ドイツ警察の司令塔「国家保安本部」

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1933年1月30日にヒトラーがドイツの政権を獲得した当時、ドイツの警察権は中央政府になく、州政府に委ねられていた。 ヒトラー政権は、ドイツの警察をナチス親衛隊の支配下に置き、ドイツの警察権の一本化を図るべく、1933年4月26日にベルリンに「秘密国家警察局」を設置した。 ヒトラーは、以前からドイツの警察の全国統一を主張していたハインリッヒ・ヒムラーをナチス親衛隊総司令官のまま秘密国家警察局長官に任命した。「秘密国家警察局」は後に「ゲシュタポ」と呼ばれるようになった。「ゲシュタポ」という名は、郵便局員が配達の際に「秘密国家警察(Geheime Staatspolizei)」を簡略化して呼んだのが広まったものだと言う。
秘密国家警察局長官に就任したヒムラーは、さっそくナチス親衛隊とドイツ警察との一体化を推し進め、就任3年後の1936年6月17日、ついにナチス親衛隊とドイツ警察との一体化に成功した。 それ以後、ドイツ警察はナチス親衛隊の支配下に置かれた。 ヒムラーがドイツ警察の指揮命令権を掌握したことは、彼が一般刑事警察をも支配できたことを意味した。 従って、この時点でヒムラーはナチス親衛隊・秘密国家警察・一般刑事警察を支配下に置き、反対勢力をほぼ完全に近い形で封殺する体制を確立した。 このあと、ナチス・ドイツは次第に戦時体制を強めていくが、ヒトラー政権は更に警察力を強化するため、1939年9月27日、ナチス親衛隊(SS)の中の1つの部局として「国家保安本部(Reichssicherheitshauptamt der SS 略号:RSHA)」を設置した。 この「Reichssicherheitshauptamt」という名称は、「国家公安本部」、「帝国治安本部」、「ライヒ公安本部」、「帝国保安中央局」とも訳される。

国家保安本部はドイツ警察の司令塔であり、従来からあるナチス親衛隊保安諜報部・秘密国家警察・一般刑事警察を総合的に指揮・運用できる機関であり、反ナチス勢力の取り締まりと治安維持を任務とした。 ヒトラーは、ナチス親衛隊保安諜報部の部長を務めていたラインハルト・ハイドリヒを国家保安本部の長官に任命し、ナチス親衛隊保安諜報部に3万人を、秘密国家警察に5万人を、一般刑事警察に1万5000人を配置した。 ナチス突撃隊(SA)を初めとする武装エリート集団の指揮命令系統は国家保安本部の中に組み込まれ、以後、ナチス戦争犯罪の指令は国家保安本部から出されることになった。

国家保安本部は7つの部局によって構成されていた。 第1局は人事局で、第2局は総務・経理局で、第3局はナチス親衛隊保安諜報部の国内局で、ドイツ国内(占領地域を含む)での諜報を担当した。 第4局は秘密国家警察局「ゲシュタポ」である。 ゲシュタポは逮捕を行なう権利、及び、敵の捜索・弾圧の権限を有した。 ゲシュタポの長官はハインリッヒ・ミュラー中将で、彼は大戦終結後、南米に亡命したとされ、今に至るもその消息は不明である。 第5局は一般刑事警察局「クリポ」である。 これは普通の警察と同じ業務をすると同時に、悪名高い「アインザッツグルッペン」(警察特別行動部隊)を指揮し、占領地区におけるユダヤ人狩りや物資や金品の掠奪を行なった。 クリポの局長はアルトゥール・ネーベ中将で、良心の呵責からか後に反ナチ運動に関わるようになり、1944年7月20日のヒトラー暗殺計画に関わったとして処刑された。 第6局はナチス親衛隊保安諜報部の外国局である。 これはドイツ国外における情報収集活動を担当し、敵対国や中立国や同盟国における諜報活動や特殊作戦などを任務とした。 第6局の局長はヴァルター・シェレンベルク少将であった。 第7局は思想調査局で、ユダヤ教・自由主義・マルクス主義・フリーメーソンなど、敵のイデオロギーを調査・研究した。
国家保安本部は1941年5月に「アインザッツグルッペン」を再編成した。「アインザッツグルッペン」のAからDまでの4個部隊は、東方占領地(ポーランド、バルト三国、ウクライナ、ロシアなど)で反ドイツ分子やユダヤ人・ジプシー(ロマ)・共産主義者を山奥の村々にまで踏み入って虐殺し、物資や金品の掠奪を行なった。「アインザッツグルッペン」は奇襲効果を上げるため、前進する陸軍部隊の前衛のすぐ後方について行動した。 戦闘中にドイツ軍がソ連軍に押され、陣形が崩れてドイツ軍部隊が後退する所に立ちはだかり、ドイツ軍兵士の後退を敵前逃亡と見なして多くの兵士を殺害し、再び前進させるために兵士たちをけしかけるなど、汚れ仕事全般を引き受けていた。「アインザッツグルッペン」の指揮官には国家保安本部の所属者が充てられ、一般隊員は武装親衛隊と警察連隊と陸軍とから補充された。「アインザッツグルッペン」は1943年に解体され、各部隊の上級指揮官たちは国家保安本部に復帰し、一般隊員は占領地区の保安警察・保安情報部に編入された。