アメリカの軍産複合体(Military-industrial complex)

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「アジア・アフリカ研究所」の名誉所長である岡倉古志郎氏は、「原子力利権」の実態について、著書『死の商人』(岩波書店)の中で、次のように述べている。「1947年にアメリカで『原子力委員会(AEC)』という国家機関が創設され、『マンハッタン計画』が受け継がれた。 引き継ぎの際、明らかになったことは、過去7年間に原爆生産に投下された経費が22億ドルの巨額に達していたということである。 その後、冷戦が展開されるに及んで、原子力予算は、まず年額10億ドル台になり、ついで20億ドルを超えた。 『1つの新しい産業が突如出現した。 それは、初めてベールを脱いだその時からすでに巨体であったが、やがて体全体が成長し、単一の産業としては最大の産業になっている』と、1948年末、当時のAECの委員W・W・ウェイマックは原子力産業の巨大なスケールについて述べている。 原子力産業は、『死の商人』にとっては、もっともすばらしい活動分野であった。 何しろ、その規模がどえらく大きい。 年額20億ドルもの巨費が建設や運営のためにばらまかれる。 その設備は『USスティール』『GM』『フォード社』『クライスラー社』の4つの巨大会社を合わせたよりも大きく、数十万の技術者・労働者を擁している。 この土地・建物・機械などの固定設備はむろん、AECが、つまり国家がまかなうが、その建設・運営は『デュポン社』とか『ユニオン・カーバイド社』(ロックフェラー財閥系)や『GE』(モルガン財閥系)のような巨大企業にまかせられる。 建設・運営を引き受ける会社は自社製品を優先的に売りこみ据え付ける特権があり、また、運営の代償として『生産費プラス手数料』の原則でAECに請求して支払いを受けるが、この『手数料』は純然たる利潤だと、AEC担当官さえ認めている。 このほか、運営に当たっていれば、科学技術上の機密が自然入手できるが、これらの機密は、将来、原子力産業が民間に解放される場合には、ごっそりいただくことができる。 『死の商人』にとって、こんなボロもうけの分野がかつてあったであろうか。 ジェイムズ・アレンが『原爆崇拝のかげで景気のいい一つの商売が行なわれている。 それは、国家の権威をまとい、えせ愛国主義の霊気に包まれているが、言うなれば、“ボロもうけの商売”である。 しかも、この事業の目的たるや、大量殺人でしかない』と慨歎しているのも当然である」。

陸・海・空・海兵隊・予備を含めて350万人強の人間を擁し、あらゆる近代兵器を持ったアメリカ軍は、その規模において類を見ない組織である。 しかも、アメリカ軍は2万強の企業と組んで、巨大な軍産複合体を形成している。 軍産複合体の根幹を成しているのが「ウォー・エコノミー(戦争経済)」である。 そもそも軍産複合体は第二次世界大戦と共に生じたものである。 軍事省や戦時生産局は、航空機・大砲・戦車などを製造する為には、企業に頼らざるを得なかった。 電子工学や原子物理学が兵器産業の基礎学問となるに連れて、兵器産業に頭脳力を供給する大学が必要となった。 兵器産業に頭脳力を供給する大学は、戦争に勝ち民主主義を支えるために必要な協力者であった。 そして、軍と兵器産業の癒着構造を生み出す大きな切っ掛けとなったのは、アメリカ政府・アメリカ軍・大企業・大学の連携によって進められたマンハッタン計画である。 マンハッタン計画には科学者と技術者とを合わせて総計5万人と20億ドル(7300億円)の資金が投入された。 ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス国立研究所」で科学者や技術者は原子爆弾を完成させるべく日夜研究に没頭した。 そして、第二次世界大戦が終わると、ソ連との兵器近代化競争に勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発を進めてきた。 そこで得られた研究成果は「ダウケミカル社」「デュポン社」「ロッキード社」「ダグラス社」などに下ろされた。 大学の研究室と産業と政府ががっちり手を結び、巨大な怪物へと成長した。

アメリカの軍産複合体の核(中心部)に位置するのは国防省(ペンタゴン)と中央情報局(CIA)である。 1947年に国家安全法に基づいて、それまで独立機関であったアメリカ4軍を一元的にコントロールする為に設けられたのが国防省であり、更に、CIAも国家安全法に基づいて設けられた。 国防省とCIAの誕生により、軍産複合体は一つのガッチリした中央集権的組織となって、アメリカに根を下ろした。 軍産複合体は年々肥大化し、ペンタゴンから発せられる莫大な軍需注文は「プライム・コントラクター(ペンタゴンと直接契約する会社)」と呼ばれる航空機メーカーやエレクトロニクス企業に一括して流されている。 更に、その周りに下請け・孫請け会社1万2000社、多国籍銀行、スタンフォード大学、ハーバード大学などの大学研究室が70強、ランド研究所やフーバー研究所などペンタゴンと契約しているシンク・タンクが16、といったように、何千万人もの労働者・科学者・政治家・退役軍人・ロビイストがいる。 ペンタゴンと直接契約している企業は、兵器を開発している段階で、多額の推奨金(無利子の貸金)を受け取ることができる。 例えば、ロッキード社は、1968年12月の12億7800万ドルという支払い済み経費に対して、12億700万ドルの推奨金を与えられた。 15億ドル近くの経費や設備を含む取引に対して、同社が調達しなければならなかったのは、7100万ドルの自己資金だけであった。

ペンタゴンで働いていた高級軍人の天下りの多さも無視できないものがある。 プロクスマイア上院議員の言うところによると、1968年財政年度には、主要軍需産業の3分の2以上を占めていた100社は、その給与名簿に「2072人の大佐以上もしくは艦長以上の階級の退役高級軍人」を抱えていたという。 トップはロッキード社の210人で、その次にボーイング社の169人、マクダネル・ダグラス社の141人、ジェネラル・エレクトリック社の89人と続くという。 ペンタゴンで軍服を着て、民間企業と多額の取引交渉をやっていた高級軍人の多くが、退役後、その影響力や内部の知識を民間企業の利益の為に使っている。

軍産複合体がアメリカ経済に対し強い影響力を持っていることに関し、国防産業協会の会長J・M・ライル元提督は次のように言っている。「もしも、我々が軍産複合体を持っていなかったとしたら、我々はそれを考え出さねばならなかったであろう。 というのは、今日の複雑な兵器を考案し、生産し、維持することは、必然的に、それを要求する軍部とそれを供給する産業との間の、最も緊密な協力と連携を伴うからである」。 ディロン・リード社のジェイムス・フォレスタルやジェネラル・エレクトリック社のチャールス・ウィルソンなどは「アメリカが必要としているのは永久的な戦争経済である」と、率直な見解を述べている。 ベトナムのある高官は次のように述べている。「結局、一番もうかるのは、性能のいい兵器に高い値札をつけてどんどん売りさばくことのできる国連常任理事国の兵器産業である。 ベトナム戦争を振り返ってみても、本当の“死の商人”が誰であったか一目瞭然だ。 まず、フランスが膨大な兵器を流し込み、その後をアメリカが引き継いだ。 もちろん、そうなるとソ連も放っておけないから、北ベトナムやベトコンにどんどん新兵器を与え、やがては中国も介入していった。 そうやって戦争がエスカレートして行けば、それぞれの国の軍産複合体もどんどん肥え太っていくわけだ」。

「軍産複合体(Military-industrial complex)」という言葉を最初に使ったのは、トルーマン大統領の次に就任したアイゼンハワー大統領である。 彼は第二次世界大戦のヨーロッパ戦域で連合軍を指揮し、近代戦の凄まじい消費に対応する後方支援のシステム化に成功した「戦争管理型軍人」として知られている。 その意味で、軍産複合体の生みの親ともいえる人物であるが、それだけに内在する危険性についても考えていたようだ。 アイゼンハワー大統領は1961年1月17日の大統領退任演説で、軍産複合体の危険性に関して、次のように警告した。「第二次世界大戦まで、合衆国は兵器産業を持っていなかった。 アメリカの鋤(すき)製造業者は、時間があれば、必要に応じて剣も作ることができた。 しかし、今や我々は、緊急事態になるたびに即席の国防体制を作り上げるような危険をこれ以上冒すことはできない。 我々は巨大な恒常的兵器産業を作り出さざるを得なくなってきている。 これに加え、350万人の男女が直接国防機構に携わっている。 我々は、毎年すべての合衆国の企業の純利益より多額の資金を安全保障に支出している。 軍産複合体の経済的・政治的・精神的な影響力は、全ての市と全ての州政府と全ての連邦政府機関に浸透している。 我々は一応、この発展の必要性は認める。 しかし、その裏に含まれた深刻な意味合いも理解しなければならない。  〈中略〉  軍産複合体が、不当な影響力を持ち、それを行使することに対して、政府も議会も特に用心しなければならぬ。 この不当な影響力が発生する危険性は、現在、存在するし、今後も存在し続けるだろう。 この軍産複合体が我々の自由と民主的政治過程を破壊するようなことを許してはならない」。