アメリカでくすぶる白人至上主義勢力
アメリカでは1964年に「公民権法」が制定されて以来、人種差別は法律で禁じられている。 公民権法の制定により黒人への差別は違法とされ、多くの黒人が市議会議員や市長に当選することとなった。 エンターテイメント業界においても、黒人のスーパースターが多く誕生し、黒人の地位は格段に向上した。 アメリカの人種差別は消滅したかに見えた。 KKKのような人種差別組織も公民権法の制定と共に勢力をなくし過去のものになったかと思われていた。 しかし、現実は違っている。 彼らは表立った動きを控えるようになったものの、依然としてアメリカ社会の中で大きな勢力を持っている。
アメリカ社会の白人至上主義者を分類すると、「KKK」と「ネオナチ」の2つである。 この2つに民兵組織(militia、ミリシャ)を加える見方もある。 これらの集団を構成する人々は、古臭い考えを持ったおばちゃん、金融業界で働くビジネスマン、軍服に身を包んだエリートパイロット、坊主頭をした過激派の学生など、色々である。
■ KKK
KKK(クー・クラックス・クラン)の歴史は長い。 KKKの活動期は大きく4つに分けられる。 KKKの歴史は南北戦争直後の1865年12月、テキサス州南部の小さな町プラスキーで6人の元南軍兵士たちによって結成された秘密団体から始まる。 最初は面白半分に黒人をからかっていただけの趣味の集まりといった団体だったが、その後、元南軍の将軍であるネイサン・B・フォレストがその指導者になると、KKKは「インペリアル・ウィザード」と呼ばれる最高指導者の下に、各州に「グランド・ドラゴン」と呼ばれるリーダーに率いられた支部を擁するようになった。 その後、KKKは黒人奴隷の解放に不満を持つ南部の白人層の支援を受け、急速にその勢力を拡大していった(第1期)。 KKKの入団式は夜間に行なわれ、丘の上に鉄の十字架を打ち立て、油を注いで火をつける。 祭壇の上には聖書・アメリカ国旗・短剣などを置く。 儀式は、100人ほどの新加入者をまとめて行なわれる。 儀式が済むと、一同は覆面姿のまま、行列をつくって近くの町を練り歩く。 人差し指を唇にあてるサインは、秘密を守る誓いのサインである。 右手で自分の首を切るような仕草は、仲間を裏切った団員が首をはねられるということを示すサインである。 こうした儀式や行進を見たアメリカ人の一部は、こうした儀礼や派手な集団行動に眩惑され、惹きつけられていった。 その後、KKKの勢力は一時的に減退し、1869年にいったん解散した。 1871年には「反KKK法」が成立し、とどめを刺されたかに見えた。 しかし、1915年にアトランタ近くで再び結成され、第一次世界大戦後にはプロテスタント福音派の牧師たちと連携し、再び勢力を拡大していった。 中心となった人物はウィリアム・ジョゼフ・シモンズというプロテスタント福音派の牧師で、KKKの儀式に教会の典礼を取り入れた。 彼は白人の優越とプロテスタントの優越を巧みに合体させ、支持層を増やしていった。 ここにおいて、KKKは単なる黒人差別主義から白人至上主義的性格を強め、反カトリックと反ユダヤを掲げた。 こうして、KKKは、都市への黒人の流入が最高潮に達した1920年代には、それに対する反感を持つ白人を加え、その勢力は最高潮に達し、会員数は450万人に膨れ上がった(第2期)。 この時期のKKKはアメリカの政界にも大きな影響力を持っていた。 その力は大統領選挙の結果を左右するとさえ言われたほどで、KKKは州議会や連邦議会にも多くの議員を送り込んでいた。 日本への原爆投下を命令したハリー・トルーマン大統領や最高裁判事のヒューゴ・ブラックもKKKのメンバーだったという。 特に1920年代前半、アジア系・ラテン系の移民を制限するための「移民法」が制定されるに際しては、KKKが大きな影響力を行使した。 更に、彼らは財界や警察や軍部にも多くの支持者を抱え、アメリカを陰で動かすとさえ言われた。 当時のKKKは州政府や警察とも密接な繋がりを持ち、暗殺など州政府の出来ないことを行なう役割を担っていたと言われている。 その後、黒人へのリンチ殺人や放火といった余りの過激さに対する世間の批判が高まり、ついに州政府や警察がKKKの取り締まりに乗り出した。 この結果として、KKKの勢力は次第に減退し、その命運もこれまでかと思われた。 しかし、KKKは時代の変わり目に頭をもたげてくる。 1960年代になり、「公民権法案」を巡り、黒人と白人の対立が激しくなると、KKKは再びその勢力を拡大した(第3期)。 1964年にはサム・ボワーズにより新たなKKK「ホワイト・ナイツ・オブ・KKK」が設立され、黒人襲撃などの過激なテロを繰り返すようになった。 1964年に、公民権活動家マイケル・シュワーナー、アンドリュー・グッドマン、ジェームズ・チャネイが彼らによって殺害された。 しかし、1964年に「公民権法」が制定されると、KKKは衰退し始めた。 KKKは1975年にナチ化して新たな道を歩み始めた(第4期)。 1975年、デビッド・デュークにより「ナイツ・オブ・KKK」が設立され、その後「ナイツ・オブ・KKK」の中からトム・メツガー、ルイス・ビームといったネオナチの指導者が次々と誕生した。 さらに1980年代に入ると、ノースカロライナ州グリーンズボロで反KKK活動家5人がKKKメンバーによって殺害されるなど、KKKの活動は再び過激化の一途を辿った。 現在、KKKは様々なグループに分かれて、依然として巨大な勢力を保っている。 1988年、ルイジアナ州の大統領予備選挙で「ナイツ・オブ・KKK」の元最高幹部であったデビッド・デュークが、黒人を優遇する革新的政策に不満を持つルイジアナ白人層から圧倒的な支持を得て、大統領候補者として選ばれた。 アメリカ中が騒然となった。 アメリカばかりか世界中のマスメディアが彼の経歴を伝え、デビッド・デュークの名は電波に乗って世界中に広がった。 しかし、彼はKKKとの繋がりを懸命に否定した。 彼は1980年にKKKを離れ、新たに白人至上主義の「全米白人振興協会」を設立し、KKKとは一線を画した合法的活動を始めた。 だが、大統領選挙期間中に、彼は元KKK最高幹部というレッテルを剥がすことはできなかった。 最終候補者を決める共和党大会で彼はブッシュに破れ、大統領への夢はついえた。 しかし、元KKK最高幹部が州レベルでとはいえ、共和党の大統領候補に選ばれたという事実は大きかった。 この出来事は、KKKへのアメリカ国民の大きな期待が今なお存在することを如実に示した。
現在、KKKの最大組織である「ナイツ・オブ・KKK」はトム・ロブの指導下にある。 彼らは本拠地をアリゾナ州ハリソンに置き、全米13ヶ所に支部を構えている。 また、これ以外にも、ジェームズ・ファランズ率いる「インビジブル・エンパイア」というKKKグループが盛んな活動を見せている。 さらに全米各地では、「ナイツ・オブ・KKK」の多くの分派が活動を行なっており、そのメンバーの中の幾人かはネオナチのリーダーとなり、多くの新組織をこの世に出現させている。
■ ネオナチ
KKKは「公民権法」の制定により1960年代後半に衰退し始め、現在では、その構成員は数万人になったという。 逆に、その頃から頭をもたげてきたのがネオナチのアメリカ・ナチ党である。 アメリカ・ナチ党の指導者の多くはKKK出身者であり、従来のKKKの活動に限界を感じた人々である。 彼らはKKKを捨て、新しい方法で人種差別運動を企て、多くのネオナチ・グループを設立した。 ネオナチ(新しいナチス)という言葉通りに、彼らの思想の根本にはナチスの思想がある。 アメリカのネオナチについて語る場合、ジョージ・ロックウェルに触れないで済ますわけにはいかない。 ジョージ・ロックウェルは、第二次世界大戦中は海軍のパイロットとして従軍し、朝鮮戦争のとき再度、召集され、このことが反共感情を培うことになった。 彼はヒトラーの『我が闘争』を愛読し、1950年代に初めは「ダイ・ハーズ」と呼ばれる団体を通して、その次には「全米保守機構連盟(AFCO)」と呼ばれる団体を通して反共主義をかき立てられた。 その後、右翼の『アメリカン・マーキュリー』誌に執筆したり、ジョー・マッカーシーを支持したりしたが、やがて「統一白人党」の為に働くようになり、「ユダヤ人の支配からアメリカを守る全米委員会」に加入した。 そして、独自に「アメリカ・ナチ党」を旗揚げし、バージニア州アーリントンの自宅を党の本部にした。 ジョージ・ロックウェルは派手であることに才能があった。 アメリカ・ナチ党の党員数は、恐らく3千人を超えることがなかったろうが、指導者の派手さのために、実際の勢力よりはるかに強く一般の注目を集めた。 ジョージ・ロックウェルは「ユダヤ人を皆殺しにして、黒人をすべてアフリカに送り返せ」と叫んだ為、彼はどこに行っても物議をかもした。 ニューヨークに行けば、市長のロバート・ワグナーに演説を許可しないと言われ、ボストンに出かけて、パレスチナへ移住しようとする不法移民の努力を描いたユダヤ映画『栄光への脱出』の上映を止めさせようとし、その為、映画を見に来た人々に石や卵を投げつけられた。 彼はオーストラリアヘの入国を拒否されたこともある。 彼はイギリス政府に入国を拒否されるのを避けようとしてアイルランドからこっそりイギリスに忍び込み、直ちに強制退去させられた。 アメリカ南部を巡回するときに乗るバスには、大きな文字で「我々はユダヤ共産主義を憎む」と書かれ、『栄光への脱出』の上映を止めさせようとしたときのプラカードには、「アメリカを白人の手に、裏切り者にはガス室を」と書いてあった。 ジョージ・ロックウェルは白人の保守主義者をも批判し、機会があれば、いつでもユダヤ人を侮辱した。 一度、治安壊乱罪で逮捕されて起訴されたことがあったが、そのときは皮肉なことに、ユダヤ人弁護士に弁護され、黒人の判事の前で、100ドルの保釈金を積んで保釈され、裁判では弁護士が言論の自由を主張して無罪になった。 1967年8月25日、ジョージ・ロックウェルは副官のジョン・パトラーに射殺された。 ジョージ・ロックウェルの死後、アメリカ・ナチ党はさまざまな派に分裂した。
■「ナショナル・アライアンス」、白人至上主義者のバイブル『ターナー日記』
ウエストバージニア州のヒルズボロ郡ミルポイントという静かな田舎町に、「コスモセイスト・コミュニティ教会」と名付けられた40万坪強の広大な土地がある。 この土地には沢山の建物が建てられ、銃で武装した多くの人々が行き来している。 彼らは白人至上主義者で、「ハルマゲドン(人類最終戦争)」の到来を信じ、その日に備え多くの武器で武装している。 彼らはこの本拠地以外にも、全米10ヶ所強に支部を構え、数百人の中核活動家を中心に数千人といわれる支持者を擁している。 このグループの名は「ナショナル・アライアンス(国民同盟)」といい、ネオナチの巨大勢力である。 このナショナル・アライアンスを率いるウィリアム・ピアスは物理学博士の肩書きを持つ元オレゴン州立大学の物理学教授で、元々は1950年代に結成された古参の極右組織「ジョン・バーチ協会」に属していた人物である。 その後、彼はジョージ・ロックウェルのアメリカ・ナチ党に加入した。 ジョージ・ロックウェルが副官ジョン・パトラーに射殺されると、ウィリアム・ピアスはアメリカ・ナチ党のリーダーとなった。 彼は1970年に彼独自の団体である「ナショナル・アライアンス」を設立し、ウエストバージニア州のヒルズボロ郡ミルポイントを本拠地とし、「ユダヤ人のいない白人の理想郷」を築き上げてきた。 また、ウィリアム・ピアスは『ターナー日記』という小説を書いて出版した。 この本の内容は白人による革命の物語である。 この本では、主人公ターナーの属する「オーダー」という地下組織が白人至上主義政権を設立するために、“ユダヤ人に支配されたアメリカ連邦政府”に対して革命闘争を行なうという物語が描かれている。 この物語の中身は全編に渡ってユダヤ人や黒人を初めとする有色人種に対する憎悪と暴力で埋め尽くされている。 描かれている場面は残酷そのもので、刺殺・射殺される有色人や暴行を受けた後に首を吊るされる有色人が次から次へ出てくる。 わずか211ページのこの小説は白人至上主義者たちに大きな共感を与え、今では彼らのバイブルとなっている。 この本は20万部強も売れたという。 ウィリアム・ピアスは『誰がアメリカを支配しているか』というパンフレットの中で、ユダヤ系マスメディアによるアメリカ支配を指摘し、過激な反ユダヤ主義を展開している。「ユダヤ人にコントロールされたアメリカのマスメディアはアメリカだけでなく、世界的な問題となっているのだ」と、彼はアメリカのマスメディアを非難している。 ナショナル・アライアンスは物理学博士ウィリアム・ピアスの指導下にあるだけあって、ハイテクを使った宣伝活動に卓越したものを持っている。 ユダヤ人の支配するマスメディアと対抗するために、彼らは独自のウェブサイトを開設し、『ターナー日記』を初めとする出版物を全米に配布している。
■「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」
アメリカのネオナチのカリスマ的存在として、トム・メツガーという男がいる。 1970年代にKKKの大幹部となり、「KKKの若き希望の星」と呼ばれ、人種差別運動の先頭に立っていた人物である。 彼は、1980年のカリフォルニア州の民主党下院議員候補を選ぶ予備選挙に立候補し、3万3000票を獲得して当選し、全米の注目を集めた。 結局、本番の投票では惜しくも共和党候補に敗れてしまい、議会進出はならなかったが、トム・メツガーの名はこの選挙で一気に全米に知れ渡ることとなった。 彼はこの選挙を機にKKKを脱退し、1982年に再び民主党上院議員指名選挙に立候補し、一般の白人労働者階級のための政策を掲げ、白人有権者の支持を獲得し、惜しくも落選はしたものの、7万5000票を集めた。 翌1983年、トム・メツガーは独自の思想による白人革命組織「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」を設立した。 この「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」はユダヤ人による人種混合陰謀に対し、反連邦政府を立ち上げて、白人キリスト教徒による革命を目指すネオナチ・グループである。 トム・メツガーの近代的思想とカリスマ的魅力は多くの若者の共感を集め、「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」の組織は急速に膨れ上がった。 彼らはアメリカのネオナチの中で最も活発といわれる活動を展開し、アメリカの「スキンヘッズ」たちを結集する存在にのし上がった。 現在、「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」はカリフォルニア州フォールブルックを本拠地とし、全米各地に支部を擁している。 彼らは現在、数千名のメンバーを抱え、アメリカのネオナチの代表的グループの1つとなっている。 トム・メツガーは「右翼と左翼を組み合わせた社会主義」を唱えている。 彼はネオナチの擁護者と見られる共和党の保守層とは一線を画し、それどころか、彼は左翼との繋がりさえ持っていると言われており、そのスタッフの何人かは元左翼活動家であるという。 近年、トム・メツガーは反ユダヤ主義者の黒人過激派ルイス・ファルカンとの共闘さえ推進しているという。 事実、彼は次のような驚くべき発言をしている。「我々にとって異人種(非白人種)は真の敵ではない。 真の敵はアメリカ連邦政府であり、ワンワールド主義者(グローバリスト)だ。 ここがKKKと違うところだ。 私の運動の目指すものは『アメリカの分割』であり、異なった人種が互いに侵し合うことのないように棲み分けることだ。 3年前(1992年)のことだが、私はブラック・パンサー(反白人主義過激集団)に呼ばれて、彼らの集会でスピーチした。 我々とお前たちとは喧嘩をしてきた間柄だ。 私は人種差別主義者であり黒人が嫌いだ。 それを止めることはできない。 これからも喧嘩は続く。 しかし、無駄な抗争を続ければ、連邦政府やワンワールド主義者の餌食になってしまう。 うまく棲み分けをし、侵し合わないようにして無意味な争いだけはしないようにしようと言ったのだ。 そしたら、割れんばかりの拍手が沸き起こった」。 トム・メツガーは従来の秘密結社的なKKKと違い、マスコミを使った派手な宣伝活動を得意にしていることでも有名である。 彼は「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」のメンバーを伴って、トークショー番組に堂々と出演したことさえある。 また、自らも「人種と理由」というテレビショーの司会をするなど、大衆に直接自分のメッセージを伝える戦略を展開している。 なお、トム・メツガーの息子のジョン・メツガーは「白人学生連合」という青年ネオナチ組織を作って、「スキンヘッズ」の若者をメンバーに取り込み、父と共に第一線で活躍している。 現在、トム・メツガーは保護観察中の身だが、依然精力的に活動を続けており、全米でも代表的なネオナチ指導者の一人である。
■「アーリアン・ネーションズ」、地下組織「オーダー」「オーダー2」
「アーリアン・ネーションズ(アーリア人国家)」は、アメリカのネオナチの中の最大勢力と呼ばれており、「私の人種は私の国」をスローガンとし、アイダホ州ハイデンレークに拠点を置き、全米30ヶ所に支部を構える巨大ネオナチ・グループである。 このグループの創始者は伝説的な極右指導者リチャード・バトラーである。 彼はクリスチャン・アイデンティティの牧師でもある。 彼はクリスチャン・アイデンティティの教えを基にした人種差別思想を前面に掲げ、1970年代に「アーリアン・ネーションズ」を設立した。「アーリアン・ネーションズ」はリチャード・バトラーの説く反ユダヤ主義の下に白人至上主義国家の建国を目指している。 さらに、リチャード・バトラーはヒトラーを尊敬しており、「アーリアン・ネーションズ」はネオナチ色を急速に強めている。 反ユダヤ主義・ナチズム・終末思想といった特徴を持つ「アーリアン・ネーションズ」の思想はネオナチズムの典型と言える。 リチャード・バトラーの存在は他のネオナチたちに大きく影響する。 彼の開催する「アーリアン・ネーションズ国際大会」は毎年ハイデンレークで開かれ、全米各地からクリスチャン・アイデンティティ派のネオナチたち数百人が参加する。 過去の参加者としては、トム・メツガー、ウィリアム・ピアスなどの大物がいる。 この大会ではネオナチズム革命の推進が唱えられ、人種差別を賛美する講演の他、ゲリラやテロリズムの講座が開かれる。 現在、リチャード・バトラーは高齢ということもあり、病気がちで、「アーリアン・ネーションズ」の運営はKKKの元指導者ルイス・ビームの手に移りつつあるという。「アーリアン・ネーションズ」は盛んに外国のネオナチとの交流を進めている。 アーリアン・ネーションズ国際大会には最近、カナダやヨーロッパからのネオナチの参加が目立っているという。
「アーリアン・ネーションズ」の地下組織グループとして、「オーダー」「オーダー2」がある。 この2つのグループは1980年代にユダヤ人トークショーDJを殺害したほか、多くの事件(1986年の4つの爆弾事件を含む)を起こし、全米を震撼させた。 この2つのグループはネオナチのバイブル『ターナー日記』に登場する白人過激派グループ「オーダー」を真似したグループであり、彼らは『ターナー日記』に出てくる白人革命のシナリオをそっくり実行に移そうとしている。「オーダー」「オーダー2」のメンバーは全員逮捕され、服役中である。 しかし、こうした数々の犯行にもかかわらず、「オーダー」「オーダー2」の母体である「アーリアン・ネーションズ」には手が付けられないままである。 FBIは彼らを起訴するだけの有力な証拠を持っていない。
■ その他のネオナチ・グループ
ここまで「アメリカ・ナチ党」「ナショナル・アライアンス」「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」「アーリアン・ネーションズ」の順で、アメリカのネオナチ・グループを紹介してきたが、他にも有力なネオナチ・グループがアメリカには存在している。 現在、アメリカにおけるネオナチの勢力はグループ数で200前後、メンバー数で20万人前後であると言われている。 名前を挙げると、次のようなものがある。
「リバティ・ロビー」、「創造者教会」、「ジョン・バーチ協会」、「ポシー・コミタータス」、「白人愛国党」、「人民党」、「アメリカン・フロント」
「リバティ・ロビー」は1950年代から存在し、そのメンバーから多くのネオナチのリーダーを生み出しており、ウィリアム・ピアスの「ナショナル・アライアンス」の元ともなっている。「リバティ・ロビー」の主張はアメリカの孤立を掲げる排外主義と人種差別に特徴がある。 彼らは国際ユダヤ資本と黒人を攻撃し、白人キリスト教徒の喝采を浴びている。 彼らの活動は出版中心で他のネオナチ・グループほど過激ではない。 しかし、全米ラジオ放送局を持ち、その機関誌『スポット・ライト』は数十万部に上る発行部数を誇っていると言われるほどである。 全米各地には「スキンヘッズ」と呼ばれる多くのネオナチ・グループも存在する。「スキンヘッズ」は若者が多く、頭を坊主頭にし、ナチスの旗を掲げる過激な行動で知られている。 彼らの戦術は黒人やユダヤ人に対する火炎瓶攻撃や爆破攻撃や殺害といった過激なものや、建物にスプレーで人種差別スローガンを書き付けたり、怪文書を送り付けたりするなど様々である。 失業など現実社会に対する不満から、こうしたグループに参加する若者が多いという。 こうした「スキンヘッズ」グループの数は全米で数え切れないほどあると言われ、多くは短期間に出現し、また消えていき、その中で多くのものが「ホワイト・アーリアン・レジスタンス」などの大きなネオナチ組織に吸収されて行く。
なお、米軍内部にもネオナチが深く侵入している。 例えば、ノースカロライナのフォート・ブラッグ基地はネオナチの温床と言われる所であり、ネオナチ組織「白人愛国党」のメンバーが沢山いる所である。 ここでは80人近くいる特殊部隊員により白人至上主義の人種差別雑誌『レジスター』が発行されている。 過去に、この基地から対戦車砲や超高性能爆弾など、多くの兵器がネオナチに横流しされたと言われている。
■ 民兵組織(militia、ミリシャ)
ネオナチと同様に、地方レベルで連邦政府への反発などを理由に、近年、急速に勢力を拡大してきたのが民兵組織である。 アメリカにはもともと、独立戦争で先頭に立ってイギリス軍と戦った「ミニットマン」という民兵組織があった。 一般の民衆が銃を持って国のために戦うというのがアメリカ建国以来の伝統であり、銃の所持が認められているのもそんな歴史的背景がある。 民兵組織の起源は1960年代にウィリアム・ゲールによって作られた「カリフォルニア・レンジャーズ」である。 民兵組織が拡大の兆しを見せたのは、1980年代半ば、連邦政府が農業政策の一環でオクラホマの農家に農地の拡張を勧めたのが切っ掛けだった。 この時、連邦政府の甘い言葉に従い、連邦政府の提供するローンで多くの農民が土地を購入した。 しかし、その後、農産物の相場が暴落し、作柄も悪く、農民たちのローンの支払いは滞ってしまった。 これに対し連邦政府は農民の土地を取り上げるというひどい仕打ちに出た。 こうして、連邦政府の勧めで土地を購入した農民たちは気の毒にもホームレスになってしまった。 このニュースで、中西部の農民の連邦政府に対する不信は一挙に拡大した。 こうしたことから連邦政府に反対するキリスト教徒集団が相次いで地方に誕生した。 これが民兵組織である。 そんな訳で、民兵組織には農民を中心とする地方組織が多い。 そして、1993年の「ブランチ・ダビディアン事件」(キリスト教原理主義者から成る武装宗教団体ブランチ・ダビディアンが1993年にアメリカ・テキサス州ウェイコで起こした武装立て籠もり事件)で連邦政府に対する白人キリスト教原理主義者の不信感は更に増大し、民兵組織の勢力は一気に拡大した。
最も過激な民兵組織として、「ミリシャ・オブ・モンタナ」がある。 アメリカでも最も保守的な州の1つと言われるモンタナ州に拠点を置くミリシャ・オブ・モンタナは1990年代に設立された。 ミリシャ・オブ・モンタナはその卓越した情報網を使ってアメリカ全土の民兵組織の中枢としての役割を担っている。 民兵組織の特徴は徹底した武装にある。 彼らの武器は、AK-47などの何万丁ものマシンガンや、ダイナマイトなどの大量の爆弾である。 一部のメンバーだけが武装していたオウム真理教団とは違い、民兵組織は老人から子供まで全員が銃で武装している。 彼らは独自の軍事訓練を行ない、武装面では準軍隊並みのところもある。 ミリシャ・オブ・モンタナは、ユダヤ人金融エリートによる新世界秩序(国際金融勢力が求める世界秩序)への恐怖感を活動の根拠にしている。 彼らは、ユダヤ人の世界統一政府構想に従ったアメリカ連邦政府による銃規制が引き金になって、ユダヤとの最終戦争「ハルマゲドン」が起きる、と信じている。 現在、ミリシャ・オブ・モンタナは全米に1万2000名のメンバーを擁している。 現在、全米には、地方単位でこうした様々な民兵組織が活動しており、1995年の時点で39州に224の民兵組織が活動しているという。 このうち、ミシガン州には30と最も多く、次いでカリフォルニア州に22、アラバマ州とコロラド州に20ずつ、ミズーリー州とテキサス州に14ずつ、フロリダ州に13と続いている。 このうち45のグループはネオナチなどの白人至上主義者と強いコネクションを持ち、特に「アーリアン・ネーションズ」の強い影響を受けているという。 1995年の時点で全米の民兵組織は15万人のメンバーを擁し、民兵組織の共鳴者は50万人に達していると言われている。
■ 白人至上主義者たちの反日感情と反日活動
戦後、日本がアメリカにどんどん進出し、日本製品がアメリカに溢れだすと、彼らが世界一だと思っていたアメリカの家電産業は崩壊の危機に追い込まれてしまった。 そして、日本製自動車も次々と陸揚げされ、ビッグ3の売り上げが減少すると、大量のレイオフ(一時解雇)が行なわれ、失業者があふれだした。 全米各地では有名なビルが日本企業の所有となり、コロンビアやMCAといった映画会社も日本企業に買収されると、「日本がアメリカの魂を買った」とさえ言われるようになった。 白人至上主義を掲げ、白人のやることだけが最高だと思っていたネオナチにとって、こんな日本の突出ぶりは面白くなかった。「確かに日本人はやり過ぎた。 まるでユダヤ人のようだ」とネオナチは言った。 金だけを目的に巨大に膨れ上がり、世界各国に現地法人を構える日本企業はユダヤの多国籍企業と瓜二つだと彼らは言う。
公民権法で人種差別が厳しく禁止されているアメリカで、アメリカ人は公の場では差別的言動を一切しない。 彼らは表面では「日本人は素晴らしい」と両手を挙げて歓迎するふりをする。 しかし、自分の仲間だけになると、激しく日本人の悪口を口にする人がいる。 もちろん、良心的なアメリカ人は多くいる。 根っから日本好きのアメリカ人もいるし、あらゆる偏見や人種差別をなくそうと積極的に努力しているアメリカ人も多くいる。 しかし、そういった事に背を向けて白人至上主義に染まっていく人がいることも事実である。 白人至上主義に染まっている人からすれば、白人以外の人種は「泥人形」であって劣等な存在でしかないという。 彼らはユダヤ人を特に「悪魔の子孫」と呼んでいる。 彼らは日本には興味すらない。 最近、アメリカのKKK、ネオナチ、民兵組織といった白人至上主義勢力は他民族に対する攻撃を強めている。 その証拠に、1993年には全米で7684件の人種差別犯罪が発生している。 1993年、日本人を含めた30人強のアジア人が人種差別的な動機で殺され、翌1994年にはアジア人への人種差別犯罪が452件も発生した。 これは前年比35%の増加である。 1995年のロサンゼルス郡におけるアジア人への人種差別犯罪は53件であった。 これは前年比83%の増加である。 統計では、南カリフォルニアに住むアジア系住民の実に21%が人種差別犯罪の被害を受けた。 また、最近では、こうしたアメリカの状況を知らない日本人留学生や日本人旅行者が白人至上主義者の餌食になる事件が増加している。 1989年5月、テネシー州スイートウォーター市のテネシー明治学院の正門前で、高さ2mの木製の十字架が燃やされた。「燃える十字架」はKKKのシンボルであり、襲撃を加える前の「警告」を意味する。 この高校は全米初の日本人高校として開校したばかりだった。 同学院は、思わぬ事件に大きな衝撃を受けた。 千葉校長は「この一帯に白人至上主義の伝統が残っているとは思ってもいなかった」と語った。 1990年10月には、コロラド州デンバーに開校した帝京大学ロレッタハイツ校の6人の日本人学生が公園にいたところを、バットなどで武装したネオナチの若者に襲撃された。 デンバーはネオナチの勢力が非常に強く、保守色の強い町である。 デンバーから程近いコロラド州ボルダーでは、1995年2月に日本人留学生の青柳裕子さんが白人青年に殺され、惨殺死体となって畑の中で見つかった。 犯人の仲間にネオナチのメンバーが混じっていたという。 ボルダーはデンバーよりもさらにネオナチ色が強いと言われる町である。 青柳裕子さんのお父さんは、白人ばかりの陪審員たちが犯人を無罪にするだろうと予想して、司法取り引きに応じ、犯人は死刑を免れた。 1992年2月、中京大学の松田学長がボストンのウェスティン・ホテルに滞在中、何者かに殺害された。 覆面をした男は同学長を射殺した後、何も取らずに逃亡したという。 ボストンはスキンヘッド・グループの「ブルーダー・シュウェイゲン・タスクフォース3」や「イースタン・ハンマー・スキンズ」が本拠を置くネオナチの町である。 この事件は現地ではネオナチの仕業と言われている。 また、同じ月にカリフォルニア州ベンチュラ郡のカマリオでは、投資コンサルタントの日本人開発業者が何者かに殺害された。 刃渡り25センチのナイフが殺人現場で発見された。 被害者は「日本人の所為でアメリカ経済がダメになり、アメリカ人が職を失っている」という人種差別主義者の恐喝を受けていたという。 この殺害された日本人は格闘技の達人であるにもかかわらず、ナイフの一撃で殺されており、犯人は相当に腕がたつと見られている。 事件のあったベンチュラ郡は白人の町で、ロサンゼルス暴動のきっかけとなった「ロドニー・キング氏暴行事件」の犯人(白人警官)に対する裁判が行なわれたところである。 この裁判では白人が多数を占める陪審員が犯人(白人警官)への無罪判決を出し、それが切っ掛けとなり、怒った黒人がロサンゼルス暴動を起こした。 ネオナチ勢力の大変強い場所と言われるカリフォルニア州オレンジ郡のハンチントン・ビーチのレストランでも日本人虐めが起きた。 日本人の若い女性の3人組がそこのレストランに入った途端、白人の女たちに「ジャップ!」と罵声を浴びせられ、髪をつかまれて追い出されたのだ。 これを見ていた他の白人客や店員も、止めるどころか、「もっとやれ!」と囃し立てた言う。 このハンチントン・ビーチはサーフィン映画『ビッグ・ウェンズデー』で有名なサーフィンのメッカであり、海沿いの美しい町である。 しかし、ここは同時に白人の町であり、「ウィ・ザ・ピープル」という民兵組織の本拠地でもある。 町の中心のメイン・ストリートはスキンヘッズが徘徊することで知られている。 1996年2月には3人のKKKメンバーが、海岸で出くわしたインディアンの青年をナイフで27回も刺して瀕死の重傷を負わせた。 彼らはその前にも、町で日本人に対して悪態をついていたという。 ネオナチに詳しい専門家は次のように述べている。「アメリカでは一般に白人の多い所ほど裕福で安全なエリアと言われている。 しかし、有色人種にとっては話が違う。 実は、そういったところほどネオナチ色が強い。 彼らは少しでも有色人種が入ってくると、様々な嫌がらせや、時には身体的危害を加えて、そこから追い出そうとする。 だから、それを知っている黒人などは絶対にそんなエリアには住まない。 ところが、日本人と来たら、何も知らずに 『まあ、素敵で安全そうなところ』と思って、そういう町に住もうとするのである」。
1992年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュで日本人留学生射殺事件が起きた。 この事件はバトンルージュに留学中の服部剛丈君(16歳)がハロウィンの夜にパーティーの家と間違って隣家のドアを叩き、家人のロドニー・ピアーズの「フリーズ」(動くな)という警告が分からずに射殺された事件である。 ロドニー・ピアーズはKKKのメンバーだという。 ルイジアナ州はデビッド・デュークの「ナイツ・オブ・KKK」の本拠地だった所であり、特に、バトンルージュは「ハイル・ビクトリー・スキンヘッズ」というスキンヘッドが本拠を置くネオナチの町である。 翌年5月に開かれた裁判で、白人住民から成る陪審員による判決は全員一致で正当防衛による無罪であった。 裁判官が無罪判決を読み上げると、ピアーズ被告は家族と抱き合い、その周りで歓声と拍手が上がったという。 しかし、その後の損害賠償訴訟では服部君の遺族が勝訴した。
■ 白人至上主義勢力に対するアメリカ保守層の根強い支持
KKK、ネオナチ、民兵組織といった白人至上主義勢力を陰で支えているのはアメリカ保守勢力の中の富裕層である。 彼らは巨大な資金力と政治力を持っている。 彼らは議会で共和党を動かし、彼らの支持する保守政策を強力に押し進めている。 彼らの多くはプロテスタント福音派であり、反妊娠中絶・反同性愛・反革新・反移民・反バイリンガル教育といった事柄でネオナチと路線を同じにしている。 彼らは直接的・間接的にネオナチを支持している。 彼らは少数民族を優遇する「アファーマティブ・アクション」(公共機関などで少数民族の雇用や就学をある一定率まで強制的に高める法律)を廃止しようとしている。 また、民族の多様化を目指すバイリンガル教育に対しては、英語のみを公用語とすべしという「イングリッシュ・オンリー」運動が彼らにより強力に推進されている。 この運動では、「USイングリッシュ」「イングリッシュ・ファースト」といった保守派グループが巨大な資金力と政治力を用いて積極的な促進運動を展開している。 更に、妊娠中絶問題では、妊娠中絶反対テロ組織「オペレーション・レスキュー」を中心とする勢力が全国的に妊娠中絶反対運動を展開しており、妊娠中絶を引き受ける産婦人科医院の回りを取り囲んで、患者のアクセスを妨害するなどの強硬な反対運動を押し進めている。
アメリカ連邦議会では共和党の保守派勢力が白人至上主義勢力を代表している。 共和党の保守派勢力は国境警備隊の強化を求め、メキシコからの不法移民を公共サービスから締め出そうとする運動を展開している。 テキサス州選出のスティーブ・ストックマン下院議員やワシントン州選出のジョージ・ネザーカット下院議員やアイダホ州選出のヘレン・チェノウェス下院議員などは民兵組織を支持する言動が多く、選挙でも白人至上主義者的スローガンを掲げて当選を果たした議員だ。 また、アイダホ州選出のラリー・クレイグ上院議員やノースカロライナ州選出のローチ・フェアクロス上院議員も日頃から民兵組織寄りの言動を繰り返している。 また、アメリカの短波放送は多くの愛国的かつ人種差別的な番組を放送している。 キャスターのマーク・カーンケは右翼のダン・ラザー(CBSのトップキャスター)と呼ばれるほどで、反移民・反妊娠中絶といった右寄りのコメントを電波に乗せていることで知られている。 ほかには牧師のビート・ピータースも人種差別的放送で名高い人物である。 アメリカの内部事情に詳しい専門家は次のように述べている。「ナチスがドイツの政権を握ったのは、彼らが一部の過激な政治集団だったからではない。 ドイツでは昔からドイツ民族(アーリア人)を最高のものとする『ドイツ主義』という考え方が支配的だった。 ナチスの思想は『ドイツ主義』とその根本を共有していた。 ナチスは決してドイツの一部の過激集団ではなかった。 ナチスはドイツそのものだったのである。 同様に、アメリカの極右勢力も決して一部の過激派集団ではない。 彼らの背後には、WASP(ホワイト・アングロサクソン系プロテスタント)による社会支配を目指し、キリスト教原理主義を擁護し、同性愛・妊娠中絶・ロックンロールに反対し、黒人解放・社会福祉などの革新的政策を嫌悪する保守層が存在している。 こうした保守層は現在の連邦政府による革新的政策を心の底から嫌悪している。 アメリカの極右勢力の本当の怖さは、彼らの活動がアメリカの主流を占める保守グループとその政策を共通にしている点にある」。