反日・親中国を推し進めるユダヤ人シオニスト団体「SWC」
第1章 “ナチ・ハンター”の異名を持つサイモン・ヴィーゼンタール
サイモン・ヴィーゼンタールという男は1908年ガリチア(現ポーランド南部から現ウクライナ西部にかけての地域)生まれのハザール系ユダヤ人である。 彼は第二次世界大戦中、多くの強制収容所を転々としているところを連合軍によって救出され、アメリカ軍の「戦略情報局(OSS)」の情報員になり、オーストリアにおけるナチス戦犯捜索に協力した。 彼や彼の妻の一族のうち、ナチスによって殺された者は89人に上ったという。 彼は1961年にオーストリアのウィーンに「ナチス体制下のユダヤ人犠牲者連盟・記録センター」を設立した。 この記録センターには約2万2500名の元ナチス党員に関する情報が納められているという。 この団体は民間の情報収集機関であるため、逮捕の権限を持たず、その活動は、戦争犯罪人についての情報を収集し、犯罪の証拠を発掘し、関係当局に戦争犯罪人についての情報を提供することに限られている。 この団体の運営費は、全世界に散らばっているユダヤ人からの寄付によって賄われている。
サイモン・ヴィーゼンタールを一躍、名高いものにしたのは1960年のアイヒマン拉致事件である。 サイモン・ヴィーゼンタールはアイヒマンの1945年5月の失踪までの経過を克明に調べあげ、失踪の足どりを執拗に追った。 そして、アイヒマンがリカルド・クレメントという偽名でアルゼンチンのブエノスアイレスに生存している事を突き止め、この情報を同じくアイヒマンを追っているイスラエルの対外諜報機関「モサド」に提供した。 アイヒマンはモサドの秘密工作チームによって1960年5月11日に逮捕・拉致され、イスラエルへ空輸された。 アイヒマン逮捕・拉致の知らせは全世界を驚かせた。 このアイヒマン拉致事件によりサイモン・ヴィーゼンタールは“ナチハンター”としての名声を得た。 サイモン・ヴィーゼンタールはフランスやオーストリアの抵抗運動団体から表彰され、オランダ自由勲章やルクセンブルク自由勲章を授けられた。 彼は国連による最高の表彰を受けたほか、1980年にはジミー・カーター大統領から「金の特別勲章」を授与され、1986年にはフランスのレジオン・ドヌール勲章をも授与された。
1977年には、サイモン・ヴィーゼンタールの業績を称えて、アメリカのロサンゼルスに「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」が創設された。 このセンターは、ナチス残党の捜索活動を行なうだけでなく、ナチスによるユダヤ人迫害の宣伝・広報活動をも行なっている。 このセンターが運営する「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」は、非ユダヤ人を中心とする学生に、ナチスによるユダヤ人迫害を理解してもらうためのガイド・コースが設けられていて、この博物館を訪れた人々は館内の資料や展示を見ることでナチスの残虐さについて理解を深めることが出来るように作られている。 この博物館には毎年40万人もの人が訪れるという。 サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)は、ニューヨーク・シカゴ・ワシントン・トロント・パリ・エルサレムにもオフィスを開設している。 アメリカだけでも会員が40万人を超える「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」の影響力には、計り知れないものがある。
第2章 『マルコポーロ』廃刊事件
1995年1月、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。 文藝春秋社の雑誌『マルコポーロ』(1995年2月号)に「戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった」という記事が掲載された。 この記事のことを知ったユダヤ人団体「SWC」(サイモン・ヴィーゼンタール・センター)は駐米日本大使に抗議し、更に、駐日イスラエル大使館と共に文藝春秋社に抗議した。 また、SWCは『マルコポーロ』への広告掲載の拒否を世界中の大企業に呼びかけ、フィリップモリス(世界最大のタバコメーカー)・マイクロソフト・フォルクスワーゲン・三菱自動車などが広告掲載を拒否することになった。 結局、文藝春秋社は一方的に謝罪し、『マルコポーロ』は廃刊となり、花田紀凱編集長は解任され、田中健五社長は辞任した。 文藝春秋社の田中健五社長は東京都内のホテルで記者会見し、「深く反省した」と述べ、正式に謝罪した。 この『マルコポーロ』廃刊事件は「SWC」(サイモン・ヴィーゼンタール・センター)の力を日本人に知らしめた。
この事件には後日談がある。 1995年5月24日〜26日までの3日間、文藝春秋西館地下1階ホールで「ユダヤ人理解のためのSWCセミナー」が極秘に開かれた。 このセミナーには『マルコポーロ』編集部員全員を含む文春の社員約130人が強制的に集められ、SWCからはアブラハム・クーパー副館長、D・ランデス、アルフレッド・バリッツァー博士の3人のユダヤ人ラビが講師として参加した。 極秘だったこのセミナーの内容は『週刊現代』(1995年7月8日号)がスッパ抜いて詳しく報道したため、多くの人に知られるようになった。 この秘密裏に行なわれたセミナー会場の壁にはそれこそ隙間がないほどホロコーストを非難するポスターがびっしりと貼られていたとのことである。 このセミナーは、1日目・2日目は午前9時30分から午後5時まで、3日目は午前9時30分から午後1時30分まで、食事時間を除いてぶっ通しで行なわれ、それこそユダヤ人シオニストによる洗脳教育のような内容だったとのことである。 いずれの日にも映画が上映され、その後3人のユダヤ人講師が講義を行なったという。 そして、肝心の『マルコポーロ』の記事に対する具体的な反論などは一切なく、ホロコーストの歴史、反ユダヤヘの批判、ユダヤ文化やイスラエルの風土紹介を行なうだけの一方的なものだったとのことである。
この極秘セミナーに参加したある文春社員は次のように述べた。「とにかく、ひどいものでしたよ。 午前中は英語の映画を字幕なしで延々と見せられ続ける。 それでもホロコーストやアウシュヴィッツの記録ならまだ見る価値があるかもしれませんが、中には、イスラエルが生んだ偉人たちを次々に映し出したり、ヘブライ語の愛国歌を延々と流すような明らかな政治的プロパガンダ映画もあった。 アブラハム・クーパーらの講義にしても、具体性に欠けるユダヤ至上主義丸出しの一方的なプロパガンダですしね。 リビジョニストに対して批判する際も、彼らの論理のどこが間違っているのかについての指摘は一切なく、ひたすらその経歴がいかに怪しいものであるかを強調するだけであった。 私自身は当初、『マルコポーロ』の記事について批判的だったのですが、セミナーのせいで逆に『ガス室』についてもユダヤの情報操作があった可能性を捨てきれなくなったほどです」。 この文春社員が述べているように、3人のユダヤ人講師による3日間のセミナーの中で、ユダヤ独特の選民思想の色濃い発言が連発されたという。「日本人とユダヤ人はそっくりで、共通の敵を持っている」「日本人はユダヤ人に近づきつつある」「世界には、我々のような誇りを持っていない人種もいるのだ」などの発言である。 これらの発言は明らかに他民族への人種差別としか言い様のないものである。 文芸春秋社の幹部はSWCによって徹底した歴史教育を施された。 その内容はユダヤ独特の選民思想の色濃いものだったという。
このセミナーの2日目午後、『マルコポーロ』の編集長の下で右腕とされていた人物がSWCに対して猛抗議したという。 彼曰く、「私は今回の記事で解任されたものの一人である。 なぜ、あなたがたは『マルコポーロ』に直接抗議せずに広告主に圧力をかけたのか。 これは卑劣で恥ずべき行為だと私は考える。 あなたがたは、『マルコポーロ』廃刊は文春が自主的に反省した結果であると考えているかもしれないが、それを信じるほど私はナイーブではない。 私は編集者になって18年になるが、この間、最も大事にしてきたのは言論には言論で対抗するという原則である。 間違っても暴力や言論以外の力で対抗するべきではない。 しかし、それをあなたがたは守らなかった。 こうしたあなたがたの卑劣で恥ずべき行為こそが新たなファシズムを招き、第2のアウシュヴィッツに繋がるのではないか。 もう一度聞く。 なぜ反論しなかったのか。 必要なのは事実であり、プロパガンダではない。 あなたがたの行為こそがネオナチである」。 この発言が終わったとき、セミナーの中にいた文春社員の一人は次のような感想を持ったという。「私は彼の発言を聞き終わり、彼に対して拍手したい気持ちで一杯だった」。 この文春のベテラン編集者に対するSWCのアルフレッド・バリッツァー博士の答弁は次のようだったという。「SWCの圧力を暴力というなら、暴力は必ずしも恥ではない。 アメリカでは日常茶飯事のことである。 アメリカの独立はボストン茶会事件(1773年)でのボイコットから始まった。 アメリカではこの様な圧力は道徳にかなっており、質疑応答と同じくらい正しい行為と見られているのだ」。
文藝春秋社はこのセミナーを開くために、SWCに多額の献金をしたという。 さらに、彼らのための航空運賃・ホテル代・その他接待のために膨大な資金を使ったという。 このように、文藝春秋社は完全屈服の道を選んだ。 文藝春秋社としては取り決め通りセミナーを開き、このセミナーをもってお開きにしたかったのだろう。 しかし、SWCによる日本のジャーナリズム界への圧力はこれだけでは終わらず、ますます勢いづいていった。 『マルコポーロ』廃刊の原因となった“ガス室の記事”はhttp://yiori.tripod.com/nogas/marco0.html で読める。
第3章 SWCに全面謝罪した『週刊ポスト』とテレビ朝日
1999年10月、『週刊ポスト』(小学館)に掲載された「長銀 『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ」と題する記事に対しても同様の抗議が行なわれた。 SWCのアブラハム・クーパー副館長は、「『週刊ポスト』へ広告を掲載することは同誌の芳しくない記事に貴社を関係させることになる」として、松下電器産業・トヨタ自動車・日産自動車・本田技研工業・マツダ・サントリー・キリンビール・住友商事の8社に対し同誌への広告掲載の中止を求めた。 結果的に『週刊ポスト』側は世界の主要新聞への謝罪広告掲載というSWC側の条件を撤回させ、『週刊ポスト』誌上および『週刊ポスト』のインターネット上での全面謝罪と、『週刊ポスト』が広告を載せている新聞紙上での謝罪で一件落着した。 『マルコポーロ』廃刊事件と同様に「ユダヤ人理解のためのSWCセミナー参加」も義務づけられた。 『週刊ポスト』の廃刊は免れた。 このSWCの逆鱗に触れた『週刊ポスト』の記事にはどのようなことが書かれていたのか。 問題となった記事の全文は http://chougin.tripod.com/991015po.html で読める。
長銀は、日本国民の税金が約8兆円も投入されたあげくに、国有化され、アメリカのハゲタカ・ファンドであるティモシー・コリンズ社長率いる「リップルウッド」(ユダヤ系の投資会社)にバナナの叩き売りのような、たったの10億円という破格値で売却された。
SWCによる日本ジャーナリズム界への圧力は更に続いた。 2001年10月15日、テレビ朝日の番組「スーパーモーニング」でコメンテーターとして出演していた川村晃司氏(元カイロ支局長)が、アメリカの炭疽菌事件に関連して「アメリカのメディアを支配しているユダヤ人を狙ったものではないか」という趣旨の発言をした。 すると、SWCが即座に反応し、「その内容は全くの虚偽。 『支配している』という部分がユダヤ人差別につながる」と猛抗議した。 SWCはコメントの取り消しと訂正、川村氏の降板などをテレビ朝日に要求してきた。 テレビ朝日は「番組も川村自身も反ユダヤの意図は全くなかった。 しかし、彼の発言が視聴者らに誤解を与えたことは極めて遺憾だ。 誤解を解くために番組内で対応する」という内容の書簡をSWCに送った。 そして、翌月11月5日の放送で川村氏は「限られた時間内での私の発言が誤解を招いてしまったことは遺憾である」と釈明したほか、イスラエルのイツァーク・リオール駐日大使による「ユダヤ人への偏見が生まれる」背景などの説明が放送された。
第4章 SWCと創価学会との結び付き
現在、SWCは創価学会インターナショナルと連携している。 池田大作が最初にSWCのロサンゼルス本部を訪れたのは1993年1月である。 この時、SWCは池田大作に対して「国際寛容賞」を贈り、池田大作を称えた。 そして、この訪問を機にSWCと創価学会インターナショナルは連携し、「ホロコースト展」の日本での開催の準備が始められた。 そして、戦後50年の1995年8月15日、「ホロコースト展」が広島の国際会議場で開催されたのである。 この「ホロコースト展」のオープニングには、SWCのマービン・ハイヤー館長、アブラハム・クーパー副館長、ジェラルド・マゴーリス事務長、アルフレッド・バリッツァー博士らの一行が列席した。 マービン・ハイヤー館長は、SWCを代表して次のようにあいさつした。「本日、ここに『ホロコースト展』広島展が開幕の運びとなりましたが、これは創価大学の皆様、並びに創立者・池田大作会長のひとかたならぬご尽力で実現したものです」。 広島の「ホロコースト展」が無事成功に終わると、翌1996年には、SWCによる「マキグチ記念人権講演会」がスタートした。 その第1回に招待を受けた池田大作は、SWCが運営するロサンゼルスの「寛容の博物館」で記念講演を行なった。 参加した識者からは、「池田氏の闘争に強く心を揺さぶられました。 人間の権利、そして平和のために、世界で繰り広げておられる『限りなき闘争』に」、「教育で『人類愛』『兄弟愛』を分かち合う、この一点こそが池田氏の講演の魂でしょう」などの感想が寄せられた。 因みに、現在、創価大学はヘブライ大学と提携している。
『マルコポーロ』廃刊事件の時、SWCの背後で創価学会が暗躍していたという情報がある。 『マルコポーロ』の記事を最初にSWCに告発したのは創価学会の信者だったという。 また、『マルコポーロ』廃刊号にはガス室の記事と並んでもう1つ重大な記事が掲載されていた。 それは、「徹底調査・新興宗教に入っている有名人一覧」という記事である。 この中で創価学会に入信している有名人がリストアップされていた。 創価学会の日蓮宗破門も詳しく報じられていた。 『マルコポーロ』が廃刊になったのは、ガス室の記事よりも、この有名人信者の「一覧リスト」が原因だったとの見方がある。
その『マルコポーロ』廃刊号に掲載されていた「新興宗教に入っている有名人一覧」は
http://yiori.tripod.com/ref/yuumei1.html で見ることができる。
2001年3月、公明党の神崎武法代表は国会議事堂内でSWCのアブラハム・クーパー副館長らと会談し、第二次世界大戦中の歴史的事実を調査する「恒久平和調査局」を設置する法案の早期制定についてアブラハム・クーパー副館長から要請を受けた。 また、アメリカ創価大学のアルフレッド・バリッツァー博士(現在SWCの幹部)は次のように述べたという。「公明党は在日外国人への地方選挙権付与や、歴史教科書問題で努力されていると聞いた。 この法案成立にも尽力してほしい」。
現在、SWCは「統一教会」とも友好関係を結んでいる。「統一教会」は1982年にアメリカで新聞『ワシントンタイムズ』を創刊し、イスラエルのシオニズム活動を熱烈に支持し、最近ではイスラエルの右派政党「リクード」を支援している。 教祖である文鮮明は次のような言葉を口にしている。「2012年までには神の摂理のすべてを完成させなければなりません。 イエス様が2000年前に受け入れられずに失敗したすべてを払い除かなければなりません。 キリスト教徒はユダヤ人と共にそれを成し遂げなければなりません。 私は私の100%の力を投入し、イスラエルを救うために歩む覚悟でいます。 すべてのアメリカ人が目覚め、そのことのために働かなくてはなりません。 皆さんもそのようにお願いします。 皆さん、キリスト教の指導者はキリスト教の統一のために働いて、それを成し遂げてください」。
第5章 SWCの「南京大虐殺」と原爆投下についての驚くべき見解
SWCは広島・長崎への原爆投下についてはどのような見解を持っているのだろうか。 ナチスのホロコーストに匹敵する悲劇だと思っているのだろうか。 アメリカが犯した戦争犯罪だと思っているのだろうか。 SWCの主張と活動を知る上で非常に興味深い取材記事がある。 『新潮45』(2000年12月号)に掲載された『特別インタビュー 「ユダヤは怖い」は本当ですか? SWCのアブラハム・クーパー副館長に聞く』という新潮社編集部の取材記事である。 この取材記事の中でアブラハム・クーパー副館長は南京虐殺事件と原爆投下について驚くべき見解を披瀝している。 取材記事の一部分を下に掲載しておくが、これは日本人にとっては看過することのできない内容であろう。
南京虐殺事件に関して
編集部: SWCは『ザ・レイプ・オブ・南京』を書いたアイリス・チャンをサポートしていると報じられています。 けれど、彼女の本には多くの間違いがあることが指摘されています。
クーパー: アイリス・チャンだけではなく、本多勝一氏を招いてフォーラムを開きました。 多くのアジア系アメリカ人の活動家がこのフォーラムに参加してくれました。
編集部: アイリス・チャンと本多勝一という人選はあまりに偏っています。 否定派は招かないのですか。
クーパー: センターとして色々オープンな形で受け入れるけれども、「犠牲者はわずかに3、4万人」というようなことを口にする人を講師として招くことは、絶対にしません。
原爆投下に関して
新潮社編集部の「第二次世界大戦で人類に対する明らかな犯罪が2つあったと思います。 ひとつはホロコースト、もうひとつは原爆投下です。 その責任追及をSWCがする予定はないのでしょうか」の質問の中で、次の問答がある。
編集部: 原爆による無差別爆撃の事実は明らかで、これは戦争犯罪ですから、アメリカの戦犯追及を考えるべきです。
クーパー: 率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は、原爆投下は戦争犯罪だと思っていません。
編集部: それは納得できません。 非戦闘員の殺害は明らかに戦争犯罪じゃないですか。
クーパー: ノー。 戦争というのは非常に悲惨な出来事なわけですけれども、2つの原爆を落としたことで、戦争が終わったという事実はあるわけです。 もしトルーマンが原爆を落とさなければ、さらに多くの死傷者が出たでしょう。
上の取材記事からも分かるように、SWCに代表されるユダヤ人シオニスト勢力は自分たちのホロコースト体験は世界に向けて盛んに宣伝するが、他民族が体験したジェノサイド(ホロコースト)に対しては無関心または冷淡である。 現在、パレスチナで進行中のホロコーストに対しても冷淡で、むしろユダヤ人によるパレスチナ人虐殺を積極的に支持している有様だ。 SWCを平和人権団体と呼ぶ人がいるが、SWCは非ユダヤ人の平和と人権に関しては無関心だといえる。 その偽善ぶりに、最近では「SWCはホロコーストを商業化している」として、一般ユダヤ人からも批判が出ている。
第6章 SWCと在米チャイナロビーとの結び付き
アイリス・チャン(中国系アメリカ人女性)は1997年11月に『ザ・レイプ・オブ・南京』を出版し、一躍有名人になった。 この本は反日宣伝の為に「南京大虐殺」についてアイリス・チャンが書いた俗悪本である。 この本には90ヶ所に及ぶ誤りがあり、偽写真が数多く載せられている。 ところが、彼女はこの本の修正を認めようとしない。 そのため、日本語訳の刊行は無期延期となっているが、アメリカでは50万部を超えるベストセラーとなっている。 1998年4月末、斉藤邦彦・駐米日本大使が『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容に対して「非常に不正確な記述や一方的な見解が多く、事実誤認や曲解もある。 ああいう本が出され、ある程度注目を集めていることは幸せではない」と強く批判したところ、SWCは斉藤大使あてに抗議文を送りつけてきた。 しかし、斉藤大使はその後の記者会見の中で『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容は「不正確で一方的なところがある」と改めて指摘し、アイリス・チャンの主張は事実に反すると強調した。 そして、「日本政府としてアクションをとることは今、考えていない」と語り、直ちに抗議などの行動をとる考えのないことを明らかにした。 これに対してアイリス・チャンは斉藤大使にテレビ討論をやろうと挑戦状を突きつけた。
社民党の首相経験者:村山富市は1998年5月24日に南京大虐殺紀念館を訪問し、「一時期、日本軍の侵略により中国やアジア諸国の皆さんに多くの損害や苦痛を与えた事実を厳粛に受け止めなければならないと思う」と発言した。 村山富市のほか、海部俊樹・土井たか子・野中広務・菅直人などが南京大虐殺紀念館を訪問して献花している写真が南京大虐殺紀念館に展示されており、あたかも日本政府が南京大虐殺紀念館の展示を容認しているような印象を訪問者に与えている。 また、「南京大虐殺紀念館」では「日清戦争・日露戦争・日中戦争は日本の侵略戦争であり、第一次世界大戦でも日本は中国を侵略した」と説明されている。 中国政府は日中友好などと言いながら、近年どしどし「抗日記念館」を作りまくっており、1997年には「日本暴行館」が北京の中国人民抗日戦争記念館にでき、2000年には50億円ものお金を投じて、廬溝橋地区に「中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園」を作り、「南京大虐殺紀念館」は北京オリンピックに合わせて、数億元を投入して、拡張工事されるという。
1998年6月、アメリカのクリントン大統領が中国を訪問し、あろうことか、中国を戦略的パートナーとして扱い、米中両国首脳が口を揃えて日本の経済政策を非難した。 このクリントン政権(民主党)は多くのユダヤ人がブレーンとして参加していたことで知られている。 これらのユダヤ人はアジアの経済と安全保障に関して今後は日本ではなく中国と手を結ぶ姿勢を示したということである。 ワシントンポストの有名コラムニストであるユダヤ人リチャード・コーエンは、クリントン政権の中にどれほど多くのユダヤ人が存在するかを明確に述べた。 例えば、オルブライト国務長官、コーヘン国防長官、ロバート・ライシュ労働長官、ローレンス・サマーズ財務次官、ミッキー・カンター通商代表と後任のバシェフスキー通商代表、グリックマン農務長官、ロス中東特使と後任のミラー特使、バーガー国家安全保障担当補佐官、ホルブルック国連大使、また、彼らの応援団といった存在のジェフリー・サックス(ハーバード大学教授)など、皆ユダヤ人であるという。
1998年6月26日付ニューヨークタイムズ紙に載った「中国の活力、日本の愚鈍」と題する論文には次のように書かれている。「クリントン大統領の歴史的な中国訪問の真の意味はアジアに対する見方を根本的に変えることである。 この地域における地政学的リーダーは最早日本ではなく中国なのだ」。 このクリントン大統領の訪中時にクリントン大統領は日本には立ち寄らず、中国に9日間も滞在した。 このクリントン大統領の訪中はジャパンパッシング(日本素通り)と言われ、「かくも無力な日本」というイメージを作り出した。 これに対し日本政府はなす術を持たなかった。
クリントン大統領の訪中から約2ヶ月後の1998年8月17日、東京KDD会館ホールにおいてロサンゼルスのSWC本部とインターネットで繋いだテレビ会議が行なわれた。 この会議によってSWCと在米チャイナロビーとの結び付きが明らかになった。 この会議には日本側から元731部隊の隊員2名・南京大虐殺の証言者1名・元特務機関員1名の計4名が参加し、彼ら4名は、ロサンゼルスのSWC本部に控える学者・ジャーナリストとそこに集まった300人の聴衆に向かって日本の戦争時代の罪業を切々と語った。 このテレビ会議の主催者であるSWCのアブラハム・クーパー副館長は次のように発言し、日本政府を批判した。「ここで申しておかなければならないことは、SWCでは斉藤邦彦・駐米日本大使に対して正式にこの会議への招待状を送り、今日のパネルに参加を要請したということである。 しかし、予想はできたことであるが、その招待は拒否された。 ここではっきりと我々はアメリカにおける日本政府の代表に参加を求める招待状を出したということを確認しておくことは大切なことだと思う。 日本政府が南京大虐殺に正面から向き合おうとせず、逃げ腰であることは明らかである」。
第7章 反日・親中国を推し進めるSWC
1990年代に入ってからSWCのアブラハム・クーパー副館長は731部隊の賠償についてのキャンペーンを展開し、アメリカ司法省は1996年12月、731部隊や従軍慰安婦動員に関与したといわれる旧日本軍関係者を入国禁止処分にした。 戦後50年もたってからの突然の決定は日本国内でも波紋をよんだ。 1999年10月には、アブラハム・クーパー副館長はリノ司法長官や国防総省のヘンリー陸軍次官補と会談し、小渕首相に対して日本政府が保管している731部隊の機密資料の公開や731部隊員の戦犯容疑での起訴免除の撤回を求めたことが報道された。 この時、アブラハム・クーパー副館長はマスメディアに対して次のように語った。「731部隊の関係者の多くは既に故人となったが、生き残りの関係者は今も戦時中の自らの行為を反省していない。 アメリカ政府が免責処分の誤りを認めることが日本に反省を促すきっかけになる」。 また、アブラハム・クーパー副館長は日本の戦争責任について1999年4月26日付のロサンゼルス・タイムズ紙に次のような記事を載せた。「ナチス・ドイツの大量虐殺をおこなった犯罪者を追及したサイモン・ヴィーゼンタールのようなナチハンターがいなかったらどうだろう。 もし、アメリカがその恐ろしい実験結果と引き換えにアウシュヴィッツの虐殺医師ヨーゼフ・メンゲレを免責したらどうだろう。 あるいは、戦後のドイツがナチスの息のかかった上層部の医師を国立医療センターに配属したり、主要な医学校の学部長にしたり、新しいドイツ防衛軍の軍医総監に任命したらどうだろう。 そんなことはありえないと皆さんは言われるだろうか。 二流の作り話か三流小説だと思われるだろうか。 しかし、そうではない。 私が今申し上げたことはまさに戦後の日本の反省なき幹部の犯罪者たちの現実なのです。 彼らの行為はその残虐性と堕落の程度においてナチス・ドイツに決して劣るものではない。 そして、信じ難いことだろうが、私は最近日本の戦争犯罪者から誘われて、彼の家を訪問し戦時中の役割を満足気に話すのを聞いてきた。 私は神戸近くに住む76歳になる元気な溝渕俊美氏にお会いして2時間半のインタビューをした。 彼は今も元気で、数百人に上る日本軍731部隊の同窓会幹事をしている。 731部隊といえば第二次世界大戦以前から戦時中にかけて満州において秘密裏に生物化学兵器の生体実験を行なった部隊である。 〈中略〉 ドイツはメンゲレらによる恐怖に正面から立ち向かっているが、日本が731部隊の石井中将や溝渕氏の犯罪を認めるには時間が経ちすぎている。 反省して過去を悔いている一部の元兵士を含めた日本の活動家の努力にもかかわらず、若者に歴史の全体像を教えようとしない今の日本政府は半世紀に及ぶ虚像の壁をいまだに維持し続けている。 〈中略〉 日本は自己感染した健忘症から目を覚まさなければならない。 東京で開催される国際歴史委員会によって修正主義と軍国主義の宣伝がなくなり、嘘のない歴史の真実の追究が行なわれることを希望する。 さもないと、日本の隣人アジア諸国が、日本は過去の戦争から教訓を学びとり信頼に値する国家となったという確信を持てるまでには相当の時間がかかるだろう。 中立国だと宣言していたスウェーデンやスイスでさえも第二次世界大戦を省みてその過ちを見る勇気を持つに至ったのである。 日本はスウェーデンやスイスよりも罪が軽いと言えるだろうか。 日本は国連の常任理事国の席を希望しているが、東京が国際的な政治と経済においてリーダーシップを望むのであれば、それにふさわしい道徳的責任を世界に果たさなければならないだろう」。
現在、アメリカだけでも会員が40万人を超えるSWCの影響力には計り知れないものがある。 親中反日路線を推し進めるSWCは日本人にとっては要注意のシオニスト団体である。
追加情報1: 『ヒトラー選挙戦略』絶版事件
『ヒトラー選挙戦略』絶版事件を覚えている方はいるだろうか。 この事件は『マルコポーロ』廃刊事件の前年(1994年)に起きたのであるが、実はこの事件にもSWCが関与していた。 この事件で問題となった本は、当時「自民党東京都支部連合会」の広報部長だった小粥義雄氏が1994年4月に出した『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』(千代田永田書房)という「選挙指南書」である。 小粥氏はヒトラーの政治宣伝の手法を参考にして、本の中で選挙の心構えを説いたのである。 しかし、「ヒトラーを正当化しすぎている」として、イスラエル大使館やSWCが猛抗議してきたため、絶版・回収となった。
この事件について書かれた当時の新聞記事の内容を下に載せておく。
1994年6月14日 『朝日新聞』
ヒトラー冠した選挙本 批判続出で絶版に 自民東京都連の広報部長が著者
自民党東京都支部連合会の広報部長が出版した選挙指南書『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』(千代田永田書房)が13日、絶版にされることが決まった。 著者は「ヒトラーを正当化するつもりはなかった」としているが、ヒトラーを肯定的に取り上げた内容に、イスラエル大使館などから批判が集中。「政府や自民党にも迷惑をかけた」と、著者、自民党都連、出版社で絶版を決めた。 店頭の本もできるだけ回収するという。 著者は小粥(おがい)義雄・自民党都連広報部長(45)。「来春の統一地方選挙を念頭に、あくまでも個人の考えとして、選挙戦に臨む心構えや戦略を示した」と話す。 本は冒頭、「短期間に国論を統一、政権を奪取して第三帝国を建設したヒトラーは、現代選挙を考えるうえで、とても重要な教えを私たちに示している」「大衆の側に立って、大衆の声を聞き、大衆の心に訴えた政治手法は、混迷の時代、大衆文化時代の今日、『ピタリ』とあてはまる政治戦略」とうたい、「ヒトラーの残した独裁政治、ユダヤ問題など歴史的評価は後世に譲る」としている。 そして「後援会組織」「戦う運動員」「宣伝の役割」「女尊男卑の精神」「きれいな資金」などの章立てで、選挙の戦い方を解説。 各章にヒトラーの著書『我が闘争』などからの引用文を掲載。 ヒトラーのキャラクターイラストや、ハーケンクロイツ(カギ十字)をデザイン化したカットをちりばめている。 4月20日付で数千部出版されたが、小粥氏によると、出版記念パーティーには自民党のほか、新生党、日本新党、連合の関係者も出席したという。 これに対し、今月10日、イスラエル大使館のヤコブ・ケイダール参事官らが自民党都連を訪れ、秋葉信行都連事務局長らに不快感を表明した。 さらに、SWCがイスラエルの日本大使館に出版の中止を求める抗議文書を送付。 ニューヨークタイムズやワシントンポストにも取り上げられ、国際問題に発展しかねない情勢になってきたため、絶版を決めたという。
追加情報2: ポケモン卍事件
1999年12月、人気アニメ「ポケットモンスター(ポケモン)」の日本語版カードゲームに印刷された卍(まんじ)という漢字が、「ナチスの逆鉤十字を思い出させる」とユダヤ人団体から抗議を受け、米国任天堂は、この漢字の使用を取りやめることを決定した。 当時の日本の新聞は、この決定について次のように報じた。「卍は日本製カードゲームの一部に付いているものの、アメリカで製造された英語版にはない。 しかし、昨年来ポケモンが大ヒット中のアメリカにはオリジナルの日本語版が輸入され、高値で取引されている。 卍はもともと功徳などを表す仏教上の記号だが、ナチスの逆鉤十字の裏返しの形をしていることで、ADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)が『西洋では明白に否定的な意味を持つ』と抗議してきた。 ポケモンのアメリカでの著作権を統括する米国任天堂は、今後、日本語版からも削除することを約束した。 同社は『日本のカードゲーム制作者は、卍は肯定的な意味があると信じているが、誤解を招く恐れがあることも理解しており、不幸な事態を避けるため削除に同意した』と説明している」。 (1999年12月3日)
因みに、「卍」はサンスクリット語で「スヴァスティカ」と呼ばれ、仏教では「1万の美徳を秘める幸福の護符」として神聖視する。