「400万人」から「150万人」に訂正された「アウシュヴィッツ記念碑」
ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人の総数は600万人と言われてきた。 この600万人という数が揺れている。 実際は、もっと少ないのではないかとの声が高まっている。
1990年7月17日付のポーランドの連帯系の『選挙新聞』が「アウシュヴィッツ収容所博物館」による調査結果として、アウシュヴィッツ収容所での死者数は多く見ても約150万人だったことが判明したと発表した。 同博物館の歴史部長によると、調査で確認された死者の数は計110万人で、内訳はユダヤ人96万人、ポーランド人7万5000人、ジプシー(ロマ)2万1000人、ソ連兵捕虜1万5000人などである。 アウシュヴィッツ収容所からの生還者は22万3000人だったという。 この実態調査はヨーロッパ各地のゲットーで作成されたリストや収容所への移送の際の通信文書などを基に実施された。「実際の死者総数はこの調査結果を上回るだろうが、多く見ても150万人止まり」としている。
アウシュヴィッツ収容所での死者数を400万人とする説は、ソ連軍が1945年にアウシュヴィッツ収容所を解放した直後、ソ連の調査委員会が発表したものである。 ユダヤ人シオニスト団体は、このソ連の発表を基に、ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人の総数は600万人と主張し、更にアウシュヴィッツ収容所での死者は全てユダヤ人であったと主張し続けてきた。 しかし、今回の発表で、アウシュヴィッツ収容所での死者の数は半分以上も減るだけでなく、その死者の中にはポーランド人やジプシー(ロマ)やソ連兵捕虜もいたことが明らかとなった。
今回の調査結果に基づいて、「死者は400万人」と記したアウシュヴィッツ記念碑の銘板は1995年に撤去され、「死者は150万人」に訂正された新しい銘板がアウシュヴィッツ記念碑に付けられた。 イスラエル国の「ヤド・バシェム・ホロコースト記念館」も実際は100万人程度であるとして、下方修正した。 さらに、同記念館のイェフダ・バウワー教授は、「ナチスが人間の脂肪から石鹸を作ったことはなかった」と発表した(1990年)。 このことは、日本国内の一般人にはあまり知られていない事実である。
このように、アウシュヴィッツ収容所での死者の数は半分以上も減ったが、注意して欲しいのは、ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人の総数「600万人」が訂正されたわけではないという点である。「600万人」という数は、ザ・ホロコーストを語り継ぐ上での重要なシンボルとなっており、この数はユダヤ人シオニストにとっては「冒すべからざる神聖な数」となっている。 彼らにとって、この数を少しでも否定することは、即、ザ・ホロコーストの否定である。 簡単に訂正されるような数ではない。
戦後ずっとユダヤ人シオニストが「600万人」という数にこだわり続けているのには経済的理由がある。「600万人」の殺人の代償として、イスラエル国は10年間に渡り年間8億ドルを賠償金としてドイツ国民に賦課したからである。 ドイツはユダヤ人虐殺などへの個人補償だけでも、円換算で総額約6兆円を支払ってきた。 また、アウシュヴィッツ収容所での犠牲者が多ければ多いほど、イスラエルに限らず、第二次世界大戦で勝利したアメリカ・イギリス・ソ連にとっても好都合である。 ナチス政権が凶悪で悪魔的に見えれば見えるほど、連合国の主張が高貴で正当なものと見えるからである。
世界シオニスト機構の議長を務めたナフム・ゴールドマンは、『ユダヤの逆説』の中で、次のような事を率直に述べている。「ドイツは総額8000億ドル支払うことになった。 イスラエルが国家としてスタートした最初の10年間、ドイツからの賠償金がなければ、現在のインフラの半分も整備されていなかっただろう。 イスラエルの全ての鉄道・船・電力設備・産業基盤はドイツ製である。 その上、生存者に支払われる個人賠償があった。 イスラエルは現在、ドイツから毎年何億ドルの賠償金をドイツ通貨で受け取っている。 現在、この賠償に不服を言う者は誰もいない」。