イスラエルが世界に誇る対外諜報機関「モサド」

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「モサド」はイスラエルが世界に誇る対外諜報機関である。 イスラエル国が出来たとき(1948年〜1949年)、イスラエル国には5つの情報機関があった。 第1は「シンベト」で、これは国内治安を受け持つ秘密警察であり、イギリスのMT5に相当する。 第2は「アリアベト」で、これは当時アラブ諸国からイスラエル国に移住しようとした多くのセム系ユダヤ人を援助した機関である。 第3は外務省の情報部である。 第4は警察の情報部である。 第5が「シャイ」と呼ばれる対外諜報を専門とする機関である。 1951年に情報機関の再編成によって「シャイ」は2つの機関に分割された。 その一つが軍の諜報機関「アマン」で、もう1つが「モサド」である。 モサドはイスラエル国外での諜報を受け持っている。「モサド」という名はヘブライ語の「諜報及び特別工作」の略である。 モサドの初代長官はルーヴェン・シロアというポーランド生まれのユダヤ人だったが、彼は1年足らずで辞任した。 後任はイサー・ハレルであり、彼はモサドを世界最強の諜報機関と言われるまでに仕立て上げ、今日でも現役のモサド工作員から「ミスター・モサド」と崇められている。 1963年、イサー・ハレルがモサド長官の職を辞し、後任としてメイヤー・アミットが就いた。 彼は軍隊で超エリートコースを歩み、わずか39歳でアマンの長官となり、その2年後にモサドの長官となった。 モサドに詳しい人いわく、「イサー・ハレルはモサドの強力な土台を作り、メイヤー・アミットはそれを高層ビルに仕立て上げた」と。 モサド工作員が世界各国で行なっている日常的な任務の中では、アイヒマンの逮捕・拉致のような華々しい任務は少数である。 モサド工作員の任務の大半は、イスラエルに敵対する勢力に関する情報の収集・分析と、イスラエルに敵対行動を起こしている人間を暗殺することである。 前事項では、各国に派遣された工作員は現地で信頼できる協力者を見つけて仲間に引き入れながら、成果が表に出ないよう地道な作業を通じて、イスラエルの安全保障を陰で支える。 後事項では、暗殺工作員と協力者は、イスラエルに敵対行動を起こしている勢力に近づき、ナイフや拳銃や素手で1人また1人と「イスラエルの敵」を殺す。 更に、政治的理由によりイスラエルと国交のない国に派遣されて、非公式な外交関係を水面下で構築・維持することも、モサド工作員の役割である。