モサドの暗殺チームは、マイク・ハラリ率いる暗殺チーム以外にも、複数のチームがあった。 例えば、アフナーという男が率いる暗殺チームが存在した。 この暗殺チームの活動については、ユダヤ人作家ジョージ・ジョナスが書いた『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』(新潮社)というノンフィクション小説の中で詳しく紹介されている。 ただし、この小説に登場する当事者(アフナーら)は全て「仮名」であるので、要注意。
『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』は、モサド暗殺チームの隊長を務めた男の告白に基づく壮絶な復讐の記録である。 この本によれば、アフナー率いるモサド暗殺チーム(5人で編成)は、モサドの上官から11人の顔写真付き暗殺リストを受け取ったという。 この暗殺リストのトップに挙げられていたのはアリ・ハッサン・サラメで、2番目は「黒い九月」の創設者アブ・ダウドであったという。 とりあえず、この下に、アフナー率いるモサド暗殺チームの暗殺歴を簡単にまとめておく。
1972年10月16日 ワエル・ズワイテル(暗殺リスト4番目の男) ローマのアパート内で射殺。
1972年12月8日 アフムド・ハムシャリ(暗殺リスト3番目の男) パリのアパート内の電話に仕掛けた爆弾で殺害。
1973年1月24日 フセイン・アバド・アッ・シル(暗殺リスト10番目の男)キプロスの首都ニコシアのホテルのベッドに仕掛けた爆弾で殺害。
1973年4月6日 アル・クバイシ博士(暗殺リスト5番目の男) パリの路上(交差点)で射殺。
1973年4月10日 カマル・ナセル(暗殺リスト6番目の男)、ケマル・アドワン(暗殺リスト7番目の男)、アフムド・ユーセフ・ナジャール(暗殺リスト8番目の男) レバノンの首都ベイルートのアパート内で射殺 (ベイルート特攻作戦)。
1973年4月13日 ズアイド・ムシャシ アテネのホテルの部屋に仕掛けた焼夷弾で殺害。
1973年6月28日 モハメド・ブーディア(暗殺リスト9番目の男) パリで車のシートに仕掛けた爆弾で殺害。
1974年1月12日 3人のアラブ青年 スイス領内の小さな町の教会内で射殺(グラールス事件)。
1974年8月20日 ジャネット(オランダ人の女殺し屋) オランダの港町ホーンのボートハウス内で射殺。
1974年11月8日 アラブ少年 スペインの港町タリファのパレスチナ・ゲリラの別荘の庭で射殺。
アフナー率いるモサド暗殺チームは、1975年にモサドの上官から作戦中止命令を受け、解散した。 結局、アフナー率いるモサド暗殺チームは、暗殺リストのトップに挙げられていたアリ・ハッサン・サラメと2番目のアブ・ダウドと11番目のワディ・ハダド博士を殺すことができなかった。 また、作戦実行中にアフナーは3人の仲間を失い、暗殺リストに載っていない人間を6人も殺した。 しかし、アフナーはイスラエルでは英雄になっているという。