おまけ情報

その1
濱田政彦氏は著書『神々の軍隊』(三五館)の中で、次のように述べている。
「日本の場合と同じくドイツの場合も、まず中小資本家がヒトラーとナチスを援助して育て上げ、その後ナチスの勢いに目を付けた大金融資本家が相乗りしてヒトラーを煽り、東西対立ショーの役者に仕立て上げたのである。 だが、ヒトラーの本質を全く理解していなかった彼らは、手下であるはずのヒトラーが力をつけたとたん、自分たちに牙を向けてきたことに愕然とした。  〈中略〉 ともすると、我々は国際金融資本家を一致団結した一つの集団として認識しがちだが、ヒトラーを取り巻く投資家グループを見てもわかるように、彼らは常に『誰に投資すれば一番儲かるのか』という貨幣投資の能率を基準にして動いており、その先物投資の理論からすれば、投資先の政治信条や思想信念は二次的なものでしかないのである。 早い話、儲けのためなら敵にすら投資するのだ。 彼らの徹底した金儲け主義の現れを象徴する一例を挙げれば、次のような実例がある。 ナチス・ドイツの金庫番の蔵相シャハトが、ロンドンの金融中心地シティにおいてロスチャイルド財閥をはじめとするユダヤ系銀行家たちに、ドイツ国内のユダヤ人を引き取るように取引を持ちかけたところ、この銀行家たちは一般ユダヤ人に課せられたドイツ出国税が高すぎると言って、これを値切り始めた。 結局、交渉は決裂し、このために国外に脱出できなくなった数百万のユダヤ人が強制収容所で殺される運命となったのであるが、こうした出来事には、『貨幣』の前には自民族や国家の理念などはどうでもいいという彼らの本質がよく現れているように思われる。 当時のーロッパ情勢は、ナチス・ドイツに加担する金融グループと、英米の反ナチス陣営に加担する金融グループの間の通貨競争(マネーゲーム)の投影であった。 この両グループは敵国内に支店を持ち、平時には国際金融市場で共存していたために、これら両グループの支援と指示を受けている各国の政府は、『こちらに協力しろ』というふうに両グループから圧力を受け、板挟みの中で身動きできなくなってしまったのである。 2つの椅子を前に迷ってしまった各国の政府は、初期のヒトラーの行動については目をつむり、どっちつかずの傍観姿勢をとるという、いわば2つの椅子に腰掛ける態度をとることにしたのであるが、結果として、これが『ヒトラーの奇跡』を生むこととなったのである。 かくして、いい気になったヒトラーは勝利への幻想に酔い始め、独ソ戦という無謀な“逸脱”に走っていったのである」。

その2
広瀬隆氏は著書『億万長者はハリウッドを殺す』(講談社)の中で、次のように述べている。
「“パール・ハーバー”から間もない頃、スイスの首都ベルンに『OSS』と呼ばれるアメリカの戦略局の諜報機関がオフィスを開き、ここに『サリヴァン・クロムウェル法律事務所』のアレン・ダレスが派遣された。 首都ベルンの近くにバーゼルの街があるが、ここはスイスとドイツとフランスの三国が接し、戦略上はピラミッドの頂点をなす重要拠点だった。 この三角基地バーゼルに『国際決済銀行(BIS)』があった。 第一次世界大戦のドイツ賠償金の全てを取り仕切るという名目で1930年にジャック・モルガンが設立させた特異な銀行である。 この銀行は銀行家の間で“バーゼル・クラブ”と呼ばれ、完全な秘密主義を守り抜く異様な社交場となっている。 バーゼル・クラブの真相はあまりに複雑であるため、読者に手際よく説明できる自信はない。 この当時のドイツとアメリカは、イギリス、ベルギー、カナダ、スイス、南アフリカを加えた7ヶ所にまたがる謀略が渾然一体となって、利権を追及するシンジケートに支配されていたからである。 バーゼル・クラブの総裁を務めていたトマス・マッキトリックは、モルガンが所有するニューヨークのファースト・ナショナル銀行の取締役であった。 バーゼル・クラブの重役陣には、ヒトラーを首相にしたナチ党員クルト・フォン・シュローダー男爵と、I・G・ファルベン社の社長ヘルマン・シュミッツと、ドイツ国立銀行の総裁ヴァルター・フンクが名前を連ねていた。 ナチスの資金源を取りまとめたクルト・フォン・シュローダー男爵のシュローダー銀行は、敵国アメリカに支店を持っていて、ロックフェラーとアレン・ダレスに事業を任せていたばかりでなく、もうひとつの敵国イギリスの首都ロンドンにも支店を構え、南アフリカ・アングロ・アメリカン投資会社の取り引きを引き受けていた。 このシンジケートのメンバーは戦争中の敵と味方であるため、公然と会合することが許されなかった。 密談することができる唯一の場所こそ、治外法権に守られたスイスのバーゼル・クラブだったのである。 ベルン情報網の本部長としてスイスに派遣されたアレン・ダレス(親ナチス派)は、実は70キロ先のバーゼル・クラブに絶えず出入りしていた。 彼はこの銀行(BIS)に毎日のように顔を出し、ルーズベルトとヒトラーの作戦について情報を交換していた。 これは半ば戦争の情報収集という性格を持っていたが、今日では、ダレスがワシントンに送った情報はどれもこれも周知の事実だったことが明らかにされている。 ダレスは連合軍の情報官と呼ばれるべきではなく、シンジケートの情報係と呼ばれるべきであった。 彼はよく働き、戦火は日増しに大きく燃え上がり、シンジケートの金庫はみるみる膨れ上がっていった。 しかし、1943年2月6日から、バーゼル・シンジケートにとって思いがけない事態が持ち上がった。 イギリスとアメリカの爆撃機が、ドイツの都市に空襲を開始したのである。 ここでシンジケートにとって戦争の性格が変わったことはいうまでもない。 アメリカとドイツの投機業者が仕組んだシナリオ通りには戦争は推移しなかった。 いまやクルト・フォン・シュローダー男爵自身の体が危険にさらされているばかりか、ドイツ国立銀行、I・G・ファルベン社、アダム・オペル社、クルップ鉄鋼といったシンジケートのドイツ同胞が爆撃されるようになっていた。 ここまで火をつけてしまった以上、いずれかの政府が“参った”と宣言するまで、殺し合いを続けなければならなかった。 ヒトラーとルーズベルトは、いずれも相手の絶滅を国民に約束して戦闘に踏み切っていた。 アレン・ダレスに関する書物によれば、このドイツ空爆からわずか1週間ほどあとに、ナチス親衛隊(SS)の秘密工作員2名がシューデコッフ博士とホッヘンロー二皇太子の偽名を使ってスイスに潜入し、アレン・ダレスと会談している。 このときのアレン・ダレスが伝えた結論は『ヒトラーに退いてもらい、第三帝国を別の人間が継承する』というものだった。 しかし、これはナチス親衛隊向けの、やわらかい表現である。 実際には、シンジケートの意向は、「もはやヒトラーを利用する時期は終わった、できる限り早く奴を抹殺し、ドイツの工業界が破滅するのを食い止めるべきだ」というものだった。 1944年5月12日には、アメリカの第8空軍機935機がドイツ上空に現われ、この一千機近い爆撃機がドイツの中央部と東部にある重油工場を壊滅させ、ドイツ軍需産業の終わりを決定づけた。 アメリカの超富豪モルガンとロックフェラーが手を組んだのはヒトラーではなかったのである。 彼らはドイツの銀行家や工業家と手を組み、全員で寄ってたかってヒトラーを利用し、ファシズム旋風を巻きあげ、今、それが行き過ぎだったと気づいた。 盟友の『クルップ鉄鋼』は工場の3分の1が爆撃で破壊されていた。 このシンジケート団はファシストでなく、投機業者である。 ファシストを利用する時もあれば、逆の力を利用する時もある。 だが、ヒトラーは自分を神だと感じはじめていた。 ムッソリーニが逮捕され、ヒトラー批判がいよいよドイツ上層部で火を噴きはじめても、ベルリン空襲のなかでヒトラーは独裁者の地位をおりなかった。 1944年6月16日、ドイツがロンドンにV1ロケットを発射したとき、自分の支店をロンドンに構えていたシュローダー男爵の驚きは、いかばかりだったろう。 ヒトラー暗殺未遂事件が起こったのは、その1ヵ月後のことである。 ところで、ドイツの絶滅を意図していた、反ナチス派の急先鋒であるルーズベルト大統領が、1945年4月12日に急死したのは本当に病死であろうか。 頭痛に襲われ、心臓病の薬を注射されたが効き目なく、ウォーム・スプリングで世を去った。 最も重要な勝利を目前にして、このような最高指導者の地位にある人間が病死するということは、人間の精神力と生理から考えて、なかなか起こり得ない現象だと思われる。 ドイツの無条件降伏を主張し続けたルーズベルト大統領の急死。 ルーズベルト大統領が消えると、謎の副大統領トルーマンが昇格した。 それからわずか16日後の28日、ムッソリーニがゲリラに捕らえられて銃殺された。 さらに、わずか2日後の30日、ヒトラーが自殺したとされる。 ヒトラーの遺体がその後どこで処分されたか、誰ひとり知る者なく、今日まで深い謎に包まれている。 仮にこの3人の急死が、何者かに仕組まれたものであれば……。 この答えを知っている人物はJ・R・ディーン少将であろう。 彼は、死亡2ヶ月前のルーズベルト大統領がヤルタ会談に臨んだとき、顧問役としてヤルタ島に同行し、連合国の首脳会談に立ち会った。 次いでトルーマン新大統領が7月17日にポツダム会談に臨んだときにも顧問役として同行し、またしても首脳会談に立ち会った。 この両会談の中間で、ルーズベルト、ムッソリーニ、ヒトラーが死亡し、ドイツが無条件降伏した。 J・R・ディーン少将は大戦後の東京軍事法廷の証言台に立ち、大日本帝国の軍人を弁護する雄弁をふるった。 『ロシアが日本を侵略したのだ。 そのロシアを日本が攻撃したのは当然の結果である』と。 枢軸国側に立つこの異様なアメリカ人の正体は明らかではない。 どこから派遣された使者か。 トルーマンの支援者ジョージ・アレンがナチスに結びつき、もうひとりのエドウィン・ポーレーがダレスに結びつく事実はスイスのバーゼル・クラブを思い起こさずにはおかない」。