アメリカの極秘文書が伝えるヒトラーの素顔

原文はこちら→ http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc611.html

一般的に「アドルフ・ヒトラー」という名前は「気違い」の代名詞であり、アドルフ・ヒトラーという人物は20世紀最大の悪魔とも言われている。「ヒトラーは性的変質者で、睾丸がひとつしかなかった」などと、まことしやかに言われ、彼が精神異常者であるという印象は多くの人に受け入れられている。 精神分析学の創始者で、ナチスの迫害を受けていたユダヤ人ジクムント・フロイトがヒトラーを「狂人が何をしでかすか、予想できない」の一言で片付けてしまったように、ナチス・ドイツの敗北後、多くの精神医学者はヒトラーを「精神病」と見なしてきた。 ナチス親衛隊の長官ヒムラーのマッサージ師ケルステンは「ヒトラーは脳梅毒に罹っていた」という噂を流した。 しかし、ヒトラーの主治医モレルは1940年の梅毒検査で「ヒトラーは陰性であった」と、ヒトラー脳梅毒説を否定した。 アメリカ合衆国の国家記録保存所には「ヒトラーのメディカル・レポート」が保管されている。 これはアメリカ陸軍ヨーロッパ司令部情報部によって作成されたもので、1972年になってようやく極秘扱いが解除されたものである。 それによると、精神面に関するデータは次の通りである。
【A】 時間、場所、人間に関しての認識  優
【B】 過去、現在における出来事についての記憶力  優
【C】 数字、統計、名前などの記憶カ  優
【D】 ヒトラーの生い立ちには大学教育の欠如という不利な点があったが、それを彼は読書を通して得た莫大な知識で十分に補った。
【E】 時間や空間についての判断力  優
【F】 まわりの環境に対する反応  普通
【G】 気分が変わり易いところもあるが、平均して協調性があり、集中力は抜群である。
【H】 感情的には変化し易い。 好き嫌いが激しい。
【 I 】 思考構造は一定の継続がある。 話し方は早くなく遅くもない。 常につじつまの合う話をする。
【J】 ヒステリー性はない、健忘症はない。
【K】 妄想や恐怖性はない。
【L】 幻覚、幻想、偏執狂的徴候はない。

これを見る限り、ヒトラーという人物は普通であるばかりでなく、多くの面で普通の人よりずっと秀れていたということになる。 一説にはヒトラーのIQは150近くあったという。 アメリカ政府はこの情報を1945年に得ていたのだが、27年間極秘扱いとして誰にも見せなかった。

次に、戦後のニュルンベルク裁判の法廷で3人のナチス要人が語ったヒトラー像を挙げておく。 この3人とも誇り高きドイツ貴族出身の軍人であり、貧民街から登場したチョビひげの政治家に最初から心服していたわけではなかった。 しかし、ヒトラーはそんな人物まで相手の専門分野の知識で圧倒し、彼の人格的影響下に置いてしまったようである。

ドイツ海軍の最高司令官カール・デーニッツ大将は語る。「ヒトラーは異常な知性と行動力を持ち、正に普遍的と言ってよい教養と力を放射する性格を備え、恐るべき暗示力を持った人物だった。 私は総統本部に出入りしないほうが、自分の力を温存できるような気持ちがしたので、たまにしか足を運ばなかった。 それに何日も総統本部に滞在したあとでは、ヒトラーの暗示力を洗い落とさなければならないという感じがした」。

ドイツ国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテル元帥はヒトラーの軍事知識に驚嘆している。「軍事問題についての彼の知識は驚くべきものであった。 ヒトラーは世界中の陸海軍の組織、武装、指導部、装備に精通しており、ひとつといえども誤りを指摘することは出来なかった。 従って、我々は「あの人は天才に違いない」と思ったのだ。 軍の単純なありきたりな問題ですら、自分は教えるほうではなくて教わるほうであった」。

ドイツ国防軍最高司令部部長アルフレート・ヨードル大将も語る。「ヒトラーは並々ならぬ大きさを持った指導者としての人格を備えていた。 誰と何について議論しても、彼の知識と知性と雄弁と意志が最後には勝利を占めた。 論理と冷静な思考、しばしば来たるべきものを予知するその不思議な能力。 彼は決して虚言や大言を弄するだけの男ではなく、巨大な偉人であった。 最後には地獄的な巨大さにまでなってしまったが、ともかく1938年までは無条件に偉大な人物だった」。

敵味方を問わず「ドイツ軍最高の軍人」、もしくは「20世紀最高の戦略能力の持ち主」と評されていた、ドイツ国防軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥はヒトラーとたびたび衝突して、ヒトラーに批判的だった。 そのような彼ですら次のように認めている。「ヒトラーは驚くべき知識と記憶力、技術問題と軍需のあらゆる問題についての創造的な想像力を持ち合わせていた。 敵や自国の新兵器の威力・生産量についても信じがたいほどの知識を持っていた。 彼が軍需の分野で、その理解力と並外れたエネルギーをもって、多くのことを推進したのは間違いない」。

以上のようなコメントを読むと、世間に流布しているヒトラー像とは全く違うヒトラー像が見えてくる。 しかし、ヒトラーが精神的におかしな人間でなかったのであれば、彼をあそこまで駆り立てたものは何だったのか。 ワーナー・メイザーという高名なヒトラー研究家は次のように言っている。「ヒトラーの反ユダヤ主義が如何に展開し継続していったかを概観して説明するのはさほど困難ではない。 しかし、なぜヒトラーのような、並外れて我意が強く、才能があり、数多くの書物を読み、広い知識を持っている人間が、このような恐るべき迷信(反ユダヤ主義)に囚われてしまったのかという問いに答えることは容易ではない」。

ヒトラーの側近たちは、ヒトラーの大きな欠点のひとつとして、彼が何を考えていたのか皆目わからなかったという点を挙げている。 ヒトラーの側近の1人はニュルンベルク裁判でヒトラーについて次のように述べた。「心の奥底を明かさない人間を、どうして『知っている』と言えようか。 私は今日になっても、彼が何を考え、何をしようとしていたのかがわからない」。

ヒトラーの側近の1人として多くの時間をヒトラーと過ごしただけでなく、ヒトラーが最も興味を持った建築学におけるお気に入りの仲間であったアルベルト・シュペーアは「ヒトラーに友人がいたと言うのであれば、私は間違いなく、その1人だろう。 彼ほど感情をめったに表さない人間はいない。 それに、いったん表したとしても、すぐさまそれを覆い隠してしまうのだ」と語った。 アルベルト・シュペーアは、ヒトラーと打ちとけられたと感じられる瞬間についても、「我々はやっぱり幻滅せざるを得なかった。 私が少しでも親しげな調子で話そうものなら、ヒトラーは直ちに厚い壁を作りあげてしまうのだ」という副官ルドルフ・ヘスの言葉通りだったと言っている。

青年時代のヒトラーの唯一の親友だったアウグスト・クビツェクも次のように語っている。「アドルフ(ヒトラー)は内向的な性格で、誰にも立ち入らせない精神領域を常に持っていました。 彼には、私には理解不能な秘密があり、私にとっても多くの点は謎のままでした。 しかし、その秘密のいくつかを解く鍵がありました。 それは美への熱狂です。 ザンクト・フロリアン修道院のような壮麗な芸術作品の前に立つと、私たちの間のあらゆる障壁が崩れ去るのです。 熱狂しているときのアドルフはとても打ち解けやすくなり、私は友情がさらに深まったように感じました」。

エバ・ブラウンも日記に次のように書いた。「ヒトラーは時々、異常なほど内気になる。 きっと過去の嫌な体験からきているのだろうと思うけど、あの人の内気は普通じゃない。 とくに人前に出ると、内気な自分を悟られまいと必死になっている。 私にはそれが手に取るように分かる。 トイレに逃げ込みたくなるほど怯えているのかもしれない。 どうしてあれほど自制するのだろう。 どうしてあれほど初な娘のように振舞うのだろう。 ヒトラーはとにかく謎めいている。 何かを隠そうとしている。 そこがとても薄気味悪い」。 エバ・ブラウンによれば、1937年冬のある日、ヒトラーは目をギラギラと輝かせながら、「天才と狂人」について、次のような謎めいた話をしたという。「天才は普通人とは異なる精神領域で生きている。 天才はときどき普通人の精神世界に舞い戻る。 だが、もし戻れないと、普通人の目には狂人に見えるのだ。 ヘルダーリンやネロのように。 天才は概ね限界というものを感じない。 危険というものを感じない。 私は自分を知っている。 シェークスピアが自分を知っていたように。 彼の十四行詩を読めば、それが分かる。 シェークスピアは2つの領域を行ったり来たりした。 彼は穏やかな人物でありながら、それをやってのけた。 情熱的な私なら、難なく2つの領域を行き来できる」。 そして、エバ・ブラウンは日記に次のように書いた。「この時のヒトラーの目はとても薄気味悪く輝いていて、まるで燃えているようだった。 本当にこの時のヒトラーの表情には背筋がぞっとした」。

エバ・ブラウンによると、ヒトラーは「美容」に関して専門家を驚かせるほどの知識を持っていた。 彼女は日記に次のように書いた。「水曜の夜。 私は本当に感心してしまった。 なにしろ、スパルタ気質のあの人が美容師に、どうやったら女は若さと美しさを保てるかと、延々と説いていたのだから。 とにかく、美容についての知識の深さにはびっくりした。 この前、私はあの人から化粧クリームをもらった。 それが効くのかどうか、私には分からない。 でも、あの人からもらった以上、絶対に使い切らなければならない。 それにしても、クリームといっしょに渡されたあのメモには本当に目を疑ってしまった。 なにしろ、週に二度は仔牛の新鮮な生肉で夜の洗顔パックをすること、週に一度はオリーブオイルの風呂に入ること、もっとも大切な部分はバストとヒップ、と書いてあったのだから。 確かに、あの人は美容の専門家だと思う。 達人とさえ呼べる。  〈中略〉  私はこの頃しみじみと思う、あの人の言うことは何でもかんでも正しいと。 たまに変に思えたりするけど、結局、それが変じゃなくなる。 人々があの人を信じるから、そうなるのだろうとは思うけど、もし、あの人が、太陽は地球の周りを回っていると宣言したら、どうなるだろう。 ドイツ人たちは皆すぐに信じるのだろうか」(1938年1月)。