世界を震撼させたPFLPによる世界初のハイジャック事件  国際テロの幕開け

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1967年6月の第三次中東戦争(6日戦争)で、イスラエル軍は圧倒的な強さを見せ付け、エジプト・シリア・ヨルダンの正規軍はイスラエル軍の電撃的な奇襲攻撃により完敗した。 エジプト・シリア・ヨルダンは航空機410機・空港・レーダーサイトなどを失い、この3ヶ国の航空戦力は壊滅した。 この3ヶ国はイスラエル軍の戦死者730人の20倍を越える1万5千人の戦死者を出し、戦車や装甲車などの大量の兵器を奪い取られた。 この戦争によってイスラエルはガザ地区・ヨルダン川西岸地区・シナイ半島・ゴラン高原を占領した。 これにより、イスラエルの領土は4倍強に膨れ上がった。

イスラエルの国内治安局「シンベト」の治安維持活動もあって、PLOは占領された地域の住民を蜂起させることに失敗していた。 1968年、イスラエル政府は、PLOの活動家が欧州の過激左翼集団から有志を募っているとの断片情報を友好的な欧州諸国の諜報機関から何度か受けとった。 その有志募集活動は、PLO内の一組織であるPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の活動家により行なわれていた。 彼らはイタリア・オランダ・フランス・西ドイツを飛び回り、イデオロギー的連帯意識に訴え、財政的な支援で欧州青年たちの気をひき、イスラエルや帝国主義国に対して闘うよう説得した。 PFLPの活動家の呼びかけに共鳴した数十人の有志たちがヨルダンやレバノンに送り込まれ、ゲリラキャンプで訓練を受けた。

中東域外で暗躍するパレスチナ人が何を企んでいるのかと、イスラエル諜報機関が探っている中で、1968年7月23日、PFLPは、ローマからテルアビブに向かっているイスラエル国営エルアル航空ボーイング707型426便をハイジャックし、北アフリカのアルジェリアに着陸させた。 PFLPはこのハイジャックにより、戦場で100人のイスラエル人を殺すことよりもずっと効果的な戦術を見せつけ、世界中を驚かせた。 この当時、「ハイジャック」という言葉はまだ世界には定着していなかった。 このハイジャックの実行犯はPFLPのメンバー3人だった。 イスラエル諜報機関は成す術もなく、事の推移を見守るしかなかった。 乗員と搭乗員らはアルジェリアで3週間も人質にされた。 イスラエル政府が要求に応じて12人の負傷ゲリラを釈放することで、やっと人質たちが解放され、世界初のハイジャック事件はケリがついた。

PFLPはこのハイジャック事件により、それまでのどんな闘争よりも世界中にパレスチナ人の存在をアピールすることに成功した。 これに味をしめた彼らは、この年だけで外国航空機を13機乗っ取った。 1968年12月26日には、PFLPのメンバー2人がアテネ空港に寄港中のイスラエル航空機に手榴弾を投げ、銃撃し、イスラエル人乗客1人を殺害し、スチュワーデス2人を負傷させた。