キリスト教シオニストの存在

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第1章  初めに
シオニズムとは「19世紀後半のユダヤ人迫害の高まりの中で生じたユダヤ国家建設運動やユダヤ文化興隆運動」である。 そして、シオニズムはイスラエル共和国の成立(1948年5月14日)で一応の目的を達した。 しかし、イスラエル共和国の成立後も、シオニズムは存在しており、その場合のシオニズムは「イスラエル共和国の領土拡張主義、及び、イスラエル共和国擁護主義」を意味する。

ユダヤ人テオドール・ヘルツルが「ユダヤ建国の父」として知られているが、彼はシオニズムの創始者ではない。 シオニズムの創始者は17世紀半ばのプロテスタントである。 そして、17世紀半ば以来、ユダヤ人シオニストに匹敵する強烈なキリスト教徒のシオニストがいた。 「キリスト教徒のシオニスト」を「キリスト教シオニスト」と言うことにする。 驚くべきことに、現在、アメリカのキリスト教シオニストとユダヤ人シオニストは同盟を結んでいる。 この同盟関係を知ると、パレスチナ問題の根が深いところにあることに気付かされる。

キリスト教の宗教改革以前、キリスト教徒の殆ど全てはカトリック教徒で、彼らはアウグスティヌスが説いた「聖書の記述の中には文字通りではなく寓意的に解釈すべき箇所がある」という見解を受けいれていた。 しかし、宗教改革以来、「ユダヤ教徒は全てパレスチナへ移住せよ」と、プロテスタントが言うようになった。 いったい、どうしてなのか。 少し長くなるが、その理由を時間の流れに沿って述べていきたい。

第2章  17世紀からシオニズムを唱えるようになったプロテスタント
西ヨーロッパでは15世紀中頃に、ドイツ人グーテンベルクが活版印刷術を発明し、それが急速に普及し始めた。 また、16世紀前半にはマルティン・ルターが聖書を唯一の権威とする立場に立ち、聖書に基づく信仰のみを大切にするという福音主義を唱え、ローマ教会の権威を否定した。 これによりプロテスタント(抗議者)と呼ばれる人々が出現した。 また、マルティン・ルターは聖書をドイツ語に翻訳した。 その結果、ドイツ語で書かれた聖書が活版印刷術でたくさん作られるようになった。 こうして、聖書は一般のプロテスタントにも手に入るものになった。 このことはキリスト教界に非常に大きな影響を与えた。 プロテスタントは聖書を唯一の権威とする立場に立つので、プロテスタントにとって聖書は神の誤りない言葉であり、天地創造など聖書の記述は全て真実であった。 一般のプロテスタントが聖書を購入し読むようになって、彼らは聖書を自分自身で解釈するようになった。 彼らは旧約聖書を読み、古代イスラエル人(古代ユダヤ人)の歴史・物語・伝統・律法・カナン(現パレスチナ)等に親しみを感じ、旧約聖書の物語を諳(そら)んじてみせた。 こうして、カナンをユダヤ人の故郷と考えるプロテスタントが増えてきた。 彼らは旧約聖書を面白い文学として読んだだけでなく、歴史解釈のお手本とも見なすようになった。 彼らはイエス・キリスト登場以前のカナンの歴史を旧約聖書だけに基づいて解釈するようになった。 こうして、「カナンでは、旧約聖書に記録された伝説や出来事が文字通りに起き、旧約聖書に記録された伝説や出来事以外の事は何ひとつ起きなかった」と、膨大な数のプロテスタントが思い込むようになった。 聖書好きのプロテスタントは旧約聖書を中東(西アジア)の歴史を記した唯一絶対の書物と見なすようになったのである。 そして、17世紀半ばには「ユダヤ教徒は全てヨーロッパを離れてパレスチナへ帰るべきだ」と主張するプロテスタントが出現し始めた。 イギリスの護国卿となったオリヴァー・クロムウェル(1599年〜1658年、清教徒)は「パレスチナにユダヤ教徒が帰還すれば、それはキリスト再降臨の序曲になる」と明言した。 1655年にドイツに生まれたプロテスタントのパウル・フェルヘンハウエファは『イスラエルヘのよき知らせ』の中で「キリスト再降臨の際にはユダヤ教徒はイエス・キリストを彼らのメシアとして受け入れるだろう。 キリスト再降臨の前提条件は、神がアブラハム、イサク、ヤコブと交わした約束としてユダヤ教徒に永久に授けた地へ彼らが永住覚悟で帰還することだ」と書いた。 時代は下って、児童労働者や精神異常者や受刑者らに人間的待遇を与えることを主張して「偉大な改革者」として有名な第7代シャフツベリー伯爵アントニー・アシュリー・クーパー卿は1839年に『ユダヤ人の現状と展望』という論文を発表し、その中で「すべてのユダヤ教徒はパレスチナへ移住すべきだ」と書いた。 クーパー卿は「ユダヤ教徒がパレスチナに移住し、そこにユダヤ国家を再建しない限り、キリスト再降臨は実現しない」と考えていた。 彼はユダヤ教徒のことを心配しているものの、ユダヤ教徒が非ユダヤ教国に居住する以上、ユダヤ教徒はいつまでも異国人のままだという理由で、ユダヤ教徒をヨーロッパ諸国で同化・解放することには反対し、「ユダヤ教徒は頑固かつ陰険な連中だし、道徳的退廃・頑迷・無知のどん底に落ちて福音の何たるかも分からない始末だが、それでもキリスト教徒が救われる希望を左右する存在なのだ」と主張した。 クーパー卿は当時パレスチナに人が住んでいるかどうかをわざわざ調べようとはしなかったし、自分のものでもない土地を勝手にユダヤ人にくれてやることを気にもしていなかった。 彼は、パレスチナの土地をあっさりと獲得できると書いている。 彼は「パレスチナは国を持たない民に与えられるべき、民のいない国である」と言った。 後に、この言葉はユダヤ人シオニストによって「パレスチナは土地を持たない民に与えられるべき、民のいない土地」という言葉に作り変えられた。 ユダヤ教徒をパレスチナに移住させようと躍起になったクーパー卿は、時の外相パマーストン卿と姻戚関係にあったので、外相パマーストン卿をせっついて、エルサレムにイギリス領事館を開設させた。 外相パマーストン卿は1839年、プロテスタントのウィリアム・ヤングをエルサレム駐在の初代副領事に任命した。 その年、パレスチナにはパレスチナ生まれのユダヤ教徒と外国籍のユダヤ教徒とを合わせて9690名のユダヤ教徒が居住していた。 当時の条約上の権利によれば、イギリス政府の保護が適用される範囲はパレスチナ在住の外国籍ユダヤ教徒に限定されていた。 他方、パレスチナ生まれのユダヤ教徒は当然オスマン帝国の国籍を持ち、スルタンの支配下にあった。 ところが、イギリス副領事ウィリアム・ヤングは、イギリス政府がいかにパレスチナ生まれのユダヤ教徒にまで親身になっているかを示して感謝してもらおうと、パレスチナ生まれのユダヤ教徒をも保護の対象にした。 フランス政府やスペイン政府がオスマン帝国の国籍を持つカトリック教徒に何ら国家主権を及ぼせないのと同じで、イギリス政府がオスマン帝国の国籍を持つユダヤ教徒を保護することは許されなかった。 イギリス政府の行動は他国への内政干渉だったが、これがユダヤ教徒の民族的統一を是認する実践的シオニズムの要になった。

1841年、中東(西アジア)勤務のイギリス外交官チャールズ・ヘンリー・チャーチルは、ロンドンのイギリス・ユダヤ教徒代表者会議の議長でロスチャイルド家に繋がる実業家モーゼス・モンテフィオーレ宛に次のように書いた。「あなたの同胞が再び統一国家の下で1つの国民として出発するよう努力される光景をこの目で見たいという、私の切なる願いを、あなたにお伝えせずにはいられません。 その目的は完全に達成可能であると考えます。 しかし、そのためには必要なことが2つあります。 まず、世界中のユダヤ教徒全員が一致してこの目的をとり上げること、そして、ヨーロッパ列強がユダヤ教徒の目的達成に力を貸すことです」。 それから4年後の1845年、イギリス植民省のエドワード・L・ミットフォードが「パレスチナに大英帝国の保護領としてユダヤ国家を建設し、同国家が自立でき次第、大英帝国は保護領の権限を放棄すること」を提案した。 彼は「パレスチナにユダヤ国家が出来れば、我が国のレパント地方(地中海東部沿岸地方)における支配権が確立し、同国家を拠点として敵国の我が国封じ込めを抑え、敵を威嚇し、必要とあれば、敵の侵攻をはねつけることが出来る」とも書いている。 ところが、肝心のヨーロッパのユダヤ教徒は自分らの住み慣れた土地を離れてパレスチナに移住しようとはしなかった。 以後、ユダヤ人以外でシオニズムを唱え続けたのは、イギリスとアメリカのプロテスタントであった。 彼らは「パレスチナはユダヤ教徒のものだから、ユダヤ教徒は全てそこへ移住し、異教徒と分かれて暮らすべきだ」と熱心に主張し続けた。 以上のように、17世紀半ば以来、ユダヤ人シオニストに匹敵する強烈なキリスト教シオニストがいたのである。

レジャイナ・シャリフは『非ユダヤ人シオニズム』の中で「キリスト教シオニストは敬虔さの背後に政治的動機を持っており、彼らにとっては、この動機こそ宗教信念より遥かに重要だった」と強調している。 ユダヤ人シオニストの多くは、初期のシオニズムにおいてキリスト教シオニストがユダヤ人以上に熱心に行動してくれたことに感謝しており、イスラエル建国を達成できたのは、キリスト教シオニストの手助けのお陰だと言っている。

第3章  アメリカ国内のプロテスタントの概要
第2章で述べたように、15世紀中頃の活版印刷術の発明・普及と、16世紀前半の聖書のドイツ語翻訳とにより、一般のプロテスタントが聖書を購入して読むようになった。 聖書を読むプロテスタントにとって聖書は神の誤りない言葉であり、天地創造など聖書の記述は全て真実であった。 時が経ち、19世紀になって、ラマルクやダーウィンの生物進化論が世間一般に広がるに連れて、プロテスタント(「聖書の一字一句は全て神の誤りない言葉であり、天地創造など聖書の記述は全て真実である」と信じる人々)の集団は「生物進化論を受け入れるプロテスタント」と「生物進化論を受け入れないプロテスタント」とに分裂した。「生物進化論を受け入れるプロテスタント」は「プロテスタント穏健革新派」と呼ばれ、「生物進化論を受け入れないプロテスタント」は「福音派」または「福音主義派」と呼ばれるようになった。 ここでは「生物進化論を受け入れないプロテスタント」を「プロテスタント福音派」又は「キリスト教福音派」と呼ぶことにする。 プロテスタント穏健革新派はプロテスタントの中の左派を形成している。 プロテスタント穏健革新派の大部分または殆ど全てはイギリス系白人(アングロサクソン系白人)であると思われる。 プロテスタント福音派の大部分はドイツ系白人(ゲルマン系白人)であると思われる。 ここからはアメリカのプロテスタントに限って述べる。 イギリス国教会からの離脱を意図した清教徒(プロテスタントの一派)(のちに “Pilgrim Fathers” と呼ばれる)41人を含む総計102人のイギリス人が北アメリカ大陸を目指して1620年9月にメイフラワー号に乗ってイギリスのプリマスを出発した。 彼らは同年11月に現在のマサチューセッツ州のコッド岬に上陸して入植地「プリマス」を作った。 彼らが未知の土地で生存圏を確保・拡大していく中で、彼らにとっては仲間内の連帯感と聖書とが至高の価値あるものであった。 1783年のアメリカ建国以降、アメリカ人の「西へ西へ」の侵出・開拓の流れが確定していく中で、アメリカ中西部の超過疎地帯(フロンティア)に入植して農業や牧畜を始めた白人キリスト教徒アメリカ人はインディアンに時々襲撃され、病気になっても医者に診てもらうことも出来ず、自給自足の過酷な生活をしていたと思われる。 この様に想像を絶する困難の中で生きていた白人キリスト教徒アメリカ人は聖書を心の支えにするしかなく、その為、彼らは「聖書の一字一句は全て神の誤りない言葉であり、天地創造など聖書の記述は全て真実である」と信じるようになった、と思われる。 その意味でアメリカ中西部の超過疎地帯(フロンティア)に侵出して行った白人キリスト教徒アメリカ人はプロテスタントである。 この様なアメリカのプロテスタントは20世紀初頭に「生物進化論を受け入れるプロテスタント」と「生物進化論を受け入れないプロテスタント」とに分かれた。 アメリカのプロテスタントの中の「生物進化論を受け入れるプロテスタント」は「プロテスタント穏健革新派」と呼ばれ、アメリカのプロテスタントの中の左派である。 アメリカのプロテスタントの中の「生物進化論を受け入れないプロテスタント」は現在でも「聖書の一字一句は全て神の誤りない言葉であり、天地創造など聖書の記述は全て真実である」と信じており、アメリカのプロテスタントの中の右派である。 そして、アメリカのプロテスタントが「生物進化論を受け入れるプロテスタント」と「生物進化論を受け入れないプロテスタント」とに分かれたと同時に、「生物進化論を受け入れないプロテスタント」の中に極めて保守的で過激な信仰を持つ人々が現れた。 彼らは「聖書の一字一句は全て神の誤りない言葉であり、天地創造など聖書の記述は全て真実である」と信じるばかりか、「人類の歴史は聖書が示す通りに展開する。 このシナリオは神によって書かれた。 そして、自分たちこそが神に選ばれた人間である。 やがて、人類最終戦争(ハルマゲドン)が起き、その後、地球上ではキリスト教徒だけが暮らす至福の時代がやってくる。 そして、最後の審判では自分たちだけが合格する」と信じている。 この様な人々はアメリカのプロテスタントの中の極右派であり、アメリカマスメディアで「キリスト教原理主義者、キリスト教根本主義者、Christian Fundamentalist」と呼ばれている。 ここでは、この様な人々を「キリスト教原理主義者」と呼ぶことにする。 先に述べたように、アメリカのプロテスタントの中の「生物進化論を受け入れないプロテスタント」はアメリカのプロテスタントの中の右派である。 そして、キリスト教原理主義者はアメリカのプロテスタントの中の極右派である。 2015年現在、アメリカ国内のプロテスタント人口は1億6000万人前後(アメリカ国民の約半数)と推計されており、その内、「生物進化論を受け入れないプロテスタント」(プロテスタント福音派、キリスト教福音派)の人口は8000万人前後と推計されており、「生物進化論を受け入れないプロテスタント」(プロテスタント福音派、キリスト教福音派)の内、キリスト教原理主義者の人口は4000万人前後である、と思われる。 先に述べた「人類の歴史は聖書が示す通りに展開する。 このシナリオは神によって書かれた。 そして、自分たちこそが神に選ばれた人間である。 やがて、人類最終戦争(ハルマゲドン)が起き、その後、地球上ではキリスト教徒だけが暮らす至福の時代がやってくる。 そして、最後の審判では自分たちだけが合格する」という世界観がアメリカのキリスト教原理主義者の「終末思想」と言われているものである。 この「終末思想」は新約聖書の「ヨハネ黙示録」を根拠にしている。

第4章  アメリカのキリスト教シオニストとユダヤ人シオニストの同盟関係
「アメリカ政府が頑なに親イスラエル政策を実施するのは、アメリカ政府がユダヤ系メディアやユダヤ系政治家などの強い影響の下にある為だ」と言われている。 しかし、アメリカ政府が頑なに親イスラエル政策を実施する理由はそれだけではないだろう。 ユダヤ人シオニストと利害を共有するキリスト教シオニストがアメリカ国内で巨大な勢力を持ち、イスラエル共和国を擁護・支持してることも大きな理由になっている。 カリフォルニア大学の政治学教授スティーヴン・スピーゲルは次のように主張している。「ユダヤ人グループがどれだけアメリカの政治に干渉しているかという面ばかりを見るのは誤りで、むしろ、キリスト教シオニストのほうがアメリカ政府の対イスラエル政策形成に真の影響力を持っているのだ」。

アメリカのキリスト教シオニストの正体はプロテスタント福音派である。 プロテスタント福音派の中でも生物進化論を受け入れるプロテスタントは穏やかなキリスト教シオニストであり、キリスト教原理主義者は過激なキリスト教シオニストである。 アメリカのキリスト教原理主義者は「キリスト再降臨の為には、ユダヤ国家が中東にあることが必要であり、イスラエル建国はキリスト再降臨に必要な第一歩である。 イスラエル建国は聖書の預言が成就されたものであり、神が行なった偉大な事業である。 しかし、中東が平和であるうちは、キリスト再降臨が実現しない」と信じこんでいる。 そこで、彼らキリスト教原理主義者は人類最終戦争(ハルマゲドン、核兵器による世界戦争)をまだかまだかと待ち望んでいる。 その意味で彼らキリスト教原理主義者は過激なキリスト教シオニストである。 にわかには信じられないだろうが、嘘ではない。 ここに、イスラエル・パレスチナ問題の難しさがある。

アメリカにおけるキリスト教シオニスト・ロビーはユダヤ人シオニスト・ロビーが出来る前からあった。 アメリカのキリスト教シオニズムは1880年代に生まれた。 そして、同じ時期にウィリアム・ブラックストーンという人物が最初のキリスト教シオニスト・ロビーを生み出した。 ウィリアム・ブラックストーンのロビー活動には、石油王ジョン・D・ロックフェラーが資金を与え、最高裁判所の判事らがメンバーとして名を連ねていた。 その活動目的は、ヨーロッパ・ロシアのポグロム(ユダヤ教徒虐殺)から逃れたユダヤ教徒をパレスチナに移住させ、パレスチナにユダヤ国家を樹立することであった。

現在、ユダヤ人シオニストとアメリカのプロテスタントの中の極右派(キリスト教原理主義者)とは互いに同盟を結んでいる。 彼らが同盟を結ぶことになった切っ掛けは、1967年の第三次中東戦争である。 尤も、同盟とは言っても、完全に心を許した仲ではなく、お互いを利用しつつ牽制しつつ、微妙なバランスの上で共生していると言った方が良い。 もともと、アメリカのプロテスタントの中の極右派(キリスト教原理主義者)は反ユダヤ色が強い。 彼らは「ユダヤ教徒は人類最終戦争(ハルマゲドン)で殺されるか、キリスト教に改宗してボーンアゲイン・クリスチャンになるか、2つに1つの運命だ」と本気で信じている。 彼らの伝統的反ユダヤ主義は機会あるごとに噴出する。 ユダヤ教徒もアメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)のそのような信念をよく知っている。 アメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)のイスラエル支持は、ユダヤ教徒への配慮ではなく、彼らの「終末思想」に由来している。

かつて、ジェラルド・L・K・スミス、ウィリアム・ダドリー・ペリー、ウィリアム・カルグレン、ウェスリー・スィフト、ウィリアム・L・ブレシングらのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)は「アメリカにユダヤ教徒がいなくなれば、キリスト教国としてより純粋になる」と主張していた。 プロテスタント極右派は、自分たちの優越さを主張する目的で、黒人キリスト教徒に対しては肌の色を持ち出したが、ユダヤ教徒に対しては、ユダヤ教徒はイエス・キリストの神性を受け入れなかったから救われなかったと考え、自分たちはイエス・キリストの神性を受け入れたから救われたと考え、ユダヤ教徒より優位に立つと考えている。 従って、プロテスタント極右派は、キリスト教こそユダヤ教が完成したものであることをユダヤ教徒に示すことで、ユダヤ教徒をユダヤ教から救ってやらないといけないと思っている。

当然、アメリカのユダヤ上層階級は、この様な押し付けがましい改宗要求に大反発して、プロテスタント極右派と交渉を持とうとはしなかった。 その代わりに、アメリカのユダヤ上層階級はカトリック教徒やプロテスタント穏健改革派とは良好な関係を築いていた。 1948年から1967年にかけて、アメリカのユダヤ上層階級は、カトリック教徒を代表する「全国カトリック教徒正会議」の幹部たちや、プロテスタント穏健改革派を代表する「全国教会会議」の幹部たちと定期的に友好的な集まりを持っていた。 しかし、1967年の第三次中東戦争が切っ掛けとなり、カトリック教徒やプロテスタント穏健改革派の中に、イスラエル政府のやり方やアメリカ人の対イスラエル観に対して疑問を持つ者が増えてきた。 そして、アメリカのユダヤ上層階級とカトリック教徒やプロテスタント穏健改革派との良好な関係に微妙な変化が生じてきた。 例えば、プロテスタント穏健改革派を代表する「全国教会会議」の理事であるフランク・マリア博士は次のように語っている。「1967年の第三次中東戦争以前、アメリカ人はイスラエル共和国をアラブ諸国という圧倒的な巨人たちにただ独り立ち向かう『ダビデ少年』と見ていたのである。 ところが、イスラエル空軍がふいに近隣諸国に襲いかかった。 パール・ハーバー攻撃の日本軍のように、エジプト空軍に襲いかかり、敵に迎撃する余裕すら与えず、地上で飛び立てないでいる敵機を破壊してしまった。 イスラエル地上軍は、西はシナイ半島へ攻め入り、これを占領し、東はエルサレムのアラブ地区、更にヨルダン川西岸地区を占領し、北はゴラン高原を占領してしまった。  〈中略〉  1967年の戦争の間、毎日、私はテレビでイスラエル兵がエジプト兵を、蟻を潰すように殺している光景を見ていた。  〈中略〉  私は、アレンビー橋の上でイスラエル兵がパレスチナ女性とその子供らを短剣で突き刺し、ヨルダン川へ突き落とす場面もテレビで見ていた。 その女性の姿が私の母や妹とダブって見えたものである。 ところが、多くのアラブ人がイスラエル兵に殺害される光景をテレビで見たアメリカ人の多くが拍手喝采していたのである。 私はアメリカで生まれた。 生まれてこのかた、良きアメリカ人たろうと努力してきたつもりである。 1942年以来、私はアラブ諸国に親アメリカ的な平和政策をとらせる一助にと思い、人道主義的教育政治活動を行なう団体で働いてきた。 これは私に言わせれば、アメリカが最優先すべき世界政策である。 そんな私が、多くのアラブ人が殺されるのを見て拍手喝采しているアメリカ人をこの目で見たのだから、目の前が真っ暗になったのです」。

第三次中東戦争を境に、プロテスタント穏健改革派がイスラエル共和国を支持しなくなったと警戒するユダヤ人シオニストが増えた。 実際は、今日に至るまでアメリカのプロテスタント穏健改革派の指導部は依然として親イスラエルであり(その意味でプロテスタント穏健改革派もキリスト教シオニストだと言える)、イスラエル政府に対して強い異論を唱えることはないのだが、将来、それが変わるかもしれない、と神経を尖らせるユダヤ人シオニストが増えた。 そして、イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)の多くは、プロテスタント穏健改革派よりもプロテスタント福音派のほうが、自分たちの権益を確実に守ってくれることに気付いた。 なにしろ、プロテスタント福音派の中の最右派(キリスト教原理主義者4000万人)は「神はイスラエル軍がアラブの領土を奪える限り奪うことを望んでいる」と、心底から信じている。 そして、プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)にとって、イスラエル共和国は自分たちの救済と直結した宗教的関心の対象である為、プロテスタント極右派はアメリカ政府の全ての外交政策においてイスラエル共和国に最優先権を与えようとする。 イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)は、プロテスタント穏健改革派にはプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)の狂信的戦闘性に匹敵する力が無いことを深く感じとった。 イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)には、イスラエル共和国に絶対的な支持を与えるプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)のほうが頼もしく見えた。 このようにして、イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)は1967年の第三次中東戦争を境に現実的判断でプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)とがっちり手を組んだのである。

ニューヨークのユダヤ上層階級のスポークスマンで、ニューヨーク大学大学院の教授でもあるアーヴィング・クリストルは次のように率直な意見を述べている。「プロテスタント穏健改革派は守勢に回ったのだから、我々ユダヤ系アメリカ人は彼らから足を抜くべきだ。 我々追い詰められた者は、味方の選り好みをしている余裕はない。 プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)が強力な親イスラエル姿勢を打ち出しているのだから、我々ユダヤ系アメリカ人は一挙にプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)を支持すべきである」。

「ADL」(ユダヤ名誉毀損防止連盟)のネイサン・パーラマターは、イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)とアメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)とが1967年の第三次中東戦争を境に互いにがっちり手を組んだ事情について、次のように本音を明かしている。「キリスト教原理主義の聖書解釈では、土壇場では全てのユダヤ教徒がイエス・キリストを受けいれるか、人類最終戦争で殺されるしかないということになっているのは知っている。 しかし、イスラエル共和国を支持してくれる勢力は貴重な味方だから、彼らを歓迎しないわけにはいかない。  〈中略〉  メシアが出現すれば、どちらを選ぶかはその時次第だ。 今のうちは主をたたえ、弾薬を回してもらおうではないか」。

世界シオニスト機構のアメリカ支部理事を務めるジャック・トーシナーも、ユダヤ人がプロテスタント極右派と提携するのは当然だという。「われわれは、プロテスタント極右派こそがシオニストの味方だという結論に達せざるを得ない。 プロテスタント穏健改革派は味方ではないのだ」。
イスラエル首相直属のハリー・ハーウィッツは「イスラエル政府はプロテスタント極右派の支持を歓迎する」と強調し、次のように断言した。「プロテスタント極右派は強力にイスラエルを支持してくれており、アメリカ国内での支持団体を動員する際には同派を最優先するつもりである」。
アメリカの著名なキリスト教原理主義者ジェリー・フォルウェルは次のように主張する。「神がアメリカを育てあげられた目的はただ2つ、イスラエル共和国をあらゆる敵から守り抜くこと、イスラエル共和国を世界福音伝道運動の基地とすること、である。 この2つの目的を抜きにすれば、アメリカの存在意義は消し飛んでしまうのだ」。
アメリカの著名なキリスト教原理主義者パット・ロバートソンのテレビ局「希望の声」は反アラブ・反イスラム声明を盛んに流し、イスラエル軍のアラブ領土占領を熱烈に支持した。
アメリカの著名なキリスト教原理主義者ビリー・グラハムの義父で、『クリスチャン・トゥデイ』を主宰するネルソン・ベルは、第三次中東戦争におけるイスラエルの圧倒的勝利とエルサレム全市の占領に狂喜し、次のように述べた。「第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的に勝利したことにより、2000年以上たって初めてエルサレムが完全にユダヤ教徒の手に戻ったのを見て、私のように聖書を研究する人々は感激し、聖書の正確さと有効さを再確認したのである」。

このように、イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)とアメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)とは1967年の第三次中東戦争を境に互いにがっちり手を組んだのである。 そして、どちらの指導者も、アメリカとイスラエルの両国で核兵器と通常兵器を無際限に増産していくことを主張している。 伝えられるところでは、イスラエルは大量の核爆弾(200発〜400発)を保有しているが、プロテスタント極右派の中には、イスラエルにもっと核兵器を持ってほしいと思っている者が少なくないという。 イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)もアメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)も国粋主義的・軍国主義的で、聖地エルサレム崇拝を核心とする教義を持っている。

念のために触れておくが、イスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)とアメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)との蜜月関係が今後ずっと続く事はないだろう。 ある段階に入れば、両者は血で血を洗う深刻な対立関係になることは否定できない。 なぜならば、先に述べたように、アメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)は今でも「ユダヤ教徒は人類最終戦争(ハルマゲドン)で殺されるか、キリスト教に改宗してボーンアゲイン・クリスチャンになるか、2つに1つの運命だ」と本気で信じている為だ。 プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)にとって、ユダヤ人シオニストは自分たちの野心を遂行する上での駒でしかない。 尤も、ユダヤ人シオニストも同じことを考えているだろう。

『フィガロ』誌の大記者で国際政治の専門家として活躍しているエリック・ローランが次のような鋭い指摘をしている。 参考までに紹介しておきたい。
「20世紀後半、ユダヤ人シオニストとキリスト教原理主義者は密接な関係を結んできた。 ワシントンのイスラエル大使館はキリスト教組織の指導者と幹部を定期的に招待して、歩調を合わせている。 しかし、これはあいまいな『同盟』である。 キリスト教原理主義者がユダヤ教徒を支持するのは、ユダヤ教徒やユダヤ教に敬意を払うからではなく、聖書の預言を信じているからにほかならない。 従って、彼らの友好的な関係の背景には、常に灰色の部分が存在している。  〈中略〉  キリスト教原理主義者がイスラエルを支持するのは、それがユダヤ教に対するキリスト教の最終的勝利につながると信じているからである。 キリスト教原理主義者にとって、中東の危機は聖書の中で預言されていることである。 キリスト教原理主義者の考えでは、終末の到来が実現するためには、ユダヤ教徒がパレスチナを完全に占領することが不可欠であり、人類最終戦争(ハルマゲドン)のときには、ユダヤ教徒の多くがキリスト教に改宗し、キリスト教に改宗しないユダヤ教徒と、イスラム教徒を初めとする異教徒が地獄に堕ちて滅び、自分たち正しい人間だけがイエス・キリストに導かれて天国の門をくぐるという」。

第5章  アメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)の終末思想「千年王国前説」
アメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)の終末思想については先に簡単に述べたが、ここでもう少し詳しく述べよう。 現在、アメリカには「人類最終戦争(ハルマゲドン、核兵器による世界戦争)」をタレ流すテレビ伝道師が多数存在する。 例えば、ハル・リンゼイ、パット・ロバートソン、ジミー・スワガート、ジム・ベイカーなどである。「人類最終戦争」はプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)の終末思想の核心的観念であり、プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)に固有のものである。「人類最終戦争」をタレ流すテレビ伝道師たちはアメリカ社会では大人気である。 1985年10月に発表されたニールセン調査は「6100万人ものアメリカ人が、自分たちの存命中に核戦争が起きることを防ぐ手立てが全くないと告げるテレビ伝道師の番組をコンスタントに見ている」と発表した。 テレビ伝道師パット・ロバートソンの「700クラブ」(連日放映の90分番組)は1600万世帯で見られており、テレビ伝道師ジミー・スワガートの伝道番組は925万世帯で見られており、テレビ伝道師ジム・ベイカーの伝道番組は600万世帯で見られている。 これらのテレビ伝道師たちはプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)の終末思想のうち、「人類最終戦争(ハルマゲドン)」を特別に強調する。「人類最終戦争(ハルマゲドン)」の主要部を作った人物はキリスト教原理主義の第一人者であるハル・リンゼイである。 ハル・リンゼイは1970年代に登場し、川船の船長からボーンアゲイン・キリスト教徒に転身し、「キリストのための大学十字軍」の幹部として8年間全米の大学を巡回説教し、それをまとめた著書『今は亡き大いなる地球』は全米で1800万部も売れた。 続編『1980年代 秒読みに入ったハルマゲドン』 『新世界がくる』 『戦う信仰』 『ホロコーストヘの道』も人気が高く、アメリカ人の意識の底流を作り上げた。

アメリカのプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)の終末思想は「千年王国前説(千年王国前再降臨説)」と言われているものである。 この説は「携挙」と「人類最終戦争」と「キリスト再降臨」と「千年王国」と「最後の審判」がこの順に起きるとするものである。「携挙」とは、人類最終戦争の直前にキリストが天空に現れ、キリスト教徒だけを生きながらに天空に引き上げ、緊急避難させるというものである。「携挙」という観念も「人類最終戦争」と同様にプロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)に固有のものである。 ハル・リンゼイは、高速道路を走行中の車の運転者が携挙され、運転者を失った車がめちゃくちゃにぶつかり合い、携挙されなかった者が無残に死んでいく光景を描き出した。

アメリカの開拓時代初期には「比較的穏やかな千年王国前説」が優勢だった。 その指導者は、魔女裁判を断行し、ピューリタニズムの礎を築いたインクリースとコットンのメイサー父子だった。 だが、彼らに対抗して、ジョナサン・エドワーズ(神学者、1703年〜1758年)が「千年王国は新世界アメリカでこそ、ハルマゲドンなどの大量殺戮なしに、自然な過程で成立する」と主張し、キリスト再降臨が千年王国後に起きるとする「千年王国後説(千年王国後再降臨説)」を唱え、この千年王国後説が南北戦争(1861年〜1865年)の頃まで優勢であった。 千年王国後説を支持するアメリカの牧師らはアメリカだけでなく、アフリカ・中国・日本などで伝道し、できるだけ多くの人々をキリスト教に改宗させれば、千年王国を地上に呼び込めると考えた。 しかし、南北戦争後、千年王国後説は衰えて、「非常に過激な千年王国前説」が優勢になった。 現在、プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)はこの「非常に過激な千年王国前説」を主張している。 プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)によれば、彼らの「千年王国前説」は次の順に進展する。
【1】 ユダヤ王国再建。 (彼らは1948年のイスラエル建国で実現したと解釈している)
【2】 携挙(rapture)。 人類最終戦争(ハルマゲドン)が起きる直前にキリスト教徒だけが天空に引き上げられて、人類最終戦争の大災害を免れる。
【3】 人類最終戦争(核兵器による世界戦争)が起き、携挙されなかった者(キリスト教徒でない者)の大多数は死ぬ。
【4】 人類最終戦争後の患難時代。 地球上では生き残った非キリスト教徒の集団が軍隊を作り、戦争と荒廃の時代が続く。
【5】 キリスト再降臨(second coming)。 キリストが、天国に避難していたキリスト教徒と共に地上に再降臨し、地上の非キリスト教徒の軍隊を滅ぼし、非キリスト教徒を抹殺し、地上に存在する人類はキリスト教徒だけになる。
【6】 千年王国(the millennium)の開始。 キリストが人類(キリスト教徒)の王となり、エルサレムを地上世界の首都として、地上世界を統治する。 地上世界ではキリスト教徒だけが暮らす至福の時代が千年間に渡って続く。
【7】 最後の審判。 千年王国の末期に悪魔にたぶらかされた信徒団の反逆があり、それが平定された後、最後の審判がある。 最後の審判では自分たち(キリスト教原理主義者)だけが合格する。 キリストは地球をスクラップにして、自分たち(キリスト教原理主義者)だけを地球以外の天体へ移住させる。

プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)はこの「千年王国前説」を文字通りに信じている。

既に何度も触れたように、現在、プロテスタント極右派(キリスト教原理主義者)とイスラエル政府要人とは互いに手を組んでいる。 いわゆる「シオニスト同盟」である。 元来、プロテスタント極右派は、キリストを殺したユダヤ教徒を憎み続けてきたので、イスラエル政府要人と同盟を結ぶことなど思いもよらなかった。 しかし、イスラエル建国でユダヤ王国再建という【1】が実現したと解釈してからは、プロテスタント極右派のイスラエル傾斜は急ピッチとなった。 そして、1967年の第三次中東戦争でイスラエル軍が圧倒的な強さを世界に見せつけると、アメリカのマスメディアは「無敵のイスラエル人」とか「彼らは間違いを犯すはずがない」とか言って、騒ぎ立てた。 そして、プロテスタント極右派とイスラエル政府要人(ユダヤ人シオニスト)とは互いに益々親密な関係になった。

先に述べたように、イスラエルは大量の核爆弾(200発〜400発)を保有している。 プロテスタント極右派の中には、イスラエルにもっと多くの核兵器を持ってほしいと思っている者が少なくないという。 プロテスタント極右派は、近い将来、「人類最終戦争(ハルマゲドン)」がイスラエルの「メギドの丘(ハル・メギド)」で起きると信じている。

コロラド大学教授アイラ・チャーナスは著書『ドクター・ストレンジゴッド 核兵器の象徴的意味』の中で次のように述べている。「終末思想(ヨハネ黙示録の終末論)はキリスト教の中核をなす。 従って、これは当然、西欧文明の中核的要素となる。 西欧文化に触れる場合、この終末思想に則った歴史観に触れずに済ますわけにはいかない。 単純な終末思想を基礎にしたテレビ映画『スター・ウォーズ』が今日最も人気のある作品となったのは偶然ではない」。

終末思想はユダヤ教やキリスト教だけでなく、イスラム教にもある。 イスラム教も痛烈な終末思想を持つ宗教である。 コーランには「復活の日」という言葉が70回も、「その日」が40回も出て来て、いろいろな形で「終末」に言及している。 また、「艱難こそが神の国の実現を早めてくれる」という倒錯がユダヤ教・キリスト教・イスラム教の根幹にある。 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は共にセム系一神教であり、兄弟宗教である。