アメリカで活躍するハザール系ユダヤ人

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第1章  逆境の中でビジネスを開拓していった東欧ハザール系ユダヤ移民
アメリカに移住したユダヤ人の波は5波に渡っており、その5波は互いに性格が異なっている。 アメリカに移住したユダヤ人の第1波は、1490年代にカトリック教国のスペインとポルトガルから追放されたスペイン系ユダヤ人だった。 アメリカに移住したユダヤ人の第2波は、反ユダヤ運動が大規模に広まっていた19世紀のドイツからやってきた20万人のユダヤ人である。 アメリカに移住したユダヤ人の第3波は、1880年代から1924年までにロシア帝国内でのポグロム(ハザール系ユダヤ人に対する集団的・計画的な虐殺)が原因となって東ヨーロッパから雪崩れ込んだ280万人の東欧ハザール系ユダヤ人である。 この東欧ハザール系ユダヤ移民について述べていく。

アメリカのビジネス社会において、先着のドイツ系ユダヤ人(西欧系ユダヤ人)は類い希な国際金融コネクションを駆使して投資銀行業界で成功し、その上、同化主義的でユダヤ色が希薄であったことから準WASP的な“好ましいユダヤ人”としての待遇を獲得していた。 一方、あとにやって来た東欧ハザール系ユダヤ人はユダヤ色が強烈で、第1波の貴族的なスペイン系ユダヤ人や第2波のドイツ系ユダヤ人と違って如何にも異様だった。 東欧ハザール系ユダヤ人は独特の連帯感・一体感を持ち、宗教的共同体意識が極めて強かった。 そういう人々が次から次へとニューヨークに押し寄せてきて、あちこちに黒々とした集団をつくったので、彼らは非ユダヤ人の目には異様な集団として映った。 20世紀初頭のアメリカの平均的なワスプ系の人々は東欧ハザール系ユダヤ人を文化的・生物学的に劣等な輩と見下し、アメリカ社会に同化困難な存在と見なした。 心の奥でそう思うだけでなく、それを態度で表し、露骨に差別することさえ珍しくなかった。

第3波の東欧ハザール系ユダヤ移民は東ヨーロッパの最下層から出てきた人々であり、彼らはアメリカにおいても最下層であった。 手に職のある者はアメリカでも職人として働くことになった。 床屋職人・パン焼き職人・タクシー運転手などに、こういうユダヤ人が多い。 ニューヨークに集中しているドイツ系ユダヤ人経営の既製服工場に縫製工として雇われ、結核が蔓延するような劣悪な職場で頑張り抜き、やがて経営のトップに昇りつめた者や、ウォッカの本場ロシアやポーランドで習い覚えた技術を駆使して、蒸留酒製造業者として成功した者がいる。 現在でもこれらの業界の半数はユダヤ系だと言われている。 ちっぽけな露店商人からチェーンストアの経営者に出世した者も多い。 但し、大手のスーパーマーケットチェーン「デイヴィッド・メイ・カンパニー」や「フェデレイテッド・デパートメント・ストアズ」などはドイツ系ユダヤ人やスペイン系ユダヤ人により所有・経営されている。 第3波の東欧ハザール系ユダヤ移民は、エリート白人が就きたがらない「格下の仕事」にも積極的に進出していった。 零細な廃品回収業から発展した産業廃棄物処理業は1929年に3億ドル産業に成長し、東欧ハザール系ユダヤ人はこれをほぼ支配した。 また、屑鉄産業は5億ドル産業へと成長し、東欧ハザール系ユダヤ人はその90%を支配した。 第3波の東欧ハザール系ユダヤ移民は商業の領域だけでなく、芸能関係・報道関係の領域や、 医者や弁護士や学者など、知的専門職や学問の領域に進出して、圧倒的な力を発揮してきた。 そして1970年代以降では、東欧ハザール系ユダヤ人は優秀な頭脳と勤勉さで、あらゆる部門に進出し、アメリカの政治と経済とを左右するほどの大きな力を示すに至っている。

1899年から1910年の間にアメリカへ入国した3つの主要な移民集団(東欧ハザール系ユダヤ人、アイルランド系白人、イタリア系白人)に関する比較研究によれば、入国時に熟練技術を持っていた労働者の割合は、アイルランド系白人では13%、イタリア系白人では35%であるのに対して、東欧ハザール系ユダヤ人では67%と格段に高い数値を示している。 このように高い割合で熟練技術を持っていた東欧ハザール系ユダヤ人は、東欧にいた頃から慣れ親しんでいた伝統的業種(蒸留酒製造、被服製造、宝石加工販売など)を引き継いで、成功する者も増えた。 1934年度のアメリカ国内第3位の「シーグラム社」(ブロンフマン家所有)を初めとして、大手蒸留酒メーカーの約半分はユダヤ系企業であった。 被服産業は、東欧ハザール系ユダヤ人がこれをほぼ独占した。 1930年代には紳士服の85%、婦人服の95%、毛皮製品の95%をユダヤ系企業が生産した。 宝石産業は東欧ハザール系ユダヤ人にとって被服産業に次ぐ重要な産業であった。 また、家内工業から出発した軽工業(家具製造業、靴製造業、化粧品製造業など)にも多くの東欧ハザール系ユダヤ人が進出した。 ユダヤ人は家具製造業界では50%の市場占有率を持ち、靴製造業界では第二次世界大戦前、40%の市場占有率を持っていた。 化粧品製造業界では、20世紀中頃に全米の三大化粧品メーカーの地位にあった「ヘレナ・ルービンシュタイン」(1928年設立)、「マックス・ファクター」(1929年設立)、「レブロン」(1932年設立)はいずれも東欧ハザール系ユダヤ人が設立した企業である。 1946年に誕生した「エスティ・ローダー社」は、現在、全米のデパートにおける化粧品市場の45%を掌握し、世界118ヶ国でその製品を販売するグローバル企業である。

東欧ハザール系ユダヤ人の企業家的才能が最も開花した分野は不動産事業であった。 この業界では多額の設備投資は必要なく、高い学費を払いながら何年も高等教育機関で学ぶ必要もなかった。 更に、この業界では自己資金もわずかで済んだし、エリート度の高い産業に存在したような、ユダヤ人を排除する社会的障壁がほとんど無かった。 その為、不動産業は貧しい東欧ハザール系ユダヤ人の家庭に育った野心的な若者にとって理想的な職業となった。 その結果、早くも1920年までに、ニューヨーク市内の不動産開発業者と建設業者の40%までを彼ら東欧ハザール系ユダヤ人が占めるようになった。 そして、第二次世界大戦後にアメリカ国内で不動産ブームが起きると、多くのユダヤ人不動産業者が巨富を成した。 これらユダヤ人不動産業者の中で、浮き沈みの激しいこの業界を生き抜き、今日、全米最大の不動産王として君臨し続けているのが東欧ハザール系ユダヤ人2世のティッシュ兄弟である。 1997年度のティッシュ兄弟の個人資産は48億ドルである。 兄のローレンスは強いユダヤ意識の持ち主として有名で、ADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)の最高幹部であり、1989年から1995年までCBS(アメリカ合衆国最大のテレビ・ラジオ・ネットワークを有する放送局)の会長を務めた。

アメリカで活躍した異色のハザール系ユダヤ人を紹介しよう。 アメリカの大富豪アーマンド・ハマー(1898年〜1990年)は冷戦時代に東西両陣営を股にかけて活躍し、米ソ外交の “影の主役” として歴史に名を残したハザール系ユダヤ人である。 アーマンド・ハマーは「オクシデンタル石油」のオーナーを務め、莫大な資産を築いた。 アーマンド・ハマーはニューヨーク州マンハッタンに生まれ、コロンビア大学の医学部を卒業し、医師の資格を持つ事から「ドクター・ハマー」と呼ばれた。 アーマンド・ハマーの父親はロシア出身のハザール系ユダヤ人であり、アメリカ共産党の創設者である。 アーマンド・ハマーの父親の祖国ロシアでロシア革命が成功すると、アーマンド・ハマーは単身ソ連に渡り、革命軍の医療班に身を投じた。 そんなハマーを知ったレーニンは彼をクレムリンに招いて丁重に礼を述べたという。 ハマーはこの時、アメリカ産穀物をソ連に送ることを約束し、その代わりにロシア産の毛皮・キャビア・美術品・宝石などをアメリカに輸入したいと提案した。 レーニンはこの申し出を感動的に受け入れたという。 これが、ロシア革命後、ソ連が初めて西側と行なった貿易であると言われる。 それ以来、ハマーは歴代のソ連首脳に特別の好意を寄せられるようになった。 ハマーはアメリカ産穀物をソ連へ送り込みながら、フォード社の代理人としてフォード製自動車をもソ連に売り込んだ。 ハマーは自家用ジェット機で世界中を飛び回り、世界各地でVIP待遇を受け、私的な外交官として大きな力を発揮し、1990年に92歳で死去するまで70年間に渡って米ソ間を数え切れないほど行き来し、ソ連首脳とアメリカ首脳を結びつけた。 ハマーはレーニン、トロツキーからブレジネフ、ゴルバチョフまで歴代ソ連首脳と電話一本で直に話ができる男として有名だった。 彼はニクソンやカーターやレーガンなど、アメリカの大統領とも個人的な友好関係を結び、緊張緩和の陰の立役者になって、その影響力をビジネスだけでなく政治や外交にもふんだんに発揮した。

野村達朗氏(愛知県立大学教授)は次のように述べている。
「1917年初め、アメリカに移住した東欧系ユダヤ人はロシアで起きた二月革命の報に歓喜した。 憎むべきツァーリズムの崩壊とボルシェヴィキの権力掌握までの時期、ニューヨークのユダヤ人社会は市内における選挙戦とあいまって、政治的熱狂に沸き立った。 社会主義者たちはボルシェヴィキの十月革命を歓迎した。 ジョン・リードが『世界を揺るがした10日間』でロシア革命の実際を伝え、革命的友愛の感情が左翼の心をとらえた。 ヒルキットさえも1921年の著書『マルクスからレーニンへ』の中で、民主主義と両立できるものとして『プロレタリア独裁』を支持した。 ユダヤ人の間にはロシアに帰って新しい社会の建設に参加しようという運動が起こった。 1917年から1920年にかけて2万人強のユダヤ人がアメリカを離れた。 しかし、圧倒的多数はアメリカにとどまった。 200万人の東欧系ユダヤ人は既にアメリカに根をおろしていたのである。 東欧系ユダヤ人にとってニューヨークは『約束の都市』であり、アメリカは『約束の土地』であった。 ロシアのアレクサンドル2世暗殺事件(1881年)が契機となって起きたポグロムの余波としての東欧ユダヤ人の大移住の開始から第二次世界大戦へのアメリカ参戦の頃までの期間は60年である。 この間に東欧系ユダヤ移民の世代は巨大な変化を体験した。 彼らは『東欧ユダヤ人』から『東欧系ユダヤ移民』となり、最後に『ユダヤ系アメリカ人』となったのである」。

第2章  映画産業を築いた東欧ハザール系ユダヤ人
文学・美術・音楽・演劇などの芸術分野では、古くからそれぞれの民族の伝統がある。 国際的な活動・評価がなされる近代以降でも、ユダヤ人が芸術家として華々しく登場することがあっても、それはそれぞれの芸術分野の歴史の途中からであった。 だが、映画という分野は最初の頃から東欧ハザール系ユダヤ人の参画でスタートした。 初期の映画産業は貧しく無学な労働者層を観客とするもので、一般には低級な娯楽と見なされていた。 その為、当時、この未成熟産業が急成長し主要産業となることを予測した者は極めて少なかった。 映画産業が誕生する前は、演劇が娯楽の中心だった。 貧しい東欧ハザール系ユダヤ人にとって最大の娯楽は「イディッシュ語演劇」だった。 1900年にはバワリー(ニューヨークのマンハッタン南部にある地域)では3つのイディッシュ劇団が約80人のプロの役者を雇い、約12人の劇作家の作品を上演していた。 一夜に6000人前後が劇場に出かけると推定された。 ユダヤ演劇は栄え、1918年にはニューヨーク市内にほぼ20のイディッシュ劇場があった。 しかし、娯楽の王座は演劇から映画へと移っていった。 当時の映画館は「ニッケル・オデオン」と呼ばれた。 5セント貨の通称「ニッケル」と、ミュージックホールを意味する「メロデオン」を組み合わせて縮めた名称である。 入場料金は「ニッケル」つまり5セントの場合が多かった。 ニッケルオデオンは急速に普及し、ニューヨーク市では1910年に450館あり、1913年には800館に増えた。 多くの東欧ハザール系ユダヤ人が住んでいたマンハッタン区ロウアー・イースト・サイドにはニッケル・オデオンが著しく集中していた。 1908年にマンハッタンにあった123館のうち42館はロウアー・イースト・サイドにあった。 映画の最初の観客が大都市の貧しい移民労働者階級だったということは、映画史の研究者が一致して認めているところである。 映画は入場料が安かったし、また、当時の映画がサイレントであり、英語の字幕がつく場合も非常に単純なものだった為、英語を知らなくても楽しむことができた。 それに当時の映画は1本が15分か30分ほどの短いものが多かった為、気楽に立ち寄ることができた。 映画の中身は、風景や催し物や工場の様子などを撮影したニュース映画的なものが多く、風景を紹介する「旅行映画」は人気があった。 フィクションの映画としては、伝統的なメロドラマ、コメディ、西部劇、文芸物、史劇、聖書物語、戦争物があったが、中でもコメディが特に好まれた。

企業としての映画産業は東欧ハザール系ユダヤ人をひきつけた。 1903年頃までに数多くの東欧ハザール系ユダヤ人企業家が映画製作業へ本格的に参入した。 1913年頃には東欧ハザール系ユダヤ人所有の映画製作会社はアメリカ国内で作られる全映画の20%を製作するまでになった。 彼らの占有率は1920年代には更に高まっていった。 映画史上、1920年代は「ハリウッド・メジャー」と呼ばれる8大映画製作会社の寡頭支配体制が確立されていく時代であった。 この寡頭支配体制の確立を加速したのが、1927年における「有声映画」の出現であった。 音声再生装置には多額の設備投資が必要であった。 映画製作産業は1926年までにアメリカ国内で第5番目の大きな産業に成長していた。 1930年代の中頃には、劇場経営まで含めた映画産業が吸収した雇用総数は32万5000人に達していた。 映画製作に積極的に乗り出した東欧ハザール系ユダヤ人は、映画産業を成熟させていく過程で、先行していたワスプ系の競争相手を負かし、成功を収めることができた。

映画産業について特筆すべきは、ハリウッド・メジャーの創業者となった東欧ハザール系ユダヤ人のうち、かなり多くの者が東欧ハザール系ユダヤ移民の民族的ビジネスからの転業者で占められていたという事実である。 ロシア生まれのユダヤ人ルイス・B・メイヤーはアメリカに渡ってクズ屋からスタートし、ついに最大の映画会社「MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)」を創立した。 1927年に彼の呼びかけで「アカデミー協会」(正式名称は映画芸術科学アカデミー協会)が設立され、1929年にアカデミー賞の授与がスタートした。 アカデミー賞のトロフィー(オスカーの黄金像)は「MGM」の美術監督がデザインしたものである。

ハンガリー生まれのユダヤ人ウィリアム・フォックスはソーダ水とサンドウィッチを売り歩く最底辺から身を起こし、被服製造業者を経て、最終的に映画会社「20世紀フォックス」を創立して映画王となった。 彼はユダヤ教信仰を強制する父親を憎み、父親の葬儀の席でその棺につばを吐いた。

ポーランド生まれのユダヤ人ベンジャミン・ワーナーは、まず、ボルチモアで靴の修理屋を始め、馬車に安雑貨を積んで行商をした。 彼の息子たち(ハリー、アルバート、サム、ジャック)は自分たちの稼ぎをため込み、長男ハリーは父の店を拡大し、ジャックは歌手として修行に励み、サムは映写機を購入し、映画上映の行商を開始した。 その後、サムは兄弟を説得して1919年にハリウッドに映画スタジオを構え、1923年に映画会社「ワーナー・ブラザーズ」を創立した。

ハンガリー生まれのユダヤ人アドルフ・ズーカーは、わずか40ドルの所持金を手にアメリカへ渡り、毛皮卸売商で儲けた20万ドルを元手に映画製作へ乗り出し、映画会社「パラマウント社」を創立した。 ユダヤ人カール・レムリも被服製造業者を経て、映画会社「ユニバーサル映画」を創立した。 8大メジャー映画会社のうち「RKO」だけが、ずっとあとの1929年にユダヤ人の力を借りずに創立されたものである。

ジョージ・ワシントン大学の政治学助教授ロバート・リクターが発表した調査結果によれば、1965年から1982年の間に大手映画会社の中で働いていたプロデューサーとライターとディレクターの実に62%が「ユダヤ教を宗教とする家庭でユダヤ人として育てられた人物」であることが明らかにされた。 アメリカの映画監督・俳優・歌手・コメディアンなどにも東欧ハザール系ユダヤ人は多い。 ロシア系ユダヤ移民の息子イスール・ダニエロヴィッチ・デムスキーは、その自叙伝『クズ屋のせがれ』の中で、廃品を回収してまわる父の馬車に乗り、この仕事を手伝った少年時代のほろ苦い想い出を語っている。 彼は後にカーク・ダグラスと改名し、「チャンピオン」「スパルタカス」「エンテベの勝利」などに出演し、アメリカを代表する俳優となった。

このように、貧しい移民の子として育ち、のちに芸能界で才能を発揮し、大成功を収めたユダヤ人はいっぱいいる。 もちろん、今の時代は2世3世としてアメリカで育ち、裕福な子供時代を体験している俳優も増えた。 また、氏名をワスプ化して「非ユダヤ人」としてふるまう俳優も多くいる。 以下に、有名なユダヤ人監督とユダヤ人俳優を載せておく。
ジョージ・キューカー     映画監督 「スタア誕生」「マイ・フェア・レディ」など
ウィリアム・ワイラー     映画監督 「嵐ヶ丘」「ローマの休日」「ベン・ハー」など
ビリー・ワイルダー      映画監督 「昼下がりの情事」「アパートの鍵、貸します」など
ロバート・ワイズ       映画監督 「ウエストサイド物語」「サウンドオブミュージック」
エリア・カザン        映画監督 「紳士協定」「欲望という名の電車」「エデンの東」など
ミロシュ・フォルマン     映画監督 「カッコーの巣の上で」「アマデウス」など
カレル・ライス        映画監督 「熱い賭け」「フランス軍中尉の女」など
シドニー・ポラック      映画監督 「トッツィー」「愛と哀しみの果て」など
ロマン・ポランスキー     映画監督 「ローズマリーの赤ちゃん」「テス」など
ロバート・アルトマン     映画監督 「ザ・プレイヤー」「ショート・カッツ」など
ロブ・ライナー        映画監督 「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」など
マイク・ニコルズ       映画監督 「卒業」「心の旅」「ウルフ」「バードケージ」など
バリー・レビンソン      映画監督 「レインマン」「わが心のボルチモア」「トイズ」など
スタンリー・キューブリック  映画監督 「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など
スティーブン・スピルバーグ  映画監督 「ジョーズ」「ET」「シンドラーのリスト」など
スティーブン・ソダーバーグ  映画監督 「セックスと嘘とビデオテープ」など
コーエン兄弟         映画監督 「バートン・フィンク」「ファーゴ」など
メル・ブルックス       映画監督 「プロデューサーズ」「珍説・世界史パート1」など
オリバー・ストーン      映画監督 「プラトーン」「7月4日に生まれて」「JFK」など
フィリップ・カウフマン    映画監督 「存在の耐えられない軽さ」「ライジング・サン」など
ブライアン・シンガー     映画監督 「ユージュアル・サスペクツ」「ゴールデンボーイ」など
デヴィッド・フィンチャー   映画監督 「エイリアン3」「セブン」「ファイト・クラブ」など
アイヴァン・ライトマン    映画監督 「ゴーストバスターズ」「ツインズ」「ジュニア」など
エドワード・ズウィック    映画監督 「レジェンド・オブ・フォール」「戦火の勇気」など
ウディ・アレン        出演するだけでなく、脚本も書き監督もこなす才人
マルクス兄弟         トーキー初期のドタバタ喜劇映画で活躍
ダニー・ケイ         「虹を掴む男」 TV番組「ダニー・ケイ・ショー」など
トニー・カーティス      「お熱いのが好き」「パリで一緒に」「グレート・レース」など
ポール・ニューマン      「明日に向かって撃て!」「ハスラー」「スティング」など
エリザベス・テーラー     「家路」「クレオパトラ」「じゃじゃ馬ならし」など
ナタリー・ウッド       「理由なき反抗」「ウエストサイド物語」など
ジューン・アリスン      「若草物語」「グレン・ミラー物語」など
ドリス・デイ         「知りすぎていた男」「夜を楽しく」など
リタ・ヘイワース       「ギルダ」「上海から来た女」「血と砂」など
ディーン・マーティン     「キャノンボール」「ザッツ・ダンシング」など
チャールズ・ブロンソン    「機関銃ケリー」「ブレイク・アウト」「狼よさらば」など
ウォルター・マッソー     「恋人よ帰れ!我が胸に」「おかしな二人」「JFK」など
ジェームズ・カーン      「雨の中の女」「遠すぎた橋」「イレイザー」など
ハーヴェイ・カイテル     「バグジー」「アサシン」「フェアリーテイル」など
リチャード・ドレイファス   「グッバイガール」「陽のあたる教室」など
エイドリアン・ブロディ    「わが街セントルイス」「エンジェルス」など
ダスティン・ホフマン     「クレイマークレイマー」「パピヨン」「卒業」など
ビリー・クリスタル      「恋人たちの予感」「地球は女で回ってる」など
ジーン・ハックマン      「フレンチ・コネクション」「許されざる者」など
ピーター・フォーク      「刑事コロンボ 」「カリフォルニア・ドールズ」など
ジェリー・ルイス       「底抜け大学教授」「キング・オブ・コメディ」など
ハリソン・フォード      「スター・ウォーズ」「インディ・ジョーンズ」など
リバー・フェニックス     「スタンド・バイ・ミー」「旅立ちの時」など
ジェフ・ゴールドブラム    「ザ・フライ」「ジュラシック・パーク」など
デイヴィッド・ドゥカヴニー  「Xファイル ザ・ムービー」など
レナード・ニモイ       「スター・トレック」「SF/ボディ・スナッチャー」など
ベン・スティラー       「メリーに首ったけ」「ケーブル・ガイ」など
アダム・サンドラー      「ビリーマジソン」「ハッピーギルモア」など
ロブ・シュナイダー      「ジャッジ・ドレッド」など
スティーブン・セガール    「沈黙の戦艦」「暴走特急」「グリマーマン」など
メリル・ストリープ      「クレイマークレイマー」「ソフィーの選択」など
ゴールディー・ホーン     「永遠に美しく」「世界中がアイ・ラヴ・ユー」など
ベット・ミドラー       「フォー・ザ・ボーイズ」「殺したい女」「ステラ」など
バーバラ・ストライサンド   「ファニー・ガール」「マンハッタン・ラプソディ」など
アリシア・シルバーストーン  「ダリアン/美しき狂気」「クルーレス」など
ローレン・バコール      「プレタポルテ」「マンハッタン・ラプソディ」など
サラ・ジェシカ・パーカー   「エド・ウッド」「マーズ・アタック」など
キャリー・フィッシャー    「スター・ウォーズ」「メイフィールドの怪人たち」など
ナタリー・ポートマン     「レオン」「ビューティフル・ガールズ」など
ウィノナ・ライダー      「恋する人魚たち」「エイジ・オブ・イノセンス」など
ソーラ・バーチ        「パトリオット・ゲーム」「今そこにある危機」など
クリスティーナ・リッチ    「アダムス・ファミリー」「キャスパー」など

第3章  テレビ放送を築いた東欧ハザール系ユダヤ人
映画産業と同じく「ラジオ放送」という新興産業も、やがて国民生活の一大変革を引き起こすものになろうとは、大方のアメリカ人には思いもよらぬことであった。 この産業が持つ将来的可能性をいち早く予見し、産声をあげたばかりのラジオ放送の買収・経営に積極的に乗り出したのが、進取の気性に富む東欧ハザール系ユダヤ人企業家であった。 この産業のその後の展開は彼らの予見通りとなった。 1922年に民需向けに大量生産が開始されたラジオ受信機は1929年までにアメリカの全家庭の40%が所有するまでに普及した。 1926年、アメリカ史上最初の全国ネットのラジオ放送系列「NBC」が RCA(アメリカ・ラジオ会社)の子会社として設立された。 ロシア系ユダヤ人デイヴィッド・サーノフが1930年にRCAの社長に就任し、NBCは1941年に全米でテレビの本放送を開始した。 デイヴィッド・サーノフはRCAを大電機メーカーにし、その子会社であるNBCを大マスメディアに育て上げ、両社をこの分野で世界最初の複合企業に仕立て上げた。 この複合企業は世界中の電子工学企業のモデルとなった。

1928年には、ウクライナ出身のユダヤ移民2世であるウィリアム・ペイリーが小さなラジオ放送局を40万ドルで買収し、のちに、この小さなラジオ局は「CBS」と呼ばれる3大テレビネットワークの1つとなった。 彼は「CBS」の会長を1990年に亡くなる直前まで務めた。「ABC」創立の中心となったレナード・ゴールデンソンも東欧ハザール系ユダヤ人である。「NBC」「CBS」「ABC」、これらアメリカ3大テレビネットワークのいずれにおいても、特定の東欧ハザール系ユダヤ人がワンマン社長として32年ないし55年という長期にわたって君臨してきた。 そして現在でも、「NBC」「CBS」「ABC」ではユダヤ人が大きな勢力を持っている。「NBC」のブランドン・ターティコフ、「CBS」のジェフ・サガンスキー、「ABC」のステュアート・ブルームバーグ、この3人のユダヤ人プロデューサーは各自のネットワークで放映する芸能番組を決定している。 「NBC」「CBS」「ABC」のプロデューサーだけでなく、「NBC」「CBS」「ABC」のニュース解説者、ニュースレポーター、ニュース編集者、ニュース番組のディレクターの大多数もユダヤ人である。 有力な全国ネットのトークインタビュー番組では、デイビッド・サスキンド、マイク・ウォーレス、ローレンス・スピバク、アービング・クプチネットなどのユダヤ人が頂上を極めている。 そして、「NBC」「CBS」「ABC」のユダヤ人ニュース解説者、ユダヤ人ニュースレポーター、ユダヤ人ニュース編集者、ニュース番組のユダヤ人ディレクターは自身の信条(リベラリズム、自由主義)に基づいて、フェイクニュース(偏向報道、歪曲報道、捏造報道)を流している。

現在、メディア企業の中では世界第2位の「バイアコム社」の社主・会長を務めているのはユダヤ人大富豪サムナー・レッドストーンである。 バイアコム社は典型的なユダヤ系メディア会社で、経営首脳陣はユダヤ人で占められている。 サムナー・レッドストーンの得意技はメディア関連企業の買収である。 彼が買収したメディアは主なものだけでも、「CBS」「MTV」「ニッケルオデオン」「パラマウント」、186のラジオ局を運営する最大の放送局「インフィニティ・ラジオ」、レンタルビデオ最大手で全米業界シェアの30%を占める「ブロックバスター」などがある。

なお、世界屈指の娯楽企業である「ディズニー社」は、創業者のウォルト・ディズニーが存命中はユダヤ人を雇用から排斥し続け、「ワスプの王国」との悪評を買った。 しかし、1980年代初めの放漫経営により倒産の危機に見舞われた時、ウォルト・ディズニーの甥ロイ・ディズニーが経営立て直しの切り札として招き入れたのがマイケル・アイズナーというユダヤ人である。 彼はそれ以後、今日に至るまで20年近くもCEO(最高経営責任者)の座に就いている。 現在、ディズニー社は、マイケル・アイズナーを含め、3人のトップ・エグゼクティブの全てがユダヤ人によって占められている。

第4章  新聞・雑誌などの出版業界で根強い力を持つユダヤ人
次に新聞・雑誌などの出版業界について見ていきたいが、この分野には東欧ハザール系ユダヤ人より早くアメリカに渡来したドイツ系ユダヤ人(西欧系ユダヤ人)が進出していた。 例えば、1851年創刊の『ニューヨークタイムズ』が1896年にドイツ系ユダヤ人アドルフ・オックスによって買収された事はこれを象徴している。 アメリカの主流社会への同化を強く希求してきたドイツ系ユダヤ人にとって、普遍性を追及するジャーナリズムの世界は恰好の活躍場所であった。 ドイツ系ユダヤ人より遅れてアメリカに渡来した東欧ハザール系ユダヤ人も積極的に新聞・雑誌などの出版業界に進出していった。 アメリカのビジネス雑誌『フォーブス』が1985年に発表した長者番付によると、ユダヤ人大富豪20傑のうち、首位のニューハウス兄弟、第2位のウォルター・アネンバーグ、第14位のウィリアム・ジフがこの出版業界の雄である。

1970年頃のアメリカには1748紙の日刊紙が存在したが、そのうち3%をユダヤ人が所有していた。 これを発行部数でみると、全体の8%をユダヤ人所有の新聞が占めていて、この8%のうち半分強を「ニューハウス社」系列の新聞が占めていた。 ニューハウス社の創業者サミュエル・ニューハウスは貧しい東欧ハザール系ユダヤ移民2世として育ち、彼独自の経営哲学を駆使して、買収につぐ買収を重ねて事業を拡大し、ユダヤ人の新聞王(大衆紙の帝王)としての地位を築いた。 サミュエル・ニューハウスは、『ヴォーグ』 『グラマー』 『マドモアゼル』 『ハウス・アンド・ガーデン』などの一流雑誌を30近くも発行している。 彼はその他にも、ロングアイランドの有力紙『ニューズデイ』を初めとして、49の新聞と12のテレビ局と87のケーブルテレビシステムを擁する「ニューハウス放送」と数多くのラジオ局のオーナーでもある。 また、2200万近くの部数をもち、実際にはその2倍の読者をかかえていると言われている付録雑誌『パレード』のオーナーでもある。 なお、面白いことに、彼が所有している新聞の中には彼自らが設立したものは1つもなく、全て買収によるものである。

アメリカで最も世論に影響力を持つ日刊新聞『ニューヨークタイムズ』を現時点で所有するのはユダヤ人ザルツバーガー家である。 この一族のアーサー・ザルツバーガーは、『ニューヨークタイムズ』の所有者であったアドルフ・オックスの娘婿である。 1935年にアドルフ・オックスが死んだ後、その遺言によりザルツバーガー家が『ニューヨークタイムズ』を所有・経営し続けてきた。 『ワシントンポスト』は1877年創刊のワシントンD.C.の日刊新聞である。 この新聞社はユダヤ人ユージン・メイヤーにより買収され、現在は彼の娘のユダヤ人キャサリン・グラハムにより所有されている。 彼女は『ニューズウィーク』の所有者でもあり、「メディアの女王」と呼ばれている。

日本でも有名な「ピュリッツァー賞」は、扇情的な報道を駆使して、今日の大衆紙の原型を築き上げたユダヤ人ヨセフ・ピュリッツァーの遺産を基に設立された。

日本の『日本経済新聞』にあたる『ウォール・ストリート・ジャーナル』は1889年創刊の日刊新聞である。 この新聞はユダヤ人ウォーレン・フィリップスにより所有されていたが、のちにユダヤ人ピーター・カーンにより所有された。 ウォーレン・フィリップスは「親イスラエル」の姿勢を明確に示すユダヤ人で、湾岸戦争の際には主戦論を張った。

『ニューヨークポスト』は1801年創刊の日刊新聞で、ルパート・マードック(別のユダヤ系新聞のオーナーでマスコミ大財閥)に売られるまで、ユダヤ人投資銀行家ヤコブ・シフの孫娘ドロシー・シフにより所有されていた。

2000年の時点で、アメリカで有力なニュース雑誌は、『ニューズウィーク』 『タイム』 『USニューズ・アンド・ワールドリポート』の3誌しかない。 『ニューズウィーク』は、『ワシントンポスト』の所有者であるユダヤ人キャサリン・グラハムが所有している。 『タイム』は、ユダヤ人スティーブン・ロスが経営する「タイム・ワーナー・コミュニケーションズ」の下部組織が発行している。 『USニューズ・アンド・ワールドリポート』は、ユダヤ人の不動産開発業者モーティマー・ザッカーマンが所有・発行している。

雑誌『タイム』 『ライフ』 『フォーチュン』 『スポーツイラストレイティッド』をつくり、ことごとくアメリカの雑誌文化の原点を築き、「一代でアメリカの雑誌ジャーナリズムを築いた男」と評されているのはヘンリー・ルースというユダヤ人である。 ヘンリー・ルースは宣教師を父としてシナの山東省で生まれ育ったという思いから、支那事変中から在米「チャイナロビー」のボスとして懸命にシナを支援した。 ヘンリー・ルースは蒋介石夫妻を「自由シナ」の象徴だと絶賛し、蒋介石夫人の宋美齢をアメリカに呼んで一大ヒロインに祭り上げ、反日・親シナのキャンペーンを大々的に展開し続けた。 彼が1923年に創刊した週刊誌『タイム』は世界初の「ニュース雑誌」である。 また、彼が創業した「タイム・ライフ社」は1989年に「ワーナー・ブラザーズ」を吸収合併し、世界最大の総合メディア企業になった。

アメリカの雑誌出版の分野で最大級の王者といえるのが、ニクソン大統領のもとで駐英大使を務めたユダヤ人ウォルター・アネンバーグである。 彼は1944年に世界の若者雑誌の源流となるファッション雑誌『セブンティーン』を創刊し、1953年には本格的なテレビ時代の到来に先駆けて『TVガイド』を創刊した。 これは今日のアメリカで4番目に発行部数の多い雑誌である。 この他に彼は『ザ・モーニング・テレグラフ』 『フィラデルフィア・インクァイアー』と幾つかのテレビ局を持っている。 彼の一族が所有する「トライアングル出版」は、1980年代初めにおいて全米の雑誌出版社中、年間総売上高で第2位となった。

また、その他の出版関係では、「ランダム・ハウス」「サイモン・アンド・シャスター」「クノプフ」「ホルト・リヴァーライト」「ヴァイキング・プレス」「ヴァン・ノストランド・ラインホルド」「ライル・ステュワート」などの大手出版社がユダヤ人の所有であるか、または、ユダヤ人の管理する資金によって運営されている。 地方のより小さいコミュニティーにおいても、ユダヤ人の所有もしくは運営になる『サン』や『カロライナ・イズラェラィト』などがあり、いずれもが大きな影響力を持っている。 たとえ、出版社の所有者がユダヤ人でなくても、社長や編集長や広告責任者がユダヤ人である新聞・雑誌はたくさんある。 『コメンタリー』 『エスクワイア』 『レディズ・ホーム・ジャーナル』 『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』 『ニューヨーカー』などの有力雑誌のすべては、発行責任者や編集長や広告責任者といった主要地位にユダヤ人を据えている。「マクミラン」や「グロセット&ダンロップ」のような会社においても、社長や編集長がユダヤ人である。

こういうデータを一気に並べると、いかにもアメリカの全てのメディアがユダヤ人に直接支配されているかのように錯覚してしまうだろう。 しかし、先述したように、1970年頃のアメリカには1748紙の日刊紙が存在したが、ユダヤ人が所有者になっている割合は3%である。 これを発行部数でみると、全体の8%をユダヤ人所有の新聞が占めていることになるが、この数字を多いとみるか少ないとみるかで判断が分かれてくるだろう。 あと、所有者がユダヤ人であっても、編集者が非ユダヤ人である場合が少なくないというデータもある。 また、1986年には3大テレビネットワークの全てが新経営者に乗っ取られた。「CBS」の新経営者ラリー・ティッシュはイスラエル支持のユダヤ人である。「NBC」を親会社ごと買収した「GE」の会長ジャック・ウェルチと、「ABC」を買収して傘下に加えたメディア会社「キャピタル・シティズ」の会長トム・マーフィーの両者はユダヤ人ではない。 3大テレビネットワークを追いこす勢いの「CNN(Cable News Network)」を一部門とする「ターナー放送システム」のオーナー会長テッド・ターナーもユダヤ人ではない。 しかし、アメリカのマスコミュニケーションにおけるユダヤ人の影響力はかなり大きいと指摘する報道関係者は沢山いる。 特に中東問題を扱う際に、どうしてもイスラエル寄りの報道になってしまうという。 アメリカ国内でパレスチナに有利な情報や真実の情報が流されることは非常に少ないという。 アメリカの裏事情に詳しい著名な女性ジャーナリストのグレース・ハルセルは次のように述べている。「日刊新聞は、マスメディアとしてはテレビにつぐ影響力を持っている。 総計すると、毎日6300万部が全米で売られている。 新聞の内訳は約1700紙になるが、世間が思うほど、これらが全て独自性を保持して、互いにしのぎを削っているわけではない。 まず往々にして、広告主側が編集陣に口をはさんでくる。 たとえ、新聞社自体がユダヤ系でなくても、編集陣は親アラブ的な記事を掲載するのをためらう。 と言うのは、ユダヤ系企業が報復処置として広告を引き上げるからである。 アメリカのマスメディア全体を通じてユダヤ人の影響力は群を抜いている。 何百人もいる重要な論説記者やコラムニストのうち、湾岸戦争に異をとなえた全米的知名度を持つコラムニストはパット・ブキャナンただ1人だった。 パット・ブキャナンは過去2人の大統領の演説草稿を書いた保守系のコラムニストだが、1990年にこう書いている。 『湾岸戦争遂行の太鼓を叩いているグループは2つしかない。 イスラエル国務省と合衆国内におけるイスラエルの〈アーメン・コーナー〉である。 イスラエルがこの戦争に躍起になるのは、戦争マシーンにまで自らを研ぎあげたイラクの軍隊を合衆国の手で破壊してもらいたいためである。 イスラエルはわが国に、イラクにとどめを刺してもらいたがっている。 わが国とアラブ諸国との関係がどうなろうと、イスラエルの知ったことではないのだ』。 パット・ブキャナンのコラムに憤慨した『ニューヨークタイムズ』のエイブ・ローゼンタールは彼を反ユダヤ主義者だと決めつけた。 これはシオニストからすれば、もっとも軽蔑的な呼称である。 イスラエルの有力な味方として有名な『ニューパブリック』誌はパット・ブキャナンを性根のねじまがった恥知らずな男と非難した」。

反シオニズムのユダヤ人ジャーナリストであるアルフレッド・リリアンソールは次のように述べている。「アメリカのマスメディアにおけるユダヤ人の影響力を考える場合、決定的なことは、誰がどの企業を所有しているかではなく、どんな力がアメリカのマスメディアを支配しているかである。 恐れと圧力こそが支配の張本人である。 出版社や編集者は絶えず広告に関心をもっている。 それはユダヤ人であろうが、非ユダヤ人であろうが、変わりはない。 彼らはADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)から電話がかかってくることを心配し、非常にしばしばホロコーストによって培われた心理的強迫観念によって自らの行動を決めている。 だから、AP、UPI、『ワシントンポスト』、『ニューヨークタイムズ』、ニュース雑誌、放送網、2つの世論調査機関『ギャラップ』と『ハリス』が中東問題に関して同じような見解に達したならば、自分の意見などは忘れることに努めてしまう。 マスメディアには何をおいても広告を失ってはならないという最優先の関心事がある。 広告は出版事業にはたいへん重要な財源であるから、ときには、これがご自慢の『報道の自由』を物笑いの種にする。 権力はかくして、その場にいない人々によって行使されるというわけだ。 ユダヤ人によって圧倒的に支配されている娯楽・広告産業から成長した主要3大ネットワークの『NBC』 『CBS』 『ABC』は、多数のニュースキャスター・解説者・アナリストに非ユダヤ人を配していると言われる。 しかし、彼らは自分たちの出世に大いに関心を持ち、自分たちの報道を注意深く観察しているユダヤ人の反感を買うようなリスクを冒さない。 こうして、彼らのニュースは終始一貫、圧倒的に親イスラエル・反アラブとなり、反シオニズムを思わせる如何なる表現も事実上、禁止されている」。

非ユダヤ系で、中東報道においては一番公平な姿勢をとってきたジャーナリストの1人で、『ABC』のニュースキャスターであるピーター・ジェニングスは「まことに遺憾だが、アメリカには反アラブ的風潮が歴然としている」と言っている。 また、『TVガイド』のジョン・ワイズマンも「合衆国のネットワークは、パレスチナの窮状よりは、イスラエル人の声のほうを遥かに多く報道している」と言っている。

第5章  情報・通信産業で活躍するユダヤ人
TCP/IPなど、インターネットの基本はユダヤ人ビントン・サーフとユダヤ人ロバート・カーンによって作られた。 コンピュータ業界の幹部に占めるユダヤ人の比率は高い。 コンピュータ業界の事情に詳しいジャーナリストのフレデリック・マクスウェルは、コンピュータ業界の企業取締役のおよそ30%はユダヤ人であると指摘している。 また、ユダヤ人企業家はインターネットにより生み出された市場にも深く食い込んでいる。 アメリカのビジネス雑誌『フォーブス』は、「新世界の支配者たち」というタイトルで、インターネットブームの中で脚光を浴びている13人の企業家の素顔を取り上げたが、そのうちの4人までがユダヤ人であることが確認されている。 1977年に、企業向けソフトの大メーカー「オラクル社」を創業したのは、ユダヤ人ラリー・エリソンである。 彼は全米第4位の大富豪であり、大の親日家で、安土桃山時代風の武家屋敷に住み、日本の兜を集めるのが趣味であるという。 世界第1位のパソコンメーカー「デル社」を創業したマイケル・デルはユダヤ人である。 デル社の最大のライバルである世界第2位のパソコンメーカー「コンパック社」を創業したベンジャミン・ローゼンもユダヤ人である。 マイクロプロセッサー生産最大手の「インテル社」をゴードン・ムーアと共に1968年に設立した共同創業者アンドリュー・グローブもユダヤ人である。 彼はハンガリー出身のユダヤ難民で、ホロコースト体験者である。 なお、ビル・ゲイツが「マイクロソフト社」を創業してから、ずっと彼の右腕として活躍しているスチーブン・バルマーもユダヤ人である。 2人は非常に仲のよいパートナーで、マイクロソフト社は「2人の合体したDNAから成り立っている」と言われている。 また、「Macintoshの生みの親」であるジェフ・ラスキンもユダヤ人である。 Macintoshといえばスティーブ・ジョブズが構想したものと思われがちだが、Macintoshインターフェースの実質上の生みの親はジェフ・ラスキンであり、「Macintosh」というネーミングも彼のアイデアから生まれた。

通信技術開発の分野で大きな注目を浴びているのが「クアルコム社」である。 この会社を創業したのはアーウィン・ジェイコブズで、彼はカリフォルニア大学のコンピュータ工学教授からベンチャー企業家へ転身したユダヤ人である。 この会社が開発し、特許を取得したデジタル通信技術「CDMA」は携帯電話の世界標準規格に採用された。

金融情報サービスの分野で目覚しい活躍をしているのが「ブルームバーグ・LP」である。 世界82都市の支局に配した1000人のレポーターが集めた独自の金融情報を世界100ヶ国、15万人強の投資家に配信する企業である。 この企業の創業者はユダヤ人マイケル・ブルームバーグである。 彼は個人資産48億ドル、全米第32位の大富豪である。

第6章  その他のビジネス界で活躍するユダヤ人
婦人服小売業で全米第1位の「ギャップ」、第2位の「リミテッド・ブランズ」は、いずれもユダヤ人が創業した会社である。 ジーンズを発明し、世界で最初のジーンズ製造会社「リーヴァイス社」を創業したのはドイツ系ユダヤ移民のリーヴァイ・ストロース(本名はロブ・シュトラウス)である。 彼がサンフランシスコへやってきたのは1853年のことであった。 この時、彼は24歳の若者であった。 同じくドイツ系ユダヤ移民の子であるアイザック・メリット・シンガーは、1850年に現在とほぼ同じ構造のミシンを発明し、翌年、特許をとり、I. M.シンガー社(のちのシンガー社)をつくった。 彼は高価なミシンを売るため、世界で初めて「割賦販売方式」を発案した。 この拡販方式は当時としては画期的であった。

1968年に有名なアパレルメーカー「ポロ・ラルフ・ローレン社」を設立したのは、ロシア系ユダヤ移民の子であるラルフ・ローレンである。 彼は現在、世界的デザイナーとして活躍し、個人資産19億ドル、全米90位の大富豪である。 そして、「ポロ・ラルフ・ローレン社」にとって最大のライバルである「カルバン・クライン社」を1967年に設立したのは、ユダヤ移民家庭の出身者であるカルバン・クラインである。 ラルフ・ローレンやカルバン・クラインらと共に、アメリカを代表する人気デザイナーで、自らの名を冠したブランドを持つダナ・キャランもユダヤ移民の子である。

アメリカにおいて最初に「メール・オーダーによるカタログ販売」を行なったのは、世界一の通信販売会社「シアーズ・ローバック社」のユダヤ人ジュリアス・ローゼンウォルドである。 テレビ通販の生みの親で、テレビ通販専門のケーブルテレビ局「QVC」の創業者であるジョゼフ・シーゲルはユダヤ人である。

ウォルマートに代表される巨大スーパーマーケットチェーンの原型を1953年に世に送り出したのは、ブルックリン育ちのユダヤ人ユージン・ファーコフである。 ショッピングモールの王様フランク・ロウイもユダヤ人である。 彼はチェコスロバキア出身のユダヤ難民で、ホロコースト体験者である。 1979年に世界最大のホームセンター「ホーム・デポ」を創業したのは、ロシア系ユダヤ移民の子バーナード・マーカスとアーサー・ブランクである。 現在、ホーム・デポは小売企業としては全米第2位、世界第4位の巨大企業である。

外食産業においてもユダヤ人は先駆的役割を果たしてきた。 世界初のファストフード店「ネイサンズ・フェーマス」は1916年にブルックリン区のコニーアイランドで創業された老舗である。 その売り物「ホットドッグ」はユダヤ料理の伝統の中から生み出されたものである。 1950年に「ダンキン・ドーナツ」を創業したウィリアム・ローゼンバーグはボストン出身のユダヤ人である。 1978年にアメリカで人気のアイスクリーム製造販売企業「ベン&ジェリー」を創業したのは2人のユダヤ人ベン・コーヘンとジェリー・グリンフィールドである。 わずか20年たらずの間にシアトルの小さなコーヒー店から全世界に直営店舗7500店を擁する世界最大手のコーヒー飲料小売業へ驚異的に成長した「スターバックス社」の会長兼社長兼最高経営責任者はユダヤ人ハワード・シュルツである。

次に、玩具業界についてだが、ユダヤ人が創業した有名玩具メーカーは枚挙にいとまがない。 アメリカ玩具業界で第1位の「マテル社」を創業したのはユダヤ人女性ルース・ハンドラーである。 彼女は「バービー人形」の生みの親でもある。 第2位の「ハスブロ社」を1920年に創業したのは、ヘンリー・ハッセンフェルドとヒレル・ハッセンフェルドという、ウクライナ出身のユダヤ移民の兄弟である。 彼らは動く兵隊人形「GIジョー」の生みの親である。 世界の鉄道模型ファンなら誰でも知っている電動鉄道模型の老舗「ライオネル社」は、ポーランド系ユダヤ移民の子であるジョシュア・ライオネル・コーエンにより1902年に設立された。 ルービックキューブのライセンス生産により、世界的ヒットをとばした「アイデアル玩具社」はユダヤ人のウェイントラウブ家が創業した企業である。 キャベツ人形で一世を風靡した「コレコ産業」も世に知られたユダヤ系玩具メーカーである。 全世界に約1000店舗、日本国内でも約100店を擁す「トイザラス」はユダヤ人チャールズ・ラザラスが創業した企業である。

ゲーム業界でもユダヤ人の成功者が多い。 例えば、ゲームメーカー「セガ」の生みの親の一人デビッド・ローゼンはユダヤ人である。 彼は1934年にアメリカで生まれたユダヤ人で、若い頃、アメリカ軍に入隊し、朝鮮戦争が切っ掛けとなり、来日した。 彼は日本滞在中、日本びいきになり、朝鮮戦争が終わった年の翌年(1954年)、アミューズメント機器会社「ローゼン・エンタープライゼス」を設立した。 この会社が1965年に他社と合併して、「セガ・エンタープライゼス」が発足すると、彼は社長に就任し、数多くのゲームを世に送り、セガ・エンタープライゼスの発展に大きく寄与した。 ゲームメーカー「タイトー」の創業者は満州出身のユダヤ人ミハエル・コーガンである。 彼は「スペース・インベーダー」を生み出し、日本の文化史に大きな足跡を残した。 タイトーはセガ・エンタープライゼスと並ぶ最大手であり、セガ・エンタープライゼスと共にビデオゲームを出した日本最古のメーカーでもある。

第7章  学問の世界や知的専門職で活躍するユダヤ人
この章では学問の世界や知的専門職で成功したユダヤ人に目を向けてみたい。

ガーシェンクローン :  1920年に黒海北岸の町オデッサのタバコ工場を経営していた父とともにルーマニア領に逃がれる。 その後、渡米しハーバード大学に入学。 ソ連経済とヨーロッパ経済の権威となった。
マルクシャーク :  ウクライナでポグロムと差別の青春時代を過ごす。 1919年にドイツに移住し、その後、渡米。 ニューヨークの新会社調査学院、シカゴ大学やロサンゼルスのUCLAなどで計量経済学の中心人物となった。
バラン :  オデッサ生まれで、後にポーランドに移住。 その後、ロシア、ドイツなどの国々をめまぐるしく移動し、1941年に渡米。 アメリカ政府の戦略局に職を得て欧州問題の専門家となった。 1951年から1964年まではスタンフォード大学の経済学教授を務め、アメリカでは珍しいマルクス経済学者として学生の人気を集めたという。
ロマン・ヤコブソン :  モスクワ生まれで、1920年にプラハに移住。 1941年にスウェーデン経由でアメリカに亡命。 1982年に亡くなるまでコロンビア大学、ハーバード大学、MITなどで言語学の研究を続けた。 彼は6ヶ国語を話し、25ヶ国語を読みこなす言語学者であった。
アーサー・バーンズ :  ウクライナ西部のガリチア地方で生まれ、1934年にニューヨークのコロンビア大学で経済学の博士号を取得。 のちに、アイゼンハワー大統領、ニクソン大統領、フォード大統領、カーター大統領の経済顧問を務め、1970年から8年間、FRB(連邦準備制度理事会)議長としてアメリカ経済とドルの守護神となった。
ノーバート・ウィーナー :  ロシア系ユダヤ移民2世の数学者。 父親はイーディッシュ語の権威でもある言語学者だった。 15歳で神童の名を欲しいままにした。 その後、サイバネティクスの創始者として有名になる。
ピーター・ドラッカー :  ウィーンで生まれ育ち、ナチに追われて、イギリスを経てアメリカに亡命。 現在、ビジネス界に最も大きな影響力を与えている思想家として知られ、「企業経営の神様」と呼ばれる。

アメリカのシカゴ大学の経済学者で、「マネタリズム」の教祖ミルトン・フリードマンもユダヤ人である。 彼は東欧ハザール系ユダヤ移民の子としてニューヨークで生まれた。 1976年にノーベル経済学賞を受賞し、レーガン政権やサッチャー政権の経済政策の理論的支柱を提供した。
「シカゴ・マーカンタイル取引所」の名誉会長を務め、シカゴで世界初の「金融先物市場」を作り上げ、「先物の父」と呼ばれているレオ・メラメドもユダヤ人である。 彼は1932年にポーランドのユダヤ人教師の家に生まれたが、8歳の時にナチに追われ、リトアニアの日本領事館員の杉原千畝(すぎはら ちうね)の発行したビザで両親とともに日本に逃れ、九死に一生を得た。 その後、彼は渡米し、シカゴで成長した。 彼は著書『エスケープ・トゥ・ザ・フューチャーズ』の日本語版の序文に「日本の人々は私の両親と私の命の恩人です」と記している。

1980年前後、日本経済に対するアメリカの風当たりが強くなる中で、日本を礼賛する本を書いた著者の多くはユダヤ人であった。 有名な『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)の著者エズラ・ヴォーゲル、日本の大躍進を予言した『それでも日本は成長する』(1978年)の著者ハーマン・カーン、『第五世代コンピュータ 日本の挑戦』(1983年)の著者エドワード・ファイゲンバウムはユダヤ人である。 また、高度情報化社会が到来することを予言した『第三の波』(1980年)の著者アルビン・トフラーもユダヤ人である。 先に紹介したピーター・ドラッカーは親日派で、著書『新しい現実』(1989年)の中で次のような趣旨のことを述べている。「第二次世界大戦後に誕生した独立国の共通点は、国内政治の全てを自分たちでやりたいということ、且つ、外国の優れた技術・制度・法律を取り入れようということであり、其れは日本の明治維新の真似である。 だから、20世紀に本当に政治的に成功したのは日本である」。 ピーター・ドラッカーは1966年に日本政府から「勲三等瑞宝章」を授与された。 彼は日本文化に強い関心を持ち、日本画を集めるのが趣味であるという。 因みに、世界的にみると、ユダヤ人の哲学者・思想家・心理学者は数多く存在する。 有名なところでは、スピノザ(オランダ)、モーゼス・メンデルスゾーン(ドイツ)、ジクムント・フロイト(オーストリア)、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(オーストリア)、クロード・レヴィストロース(フランス)、アンリ・ベルグソン(フランス)などがいる。

アメリカで学者として成功したユダヤ人を追加列挙すると、
ロシア系ユダヤ移民で、「ストレプトマイシン」を発見してノーベル賞を授与されたセルマン・ワクスマン
ロシア系ユダヤ移民で、「避妊用ピル」の発明者グレゴリー・ピンカス
ロシア系ユダヤ移民2世で、世界で初めて小児麻痺(ポリオ)のワクチンの開発に成功したジョナス・ソーク
ドイツ生まれのユダヤ移民で、光速度の測定やエーテルの研究でノーベル物理学賞を授与されたアルバート・マイケルソン
ドイツ生まれの人類学者で、「文化人類学」を確立したフランツ・ボアズ
ポーランド生まれの生化学者で、ビタミンBにあたる物質( 鈴木梅太郎が前年に発見した「オリザニン」と同じ物質)を発見して「ビタミン」と命名したカシミール・フンク
ワシントン州アバディーン生まれで、ロシア系ユダヤ移民の血をひき、ヘリウム3の「超流動」を発見してノーベル物理学賞を授与されたダグラス・オシェロフ
ドイツ生まれでアメリカに移住し、「ニュートリノ」を発見してノーベル物理学賞を授与されたジャック・シュタインバーガー
メリーランド州ボルチモア生まれで、超弦理論において「M理論」を提唱し、数学と素粒子物理学に関する多大な業績を上げたエドワード・ウィッテン
などがいる。 この他にもまだまだいるが、きりがないのでこれ位にしておく。

歴代のノーベル賞受賞者を調べてみると、経済学で60%強、医学で20%強、物理学で20%強、化学で10%強、文学で10%前後の受賞者がユダヤ人である。

アメリカで作家として成功したユダヤ人を挙げると、
ノーマン・メイラー     『裸者と死者』
ハーマン・ウォーク     『ケイン号の反乱』
アーサー・ミラー      『セールスマンの死』
ジェローム・サリンジャー  『ライ麦畑でつかまえて』
ソール・ベロー       『宙ぶらりんの男』   1976年ノーベル文学賞受賞
アイザック・アシモフ    『われはロボット』
アーウィン・ショー     『富めるもの貧しきもの』
アイン・ランド       『肩をすくめたアトラス』
アイラ・レヴィン      『ローズマリーの赤ちゃん』
アイザック・シンガー    『愛のイエントル』   1978年ノーベル文学賞受賞
ポール・オースター     『孤独の発明』
フィリップ・ロス      『ポートノイの不満』
ハイム・ポトク       『ゼブラ』
バーナード・マラマッド   『ユダヤ鳥』
ヨシフ・ブロツキー     『ヴェネツィア』    1987年ノーベル文学賞受賞

音楽家として成功したユダヤ人としては、アメリカ音楽界で人気を誇ったレナード・バーンスタイン、アメリカという新大陸でスウィングジャズを開花させたジョージ・ガーシュインとベニー・グッドマン、戦時中アメリカに渡った作曲家アルノルト・シェーンベルクと指揮者ブルーノ・ワルター、アメリカのブロードウェイを代表するミュージカル作曲家ジェローム・カーン、天才バイオリニストのユーディー・メニューインとアイザック・スターン、ハリウッド映画音楽の巨匠ジェリー・ゴールドスミス、「ピアノの王様」と呼ばれたアルトゥール・ルービンシュタインなどがいる。

ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、ボブ・ディラン(本名はロバート・ジマーマン)、バリー・マニロウ(本名はバリー・アラン・ピンカス)もユダヤ人である。 ヘヴィメタルバンド「キッス(KISS)」のジーン・シモンズ(本名はチャイム・ウッズ)もユダヤ人である。 ヘヴィメタルバンド「メガデス」のマーティ・フリードマンもユダヤ人である。 彼は日本語を流暢に話し、親日家としても知られる。

一般にユダヤ人は、実力一本でやっていける医者や弁護士などの知的職業を選ぶ人が多い。 アメリカ医学界に占めるユダヤ人の割合は極めて高い。 現在、アメリカのユダヤ人弁護士は14万人、ユダヤ系法律事務所は2万2000に達すると言われる。 学校の教師にもユダヤ人が多い。 ニューヨーク市の学校教師の半分はユダヤ人であり、ユダヤ教の祭日にはニューヨーク市の学校は休みになるほどだ。 今日、ビジネス界におけるアメリカ・ユダヤ人指導者たちが懸念していることは、多くの優秀なユダヤ人の若者が学問の世界や知的専門職へと進路を取る為、ビジネス界へ進む優秀な人材が年を追うごとに減少していく事態であるという。

なお、次のようなデータを載せておくのも賢明だろう。 2000年の時点で、アメリカのユダヤ人口は凡そ500万人だが、その内、80万人は貧困階層であり、特に高齢者では年間収入4000ドル以下の者が44%もいる。 ニューヨーク市で生活保護を受けているユダヤ人は25万人に上り、同市では3番目に大きな貧困者群を構成している。 これは、ユダヤ人は金持ちだという伝説をひっくり返す例となっている。 アメリカのユダヤ人には、富める者と貧しい者など、実に様々な人間がいる。