リトルボーイ (Little Boy) は、第二次世界大戦においてアメリカ軍が広島市に投下した原子爆弾のコードネームである。 これは人類史上初めて実戦で使用された核兵器である。
■概要
全長3.12m、最大直径0.75m、総重量約5t。 番号はMk.1。 ウラン235を用いており、パイプの両端に置かれたウラン235の塊の一方を火薬の爆発力でもう一方のウラン塊にぶつけ、臨界量を超過させて核爆発させるというガンバレル型である。 (ガンバレルとは銃身のこと)。 積載されたウラン50kgのうち1kgが核分裂反応を起こしたと推定されている。 核出力はTNT換算で約15ktである。
■開発
ガンバレル型の原子爆弾がどのように設計されたのかはいまだに機密扱いであり、公表されていない。 リトルボーイはナチス・ドイツ製、もしくはそのコピーであったのではないかという噂がある。
■実験
1945年当時、この方式を検証する為の大気圏内での核実験は行なわれなかった。 大気圏内での核実験による検証を経たのは、プルトニウムを使った爆縮方式のものが1945年7月16日、アメリカ・ニューメキシコ州アラモゴード近郊のアラモゴード爆撃試験場(現:ホワイトサンズ・ミサイル実験場内「トリニティ・サイト」)で行なわれたのみである。 これは一般には、既にウラン235を使った核分裂実験が原子炉内で行なわれていた為、大気圏内での核実験による検証が不要であったとされているが、実際は大気圏内での核実験を行なうことで高濃縮ウランが不足し、この方式の原子爆弾の戦線への投入に遅れが生じることをアメリカ軍が嫌ったというのが真相のようである。
■安全性
ガンバレル型の原子爆弾は安全性に大きな問題を持つ為、作られなくなったと言われている。 完成したガンバレル型の原子爆弾は、推進爆薬が点火されると必ず核爆発を起こしてしまう構造になっており、安全装置がない。 その為、ガンバレル型の「リトルボーイ」を搭載したB-29が墜落したり、何かのミスで「リトルボーイ」投下前に推進爆薬が点火されるなど、万が一の場合に備え、「リトルボーイ」を搭載したB-29に原爆の技術者を同乗させ、その者が「リトルボーイ」投下の直前に手作業で爆弾内に推進爆薬を詰めこむという安全対策が採られたほどである。
ガンバレル型の原子爆弾は、たとえ推進爆薬が無くても、弾頭部が標的に突入すれば、そのときの衝撃によって、2つのウラン塊が合体し、核爆発の起きる可能性が十分に高く、海中に落下すれば、爆弾内に流入した水が変調装置として働き、臨界状態になる可能性があり、周囲一帯を危険地域として閉鎖せざるを得なくなる。 これらの危険性を排除する為の安全装置の開発は不可能であるとされ、ガンバレル型の原子爆弾は製造されなくなった。
「ナチスが核実験」 独歴史家が新説【ベルリン=熊倉逸男】(東京新聞 2005年3月16日)
ナチス・ドイツが核兵器開発を実用化直前まで進め、核実験も実施していた──との新説を紹介した本『ヒトラーの爆弾』が14日、ドイツで出版され、信憑性をめぐり論議を呼んでいる。 著者のベルリン・フンボルト大学講師の歴史家ライナー・カールシュ氏によると、ナチスは1944年から45年にかけてベルリン近郊に原子炉を設置し、濃縮ウランを使った小型核兵器を開発。 1945年3月3日、ドイツ東部チューリンゲンで核実験を行なった。 被害は半径約500mにわたり、近くの強制収容所の収容者ら約500人が犠牲になった。 開発は、ヒトラーらナチス指導層も承知していたという。 新たに発見された旧ソ連軍の史料や証言記録、実験場所とされる土壌から放射能が検出されたことなどを「核実験説」の根拠としている。 ドイツでは1930年代から核開発が進められたが、ナチスは兵器化に熱心ではなく、ナチスの核兵器保有を懸念した科学者らの訴えを聞いた米国が先んじて、原爆を開発した──というのがこれまでの定説だった。 独メディアは新史料発見を評価する一方、「核実験説」の説得力不足を指摘している。
ライナー・カールシュは主にロシア・旧東ドイツ・西側などの公文書館で発見した「新史料」に基づいて、この本を書いたとのことである。 ナチス・ドイツが核兵器を実戦に投入しなかった理由は、量産が困難だった為と、起爆装置と運搬手段に重大な問題が残されていた為であるという。
「ナチスの核兵器 図面あった」 独の歴史家らが発表【ロンドン=岡安大助】(東京新聞 2005年6月3日)
第二次大戦中にナチス・ドイツが開発した核兵器の図面を発見したと、ドイツの歴史家らが1日発表した。 実際に組み立てられたかは不明。 実用化の段階に達していたとは言えないが、これまで考えられていたよりナチスの研究は進んでいたとしている。 発表したのは、ベルリンに拠点を置く歴史家ライナー・カールシュ氏ら。 英科学誌『フィジックス・ワールド』6月号に掲載された論文によると、図面はドイツかオーストリアの科学者が1945年5月のドイツ降伏後、個人的に書いたとみられる文書の中から見つかった。 この文書は核開発に関するリポートだが、タイトルや執筆した日付は記載されていない。 カールシュ氏らは『水爆研究に取り組んでいたことは明らかだ』と指摘している。 同氏は今年3月、旧ソ連軍の史料などを基に著書『ヒトラーの爆弾』を出版。 ナチス・ドイツが核実験をしていたという新説を主張し、信憑性をめぐって論議を巻き起こした。 これまでは、ドイツの核開発は1930年代から進められたが、ナチスは兵器化に熱心でなく、米国が先んじて原爆を開発したとされている。