤコブ一族はゴシェンの地に着き、ここでヤコブとヨゼフは面会し、抱き合って泣いた。
創世記 第47章
ヨゼフは兄弟のうちの5人と父ヤコブをエジプト王に紹介した。 エジプト王はヨゼフの兄弟に尋ねた。「おまえたちの職業は何か」。 ヨゼフの兄弟は答えた。「我々は家畜の群れの牧人です。 我々の家畜の為の牧草が無くなってしまったので、ここに来ました」。 エジプト王の好意でヤコブ一族は羊飼いとしてゴシェンの地に住むことができた。 エジプトの飢饉はとても厳しく、エジプト人民はエジプト王からパンを買う為の所持金や家畜を使い切り、更にパンを買う為に土地をエジプト王に売り、エジプト王の奴隷となった。 ヨゼフはエジプト人民に小麦の種をやり、収穫量の五分の一をエジプト王に提出するよう命じた。 老いたヤコブはヨゼフに言った。「私が死んだら、私の遺体をエジプトから運び出し、先祖の墓に葬ってくれ」。
創世記 第48章
ヤコブは病床でヨゼフに向かって、かつて神ヤハウェが現れて、カナンの地をヤコブの子孫に永遠に与えると言ったことや、ヨゼフの2人の息子を自分の養子にすることや、ヨゼフの母ラケルの墓のことなどを話して聞かせた。 そして、ヤコブは両手をヨゼフの2人の息子マナセとエフラエムの頭の上に置き、この2人を祝福した。 そして、ヤコブはヨゼフに言った。「おまえにはシケム(ヤコブの所有地)を与える」。
創世記 第49章
ヤコブは息子たち全員を集めて、彼ら全員の性格などを述べ、彼ら全員の将来を暗示した。 最後にヤコブは言った。「私は先祖の列に加わろうとしている。 私をマクペラの洞穴にある墓に葬ってくれ。 アブラハムとその妻サラはそこに葬られ、イサクとその妻レベッカもそこに葬られた。 私はレアをそこに葬った」。 ヤコブはこう言い終えると、息絶えて先祖の列に加わった。 ヤコブはエジプトで17年間生きた。 ヤコブの生涯は147年だった。
創世記 第50章
ヨゼフは父の遺体に防腐処理を施した。 ヤコブの息子たちは父を葬る為に、カナンの地へ向かった。 エジプト王の重臣たちや高官たちも同行した。 ヤコブの息子たちは盛大な告別式を行ない、父ヤコブをマクペラの洞穴にある墓に葬った。 一行はエジプトに戻った。 ヨゼフの兄たちは、父が死んだのでヨゼフが自分らに復讐するかもしれないと心配したが、ヨゼフはそんなことはしないと言って、兄たちを慰め、励ました。 月日が経ち、老いたヨゼフは死の間際に兄弟たちに言った。「主なる神はアブラハムとイサクとヤコブに約束した地へあなた方を導き出してくださる」。 ヨゼフは110歳で死んだ。 ヨゼフの遺体は防腐処理を施され、棺に納められて、エジプト内に埋葬された。

創世記の作者は実に壮大な構想を立てたものである。 創世記の作者は、神ヤハウェが天地を創造し、人類の始祖を作ったとし、それにより、神ヤハウェの権威を高め、人類の始祖からアブラハムに至る系図を描き、イスラエルの民の始祖としてアブラハムを立て、イスラエルの民の優位性をイスラエルの民に誇示した。 また、創世記の作者は、神ヤハウェが「ヤコブ(イスラエル)の子孫にカナンの地を永遠に与えること 」をヤコブに約束したとし、それにより、イスラエルの民だけがカナンの地に対する正当な所有権を持っているとイスラエルの民に思わしめ、彼らがカナンの地の先住民を抹殺・殲滅することは正当だと彼らに思わしめる下地を作った。

出エジプト記 第1章
ヤコブ一族がエジプトに入った時点で、ヤコブの子孫の総数はヤコブ本人とヨゼフとその息子2人とを含めて70人であった。 エジプトで彼らの子孫は増え、地に満ちるほどになった。 エジプト王は交代し、新しいエジプト王はもはやヤコブを知らなかった。 新しいエジプト王はエジプト人民に言った。「イスラエルの民の人口は我々より多く、勢力も強い。 彼らが増え過ぎないようにせねばならぬ」。 そこで、エジプト人はイスラエルの民に重労働をさせ、押さえつけた。 しかし、イスラエルの民は押さえつけられれば押さえつけられるほど増えていった。 エジプト人はイスラエルの民を恐れ、益々憎み、イスラエルの民を奴隷制度に服従させた。 それでも神ヤハウェのご加護によりイスラエルの民は増え続けた。 そこで、エジプト王はエジプト人民に言った。「イスラエル人が生んだ男の子を全て川に投げ込め。 女の子は生かしておいてよい」。
出エジプト記 第2章
ヤコブの子孫レビ族の男がレビ族の娘と結婚し、娘は男の子を産んだ。 その子はたいそう美しかったので、三ヶ月ほど隠されていたが、それ以上隠しきれなかったので、パピルスで編んだ籠に入れられて、川岸の葦の茂みの中に置かれた。 その子の姉が少し離れた所に身を隠して、見守っていた。 しばらくすると、エジプト王の娘が水浴びをしに川にやって来て、男の子を見つけ、哀れに思った。 その場に男の子の姉が出てきて、機転を利かし、男の子の実母を男の子の乳母として連れてきた。 エジプト王の娘は男の子の実母に言った。「この子を連れて行って、私の為に育てておくれ。 その為の報酬は与えますから」。 その男の子が成長したとき(年齢不詳)、男の子の実母はその子をエジプト王の娘のもとに連れて行った。 エジプト王の娘はその子を我が子のように可愛がり、養子とし、モーゼと名付けた。 多くの月日が過ぎ、ある日のこと(モーゼ40歳の頃か)、モーゼはイスラエルの民がどんなに過酷な仕事を強いられているかを知った。 モーゼはあるエジプト人がイスラエルの民を打ち叩いているのを見た。 モーゼはそのエジプト人を殺し、その死体を砂の中に隠した。 しかし、この事件はエジプト王に知られてしまった。 そこでモーゼは身の危険を感じ、エジプトを出て、マディアンの地(シナイ半島東部)に逃げた。 モーゼはその地の祭司レウエルの娘ジッポラと結婚し、その地に長年(40年間位か)留まった。 この間にエジプト王は死んだ。 イスラエルの民は奴隷の苦しさから逃れたいと乞い願った。 神ヤハウェはその願いの叫びを聞き、アブラハム・イサク・ヤコブとの契約を思い出した。
(批評・・・神ヤハウェはイスラエルの民の願いの叫びを聞くまで、アブラハム・イサク・ヤコブとの契約を忘れていたとは! これが一流の神の記憶力か。)
出エジプト記 第3章
モーゼは妻の父レウエルの羊の群れを引き連れてホレブ山(シナイ山)に着いた(モーゼ80歳の頃か)。 そのとき、神ヤハウェがモーゼの前に炎のような形で現れた。 モーゼの前の木の茂みに炎が立ち上がっていたが、なぜか木の茂みは焼けていなかった。 モーゼが木の茂みに近づこうとすると、神ヤハウェが木の茂みの奥から言った。「モーゼ、モーゼ、近寄るな。 私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。 私はイスラエルの民の苦しみをよく知っている。 私は彼らをエジプトから救い出し、乳と蜜の流れるカナンの地へ導こうと思う。 おまえはファラオのところへ行き、イスラエルの民をエジプトから脱出させよ」。 モーゼは神ヤハウェに尋ねた。「私がイスラエルの民のところへ行き『あなたたちの先祖の神が私をここにお使わしになった』と言ったら、彼らは神の名を尋ねるでしょう。 私はどう答えればよいのですか」。 神ヤハウェはモーゼに答えた。「私は“在る”である。 イスラエルの民に『“在る”が私をお使わしになったのだ』と言え。 イスラエルの長老たちを集めて、次のように告げよ。 『おまえたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神が私にお現れになって、おまえたちをエジプトから救い出し、カナン人、ヘト人、アムル人、ペリシテ人、ヒビ人、エブス人の住んでいる土地へ、乳と蜜の流れるカナンの地へ導こうと決心なさった』と。 そして、おまえはイスラエルの長老たちと一緒にエジプト王のもとへ行き、次のように言え。 『我々イスラエル人の神に生贄を捧げる為に、歩いて三日ほどかかる荒れ野まで行くことをお許しください』と。 私はおまえたちを援助する。 私はおまえたちのエジプト脱出をうまく計らう」。
(批評・・・430年間現れなかった神ヤハウェがようやくモーゼのところに現れた。 この間、神ヤハウェは何をしていたのか。)
出エジプト記 第4章
モーゼは神ヤハウェに言った。「エジプト人が私の言うことを信じなかったら、どうしましょうか」。 神ヤハウェはモーゼの心配を考慮して、モーゼが地に投げた杖を蛇に変える魔術やモーゼが懐に入れた手を雪のように白くする魔術をモーゼに示した。 それでもモーゼは自分が口下手であることを理由に神ヤハウェの命令を断った。 そのとき神ヤハウェは怒ってモーゼに言った。「おまえの兄アロンは話しが達者だ。 おまえは彼の口を使って、彼の口から話せ」。 モーゼは神ヤハウェの命令を受け入れ、妻の父レウエルのところへ戻り、暇乞いをした。 モーゼは妻と息子を連れてエジプトに向かった。 神ヤハウェはアロンに言った。「モーゼを迎えに荒れ野の方に行け」。 モーゼとアロンはホレブ山で出会い、抱き合った。 モーゼは事の子細をアロンに伝えた。 モーゼとアロンはイスラエルの民の長老たちを呼び集め、アロンが事の子細を彼らに伝えた。 長老たちは喜び、地にひれ伏した。
出エジプト記 第5章
モーゼとアロンはエジプト王のもとに行って、次のように言った。「我々イスラエル人の神に生贄を捧げる為に、歩いて三日ほどかかる荒れ野まで行くことをお許しください。 イスラエル人の神が私に現れて、そうせよと言ったのです」。 エジプト王はこの願いを聞き入れなかった。 それどころか、エジプト王はイスラエルの民に課す労働を一層厳しくした。 モーゼは神ヤハウェに言った。「私がエジプト王のもとに来てから、エジプト王はイスラエルの民を益々強く虐げています。 それなのに、あなたは彼らを救う為の事を何一つしていません」。
出エジプト記 第6章
神ヤハウェは自分の考えをイスラエルの民に説明するようモーゼに命じた。 モーゼはイスラエルの民に次のように説明した。「あなた方の主なる神があなた方をエジプト人の酷使から解放し、奴隷制度から救い出し、エジプト人を裁いてくださる。 そして、あなた方をカナンの地に導き、その地をあなた方に与えてくださる」。 しかし、イスラエルの民は耳を貸さなかった。
出エジプト記 第7章
神ヤハウェはモーゼに言った。「私が命じたことを全てアロンに伝えよ。 アロンがそれをエジプト王に伝え、イスラエルの民がエジプトから出ることをエジプト王に認めさせよ。 エジプト王が拒否したら、私はエジプトに厳罰を加える」。 モーゼとアロンは命じられた通りにした。 エジプト王は益々頑固になった。 この時、モーゼは80歳、アロンは83歳であった。 モーゼとアロンは神ヤハウェの命令でエジプト王のところに行き、王と家臣の前でアロンが杖を振り上げ、ナイル川の水を打った。 すると、ナイル川の水は全て血と変わり、ナイル川の魚は浮き上がり、ナイル川の水は飲めないほど臭くなった。 しかし、エジプトの魔術師たちも同じ事を行なった。 エジプト王は益々頑固になった。
出エジプト記 第8章
アロンは神ヤハウェの命令でナイル川の水の上に手を差し伸ばした。 すると、大量の蛙が上がってきて、エジプトの地を覆い尽くした。 しかし、エジプトの魔術師たちも同じ事を行なった。 エジプト王はモーゼとアロンを呼んで言った。「蛙を川に戻してくれ。 そうしてくれれば、イスラエルの民の出国を許そう」。 モーゼはエジプト王の要求を神ヤハウェに伝えた。 神ヤハウェはそれを聞き入れた。 ところが、エジプト王は益々頑固になり、イスラエルの民の出国を許さなかった。 次にアロンは神ヤハウェの命令で杖を手に持ち、地の塵を打った。 すると、地の塵は悉く蚊に変わった。 人々と動物はこの蚊に襲われた。 エジプトの魔術師たちも塵を蚊に変えようと試みたが、できなかった。 エジプト王は依然頑固であった。 そこで、神ヤハウェはイスラエルの民が住むゴシェンの地を除くエジプト全土に虻(あぶ)の大群を発生させた。 しかし、エジプト王はイスラエルの民の出国を許さなかった。
出エジプト記 第9章
神ヤハウェはエジプト人の家畜の全てを疫病にかからせ、全て死なせた。 それでもエジプト王はイスラエルの民の出国を許さなかった。 モーゼは神ヤハウェの命令で竈の煤(すす)を多量に持ってエジプト王のもとに行き、その煤を空中に撒き散らした。 すると、その煤が人と獣に着いて腫れ物になり、ひどい膿が出た。 しかし、エジプト王は依然頑固であった。 そこで、モーゼは神ヤハウェの命令で天に向かって杖を振り上げた。 すると、ゴシェンの地を除くエジプト全土に雷と共にとても大きな雹が激しく降り、人や獣を打ち、草を倒し、木を叩き折った。 しかし、それでもエジプト王はイスラエルの民の出国を許さなかった。
(批評・・・第7章、第8章、第9章において、出エジプト記の作者は奇抜な脚色を使いすぎているのではないか。)
出エジプト記 第10章
エジプト王はモーゼとアロンを呼び出して言った。「エジプトからの出国を希望するものは誰か」。 モーゼは答えた。「イスラエルの民の全てとイスラエルの民の家畜の全てである」。 エジプト王は言った。「おまえたちは腹黒い。 おまえたちは生贄の儀式をやりたいのだから、男だけが行けばよい」。 この日から神ヤハウェは東風を吹かせた。 その東風はものすごく大量のイナゴを運んできた。 そのイナゴはエジプト全土に広がり、青草と木の実を全て食い尽くした。 それでもエジプト王はイスラエルの民の出国を許さなかった。 モーゼは神ヤハウェの命令で天に手を差し伸べた。 すると、ゴシェンの地を除くエジプト全土は三日間真っ暗闇となった。 それでもエジプト王はイスラエルの民の出国を許さなかった。 エジプト王はモーゼを呼び出して言った。「もはや、私の前に顔を出すな」。
出エジプト記 第11章
それに対してモーゼはエジプト王に言った。「われらの主はこう仰せだ。 『真夜中頃、エジプト人の長男は全て死ぬ。 エジプト人の長男の全てとエジプト人の家畜の初子の全ては死ぬ』と」。 モーゼはこう言ってエジプト王のもとを去った。
出エジプト記 第12章
神ヤハウェはモーゼに対しイスラエルの民に次のように言うよう、命じた。「今月を年の第1の月とせよ。 今月の10日にそれぞれの家で、傷のない雄の子羊か雄の子ヤギの中から1頭を選び出し、今月の14日の日暮れ時にそれを屠り、その血を家の入り口の柱と梁(はり)に塗れ。 その日の夜、屠った家畜の頭も足も内臓も全て火で焼き、それを種なしパンと一緒に食べよ。 そして21日の夜まで種なしパンを食べよ。 この期間中に種ありパンを食べた者はイスラエルの集団から断ち切られる」。 モーゼはイスラエルの長老たちを呼び集めて、神ヤハウェの指示を説明した。 14日の夜、神ヤハウェはエジプト人の長男の全てとエジプト人の家畜の初子の全てを死なせた。 エジプト王はモーゼとアロンを呼び出して言った。「おまえたちイスラエルの民はエジプトから去ってくれ。 おまえたちの家畜も全て連れて行け」。 イスラエルの民は出国の準備として、隣人のエジプト人から金銀の飾りや衣服を好意的にもらった。 これは、エジプト人がイスラエルの民に金銀の飾りや衣服を好意的に譲り渡すよう、神ヤハウェが取り計らっていたからであった。 第1の月の15日、イスラエルの民はおびただしい数の家畜を引き連れ、スコットに向けてエジプトのラムセスを出発した。 (民数記の第33章を参照。 出エジプトは紀元前1240年頃のことと考えられている)。 その数は歩ける男だけでも60万人であった。 イスラエルの民がエジプトに住んだ年数は430年間であった。 神ヤハウェはモーゼとアロンに過ぎ越しの祭りの規定を細かく示した。
(批評・・・エジプトを出たイスラエルの民のうち、歩ける男だけでも60万人もいるとなると、エジプトを出たイスラエルの民の総勢は200万人程度であったと推定される。 この200万人が引き連れていた家畜の総数は明記されていないが、恐らくその総数は少なくとも400万頭はあったであろう。 今のシナイ半島は荒れ野(大部分が砂漠)であるが、当時のシナイ半島も荒れ野であったろう。 こんな土地で400万頭の家畜を飼うことができるのか。 総勢200万人と400万頭の家畜が40年間に渡ってシナイ半島に滞留するなどということは史実としては有り得ない。 出エジプト記は誇張に満ちている。 出エジプト記の第1章にはエジプトに入ったヤコブの子孫の総数は70人であったとある。 このヤコブ一族の男子の数がエジプト在住中の430年間で60万人にまで増えるということが本当に有り得るだろうか。 出エジプト記の続編とも言える民数記も誇張に満ちている。 また、この章あたりから、神ヤハウェはイスラエルの民の守護神であることが明確になってくる。)
出エジプト記 第13章
神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民の初めての子と家畜の初子は私のものである」。 モーゼはイスラエルの民に言った。「おまえたちをエジプトから脱出させてくださったのは主なる神である。 主なる神がおまえたちにカナンの地をお与えくださるときには、おまえたちは初めての子と家畜の初子を主なる神に捧げねばならぬ」。 神ヤハウェはペリシテ人の土地を避けてイスラエルの民を葦の海(グレートビター湖か?)に向けて行かせた。 モーゼはヨゼフの遺骨を携えていた。 神ヤハウェは昼には雲の柱のような形となってイスラエルの民を先導し、夜には火の柱のような形となって彼らを照らした。
(批評・・・「おまえたちは初めての子と家畜の初子を主なる神に捧げねばならぬ」とは具体的にはどういうことか。 この言葉を文字通りに解釈すれば、「おまえたちは初めての子と家畜の初子を生贄として殺し、主なる神に捧げねばならぬ」ということになるのだろうが、本当にそう解釈して良いのか。)
出エジプト記 第14章
エジプト王は軍隊を招集し、戦車600台を使って、イスラエルの民を追いかけた。 エジプト王の軍隊はイスラエルの民に追いついた。 このとき、イスラエルの民は恐れおののき、モーゼに言った。「我々は荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕えるほうがよい」。 モーゼはイスラエルの民に言った。「恐れるな。 主なる神がおまえたちを助けてくださる。 おまえたちは何もしないでよい」。 雲の柱はイスラエルの民の先頭から最後尾に回り、濃い霧となり、エジプトの軍隊の前に立ちはだかった。 モーゼは神ヤハウェの命令で海の上に手を差し伸ばした。 すると、海水は二つに割れ、海の底が現れた。 イスラエルの民はそこを進み、エジプトの軍隊もそこを進んだ。 モーゼは神ヤハウェの命令で海の上に手を差し伸ばした。 すると、エジプトの軍隊がいた所の海水がエジプトの軍隊に襲いかかった。 エジプトの軍隊は全滅した。
(批評・・・エジプト王から首相に任命されたヨゼフや、430年間もエジプトに住み続けたイスラエルの民や、エジプトを脱出したイスラエルの民や、このイスラエルの民を追いかけたエジプト軍に関して、エジプト側には記録が一切無いらしい。 これらの事のどの程度が史実であろうか。)
出エジプト記 第15章
モーゼとイスラエルの民は神ヤハウェを称えて歌った。 イスラエルの民はシュルの荒れ野を三日間進み、マラに着いた。 そこの水は苦くて飲めなかった。 モーゼが神ヤハウェの指示で、ある木をその水の中に投げ込むと、その水は飲めるようになった。 その後、イスラエルの民はエリムに移動し、そこに宿営した。
出エジプト記 第16章
イスラエルの民はエリムを発ち、第2の月の15日にエリムとシナイ山との間にある荒れ野に着いた。 イスラエルの民はモーゼとアロンに不平を言った。「あなた方は我々を飢え死にさせようと思って、我々をこの荒れ野に連れ出したのだ」。 モーゼは言った。「今日の日暮れ、主なる神は食べ物として肉をお与えくださる。 明朝にはパンをお与えくださる。 主なる神はおまえたちの不平をお聞きになった」。 日暮れになると、大量の鶉(うずら)が飛んできて、宿営を覆うほどであった。 翌朝には荒れ野の地面に小さくて白いものが無数にあった。 これは神ヤハウェが与えてくれた草の実であった。 イスラエルの民はこれをマンナと呼んだ。 イスラエルの民はマンナを拾い集め、ひき臼で碾き、粉にし、堅パンのようなものを作って食べた(民数記の第11章を参照)。 イスラエルの民はカナンの地に行き着くまで、40年間もマンナを食べ続けることになる。
出エジプト記 第17章
イスラエルの民はレフィディムに移動した。 しかし、そこには飲み水が無かった。 イスラエルの民はモーゼに抗議した。「あなたは私たちと家畜を水無しで殺す為にエジプトから連れ出したのか」。 モーゼは神ヤハウェの命令でホレブ山(シナイ山)の岩を杖で打った。 すると、水が流れ出てきた。 アマレク人がイスラエルの民に戦いを挑んできた。 モーゼはヨシュアに言った。「戦士を選び、アマレク人との戦いに出向け」。 神ヤハウェのご加護によりイスラエルの軍はアマレク人を打ち破った。
出エジプト記 第18章
マディアンの祭司で、モーゼの姑であるレウエル(エトロ)がモーゼに会いに来た。 モーゼはレウエルにこれまでに起きたことや苦難を語った。 レウエルは神ヤハウェに生贄を捧げた。 その翌日、イスラエルの民が諸々の争いごとをモーゼに裁いてもらおうと思って、モーゼの回りに多数集まってきた。 その数はモーゼが1人で処理できる数ではなかった。 それを見たレウエルはモーゼに言った。「イスラエルの民の中から有能な人を選び、千人のかしら、百人のかしら、五十人のかしらを立て、彼らには大して重要でない問題を裁かせ、おまえは重要な問題だけを裁くようにするとよい」。 モーゼはレウエルの忠告を受け入れ、その通りにした。
出エジプト記 第19章
第3の月のある日、イスラエルの民はレフィディムを出発し、シナイ山の麓に移動した。 モーゼがシナイ山に登って行ったとき、神ヤハウェがモーゼに言った。「イスラエルの民にこう告げよ、『おまえたちが主なる神の命令に従い、契約を守れば、主なる神は特におまえたちを心に掛けてくださる』と。 モーゼは山を下り、イスラエルの民の長老を呼び集め、神ヤハウェの言葉を彼らに告げた。 彼らは言った。「我々は主なる神が仰せられた通りにします」。 モーゼは再び山に登った。 神ヤハウェはモーゼに言った。「今日と明日、民に身を清めさせ、衣服を洗わせよ。 三日目(明後日)私はシナイ山に降りる」。 モーゼは山を下り、イスラエルの民に身を清めさせ、衣服を洗わせた。 それから三日目の夜明けに神ヤハウェがシナイ山の頂に火の形で降りられた。 山は厚い雲で覆われ、稲妻が光り、雷鳴が轟いた。 神ヤハウェはモーゼを山頂に呼び出して言った。「民にねんごろに告げよ。 主を見ようとして山裾の境を越えてはならぬと。 もし、それを越えれば、民の多くは死ぬことになる。 主に近づく祭司たちも身を清めていなければならぬ」。 モーゼは山を下り、民に神ヤハウェの言葉を告げた。
出エジプト記 第20章
神ヤハウェはイスラエルの民に言った。「エジプトの地からおまえたちを連れ出したのは私である。 私以外のどんなものも神としてはならぬ。 どんな像も作ってはならぬ。 どんな像も礼拝してはならぬ。 私は、私を憎む者には、その者の四代目の子までをも罰するような妬み深い神である。 私は、私を愛して契約を守る者には慈しみを与える。 神の名を唱えてはならぬ。 六日の間働いて、七日目にはどんな仕事もしてはならぬ。 七日目は安息日である。 父と母を敬え。 人を殺してはならぬ。 姦通してはならぬ。 盗みをはたらいてはならぬ。 偽証してはならぬ。 隣人の妻・財産を欲しがってはならぬ」。 稲妻が光り、雷鳴が轟き、イスラエルの民は恐れ震えた。 イスラエルの民はモーゼに言った。「あなたが話してください。 神が我々にお話にならないようにしてください。 さもないと、我々は死んでしまいます」。 モーゼはイスラエルの民に言った。「大丈夫だ。 主なる神はおまえたちに神への恐れを持たせようと、なさっているのだ」。 モーゼはイスラエルの民から離れ、山を登り、神ヤハウェがいる暗い雲に近づいた。 そのとき、神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民にこう言え。 『銀の神々や金の神々を作って、主なる神と並べてはならぬ。 土の祭壇を作り、平和の生け贄と小さい家畜と大きい家畜の生贄を供え、燔祭を行なえ』」。
(批評・・・「私以外のどんなものも神としてはならぬ」。 これが、「唯一絶対の神ヤハウェ」と言われるときの「唯一絶対」の意味である。 創世記の作者や出エジプト記の作者は、世界には神ヤハウェ以外に様々な神々や神に類する天人がいることを知っている。 しかし、創世記の作者や出エジプト記の作者は「イスラエルの民は神ヤハウェだけを礼拝しなければならない。 イスラエルの民は神ヤハウェ以外の如何なるものも礼拝してはならない」と言っているのである。 従って、神ヤハウェを信仰する者は「自分が信仰する神は唯一絶対的に正しい」と思っている。 従って、神ヤハウェを信仰する者は「自分が信仰する神以外の神々は全て間違っている」と思う傾向を強く持っている。 このような信仰が一神教というものである。 一神教に対して、多神教は多くの神々を礼拝することを許す宗教である。 出エジプト記の作者は神ヤハウェをして「どんな像も作ってはならぬ。 どんな像も礼拝してはならぬ」と言わせるほど、神ヤハウェに妬み深い性格を与えた。 また、十戒に従えば、ユダヤの社会ではどんな彫刻もしてはならない。 従って、ユダヤの社会には彫刻という芸術はないことになる。)
出エジプト記 第21章
この章は第20章の続きである。 この章には、イスラエルの民の守るべき掟(規範)として神ヤハウェがモーゼに語った事(民法、刑法)が具体的にかなり細かく記されている。 例えば、「命には命で、目には目で、歯には歯で、手には手で、足には足で、火傷には火傷で、傷には傷で、打ち身には打ち身で償わねばならぬ 」とある。 詳しいことは省略する。
(批評・・・神ヤハウェはイスラエルの民の守るべき規範の全てを自らが決めないと気が済まないように見える)
出エジプト記 第22章
この章でも、イスラエルの民の守るべき掟(規範)として神ヤハウェがモーゼに語った事(民法、刑法、道徳律)が具体的にかなり細かく記されている。 例えば、「初めての子は私に捧げよ。 家畜についても同様にせよ 」とある。 これと同じことが第13章にもある。 これを文字通りに解釈すると、「初めての子および家畜の初子は私への生贄として殺し、私に捧げよ 」ということになるが、実際はどうだったのか。
出エジプト記 第23章
この章でも、、イスラエルの民の守るべき掟(規範)として神ヤハウェがモーゼに語った事(道徳律、祭祀規定、宗教規定)が具体的に細かく記されている。 また、「私はカナンの地に住んでいる民をだんだんに追い払う。 これは、イスラエルの民がその地を残らず占領できるほどに増え広がるのを待つ為である」ともある。 このやり方は正に、ソ連やロシアから現在のイスラエル国にやって来たユダヤ人がヨルダン川西岸(中東戦争でイスラエルが占領した土地)にどんどん入植していくやり方と同じである。 更に神ヤハウェは、「おまえたちが私の命令を全て守れば、私はおまえたちをカナンの地に導き、そこに住んでいる民(アムル人、カナン人、ヘト人、リジ人、ヒビ人、エブス人)を滅ぼす 」とまで言っている。 だが、200万人近くのいるイスラエルの民の全員が神ヤハウェの数多い命令を全て守るなどということは所詮不可能なことである。 イスラエルの民の少なくとも1人が神ヤハウェの命令の少なくとも1つに背いたときのことについては書かれていない。 イスラエルの民がカナンの地に入るまでに、イスラエルの民の一部分あるいは大部分は神ヤハウェの命令にしばしば背くことになるが、結局、神ヤハウェはイスラエルの民をカナンの地に入れてしまう。 いい加減である。
出エジプト記 第24章
モーゼは山を下りイスラエルの民のところに戻り、神ヤハウェが述べた諸々の掟(規範)を書き記した。 モーゼは翌朝早く起き出し、山の麓に祭壇を築き、12個の石柱を立てた。 それから、モーゼは、1頭の若い牛を生贄として供え燔祭を行なうよう、イスラエルの若者たちに命じた。 モーゼはその血の半分を鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注いだ。 それからモーゼは諸々の規定を記した書を手に取り、イスラエルの民に向かってそれを読み上げた。 イスラエルの民は言った。「我々は主なる神の仰せられたことを全て守ります」。 モーゼは鉢の中の血をイスラエルの民の上に撒き散らして言った。「この血は主なる神がおまえたちと結ばれた契約の血である」。 モーゼはアロン、ナダブ、アビウ、70人の長老を連れて山に登った。 彼らは神ヤハウェのいる所を見た。 彼らはそこで食べたり飲んだりした。 神ヤハウェはモーゼに言った。「十戒を書いた石板をおまえに渡すから、私のところへ来い」。 モーゼは長老たちに言った。「私が帰ってくるまで、ここで待て」。 モーゼは更に山を登った。 それから7日目、神ヤハウェは山頂を覆う雲の中からモーゼを呼んだ。 モーゼはその雲の中に入り、40日間そこに留まった。
出エジプト記 第25章
この章では、神ヤハウェは、十戒を記した石板を納める為の櫃(聖櫃)と純金のカポレット(聖櫃の蓋か?)と櫃を載せる為の台と純金の燭台を作るよう、モーゼに命じた。 その指示内容は読んでいてうんざりするほど細かい。 このような指示内容は「世界を創造した最高神」「全知全能の神」が出す指示内容としてふさわしいであろうか。
出エジプト記 第26章
この章では、神ヤハウェは、自身の住まい(出会いの幕屋)を作るよう、モーゼに命じた。 その指示内容も読んでいてうんざりするほど細かい。
出エジプト記 第27章
この章では、神ヤハウェは、祭壇と自身の住まい(出会いの幕屋)の前庭の囲いを作るよう、モーゼに命じた。 その指示内容も読んでいてうんざりするほど細かい。
出エジプト記 第28章
この章では、神ヤハウェはアロンとその子たちを祭司とすることをモーゼに伝えた。 神ヤハウェは、祭司が着る服など祭司が身につける物品を作るよう、モーゼに命じた。 その指示内容も読んでいてうんざりするほど細かい。
(批評・・・神ヤハウェは祭祀用の品々や自身の住まいや祭司が身に着ける品々の細部に至るまで、その作り方を事細かに指示する。 その指示の細かさは偏執狂的である。 大宇宙を創造した神ヤハウェがこの様な細部にまで拘るとは!)
出エジプト記 第29章
この章では、神ヤハウェは、アロンとその子たちを祭司の職に任じる為の儀式のやり方をモーゼに指示した。 その指示内容も読んでいてうんざりするほど細かい。 その指示内容のうち重要と思われるものは次の通りである。「若い雄牛1頭と雄羊2頭を出会いの幕屋の入り口の前に曳いて来させ、そこでアロンとその子たちはその雄牛の頭に手を置き、おまえはその雄牛を屠り、おまえの指でその血を祭壇の角(つの)に塗り、残りの血を祭壇の台座に注ぎかけよ。 雄牛の腹を切り裂き、内臓脂肪と肝臓の小葉と腎臓と腎臓を覆う脂肪を燔祭用の祭壇の上で焼き燻らせよ。 その身の肉と皮と汚物は宿営の外で焼き捨てよ。 これは償いの生贄の儀式である。 次にアロンとその子たちは雄羊1頭の頭に手を置き、おまえはその雄羊を屠り、その血を祭壇の回りに注ぎかけよ。 それからその身を切り分け、内臓と足を洗い、これと残りの部位の全てを祭壇の上で焼き燻らせよ。 これは私を慰める香りの燔祭であり、私への火の生贄の儀式である。 次にアロンとその子たちはもう1頭の雄羊の頭に手を置き、おまえはその雄羊を屠り、その血をアロンとその子たちの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指に付け、残りの血を祭壇の回りに注ぎかけよ。 その身の内臓脂肪と肝臓の小葉と腎臓と腎臓を覆う脂肪とを取り出し、右の腿を切り取れ。 取り出した内臓脂肪と肝臓の小葉と腎臓と腎臓を覆う脂肪と切り取った右の腿の上に種なしパン1個とパン菓子1個と乾パン1個とを置き、これら全てをアロンとその子たちの手の上に載せ、揺り動かさせて、供えの儀式を行なえ。 次に右の腿以外の内臓脂肪・肝臓・腎臓・パンの全てを彼らの手から受け取り、それらを祭壇の上で焼き燻らせよ。 これも私を慰める香りの燔祭であり、私への火の生贄の儀式である。 次におまえはその身の胸肉を切り取り、手に持って揺り動かして、供えの儀式を行ない、その胸肉を自分のものとせよ。 右の腿はアロンとその子たちの取り分であり、献上物である。 その身の残りの部位を聖なる所で煮て、アロンとその子たちはその肉とパンを出会いの幕屋の入り口で食べよ。 叙任の儀式は7日間に渡って行なえ。 7日間の毎日、償いの生贄として若い雄牛1頭を捧げよ。 その後は永久に毎日、子羊2頭と小麦粉をオリーブ油でこねたものとを祭壇の上に捧げよ。 これは私への火の生贄の儀式である」。
(批評・・・神ヤハウェは羊の内臓脂肪を焼いて立ちこめる煙の匂いを芳しいと感じるほど、この煙の匂いが大好きである。 神ヤハウェは随分生々しい神である。)
出エジプト記 第30章
この章では、神ヤハウェは、芳しい香を炊く為の祭壇をアカシア材と純金で作るよう、モーゼに命じた。 その祭壇は純金で覆われた作りである。 また、神ヤハウェは、各種の儀式の為の費用として二十歳以上の男から献納金を徴収するよう、モーゼに命じた。 また、神ヤハウェは、みそぎの為の青銅製の洗盤と台座を作るよう、モーゼに命じた。 また、神ヤハウェは、最上の香料とオリーブ油で聖油を作り、それを集会の幕屋と聖櫃と祭壇と燭台と香の祭壇と燔祭用の祭壇と洗盤に塗るよう、モーゼに命じた。 以上の指示内容も読んでいてうんざりするほど細かい。
出エジプト記 第31章
神ヤハウェは、製作を命じた諸々の物品を実際に製作する職人としてユダ族のフルの子ウリの子のベザレルとダン族のアヒサマクの子オホリアブを指名し、彼らに製作上必要となる技術と知識と知恵を与える、とモーゼに言った。 また、神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民にこう伝えよ。 『安息日の掟を守れ。 安息日に働く者はイスラエルの民から断ち切られる』」。  そして、神ヤハウェはモーゼに十戒の書かれた石板2枚を与えた。
出エジプト記 第32章
イスラエルの民は、モーゼがなかなか山から下りて来ないので、アロンのところに来て言った。「モーゼはどうしたのですか。 我々の先頭に立つ神を作ってください」。 アロンは言った。「おまえたちの妻や娘の金の耳飾りを私のところに持って来なさい」。 アロンは集まった金の耳飾りを溶かし鋳型に流し込んで子牛の像を作った。 イスラエルの民はそれを見て喜び、「我々をエジプトの地から連れ出した神はこれだ 」と叫んだ。 アロンは燔祭用の祭壇を作った。 翌朝早く、イスラエルの民は燔祭をし、飲み食いし、遊び戯れた。 神ヤハウェは、イスラエルの民が悪の道に走ったことに気付き、モーゼに言った。「イスラエルの民は鋳物の子牛像を作り、その前にひれ伏し、生贄を捧げた。 私の怒りは燃え上がる。 彼らを滅ぼし尽くしてしまおう」。 モーゼは神ヤハウェに言った。「もし、あなたが彼らを滅ぼしたら、神ヤハウェはイスラエルの民を山の中で殺し尽くす為に彼らをエジプトから連れ出したのだとエジプト人が言うでしょう。 あなたは彼らに向かって『おまえたちとおまえたちの子孫にカナンの地を与える。 おまえたちの子孫を星の数ほどに増やそう』と誓われたではありませんか」。 神ヤハウェはイスラエルの民を滅ぼし尽くそうという思いを撤回した。 モーゼは石板2枚を手に持ち、山を下りた。 モーゼは、歌い踊っているイスラエルの民を見て、怒り、持ち帰った石板2枚を投げつけて砕いた。 モーゼはアロンに言った。「どうしてこんなことになったのか」。 アロンは事の顛末を話した。 モーゼは叫んだ。「主なる神につく者はここに集まれ」。 レビ一族の男全員がモーゼのもとに集まった。 モーゼは彼らに命じて、その日の内にイスラエルの男3000人ほどを剣で殺した。 翌日、モーゼは山に登った。 神ヤハウェはモーゼに言った。「おまえはカナンの地まで彼らを連れて行け。 神の訪れの日に私は彼らの罪を罰する」。
(批評・・・神ヤハウェは全く短気であり、思慮に欠ける。 この章での神ヤハウェの思いや心の動きを見ただけでも、神ヤハウェは「世界を創造した最高神」ではなく、「全知全能の神」でもなく、「純粋善神」でもなく、「一流の神」ですらないことがよく判る。)
出エジプト記 第33章
神ヤハウェはモーゼに言った。「おまえはイスラエルの民を引き連れて、私がアブラハム・イサク・ヤコブに誓って『おまえの子孫に与える』と言ったその地に向かえ。 私は最早おまえと一緒に行くことはしない。 その代わり、おまえの前に1人の使いを遣わし、カナン人、アムル人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払い、乳と蜜の流れる地におまえを導き入れる」。 これに対し、モーゼは神ヤハウェにモーゼと同行することを願った。 神ヤハウェはその願いを聞き入れた。
出エジプト記 第34章
神ヤハウェはモーゼに言った。「おまえが砕いた石板と同じような石板を2枚用意せよ。 そうすれば、私は、おまえが砕いた石板に書いたのと同じ言葉をそれに書こう。 それを明日の朝までに準備し、明朝早くおまえ1人だけシナイ山の頂に登れ」。 モーゼは神ヤハウェに言われた通りにした。 神ヤハウェはモーゼに言った。「私はこれからカナン人、アムル人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をおまえの前から追い払う。 これから入ろうとする土地の住民と契約を結んではならぬ。 彼らの祭壇と石柱を打ち壊せ。 私以外の神にひれ伏してはならぬ。 私は妬む神と呼ばれている。 私は妬み深い神である。 鋳物の神々を作ってはならぬ。 種無しパンの祭りを守れ。 母の胎内から生まれる最初の子は私のものである。 六日の間は働き、七日目は休め。 私はおまえの前から多くの民を追い払い、おまえの国の境を広げよう。 私への生贄として供える血を種入りパンと共に供えてはならぬ。 過ぎ越しの祭りの生贄はあくる日まで残しておいてはならぬ。 子ヤギをその母ヤギの乳で煮てはならぬ」。 神ヤハウェは、今述べた規定を書き記すよう、モーゼに命じた。 モーゼはパンも食べず、水も飲まず、山頂で40日間過ごし、石板2枚を手にして山を下った。 モーゼは、神ヤハウェが山頂でモーゼに語ったことをイスラエルの民に伝えた。
(批評・・・モーゼは40日間パンも食べず水も飲まなかった。 こんなことは有り得ない。 モーゼを神格化し過ぎている。)
出エジプト記 第35章
モーゼはイスラエルの民を集めて、言った。「六日の間は働け。 七日目は安息日である。 安息日に仕事をする者は死なねばならぬ。 安息日にはどこの家でも火を焚いてはならぬ」。 モーゼは、神ヤハウェが作るように命じた物を作るよう、イスラエルの民に指示した。 イスラエルの民は必要な資材を続々と提供した。
出エジプト記 第36章
この章では、神ヤハウェの住まい(出会いの幕屋)の造営の様子が事細かに書かれている。
出エジプト記 第37章
この章では、櫃・燭台・香の祭壇などが作られていく過程が細かく書かれている。
出エジプト記 第38章
この章では、燔祭用の祭壇・青銅製の洗盤・神ヤハウェの住まいの前庭の囲いなどが作られていく過程が細かく書かれている。
出エジプト記 第39章
この章では、祭司が身につけるもの(服・エフォド・胸当て・金の冠)などが作られていく過程が細かく書かれている。 神ヤハウェが作れと命じた物はすべて作られた。 モーゼは出来栄えを調べ、神ヤハウェの命令通りにできていることを確認し、イスラエルの民を祝福した。
出エジプト記 第40章
神ヤハウェは、出会いの幕屋の中に証の櫃を運び入れ、証の櫃の前に垂れ幕を下げ、燭台を運び入れ、灯火をともし、垂れ幕の前に金の祭壇を据える等の細かな配置を第2の年の第1の月の第1の日に行なうよう、モーゼに命じた。 モーゼは神ヤハウェに命じられた通りに、第2の年の第1の月の第1の日に、証の石板を櫃に納め、櫃に担い棒をつけ、櫃の上にカポレットを置き、櫃を出会いの幕屋の中に運び入れ、櫃の前に垂れ幕を下げ、燭台を運び入れ、灯火をともし、垂れ幕の前に金の祭壇を据え、その上で香り高い香を焚き、出会いの幕屋の入り口に帳(とばり)を下げ、出会いの幕屋の入り口の前に燔祭用の祭壇を据え、出会いの幕屋の入り口と燔祭用の祭壇との間に洗盤を据え、洗い清めに用いる水を入れた。 アロンとその子らはその水で手足を洗い清めた。 モーゼが仕事を成し終えたとき、雲の柱が出会いの幕屋を覆い、神ヤハウェの栄光がそこを満たした。 昼の間は、雲の柱が出会いの幕屋の上にあり、夜の間は、雲の柱の中に火が見えた。

出エジプト記を読むと、神ヤハウェがイスラエルの民にどんなに執着しているかがよく判る。 神ヤハウェはイスラエルの民のやる事なす事の全てを細かく規定し、イスラエルの民を完全に支配しようとする。 これは正に、子離れできない母親の思いと同じである。 出エジプト記の第25章、第26章、第27章、第28章、第29章、第30章に於ける神ヤハウェのモーゼに対する指示内容は「世界を創造した最高神」「全知全能の神」「純粋善神」が出す指示内容としてふさわしいとは思えない。 神ヤハウェ自身「私は妬み深い神である」と言っている。 このような神を「世界を創造した最高神」「全知全能の神」「純粋善神」と見なすことが出来ようか。

レビ記 第1章
神ヤハウェはモーゼを出会いの幕屋に呼び出して、燔祭の規定を伝えた。 その規定はおよそ次の通りである。「燔祭での主への捧げ物は、これを傷の無い雄牛または傷の無い雄羊または傷の無い雄ヤギとせよ。 その雄牛、雄羊、雄ヤギを出会いの幕屋の入り口の前に曳いて行き、その雄牛、雄羊、雄ヤギを捧げる人がその捧げ物の頭の上に手を置き、次にその捧げ物を屠る。 アロンの子の祭司たちがその血を出会いの幕屋の入り口の前にある祭壇の回りに注ぎかけ、祭壇の上に火を置き、その火の上に薪を置く。 その雄牛、雄羊、雄ヤギを捧げた人がその捧げ物の皮を剥ぎ、その身を切り分け、内臓と足を水で洗う。 アロンの子の祭司たちが、切り分けられた身の全てを祭壇の薪の上に載せ、焼き尽くして煙にする。 これが香り高い燔祭である」。 この章の後の方で、燔祭での主への捧げ物は鳩でもよいようなことが書かれている。 鳩を捧げ物にする場合は、その鳩の頭を切り離して、血を絞り出し、その血を祭壇の横板に塗り付ける。 その身は翼を取り去らず、祭壇の火の上の薪の上に載せ、焼き尽くして煙にするとある。
レビ記 第2章
神ヤハウェはモーゼに神ヤハウェへの供え物の規定を伝えた。 供え物としてよい物は、上等の小麦粉をオリーブ油でこねたもの、上等の小麦粉をオリーブ油でこね、パン種を入れずに焼いたパン、パン種を入れずにオリーブ油を塗って焼いた堅パン、生または火で焦がした麦の初穂、香料などである。 供え物にするパンは塩で味を付け、パン種を入れてはいけないことなど細かい規定が書かれている。
レビ記 第3章
神ヤハウェはモーゼに平和の生贄の儀式の規定を伝えた。 その規定はおよそ次の通りである。「大きい家畜を使う場合でも小さい家畜を使う場合でも、傷のない雄か雌を使い、それを出会いの幕屋の入り口の前に曳いて行き、その頭の上に手を置き、屠る。 アロンの子の祭司がその血を祭壇の回りに注ぎかける。 内臓脂肪・腎臓・肝臓の小葉を祭壇の上で焼き尽くして煙にする」。
レビ記 第4章
神ヤハウェは祭司や平民が不注意により罪を犯したとき、その罪を償う為の生贄の規定をモーゼに伝えた。「祭司が不注意により罪を犯したときは、彼は傷のない若い雄牛1頭を出会いの幕屋の入り口の前に曳いて行き、その頭の上に手を置き、屠る。 彼はその血を少し採り、出会いの幕屋に入り、その血に指を浸し、至聖所の垂れ幕に向かって7回血を振りかけ、出会いの幕屋の中にある祭壇の角(つの)にもその血を塗る。 それから、出会いの幕屋の入り口の前にある燔祭用の祭壇の台座に残りの血の全てを注ぐ。 屠った牛の内臓脂肪・腎臓・肝臓の小葉を燔祭用の祭壇の上で焼き尽くして煙にする。 残りの部位の全てを宿営の外で焼き捨てる。 イスラエルの各部族が集団として不注意により罪を犯したときも、祭司が不注意により罪を犯したときと同じようにする。 部族長や司令官など民の長が不注意により罪を犯したとき、彼は傷のない雄ヤギ1頭を出会いの幕屋の入り口に曳いて行き、その頭の上に手を置き、屠る。 祭司はその血に指を浸し、燔祭用の祭壇の角(つの)にその血を塗り、燔祭用の祭壇の台座に残りの血の全てを注ぐ。 屠った雄ヤギの内臓脂肪・腎臓・肝臓の小葉を燔祭用の祭壇の上で焼き尽くして煙にする。 残りの部位の全てを宿営の外で焼き捨てる。 平民が不注意により罪を犯したとき、彼は雌ヤギ1頭または雌羊1頭を神に捧げなければならぬ。 その処置の仕方は、部族長や司令官など民の長が不注意により罪を犯したときと同じである。 このようにして、祭司が罪を犯した者の為に償いの儀式を行なえば、その者の罪は許される」。
レビ記 第5章
神ヤハウェは各種の罪の償いの規定をモーゼに伝えた。「人が偽証したときや不浄な物に触れたときや口から出任せの誓いをしたときは、その人の財力に応じて、雌羊1頭か雌ヤギ1頭か2羽の鳩か上等の小麦粉かのいずれかを神に捧げなければならぬ。 祭司がそれを以て償いの儀式を行なえば、その人の罪は許される」。 その他各種の罪の償いについて神ヤハウェはモーゼに伝えた。
レビ記 第6章
神ヤハウェは燔祭の規定の詳細と供え物の規定と罪償の生贄の規定をモーゼに伝えた。 これらの規定は読んでいてうんざりするほど細かい。
レビ記 第7章
神ヤハウェは謝罪の生贄の規定をモーゼに伝えた。「謝罪の生贄の儀式では雄羊1頭を神に捧げ、その身の尾・内臓脂肪・腎臓・肝臓の小葉を燔祭用の祭壇の上で焼き尽くして煙にする」。 また、神は、平和の生贄の儀式の規定をモーゼに伝えた。 また、神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民にこう告げよ。 『牛・羊・ヤギの脂肪を食べてはならぬ。 鳥や家畜の血を食べてはならぬ』」。 その他、細かい規定が書かれている。
レビ記 第8章
神ヤハウェはモーゼに言った。「出会いの幕屋の入り口の前に全集団を呼び集めよ」。 全集団は出会いの幕屋の入り口の前に呼び集められた。 モーゼはアロンとその子たちに儀式用の正装をさせ、若い雄牛1頭と雄羊2頭を出会いの幕屋の入り口の前に曳いて来させた。 アロンとその子たちはその雄牛の頭に手を置いた。 モーゼはその雄牛を屠り、指でその血を祭壇の角(つの)に塗り、残りの血を祭壇の台座に注ぎかけた。 モーゼは雄牛の腹を切り裂き、内臓脂肪と肝臓の小葉と腎臓と腎臓を覆う脂肪を燔祭用の祭壇の上で焼き尽くして煙にした。 それから、モーゼはその雄牛の肉と皮と汚物は宿営の外で焼き捨てた。 次にアロンとその子たちは雄羊1頭の頭に手を置いた。 モーゼはその雄羊を屠り、その血を祭壇の回りに注ぎかけた。 それから、モーゼはその雄羊を切り分け、内臓と足を洗い、これらと残りの部位の全てを祭壇の上で焼き尽くして煙にした。 これは神ヤハウェを慰める香りの燔祭であり、神ヤハウェへの火の生贄の儀式である。 次にアロンとその子たちはもう1頭の雄羊の頭に手を置いた。 モーゼはその雄羊を屠り、その血をアロンとその子たちの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指に付け、残りの血を祭壇の回りに注ぎかけた。 それから、モーゼはその雄羊の内臓脂肪と肝臓の小葉と腎臓と腎臓を覆う脂肪とを取り出し、右の腿を切り取った。 モーゼは取り出した内臓脂肪と肝臓の小葉と腎臓と腎臓を覆う脂肪と切り取った右の腿の上に種なしパン1個とパン菓子1個と乾パン1個とを置き、これら全てをアロンとその子たちの手の上に載せ、揺り動かさせて、供えの儀式を行なった。 次にモーゼは右の腿以外の内臓脂肪・肝臓・腎臓・パンの全てをアロンとその子たちの手から受け取り、それらを祭壇の上で焼き尽くして煙にした。 これも神ヤハウェを慰める香りの燔祭であり、神ヤハウェへの火の生贄の儀式である。 次にモーゼはその雄羊の胸肉を切り取り、手に持って揺り動かして、供えの儀式を行ない、その胸肉を自分のものとした。 モーゼは祭壇の上にあった油と血を手に取り、アロンとその衣服およびアロンの子たちとその衣服に注ぎかけた。 こうして、アロンとその衣服およびアロンの子たちとその衣服は聖別された。 モーゼはアロンとその子たちに言った。「出会いの幕屋の入り口で、その雄羊の残りの肉を煮て、その場でその肉とパンを食べよ。 7日の間、おまえたちは出会いの幕屋の入り口から出てはならぬ。 叙任の儀式は7日間に渡って行なえと、主は命じられた」。 アロンとその子たちはモーゼに言われたことを全て行なった。 こうして叙任の儀式は完了した。
レビ記 第9章
8日目、モーゼはアロンに向かって、アロン自身の罪償の儀式と燔祭および民の為の罪償の儀式と燔祭を行なうよう、命じた。 アロンは祭壇の近くで自身の罪償の生贄として子牛1頭を屠った。 アロンの子たちがその血を取り、アロンに差し出した。 アロンは指でその血を祭壇の角(つの)に塗り、残りの血を祭壇の台座に注ぎかけた。 それからアロンはその子牛の内臓脂肪・腎臓・肝臓の小葉を燔祭用の祭壇の上で焼き尽くして煙にした。 その子牛の肉と皮と汚物は宿営の外で焼き捨てた。 次にアロンは自身の燔祭の生贄として雄羊1頭を屠った。 アロンの子たちがその血を取り、アロンに差し出した。 アロンはその血を祭壇の回りに注ぎかけた。 アロンの子たちはその雄羊を切り分け、それをアロンに差し出した。 アロンはそれを受け取り、祭壇の上で焼き尽くして煙にした。 次にアロンは民の為の罪償の生贄として雄ヤギ1頭を屠り、それを前の生贄と同じようにして捧げた。 次にアロンは民の為の燔祭の生贄として子牛1頭と子羊1頭を屠り、規定通りに捧げた。 次にアロンは平和の生贄として雄牛1頭と雄羊1頭を屠った。 アロンの子たちがその血を取り、アロンに差し出した。 アロンはその血を祭壇の回りに注ぎかけた。 アロンはその子牛と子羊の内臓脂肪・腎臓・肝臓の小葉を祭壇の上で焼き尽くして煙にした。 こうして、アロンは罪償の生贄と燔祭の生贄と平和の生贄を捧げ終えた。 そして、アロンは民に向かって手を挙げて祝福した。
レビ記 第10章
アロンの息子ナダブとアビウはそれぞれ自分の香炉に香り草を入れ、規定に反する火を神に捧げた為、神ヤハウェの前から火が吹き出て、2人はその火により息絶えた。
レビ記 第11章
神ヤハウェはモーゼとアロンに言った。「イスラエルの民が食べてよい地上動物は、反芻し、かつ、ひづめが割れているものだけである。 食べてはいけない地上動物は、らくだ(反芻するが、ひづめが割れていない)、狸(反芻するが、ひづめが割れていない)、兔(反芻するが、ひづめが割れていない)、豚(ひづめが割れているが、反芻しない)である。 らくだ・狸・兔・豚は不浄であり、その屍に触れてはならない。 水中動物の中でひれと鱗のある物は食べてよい。 ひれや鱗のない物は食べてはならない。 鳥の中で食べてはいけない物は、猛禽類・烏・駝鳥・梟・みみずく・かもめ・鵜・とき・白鳥・ペリカン・こうのとり・鷺である。 昆虫の中で食べてよい物は、いなご・バッタ・こおろぎである。 これ以外の昆虫は不浄であり、食べてはならない。 もぐら・鼠・とかげ・やもり・亀・カメレオンは不浄である。 地を這う物(例えば蛇)は不浄であり、食べてはならない」。
レビ記 第12章
神ヤハウェはモーゼに言った。「女が男の子を産んだときは、生後8日目に割礼を行なわなければならない。 母親の清めの日数が満ちたならば(男子出産の場合は33日、女子出産の場合は66日)、母親は子羊1頭と鳩1羽を携えて祭司のもとへ行かなければならない。 祭司はそれらを神に捧げ、償いの儀式を行なえば、彼女の出血の汚れは清められる」。
レビ記 第13章
この章では、らい病患者の処置についての規定がとても細かく書かれている。
レビ記 第14章
この章では、らい病が直った者を清める儀式についての規定がとても細かく書かれている。
レビ記 第15章
この章では、男の体液(精液か?)が流出する病気の不浄性や女性の月のさわりの不浄性について細かく書かれている。 意味の分からないことがたくさん書かれている。
レビ記 第16章
神ヤハウェは、第7の月の第10の日に行なう、年に一度のイスラエルの民の罪償の儀式のやり方をモーゼに伝えた。「第7の月の第10の日、アロンは水で体を清めてから正装し、罪償の生贄の若い雄牛1頭と雄ヤギ2頭を連れて聖所(出会いの幕屋を取り巻く囲いの中)に入り、自分の罪償の生贄として若い雄牛を屠り、自分の罪償の儀式を行なう。 次に彼は出会いの幕屋に入り、垂れ幕の前の金の祭壇から炭火を取り、それを香炉に入れ、香炉と粉末の香を携えて垂れ幕の奥(至聖所)に入り、香り高い香を炊く。 こうすれば、香り高い香の煙が証の櫃の上のカポレットを覆うので、アロンは死なずに済む。 次に彼は屠った雄牛の血に指を浸し、カポレットの上の東側に指で血を振りかけ、カポレットの上の前側に指で七回血を振りかける。 次に彼は民の罪償の生贄として雄ヤギ1頭を屠り、その血を携えて、垂れ幕の奥に入り、その血に指を浸し、カポレットの上の東側に指で血を振りかけ、カポレットの上の前側に指で七回血を振りかける。 次に彼は出会いの幕屋から出て、もう1頭の雄ヤギの頭の上に手を置き、イスラエルの民の罪の全てを告白し、その罪を雄ヤギの頭に負わせ、その雄ヤギを野に放つ。 次に彼は屠った雄牛と雄ヤギの脂を祭壇の上で焼き尽くして煙にする。 脂以外の部位(肉・皮・汚物等)は宿営の外に運び出し、焼き尽くさなければならぬ。 第7の月の第10の日には、おまえたちイスラエルの民とおまえたちの家に宿る他国人は全て断食して仕事を休まねばならぬ。 この日、主の前でおまえたち全ての罪が清められる。 この日はおまえたちにとって絶対的な安息の日であり、この日に仕事をしてはならぬ」。
レビ記 第17章
神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民および共に住んでいる他国人が生贄の家畜を出会いの幕屋の入り口の前以外の場所で屠った場合、その者はイスラエルの民から断ち切られる。 生贄の家畜は出会いの幕屋の入り口に控えている祭司のもとへ曳いて来て屠らねばならぬ。 祭司はその血を出会いの幕屋の入り口の前にある燔祭用の祭壇の上に注ぎ、香ばしい匂いを主に捧げる為に、生贄の家畜の脂を焼き尽くして煙にする。 イスラエルの民および共に住んでいる他国人が動物の血を食べた場合、その者はイスラエルの民から断ち切られる。 イスラエルの民および共に住んでいる他国人が狩りで射止めた動物を食べる場合、その血は地に流し、その上に土をかぶせねばならぬ。 なぜなら、全ての命は血の中にあるからである」。
レビ記 第18章
神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民はエジプトの風習を真似てはならぬ。 イスラエルの民はこれから行くカナンの地の人々の風習を真似てはならぬ。 イスラエルの民は私が定めた規定を守らねばならぬ。 自分の近親の者を犯してはならぬ。 男は男と寝てはならぬ。 男も女も動物と交わってはならぬ。 私がおまえたちの前から追い出そうとしている民は以上のような恥ずべき行為をし、不浄の者となり、その地も不浄となった。 忌まわしい行為をする者はイスラエルの民から断ち切られる」。
(批評・・・神ヤハウェは創世記第6章から8章にかけてノアの家族8人以外の悪い人全てを抹殺したにもかかわらず、その後、ソドマとゴモラの町には悪が蔓延した。 神ヤハウェはこの2つの町を壊滅させたにもかかわらず、カナンの地には今もなお悪が蔓延している。 そして今、神ヤハウェはカナンの地の人々をその悪の故に追い出そうとしている。 これは神ヤハウェによる人製作が失敗したという事を意味している。 また、カナンの地に悪が蔓延しているのであれば、神ヤハウェはソドマとゴモラを壊滅させたように、カナンの地の人々をすぐ抹殺すればよいのに、なぜ神ヤハウェはカナンの地の人々をすぐ抹殺しようとしないのか。 神ヤハウェがイスラエルの民を使ってカナンの地からカナン人を追い出すだけでは、この地上から悪は根絶されない。 どうやら、神ヤハウェはこの地上から悪を根絶する気はないようだ。)
レビ記 第19章
神ヤハウェは次の事をイスラエルの民に告げるよう、モーゼに言った。「父と母を敬え。 安息日を守れ。 偶像に心を傾けてはならぬ。 鋳物の神を作ってはならぬ。 麦の刈り入れをするときは畑の隅々まで刈り取ってはならぬ。 落ち穂は拾い集めてはならぬ。 葡萄を収穫するときも同様にせよ。 刈り取らずに残した穂や落ち穂やこぼれ落ちた葡萄の実は貧しい人々と他国人の為のものである。 盗みをはたらいてはならぬ。 嘘を言ってはならぬ。 偽証してはならぬ。 隣人を搾取してはならぬ。 日雇いの賃金の支払いを翌日まで延ばしてはならぬ。 耳の聞こえない人や盲人を虐めてはならぬ。 裁判で不正をしてはならぬ。 人を中傷する悪口を言いふらしてはならぬ。 兄弟を憎んではならぬ。 仇の仕返しをしてはならぬ。 隣人を自分と同じように愛せよ。 種類の異なる動物を掛け合わせてはならぬ。 占いもまじないもしてはならぬ。 顎髭を剃り落としてはならぬ。 入れ墨をしてはならぬ。 おまえの娘に淫らな生業をさせてはならぬ。 口寄せを信じてはならぬ。 老人を敬え。 おまえたちと同じ地に住む他国人を虐めてはならぬ。 彼らを同胞として扱え。 彼らを自分と同じように愛せよ」。
レビ記 第20章
神ヤハウェは次の事をイスラエルの民に告げるよう、モーゼに言った。「父または母を呪う者、密通した男女、息子の嫁と寝る者およびその嫁、男色の者は、これを死刑に処す。 母とその娘を共に妻にした者およびその女たちは、これを火あぶりの刑に処す。 動物と交わった者およびその動物、口寄せや占いをする者は、これを死刑に処す。 私がおまえたちの前から追い出そうとしている民は以上のような罪を犯しているが故に、私は彼らを忌み嫌う。 私は彼らの土地の所有権をおまえたちに与えると約束した。 私はおまえたちを他の民から区別し選んだ。 おまえたちは汚れることのないようにせよ」。
(批評・・・神ヤハウェがカナンの地にイスラエルの民を入れようとしているのは、ただただ神ヤハウェがイスラエルの民を一方的に愛しているからだとしか思えない。 異常な執着である。 このような神を「世界を創造した最高神」「全知全能の神」「純粋善神」と見なすことが出来ようか。)
レビ記 第21章
この章では、祭司が守るべき規定が書かれている。 例えば、「祭司の娘が淫らな行為をしたとき、その娘は火あぶりの刑に処されねばならぬ 」とある。 また、「アロンの子孫の中に、盲目の者、足萎えの者、奇形の者、手足に骨折のある者、せむしの者、くる病の者、眼病の者、膿傷のある者、去勢された者など体の不完全な者がいるとき、その者は主に近づいてはならぬ 」とある。
レビ記 第22章
神ヤハウェはモーゼに言った。「アロンの子孫で、らい病や淋病の者はその身が清くなるまで聖なる供え物を食べてはならぬ。 また、彼らの内で、死体に触れた者、汚れたものに触れた者、精を漏らした者は夕暮れまで不浄となる。 その者は体を水で洗い清めてからでなければ、聖なる供え物を食べてはならぬ。 夕暮れになると、清くなるから、聖なる供え物を食べてよい。 世俗の者は聖なる供え物を食べてはならぬ。 イスラエルの民は主に生贄を捧げる場合、主に喜ばれ受け入れられるように牛・羊・ヤギのうちから傷のない雄を捧げなければならぬ(第3章では雌でもよかった)。 健全なものでなければ、主は喜び受け入れない。 おまえたちをエジプトから連れ出したのは私である。 私はおまえたちの主である」。
レビ記 第23章
この章では、安息日、過ぎ越しの祭り、初穂の祭り、七週の祭り、罪償の日、幕屋の祭りについての規定が細かく書かれている。
レビ記 第24章
神ヤハウェは、出会いの幕屋に設置してある燭台の火を決して絶やしてはならないこと、金の祭壇に置く12個のパン菓子の作り方などをモーゼに伝えた。 ある日、1人の男が宿営の中で争いを起こし、神ヤハウェの名を唱えて、神ヤハウェを呪った。 回りの人々はその男を取り押さえた。 この時、神ヤハウェはモーゼに言った。「その男を宿営の外に連れ出し、皆でその男に石を投げつけて殺せ。 主なる神の名を汚す者は死罪になる。 殺人をはたらいた者は死罪になる。 他人を傷つけた者は、その者が与えたのと同じ罰を受ける。 骨折には骨折で、目には目で、歯には歯で」。 人々は主なる神を呪った男を宿営の外に連れ出して石殺しにした。
レビ記 第25章
神ヤハウェは、イスラエルの民がカナンの地に入った後での耕地の使い方や収穫の仕方の詳細な規定、土地の売買の規定、家の売買の規定、兄弟が貧窮に陥った場合の規定などをシナイ山の頂でモーゼに伝えた。
(批評・・・耕地の使い方や収穫の仕方、土地の売買、家の売買、兄弟が貧窮に陥った場合についてどうしてこれ程細かく指示するのか。 これが一流の神のやることか。)
レビ記 第26章
(この章は第25章の続きである)。 おまえたちは偶像を作ってはならぬ。 彫像や立て柱や浮き彫りの石を拝んではならぬ。 私が定めた掟を守れば、私はおまえたちと共に在って、おまえたちを繁栄させる。 だが、おまえたちが私の言うことに従わず、掟を守らなければ、おまえたちに恐怖と衰弱と熱病を送る。 それでも、私の言うことに従わず、掟を守らなければ、おまえたちに野獣を送り、おまえたちの家畜を殺し、おまえたちの人口を減らす。 それでも、私の言うことに従わず、掟を守らなければ、おまえたちを敵の手に渡す。 それでも、私の言うことに従わず、掟を守らなければ、おまえたちの町を廃墟にし、おまえたちを他国に散らす。 だが、おまえたちが他国にいる間でも、私はおまえたちを滅ぼし尽くすほどには見捨てない。 なぜなら、私はおまえたちの主であるから。 私はおまえたちの神となる為に、おまえたちをエジプトから連れ出した。 私はおまえたちの主である。 以上は神ヤハウェがシナイ山の頂でモーゼを通じてイスラエルの民との間に定めた契約である。
(批評・・・このあと、イスラエルの民はしばしば神ヤハウェの命令に背く。 その度に神ヤハウェは怒り、悩む。 正に、神ヤハウェはイスラエルの民の悩み多き守護神である。 しかし、神ヤハウェはどうしてこれ程イスラエルの民の守護神であり続けたいのか。 解せぬ。 神ヤハウェはどう見ても偏執狂である。 キリスト教グノーシス主義者は神ヤハウェを「劣悪なる神 」と見なした。 もっともである。)
レビ記 第27章
この章には、「人が1人の人の価値に等しい金額を払って神に対する誓いを果たさなければならない場合 」とあるが、この意味は理解不能である。 また、「自分の家を聖別するとか、自分の畑を聖別する 」とか書いてあるが、これも理解不能である。 この章に書いてあることはほとんど理解不能である。

レビ記を読むと、出エジプト記を読んだときと同様に、神ヤハウェがイスラエルの民に猛烈に執着していることが判る。 神ヤハウェはどうしてこれ程イスラエルの民に執着するのか。 また、出エジプト記やレビ記の作者は神ヤハウェをして、どうしてこれ程イスラエルの民に執着させるのだろうか。

民数記 第1章
エジプトの地を出て2年目の第2の月の第1の日、神ヤハウェはシナイの荒れ野の出会いの幕屋の中でモーゼに言った。「イスラエルの民の全部族に対して家ごとの人数と男の名を記録し、兵役につける二十歳以上の男を調べ上げよ。 但し、レビ族については調査するな。 レビ族の者には出会いの幕屋とその付属物の全てを扱わせよ。 出会いの幕屋の組み立て・分解の際、他の部族の者がそこに近付けば、死の罰を受ける」。 モーゼはその日のうちに調査を始めた。 調査の結果、各部族の中で兵役につける二十歳以上の男の数は、ルベン族では46500人、シメオン族では59300人、ガド族では45650人、ユダ族では74600人、イッサカル族では54400人、ザブロン族では57400人、エフライム族では40500人、マナセ族では32200人、ベニヤミン族では35400人、ダン族では62700人、アシェル族では41500人、ネフタリ族では53400人であった。 これらの総数は603550人である。
民数記 第2章
神ヤハウェはモーゼとアロンに宿営時における各部族の宿営の配置について指示した。 出会いの幕屋の東側にはユダ族・イッサカル族・ザブロン族が宿営を張る。 出会いの幕屋の南側にはルベン族・シメオン族・ガド族が宿営を張る。 出会いの幕屋の西側にはエフライム族・マナセ族・ベニヤミン族が宿営を張る。 出会いの幕屋の北側にはダン族・アシェル族・ネフタリ族が宿営を張る。 レビ族は出会いの幕屋の傍に宿営を張る。
民数記 第3章
神ヤハウェはモーゼに言った。「レビ族の者を祭司アロンの意のままに仕えさせ、出会いの幕屋の奉仕に就かせよ。 私はイスラエルの民の全ての長男の代わりにレビ族を選ぶ。 レビ族は私のものである。 レビ族を家ごとに調査し、生後1ヶ月以上の男の名を記録せよ」。 モーゼとアロンがレビ族を調査した結果、レビ族の生後1ヶ月以上の男の数は22000人であった。 神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民のうち、生後1ヶ月以上の長男の数を調査せよ。 イスラエルの民の全ての長男の代わりにレビ族を私に与えよ。 イスラエルの民の家畜の全ての初子の代わりにレビ族の家畜を私に与えよ」。 モーゼが調査した結果、イスラエルの民のうち、生後1ヶ月以上の長男の数は22273人であった。 レビ族の男子数22000人を超えるイスラエルの民の長男273人の代わりとして1人あたり5シェケルの金をアロンに渡せ」。 モーゼは命じられた通り5シェケルの273倍の1365シェケルを、男子数の調査の際に徴収した献納金の中からアロンに渡した。
民数記 第4章
この章では、神ヤハウェはモーゼとアロンに向かい、出会いの幕屋の分解と運搬の方法と係分担を全くうんざりするほど細かく指示した。 これらの作業はレビ族の者で三十歳から五十歳までの男が行なう。 その男の総数は8580人である。
民数記 第5章
神ヤハウェはモーゼに言った。「らい病患者、流出病の者、屍に触れて不浄になった者を宿営の外へ出し追い払うように、イスラエルの民に命じよ」。 イスラエルの民はモーゼから命じられた通りにした。 神ヤハウェは民が盗みをはたらいた場合の罰の与え方をモーゼに指示した。 次に、妻が夫に対して不実をはたらいたのではないかと夫が妻を疑い、妻を祭司のもとに連れてきたが、証人がいない場合の処置の仕方について、神ヤハウェはモーゼに指示した。 その方法は、祭司がその女に呪いの水を飲ませ、女が不実をはたらいたのであれば、女は腹が膨らみ、性が萎れるが、女が不実をはたらいていなければ、女は害を受けないというものである。
民数記 第6章
この章では、男または女がナジルの誓願を立てて神ヤハウェに身を捧げるときの規定が事細かに書かれているが、ナジルの誓願がどういうものであるのか、理解不能である。
民数記 第7章
モーゼが出会いの幕屋を建て終えた日(第2の年の第1の月の第1の日)、レビ族以外の12部族の長たちは供え物を持参した。 その供え物は、六台の車と十二頭の牛であった。 神ヤハウェはモーゼに向かい、それらをレビ族の者に役目に応じて与えるよう、命じた。 更に神ヤハウェは12部族の長たちに供え物を持参させるよう、モーゼに命じた。 12部族の長たちが持参した供え物はそれぞれ130シェケルの目方の銀の皿、70シェケルの目方の銀の鉢、この皿と鉢を満たす上質の小麦粉、香りのよい草で満たした10シェケルの目方の黄金の壺、燔祭に用いる若い牛1頭・雄羊1頭・小羊1頭、罪償の生贄に用いる雄ヤギ1頭、繁栄の生贄に用いる雄牛2頭・雄羊5頭・雄ヤギ5頭・小羊5頭であった。
民数記 第8章
この章では、レビ族の者が出会いの幕屋の奉仕に就く際の儀式のやり方を神ヤハウェがモーゼに伝えた。 この儀式でも1頭の若い雄牛が罪償の生贄として使われ、もう1頭の若い雄牛が燔祭の生贄として使われる。 この儀式の後、レビ族の者は出会いの幕屋の奉仕に就いた。
民数記 第9章
エジプトの地を出て2年目の第1の月、神ヤハウェはモーゼに言った。「今月の14日の日暮れどきに過ぎ越しの祭りを行なえ」。 イスラエルの民は第1の月の14日の日暮れ時にシナイの荒れ野で過ぎ越しの祭りを祝った。 出会いの幕屋の上に雲の柱がある限り、イスラエルの民はその地に留まっていた。 雲の柱が出会いの幕屋を離れて立ち上ると、イスラエルの民は宿営を畳み、雲の柱の後に続いた。 そして、雲の柱が留まるところにイスラエルの民は宿営を張った。
民数記 第10章
神ヤハウェは、銀の打ち出し細工のラッパを作るよう、モーゼに命じた。 このラッパは宿営を畳んで出発する時や、敵に向かって出陣する時などに使うものである。 エジプトの地を出て2年目の第2の月の20日に、雲の柱が出会いの幕屋を離れて立ち上った。 イスラエルの民は定められた順序で宿営を畳み、シナイ山を去って三日の旅の後、パランの荒野に着き、しばらくそこに留まった。
民数記 第11章
神ヤハウェはイスラエルの民の不平の言葉を聞いた。 神ヤハウェは怒り、その怒りの炎がイスラエルの民に向けて燃え上がり、宿営の端を焼き払った。 モーゼが神ヤハウェに取り次いだので、その火は消えた。 再び、イスラエルの民や彼らに混じっていた他国人が不満の声を上げた。「誰か食べる肉をくれないか。 エジプトでは魚も西瓜もメロンもチシャも玉ねぎもニンニクもただみたいに食べていた。 それなのに、今我々の喉は渇き切っている。 目に付くのはマンナだけだ」。 神ヤハウェはその声を聞き、怒り、宿営の端を焼き払った。 イスラエルの家族がそれぞれの天幕の入り口で泣いていた。 神ヤハウェはそれを見て、再び怒った。 モーゼは神ヤハウェに言った。「なぜあなたはあなたの下僕をこんなに手荒く扱うのですか。 彼らは『肉を食べさせてくれ』と言って、私に泣きついてきます。 彼らに与える肉をどこから手に入れればよいのですか」。 神ヤハウェはモーゼに言った。「民にこう言え。 『身を清めよ。 そうすれば、1ヶ月間に渡って飽きるほど肉が食べられる』」。 これに対し、モーゼは神ヤハウェに言った。「私の回りには大人の男だけでも60万人もいますのに、どうして1ヶ月間ずっと彼らに肉を食べさせ続けられるのですか。 大小の家畜を殺して彼らに食べさせるおつもりですか」。 神ヤハウェは「心配するな 」という旨のことをモーゼに言った。 じきに海の方から吹く風が大量の鶉を運んで、宿営に落とした。 宿営の端から端まで、徒歩一日の距離に渡り、2ビクト(約1メートル)の高さに鶉が積もった。 民はその鶉を拾い集めに集め、最も少なく集めた人でさえ10ゴメル(3930リットル)も集めた。 彼らは拾い集めた鶉を殺して日干しにし、貪り食った。 そこで、神ヤハウェは再び怒り、大災害を以て民を打ち据えた。 (この大災害の詳細については書かれていない)。 イスラエルの民は宿営を畳み、ハゼロットに移動した。
民数記 第12章
アロンの姉ミリアムとアロンはモーゼの妻のことでモーゼを非難した。 神ヤハウェはその非難を聞き、ミリアムとアロンとモーゼを出会いの幕屋に呼びつけ、雲の柱の中に下り、ミリアムとアロンに言った。「おまえたちが預言者であれば、私はおまえたちの夢の中でおまえたちに語る。 だが、私がモーゼに語るときはそうはせず、彼とは顔と顔とを合わせ、はっきりと謎抜きで話す。 それなのに、おまえたちはどうしてモーゼを非難するのか」。 神ヤハウェは怒ったまま、その場を去った。 その後すぐ、ミリアムはらい病に罹った。 モーゼは神ヤハウェに言った。「お願いです。 彼女の病気を治してやってください」。 神ヤハウェは言った。「七日間あの女を宿営の外に出し、その後、受け入れよ」。 イスラエルの民はハゼロットを発ち、パランの荒野に移動した。
民数記 第13章
イスラエルの全集団はパランの荒野にあるカデスに着いた。 神ヤハウェは、カナンの地を偵察する為の要員をレビ族以外の各部族から1人ずつ選び、計12人をカナンの地に送って偵察するよう、モーゼに命じた。 モーゼは偵察隊を編成し、彼らを送り出した。 彼らはカナンの地を偵察し、出発から40日後に葡萄の房の付いている枝と柘榴と無花果の実を持ち帰った。 彼らはモーゼに報告した。「あの地に乳と蜜が流れるというのは本当です。 しかし、あの地の住民は強く、町々は防備されています」。 偵察隊員の1人であるカレブはカナンの地に攻め上がることを主張したが、他の偵察隊員の多くはその主張に反対し、「あの地の民は我々より強い。 我々はとても攻め上がれない 」と主張し、「あの地は我々が食っていけるほど肥沃ではない。 あの地の住民は背が高い。 我々は彼らと比べるとイナゴのようなものだ 」という悪い噂をイスラエルの民の中に流した。
民数記 第14章
その噂を聞いたイスラエルの民は恐れて声を上げ、その夜、泣き明かした。 イスラエルの民はモーゼとアロンに言った。「我々はエジプトで死んだ方がましだった。 なぜ主は我々をあの地に住まわせようとするのか。 我々を敵の剣で殺す為か。 我々の女や子供を敵の分捕り品にする為か。 エジプトに帰った方がましではないか。 エジプトに帰ろう」。 そのとき、偵察隊員であるヨシュアとカレブがイスラエルの全集団に向かって言った。「あの地は素晴らしいところである。 あの地には乳と蜜が流れる。 おまえたちは主に背いてはならぬ。 主が我々と共にいてくださる。 あの地の民を恐れることはない」。 しかし、イスラエルの民はこの2人を殺してしまおうと相談していた。 そのとき、神ヤハウェが出会いの幕屋に降り立ち、モーゼに言った。「この民はいつまで私を侮り続けるのか。 私は彼らの前であれ程の不思議を見せたのに、彼らはどこまで私を信頼しないのか。 私は彼らの間に疫病を流行らせて、彼らを全滅させる」。 モーゼは神ヤハウェに言った。「あなたがこの民を全滅なさったら、そのことを伝え聞いたエジプト人たちはこう言うでしょう。 『神ヤハウェは荒れ野でイスラエルの民を滅ぼした。 約束した地に彼らを導き入れることができなかったからだ』。 あなたの広い慈愛を以てこの民の罪を許してください」。 神ヤハウェはモーゼに言った。「彼らを滅ぼすのは止めよう。 だが、私を侮った者は誰1人カナンの地を見ることはないであろう」。 イスラエルの民は依然として神ヤハウェにぶつぶつと不平を言い続けた。 神ヤハウェはその不平を聞き、モーゼに言った。「私はイスラエルの民の不平を聞いた。 彼らにこう告げよ。 『二十歳以上と記録された男で、私に不平を鳴らした者はこの荒れ野で死ぬことになる。 この者たちの子供をカナンの地に入れることにする。 その子供たちはその親がこの荒れ野で死にきるまで40年間この荒れ野に留め置かれ、親の罪を償うことになる』。 悪い噂を流した偵察隊員と悪意によりカナンの地をけなした者は神ヤハウェの前で突然倒れて死んだ。 偵察隊員の中で生き残った者はヨシュアとカレブだけであった。 (イスラエルの民はこれから40年間に渡って荒れ野での生活を強いられることになる)。
(批評・・・出エジプト記の第32章で、怒った神ヤハウェがイスラエルの民を滅ぼし尽くしてしまおうと思ったことがあった。 この章でも、神ヤハウェはイスラエルの民を全滅させようと思ったが、モーゼの進言により、その思いを撤回した。 神ヤハウェとモーゼとの関係は、思慮に欠ける殿様と思慮深い重臣との関係と同じである。 神ヤハウェよりモーゼの方が精神的にずっと上位にいる。)
民数記 第15章
神ヤハウェはモーゼに言った。「イスラエルの民がカナンの地に入る時、火の生贄を捧げるつもりならば、大小の家畜を用いて、私を喜ばせる香ばしい捧げ物とせよ」。 そして、神ヤハウェは、家畜だけでなく、オリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒を供え物とするように、更にイスラエルの民と共にいる他国人も同様にしなければならないことをモーゼに伝えた。 ある時、イスラエルの民が、安息日に薪を拾い集めている男を捕らえて、モーゼとアロンのもとへ連れてきた。 神ヤハウェはモーゼに言った。「あの男は死刑にせねばならぬ。 あの男を宿営の外で石殺しにせよ」。 神ヤハウェがモーゼに命じた通り、民はその男に石を投げつけて殺した。
(批評・・・安息日に薪を拾い集めただけで死刑にされてしまうとは!。)
民数記 第16章
イスラエルの民の中で有力なコラとダタンとアビラムは、集団の長として名のある250人と組んでモーゼに謀反を起こした。 彼らはモーゼとアロンのもとにやってきて言った。「もう我慢できない。 なぜ、あなた達だけが集団の上に立ちはだかるのか」。 コラはレビ族の者である。 モーゼはコラに言った。「主なる神はレビ族の者を出会いの幕屋に奉仕させ、主なる神への儀式を行なわせているのに、おまえたちはまだそれでも足りぬと言うのか。 おまえたちは祭司職をも要求するのか。 おまえとおまえの仲間は主なる神への謀反を起こしたのだ」。 ダタンとアビラムはモーゼに言った。「あなたは我々をエジプトから去らせて、荒れ野で我々を死なせて、なお足りぬかのように我々の上に支配者として立ちたいのか」。 モーゼはこれを聞いて大いに怒った。 モーゼはコラに言った。「明日、おまえとその仲間たちは各自の香炉に香りのよい香を入れ、それを携えて主なる神の前に立つがよい」。 翌日、コラとその仲間たちは各自の香炉で香りのよい香を炊いた。 モーゼとアロンは出会いの幕屋の入り口の前に立った。 コラは出会いの幕屋の入り口の前に仲間の全員を呼び集めた。 そのとき、神ヤハウェが出会いの幕屋に降り立ち、モーゼとアロンに言った。「おまえたちはこの集団から離れよ。 私は彼らを呑み尽くす。 コラとダタンとアビラムの幕屋から離れるよう、民一同に言え」。 モーゼは民一同に言った。「直ちにこの邪悪な者どもの幕屋から離れよ。 彼らの所有物に触るな」。 モーゼは言った。「もし主なる神が不思議で偉大なことをなさり、大地が口を開け、彼らとその所有物を全て呑み込み、彼らを生きたまま黄泉に落とすならば、それは彼らが主なる神に謀反を起こした証である」。 モーゼがこう言い終わるや否や、大地はコラとダタンとアビラム、及びその家族のいる所で口を開け、彼らとその家族とその所有物を全て呑み込んだ。 そして、彼らは民一同の前から消え去った。 また、神ヤハウェから火が噴き出して、香りのよい香を炊いていた250人を焼き殺した。
民数記 第17章
翌日、イスラエルの民がモーゼとアロンのもとに押し寄せて言った。「あなたがたは主なる神の民を殺した」。 そのとき、神ヤハウェが出会いの幕屋に降り立ち、モーゼに言った。「おまえとアロンは民一同から離れよ。 私は彼らを呑み尽くす」。 モーゼはアロンに言った。「主なる神が怒って、天罰を与えようとしている。 香炉を取って、香りのよい香を炊き、すぐ民の為の罪償の儀式を行なえ」。 天罰は既に始まっていたが、アロンがモーゼに言われた通りに民の為の罪償の儀式を行なったので、天罰は止んだ。 この天罰で死んだ者の数は14700人であった。 神ヤハウェはモーゼに言った。「各部族の長におのおの1本の枝を持参するよう言え。 おまえはその枝に持ち主の名を記せ。 レビ族の枝にはアロンの名を記せ。 それらの枝を出会いの幕屋の中におけ。 私が聖別する者の枝には花が咲く」。 各部族の長は枝を1本ずつ持ってきた。 モーゼはそれらを出会いの幕屋の中に置いた。 翌日、モーゼが出会いの幕屋に入ってみると、アロンの枝に花が咲いていた。 モーゼは12本の枝をイスラエルの民の前に持って行った。 民はその出来事を認めた。 イスラエルの民はモーゼに言った。「我々は死ぬのだ。 もう駄目だ」。
(批評・・・キリスト教グノーシス主義者は「神ヤハウェは人々を下僕と見なし、神ヤハウェに逆らう人々を容赦なく皆殺しにする。 だから、神ヤハウェは劣悪である」と思った。 もっともである。)
民数記 第18章
神ヤハウェはアロンに言った。「レビ族の者は出会いの幕屋に奉仕するが、出会いの幕屋の設備と祭壇には近づいてはならぬ。 世俗の者は出会いの幕屋に近づいてはならぬ。 近づけば、死ぬことになる」。 次に神ヤハウェはアロンとその子たちの取り分についてアロンに細かく指示した。 その取り分はおおかた民が神ヤハウェに捧げたものである。 次に神ヤハウェはレビ族の者への報酬についてアロンに伝えた。 その中で神ヤハウェは、レビ族は遺産の土地を一切受け取ってはならぬと言った。
民数記 第19章
(この章では、魔術めいた儀式が書かれている)。 赤い雌牛を宿営の外で屠り、祭司エレアザルがその血を少し採り、出会いの幕屋の方に向けて七度振り散らす。 祭司の前でその牛を焼く。 その灰を水に溶き、清めの水を作る。 不浄になった人や物に清めの水を振りかける。 人や物が不浄になるのは、次のような場合である。 個人の幕屋の中で人が死んだとき、その幕屋の中にいた人全員、死人や人骨や墓に触れた人、不浄な人が触れた物全て。
民数記 第20章
イスラエルの全集団はカデスに駐留することになった。 その地には水がなかったので、イスラエルの民はモーゼとアロンに刃向かって集まった。 イスラエルの民はモーゼに言った。「なぜ、あなたは我々をこんな荒れ野に連れて来たのか。 我々と家畜をここで殺す為か。 ここでは種蒔きもできない。 無花果もない。 柘榴もない。 飲み水もない」。 モーゼは神ヤハウェの命令により、ある岩の前に民一同を集め、杖を手に取り、岩を二度打った。 すると、水が豊かに湧き出して、民一同と家畜は水を飲むことができた。 (ここまでをこの章の前半とすると、この章の前半と後半の間には時間的に38年間くらいの隔たりがあるように思える。 このあたりは記述不足ではないのか)。 モーゼはエドムの王に使者を送り、次のように伝えた。「我々は今、あなたの領地の近くにあるカデスにいる。 あなたの領地を通過するのを許してもらいたい。 エドムの王は言った。「私の領地を通過することはならぬ。 もし、通過しようとすれば、剣で出迎えてやる」。 イスラエルの全集団は宿営を畳み、カデスを発ち、エドムの領地の境界にあるホル山に着いた。 神ヤハウェはモーゼに言った。「アロンは先祖の列に加わる。 アロンはカナンの地に入ってはならぬ。 アロンとアロンの子エレアザルにホル山に登るように言え」。 モーゼとアロンとエレアザルはホル山に登った。 モーゼはアロンの服を脱がせ、その服をエレアザルに着せた。 エレアザルが祭司となった。 アロンは山の頂で死んだ。 アロンが死んだ日はイスラエルの民がエジプトを出て40年目の第5の月の第1の日であった。 アロンは123歳で死んだ(第33章を参照)(カデスでの駐留期間は38年間くらいか)。
民数記 第21章
イスラエルの全集団は宿営を畳み、ホル山を発ち、エドムの領地を迂回して、葦の海(アカバ湾)の方へ向かった。 その途中、イスラエルの民はまたも神ヤハウェとモーゼに刃向かって言った。「我々を荒れ野で死なせる為に、エジプトから出してくれたのか。 ここにはパンも水もない。 あんな軽い食べ物(マンナ)には飽き飽きした」。 それを聞いた神ヤハウェは怒り、人を焼く蛇をイスラエルの民に送り込んだ。 その蛇は多くの民を咬み、多くの民が死んだ。 (その死者の数は書かれていない)。 その後、イスラエルの全集団は移動を続け、アルノン川の近くに宿営を張った。 アルノン川はアムル人の地から出る川であり、モアブ人の地とアムル人の地との境界である。 モーゼはアムル人の王シホンに使者を送って言った。「あなたの領地を通らせてください。 我々はあなたがたの畑に踏み込まず、あなたがたの井戸の水を飲みません」。 しかし、王シホンはモーゼの要求を拒否した。 そこで、イスラエルの軍とシホンの軍は交戦した。 イスラエルの軍はシホンの軍を撃ち破り、アムル人の地(ヘシボンとその近辺)を占領した。 そして、イスラエルの民はアムル人の町々に住み着いた。 更にイスラエルの軍は北上し、アムル人を追い払い、アムル人の町々を占領した。 その後、イスラエルの軍はバシャン(ガリラヤ湖の東側一帯、ゴラン高原)に向かって更に北上した。 バシャンの王オグはその民を全て率いてイスラエルの軍に対峙した。 神ヤハウェはモーゼに言った。「オグを恐れるな。 アムル人の王シホンにしたように彼を扱え」。 イスラエルの軍はオグの民を一人の生き残りもないほどに打ち破り、彼らの領土を占領した。
民数記 第22章
モアブ人はイスラエルの大集団を恐れ、言った。「あの民は牛が畑の草を食い尽くすように、我々の回りにあるものを全て食い尽くそうとしている」。 モアブの王バラクはペトル(ユーフラテス川上流域?)にいる占い師バラムのもとに使者を送り、自分のところに来て、イスラエルの民に呪いをかけてくれるよう、頼んだ。 占い師バラムが神ヤハウェに伺いを立てたところ、神ヤハウェは言った。「おまえはあの使者たちと一緒に行ってはならぬ。 イスラエルの民を呪うな」。 バラムは翌朝その旨を使者に伝えた。 使者は戻って、その旨をバラクに報告した。 そこで、バラクはより有能で有名な使者をバラムのもとに送り、「万難を排して私のところに来て欲しい 」とバラムに願った。 そこで、バラムが再び神ヤハウェに伺いを立てたところ、神ヤハウェは言った。「使者と一緒にバラクのもとへ言ってよい。 但し、私の言うようにしなければならぬ」。 (それなのに、神ヤハウェはバラムの道中を妨害したと書かれている。 神ヤハウェがバラムの道中を妨害した理由については「バラムが出発したので 」とあるだけである。 このあたりは記述不足である)。 バラムはバラクのもとに到着した。 バラクはバラムを手厚くもてなした。
民数記 第23章
バラクはバラムに言われて、七つの祭壇を立て、その各々に若い雄牛1頭と雄羊1頭を捧げた。 神ヤハウェはバラムにお告げを与えた。 バラムはそのお告げをバラクに伝えた。 そのお告げの内容はイスラエルの民を祝福するものであった。 バラクはバラムに言った。「私はイスラエルの民を呪ってくれとあなたに頼んでいるのだ。 それなのに、イスラエルの民を祝福しているではないか」。 バラクは別の場所にバラムを連れて行き、そこに七つの祭壇を立て、その各々に若い雄牛1頭と雄羊1頭を捧げた。 神ヤハウェは再びバラムにお告げを与えた。 バラムはそのお告げをバラクに伝えた。 そのお告げの内容もイスラエルの民を祝福するものであった。 バラクはバラムに言った。「イスラエルの民を呪わないなら、せめてイスラエルの民を祝福しないでくれ」。 バラクは再び別の場所にバラムを連れて行き、そこに七つの祭壇を立て、その各々に若い雄牛1頭と雄羊1頭を捧げた。
民数記 第24章
バラムがそこでモアブの荒野に顔を向けたとき、彼の目にはイスラエルの民が部族に別れて宿営を張っているのが見えた。 バラムはイスラエルの民を祝福する歌を歌った。 バラクは怒って、バラムに言った。「私は敵を呪ってくれと頼んでいるのだ。 それなのに、おまえは敵を祝福するだけだ。 それも三度も。 さあ、帰ってくれ」。 バラムは、将来イスラエルの民がバラクの民にどうするかを詩に歌って予言した。
民数記 第25章
イスラエルの男たちはモアブの女の色に耽って身を汚した。 モアブ人の神(バアル神)の前でイスラエルの男たちは飲食し、その神の前にひれ伏した。 そこで神ヤハウェは怒り、モーゼに言った。「民の長を全て捕らえて、公に曝せ」。 モーゼはイスラエルの判事に言った。「バアル神と通じた者を殺せ」。 この件で殺された者の数は24000人であった。 イスラエルの男の1人が天幕の中にマディアンの女を連れ込んだ。 祭司エレアザルの子ピンハスがそれを目撃し、槍を手に取り、その男と女の下腹部を突き刺して殺した。 ピンハスの行為により神ヤハウェの怒りは収まった。 神ヤハウェはモーゼに言った。「マディアン人を攻撃せよ」。 (マディアン人への攻撃の詳細は第31章に書かれている)。
民数記 第26章
神ヤハウェはモーゼと祭司エレアザルに言った。「イスラエルの民のうち、二十歳以上の戦いに出られる男の数を部族別に調査せよ」。 調査の結果、レビ族を除いた各部族の中で二十歳以上の戦いに出られる男の数は、ルベン族では43730人、シメオン族では22200人、ガド族では40500人、ユダ族では76500人、イッサカル族では64300人、ザブロン族では60500人、エフライム族では32500人、マナセ族では52700人、ベニヤミン族では45600人、ダン族では64400人、アシェル族では53400人、ネフタリ族では45400人であった。 これらの総数は601730人である。 神ヤハウェはモーゼに言った。「この者たちの数に比例して土地を分配する」。 これらの男の中にはカレブとヨシュアを除いて、かつてシナイの荒れ野で調査された男は1人もいなかった。 シナイの荒れ野で調査された男たちについて神ヤハウェはかつて「彼らは荒れ野で死ぬ 」と言った。
民数記 第27章
マナセ族のゼロフェハドの娘たちがモーゼと祭司エレアザルのもとに来て言った。「私たちの父は男の子を残さずに死にました。 父に与えられるはずの遺産の土地を私たちに与えてください」。 モーゼはこの問題を神ヤハウェに尋ねた。 神ヤハウェは「彼女たちの言い分は正しい。 彼女たちに父の遺産を与えよ 」とモーゼに言い、男の子を残さず死んだ男の遺産相続法を定めた。 更に神ヤハウェはモーゼに言った。「この山に登り、私がイスラエルの民に約束した土地を眺めよ。 そのあとでおまえも先祖の列に加わる」。 モーゼは神ヤハウェに言った。「民の上に立つ人を定めてください」。 神ヤハウェはモーゼに言った。「ヨシュアを立てよ。 イスラエルの民全員を彼に服従させよ」。
民数記 第28章
神ヤハウェはモーゼに言った。「定めの時に私に供え物と火の生贄と香りのよい香を捧げるよう、イスラエルの民に命じよ。 毎日の燔祭の生贄として傷のない小羊2頭、供え物としてオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒。 月の初めの燔祭の生贄としては若い雄牛2頭・雄羊1頭・傷のない小羊7頭である。 供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 雄牛・雄羊・小羊に伴う供え物はそれぞれオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 初穂の日と祝祭日の燔祭の生贄としては若い雄牛2頭・雄羊1頭・傷のない小羊7頭である。 雄牛・雄羊・小羊に伴う供え物はそれぞれオリーブ油でこねた上質の小麦粉である」。
民数記 第29章
神ヤハウェはモーゼに言った。「第7の月の第1の日にはどんな労働もしてはならぬ。 この日の燔祭の生贄は若い雄牛1頭・雄羊1頭・傷のない小羊7頭である。 雄牛・雄羊・小羊のそれぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉である。  第7の月の第10の日には断食をし、どんな労働もしてはならぬ。 この日の燔祭の生贄は若い雄牛1頭・雄羊1頭・傷のない小羊7頭である。 雄牛・雄羊・小羊のそれぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第7の月の第15の日から八日間、神を尊ぶ祝典を行なえ。 第15の日にはどんな労働もしてはならぬ。 この日の燔祭の生贄は若い雄牛13頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 雄牛・雄羊・小羊のそれぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第16の日の燔祭の生贄は若い雄牛12頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第17の日の燔祭の生贄は若い雄牛11頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第18の日の燔祭の生贄は若い雄牛10頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第19の日の燔祭の生贄は若い雄牛9頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第20の日の燔祭の生贄は若い雄牛8頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第21の日の燔祭の生贄は若い雄牛7頭・雄羊2頭・傷のない小羊14頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である。 第22の日の燔祭の生贄は若い雄牛1頭・雄羊1頭・傷のない小羊7頭である。 それぞれに伴う供え物はオリーブ油でこねた上質の小麦粉と葡萄酒である」。
民数記 第30章
モーゼは神ヤハウェに命じられて、各部族の長に言った。「父の家にいる娘がした誓願や約束は、それを知った父がそれに不賛成だと彼女に言えば、無効となり、それを知った父が彼女に何も言わなければ、有効である。 また、妻がした誓願や約束は、それを知った夫がそれに不賛成だと彼女に言えば、無効となり、それを知った夫が彼女に何も言わなければ、有効である」。
民数記 第31章
神ヤハウェはモーゼに言った。「マディアン人を攻撃せよ。 その後、おまえは先祖の列に加わるだろう」。 モーゼはイスラエルの民に言った。「マディアン人を攻撃する為に、武器を取れ。 各部族は1000人ずつを戦いに送れ」。 武装した12000人の遠征軍はマディアン討伐に出かけ、マディアンの男を皆殺しにし、マディアンの女と子供を捕虜にし、マディアン人の財産(家畜など)を全て略奪し、マディアン人の町々に火を放ち、戻ってきた。 モーゼと祭司エレアザルと長老たちは彼らを迎えに行った。 そのとき、モーゼは遠征軍の指揮官たちに言った。「なぜ女たちを生かしておいたのだ。 イスラエルの男たちに主への不実を教えたのはあの女たちである。 イスラエルの男たちと寝た女を全て殺せ。 男と寝たことのない娘だけは生かしておけ」。 分捕り品の主なものは、小さい家畜675000頭、大きい家畜72000頭、驢馬61000頭、男と寝なかった女32000人である。 分捕り品(小さい家畜675000頭、大きい家畜72000頭、驢馬61000頭、男と寝なかった女32000人)の2分の1は戦いに出た兵士に与えられ、残りの2分の1はイスラエルの全集団に与えられた。 ただし、戦いに出た兵士に与えられた分捕り品のそれぞれの500分の1は献納品として祭司エレアザルに与えられ、イスラエルの全集団に与えられた分捕り品のそれぞれの50分の1は献納品としてレビ族に与えられた。
民数記 第32章
ルベン族とガド族は他の部族と比べておびただしい数の家畜を有していた。 彼らはガラアドの地(ヨルダン川東岸一帯)は牧畜に適していることを知った。 そこで、ルベン族とガド族の長はモーゼと祭祀エレアザルと長老たちの前に出て言った。「ガラアドの地を我々の所有地にしてください。 我々にヨルダン川を渡らせないでください」。 モーゼはルベン族とガド族の長に言った。「おまえたちの兄弟はこれから戦いに出るというのに、おまえたちはこの地に留まるというのか」。 ルベン族とガド族の長は言った。「我々はこの地で家畜の為の囲いを作り、子供らの為の町を作ります。 我々の部族の男は武装してイスラエルの民の先頭に立ち、ヨルダン川を渡り、カナンの地に入ります。 イスラエルの民が遺産の地に入るまで、我々は1人も家に帰りません」。 モーゼは言った。「おまえたちの兵士全員が、カナンの地が主なる神の支配下に置かれるのを見てから帰還するのであれば、そのとき、この地はおまえたちの所有地となる」。
民数記 第33章
イスラエルの民がエジプトを出てから宿営した土地は次の通りである。 第1の年の第1の月の15日(過ぎ越しの祭りの2日日)、ラムセスを出発し、スコットに宿営した。 次に荒れ野の端にあるエタムに宿営した。 次にミグドルに宿営した。 (以下、宿営地の名がたくさん記されている)。 祭司アロンが主の命令でホル山に登り、そこで死んだ日はイスラエルの民がエジプトを出て40年目の第5の月の第1日であった。 アロンは123歳で死んだ。 (第21章ではイスラエルの全集団はホル山を発ち、エドムの領地を迂回して、葦の海(アカバ湾)の方へ向かったと書かれているが、第33章ではホル山を発った後ほぼ東に進んだように書かれている。 どちらが本当なのか)。 神ヤハウェはモーゼに言った。「ヨルダン川を渡ったら、その地の住民を完全に追い払い、彼らの神々の像を打ち壊し、鋳物の像を砕き、その地を占領して住まいを定めよ。 占領した土地は氏族の大きさに比例して分配せよ」。
(批評・・・神ヤハウェはイスラエルの民を使って地上における自らの権力の拡張を目差しているように見える。 神ヤハウェはイスラエルの民だけの守護神であることがよく判る。)
民数記 第34章
この章では、神ヤハウェは、イスラエルの民が遺産として受け取る土地(カナンの地)の南の堺・西の堺・北の堺・東の堺を示した。 更に神ヤハウェは、カナンの地を分割する人は祭司エレアザルとヨシュアであるとし、土地分割の為に各部族から1人ずつ責任者を指名した。
民数記 第35章
この章では、神ヤハウェは、各部族が遺産として受け取った土地と町の一部をレビ族の者に与えるよう、与え方の詳細も含めてモーゼに指示した。 この指示は第18章にある指示と矛盾するように思われる。 レビ族がもらう町の数は48で、そのうち6つの町は、故意ではなく不注意で人を殺した者が仇を討とうとする者から逃れる為の避難所である。 人を故意に殺した者は複数の証人の証言に基づき死刑にされる。 故意ではなく不注意で人を殺した者が避難所に逃げ込んだ後の処置の仕方(裁判のやり方)についてはあまり詳しくは書かれていない。
民数記 第36章
マナセ族の家長たちがモーゼと祭司エレアザルのもとに来て言った。「我々の兄弟ゼロフェハドの遺産の土地はその娘たちが相続します。 彼女らが他の部族の男と結婚すると、彼女らの土地はその男たちの部族に属することになり、我々の部族の土地はその分だけ減ることになります」。 モーゼは言った。「主はこう命じられた。 『ゼロフェハドの娘たちの結婚相手は父の部族に属する男でなければならぬ。 イスラエルの部族の土地が他の部族に移ることは許されぬ。 イスラエルの部族の中で土地を持つ娘は、父の部族に属する男と結婚せねばならぬ』」。

申命記 第1章
この章では、イスラエルの軍がアムル人の王シホンとバシャンの王オグを打ち破った後の、イスラエルの民がエジプトを出てから40年目の第11の月の第1の日、モーゼは今までの事を振り返って、出エジプト記の第18章の内容や、民数記の第13章と第14章の内容をイスラエルの民に語った。
申命記 第2章
この章では、モーゼは民数記の第21章のことを詳しくイスラエルの民に語った。
申命記 第3章
この章では、モーゼは民数記の第21章と第32章のことを詳しくイスラエルの民に語った。 モーゼは自分もヨルダン川を渡ることができるように神ヤハウェに願ったが、神ヤハウェはその願いを却下し、モーゼに替わってヨルダン川を渡る指導者はヨシュアであると言っていたことをイスラエルの民に伝えた。
申命記 第4章
モーゼは言った。「私がこれから語る神の掟に何1つ加えず、何1つ削らず、その掟を守れ。 私がこれから示す正しい掟を有する民が他にあるだろうか。 一切の彫像を礼拝してはならぬ。 彫刻を一切してはならぬ。 主は妬み深い神である。 主以外の神を礼拝してはならぬ。 私がこれから語る神の掟を守れば、おまえたちはカナンの地で幸せな生活を送ることができる」。
申命記 第5章
この章では、モーゼは出エジプト記の第20章のことをイスラエルの民に語った。
申命記 第6章
モーゼは言った。「イスラエルの民よ。 聞け。 我々の主こそ唯一の主である。 心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、神なる主を愛せよ。 主以外の神に従ってはならぬ。 そんなことをしたら、主は怒り、地の表からおまえたちを消し去るに違いない。 主を恐れ敬えば、我々は常に幸せに生きることができる。 我々にとって正しいことは主の掟を堅く守り行なうことである」。
(批評・・・「主 」とは「ボス」「親分 」の意であると見て取れる。 このあたりの宗教観はマフィアの世界を連想させる。 何と重苦しい掟であろうか。)
申命記 第7章
モーゼは言った。「カナンの地の先住民はおまえたちより強く数も多い。 だが、おまえたちは彼らを滅ぼし尽くさねばならない。 彼らに哀れみをかけてはならぬ。 彼らの神に仕えてはならぬ。 彼らと同盟してはならぬ。 彼らと縁を結んではならぬ。 彼らの祭壇・立て柱・偶像を打ち壊せ。 主は全ての民の中からおまえたちを自分の民として選び出されたのだ。 主を愛して、その掟を守る者には祝福と慈しみと繁栄を与えてくださるが、主を憎む者には報いを返し、即刻その者を滅ぼされる。 おまえたちは『あの民は強く数も多い。 どうして彼らを追い出せよう』と思うかも知れない。 だが、恐れるな。 主がおまえたちをエジプトからどのようにして連れ出されたかを思い出せ。 主はおまえたちが恐れている民に対しても同じようにしてくださる」。
(批評・・・この章では、カナンの地への侵略は神ヤハウェのご指示とお導きの下にやることであると主張している。 古代において、このような主張は普通のことであったのだろう。 現代においても、このような主張はユダヤ人シオニストの思想の根幹である。 国連のお墨付きの下に1948年から始まったイスラエル建国は、神ヤハウェの援助の下で行なわれたカナン侵略と似た構造を持つ。)
申命記 第8章
モーゼは言った。「神なる主がおまえたちを40年間も荒れ野に留め置いたのは、おまえたちをへりくだらせ、掟を守るか守らないかを試し、おまえたちの本心を知ろうとされたからである。 主はおまえたちを美しい土地に導き入れようとしておられる。 その土地は川と泉が谷と山を潤す地であり、小麦・大麦・葡萄・無花果・柘榴・オリーブが実る地であり、その山からは鉄と青銅が掘り出される地である。 十分に食べ、美しい家を建て、家畜が増え、金銀が貯まったとき、おごり高ぶってはならぬ。 『これほど豊かになったのは私の手腕によるのだ』と思ってはならぬ。 神なる主を忘れてはならぬ。 これほど豊かになる手腕をおまえに与えたのは主である」。
申命記 第9章
モーゼは言った。「イスラエルの民よ。 聞け。 今日おまえたちはヨルダン川を渡り、おまえたちより大きく強い民を追い出そうとしている。 彼らを征服するのは主である。 主がおまえの前から彼らを追い払うとき、『主が我々をここに連れてこられたのは、我々が正しい生き方をしたからだ』と思ってはならぬ。 主がおまえたちの前から彼らを追い払うのは、彼らの罪悪の故と主がおまえたちの先祖に誓った約束を守る為である。 おまえたちは荒れ野で主を怒らせたことを忘れてはならぬ」。 モーゼは次に出エジプト記の第31章・第32章・第34章のことを語った。
申命記 第10章
モーゼは言った。「イスラエルの民よ。 神なる主を恐れ敬い、その掟に完全に従い、心と魂を挙げて主を愛せよ。 主は全ての民の中からおまえたちをお選びになった。 おまえたちの主は神の中の神である。 主は人を差別せず、贈り物に惑わされることもない偉大な神である。 主は孤児や寡婦を正しく裁き、他国人を愛してパンと服を与えられる。 おまえたちも他国人を愛せよ。 おまえたちが褒め称えるべきは主である。 おまえたちの先祖がエジプトに入ったときの数は70人であったが、主はおまえたちの数を星の数ほどに増やしてくださった」。
(批評・・・モーゼはこう言ったが、神ヤハウェはこれからカナンの地の人々を追い払おうとしている。 神ヤハウェはイスラエルの民以外の民に豊かな土地を与えて繁栄させるような神ではない。 神ヤハウェは家畜の贈り物が大好きである。 特に生贄の内臓脂肪が焼かれて立ち昇る煙の匂いが大好きである。 このような神が贈り物に惑わされることがないと言えようか。)
申命記 第11章
モーゼは言った。「おまえたちは主が行なった数々の御業を見て知っている。 しかし、おまえたちの子供はそれを知らない。 おまえたちは、私がおまえたちに伝えた言葉を心と魂に刻み付け、家にいても道を歩いていても寝ていても起きていても常にその言葉をおまえたちの子供に繰り返し教えよ。 私が守れと命じる掟を忠実に守れば、主はあの民を追い払い、おまえたちにあの民を征服させてくださる。 おまえたちは、主の掟を守れば、主に祝福される。 主の掟を守らず、他の神々について行けば、主に呪われる」。
申命記 第12章
モーゼは言った。「おまえたちがカナンの地に入ったら、カナンの地の民がその神に捧げたもの、例えば、丘の上にある祭壇、茂った木の下にある祭壇は全て打ち壊せ。 彼らの祭壇や立て石を砕き、聖木を引き抜き、神々の像を火で焼き、彼らの名を全て消し去れ。 おまえたちがカナンの地で安泰に住めるようになったとき、主が指定した場所に燔祭の生贄と収穫の十分の一と献納品と供え物を持参せねばならぬ。 生贄の血を主の祭壇に注ぎ、おまえは生贄の肉を食べてよい。 だが、血を食べてはならぬ。 動物の血は地面に撒かねばならぬ」。
申命記 第13章
モーゼは言った。「おまえたちの所に不思議を行なう預言者や夢幻者がやって来て、『あなたの知らない他の神々に仕えてみよう』と言っても、そのような者の言葉に耳を貸してはならぬ。 主はおまえたちを試しておられるのだ。 おまえたちの兄弟や息子や娘や妻や友人が『他の神々に仕えに行こう』と言って、おまえたちを誘っても、おまえたちはその言葉に耳を貸してはならぬ。 おまえたちはその者を情け容赦なく扱い、殺さねばならぬ。 おまえたちはその者を捕らえ、民の手に渡し、石を投げつけて殺せ。 おまえが住む町で「主以外の神々を礼拝しに行こう」と誘う者が出て、その誘いに応じた者が出たら、おまえはそのことを調査・探索せよ。 そして、そのことが事実であると判ったときは、その町の住民全員を剣で殺し、その町の全てを主への捧げ物とせよ。 その町の家畜も全て殺し、その町とその持ち物全てを火で焼き払い、その町を廃墟とせよ」。
(批評・・・「あなたの知らない他の神々に仕えてみよう 」と誘ってきた息子や娘までをも民の手に渡し、石を投げつけて殺せとは、随分過激である。 また、主以外の神々を礼拝しに行った者の町の住民全員を剣で殺し、その町の家畜も全て殺し、その町とその持ち物全てを火で焼き払い、その町を廃墟とせよとは、これまた随分過激である。 このようなことをモーゼに言わせている聖書作者の気持ちを測り兼ねる。)
申命記 第14章
モーゼは言った。「おまえたちが食べてよい動物は、牛・羊・ヤギ・鹿である。 らくだ・兔・狸・豚は不浄であるから、食べてはならぬ。 水に住む生き物のうち食べてよい物はひれと鱗のある物だけである。 禿鷹や鷲やとび等の猛禽類・烏・駝鳥・梟・かもめ・みみずく・鵜・白鳥・ペリカン・こうのとり・鷺・やつがしら・コウモリは不浄であるから、食べてはならぬ。 これら以外の鳥は食べてよい。 自然死した動物を食べてはならぬ。 だが、自然死した動物をおまえたちの家に住む他国人には食べさせてよいし、売ってもよい。 子ヤギをその母ヤギの乳で煮てはならぬ。 毎年、刈り入れる物の十分の一を先取りせねばならぬ(税の提出)。 主が指定した場所で小麦や葡萄酒や家畜の初子を食べよ。 そうして、おまえたちは主を恐れ敬うことを学べ。 三年ごとにその年の収穫の十分の一を家の門のところにおけ。 遺産を与えられていないレビ人や他国人や孤児や寡婦がそれを自由に食べてよい」。
申命記 第15章
モーゼは言った。「担保を取って同胞に金を貸した場合、7年経ったら、その担保を持ち主に返せ。 おまえたちの傍に貧しい人がいないようにせよ。 貧しい者には快く与えよ。 この地上から貧乏人がいなくなることはない。 だから、私はこう命じる。 『つらい思いをしている人や貧しい人に向かって手を開け』。 おまえの兄弟姉妹の誰かがおまえに身を売った場合、その者は6年間おまえに奉仕する。 だが、7年目にはその者を自由にせねばならぬ。 そのときは小さな家畜や小麦や葡萄をできる限り彼の肩に載せよ。 エジプトの地で奴隷であったおまえたちを主が解放なさったことを思い出せ。 おまえたちは毎年、大小の家畜の雄の初子を主の為に聖別し、主が指定した所で家族と一緒にそれを食べねばならぬ。 但し、その血は食べずに地面に撒かねばならぬ。
申命記 第16章
モーゼは言った。「主が指定した場所で過ぎ越しの祭りを行ない、生贄として大小の家畜1頭ずつを捧げよ。 この祭りの日から7日間は種なしパンを食べ、種なしパンの祭りを行なえ。 この期間中は種入りパンを食べてはならぬ。 そのようにしてエジプトの地を出た日を思い出さねばならぬ。 7日目には主を尊ぶ盛大な集会を行なえ。 小麦を刈り入れ始めてから7週目に主が指定した場所で七週の祭りを行ない、エジプトで奴隷であったことを忘れずに、奴隷やレビ人や他国人や孤児や寡婦と一緒に楽しめ。 麦打ち場と絞り台からの取り入れをするときは、主が指定した場所で7日間に渡り小屋の祭りを行ない、奴隷やレビ人や他国人や孤児や寡婦と一緒に楽しめ。 イスラエルの男は主が指定した場所に年に3回行って、主の前に出なければならぬ。 それは種なしパンの祭り、七週の祭り、小屋の祭りのときである。 おまえたちは、町々に判事と書記を定め、正しい裁判をせよ。 主の祭壇の傍には聖木を立ててはならぬ。 立て柱も置いてはならぬ」。
申命記 第17章
モーゼは言った。「傷のある家畜や不具の家畜を生贄として主に捧げてはならぬ。 それらは主が厭われる物である。 イスラエルの民の中に、主以外の神々を礼拝し、太陽や月に仕えている者がいれば、その者を町から追放し石殺しにせねばならぬ。 死刑の判決は複数の証人の言葉に基づかねばならぬ。 祭司や判事の指示に従わず生意気な行動を取る者は、これを死刑に処さねばならぬ。 おまえたちの王を立てるときは、主が選んだ王を立てねばならぬ。 王は馬の数を増やしてはならぬ。 王は騎兵の数を増やそうとして、エジプトに民を連れて行ってはならぬ。 王は自分の女の数を増やしてもならぬ。 王は自分の金銀を余りに増やしてもならぬ」。
申命記 第18章
モーゼは言った。「祭司が民から受け取る物は、家畜の肩肉・あご肉・臓物、小麦や葡萄やオリーブ油の初物、小さい家畜の毛の初物である。 おまえたちは自分の子に火の上を歩かせてはならぬ。 おまえたちは占いやまじないや易や魔法を行なってはならぬ。 おまえたちは妖怪や先祖の霊や死霊に呼びかけてはならぬ。 主はおまえたちの中から私のような預言者を立てられるだろうから、その預言者の言うことを聞け」。
申命記 第19章
モーゼは言った。「不注意で人を殺した者が逃げ込む為の町を6つ作れ。 殺意を以て人を殺した者がその町に逃げ込んだ場合、その者の元の町の長老は人を送ってその殺人犯を捕らえ、仇を討つべき者に渡し、殺さねばならぬ。 罪の責任を負わせる判決は複数の証人の言葉に基づかねばならぬ。 偽証した者はその者が企んだことをその身に負わねばならぬ。 容赦なく事に当たらねばならぬ。 命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を」。
申命記 第20章
モーゼは言った。「敵と戦うべく出陣するときは、恐れることはない。 主がおまえたちと共にいるからである。 戦端を開くときは、祭司が進み出て民に話す。 『恐れるな。 おじけるな。 ひるむな。 主はおまえたちと共に進まれる』。 次に書記が民に話す。 『新築祝いをまだしていない者は家に帰れ。 葡萄の初物をまだ収穫していない者は家に帰れ。 婚約してまだ結婚していない者は家に帰れ。 臆病でびくびくしている者は家に帰れ』。 ある町に近づいて攻撃するときは、まず降伏を勧めよ。 降伏せずに刃向かってきたら、その町を包囲し、攻撃せよ。 その町の全ての男を殺し、女と子供と家畜など、その町の全ての財を分捕れ。 但し、ヘト人・アムル人・カナン人・ペリジ人・ビビ人・エブス人の町では1人も生かしておいてはならぬ」。
申命記 第21章
モーゼは言った。「刺されて殺された人が原野で見つかり、誰に刺されたのか判らないときは、一番近い町の長老が若い雌牛を小川のほとりの未だ耕されていない土地に曳いていき、小川の水の傍で雌牛の頭を打ち砕き、その頭の上で手を洗い、声高く次のように言え。 『我々の手はこの血を流さなかった。 主よ。 イスラエルの民を許し、無実の血がここに流されるのを許さないでください』。 そうすれば、彼らは血の復讐を免れる。 (このあたりは理解不能)。 奪い取った捕虜の中の気に入った女を自分の妻にしてよい。 おまえがその女を愛さなくなったら、彼女を思いのままに去らせてよい。 だが、彼女を金で売ってはならぬ。 ある男に2人の妻があるとし、男は1人の妻を愛し、もう1人の妻を愛していないとし、2人の妻が男の子を産んだとする。 このとき、男の長男が愛していない妻の子であっても、その長男が長子権を持ち続けねばならぬ。 長子権を移動してはならぬ。 ある家の子供が父母の言うことを聞かず、反抗的であれば、父母はその子を町の長老たちの所へ連れて行き、そこで町の男たちはその子に石を投げつけて殺さねばならぬ。 死罪に処された男の死体は木に吊り下げねばならぬ。 そして、その死体はその日の内に葬らねばならぬ」。
申命記 第22章
モーゼは言った。「同胞の家畜が迷っているのを見つけたら、その家畜を所有者のもとへ連れ戻してやらねばならぬ。 家畜以外の物でも同様にせねばならぬ。 女は男の服を着てはならぬ。 男は女の服を着てはならぬ。 親鳥と雛がいる巣を見つけたとき、親鳥が巣を飛び立てば、その雛を捕ってよい。 家を建てるときは、屋根に手すりを付けよ。 葡萄畑に異なる種を撒いてはならぬ。 牛と驢馬をつなぎ合わせて鋤を使ってはならぬ。 羊毛と麻を混ぜた布を身につけてはならぬ。 男が女を娶った後、男が『その女には処女のしるしがなかった』と言って、訴えた場合、その訴えが真実であれば、町の人々はその女を父親の家まで連れて行き、石を投げつけて殺さねばならぬ。 男が既婚の女と寝ている現場が見つかったときは、その男と女を共に死刑に処さねばならぬ。 婚約中の処女の娘が他の男と一緒に寝た場合、2人を町の門で石殺しに処さねばならぬ。 男が婚約者のいない女と一緒に寝ている現場が見つかったときは、男は女の父に銀50シェケルを与え、その女を妻にし、決して離縁してはならぬ。
申命記 第23章
モーゼは言った。「男は父親の妻を娶ってはならぬ。 父親の寝床の覆いを上げてはならぬ。 睾丸が潰れている者や睾丸が切り取られている者は会衆に加わってはならぬ。 アンモン人とモアブ人も会衆に加わってはならぬ。 エドム人は同胞である。 エジプト人の子孫は三代目から主の民に加えてよい。 敵に向かって陣を張っている夜、夢精があって汚れた者は陣から出て、夕方、水で身を清めるまで陣に入ってはならぬ。 陣の外に用を足す場所を設け、用を足すときは、そこの土を掘り、排泄物を土で覆わねばならぬ。 主は陣の中におられる。 主に汚れたものを見せてはならぬ。 おまえのもとに避難してきた奴隷を元の主人に渡してはならぬ。 イスラエルの娘や息子を神殿の娼にしてはならぬ。 同胞から利子を取ってはならぬ。 他国人から利子を取ることは許される。 立てた誓願は、これをすぐ実行せよ。 隣人の葡萄畑を通りかかったとき、思いのまま葡萄の実を食べてよいが、籠に摘み入れてはならぬ。 隣人の麦畑を通りかかったとき、穂を手で摘んでよいが、鎌で刈ってはならぬ」。
申命記 第24章
モーゼは言った。「男が妻を娶った後、男が妻に欠陥を見つけ、好ましく思わなくなったら、男は妻に離縁状を渡し、自分の家から出してよい。 男は結婚してから1年間は兵役に就かなくてもよく、自由の身であり、妻を喜ばせる為に家の事をせねばならぬ。 同胞を誘拐したり、同胞を売ったりした者は死刑に処されねばならぬ。 らい病人は祭司が決めた規定に従え。 質草を取って金を貸すとき、質草を取る為に彼の家に踏み込んではならぬ。 卑しい者や貧しい者に払う賃金を不当に扱ってはならぬ。 子供の罪の為に親を死刑に処してはならぬ。 親の罪の為に子供を死刑に処してはならぬ。 他国人や孤児や寡婦の権利を奪ってはならぬ。 麦の穂を刈って帰るとき、畑の中に一束の麦穂を置き忘れたとしても、それを取りに引き返してはならぬ。 残りは他国人や孤児や寡婦のものである。 オリーブの実を竿で叩き落とすとき、小枝の先まで叩いてはならぬ。 残りは他国人や孤児や寡婦のものである。 葡萄の実を完全に摘み取ってはならぬ。 残りは他国人や孤児や寡婦のものである。 おまえたちはエジプトで奴隷であったことを忘れるな」。
申命記 第25章
モーゼは言った。「判事は正しい判決を下さねばならぬ。 棒打ちの刑は判事の前で行ない、棒で打つ回数は最大で40回とせよ。 兄弟が共に住んでいて、その1人が子のないまま死んだときは、残った兄弟がその寡婦と結婚して先夫の務めを果たさねばならぬ。 彼女が産んだ長男は先夫の名を継ぐ。 2人の男が争っているとき、やられている男の妻が夫を救おうとして他方の男の急所を掴んだときは、その女の手を容赦なく切り落としてよい。 おまえたちは不正な重りや不正な升を使って不正な計量をしてはならぬ」。
申命記 第26章
モーゼは言った。「おまえたちが主から遺産として与えられた土地に入り、そこを占領して住み着くようになったときには、その土地から得る全ての初物を携えて、主が指定した所に行き、その地の祭司にこう言え。 『私は主が先祖に与えるとお誓いになった土地に入ったことを主に報告します。 私の先祖は流浪のアラム人でしたが、エジプトに下り、他国人としてそこに住む間に大きな民となりましたが、エジプトの奴隷となってしまいました。 主は我々の惨めな状態をご覧になり、数々の不思議を行ない、エジプト人を恐れさせ、我々をエジプトから連れ出し、乳と蜜の流れるこの地を我々に与えてくださいました。 私は地の実りの初物を持参しました』。 おまえたちは初物を祭司に渡し、主の前にひれ伏さねばならぬ。 そして、レビ人と他国人と一緒に喜び楽しめ。 3年目、十分の一を捧げる年には、全ての産物の十分の一を先取りし、それらをレビ人と他国人と孤児と寡婦に与えよ」。
申命記 第27章
モーゼは言った。「ヨルダン川を渡ったら、エバル山の上に3つの大石を立て、それを石灰で覆い、それに律法の言葉を全て書き記せ。 また、そこに自然石で主の祭壇を作り、その上で主の為の燔祭を行ない、平和の生贄を捧げ、それを食べて楽しめ。 ヨルダン川を渡ってから、シメオン族・レビ族・ユダ族・イッサカル族・エフライム族・マナセ族・ベニヤミン族はガリジム山に立つ。 ルベン族・ガド族・アシェル族・ザブロン族・ダン族・ネフタリ族はエバル山に立つ。 このとき、レビ人は大声で次のように唱えよ。 『彫刻した像や鋳造した像を隠し持っている者には呪いあれ。 父母を虐げる者には呪いあれ。 土地の境界を移す者には呪いあれ。 盲人を迷わせる者には呪いあれ。 他国人や孤児や寡婦の権利を侵す者には呪いあれ。 父の妻と寝る者には呪いあれ。 動物と交わる者には呪いあれ。 父の娘や母の娘と寝る者には呪いあれ。 義理の母と寝る者には呪いあれ。 密かに隣人を打ち叩く者には呪いあれ。 贈り物を受け取って無実の人を打ち殺す者には呪いあれ。 この律法を遵守しない者には呪いあれ』。 民は『アメン』と答えよ」。
申命記 第28章
この章では、モーゼは「おまえたちが主の掟を全て守れば、主は他の民よりおまえたちを高め、祝福し、カナンの地で胎内の実、家畜の実、土地の実りを豊かに与えられる。 だが、おまえたちが主の掟を守らなければ、主はおまえたちを呪い、おまえたちに疫病と干ばつを送り、おまえたちを滅ぼし尽くす 」と言い、更に、主の掟を守らなかった場合に起きる悪い事柄をこれでもかこれでもかと言う感じで長くしつこく具体的に語る。 モーゼはイスラエルの民に主の掟を必ず守ってくれと頼み込んでいるようにすら見える。 この章の最後の方でモーゼは「主はおまえたちの数を増やして喜ばれたが、それと同じように、おまえたちを滅ぼし尽くすことを喜びとされるのだ。 主はおまえたちを全ての民の中に散らし、そこでおまえたちは他の神々に仕えることになる。 その民の中でおまえたちには安らぎがなく、足の裏を静かに置くところもない 」と語る。
(批評・・・モーゼは「おまえたちが主の掟を守らなければ、主はおまえたちを滅ぼし尽くす 」とは言うが、どんなことが在ろうと、神ヤハウェがイスラエルの民を滅ぼし尽くすことはない。 神ヤハウェは精々イスラエルの民を他国民の中に散らすだけである。 なぜなら、イスラエルの民が消滅してしまったら、神ヤハウェの存在意義が無くなってしまうからである。 神ヤハウェはイスラエルの民があってこその神である。)
申命記 第29章
この章では、モーゼは「『主の掟を守らず、勝手なことをしても、物は欠乏しないし、豊かな水が渇きを癒してくれるだろう』と思う者がいれば、主の怒りが燃え上がり、主はその者を決して許されまい 」と言い、主の掟を遵守するように言った。 その語り口は長く、しつこく、くどい。
申命記 第30章
モーゼは言った。「主の呪いにより世界中に散らされた後でも、おまえたちが心を尽くし魂を尽くして主の声に耳を傾け、主の掟を守れば、主はおまえたちに哀れみをくださり、世界中に散ったおまえたちを再びお集めになる。 そして、主はおまえたちの敵を呪い、おまえたちの先祖が所有していた地におまえたちを帰らせ、その地をおまえたちに所有させ、胎内の実と家畜の実と土地の実りをおまえたちに与え、おまえたちを幸せにしてくださる。 おまえたちが主を愛し、主の掟を守れば、おまえたちの子孫は増え、これから占領する地において主の祝福があるだろう。 だが、おまえたちが主を愛さず、主の掟を守らなければ、おまえたちは必ず滅びる。
(批評・・・モーゼの語り口は全くしつこい。 今やモーゼは神ヤハウェの影響を受けて、偏執狂になってしまったようである。 また、第28章と第30章の内容は紀元1世紀に始まる離散と1948年から始まったイスラエル建国の歴史と重なる。)
申命記 第31章
モーゼは言った。「今日私は120歳になった。 主は『おまえはヨルダン川を渡ることはできない』と仰せられた。 主がおまえたちの先頭に立ってヨルダン川を渡られる。 ヨシュアがおまえたちを率いて渡る。 おまえたちは勇ましくあれ。 雄々しくあれ」。 それから、モーゼはヨシュアに向かって「勇ましくあれ。 雄々しくあれ。 恐れるな。 ひるむな 」と言った。 モーゼは祭司たちと長老たちに向かって言った。「7年目が終わり小屋の祭りのとき、イスラエルの民の前でこの律法を高らかに読み上げよ。 そして、主を恐れることを民に学ばせよ」。 神ヤハウェはモーゼに向かって、ヨシュアと一緒に出会いの幕屋に入るように言った。 神ヤハウェはモーゼに言った。「この民はこれから入ろうとする地において、たくさん食べて満足し太った後で、異国の神々を礼拝し、私を見捨て、私と結んだ契約を破るだろう。 そのとき私の怒りは燃え上がり、私は彼らを滅ぼし尽くす為に多くの災難と不運を送る。 さて、次の賛歌を記してイスラエルの民に教えよ」。 神ヤハウェはヨシュアに指揮権を渡して、言った。「勇ましくあれ。 雄々しくあれ。 私はおまえと共にいる」。
(批評・・・まさしく、神ヤハウェはイスラエルの民だけの守護神であり、妬み深い神である。)
申命記 第32章
この章では、モーゼはイスラエルの民の前で賛歌を語って聞かせた。 この賛歌は43節もあり、かなり長い。 その賛歌の内容は、主を褒め称えることや将来イスラエルの民が主に背くことになり、それに対し主が怒り、妬み、悲しみ、イスラエルの民を滅ぼし尽くそうとし、他民族をしてイスラエルの民を虐めさせるが、結局、それは中止して、主はイスラエルの民に救いの手を差し伸べるというものである。 この章の最後に、神ヤハウェはモーゼに言った。「ネボ山に登って、カナンの地を眺めよ。 おまえはその山の上で死なねばならぬ。 そして、おまえは先祖の列に加わる」。
申命記 第33章
モーゼはイスラエルの民を前にして、主なる神ヤハウェを称え、ヤコブの息子たちを1人ずつ称え、最後に言った。「イスラエルの民よ。 おまえたちは幸せ者だ。 おまえたちは主に救われた民だ。 おまえたちのような民があろうか。 主はおまえたちを守る盾であり、勝利の剣である」。
申命記 第34章
モーゼはネボ山の頂に登った。 その頂で神ヤハウェはカナンの地をモーゼに示した。 神ヤハウェはモーゼに言った。「これは私がアブラハム・イサク・ヤコブに約束した土地である。 だが、おまえはそこには入れない」。 モーゼは120歳で死んだが、その目はかすみもせず、気力も衰えていなかった。 イスラエルの民は30日間モーゼの喪に服した。

神ヤハウェはイスラエルの民に対し、どうでもよいと思われるような事まで細かく規定する。 神ヤハウェはイスラエルの民のやる事なす事の全てに細かく干渉せずにはいられない。 ユダヤ人の法体系の中にユダヤ人が自身の考えで作った法律があるのだろうかとさえ思われる。 ユダヤの神ヤハウェは子離れできない父親のようなものである。 このような神が「世界を創造した最高神」であるわけがない、「全知全能の神」であるわけがない、「一流の神」であるわけがない。 はっきり言わせてもらえば、神ヤハウェは三流の神である。

主なる神ヤハウェとイスラエルの民との関係はマフィアの親分と子分との関係と同じである。 マフィアの親分は、その子分が親分に忠誠を尽くす限り、その子分を保護する。 マフィアの親分は、その子分が親分に不忠を働けば、その子分を即座に抹殺する。 これと同様に、神ヤハウェは、イスラエルの民が神ヤハウェに忠誠を尽くす限り、イスラエルの民を保護する。 神ヤハウェは、イスラエルの民が神ヤハウェに不忠を働けば、そのイスラエルの民またはイスラエルの民全体を即座に又は徐々に不幸のどん底に陥れる。 但し、神ヤハウェは、イスラエルの民を根絶やしにする事はしない。 なぜなら、神ヤハウェはイスラエルの民に執着しているからである。 その意味で神ヤハウェはとてつもなく大きな葛藤を持っている。 イスラエルの民無くしては、神ヤハウェの存在意義も無いと言える。「主なる神」という言葉の「主」とは「ボス」「親分」という意味である。

ヨシュア記 第1章
神ヤハウェはヨシュアに言った。「今、おまえは立ち上がれ。 わたしがイスラエルの民に与える地に向け、民を引き連れてヨルダン川を渡れ。 勇ましく雄々しくあれ。 私が先祖に与えると約束した地に民を導くのはおまえである。 私がモーゼに与えた全ての定めに従って忠実に振る舞えるように、勇ましく雄々しくあれ」。 ヨシュアは民に言った。「食料を蓄えよ。 3日後にヨルダン川を渡り、主がお与えくださる地を占領する」。 ヨシュアはルベン族とガド族とマナセ族に言った。「おまえたちの妻子と家畜はモーゼからもらったヨルダンの地に残してよい。 だが、おまえたちの兵士は武装して兄弟の先頭に立って川を渡らねばならぬ。 そして、約束の地を占領した後で、おまえたちの兵士はヨルダンの地に戻り、そこに住んでよい」。
(批評・・・イスラエル軍は神ヤハウェの援助のもとでカナンを侵略しようとしている。 国連のお墨付きの下に1948年から始まったイスラエル建国は、神ヤハウェの援助のもとで行なわれたカナン侵略と似た構造を持つ。)
ヨシュア記 第2章
ヨシュアはエリコの町を偵察する為に、2人の斥候を送った。 2人の斥候はエリコに着くと、ラハブという名の娼婦の家に泊まった。 エリコの王はその事を知り、ラハブの家に手下を送り、2人の斥候を引き渡すように要求した。 ラハブは2人の斥候を匿って、言った。「はい、そういう人たちが来ましたが、日暮れ時に出て行きました。 どこへ行ったかは知りません」。 王の手下は2人の斥候を探しに町を出て行った。 ラハブは2人の斥候に言った。「この地の住民はイスラエルの民が近づいてくると聞いて、おののいています。 誰一人あなた達に刃向かう勇気のある者はおりません。 私はあなた方を丁重に扱ったのだから、私の父母・兄弟姉妹とその一族の者を生かし、殺さないでください」。 2人の斥候は答えた。「我々のことを誰にも話さなければ、我々は慈悲と忠実をもってあなたがたを扱おう。 イスラエルの兵士がこの国に入るとき、この家の窓に真紅の綱を下げなさい。 そして、あなたの父母・兄弟姉妹とその一族の者を全てこの家に集めなさい」。 2人の斥候は無事帰還し、ヨシュアに報告した。 (カナンへの侵入は紀元前1200年頃のことと考えられている)
ヨシュア記 第3章
イスラエルの民一行はヨルダン川の岸辺に着いた。 ヨシュアは民に言った。「明日、主は民の前で不思議をなさる」。 その翌日、神ヤハウェはヨシュアに言った。「今日、私は民一同の目の前でおまえを偉大な者とする業に取りかかる。 私がおまえと共にいることを民に知らしめる為である」。 ヨシュアは民に言った。「おまえたちの中には生きる神がまします。 神なる主はカナン人・ヘト人・ヒビ人・ペリジ人・ギルガシ人・アムル人・エブス人を追い払われる。 主の契約の櫃は民の先頭に立ってヨルダン川を渡る。 聖櫃を運ぶ祭司たちがヨルダン川の水に足を浸けたとき、ヨルダン川の水は分かれ、川上の水は塊となって止まる」。 そして、祭司たちは民の先頭に立って聖櫃を運んだ。 祭司たちがその足をヨルダン川の水に浸けたとき、ヨルダン川の水が止まり、川上から流れてくる水はアダムからザルタンに渡る広い地域に塊になって止まった。 祭司たちはヨルダン川の中央の乾いたところに足を止めた。 そして、イスラエルの民一同はそこを渡り始めた。
ヨシュア記 第4章
ヨシュアはヨルダン川の中央の、祭司たちが足を止めた所に12の石を立てた。 民は大急ぎでヨルダン川を渡った。 民が全て渡り終えると、聖櫃を運ぶ祭司たちは民の先頭に立った。 それから、ルベン族とガド族とマナセ族の半分の計4万人は武装してイスラエルの民の先頭に立った。 イスラエルの民はギルガルに宿営を張った。 ヨシュアはヨルダン川から取ってきた12個の石をその地に立て、その石の意義をイスラエルの民に説明した。
ヨシュア記 第5章
ヨルダン川の西部に住むアムル人の王とカナン人の王は、イスラエルの民がヨルダン川を渡るに際して神ヤハウェがヨルダン川の水を干上がらせた事を知った。 そして、彼らはイスラエルの民が近づくのを知っておじけづき、息をひそめた。 神ヤハウェはヨシュアに言った。「硬い石で刃物を作り、イスラエルの民に新たに割礼を行なえ」。 エジプトを出て以来、荒野で生まれた人々は割礼を受けていなかった。 ヨシュアはこの人たちに割礼を施した。 イスラエルの民は第1の月の14日にエリコの荒れ野で過ぎ越しの祭りを行なった。 その祭りの翌日、マンナは止み、流浪生活の終わりが告げられた。
ヨシュア記 第6章
エリコの民はイスラエルの民を迎え撃つ為に防塞を作り、閉じ籠もった。 イスラエル兵はエリコの町を7日間包囲した後で攻め落とした。 ヨシュアはラハブという名の娼婦との約束に基づき、ラハブの父母・兄弟姉妹とその一族の者とその家畜を生かしておいたが、彼ら以外のエリコの民の全て、男も女も老人も子供も家畜も含めて全て剣で殺した。 そして、イスラエル兵はエリコの町の金・銀・青銅・鉄の物を奪い、それらを主の倉に収め、それからエリコの町の全てに火をつけて焼き払った。
(批評・・・当時、このようなことは普通のことだったのだろうか。 今流に考えれば、このようなことはホロコースト(組織的な大量虐殺)である。)
ヨシュア記 第7章
ヨシュアはアイの町を占領する為に、三千人の兵士を派遣した。 しかし、イスラエル軍はアイ人に敗れ、逃げ出した。 イスラエルの民はがっかりして、心は水のようになった。 ヨシュアは服を裂き、聖櫃の前で地に頭を伏せ、夕方までそのままにしていた。 ヨシュアは言った。「主よ。 なぜ、この民にヨルダン川を渡らせたのですか。 我々はヨルダン川の彼方の地に踏みとどまっていればよかったのではありませんか」。 神ヤハウェはヨシュアに言った。「なぜ地に頭を伏せているのか。 イスラエルの民のある者が掟に背き、罪を犯しのだ。 その者は私への捧げ物を盗み、それを隠した。 その為、イスラエル軍は負けたのだ。 罪を犯した者とその持ち物とを全て焼き払わねばならぬ」。 翌朝、ヨシュアは神ヤハウェに指示された方法(主のくじを使う方法)により罪を犯した者を特定した。 罪を犯した者はユダ族のアカンであった。 アカンは言った。「私は分捕り品の中からシネアルの美しい外套と銀200シェケルと金50シェケルを盗みました。 それらは私の幕屋の土の中に隠してあります」。 ヨシュアはアカンの幕屋に人を送り、それらの盗品を掘り出した。 ヨシュアはアカンとその息子・娘・家畜・幕屋・持ち物全てをアコルの谷に連行・運搬した。 ヨシュアは言った。「主が今日おまえに災難を下される」。 イスラエルの民一同はアカン一族に石を投げて殺した。 そのとき、神ヤハウェは燃える怒りを収められた。
ヨシュア記 第8章
ヨシュアは神ヤハウェに命じられ、アイの町を攻略する為に、三万人の兵士を夜中に出発させ、ベテルとアイとの間に配置した。 一方、ヨシュアは翌朝残りのイスラエル兵を閲兵し、長老たちを伴い、アイに向けて進軍した。 ヨシュアが率いる本体軍はアイの北方に陣を張った。 アイの王はイスラエル軍と戦う為に出撃してきた。 しかし、彼は町の背後(西方)にイスラエル軍が潜んでいることを知らなかった。 ヨシュアが率いる本体軍は負けた振りをして退却した。 それを見たアイの兵士は町を離れ、イスラエル軍を追いかけた。 その為、アイの町は無防備になった。 そのとき、町の西方に潜んでいたイスラエル軍が町に攻め入り占領し、町に火をつけた。 ヨシュアの率いる本体軍はその火を見ると、反撃に転じた。 町に攻め入ったイスラエル軍も町を出て、アイの兵士と戦った。 こうしてアイの軍隊は挟み撃ちに遭い、アイの兵士は一人残らず殺された。 イスラエル軍はアイの町に入り、町に残っていたアイ人の男・女・老人・子供の全てを剣で殺した。 この日殺されたアイ人は総計1万2千人であった。 イスラエル軍はアイの町の金銀(+青銅・鉄?)と家畜とを分捕り、その他の全てに火をつけ焼き払った。 それから、ヨシュアはエバル山に自然石で祭壇を作り、燔祭を行なった。
(批評・・・イスラエル軍がアイの町の住民に対して行なったこともホロコースト(組織的な大量虐殺)である。)
ヨシュア記 第9章
アイの町に近くにあるギベオンという町の住民はイスラエルと同盟を結ぼうと思い、イスラエルへの使者にすり切れた服とぼろ靴とを身につけさせ、継ぎ接ぎだらけの革袋と乾き切ったパンとを持たせ、ギルガルの宿営にいるヨシュアのもとに送った。 使者はヨシュアに言った。「我々は遠い国からやってきました。 我々と同盟を結びませんか。 見てください。 これはパンです。 我々が出発したときは出来たてでしたが、今ではからからに乾いています。 また、これは葡萄酒の革袋ですが、今では御覧のようにぼろぼろになりました。 我々の服と靴も長旅の間にすり切れてしまいました」。 ヨシュアと主要な人々は使者に平和を約束し同盟を結んだ。 それから3日後、イスラエルの民は、先日来た使者たちが近くに住んでいる者であることを知った。 それから数日後、イスラエル軍はギベオンとその付近の町に着いたが、それらの町の人々と結んだ同盟によりそれらの町を攻めなかった。 イスラエルの主要な人々は民一同に向かって言った。「我々は彼らと同盟を結んだのだから、彼らを生かしておく。 そして彼らを木こりか水汲みとして我々に奉仕させる」。 ヨシュアはギベオン人を呼んで言った。「なぜ遠い国からやってきたと言って騙したのか。 おまえたちは神殿を造る為の木を切り、水を汲む奴隷にならねばならぬ」。 ギベオン人はヨシュアに答えた。「我々は滅ぼされるのを恐れて先のようなことをしました。 あなたが正しいと思われる通りにしてください」。
ヨシュア記 第10章
エルサレムの王とヘブロンの王とヤルムトの王とラキシの王とエグロンの王の5人はイスラエルに対抗する為に同盟を結んだ。 そして、彼らは兵を率いてギベオンに向かい、陣を張り、ギベオンを攻撃した。 ギベオン人はギルガルの宿営にいたヨシュアに援軍を要請した。 神ヤハウェはヨシュアに言った。「彼らを恐れるな。 私は彼らをおまえの手に渡す」。 ヨシュアはイスラエル兵の全てを率いて夜間行軍し、ギベオンで敵を奇襲し、打ち破った。 敗走する敵がベトホロンに来たとき、神ヤハウェは彼らの頭上に大きな雹を降らし、それにより彼らは全滅した。 5人の王は生き延びて、マッケダの洞穴に隠れた。 ヨシュアはそれを知り、部下に命じた。「洞穴の入り口に大石を置き、見張りの者を置け。 その他の者は敵の退路を断ち、彼らの町に逃げ込ませるな」。 イスラエル軍は敵兵のほぼ全てを殺して、マッケダの宿営にいるヨシュアのもとに帰還した。 ヨシュアは部下に言った。「洞穴の入り口を開け、5人の王を私のもとに連れてこい」。 ヨシュアはイスラエル一同を集め、兵士の長に「この王たちの首の上に足を置け 」と言った。 兵士の長はその通りにした。 ヨシュアはイスラエル一同に言った。「恐れるな。 強く勇ましくあれ。 主はおまえたちの敵すべてをこの様に扱われる」。 それからヨシュアは5人の王を殺した。 その日、ヨシュアはマッケダを占領し、マッケダの王と住民を一人残らず剣で殺した。 次にヨシュアは全イスラエル兵を率いてリブナの町を攻撃し占領した。 イスラエル軍はその町の住民すべてを剣で殺した。 次にヨシュアは全イスラエル兵を率いてラキシの町を攻撃した。 翌日、イスラエル軍は主の計らいによりラキシの町を占領し、その町の住民と家畜のすべてを剣で殺した。 次にヨシュアは全イスラエル兵を率いてエグロンの町を攻撃した。 その日、イスラエル軍はエグロンの町を占領し、その町の住民すべてを剣で殺した。 次にヨシュアは全イスラエル兵を率いてヘブロンの町を攻撃した。 イスラエル軍はヘブロンの町を占領し、その町の住民と家畜のすべてを剣で殺した。 次にヨシュアは全イスラエル兵を率いてデビルの町を攻撃した。 イスラエル軍はデビルの町を占領し、その町の住民と家畜のすべてを剣で殺した。 そして、ヨシュアは全イスラエル兵を率いてギルガルの宿営に引き上げた。
(批評・・・イスラエル軍がマッケダ・リブナ・ラキシ・エグロン・ヘブロン・デビルの町の住民に対して行なったこともホロコースト(組織的な大量虐殺)である。)
ヨシュア記 第11章
ガリラヤ湖の西側地帯にあるハゾル・マドン・シムロン・アクサフ・アラバ・ドルなどの町の王は同盟を結び、兵を率い、合流し、メロムの町の近くに陣を張った。 神ヤハウェはヨシュアに言った。「恐れるな。 明日私は彼ら全てをイスラエルの民の前に連ねて突き刺す。 おまえは馬の足の腱を切り、戦車に火を付けよ」。 ヨシュアは全イスラエル兵を率いて、同盟軍に奇襲をかけ、打ち破った。 同盟軍の生き残りは一人もいないほどであった。 次にヨシュアは兵を率いてハゾルに向かい、その町を占領し、その町の王を剣で殺し、その町の住人を一人残らず剣で殺し、その町を焼き払った。 イスラエル軍は先に挙げた町を全て占領し、その王たちを剣で殺し、町の住民を一人残らず剣で殺した。 その他の町やネゲブの山岳地帯の占領には長い時間が掛かったが、それらも遂には占領した。 但し、ガザとガットとアストドの町は占領できなかった。
ヨシュア記 第12章
ヨルダン川の東側一帯はルベン族とガド族とマナセ族の半分のものとなった。
ヨシュア記 第13章
ヨシュアは年老いた。 神ヤハウェはヨシュアに言った。「おまえは年老いた。 占領すべき土地はまだ多い。 それは次の土地である。 ペリシテ人がいる土地(ガザ、アスドド、アスカロン、ガット、エクロン)、ゲシュル人がいる土地、レバノン山脈地帯とその東側一帯である。 私はこれらの地にすむ住民をイスラエルの民の前から追い払う。 その間、九つ半の部族に遺産の地をくじ引きで分け与えよ」。 (神ヤハウェはこう言ったが、結局、ペリシテ人がいる土地、ゲシュル人がいる土地、レバノン山脈地帯とその東側一帯はイスラエルの領土とはならなかった)
ヨシュア記 第14章
ユダ族のカレブがヨシュアを訪ねてきた。 カレブはヨシュアに言った。「今から45年前、カデスでモーゼが私に約束したことをあなたは覚えているでしょう。 モーゼは私にこう約束しました。 『おまえの踏む地はいつまでもおまえとその子らの遺産となる。 おまえは主のお考えに全く従ったからである』と」。 ヨシュアはカレブを祝福し、未だ占領できていないヘブロンの町を彼に与えることを約束した。
ヨシュア記 第15章
この章では、ユダ族の分け前の土地の名について細かく書かれている。 カレブはヘブロンに住むアナク人を追い出し、ヘブロンを占領した。
ヨシュア記 第16章
この章では、エフライム族の分け前の土地の名について書かれている。
ヨシュア記 第17章
この章では、マナセ族の分け前の土地のことが書かれている。
ヨシュア記 第18章
イスラエルの民はシロの町に出会いの幕屋を建てた。 まだ土地を受け取っていない部族が7つあった。 そこでヨシュアは土地の分配を決める為の準備をするよう指示を出した。 準備が整った後で、ヨシュアはシロにおいてくじ引きで遺産の土地を分配した。 この章では、ベニヤミン族の分け前の土地についても書かれている。
ヨシュア記 第19章
この章では、シメオン族・サブロン族・イッサカル族・アシェル族・ネフタリ族・ダン族の分け前の土地について書かれている。
ヨシュア記 第20章
神ヤハウェは、不注意で人を殺した者が仇討ちをしようとする者から逃れる為の町を指定するよう、ヨシュアに命じた。
ヨシュア記 第21章
ヨシュアと祭司エレアザルと族長はレビ族が住む為の町とレビ族の羊の為の牧場をレビ族の各家に与えた。 こうして、神ヤハウェはイスラエルの民に与えると約束した地を全てのイスラエルの民に与えた。 神ヤハウェは全領土に安らぎを与えられた。 彼らの敵は一人も背かなかった。 神ヤハウェがイスラエルの民にした約束は全て実現した。 (神ヤハウェはイスラエルの民に与えると約束した地を全てのイスラエルの民に与えたと書かれてあるが、実際は約束の地のうち、ガザ地区やレバノン山脈地帯とその東側一帯はまだイスラエルの民のものになっていない)
ヨシュア記 第22章
ヨシュアはルベン族とガド族とマナセ族の半分の兵を集め、彼らに言った。「おまえたちはモーゼの命令をよく守り、私の命令にもよく従った。 おまえたちは兄弟を見捨てることなく、主の命令によく従った。 今、兄弟の上に安らぎの時が来た。 おまえたちは自分の幕屋に帰って良い。 今後もモーゼが伝えた掟を守るよう心がけよ」。 ルベン族とガド族とマナセ族の半分の兵は帰途に着いた。 その途中、彼らはヨルダン川の岸辺に大規模な祭壇を築いた。 このことを知ったイスラエルの他部族の兵はルベン族とガド族とマナセ族の半分の兵と戦おうとしてシロに集結した。 エレアザルの子である祭司ピンハスと十人の主だった人々がガラアドの地に行き、ルベン族とガド族とマナセ族の半分に言った。「おまえたちは主に不忠実な事をした。 この祭壇は主への明らかな反逆である。 なぜこの様なことをしたのか。 明日、主の怒りはイスラエル全集団に降りかかるだろう」。 ルベン族とガド族とマナセ族の半分は答えた。「あなた方と我々の間にはヨルダン川という境があるので、将来、あなた方の子が我々のことを主とは関わりがないと思い我々を遠ざけることを危惧して、このような祭壇を築いたのである」。 祭司ピンハスと十人の主だった人々はその返事を聞いて納得し、シロに戻り、会見の様子をイスラエルの民に語った。 それを聞いたイスラエル兵は集結を解いた。
ヨシュア記 第23章
それからずっと後、年老いたヨシュアはイスラエルの主だった人(長老、判事、書記)を集め、語った。「主はおまえたちの前から異国人を追い払い、主自身で戦ってくださった。 おまえたちはおまえたちの近くにまだ残っている異国人との交わりを避けなければならぬ。 おまえたちは彼らの神々の前にひれ伏してはならぬ。 おまえたちは一人で千人の敵を追うことができた。 それは主が味方になって戦われたからである。 だから、おまえたちは主を全力で愛せよ。 もし、おまえたちが主を離れ、そばに生き残っている異国人と交わって親戚になったり付き合ったりしたら、主はその異国人を、おまえたちを捕える為の網とし罠とし脇腹の鞭とし目の棘とされる。 こうして、おまえたちは滅ぼされ、この地から姿を消してしまうのだ。 主がイスラエルの民にした約束は全て実現したのだ。 もし、おまえたちが主の定められた掟を破り、他の神々に仕えたり、他の神々を拝んだりすれば、主の怒りが燃え上がり、おまえたちはこの地から忽ち姿を消してしまうだろう」。
(批評・・・神ヤハウェがイスラエルの民に与えると約束したカナンの地には異国人の住み着いている所がまだまだ多くあるというのに、「主がイスラエルの民にした約束は全て実現したのだ 」という発言をイスラエルの民は本当に信じられるだろうか。 また、「おまえたちは一人で千人の敵を追うことができた。 それは主が味方になって戦われたからである。 だから、おまえたちは主を全力で愛せよ 」という発言・発想を裏返せば、「自分たちの利益にならない神は、これを愛さなくてよい 」ということになりそうである。「もし、おまえたちが主の定められた掟を破り、他の神々に仕えたり、他の神々を拝んだりすれば、主の怒りが燃え上がり、おまえたちはこの地から忽ち姿を消してしまうだろう 」という発言・発想はマフィア的である。 これがユダヤ教の本質であるようだ。 また、「おまえたちはおまえたちの近くにまだ残っている異国人との交わりを避けなければならぬ 」とか「もし、おまえたちが主を離れ、そばに生き残っている異国人と交わって親戚になったり付き合ったりしたら、主はその異国人を、おまえたちを捕える為の網とし罠とし脇腹の鞭とし目の棘とされる。 こうして、おまえたちは滅ぼされ、この地から姿を消してしまうのだ 」とある。 このような掟に忠実なユダヤ教徒は決して異国人・他民族と融和・同化しようとはしない。 このような人々が異国人・他民族から嫌われるのは当然である。 これがユダヤ教徒の宿命であろう。)
ヨシュア記 第24章
ヨシュアはイスラエル全部族をシケムに集め、長老と家長と判事と書記を呼んで、語った。「主はこう仰せられる。 『昔、おまえたちの先祖はユーフラテス川の彼方に住んでいた。 彼らは異国の神々に仕えていた。 私はおまえたちの父アブラハムをユーフラテス川の彼方から取り上げ、カナンの全地を通らせた。 そして、彼にイサクを与え、イサクにはヤコブとエザウを与えた。 エザウにはセイルの山を所有させ、ヤコブとその子らをエジプトに行かせた。 私はモーゼとアロンを送り、様々な不思議をおこなってエジプト人を罰した。 そして、おまえたちをエジプトから連れ出した。 そして、イスラエルの民一行は芦の海のところに来た。 エジプト人は芦の海までおまえたちを追いかけて来た。 私はおまえたちとエジプト人との間に濃い霧の幕を下ろした。 そして、エジプト人に対して海の水を押し返したので、彼らは海に覆われてしまった。 その後、長い間おまえたちは荒れ野に住んだ。 次に私はおまえたちをアムル人の地に連れて行った。 私は彼らをおまえたちの手に委ねた。 おまえたちは彼らの地を占領することができた。 モアブの王バラクもイスラエルに刃向かい、バラムを呼んで、おまえたちを呪わせようとした。 だが、私はバラムの祈りを聞かなかった。 彼はやむを得ずおまえたちを祝福することになった。 その後、おまえたちはヨルダン川を渡り、エリコに向かった。 エリコの住民はおまえたちに刃向かってきた。 アムル人・ペリジ人・カナン人・ヘト人・ギルガル人・ヒビ人・エブス人も攻めてきた。 私はおまえたちに先立ってアブを送り、そこの住民と2人の王を追い出したのであり、おまえたちの剣と弓が彼らを追い出したのではない。 今、おまえたちはその町々に住み、自分で植えたのではないブドウ畑とオリーブ畑の収穫を食べている』。 主を恐れ、主に忠実に仕えよ」。 イスラエルの民は答えた。「主は我々をエジプトから連れ出し、我々の目の前で偉大な不思議を行ない、長い旅路の間、異国人から我々を守り、この地に住んでいた異国人を我々の目の前から追放なさった。 だから、我々は主に仕えたい」。 ヨシュアは言った。「おまえたちは主に仕えられまい。 主はおまえたちの反逆と罪を許さない妬み深い神である。 もし、おまえたちが主を離れ、異国の神々に仕えるならば、主はおまえたちに災難を送り続け、おまえたちを滅ぼし尽くすだろう」。 イスラエルの民はヨシュアに言った。「いいえ。 我々は主に仕えます」。 ヨシュアは言った。「おまえたちが主に仕える道を選んだことについて、おまえたちは自らへの証人となる」。 その日、ヨシュアはイスラエルの民の為に契約を結び、主の聖所にあるテレビンの木の下に大きな石を建て、民一同に言った。「見よ。 この石はおまえたちが主を捨てることの無いよう、おまえたちの証明として建つ」。 この集会の後、イスラエルの民は各自の所有地に引き揚げた。 そして、ヨシュアは110歳で死んだ。 彼はティムナトセラに葬られた。 エレアザルも死に、ガバに葬られた。

モーゼ五書やヨシュア記は「世界を創造した最高神ヤハウェが数ある民族の中からイスラエルの民だけを選び、イスラエルの民だけを愛し、イスラエルの民だけに恩寵を与える」という、極めて自分勝手な構想で書かれている。 これらの書を読んだイスラエルの民は、イスラエルの民だけが神ヤハウェから愛されていることを知って喜び、他民族に対する優越感を抱いたことであろう。 しかし、このような喜びや優越感は他民族が是認できるようなものではない。 バビロン捕囚によって危機に陥ったイスラエルの民の民族的結束を高める為には「世界を創造した最高神ヤハウェが数ある民族の中からイスラエルの民だけを選び、イスラエルの民だけを愛し、イスラエルの民だけに恩寵を与える」という構想に頼るしかなかったのだろう。 しかし、この構想の所為で神ヤハウェは三流の神にならざるを得なかった。 そして、この構想がイスラエルの民(ユダヤ教徒)のDNAに生物学上の遺伝子または霊的遺伝子として組み込まれた。 こうして、彼らの苦難多い宿命が出来上がったのである。 もっと簡潔に言い換えれば、イスラエルの民は三流の神ヤハウェを「世界を創造した最高神」だと思い込んで自らの守護神にした所為で苦難多い宿命を背負うことになったのである。 イスラエルの民が苦難の道を歩んで来たのは、彼らが信仰してきた神ヤハウェが三流の神であるからである、と言っても良い。 イスラエルの民が苦難の道を歩んで来たのは、イスラエルの民が三流の神ヤハウェを信仰して来たからである、と言っても良い。

人は自分に都合の良い神概念を作る。 人はその認識可能範囲内でしか神概念を作れない。 ユダヤ教の神ヤハウェはユダヤ教聖典の作者がその認識可能範囲内で作った神である。

因みに、キリスト教徒の言う「父なる神」は神ヤハウェである。 ここにキリスト教の限界が在る。
2015年3月1日